虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

「価値観を固定しない教育」と「未完成な親」の価値 続きです。

2019-02-28 16:10:31 | 日々思うこと 雑感

教室で乳幼児と過ごす時も、小学生と接する時も、

メインとなる価値観を大切にしながらも

価値観を固定しないようにすることが、遊びのフォーローにおいても

勉強の手助けにおいても大事だな、と感じています。

 

2歳9ヶ月~3歳1ヶ月までの★くん、☆ちゃん、●くん、○ちゃんのといった

とても幼い子たちのレッスンを例に挙げて、説明させてくださいね。

 

3歳1ヶ月の●くんは、大のお寺好き。図鑑を開いて、弥勒菩薩や鳳凰の説明を

熱心にしてくれます。

そこで、積み木でお寺を作って、紙に描いた弥勒菩薩を飾ってあげると、

とても喜んで、「鳳凰がいるよ」と催促。

それでちょっと適当なのですが、鳳凰も描いて、飾れるように棒をつけてあげると

すごくうれしそうでした。

 

子どもってとても個性的で、好みも違えば、長所も短所も、

考えるプロセスも技能の学び方もそれぞれ違います。

3歳の子の積み木遊びだから、この積み方、こういう遊び方と固定せずに、

それぞれの「好き」を取り入れると、

いっしょにいるお友だちにしても、「●くん、ああいうもの好きなんだな」と

自分とは違う好みに対して興味が湧きますし、その子の関心の範囲も広がります。

 

大人が事前に用意できるどんなに洗練されたアイデアも、

今現在のその子の内面を占めているものより心に響くことはないはずです。

 

●くん、お寺の他にも、「おすもう」が今のブームらしくて、

何度もしこを踏むのを披露してくれました。 

この日、●くんが教室で気にかけていたのは、写真の切り替えスイッチ。

 

「これなあに?これなあに?」と不思議がるので、

「こっちの線路~あっちの線路~と電車が行くよ」と切りかえの先に二つに分かれた

線路を取りつけてあげると、パァッと顔を輝かせて喜んでいました。

 

そこで、ブロックの板で、ビー玉を転がすとふたつの道に分かれて滑っていくように

してあげると興味しんしん。

そんな●くんを見て、『コんガらガっち どっちにすすむ?の本』を読んであげたら

喜ぶんじゃないかな、と感じました。

 

先に大人の側に既存の価値があって、

それに添って子どもを導いていこうというもくろみが幅をきかせていると、

「子どもがその時、興味を抱いたこと」を出発点にして、

遊びや学びを展開していくことはできません。

子どもは自分の興味に引っかかった時や自分の個性的な好みが外の世界と

響きあった時に、創造的に遊びを作りだすし、たくさんのことを学ぶのです。

 

それは幼い子だけに限ったことではないはずです。

内田樹氏が、ご自身のブログで、こんなことを書いておられました。

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日本の教育をダメにした根本は

この「シラバス」的なものの瀰漫にあると私は思っている。

シラバスというのは平たく言えば「授業計画」のことである。(略)

今年度の私の採点基準は「そのような知的な構えをとることが、あなた自身の

知的パフォーマンスを向上させるか?」という問いのかたちで立てられている。

もちろん、ひとりひとり構えは違う。

恭順で謙抑的になることで知的に向上する学生もいるし、反抗的で懐疑的になることで

知的に向上する学生もいるし、知識を詰め込むことで向上する学生もいるし、

詰め込みすぎた知識を『抜く』ことで向上する学生もいる。

そんなの人それぞれであるし、同一人物であっても春先と冬の終わりでは

こちらの着眼点ががらりと変わることもある。(略)

教育研究というのは「なまもの」相手の商売である。どう展開するのか予断を許さない。

日本の教育がここまでダメになった最大の理由はこの「教育は『なまもの』である」

という常識を教育関係者がみんな忘れてしまったことに起因している。

彼らが「工場生産」のメタファーに毒されて、適切なマニュアルに従って、

適切な練度を備えた教師が行えば、教育的アウトカムとして標準的な質の子どもたちが

「量産」できるはずだと考えたせいで、

日本の子どもたちは「こんなふう」になってしまった。

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教育は「なまもの」という言葉、1歳の子の相手をしていても、

中学受験を目指している子の算数を見ていても、

もう大人の域にいる娘や息子と議論を交わす時にもしみじみと実感するものです。

「なまもの」相手に価値観を固定できないのは、確かですよね。

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先に取り上げた内田樹氏の元の文章を息子に見せて意見を求めました。

というのも、数日前、息子が、「学校で勉強する意欲が削がれていく一番の原因は、

たいていどの先生も疲労してきっていて常時イライラしていることだったから、

先生の雑務の量を少し減らすだけでも勉強しやすい雰囲気が生まれるんじゃないかな?」

といった話をしていたのですが、学校の問題にはあまりにも多くのことが

絡まり合っているようで、話題にするのに気乗りしないわたしが、

あいまいに口を濁してしてそのままになっていたのです。

 

それが心にくすぶっていたので、

「この文章、どう思う?★が言ってたこと、大学のような場なら少しずつ改善可能

なのかもね。それがとても叶わないような風潮があっての文でしょうけどね」

とたずねました。

 

『内田樹の研究室』の「書類書くのはイヤだよう」という記事にさっと目を通した

息子は、「あ~わかる、わかる」とうなずいてから、

「最近、リスクを意識化する世界って文章を読んだんだけど……

それはインフルエンザについての話題だったんだけどさ。

この文(内田氏の文)を読むと、教育もリスクの問題でもあるんだなって感じたよ。

リスクを意識化する世界って、

もともと人は生産する側で何かを生み出す存在だったんだけど、

成長した社会では、何か新しい物を作りだすことで生じるリスクを負うよりも、

すでに作られているものを失うかもしれないリスクを避けるのに力を注ぐことになる

といったことが書かれていたんだ。

 

学校教育にしても、どっちがよりよい教育になるか、

生徒の成長によいものをもたらすか、といったことより、どっちが危ない道を

進むことになるか、というリスク回避の考えが主になっているんだろうな」

 

それを聞いたわたしは、ずいぶん前にいただいでずっと気になっていた

コメントが心に浮かびました。

雑誌を読んで「えっ」と思うという記事にいただいた次のようなコメントです。

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うなずきながら読みました。

うちの子は、算数の難問が大好きで、家では自分で最レベに嬉々として取り組んでいます。

学校では算数は退屈、計算テストはあっという間に終わるというので、

「終わった後は何してるの?」と聞くと、他の子がテストしている間の30分くらい、

学級文庫を読んでいいことになっているとのこと。

「でも同じ絵本ばかりで飽きた」というので、先生に連絡帳で「違う本を入れてもらえ

ませんか?少し難しい本や図鑑など」とお願いしましたが、

クラスの所有物だから一人のために変えることはできないとのお返事。

学級文庫の一番のヘビーユーザーのために1冊か2冊増やすだけでいいのに、

と納得いきません。できない子のためには工夫を色々されていますが、

できる子のための配慮はしない、というのが公立小学校の原則らしいです

(先生がそのようにおっしゃいました 涙)。

凹凸があっても、子供に合った方法で長所を伸ばす、という方針でやってくだされば

いいのにと思うのです。

もうすぐ、家庭訪問なので、先生に直接お話するチャンスです。

でも、どのように話を進めれば分かってもらえるか、悩んでいます。

なおみせんせい、先生との対話方法、アドバイスがあれば、教えてください。

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わたしは息子に、コメントの内容を簡単に説明してから、

「今の学校の問題は、親たちの要望が、もっともっと……と学校の先生に何かを求める

ことによって起こっているようにも感じているから、

コメントを記事で取り上げることはできなかったんだけど……。でも、同時に

この方のおっしゃっていることはよくわかるのよね。

こうした普通の声が、わが子への特別な対応を求めるモンスターペアレント的な

親の声として響くほどに、学校が四方からの多くの声に辟易しているのかと、

ちょっと気持ちが塞いだわ。★が言っていたように、先生の雑務が多すぎるというのは

あるんでしょうね。

それと、もし、ひとりの子を特別扱いしたら、後々、面倒なことになるかも

しれないという不安が大きいのかも。

お母さんが小学生の頃の読書の普及に熱心だった先生方なら、

こうした要望を、子どもの読書の幅が広がっていくこととして喜んで受け入れた

でしょうし、お母さんが先生の立場なら、そうした声がなくても、

本を手にしている子たちにとって、教室にある本が満足感をもたらしてくれているか、

さらなる読書への意欲を育てているかということは毎日のように気にかけて

いるでしょうしね。

といっても、今、教師の職に就いている方々がこなしている仕事をする自信なんて

自分にはないけど。」

 

それを聞いた息子は、「読書の幅が広がって子どもの能力が伸びることは、

生産的で新しい価値が生み出されることにもつながるけれど、

そこでも、そうして教育によって何か作りだすより、リスク回避の考えが

強いんだろうな。先生の労働量が増えるとか、他の子や親から文句が出るとか、

もっと別の要望があるかもしれないとか、学校が想定している目標の枠から

はずれるとか……。

内田樹先生が教育はなまものって書いていたけど、

今は教育をプロジェクトとして捉えている人が多いよね。

やっぱり教育はなまもので、人の人生に組み込まれた一部で、友だちとか

人生観とかいったものと同じように、均一に与えて、均一の結果を得ようとすれば、

いろいろ問題が生じてくるんだと思うよ。

自然に友だちができるのはうれしくても、友だちプロジェクトで友だちを

作りたいとは思わないよね。

教育も人としての重要なものを担っているから、リスクを伴いながらも、

そこから創造される価値に目を向けていけるような余裕が、学校には必要なんだろうな」

 


「価値観を固定しない教育」と「未完成な親」の価値 1

2019-02-27 21:13:10 | 教育論 読者の方からのQ&A

算数オリンピックに参加することによる弊害はないのでしょうか の記事に、

(記事でコメントを取り上げたお返事としてなのですが)

次のようなコメントをいただきました。

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草創期の学校の卒業生から世界的に活躍する人が出るのは、

価値観を固定しない教育をされてるからなのですね。

以前のエントリーにおける「未完成な親」や、

大人が手を出さない「未完成な教育システムの塾」が子供を伸ばす要因なのでしょうか。

逆に進学塾は、完成した教育でなければ子供が合格しませんから、

長期に通うことは不適なのかもしれませんね。

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いただいたコメントにある

「価値観を固定しない教育」や「未完成な親」というのものが、

(言葉の解釈が重要ではあるけれど)

わたしも子どもの知力と精神力と個性的な才能の伸びと大きく関わってくる

んじゃないかと感じています。

コメントにある「子どもの近くにいる大人に必要な隙ってどんなもの?」とは、

リンク先の記事のことです。

 

この「未完成」という言葉に、???とクエスチョンマークがいっぱい

頭の中に浮かんだ方もおられると思います。

 

そこで、最近、教室で子どもと接した出来事を取り上げて、

「価値観を固定しないこと」や「未完成」であることの大切さについて

言葉にしてみたいと考えているのですが……。

 

その前に親の接し方の未完成さや、子どもの可動領域に余白があることが、

子どもの心と人生にもたらす価値について綴った

『自己肯定感は褒めると上がる?』という記事を紹介させてください。

 (この記事の中で、未熟と未完成という言葉は異なる意味で使っています)

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ブログで自己肯定感の話を書くと、

「(自己肯定感を上げるには)もっと褒めるといいんでしょうか?」

という質問をいただくことが多々あります。

そのたびに、「褒める」というのとはちょっとちがうなぁ……と思いつつも

ひとことで、「これこれこういうことしたら上がるものですよ」とアドバイスできる

ものでもなく、もやもやした思いをくすぶらせることがあります。

 

そこで、わたしが考える「自己肯定感」が上がると思われる接し方と、

「自己肯定感」が下がると思われる接し方について、

言葉にして整理しておきたくなりました。

 

特に、子どもの自己肯定感を上げようと思って褒めているのに、

「褒める」行為自体が、子どもの自己肯定感を下げているように見えるケースについて

言語化できるといいな、と思っています。

 

3歳になりたての子らというのは、

「こういうことがしたいんだ。自分でやってやるんだ!」と

自分の動きを自分でコントロールしたい気持ちが持続しはじめるものの、

「何をどんなふうにしたいのか」ということは後回しというか、

本人にするとどうでもいいことだったりします。

 

周囲にすると、一生懸命しているところ、口出しするのも何だけど、

「ちょっと紙の使い方もったいないんじゃない?」

「新聞紙使って工作してごらん」なんてあれこれ口出ししたくなる時です。

 

大人からちょっとあれこれ言われても、

それまで自分や自分のすることに自信が育ってきている子は、

大人のアドバイスもそこそこ聞きいれつつ、

「大丈夫だよ。もうこれで、こうちゃく出来上がりだよ。」と

自分のしてきたことを否定しないでいいような切り返しで決着するものです。

お姉ちゃんから手厳しい追及を受けてもへっちゃらで、

ぼくが作っていたのは「○○!」と、おそらく、できあがってものを見て

後付けでひらめいた名前を自信満々に言います。

 

子どもの自己肯定感というのは、自分で自由にできる余白というか、

実際に動く場面でも、想像の世界においても、自分で動いて失敗してもOKという

可動領域がしっかり確保されているかどうかに大きく関わっているように思うのです。

 

大人が子どもの領域へしょっちゅう侵入していたり、

逆に「子ども」という存在を特別視したりお客様扱いしたりして祭り上げて、

子どもの周りに地に足をつけている大人が存在しなくなったりすることも、

子どもが確かな自分を感じられなくなる、

つまり自分に自信を持てなくなる原因のひとつとなるのではないでしょうか。

 

大人のアドバイスに過剰反応し過ぎて激しいかんしゃくに発展してしまう子も、

即座に大人の指示に従って、「自分のそれまでしていたこともこれからしようと

していたこと」も帳消しにしてしまう子も、

「ママして~」とすること自体放棄してしまう子も、ちょっとしたことをきっかけに

自信や自分への信頼感が揺らぎやすい子なのかもしれません。

 

子どもはそうした揺らぎのなかで成長していきますから、

こういう反応をするから、自己肯定感が低いとか高いとか、

気にかける必要はないのでしょう。

でも、大人の関わり方の加減次第で、日常の行為のひとつひとつが、

子どもを勇気づけ、自己肯定感を高めていくきっかけになることも事実だと思っています。

 

それは子どものすることなすことを「褒める」というのとは、異なります。

幼い子たちのすることは、たいていでたらめでめちゃくちゃですから、

大人が「褒めなきゃ、褒めなきゃ」と思っていると、

心にないような嘘をつくことになるか、子どもが一番自信満々でやった部分は無視して、

大人が言葉でコントロールしてそれなりの形にした部分だけ、

「すごい、すごい」と褒めることになりかねません。

 

つまり、

「自己肯定感を上げるために褒めなきゃ、褒めなきゃ」と思って褒めているうちに、

褒め言葉が、大人の期待通りに子どもを動かすための

見えないニンジンになってしまうことが非常に多いのです。

 

「子どもの自己肯定感を高めるため」という名目で、

子どもに何かできるようにさせようとあせっている時、

実は、周囲の人の評価を大人である自分が欲していて、

「もっと褒めてもらいたい」「もっと認めてもらいたい」という飢餓感が

その動機に取って変わらないか、自分の心を見はっておくことが大切です。

 

以前、「親自身が『子ども』から『大人』に変化できていないと、数値で子どもを

管理したがるのでは?」という辛口の記事を書いたことがあります。

子どもの自己肯定感の高低は、その記事で取りあげた内容と密接に関わっているように

捉えています。

 

↓「親自身が『子ども』から『大人』に変化できていないと、

数値で子どもを管理したがるのでは?」

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『10代の子をもつ親が知っておきたいこと』水島広子/紀伊国屋書店

(この著書でクロニンジャーの「七因子モデル」を知りました。)という著書の中で、

「あれっ?」と感じる興味深い話を目にしました。

思春期の子を持つ親御さん向けの本ですが、幼児を育てている方にとっても

とても大切な話だと感じたので、簡単に要約して紹介しますね。

思春期の心の病である拒食症の治療の中心は、

対人関係療法で言うところの「役割の変化」になるそうです。

思春期の課題を消化して、「子どものやり方」から、「大人のやり方」に変化を

遂げることが病の治癒につながるそうです。

「子どものやり方」というのは、「何でも自分の努力で解決する」というものです。

一方、「大人のやり方」は、「必要であれば他人の力を借りよう」と

考えられることです。

成績が上位になれない、という場合も、一人でさらに努力して自分を追い込んでいくの

ではなく、いろいろな人生があることを知って、

自分の存在を社会の中で相対化できるようになることです。

「何でも自分の努力で解決する、のが『子どものやり方』だなんておかしい……

大人になっていくということは、他人に頼らず、自分で責任を持っていろんなことを

こなせるようになることではないの?」と感じた方がいらっしゃるかもしれません。

世の中は、矛盾だらけで無秩序なところです。

「がんばったから、幸せになる」とか「努力に比例して成功する」という単純なルールで

成り立っているわけではないですよね。

すべての課題を自分の責任でこなそうとする人は、

「秩序」によって安定するタイプが多いので、

「努力すれば成績が得られる」「親切にすればすかれる」というようなルールで世の中が

動いていないと不安になります。

そうしたタイプの人が、自分の秩序を乱す出来事に直面すると、パニックを起します。

そのパニックへの対処のひとつの形が拒食症という病なのだそうです。

「体重」は、食べなければやせるという体重計の数字にきちんと表れるので、

達成感と安心感が得られます。

思春期には、「自分の限界を知るということ」という重要な課題があります。

努力すれば何でもできるようになるわけではない。

がんばればみんなが褒めてくれるわけではない。

運命や環境をすべて自分の力でコントロールできるわけではないと認めること。

その上で、自分にできる範囲で全力をつくせるようになることが、

大人になるための思春期の課題です。

「人間は努力すれば何でもできるし、そもそも人間は学力だけで評価される」

という狭い考え方は「子ども」としての役割から生じるものです。

大人になるということは、

「人間にはいろいろな限界があり、その中で支えあっていくことが人生」という

大人としての役割で考えることができるようになることなのですね。

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『10代の子をもつ親が知っておきたいこと』で、

拒食症をはじめとする思春期の心の病についての話を目にするうち、

ちょっと怖くなったことがありました。

子育て中の親の中には、思春期の課題を超えそびれて、

まだ「長い思春期」の最中にいる方も多いです。

機能不全の家庭に育った私も、ひとりめの娘の子育てでは、

大人になれていない心のまま良かれと思って子どもの自尊心を蝕むようなことを

平気でしていました。

「子ども」の心のままで、心の病を引き起こすような世界観のもとで

子育てをしていると、目に見える安心感や数値上の上昇を確認することを求めます。

「努力すれば成績が得られる」「親切にすれば好かれる」というような

安心できる秩序が守られている世界をお金を払ってでも得ようとします。

それが教育産業が作り上げた、人工的な架空の世界であったとしても、

それを全世界のように錯覚した状態で子育てをしたいと願います。

子育ては、「すべてを自分の力でコントロールしたいという」、

現実にはありえない考え方がはびこりやすい場です。

なぜなら「自分で努力はしたくないけれど、コントロールして数値の確認をする

作業だけをしていたい」という、本当は現実の世界で叶えられてはいけない、

病特有の執拗な願いを簡単に実現してしまうからです。

おまけに、教育産業の多くが、そうした親の考えを正当化して、さらに煽りがちです。

教育産業が、儲かることを最優先に考えるのは、

ビジネスだからしょうがない部分もあります。

利用する側が、親にとっての最優先課題は、

ビジネスのそれと重ならない場合が多いことを自覚することが大切だと思います。

 

子どもの幸不幸は、どんな能力の親のもとに生まれたかよりも、

ちゃんと思春期の自分の課題を済ませて、「大人」になっている親に育てられているか

どうかで決まるように感じています。

子どもの未来も、「大人」に育てられているかどうかで、

大きく変わってくるのではないでしょうか?

 

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↑ 先の記事は自己肯定感について説明するために書いたものではありません。

わたしは子どもを外の評価の体系で測っては、数値で確認しながら育てていくことが、

自己肯定感が下がる原因と直にイコールで結ばれると考えているわけでもありません。

けれども、そうした育て方に代表される大人が、

自分の狭い世界観で自分が見たいものを子どもに投げかけて、

子どものある一面には関心をしめし、別の一面は(自分の価値観と合わないからという

理由で)無視するような育て方が、

自己肯定感を育む土壌の貧しさにつながるんじゃないかな、とは思っています。

 

ですから、毎日、子どもをシャワーをあびせるごとく褒めて育てたところで、

親が子どものなかに見たいものを褒め、認めたくないものを無視して褒めているとすれば、

そうした褒め言葉は親の価値観の押しつけでしかなく、

どこかで子どもを否定し阻害している行為ともつながりやすいと感じています。

 

次回は具体的なレッスンの話を例に挙げて書きますね。


3歳児さんのもりもり工作

2019-02-26 22:00:53 | 3、4歳児

3歳のAちゃんが、「〇〇が作りたい!」と言ってはもりもり工作するように

なってきました。おしゃべり好きのAちゃんは作った作品について

長々と説明してくれます。

↑の作品は、『宝の地図』なのだそうです。

そこで、さっそくお友だちといっしょに地図を片手に

宝物を探しに行きました。

レッスン中、お友だちとおもちゃの取り合いになった時、「大事なおもちゃを隠して、

いっしょに探しに行こう」というと、けんかはすっかり忘れておもちゃを隠しに行って上機嫌でした。

筒をのぞきながら、悪ものをやっつける道具らしいです。

監視カメラのような???すごい道具。

 

アイスクリーム屋さん。お友達と遊ぼうと思って作ったそうです。

 

カメラの被写体を確認する部分です。

Aちゃんはカメラが好きでよく作っています。

今回の作品はこれまでよりレベルがアップしたような……。

 

同じ3歳のお友達といっしょにピザゲームを楽しんでいた時のこと。

ルーレットの矢印は自分で好きな場所にセットして

ほしいピザのピースを選ぶようにしています。

 

自分で自由にセットできるとはいえ、場にあるピースとないピースがあるため

場にあるピースにあうように、「星の形と赤い色」というように

形も色も選ぶのは難しいんです。うまく選べてもいざ自分のピザに乗せようとすると、

すでにその色と形は埋まっていて置けないということがあります。

「こうしてごらん」と指示して間違えさせないようにするのは簡単ですが、

それだと間違えた時に、どこが間違っていて、どうしたら正解するのか

自分で気づく機会を奪ってしまいます。

自分でどんどんやりたがって、ミスしたことに傷つかないで、何度もリベンジしたがる

この年齢の子たちに、たくさん気持ちよく間違えさせてあげるようにしています。

「そうか!」と自分で間違いから正しい答えに気づけるように

気をつけています。それと同時に自分の限界を超えて疲れてしまわないように

本人たちが楽しいと感じる難易度と時間の調整するよう工夫しています。


考える方法 と 行き詰った時の解決法 

2019-02-25 09:08:51 | 子どもたちの発見

年長のAくん、Bくん、年中のCくんの算数の時間にこんなことがありました。

サピックスのぴぐまりおん(1・2年生)の『のりものけん』という問題を

解いていた時のことです。

この問題は、園児にはいきなり解くのは難しいので、問題を解く前に、

12枚綴りの切りとることができるチケットを作り、

おもちゃを並べて作った遊園地の乗り物を選んで遊びました。

 

コロコロカー    のりものけん 2まい

コーヒーカップ   のりものけん3まい

メリーゴーランド  のりものけん 4まい

グライダー      のりものけん6まい

ジェットコースター  のりものけん8まい

という決まりです。

 

「グライダーに乗りたい」と言って6枚の乗り物券を切りとって渡し、

残りの6枚で何に乗ろうかと考える……

という遊びをしてから、ワークの問題を読みます。

 

ワークの問題を読む時、一区切りごとに、「どういう意味かわかる?」とたずねて、

理解度を確認しています。

 

「みんなは ゆうえんちに きています。どういう意味かわかる人?」

「はい、みんながゆうえんちにきたってことでしょう?」とAくん。

「そうよ。みんなっていうのは、すすむくん、だいちくん、かおりちゃん、

がんちゃん、めぐちゃん、けいこちゃんね。」

 

「のりものけんを 12まいずつ かいました。どういう意味でしょう?」

「のりものけんの、この点々って切ってある券が12あるから、

それを買ったってことでしょう?」とBくん。

 

「次は難しいよ。ちょうどなくなるように みんなはのりものに のりました。

ちょうどなくなるってどういうことかな?ちょうどじゃない場合ってどんなことかな?」

この質問には、Bくんが必死になって答えてくれました。

「あの、ジェットコースターに乗って8枚出して、それからコロコロカーに乗って、

もういっかいコロコロカーに乗って全部なくなるのは、

『ちょうどなくなる』ってことで、もし、ジェットコースターの後で、

コーヒーカップに乗ったら、ちょうどじゃない」

「そうね。Bくん。よくわかったね。コーヒーカップに乗ったら、

券が1枚だけあまるから、1枚だけで乗れる乗り物はないものね」

「のりものに 1かい のるのに ひつような のりものけんの まいすうは 

右のとおりです。意味がわかる人?右のとおりってどういうこと?」

「この右の絵のところの、コロコロカー2まいとかいうところでしょ」とAくん。

 

こんなふうに一区切りごとにわからない部分がないかていねいにたずねた後で、

『れい』をしっかり見るようにうながします。(『れい』を見て気づいたことを

言葉にしておくのもいいです)

 

「グライダーに 1かい、 コロコロカーに□かい のったよ。」と

すすむくんの言葉から、12枚のチケットの色を塗り分ける問題で、

3人とも考え込んでいました。

 

すると、Aくんが、「先生、ブロックを使ってもいい?」とたずねました。

許可すると、グライダーの6枚を除いた6枚分のブロックを持ってきて、

コロコロカーに何回乗れるのか考えて、きちんと解けました。

BくんもAくんからブロックを譲り受けて、解くことができました。

 

 

Aくんがブロックを使うことを思いついたように、考える方法のレパートリーを

いろいろ持っているといいですよね。

子どもたちが、考えるためにいいアイデアを思いついた時は

みんなでその良さを確認して、アイデアを共有できるようにしています。

 

 小2のDくんがレゴでコマを飛ばすマシーンを作っている時、

こんなことがありました。

初めて、ギアや滑車を使ったレゴに挑戦したDくん。

解説書の絵を見ながら、意気揚々と作っていました。

中盤あたりに差し掛かった時、

「ずいぶんできたね。どう?面白い?」とたずねたところ、ため息をつきながら、

「途中でわかんなくなってきた。やっぱ、難しいな。」とつぶやきました。

どうするのかとしばらく様子を見ていると、「はぁ~」と深くため息をついてから、

何やら決意した様子で、「いいや!戻ろっ!」というと、

それまで作っていたパーツをバラバラにしだしました。

それから、説明書の3の図を指して、「先生、ここからやりなおすことにした」

と言いました。

「それなら、今度は、1手順終わるごとにあっているかチェックしようか?」

ときくと、「そうする」とのこと。

そうやって、1手順ずつチェックする間、わたしはチェックしている内容を

「穴の位置は、左から3番目、うん、あっているね」

「ギアとギアがきちんとかみあっているかがポイントよ。ちゃんとかみあって

いたらクルクル回るからわかるわ」などと、口に出して確認しました。

 

 

そうして前にため息をついていた中盤あたりに差し掛かった時、

Dくんは、「もう自分でできるよ。チェックしなくても大丈夫」と

自信ありげに言うと、最後まで自分の力で仕上げました。

Dくんはうれしくてたまらない様子で、

「もっともっと作りたい」と言っていました。

 

このコマ飛ばしマシーンを他の子らにも見せる時、

わたしはみんなに

Dくんが自分で考えた行き詰まった時の解決法について話しました。

「Dくんはね、最初、自分でどんどん、どんどん作っていったの。

でも、途中でだんだんやり方がわからなくなって、どうしたらいいか

わからなくなったのよ。

そうして、行き詰ってしまった時、Dくんはどうしたと思う?」

他の子らは首をかしげて聞いていました。

「Dくんは、こんな風にしたの。

まず、せっかく作ったブロックをバラバラにしていって、最初の方の3番目の図に

戻ってやりなおすことにしたの。

それから、ひとつの図を完成させる度に、先生のチェックを受けて、

ちゃんとあっているかどうか正確に確かめるようにしていたの。

簡単でわかりきっていることも、そういう意味があったんだなって

理解しながら進んでいったら、先に進めば進ほど簡単になっていって、

途中からは自分ひとりで全部仕上げることができたのよ」

 

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ピッケのつくるえほんのワークショップで小2のAくんが

『くりんの木さがし』というすてきな絵本を作りました。

下の写真は、作品の一部です。

 

りすのくりんの家であった木が倒れてしまったため、

新しい家にする木を見つけにいくストーリーです。

 

 

この作品を作る過程で、Aくんは最後のシーンを作った後で、

先に作ったシーンに戻って手を加えました。

「倒れて枯れた木と周辺の環境」と

「新しく探し出した木と周辺の環境」の変化を際立出せるためです。

 

Aくんは、下の「新しい家にすることにした木」のシーンと

上の「倒れた木」のシーンについて、他の子らに説明しました。

 

「(下の)この絵の木は、いろんな実がなっていて、花も咲いていて、

木のまわりもいろいろな草や花があって、どんぐりも落ちている。

初めは、(上の)前の絵にも、どんぐりとか草とかもっと置いていたんだけど、

最後の絵と比べた時に、どんなふうにちがうかわかるように、

きのこのついている切り株と草だけにしたんだよ。

青い倒れている木は枯れているから青いんだ」

 

最後の作業を終えてから、

それまでしたことを振り返って、おかしな部分はないか、もっとよくなる方法はないか、

と考えてみるのはすばらしい知恵ですね。

 

工作をする時も、算数や他の学習をする時も、とても役立つ頭の使い方だと思います。

 

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年中のBちゃんの頭の使い方は、まるで見ているものに吸い込まれてしまうほど

真剣に物を眺めて、相手の言葉に全身全霊で耳を傾けることから始まります。

 

Bちゃんは、誕生日のプレゼントにシルバニアファミリーのお家を

買ってもらう予定だったそうです。

でも買い物に行った先で、上の写真のような

広げるとお城の中とお庭があらわれるポップアップ絵本を見つけて、

「どうしてもこれがほしい、シルバニアのお家よりもこっちがいい」と

言い張ったのだとか。

Bちゃんは工作が大好きなので、プレゼントにこの絵本をもらうやいなや、

「これと同じものが作りたい」と言いました。 

といってもBちゃんの手に余る大掛かりなポップアップの仕掛けです。

そこで、「虹色教室で作る」という流れになりました

 

Bちゃんといっしょに長い間、うっとりとこのポップアップ絵本を眺めた後で、

「Bちゃん、どの部分が作りたいの?どこがすてきだと思う?」とたずねました。

Bちゃんは庭にある六角形の噴水と植物で作った迷路を指さしました。

 

Bちゃんの指さすそれは、とても魅力的なポップアップの仕掛けでした。

 

「六角形の秘密」とでも名付けたいような

六角形という形を生かした仕掛けなのです。

 

作り方は単純です。

紙を帯状に切って折って、六角形のわっかを作ります。

 

六角形はふたつの向かいあう辺が平行ですよね。

Bちゃんとは、「平行」のことを、手のひらと手のひらの間に少し隙間を開けて

向かいあわせて表現しています。

向かいあわせの平行な辺の上も下も山の形に辺がつながっていますから、

それがぺったんこになったり広がったりするのです。

 

この平行な辺と辺をセロテープでとめて、他はとめません。

すると、とめていない部分の辺が開いたり閉じたりして、

ぺったんこに折りたたまれたり、六角形に広がったりするのです。

 

できた部分はプレゼントとしてもらった絵本に比べると、ほんの一部です。

でも、Bちゃんは、心から満足した様子でした。

真剣に、ポップアップ絵本を覗きこみながら、

「次はこことここを作る」と夢を膨らませていました。

 考える方法 と 行き詰った時の解決法 3

 

考える方法 と 行き詰った時の解決法 4

 考える方法 と 行き詰った時の解決法 5

 

考える方法 と 行き詰った時の解決法  6


100円ショップの樹脂ねんど

2019-02-24 21:50:36 | 工作 ワークショップ

樹脂粘土は練っていてもぽろぽろくずれたり割れたりしないので

ミニチュア作りに適しています。

年中と年長の子が樹脂粘土でチョコバナナの屋台を作っていました。

ミニチュアを作る時、アルミ箔を使って鍋やトレイなどを作る方法を教えると

子どもたちがとても喜んでいました。

 

下は小3の女の子のシルバニアのパン屋さん用の小道具です。

イチゴと抹茶のマフィンがおいしそうです。バターロールやクロワッサンもあります。


虹色文庫の新作ぞくぞく

2019-02-23 20:05:17 | 虹色文庫出版局

虹色文庫(虹色教室のごっこ遊び出版社から出している本です)

ではぞくぞくと新刊が出ています。

小学3年生のAちゃんは、「新刊用のちらしを作ったらどうかな?」と

広報活動にも力を入れるようでした。

料理本、怪奇現象の本、絵本、ゲームの解説書、物語、マンガ、エッセイなど

さまざまな分野の本が生まれています。

 

卒業の記念に自閉っ子のBくんが作ってくれたカレンダーブックです。

カレンダーをめくると、環状線を1周できるようになっています。

 

Bくんは、JRクイズブックも作ってくれました。

かなりの力作です。


世界一知能が高い IQ230の女性の知能上達法と創造力

2019-02-23 09:03:09 | 教育論 読者の方からのQ&A
『「頭がよい」って何だろう(植島啓司/集英社新書)』に、
1985年のギネスブックでIQ230でもっとも知能指数の
高い人物として登録されているマリリンという女性の話題が
載っていました。

マリリン自身が語る彼女の知的上達法は、次のとおり。

物事を書き留めたり、計算機を使ったりせず、
頭の中で処理せよ。

なんでも断定せず、柔軟な心を保とう。
断定することは、学ぶことをやめることを意味する。
成就したいことがあれば、すべて自分で行動せよ。

というものでした。

子ども時代の柔軟な思考のあり方が、知的上達にいかに
大切かわかりますね。著者の植島氏は、子どもには、
身近なものに対する考え方を教えるべきだと書いて
おられます。

★ 必ずしも解答はひとつでないこと。
★ 違った道順で同じ結論に至ること。
★ 創造性は間違いの中にも潜んでいること。

などを、子ども時代にしっかり身に付けることこそ、
できるだけ最短距離を通って問題の核心に切り込めるように
なる元となると。

幼児期から問いとひとつの答えを結びつける訓練をして、
学ばせることが、
子どもの頭を、大人のようにガチガチの固い状態にして、
先ほど紹介した3つの知的活動に不可欠な感性を
鈍らせないように気をつけなくてはなりませんね。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
それにしても、
★ 創造性は間違いの中にも潜んでいること。

とは具体的にどういう事をさして言うのでしょうか?

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アラン・チューリングという数学者が、

デジタル・コンピュータという機械が原理的に思考しうること
(思考する存在として振舞えること)を探求していくときに、
「簡単な問題をしばらく考えてから間違った答えを出す」という
コンピューターについて考えていました。

天才的な数学者アラン・チューリングは、
「間違える」ということを、とてもプラスイメージで
捉えているのです。
 
えっ?と疑問に感じるかもしれませんが、

A=Bといつでも、
問いから正しい答えに直結するような考え方は、
テストでは良い点に結びつくでしょうが、

柔軟性や、応用力は乏しいものです。
あまり創造的ともいえない。

大学のテストは、あっという間に全て満点の解答を
はじきだせるコンピューターを作ることができるでしょうし、
今も存在するのでしょうが、
それが何万台あっても、経済の問題も、環境問題も
解決しないものですよね。
そうした未知の問題を解決するには、不完全だけど、柔軟で、
応用力があって、創造的な
人間の頭脳が必要となってくるのでしょう。

『「頭がよい」って何だろう』には、次のような一文が
あります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
一般的にコンピューターは、高速で計算処理ができるように
つくられており、
論理的な問題処理能力にはすぐれているが、柔軟性がなく、
応用力に乏しい。

それに対して、人間はあれこれ気をとられたりして、
なかなかひとつのことに集中できないし、
また、多くの過ちを犯すだろうが、
それによって、また新たな発見につながるようなプロセスを
見出すことができるのである。

そう人間にとっては、間違えることこそ、
あらゆる創造力の源泉があるともいえる。

『「頭がよい」って何だろう』植島啓司/集英社新書より引用
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間違えることこそ、
あらゆる創造力の源泉があるって、何だか不思議な表現ですね。

さまざまな創造力について書いてある本を読んでいると、
創造力にとって、「間違える」だけでなく、「忘れる」ということも、
大事なようです。

お茶の水女子大学で教鞭をとっておられる外山滋比古氏が、
『知的創造のヒント』という著書の中で、
次のように書いておられました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

これまで学校教育が記憶だけ教えて、忘却を教えなかったのは、
たいへんな手落ちである。
上水道をつくって、下水道をつくらず、たれ流しにまかせて
おくようなものである。
知識の異常な詰め込みが行われている現代である。
正常な自然の忘却機能だけに頼っているのが危険なことは
わかりきっている。
それに気づかないでいるとはいったいどうしたことであろうか。

……ものを考えるのは、ものを覚えるのとはちがうけれども、
頭の中にいろいろごちゃごちゃ詰まっている状態が望ましく
ないのは共通している。
たとえ有用な知識であっても、頭がいっぱい詰まっていれば、
そのあとおもしろいことを考える余地もない。
ちょうど一面に書き込まれている黒板のようなものである。
新たに何か書こうと思えば、まず、書き込める場所をこしらえ
なくてはならない。黒板をふくのである。
それが忘却である。

……心は白紙状態、文字を消してある黒板のようになる。
思考が始まるのはそれからである。自由な考えが生まれる
のは、じゃまがあってはいけない。
 
『知的創造のヒント』外山滋比古著 ちくま学芸文庫より引用
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

こうした話を読むと、子どもたちを、いつでもどこでも
「何となく忙しい」「あれもこれもしなきゃ」「わすれない
ようにしなきゃ」「失敗しないようにしなくちゃ」という
強迫観念から解放してあげなくてはならないと感じます。

「やるときは、自発的に集中してやる。
遊ぶときは、全てを忘れてのびのび遊ぶ。」

そうしたサイクルが可能になるよう、生活を整えてあげたいですね。

何をやりたいのか、どうやってすればいいのか、自分で考える

2019-02-22 15:36:03 | 子どもたちの発見

年少のAくんとBくんのレッスンの様子です。

Aくんが教室に着くなり、「先生、段ボールとペンとはさみとテープをちょうだい!

マルバツゲームを作りたいから!」と言いました。

そして意気揚々と段ボールを切って作り出しました。

何を作るのか、どうやって作るのか、自分の頭の中にあるのが

うれしくてしょうがない様子です。

バツが+になっていますが、Aくんは大満足で、作り方を説明してくれました。

お母さんの話ではお姉ちゃんが紙と粘土でマルバツゲームを作っていたそうです。

Aくんはお姉ちゃんや友達のすることを見て、

こういう材料で、こういう方法で作ればいいんだな、と気づいたようです。

 

Bくんはクーゲルバーンとマリオゲームというふたつのビー玉を転がすおもちゃを

つないで、一気にビー玉が転がるようにしたいようでした。

「紙でつながるようにしてみたらどう?」とたずねると、

「そうだ!紙を丸めたらいいんだよ!それをテープでとめたらいいんだよ!」

と自分のアイデアに

満面の笑みを浮かべていました。

丸めた折り紙のつつをつなげようとすると筒が長すぎたのではさみで切って調整しました。

うまくビー玉が転がっていきました。

Bくんの物つくりは、「こういう風にしたいな」とい思いを

実現するための問題を解決することにあります。

AくんとBくんにナミナミの形になっている段ボールを

使い終わったセロテープやガムテープの芯に貼ることを教えると目を輝かせていました。

Bくんは大きなビー玉を取ってきて、「これを中に入れて、ころころ動くようにしたいよ。

そうして動くところを見るんだよ」と言いました。

そこで、見やすいようにクリアファイルを側面に貼りました。

斜面を転がすとビー玉の動きが見れて面白かったです。

 

ブロックで枠を作り、ギアとして動かしてみました。

セロテープの芯を指でなでると、ギアがかみあって人形がくるくる回ります。

 

AくんとBくんといっしょにポーションエクスプロージョンという

ゲームをしました。AくんとBくんに大ヒットで、

本格的な遊び方で楽しめました。

 

 

写真は算数レッスンの様子です。

手を使って『てんびん』の問題を考え中。

 

青い玉2個と黄色い玉2個がつりあっています。

黄色い玉が2個になると、青い玉はいくついるでしょう?

『100円のたんけん』という本を読んでいます。

牛肉100円分と豚肉100円分の量がちがうことに、「え~!!」と

驚いていました。


虹色教室の卒業生

2019-02-21 19:41:43 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

このところ、大きくなった卒業生たちに会ったり、卒業生の現在の活躍を聞く機会が何度か

ありました。

どの子も魅力的でしっかりした子に成長していてうれしい限り。

今日は7年前に東京に引っ越ししたAくんのお母さんと弟くんが教室に来てくれていました。

写真は小4の弟くんが折った折り紙作品です。

 

Aくんとは3歳からの付き合いで、7歳になるまで、いっしょに工作したり実験したり

算数の学習をしたりした思い出がたくさんあります。

今現在は中学2年生で、哲学から史学からありとあらゆる本をむさぼるように読んでいて、

地理オリンピックに出場したり、独学でラテン語を学んだり

しているそうです。

「Aくんの個性や才能をつぶしたくないし、

ゆっくり自分の時間をすごさせてあげたい」という親御さんの考えで、

習い事や塾にはほとんど通っていないそうですが、

学校の成績も優秀で、自分から意欲的に学習に取り組んでいるそうです。

(東京に引っ越してからは、値段の安い科学館や博物館、美術館などのフリーパスを

購入して、毎日のように通い詰めていたそうです。)

 

今日は、弟君と電子工作をしたり、ゲームをしたりして

たっぷり遊びました。

弟くんも素直で純粋で、学ぶことが大好きな子に成長していました。

Aくんが大好きだった『ニューマスターマインド』のゲームを弟くんとしました。

弟君もとても楽しんでいましたが、ビー玉を転がすパズルや

レーザー光線の通路を考えるパズルのように手を使って試行錯誤する問題の

方が好きなようでした。

 自分の中からあふれ出してくるような意欲や知的な好奇心というものは

自分の中にあるものがゆっくりゆっくり育っていくプロセスを大事にしてもらった経験の

上に築かれるということを、成長した子どもたちに会うたびに感じます。

 


虹色文庫の新作 『なんでも相談室』

2019-02-20 14:52:33 | 虹色文庫出版局

昨年の暮れに、虹色教室文庫の編集長(教室の卒業生で中学1年生です)が、

「本屋さんを作ろう!」

子供が本を書き、それをコピーして売り、その利益を書いた人に渡す。

その利益でほかの人の本を買う。

初めは各自手持ちのお金がないので、小切手?で。

そのうち本だけでなく、子供たちのアイデアの夢の商品を売るようにし、

そうやって街を作るという計画を

聞かせてくれました。

 

その後、その志を引き継いだ教室の面々が、

次から次へと本を作ってきてくれています。(順番にアップしていきますね)

研究所や商売をする子らも出ています。

 

先日は、小学4年生のAちゃんが、『なんでもうかがいます!!いろんなそうだん!!』と

いう本を作っていました。

いっしょにレッスンをしている子から相談事を聞いて、

アドバイスを書いていました。

私にも「先生、何か悩み事ない?相談があったら言って!」というので、

ちょうどその日Aちゃんが、「携帯電話を買ってほしい」とお母さんに泣きついて困らせていたので

「きょうしつの子どもたちがスマホがほしい!!というけれどお母さんは反対しています。

買えない理由を納得させるのはどうすればいいですか?」という相談を持ち込みました。

すると、Aちゃんからこんなアドバイスが。

「みんなが気を使ってダメなりゆうは、お金が高いから。

じつはそれもそうだけど、理由はじけんにまきこまれるから。

まきこまれるとそうぞうにもいかない

こわさがまっているからと言ったらいいと思います。」

マンガ 怖い理由

友 「このアプリおもしろいよ」

子  「え。そうなの!!」

家に帰ったら、

子  「さっそくいーれよ」

いれたつぎのひ

お金がかかってる。

 

怖い理由2

子「メールっておもしろい」

ピコピコ

子「あれ?」

……いっしょに友だちにならない?

子「いいよっと」

犯罪者「いっひひ」

何かのじけんにまきこまれる

お友だちの相談にはこんなアドバイスをしていました。

〇〇さん

マルバス(発砲入浴剤の中におまけが入っているもの)を買っておまけが

楽しみ!夜おふろにはいってみたら、おまけがなくなってる!!

 

アドバイス

それを買ったお店へ行って、へんぴんした方がいいと思います。

その時、レシートを持っていった方がいいと思います。