虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

ふたごちゃんのひとりひとりとじっくり関わる大切さ

2012-04-30 17:59:00 | 子どもの個性と学習タイプ

小学2年生のふたごちゃんのレッスンで、レッスン時間を半分に分けて、

ひとりひとりの子を個別で見ることになりました。

ふたごでいっしょに過ごしている時は、相手に面白いおもちゃを取られないかと

気になって、ままごと道具や人形でばかり遊んでいた☆ちゃん。

ひとりのレッスンの時は、そうしたソワソワした態度が減って、

それまでは興味を持とうとしなかった「科学の箱」の中身でじっくり遊んでいました。

 

星の砂に興味を持っていたので、虫眼鏡で覗きながら、

星の砂を使った指輪作りをすることにしました。

↑上手に作れて大満足。

他にもさまざまなものを虫眼鏡で見たり、

惑星の模型や断層の模型に関心をしめしていました。

ふたごちゃんは、ふたりいっしょでいる時とひとりひとりと接している時で

別人のように興味を向ける対象や集中力が変わることがあります。

家庭でも週に1回くらいでもいいので、ひとりの子とだけじっくり関わって

あげる時間が大切だな、と感じています。

☆ちゃんのひと工夫。

アイスを逆さまにセットし、

注文を受けたものを少し浮かせてから

ハンドルを回します。

この通り、アイスが自動的にコーンに乗ります。


小学2年生の算数学習につまずいたら……

2012-04-30 17:43:47 | 算数

2ケタ~3ケタの数にあやふやなところがあると、

小学2年生の算数の学習でつまずいてしまう子がいます。

たとえば上の写真のように

10円玉五枚と50円玉一枚を見て、100円だとわからないような時は、

手で扱える教具(たとえばお金など)を使って

さまざまなパターンの言い方を練習してみるといいです。

 

「50円玉1枚と10円玉五枚で55円!」と間違えてしまう子と

作った手作り教具です。

60円なども6の指で表現してみることも

理解を助けてくれます。

 

「70円と90円を足すといくら?」

 

指を使って、「50円と50円が合体して

100円になる」ということを確認しながら

学ぶと理解しやすいです。

お金について学ぶと、2ケタ~3ケタの数を学ぶのにとても役立ちます。

写真のように、お金の上に薄い紙を乗せて

クレヨンうやクーピーペンシルでこすって、手作りのお金を作るのも楽しいですよ。

 


「鳥の翼のあるスカラベ」  物作りで育む知的な好奇心

2012-04-30 12:45:17 | 工作 ワークショップ

小3の◎くんのレッスンで。

羽根のあるスカラベを作りました。

 

物作りが好きな◎くんは造形教室に通っています。

最初に通っていた造形教室は作るものが決まっていて

「みんなと同じ」ものを作ることからはみだすことが許されなかったそうで、

だんだん通うのが嫌になっていったのだとか。

そこで別の造形教室に変わったところ、自分の好きなものを作らせてもらえるのが

うれしくて喜んで通っているようです。

そこでは、毎回、自分の好きなように恐竜を作り続けているそうです。

 

自分の作りたいものを満足するまで作ることは大事です。

 

ただ◎くんは少し想像力が弱い一面があって、

一度、何かひとつできるようになると、そのまま考えたり工夫したりすることもなく

飽きてきても繰り返してしまうところがあるのです。

一方で、興味を持ったことは、深く掘り下げて知りたいと思うタイプでもあります。

 

そうした◎くんの個性を思うと、

自分の好きな物作りをたっぷりさせてあげながらも、

時には興味の範囲を広げてあげたり、好きなことを探求する方法を教えてあげたり

することが必要かな、と感じています。

 

◎くん、ツタンカーメン展で購入した図録を見ながら、宝飾品作りをするうちに、

細かい違いに気づいて、疑問を口にするようになってきました。

こうした図録を見ながら作っていると、

それが作られた時代についての興味が湧いてきます。

その時代の人々の信仰や考え方にも触れることになります。

大人が教えるのでなくて、

自分で気づいたことは子どもの心に強く響きます。

スカラベのおもちゃの裏に彫られている文字。

ヒエログリフへの興味へとつながりました。


年長さんたちの算数の学習 と ボードゲーム

2012-04-29 15:54:05 | 算数

年長さんグループの4名は、工作とお話つくりが大好きな

女の子たちです。お家では自由にたっぷり遊ぶだけでお勉強っぽいことは

ほとんどしていないようですが、

遊びの体験が豊かなためか、どの子も考えることがとても得意です。

 

ぴぐまりおんの1、2年生用のワークで見落としがないように質問を見ておいて

探し物をする問題をした後で、最レベ問題集で「じゅんばん」についての問題を

解くことにしました。

 

「のりこさんはまえから5ばんめ。のりこさんのうしろはよしこさん。

ひろこさんはのりこさんより2だんたかいところにいます。

ひろこさんは まえからかぞえてなんばんめですか。

 

「子どもが 1れつに ならんでいます。

たかしくんは まえから 4ばんめで、うしろから 3ばんめです。

子どもはみんなで なん人いますか。」

 

「子どもが 10人 1れつに ならんでいます。

こうじくんは まえから3ばんめ。

ゆみこさんはうしろから 2ばんめです。

2人のあいだには 子どもは なん人 いますか。」

 

といった問題です。

先にも書いた通り遊びが豊かな子らなので、

こうした話を聞いて、「どういう意味かよくわからない」ということは

まず起こらないようで、

イメージするだけで答えを出すのが難しい場合も、「お人形でやってみたらわかるんじゃない?」と

言いながら、ちゃっちゃと解いていました。

 

「まえから 4ばんめで、うしろから 3ばんめで、

子どもはみんなで なん人いますかってたずねているんなら、3+4じゃないの?」

とわたしがいじわるな質問をすると、実際ハムスターが7ひきになった場合をためしてみながら、

真剣な表情で、「ちがう、6人!」と答えていました。

 

 

 

 

昭和のレトロな雰囲気が子どもにとても人気がある『うちのタマしりませんか?ゲーム』

 

ダンボールに入れて捨てられたタマをさがしに行きます。

相手の表情を見て、うそをついているかどうか

推理するシーンもあります。

年長さんたちともなると、うまくできない子や間違える子がいると、

すぐに誰かが助け舟を出して、自分たちでうまく解決しているので

感心します。


100かいだての いえ

2012-04-29 13:19:15 | 工作 ワークショップ

年長さんのグループレッスンで、『100かいだてのいえ』の絵本をみながら、

折り紙でお家を作って遊びました。

他のグループの子らにも協力をあおいで100階だての家にする予定です。

製作中。折り紙のお家を作った後はそれぞれの子が自分の作りたいものを作っていました。

 

お家、カバン。指人形などを作りました。

↑お友だちに自分が考えた指人形の作り方を教えているところです。

 

↑透明の糸を使っておばけをつらすアイデアを思いついた子が、

糸の先のストローを服のなかに入れて、

両手を自由にしてまるでおばけの人形が空中に浮かんでいるように見える工夫をしました。

 

それを見た別の子は、

 ←の家の透明部分の屋根をくりぬいて

自分の作った透明の色の糸でつらした人形が

屋根をつきぬけてお家に入るように見える不思議な作品を作っていました。

 

このグループのメンバーはかなりのアイデアマンぞろいです。


鍋いっぱいのプリン と ひっくりかえったがんもどき

2012-04-29 09:41:03 | 番外(自分 家族 幼少期のことなど)
田舎のだだっ広い家に対して、都会のわが家は、
2Kの団地住まいでした。
2DKだって、4人家族にすれば、狭苦しいわけだけど、
2Kとなると、ダイニングと寝る部屋が昼夜で忙しく入れかわらなきゃならないわけで、まるで芝居の舞台みたいに、ひとつの部屋がこたつや布団といった舞台道具で、
キッチンになったり寝室になったりと、忙しい家でした。

そんな狭っ苦しい家に暮らしながらも、
人って幼年期や子ども時代に染み付いた身体感覚が抜けないもんなんでしょうね……
母は、電子ピアノじゃなくて、どでかい本物のピアノを購入してみたり、
食べきれないような料理を作ってみたりと、
母の実家の9人きょうだい仕様の暮らしを引きずっていました。

私も妹も夏生まれで、誕生会には母のお手製のフルーツポンチが
登場しました。
特大サイズのすいかを、ギザギザした切り口でふたつに分けて、
中身をくりぬきます。その時、アイスクリームをすくう道具の小型版みたいな、すいかをクリッとした丸い形に抜く道具を使ってました。
そうして、大きなすいかの容器を作って、中に、サイダーや果物のかんずめを注ぎ込み、丸いぶどうの粒のようなすいかを浮かべてできあがりです。

よく言えば豪華、正しくは大ざっぱで豪快な料理が母の得意で、
グレープフルーツを半分に切って、
中身をくりぬき、ゼリーの粉や砂糖を混ぜて、もういちど注ぎ込みます。
そんなグレープフルーツゼリーが冷蔵庫によく入っていました。

クッキーの種も、おそらく料理本の材料の3倍は作って、
私も妹もねんどで遊ぶように、クッキー人形を良く作りました。
服にフリルをつけてみたり、帽子をかぶしてみたり、
靴や日傘やペットの犬猫、小鳥まで作って、大きなオーブンで
たくさん焼きました。
食べるときには、あまりの量にたいていうんざりして、ビニール袋に入れてうろうろするうちに粉々になって、何だかわからない形のクッキーを、
近所の友だちが「おいしい、おいしい」と食べていた記憶があります。

母は母なりに、都会風のこじゃれたものが作りたい気持ちは
満々だった気がします。
シュークリームやアイスクリームやカルピスやクロワッサンなど、母のこしらえたおやつは、名前だけ連ねれば、
デパートの屋上のレストランで注文するようなものばかりでしたから。

それがどう間違うのか、
あるとき、プリンを作ったときは、大鍋いっぱいのプリン液を
弱火で煮立てて、それをグラタン皿に注いで冷やしてました。
グラタン皿なんて、そういくつもありませんから、
どんぶり茶碗や、タッパーウェアーや小型のボウルまで総動員させて、プリンを冷やしてましたから、冷蔵庫の棚という棚が、黄色で埋まってました。
プリンが大好物の私と妹は、最初こそ、飛び跳ねて喜んでいましたが、
途中から、「一生、プリンなんて名前も聞きたくない!」
ってほど、うんざりきてました。

今もプリンを見ると、大鍋でタプタプ煮つめられていた
黄色い液体が思い出されて、
懐かしいです。母はそんな田舎ものの一面を持ちつつも、
その天然キャラで他人から慕われて、のんびりまったり自分の生をまっとうしました。
もうじき、母の一周忌です。


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思い出ついでに、過去記事の
<ひっくりかえったがんもどき>もよかったら読んでくださいね。

私の父は、以前の記事にも書いた通り、
粗暴で困った人ではありましたが、
気持ちが優しく、ユーモアがあって、話し上手な一面もありました。
私の父のことを、周囲の人はよく、「芸能人」に似ていますね……と
評することがありました。
若い頃は石原裕次郎にそっくりだと言われ、
年を取ってからは、北野たけしと梅宮アンナの父を足して2で割った
ような感じに見えるそうです。
機嫌が良いときの父は、
子どもの頃の話を、面白おかしく、
時にはしんみりとしてくれるときが
ありました。
そんな話のひとつで、心に印象深く残っているのが、
「ひっくり返ったがんもどき」の話です。

父は兄や姉のたくさんいる子沢山の家に生まれたようです。
でも実際に父が何人きょうだいであるのか、私は詳しく知りません。
一方的に自分の話したいことを話す父の話は、
どれもバラバラのパズルのピースのように断片的で、
何年たっても肝心の部分がわからないところもあるのです。

父の家は豆腐屋を営んでおり、
ペットなのか食用なのかわからないたくさんの動物…
やぎやら、にわとりやら、たぬきやらを飼っていたようです。
そんなごちゃごちゃした家には、
変わり者で乱暴な父親や
頭の良い美人の姉や、
知恵の遅れた兄など、さまざまな人が暮らしていたようです。
くわしいことはわかりませんが、今で言う知的障害であったろう兄は
ゆりちゃんという女の子のような名前でした。
近所の幼い子からもからかわれ、ばかにされ、
当時の父にはふがいない兄であったようです。

そのゆりちゃんは、いつも乱暴者の父親のもとで、
豆腐屋の手伝いをさせられていたようです。
そのころは、子どもが家業を手伝うのは当たり前で、
父も学校から帰ったら、
揚げ終わった厚揚げやがんもどきをならべさせられたり、
使いっ走りをさせられたりしていたようです。
そんなときにも、覚えが悪く手先が不器用なゆりちゃんは、
始終父親のげんこつをくらったり、
どなられたりしていて、
父は要領よく立ち回りながら、びくびくしていたようです。
父は何も言っていませんでしたが、もしゆりちゃんが、
この厳しい父のもとから逃げ出したいと思った日には、
乞食しか、今で言うホームレスになるしか、
生き方が残っていないように感じていたふしがあります。

あるとき、ゆりちゃんと二人で、店番をさせられていた父は、
慌てていて、がんもどきの入っていたケースを、床にぶちまけてしまったそうです。それは、うっかり1個落としてしまっても、殴られる、
大事な商品でした。
が、箱ごとひっくりかえした……となれば、
検討もつかないような損害です。
父親がどれほど怒るものが、想像すらできなかったでしょう。
殺されてしまうかもしれない…と感じたかもしれません。
すると、いつもはぼんやりで、
頭の働きが悪そうなゆりちゃんが、
「おれがひっくり返したことにするから、何も言わんでいい。」
と言ったそうなのです。
その後、ゆりちゃんは、殺されるほど、父親に叱られたそうです。
でも、決して、本当のことを言おうとはしなかったそうです。

父はあったことを話すだけで、自分がどう感じたのか……。
といったことは、いっさい話しませんでした。
が、時々、思い出したようにこの話をしていました。

父は非常に毒舌で、いやみや皮肉を言わない日はないくらいでしたが、
知的障害かと思われる人と、ホームレスの人の悪口だけは、
決して言いませんでした。
母と結婚して間もない頃、
橋の下で、凍えているホームレスの人を見たとき、
まだ買ったばかりの布団の一式を
橋の下まで持っていってしまい、
母が大変な思いをしたことがあります。
父を突然、そういった行動に駆り立てたもの……は
ゆりちゃんという兄との思い出だったのかもしれません。

「才能は自分の中になく、社会の中にある   他者の中にある」

2012-04-28 21:06:50 | 教育論 読者の方からのQ&A

山田ズーニーの言葉に、

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「才能は自分の中になく、社会の中にある」

「才能は自分の中になく、他者の中にある」

いったんこう極論してしまったらどうか?

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というものがあって、はっとしました。

自分とは他者との関係性によって成り立っているものだから、

才能といったって社会との関わりを断ち切ったところでは存在できないし、育たないのかもしれません。

そんな盲点があるものだから、

母子が密着した形で、どんなにわが子の才能開発に力を注いだところで、

かえって子どもの足を引っ張るだけに終わるのかもしれません。

山田ズーニーの言葉は、『働く理由』という本の中にありました。その著書でもうひとつ、こんな言葉に出会いました。

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新しいことを始めて (さまざまなことを試み)、

いままでと違う人たちと交流し (人間関係を変え)、

生まれたばかりの可能性というレンズを通して

人生の物語を解釈しなおせば (深く理解し納得すれば)、

実際にアイデンティティーは変わっていく。

              ハーミニア・イバーラ

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「確かにそうだなぁ」と思いました。

私の子どもの頃を思い出しても、母に連れまわされて、

あっちこっちの習い事に行った経験は

「時間を無駄にしたな」くらいの印象しか残っていないのだけど、

人との出会いや人の生き方を見ることから得たものは

何十年も経った今も自分の生き方に影響を与え続けているのです。

 

そういえば、こんな出会いからも……。

中学生のとき、友だちの家のそばに 犬を飼っている家があったのです。

犬は ほっそりした雑種のメスでキャンディーという名前でした。

その家は千里山駅から関大前駅に続く道路沿いにあって、

当時はどちらの駅前もそこそこ開発が進んでいたわけだけど、

それ以外の場所といったら完全に田舎でした。

ちょっと道に迷って、数分歩いていると、

田んぼや竹林や墓場に行き着くような具合です。

キャンディーが飼われている家の周辺も、古い家並みが続いていました。

 

私と友だちとキャンディーの飼い主の女性との間には

最初 面識はなかったのですが、

遊んでいるときに挨拶をかわすうちに、だんだん親しくなって、

終いにはキャンディーの散歩を頼まれるようになりました。

犬が飼えない私と友だちは喜んで 散歩係をやらせてもらっていました。

 

するとあるとき、かなり唐突に、

そのキャンディーの飼い主が木造だった家の改築して、

コンクリート打ちっ放しの喫茶と画廊が一体化した家を建てたのですよ。

田舎の何もないところに

いきなりヨーロッパの建築雑誌に出てきそうなもの作るんですから、

うちの親や近所の主婦層からは絶対出てこない発想で、

かなりのカルチャーショックを受けた記憶があります。

それで私も大人になったら、周囲の思惑なんか気にせずに、

自分のやりたいことをやってやろうと決心しました。

生き方の指針は、そんな風に 

自分の世界から一歩外に出たところで出会う人から得る場合がよくあるのですね。

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私が子どもの頃とちがって、うちの子たちともなると、

ネットで世界中の情報とつながっているのが当たり前のような暮らしをしていますから、

社会から受け取るものもずいぶんちがいます。

 

今日も息子がiPod touchを見ながら大騒ぎしているので、何かと思ってたずねたら、

「マクスウェルの悪魔が 実験で実現したらしいんだ。すっごいな~すごい~!!」

と言葉をつまらせて感動していました。

何でも中央大学と東京大学の研究チームが

情報エネルギーの変換に成功したという話題を目にしたらしいのです。

情報を媒介して駆動する新規ナノデバイスの実現の可能性を示したそうです。

 

マクスウェルの悪魔といえば、私の本棚に『ユーザーイリュージョン』

(トール・ノーレットランダーシュ 柴田裕之訳 紀伊国屋書店)という著書があって、それを息子も読んだことがあるので、興味を持っていたようです。

私の本ですから、私も読んだのですが、物理に関する部分は私には少し難しかったから、

息子のようにそれが情報エネルギーの変換の成功に心底感動するという方向には向かっていかないところが、興味の方向や出会いの質がちょっとちがうのでしょうね。

 

ここでもジェネレーション・ギャップを感じます……。

私が子どもの頃は、母親たちの立ち話が唯一の情報源みたいな

社会から切り離された世界で生活していました。

それはそれでのんびりした良いところもあったし、人との関わりが今よりもっとシンプルだった気もします。

「よそのお母さん」というのに憧れて、未来の自分の行き方に想像をめぐらすこともありました。

過去記事ですが、よかったら読んでくださいね。↓

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私が育ったのは 大阪の吹田市です。

教育熱心な土地柄もあって 
3歳から ヤマハの音楽教室に通っていました。
幼稚園にあがってからは
本格的なピアノの個人レッスンにかわりました。

当時のレッスンは ほとんどスパルタ式。
けんばんに指をたたきつけられるのは
ざらでした。

家での練習に役立てようと 
母がお教室に小型のテープレコーダー持参していたのですが
帰って再生してみると 
先生の怒声と 私の鼻をすする音ばかりが……。

その頃 私の一番の仲良しは
みっちゃんという同い年の女の子でした。
みっちゃんは 確か 小1の時 引っ越してしまったので…
それから推測すると
幼稚園の年長か 小1の春の出来事で
とても鮮明に覚えていることが あります。

みっちゃんのお家に遊びに行くと
いつもお家の中から たどたどしいピアノの音色が
聞こえました。
チェルニー練習曲1番~♪
ちょうど 私も練習し始めていた曲でした。

少しすると つっかえて
また初めから~また 弾き間違えて 初めから~♪

みっちゃんが 練習しているのではなくて
みっちゃんのお母さんが練習しているのです。
私は みっちゃんのお母さんが
どうしてみっちゃんにピアノを練習するように言わないで
こんなに間違えてばかりの曲を
自分で弾いているのか
不思議でなりませんでした。

私は そのへたっぴ~な音色が好きでたまらなくて
長い時間 ノックもしないで
ドアの外に立っていることが よくありました。

私の母は 自分は我慢してもまず子どもたちに…
と考える愛情深い性格でした。
けれどそれは しばしば母の夢や期待の押し付けともなって
ちょっと重たい部分もあったのです。

が みっちゃんのお母さんは
音楽でも工作でも読書でも
まず自分自身が 心底楽しんでいるようでした
そして
みっちゃんが それをするかどうかなんて 気にもかけていないようでした。

もちろん 私もみっちゃんも


やりたがりました!!
いつでも小躍りしながら
「やるー!やるー!」の大合唱。

みっちゃんのお家には 
何か創造的なこと 知的なことをしたくなるような
雰囲気がみなぎっていました。

「お父さんのつくえ」と呼んでいた机の引き出しには
色鉛筆 折り紙 はさみやのり などが
開けるたびに 息を呑むほど美しく
しまわれていました。
私とみっちゃんは いつでもそれらで
工作することを許されていました。
パラシュートを作ったり
色紙パズルを作ったりして遊んだ記憶があります。

本棚には リンドグレーンの全集やヨーロッパの絵本が並んでいて
遊びに飽きたら
「やかまし村の子どもたち」や
「ちいさいちいさいおばあさん」などに
読みふけりました。

あまり干渉しない みっちゃんのお母さんでしたが
時々 紙袋から珍しいものを取りだして
遊びに誘ってくれました。

ある時は ヨーロッパの知育玩具の「色板」でした。
今でこそ それとわかるのですが
当時はもちろん 何なのかわかりませんでした。
あまりにきれいで 万華鏡の中身が
自分の目の前に広がったように感じました。

私が今 虹色教室でしようとしているのは
その時の感動の再現かなぁ?
と思うときがあります。

毎月必死で家計をやり繰りし
習い事に通わせてくれた母には感謝しているのですが…
習い事で何をしたのか ひとっつも記憶に残っていないんですよ。

そのかわり みっちゃんのお家で
見たもの 触れたもの 感じたもの 考えたこと
作ったものとなると…
昨日のことのように 鮮明に心に浮かんでくるのです


広汎性発達障がいの子と創造力、想像力を使った遊び 2

2012-04-28 16:14:57 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

広汎性発達障がいの子と創造力、想像力を使った遊び 1

の続きです。

わたしが強盗の人形を使ってトイレのおもちゃを隠してしまうと、◆くんはパトカーで

強盗の人形をつかまえにきて、牢屋に放り込みました。

それからプラズマボールという放電するおもちゃを

牢屋の上で光らせて、「カミナリがなってるよ~」と脅かしていました。

 

先にも書きましたが、◆くんは興味の範囲が狭くて、ひとつのものにこだわるため

遊び方がワンパターンになりがちです。

 

でも、それまでに一度でも体験を共有したことで、

興味を持てたり、心地いいと感じたものは、

こちらが覚えていて遊びに取り入れるようにすると、

新しい展開に遊びを広げていくきっかけとなりました。

 

たとえば、◆くんは教室に着くなり「郵便屋さんが、お手紙を集めていたよ!」と報告してくれましたし、

前回のレッスンでは郵便セットが入っている箱を開けて楽しんでいましたから、

「ドールハウスで遊ぶ時も、手紙が配達されたり、手紙を出しに行ったりするストーリーを入れる」

といったことをするのです。

広汎性発達障がいのある子は、

いくら別の場面で「郵便」を話題にし、別のセットで郵便ごっこをして遊んだことがあったとしても、

ドールハウスのなかのお人形の世界で手紙をやりとりさせるようなアイデアは

思いつきにくいです。

 

想像する力に弱さがあるからです。

でも、いっしょに遊ぶ大人が、そうして本人が他の場面で喜んでいたものを、

別の場面でも再体験できるようにフォローしてあげると、

楽しんだり考えたりする世界が広がっていきます。

 

また、「泥棒が何かを盗んでいったから、それをパトカーに乗った警官が捕まえにきて、

牢屋に放り込んだ」のような単純なストーリーの展開でも、

世の中の仕組みについてそこそこ興味を持っていなくては難しいのです。

 

ですから、簡単すぎるほどの内容でいいので、次の真新しい展開を

子どもが考えなくてはならないような言葉を人形に言わせるようにします。

 

たとえば、牢屋の中の泥棒に

「火事だ~警察が火事だよ、はやく消防車きて!」と言わせたら

どんな反応が返ってくるでしょう?

「ねぇねぇ、テレビが見たいよ。牢屋のなかにテレビを持ってきてよ。7時になったら、ペンギンのアニメ、

やってるんだよ」と言わせたらどうなるでしょう?

 

人形のどれかが、「お腹が痛い痛い。助けてよ」と言ったら?

 

おばけがやってきて、暗いくらい夜の街を散歩しようよと誘いに来たら

どんな反応が返ってくるでしょう?

「いらっしゃい、いらっしゃい、きゅうりが安いよ。3本百円だよ。1本おまけしておくから、

買ってよ。」と警察署に野菜を売りに来る人が来たら、どんな反応を返すでしょう?

 

広汎性発達障がいのある子にとって、そうした働きかけに何らかのフィードバックを返すか、

とりあえず新しく展開するストーリーを楽しむことができるというだけでも

新しいステップへ踏み出す体験になります。

 

あくまでも本人が自分で主導権を握って、自分で遊びを展開していくことが主となりますが

遊びがワンパターンに陥って、本人のしたい展開が一段落着いた時には、

少しだけ新しい要素を加えて、想像したり考えたりするパターンを増やしてあげることも

大事だと思っています。

 

 

 


母の日のプレゼント とブロック作品

2012-04-28 11:58:43 | 番外(自分 家族 幼少期のことなど)

昨日、娘とツタンカーメン展に行ってきました。

帰りに寄った天保山のお店で「母の日だから」と言って

↑の製氷皿を購入してくれた娘。

娘の趣味ではなく、わたしの好みで選んでくれています……。

お母さんはこういう変なものが好きだから……と。

教室で使わせていただきます♪

 

 

 

教室の3年生になった★くんの作品。

幼い頃から完璧主義で秩序立ったものが好きな子だったので、

これまでは幾何学的な統一したデザインで色をそろえた作品をたくさん作ってきました。

 

が、最近はわざとランダムな組み方を工夫して

「アート」な作品を目指すことが増えてきたのです。

写真の撮り方もわざと至近距離で撮ったり、下から見上げるように撮ってみたり……と

誰に言われるでもなく自分なりの感性を追求しようとする様が面白いです。

↓は一年生の頃の★くんの作品とグループレッスンでの様子です。

子どもの成長って、その子その子のオリジナリティーに富んでいて

面白いな、と感じます。

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小1の男の子たちのグループレッスンでの出来事です。

そのうちの一人の★くんに、
9000と10000の間を20に分ける目盛りが入っている線分を見せて、
いろんな場所の数をたずねたところ、
やったことがない問題にもかかわらず、上手に工夫して解く姿に感心してしまいました。
まさか、ヒントなしで解けるとは思っていなかったのです。

★くんは、線分を線としてでなく、
折ったり、切り分けて移動したりする図形のように捉えていました。

それで、
目盛りが20もあってこんがらがりそうな問題なのに、9000と10000の間を半分に折った位置の目盛りを9500と置いて、
9000から9500まで10の目盛りがありますから、
「50、100、150………」と言いながらも、指では100のまとまりずつで切り分ける真似をしながら、答えの9550や、9850を書き込んでいました。
また、そこから推測して、9000より小さい数の目盛りも言い当てていました。

こうした『問題が解ける』ということより、
わからない問題にぶつかった時に、
それを紙やひものイメージに置き換えて、
折ったり切リ貼りするようにして考えていく
★くんの『知恵』に感心してしまいました。



★くんは工作やブロックや積み木遊びが大好きな子です。
幼稚園の頃から、創りたいもののアイデアを練るところから、最後の仕上げまで全て自分ひとりでやり遂げる姿に感心していました。
上の写真は★くんの作品です。

★くんはもの作りからとても多くのことを学んでいることがわかります。
たとえば、次のようなピラミッドを制作する最中、
きちんと1つの辺のブロックの数を数えておかないと、向かい合う辺の長さが異なるので、
苦労して作り上げた作品がゆがんでくるのです。
すると泣く泣く、一部を壊して作り直すことになります。
★くんは、その失敗がそうとうショックだったらしく、
作る前に辺の長さやそこから推理できるブロックの数などをきちんと計算するようになっています。

また一段ずつ同じ色にしようと思うと、希望の色のブロックが足りなくなりますから、

今作っている段に必要なブロックの数を数えて、
ひとまわり小さいサイズの四角形にいるブロックの数を
計算しておかなければなりません。

必ずしも、いつも計算してするわけではないのですが、
何度か失敗して「次こそは!」と思っているときには、
幼稚園や小学校低学年の子であっても
そうした数について真剣に考えるのです。

森博嗣氏が、『創るセンス 工作の思考』の中で、
ものづくりのセンスについて次のようにおっしゃっています。
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持って生まれたセンスの大部分は、「想像力」である。創ったものがどのように機能するかといった結果が、あるいはどのように創っていけばよいかといった過程が、映像的にイメージできる。
つまり「見える」のだ。
もともといろいろな対象を映像的に捉えているから、こういった想像力が養われる。その才能がない人は、より沢山の経験をして、映像データーを蓄積しなければならない。
         (『創るセンス 工作の思考』集英社新書)
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虹色教室に幼い頃から通ってくれていて、
ものを創ることが生活の一部となっている子たちが、算数や国語の
複雑な問題を解くとき、
それは想像力豊かに自分の知恵で解いていく力に驚かされます。
解法パターンなど覚えなくても、
質問されている内容をしっかりとイメージして、
自分の知恵で解いていくことができるのです。


1~20までの足し算を教えると、その日のうちに、
それを応用させて3ケタや4ケタの数を足したり引いたりしてみせるのです。

↑小2の女の子の作品に敷き詰められたハムスター。

ここは宇宙船の内部で、怖がりのハムスターたちが

ここに乗っているそうです。

 


一生懸命がんばっているのに、子育てがうまくいってないように感じる時 16

2012-04-27 10:18:16 | 教育論 読者の方からのQ&A

1,2歳の子がお友だちに興味を持ち始めて

まだ自分の要求がはっきりしないながらに「いっしょに楽しく遊びたいな」という気持ちを抱きはじめると、

たくさんあるおもちゃには見向きもせずに、お友だちの触るおもちゃ、触るおもちゃ、しつこいほど取りにいって

相手を泣かせることを繰り返すものです。

 

「遊びたいな」という気持ちが、引っぱる、突くの暴力に変換されてしまう子もいます。

 

その結果、お友だちは当然、いっしょに楽しく遊んでくれないわけです。

 

本人にすると、どうしてお友だちは自分の気持ちをわかってくれないのか、

優しくして遊んでくれないのかと不服でしょうし、

ついでに周囲の大人からダメ出しされますから、

自分のなかに広がる不快感や不幸な気持ちを処理できなくて

イライラしてきます。

そうしてさらにしつこくダメと言われることを繰り返します。

 

幼い子は自分のなかから湧き上がってくる感情が何なのかよくわかっていないし、

それを充たすのにどんな行動を取ればよいのか、

相手の気持ちに配慮して考えることができません。

 

はたから見ているものにすれば、

「いじわるするから遊んでくれないんだよ」「怒鳴るから、遊ばないって言われるんだよ」などと、

「やったこと→返ってきたこと」がわざわざ言葉にするまでもないような

原因と結果で結ばれているのが

手に取るようにわかりますよね。

 

でも、幼い子にすれば、まず自分が衝動的にしたことを意識してみるのが難しいし、

振り返って思いだすのも難しい、それがどうしてこういう結果をまねいたのかつながりもよくわからないので、

親御さんが「~したから、こうなったんだよ」と理由を説明しても、

ただただ「大好きなお母さんが不快なダメ出しをしてくるから

イライラするし悲しい」としか感じていないことが多々あります。

「ママ、シーッ!(黙って)言っちゃダメぇ~!!」とママさえ口を閉じていてくれれば、

嫌なことが終わるのに、「どうしてママはわたしに(ぼくに)こんないじわるするんだろう?」とだけ

感じているようなところがあります。(もちろん、そこまで言語化されたものではありませんが)

 

こうした幼い子同士のコミュニケーションの稚拙さやちぐはぐさを見ていると、

思わず大人が全てをしきっちゃいたくもなりますし、

「わけがわからない……」とため息が漏れもします。

 

 

でも、コミュニケーションでわけがわからないことになっちゃうのは

幼い子だけではないのです。

 

「幼いわが子」という少し前まで自分の身体の一部のような存在だったものを

相手にする時には、

いい大人であるはずの誰もが、

なぜか、1,2歳の子と同じくらい

「自分自身の要求」と「行動」と「その結果から感じること」がちぐはぐになってしまう

時があるのです。(わたしもひとり目の子育てではそのまんまでした)

 

子どもに対して自分が取っている言動はさっぱり見えなくなり、

振り返ることもできなくなり、

何だかわからないけrど、子どもからも周囲からも無理な要求を突き付けられて、

「ダメダメ」言われているようなやりきれない気持ちに陥ってしまいがちなのです。

 

「わが子」という自分の所有物のようでそうじゃない不思議な相手を前にしているからでしょうか、

「幼い子」という自我がまだ発達しておらず、「ひとりの人」として認識するのはちょっと難しい……という

相手だからでしょうか……

 

わが子を見る時点で、見方にかなり偏りやゆがみが起きていても気づきにくいのです。

 

変なたとえですが、「おいしいものが食べたい」と思って、食べちゃった後で、

「太っちゃいそう。食べなきゃよかった~」と感じることってありますよね。

 

同じひとりの人のなかに、「食べたい気持ち」と、「太るから食べたくない」気持ちの両方が

存在していて、その正反対の気持ちの間で揺れ動いているのです。

 

こうした正反対のふたつの気持ちの間の揺れを

親御さんのなかに起こしやすいのが、「わが子」という存在です。

思春期が近づいてくれば、あれこれ言えば、「そういうお母さんはどうなの?お母さんも前、こうだったじゃない?」

なんて手痛いしっぺ返しが返ってきますから、

そうそう余計な口出しばかりできないものですが、

子どもが幼い間は、親御さんのなかの正反対の心の揺れを、ダダ漏れ状態で

子どもに垂れ流しちゃうこともよくあるのです。

もちろん子どもは混乱してでたらめになります。

 

子どもが動かないと、「はやくはやく動いて!」と何か言いたくなり、

子どもが動くと、「考えもせずに適当に動かないで!」と言いたくなり、

子どもが甘えてくると、「お母さんも、ひとりになってホッとしたい。たまには自分で遊んで」」と言いたくなり、

子どもが離れていくと、「寂しいからこっちに来て!もっとお母さんと遊ぼうよ」と言いたくなるのです。

 

次回に続きます。