山田ズーニーの言葉に、
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「才能は自分の中になく、社会の中にある」
「才能は自分の中になく、他者の中にある」
いったんこう極論してしまったらどうか?
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というものがあって、はっとしました。
自分とは他者との関係性によって成り立っているものだから、
才能といったって社会との関わりを断ち切ったところでは存在できないし、育たないのかもしれません。
そんな盲点があるものだから、
母子が密着した形で、どんなにわが子の才能開発に力を注いだところで、
かえって子どもの足を引っ張るだけに終わるのかもしれません。
山田ズーニーの言葉は、『働く理由』という本の中にありました。その著書でもうひとつ、こんな言葉に出会いました。
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新しいことを始めて (さまざまなことを試み)、
いままでと違う人たちと交流し (人間関係を変え)、
生まれたばかりの可能性というレンズを通して
人生の物語を解釈しなおせば (深く理解し納得すれば)、
実際にアイデンティティーは変わっていく。
ハーミニア・イバーラ
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「確かにそうだなぁ」と思いました。
私の子どもの頃を思い出しても、母に連れまわされて、
あっちこっちの習い事に行った経験は
「時間を無駄にしたな」くらいの印象しか残っていないのだけど、
人との出会いや人の生き方を見ることから得たものは
何十年も経った今も自分の生き方に影響を与え続けているのです。
そういえば、こんな出会いからも……。
中学生のとき、友だちの家のそばに 犬を飼っている家があったのです。
犬は ほっそりした雑種のメスでキャンディーという名前でした。
その家は千里山駅から関大前駅に続く道路沿いにあって、
当時はどちらの駅前もそこそこ開発が進んでいたわけだけど、
それ以外の場所といったら完全に田舎でした。
ちょっと道に迷って、数分歩いていると、
田んぼや竹林や墓場に行き着くような具合です。
キャンディーが飼われている家の周辺も、古い家並みが続いていました。
私と友だちとキャンディーの飼い主の女性との間には
最初 面識はなかったのですが、
遊んでいるときに挨拶をかわすうちに、だんだん親しくなって、
終いにはキャンディーの散歩を頼まれるようになりました。
犬が飼えない私と友だちは喜んで 散歩係をやらせてもらっていました。
するとあるとき、かなり唐突に、
そのキャンディーの飼い主が木造だった家の改築して、
コンクリート打ちっ放しの喫茶と画廊が一体化した家を建てたのですよ。
田舎の何もないところに
いきなりヨーロッパの建築雑誌に出てきそうなもの作るんですから、
うちの親や近所の主婦層からは絶対出てこない発想で、
かなりのカルチャーショックを受けた記憶があります。
それで私も大人になったら、周囲の思惑なんか気にせずに、
自分のやりたいことをやってやろうと決心しました。
生き方の指針は、そんな風に
自分の世界から一歩外に出たところで出会う人から得る場合がよくあるのですね。
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私が子どもの頃とちがって、うちの子たちともなると、
ネットで世界中の情報とつながっているのが当たり前のような暮らしをしていますから、
社会から受け取るものもずいぶんちがいます。
今日も息子がiPod touchを見ながら大騒ぎしているので、何かと思ってたずねたら、
「マクスウェルの悪魔が 実験で実現したらしいんだ。すっごいな~すごい~!!」
と言葉をつまらせて感動していました。
何でも中央大学と東京大学の研究チームが
情報エネルギーの変換に成功したという話題を目にしたらしいのです。
情報を媒介して駆動する新規ナノデバイスの実現の可能性を示したそうです。
マクスウェルの悪魔といえば、私の本棚に『ユーザーイリュージョン』
(トール・ノーレットランダーシュ 柴田裕之訳 紀伊国屋書店)という著書があって、それを息子も読んだことがあるので、興味を持っていたようです。
私の本ですから、私も読んだのですが、物理に関する部分は私には少し難しかったから、
息子のようにそれが情報エネルギーの変換の成功に心底感動するという方向には向かっていかないところが、興味の方向や出会いの質がちょっとちがうのでしょうね。
ここでもジェネレーション・ギャップを感じます……。
私が子どもの頃は、母親たちの立ち話が唯一の情報源みたいな
社会から切り離された世界で生活していました。
それはそれでのんびりした良いところもあったし、人との関わりが今よりもっとシンプルだった気もします。
「よそのお母さん」というのに憧れて、未来の自分の行き方に想像をめぐらすこともありました。
過去記事ですが、よかったら読んでくださいね。↓
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私が育ったのは 大阪の吹田市です。
教育熱心な土地柄もあって
3歳から ヤマハの音楽教室に通っていました。
幼稚園にあがってからは
本格的なピアノの個人レッスンにかわりました。
当時のレッスンは ほとんどスパルタ式。
けんばんに指をたたきつけられるのは
ざらでした。
家での練習に役立てようと
母がお教室に小型のテープレコーダー持参していたのですが
帰って再生してみると
先生の怒声と 私の鼻をすする音ばかりが……。
その頃 私の一番の仲良しは
みっちゃんという同い年の女の子でした。
みっちゃんは 確か 小1の時 引っ越してしまったので…
それから推測すると
幼稚園の年長か 小1の春の出来事で
とても鮮明に覚えていることが あります。
みっちゃんのお家に遊びに行くと
いつもお家の中から たどたどしいピアノの音色が
聞こえました。
チェルニー練習曲1番~♪
ちょうど 私も練習し始めていた曲でした。
少しすると つっかえて
また初めから~また 弾き間違えて 初めから~♪
みっちゃんが 練習しているのではなくて
みっちゃんのお母さんが練習しているのです。
私は みっちゃんのお母さんが
どうしてみっちゃんにピアノを練習するように言わないで
こんなに間違えてばかりの曲を
自分で弾いているのか
不思議でなりませんでした。
私は そのへたっぴ~な音色が好きでたまらなくて
長い時間 ノックもしないで
ドアの外に立っていることが よくありました。
私の母は 自分は我慢してもまず子どもたちに…
と考える愛情深い性格でした。
けれどそれは しばしば母の夢や期待の押し付けともなって
ちょっと重たい部分もあったのです。
が みっちゃんのお母さんは
音楽でも工作でも読書でも
まず自分自身が 心底楽しんでいるようでした
そして
みっちゃんが それをするかどうかなんて 気にもかけていないようでした。
もちろん 私もみっちゃんも
やりたがりました!!
いつでも小躍りしながら
「やるー!やるー!」の大合唱。
みっちゃんのお家には
何か創造的なこと 知的なことをしたくなるような
雰囲気がみなぎっていました。
「お父さんのつくえ」と呼んでいた机の引き出しには
色鉛筆 折り紙 はさみやのり などが
開けるたびに 息を呑むほど美しく
しまわれていました。
私とみっちゃんは いつでもそれらで
工作することを許されていました。
パラシュートを作ったり
色紙パズルを作ったりして遊んだ記憶があります。
本棚には リンドグレーンの全集やヨーロッパの絵本が並んでいて
遊びに飽きたら
「やかまし村の子どもたち」や
「ちいさいちいさいおばあさん」などに
読みふけりました。
あまり干渉しない みっちゃんのお母さんでしたが
時々 紙袋から珍しいものを取りだして
遊びに誘ってくれました。
ある時は ヨーロッパの知育玩具の「色板」でした。
今でこそ それとわかるのですが
当時はもちろん 何なのかわかりませんでした。
あまりにきれいで 万華鏡の中身が
自分の目の前に広がったように感じました。
私が今 虹色教室でしようとしているのは
その時の感動の再現かなぁ?
と思うときがあります。
毎月必死で家計をやり繰りし
習い事に通わせてくれた母には感謝しているのですが…
習い事で何をしたのか ひとっつも記憶に残っていないんですよ。
そのかわり みっちゃんのお家で
見たもの 触れたもの 感じたもの 考えたこと
作ったものとなると…
昨日のことのように 鮮明に心に浮かんでくるのです