虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

発達に凹凸のある子たちの学習意欲を引き出すためにしている工夫

2022-04-08 14:12:16 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

発達に凹凸がある子たちの就学準備グループの算数タイムの様子です。

集中して活動することが難しい子たちの学習意欲を引き出すためにしている工夫を紹介します。

 

最初に、「好きなものを選ぶ」行為から学習を始めると、意欲的に取り組みやすいです。

上の写真では、最初にゴリラ、ハイエナ、ライオン、キリン、ワニなどの人形から、好きな動物を選ぶことから学習をスタートさせています。

他の子らから見えないように、手の中に隠すように言って、次のような質問をします。

「その動物の頭につく文字、最初の文字はなあに?」

「その動物は何文字?」

「その動物の一番最後の文字はなあに?」

 

「ラ」とか「4文字」といった答えをヒントに、他の子らが動物の名前を当てます。

 

こうした遊びは、耳で聞きながら数を確認する力をつけてくれます。

頭につく文字から動物の名前を簡単に言えた子も、一番最後につく文字から推理するのは難しかったようです。

一生懸命取り組んで、わかった時にはとてもうれしそうでした。

 

 

ゲームをしながら、いくつかの条件を念頭に置いて、数を操作するようにします。

写真は、チケット・トゥ・トライドというゲームです。

ルールを少し易しくして、数についての気づきを得やすいようにして遊んでいます。

簡易ルールは次のようなものです。

 

旅行するルートを選びます。

出発する駅と到着する駅に人形を置きます。

チケットはたくさん配ります。

駅から駅に移動する際、指定の色のチケットを必要な枚数出してから、その間に自分の色の電車のコマを置いていきます。

 

このゲーム、とても面白かったらしくて、なかなかこない順番も根気よく待って遊んでいました。

途中で、自分のやりたいようにルールを変えようとした子がいましたが、今やっている正しいルールを守るようにはっきり言うと、かんしゃくを起こしそうになりながらもぐっと我慢して、指示に従えました。

 

遊びのシーンにみんなで守らなくてはならないルールが含まれていると、何でも自分流でやりたい子たちには、かなりの負荷がかかります。

それでも、やっている活動を面白く感じていて、こちらへの信頼感がしっかり育っていると、そうした負荷を引きうけて、ぐっと我慢しながら、いきいきとした自信に満ちた表情になっていきます。

 

時計の学習では、好きなテレビ番組が始まる時間についての質問など、子どもがわくわくするような時間についての質問から入ると、楽しく取り組みやすいです。

この日は、「7時55分」といったあと少しで8時になるという時間の読み方を学びました。

針が動かせる大きいサイズの見やすい時計を利用すると学びやすいです。


自閉スペクトラム症の男の子の劇的な成長

2021-10-11 06:54:17 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

自閉症の子が活動にいいイメージを持てるようにする

で紹介させていただいた自閉スペクトラム症のAくんのお母さんが、

かくかくしかじかという魅力的なサイトを作られました。

 

Aくんは年長になってようやく「ママ」といった単語がちらほら出てきた

深刻な困りを持っていた子です。

けれども、Aくんの親御さん達のていねいな関わりと

支援の工夫のおかげで、5年生になった今では、学年相応の学習をし、

たくさん本を読み、ボードゲームや実験に興じる日々を送っています。

先日は、お母さんと一緒に『アニマルズ』という本を読んでた時、

「南極には植物がないのに、なぜペンギンは生きてられるの?」とたずね、

最初、エサのことかと思って、魚食べてるから大丈夫と答えたら、

「植物は酸素を出すんでしょ?南極には酸素がないんだよね?」とさらに

疑問をぶつけてきたそうです。

Googleで調べたら、海の植物性プランクトンが大気中の二酸化炭素を取り込んで

酸素を放出してるとのことですが、ペンギンのいる南極は氷に覆われています‥‥‥

その日、Aくんのお母さんは答えを出せなかったそうです。


Aくん、とてもいい疑問を抱きますね。

Aくんがこのように自発的に考え、周囲にそれを発信して、会話を楽しむことができるのは、

Aくんのお母さんが、絵カードの交換によるコミュニュケーションを取り入れるなど、

様々な視覚支援に努めてきたことが土台となっています。

Aくんのお母さんは、これまでAくんを育てるなかで培った

知恵を共有すべく、視覚的コミュニケーションや

興味の幅を広げる遊び場(空間)作りの講演を開くなどの

活動をしてこられました。

また、視覚支援の具体的な進め方や自閉スペクトラム症の子への関わり方について

個別での相談を受けるお仕事も始められました。

先に紹介したサイトでは、今後、視覚支援以外の絵本やおもちゃのこと、

関わり方などをアップしていく予定だそうです。

ぜひ一度、訪ねてみてくださいね。

 

 

 


発達障害のある子の才能を伸ばすことと、その壁となる問題点

2021-09-20 21:03:08 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

発達障害のある子の才能を伸ばすことと、その壁となる問題点について書いた過去記事を紹介しますね。

かなり前に書いた記事なので、「才能」という言葉の扱い方が誤解につながるかも……と気にかけながらアップします。

「才能」というより「いいところ」「優れている点」という言葉の方が、合っているかもしれません。

 

映画監督のスピルバーグ氏が自身が、学習障害のひとつである読字障害であることを公表されました。

トーマス・エジソンやレオナルド・ダ・ヴィンチ、アルベルト・アインシュタインなども読字障害であったと言われています。

何かの機能がが劣ると、その分、他の機能が飛躍的に伸びることはよくあると聞きます。

凸凹のある子たちの自尊心を高めて、自分の人生を誇りを持って歩んでいくための助けになりたいです。

  

発達障害のある子の才能というのは、初めは、既存の価値観では測りにくい、漠然としたもののはずです。

何かの技術が長けているとか、その分野のテストの点が良いとかいったものではありません。

自分の好きな事への執着心だったり、同年代の子とは一風変った物…鉱石などへの関心だったり、働きかけるとどう変化するか(実験の基礎となるような)への飽きることない挑戦だったり、なぜなのか・どうしてなのかを知らずにおれないしつこさだったりします。

それは大人には見えにくく、それぞれが個性的であるため、周囲には無価値なものと映るかもしれません。

育てるよりもやめさせる対象となるのかもしれません。

 

虹色教室の小5の☆くんは、休憩時間に積み木でピタゴラスイッチを作ったり、工作をしたりして遊んでいます。

そうした遊び方を見ていると、ただ遊んでいるようにしか見えない☆くんの行動には、ある一貫したテーマが隠れていることがわかります。

☆くんは、ビー玉があるものにぶつかって、その力を2方向に分けることや、一つの力を多くの方向に分散させることに常に取り組んでいるのです。

それは扇形にドミノを倒すことだったり、ビー玉のレールの先に小さなチップを乗せて、それをはじくことでビー玉の方向を変えることだったりします。

また☆くんは、輪ゴムを使って、物を回転させることにも、熱心です。

ブロックを使って、からくりのあるおもちゃを作り、力の方向を転換させることに長けています。

その発想の豊かさと熱心さは研究者に通じるものもあるので、私は☆くんが機械の設計者や映画の世界の特殊撮影を考えるような仕事に就けないか、それか、それに近い自分の興味を追求していける仕事に就けないか…?と考えています。

また、それとは関係のない仕事に就いたとしても、自分の好きなことによって楽しみの多い生活をしてほしいと考えています。

そうした才能豊かな☆くんですが、能力を伸ばしていくには、いくつも超えなくてはならない障害物があります。

 

とにかく好きなこと得意なことに熱中して、子ども時代を通してチャレンジし続けることが、得意な分野で周囲に一目置かれた上で、極端な苦手があることを「人には得手不得手があるわよ~」…と大目に見てもらえるような適職に就くための近道でしょう。

どの職場もギスギスしていて、得意があっても大目に見てもらえるとは限りませんが、ひとつでも得意があることは、本人のモチベーションを保つためにも大切でしょう。

でも、そうした仕事に就くには学歴がいるし、公立の学校はいじめが心配。

子ども時代に夢中になれる事を我慢して、まず勉強が大事、今は受験に向けてがんばる!忙しい学校生活を何とかこなすのが一番!となりがちです。

私自身は受験をそれほど悪いものと思ってません。

目標に向けてがんばると、精神力や根気がつくし、がんばった事実が自信につながるからです。

ただ、受験という周囲も含めて一種の特別な精神状態を体験する中で、本末が転倒してしまって、得意なことを生かした仕事に就くための勉強が、自分の核となる得意な分野を軽視する、後回しにする、気晴らしのような楽しみにすり替えるきっかけともなってしまうのです。

才能あふれる軽度発達障害の子が高学歴を手にした後、勉強に休みなく明け暮れた日々の後で、新しい世界に飛び込んで行く自信が持てなくて、ニートとなってしまった話を耳にすると、残念でなりません。

 

定型発達の子であれば、受験に熱中するうちに、自分の個としての特技を伸ばしそびれても、就職した先で、多数派と同じようなレベルなのですから、とりたててハンディに悩むこともなく、「好きなことを仕事にできる人なんてひと握りだなぁ~」なんて感傷にひたる日があっても、それなりに元気に楽しみを見つけながら働いていけることでしょう。

しかし発達障害の子は、いくら偏差値の高い学校を卒業しても、ある程度、周囲を潤すほどの得意な作業も含む仕事に就かなくては、周囲から浮いてしまったり、役立たずの烙印を押されたりして、どんどん自分に対する自信を失っていくことでしょう。

ですから、発達障害の子は、子ども時代~思春期を通じて、自分が他よりも得意なもの、したいこと、楽しいと思えること、がんばっても苦にならないこと、興味があることを追い続け、育て続け、将来を思い描き続ける必要があると思うのです。

たとえ本気で受験勉強に熱中している時でも、自分の中身を空っぽにしてしまってはいけない、一般的な外の価値観に完全に染まってしまってはいけないのではないでしょうか?

周囲の大人は、自分を見失いがちな発達障害の子に、常にその子が「一貫して持っているテーマ」を思い出させてあげなくてはならないと思うのです。

それは、そうしたテーマをきちんと見出して認めてあげること、個性を正しく評価することで、見栄えが良いそれっぽいことをさせることではありません(習い事やクラブなど)。

 

わたしは、発達障害の子の個性的な好奇心や才能とは、ほんの一時も消してはならない炎のようなもの、と感じています。

どんなに立派な学歴をまとっても、それがなければ、社会人となる一歩は、とまどうことや不安だらけではないでしょうか?

どこにもつき物の社会性や対人関係に弱さがあるのですから…。

しかし自分がずっと好きであり続けたことや、育て続けた能力がある子は、それを切り札に失敗を穴埋めしながら、何とか乗り切っていけるのではないでしょうか?

大成功だって夢ではないはずです。

 

「うちの子は、得意なことってない気がします…。才能が見つけられません…」というお話を聞きます。

そう伺って子どもに会ってみると、たいてい親御さんが見飽きていて、何も価値を感じていなかった行動の中に、その子その子の大きな可能性が隠れている気がします。

私がそうしたものに気づく時は、「あれ?この子の好むもの、見方、遊び方、質問の仕方、こだわり方は、同年代の子のそれとちょっと違うな…」と、気づくところから始まります。

ですから、わが子とそのお友だちくらいしか見る事が少ない親御さんが「見つけられません」というのも当然なのです。

 

算数にLDがあって、理解力も考える力も2年年下の妹さんより、かなりペースが遅くなってしまう3年生の☆ちゃんは、何をするのも自信がなさそうでした。

が、デュプロブロックを使って、ケーキ屋さんごっこをしはじめた姉妹を見て、ある事に気づきました。

☆ちゃんと妹さんのケーキを見ると、☆ちゃんの作ったものの方が見栄えがいいのです。

なぜなのかよく見比べると、妹さんは、色んな色のブロックをばらばらに組んでケーキを作っていますが、☆ちゃんは配色良く形もバランスの取れた作品を作っているのです。

また、熱心さという点でも☆ちゃんにはすばらしいものが感じられました。

ていねいで繊細な作業の様子を見て、ケーキなどのお菓子職人のように、何度も同じ作品をセンス良くていねいに作っていかなければならない仕事に向いている才能だと思いました。

料理、ビーズ細工、ミニチュア作り、フェルトの小物作りなど、☆ちゃんが興味を持つようなら、なるべくさせてあげるといいですよね。

その後、お家でお母さんといろんなことにチャレンジするようになった☆ちゃんは、自信に満ちてきて、勉強にも意欲的になりました。

以前、得意なことをお家でするようになるまでは、☆ちゃんは自分がない感じ……空っぽであるような表情をしていました。

 

落ち着きがなく、気分が高揚すると、寝ている弟のお腹をパチン!と叩いてしまったりする5歳の★くんは、しつこくいたずらをくりかえします。

例えば、小さなボールを手にしたら、高いところから落としたり、物にぶつけたり、カーブを転がしてみたり…です。

とにかくいつまでもしているので、お母さんが呼びかけて何かさせようとしても、聞く耳持ちません。

私は、★くんが、そうしたいたずらをするときに、「~なるよ、きっと」と言ったり、思ったとおりの結果にならないと、「なんでだろう~え~??」とつぶやいたりしているのを耳にしました。

★くんは、<推測する実験する結果を検証する>という流れを、憑き物にでも憑かれたようにいつでもくりかえしているのです。

それが、★くんの一貫したテーマのようです。

★くんにさまざまな実験道具を与え、<推測する実験する結果を検証する>をより意識的なものになるよう支援すると、☆くんは5歳児とは思えない集中力を見せました。

 

☆ちゃんの能力も、★くんの能力も、いつも身近にいる家族が、「これ」とわかる、外から見えやすいものではありません。

それにどちらも可能性の段階ですから、十分そうした能力を伸ばす時間を与えてあげることが大事ですね。

発達障害のある子は客観的に自分を見るのが苦手なので、周囲の一般論に基づいた価値観に振り回されてしまいます。

いつも大きな視点から子どもを眺めて、応援してあげることが大事だと思っています。


「自閉っ子のこだわり」を「能動的に取り組む活動」へと橋渡しする中間の活動

2021-07-28 20:18:06 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

発達障害のある子のお友達との関係をサポート1

発達障害のある子のお友達との関係をサポート2

発達障害のある子のお友達との関係をサポート3

の記事にさせていただいた発達障害の診断を受けている3歳6ヶ月の★くんと

未診断ながら発達上の凹凸が目立つ☆くんの1ヶ月ぶりのレッスンの様子です。

 

☆くんは、劇の幕が上がっていくところに夢中なのだそうです。

そこで紙を丸めて作った筒に布を貼りつけて、くるくる上がる幕を作ってあげました。

☆くんはハムスターの人形や持ってきたおやつを舞台に並べて、大喜びしていました。

 

★くんは周囲の状況に合わせて動くのが苦手です。

誘いかけても、じっと座ったまま、しつこいほど同じ遊びを繰り返していることが多いです。

今回は、前回同様、ひたすらバスのドアの開閉にこだわっていました。

 

★くんがひとつの遊び方に固執して、他の活動にいっさい参加しようとしないのには、見通しの立ちにくさと身体感覚の鈍さが理由にあるようでした。

というのも、そのふたつに配慮して誘った遊びには積極的に参加し、2回目以降には誘えばすんなり従う姿がありましたから。

お母さんのお話では、集団の活動の場で、みんなで踊ったり体操したりする時間に、ひとりだけおもちゃを触りたがっていっしょに参加しようとしない、ということでした。

ただ気に入ったおもちゃさえあれば、そこに通うのを嫌がることはないそうです。

 

★くんには、 

遊びが広がらない自閉症の子との遊びを発展させていく方法 4

で書いたような

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その子がこだわる活動、つまり

見たり聞いたり感覚を楽しんだりしたがる活動と

 自分で働きかけたり作ったりする活動との橋渡しになるような

それらの中間に位置するような活動

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 がとても重要だと思われました。

 

★くんはせっかく同年代の子が集う場に連れて行っても、ある特定のおもちゃのひとつの遊び方に執拗にこだわるところがあるようです。

だとすると、他の子たちと場を共有してはいても、いっこうに遊びが発展していかない可能性があるのです。

虹色教室でも、自由に遊ばせて様子を見ていると、延々とバスのドアの開閉だけを繰り返し続けて、しゃべる内容も、「ドアが開かない」「ドアがちゃんと閉まらない」とだけ、それこそ何十回でも言い続けています。

 

 

★くんは事物の細部にだけ集中し続ける興味の狭さを持っています。

そのため、★くんの日常生活をサポートするために、お母さんが準備したイラスト付きの手順書のようなものにさえ、細部に注目しすぎてしまい、逆効果になることもあるそうです。

たとえば、ズボンを自分ではこうとしないため、ズボンをはく手順をイラストで示すと、「(手順書と違うから)そのズボンと同じタイプのものでないとはかない」という新たなこだわりが生じてとても苦労するのだとか。

それほど細部に集中して、こだわりを強めてしまう★くんに対して、「何か興味ありそうなものを……」と誘いかけても、固い無表情のまま無視されてしまいます。

 

そこで、わたしは★くんがこだわっているバスのドアの開閉を他の活動につなぐことはできないかいろいろと試してみました。

紙箱で開閉するドアを作る工作の見本を作ったり、ブロックで開閉するドアを作ってみたり、警察署のドールハウスの引き戸を開閉してみせたりしました。

が、そのどれにも★くんは興味を示しませんでした。

が、そうやっていろいろ働きかけるうちに、★くんは開閉すること自体よりも、バスの扉の機械のような動きに魅力を感じているのがわかってきました。

押すと鳴るブザーとか、カメラのシャッターを押す動作などに、★くんは惹きつけられるところがあるのです。

★くんが夢中になっていたバスの開閉するドアも、レバーをひねると、バスのドア部分がアコーディオンカーテンのように折りたたまれてカチャッとはまる動きが機械を思わせるのです。

それでは……と工作道具に100円ショップの電動歯ブラシを加えて、何か作るたびに、工作物の床をそれで振動させて不思議な動きを作りだすと、キラキラと目を輝かせて席に着きました。

 

どうしてこんな電動ハブラシが教室にあるのかというと、科学クラブの子たちが分解して何か別のおもちゃに改造するための電池で動く機械の100円グッズをあれこれ買いだめしているからなのですが……

この手の安価な電動グッズ類が自閉っ子たちのツボにはまることってよくあるのです。

たとえば、くるくるハンドルを回したりカチカチ握ったりして蓄電してライトを灯す機械とか、光ファイバーのライトとか、押すと音がでるグッズとか、砂時計に似た不思議な液体や粒子が上下に移動するグッズなどです。

今回の電動歯ブラシは、写真のように空き箱に押し当ててスイッチを入れると、箱の上に乗せた船はまるで海を渡っているように走りますし、毛糸の玉はもぐらや毛虫のような動きをします。↓

 

↓★くんと☆くんに、持ってきたおやつの空き袋で舟を作ってあげると大喜びでした。

自分の食べたお菓子、それも前回と同じようにピクニックごっこをして、山のぼり(椅子のことです)もして、包みを開いて食べたお菓子の袋で作ったもの、ということで、とても気に入っているようでした。

舟が箱の上を動いていく様子を見た★くんは、電動歯ブラシを手にして、自分も舟を動かしてみたり、それをおもちゃのバスやセロテープの台やテーブルに押し当ててみて、振動が変化する様子を楽しんでいました。

 

↓☆くんはモールを使って、虫を作ることにしました。

 

↓★くんは毛糸を切って、妙な生き物を作るのに熱心でした。

なかなかうまくはさみが使えず苦労していましたが、「こうするの?こうするの?」とたずねながら、根気よく切っていました。

 

ふたりがいろいろ試してみながら熱心に遊ぶ様子を見て、次の機会には、他の電動の機械類を使った遊びをいくつか提案してみようと思いました。

手を打つと音に反応するロボットや、障害物を避けて進んでいくロボットなどで遊ばせてあげると、身体を使う遊びや積み木やブロックで障害物を作る遊びにつながるかもしれない、と思いました。

(ちょうどそれらの電子工作で作るロボット類の科学クラブ用に準備していたものです)

続きを読んでくださる方はこちらです。

「自閉っ子のこだわり」を「能動的に取り組む活動」へと橋渡しする中間の活動4

「自閉っ子のこだわり」を「能動的に取り組む活動」へと橋渡しする中間の活動5


一緒に活動することが難しい自閉症の子とする工作

2021-06-28 10:48:21 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

会話がほとんど成り立たなかったり、

多動が激しかったりする自閉症の子と工作を楽しむためのアイデアを紹介します。

 

会話が成り立たず、忙しく動き回り、ひたすらおもちゃを散らかしていく状態にある

自閉症の子に、物作りの魅力を教えていくのは大事なことです。

能動的に考えながら行動することを学ぶ機会になりますし、

他者の模倣をしたり、習ったりするのも上手になっていきます。

 

とはいえ、少しの間、椅子に座っているのも難しい子と

工作を楽しむのは簡単ではありません。

虹色教室でどんな工夫をしているのか、書かせていただきますね。

 

<自閉症の子と工作を楽しむ際のポイント>

① 子どもがこだわるもの。しつこく遊んでいたもの。触っていたもの。好きなもの。

好きな感触、好きな動き、好きな展開などを工作に盛り込む。

  

3歳の自閉症の★くんは、線路が二股に分かれているところや道路の信号があるところ、

ふみきりなどが好きな子です。

電車や車が分かれ道やふみきりや信号などで一時的に止まった状態になり、

それからどうしようかと判断するシーンで、じっと覗きこむような仕草をする姿が

何度もありました。

 

まだ関わることが難しい子ですが、

こちらからそうしたシーンを作って遊びに盛り込むと、かわいい笑みを浮かべます。

工作をする際も、★くんが好きな「乗り物が一時的にストップするもの」を

作って遊ぶことにしました。

 

コミュニケーションを取ることが困難な4歳の☆くんは、

ビー玉をペットボトルに入れていく遊びをしているときに、

でこぼこしたサイズの大きなものを入れようとしては、

軽くパニックを起こして、こちらに助けを求め、

何とかそれを押し込むことができると、とてもうれしそうにしていました。

ほかの場面でも、力を入れて何かを押し込むときに集中し、

うまくいくと大喜びしていました。

そこで、かなり集中して取り組まないと成功しないようなレベルの

穴に何かを入れる作業を工作のテーマにしました。

 

② の子がすでにできるレベルの見本を見せる。

できたものが、本人にとって魅力的であることが大事。

最初は、「貼る」「切る」などの1手順でできる工作にする。

 

★くんに見せた工作見本は、「紙に曲がるストローの一部を貼っただけ」という

「ふみきり」です。

「カンカンカン~」と言いながらストローのふみきりを上げ下げすると、

そわそわして椅子に腰かけるのを嫌がっていた★くんが関心を示しました。

 

 

もう一本のストローも貼るところを見せると、★くんも自分でテープでその上から

貼って、近くにあったスパンコールも貼っていました。

 

 

ミニカーが好きな自閉症の子と工作するときは、このように台紙となるものに、

「テープで何かを貼るだけ」でいろいろな作品作りが楽しめます。

 

モールも貼ると面白い素材です。簡単にトンネル等ができます。

 

モールを与えるときは、端の針金部分で目などをひっ掻いてしまう事故を防ぐために、

あらかじめ先の部分を少しだけ折って渡してください。

 

★くんは、モールを貼ったあとで、磁石でそれを吸い寄せて遊ぶのも

喜んでいました。

 

口に物を入れることが多い自閉症の子と磁石を扱うときは

絶対に口に入れることがないよう注意してください。

飲み込むことができない大きいサイズの磁石を購入することをお勧めします。

 

紙を貼ると、ビー玉を転がすコースターなどもできます。 

☆くんとは、太めのストローを台紙に貼ってから、

小さな発泡スチロールの玉をストローの中に入れて行く作業をしました。

小さな玉を扱うのは集中力がいります。

 

 

☆くんは少し負荷がかかる作業をさせた方が

注意の転動を防げるようで、お母さんが驚くほど根気よく、

この遊びに熱中していました。 

 

 

③  感触が気持ちいい素材を用意する。 

 

上の写真のような、さくさく切るときの感触が気持ちいい「カラフルダンボール」は

切りたい気持ちを誘います。

貼ってから折り目をつけるのが楽なので、ビー玉コースターとして遊べました。


何をするにもグズグズのろのろ~(続きです)

2021-05-22 15:58:58 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

何をするにもグズグズのろのろ〜子どもを手伝いすぎたら何もできない子に育ちますか?

の記事に、続き希望のフィードバックをいただいていたので、

続きをアップさせていただきますね。(過去記事からの抜粋です)

 

日常の基本的なことを身につけるのに、一般的な子の何倍も何十倍もかかる子がいます。

何度も何度も口を酸っぱくして注意しても、

いっこうにきちんとするようにならない……という場合も、

「線」で対応するより、枠組みを作って「面」で対応した方がうまくいく時があります。

 

わたしが教室で、幼い子たちや発達に凹凸のある子たちに

新しいことを身につけさせるのに一番有効だと感じている方法は、

「何度失敗しても、初めて教えるかのように、気持ちよくお手本を見せてあげる」

ことです。

 

「また?」という表情をしたり、心の中でうんざりしたり、

「何回教えたら覚えるのか」と心配したりせずに、毎回、同じように対応するのです。

すると、いつの間にか、ちゃんとできるようになっています。

 

でも、わが子に向かって、そうも気長に接するのは難しいし、

親子間の甘えもありますから、毎回、見本を見せているつもりが

「お母さんがしてくれるならやってもらおう」とか

「叱られないなら、やらなくていいや」という依存につながることもあります。

ですから、ある程度、限度や段階を設定して枠を作っておいて、

その上で、多少の停滞や後退を気にせずに、子どもを見守るのがいいのかもしれません。

 

例えば、宿題を終えた後、机の上に出しっぱなしで

宿題忘れが続いているから、宿題が終わったらランドセルに入れるよう

繰り返し注意をしているとします。

「線」で対応していると、

「何度か机に忘れている宿題を見て、厳しく叱ったものの、翌日も机に出しっぱなし。

注意するとしばらくは片付けているけれど、気づけば元の木阿弥。

カミナリを落としてもダメ、チクチク嫌味を言ってもダメ、

失敗するまで放っておいてもダメ、褒めておだててもダメ、

何百回も注意してきた気がするが、いっこうに直す気配がないから、

きっと後何百回も注意しても直らないにちがいない……」という具合に、

親の対策も思考も袋小路に迷い込みがちです。

 

そこで、いったん「線」で考えるのをやめて、

ざっくりと枠を作ってみることにします。

 

基本的なことがなかなか身につかないのには、

ADHDやADDのような脳の特性や、

おっとりした性質、あまり親の言うことを聞く気がない自己中心な性格、不器用、

完璧主義すぎて柔軟性がなく新しく教えることを受け入れない……など

さまざまな理由があることと思います。

 

枠のサイズを決めるために、理由と思われることや

新しいことを身につけるのに、一般的な子の何倍くらい時間がかかるかなどを、

参考にします。

 

「もし一般的な子に3回言えばすむことが、

その子には30回は言わなければならない」と思ったなら、

覚悟を決めて、

「30回、正確にカウントし終えるまでは、

頭ごなしに叱ったり、愚痴を言い続けたり、子どもの態度に絶望したりするのは

なし」というルールを自分に課して、

30回は気楽な気持ちで、初めて教えるかのように教えて、子どもを支援します。

途中で「このまま、永遠にこの子はできるようにならないのではないか」と心配に

なったら、「そういう心配は、30回、教えたあとでいい」と自分に言い聞かせる

ようにします。

 

子どもはがんばってもできないことで叱られ続けると、

自分はダメな子だと自己肯定感を下げるだけで、いっこうにやる気にならないものです。

でも、そうした一定の猶予期間があると、

何度か「また、やっちゃった」という経験をしながら、

次には少しだけ気をつけるようになっていくものです。

親が自分の問題のように心配し、感情的になって、将来まで悲観していると、

自分の欠点を見つめるのも怖くなって、

やらなくてはならないことから目を逸らして、

困った事態に陥っては叱られるというお決まりのパターンに、

甘んじるようになっていきます。

でも、親が、一定期間、自分の不安な感情に飲み込まれないようにして

子どもに手を差し伸べていると、子どもはそれを乗り越えなくてはならない

自分の問題として捉えるようになるし、ゆっくりと義務感や責任感が芽生えていきます。

 

とはいえ、どんなにすばらしい手を講じても、親と子どもは別の人間ですから、

得意不得意も大いに違って、どうやっても親が満足するほどできるようにならない、

というものもあるはずです。

 

そんな時は、「子どもが将来、自分で付き合っていく短所であって、解決するなり、

そうした欠点を持ちつつ自分の長所を育みながら生活するなり、それはそれとして

子どもに預けよう」という心の柔らかさも必要なのかもしれません。

 

うちの子の困った習慣がなかなか直らない時や、受験期に机に座る気配がない時に

こうした方法で、あらかじめその子の性質や得意不得意から

どのくらいの時間をかけたらできるようになりそうか考えた上で、

「10回は教えるまでは、あれこれ思い悩まずにただ教えよう」と決めて接すると、

こんな発見がありました。

だいたい4回目あたりで、「もう何十回も注意しているのに、いっこうに直らない……」

という気分になってくるんですよ。

ネガティブな事柄に心はオーバーに反応するようです。

そこで、わたしがネガティブな気持ちに流されてしまうと、子どもにしても、

「どうせ自分は何度やってもダメなんだ」と取り組むことを放棄して

しまうのでしょうね。

でも、「10回までは、あれこれ考えない……と決めたんだから、

もう少し辛抱しよう」と思いなおすと、

今度は、6回目あたりで、たった10回の約束事が面倒になって忘れてしまいそうな

自分の姿にぶつかります。

他人にはちゃんとして欲しいと願うけれど、自分がちゃんとするのは難しいものですね。

 


発達障害ではないけれど 集団行動が苦手な子

2021-05-20 13:11:23 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

教室をしていると、育児書通りに成長しなくて、大いに親をやきもきさせるタイプの子たちをよく見かけます。

特に「発達障害ではないけれど、集団行動が苦手な子」の親御さんは、心配が絶えないようです。

「発達障害ではないけれど、集団行動が苦手な子」は、感覚が優れている内向型の子に多いです。

その子特有の美意識が強くて、同年代の子と異なる自分の好みにこだわります。
五感が敏感で、自分のペースで動きたがり、集団行動を頑なに拒絶するときがあります。
そうした特長を言葉でだけ表すと、自閉スペクトラム症(ASD)の子のこだわりと間違われることがあるのですが、実際に子どもと接していると、発達障害のある子のこだわりとは、かなり異なることがわかります。

感覚が優れている内向型の子は、自分のやりたいことに固執して、
他人から誘いかけられたことをどれも嫌がったりしますが、
少人数の慣れた人々の間では、コミュニケーションを取るのも上手だし、
メタ認知力が高く、心の理論も一般的な子と同じ時期に理解しています。

このタイプの子たちは、男の子も女の子も、年長さんの半ばくらいまで
親が何か教えようとすると、頑固に拒絶することがよくある割に、就学までには
小学校受験用のワークなどもきちんとできるようになっています。


また、外向型の子も内向型の子も、直観が優れている子は、
集団行動が苦手な場合がよくあります。
他人の指示で動くより、自分の興味の移るままに、次々、好きなことがやりたいのです。

こだわりは少ないけれど、飽きっぽくて、コツコツがんばるのが苦手で、不器用な子が多いです。

自分の考え事を追うのに忙しくて、
他人の話を聞いていないことがよくあります。
文字の練習は嫌がるけれど、算数は得意という子が多いです。


感覚が優れている内向型の子も、直観が優れている外向型の子も、内向型の子も、自分でやりはじめることには集中して、高い能力を示すのに、
するように指示されたことはやらないか、おざなりです。

幼児期は、
他人から誘われたり、指示されたことを無視することがよくあるけれど、
成長をていねいに観察していると、
就学までには、集団のルールに従えるようになっています。

集団のルールに従うようになるのは、そんな風にゆっくり身につけますが、
それだけに自分の個性的な才能を伸ばすことには熱心な子たちです。

心配しすぎたり、無理強いしたりせずに
その子らしさをあるがままに愛してあげることが大事だと思っています。


個性のように思えても、発達障害の疑いがある場合は、
きちんと病院で診断してもらうことが大切です。

でも、子どもにはそれぞれ独自の性質があるので、
みんなと同じ行動が取れなかったり、成長に凸凹があるから、必ずしも発達障害があるとは限りません。
幼児期の短所は、長所の裏返しである場合もよくあります。

 

子どもの性格タイプ(内向型・外向型・直観タイプetc)について書いた記事リンクをまとめました。

→ 子どもの性格タイプについてまとめました

 

<関連記事>

発達障害に似ているけれど、発達障害ではない子 ちがいの決め手

発達障害なのかどうか気になるけれど、やっぱりちがうかなぁ~とも思う子を育てている方に

相談<発達の凸凹が気になる子。専門家からは個性の範疇と言われました>


何をするのもグズグズのろのろ〜子どもを手伝いすぎたら何もできない子に育ちますか?

2021-05-18 23:13:12 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

「とにかく何をするのもグズグズのろのろ〜

学校の用意に他の子の何倍もかかります。

でも手伝いすぎたら何もできない子になりますよね?」

そんな相談を受けることがよくあります。

私もこの答えに自信がなくて、いつも迷い迷いお返事していたところがありました。

そんな時、

『問題行動がぐんぐん解決できる』 千谷史子  日東書院

の中で次のような話を読んで少し安心しました。

 

ーーーーーーーーーーーーーーー

子どもに手助けしすぎ?と悩む必要はありません。

ASDの特徴を持つ子を育てていると、「どこまで親が手助けするか」の

線引きで思い悩むことがあるかと思います。

時間がない時ときに、学校に遅刻させまいとつい、着替えを手伝ってしまったとき。

(省略)

ASDの特徴を持つ子が抱えるいろいろな問題の中で、

見過ごされているのが、「スピード」の問題です。

同年代の子がさまざまな課題をこなす平均スピードにくらべると、

ASDの子はいろいろなことに時間がかかります。

このことは、ASDの子どもの持つ「機能の問題」です。

一つのことが人の3倍以上時間をかけてできたところで、その子に

1日72時間あるかというとそうではありません。

もしすべてのことをこなそうとしていたら、すぐに時間が足りなくなって、

どうしても身に付けさせたいことが後回しになってしまします。

毎日の生活の中で「どうしても追いつかない!時間がない!」という

場面であれば、その時は親が手助けしていい場面です。

どんどん手伝ってあげてください。

それはいわゆる「甘やかす」ということとは、全くちがう問題です。

人間としての大事なルール「人を傷つけない」「人の物を取らない」などの

絶対やってはいけないルールをクリアーしていれば、

家庭で「いつまでに、ここまでしつけをしなければならない」という

ノルマはないと思います。

(省略)

たくさんのことを手伝ってあげても、それで子供がダメになることは、

まずありません。それどころか、人に手助けできる人間に育つのです。

ーーーーーーーーーーーーーーー

 

何をするのも遅い、忘れる、コツコツがんばれない、反抗的ではないのに

大人に従えない、聞いていない、極端な気まま、体がぐにゃぐにゃするなど‥‥‥

発達障がいがあるのかどうかわからないけれど、気になる子というのはいます。

他の子はきちんとできているのを見ると、

親も教師もつい声を荒げて叱ってばかりになることがあります。

ただそうした集団のペースに乗れない子は、

わがままや怠けでそうしているのではなく

機能上の問題で、そうならずにおれない場合がよくあります。

ですから叱るのではなく、手伝ってあげることで心が安定し、

さまざまなことにチャレンジしようという思いも育ってくるのです。

 

私は自分がADD(注意欠陥)傾向を持っているので、

機能上の問題ということがよくわかります。

ワーキングメモリーの働きが悪かったり、

集中したい対象が背景から際立たず、刺激が一度に流れ込んできがちで、

何をするのも他の人の何倍も時間がかかるのです。

おまけに繰り返しチェックしても

苦手な作業の時は必ずミスします。

ですから、私はADHDやADDの傾向を持って生まれたら、

他人の何倍も真面目に挫けず努力し続ける性質と

他の人より時間をかけてもミスをたくさんするのですから、

自分が助けられる部分では快く助けてあげること、

失敗しても気にかけず何度も挑戦する楽天性が大事だなと感じています。

 

私にADD傾向がありますから、うちの子も(特に息子)は

苦手なことと得意なことに極端な開きがあります。

そのため小学生時代の子育てでは、ASDの子ども同様に

「どこまで親が手助けするか」の悩みをたくさん抱えていました。

おまけに、手伝う私が同じ部分が苦手とあって

手伝ってもなお、忘れ物の多い、困った子でした。

そんなわけで欠点についてはあまり叱らず甘すぎる親できましたが、

そのおかげで、成長するにつれて、最初から得意であった部分はさらに伸び、

欠点は時間がゆっくり克服させてくれたな〜と感じています。

 

それと、小学生時代、たとえ他の子よりミスが多くても

それゆえに息子に身についた

「他の人より真面目に挫けず努力し続ける」性質と

それでもミスをたくさんするので、自分が助けられる部分では快く助けてあげる点や、

失敗しても気にせず何度も挑戦する楽天性は

この子の人生を良い方向に導いてくれると信じています。

 

 ASDにしてもADHDやADDにしても、脳の機能の問題なので、

周囲が「甘え」と取り違えて、自分の信念で厳しくしつけようとすると、

結局は子どもをダメにしてしまうのではないでしょうか?

特に診断を受けていない、何とかがんばれば周囲についていける発達障がいの子は

自分自身が壊れてしまうまでがんばってしまいます。

また、親も何とか子どもを他の子に追いつかせようとして、

必要以上に自分も子どもも追い詰めてしまいがちです。

そんなとき、「『子どもに手助けしすぎ?』と悩む必要はありません」

という言葉を心にとめておくと、ブレーキがきいていいですね。

次回に続きます。→ 何をするにもグズグズのろのろ〜(続きです)

 


「生き辛さ」を抱えて生きるということ

2021-04-29 18:24:42 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子
大人になって、自分は発達障害ではないかと疑いを持ちました……とおっしゃる方々からコメントをいただくことがあります。
そうした方のコメントは、いつもとても深い洞察を含んでいます。

発達障害児を育てる親御さんのコメントとは少し異なる
「生き辛さ」を抱えて生きるということを自分で経験してきた方の
生の言葉です。

発達障がいを持った子を育てていると、
どうやって普通に近づこうか、困った癖をやめさせようか、
ひとつでも何かできることを増やそうか、自立への道を歩ませようか
とそればかりで頭がいっぱいになってしまうかもしれません。

少しでも生きやすくなるためにそうした支援は必要ではあるけれど、

実際、「生き辛さ」を抱えて生きている当の本人にすれば、
何が何だかわからない
安心できない世界から、毎時間毎分、
ダメな自分、できない自分、
足りない自分、変わらなくてはならない自分を
つきつけられて、

自分を信じる
自分を受容する

という人として生きていく基盤となるような部分が
いつもぐらついた状態で、
生きていることが周囲に対し申し訳ないような思いまで抱きながら暮らしているのが現状です。

運動オンチの人がオリンピック選手を養成する体操クラブに入れられれば、
たとえ、バカにされたり、期待されたりしなかったとしても、
周囲のようにできない自分に自信を失い、
苦しみを感じて生きるようになりますよね。
発達障がいを持って生きるということは、支援を受けていても、優しくされていても、
挫折感とコンプレックスと疎外感と誤解される悲しみと絶えず向き合いながら
それを受容し、のみ込んでは、
一歩、一歩、前に進んでいく作業です。
障害特性ゆえに苦しい、感情がコントロールできないという事実とは別に、
現実がむごすぎて、苦しくて、感情がコントロールできなくなるのです。

それでも一生懸命、生きている子がいて、
そうした苦しい受容を途方もないほど繰り返しながら、
大人になって、一生懸命生きている方がいます。

私たちは、自分が持っている「ふつう」という固定観念と比べて、
経済的に自立しているかとか、
社会的に認められているかとか、
人間関係が上手にこなせているか、
とかで人を比べたり、評価したり、人を社会のお荷物とみなしたりします。

でも、もし、人類というひとつのまとまりのなかで、
何割かの人が、
必ず、自分たちが過去に汚した環境の影響をかぶって
障害を持って生まれる役を引き受けなくてはならなかったり、
誰かは必ず、進化しようとする遺伝子の影響で、
ある部分だけ特化した
生きづらい生を引き受けなければならないとしたら、

人類が自分も含んで確率的に持っているもののひとつを
引き受けてくれた人に対し、
あれこれ比べたり評価するというのはどうなのでしょう?

そうした生をバカにする人や、変わるように急かす人が、
なら次は自分がそうした苦しい生を引き受けて、
最後まで生き抜きます~と簡単に言えるのでしょうか?

こうした生き辛い生には、苦しみとひきかえに、
ひとつのすてきなプレゼントが用意されています。

ジョージア州に、成功者と億万長者を20年間調べ続けて、
自分もその仲間入りをした方がこんなことを
おっしゃっています。

『人とちがうことは利益をもたらす』
トマス・J・スタンリー

人が褒めてくれるような長所は、意外に、利益をあまりもたらさないのだそうです。
なぜなら誰もがあこがれる見栄えの良いところには、人が群がって競争が激しくなるからです。

『戦って勝つのは下策。戦わずに勝つのが最上』と孫子も言っています。

本田宗一郎は、

『私は世間でいう“悪い子”に期待している。なぜかといえば、そういう子どもこそ“個性の芽生え”を持つ頼もしい可能性に満ちた本当の意味での
“いい子”なのである』

『失敗もせずに問題を解決した人と、十回失敗した人の時間が同じなら、十回失敗した人をとる。
同じ時間なら、失敗した方が苦しんでいる。それが知らずして根性となり人生の飛躍の土台となる』

と語っています。
生き辛さは、このように、きちんと生き抜けば、それだけで価値があるものなのです。

学習につまずきのある子のレッスン(人形ごっこで語彙力を伸ばす)

2019-07-04 07:22:16 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

小学2年生の●くんは普通級で学習している、

さまざまな面で少し発達がゆっくりしている男の子です。

個別で細かいサポートをしていると何とか学年相当の問題を理解できるけれど、

学校での授業の進行についていくのは次第に難しくなっているようです。

 

<7時半の時計の絵>から、3時間、経過した時刻を問う問題のように、

「時計の絵から何時何分かを判断する」ということと、

「その時間から3時間たった時刻が何時何分になるか考える」ということの

2つの作業をする場合、

手も足も出なくなって、「わからない」と投げ出す姿がありました。

 

「まず、何をしたらいいのかな?ほら、時計を読むんだよね。

ここに何時何分か書いておこう」と言って時計の横に枠を作ってあげると、

「7時30分」と書くことができました。

 

また、「次は何をするのかな?問題をよく見てね。時計で時間がわかったら

その次にすることは何かな?」とたずねると、

「何時のほうに足すの?何分のほう?どっち?」とはたずねてきましたが、

意味はそこそこわかっているようで「10時30分?」と自信なげに答えました。

 

そうしてようやくわかっても、

同様の次の問題になると、

時計の絵の時間を読むというところから、何をしたらいいのか

わからなくなっていました。

 

●くんは最近まで、ワーキングメモリーが極端に弱い上、

時系列でものごとを考えていくことが苦手でした。

そのため、お家ではお母さんから一度にひとつだけ指示を出してもらって、

それを実行するようにして過ごしてきました。

 

この頃は、ワーキングメモリーにしても、時系列にものごとを考えるのにしても

わずかですが向上しています。

 

レゴの作品作りやピッケの絵本というパソコンソフトで遊ぶ時のように

好きなことをしている時は周囲がびっくりするほど少し前にした作業を記憶しながら

目的を持って新しい作業をこなしていくことができるようになっています。

 

ところが、勉強となると、「問いに答えるためにしなくてはならない手順を考えて、

ひとつひとつ実行していく」という作業がさっぱりできなくなってしまうのです。

 

問題をいっしょに見ながら、

「何をすればいいと思う?ひとつめは何かな?ふたつめは?」と

指を1本ずつ立てて見せながら考えさせても

●くんは困惑したまま黙っています。

 

物作りのように、

好きなことなら何をすべきか計画したり記憶を保っておいたりできるのに、

勉強だと手も足も出なくなってしまうのは、

嫌なことをやりたくないからではなさそうです。

 

●くんは視覚優位の子なので、ブロックの手順のように画像だけで予測したり、

記憶したりするのはそれほど難しくないようなのです。

けれども言葉を使って、何と何をすべきなのか考えるのは

至難の業なのかもしれません。

 

●くんは教室に着くなり、ドールハウスをいくつか配置して

家の中の家具をていねいに設置していきました。

少し前までドールハウスを出しても、ありったけの人形を部屋に詰め込んで

ふざけて遊ぶだけだったのですが、

今回は「先生、どろぼうのねずみの役して!」と言ってました。

(↑学校を覗く黒いマスクのどろぼうねずみ)

きちんとストーリーを演じて遊びたい気持ちが芽生えてきたようです。

 

遊びというと、ふざけて追いかけあうとか、

おもちゃを出すだけ出して少し触るとおしまい……という状態で過ごしていた子が、

小学生になってようやくごっこ遊びや人形遊びや工作に

興味を持ち始めることがあります。

 

小学生ともなると、帰宅は遅くなるし、宿題もさせなきゃならないしで、

今さらごっこ遊びやお人形遊びに付き合うのもどうかな……と感じる親御さんも

多いことと思います。

 

でも、「幼児期にごっこ遊びや人形遊びや工作をほとんどしなかった」という子は、

想像を膨らませて見えないものをイメージの中で操作したり、

論理的に物事を考えたり、

そうして考えたことを言葉で表現することがかなり苦手なケースがよくあるのです。

 

子どもの発言に耳を傾けていると、

「うん」「ううん」「いや」「そうする~」以外の言葉をほとんど使っていなかったり、

言葉の使い方が間違っていたり、語彙量が極端に乏しかったりすることが多々あります。

 

また、理由を推測する力や

質問にきちんと答える力が育っていなかったりします。

 

学校の勉強がはじまると、計算はできるか、時計は読めるのか、

九九は暗記したか、漢字はかけるのか、といったことが気になりますし、

そうした訓練をたくさんさせると勉強に遅れることはないように錯覚しがちです。

 

でも実際には、使える言葉が極端に少なくて、

論理的に筋道を立てて考えることができないままで授業を理解していくのは

困難なのです。

 

想像力を使って頭の中でイメージできず、理由を推理するのが苦手で、

質問されると問いからずれた答えばかり言っているとするとすれば、

それはそれで学習のつまずきの大きな原因となるはずです。

 

発達のでこぼこの凹の部分を絵本で補う 1

発達のでこぼこの凹の部分を絵本で補う 2

という記事でも書きましたが、(この記事の続きは近いうちに書きますね)

「本来、幼児期に通っていく現実を、論理的に理解していく過程が

スポッと抜けたままになっているんじゃないかな?」と推測される状態にある子に

学校の勉強だけを繰り返し訓練していっても、

あるところまで進むと、頭打ちになってしまう可能性があるのです。

 

それなら、どうすればいいのか?というと、わたしは次のように考えています。

 

小学生になってからも、「絵本読んで!もっと読んで!」と言い始めた子には、

たっぷり読んであげて、いろいろおしゃべりし、

ごっこ遊びや人形ごっこをし始めた子とは、ストーリーを展開させ、

会話をたくさん交わしながらいっしょに遊ぶのです。

工作をしたがるようになった子には、道具と環境と時間と適切な手本を与えてあげます。

そして、工作をしている最中にも、「どんなものが作りたいのか」

「工夫した点はどんなところか」

「もっと良い作品にするんはどうすればいいと思うか」などたくさん会話をするのです。

実際に手や頭を使いながら、大人とたくさん会話をしていると、

間違って覚えていた言葉が修正され、理由について正しく考えるようになり、

想像力が徐々に向上していきます。

 

 

●くんとのごっこ遊びの様子です。

わたしに泥棒役をするように指示する●くん。

●くんは、警察署のドールハウスに犬の警察官2匹を置いて、

それらの役をするつもりのようでした。

わたしが、「そうだ、あの家にどろぼうに入っちゃえ。何を盗もうかな。

そうだ、いっそのこと、お家ごと盗んじゃおうかな。

お家を全部、泥棒しちゃおうかな?」と言うと、

●くんはすかさず、警官の人形で泥棒をポカポカ叩いて、やっつけてしまいました。

 

そんな逮捕劇がひととおり済んだ後で、どろぼう人形とお茶犬の人形に

話をさせました。

「ねぇねぇ、お茶犬くん。泥棒って、どんな格好をしているか知っているかい?」

「知らないよ。教えてよ。どんな服を着ているの?」

「袖が青くて、身体の部分は白くて、ズボンは青。赤いベルトをしているよ」

「それなら、警察の近くで見たことがあるなぁ」

「いっしょに泥棒を捕まえに行こう」と泥棒に誘われたお茶犬が、

警察署に近づくやいなや、今度もポカポカとやっつけられて、

●くんの手でお茶犬も泥棒も牢屋に閉じ込められてしまいました。

●くんはとにかくこのストーリーの展開に夢中になって遊んでいるのですが、

人形同士の活劇には一生懸命ですが、ほとんど言葉は使いません。

そこで、

「●くん、●くん。どうして、お茶犬まで牢屋に入れられてしまったの?」とか、

「●くん、泥棒が牢屋に入ってしまったら、お話しの続きはどうしたらいいかな?」

など、たずねました。

すると、●くんは、必死で言葉にしようとするのですが、うまく言えなくて、

「あのぅ、あのぅ、あのぅ……それは」と繰り返しています。

しまいに、「ふたりで相談していただろ。だからどっちも悪いんだ!」と言ったり、

「続きは、牢屋から逃げて、また泥棒にくるといい」と言ったりしました。

 

●くんは子ども同士で話ている時は、言葉の大切さを少しも

実感していない時があります。

おふざけしながら、何となく、言葉がないままに時間が過ぎていくのです。

勉強している間も、言葉の大切さを理解していません。

分からない時は、

「しらない」「できない」と言ってそのままプイッとよよそ見をして遊びだすし、

分かる問題の時は、答えだけ書きこんで黙っています。

お母さんが話しかける時には、

「うん」「いや」「そうする」「え~」「できない」くらいの言葉で

会話は事足りると思っているふしもあります。

友好的で笑顔が多く、人と関わる力も高いため、そうした語彙の少なさが

それほど周囲に問題として感じられていないふしもあります。

人形遊びをする●くんは、いくら遊んでも遊び足りないほど楽しい様子で、

●くんにしゃべらせるような質問を何度も投げかけても、

楽しそうに必死になって言葉で言おうとしています。

それを補助するように、

「そうなの。お茶犬は、悪者と相談していたから、泥棒の仲間だと思われているのね。

でも、お茶犬はね、泥棒に嘘をつかれて騙されただけかもしれないね」

「牢屋から脱獄するストーリーにしたいのね。

どうやって逃げ出すのか方法を考えてちょうだい。

●くん、脱獄に必要な道具って。何と何がいるのかな?」

など、大人の言葉でできるだけていねいに会話をしていると、

「脱獄するには~」とか「道具が必要だね」など

本人がそれまで使ったことのない言葉も、会話の中で使い始めます。

 

●くんのように発達に少しゆっくりしたところのある子は

言葉が劇的に増える幼児期には、

何らかの理由で語彙力が伸びにくかったのかもしれません。

でも、幼児期にはそうした困難さが目立っていた子も、小学校に入った後くらいから、

ていねいな会話を心がけて、会話するシーンを増やしていると、

言葉がどんどん増え始める子もけっこういます。

もし子どもがごっこ遊びを喜ぶようなら、ぜひたっぷり付き合ってあげてほしいです。