虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

5の合成 10の合成

2011-02-18 17:18:19 | はじめに

<5の合成 >

ままごと遊びをしたあとで、ちょっとお勉強。
3個、2個~など
どんぐりを入れた皿を用意して、どれも5個にしてもらいます。

何度もまちがえることが大事です。
まちがえるたびに1から数えて、「ちがうね~」と面白がって笑ったり、
だんだん5にするコツがつかめてきたら十分です。
5の合成も10の合成も
さまざまなおもちゃで楽しく体感できるようにしています。
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<10の合成 >

「じゃんけん、4。あといくつで10?」
「じゃんけん、3。あといくつで10?」
と、10の合成をじゃんけん遊びで学びます。
最初の人が4の指を出したら、もうひとりは、10になるように
6の指を出すルールです。

5の合成や10の合成がすっと言えるようになってくると、
計算力がついてきます。


創造的で生産的な何かを生み出す会話って? 4

2011-02-18 09:42:24 | はじめに
今日、学研パブリッシングの方からの電話取材を受けることになっています。
虹色教室での強みを生かした教え方について「頭のいい子の育て方」第15号に
載せていただくことになりました。

以前、取材していただいた
プレジデントベイビーは、ネット上で、(とても小さい画面ですが)雑誌の中身が全て見られるようになっています。
おうちで英才トレーニング大図鑑の特集の黄色い見開き2ページ分が、虹色教室の様子です。
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教室の子たちにしても私やうちの子たちにしても、
「会話というのは、遊び心のある生産的な行為」
という捉え方があります。
どうしてそんな風に捉えるようになったのかというと、
次のようなレッスン(うちの子の場合は遊び)の中で、実際に会話をしながら手を動かし、また会話をして問題を解決することで、
創造的で生産的な何かが生まれてきたという体験をたくさんしているからです。
年長~小1 科学クラブから 1 電子工作
年長~小1 科学クラブから 2 電子工作
年長~小1 科学クラブから 3 ブロック
年長~小1 科学クラブから 4 ブロック

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もうかれこれ8、9年前のことですが、「あったらウレシイ!」というものを公募する企画に、私とうちの子たちで応募したことがあります。
テーマは「女性が欲しいと思うもの」と「新しい文具アイデア」でした。

おやつを食べながら、「あんなのどう?」「こんなのどう?」とそれぞれがアイデアを出し合って、応募用紙に内容を書き込んで送ったところ、
採用されたのは娘でした。


それで、娘は、
『メーカーさん、女性はこういうものが欲しいのよ!』という こう書房
から出版した本の1ページ分を使って自分のアイデアを掲載してもらいました。

採用された娘のアイデアは、
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『シュガーボール』という丸い形に固めた砂糖に、コーヒー用ならシナモン味の粒が、紅茶用にはレモン味やアップル味の粒が水玉模様のように混ぜこんであるというもの。
それを透明の包み紙でキャンディー包みをして、小瓶に入れておしゃれな形態で販売するというもの。
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このアイデア、ちょうどおやつに紅茶をすすりながら、クッキーをかじりつつ会話をしていたので、
おしゃべりの中で娘がひらめいたもの。
そのときは、誰もそれが採用されるとは思っていませんでした。
なぜって、角砂糖を入れるときに、
「これが丸いとかわいいと思うんだけどな」という娘のアイデアは、
誰でも思いつきそうなことにも思えたからです。

でも、それに私や息子がつっこみを入れることで、娘がその案にいくつかオリジナリティーを加えると、「私もあったら買いたいな」というアイデアに
進化していったのです。

会話の力ってすごい! 面白い! と実感したのは、前にも紹介した
『ゲームと数の?な関係』という小4のとき私と息子でした
親子合作の調べ物学習での出来事です。

「なんで将棋盤は9×9マスなのだろう?」
という息子の疑問からスタートした調べ物学習は、
家族総出で「ああでもない」「こうでもない」「ああなんじゃない?」「こうだろう?」とワアワア議論が飛び交いました。

その結果、いくつものトンデモ仮説が生まれ、
正誤についてはわからないままですが、会話から生まれてくる新しい考えの
ユニークさを存分に体感することができたのです。
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いろんな本を調べたものの、マスの秘密に触れているものはありませんでした。
それで、まったくの推測だけれども、
家族の中から次のような推理が生まれました。

★縦軸が奇数になったのは、中国に女王が戦いの指揮をとるというチェスのルールが受け入れがたかったのではないか?

★玉を挟んで、左右対称の日本の将棋の並べ方も、
文化的な背景があるからではないか?

★中国で縦のマスはすでに9だったけれど、動いていたのは線の上だった。
だから縦軸のマスには10個の駒が乗ります。
もしかして、偶数を作る過程で、奇数のマスが生まれたのかもしれない。

★中国象棋が入ってきたとき、日本人は線の上ではなく、マスの上をチェスのように動くルールを選んだのではないか?
遊んでみると、9段のマスは奥深い楽しさを含んでいたのではないか?

★サイコロが6面なのは、10進法が生まれる前に、60進法が生まれていたことと関係が深いようだ。6は親しみ深くも、神秘的な数字。
そうした数に関する全く別の面からの影響もあるかもしれない。
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『あなたも「天才」になれる? 10000 時間積み上げの法則』 と 天才の話あれこれ

2011-02-16 21:31:13 | はじめに
『あなたも「天才」になれる? 10000 時間積み上げの法則』という話を聞いたことがあります。

何でも、次にあげる2つが重なると天才が作られるそうです
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①10000時間を費やせる努力と情熱。開始年齢はあまり関係ないらしい。

②時代と才能が一致するタイミング
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①の10000時間を費やせる努力と情熱。

と言うと、エジソンの
「天才は1%のひらめきと99%の汗」という言葉が浮かびます。

本当は、エジソン自身はピピピッとひらめくことを
重視していたらしく、

(1%のひらめきさえあれば、99%の努力も苦にはならないという
ニュアンスでこの言葉を発言したらしいのですが…。)

竹のフィラメントを発明するのに1万回失敗しても
挫折せずに努力し続けたエジソンの姿は、
英才くん、秀才くん、できるくんからすれば、「実験オタク」や、単なる「オバカ」なのかも知れません。
天才を作る時間が10000時間という話の真偽の程はどうであれ、

「何かが好きでたまらないこと」
「心底、ひとつのことに夢中になって打ち込めること」
「誰かのためにでなく、自分で自分の人生を切り開いていること」

が天才の必須条件のようです。

②の運

私はこれは、偶然の産物ではなく
宇宙とうまくシンクロできているかどうか……。
SQ(精神的知能の略)…意味や価値という問題を提起して解決する能力を
人生のなかで十分高める事ができたかどうかに関わっているのだろうと
思っています。
SQを高めて行くことが、自分を個性的な人生へと導き、天職と出会わさせるのだと感じるからです。

SQとは、
広い豊かな視野に立ち、自分の行動や人生に意味を見出す能力のことです。
数あるなかから、より意味のある行動路線や
人生の道を選ぶための能力です。

『SQ 魂の知能指数』ダナー・ゾーハー イアン・マーシャル 徳間書店
によると…

IQなら、コンピューターも高いです。
EQ(こころの知能指数)は、動物達も高いです。周囲の状況を察知する能力にたけ、過たずにそのルールに従うことができるのです。
しかし、コンピューターも動物も、
なぜそのルールがあるのかも、なぜそういう状況になっているかも
問うことがありません。

SQを持っている人間は、ルールや状況を変えることができます。
限界と遊び、識別し、道徳観を持ち、厳しいルールを理解と同情で
やわらげることができます。
同情や理解が限界に達したら、限界だと悟る事ができます。


IQは、脳内の「直列的な神経配線」にもとづいているそうです。
EQは、「連想を引き起こす神経配線」にもとづいているそうです。

SQは、脳全体のデーターを統一する神経の共振にもとづいているそうです。


「天才」という言葉から、ずいぶん脱線していますが…

SQテスト
★柔軟である能力(積極的かつ自発的に適応できる能力)
★高度な自己認識
★苦しみに立ち向かい、苦しみを利用する能力
★苦しみに立ち向かい、苦しみを乗り越える能力
★夢や価値に触発される資質
★不必要な危害を他人に加えたくないという気持ち
★多岐にわたるものごとのあいだに関連性を見る傾向
★「なぜ?」とか「もし何々だったらどうなる?」という質問をし、
★゛根源的な”答をもとめる顕著な傾向
★心理学者が、゛場独立性”と呼ぶものであること。つまり、因習に逆らう器量を持っていること。

↑のテストがたくさん当てはまるというSQの高い人は
世間の評価はどうであれ「天才」と言えるのかも知れません。


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「天才」という言葉、日本ではタブーのように扱われている部分がありますね。

「英才」や「秀才」や「できる子」は目指せるし作れるけれど、
「天才」は生まれつきのもの
誰もが目指してはいけないもの
子どもが天才であってほしいと願うなんて、ずうずうしいにもほどがある……

そんな声をたびたび耳にします。

でも、私は、英才とか秀才とかできる子って言う言葉が、
あんまり好きではないんですよね。
受験戦争や競争社会という小さな枠のなかで
勝ち抜いていけるか……ていう
大人側からの期待や願望から生まれているような気がするからです。

そして「天才」は……というと、レオナルド・ダ・ウ゛ィンチとかアインシュタインのように、
学ぶことを愛してやまず
人生を自分の思うままに生き抜いたイメージ

が、大らか~で好きなんですよ。

「天才」とは、一般常識や他人の期待に振り回されずに、
「自分」の興味と夢を満喫して生きられる人でしょうし
幸運にも「天職」と呼べる仕事と出会えた人なのでしょう。

私は周囲に認められるか、
その時代から「天才」という言葉を授けられるかは別にして、
出会う全ての子どもたちには どの子にも天才のようにいきいきと生きいって欲しいなぁと思っています。あくまでも願望ですが……。

天才という言葉に過剰反応する方を時折り見かけるのですが、
そうした方々は、
天才と呼ばれた過去の人物の型破りな生き方や、
天才であっても多くの欠点を抱えたひとりの人であった事実を、
勝手に自分のイメージで脚色しているように感じます。

キュリー夫人やヘレンケラーやライト兄弟の一生などを
自分の人生に重ねて、その簡単にあきらめないねばり強さや
どんな境遇でも学び続ける強さなどは無視して、

天才と言われる人が何したこれした~と自分より
下だと思って安心できるゴシップ的な話題ばかり集めてきて、
天才は~~と愚痴ばかりこぼすのをよく聞きますから。

天才とは、ひとつのことを伸ばすために、他の価値観を捨てていく生き方だという捉え方は、
オリンピックなどの世界で「人工的に天才を作ろう」と無理する場合に
親のエゴが生む考えを指していて、
実際の「天才」という言葉とは線引きしなくてはならないものだと思います。

私はこれまで「天才」とたたえられた人々は、『自分の境遇』

つまり能力、強み、環境などの『自分がもっているもの』を、
自分の力で(親に作ってもらうのでなく)
最大限に生かそうとし続けることができた人なのだと思っています。

例えば、みんなが良い大学を目指すことを教育の目標にしたとすると、
頭脳活動に向いた遺伝子を受け継いだ子や
コツコツがんばる学習欲を強みとする子が有利ですよね。
おまけに経済的にめぐまれていて、
他より早くから競争をはじめ、他の子よりたくさん学習し、
他の子より寄り道せず、他の子より学習だけに専念し、より有利な受験アドバイスをもらい、それに逆らわず、スムーズに受験をし終えればそれは可能なのでしょう。

でも、現実には、努力家なんだけど、考えるのが苦手とか、
頭はいいんだけど、コツコツすることができないとか、
能力は申し分ないけど経済的に恵まれないとか……だれもが
完璧な境遇ではないわけです。

そこで、途中までは、がんばったけど、勝ち組になれないから、
もういいや~って、自分を高めることも、勉強することも、
放り投げてしまうか、

それでも自分の境遇の中でベストをつくしていくか、

に分かれると思います。

これまで天才と呼ばれてきた人は、どんな境遇でも、自分の手札が最悪でも、
自分を見捨てず、あきらめず、育て続けた人です。
ヘレンケラーなんて三重苦です。
それでも自分の可能性を追求し続けたところがすばらしいのだと思います。

一般の人だと、ちょっと他より記憶力が悪いとか、
ちょっと小学校の学習でみんなより出遅れたとかで、自分をあきらめてしまいがちです。
でも天才として名を残した人は、
欠点を抱えたまま、自分の強みを追い続ける強さを持っていたのでしょう。

そうしてその人にスポットライトがあたったとき、
「天才って、ひとつの能力だけ伸ばすために、弱点を克服することを犠牲にしてきた人でしょう?」と簡単に結論づけてしまいがちです。
でも、実際には、
「もともとハンディキャップを持っていて、それにもかかわらず、自分を精一杯生かしてきた……。
けれども、やっぱりハンディーはハンディーとして
成功しても残っている」
そうしたナチュラルな人なのだろうと感じています。

だいたい、秀才を育てるとか、英才を育てるとか、天才を育てるとか、
まるで、ロボットの人工知能を操作するように
大人が子どもを自分の思う何かに作り上げようとすること自体に
疑問があるのです。

天才の話にしても、生きた先輩たちの道から、
大人も子どもも気づきや感動を得るなら良いのですが、
それを勝手にメソッドにして、「天才作り」を目指しちゃうと
間違った方向に行ってしまうのでしょうね。

「天才」の話ついでに……
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『アインシュタインファクター』
ウィン・ウェインガー リチャード・ポー共著
                          きこ書房
の中にこんな話が載っていました。
精神科医のアーネスト・ハートマンは、
「怖い夢」を見やすい人がいる原因に興味を持ちました。
そうした100名を調査したところ、
共通の特徴があることがわかりました。
それは非常に現実味を帯びた夢を見る人は、見た夢をはるかによく覚えているということです。
また『自由でコースをはずれた』と見える思考モードを使い、
2,3歳の頃のことをはっきり記憶しており、ほとんどが、
ミュージシャンや画家、作家などクリエイティブな職業についていたそうです。

ハートマンは1992年に書いた著書の中で、
悪夢を見がちな人は『薄い境界線』をもっている。
つまり人間関係や外的な刺激に対して、並外れた敏感さをもっているという結論をくだしています。


この話を読んで、教室の数名の生徒の姿が浮かびました。怖い夢を見るかはさだかでないけれど、
ショッキングな画像や話に強い拒絶反応をしるす子ら
(地震や忍者の武器程度の絵本の場面でも嫌がるので見せていません)が、
同時に、水彩絵の具で絵を描くことや、
質の良い積み木で製作することに
強い興味をしるすことが多いのです。

子どもは大人よりも感受性が強いです。
臆病で傷付きやすい反面、
美しさや不思議さを敏感にキャッチする感性ももっているのです。
こうした子どもの感受性は、美や知識に対するオープンな態度と、
ときに並外れた学習効果を達成する要因なのだそうです。

フロイトは『自我境界線』という言葉を最初に提唱しました。
外部からの脅迫や抑制された記憶から壊れやすいセルフイメージを守る精神的バリヤーを意味します。

この心の境界線は、適切な部分ごとにいろいろな機能をロックすることで、
脳本来の正常な働きを保護していると
フロイトは信じています。
このような境界線がないと、コンピューターのパワーサージ状態のように
パンクしてしまうかもしれないのです。

ハートマンによると、子どものころは誰でも、程度の差こそあれ、薄い境界線をもっているそうです。年を重ねるにつれて、自分を傷つける刺激から守ろうと、境界線は厚くなっていきます。

成人の境界線のほとんどは、敏感でも無感覚でもなく、中間の社会に適応するのに理想的な状態であると言えるそうです。
一方、それはアイデアを素直に吸収したり、
加速学習をするにおいては、あまり好ましくありません。

一般的に薄い境界線を持つ人は、
突然、自分の中から湧き上がる鋭い洞察や
潜在意識からのメッセージを素直にキャッチしやすいようです。
痛みや混乱から守ってくれる回路ブレーカーは、
すばらしい想像力の流れを止めてしまいます。

つまり、かなり薄くて浸透性のある境界線こそが、
天才を作り上げる重要な要因と言えるそうです。
なぜなら、天才的能力というものは視覚や聴覚、考えや記憶などあらゆる知覚を同時に働かすことから生まれるからです。
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少し前の記事で紹介した『ハイコンセプト』の著書に、
自分が「左脳型」なら突拍子もない発想をする右脳型の人と対話し、「右脳型」なら、論理的で分析的な「左脳型」の人と会話を繰り返すことの大切さが力説してありました。
自分の脳にそうして常に刺激を与える癖をつけることが、これからの世の中で成功を勝ち取るためのカギとなるそうです。

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憧れの大工仕事

2011-02-15 15:22:14 | はじめに
私の母親は、建築や農業や畜産を職業にしている家に9人のきょうだいの末っ子として生まれました。
食べるものには困らなかったけれど、
きれいな服を着て、ピアノや絵を習いに行く一人っ子やふたりっ子の友達に憧れながら育ったそうです。

それで、私と妹が生まれたとたん、
最新の服飾デザインの型紙を使って子ども服を作っては
私と妹にとっかえひっかえ着せて、
ピアノだ習字だそろばんだと、見たり聞いたりする限りの習い事をさせました。
私も妹も母に命じられるままイヤイヤ習っていますから
上達するはずもなく、
どの習い事も発表会や参観日に母の力作の○○○デザインの子ども服を
他の親たちに見せびらかす目的以外、何の役にも立ちませんでした。

そんな習い事をさせることに熱心だった母は、
自分自身もいろんな習い事に通っていました。
着物の着付け教室とか、粘土で花や人形を作る教室、パン作り教室、
手芸教室、絵画教室などです。
数ある教室の中で、母が一番楽しそうに通っていたのは、
『女性のための大工教室』でした。
確か、江坂で現職の大工さんが開いている教室ではなかったかと思います。
大人になって思い返すと、やらされた習い事は何ひとつ今の自分にとってプラスになっているものはないけれど、母が自分でしていた習い事からはどれも
大きく影響を受けて、たくさん学んでいるのです。

亡き母を思うとき、あれこれ習い事を強いられてうんざりした気持ちとともに、大工仕事を習うというので子どものようにはしゃいでいた母の姿が面白おかしく浮かんできます。

大工つながりで過去記事を……。
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去年の話ですが、ツタヤでCDを選んでいたら、いきなりトントンと背後から肩を
たたかれて……振り向いたら、
背の高い20歳くらいの男の子(人?)がニコニコしながら
立っていました。

誰……???

と一瞬、面食らって、誰だかわからずに
ポケッとして、相手の目を見ていたら、「あ~!!!これは……!!」
と思い出しました。
数年前に、私が大工仕事を教えてもらった小学生……
 
ということはまだ、中学生か高校生……?
すごく大人びていて、背丈も見上げる感じで対面しているんですが、
笑顔は当時のまんま~(いまだに友だちと思ってくれていたのか……?)

あまりに突然でボケていたので……「仕事は何をして……」と問いかけて、
「いや、まだよね……学生よね」とひとりごとを言っている間に、
ニコニコしながらさわやか~に去っていきました。

「よその子はすぐ大きくなる」っていう話……よく聞くけど
ホントだわ~と思った出来事でした。


↓その男の子に大工仕事を教えてもらった話です。
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以前、近所の小学校でする子ども会主催の「たこ作り教室」の手伝いを
していたことがあります。
そこで、おとなしすぎる小学生と活発過ぎる小学生が、
小競り合いを始めました。
私は、けんかを妨害するように、
二人の間に自分の「たこ」を広げて、「たこ」にイラストを描き始めました。
その前の年は「火の鳥」を描いたんですが、
その年は「だんじり」

すると、それまでけんかをしていた活発な方の子が、
さらに私の近くに席を移して、
だんじりの絵をなめるように見ていました。
そして、自分も「たこ」にだんじりの絵を描き始め、
だんじりについて熱心に語りだしました。
私が、一番興味を惹かれたのは、
その子が、自分で、大工道具を使って、だんじりを作った…という話でした。

実は、私は、何年来、大工仕事にあこがれていて、
今は廃材や紙で工作しているけれど、いつかは木材で
子供用のままごとセットなど作ってみたいと考えていました。
それで、その子に、材料の入手先や道具について、
あれこれ質問しました。
すると、その子は、それは熱心に、

自分の作っただんじりを見に来るように…
それは、子どもが乗ったって大丈夫な作りなんだ…
今日にでも、ホームセンターと木材屋に連れて行ってあげるから、
「たこ作り教室」の後の予定は空いているか?

とたずねます。

うーん、それは魅力的な誘いではあるけれど、
お母さんに聞いてみなくてはならないよ。
勝手によその子をホームセンターに連れて行くわけには…(連れて行ってもらうわけには…)

といったんは、ていねいにお断りしたんですが、
帰りはしっかり我が家まで付いて来て熱心にすすめてくれます。
そこで、親御さんに連絡して、
(「うちの子でお役に立てるんでしたら、どーぞどーぞ」とのこと)
さっそく二人で買い物に出かけました。

「ちょっとお金がかかるかもしれないよ~
ドリルはまず必要だからね。
それと、サイズのちがう釘もいるし~。
それとさ~いらなくなったとき、リサイクル料金400円かかるかもしれないけど、大丈夫~?」としゃべり続けて、
男の子は、私の財布の中身をすごく気にしてくれてました。
そして、
ただで木材を分けてくれる材木やさんに寄ったり、
途中で家を建築中の大工さんに声をかけて、
木の廃材を分けてもらったり、
ホームセンターの特価品コーナでお買い得の板を集めて
くれたんですよ。

私の場合、買い物だけで、疲れちゃったんですが…
「だめだめ、思い立ったときに、ある程度仕事を進めとかなきゃ…。」
と注意され、
さっそく「だんじり作り開始!!」

それが、のこぎりやドリルの音が思った以上に大きくて、

騒音だ~!
ご近所迷惑だ~!

と気が気じゃなかった私は、
なんとかそれらしい形までこぎつけたときは、
涙が出そうでした。

その子は、小学生とは思えない仕事っぷりなんですが、
勉強はすごく苦手なんだそうです。
そこで、大工仕事を教えてもらったお礼に、
製図に役立ちそうな算数を教えてあげるよ~と言ったんですが、
断られました。

それで、帰りに本人が持っていないというサンダーを
あげることにしました。
というのも、大工仕事を教わってみて、
「こんな都会の真ん中で、そんな作業できるわけない!」
という現実をしっかり勉強させてもらったからなんです。
それと、大工仕事の、大体の流れと、購入場所も
しっかり学習できました。(かかった費用のもとは取れました。)

「サンダーはかなり音が出るけど、大丈夫?」
「いつも使っている電動のこぎりも、電動ドリルも
同じくらいの音だから大丈夫だよ。
でも、ほんとのほんとに、サンダーもらって良いの???」
とその子は喜び勇んで帰って行きました。

その後、小学校の柵のそばで、数人の子と群れて遊んでいるその子を
見かけました。手を振ったら、「おっ!」と挨拶。
「だれ~?」と友達に聞かれると、
「ともだち~」と答えていました。

ともだち…ですか?
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「持つ」教育  「ある」教育

2011-02-15 09:33:51 | はじめに

虹色教室をする前に、頼まれて何人かの知人のお子さんの勉強を見ていたことがあります。
そのうちひとりの男の子は、小4から週1回30分学習を教えていました。
その子が中学生になるとき、
友だちと同じように塾に行きたいということで、入塾テストを受けに行きました。結果を聞きにいった親御さんは、そこの塾長から、
「これまで、どこで教わっていたのですか?」と驚いたような様子でたずねられたそうです。
「近所の方に少しだけ習っていただけです」と知人が答えると、
塾長は、「その方に感謝しなくてはならないですよ。この子は、考える力も理解する力も申し分ない。基礎学力もしっかりついていますよ」とおっしゃったそうなのです。
知人が会うたびに何度もその話をして
御礼を言ってくれるものですから、私の方はきつねにつままれたような気持ちで
すっかり恐縮してしまったことがあります。
というのも、勉強を見る時間が30分と短いですし、宿題も出していないので、
一通りのことをさらっとさせていただけで、教えるというほどのことはしていなかったからなのです。

みんながみんなそれほど伸びたわけではないけれど、
他に教えていた子たちの中にも、短期間で中学入試用の難問もスラスラ解けるようになった子もいました。こちらも教えていた時間も少しですし、謙遜とかではなく実際にたいしたことをしていたわけではないのです。

そうしたことを最近まですっかり忘れていたのですが、

『教育哲学のすすめ』山崎英則 編著 ミネルウ゛ァ書房

という本の中で、フロムの次のような考えに触れて、ふいに勉強がらくらくできるようになっていく子に共通する「あること」に気づいたのです。

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「持つこととあること」は2つの基本的な存在様式である。

現代の大量生産・大量消費の社会に生きているわれわれは、できるだけ多くの
物質や富の獲得、
またそれを可能にする権力や地位を所有することに専念しようとする。
すなわち「持つ様式」の生き方に傾倒しがちである。

だが、われわれは、他方では、自分の人間的な力を生産的に使用し、
内面的な能動性を発揮し、自己を表現し、充実して生きることも求める。
すなわち、「ある様式」の願望を欠くことができない。

ところが、前者が後者を圧搾し枯渇させてしまっているところに、現代の深刻な人間疎外状況を見ることができる。
              (『教育哲学のすすめ』より引用)
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「ある様式」の生き方の再生・復活こそ、フロムの目指しているものです。

ふと感じたのは、
この「持つ」と「ある」という2つの様式があることが、
勉強の場合でも言えるな……ということなのです。

勉強する側も勉強を教える側も、
大量生産・大量消費の社会の延長線上で、もっと知識を獲得し、もっと解き方を獲得し、もっと短時間で達成する能力を獲得し、もっと好成績を獲得し、
もっと多くの検定、もっと多くの資格、もっと多くの読んだ本の冊数、もっと低年齢で成果を獲得し、もっと学習時間を増やし、もっと時間を有効活用し、
もっともっと……
と「持つ」ことを求め続けるのが学習と信じられているふしがあります。

でも、歴史を振り返っていくと、
「持つ」ではなく「ある」を大切にして学習が行われていた時期もあるはずなのです。
頭がよく見える証明を得て かしこく見せるために学ぶのではなく、
知識を貪欲に求めて自然にかしこく成長していた時期が。

学んだことを自慢するために学ぶのではなく、学ぶことに喜びを感じて学んでいた時期が。

内面的な能動性によって学ぶことが当たり前だった時代が、
今の教育制度を作ってきたのではないでしょうか?

学力低下の話題が出ると、「内発的動機なんて理想論だ!」と声高に言い切る方々がいるのですが、
「持つ」教育が「ある」教育を圧搾し枯渇させてしまった状況では、
そんな乱暴な言葉がまかり通るのかもしれません。

話を最初に書いていた知人のお子さんのことにもどしますね。
子どもの勉強を見ていると、大人の過保護や過干渉が少ない子は、
すっと「ある様式」の学習に入っていきやすいのです。


「勉強って、あれもこれもそれも……もっともっととゲットしていく作業だ……」と捉えている子と、

「できるようになるのは面白い。勉強は自分を成長させることだ」と捉えている子とでは、

学習時間の長い短いとか、学習内容とかは関係なく、後者の子の方が断然伸びがいいのです。

短時間でもいいので、子どもの意識のスイッチが、内発的動機から出発できるように調整してあげることは、
「足りないから、他国に負けるから、もっともっと知識を!」と子どもを煽るよりずっと効果的に能力を伸ばすことができるのです。
大人たちが勉強させなくてはと熱くなるほど、子どもたちは、
勉強もしていないのに、「やらなきゃいけない雰囲気で頭がいっぱい」「あれもこれもと考えるだけで疲れた」「何もしていないのに何となく忙しい」
とやる気が減退しているのです。

↓過去記事から内発的動機について書いた記事です。

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『モチベーション3・0』ダニエル・ピンク著 
に、こんな実験が載っていました。

マーク・レッパーとデイビィット・グリーンという心理学者が、
幼稚園児を数日間にわたって観察し、
「自由遊び」の時間に絵を描いて過す子たちを見つけました。
次に、この子どもたちが楽しんでいる活動に対して、
報酬を与えた場合の影響を調べる実験を考案しました。

子どもを3つのグループ

★「賞がもらえることがわかっているグループ」(賞をもらえることを告げられており、終了後、青いリボンのついた賞状をもらえる)

★「賞をもらえることを知らないグループ」(賞をもらえることを知らされていないが、終了後、青いリボンのついた賞状をもらえる)

★「何ももらえないグループ」

それから、2週間後の自由時間に、幼稚園の先生は紙とフエルトペンを用意しました。
研究者たちが観察していると、「何ももらえないグループ」と「賞をもらえることを知らないグループ」は、
実験前と同じくらい熱心に絵を描いていました。


ところが、「賞がもらえることがわかっているグループ」(賞をもらえることを告げられており、終了後、青いリボンのついた賞状をもらえる)は、
実験前より絵に対する興味を大幅に失っていて、絵を描く時間も少なくなっていました。

これは、
報酬が、興味深い仕事を、決まりきった退屈な仕事に変えてしまうため
だと考えられています。
<ソーヤ効果>と呼ばれたりしています。

報酬があることで、内発的動機づけが下がるのです。

遊びが仕事に変わってしまうこともあるのです。
何の見返りも期待せずに、「やりたい気持ち」「好奇心」「やり遂げたことへの感動」から、何かをするとき、
人は、すればするほど意欲が湧いてきます。

しかし、「交換条件つきの報酬」は、自律性を失わせ、
モチベーションのバケツに穴があき、活動の喜びが漏れてしまうのです。

社会人となった大人の場合、やる気がない状態で、報酬のために働くことも
大事でしょうが、
子どもの場合、せっかく生まれ持った「自分で自律的にやる気を感じて物事をしよう」という気もちを、わざわざ低下させる必要はないですよね。

今の時代、通信教材にも、習い事にも、内発的動機づけを低下させる
釣りエサのようなものがたくさん用意されています。
小学校低学年の極端なやる気のなさや、中学生の英語嫌いともつながっているようで
注意が必要だと感じています。

『モチベーション3.0』によると、
具体的な条件つきの報酬は、内的動機づけや創造性を弱めることが多いけれど、
あまり影響を与えない仕事もあるようです。

激しい情熱を呼び起こしたり、深い思考を必要としない作業です。
この場合は、アメが問題にならないどころか、
功を奏する可能性があるそうです。

おそらく音読カードとか、そろばんなどには有効なのだろうと思います。
芸術家たちを調査したときも、注文作品は自主的な作品と比べて、
創造的な面でははるかに劣るけれど、技術面の評価では
両者にちがいはなかったそうです。
長期間にわたって実施された調査では、外的な報酬への関心が、
芸術家としての最終的な成功を妨げるおそれがあるとわかったそうです。

話を戻して、

型通り決まった仕事には、次の3つが、
その取り組み方のヒントなのだそうです。

★その作業が必要だという論理的な根拠をしるす。
★その作業は退屈であると認める。
★参加者のやり方を尊重する。


一方、ひとつひとつの指示を受けて、そのとおりにこなす以上の、
高度な内容が要求される仕事には、
報酬はいっそうの危険が伴うそうです。

虹色教室でも、創造的に深く考える、
好奇心を持って根気よく取り組む、
学ぶことを心から楽しむ
といった特徴をしるす子というのは、
報酬をともなうような学習法と、ほとんど関わりなく生活している子たちです。

うちの子も、大きくなるにつれて、勉強が好きになってきましたが、
幼い頃から、
学ぶことは、自分の気持ちや好奇心を満たすことに直結していて、
ごほうびでつって何かさせるようなことはありませんでした。
ただ、がんばったときに、
お祝いするような形で、何かをしてあげたことはちょくちょく
ありました。
報酬が悪いというより、
目的が報酬になって、それ自体のおもしろさが色あせると
よくないのかな?
と感じています。
報酬を得ない部分への「研究したい」「より知りたい」といった願望は
弱まるように見えます。

私は報酬で子どもに学ばせるより、子どもが好奇心を抱いたことや、
発見したことに、大人が強い関心を寄せ、
子どもの能力を信頼し、よりそれを発展させる手立てをしるしてあげることが大事だと思っています。
子どもは学ぶこと自体に強い愛情を感じます。テストの結果などとは
関係なくても。

「交換条件つき」報酬やその他の外的な報酬は、危険な副作用を
引き起こす可能性があるとされています。
ロシアの経済学者アントン・スボロフは、
「一度交換条件つきの報酬が与えられたら、似たような仕事に
直面したとき、
(従業員、生徒、子ども)側は、再びそれを期待し、(雇い主、教師、親)側は繰り返しそれを利用せざるえなくなる。
この点において、報酬には(麻薬のような)依存性がある」と説明しています。
また報酬への依存は意思決定をゆがめます。

鼻先にぶらさげられたニンジンは、どんな状況においても
悪影響をおよぼすわけではありません。
ただ、短絡的なものの見方を生む短期思考につながるようです。

報酬は思考の幅を狭める傾向があるのです。

さらに外発的動機づけ(具体的な交換条件つきの動機づけ)も
思考を萎縮させるおそれがあります。
遠くにあるものが目にはいらなくなり、
すぐ目の前にあるものしか見えなくなるからです。

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幼児期は、
<自律性>
<熟達>
<目的>
からなる内発的動機づけが
何より大事だな~と実感しています。

モンテッソーリが幼児の秘密として発見したことは、
幼児が絶え間なくこの<自律性><熟達><目的>を目指して
自分から外界に働き続けていく事実だったのです。

一方、発達障害のある子たちにとっては、報酬をはっきりしるして、
しつけや学習をさせることが大事な場合があるのも、
事実だと思います。
ただ、私が発達障害のある子たちと接していて感じるのは、
必ずしも、アメとバツだけが有効な子たちではないということです。
他人に認められること、自力でやり遂げることなどを通して、
報酬なしでも、自己コントロールを学んでいく子は多いのです。

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創造的で生産的な何かを生み出す会話って? 2

2011-02-12 18:09:48 | はじめに
(忘れる前に記録しておきたいので会話記事が続いていますが、月曜には幼児教育の記事を書きますね)

息子の考えはたいてい意見というより、
物を作る側、クリエイター側の目線といったらいいのか……
「ゴミの中にこそ宝がある」という感覚が基本にあります。
ですから、不満といっても、それは「次に世の中が必要としているものは何か」という指針となる「宝のひとつ」にほかならないでしょう。
「そうした日常のゴミ(不満)をどう自分の作りたいものの方へ引き込んで料理するか……」

息子と会話していると、何を話しているときも、そこに焦点があたっているんだなと思います。

「偏差値の高い学校の人たちが集まっている掲示板ものぞいたけど、会話が生産的なわけじゃないんだ。
それがさ、TRPG(テーブルトークアールピージー)をする人同士の会話だと、ネット上でも、かなり生産的な会話が成り立っているんだ。

そうだ、やっぱり、これからは「読む」より「書く」のが大事なのかな?
多読多読って世間では言うけど、いっぱい読んでも理解していない人は多いんじゃないかな。
でもさ、TRPGしている人は、それぞれが自分で小説を作りつつ遊んでいるんで、能動的に「書く」人たちは、途中で会話を混ぜ返したりせずに会話が自然に創造的な流れに乗っているよ」

「そういえば、今日、絵画展の隙間時間に
『ハイコンセプト』って本を読んだら、そこにも物語ることの大切さが書いてあったわ。
そこで注目されていたのは、商品価値を上げる際に、
人の心が理解しやすく感情に訴えることができる物語が重要だって話
だったけど。

自分で小説を作るのって、右脳と左脳を同時に活性化するんじゃないかな?
『ハイコンセプト』では、これまでの時代では軽視されて、取るに足らないとみなされてきた能力、つまり創作力や共感、喜び、意義といった
右脳的な特質が、これからの世の中で大きく飛躍できるか
もがき苦しむことになるかを決める重要な要素だとあるの。」

息子は苦笑いしながら、
「右脳かー!ぼくはどっちかっていうと右脳寄りだし、右脳派を応援したい気はあるよ。でもさ、じゃあ、右脳が大事だって人ばかりでいろいろやり出すと、やっぱり左脳派の人で回っていた時期より悪い状態になって、もとの状態に逆戻りってなるんじゃないかな?」と言いました。

「確かに、右脳的な能力が大事にされる時代が来るって話はうれしいけど、
右脳を得意とする人のダメな部分や弱点って見過ごせないところがあるものね~。自分自身がダメダメだしね……」私もため息。

すると息子がひらめいたようにこう言いました。
「教育の場って、左脳的な訓練ばかりに偏っているけど、まず最初に右脳で理解できる枠組みがあってさ、つまり知識がなくても地頭だけで考えていけば解けるような学習があって、その中に左脳的な知識や訓練が組み込まれているようなものもあっていいと思うんだ。
仕事の現場に近い学習だよね。

それと、お母さんが工作させながらやっている教え方もそうだよね。
お母さんは、よく知らない人から見ると
右脳右脳した教育やってるなって見えるかもしれないけど、物作りの中に左脳的って言われるものを細かく含めているよね。
あ~それにしても、中途半端な言葉だな、右脳的とか左脳的とか……」

そう言って、ちょっと考え込んでいたかと思うと、

さらにひらめいたように、「そうだ!ここでも新しい言葉こそ大事なんだ。右脳的とか左脳的とか言う言葉は、あまりに誤解を生みやすしし、
正確じゃない。
簡単じゃないけど、今の時代がこの言葉に求めている概念に合った新しい言葉が必要だと思うよ」と続けました。

そう言えば、ずいぶん前にも息子は「新しい言葉が必要!」と言ってました。
たかが言葉……されど言葉……なんでしょうね。
言葉のせいで不毛な議論が続いて、変革や改革ができないってこともよくありますから。

↓(以前、新しい言葉の必要性について議論した記事です。)
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「私が子どもたちに接していると、どの子もいきいきと学んでいるのに、
他の人が教えるとイヤイヤするってことが多いんだけど、
その原因の大方がその日本人の概念とか言葉の問題に由来している気がするのよね」と話し出した私。
「まず、人の欠点や問題点、できないところを指摘する言葉や、今の問題を先の不安に結びつける言葉は、家庭教育であれ、学校教育であれ、
ごろごろしている状態……。
子どもがいれば、たちまち、そうした負の言葉はいくらでも湧いてくる感があるのよね。
でも、子どもを褒めて育てるとやたら言いながら、長所に着目する、良い部分を引き出す、得意分野を引き立てるような言葉も概念もほとんどないとも言えるの……。
私は、いつも子どもたちの良い部分に着目して、それを具体的に表現する方法を模索しているんだけど、
ほとんどの教育に関わる人が、自分のこうであって欲しい形にピッタリ合ってれば、
がんばったな、よくできたね、すごいな程度の言葉で、
子どもを褒めていると錯覚しているように見えるのよ。子どもを思うように誘導するために、掛け声感覚で褒めているようにも見える。
それじゃ、褒めるという行為そのものが、貧相なのよね」

息子もそれを面白そうに聞いていて、こんな返事が返ってきました。
「今の日本語の表現にない言葉や概念を、今もこれからも新しく生み出していく必要があるよね。
最近、現代文の評論で、そういう必要性を訴えているものを読んだところだよ。
日本は、思想にしても哲学にしても、今、主流になっているものを、
自分の文化の中で長い年月かけて育ててきたわけじゃないじゃん。

できあがったものを輸入して、わかった風に使っている、
まだ幼児の状態だよね。
だから、一見、完成度が高いように見えるこの文化にあっても、
既成概念を無限ループさせていくだけじゃいけないってことだよね。
足りなさを自覚して、
文化を育てていく、成長させていく意識がいるんだよね。

特に日頃、感じているのが、無駄って言葉の使い方なんだ。
学校でも会社でも、きまりきった形が重要になりすぎたせいだと思うけど、
無駄が大事、無駄も大事って言葉をよく目にするようなったんだけど……
そこで、ゆとりって言葉も大事になったり、悪者扱いされたりしてるんだろうけどさ、
無駄が大事だから、必要のない無駄なものを増やそうって
発想よりも、
無駄じゃないこれは有意義なものだ、価値あるものだと信じているもの自体が、
もしかして無駄なものかもしれないという発想を転換した見方がいると思うんだよ。
教育現場では、固定概念がありすぎて、そうした見方をせずに、実際、無駄なものを増やして、結局、無駄はやっぱり無駄だったという結果に終わるんだよね。


そうしたことを表現するのは日本語では難しそうだけど。
英語を勉強してて思うんだけど、
外国語を学ぶって、結局は外国の言葉と概念を取り入れることに意味があるんだなって。
だからいずれドイツ語を学んで、ドイツの哲学者の文章とかも原文で読んでみたいと思ってるんだ。
もちろん、今、手にしている翻訳本には、これ以上にないって名訳がついてるのだろうから、もしぼくが原文で読めるようになっても、肌で言語を感じる程度しかできないんだろうけどさ。

話が脱線したけど、お母さんが、他の人が目で見て価値を判定しにくい事柄で、
無駄と捉えられているものに、
無駄ではなく重要性を感じていて、それを使って
子どもたちの学習を楽しいものにしているとして、
お母さんが感覚で捉えている無駄は、無駄という言葉以外のもっと
新しい言葉や概念が必要なんじゃない?」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

息子と議論することで、普段、教室をする中でもやもやくすぶっている問題に答えを得ている私。

息子の方も、会話をするうちに、飛躍的な解決法に行き着くそうです。
だからこそ、ネット上でのさまざまな人たちと交わす会話も、
創造的で生産的な何かを生み出してくれるものになればいいのに……
と感じるんでしょうね。

会話と言えば、娘や息子が幼い頃から、交わした会話をちょこちょこ記録しているのですが、今見ても面白いです。
写真だけでなく、言葉や会話で子どもの今の姿を残しておくのも楽しいですよ。

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自分の興味から出発する ・ 発明と工夫の楽しさを 

2011-02-10 13:35:00 | はじめに

写真は6歳のSくんが、以前、虹色教室で作ったプロペラマシーンを
改造してプロペラの回転速度を強くしたり弱くしたり
できるようにしてきたものです。

強弱スイッチの仕組みや
なぜ速く回転したり遅く回転するのか
Sくんは電池に流れる電流と電池の接続方法の関係を
他のメンバーにわかるように説明していました。

Sくんがこれほどきちんと理解している理由は、
こうした改造案がSくんの興味から出発したものだからです。

扇風機の強弱のスイッチに興味を抱いたSくんを、
お家の方々が工夫して強弱を帰るポイントに注意した
工作に誘ってあげたためです。

理科工作も自由研究の本を見てただ作る
のではなく、子どもの興味のつぼを押さえて
一工夫加えて工作すると、理解が非常に深まります。

身近なブロックを使って、小学生に「発明」したり「改良」したりする楽しさを
教えることができます♪

★ブロックでポラロイドカメラの仕組み1

★ブロックでポラロイドカメラの仕組み2

★ブロックでポラロイドカメラの仕組み3

★デュプロブロックで 自動販売機を作りました。小2☆くんのひらめき


★デュプロブロックで 自動販売機を作りました。前回の補足です。

★デュプロブロックで 自動販売機を作りました。ジュースが出てきました!

おまけーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
デュプロブロックでテレビを作りました

くわしい作り方



デュプロブロックで幼児用パズルを作りました。

デュプロブロックでガチャポンをつくりました

作り方の補足です

作り方の補足です 2


ブロックでたくさんの数をすばやく数える方法

デュプロブロックで小学校受験問題


デュプロブロックで 回転して飛ぶ体操選手と トランポリンを作りました♪


動くしかけです。

機関車トーマスの操車場を作りました。


作り方1

作り方2

デュプロブロックで 2~4歳児用のすごろくを作りました。


子どもの自尊感情を伸ばす5つの原則 2

2011-02-07 21:58:45 | はじめに
前回紹介した男の子のお母さんは、どの場面でも子どもの自尊感情を高めるような対応をしていました。
それで男の子は他の子たちよりできないことが多くても、
何度も練習してでも、
できるようになるまでがんばろうとする前向きな気もちを持っていました。

『自尊感情を伸ばす5つの原則  親から子へ 幸せの贈り物』
玉川大学出版部

という本のなかに、自尊感情の高低を調べる小学生向けと中学生向けのチェックシートがついていました。

それを目にしてショックを受けたのは、
最近の子どもたち、小中学生といわず、幼児にも非常に多くの子に見られる特徴というのが、
そのまま自尊感情の低さを表すものとしてしるされていたことです。

低学力、青年の犯罪、薬物中毒、抑うつ、そして自殺といった問題と、自尊感情の低さは、研究者や専門家によって相関があると指摘されています。
自尊感情が低いと、人生の問題やフラストレーションにしっかり対応できません。
自尊感情が低いと、強くて優しく、責任感と哀れみを持った心が育ちにくくなります。
自尊感情が低いと、子どもは充実した意味のある人生を歩めなくなると言われています。

そんなにも大切な「自分は有能で価値がある人間だ」と自分を肯定的にとらえる自尊感情。
それなのに、何のハンディーキャップも持っておらず、知的な面でも優秀な子であっても日本で暮らすほとんどの子が、自尊感情の低さを表すとされる特徴を持っていることに、心が痛みました。

自尊感情を調べるチェックシートから……どのような特徴が自尊感情の低さをあらわすのか取り上げてみます。

★自尊感情が低い子は、何かしようとしたとき、むずかしそうだと、ほかの人に手伝ってもらいたくなります。

★自尊感情が低い子は、自分でしなければならないことでも、親や先生から言われないとしようとしません。

★自尊感情が低い子は、ほかの人をとてもうらやましく思います。

★自尊感情が低い子は、正しいと思うことも、反対されるとやりとおしません。

★自尊感情が低い子は、自分がほかから尊敬されるような人間になるだろうと思っていません。


次回に続きます。

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『プロウ゛ォカティブ・シンキング 面白がる思考』  4

2011-02-07 09:57:36 | はじめに
今の時代の空気や消費、ビジネスセンスといったものへの感性と言えば、
ファンシーショップをしていた時期は、
私も自分の女性的な直感的な勘をフルに使って仕事をしてはいました。
そして、それがまあまあ良いところを突いて当たってもいました。

でも、平成生まれの娘や息子と話をしていると、
そういう私の直感なんかとは根本的に異なる
『今の時代』が血となり肉となっているような感じ方や考え方とぶつかって
面食らうことが多々あるのです。

それは娘の場合でしたら、ひとつには
自分たちの世代の持つ『もろさ』や『コンプレックス』を十分承知していて、
それが消費活動に投影されていることもよくわかっていて、
次には何が売れるのか、何が流行するのかよくわかっている感性といったらいいようなものです。

「クラスで10番目に可愛い子」を集めたというAKB48のコンセプトが、
「完璧を求めて背伸びするのはしんどいし、あるがままの自分を認めてほしい、
だけど注目されて成功したい」という自分たちの潜在的なニーズとつながりあっていることが、
流行る前からわかっている感性とでも言ったらよいでしょうか。

もうひとつは、ブランド物に子どもの頃から触れていたゆえか、
ビジュアル世界の進化の中で育ってきたゆえか、
『クオリティーの高さ』というのはどういうものか、世界中のデザインに好奇心を広げつつ、その質が何ゆえにいいのか感覚的にわかっている感性。

また別に、常に欲望をそそるコマーシャルを雨のように浴びて育ってきているだけに、
何が人の購買意欲をそそるのか、単なるキャッチコピーのようなものを超えて
よくわかっているところがあるのです。

息子の場合、
多すぎる情報の中で、優れた消費者になるよりゼロから作り出す生産者なることの方に魅力を感じていました。

一方で、さまざまな情報を自分の手足のように使っていくところが平成生まれの子だなぁとしみじみ感じます。

写真は、小3のとき、息子のもとに明糖製菓から届いたお菓子の詰め合わせに入っていた手紙です。

ちょうどその頃、私が公募にはまっていて、
私は文章で、娘は地域のビジネスアイデアコンテストのようなもので
賞をいただいていたときでした。

他人のしていることに乗っかるのが嫌いな息子は無関心を装っていました。
が、ある日、自分が食べているお菓子のパッケージをまじまじと見つめて、
「お母さん、ここに書いてある住所は、お菓子を作っている会社のものだよね。お客さま相談室って、お菓子を食べた人が感想を送ってもいいんだよね」と言うなり、自分が考えた『ぷくぷくたい』の新しい食べ方や活用法をへたくそな字ではがきに綴って、その住所に送っていたのです。

「よくそんなこと思いつくな。でも、そんなの読んでもらえるのかな?」とそのときは誰も気にもとめていなかったのですが、
とても親切なお客さま相談室の手に届いたらしく、
後日、息子のもとに、
小ぶりな段ボールいっぱいのお菓子の詰め合わせと、
ていねいな手紙が届いたのです。

そんな風にさまざまな情報をごく身近に感じて育った息子。

先日もこんなことを言っていました。
「今は簡単に音楽をダウンロードできるけれど、一方で、CDやレコードを一枚一枚購入していた時代の、自分個人の物を買ったというリアルな実感が価値を持ってきているように思うよ。
CDについている歌詞カードなんて、作るのにかかる費用なんてしれたもんなのに、そんなもの1枚がヤフーなんかでCDが売買される際には、大きな金額の差を生んでいる。

いろんな情報をシェアする時代だからこそ、自分のもの、自分のために買ったものという証明のようなものがほしくもあるんだ。
なぜ、多くの人々がキャラクターを愛するのかといったことも、その根底にある意味をつきとめていったら、求められているものが見えてくると思うよ。

たとえば、ホームページビルダーなどのアプリケーションを、みんな道具として捉えていて、そこに自分の物を買ったという満足感を見出しにくいよね。

でも、そこに一昔前の人々がCDやレコードを買ったときに感じたような付加価値を付け加えると、またちがったものになってくると思うんだ。
たとえば、ホームページを作るアプリケーションなんかを、個人の好みや趣味に強く訴えるもので、選べて、組み合わせが楽しめるようなものにするとかさ。
もうすでに、そんなことを考えている人はけっこういるのかもしれないけど、そういうものを、単にこれまでの模倣ですればうまくいくわけじゃないよ。
まったくこれまでにない新しさと気づかれていなかったけど大事な古さが両方必要なんだ。」



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『プロウ゛ォカティブ・シンキング 面白がる思考』  3

2011-02-06 22:14:55 | はじめに
幼児教育についての話は明日にでも書きますね。

わが家は子どもたちが大きいもので、このところの家族内で飛び交っている会話のほとんどがビジネスネタになっているので、ついブログまでそれに染まってきています。(幼児教育の話、待っている方すいません~)

今朝、『ルソンの壷』で、「三日月百子(みかづきももこ)」という創業12年で年商28億円の売り上げを誇る300円均一ショップが取り上げられていました。
従業員の98%という女性の「感性」を武器に、女性の心をくすぐる品揃えで不況を生き残るビジネスモデルを確立したとされる物河昭社長。

これを見ていて、ファンシーショップをしていた頃のことが懐かしく思い出されたのと、
ファンシーショップの話 1
ファンシーショップの話 2
ファンシーショップの話 3

会社で働く若い女性たちを見て、うちの娘の姿と重なったのとで、思わずテレビ画面に食いついていました。

物河昭社長は、あるとき、若い女性従業員に仕入れを任せてみたそうです。
すると、女性が直感的に「かわいい!」と仕入れてくるものは社長が絶対選ばないような妙なものが……。
でも、それがあっという間に完売することを繰り返したそうです。
たとえば、20代前後の女性客がターゲットの店に、「ままごとセットはないでしょ?」と社長は思うわけだけど、
そんな男性の感性では「ありえない」ものが、どれもこれもすぐに売り切れてしまう訳です。そこで、社長は、仕入れから店の飾りつけから何から何まで女性陣に任せていって、年商28億円を誇るようになったそうなのです。

この「かわいい!」を嗅ぎ分ける感性は、女性の、それも若い子たちにはかなわないのかもしれませんね。
「三日月百子(みかづきももこ)の女性従業員の年齢は、うちの娘とあまり変わりないように見えました。

最近、海外留学の準備をしたり、将来の夢のためのトレーニングをしたりと、夢に向かって邁進する親しい友人たちの影響を受けて、
ちょっとあせっている様子の娘。
「何か特技を磨きたい。資格を取りたい。やっぱり英語かな?それとも文学全集読破とかして、自分を内側から高めた方がいいのかな」と迷いを口にします。
他人に誇れる何かを持ちたい、今の自分のままじゃダメだ……そんな風に悩む年頃なんですね。

親とすれば、いっぱい悩んで、いろいろやってみて、挫折したり、失敗したり、悩んだりしながら、少しずつ自分を確立していって欲しいと望む反面、
『今の自分のまま』の娘も、十分すごいんだけどなぁと感じています。

といっても、私が娘に対して「すごい」と感服している力というのは、
学校のような場で評価される能力じゃないし、資格でも受賞歴でもないし、
芸術やスポーツの才能でもないのですが……。

ならその「すごい!」って何なのか? と言えば、
今朝のルソンの壷を見て、「そうそうコレコレ!」と指をさしたくなったほど、「三日月百子(みかづきももこ)」で仕入れや飾り付けに手腕を発揮する
「かわいい!」にビビビッと反応する女の子たちの姿と重なったのです。

従業員の女性たちって、女の子たちに「私を買って!」アピールするかわいいもの、きれいなもの、ブランド品、面白いもの、100円グッズに囲まれて
育ってきたうちの娘たちの世代の子らなんですよね。
進化するカラオケやコンビニや旅行パックやらを友だちと便利に利用し、携帯だ、ミクシーだ、音楽のダウンロードだと、めまぐるしく変わるツールを当たり前のように使って暮らしている世代。

うちの子たちは2人とも、世間から学力低下の全責任を負わされている『ゆとり教育』にどっぷりつかって成長してきました。

子育てを振り返ると、学校でどんな教育を受けていたかということより、
子どもたちが消費のターゲットとなり、
子どもの世界に堰を切ったようにブランド品やら、ファンシー文具や、エンターテイメントの遊技場やケーブルテレビ、ビデオレンタル、携帯電話などのITグッズ、ホストやホステスを子どもの憧れに祭り上げる風潮やら、
が流れ込んできたことしか記憶に残っていないのです。

そんな急激な大人世界の子ども世界への奇襲攻撃にさらされながら、
それ以前の子どもたちとは180度異なる子ども時代を生きてきたのが、
このゆとり世代の子たちとも言えます。

これって未開発の地で、現地の人が自然相手にバランスよく暮らしていたところに、大量の物が流れ込んできて、あまりの誘惑の多さに惑わされて
それまで継承されてきた堅実な生活が成り立たなくなった様子とよく似ています。
経済の発展には仕方がないことなんでしょうけど、
ゆとり教育の世代が、勉強しないのは、教科書が薄くなったからではないな……というのは現場で子育てしていると、一目瞭然のことなのですがね……。

(話が、ちょっとそれますが、脱ゆとりを掲げて学力低下を食い止める策が練られて、テストの点という部分だけ見ると、子どもたちがしっかりしてきた印象があるかもしれません。
でも、子どもに関わるボランティアなどをしている人々が口をそろえて嘆くのは、ゆとり世代の子よりはるかに幼くなった依存的で無気力な脱ゆとり後の子どもたちの姿です。
そうした現実を現場で見つめることなく、テストの点だけで子どもを操作しているつもりになるのは危険だなと感じています。)

あんまりよく言われたためしがない平成生まれの子どもたち、
学力や常識は欠落しているのかもしれないけど、
今の時代の空気や消費、ビジネスセンスといったものへの感性は、昭和の時代に育った私などとは比べ物にならないような敏感さを持っていて、
びっくりしてしまうことも多々あるのです。

娘(月の小遣い千円です)が小6のとき、
「お母さん、●●ブランドの髪留め、2個1500円もするんだって!!友だちと買って1個ずつ分けようって相談しているんだけど、買ってもいい?」と聞かれたときは驚いたものの、
「自分のお小遣いで何とかするんでしょ。なら本当にそれだけの価値があるのか試してみたら?」ちょっと呆れつつ返事を返した覚えがあります。
すると、その後も好奇心を刺激するものをいろいろ試すものの、
けっこう財布の紐は難くて、
商品やサービスを見比べる目だけをどんどん高めていく娘の姿がありました。

次回に続きます。


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