虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

幼児に算数を教えるときのコツ

2011-07-31 19:47:17 | 算数
☆2~3歳の子のための論理的数学能力を伸ばす遊び

☆論理的に考える練習♪ 5歳


☆幼児のための表の読み方を学習するゲーム

☆最レベの算数を上手に教えるコツ1  くふうして解くってなあに?

☆ドッツ遊び進化型♪ 両替ゲームをしました♪

☆文章題が得意になるちょっとした工夫♪


 『東大人気教授が教える思考体力を鍛える』  4

2011-07-31 14:55:29 | 教育論 読者の方からのQ&A
 『東大人気教授が教える思考体力を鍛える』 で挙げられていた思考体力の3つ目は
「疑い力」でした。

とても共感できたのは、
西成活裕氏が「疑うべきだ」と言っているが、

周り人ではなく「自分の思考」だとおっしゃっている点です。


西成氏いわく、「まずは自分の思考を疑う」ことが大事なのだそうです。



「疑い力」といえば、幼い子は「なぜ?」「どうして?」とよくたずねますよね。

「なぜ?」「どうして?」と聞かれたときは、

正しい答えを教えるのではなくて、

その「なぜ?」という気持ちを追っていくためのヒントになる
「目に見える方法」を
教えています。

子どもって、おひさまや月や星について、「どこに行ったの?」「どうして光っているの?」
「どうして、ぼくについてくるの?」とたずねることがあります。

相手が幼児の場合、そんな時には、図鑑で正しい知識を教えるのではなく、
物を使ってわかりやすく原理を説明するのでもなくて、

「そういう疑問を持つ子なんだな」「今、そうした疑問について、いろいろ考えてみたい時期なんだな」
ということを大切に受け止めるようにしています。


そして、目で見て、手で操作できることで、
「どこに行ったんだろう?」「どうして光るんだろう?」「どうしてついてくるんだろう?」という疑問が
いろんな場面で探求できるように
工夫してあげます。
そこでは、おひさまや月や星についての
正しい原理は、いつかまた先に理解することとしてそっとしておきます。

子どもが自分の頭で考えて喜ぶ「どこに行ったんだろう?」は、

部屋を暗くして
懐中電灯で光を移動させていって、途中でライトを消したり、

ボールを投げて、どこかに落ちて見えなくなったり、

お味噌汁の中に具を入れて見えなくなったりするような

わかりやすい場面です。

たとえば、お味噌汁の色のせいで、具が見えなくなっているのは明らかなのに、
子どもからは、「見えなくなったね~。熱いから、消えたの?」という質問がくることも……。

このくらいの疑問も、本気で頭をしぼることができる点が
子どものすばらしいところなんです。

「お月さまは、どうしてついてくるんだろう?」と疑問についても、
それは置いておいて、ボールにひもをつけて、子どものずぼんに結んでから、
「あっ、ボールがついてくるけど、どうしてかな?」とたずねると、本気で答えを考えるはずですよ。



「うちの子は、なぜ? とか、どうして? という疑問をあまり口にしません」とおっしゃる方もいますが、
子どもと何かを覗きこむとき、
子どものまなざしや表情そのものが「なぜ?」を表現していることなら
よくあるはずです。

そんな時に、びっくりマークになっている表情に向かって、
「なぜだろうね」「どうしてだろう?」と問いかけていると、
疑問についてじっくり考える習慣が身についてくるかもしれません。



歴史 地理 理科 を 五感で味わう

2011-07-31 13:26:34 | 通常レッスン
見る、聞く、においをかぐ、舌で味わう、手で触れる……
と、五感を通して、さまざまな体験をした後で、
関連することを調べたり、同じ仕組みを手作りしてみたりして、
体験を広げます。

手回し蓄音機で、レコードを聞きました。

科学クラブでは、
こうした音を聞く体験の後で、楽器を作ったり、虫が音を出す仕組みを再現したり、
耳の内部に音が伝わる仕組みを物で再現したり、
音を伝えるさまざまな道具作りをしたりして遊んでいます。



地域のおみやげをいただいたり、地方の駅の切符やスタンプを持ち寄ったり、
買い物してきた商品の生産地を調べた後などに……。

特産品で郵便遊びをしたり、駅でもらってくるパンフレットで地域別の本を作ったり、
地理のカードでカードゲームをして遊んだり……。



「たくさんの水に角ざとう1個を入れた時と、少しの水に角ざとう1個を入れた時では、
どちらが甘いでしょう?」
とたずねると、
4、5歳の子どもたちは、たくさん水が入っている方を指さしました。

そこで、水をたっぷり入れた紙コップと、水が少ししか入っていない紙コップを用意して、
ガムシロップをそれぞれに1個ずつ入れて、実験しました。

子どもたちに、「どっちが甘い?」とたずねると、「こっち!こっち!」と
少ない水の方を指して、笑顔でした。


他に、砂糖水とすっぱい水(レモン水など)を用意して、
舌のどの部分が一番甘く感じるか、すっぱく感じるかを調べるのも
楽しいですよ。



『東大人気教授が教える思考体力を鍛える』  3

2011-07-30 22:42:53 | 教育論 読者の方からのQ&A
『東大人気教授が教える思考体力を鍛える』 1

『東大人気教授が教える思考体力を鍛える』  2


の続きです。
タイトルに体感で教える幼児の算数……と入れていたのですが、
本の話題だけで長くなってしまったので、また別の記事で書きますね。


手回し蓄音機をいただきました。昔の機械は、見るだけで、「こういう仕組みで音が出るのかー」と
納得できるような作りになっていますね。

『東大人気教授が教える思考体力を鍛える』 では、
「思考体力」の2番目に、

「多段思考力」が挙げられていました。

多段思考力とは著者の西成氏によると、
「あきらめずに考え続ける力」なのだそうです。

思考体力の中で、もっとも継続して必要とされる力が、この「多段思考力」なのだとか。

一方、情報発信者が背景などを省略して短くまとめた結論を、
正しい情報として取り込んでしまうのを

「タブロイド思考」といい、思考体力を衰えさせる原因となるようです。
これは、単段思考とも言えるそうです。

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たいていの人は、「早く」「得して」「楽に」したいと
考えがちです。
でも、「多段」で考えていくには、先ほどの例のように、頭を柔軟にして

「遠回り」「損」「手間」を含めた幅広い発想をすることが大切です。

その中から、本当の最善策が生まれるからです。

(略)

人は元来、楽をしたい動物です。問題が生じても、

面倒くさいことは速く終わらせたいから、どこかで落としどころを

見つけて納得してしまおうとします。

多段思考は普通、したがらない。

しかし、多段思考をせずにいると、複雑なことが一切考えられなくなってしまいます。

     (『東大人気教授が教える思考体力を鍛える』西成活裕 あさ出版)
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小学生の日帰りレッスンで子どもたちと接していると、

学校での成績はきちんと取れているしっかりした子たちの

思考を持続する力の弱さに驚くことがたびたびあります。

たとえば、一本のひもを用意して、「こっちのひもの方が、長くなるように切り分けることができる?」

とか、

10個のお菓子を用意して、「2人のうち一人の子が2個多くのるように分けることができる?」

とか、

「紙を切って、箱の形を作ることができる?」
といった質問をすると、

物を触りながら1分間、考え続けることができる子がほとんどいないのです。
すぐにでたらめな答えを言って、正しい答えを教えてもらいたがったり、
「こんなの学校でやったことがない」とむくれたりします。

お菓子を分けるだけ、ひもを切るだけのことでも、
「ああかな?」「こうかな?」と考え続けることができなくなっているのです。

小学校低学年は、読み書き計算とか、易しいものを繰り返しすると
学力がついてくると信じている方々は多いです。

でも、頭を一定時間、何かに集中させておく持続力を育てないまま
そうした訓練を積むと、
それこそ、「タブロイド思考」が身について、単段思考しかできなくなってしまうんじゃないかな?
と気がかりではあります。

私が幼児たちと工作をして、できるだけそれを発展させて仕掛けを作ったり、

モーターや磁石やライトを取りつけて、工作の中で問題を解決していく機会を与えているのは、

幼い子だって、そうした形なら、

多段思考力を磨いていくことができるからでもあるのです。

知識を与える前に、考えるための頭の体力のようなものを
鍛えるのに、創作活動はピッタリなのです。

アトリエなどで自由に自分を解放させるように造形活動をするのもすばらしいけれど、

頭の使い方を洗練させていくために

家庭で親子でおしゃべりしながら工作するのも、
とっても楽しいし、大切なことだと思っています。












子どもの近くにいる大人に必要な隙ってどんなもの? 2

2011-07-30 16:04:17 | 教育論 読者の方からのQ&A
子どもを成長させる大人の側の「隙」って、どんなものかというと、
具体的に言うと、たとえば次のような場合そうじゃないかと感じています。

6月のユースホステルに参加してくれていた2歳の■くん。

語彙の量が多くて、知恵がしっかり育っていました。
内向的で考えることが好きな性質だけど、外の世界に積極的に関わっていくところもあり、
甘えるときはたっぷり甘えて、
日々、健やかに成長しているのがわかりました。

■くんのお母さんの話では、ご近所中のお年寄りが
総出で、■くんを可愛がっているそうです。

それと「隙」にどんな関係があるのかというと……

今の時代、赤の他人のご近所さんから、
「可愛いね」「可愛いね」と幼いわが子の相手をしてもらうことって、
なかなかできないと思うのですよ。

ご近所付き合いに対して何となくわずらわしさもあるだろうし、
1、2歳児も習い事やら、サークルやら、公園通いで忙しいですから。


近所のおじいちゃんおばあちゃんが
暇にまかせて子どもを構って 可愛がる姿を、
リラックスして楽しみながら眺めようと思うと、

「意識できる範囲での理想的な子育て」から、

ちょっとはみ出している部分も
大らかに受け入れていく感性が必要になってくると思うのです。

でも、そうしていろんな人から大事にされることは、
同年代の友達とたくさん遊ばせる以上に、
いろいろな習い事に連れていくよりもっと、子どもの言葉や知恵を育て、
人への信頼感や社会性を育むための助けになる場合も多々あるのです。
おまけにタダ。
「助かるわ~」とリラックスして、親御さんが
そうした親切に甘えることができるとしたら……。

子どもにとって良いものとか、子どもを成長させるものって、
世間一般で「子どもにとって○○がいいらしい」と捉えられているものの
枠外にあることの方が多いように思うのです。

たとえば、子どもを本好きにしようとして、本の読み聞かせをするよりも、
親が本好きで、子育てから解放される時間に、自分のための読書を楽しんでいる姿を見ていた方が、
子どもが本好きに育つ場合もよくあります。

大人の視線が子どもだけに注がれているのでなくて、
大人自身の知的な好奇心で外の世界に向かって広がっているなら、
子どもは自然とその視線の先に自分の興味を広げていくものですよね。

子育てをするとき、もしていねいに愛情を込めて育てているとすれば、
後はそうした良い育児に、時折、小さなほころびとか、小さな隙のようなものがあれば、
いいんじゃないかなと私は思っているんです。

たとえば、この間のユースホステルでこんなことがありました。
年長さんの●くんがカブトムシを2匹描いて、それを木に登る仕掛けを作って
動くようにしてほしいと頼んできました。

そこで、私は大雑把に2匹のカブトムシを切り抜いて、
1匹に糸を貼り、糸の一方を曲がるストローに貼りました。
曲がるストローを茶色い色画用紙の上部に付けて、
くるくる巻きあがる仕掛けを作ってあげました。

すると、●くんは大喜びで、「もう1匹は?」とそちらにも仕掛けをつけてもらいたそうでした。

が、他の子の頼みごとを聞くうちに、
●くんの「もう一匹のもして!」という願いは、そのまんまになっていました。
●くんは、もう一匹のカブトムシを手にして繰り返し、
「これは、これはどうなるの?」と言っていました。

「ちょっと待っていてね。次には、それにも仕掛けをつけてあげようね」と答えた時、
●くんは、「あっ、そうだ!」とひらめいて、「これにテープで付けるといいよね」と言うと、
1匹目のカブトムシのお尻に2匹目のカブトムシの頭を貼りつけました。

すると、巻き上げ機を回すと、2匹同時に上に登っていきました。

そこにいた一同、大感激!
自分のアイデアで、うまく問題を解決した●くんは、とにかくうれしくってうれしくって
飛び上がらんばかりの喜びようでした。

すると、その傍らで、年中さんの○くんが、自分の描いたカブトムシを切り抜いていました。
細い足も角の部分も、それはていねいに細かいところまで
切り抜いています。
私の大雑把な切り方と大違い。

●くんと○くんの姿を見て、私は自分の持っている「隙」に感謝しました。
自分の側に、どこか不格好なちょっと足りない部分を残しておけば、
子どもに花を持たしてあげることができるなぁっと。
(そういうこととは別に、物忘れと家事の怠け癖はビシッと直したいところですが……)

子どもにすれば、大人から「自分で考えなさい」なんて指示ない時に、
「そうだ、自分で考えればいいんだ!」ってところから 自分で思いついたら、
とってもうれしいですよね。

それに、「先生より上手に切っちゃうぞ」というのも、
やりがいのある仕事でしょう。

そんな風に、「そう出たか!」と大人の方が虚を突かれるような
子どものアイデアや考えが生かせる場面というのは、大人が気付いていない
大人のコントロール下にない「隙」にあるものですね。

子どもの近くにいる大人に必要な隙ってどんなもの? 1

2011-07-30 12:37:51 | 子どもの個性と学習タイプ
子どもの性格タイプについて考えることで どんないいことがあるの? 8
という記事で、子どもの発達を促すために、
ちょっと手を抜いて、あえて隙だらけで接する面も作って、
子どもが自分で自分を作り上げていくのを見守ることも大切といったことを書かせていただきました。

でも、それだけでは言葉足らずで、
どういう意味なのかピンとこなかった方もたくさんおられたことと思います。

そこで、もう少しくわしく説明させていただくことにしました。

ずいぶん前に、「よく見ることは、あまり見ないということ…?」という記事を書いたことがあります。
この記事の「あまり見ない」という姿勢が、今回、書こうと思っている隙を作るということと
近いかもしれません。

↓過去記事です。

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このブログでは、何度も、
子どもを「よく見る」とか、「よく観察する」ということを
書いているのですが、
この「よく見る」ということほど誤解されやすいことは
ないような気がします。

「よく見る」というのは、ただ目の前の子どもの行動を
より細かいところまでチェックするという意味ではないのです。

むしろ普段、それまでの自分の思い込みや先入観という色眼鏡を通して、
近すぎる位置から子どもを眺めていたのを、
かなり後ろまでさがって、
ぼんやりした視界の中で見直してみる。

理性で見ていたものを、
感情や直感を通して眺めてみる。

自分が子どもにとって全てを知っている神様みたいな位置で見ていたものを
意識して「見ない」部分を設けて見る。

そんなさまざまな「見る」の形は、
極端に言うと、「よく見る」って、「あまり見ないこと」なんだ~
とも言えたりするのです。

どうしてこんなことをするかと言うと、

子どもって
いずれ変化して成長していく存在なので、
今、現在の様子を数値化するような形で観察してしまうと、
とんでもない間違いをおかしてしまうからです。

例えば、パンダの赤ちゃんってすごーく小さいのはご存知ですよね。
そのサイズとか、能力とかを
細かく観察して、あひるのヒナと比べるとします。
すると、いずれこうなるに違いない…
と思う予測が、巨大なアヒルと手乗りパンダ…みたいに、
ケタ外れにおかしなことになってしまうんです。

ですから、よく観察するというのは、

自分の見方の偏りを修正して、
大きな視野で心で見る

ということでもあるんですね。
つい子どもの行動にうんざりしたり、叱ったりすることが多くなっている時は、
それが必要だと思います。

それと大事なのは、
「あえて見ない」
と言う事です。

過干渉の害は分かっていても、
子どもを見るという事に関しては、ついつい行き過ぎが起こりがちなのが
今の時代です。
でも私達の子ども時代も、
自分の失敗やら、欠点やら、発達途中の多くの事柄を、
隅から隅まで親に把握されていたとしたら、
きっときちんとした大人になれなかっただろうし、
生きることにうんざりしてしまったように思うのです。

私たち大人が、今を元気よく生きれているのは、
大人の目が、「ふし穴」だったからでもあるんですね。

現在は、軽度発達障害児の問題行動なんかも、
つぶさに大人に観察されています。
特別な配慮が必要なので、
それも大切だったりはするのです。
でも、それが、かえって子どもの成長の足を
引っ張っていないのでしょうか?

昔は、子ども時代、大人の見えないところで
たくさん悪さをしながら過していた人も、
大人になるとしっかり生活している方がたくさんいたように思います。

今は、見ることによって、
大人たちから投げかけられる醜い未来像のせいで、
そのイメージどおりの悪い未来を歩んでいる人が多い気がします。

見るとき、理性で見ることと、
感情や直感で見ることのちがいを例にあげると、
こんなことがあります。

刑務所に入っている人に対して、
感情や直感を通して見る時には、
その人が、きちんと人生を建て直し、
心を愛情で満たして人間らしく生活する姿が見えると思います。
しかし、理性で数値化しながら見るならば、
今現在の問題点ばかりが目に付いて、
一生そのまま犯罪にまみれて生きる姿しか見えないと思います。
そしてそういう見方が、その人の人生を決定付けてしまうように感じます。

それは極端な例ですが、
子どもに対しても、
近視眼的に見すぎることは、
未来に悪い影響を及ぼすこともあることを
わかっていただけたのではないでしょうか?

知人の陶芸の先生の息子さんのことでこんな話を聞きました。
その子の偏差値が30台だった時、
その子が医学部に行きたいといったので、
周囲の人はバカにして笑ったそうです。
でも、お母さん(陶芸の先生)だけは、
その子を正しく見ていて、
「きっとあなたなら行ける」と応援していたそうです。
その息子さんは、最終的に京大に進まれました。

よく見るということは、こういうことだなぁと思っています。

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それでは、隙とは具体的にいうとどのようなことで、
どのような効果があるのか、
次回に書かせていただきますね。


単位の変換  忘れない覚え方

2011-07-29 18:19:35 | 算数

1リットルは何デシリットルか?

1センチは何ミリメートルか?

100だったけ?
10だったっけ?

とこんがらがって間違いやすい単位の変換です。

忘れないためのコツを教えますね。

牛乳の1リットルのパックは
どこのお家にもありますよね。
これが1リットルであることを、牛乳パックを出すときに
何度か言うようにします。

「これが1リットルか~」とわかった時点で、
「1リットルは何デシリットルでしょう?」という問題を出して
「ヒントは手の指です」と言います。

子どもは「5?」とか「えっ、10?」とか答えることと思います。

そこで、「10!両手で10!」と言って
しっかり10の手を見せてあげます。
そして、「1リットルは、10デシリットルです」と牛乳パックを見せながら言います。

こうして、牛乳パックと、広げた手を目に焼き付けておくと
めったなことで忘れません。

子どもは、1メートルは100センチメートルということを
習ったとたんに、それまで覚えていたものも
たちまちあやふやになってきて、「どうだったかな?」となってしまいがちです。

数字だけで暗記させるのではなく、
目で見る記憶に残すようにするのが、忘れないためのポイントです。

1センチは10ミリメートルの場合、
物差しを使う時に、
1センチを10に分けているミリの目盛りに注目させて、
「1センチメートルは、10ミリメートルよ」と、
手で10に包丁で切る真似と、両手で10を作って見せるようにしていると
忘れません。

子どもたちと工作しているときに、
私はこうした単位の変換や角度(親指と人差し指で90度を作って見せるなど)を
記憶に残る形で、
何度も見せるようにしています。


『東大人気教授が教える思考体力を鍛える』  2

2011-07-29 15:50:37 | 教育論 読者の方からのQ&A
前々回の記事の続きです。

東京大学で数理物理学者として教鞭をとっている西成活裕氏は、

様々な分野の方と仕事をするうち、いわゆる「成功する人」に共通点があることに気付いたそうです。

西成氏いわく、

成功している人たちにはみな、「思考体力」がある

のだそうです。

思考体力とは、簡単にいえば「考え続ける力」のことで、それさえあれば、
どんな困難も切りぬけられる力です。
思考体力は、年齢や環境にかかわらず、運動の体力と同じように、トレーニングによって
誰もが伸ばすことができる力なのだそうです。

『東大人気教授が教える思考体力を鍛える』(西成活裕 あさ出版)で紹介されている
「思考体力」とは次の6つ。


 1 「自己駆動力」
 2 「多段思考力」
 3 「疑い力」
 4 「大局力」
 5 「場合分け力」
 6 「ジャンプ力」

著書には、1の「自己駆動力」を、まず身につけるべきだと書いておられます。

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前者が熱中できないのは、人から命令されてやっている「他己駆動」だからです。
後者のように
自分から積極的に関わっている仕事、「自ら」の思考を
能動的に働かせる「自己駆動」がある仕事であれば、やりがいがあって、
熱中もできるのです。

(略)

外から来るものに対して、ただ従うのではなく、
自分から発し続け、動き続けるのが
「思考体力」の原点です。
「考え続けること」は「自ら発し続けていくこと」なのです。

(略)

能力に大きな差がなければ、主体性を持って「動ける人」のほうが大きな成果を
生み出せるのです。


   (『東大人気教授が教える思考体力を鍛える』西成活裕 あさ出版 P36)
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「自己駆動」で動くとは、つまり、内発的動機をもとにして
主体的に何かすることですよね。

↑の本は、「自分の暮らし方の指針に!」と読んでいたのですが、

「幼児や小学生と接するとき、どんな力を育んでいけばいいのか」という面でも
いろいろ考えさせられました。

子どもに「自己駆動」で動く力をつけていこうとしても、
子どもが自分でやりたいことを見つけて、それに主体的に関わっていくことができるような
場所も時間もどんどん失われつつあるのです。

「友だちといっしょに過ごす時間を作ってあげようと思うと、
習い事に行かせるくらいしか方法はありません」という声も聞きます。
習い事の場は、たいてい「他己駆動」で活動する場です。

もちろん、「他己駆動」でする活動でも、学ぶことも得るものも
あります。
でも、幼児期には、

自分で興味を持って、自分でやってみて、自分でいろんな感情を味わって、
自分でやめるときを決めて、自分を外に思いっきり発信してみて、
それに対して返ってくるフィードバックを受け取る

という体験を、
それこそ飽きるほどさせてあげたいと思うのです。

「しつけ」とか「教育」というのは、

世界に働きかけている「自分」という存在を

そうした活動を通して実感できるようになってはじめて、

外から少しずつ働きかけていくものではないでしょうか。

幼児にも関わらず、自己駆動で動く時間よりも
他己駆動で動く時間の方が長くなっているとすれば、
バランスの悪さを感じます。
大人の接し方や環境が
子どもの将来の生きる力をつぶしてしまわないように
気をつけないといけませんよね。



次回に続きます。





科学クラブ の 算数タイム

2011-07-29 13:40:06 | 算数




今日は夏休みの日帰りの科学クラブ(小学1、2年生)の日。
スライムで遊んだり、結晶作りをしたり、電子ブロックで遊んだりして盛り上がりました。
学習のテーマは、「水の質量の測定」と「単位の変換」と「線分図」と「物の分け方の工夫」でした。

実験をするとき、尿素やミョウバンなどの材料を使うたびに、箱や袋を指して、「何グラムでしょう?」と
量を当てるクイズを出していると、
袋や箱に書いてある表示を読んで、「○○グラム!」とすぐに答えるようになってきます。

そんな風に実物を見て、量を当てて遊んでいると、
「今日、使う固形の発泡材は40グラムだけど、それをふたつ分と、100グラムのミョウバンでは、
どちらがどれだけ多いの?」といった質問や、
「このシリンダーで測り取れるもっとも多い量は何ミリリットル?
試験管は30ミリリットルまで水を入れることができるから、そのシリンダーを使うときに、
注意することは、どんなところ?」
といった質問にも、たいていきちんと答えることができます。

実物に触れながら遊んで熱中しながら頭を使うのは、
本当に大切なことだと感じています。



11個のきびだんご(岡山から来てくれた子のおみやげです)を
分ける方法を考えています。

「一方の子がもう一方の子より、3個多くなるように分けるには?」という問題に
1、2年生たち、全員、苦戦していました。



最後に短い一人芝居をしてみせて、
「そうだ!3個、私の方が多いんだから先に3個取って隠しておこう。それから、お母さん、残りを分けて!って言って
分けて、ほら、私の方が3個多いように分けることができた!」と説明すると、
子どもたちは、「ずるいー!」「ずるー!」と大騒ぎしながらも、
分け方を即座にマスターしていました。

でも、こうして簡単に種明しをしてしまうと、できるようにはなっても、
ねばり強く考える力がつかないので、
注意が必要だなとも感じました。


まだ学校での学習がスタートしていない幼児期は特に、
先に進ませることよりも、
自分の頭で考える際の持久力をつけていくことが大事だと
感じています。


『東大人気教授が教える思考体力を鍛える』  1

2011-07-29 07:27:05 | 算数


『東大人気教授が教える思考体力を鍛える』(西成活裕 あさ出版)を読んで、
とても共感しました。

幼児や小学生といっしょに過ごしている時、
私がいつも、著書で取り上げられている思考体力と呼ばれるものを
使う場面がたくさん生まれるように気を配っているのです。

それがしっかり鍛えられるための
遊びや体験の質にも工夫をこらすようにしています。

これまで、私はそれらをこの本とは別の言葉で捉えて意識していたのですが、
「自己駆動力」「多段思考力」「疑い力」「大局力」「場合分け力」
「ジャンプ力」という言葉でそれを見直してみるのも面白いなと感じ安した。



著者の西成活裕氏がおっしゃる「思考体力」とは
次の6つの力です。

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1 行動を促すエンジン部分       「自己駆動力」

2 思考の段階を上り続ける       「多段思考力」

3 立ち止り、思考のループを回し続ける 「疑い力」

4 時間と空間を見渡す         「大局力」

5 選択に迷ったら           「場合分け力」

6 これ以上勧めないときこそ      「ジャンプ力」

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虹色教室でのレッスンでは、私は幼児が算数の世界を体感して学べるように
環境を整えています。

でもメインの活動は、工作だったり、
ごっこ遊びだったり、ゲームだったりするので、
それがどのように学習に結びつくのか、ピンとこないかもしれません。

親御さんたちの中には、そうした遊び中心のレッスンの合間に

手や小物を使って計算を学んだり、小学校受験問題を考えたりする時間が学習時間で、

それ以外は休憩時間のように感じている方もいるかもしれません。

でも、幼児にとっては、どちらかというとその逆で、
休憩時間のように見える活動でしっかり学んで、
学習時間のように見える活動で軽い柔軟体操をして頭をほぐしているとも
言えるのです。

といっても、ただ勝手に遊ばせるのではなく、

西成活裕氏がおっしゃる6つの「思考体力」がしっかり育つような

豊かな遊び方ができるように、

子どもを育んでいくことが大切だと感じています。

幼児期に安易に教えてできるようにしてしまうと、
考え抜く力が極端に弱いまま
みんなよりできるからと適当に学ぶ習慣がついてしまうことがあります。

ただ事前に教わって「できる」かどうかよりも、
地頭力と呼ばれるような
考えるベースとなる思考の体力のようなものこそ、
幼児期や小学生の時期に育てておかなくてはならないものなのです。

考えることを途中であきらめずに、
大きな視野に立ったり、
段階に分けて工夫して解いたり、
場合に分けて考えたりできるようになるには
どのような体験が大切なのでしょう?

どうしてもできない窮地に陥った時こそ
全力でそれを乗り越えていく力を発揮させるには、
どのように接していけばいいのでしょう?


そこで、遊びながら「思考体力」と呼ばれるようなものを身につけていくための
関わり方のコツについて
これから書いていくことにしますね。