文部科学省が、
小学6年と中学3年を対象に実施した
平成22年度の全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)の結果を公表しましたね。
これで気になったのが、円の面積がわからない子どもたちの存在。
19年の小6時にも学力テストを受けた中3では、3年前と同様に円の面積を求める公式を理解していない割合が1割超に上っているのです。
注意が必要なのは、
まったくわからない、知らないのではなくて、
「直径×円周」としたり「半径×円周」としたり、近いんだけど、微妙にちがうという求め方で間違えたということです。
この円の面積が求められない子たちというのは、
おそらく携帯電話の新しい機能は使いこなせる子たちで、アイドルの近況については正確に覚えていられる子たちなのでしょう。
つまり、知的な能力としたら、
「半径×半径×円周率」が3年かかっても覚えられないなんて重篤な問題を抱えている子はほとんどいないだろう……ということです。
それなら、どうしてこんなにもできないのでしょう?
学校は何を教えているのでしょう?
いや、学校は必死で教えてても、子どもが少しも聞いてないのでしょうか……?
私は、この問題は、「子どもにわかるように教えているか」という
先生側の問題ではないように感じています。
以前、
現代っ子に共通する算数が苦手になる原因という記事で、
★ 簡単でシンプルなものを直視できない
★ 単純な情報にしっかり意識を向けていられない
現代っ子の特徴について記事にしたことがあります。
また、同様の「できない」理由をいくつか並べた
「わからない」のいくつかの形 と 対処法1という記事も書きました。
その記事には、私立小で教鞭を取られている先生から、次のような
コメントが寄せられています。
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今回の記事、まさに!まさに!です。
先生、見ていらっしゃった?って、言いたくなるほど(笑)
一昨日まで、5年の補習授業をしていました。
うちは、ほとんどの子が中学受験をする私学。
5・6年になれば、参加希望者対象の補習授業は当たり前。
算数補習は習熟度別に少人数指導をしています。
その中の、いわゆるしんどい子たちのクラスは、
まさにこんな子たちが集まっている状態。
どの子も、3つのうち2つ以上当てはまるように思います。
そして、中ぐらいの子のクラスでも、
「言葉の概念がイメージできないから解けない」子が多い。
計算はできるけど、文章問題になると・・・???
たかし君のお父さんの体重は75kgで、たかし君の体重は45kgです。
たかし君の体重は、お父さんの体重の何倍ですか?
間違える子が結構いますからね・・・。
これでも私学なんですよぅ。
もちろん、こんな子ばかりではありません(念のため)
賢い子は、感心するほど賢いです。
5年生になってからでも、間に合いますか?
対処法、ぜひ参考にさせてください。
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コメントに書かれているとおり、子どもたちの多くは、現代っ子特有の困難さを抱いて、勉強につまずいています。
現代っ子の困難というのは、
○時は習い事、○時は宿題、○時はお風呂、○時は寝る~と、
毎日のルーティーンを何も考えずにこなしていく……
だけで、毎日が過ぎていく子が多いことから生じてくるように思うのですよ。
問題は家庭だけでなく、学校にも……。
魚を釣るときに、魚が釣れるかどうかはどうでも良い問題で、
むしろ釣れたら処理に困るような意味のない活動として魚釣りがある設定のもと、(自分の利益としては、何の体感も感情もないままに)
「何時間、釣堀にいたか」とか「釣っているフォームが正しいかどうか」なんていう内容をしつこく外からチェックされた挙句、
魚を釣っている自分は、
釣れるようになることを目指している……
という目的が
わからなくなってしまったか、最初からそこが理解できないまま何年もきた……
というのが、学校教育で生み出される「勉強が苦手な子どもたち」ではないでしょうか?
……わかりづらい例でしょうか?
授業の設定は平均的な能力の子たちのペースに沿って進みますから、
「きちんと真剣に学ぶ子」は、ただ普通にがんばるだけで、浮きこぼれてしまって、できたからといって、「もう少し面白い難しい問題を解いてもいい~」といった利益を得ることはなくて、むしろ待ち時間が増えて、
損をした気持ちになります。
そんな風に、がんばることが損と結びついた環境で、
常に自分の能力にブレーキをかけることを求められてきた子が、
いつの間にか、「基礎的なことも理解できていない側」に転じていくのは時間の問題です。
いつの間にか、学習が、他人事になってしまうのです。
妙なたとえですが、
全て自分で計画して、行き先の情報を調べたり、
切符を買ったり、ぶつかる問題を自分で解決しながら旅行するのと、
旅行会社が全てお膳立てしてくれるバスツアーとか、海外旅行のパックとか
で旅行をしている人がいたとすると、
数年後、この2タイプの人々のさまざまな能力をテストすると、どうなるのか、
だいたい予想がつきますよね。
旅行会社が全てお膳立てしてくれるバスツアーとか、海外旅行のパックとかでばかり旅行をしていると、
注目したり敏感になったりするポイントが、
どの旅行会社がいいかとか、旅行会社へのクレームとかいった部分に集中して、
実際に自分で動いて何かする能力が極端に弱まったり、
自信がなくなったりしますよね。
何のために旅行をするのか……という目的についても、
ツアーに盛り込まれた目を引く情報に踊らされるうち、
根本的な「自分」の動機や「気持ち」や
自分の中に育っていく感性や知恵、自信といったものが、
いつまでも身につかないか、むしろすたれていく……ことになりがちです。
それが学ぶという行為でも、これに似た現象が起こっています。
主体的に体験している子ども本人が、
「遊び」とか「日常生活」で、本当の意味で主人公でなくなってしまったため、
「生きている実感がある自分」がない子が、たくさんいるのです。
「何のためにがんばるの? 誰のために勉強するの?」という問いが、
「自分が自分であること」という生きている感覚の根源的な危うさやあいまいさから
立ち上ってくる子が、あちらにもこちらにもいるのです。
「自分という身体感覚を持っている子ども本人」が不在のまま、
大人たちが次々、新しい旅行ツアーの計画でも立てるように、
「あれを教えて~」「あれを訓練して~」と躍起になっても、
うまくいかないことは目に見えていますよね。
そこから、携帯の新機能は、5分でマスターできる子が、
3年たっても、「半径×半径×円周率」が覚えられらないなんていう
驚くような結果が生まれているように
感じるのですが……。(おそらくバーチャル空間は、大人たちに占領されていないので、子どもは主役の座についていられるのでしょうね)
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