久しぶりにツタヤに行って、何本かDVDを借りてきました。
そのうち、
マイマイ新子と千年の魔法
は、小学生が主人公のアニメ映画ということもあって、最初はわたしひとりで見ていました。
日々の忙しさで、児童文学を書いていきたい自分の夢をついつい後回しにしがちなので、
自分の夢とどこかで触れていたい気もちでこんなDVDを借りてきたのです。
すると、思いもかけなかったほどいい映画でした。
バイトが休みでくつろいでいた娘はわたしの大絶賛ぶりを耳にして、「わたしも見たいわ」と言いだしました。
そこで、娘とふたりで再び『マイマイ新子と千年の魔法』を視聴。
この映画、出だしがちょっともたもたしたところがあってストーリーに入っていきにくいのです。
でも転校生が学校に現あらわれたあたりからは、ぐいぐい引き込まれて、
目が離せなくなる面白さなのです。
それで、「最初の5分、10分は、どうかなっと思っても見ていて!きっと面白くなってくるから」
と念を押してからDVDをスタート。
ストーリーが中盤にさしかかるころには、娘も夢中になって見ていました。
見終わった娘は、「よかったわ~面白かったわ~」と感激した様子でつぶやいてから、
「この映画のストーリー、まるでお母さんが書いたみたい!
どこをとっても、お母さんそのものじゃない!!こんな映画がよくあったね~。
この映画に出てくる遊びって、わたしが幼児や小学生だったころ、
一通りやったことがあるものばかりよね。お母さんがやらせてくれる遊びって
ほんと、こういうんだったわ。
わたしが小さかった頃には、まだ、こんな風に思いっきり楽しさを満喫できることが
たっぷりあったけど、最近の幼児や小学生は、マクドナルド行ったり、習い事をはしごしたり、
忙しくって、この映画にあるような心から楽しめる遊びというか、一生、記憶に刻まれるような
遊びってしたことあるのかな?」
翌日、夕食時にこのDVDを見た息子も、見るやいなや「お母さんの世界観やなぁ」とひとこと。
子どもが幼い頃は、親の側から「この子はどんな子かな?」とわが子を眺めるものですが、
大きくなってくると、子どもの側に、「お母さんってこんな人やなぁ」と眺められています。
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前回の息子とのおしゃべりの続きです♪
哲学書を読むのって自分にとっては会話のようなもの……
言う息子に、わたしはその前日のネット上の
読書会で話題になっていた次のようなネタについて話をしました。
このネットの読書会、視覚優位派と聴覚優位派というか、
「同時処理」派と「継次処理」派というか、
物を見るとき、「まるっと」全体を捉えてから考え始めるタイプと、
順を追って、ひとつひとつ分析にながら考えていく派の2派に分かれていて、
会話を交わすごとに、お互いの得意不得意や考え方のちがいに驚くことが
多々あるのです。
わたしは、何でも、まず「まるっと」全体をつかんでから、
言葉で考えるより、映像で考えていく「同時処理」派です。
読書会でこの話題が出たとき、ひとりの「まるっと」派の方が、
「三党合意という言葉を聞いた時に何を思い浮かべますか?」と質問なさいました。
すると、「継次処理」派というか、言語を操るのが上手で、聴覚的な記憶力が優れている方は、
「映像はなしか、三つの丸のようなものが、ぼんやり」とおっしゃいました。
最初に質問した「まるっと」派の方は、
民主党や自民党っぽい代表が金屏風の前でがっちり握手して、カメラに向かって笑顔。
シルクのネクタイの感じ、脂ぎった額…そんな現実的な映像が浮かぶとおっしゃっていました。
その方の芸術関係のお仕事をなさっているご主人の場合、同じ映像でも、
もっと抽象的なメタファーで再構築されていて、三党ごとに色がついていて、
色の混ざり具合で「合意っぷり」を表現しているといった
半透明のアクリル板のようなイメージだったそうなのです。
同じように映像をイメージするといっても人それぞれ。
わたしの場合、「三党合意」という政治風の言葉に脳が反応したのか、たちまち
新聞の風刺漫画のような動物たちが、動物村で繰り広げるドタバタ
政治ストーリーが浮かびました。
ひとつの言葉を聞いて、どんなイメージが浮かぶかやってみる……というのは、これまで
したことがなかったので、たったひとつの言語を聞いただけで、
勝手にストーリーまで思い浮かべている自分にびっくり。
それと同時に、
「そういえば、小学校の頃、先生がひとことしゃべるたびに、
即座に、想像の世界に引き込まれちゃって聞いてなかったな~」とか、
「そういえば、本を読んでいるときも、活字に反応して、
どんどんストーリーを膨らませてしまいがちだな~」なんてことが、次々思いあたりました。
そこで、ふっと妙なことをひらめいて、こんなことをスカイプに書きこみました。
「Aさんの話でいろんな発見がありました。
ずっと不思議に感じていたことがあったんです。
視覚優位の人の不思議というか。
視覚優位の人のなかで、わたしと似た感覚の人の不思議なんでしょうけど。
視覚に関しては、直に触れる印象があるので、
目の前の現実をありのままに素直に見ることは簡単なんですよね。
でも、聴覚的な刺激に関しては、目で読む言語にしても、耳にしたとたん(目にしたとたん)
自分の視覚情報とイリュージョンで
加工してしまって……
ちょうど聴覚優位の方が目の前の現実を見るときに言語で加工して
素直に目の前のものを観察しにくいのと同じように、
自分の視覚映像を通して事実を考えようとしたり、それを勝手にストーリーに乗せようとしたりしていました」
それこそ、わたしが子どもの頃から抱えている困り感の最大要因のようなもので、
とにかくぼけ~っとして他人の話を聞けなかったのも、
連絡事項もたちまち忘れて叱られていたのも、まさに
これが原因なのです。
でも、わたしと同じ「まるっと」派のAさんは、
「奈緒美先生は本を読んで知識を得たとしても、
再加工するので、あらゆるお子さんに対応できるのではないでしょうか。
自慢じゃないですが、奈緒美先生のすごいところは正にそこだ!と思っていました。(笑)」と
言ってくださいました。
そういえば、どんな硬い文章を読んでも、瞬時に
笑いあり、ドラマありの映像に変換してしまうところは、
勉強には不向きだけど、使いようによっちゃ役に立ってるんですよね。
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そんな話を息子に長々とした後で、
「★が、哲学書を読むのは会話だって感じるのは、
★も、本を正しく理解するというより、読みながら
創造するというか、文字を見ると同時に再加工する習慣があるからじゃないの?」とたずねました。