虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

来春からの新規のグループレッスンに来ていただく方々の発表です

2011-11-30 17:53:01 | 生徒募集 イベント参加募集

 

来春からの新規のグループレッスンに来ていただく方々の発表です。

12名の方々は、非公開の状態で見させていただいて、連絡をさせていただきますので、

コメント欄にメールのアドレスを書いて投稿してください。

よろしくお願いします。

今回応募してくださった方々は全員、絵本大好きクラブの募集の際に応募してくださった場合は、

優先的に来ていただくことができます。

 

 

Kちゃん☆ママさん

ゆーころさん

いり昆布さん

まりさん

はなママさん

そうママさん

ぽんみかんさん

あすきちさん

ひまわりさん

CONNさん

koro0113さん

たいようさん


子ども独自の感性

2011-11-30 13:42:40 | 子どもの個性と学習タイプ

 

年少さんの★くん。

朝から夜までの空の色の変化が楽しめる

手作りのジオラマに顔を輝かせていました。

 

何がこんだけできるとか、検定の級は何だとか、

そうした目に見えて数値で測れる能力とは別に、

「これが好き!」と、あるものに惹きつけられるその子固有の感性だって

人生の質を左右する大事なものです。

 

「この子はこういうものが好きなんだな」と受け止めて共感を示せば、

子どもの内面でそれは芽を出して育っていきます。

 

先日、こんなコメントをいただきました。

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子ども自身の興味を受け止め、伸ばしていくのが難しいと感じているこの頃です。今まで興味があることに関する知識を与えるだけで、あまり発展できないでいました。
何だかうちの長女、大人の枠にはまってる…?と感じたもののどうすればいいのか分からずにいました。
とりあえず今までしてきた知識のインプットを大幅に減らし、ただただ共感するだけにとどめたところ、創造力の芽が出てきたように感じます。
今までの方向は修正した方が良さそうですね。

工作などは見本通りにしか作れない母で、うまく発展できませんが、しばらくは共感することを大事にしていこうと思っています。

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大切な軌道修正だなと感じました。

 


砂鉄探し

2011-11-30 13:32:44 | 理科 科学クラブ

年少さんたちの(年長のお兄ちゃんひとりも参加)グループレッスンで、

砂鉄探しの遊びをしました。

 

ハムスターの砂浴び用の砂に砂鉄を混ぜて、

磁石で砂鉄を集める遊びをしました。

最近の公園の砂場では砂鉄はなかなか見つからないため、

この砂鉄はいただきものです。

磁石はビニール袋に入れて使っています。

 


電車の図鑑は見るけれど、ストーリーのある絵本に興味がないという子に。

2011-11-30 09:10:23 | 初めてお越しの方

来春のグループレッスンの募集は締め切りました。

たくさんの応募をありがとうございます。

明日かあさってに来ていただく方を発表します。

もし12名から漏れても、

書き込んでくださった方々は、どの方にも来春からはじめる

絵本大好きクラブに優先的に

来ていただくことができます。

締め切り後に申し込みをいただいた方(明日の11月以降)は

絵本大好きクラブの募集の際に、参加していただくことが難しくなるかもしれませんが

了解ください。

 

 

 

電車が大好きで いつも乗り物図鑑は見ているのだけれど
ストーリーのある絵本に
少しも興味がない‥という子がいます。
読み聞かせをしてあげようにも
どんな本を選んであげたらいいのか 悩みますね。
電車大好きの2~5歳児に
とってもおすすめなのが
「ぼくしんかんせんにのったんだ」わたなべしげお作 あかね書房 です。

いなかの おじいさんから 手紙をもらったくまたくんは
しんかんせんにのって いなかに行くまでの話です。
駅 電車の中 外の風景の描かれ方が
いいかげんでなくて
駅のアナウンスも 列車の時速も 子どもにわかるように
書かれています。 

お父さんぐまとくまたくんは
「パパ、あの でんしゃは、なんていうでんしゃ?」
「コンテナとっきゅうかな?」
「ぱぱ、コンテナとっきゅうと しんかんせんと、どっちがはやい?」
「しんかんせんだよ」
「あたり!」
という具合に たくさんおしゃべりしています。

2~3歳のころは 文を全部読んであげる必要はないと思います。
子どもが楽しいと感じるレベルで 読み聞かせをしてあげます。

くまたくんのお話は 他にもたくさん出ていますが
どれも子どもの目線にたって
ていねいに描かれています。
初めてストーリーのある絵本にぴったりですよ


読書 と 対話  うちの子たちとのおしゃべり 4

2011-11-29 22:49:52 | 息子とおしゃべり(ときどき娘)

 息子 「確かに、本を読んでるんじゃないな。

全ての文からまんべいなく、ひたすら情報を集めて分析していくことが

読むことだとしたら。

哲学書にしても、文を読んでいるというより、本の内容は、

自分で考えていく上での道筋やひとつの歩きやすい方法を示してくれるものに

過ぎなくて、

再加工って言うんだろうか、

自分の考えを組み立てていく作業がひたすら歩いていくことだとしたら、

本の内容は読んでいる最中にも、背景のようなものでしかないよ。

もちろん、書いてあることをできるだけ正確に読み取ろうとは思っているけどね」

 

その答えを聞いて、

文を「背景」という映像的なイメージで捉えているあたり、

息子も「映像で物を考えていく」派や「まるっと」派の一員だな~としみじみ感じました。

 

息子 「今の時代は、まるで夢のようなコミュニケーションを実現するツールが次々と

作られているよね。数年前には不可能だと思われていたようなやりとりが

簡単にできてしまう。

でも、そこでできがっていくつながりや相互交流を見ていると、

コミュニケーションという面で、それらがきちんと機能しているようには見えないよ。

もったいない使われ方をしているというか、どこか中途半端だよね。

 

ぼくが将来作りたいと思っているもののひとつは、学問をリアルな形式で表現したものだけど、

学問そのものを表現するというより、

学問のためのツールに近いイメージなんだ。

学問に触れる方法が言語という枠に縛られているのが、

気にいらないってのもあるし、

学問の世界には、触れて触って、勉強を楽しさだけを

探索していくツールも必要だと思うからね。

 

何かに魅力的なものにするには、シンプルな芸術性とか人間の衝動のようなものを

抜きにして考えちゃいけないと思うよ。

 

学問にしたって、理詰めで理解するのも大事だけど、

音楽のように感性で味わう経験も必要だからね。

それを好きになっていく過程では。

そう考えていくと、勉強にしても、会話であってコミュニケーションなんだ」

 

それを聞いた瞬間、そういえば……昔、同じような言葉を目にしたような……という考えが

ふっと浮かびました。

考えてみると、息子が中学に入学したての時に学校で国語の時間か何かで

書いてきた作文が、よく似た言葉で締めくくられていたのでした。

「ぼくも作文という形で会話を書いた。そしてこれを読んで会話が成立するのを心待ちにしている。」

という一文。

創造的で生産的な何かを生み出す会話って?3

に載せていました。

まだ小学校を卒業したばかりであどけない顔をしていた当時にも、

今と同じようなことを考えていたなんて、人間、中身は変わらないもの……。

そうした思いつきが、枝葉を広げて、将来の夢へと育ってきているというのは

うれしい気がします。

 

教室の幼児さんたちにしても、小さくてもひとりひとりが、

自分の芯の部分から生じてくるテーマのようなものを抱いて生活しています。

その子の感性を大人の過干渉で鈍らせてはいけないな~と再度実感しました。


読書 と 対話  うちの子たちとのおしゃべり 3

2011-11-29 09:17:48 | 息子とおしゃべり(ときどき娘)

久しぶりにツタヤに行って、何本かDVDを借りてきました。

そのうち、

 

マイマイ新子と千年の魔法

は、小学生が主人公のアニメ映画ということもあって、最初はわたしひとりで見ていました。

 

日々の忙しさで、児童文学を書いていきたい自分の夢をついつい後回しにしがちなので、

自分の夢とどこかで触れていたい気もちでこんなDVDを借りてきたのです。

すると、思いもかけなかったほどいい映画でした。

バイトが休みでくつろいでいた娘はわたしの大絶賛ぶりを耳にして、「わたしも見たいわ」と言いだしました。

そこで、娘とふたりで再び『マイマイ新子と千年の魔法』を視聴。

 

この映画、出だしがちょっともたもたしたところがあってストーリーに入っていきにくいのです。

でも転校生が学校に現あらわれたあたりからは、ぐいぐい引き込まれて、

目が離せなくなる面白さなのです。

それで、「最初の5分、10分は、どうかなっと思っても見ていて!きっと面白くなってくるから」

と念を押してからDVDをスタート。

ストーリーが中盤にさしかかるころには、娘も夢中になって見ていました。

 

見終わった娘は、「よかったわ~面白かったわ~」と感激した様子でつぶやいてから、

「この映画のストーリー、まるでお母さんが書いたみたい!

どこをとっても、お母さんそのものじゃない!!こんな映画がよくあったね~。

この映画に出てくる遊びって、わたしが幼児や小学生だったころ、

一通りやったことがあるものばかりよね。お母さんがやらせてくれる遊びって

ほんと、こういうんだったわ。

わたしが小さかった頃には、まだ、こんな風に思いっきり楽しさを満喫できることが

たっぷりあったけど、最近の幼児や小学生は、マクドナルド行ったり、習い事をはしごしたり、

忙しくって、この映画にあるような心から楽しめる遊びというか、一生、記憶に刻まれるような

遊びってしたことあるのかな?」

翌日、夕食時にこのDVDを見た息子も、見るやいなや「お母さんの世界観やなぁ」とひとこと。

 

子どもが幼い頃は、親の側から「この子はどんな子かな?」とわが子を眺めるものですが、

大きくなってくると、子どもの側に、「お母さんってこんな人やなぁ」と眺められています。

 

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前回の息子とのおしゃべりの続きです♪

 

哲学書を読むのって自分にとっては会話のようなもの……

言う息子に、わたしはその前日のネット上の

読書会で話題になっていた次のようなネタについて話をしました。

 

このネットの読書会、視覚優位派と聴覚優位派というか、

「同時処理」派と「継次処理」派というか、

 

物を見るとき、「まるっと」全体を捉えてから考え始めるタイプと、

順を追って、ひとつひとつ分析にながら考えていく派の2派に分かれていて、

 

会話を交わすごとに、お互いの得意不得意や考え方のちがいに驚くことが

多々あるのです。

わたしは、何でも、まず「まるっと」全体をつかんでから、

言葉で考えるより、映像で考えていく「同時処理」派です。

 

読書会でこの話題が出たとき、ひとりの「まるっと」派の方が、

「三党合意という言葉を聞いた時に何を思い浮かべますか?」と質問なさいました。

すると、「継次処理」派というか、言語を操るのが上手で、聴覚的な記憶力が優れている方は、

「映像はなしか、三つの丸のようなものが、ぼんやり」とおっしゃいました。

 

最初に質問した「まるっと」派の方は、

民主党や自民党っぽい代表が金屏風の前でがっちり握手して、カメラに向かって笑顔。

シルクのネクタイの感じ、脂ぎった額…そんな現実的な映像が浮かぶとおっしゃっていました。

その方の芸術関係のお仕事をなさっているご主人の場合、同じ映像でも、

もっと抽象的なメタファーで再構築されていて、三党ごとに色がついていて、

色の混ざり具合で「合意っぷり」を表現しているといった

半透明のアクリル板のようなイメージだったそうなのです。

 

同じように映像をイメージするといっても人それぞれ。

わたしの場合、「三党合意」という政治風の言葉に脳が反応したのか、たちまち

新聞の風刺漫画のような動物たちが、動物村で繰り広げるドタバタ

政治ストーリーが浮かびました。

 

ひとつの言葉を聞いて、どんなイメージが浮かぶかやってみる……というのは、これまで

したことがなかったので、たったひとつの言語を聞いただけで、

勝手にストーリーまで思い浮かべている自分にびっくり。

 

それと同時に、

「そういえば、小学校の頃、先生がひとことしゃべるたびに、

即座に、想像の世界に引き込まれちゃって聞いてなかったな~」とか、

「そういえば、本を読んでいるときも、活字に反応して、

どんどんストーリーを膨らませてしまいがちだな~」なんてことが、次々思いあたりました。

 

そこで、ふっと妙なことをひらめいて、こんなことをスカイプに書きこみました。

「Aさんの話でいろんな発見がありました。
ずっと不思議に感じていたことがあったんです。
視覚優位の人の不思議というか。
視覚優位の人のなかで、わたしと似た感覚の人の不思議なんでしょうけど。
視覚に関しては、直に触れる印象があるので、
目の前の現実をありのままに素直に見ることは簡単なんですよね。


でも、聴覚的な刺激に関しては、目で読む言語にしても、耳にしたとたん(目にしたとたん)
自分の視覚情報とイリュージョンで
加工してしまって……

ちょうど聴覚優位の方が目の前の現実を見るときに言語で加工して

素直に目の前のものを観察しにくいのと同じように、

自分の視覚映像を通して事実を考えようとしたり、それを勝手にストーリーに乗せようとしたりしていました」

それこそ、わたしが子どもの頃から抱えている困り感の最大要因のようなもので、

とにかくぼけ~っとして他人の話を聞けなかったのも、

連絡事項もたちまち忘れて叱られていたのも、まさに

これが原因なのです。

でも、わたしと同じ「まるっと」派のAさんは、

「奈緒美先生は本を読んで知識を得たとしても、

再加工するので、あらゆるお子さんに対応できるのではないでしょうか。

自慢じゃないですが、奈緒美先生のすごいところは正にそこだ!と思っていました。(笑)」と

言ってくださいました。

そういえば、どんな硬い文章を読んでも、瞬時に

笑いあり、ドラマありの映像に変換してしまうところは、

勉強には不向きだけど、使いようによっちゃ役に立ってるんですよね。

 

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そんな話を息子に長々とした後で、

「★が、哲学書を読むのは会話だって感じるのは、

★も、本を正しく理解するというより、読みながら

創造するというか、文字を見ると同時に再加工する習慣があるからじゃないの?」とたずねました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


子どもの個性的な感性が鈍くならないように

2011-11-28 18:21:08 | 子どもの個性と学習タイプ

久しぶりにレッスンにきたふたごの★くん、☆ちゃん。

★くんは自由に教室内を探索して、カラフルな頭脳パズル類を次から次へと出してきて

遊んでいました。

 

☆ちゃんは工作に熱中していて、バレエをしているお人形2体と赤ちゃん人形を3体も

作りました。

子どもが成長してくるにつれて、

習い事は何にしよう、どんなところに連れて行ってあげるといいかな、

何を教えたらいいのかな、と迷うことと思います。

 

そんな時に、あれが良いとか、これは良くないのかと、

良い経験を買い物をするように選ぶよりも、

まず真っ先に、

子どもがどんなおもちゃや遊びを選び、

どのような個性的な才能や感性を持っているのか、

それをきちんと受け止めることが大事だと思っています。

 

たとえば、今回レッスンに来ていたふたごちゃんでしたら、

★くんは頭脳パズルや数理パズル風のおもちゃばかりに触れたがり、

さまざまなパターンを作る作業や知恵を絞って問題を解くことに熱中していました。

何か習わせたり、与えたりするにしても、

できれば★くんのこうしたものを好む感性を鈍らせないように

気をつけなくてはならないと感じました。

大人が良かれと思うものを次々与えたり、

教え込んでアウトプットを急ぐと、こうしたその子固有の感性は鈍くなりがちだからです。

 

☆ちゃんは、おもちゃに目もくれず、工作に夢中でした。

自分で想像することと、自分の手で何か作りだして表現することが大好きなのです。

☆ちゃんは身体が柔軟で、踊るのが大好きです。

外向的な性格で習い事も自分からやりたがります。

 

☆ちゃんの「やってみたい」を叶えてあげながらも、

☆ちゃんの大切な個性的な感性が鈍らないように気をつけてあげなくては

とも思いました。

 

☆ちゃんの個性的な感性だと感じるのは、

「イメージする力」「創造力」「表現力」の3つです。

 

踊りを習うにしても、正しい訓練をするのと同時に、

☆ちゃん独自の自由な表現力を発揮する場や時間を設けてあげることが

大事なのかもしれません。

 

 


読書 と 対話  うちの子たちとのおしゃべり 2

2011-11-28 14:11:54 | 息子とおしゃべり(ときどき娘)

息子 「これ読んでて思ったんだけど、哲学書を読むのってさ、会話なんだな。

ほら、哲学は理論を学ぶってものでもないし、

技術を身につけるものでもない。文学でも数学でもないからさ。」

 

母 「ソクラテスも対話のような議論で、哲学的な考えを深めてったし、

哲学の世界って対話していくイメージに近いのかな……?」

 

息子 「ん~そうだな。

哲学は具体的な形があるものでも、証明できる正解があるものでもないし

要は人間が作りだしたイメージと言えるんだろうけど、

 学ぶための知識の集大成というより、

会話やコミュニケーション……というか、

 

……時間軸を超えた形の高次元のコミュニケーション……

といった捉えた方が

あっている気がするんだ。

 

あくまでもぼくにとって、だけど。

それと、コミュニケーションというのをかなり広義に解釈した場合なんだけどさ。

 

たとえば、ハイデガーの本にしても、読み始めたとたん

存在の謎について問いを投げかけてきて……

すると、読んでいる側は、ただ文字を追うんじゃなくて、

その答えを自分の頭の中で見つけ出そうとするじゃん……

そうしたら、本もいろいろと答えを模索しながら、

次の問いをこちらに出してくる。

哲学の本を読んでいると、ただ読んでいるという気がしなくて、

やっぱり会話なんだな」

 

母 「あ~、そういえばそうね」

 

次回に続きます。

 


読書 と 対話  うちの子たちとのおしゃべり 1

2011-11-27 20:46:16 | 息子とおしゃべり(ときどき娘)

 

娘と息子に、「お母さんの仕事への熱中ぶりはスティーブ・ジョブズ並み」と笑われた後で、

口をそろえて、「うちには本がたくさんあるからいい」「うちの本の品ぞろえは最高!図書館よりいいのがある」

「専門的過ぎず、くだけ過ぎてもいない質が良くて読みやすい本って探すの大変だよ。図書館でも」

と褒められました。

主婦業ではダメ出しされっぱなしのわたしですが、

本棚の品ぞろえに関してはわが子から絶賛されております。(この本、ダンナからの苦情のもとでもありますが……)

 

娘はこのところ『これからの「正義」の話をしよう』を繰り返し読んでいる模様。

正義感が強くて、経済に関心が強い娘。

この本は娘が自分で本屋で買ってきた本ですが、

「これから、ずっと傍らに置いておきたいくらい感動したわ」と

深く心に響いているようです。

 

 

息子は先日、仲のいい友だちの家にお邪魔してきて、

「気が合う友だちって意外な共通点があるもんだな」

と感じたそうです。この友だちは医学部を狙っている勉強好きの子です。

「どんな?」とたずねると、「友だちの部屋の本棚にも、うちと同じように

たくさん本があってさ。聞いたら、親から本だけはお金のことを考えずに

買うように言われているんだって。

親からどういうこと言われてるかってとこまで似てたりするんだなって思ったよ。

いろんな種類の本があって、哲学の本なんかも置いてたよ」と言っていました。

 

受験中でうろうろできないために内面と向き合う時間が長いためか、

人工知能の研究に興味を持っているため、それに関連する哲学の話題に惹かれるのか、

このところの息子の読書のブームは哲学関連の本です。

 

先日も、勉強の合間に『ハイデガー』について書かれて

いる本の一節とひとつの言葉にえらく感動していました。

 よく聞いてみると、わたしも1ヶ月ほど前にその部分と、その言葉に

強く惹きつけられたのでした。

といっても、その文や言葉からイメージしたことは、

お互いかけ離れたものですが。

 

夕食後、のんびり本を読んでいた息子が、本から顔を上げて、

ブログを更新中のわたしに声をかけてきました。

「思考の祝祭って面白い言葉だね。

ハイデガーが円環の道って呼んでるどうどうめぐりし続ける論法を、

重要視した気持ちがわかるよ」

思考の祝祭というのは、説明すると長くなるのですが、

次のようなことです。

 

ハイデガーが考えた問題、

「芸術の本質はなにか」という問いを立てれば、

それを考えるために真の芸術作品を見なければならず、

ある作品が真の芸術作品かを決めるためには、

「芸術の本質がなにか」がわかってなくてはならない……

 

といった議論の循環論的構造、

つまりめぐりめぐってスタート地点に戻るような構造から

抜け出るのではなく、

この無駄な思考の運動に飛び込んでいき

「この道にとどまりつづけること」です。

 

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「思考の祝祭」とは、デュオニスの祭りのように、狂ったように

歌い踊るうちに、次第に陶酔が起こり、この陶酔のなかで

新たな知恵が開けるような状態を言います。

       ( 『ハイデガー  存在の謎について考える』 北川東子  NHK出版より)

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母 「思考の祝祭? あ~、お母さんもその部分、そこは、そうそうそう~ってうなずいたわ。

お母さんさ、前から、うまく言葉にできない解決不能の問題をもんもんと考え続けていて、

わからないまま問題の周りをぐるぐるめぐっている鬱々した状態が好きでもあるのよね。

前にブログでそんな暗い記事も書いた覚えがあるわ。

 

どうしてと問われてもうまく言えなかったけど、

その本で思考の祝祭という言葉にぶつかって、妙に納得したのよ。

そういえば、工作イベントでも、あまりに計画的にして参加者の親の満足度を上げることに

興味がないのは、そこにもあるんだけど。

もんもんとした先が見えないカオスで不安定な状態のどうどうめぐりは、

そこからそれまで存在しなかった新しい価値が生まれてくるのを

待っている状態でもあるから。

子どもたちに物事の表面的な部分だけ、マニュアルにそうような経験はさせたくないのよ。

何かにどっぷり投げ込まれて、そこでもがいて、足踏みしながら、ゼロの状態に誘われて

自分の内部から価値のあるものを引き出すような心を体験してほしいの」

 

息子 「そう、この思考の祝祭ってさ、教育の世界でも……というか、

人間が成長するときに必ずっていっていいほど起こることでもあるよね。

知能の発達の性質上、こうした循環の構造に飛び込んでいって

とどまることって必須なのかもな。

根本的な問題を考えていこうとしたら、常に疑う心を手放せないし、

合理的に効率的に同じテンポで理解を進めていくのなんて不可能だからね」

 

次回に続きます。

 


宇宙ブーム

2011-11-27 17:45:10 | 理科 科学クラブ

 

 

宇宙飛行士になりたい年中さんの☆ちゃん。

宇宙のことなら何をたずねても、くわしい解説が返ってきます。

今日はグループレッスンのお友だちと『宇宙グッズ』が入っている箱を開けて

中身を取り出しながら、いろいろなおしゃべりをしました。

 

箱のなかにあった宇宙の絵本に、

宇宙ではおしっこはホースのようなもので

吸い取っている、ということが書いてあると、

子どもたちはキャーキャー大騒ぎ。

「奈緒美先生、宇宙に行ったことある?」と●ちゃんは、

まるで国内旅行の旅行先についてたずねるように聞いてきました。

「ないない。でも、教室の子らが、部屋をまっくらにして、

ここは宇宙ですよ~ってしたときの、嘘の宇宙なら行ったことがあるよ」と答えました。

 

子どもたちは、「おしっこを掃除機みたいなので吸われるのなんて

いやだぁ~!!」とさんざん騒いでいたものの、

いっしょに騒いでいた☆ちゃんは真面目くさって、

「わたしは、どんなに苦労しても、どんなに大変でも、

くじけないで宇宙飛行士になるの」と言いました。

「え~、トイレが掃除機みたいなんだよ~」お友だちがびっくり顔で問い返すと、

「どんなに嫌なことがあっても~、どんなにめっちゃくちゃに大変でも、

宇宙飛行士になるの!

地球の研究をして、宇宙や地球について

いっぱい勉強して、それから宇宙にも行って、

宇宙でできる実験はどんなことでもできることはぜ~んぶ

するのよ!」と力説しました。

 

あまりにも☆ちゃんの熱弁ぶりに

圧倒されたお友だち。

いつになく工作や実験に熱が入っていました。

隕石作り中。

 

レッスンの途中でおやつタイム。

お菓子を配りっこしている子らに、

「宇宙にお菓子を持っていったらどうなるんだろうね?」とたずねました。

☆ちゃんがすかさず、

「お菓子を持っていくことはできるけれど、

甘味はなくなってしまうのよ。

おせんべみたいなのをかじっても、あれっ、甘くないってなって、

あめをなめても甘くないの。

それから、お茶とかジュースみたいな水分は、超撥水よりもっとまんまるになって

浮かぶの」と答えました。

それから延々と、☆ちゃんが宇宙でやってみたい実験についての

話が続きました。

●ちゃんは、その話に刺激されてか、「色砂をボンドに混ぜて

カチカチに固める実験がしたい」と言いだし、

やってみたところ仕上がりが気に入らず、

せんたく糊を使って再度実験しなおしました。

 

その後も宇宙についてのいろんな話で盛り上がり、

にんじんをストローで抜いて、「分身レンズ」というものをこしらえたり、

一度に大量のシャボン玉を吹きだす方法を編み出したりして

遊びました。