虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

ネガティブな体験が子どもの力になる時 3

2021-07-09 10:23:17 | 子どもの成長

話は変わって、別の日の出来事。

ユースホステルに泊まった日、ちょっとした事件が起きました。

 

小学3年生のEくんが朝から「パジャマがない」と騒いでいました。

Eくんのお母さんがベッドの脇やカバンの中を手際よく調べて回りながら、

「ちゃんと探しなさい」と注意し、

「カバンの中も戸棚もみんな調べたんだよ」とEくんは困り切った様子で

いささかあきらめ気味に周囲をかき回していました。

どうせもう見たから、もう一度見たってないのに……と思いながら、

うるさく言われるから探しているポーズを取っているという感じです。

 

人気者のEくんのこと。他の部屋の子らもぞろぞろ集まってきました。

Eくんがすっかり意気消沈していたので、他の子らの協力を仰ぐことにしました。

「事件!事件!警察や探偵になりたい子は集まって!

隊長も呼んできて!」と声をかけると、ちょうどその時、

一番年長で他の子から隊長と呼ばれているGくんが、

どんな楽しいことが起こるのかとワクワクした表情で部屋に入ってきました。

「えっ!事件?警察の仕事?了解です。ハッ、イエッサ!」と

敬礼のポーズを取りました。

「落ち着いて、パジャマがなくなった時のことをよく思い出してみて。

そういえば、お風呂のところに忘れ物置き場があって、

衣服やタオルが置いてあったわよ。」というと、

Eくんが、「朝まで来ていたパジャマなんだ。

だからお風呂のわけないよ」と言いました。

確かにお風呂に入ったのは昨晩ですから、今朝まで着ていたパジャマを

そんなところに忘れるわけがありません。

そのやり取りを聞いていた隊長は、「うーん」と考えてから、

「さぁ、まず、みんなでお風呂の忘れ物置き場に行ってみよう」と言いました。

「ちがうってば。あるわけないよ。だって、さっきまで着ていたんだから」

「でも、まず行ってみよ!」と隊長。

とにかくあるかどうかより、警察っぽく、

上階の風呂場に調査に出かけたい様子です。

「まって、隊長。

もう一度、パジャマが消えた時のことをよく思い出して調べてみよう。

この部屋にいた他の子は誰?

その子が間違って、自分のリュックにEくんのパジャマを入れてしまったかもしれないよ。

それから、シーツはもうシーツ置き場に出しに行ったの?

もしかしてシーツにパジャマをくるみこんで、

出してしまったかもしれない」というと、

警察や探偵になった子たちはめぼしいものを調べはじめました。

Eくんが出したという使ったシーツの置き場に行ってみると、

大量のシーツの山ができていました。

「さあ、片っ端から調べなくちゃ」と子供たちが

今にもシーツの山に飛びつきそうだったので、

「よく推理してよ。Eくんがシーツを出した時、

どのくらいまでシーツが入っていたの?」とたずねると、Eくんは、「ここ!」と

自分の胸くらいの位置を指さしました。

そこで、隊長を中心に怪しいシーツを開いてみると、

Eくんのパジャマがシーツにぐるぐる巻きにされて

いました。

「やった-!事件解決!」と子どもたちは大喜びでした。

 

物をなくすというネガティブな体験も、関わり方によっては

思い出に残る楽しい出来事に変わるものです。

うれしそうにはしゃぐ男の子たちの声を聞いて、

女の子たちが集まった時にはすでに事件が解決していていました。

ちょっとつまらない女の子たち。

「あっちが警察なら、わたしたちは大泥棒になろう」ということに

なりました。

紫外線を当てると光る「秘密ペン」を使って

大泥棒の秘密組織の仲間かどうかを確認できるようにしました。

 

部屋に宝を隠して寝たふりをする男の子たち。

女の子がなかなか宝を見つけられないと、寝言のふりをして

ヒントをくれていました。

 


ネガティブな体験が子どもの力になる時 2

2021-07-07 11:17:37 | 子どもの成長

周囲を困らせたり心配させたりする行動が増える理由は、

子供がそれまでとは異なるより高度なレベルの課題に取り組みだした

ことにある場合はよくあります。

新しくて難しい課題に取り組んでいると、思うようにいかないことばかりで、

すぐにいっぱいいっぱいになってしまいます。

Aちゃんの例でいうと、こんな感じです。

体でこなしていたことは、やろうと思ったことをやり遂げたらすんだけれど、

説得したい、思ったことを言いたいという気持ちは、

相手が取り合ってくれなければ、不完全燃焼を起こすのです。

といっても、幼い子扱いされて、

「これしてみる?」「こうしてあげようか?」とご機嫌を取られるだけだと、

余計にイライラします。

 

そんな時は、ちょうど等身大の活動が大切です。

「Aちゃん、先生の部屋に行って、次にみんなでしたらいいと

思うものを見つけてよ。Aちゃんが考えてくれる?」とお願いすると、

口をとがらせていたAちゃんの目が急にきらきら輝きだすのを感じました。

真剣な顔でこっくりします。

Bちゃんに声をかけると、「いっしょに行く」と部屋の靴置き場まで出てきました。

サンダルを履くBちゃん。すると、BちゃんのサンダルとAちゃんの

サンダルは色ちがいではあるけれど、形が似ていることに気づきました。

「いっしょだね。サンダルだね」そう言いながら、お互いの足先を差し出して、

サンダルを見比べるうちに、ふたりの表情はみるみる明るくなりました。

すっかり有頂天になったふたりは、世界中にあるどんなものでも

自分たちで発見できるような勢いです。

すると、小学生のCちゃんが、

「わたしもいっしょに道具を見に行く」と言いました。

「Cちゃんもいっしょにきてもいい?」とたずねると、

ふたりは「どうしようか?」と相談しあうように見つめあって、

ちょっと考えてから、「いいよ」と言いました。

大きなお姉ちゃんが自分たちの後ろをついてくるのがうれしい様子です。

わたしの部屋について、工作道具とゲームを選んだあとで、

Aちゃんはベッドのところで、ごろりと転がってみせました。

Bちゃんも真似してやってみました。

今度はサンダルを脱いで、畳のところにあがって、

一通り部屋を観察してまわりました。

Bちゃんも同様にし、心から楽しそうに笑いました。

Cちゃんは、やれやれという顔をしながらも、

小さい二人がちょっとした冒険をし終えるのを待っていて、

荷物を手に抱えて、「まだ持てるから、もっと手伝えるよ」と言いました。

 

ゆっくりと自分たちのペースで動いてみた後で、AちゃんもBちゃんも、

自分たちの考えを口にし始めました。

「もし、ベッドで寝ている時にごろごろってして、

木のところを飛び越えてしまったら、落ちるんじゃない?」

「このスリッパは、誰かがはいてきて、

置いていったんじゃない?だから、その人ははだしなんじゃない?」

「靴下かもしれないよ」

「この電気とこの電気はいっしょだね。この電気も。でもこれは違うよ。

懐中電灯だから」

そうやって、見たことを言葉にしてみて、フィードバックを得ながら、

論理的に考えたり、イメージを膨らませたり、疑問を抱いたり、

推測したりすることを集中的に試して、

学んでいく時期のようでした。

 

子供たちと過ごす時、わたしは 『多元的知能の世界』という著書に書かれている

「経験の結晶化」と呼ばれる現象が、起こりやすいように気をつけています。

「経験の結晶化」とは、

子どもがある領域に固執し、高い水準スキルを短期間に身につける状態

のことです。

それは、AちゃんとBちゃんが経験したような

日常の隙間にあるささやかな体験から

始まることが多いです。

日常の結晶化は、子供が新しい高いレベルの活動に着手する時

よく起こりますから、子供が困った行動を繰り返すように

見える時期に起こりやすいです。

 

<経験の結晶化について>の過去記事です。

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 『多元的知能の世界』によると、
知能は発達の時期によって異なってあらわれるので、

評価と育成は、幼児期と学校に通う年になった子では
まったく違う方法をとらなくてはならないそうです。

幼児期というのは、
自分の興味や能力に関する何かを発見することができる時期
なのだそうです。

才能に恵まれた子の場合、
その発見は自然な「経験の結晶化」を通して
自分の力でなされるそうです。

経験の結晶化?

聞いたことがない言葉ですよね。

ある領域における何かおもしろいことに
子どもが強い感情的反応をしるす場合

それは、その子がその領域に相性のよさを感じている…
ことをあらわしているそうです。
特に音楽と数学の領域では、こうした「経験の結晶化」が起こりやすいそうです。

大人が、材料、設備、他の人との出会いをうまく仕組んであげると、
「経験の結晶化」が起こって、
子供たちは自分自身に向いているものを見つける
チャンスも増えるようです。

私も虹色教室で、幼児が、
数学的な秩序の美しさや、論理的に考える思考や、
化学変化の面白さ、鉱物のひとつひとつちがう模様や
ブロックや積み木の作り出す世界に
強く感情を揺さぶられる姿をたくさん見ています。
そうした経験は、その子の潜在的な才能を刺激して
その子の内面に
その後の才能へつながる結晶を作るようです。

子どもの才能はさまざまで、MI理論の指摘する
基本的な7つと1つ(言語的知能 論理・数学的知能 空間的知能 音楽的知能 身体・運動的知能 人間関係的知能 内省的知能 博物的知能)
の中でも、周囲から評価されやすいものもあれば、
その能力になかなか気づいてもらえない知能もあります。

特に、人間関係的知能や内省的知能は軽視されやすいな…と感じています。
この2つの知能に関しては、またの機会にくわしく紹介しますね。

話をもどしますが、

子どもの個性に配慮して教育する

ということは「経験の結晶化」が起こるのをうながす意味でも大切です。
結晶化が起こると、子どもはその領域に固執し、高い水準スキルを短期間に身につけるのだそうです。

「経験の結晶化」すてきですね。

どの子にも自分の才能との良い出会いがあることを…
心から願っています。

 

ネガティブな体験が子どもの力になる時 3 に続きます。


ネガティブな体験が子どもの力になる時  1

2021-07-05 12:58:07 | 子どもの成長

 

子供が心底うれしそうにするのは、

大人が至れり尽くせりに用意した素晴らしい体験ではなくて、何かが足りないとか、

ちょっとドキドキする事件に遭遇するとか、

それまでの自分のままじゃどうにもできない壁にぶつかるとかした時に、

知恵を絞るとか、アイデアを出し合うとか、一致団結するとかして、

それを乗り越えた時です。

 

子供は、本物だと思われる体験の中で、

「今という瞬間が、あなたの頭脳に助けを求めています!」

「あなたの身体能力や意志の力に期待しています」

というミッションが与えられることが大好きです。

 

また、これまで避けてきた未知の危険地域に足を踏み入れて、

最初は不快で泣きたい気持ちだった子や、

無性にいらいらして小さな爆発を繰り返していた子が、

自分自身で未知の世界となじむためのささやかな糸口を見つけた瞬間、

未知の危険地域に感じられた場が一気になじみのある好奇心の対象になるというのも、

子供が何よりも好む展開です。

それは、まだとても幼く見える子たちにしても同じです。

 

ユースホステルでのレッスンでこんなことがありました。

小学生の女の子たちがメインのレッスンに、幼いふたりの女の子たちも混じっていました。

ひとりは小学生のお姉ちゃんがいるAちゃん、もうひとりはひとりっ子でちょっぴり怖がり屋のBちゃんです。

ふたりとも最初のうちは、居心地が悪そうに見えました。

年上の子らが工作に熱中したり、お化け屋敷ごっこをしたりして遊ぶ中、

その輪に溶け込めず、むくれたり、自分の殻に閉じこもったりしていました。

Aちゃんのお母さんによると、Aちゃんは活発で意欲的で社交的な子で、

これまで安心して見守ってきたのだけれど、

最近、むくれたり、無気力だったり、

反抗的だったりする姿が目立つので気になっていたそうです。

Bちゃんの場合、ひとりっ子で新しいことが苦手な子なので、

初めての場所、初めて会う人などに、戸惑っているようでした。

 

子供が、環境になじめないでいると、

「親の接し方のせいで子供がこんな態度を取るのか」

「発達上の問題か」

「環境や体験が子どもにあっていないのか」

と即座に悪いイメージと結びつけがちです。

 

でも、わたしはこういう場面で、

即座に、それがどういうものかという評価を下さず、

感情の痛みからくる決めつけをいったん保留にして、

ちょっとネガティブに見える体験に潜む新しい可能性に目を向けるようにしています。

 

たとえば、Aちゃんの場合でしたら、

お家でぐずぐず言うことが多くなった原因が集団での過ごし方の中にないか、

ぐずぐず言いそうな場に親子でいれば、しっかり観察することができます。

また、気づくことがあれば、実際にその現場で、

Aちゃんが今抱えている課題を乗り越えるのを支援することができます。

 

教室でのAちゃんはこれまで発達が早かったこともあって、

自分でテキパキ行動する子でした。

「こうしたことがしたい」と思い、それに根気よく取り組み、

最後までやり遂げる姿がありました。

 

ユースホステルで、不機嫌そうに振舞うAちゃんを見ていると、

Aちゃんがこれまでのように体で覚えたことで行動するのではなく、

頭を使って何かしようとしているのがわかりました。

 

最初に大人が掲げた「ユースホステルの廊下は走ってはいけません」

「〇〇してはいけません」といったルールを覚えていて、

その通りに実行しようとしていると、

目の前をお姉ちゃんとそのお友達たちが、

Aちゃんからするとルール違反をしてさっさと通り過ぎていきます。

「だめなんだよ。こうしなきゃいけないのに……」とつぶやくAちゃんは、

ひとりぼっちで取り残されていました。

自分が正しい場合でも、

数の多い側が涼しい顔でルール違反をしていると、

何だか自分が間違っているように思えるし、

臨機応変に判断する場面はまだよくわからないし、

自分以外の他の人の行動について、どうすればいいのか戸惑ってしまう……

そんな状態で、Aちゃんの心の中には小さな嵐が巻き起こっているようでした。

また、子供たちが集う場で、

Aちゃんが「こうしたい」「ああしよう」と自分の意見やアイデアを出しかけると、

別のもっと面白そうなアイデアに大勢が流れて、

Aちゃんは顔を曇らせて、自分の意見を引っ込める場面も見かけました。

 

ネガティブな体験が子どもの力になる時 2 に続きます。


干潟に関心を寄せるAくんから聞いたうれしい話

2020-11-03 20:28:35 | 子どもの成長

現在、5年生のAくんが干潟(潮がひいて現れた遠浅の所)に深い関心を寄せるようになって

3年以上になります。休みの日にはさまざまな地域の干潟をたずねて

そこに生息する生き物を調べ、本格的な研究資料のように

ノートにまとめています。

干潟への興味は全国の川についての関心や土地の歴史にからむ多方面の興味へと

広がりつつあります。

水の流れがAくんの興味をかきたててやまないそうなのですが、その興味の根っこについて

お母さんがAくんにたずねたところ、

「小さい頃にトイレの水はどこに行くのかなって不思議に思った時、

お父さんやお母さんや他の人は本で調べて教えてくれたけど、虹色教室では、

先生とぼくとで、

水洗トイレとトイレから流れていく水が流れる通路をストローをどんどんつないで

作ったんだ。それがすごく面白かったから、それから水の流れにずっと興味があるんだ」と

言ったそうです。

うれしくなって。過去記事からAくんの小さい頃のレッスンの様子を探しだしてきました。

 

3歳のAくんです。

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この頃、「トイレの水はどこに流れていくの?」と排水の仕組みに興味しんしん

という3歳の★くん。

地面の下や建物の地下など見えない部分に

強い関心を抱いて、いろいろな質問をするようになったそうです。

そこで、ストローをつないでいって、細い管の中を水が通る道具を作って

遊びました。

 

配管以外にも、同じく3歳の☆くんといっしょにこんなにすてきな街を作りました。

☆くんが作ったのは恐竜の世界。

★くんが作ったのは荷物の上げ下ろしをする場所や動物の広場、道路、バス停などです。

お友だちのSOSには、ちゃんとお手伝いにかけつけていました。

 


子どもが思い通りに育たないのは、育て方を失敗したため?

2019-12-28 20:45:24 | 子どもの成長

世の中には正しくて善意に基づいた子育てアドバイスがごまんと溢れています。

また園や学校や習い事では、毎日のように、

「そこの場で共有されている常識」を耳にすることでしょう。

子育て中のタレントのブログやネットの掲示板では、子育て中のママはどのように

振舞うべきか厳しい意見が飛び交っています。

 

そうやって母親のもとへ大量に押し寄せてくる情報は、どれも一理あるし、

子育てが順調な時には、日々の指針にしたり、問題を解決したりするのに

役立つ便利なもののはずです。

 

でも、順調とは言えない時……

子どもを育てていれば、否が応でもしょっちゅう遭遇する事態ですが……。

つい必要以上に子どもを叱り過ぎてしまったり、

理想の親像、子ども像と現実とのギャップに苦しんだりしている時期。

それまで何気なく取り込んでいた情報からまるで毒素でも流れ出しているかのように

内面を蝕まれていくようなことが起こりがちなのではないでしょうか。

 

子どもの言動が手にあまるような場合、内面化した多くの情報に責め立てられて、

子どもの気がかりや問題のすべてを、自分の育て方の失敗と結び付けて考えて

おられる方はたくさんいらっしゃいます。

 

でも実際に親御さんに会ってみると、どの方も9割方はきちんと子どもに対応していて、

罪悪感や失敗感は不必要という印象があります。

必要なのは、子どもの個性に添って、ほんの少し接し方を微調整すること、

修正するにしろ自分のあり方のだいたいに自信を持つこと、

子どもの育ちの道筋の大きな流れを把握して、うまくいかない状態に不必要に

うろたえないことではないでしょうか。

 

子どもによっては唖然とするようないたずらを繰り返す子もいるし、

かんしゃくや駄々をエスカレートさせていく子もいます。

年中、文句ばかり言ってやる気がない子もいるし、

激しく動き回って、トラブルばかり起こす子もいます。

自分の言い分を通そうとして長い時間ごね続ける子もいるし、

不安や緊張が強くて、新しい活動に頑として取り組もうとしない子もいます。

 

そうした子と接していて経験的に言えるのは、

子どもの困った行動の多くは接し方を変えたり、十分に甘えられるような時間や機会を

設けたり、過干渉を減らしたり、子どもの長所や強みにスポットライトを当てることで

改善するけれど、だからといって、今、子どもの問題に悩んでいるのは、

それまでの過去の失敗の結果でもないということです。

 

わたしがこうした意見のよりどころとしているのは、

「たくさんの子どもたちと接する機会がある」という点と

「今、困った状態にある子と非常によく似た時期を経た子が、

その数カ月後、1年後、数年後には、

どのように成長していったのか目にしたことがある」という点で

培った勘のようなものです。

が、それは、子どもの言動に途方に暮れている親御さんが感じたり考えたり

判断したりしている内容と、かなりずれがあります。

 

子どもの問題行動がエスカレートしている時、たいていの方は、

「叱りすぎているのでは」「これまでの接し方が間違っていたのでは」と

親の自分にその原因があるのではないかと悩んでいます。

でも実際にそうした子とじっくり付き合ってみると、子どもの気質の側に因があって、

親の叱り過ぎや接する際の悩みを引き出しているように見えるのです。

 

周囲を疲労困憊させるほど困らせる子には、

発達に偏りのある子もごく一般的なもあるでしょうが、

どちらにしろ、際だって魅力的な面を持っている場合がほとんどです。

知能がとても高かったり、美的な感性が優れていたり、好奇心が強く科学への関心が

強かったり、エネルギッシュで粘りがあったりするのです。

繊細で優しい気持ちを持っていたり、

きちんとしよう完璧であろうがんばろうという気持ちが人一倍強かったりする子も

多いです。

わたしが教室で見かける親を困惑させる子のほとんどは、

発達障害による育てにくさがあるか、ハイリーセンシティブな子か、

ギフテッド(ハイリーセンシティブな子や発達障害の子と重なる部分を持っている

ことが多い)の子のいずれかの特徴を持っているように見えます。

ギフテッドは、先天的に平均値よりも顕著に高い能力を持つ子たちのことです。

 

ギフテッドの子どもたちは、神経の感受性が増すことによって通常の人間より

刺激を生理的に強く経験する特徴を持っているとされています。

こうした刺激に対する並みならない反応をすることは、OE(過度激動)と

呼ばれています。

ギフテッドの子らのように高い能力を持っているわけでなくても、

ハイリーセンシティブな子たちは、よくこのOEという精神状態にあります。

 

ポーランドの心理学者、精神科医、詩人であるドンブロフスキは、

OEという平均以上に敏感な精神状態を5つの分野に区分けしています。

 

1精神運動性OE

落ち着きがなく頭の回転が速い印象を与える。話が一気に飛躍する、

頭が働いて眠れないなど

 

2. 知覚性OE

神経質さ。光、音、匂い、触感など感覚器官に与えられた刺激に過剰に反応する。

美的感覚にもつながる。


3. 想像性OE

隠喩などの詩的表現に優れる。「注意力散漫」と見られる。白昼夢を楽しむ。


知性OE

広く知られているギフテッドの特徴。知識を渇望し、疑問は研究し、理論的な分析や

真実の探求を愛する。そのため高度な科学・ドキュメンタリー番組を好んで見たり、

頭脳パズル、知覚ゲームを好む。


5. 感情性OE感情の種類と幅が大きく「ドラマチック」な反応を示す。

より楽しみ、より悲しみ、より怒り、より驚き、より恐れる。深く感情移入し、

愛着心、責任感、自省意識も非常に強い。

 

子どものOE過度微動が強ければ、育てる親にすれば、

日々、へとへとに疲れ果ててしまうことは想像できます。

でも、こうしたOEの強い子たちの優れた面に光を当てて、

もがき苦しみながら成長していく姿に寄りそい、創造性や強い探究心を発揮する場を

保証してあげるなら、思い通りに育たない不全感は、思った以上の、

想像できなかったほどすばらしい個性の面白さに変わっていくのだと感じています。

また、実際に教室で、そうした姿を目の当たりにしています。


頭脳パズルが大好きになってきた1年生の子たち

2019-05-31 19:55:41 | 子どもの成長

 

 

グループでのレッスンも3年目の女の子たち。1年生になりました。

幼児期はちょっと頭を使う場面になると、

「疲れた~」と言いながらうろうろすることがよくあったAちゃん。

負けず嫌いでがんばり屋だったお姉ちゃんとの違いに

お母さんはとまどっておられました。

でもいつの間にか、頭脳パズルや算数遊びが大好きになっていました。

かわいい工作が大好きなBちゃんも

このごろ、頭脳パズルやボードゲームがブームです。

同じグループの年長のCちゃんと熱中しています。

 


Aくんもがんばった! ロボットもがんばった!

2019-03-29 21:23:38 | 子どもの成長

 Aくんもがんばった!

ロボットもがんばった!

Aくん作の巨大な障害物のある道を、

段差を超えることができるロボットは進んでいきました。

 子どものその時期その時期の本気注がれた遊びは、

後から振り返るとその子の生きた軌跡を見るようです。


遊びが育むやる気 と 問題を乗り越える力

2016-05-10 18:22:13 | 子どもの成長
この記事を探しているという方がいらっしゃったのでアップします。
 
『お母さん、火って何から出来ているの?』という
6歳のタロウくん、2歳のハナちゃんの日々をつづったブログを
いつも楽しく見させていただいています。
このタロウくんとハナちゃんの思いつきや工作の仕方……言動もですが、
うちの子たちの小さいころにすごく似ていて、
読ませていただいているうちに思わずうちの子たちが小さいころに
タイムスリップしています。
失礼ですが、お母さんのふるまりさんのゆるい対応(ごめんなさい~)も、
私の子育ての手抜きワザとそっくりで……世の中、似たような方法で
子どもと付き合ってく方もいるもんだな~と
ちょっとびっくりしたりもしています。
そんなふるまりさんの
★タロウのプレゼン失敗と、本当の「問題解決能力」という記事に、
次のような思いがつづってありました。
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タロウには(ゆくゆくはハナにも)、自分のやりたいことをやるために、
 
どんな状況であっても諦めずに努力する力、をつけていってもらいたいと
 
思っています。
 
そのためには、少々の困難(この場合はダンナのダメ出し)にもくじけず
 
「では、どうすれば良いのか」を考える力をつけていくのが大事なのかなと。

でも、そうやって、「問題を乗り越えていく力」というのは
 
なかなかエネルギーがいるもので、そのためには、その原動力となる、
 
「~したい」という強い思いがなくてはダメです。
 
子供であれば、遊びがその原動力となると思いますが、その遊びを通じて、
 
「~するためにはどうすれば良いのか」という対応能力を、
 
つけて行ってもらいたいなーと。
 
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読ませていただいて、
 
そうそう~うちの子たちのやる気と自発性と
 
何があってもめげずに問題を乗り越える力や、くじけなさは、
 
小学生時代に毎日、毎日、遊んで遊んで遊びつくしたあげく
 
作られていったものだな~と思い当たりました。
 
どちらかというと、うちの子たちは、飽きっぽかったり、人間関係で、
 
打たれ弱かったりする所があったのですが、
 
子ども同士わいわい群れてする遊びは自然に子どもをたくましくして
 
くれるな~と思います。

前にも書いたことがあるのですが、

娘が5、6年生、息子が2、3年生のとき、近所の子どもたちと一緒に、

息子を社長にして、「そそそ会社」という架空の会社を立ち上げていました。

娘と娘の友だちは、いつも息子をからかったり、

キツイ言葉をかけたりしているのですが、社長に祭り上げているあたり……

遊びを生み出す発想力に関しては息子のことを一目置いてたんでしょうね。

「この子の思いつくアイデアに乗ってたら、はずれがなく面白いはず」と。

 

娘と娘の友だちは、いつも社長より一段上の会長職か何か……のような

立ち位置にいて、陰の支配者のようにも見えました。

 

この会社、子どもたちの思いつくままにどんどん事業を広げて、

(よく思いつくもの……と呆れるうちに……)

テレビゲーム製作部門、おもちゃ製作部門、販売部門、映画制作部門、

販売部門、プレイパークの運営……あげくの果てには、学校経営にまで

手を出していました。

それで、近所の低学年を勧誘して、面接試験をし、社員研修まで

おこなっていました。

この試験とか、社員研修といったアイデアや内容は、ほとんど娘の友だちが

考えていました。

「将来はシナリオライター?」と思うほど、おもしろおかしい文章や

アイデアがつらつら出てくる子なんです。

二階で好き勝手に遊んでいるのですが、時々、聞いていると、

この「そそそ会社」の面接試験も、経営している学校の入学試験も、

世間の価値観の逆さまなのです。

「トイレに行ったあとで手を洗いますか?」といった質問には

「いいえ」と答えないと減点されて、試験に落とされたりするのです。

本気で試験に挑んでいた子が、泣きながら試験に落ちた~と

私のところに訴えてきたこともありました。

時折、バーッと外に出て行っていなくなったな~と思うと、

バタバタ駆け戻ってきて、

また遊びが再開するという繰り返し……でした。

 

子どもって、親が選ぶ「良いこと」だけでは育たないな~と

子どもが大きくなるにつれて感じます。

子どもの気持ちを前向きでチャレンジャーにしてくれるのは、

失敗したってどうってことない、飽きたら次を考えれば済む~という

環境のゆるさだったりします。

「新しくこんなことしてみたい、自分の全力をこれに傾けてみたい」と

ひらめいたとき、一瞬の迷いも、大人への遠慮も、罪悪感もなく、

自分をその中にどっぷり投入できる……。

それが子供だけでする自由な遊びのよさですよね。

思い通りにいかないことが多いこと、頭をしっかり使わないと

すぐ退屈すること、きょうだいも、友だちも、自分から働きかけて、

一生懸命、説得するなり、ぶつかりあうなりしないと、親や大人たちのように、

簡単に折れてくれないこと……。

とにかくジレンマを感じる場面に何度もぶつかるし、

考えてもみなかった事態に遭遇することもよくあります。

でも、それが、「どうしてもこれがやりたい!」という気持ちに駆り立てて

くれるし、退屈ついでの言い争いが、多少のことにくじけず、あきらめず、

どうすればいいのか考え続ける挑戦し続ける姿勢を作ってくれるのです。

 

私は毎日の子どもの生活に、退屈や無駄やけんかや、

大人から見ると「無意味で非効率的」なことがたくさんあるといいな~

と感じています。また、親の私が正しいと思う考えとは対極にあるものも

チラホラあるのがいいな~とも。

実際、子どもたちがかなり大きくなってみると、

私が価値をおいていなかったものが、

子どもたちを鍛え成長させてくれていたことがよくわかります。

 

ふるまりさんの記事にもうひとつリンクさせていただいて↓

★「輪ゴムをひっかけてあそぼう」オモチャ

 

タロウくんが地団駄を踏んで、「これがしたいんだ~」

「これじゃなきゃダメなんだ~」と訴えて、その熱意におされて、

しぶしぶ工作準備に手を貸す様子が描かれています。

これを読んで、そうそう~、もし最初から、

「お母さんはいつでもあなたの工作に手を貸しますよ、

スタンバイしてますよ」だったり、

「子どもに工作をしてほしいのは、

本人よりお母さんかもしれない」って状況だったり、

「工作教室で、きちっと材料が整っていて、今工作の時間ですよ」

だったりしたら、それほど工作に熱が入るのか……。

工作以外のことまで、貪欲にやりたいがんばりたいという気持ちが

起こるのか、疑問だな……と感じました。こうしたところに、

子どもをやる気にさせる、主体的にさせる原動力が生まれる

瞬間が潜んでいて、それは大人が「がんばって」作ろうとすると

すごく難しいことだなと感じるのです。

まず、本気で交渉すれば相手が動くという経験なり信頼感が

ベースにあって、それでいて、まあまあ手ごわかったり、

思い通りいかなかったりして、軽いジレンマや、必死に、あの手この手で

ぶつかる時間があって……

つまり、時間に追われていないことが大事で、

その後、人と人との間で自分の思いが達成できたという満足感が

残るという経験。

そうした繰り返しのなかでこそ、

自分の知力や、技術力や、体力や、精神力の限界が把握できるし、

自分が何がやりたいのか、内面から湧き上がってくるものを

実感できるのですよね。

 

2歳くらいの子でも、

新しいおもちゃを渡しても見向きもしなかったりするのに、

お友だちが持っていると欲しくなる、取り合うとさらに欲しくなって、

ものすごくやってみたくなる、

いつもならすぐに飽きてポイなのに、渡したくないからおもちゃに

熱中するという瞬間がありますよね。

そうやって人と人との間でジレンマを抱きながら、

自分の気持ちがワーっと湧いてくるから、

いろんなことに夢中になれるようになるのですよね。

もちろん勉強だって、大人の期待に応える形ではなく、

また級とか賞とか、プレゼントとか関係ないところで

「自分自身の心が強く強く何かを欲した経験」がベースになって、

がんばれるようになるのだと感じます。

 

うちの子たちの小学生時代のことを思い返すと、何が良かったのかって、

大人の価値観に真っ向から反抗して、好きなように無駄をやりつくして、

ひとつも「大人のため」が入っていない世界で、自分のしたいことをした、

やりたいことのエネルギーがいくらでも湧いてきたという

経験なのでしょうね。

そこで、すっきりとゼロの自分になって、

自分の人生にどんな計画を思い描こう、この人生に自分の知力、技術、体力、

精神力の全てを投入して何をやってやろう!

って力が湧いてきたのでしょう。

そして、今度は、一歩、現実の世界にも足を踏み入れて、

その力を勉強なり、人との関係の構築なり、使い出すのだと思います。