虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

絵が好きな子にどんなことをしてあげるといいでしょう?

2022-08-14 22:58:03 | 教育論 読者の方からのQ&A

★くんは、絵が大好きな5歳の男の子です。
教室に来ると必ずといっていいほど、絵を描きたがります。
前回のレッスンでは、水彩絵の具を使わせてあげると、とても喜んでいました。

子どもが絵を描くのが大好きだと、「上達させるために何をしてあげられるかな?」「絵画教室を探そうかな?」と悩んでしまいますよね。

子どもが何かに喜んで熱中しているとき、そうした親側のあせりは禁物です。

すぐに何か教えたり、習わせる前に、子どもの姿をよく観察すると、今の「大好き」を起点にして、さまざまな方向に伸びていく可能性が見えてくるからです。
とにかく急いで、既存の枠にはめてしまうと、他の可能性を遮断してしまうかもしれません。

★くんは、絵に熱中する前まで、積み木で日本のお城を作ることを繰り返していました。
正確に高さをそろえたり、橋の形通り再現したりするのを喜んでいました。

几帳面な性質で建造物への興味が強い子ですから、今の「絵が好き」から、設計図を描いたり、見たりすることや、地図を描いたり、地図の見方を学んだりすることにつながるかもしれません。

また、5歳以降は、「こうしたい」という自分の工作のイメージが、動きのあるものや、磁石や滑車などの科学的な知識を取り入れたもの、展開図などの算数の知識を取り入れたものに変化していく時期ですから、この時期の描いたり作ったりの作業を、「上手に絵を描く技術を身につける」という大人の決めた枠の中に押し込めて しまうのはもったいない気がするのです。

★くんは絵が大好きで、しょっちゅう絵を描きたがります。
描くことに抵抗がない子は、 算数の文章題を絵を描いて解いていくよう教えると、算数好きになることがよくあります。
頭脳パズルを作って解くことも楽しめます。

「絵=絵画教室で習うもの」「絵=絵を上達させなくては……」とあせりさえしなければ、さまざまな方向に可能性を広げつつ、絵も上手になっていくことができるのです。

それには「タイミング」が大事です。
親だけが少しでも早く、「上達させたい」と願ってみても逆効果!
今、子どもが家で、ただただ、らくがきするのを楽しんでいるなら、それを最優先にして、同時に子どもをよく観察するといいですよね。

たとえば、「絵として他人から見て上手に描けるわけじゃないけど、絵を描くのが好き」という子がいたとします。

その子に、自然に、ちょうど良い刺激を与えつつ、描きたいときにたっぷり描ける環境を用意してあげると、

算数の文章題を解いたり、地図や頭脳パズルを作ったりすることを楽しみつつ、絵も少しずつ上達するかもしれません。
けれども、 上手にさせようとして、急いで絵を習わせたり、描き方を教えたりすると「自分は上手ではないな」とコンプレックスを抱いて、それ以降、描くことを楽しまなくなるかもしれません。
そうなると、せっかく描くことを通して、親しめたかもしれないさまざまな可能性が消えてしまいますよね。ピアノを習って、音楽嫌いになった子の話はたくさん聞くのです。
習い事が悪いわけではないのですが、急くのはよくありません。

子どもの適性をよく見て、先のさまざまな可能性も把握して、子どもの心に響く対応をするのが良いと思うのです。

『ママ、ひとりでするのを手伝ってね!』(相良敦子)の著書のなかで、こんな話が取り上げられていました。
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幼稚園の教育実習に行ったふたりの学生の報告です。
お芋堀りのときのこと。Aちゃんは、お芋を掘ることよりも、土を掘りながら別のことを楽しんでいるようでした。
「ねぇ、先生、どんどん掘っていくと、下の方は冷たいよ」
実習生のIさんは、とっさに「どうして冷たいかわかる?」とたずねました。
「わからない」とAちゃんが応えたので、Iさんはどうして冷たいのか理由を説明してあげたそうです。

もうひとりの実習生Fさんは、Bちゃんに「先生、とてもいいこと教えてあげる」と連れられていきました。
そこは滑り台の下の砂場でした。「先生、つーめたいでしょ」
Fさんが砂に手を入れて冷たさを味わっていると、Bちゃんは、さんさんと日が照っている砂場にFさんを連れて行き、「先生、あったかいよ~」と言ったそうです。園庭に冷たい砂と温かい砂があることを発見し、それを宝物のように教えてくれたのです。
Fさんは感激し、Bちゃんと何度も2つの砂場を往復し、心ゆくまで砂の感触を楽しんだそうです。
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前のIさんの報告に、著者の相良敦子さんは、「なんとやぼな対応でしょう」
と感想を述べています。
Fさんについては、「Fさんは、やがて幼稚園の先生となりましたが、子どもとともに感じ、発見から発見へ、工夫から工夫へと進んでいくすばらしい先生になりました」と報告しています。

子どもが何かに夢中になっているとき、その子のなかで、さまざまな気づきや喜びや発見が渦巻いています。
感覚が敏感な時期の子には、その時期特有の学び方があります。

そのとき、多くの親御さんは、何か目に見える進歩が欲しくなって相良さんが「なんとやぼな対応でしょう」と嘆かれているような対応をしがちです。

「教えたい」「進歩させたい」「今すぐ結果を見たい」と急いて、先の大きな成長をつぶしてしまわないように、次の2つのことが大事です。

★子どもの今の発見や喜びに共感する。

★その子その子の個性と発達の段階を良く見て可能性をつかんでおいて、
ちょうど良い「タイミング」で、(ほとんどは子どもからの求めに応じて)新しい遊び(新しい学習)に誘う。


学びの原動力は「謎」

2022-08-02 08:49:28 | 教育論 読者の方からのQ&A

『小さな友へ』という詩は、10年ほど前に、子どもたちに向けて書いた詩です。
もし何でも子どもたちにプレゼントできるとすれば、何を贈ればいいだろう?
私が子ども時代に手にしたもので、最高にすばらしかったものって何だろう?
今も宝物となっているものは何だろう?
そんな考えをめぐらせながら書いた詩です。

当時、私が、「子どもがもらって、心がときめくのはこれしかない」と考えたのは、『答えのない問い』でした。
つまり、『謎』であり、『不思議』であり、自分独自の『知りたい思い』『まだ答えが与えられていない未知の課題』です。
この思いは、10年経った今も、少しも変わっていません。

先日、『おせっかい教育論』 著者 鷲田清一 釈徹宗 内田樹 平松邦夫 (株式会社140B)という著書のもくじ欄で、『子供が育つには「謎」が必要』というタイトルを目にし、思わず、即、購入して帰りました。

この著書の中で、内田樹氏は、子どもにとって、成長の一番の契機になるのは「謎」だと断言しておられます。
子ども自身が自分の知的な枠組みを壊してブレイクスルーを果たすためには、「なんでこの人はこんなことをやっているんだろう」というミステリアスな大人が絶対不可欠なのだそうです。
学校では、文部省は一貫して教員たちの規格化・標準化を進めてきているので、一定の価値観の枠内の人しか教壇に立てなくなってきている問題を指摘しています。

鷲田清一氏は、大人が言うことが一色なのも問題で、いろんな考えがありうるという、複数の可能性のフィールドを提示するのが大人の責任だとおっしゃっています。

この著書で書かれているミステリアスな『謎』は、私が詩で表現した『謎』とは少し意味がちがっていたのですが、とても共感できるすばらしい本でした。

勝手に拡大解釈させていただいて……「子どもが育つには『謎』が必要」という言葉は、いろんな意味で、今子育ての場に最も足りないもので、最も重要なもののひとつでもあると感じました。

教室でもワークショップでも、子どもの目が輝き出し、一生懸命課題に取り組み出すきっかけとなるのは、「どうしてだろう?」「おかしいな」「不思議!」と感じた瞬間です。

子どもはすでにわかっていることを「覚えなさい」「練習しなさい」と言われるときではなく、「どうして?不思議!」と大人でも首をかしげるような疑問にぶつかったときに、全力で問題を解決しようとします。
そうして考えることの面白さに気づいた子は、普段の勉強もまじめにこなすようになっていきます。

『謎』は、上で紹介したような好奇心をくすぐる不思議との出会いや、価値観の異なる人々との出会いとは別に、『未知』であるという意味で、学ぶ意欲と深いところでつながっています。


虹色教室では、子どもたちと小さなものから大きなものまで、さまざまな創作活動をすることがよくあります。
子どもの興味に引っかかったものを、先行きについては『あいまい』なまま、気の向くままに、その都度、学べそうな要素をいろいろ盛り込みながら作っていきます。
こうした制作活動は、たいていの場合、いつも最初に期待していたよりも何倍も良い結果を得て終わります。

はじめ結果が読めないのは、その子その子の個性が混じるからです。
子どもによって、作ってるうちに、歴史や地理に強い興味を抱くようになったり、緻密に計算された作品を作るようになったり、根気が伸びたり、自己肯定感が上がって、何ごとにも積極的になったり、算数や理科が得意になったりとさまざまです。

そんな風にそれぞれが得るものは異なるけれど、手でする作業と、自分のなかの美を感じる気持ちと接触した後って、必ずといっていいほど、期待以上の結果を手にすることになるのです。

何かすごい作品を作ろうと力むのでなくて、面白そうだ~というアンテナにかかった作業にモクモクと熱中してみることで、子どもは素直になり、落ち着き、個性的な「自分」という感覚や、自由な生命力を取り戻すように見えます。

積み木で、幼稚園や小学生の子たちと、海上のピラミッド モン・サン・ミシェルやパルセノン神殿を作ったことがあります。
そうした製作はたった一日の出来事ですが、その後、教室では、古代のカレンダー、ストーンヘンジやピサの斜塔、コロッセオなど遺跡を作る子たちが続出し、学習への集中力や海外の文化に対する興味が高まりました。


日比野克彦氏と鷲田清一氏は、アートの「絵でも工作でも何かをつくることで、気持ちを共有したり、コミュニケーションの輪が広がったり、新しい発見ができたりする」という機能に着目しています。

「気持ちの共有」「コミュニケーション」「新しい発見」の3つは、虹色教室でも、製作活動中やその後で起こりやすいことです。

子どもが作品を作ったとき、時折、それを教室に飾っておいてあげると、「私も飾って!」と言い出す子がいて、描いたものを「誰か」が見てくれることがうれしくてたまらないという気持ちが、他の子の作品にも興味を持ち、自分の中にその良さを取り込んでいこうする態度に変わるときがあります。

また、ひとりの子の作品が、たくさんの子の心を揺さぶって、電子工作や歴史的な建造物を作るといったことが流行することがあります。

誰かが発見した科学的な仕組みを、別の子たちが別の作品で利用することが流行るときもあります。
「新しい発見を発表しなくちゃ!」というワクワクする気持ちと、小さなアイデアが広範囲に影響を及ぼす力に子どもひとりひとりが感動する気もちを持っています。

教室では、自然に遊びが共同制作へと流れていくことがよくあって、ピタゴラスイッチのような装置や、やどかりハウス(だんだん巨大化して屋根つきを作ります)などを、
「ぼくは、ここするから、そっちたのむよ」「これどう?いいでしょ?」「うん、すごいすごい!」といったやりとりをしながら、熱中する姿がみられます。
完成の喜びが、「磁石について、くわしく調べたい」「恐竜の時代について研究したい」など、強い知的好奇心に結びつくこともよくあります。

製作の場で、「気持ちの共有」「コミュニケーション」「新しい発見」が活性化されることと、日比野氏の『明後日の感覚』といったものはつながりがあると感じています。

「こういうものを作りなさい」「それぞれ個人で」など、ルールや先行きがかっちり決まりすぎていると、ただ作った~で終わっちゃいがちなんですね。

子どもを見ていると、人って個人的に何か上達することよりも、人とコミュニケーションを取ることや、互いに響きあうとき、誰かの役に立ったとき、認め合ったときに、
一番いきいきするんだなと感じています。

良い作品ができたとき、高い点数をつけてあげるより、「みんなに、どうやったらこんな風にできるのか教えてあげてちょうだい。みんなに、どこを工夫したか説明してあげてね!」と言った方が誇らしげな顔をしているのです。


日比野氏の言葉に、次のようなものがあります。
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そう展覧会でも、「この絵いいよね」という人もいれば、無言で通りすぎていく人もいる。
絵は同じでも、判断は百人百様です。
絵はダンボールに絵の具がのっているだけのものですが、人によっては、見た瞬間に時空を超えることもできる。
それって、芸術の力としては、絵描きの力よりも見る力のほうがすごいんじゃないか。
それで、だんだん、見る力のほうに興味が移ってきました。
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子どもに創作させるとき、「わが子が何を作ったか?」「他の子より上手か?」という点だけ気にかける親御さんはいるのです。
でも、本当は何も作っていなくても、他の子の作品を「見る」だけでも、見る力が高まっているんですよね。

「見る」力だけでなく、★幼児が「よく考える」ようになるステップ で取り上げたさまざまな力が、製作をお友だちと共有しあう場では、向上するのだと思います。

脳への「入力」自体が変わる、と言っても過言ではないのでしょうね。

日比野氏は美術を日常のなかに機能させる機会を広げることを、自分の役割と感じておられます。

美術を日常のなかに機能させる大切さって、すごく感じた出来事があります。
去年、母の死の後、私は母への供養の意味もあって、曼荼羅風の絵を何枚も描きました。

どうして曼荼羅かというと、母が末期癌におかされて入院中、「暇つぶしに」と、色鉛筆のセットと分厚い曼荼羅塗り絵というのを持っていったことがあるのです。
母は、クリスチャンだったので、曼荼羅と関わりがあるわけじゃないのです。ただパッチワークが好きだったので、曼荼羅が母の縫うパッチワークのパターンのようにも見えて買っていったのです。

数日後、入院先を訪れると、母のベッドに向かいのベッドの人がやってきて、「○さん、ありがとう。2枚も塗らせてもらっちゃったわ。心が落ち着くわ~ほんとに楽しいわね~」と言って、例の曼荼羅塗り絵を差し出しました。
母に塗り絵の進行状態を見せてもらうと、何十ページももう塗られていて、メモの欄に、病室の人らしき名前や看護士さん、実習生の方などの名前がつづられていました。

塗り絵の隙間には、○さん(母)に出会えて、私は感動しました。この塗り絵作業に(勝手にプロジェクト化していたのでしょうか?)参加させていただけて、どんなにうれしかったか……といったメッセージが、看護の実習生や看護士さん、病棟内の友人によって、いくつもいくつも書かれていました。

この曼荼羅塗り絵は母の形見としてもらおうかと思ったのですが、母が旅立つとき棺の母の顔の傍らに入れさせてもらうことにしました。

母のいた病棟は病が重い人が多くて、暗い気が立ち込めているような感じがあったのに、きゃっきゃっとはしゃぎあう高校生たちのような雰囲気で、塗り絵をしてよろこんでいる病棟の人々の姿と、それぞれの個性があらわれる色遣い、タッチなどの面白さが
今も目に焼きついています。

私も、スケッチブック一冊分、曼荼羅の絵を描き続けて、ようやく母の死を静かに受け入れられる心境へと移っていった気がします。

アートの力、すごいですね。

病棟の空気を一新したアートの力が、子どもたちの心に変化を起こしてくれないかな?
と、そんな夢を抱きました。


『未来のだるまちゃんへ』メッセージ

2022-06-23 11:45:25 | 教育論 読者の方からのQ&A

 『だるまちゃんとてんぐちゃん』などの人気絵本を世に送り出してきた、かこさとしさんの『未来のだるまちゃんへ』で先生方に向けて書いたメッセージを読んで、考えさせられました。

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今は学校の先生方も忙しくてそれどころではないかもしれませんが、本当は生徒さんたちがひとりひとり、どんなものが好きで何に関心を抱いているのか、その生態を見極めて、先達としてうまいこと導いてあげられないものか。

型にはまった目標を掲げて、お尻をひっぱたくだけでは才能があっても埋もれたままになってしまっている気がする。

 「君が持っている、ものすごい鉱脈はそれだよ」

そう気づかせてやることさえできれば、子どもは、大人が叱咤激励なんかしなくたって自分からぐんぐん成長していけるのだ。

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 このメッセージは先生方だけでなく親や身近な大人たちみなが、大切に受け止めていく必要があるな、と感じました。

 

子どもたちが自分で自発的に花開いていく糸口をつかむ前に、外注して解決していく手立てがあふれるほどあって、子どもが自分で見つけるのを待っていられない風潮がありますから。

 

 『未来のだるまちゃんへ』にこんなエピソードがありました。

あるとき、かこさとしさんは、とにかく子どもたちと遊ばなきゃと、材料がなかったので、新聞を人数分に破いて、「この中に数字があるのを見つけて、多い人が勝ちだぞ。さぁ、用意ドン!」と言ったそうです。

そんなたわいのない遊びでも、子どもは「僕が一番!」「ちっともないや」と、はしゃいで探していたそうです。

そうしたら「自分の方がもっと多い」という子がいて、のぞくと株式欄だったそうです。

「なるほど株式か。これが一番だな」と褒めたら、「株式って、なんだ?」と聞かれたそう。

その子のお父さんは日立造船に勤めていたらしく「お前のお父ちゃんはここに勤めているんだから、これを毎日調べてみろ」と言ったら、その子も自分の父親のことだから、グラフなんてかけと言った覚えはないのに、ちゃんと株やみたいにグラフまで書くようになって、そのまま続けていたそうです。

 

どちらかと言えば、学校の勉強はあまり熱心じゃない子でも、「これだ」と思うものを見つけさえすれば、そういうことが起きるわけです。

そんな例はいくらでもありました。

と、かこさんはおっしゃっています。また、

本人に興味がない時に、大人がちぎれるまで手をひっぱったってどうしようもない。

 とも。

(「昆虫好き」という子でも、「昆虫全般が好き」という子はまずいなくて、「バッタが好き」とか「セミが好き」とか昆虫好きになったきっかけになった何かがあり、それについてはピンポイントで大人顔負けにくわしかったりします。)

 

「なんで好きなの?」と聞けば、そこにはきっとその子だけの物語が浮かび上がってくるはずです。

子どもにはそうした秘めた力があって、糸口さえぱっとつかまえたら、あとは自分自身の力で伸ばしていく、自分で探求し伸びてい行くことができるのだと思います。

自分から興味を抱いたものを調べて、どんどん深めていく時の充実感というのは、その子の生きる喜びにもつながっているのでしょう。

子どもの顔が急にいきいきと輝きだすのがわかります。

 

といった言葉は、虹色教室でも、何度も何度も、目にして感動してきたことでもあります。

 

少し前に成長とは自発的に花開くこと」というかこさんの言葉を強く感じた出来事がありました。

教室に小学校にあがるまで、1語文か2語文を話すのがやっとだった重い自閉症のAくんという男の子がいるんです。

その子のお母さんの子育てがまさに、かこさとしさんがおっしゃるような視点によるものでした。

小学校中学年になったAくんは、3ケタの計算をしたり、みんなの前で歌を歌ったり、さまざまなゲームや頭脳パズルを楽しんだり、ブロックですごい作品を作ったりするようになり、人と関わることを心から楽しんでいるのがわかります。

その成長のひとつひとつには、ささいな見落としてしまいそうなきっかけがありました。

たとえば、Aくんは地理に興味を持つようになったのですが、そのきっかけは「北海道」の地図の絵が描いてある大好きな蒸しパンだったそうです。

Aくんは特性のせいで、興味の対象がどうしても狭くなりがちなのです。

それで、Aくんが、いつも北海道の地図の絵がついている蒸しパンが好きなことから、親御さんたちは思いきって北海道旅行を計画しました。

といっても初めてのことにパニックを起こしがちなAくんを連れての旅行は、それは大変なものだったようです。

同時に、準備をし、工夫をし、問題にぶつかったら家族で解決しながら乗り越えて、旅行がうまくいった後で、Aくんの興味関心と自信は大きく広がっていました。

Aくんは学校や虹色教室でのさまざまな新しい課題に積極的に取り組むようになってきました。

以前はむずかしすぎてすぐにあきらめていたグラビティ―・メイズという頭脳パズルの問題を次々と課題を解く形でクリアーしていきました。


勉強が好きになるまでのプロセス 2

2022-06-13 15:18:14 | 教育論 読者の方からのQ&A

前回の記事にこんなコメントをいただいたので紹介します。

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「間違っていてもいいからやる気があふれだしている状態」

↑これがすごく大事なんだな〜って最近ひしひしと感じています。

先生もご存知の通り、娘の書く漢字の中には不思議な形の物がチラホラ、、、(;^ω^)
でも何故か漢字の練習を頑張らせよう、とかいう気になれず、しばらく様子見、、

すると案の定、個人面談で先生に「漢字がちょっとね、、、漢字の書き取りをご自宅で頑張らせて下さい」言われました、、、
勿論、はい! と返事をし、で、そのまま何もやりませんでした(;^ω^)

それから約一年は見るも無残な点数ばかりで酷い状態でしたが、何故か私も娘もち〜っとも気にならず、、、

そうこうしているうちに娘の方が自発的に漢字の書き取りをするようになり、今ではほぼ毎回満点(*^^*)<
しかし、私は勉強の事で特に褒めた訳でもなく、どちらかというと、「プリントくらいやりなさいよ!」と怒っていましたが、、、

では、何が娘をヤル気にさせたんだろう、、、???

「○○はいつも頑張ってるね!頑張り過ぎてない?息抜きも必要よ〜」と、毎日労いの言葉をかけていたから?
はたまた突然ヤル気を出してほぼ毎日やっている習い事のおかげ???
↑これがヤル気が溢れ出した状態なのかしら、、、?

理由はよく分からないままですが、一つだけわかっている事は、私が無理矢理漢字の書き取りをやらせていたらこうはならなかっただろうな、、、です。(;^ω^)

漢字のみならず、他の勉強も自発的にやってくれる日が来るのかな、、、にわかに信じがたいのですが、、、今は淡い期待を抱きながら日々過ごしています(*^^*)
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前回までの記事で、

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遅ればせながら大逆転を遂げる子たちには、それが先に書いた「間違っていてもいいからやる気があふれだしている状態(やる気がからぶり状態)」をしばらく過ごしているという共通点があります。

また、親や学校の先生や友達から一目置かれて認められていて、周囲の愛情を肌で感じられる状況があり、ありのままの自分を表現できる場がある点も共通しています。

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といったことを書きました。

書きたかったことは、子育てで同様の経験をした方以外には伝わらないだろうな……と思っています。

どうして伝わらないなどと消極的なことを言うのかというと、この状態は、「できなくてもくじけずに意欲的に取り組んでいる」という、一般的に言葉からイメージするであろう状態とはちがって、はっきりとはわからないけれど、

「子どもの脳の中で新しい回路が開発されつつあるんじゃないか」

「幼い子たちの敏感期や集中現象に似ている」

と感じさせるもので、これまでそれについて言及されるのを見たことがないからです。

 

虹色教室の特徴は、ひとりひとりの子と長い期間関わることが多いことです。

1、2歳の頃出会って、それから10年あまりの年月、見守り続けることもめずらしくありません。

もうひとつの大きな特徴は、子どもとの関わり方が多岐にわたっていることです。

工作したり、実験したり、ゲームをしたり、ブロック遊びをしたり、ごっこ遊びに興じたり、算数を学んだり、お泊まりのレッスンに行ったり、それぞれの子のその時期の興味やニーズにそった活動をしたりしています。

そんなふうに、幼い頃から大人のような口をきくようになる頃まで、その子がどんな風に成長していくのか見守りながら年月を重ねるうちに、子どもというものやそれぞれの子の個性、子どもの育ちというものに対して、深い信頼感や安心感や、自然を前にして感じるような敬虔な気持ちを抱くようになりました。

というのも、どんなに今、目の前の子の問題行動が目立っていても、できないことばかりが目についても、子どもは成長の過程でそれを取り戻すかのような劇的な成長の時期が訪れたり、個性の力で、不利な条件を利用して、他の子らが真似できないような面を大きく伸ばしたりする姿を何度も目にしてきたからです。

 

戸塚滝登著の『子どもの脳が学ぶとき』に、数学者のシーモア・パパートの『パパートの原理』がの一部が紹介されています。

 

子どもの脳は単に知識を詰め込まれるだけでは発達できず、その知識を使うための知識(より良い方法を見つけたり、発展させたりする体験などの知識)を与えられない限り、うまく成長することはできない」という考えのことです。

 

子どもの脳は単に新しいスキルや知識を身に付けるだけでは成長できない。

「知識を使いこなすための知識」「知識についての知識」を学ぶことも、子どもの脳の発達にとってかけがえのないステップになる。

ーー『子どもの脳が学ぶとき』戸塚滝登著

 

この著書には、脳神経科学者、ジュディス・ラポポートとジェイ・ジードの脳スキャナーを使った脳発達の研究の話題も取り上げられています。

ラポポート博士が、普通のIQの子どもたち、ややIQが高い子どもたち、最もIQが高い子どもたちの3つのグループに分けて子どもの脳発達と知能指数との関係を追跡したところ、もっとIQが高い子どもたちにだけ、奇妙な現象が見つかりました。

それは、IQの高い子どもたちの脳ほどスロースペースで成長し、思春期がやってくるまで成長をやめなかったということです。

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虹色教室では、先に書いたように長い期間、多岐にわたる活動を通して子どもたちとかかわるため、知識を使うための知識、つまり知恵を獲得していく場面にしょっちゅう遭遇します。

また、教室では、子どもがよりよい方法を見つけたり、オリジナルアイデアをひらめいたり、問題の解決法に気づいたり、それらを繰り返しによって洗練させ、より高度なものへと発展させていけるように環境を整え、私自身や親のスキルアップに努めてもいます。

最近、10年以上続けてきたそうした活動が実を結び、思った以上の成果を得るようになったのを肌で感じています。

その一方で、新たな問題に頭を悩ませてもいます。

「教室での子どもたちとの関わり」という現場の仕事について経験知が上がるにつれて、ブログを読む不特定多数の人々に伝えることがより難しくなってきたのです。

子どもの成長のスイッチはいつどんな時、どのような条件で入るのか、子どもとの関わりでどんな点に気をつけていけばいいのか、現場の子どもとのやり取りのなかでは正確に把握できても、それを言葉でさらっと説明すると、どうしても言葉足らずになってしまうのです。

虹色教室通信は、そうした 現場での気づきを日誌のようにつづっているものです。

忙しい日は日誌というよりメモの状態でアップしています。

 

<補足>

断片的な日々の話題なので、もしもう少しまとまった形で読みたいという方は 、『子どもの考える力をぐっと引き出すお母さんの話し方』という本にこれまでの気づきをまとめていただいたので、手に取ってみてください。


勉強が好きになるまでのプロセス 1

2022-06-10 09:47:53 | 教育論 読者の方からのQ&A

算数のレッスンをしていると、見慣れないものを目にするたびに、よく見もしないで……また、数秒、考えてみることもしないで、即座に、「習ってない!そんなのわからん!」と突っぱねる子……(「習ってない!くんタイプ」とします)と、

やる気まんまんで、積極的に参加しているんだけど、考えていく手立てが身についていなくて、答えを間違ってばかりいる子……(「やる気がからぶりくんタイプ」とします)の2タイプの子たちがいました。

「習ってない!くんタイプ」と「やる気がからぶりくんタイプ」が、能力もできていることも同じくらいだったとすると、これから先の伸びとか可能性という面では、「やる気がからぶりくんタイプ」の方が利があるのです。

「習ってない!くんタイプ」は、チャレンジする前から、耳をふざいで、目を閉じて、心にシャッターをおろしちゃってますから。

でも、「やる気がからぶりくんタイプ」の方は、夢中になって関わっているうちに、体感が身についていったり、気づきが生まれたり、的確に指導することで、理解に至ったりするでしょうから。

ここで書きたいのは、だから、こんな口癖の子はダメだとか、この子の態度は丸でこの子はバツといったことではありません。

そうではなくて、子どもが「習ってない!くんタイプ」だった場合、次に通るべきプロセスは、間違っていてもいいからやる気があふれだしている状態で、それを存分にやりつくしてから、次の「理解した上で答えを導きだす」「慎重に忍耐強く考え抜いていく」「考えるための技能を身につけて解く」というプロセスへと移っていくといいのかな……と考えています。

 

幼児から小学校高学年くらいまでの子どもたちの育ちに付き合っていると、幼い頃は、他の子よりあれこれ遅れがあってやきもきした子も、一般的な子より数年遅れでそうしたあれこれに夢中になって、急激な成長を遂げる時期を経るのをよく見かけます。

もちろん、オールマイティーにできる子になるというわけではないけれど、苦手でできないように見えたことに、他の子が飽きたころに手をつけだしたかと思うと、いつのまにか苦手が得意になっている、できない→上手にできるに変わっている、という姿はめずらしくないのです。

虹色教室では算数の学習も見ているので、工作や遊びだけでなく、勉強においても同様の変化があって、勉強でつまずいてばかりいた子が、ある共通するプロセスを経て、いつの間にか勉強が大好きな子になっているのをよく目にします。

 

遅ればせながら大逆転を遂げる子たちには、先に書いた「間違っていてもいいからやる気があふれだしている状態」をしばらく過ごしているという共通点があります。

また、親や学校の先生や友達から一目置かれて認められていて、周囲の愛情を肌で感じられる状況があり、ありのままの自分を表現できる場がある点も共通しています。

 

「考える場面ですぐにシャッターを下ろしてしまう子」に対して、「間違っていてもいいからやる気があふれだしている状態」に移行させようと思う親御さんは少ないです。

たいていは、できないところをできるようにさせようとしたり、考えないでも解ける形に直して、暗記メインで訓練したりします。

あっちのいい方法、こっちのいい方法、あの習い事、この習い事……と、とにかく大量にインプットすることで解決しようとする方もいます。

でも、そうした方法は、一時的に効果が上がったように見えても、さらに考えることから遠ざける結果を生んでしまいがちです。

 

次回に続きます。


学校に通い出したら、どんどん勉強嫌いになっていく?

2022-06-02 22:00:00 | 教育論 読者の方からのQ&A

「明後日(あさって)の感覚」って聞いたことがありますか?

アーティストの日比野克彦氏が、哲学者で大阪大学総長の鷲田精一氏との対談中に使っておられた言葉なんですが、目にしたとたん、「良い言葉だな~」という感動を通り越して、自分の生きてきた方法とか、やってきたこととか、考えてきたこととか、そうしたもの全てに太い一本の芯が通って、「あ~、私はこうした感覚を大事にしてきたんだ」と納得したような気持ちになりました。


日比野氏が、

明日のことはある程度はっきりわかる。1ヶ月後のことは全然わからない。自分の絵の描き方やワークショップなどの共同作業は、ちょうど、「明後日」のように、ぼんやりと大まかなところだけわかっている感じなんです。
……(中略)ある一つのアクションが次のアクションを生み、この人と出会ったから、このアクションにつながっていく。いつもその連続です。
絵も同じで、大まかな方向性はありますが、「黒い線を描いた、この次はどうしよう」と、まず一手を描かないと次の一手を思いつかないものです。……(略)

と、アーティスト自身が先行きを正確に把握しないまま進んでいくプロジェクトについて、「明後日の感覚」という言葉で言い表したところ、

鷲田氏が、

そういうプロセスには、「新しい社会性」とでもいうものを模索していくヒントがあるような気がします……(続く)

といったこと答えておられるんです。

以前、教育の場に「ブラックボックス」という言葉が必要なのでは?……といったことを書いたことがあります。こちらの一連の記事です↓

★教育現場に必要な 『ブラックボックス』 という言葉 1
★教育現場に必要な 『ブラックボックス』 という言葉 2
★教育現場に必要な 『ブラックボックス』 という言葉 3
★教育現場に必要な 『ブラックボックス』 という言葉 4
★教育現場に必要な 『ブラックボックス』 という言葉 5
★教育現場に必要な 『ブラックボックス』 という言葉 6

「子どもたちが、ブラックボックス化する世界に生きていることを無視したまま、パソコンや携帯ゲームや、○○○計算や○○時間といったよさげ~な方法だけ取り入れても、子どもたちが主体的に勉強していく方向には、機能しないんじゃないかな?」という疑問を言葉にしたものです。
(多くの方が、同じようなことを考えていたそうでした)


日比野氏の『明後日(あさって)の感覚』という言葉に出会ったとき、村上陽一郎氏の『ブラックボックス』という言葉を目にしたときと同じような強い衝撃を受けました。
そして、この『明後日(あさって)の感覚』という言葉もまた、「教育現場に必要な言葉じゃないかな?」「子どもが意欲ややる気を取り戻すキーワードじゃないかな?」という思いにかられました。

虹色教室で子どもたちに学ばせているとき、私には、どうすれば子どもたちのやる気や意欲が盛り上がってきて、知りたい!調べてみたい!もっとがんばりたい!という気持ちになるのか、だいたいのところ勘でわかっているんです。

それは、「自分は既存のきまったコースをなぞってるだけじゃないんだ」という感覚……というか、「ある方向性はあるけれど、進んでいく先はガチガチに固まったもんじゃないんだ」「自分のアイデアや考えや発言が、未来を変えてく影響力を持っているんだ」という感覚でレッスンを受けているということです。

教室で、時々、忍者ブームとか、日本全国のゆるきゃらを覚えようブームとか、宇宙の実験ブームとかが巻き起こるのですが、最初の火付け役の子たちの時期には、黒い布切れにもぐって宇宙気分を味わうことから、宇宙への興味が膨らんでいくような、教材は整ってないし、やることは見えてないしで、言わばレッスンとしたら、「レベル低い!」状態なんです。

でも、そんなカオスな時期こそ、子どもたちは、「こうしたら?」「これしたい!」「なんでだろ?」と主体的に自分で動いて、それは熱心に学びたがるんです。
そのブームが飛び火して、他の子たちの興味も加わるにつれ、私は子どもたちがワクワクして熱中していた学習課題を扱いやすい教材にして、「宇宙」といったタイトルのついた箱の中に溜めていきます。

すると、大人の目には、箱を開けるだけでワクワクするような教材パックができあがるんです。
もたつかずに、「わ~」っという感動や、「そういうことだったのか」という知識を得るのも手っ取りばやくて、大人は満足。
でも、最初の子たちに比べたら、ものすごく良い教育環境……のはずが、後の子たちほど、しら~っとやる気がない状態に陥ってしまいがちなのです。
そこから、発展させて自分で調べてみようという気持ちになりにくく、「見て、不思議でしょ?」と、笛吹けど踊らずという状態です。

同じように見えるけど、むしろ、後の方がよっぽど魅力的なのに、何がどうやる気や意欲を半減させるのでしょう……?

大人が何日も前から事前に準備していた魅力的なプロジェクトよりも、下の記事のような3歳の子のふとした発見の方が、どうして子どもたちの探求心に火をつける場合があるのでしょう?

★3歳の子の発見から、発明、研究、工作の輪 1
★3歳の子の発見から、発明、研究、工作の輪 2
★3歳の子の発見から、発明、研究、工作の輪 3
★3歳の子の発見から、発明、研究、工作の輪 4
★3歳の子の発見から、発明、研究、工作の輪 5

子どもの意欲ややる気の盛り上がりって、ランダムでその日のお天気で決まっているように見えて、やっぱり言葉にして整理できる一定のルールが存在する気がしています。

うちの息子が、小学3、4年生の頃、ビデオカメラ片手に友だちと映画を撮ることに熱中していたことがありました。
上映会というのに引っ張っていかれて見たら、期待以上の面白さで、「今度、もっと良いのができたら、公募に応募したらどう?映像作品の募集がないか調べてあげるわ」と言ったことがあります。
すると、息子は呆れたように、「お母さんは、遊びってものがわかっていないな~。何かのためとか、結果とか気にせず、自由にやるから遊びで、だから面白いんだよ」と言い返されたことがあります。

子どもって、もともと功利的じゃないんですよね。
「遊び心」が汚されていない場や時間の中ではじめて、いきいきと自分を発揮できるし、思いきりがんばれるし、頭をしぼりきって考えられるのでしょう。
それと、遊んでいる途中で、映画作りが、探偵ごっこに変わるかもしれないし、まったく別の興味へと流れていくかもしれないという、未来が固定されていない感じが、今の集中や全力投球を支えているのでしょう。

そういえば、昔、私が通ってた小学校や高校(中学は荒れてました)は、きちんと学校としての秩序は保たれていたけれど、日比野氏の言った『明後日(あさって)の感覚』というものが、いろんな場の底流に流れていて、私たちの好奇心を持続するのに役立っていたな~と思いあたりました。

 

続きを読んでくださる方は、リンク先に飛んでくださいね。


★学校に通いだしたらどんどん勉強嫌いになっていく? 2

★学校に通いだしたらどんどん勉強嫌いになっていく? 3

★学校に通いだしたらどんどん勉強嫌いになっていく? 4

★学校に通いだしたらどんどん勉強嫌いになっていく? 5 (冒険心とポジティブシンキング?)


★学校に通いだしたらどんどん勉強嫌いになっていく? 6 (冒険心とポジティブシンキング?)

★学校に通いだしたらどんどん勉強嫌いになっていく? 7 (好奇心が枯れていく小学生)

★学校に通いだしたらどんどん勉強嫌いになっていく? 8 (子どもから地頭力を奪わない子育て)

★学校に通いだしたらどんどん勉強嫌いになっていく? 9(これでおしまいです)


遊びと学びの中間ゾーン

2022-05-29 21:43:45 | 教育論 読者の方からのQ&A

工作はただ工作するだけでも、巧緻性や創造力や芸術的な感性を高めてくれる楽しい活動です。

でもそれではちょっともったいないな~と感じるのです。

工作活動を支援する大人がほんの少し工夫するだけで、工作は小学校に上がってからのさまざまな分野の学力の基盤を作ってくれるものだからです。

そのためにはどんな工夫をすればよいのか、私が気にかけている点を書いてみます。

工作教室やアトリエに通っていると、「もう工作はしたから十分」と大人は思ってしまいがちです。

けれどもそうした創作活動だけを主とした場とは別に、工作と勉強の中間ゾーンを意識した活動時間も持っていただきたいのです。

工作中、どんなことに気をつけると学力につながるのか……というと、まずひとつは、


★ 見積もる力をつける

ということです。

見積もる力は、大人の指示に従いながら、集団で同じものを作っているうちはなかなか

身につきません。

どんな簡単なものでもいいから、自分で作りたいものがあって試行錯誤すると、こうした力はアップします。

たとえば、四角形の周りの長さが20センチ、縦の長さが4センチの長方形の面積を求める問題を見積もる力は、箱やひもを使って工作しているときに、材料が足りなかったり、思うように作れなかったりする経験の積み重ねから生まれます。

準備しすぎず、完璧を目指しすぎず、教えすぎないことが工作を学力に結び付けます。

もうひとつ。

★ 道具の使い方を教えることも大事。

それも完成した道具よりも、ひもとプッシュピンと鉛筆をつないだコンパスとか、お皿を使った円の描き方とか……が最適です。

なぜかというと、そうした原始的な道具は、辺や中心点の意味をそのまま子どもに悟らせることができるからです。

また、ものさしの目盛りの読み方や、はかりや分度器の使い方をマスターさせると理科でも算数でも役立ちます。

教え込むのでなくて、ゆっくり子どものペースでマスターさせていきます。

★ 動きを加えて、理科の知識を増やし、工作道具で遊ぶことが、実験の結果を理解することにつながるようにする。

★ さまざまな角度からのものの見え方に興味がわくように工作する。

★ 手を使ったさまざまな作業を正確にマスターさせる。

★ 素材について学ばせる

★ 積み木やブロックなどシンプルなもので、頭を使う。

デュプロブロックとレゴの小さなパーツのブロックでは、デュプロの方が見積もる力を育ててくれる一面があります(本格的なレゴ作品は別)。

パーツの形が決まっているので、計算しながら組み立てないと、形が作れないからです。

どんどん複雑に、難しいものを・・・と親心でおもちゃのレベルを上げることは、学力につなげるという点からいうとあまりよくないように思います。

 

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先の記事と重なる部分が多いのですが、遊びと学びの中間ゾーンを意識した活動の様子をいくつか紹介しますね。

 

小学生の女の子ふたりの『お祭りの屋台ごっこ』です。

分類する」作業が遊びに含まれていると、楽しさが増すし、遊びの世界が広がります。

カラフルなおはじきやビー玉を色分けしては、キャンディー屋さん、ジュース作り、魚の配達などをして遊んでいます。

 

水風船を膨らませて、ヨーヨー釣りを作りました。

 

ろ過する」作業を喫茶店遊びに入れています。

 

屋台で売る小物として指輪を作っていました。

「折り紙を半分に折り、もう一度半分に折る」という作業で、どの折り方が適切な細さになるのか考えました。

こんなシンプルな物作りでも、折った後の形を推理するようにしていると、算数のセンスが身についていきます

 

 

屋台とは関係がないかもしれませんが、『ピッケのつくるえほん』というソフトで手作り絵本を作って、販売するコーナーを作りました。

本作り、マンガ雑誌作り、新聞作り、詩集作り、写真集作りなども遊びに取り入れると、遊びの質が上がります。

 

クレープ製造機。

 

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この日の午後に来た小1の男女のふたごちゃんと幼稚園の女の子のレッスンの様子です。

午前のレッスンの女の子たちが作っていた屋台用の遊び道具をもとにして、自分たちが考えた遊びをいろいろと発展させていました。

 

色違いのスライム作り。

 

ヨーヨー釣り用の釣る道具は、ティッシュペーパーにモールの釣り針をつけて作ります。

簡単な工作だからこそ、物差しで測る作業や「1㎝はどれくらいの長さか?」「10㎜は何㎝か」といったことに気をつけて作ることができています。

 

濃度の異なる砂糖水を作って、二層ジュースを作っています。

 

水で膨らむジェルを使って遊ぶついでに試験管に入れて遊びました。

それぞれの数を描きだしたり、大きい球のときと小さな球のときでは、どちらがたくさん入るのか推理したりしました。

  

「Aの5」「Fの6」など、座標を言って攻撃するバトルシップゲーム。

とても面白かったようです。

 

付録のおさるのてんびんばかりで遊びました。

付録で遊ぶときは、説明書が自分で読めるようになるようにサポートしています。


相談 やるべきことをさっさとできない子。必要最低限のことをしてほしい

2021-08-12 16:15:05 | 教育論 読者の方からのQ&A

障害ではなく個性なのだとわかっていても、宿題をさせたり、遅刻させないだけで、毎日が修羅場。
わが子の良さはわかっているけれど、必要最低限のルールだけは守ってほしいし、「やらなきゃいけないことならばさっさとやる」ということを、いつになったら分かってくれるのか……心が折れそうです。
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という悩みをうかがうことがあります。

修羅場となっている現状から抜け出し、子どもが自分の問題に、自分で向き合っていくようになるには、どうすればよいのでしょう?

いったん、これまでの経緯と今の様子と、今後の可能性を整理して考えてみると良いかもしれません。

上の悩みを打ち明けてくださった方によると、お子さんは園で何度か先生から指摘を受けて、発達検査を2度受け、発達障害はないと診断されたそうです。

ここで大事なのは、子どもさんの気がかりを、たくさんの子どもの世話をしている園の先生も指摘しているという点です。

つまり、この子に必要最低限のことをさせることは、保育や幼児教育のプロにとっても困惑するものだったはずなのです。

ですから、この子に必要最低限のことをさせるだけでヘトヘトになっている親御さんというのは、一般的な親御さんより神経質なわけでも、子どもに過剰に期待しているわけでも、しつけが下手なわけでもないことがわかります。

そのことを、親御さん自身が納得して、それでも子育ての責任を果たしている自分をねぎらってあげる必要があると思うのです。

検査をして明らかなハンディーキャップがなかったということですから、気持ちを切り替えることの難しさや、不器用さからくる作業の遅さや、嫌なことを後回しにしようとする態度や、時間にルーズで動作が鈍かったりするところは、一朝一夕には直らないけれど、本人が自分で自覚して直していかなくてはならないところです。



同じ親御さんが、次のようなエピソードをつけくわえておられました。

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それでも、入学と同時に一番問題が少なくて簡単そうな通信教育を始めて、そちらは週3回ほどやっていますがそれなりに楽しそうに取り組んでいます。知らない間に理解力もついていました。
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このエピソードからわかるのは、
ゆっくりではあるものの、できることはがんばっていこうという前向きな努力はする子だということです。
でも、できないことがある……ということです。



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必要最低限のルールだけは守ってほしいし、「やらなきゃいけないことならばさっさとやる」ということを、いつになったら分かってくれるのか……
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と親御さんが、子どもの愚図ぶりにやきもきするとき、親御さんの外の人間から、「親が、最低限のことを子どもにきちんとやらせてほしい。ちゃんとした親をしてほしい」と期待されると苦しくなることと思います。

もし、学校から帰宅するなり、ランドセルから連絡帳と宿題を取り出して、テキパキとすることを済ませ、ついでに明日の時間割まで合わせてしまって、「宿題は少ないから、お家のワークもしたいな」と言うような子を育てているとすれば、誰だって楽して立派な親ができるわけです。

そうでないから、毎日、苦労をしても、苦労をしても、報われなくて、親としての自信がぐらつくのですから。

でも、この状況は、子どもの側にも言えることなのです。
「やらなきゃいけないことならばさっさとやる」ことを心地よく感じて、集中することが苦にならないような脳に生まれて、手先も器用で、テキパキ動ける体に生まれたならば、自分から進んで、するべきことをこなしているはずですから。

「あぁ、割にあわない……」と感じても、自分の身体も脳も取り替えることは不可能ですから、思い通りにならない身体や脳を持って生まれても、それを受け入れて、がんばっていくしかありません。

宿題の塗り絵をグズグズするようなとき、「これくらいのことができない」と冷たく突き放すのではなく、塗り絵くらいは少し手伝ってあげて、そうした温かい雰囲気の中で、ほんの少しだけでも成長した部分を見つけていっしょに喜び合っていると、子どもの側も、小さな進歩に気がつくようになって、自分を励ましてがんばれるようになっていけるかもしれません。

苦しい努力をしている子を攻撃しても、0か100かの捉え方になって、全てを投げ出してしまうのがオチですから。


イヤイヤやっている子には、嫌な作業の中にも、小さな楽しみや進歩の喜びや面白いところがあることを、身近な大人が関わることで、気づかせてあげることが大切だ思っています。

<関連記事>

何をするにもグズグズのろのろ〜子どもを手伝いすぎたら何もできない子に育ちますか?(続きです)


子どもの脳に良い働きかけ方(0~3歳、3~7歳、7~10歳)

2021-08-01 20:51:02 | 教育論 読者の方からのQ&A

日本大学医学部教授、マイアミ大学脳神経外科生涯臨床教授などを経て、
06年から日本大学総合科学研究科教授をしておられる林成之氏の著書
『子どもの才能は3歳、7歳、10歳で決まる!』(幻冬舎新書)に、
0~3歳、3~7歳、7~10歳以降の脳のために良い子どもへの働きかけ方が載っていました。
簡単にまとめて紹介しますね。(読みやすい本ですから、ぜひ著書を読まれることをおすすめします)

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0~3歳は、脳の細胞が増え続ける時期で、未熟な脳に負担をかける知識の詰め込みはNG。
将来的に才能が伸びなくなる原因を作ります。
理解力や思考力、記憶力を存分に発揮するための最初のかぎは、「興味を持ち、好きになり、感動すること」です。
人間の脳が「好きになる力」をつけるのに大きな役割を果たしているのが、お母さんの役割です。

3~7歳は、不要な脳の細胞が死んでいく「間引き」の時期。
脳神経回路網は、間引きが適切に行われるほどほどよく発達し、「勉強やスポーツのできる脳」の基礎固めを目指します。
適切に「間引き」し、脳神経伝達回路網のベースをしっかり作ることが重要なので、知識やテクニックを教え込む時期ではないのです。
この時期は、脳の機能や本能、心を鍛える際の妨げとなる「脳に悪い習慣」をやめることが大切です。

<脳に悪い習慣>

★物事に興味が持てない 感動しない
子どもが「面白くない」「つまらない」「そんなのどうでもいい」などとしょっちゅう口にしていたら要注意。
興味や感動は、脳をしっかり働かせるための鍵です。

★「無理」「できない」「大変」など否定的な言葉を使う
子どもの口から否定的な言葉が出るのは、楽をしたい、失敗したくないといった自己保存の法則が働いているから。
否定語が脳に及ぼす影響は、とても大きく、すべてA10神経群が情報にマイナスのレッテルを貼る作用があるので、口にするだけで脳の理解力や思考力が落ちます。

★よく「後でやるよ」と言う
★集中できず、途中で違うことを考える
★だいたいできたところでやめる
★人の話を聞き流す
★人をバカにする 尊敬できない
★学んだことを確認しない
★自分が失敗したことを素直に言えない
★損得を考えて手を抜く


7歳~10歳以降の勉強は、自主的に勉強させることが大切です。

この時期、子どもに「勉強しなさい」と言ってはいけないそうです。
子どもを思えばこそ出る「勉強しなさい」。でも、「勉強しなさい」は封印しなくてはなりません。
特にある程度発達した子どもの脳にとっては、このような指示・命令は ”百害あって一利なし”だからです。
もちろんただ放っておけばいいわけでもありません。
自己報酬神経群の機能を高めつつ、うまく子どもを導くためには、「よい質問を投げること」が有効です。

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<虹色教室からの補足>

否定語を口にするだけで脳に悪影響があることがわかっても、「そんな言葉を使ってはだめ」と注意することで、子ども達の口から否定語を減らすのは大変です。

「しなさい」と指示するのでは、「楽をしたい」という自己保存の法則が働くだけですよね。

学んでいることの中の興味深い部分に大人も関心を示して、子どもの意見や発見に耳を傾けることが大事だと感じています。

おはじきや折り紙などを使って、見て、触れて、自分の頭で主体的に考えられるようにしてあげると、「無理、できない、大変」という言葉は減ってきます。

また、失敗することを恐れずにチャレンジするために、何度か失敗するであろうチャレンジをする前に、「失敗しても、くじけず取り組めた」という時に渡す「レベルアップした、進化した」などと書いたメダルを用意しておくのもいいです。

言葉で繰り返し励ますだけでも、失敗を気にせず、我慢強く取り組む姿勢が身に付いてきます。

 

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学ぶことが好きになる工作遊び 

虹色オンライン教室

1歳から小学生までの内容が全て入っています。簡単に、楽しく、学ぶ力を育む工作を紹介しています。


自由研究 親はどう関わったらいいの?

2021-07-26 19:30:00 | 教育論 読者の方からのQ&A

個性に合わせた自由研究のテーマ選びの続きです。

コメント欄で次のようなご質問をいただきました。

ーーーーー

先生のお子さんたちが小学生の頃、いろいろなコンクールに出品してたくさんの賞を頂いていた、という過去記事を思い出しての質問なのですが……

先日、朝の情報番組で夏休みの自由研究についての特集を外出前にちらり、と見たのですが、その中に小4の女の子の研究で「なめこのお味噌汁はどうして冷めにくいのか」というものがありました。

女の子は小さく切ったにんじんを使って熱湯のなかでのにんじんの動きから、なめこのぬるぬるがお湯の対流をおこさせにくくするために、熱が逃げにくいという結論を導き出していました。

確かにあんかけのものとかって、なかなか冷めにくいですもんね。でもそこで対流が起こっていたとは、恥ずかしながら知りませんでした。

こういう研究って、親が結論を知っていてその結論を出せるように導いているんでしょうか?

にんじんを細かく切って……などという方法は、対流が起こっているからという原因さえ思いつかなかった私には子供に提案してあげることすら、できません。

なんだかやっぱり親の力不足は大きいなぁとがっくりしてしまいましたが、先生の場合はどの程度まで親が準備し、子供に考えさせていらっしゃたのでしょうか?
よろしければ教えてください。

ーーーーー

すでに答えが本なりネット内なりにあって、大人の誘導によって答えの方向に導く
といった形で研究したものは、
自由研究で賞をいただくことはまずないのではないか……と思います。

子どもの疑問からスタートして、その疑問がこれまでおそらく誰も調べたことがないもので、調べたり実験したりして試行錯誤を繰り返す中で、こうではないか?という答えに近づいていったものが主流だと思います。

私が娘や息子と自由研究をする場合、

日常生活のなかで子どもが疑問を感じたり、やってみたいと思ったことで、私自身、結果を知らないものをテーマにしました。
(わかっていることは、誘導になって、研究の面白さがないからです)

調べる過程やまとめ方が子どもの個性と能力に合っていて、
80パーセント以上子どもがひとりでできることにしました。

親が手助けするのは、内容ではなく、
図書館に連れて行く、司書の方に専門書の場所を聞く手助けをする、
実験材料を購入する手伝いをする、
まとめて整理するとき、バランスよく最後までやり遂げられるようにアドバイスをする

にとどめました。

「魚の釣り方を教える」というのが、自由研究をする上で大事なことなので、
親が手を出した結果、賞をいただいて、子どもに「魚」だけ与える
という形にしては元も子もないと思っています。

以前、親子でチャレンジする 図書館を使った 調べる 学習賞コンクールというものに小4の息子といっしょに応募して、『ゲームと数の?な関係』というレポートで、公共図書館部門で優秀賞をいただいたとき、次のような講評をいただきました。

ーーーーー
この部は、ときどき親の方が夢中になって子どもの姿が見えなくなることがあるが、
『ゲームと数の?な関係』は、子どもの疑問に対する追及の姿勢、
親のほどほどのかかわり方、
明るくて楽しい家族が見えてくるようなレポートであった。
いかにも子どもの疑問という点では『ふしぎはっけん』の素直な疑問と、
それに対して親がていねいに調べ、きちんと答えていることに
高い評価があった。
しかしその一方で、夏休みの毎日、こんなに疑問を出されてはたまらない、子どもは調べることに参加でしているのか、という疑問もでた。
今年も著作権のことが問題になった。資料を切り抜いたり、コピーをし、貼り付けるという作品もあった。ただ集め、資料を並べただけでは 調べ学習 にはならないし、著作権は人格権でもあることも念頭において欲しい。
                           (小川俊彦)
ーーーーー

完璧さよりも、子どもが自分の疑問とどのように向き合い、研究から何を得るか……ということを大事にしてチャレンジしたことが評価されてうれしかったです。
自由研究コンクールは、たとえ賞をいただき、高価な賞品を手にしても、
それが子どもの真の学びにつながらなければ、あまり意味がないと思います。
夏休みのムダ使いになってしまいます。

私が、さまざまな子と接していると、
それぞれの子の個性に適した自由研究というものがあるのがわかります。

直感タイプでひらめきが多い子や思考タイプで深く思考していくことを好む子なら、
小さく切ったにんじんを使って熱湯のなかでのにんじんの動きから、
なめこのぬるぬるがお湯の対流をおこさせにくくするために熱が逃げにくいということに、さまざまな水と物の動きの関係を調べるうちに、気づいてひらめくかもしれません。

ですからそうした疑問を追及するタイプの自由研究が合っているでしょう。

でも感覚タイプの子の場合、
疑問の答えを追いかけるのではなく、
コレクションするように大量の魚のうろこを顕微鏡で調べて
絵にしていくといったものが合っているでしょう。
美しさへの感性や飽くことないこだわりに似た熱心さを生かすのです。

感情タイプの子の場合、生き物との交流を中心に
その生態の面白さを研究していったりするのが良いかもしれません。
特別な答えを求めていくのでなく、面白さへの敏感さを、表現していくのです。

★性格タイプについてはこちら→ 子どもの性格タイプについてまとめました


うちの場合、娘が賞を得たのは、商品開発などで大人も対象とした現代のニーズを読んでアイデアを表現していくことが主です。

性格も能力もちがうので、息子と同じような自由研究という考えはまったくありませんでした。

 

<関連記事>

調べ学習にチャレンジ♪と「会話」の話

うちの子の自由研究の思い出です