レゴ・デュプロで作ったクリスマスツリーに100均で購入したライトを
飾りました。(ライトは、マジックで色づけています)
ツリーの下を電車がくぐれるようにして遊んでいます。
孫のこぐまくんとキッズプラザに行ってきました。サービスでお菓子のくじ引きをやらせてもらったところ、当選しました♪
レゴ・デュプロで作ったクリスマスツリーに100均で購入したライトを
飾りました。(ライトは、マジックで色づけています)
ツリーの下を電車がくぐれるようにして遊んでいます。
孫のこぐまくんとキッズプラザに行ってきました。サービスでお菓子のくじ引きをやらせてもらったところ、当選しました♪
東京で一人暮らしをしている息子からプレゼントが届きました。
フランス製のビー玉セット。
早速、教室に来た子達が遊んでいます。
ビー玉コースターのゴールに100円ショップのベルを置くと、ビー玉がゴールするたび、いい音が鳴ります。
下の写真のようなビー玉用のレールを作った子もいました。
孫のこぐまくんもビー玉遊びに夢中です。
教室の棚を大工さんに作っていただきました。
入れたいもののサイズに棚を調整してもらったら
これまで外にはみだしていたものがすっきりおさまりました。
片付けやすいです。
これまで、私のお仕事ネタで、
ファンシーショップの話
ファンシーショップの話 2
ファンシーショップの話 3
など書いてます。
勉強の話ばかりじゃ疲れるので、
第3弾じゃないですが、昔々、私が某大手スーパーの早朝パートをしていた時の話を書かせてくださいね。
かつて、まだ若さが残っていた頃、
早起きが取り柄だった私は、
数年ごとに、パン屋の早朝パートとか、コンビニの早朝パートなどをして、お小遣い稼ぎをしておりました。うちの子たちが起き出してくるまでに、
2時間ほどの仕事を終えて、猛ダッシュで帰ってきて、朝食、朝の支度とバタバタしながら、子どもたちを園や学校に送り出していました。
あるとき、時給の高さに釣られて、2駅ほど先にある大手スーパーの早朝パートに行くことに……。
担当は、鮮魚コーナーです。
数日、勤めるうち、他の部署のパート仲間から、
「鮮魚コーナーと精肉コーナーは
新しいパートが続いたことがなくて、せいぜい一週間が限度よ。
1日で辞めるアルバイトも珍しくないのよ~」という噂が耳に入ってきました。
「どうりで、いっしょに入った精肉のアルバイトの男の子……隣の部屋(精肉コーナー)で見かけないと思ったわ」
と思いながら、早いとこ、仕事の流れをつかまなきゃ……と、
頭の中で手順を整理しようとするんだけど、
『もやもや~』とまとまらないのです。
鮮魚コーナーには、私と同じ時期に勤めだした
20代前半の高学歴の几帳面な☆さんという方が勤めていました。
彼女も、私と同じ『もやもや~』に見舞われていたようですが、
いつも120パーセント全力疾走するがんばり屋なので、
『もやもや~』の原因は脇に置いて、
取り合えず、指示されたことを、大量に高速でこなすことに燃えていました。
私が、ずれた三角巾を鮮魚コーナーの鏡面に映して直そうものなら、
すっ飛んできて、
「そんなこと仕事中、すべきことじゃないでしょー!!」と激を飛ばす一秒惜しまぬ働きっぷりでした。
そこで、私も普段の自分の2倍速くらいの動きで、それなりに仕事をこなしていたのですが、
頭の中には、やっぱり、『もやもや~』が居座っていて、
仕事をするごとに、それが膨らんでいきました。
『もやもや~』の正体は、初めのうち、私にもわかりませんでした。
が、先輩パートの女性に魚のパックに
ラップをかける機械の使い方を教わったときに、
あれっと疑問を感じた瞬間から、しだいに理由が見えてきました。
ラップをかける機械というのは、古くて扱いにくい機械で、パックのサイズごとにさまざまな調整しなくてはなりません。
やたらでかくて、やたらボタンが多くて、やたら複雑……。
覚える手順も多く、手先の器用さも要求されます。
誰しも一朝一夕にマスターできるとは、とうてい思えない代物です。
その機械の前に引っ張って行かれた私は、
「一回だけしか教えへんからね。ちゃんと覚えてよ」と
強い口調で告げられました。
それから、先輩は、手早く機械をいじって、
パックにラップをかけたかと思うと、
「私ら、忙しいねんから、あんたらに教えてる暇なんてないから」
というと、カリカリしながら、こちらに背を向けて自分の仕事をしはじめました。
すると、奥で働いていた別の先輩が、
「ほんと、仕事できないのに、私らより高い時給もらってんだから!」
と、とげのある口調で、その先輩に耳打ちしました。
……○先輩、一回だけしか教えへんからね……と言ってたけど、
ここで働いている人たちは、どれくらいの回数で覚えたのかな?
驚異的な記憶力があっても、1回ではなさそうだけど……。
それにしても、2回目に教えてもらいにくそう~な雰囲気だなぁ……。
そんなことを考えつつも、
以前、働いていたパートの経験から、
業務用の機械を扱う手順をマスターするのは、ちょっと自信があったので、
私が難しいんなら=他の人だって難しいはず
という、適当な推理を働かせて、
「教えてくれないんだったら、他の人が機械を使うのを盗み見て覚えるしかないか~やれやれ~まあ、2時間かそこらの仕事だし、がまんしよ」
などと、かる~く捉えていました。
そうして、冷凍室から魚を運び出すときなど、その機械を使っている人がいないか注意していました。
その機械は、冷凍室の隣にある
<関係者以外立ち入り禁止>の部屋にありました。
そこには、この道10年、20年というベテランパート数名が魚を下したり、
貝を洗ったりしていました。
ベテランたちですから、手の動きは猛烈に素早いのですが、
口の方も常に忙しく動いていて……
要は、四六時中おしゃべりをしていました。
あるとき、そのベテランの先輩のひとりが、ラップの機械を触りながら、
「あ~これどうすんだっけ。○ちゃんは~? あっ、今日休みよね。」と言い、
横から別のベテランの先輩が、「私もその機械、使い方がわからないのよね。
あ~どうすんだったかな……右のそれ、いじってみたら?」と声をかけていました。
そこに、ちょうど通りかかったこちらもパート歴何年の男性が現われ、機械について質問されるものの、「しらん、しらん」といって、
軽く手を振って、冷凍室に入っていきました。
ということは……もしかして、このラップの機械をまともに操作できるのは、
私に「1回しか教えへんよ。……」と言ってた○先輩だけってこと
なの……?
そんな考えが、頭をよぎると同時に、それまで『もやもや~』と、くすぶっていた靄が晴れて、仕事が覚えにくかった原因が見えてきました。
私を含む3人の早朝パートの主な仕事は、
その朝届いたばかりの食品(ちりめんじゃこなど)を
売り場の冷蔵の棚に並べていくことです。
前日の食品の賞味期限をチェックし、新旧の食品を入れ替えていくのです。
文字にすれば単純そのもの~
数字さえ読めたら、1日、2日でマスターできそうな仕事なのですが、
現実には、もうかれこれ5,6年勤めているという早朝パートの●さんが、
「まだ覚えられへんのか?」「あんた何年目や、あほか!」
「何やってんのや、何回教えたら気すむんや!」と怒鳴られ、わめかれ、
陰口を叩かれ続けていました。
といって、この女性、特に動作がにぶいわけでも、仕事が雑なわけでも、
物覚えが悪いわけでもなさそうでした。
早朝パート同士3人でお茶をした時に聞いた話によると、
娘さんが大学を卒業するまで、
この仕事をやめるわけにはいかないから、
多少、ひどい言葉をあびせられても、聞かなかったことにして
がんばっているそうなのです。
そんなことを吉永小百合風の笑みを浮かべて語っていました。
けなげな話ではあるけれど……それにしても、●さんは何年も、どうして仕事が覚えられないのか……?
というより、私も、いっこうにこの仕事の段取りがつかめないのだけど……
こんなにも仕事の流れが読めない……のは、なぜ?
と考えるうち、そういえば、ここの職場、鮮魚売り場だけで、
船頭が3人いるなぁ~と、思いあたりました。
魚をおろしている仕事場も含めると、船頭が5人はいます。
その5人の船頭(主任や副主任、ベテランパートなど)が、
早朝パートにやらせようと考えている
仕事の内容がてんでバラバラなのです。
指示もちがえば、叱られる内容も正反対、仕事の方法も異なります。
それで、前日教わった方法で作業を進めていたら、
いきなりお怒りモードの主任があらわれて、
「それ、何してる? だれがせい言うた?」と責められます。
「★さんに」と答えると、
チッと舌打ちするような素振りをして、
「それ、全部やりなおせ。~しろ」といった指示がくだります。
といって、他の先輩パートは忙しそうで、
質問できる雰囲気じゃありません。質問できたところで、
返ってくるのは、おそらくその先輩が考えるお仕事内容で、
その通りすれば、他の先輩からは注意を受けることが目に見えているのです。
う~ん、どうしたものか……
もうひとりの早朝パートの☆さんは、どうやっているんだろう?
と、☆さんを眺めると、完ぺき主義でがんばり屋の☆さんですから、
この猫の目のように変わる指示に呑まれて、
一瞬、一瞬が、緊急事態のような緊迫した様子で、ストレスフルに働きまくっていました。
☆さんったら、あんまりがんばりすぎて、ちょっと静かに考えてみる余裕も失っているな……と感じたのは、
先輩パートの□さんに呼ばれて、
「このごろ、他の部署にカート取られるから、1時間早く来て、カートを取ってきとけ」と命令されたときです。
1時間早くと言われても、その時間はパートのお給料は出ないわけです。
そんな勝手な指示にしたがう必要はないのだけれど、
☆さんは、「はい、わかりました」と素直にしたがっていました。
(私の場合、「それは、できません」と、はっきり言ったもので、その後、しばらく嫌がらせを受けていたのですが……)
早朝パートの仕事は、
他の部署と共同の道具置き場にカートを取りに行って、
朝一に届く荷物を取りにいくことからはじまります。
カートを手に、荷物を待つちょっとした間が、他の部署のパートの方々との
社交の場でもあります。
私が鮮魚の段ボールをカートに積むのを見て、
お菓子売り場の早朝パートの年配の主婦2人が話しかけてきました。
「鮮魚?あんたんとこ、こわいよね。すごい怒鳴り声が響いてくるじゃない?」
「あほ、ぼけ、しねーとか。お菓子はいいよ。静かで働きやすくて。」
そして、顔見知りになると、たびたび、「お菓子においで~。こっちに変えてもらいなよ~」と誘いを受けるようになりました。
とはいっても、パート特有の社交辞令で、現実には、頼んで仕事場を変えてもらえるわけじゃないのは、お互いによくわかっているんですけどね。
どうも、鮮魚コーナーの怒鳴り声は、開店前のスーパーの食品売り場内全体に
響き渡っていたようです。
鮮魚のコーナーがどうしてそんなにカリカリしていたのかというと、
実際、忙しいからでもあるのです。
なぜ、忙しいのかというと、
テキパキ仕事ができる働き手が少なくて、
ひとりひとりの仕事量がかさむからでもあります。
食品売り場は朝が勝負。
スーパーが開店するまでに、売り場に新鮮な食材がきちんと並んでいなければなりません。そのために、わざわざ、早朝だけ出勤する時給の高いパートを雇っているのです。
鮮魚の場合、魚を下したり、パック詰めしたりするベテラン向けの仕事が
たっぷりありますから、
売り場にじゃこを並べるくらいは、早朝パートにちゃっちゃと動いて
もらいたいところなのです。
それが、研修中のパートがいては、教える手間まで増えて仕事が倍増するし、
おまけに何年も働いているパートにもいちいち指示を与えなくちゃいけない状態……それは目がまわる忙しさで、怒鳴りたくなる気持もわかるのです。
おまけにメインの機械をまともに操作できる人がひとりでは、
いちいち呼び出されて、パック詰めさせられる○先輩もイライラするなら、パック詰めの仕事のたびに滞る仕事の流れにキレる人が数人出るのも
仕方がないのです。
といっても、ベテラン同士は、イライラを貯めつつも、
おしゃべりに花を咲かせて仲良くしていますから、
結局、その全ての『イライラ~カリカリ~ムカムカ~』を一挙に
引き受けていたのは、早朝パートの●さんでした。
食品売り場全体に響き渡っていた怒鳴り声の9割までが、
●さんに浴びせられていた怒鳴り声だったのです。
開店に向けてバタバタ仕事をしているとき、
あー忙しい、みんな自発的に動いて、テキパキしごとをこなしてくれ~とばかりに早足で歩く主任や副主任の目に、昨日言ったのとちがう作業をしている
早朝パートの●さんが目につきます。
もっとも、●さんが悪いわけでなく、上から伝えられている指示がバラバラで毎回ちがうもので、
何年勤めようと、『学習したことを蓄積していく』ということが成り立っていないのです。
それで、新人以上におろおろ仕事しているわけです。
すると、「ここ勤めて何年目や~!」と言う怒鳴り声が爆発するわけです。
ここのパートをしていたとき、
うちの子たちはまだ、今、レッスンで相手している子たちと同じくらいの年齢でした。
それで、この職場の惨状は、『学べない場』の見本として、
染み入るように勉強になりました。
子どもが、もたもたして上手にできないときに、
ひとつひとつていねいに繰り返し教えるのは、
手間も根気も必要です。
忙しい時間には、サッと取り上げて親がやっちゃいたいことでもあります。
でも、覚えるまで、気持ちに余裕を持って付き合いさえすれば、
後は、子どもが自分で自立してきちんとできるようになるのです。
はじめのうちこそ、時間を無駄にしますが、
最終的には、子どもが自分でできるまでていねいにサポートすることは
大人の楽につながるのです。
それと、本当に忙しかったところで、
「忙しい、忙しい~」とカリカリしていたのでは、
教わる側が、わからなくても聞くに聞けないものです。
すると、何年経っても、子どもは自分に依存して頼ってくるでしょうし、
それが原因で叱り飛ばすことにもなります。
また、子どもが学んだことを蓄積するには、
身近な大人が、自分なりの価値観や、
生活の枠組みをきちんと意識して、しょっちゅうぶれないことが大切なのだと
感じました。
他の子と比べて、子どもの「できない」が目についたとき、
イライラムカムカ~とするものですが、
「できない」の前には、
できるようになるためのわかりやすい道筋がつかめなくて
もやもやと戸惑う姿があったはずだと思うようになりました。
わかりやすいシンプルなぶれない手本を何度も見せ、
わからないときに気持ちよく(いやみなどを言わずに)教え続けていれば、
子どもは自発的に学んでいくコツを
きちんと身につけることができるのです。
子どもの自立のために、今何をすべきなのか、
学びたくなる場、学びやすい場、学んだことが蓄積していける環境を
作るにはどうすればよいのか、
いろいろ考えさせられた職場でした。
今日は、お休み気分で、自分のことなど書いています。忙しい方はそのまま
スルーしてくださいね。
幼い頃から小学3年生になるまで、名古屋から虹色教室に来てくれていた
男の子が久しぶりに教室に寄ってくれました。
もう高校生!!
小さい頃はブロック遊びや工作が大好きなやんちゃくんでしたが、
今は医学部を目指すさわやかで落ち着いた青年に成長していました。
ゴールデンウィークが始まったばかりの時、
(以前、「プログラミングを覚えたい」と言って、途中で投げ出してしまった私に……)
息子が、
「もしプログラミングを覚えたいなら、最初のうちだけでも、1日、
3時間くらいずつ集中してやったら、ちゃんとできるようになるよ」というアドバイスをくれました。
普段なら、「三時間ずつ」と聞いたところで、「そんな時間ない~」と心が折れてしまうところなんですが、
「ゴールデンウィーク中なら時間がたっぷりあるから、毎日、三時間、やってみるわ。★(息子)が(就職で)
東京に行ってしまったら、教えてもらいにくくなるしね。」
と宣言して、とにかくやってみることに。
私はプログラミング超初心者なので、 AtCoder Programming Guide for beginners (APG4b)
の目次どおりに、順番にそこにある問題を解いて、「提出」を繰り返すうち、
亀の歩みで徐々にできることが増えてきました。本を読んで勉強するのと違って、
例題を解いて、提出ボタンを押すと、「合格」か「不合格」かわかるのが
ゲーム感覚で面白くて、結局、1日五時間以上、主婦業そっちのけでこれに
熱中していました。
それに気をよくして、毎週土曜に行われている自宅で受けられる競技プログラミングの
コンテストに参加してみましたが、それはさすがに、さっぱり解けませんでした。
でも、わからないながらに、これまで全くスルーしていた
解答のソースコードがとても気になったり、息子と問題の考え方を話しあうのが
楽しかったりと収穫はありました。
休みが明けて、忙しい日々に戻っても、ぼちぼち続けていこうと思います。
『だるまちゃんとてんぐちゃん』などの人気絵本を世に送り出してきた
かこさとしさんの『未来のだるまちゃんへ』で先生方に向けて書いたメッセージを
読んで、考えさせられました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今は学校の先生方も忙しくてそれどころではないかもしれませんが、
本当は生徒さんたちがひとりひとり、どんなものが好きで何に関心を抱いているのか、
その生態を見極めて、先達としてうまいこと導いてあげられないものか。
型にはまった目標を掲げて、
お尻をひっぱたくだけでは才能があっても埋もれたままになってしまっている気がする。
「君が持っている、ものすごい鉱脈はそれだよ」
そう気づかせてやることさえできれば、
子どもは、大人が叱咤激励なんかしなくたって自分からぐんぐん成長していけるのだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
このメッセージは先生方だけでなく親や身近な大人たちみなが
大切に受け止めていく必要があるな、と感じました。
子どもたちが自分で自発的に花開いていく糸口をつかむ前に、
外注して解決していく手立てがあふれるほどあって、
子どもが自分で見つけるのを待っていられない風潮がありますから。
『未来のだるまちゃんへ』にこんなエピソードがありました。
あるとき、かこさとしさんは、とにかく子どもたちと遊ばなきゃと、材料がなかったので、新聞を人数分に
破いて、「この中に数字があるのを見つけて、多い人が勝ちだぞ。さぁ、用意ドン!」と言ったそうです。
そんなたわいのない遊びでも、子どもは「僕が一番!」「ちっともないや」と
はしゃいで探していたそうです。
そうしたら「自分の方がもっと多い」という子がいて、のぞくと株式欄だったそうです。
「なるほど株式か。これが一番だな」と褒めたら、「株式って、なんだ?」と聞かれたそう。
その子のお父さんは日立造船に勤めていたらしく「お前のお父ちゃんは
ここに勤めているんだから、これを毎日調べてみろ」と言ったら、
その子も自分の父親のことだから、グラフなんてかけと言った覚えはないのに、
ちゃんと株やみたいにグラフまで書くようになって、そのまま続けていたそうです。
どちらかと言えば、学校の勉強はあまり熱心じゃない子でも
「これだ」と思うものを見つけさえすれば、そういうことが起きるわけです。
そんな例はいくらでもありました。
とかこさんはおっしゃっています。また、
本人に興味がない時に、大人がちぎれるまで手をひっぱったってどうしようもない。
とも。
(「昆虫好き」という子でも、「昆虫全般が好き」という子は
まずいなくて、「バッタが好き」とか「セミが好き」とか昆虫好きになったきっかけになった何かがあり、
それについてはピンポイントで大人顔負けにくわしかったりします。)
「なんで好きなの?」と聞けば、そこにはきっとその子だけの物語が浮かび上がってくるはずです。
子どもにはそうした秘めた力があって、糸口さえぱっとつかまえたら、あとは自分自身の
力で伸ばしていく、
自分で探求し伸びてい行くことができるのだと思います。
自分から興味を抱いたものを調べて、どんどん深めていく時の充実感というのは、
その子の生きる喜びにもつながっているのでしょう。
子どもの顔が急にいきいきと輝きだすのがわかります。
といった言葉は、虹色教室でも、何度も何度も、目にして感動してきたことでもあります。
少し前に
成長とは自発的に花開くこと
というかこさんの言葉を強く感じた出来事がありました。
教室に小学校にあがるまで、1語文か2語文を話すのが
やっとだった重い自閉症のAくんという男の子がいるんです。
その子のお母さんの子育てがまさに、
かこさとしさんがおっしゃるような視点によるものでした。
小学校中学年になったAくんは、3ケタの計算をしたり、みんなの前で歌を歌ったり、
さまざまなゲームや頭脳パズルを楽しんだり、ブロックですごい作品を作ったりするように
なり、人と関わることを心から楽しんでいるのがわかります。
その成長のひとつひとつには、ささいな見落としてしまいそうなきっかけがありました。
たとえば、Aくんは地理に興味を持つようになったのですが、
そのきっかけは「北海道」の地図の絵が描いてある大好きな蒸しパンだったそうです。
Aくんは特性のせいで、興味の対象がどうしても狭くなりがちなのです。
それで、Aくんが、いつも北海道の地図の絵がついている蒸しパンが好きなことから
親御さんたちは思いきって北海道旅行を計画しました。
といっても初めてのことにパニックを起こしがちなAくんを連れての旅行は、
それは大変なものだったようです。同時に、準備をし、工夫をし、問題にぶつかったら家族で解決しながら
乗り越えて、旅行がうまくいった後で、Aくんの興味関心と自信は大きく広がっていました。
Aくんは学校や虹色教室でのさまざまな新しい課題に積極的に取り組むようになってきました。
以前はむずかしすぎてすぐにあきらめていた
グラビティ―・メイズという頭脳パズルの問題を
次々と課題を解く形でクリアーしていきました。
まだ発達障害の子への支援の制度が整っていなかったわたしが子どものころの出来事です。
現在は制度そものもはさまざまな形で整いつつあります。
でも、いくら制度が整っても、人の心が昔と同じや昔よりも冷やかなものなら、
結局、ハンディーのある子どもたちを特別に支援し教育する場は、授業を妨害する子を
排除して、追い込む場所にしかならないのかもしれません。
かつての恩師の小塩先生なら、今の教育現場でどのような対応をされるのだろう、と
思いながら書いた文章です。 ↓
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
小学校の2、3年生の頃の話です。
クラスの一人の男の子が
今思うと発達障害を持っていたようでした。
落ち着きのない行動や
友達への乱暴で
(怪我をさせるほど ひどいものではありませんでした。)
目立っていました。
クラスの子の親や
先生からの苦情を受けて
その子のお母さんが
ある時から 教室の後ろで
毎日 参観するように なりました。
時々 振り向くと
その子のお母さんが
困惑しきった悲しそうな様子で
立っていました。
といっても 私もクラスの他の子も
ちょくちょくその子と遊んでいましたし
本当は それほど乱暴だとも
嫌な子だとも 感じてなかったのだと思います。
けれども 何となく 一人の子を
特別な子で悪い子なんだ…
と 信じる奇妙な空気が
どんどん広がって
みながそれぞれ 根拠もないのに
その子にいじめられた
と訴えるようになっていきました。
悲しい顔のお母さんを さらに悲しませたいような
残酷な気持ちが感染していました。
ある日 先生がクラスのみんなに
机に伏せるように言いました。
そして
「○○君にいじめられた事のある人は
前に出てきて
黒板にされたことを
書きなさい。」と言いました。
いすをガタガタひく音や
黒板に向かって歩いていく足音が
次々としました。
私も何ひとつ浮かばないのに
自分も前に出て行って書かなければ
仲間はずれになるような
妙なあせりを感じました。
顔をあげていい と言われた時
黒板は びっしりと文字で埋まっていました。
それから少しして その子は引っ越してしまいました。
6年生になった時
クラスの知的障害のある女の子のことで
再びクラスの子の親から
学校に苦情が届くようになりました。
その子は
時々 教室を飛び出していくことがあり
先生が追いかけていく間
授業が中断してしまうのです。
その時の担任は小塩先生とおっしゃいました。
小塩先生は 参観日で親たちが集まった日に
黒板に2つの鍋の絵を描かれました。
そして
1つの鍋を指差されて
「これは 味付けがちょうど良くできているスープ。」
とおっしゃいました。
そして もうひとつの鍋を指されて
「これは 味付けが足りないスープ。
みなさんは どちらの鍋にお塩を足しますか?」
親たちがざわざわ
しゃべりあう声が聞こえました。
先生は「私は よい味のスープは見守ります。
お塩の足りない方には 塩を足します。」
と毅然としておっしゃり
障害を持つ子に心を配ることは
クラス全体にとっても大切なことだ というようなことを
私たちにもわかる言葉で説明してくださいました。
それからも苦情はあって
大変だったでしょうが
それからも先生は
優しくて強い 私たちにとっても
その子にとってもいい先生でした。
算数や国語の授業時間が数分減ったかわりに
かけがえのない大切なことを教えていただきました。
この2つの思い出は
いつも私の心から消え去ることはありません。
自分も含め大人たちが みな 表面的な損得に惑わされず
子どもにとって本当に いいものを与えていけるように
願います。
イラストは「数えきれない太陽」(詩画集を作りました)から。「私が私にかえる日」
わが家は今、転機を迎えています。
一昨年、娘が結婚し、来年は息子が就職して家を出る予定です。
(関西で就職してくれたら自宅から通勤するかもしれないです)
そこで、過去に書いたうちの子記事を発掘してアップ中です。
整理して同一カテゴリーにしようかと集めています。
うちは娘と息子のふたりっ子で、写真や子育てマンガなど個人的な記録は
娘のものが断然多いのですが、ブログでアップしている子どもとの会話は、息子のものが
ほとんどです。理由は、娘との会話だと人間関係の話題が主になるので、
プライバシーの問題が出てしまうのと、
頼めばたいてい、「あっ、いいよ」と許してくれる温和でゆるい息子の性格によります。
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以前書いた
8万人が同時に「ポケモン」ゲーム 「無政府状態」か「民主主義」か
という記事に、コメントをいただきました。
実はこの記事、教室にいらした親御さん方から、「どういう意味かよくわかりませんでした」という感想を
寄せられていたので、「伝わりにくい書き方になっているのかな」と思いつつも、息子との会話をそのままの形で残しておきたかったので
そのまま放置していたものなのです。
そんないわくつきの記事にていねいなコメントをいただいたのがうれしくて、
後でまた読み返せるように記事としてアップさせてもらうことにしました。
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私は“責任をもって自分の人生をおくると大切なことが見えてくる”と実感していますが、逆に“責任をもって自分の人生を生きていない”とはどういう状態なのだろうと考えていました。そして、ここのところ、責任をもって自分の人生を生きていないとは、どこか他人として生きていて、多数派を良とする考え方、集合体の一部であり、場の分割として生きている状態であると考えるようになりました。
少し前に河合先生の本を読んだことをきっかけに、日本はリーダーに力を持たさないで場を大事にするなど、突出したものを良とせず、暗黙の了解で多数派が占める考えを優先し、討論(争い)を嫌う民主主義タイプ、対して欧米はリーダーが全体を牽引するけれども、その過程で突出した個の意見があがってきたら討論する民主主義タイプという構図を意識するようになりました。
欧米での考えは実際のところわからないのですが、少なくとも今の日本の子育ては、子育てをめぐる場の雰囲気に自分の子育ての方向性をゆだねてしまって、自分の考えをないものにしているということに気がつきました。
そんなことを考えていると、以前先生が書かれた、息子さんとポケモンゲームと民主主義についての対話の記事を思い出しました。
「大多数が正解でないかもしれないことを、いつも忘れちゃいけないんだと思う。ゲームにしても、投票制にしたとたん、個人個人が自分で思考して進めようとするのではなく、全体の流れに乗って、合わせていくことに慣れてきて、自分の発想で問題を解決したり、別の視点から考えてみようとしたりしなくなるから。政治でも今のシステム方の中で、個人個人が自分の意見をどう扱うか、どう向き合うか、どう責任を持つか、捉えなおす必要があるんだろうな」
「多数決が暗に力を持ち出すと、創造的ないい意見が埋もれていることもよくある。 でも、本当にそれが問題なのは、自分の意見と自分が同調している多数派の意見との境目が薄れるにつれて、自分の精神が本来持っている可能性とかが、力がないもののように感じられることじゃないかな。ゼロから何かを作り出すことなんかできない、個人の精神から何か生まれてくるなんてありえない、なんてスタインベックの人間観とは真逆の思考に陥るってことだけど」
つまり、多数派が正解であり、自分の意見には力を感じない現在の社会に身をおくと、“責任をもって自分の人生を生きていない”につながりやすいのだろうなと気がつきました。
気がつくのは簡単でも、抜け出すのが難しい。子どもの将来の問題、自分自身の仕事、
老後の暮らし、経済的なものも含めて将来のことを考えると、先が見えなくて、すっきりしない不安感がある。
どうにかなるよと超越しきれずなにか軸となるものが欲しくて、大多数に合流したり目の前に
ある強力なメソッドにすがりたくなる。私自身を見つめるとよくわかります。私の中にそういう自分がいますから。
(少し違うかもしれませんが、子どもが難題を目の前にして、
くじけそうになるときも、きっと同じようにざわざわしているのでしょうね。)
でも私はそういう自分も抱えつつ、生きていくしかないだろうと考えています。
要所要所でバランスを取りつつ、本当の自分をみつけるしかないと考えています。
それが自分に責任をもった生き方なのだと考えています。
また、個々が創造的な意見を持つようになるよいきっかけはないだろうかと考えました。
先生は「トーク・トーク カニグズバーグ講演集」を引用されていましたが、私の今のところの考えは、
“本に限らず、魂が揺さぶられる、身体の奥に届くものとの出会い(柳田邦男さん?の言葉)が、
潜在的にもっている個々の考えを解き放ち、創造的な生き方につながるのではないか“というものです。
最近、河合先生や柳田邦男さんの本を読むことがありました。その中で、私自身、心が震えたり
、身体の中に奥行きを感じる体験をしました。すると、本の内容とは直接関係ないことで、
私の中の創造性が動き出しているのを感じたのです。
私は本を読むことが創造性につながることが多いのですが、誰もがそのような何かを持っていて
、きっと子供の頃夢中になった損得を考えないような一次体験をすることが、
個々の創造性を自由にして、自分が求める自分を生きることにつながるのではないかと考えました。
少し話しが変わりますが、「人間は創造力をもった唯一の種である。
(略)音楽においても、芸術においても、詩においても、数学においても、哲学においても、
有効な協力というものはない。ひとたび創造の奇跡が起これば、集団はこれを組織だて、
拡大することはできるが、集団が何かを創造することは決してない。
尊いのは個々の人間の独自の精神である」とスタインベックの引用がありました。
ここでいう創造力とは少し違うかもしれませんが、自分を生きている人たちの集合体の中では、
対話がうまれ、集団による創造がおこることもあるのではないでしょうか。 息子さんが
“奇跡的に切り抜けたときに絆が生まれるのは、大勢で何かするときの、一人でプレイするときの正誤とは別の価値”とおっしゃっていましたが、集団の中で奇跡的な絆がうまれたとき、集団の創造も不可能でないと考えました。
きっと複数で絵本を創作するときや、音楽活動の場では、集団での有効な協力による創造の
奇跡が起こっているのではと考えました。
最近私自身言葉を口にしたり、文字にしたりするときに、立体的なものにして伝えようと
していると感じることがあります。また子ども達を中心とした集団の中で絆がうまれている場では、
原因と結果など平面的な伝言とは違う、もっと奥行きのある、私たちそれぞれの生き方考え方や
自覚していないもっと多くのものも乗せて、立体的に伝えることができるのではないかと考えています。
実際に人類の進化の過程、文化の伝承や科学の進歩などの現場では、現世代までの集団に
おける創造の連鎖を次世代の創造につなげているのだと考えています。
ですからある意味私も集合体の中での創造の現場にいるといえるのではないかと考えています。
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< 8万人が同時に「ポケモン」ゲーム 「無政府状態」か「民主主義」か >の記事も下に紹介しておきます。
8万人が同時に「ポケモン」をプレー?配信サイトで大実験……と
CNNニュースでも取り上げられているゲーム映像配信サイト『ツウィッチ』の実験が
数日前からおこなわれています。
ゲームボーイ用ソフトのポケモンを「社会実験」と称して
改造した人がいるらしい。
主人公のレッドをチャット欄にコマンドを書きこむと動かせるようになっています。
レッドは、参加者が増えるにつれ、動きが取れなくなっていました。
その混乱ぶりを見た作成者が、75%の賛同を得たら
現状通りのコマンドが反映される「無政府状態」モードか「民主主義」モードに
切り替えることができる、という修正を加えたのだとか。
その話題を耳にして以来、わたしもこの「ポケモン」ゲームの行方が
気になりだして、朝、息子と顔を合わせる度に、
「ポケモン、どうなってる?クリアできそう?」とたずねるようになっていました。
この実験が始まった当初から、日に数回、このサイトに加えて
この話題で盛り上がっている海外と日本の掲示板の両方をチェックしている息子が、
「まだまだ、クリアするのは無理かもな」と答えてから、
こんなことをつけ加えました。
息子 「無政府状態が行き詰ってにっちもさっちも行かなくなると、
大勢が民主主義に傾くんだけど、少しするとそれが窮屈になってまた無政府状態に
戻るのを繰り返しているからね。
これ、海外でプレーしているからこんな流れになっているけど、
プレイヤーのほとんどが日本人だったら、「無政府状態」か「民主主義」かモードが
選べるようになった時点で、デモクラシー派がずっとゲームを引っぱってくことに
なって、あっという間にクリアーしてしまうんじゃないかな?
掲示板見ていても、ほんとに、日本人というか、アジア圏の人は真面目だな。
どっちがいいか正しいかってのは抜きにして……
つまり、ぼくは無政府状態がいいとはちっとも思っていないわけだけど……それでも、
日本の掲示板で誰もかれもが一致団結して、「民主主義」モードに切り替えて
より短い時間でクリアすることだけを当然視する様子を見て、
多数決の状態で、より早くクリアすることを目指すんだったら、
一人でプレイするのとどう違うのか、疑問を感じたよ」
わたし 「そうよね。多数決で進むゲームなんて、少しも面白くないわね。
プレイするにしても、見るにしても」
息子「そうなんだ。より効率的にクリアーすることだけを最高善としてしまうと、
何万人もの人がプレイすることの意味が見失われそうでさ。
日本の掲示板では、誰も少数派を安易に切り落とすデメリットを口にしないし、
投票制で多数決することに慣れすぎて、
デメリットがあることすら忘れているようでもあるよ。
そういえば、中学の時、こんなことがあったんだ。
K先生が体育館クラス全員で一斉に手を打たせてから、
初めてみんなの心がひとつになったと言ったんだ。
自分は、初めてこの「パン!」を聞いたときに心の底から感動した……とも。
でも、ぼくは、それは無理矢理に強制されたから指示に従っただけで、
みんなの心が一つになったという表現はちょっと違うな、と感じたんだ。
何万ものがプレーしている状態で無政府状態を続けると、
大多数が正しく効率的にゲームが進行することを望んでいても、自分勝手に振舞う
人や他人の意見を聞かない人がめちゃくちゃにしてしまうのは事実だよ。
でも、この実験が、
どんなにひどいことが起きても裁かれないような状況でも、
奇跡的にうまくいくことがあるってことも示しているんだ。
結果として同じでも、
そんな風に個人個人が自由意志のもとで行動した上で先に進むのと、
1人の指示……それが多数決という指示だったとしても、
それに従って、先に進むのでは、ずいぶんちがうんじゃないかな」
息子 「実際に完全に多数決派に主導権を譲らない限り、
ゲームに決着がつくのかすら怪しいんだから、
日本の掲示板の意見は正しいといえば正しいんだろう。
海外のゲームの進行具合は無茶苦茶といえばその通りだしね。
ぼくも、どっちがいいって思ってるわけじゃないんだ。
ただ、今までツウィッチで起こってきたことを見て、
絶対絶命のピンチに直面したときの、向こうの人の切りかえの早さというか、
柔軟性にはびっくりしたよ。
日本人が同じ実験をしていたらもっと早くクリアしていたかもしれないけど、
ここで行き詰ってしまったら投げ出してしまうだろうなって場面があるんだけどね。
みんなが自由意志で自分勝手にプレイしながらも、そうした緊急事態に
やたら強いというか、何とか持ちこたえていくところがすごいと思ってさ。
これまでも、みんなで同時にポケモンゲームをするのと同じようなことを、
日本でも真似ようとしたことはよくあったんだけど、
いつも盛り上がりに欠けて、失敗していたんだ。
それって、やっていることの根本にあることを理解しないで、
形だけを真似ようとしてきたからかな、って感じたよ。
今回の実験で言うなら、ゲームだからより短時間にクリアするという
唯一の正解とそれ以外の不正解という捉えではない
どうして何万人なのか、このゲームにどんな意義があるのかも
考えてみるということだけど」
わたし 「何万人もの人が同時にプレイするとなると、
もし、最終的にクリアできなかったとしても、クリアできない状態が
長引けば長引くほど、ある意味、シュミレーションの結果としては面白いわね。
何万人もの人が、一人ですればすぐにクリアできるようなゲームに
多くの時間を浪費するとしたら、
その価値は確かに短時間にゲームを終えることではなく、
良いことも悪いことも含めた、ゲームのプロセスで起こったことのはず」
息子 「そうだよ。といっても、事件がたくさんあるほどいい、
大勢でやるから上手くいかないほうが盛り上がるってことじゃないんだ。
統率が取れたり、取れなかったりして先が見えない状態が続けば、
不満が出てくるのは当然だよ。
そうしたストレス下にあるときや、それを奇跡的に切り抜けたときに絆が生まれるのは、
大勢で何かするときの、一人でプレイするときの正誤とは別の価値といえるのかも。
これがゲームであるからには、多数決状態に固定されたまま心を一つにしていると
錯角して意識通り進んでいても、不満はあるはずだしね」
わたし 「民主主義は大事だけど、多数派が必ずしも正しいわけじゃないし、
たとえ多数派の意見の方が本当に正しかったとしても、
小数派の意見をないもののように切り捨てていいわけじゃないわ。
そういうこと、親子間でもよくあると思うのよ。
特に相手が幼い子の場合には。大人と子どもは多数派と少数派のような
力関係ができてしまうから、そこで優位にある大人側が正しさを振りかざして、
まるで子どもに自由な意志などないかのように扱ってしまうこともある」
息子 「ゲームを早くクリアしたい気持ちと同じように、
何歳までに何ができて、何歳までに何ができるか、ということだけを正解と
思ってしまうと、そうなるのかな」
続きを読んでくださる方はリンク先へどうぞ
私のかなり手抜きでおっちょこちょいな子育ての中で、
大事にしていたことが2つあります。
子どもが大きくなるにつれて、その2つに注意していれば、子育てって、
あとは何とかつじつまがあってくるんだな~と感じることが多々ありました。
<1つめのことと長い前置き>
私はずいぶん幼いころから、表面的な出来事や人の言動の背後にある
目には見えない力関係やエネルギーの流れを敏感に意識していました。
無意識の世界のやりとりのようなものです。
それは、父と自分との間にある奇妙な力関係から気づいたことでもあるし、
妹と母との間で、日夜繰り返されるドラマを外から眺めるうちに
感じたことでもあります。
また団地暮らしという環境ゆえに敏感になったものでもあります。
私の父は、これまでもブログで何度か書いていますが、子煩悩だけれど、
粗暴でわがままで、母からすれば今でいうDV夫。
ギャンブル中毒で、周囲のだれからも恐れられていました。
スポーツや肉体労働で鍛えあげた巨体で、女子どもに暴力を振るうんですから、
ひと睨みされたら最後、誰も父に反抗できる人はいませんでした。
一方、私は喘息や鼻炎や起立性の低血圧やら貧血やらで、身体が弱く(そんな私も
当時は毎日外遊びをしていましたが)内向的で引っ込み思案な性格で、
とにかくひ弱な印象の子どもでした。
それにもかかわらず、私は父をちょっと小ばかにしていて、
「お父さんは私のことを怖れてる。私が怖いんだ」と感じていました。
DVの人というのは、暴力を振るっていないときは、
ベタベタと優しくする~って話をよく聞きますよね。
私の父も同じく、激怒していないときは、何か買ってくれようとしたり、
お小遣いをあげようと言ったり、子煩悩そのものの姿を見せたりしていました。
妹やいとこは、父に当時はまだめずらしいドーナツ屋さんやレストランに連れて
行ってもらったり、おもちゃを買ってもらったり、お小遣いをもらったりすると、
もう目の色が変わって、父の思うままになっていました。
父がお店の近くまで子どもたちを連れて行きながら、急に気が変わったからと
帰りはじめたりすると、半泣きになってすがって、父の機嫌を取っていました。
私は父がそうやって人の心をコントロールしようとするやり口を軽蔑していましたし、
もともと、外食にもおもちゃにもお金にも興味がなかったので、
そうしたドラマの中ではいつも部外者でした。
すると、父は今度は私に嫌がらせを言ったり、にらみつけたり、
げんこつでこづいたりするのですが、それに対してもお腹の中で、
そうした父の幼稚さをちょっと小ばかにしているもんですから、
怖がりもしませんでした。
そんな私を父がどこかで恐れている、怖がっているというのは、
妹や母には遠慮のない父が、私の前では途方にくれた小さな子どものようにも、
老いた老人のようにも見える弱々しい一面を時々見せていたからです。
私は、相手が自分の前に釣らすエサに無関心だというだけで、
それがかなり大きな力になりうることを感じ取りました。
また、表面的に言葉でかわされたり、目で見える出来事の後ろには、
いろんな力がうごめいていて、さまざまな見えない力関係が
成り立っているのだと思いました。
虹色教室にやんちゃですぐ口答えする子が来た場合も、
私はすぐさまその子たちが私を巻き込みたいと思っている『力のゲーム』を
行えない状態にするので、
わがままが癖になっている子ほど、素直に私の言葉に従いがちです。
「ぼく誰々君いじめてやったんだ!」とか「~しんじゃえ」「つまんない」とか
言う子に、ショックを受けたり、言葉でわからせようとしたり、悪い子と決め付ける
態度を取ったりすると、たちまち、その子の力争いのゲームに巻き込まれて、
過去にその子が周囲の人と演じてきた悪い関係やドラマを繰り返してしまいます。
そうした言葉は跳ね返さずにきちんと受け取って、こちらから伝えたいことを
はっきり言うと、子どもはたいてい素直に従います。
それがその子お母さんとの間だと、お母さんが注意し、困惑するほど、
子どもは言うことを聞かなくて、好き放題するという繰り返しが続いていることが
多いのです。
私の母と妹の関係もそうでした。表面的なやり取りは、妹からのおもちゃを買って
欲しいとか、もっとテレビが見たいとか、母からのそんな贅沢許しませんとか、
テレビは一日○時間まで、とかの言い合いなんですが、
お互いの言葉が相手の気持ちを鎮める方向に働かず、
妹の方は、むしろいっそう気持ちが高ぶって、テレビが見れないんだったら、
すべて終わりだ、何もかもめちゃくちゃにしてやるくらいの勢いになっていくし、
母は母で、どうしてこんな子産んだんだろう~こんな子いらない~
思いきりおしりをたたいて思い知らせてあげなくては……
くらいの追い詰められた気分になっていくんです。
そこまで激しくやりあっているものが、『魔法使いサリーちゃん』ならまだしも、
『デビルマン』ですから……私は母と妹の気が知れませんでした。
そこは、テレビ番組じゃなくて、レストランでもなくて、
目には見えないけれど、お互いが相手を自分のものにしたいというような
力のぶつかり合い、エネルギーのやりとりが背後にはある—。
子どもの頃はそれを言葉にできたわけではないけれど、雰囲気で感じていました。
目に見えない力関係とかエネルギーとか無意識というと、
何だかもやもやと捉えにくい感じがするでしょうね。
テレビやインターネットや宣伝広告があたり前となった現代は、
こうした目には見えない力やエネルギーが乱用されている時代です。
人工的でクリーンで無害そうに見える場所にも、操る側の意図があって、
無意識レベルで操られる側のひとりへと仕立てあげられてしまう
仕組みがいっぱいです。
無意識というのは意識されないから無意識です。
テレビで自分よりずっと立派に見えるタレントたちが、口をそろえて、
出された食べ物に「おいしい~!」と笑みを浮かべるのを見続ければ、
自分の味覚と関係なく、みんながおいしい~と言うときには、
「おいしい~」と言うべきなんだな~と知らないうちに学習してしまいます。
食品会社の思惑で、食品添加物いっぱいの新製品を
「おいしい~おいしい~」と食べさせられてしまうくらいはかわいいもので、
しまいには政治や戦争への参加、不参加を決めるような大きな決断をくだす際も、
自分がお留守のまま反射的にみんなに合わせる人が増えていくのかもしれません。
話がずいぶんそれてしまったのですが、子育ての話にもどりますね。
大人の場合、自分が感じていることを無視して、操る側や力を乱用している側に
同調する悪い癖がつく程度ですむものの、
子どもの場合、操る側や力を乱用している側が期待していることが、
自分が楽しいことなんだ、うれしいことなんだ、欲していることなんだ~と
間違っちゃうこともよくあります。
そうして子ども時代から自分がスカスカのまま、周囲の思いを自分の思いと
勘違いして育ってしまった子の犯罪や自殺や心の病があとを絶ちません。
だから私は、わが子が何ができるようになったかとか、何ができないかとか、
先生からどう評価されているかとか、
何を食べ、何を着て、どんな家に住んで、どんな学校に通うのか、
なんてことは、ほとんど気にかけませんが、自分の心には細心の注意を
払っています。
エゴに絡め取られて、間違った判断を下さないように、
時々周囲のノイズから離れて、なるべくクリーンな状態を保つように
気をつけています。
それはけっしていつも良い人、良い親でいることではないです。
良い人、良い親であろうという思いだって惰性で仮面のように貼り付けていれば、
叱るときに叱れないし、
ルーズなくらいでいいときにやりすぎてしまいますから……。
ある程度ダメな親でも、子どもの人格や魂に対して、純粋で正直な気持ちで
向き合えたなら、子どもはとても幸せなんだと思うのです。
私も子どもの頃、最も幸せに感じたのは、母が自分の好きな針仕事に夢中になって、
母自身の夢を生きているのを感じるときでした。そうしたときは、私は私で、
自分にとって大事な何かを探しに行きたい気持ちに駆られるのです。
しかし、母が果たせなかった自分の夢を私の上にかぶせて
あれこれ期待するときには、心が萎縮し、
この世は何て退屈でつまらないところだろう!と感じていました。
そんなわけで、私が子育てで、気をつけてきたことのひとつは、
自分の心に注意する、です。子どものことで問題にぶつかった時には、
必ず、子ども時代の自分(インナーチャイルド)の気持ちに
おうかがいを立てています。
どんな親であってほしかったのか、子ども時代の私は今の私に訴えます。
すべてを呑むわけにはいかないけれど、正直に対応するわ……と、
現代の私はインナーチャイルドと会話しています。
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<2つめのこと>
私の母は、私が何を言っても、何をしても、良いように解釈して、
ひたすらかわいがってくれました。
ですから、私には母から叱られたリ、注意を受けたという記憶が
皆無といっていいほどありません。
そんな風に猫かわいがりに愛してくれる母に対して、
私はいつも複雑な気持ちを抱いていました。
というのも、私のふたつ年下の妹は、それはそれは極端なほどに、
朝から晩まで叱られ通し~と言っていいほど、
毎日毎日、母とぶつかり合っていたのです。
それは妹がまだ赤ちゃんで、昼夜を問わず一日中わめくように
泣き続けていたころからはじまって、
2~3歳の反抗期も、幼稚園児、小学生、中学生となっても、
どの時期として落ち着いた良い関係というのはなくて、
いつも母と揉めていたからです。
ですから、私は母から特別にひいきにされる度に、胸が苦しくて、
うれしさと同じくらいさみしく悲しい気持ちを感じていたのです。
母にすれば、内気で、けっして反抗しない私の態度に、
自分が良い母であるという証明や癒しを求めていたのかもしれません。
私をひたすらかわいがることで、理想どおりいかない妹の子育てを頭から抹消して
理想の子育てを自分はしているのだと思い込みたいようなふしがありました。
母は、おとなしくてまじめで気が優しい性格で、良い子良い子した子どもが
そのまんま正直で純真な心のままで大人になったような人でした。
そんな母が父のような荒っぽいギャンブル漬けの人と結婚したのですから、
それまでの成長の中でどれほどバランス悪く
『良い人』としてしか生きてこなかったのかわかります。
母は自分の中に『悪い人』をほんの少し受け入れることさえ拒絶して、
自分の人生のバランスを取るように『悪い人』を
自分の代わりにすべて引き受けて生きてくれる父と結婚しました。
そうして生まれた長女の私には、自分の『良い人』のイメージをかぶせ、
父似の妹には、自分の中の『悪いもの』をすべて押し付けて見ていました。
そんな子ども時代の暮らしの中で、
私はいつも変わらぬ愛情を降り注いでくれた母に対し、
どこか屈折した思いを抱いていて、母の死に際に私が間に合わず、
妹が心を振り絞るように泣きながら最後を看取った事実に、
なぜか、ほっとする気持ちを抱いたのです。
私が母に屈折した思いを抱いていたというのは、母はとにかく優しい人では
あるけれど、周囲に可愛がられて育った未熟で弱さも残った性格で、
普段はとても優しくて、食事のことでも、服のことでも、
習い事や友だちのことでもそれは気を配ってくれるというのに、
肝心かなめの、子どもが大きな問題にぶつかったようなときには、
自分が一番パニックを起していて全然頼りにならなかったことでした。
中学に上った妹がたびたび問題を起したときには、
教師や相手側の言うことを鵜呑みにして、簡単に妹の気持ちを踏みにじったり、
裏切ったりする一面もありました。
それで、私は自分が子どもを育てるときには、大きな問題が起こったときこそ、
しっかりと親になろう!誓いました。
いつ自殺するかもしれない母をなだめたりはげましたり、
母に向かって妹の良い面を話して聞かせたりしながら過した思春期に
強く強く覚悟した言葉でした。
そうして、親になった私は、普段はかなり手抜きだけれど、
肝心の子育ての急所には、自分の精神力の全てを振り絞って、
覚悟して挑むようにしています。
受験なんかでも、子どもがうまくいかなかったときに、親まで泣いていたのでは、
子どもは苦しみから立ち直るだけでなく、
親の不安まで背負い込まなくちゃなりませんから……
そうした時ほどけろっとしています。
だからいつもは適当な親なんですが、こうした本当に子どもがSOSのときは、
子どもたちがしっかり頼りにしてくれるので、うれしく感じています。
この記事は5年以上前のもので、この頃に比べると息子はすっかり大人になりました。
わたしも当時は夢だった物語を書くことを、3作目の物語を完成させることで、
自分の現実の暮らしの中に根付かせるようになりました。
最近の教室の様子をアップしようと思っているのですが、写真の整理が追い付かないので、
もう少しだけ過去記事でがまんしてくださいね。
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わが子が幼い頃や小学生時代、いっしょに交わす会話が面白くてよく記録に取ったものでした。
それが子どもが成長するにつれ、学校、通学、趣味、友だちとのつきあい、バイト……と親より慌ただしい生活をするようになって、
顔を合わせて話をする時間が激減していました。
それが、受験生になった息子が学校が休みの日も 遊びに行かずに家で勉強するようになって、勉強に疲れると気分転換に家族としゃべる機会が増えて……。
そうするうちに、自分の中にむくむくと「子どもとの会話を記録しておきたい」という思いが復活してきました。
「なぜ?」と問われたら困るのですが、カメラ好きの方が わが子の姿を写真に残しておこうとするのと近いものだと思います。
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先日、進路について悩む息子から相談を受けました。
進路といっても、大学や学部選びはもう自分の中で決まっているようで、
迷っているのは将来の仕事に向けて
これから何を学んでいくべきか、
就職する会社はどのような職種から選んでいけばいいのか
といったことでした。
途中で現われたダンナが、
「先のこと考えて御託並べてないで、まずしっかり勉強しろ!」
と雷を落とし、
息子が「受験勉強はしてるさ。でも闇雲に勉強するだけでは、大学卒業時にそこから4,5年かかる勉強をスタートすることになって、出遅れるよ。ビル・ゲイツが成功したような まだネット社会が未完成だった時代じゃないんだからさ」と言い返すシーンもありました。
夕食後に3時間近く話しあって、
最後には、「話をしてみてよかったよ。おかげで行きたい方向がはっきり見えてきた」と言われて胸が熱くなりました。
息子の進路について相談に乗っているつもりが、
私自身の進路というか……これから自分が歩んでいく方向性のようなものを考えるきっかけにもなった会話でした。
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息子 「最近、ただIT関連の仕事がしたいと漠然と考えて、
大学で情報工学を学ぶだけじゃ、
本当にやりたい仕事からずれていくような気がしてさ。
ITといったって、今はひとつひとつの分野が専門的に進化しているから、
それぞれの先端じゃ互換性はないはずだよ。
だからといって念のためにと あれこれつまみ食いするように学ぶんじゃ
1しっかり学べるところを、2分の1、3分の1ずつしか学べなくなってしまう。
今、一番迷っているのは、ソフトを作る力を蓄えるか、ハード面で強くなっておくかということなんだ。
もしこれまでのネットのあり方を根源から変えるようなものを作りたいとすれば、大学を卒業しても、そこから研究生活に入ってく形になる。
それがぼくが本当にやりたいことなのか、自分にあっていることなのか迷っているんだ」
私 「今後、ネットの世界は飽和状態に向かうと考えているんでしょ。
ただプログラミングを学ぶだけでは、いずれ、どんなに質の良いものを作り出しても、競争の中で消えていくだけかもしれないわ。
だったら、時間や手間がかかってもハードそのものを扱う勉強をした方がいいんじゃないの?」
息子 「勉強や研究が嫌なわけじゃないんだ。」
私 「早く働きたいの?」
息子 「それもあるけど、それより自分が本当に創りだしたいものは何なのか、そう考えていくと、今 立ち止まってじっくり考えておかないと、
何となくそっちの方が良さそうだという気分に流されるうちに、自分自身を見失いそうな気がしているんだ。
それで、ぼくの、ぼくだけの特技ってなんだろう?
将来の仕事の決め手になるような他のみんなより誇れるところって何だろうって煮詰めていくとね、
『みんながみんな左に向かっているときにも、右に向かうことができる』
ってところだって思い当たってさ。
じゃあ、そんな自分が活かせる仕事、いきいきと働き続けることができる仕事は何だろう
……それとぼくが創りたいものの本質は何だろうって考えていたんだ」
「『みんながみんな左に向かっているときにも、右に向かうことができる』能力って、単にひねくれ者ってわけじゃなくて、
多くの人がいっせいに左に向かっているときって、
その時点で もう本来の左に進むべき目的が見失われているときがあって、
みんな薄々、それには気づいてるんだけど、
動きが取れなくなっていることがあるよね。
そんなときにぼくは
潜在的にそこにある大切そうなものを汲み取って、
ひとりだけでも右に方向転換することができるってことだよ。
そういう能力が将来、活かせるかもしれないって気づいたのは、
プログラミングを自分で学んでいたときなんだ。
学べば学ぶほど、より優れた技術、より精巧な動きっていうのを、
無意識に求める気持ちに呑まれていくんだけど、
一方で、より面白く、よりすごいものを作ってくって
技術面だけにこだわってていいのか? って考えたんだ。
もちろん、技術の向上が大切なのはわかっている。
でもね、もし技術ばかりがひとり歩きして、こんなものが欲しいという人の欲望みたいなものから離れてしまったら、
それは死んだ作品じゃないだろうかって。
ほら、3Dテレビって今どんどん進化しているじゃん。
100年前の時代だったら、
3Dテレビを作り出すために一生かけてもいい、
3Dテレビをどんな苦労してもひと目見たいって、願った人もいると思う。
で、今、3Dテレビがそれほど求められているのかっていうと、
100年前と比べると、それに対して人々が抱いているロマンのようなものが変質したと思うんだよ。
それでも技術革新は必要なんだろうけど、
同時にどうしたら生きた作品を生み出せるのかって考えるときが
来たんじゃないかな?
それで、ぼくは技術を身につけて、自分で制作に入りたくはあるけど、
その一方で、『プランナー』といった面を持っている仕事も
自分にあってるんじゃないかと思いだしたんだ」
私 「生きている作品ってどんな感じのものなの?」
息子 「感情を揺さぶるライブ的要素も持った作品かな?
今の世の中がこんなにも『うつ』っぽくなっちゃった理由は、
何でもかんでも、そうしてはならないものまで、
品物化していった結果だと思うんだ。
ほら、エンデの『モモ』って童話があるじゃん。
あれを子どもの頃に読んだとき、
みんな何日で読んだ~何ページも読んだ~
他の本と比べてどのレベルで面白かったかってことばかり話題にして、
どうして、自分自身の今の生活が、
時間泥棒に奪われているモモの世界の出来事と
同じことが起こっている事実について考えてみないんだろうって
不思議だったんだ。
みんなはどうして人間としての自分の感情を通して、
物と付き合わないんだろうっさ。
いろんなものを品物として見るって、
高級料理にしたって、勉強の授業のようなものにしたって、品物化されて、
数値化されてるよね。
友だちのようなものまで、
ネット内でボタンひとつで友だちかどうか選別したり、
グループ内で友だちを格付けしたり、友だちを数でコレクションしたりする
ようになってくる。
でも、本当は、そんな品物化した『友だち』を、誰も求めちゃいないはずだよ。
友だちを欲するのは、友だちという人を求めているというより、いっしょになって団結して何かしてみたり、
冒険したり、共感しあったり、
そこで動く感情を欲しているはずなんだから。
みんな感情を求めていて、それに気づいていないんだよ。
何でも品物化したあげく、これは品物にしようがないっていう感情でしか処理しようにない『死』を、偏愛する人も増えている。
もし、IT産業で何かを作っていくにしても、
そんな風に物を求める根底になる感情の流れを揺さぶる生きた作品を作ることを目指していきたいんだ」
息子 「ぼくはずっとゲームクリエイターになる夢を抱いてきたけど、
ゲーム好きの人たちと自分の間には、
かなり感性の違いがあるのはずっと感じてきて……
最近になって、本当にぼくはゲームが好きなんだろうか?
って思うことが増えてきたんだ。
ぼくがゲームに対して感じている面白さって何なんだろう
って突き詰めてみると、
さっきお母さんが京都の巨大鉄道ジオラマの話をしていたから
閃いたんだけど、
『仕事の遊び化』って部分に
惹かれているんじゃないかと思うよ。
ぼくがゲームを面白いって感じている基盤の部分に、
この『仕事の遊び化』を生み出したい気持ちがあると思ったんだ。
ジオラマ作りに参加した職人やアーティストは、
退屈で苦しいはずの作業の中に、わくわくする楽しい気持ちやフローの感覚を抱いていたはずだよ。
この『仕事の遊び化』って、昔から人が苦しいものを喜びに変えたり、
辛い作業から楽しみを抽出する知恵として
存在しているものだと思うんだ。
たとえば、プラモデルなんかも、設計の仕事から、
楽しい部分だけを抜き出したようなおもちゃだよね。
ぼくがゲーム作りをしたかった一番の理由は、
ゲームという媒体を使って、
人間の営みをいろんな視点から眺めたり、そのユニークな一面に光を当てる
のが楽しいからなんだって気づいたんだよ」
私 「『仕事の遊び化』……そうね。日本が豊かになって、
物ではうんざりするほど満たされた後に、
きっと人はそうしたものを求めだしているように感じるわ。
遊び化といっても、遊び半分という意味でなくて、プロフェッショナルとして、天職として仕事に関わるとき
そうしたものを感じることができるのよね。
人の営みの面白い面を再体験したいって思いから
ゲームは生まれたのかもしれないわね」
そう言いながら、私は息子が小学生のとき
モノポリーが好きでたまらなかったことを思い出しました。
何度やっても、いつも息子の一人勝ち。
どんなに他のメンバーの情勢が良いように見えるときも、
なぜか最後には息子の戦略にまんまとはめられて、
お金をほとんど奪い取られてしまうのでした。
手作りモノポリーもたくさん作っていました。
モノポリーは投資のゲームですから、それもおそらく『仕事の遊び化』という一面で惹かれていたのでしょう。
息子 「現実に体を動かしてやった方が面白いものを、
ゲームにするのは好きじゃないんだ。
どんなにリアルさを追求しても、実体験には負けてしまうから。
でも、そこのゲームの世界も、より美しい画像で、より高い技術でってことを追いかけていくうちに、人間的な部分が置いてけぼりになっている気がしてさ。
人が何を面白く感じ、何に心が動かされるのか……って所を見失ったまま進化が進んでいるようだよ。
それで、そうした世界でぼくは本当にゲームが作りたいんだろうか?
面白いものが作れるんだろうか? って思いだしたんだ。
先々、ゲームを作るにしろ、作らないにしろ、
まずゲーム会社とは全く職種の違う世界で働いて、
そこでの仕事に熱中しながら、自分の作りたいものを捉えなおした方が
いいような気がしているんだ」
私 「どんな職種を考えているの?」
息子 「アプリケーションの制作会社とか、
それか、シンセサイザーなんかといっしょに新しい音響機材を作る会社なんかも考えている。
ゲームを作りたいから、
新しいエンターテイメントを生み出したいから、
ゲーム会社に入るというのは、ぼくにはあっていない気がするんだ。
そんなことを思いだしたのは、マンガを読んでいたときなんだけど。
今さ、たくさんマンガの勉強をしたんだろうな
という技術レベルの高いマンガ家がたくさんいるんだけど、
そりゃぁたくさんの人がマンガを描いているんだ……
でも、どれを読んでも面白くないんだよ。
生きている作品がないって感じ。
一方で、ある時期までマンガとは全く関係ない異分野の仕事をしていて、
途中でマンガ家になった人たちが描く職業マンガが、
けっこう面白くって、このごろ気に入ってるんだ。
単純に考えると、少しでも早い時期からマンガを描き始めて、
それだけに打ち込んだ方が、良いものができるに決まってるって思うじゃん。
でも、マンガの世界もある程度
成熟し終えた面があるから、
無意識のうちに すでにできあがった価値観の影響を受けながら、
その世界でよりすばらしくって技術を向上させるだけじゃ、
人の心が動くような作品は生まれにくいんだよ。
その点、異業種から遅れて参入してきた人の作品は、
多少いびつなところがあっても、
思いもかけない斜めからの視点があって
新鮮で読みたい気を起させるんだ。」
私 「そうね、ものづくりの現場でも
そうした異業種同士の連携が、
不況を超えるカギになっているようだものね。」
息子 「ぼくも、自分が抱いている面白さを追求する道を、
既存のイメージができあがっている世界ではなくて、
ストレートにそのまんまじゃない……
別の職種の枠の中で探求していく方がいい気がしてきててさ。
そう考えだしたのには、受験勉強の影響もあるんだ。
受験って、ランキングで格付けされて、合格の道筋がマニュアル化されて、
いかにも品物化が進んでいる分野でもあるけど、
でも勉強していると 意外なんだけど、どの勉強も人間的な性格的なものが
その底にあるんだなって気づかされることがよくあったんだ。
かしこさって、いかにもIQや頭の回転のよさだけで測られるように思うじゃん。
でも、国語を学ぶって、結局は、そこにあるのは人間の営みや生きていることへの理解を深めることに過ぎないんだって学ぶほどにわかってくる。
文章のすばらしさをただ公式を当てはめて、答えをはじきだす作業じゃなくて、
読む文章から生きていることの何かを受け取ることが国語なんだなって。
数学のように、人間的なものからかけ離れているように見えるものでも、
生きていることのすばらしさを放っておいて、存在しないんだよ。
数学がすばらしいのは、そこに
人間的な評価が潜んでいるからでもあるんだから。
それで勉強するうちに、自分が表現したいものは、この人間的なことや
生きる営み、人の感情を揺さぶることを抜きにして考えられないなって。
そうした本質的なものを含んだ作品は、小さな枠の中で近視眼的に
他人と技術を競うだけでは生まれてこないと思ったんだよ」
私 「さまざまな物や行為と『生きて存在していること』の関わりを考えていくのって、哲学の世界では大事にされていることよね。
哲学って難解なイメージがあるけど、実際には幼児が考える疑問のように……ごく基本の基本みたいなことを扱っているわよね」
息子 「うん、そうそう。哲学って、存在する全てのものを意味でつないでいるものだと思うよ。
それは勉強を極めていった選択肢の先っぽにあるんじゃなくて、
もっと身近な……人が手にするひとつひとつの物……えんぴつでも服でも何でもいいんだけど……や、
『生活の営み』全般の芯の部分にあたるんだろうな。
だから、特別にかしこまらずに、もっともっとみんな
普通に哲学に触れればいいのにって思っているよ。
自分の中に持っておくというか……。
哲学だとハードルが高いんなら、詩のようなものでもいいんだ。
哲学にしても詩にしても、
形容できないものを、文字の媒体で表そうとすることじゃん。
形容できないものを形容しようとする試みがなかったら、
『友だち』というのを数や格付けとイコールで結ぶようなもので、
人の行為は、
『名前を付けられた空のパッケージ』ばかりになってしまうよ。」
私は息子の口から詩という言葉が出たのでとても意外な気がしました。
詩を読んでいる姿を見たことがなかったので。成長すると、身近にいても親が知らない面がいろいろあるもんです。
息子 「詩なんていうと、デザートのように思っている人もいるだろうけど、
『生きる糧』のようなものじゃないかな?
そうした自分の内面の芯のようなものがないままに、
どんどん勉強して、どんどん知識や技術を吸収して何を得たとしても、
それは人としての『基盤の幸せ』を失うリスクを犯すことに
ならないのかな?
生きていくことの手段に過ぎないものを
全てであるように錯覚している人がたくさんいるから、
そこで暮らしている子どもたちにしても、
もう本来の『子ども』って存在じゃないように見えるよ。
他人の評価に依存するものに、
自分を全て明け渡して、
自分の中にある形容できない何かを、
まったく無いもののようにしているんだから。
じゃあ、もうそこには自分がないってことじゃないの?」
息子の言葉を聞いて、私は昔、自分が書いた詩のことを思い出しました。
それで詩画集を持ってきて、次のような詩のページを広げて
息子に差し出しました。「同じようなこと考えるもんでしょ。やっぱり親子よね」
そういえば、息子に自分の詩を見せるのは初めてでした。
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ハーメルンの笛吹き
もしも君たちが 自分の言葉を裏切るなら
もしも君たちが 平気で夢を枯らすなら
もしも君たちが 太陽と風を忘れるなら
もしも君たちが 本当は誰も愛していないなら
ハーメルンの笛吹きがあらわれる 子どもを連れにあらわれる
遠ざかる笛の音をつかまえても もうおそい
まちじゅうどこにも 子どもはいやしない
赤ん坊は赤ん坊じゃないんだ
子どもは子どもじゃないんだ
ちいさくたって同じ
のっぺりした顔の 大人ばかり
そののっぺりが 世界中を埋めつくしても
みんな平気の平左さ
だって ほら 世界中 もう大人しかいないからね
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息子はえっ? と驚いた様子で、
「あっそうだ。お母さん、詩を書いてたんだったよね」と笑いながら読んで、ちょっと真剣な口調で、
「あ~わかる。いいな~。」と言ってから、
次のように付け加えました。
「親子だからどうって言えない面があるんだけど、
もし、これがお母さんの詩じゃなくて、目にしたとしたら、すごく好きになってた可能性があるな。」
と本当に感動している様子で言ってくれました。
「いつ書いたの?
詩集を作ってたのは見たことがあるから、その時?」
「絵はね。でも、詩はもっと前よ。★(息子)とそれほど変わらない年齢の時のものもあるわ。
ほら、これ。」
私はすっかり舞い上がって、別のページも
息子に見せました。
環状線 という詩です。
「ほら、さっき★(息子)が言ってた……
何となくそっちの方が良さそうだという気分に流されるうちに、自分自身を見失うってあるじゃない。
褒められたり、期待されたりして、
ちょっといい気になってそれを続けるうちに、環状線に乗ってぐるぐる回り続けているってことがね。そのうち、本当はどこに行きたかったのか忘れちゃうってことが……。」
息子 「そうだよ。ほとんどの人が、人からえらいとか、目立ちたいとか思ってがんばっているうちに、気づかない間にその詩の環状線に乗っていると思うな。」
私はすっかりうれしくなって、
出逢い と
小さな友へ の詩も見せました。
すると、息子は笑いながらこう言いました。
「お母さんの詩、いい詩だよ。ぼくは好きだな。
お姉ちゃんが、いい詩が読みたいって探してたけど、意外に
お母さんの詩を読んでもいいんじゃないかな?」
私 「気に入ってもらってうれしいわ。
お母さんの詩が良い詩かどうかなんてわからないけど、
でも、今そうした詩を書こうと思っても、もう書けないから、お母さんにとっては貴重な詩なの。
だって、それはその時のお母さんの心の軌跡でもあるから。
環状線を書いたときは、
自分がいつのまにかそうした不安な状況に呑みこまれてて、降りたくてもどうやって降りたらよいのか見当がつかなかったのね。
それがきれいな詩を書くために、
過去を振り返りながら、上手に言葉を組み合わせるように書くんだったら、
お母さんにとってはあまり意味がないのよ。
その時、その時の心が抱く思いは、普遍的なところがあると思うの。
お母さんの心が感じる体験は、世界中のさまざまな人が同じように感じているだろうってこと。
出逢いの詩で書いたような心の体験が、人と真剣に出逢うときには
必然と言っていいほどあって、
たとえそれが苦しいものだったとしても、
そうした普遍的なものに触れて、
自分の目にどう映り、どう感じたのか……
『その時』を言葉にできたことが うれしいのよ。
評価されるかとか、認められるかなんてこととは別の問題でね。
どんな出来だって、作るのは楽しいものよ。
そしてこうやって、ちゃんとひとりでも読んでくれる人がいると
すごく感激するものだしね。
そうだ、★が11歳の時の姿をスケッチしたものと詩があったわ。
ほら、これよ」
11歳の孤独息子は面白そうにそれを読んでから、懐かしそうに笑い出しました。
「ああ、この時のぼくは、ぼくで、今とはまったく違う心で、いろんなことを考えていたんだよな……今思い出すと面白いな」
私 「お母さんは子どもの頃からずっと児童文学の作家になりたいって夢みてきて、いまだに夢はずっと持ち続けているのに、遠回りばかりしているわ。
今の仕事が大好きだしね。
その時、その時、★が言ってたような『生きている』って実感を味わいながらきているから、
思い通りにいかないときも、それなりに満足しているの。
それに、自分を生きているとね、どの道を歩いていたとしても、やっぱり夢に近づいているように感じるわ」