虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

ブロックで駅を作って遊びました

2015-06-30 13:51:12 | レゴ デュプロ ブロック

年中の自閉っ子のAくんとブロックで駅を作って遊びました。

Aくんはおしゃべりをするのは得意ですが、

「こういうものを作ろう」とイメージしてそれを実行に移していく作業は苦手です。

Aくんとブロック遊びをする時は、

「作業がわかりやすく見通しが立ちやすいこと」

「Aくんのおしゃべりややり取りを作品に盛り込めるように支援すること」の

ふたつを大事にしています。

たとえば、トンネルに屋根をつけていくことは、作業がわかりやすいし、

次に何をしたらいいのか迷わずにすむ作業です。

 

動く歩道。

Aくんが電車で遊びだすと、電車を駅まで滑らせては、

「○○駅に○○特急が到着します」というアナウンスを繰り返すことだけに終始しがちです。

再現遊びの段階からなかなか発展しないのです。

でも、Aくんが、、「○○駅に○○特急が到着します」と言うのに、

「○○特急が到着するのね。急がないと乗り遅れちゃう。

急いで駅のホームに行かなくちゃ」と言いながら、動く歩道を動かす真似をすると、

Aくんはこの流れを気に入って、動く歩道を動かして遊び出しました。

これが人形だけを動かして、「早く行かなくちゃ」とするのは、嫌がるのですが……。

 

簡易エレベーター。

 


外部の塾のテストを受けに行って……『想像の自由と現実の不自由』の話

2015-06-30 06:15:44 | 初めてお越しの方

このところ、教室の3、4年の子らのお母さん(一部はこの春、教室を卒業しているので下のお子さんのレッスンで

お聞きしました)数名から、

「先日、外部の塾のテストを受けにいったら、思いのほかよくて……」という話をうかがいました。

どの子も、遊ぶことが大好きなのびのびした子で、

お家での学習は、学校の宿題の他には「ごくたまにワークを少しする」くらいという子です。

が、外部のテストでは、計算のうっかりミスなどは多少あっても、

後半の思考力を要するものはほとんど解けていて、

一番最後の難しい問題もしっかり正解していたそうです。

その話をうかがっていた時、賢い子なのにあまり考えずにパッパパッパ答えを言う

教室に来はじめたばかりの子のお母さんがいらっしゃいました。

「どうすればじっくり考えるようになるでしょう?」という相談をいただいたのに、

うまく返答できずに戸惑っていると、先のお母さんが助け舟を出してくれました。

 

「ゆっくり考えてもいい……すぐに正しい答えを出さなくてもいい……という感覚が身についてくると、

2段階、3段階の思考ができるようになってきましたよ。

先生(わたし)は、いつもゆっくり待っておられますよね。早く早く……とせかさずに」といったことを、

何度も言葉を変えながら、ていねいに伝えてくださいました。

 

この言葉、わたしにはどのような内容を指しているのかよくわかりました。

でも、実際に体感したことがないと本質的な部分は理解しずらいかも……とも感じました。

ただ、表面上の言葉だけ受け取って、

大人が「ゆっくり考えなさい」と言ったり、せかさずに見守っていれば、

子どもが深く考えるようになるわけでもないからです。

 

でも、先のお母さんの言葉は、最も核心を突いた答えで、

わたしがうまく言えないけど

伝えたいと思っている内容を如実に言い表しているともいえるものでした。

 

よく考える子たちは、考えることに対する心理的な障害物が

あまりない子たちです。

一方で、あまり考えない子たちには

「考えるのを邪魔する障害物」をたくさん持っているように見えます。

 

「考えるのを邪魔する障害物」でよくあるのが、

「勉強というのは、たずねられたらすばやく正しく答えられる状態がマルなんだ」という思いこみです。

考えるのではなくて、すでに考えなくてもできていることを

よしとしているのです。

間違えることへの不安やいつも正解したいというプライドも障害物になります。

 

現代の子たちは、さまざまなタイプの「考えるのを邪魔する障害物」を

身につけやすい暮らしをしているようです。

過去記事の『想像の自由と現実の不自由』ピタゴラ装置の話

で書いている『現実の不自由』が、

生活の場でも、

学習の場でも、排除され、悪物扱いされ、「現実」が「現実でないもの」以上に遠くなっているからではないか

とも感じています。

 

学習でしたら、最初から正しい知識をひとつひとつインプットしていくのが

学習でいつも「今、ミスしないこと」が優先されているようです。

間違えたり試行錯誤したりしながら、深く疑問を咀嚼していく

現実の不自由な考える筋道は、効率的な学びではない……と

大人も当然のことと受け入れているかのようです。

 

少し学習のことから話が逸れますが、よかったら過去記事を読んでくださいね。

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『想像の自由と現実の不自由』ピタゴラ装置の話


小学2年生の子らのグループレッスンで。
『ピタゴラ装置②』の本にあった「放り出しカー」を作りました。

といっても、本にある材料とはほど遠い
ありあわせの材料で作るもんですから、思う通りに動くはずもなく、
失敗の連続で、位置を付け替えたり、
積み木の数を変えたり、もたもたもたもた……試行錯誤したあげく、
何とか、それっぽい動きが実現しました。
「やったー!」とピースサインをする子どもたち。



車から出たでっぱりが、シーソーの上の荷物を押して落とすと、
シーソーがでっぱりといっしょに台を斜めに押し上げて、
車の上の荷物を回転させて落とします。


本の図解にあったイメージでは、
「これは簡単にできそう!」だったのに、現実は厳しかったのです。

うまく積み木が落とせて、シーソーが上がっても、
力が弱くてでっぱりを押し上げることができないのです。
シーソーの材料の問題か、シーソーの長さの問題か、傾きを大きくすればいいのか、車の側を改良する必要があるのか……

うまくいくのかどうかすらわからない……やりなおしの作業の連続にめげず、
子どもたちは
がんばって作り続けていました。





『ピタゴラ装置』DVDブック ②  小学館

の最終ページに、
慶應義塾大学の佐藤雅彦教授の

ありました。

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ピタゴラ装置が今や多少知られるようになったせいか、
最近webや雑誌で、「ピタゴラ装置とはゴールドバーグマシンの一種で云々」
というような解説風の文章をたまに見かけることがあります。

そのたびに、私は小さな違和感を覚えずにはいられません。
誰もが、そんなことを知る以前に、あのような連鎖する装置に近いものを子供の頃に
夢想したり、それが高じて、消しゴムや本など手近なものを
駆使して稚拙ながらも連鎖反応を試したりしたことがあったと思います。
その時の面白さに向かう気持ちには、濁りも余計な知識もありません。
ただただ、純粋に連鎖する動きを作って試してみたいだけです。

その生き生きとした所為に比べて、
それをゴールドバーグマシンの一種、と名前を持ち出し、あたかもそれに対して
理解がが済んでいるようなふるまいは、何かとてもつまらないことに思えて
しょうがありません。
(略)
それは誰もが持っている『言語化されていない面白さを素直に感じる能力』を
自ら放棄することにもなり、
世の中の文脈に依存した生き方に繋がってしまうと
感じるからです。

          (『ピタゴラ装置』DVDブック ②  小学館 より)

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あの映像からは微塵も感じられないのですが、
ピタゴラ装置制作チームは、
「ビー玉ひとつでさえ、思うように坂をのぼってくれない」という現実の不自由さを
ひしひしと味わったようです。

佐藤教授の言葉を借りると、
「そんな現実を乗り越え、勢いよく、不自由さをものともせず、物が無心につぎつぎ困難を
乗り越えていく想像を凌駕する力にあふれた映像」を生み出したのです。



この文を読みながら、私は、先日レンタルショップで見た気になる光景と、
我が家で起こった小さな事件について思い出していました。
話が脱線するのですが、ちょっとこの話を挟ませてくださいね。

レンタルビデオショップで見た光景というのは、次のようなものでした。
若いお母さんらしき方が、DVDの棚にかがみこんで、
「どれにするの?これは?」と何度かたずねながら、DVDに手を伸ばす横で、
幼稚園の年長さんくらいの女の子が、立ったままよそ見をしつつ、
「それで、いいんじゃないの?」と気のない返事を返していました。
お母さんの手にあったのは、テレビアニメのDVD。

女の子は、ちらっと一瞬、DVDの表の絵を見てから、「じゃあ、それにしたらぁ?」と
無関心なまま。
若いお母さんらしき人は、慣れた様子で、ビデオを借りる手続きを済ませて、
店を後にしました。

テレビで見れるアニメをレンタルショップで借りるのはいいとして、
子どもの側に「それが見たい!」「借りたい!」という
心の動きが少しも感じ取れなかったことや、そうした子どもの様子が
何の違和感もなく、母親らしき人に伝わっていること……その
ふわふわと浮遊するような移動の様子が、
どこでもごく当たり前に見かける親子の姿なだけに、
何となく心に引っかかっていました。


我が家で起こった小さな事件についても話しますね。
夕方の小学生のレッスン中、
教室のガラス戸に何かがぶつかった大きな音が響きました。

少しすると、ガラッと戸が開いて、3、40代の男性が顔をのぞかせて、
「すいません、キャッチボールしていました」と、さらっと言ったかと思うと、
男性は引っ込みました。

次に小学校中学年くらいの男の子が、含み笑いをしているような表情で顔を出し、
「すいませんでしたぁ~キャッチボールしててあたりましたぁ~」と明るく軽い口調で言ったかと思うと、
男の子も引っ込んで、そのまま先に戻り始めた男性を追いかけるように帰っていきました。

ちょうど、生徒の親御さんたちがお迎えにみえている最中で、
「かなりの衝撃音でしたけど、ガラスは大丈夫ですか?」と心配しておられました。

教室のガラス戸は強化ガラスなので、傷もひびも残りませんでしたし、
きちんと謝ってくださったわけだし、
男の子にしても、バツの悪さや戸惑いから、
含み笑いをしているような表情になっていたのかもしれませんから、
悪く取る必要はないのかも……。

でも、私の心の中には、レンタルショップで見かけた光景同様
何かもやもやと
引っかかるものが残りました。
「もっと、ていねいに謝るべきだ」と腹を立てていたのとは
ちょっとちがいます。

男の子が、ガラスが割れそうになったことに、びっくりしたり、シュンとしたり、
こちらの返答をうかがったりすることもなく、
まるでマニュアルを遂行するかのように
「とりあえず謝ればそれでよし」という様子で、
「すいませんでしたぁ~キャッチボールしててあたりましたぁ~」と軽く言い放って去っていったことに、
父親らしい人の気持ちの入っていない物言い以上に
引っかかるものを感じていたのです。

何が、引っかかっているのんだろう?
と、自分でもよくわかりませんでした。

私までが、現実からかい離して、どんな感情を感じて、どう考えたらよいのか
わからなくなってしまったような奇妙な感覚にとらわれていたのです。

それは以前、

バーチャル世界のような現実の世界

バーチャル世界のような現実の世界 2


の記事に書いた
「現実感の乏しさ」というか、
「出来事が感情の表面だけをかすっていくこと」への違和感に近いものかもしれません。



ピタゴラ装置の制作者たちは、ビー玉ひとつ自由にできない「現実の不自由」と格闘し、
とことん向き合って、
最終的に見る人々に、想像した通り、想像する以上に
自由にらくらくと現実が展開していく世界を、見る人の享受してもらうことに
成功しました。

おかげで、ピタゴラスイッチの放送やDVDを見る大人も子どもも、
めんどくささも、困惑も、混乱も、できるだろうかという不安と戦うこともなく、
手間も、時間もかけずに、
連鎖反応が次々引き起こされていく胸が躍るような映像を楽しむことができます。

それで気分がスカッとしたり、スキッとしたり、
わかったような気持ちになったりできます。

私の心に引っかかっていたこと、もやもやと
くすぶっていたものの正体は、
もしかして……


わざわざ不自由と格闘しなくてはならない「現実」って必要なの?

飽き飽きしたり物足りないことはあっても、
「想像の自由」は人を傷つけないし、苦しませないし、困らせないのだから、
それだけでいいんじゃないの?
何が悪いの?

そんな疑問を、つきつけられているように
感じていることなのかもしれません。

なぜ、そんな風に感じるのか、わかりにくいですよね。

河合隼雄氏が、子育てについて次のように語っておられました。

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どんな楽しいことでも、それが深いものであればあるだけ、苦しみによって
裏打ちされているのである。
苦しまずに楽しみを得ようよする人は、ものを
すべてタダで得ようとするようなものです。
作家の遠藤周作氏は、小説を書くというのは「くるたのしい」仕事ですと言われた。
苦しみと楽しみがあるところに、その味の深さがある。
幼児教育も本気にやるかぎり、「くるたのしい」のではなかろうか。

       (『子どもと学校』  河合隼雄  岩波新書)
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「くるたのしい」は、不自由な現実の世界にしかないもので、
日々の現実を自分の感情でしっかり感じ取って、
リアルな子どもの姿をきちんと受け止めないと味わえないものだと思います。

「子どもと過ごすとき、手持ちぶたさの空白時間があると嫌だから、
保険のためにDVDを準備しておこう」とか、

「揉め事や嫌だから、さっさと謝って逃げるが勝ち」とか、

「子どもをけんかさせたくないから、
遊びを制限する、習い事の時間を増やす」とか、

「自由研究で悩みたくないから、できあがっているキットを買ってくる」とか、

「子どもに、できるだけ苦労させずに、効率的に知識が身に着くように配慮する」とか、

「くるたのしい」事態を避けて、
何でもうまくいってて、コントロールできていて、「楽しい」「楽ちん」だけが
持続するようにしようと思えばできてしまう世の中です。

好んで苦労するよう勧めているわけではないのですが、
効率的に享受できる楽を求めるあまり、子どもたちからリアルな現実感覚を
奪い取ってしまってはいけないと感じています。

子どもたちが、

「現実って、みっともなくて、めんどうで、
時間の無駄が多くて、面白くなかったり、期待はずれだったり、
その日に完結しなかったりする。

やったけど、うまくいかなかったり、
うまくいくまでに、途方もなく時間と手間がかかったりする。

誰も先の保障をしてくれないし、褒めてももらえないかもしれない。
それでも、どっぷりつかってみて、自分で面白いって感じる感受性を作っていかなきゃ
ならないものだ。
でも、だから面白い!だからわくわくする。だからうまくいったとき感動する!」

と身を持って体感するのを邪魔しちゃいけない、と思っているのです。

それにはまず親が、子育ての「くるたのしい」現実を
じっくり味わってみなくちゃならない
のかもしれません。

現実って実際そういう不自由なものだから、
だからこそこんなに魅力的で、心から感動できることが
いっぱいあるのですから。






小学1年生~2年生の子たちのグループレッスンで。

2015-06-29 20:47:23 | 通常レッスン

小1のAちゃん、小2のBちゃん、Cちゃんのグループレッスンで

ドールハウス作りをしました。

簡単なドールハウスの作り方を教えると、めいめいが自分の好みを盛り込んで

工夫して作っていました。

上の写真はBちゃんの隠し部屋つきドールハウス。隠し部屋は階段をのぼった先にあり、

ポップアップ絵本のように平面から立体になって現れます。

 

Aちゃんのステンドグラスから光が差し込む教会。

人形もていねいに作っています。

 

 Cちゃんの水辺のレストラン。

 

どれも個性的で面白いな~と感心しました。

同じようにドールハウスを作っていても、別日の3年生たちは家具の展開図に

関心があって、1枚の紙から側面もついているタンスやソファを作ろうとしていました。

成長に応じて、作品作りのテーマや着眼点やこだわりどころが変わってくる

点も面白く感じました。1、2年生の子らのテーマは「自分らしさ」でしょうか?

 

算数タイムに『きらめき算数脳 2~3年生』の問題を解きました。

かなり難しい問題でしたが全員、自力できちんと解けていました。

 

 

教室でよくやっている『商売』ゲームもしました。

教室内で好きなものを見つけて仕入れてきます。

仕入れにかかった金額を「原価」の「げ」のところに書き、

「定価」の「て」を決めてから「利益」を計算して「り」のところに書きます。

 

これがスムーズにできた子には、

少しレベルアップした課題を与えました。

 

例えば、原価700円 定価5000円 利益4300円と

書いていたBちゃんには、

「定価5000円では高すぎて売れなかったから定価の半額で売ることにしたの。

利益はいくらになったでしょう?」

とたずねました。

 

Bちゃん、定価の欄を「2500」と書き変えましたが、

利益を出す段になって悩んでいました。

そこでみんなで考えることにし、ちゃんと答えにたどりつけました。

 

 

Aちゃんは1年生とはいえ算数が得意な子です。

最初の課題は易しいようだったので、みんなで「割合」について学習してから、

「原価の1割分もうかるように定価を決めます。」

という課題を加えて商売ゲームを続けました。

 

いつの間にか、AちゃんもBちゃんもCちゃんも

割合を上手に扱うことができていました。

 


分数の通分を学ぶ前に

2015-06-29 14:38:25 | 算数

算数で新しい学習に入る時、、「コレをしておくと、

すごく理解しやすくなるし、学びへの集中度が変わってくる」という取り組みがあります。

 

(↑の写真は別のグループのレッスン時のものです)

 

たとえば、割合を学ぶ時でしたら、いろいろな数字を書いた紙を用意して、

「10で割った時の数」を当てる遊びをするのです。

10で割る時は、ひとつゼロが減るだけなので、ゼロを手で隠しながら答えを出して

いくと、数字を読む力さえあればスムーズに答えが言えるようになりますよね。

それから、「1割というのは、ある数を10に均等に分けたうちのひとつのことよ」と

図を描いて説明してから、先の数を書いた紙で「1割はいくらかを当てるゲーム」を

します。(解答は、10で割った時の答えと同じです。)

 

そうした上で、割合の学習に入ると、

「わからない、わからない!」と騒ぎたてたり、気持ちをシャッとダウンしたり

することなく新しい概念の学習に入っていけます。

 

分数の通分を学ぶ前に効果的な取り組みは、数が並んでいるボードに、

「3の倍数」「4の倍数」など、ある数をかけた数を置いていく遊びをすることです。

3と4などふたつの種類の倍数を色違いで置いた後で、

2色のチップが重ねてある数について、気づいたことを話しあいます。

また、公倍数の中で一番小さい数を瞬時に当てる練習もします。

 

写真は、小学3年生の子たちのレッスンの様子です。

チップを置く取り組みをした後で、3分の1+4分の1についてこんな例をあげて

考えました。

 

「Aちゃんのお母さんがね。丸いケーキを4つに切って一切れくれたんだけど……。

そんなの少なすぎる!!とAちゃんがブーブー言ってたの。

ごめんごめん、とお母さんが、ケーキを12に切り分けて、はい、3切れあげるね、

って言ったのよ」そんな話をしながら、ケーキに切り込みを入れて、

4分の1を12分の3に変えて見せると、子どもたちは大爆笑。

「それは、いい、いい~(やめて)同じだもん。」

「そうよね。4分の1と12分の3は同じ量。

3分の1に切っていたケーキと同じ大きさのピースに分けるには、

さっきやった一番小さい公倍数を使う理由はわかる?」とたずねると、

「わかるわかる!」とみんな元気よくうなずきました。

 

こんなふうに先に「目で見て、わかる」ことから出発して、

新しい概念の理解に進むと、学習がスムーズなのですが、

先に分母の異なる分数の計算式を見せて、子どもたちが

「分母同士かけたらいいんでしょ?」とか「分母同士足してみよう」といった

自己流の間違いをした後で、わかるように説明しようと思うと、先入観に邪魔されるし、

子どもたちのプライドが傷つくこともあってすごく理解が難しくなります。

 

 

 


【7月1日訂正】夏の日帰りレッスンにお越し頂く方々の発表です。

2015-06-28 14:35:54 | 初めてお越しの方

 

こんにちは~、虹色教室事務Kです。

先日、締め切らせて頂きました夏休み日帰りレッスンに沢山のご応募を下さり、誠に有難う御座いました。

 

やっと各日お越し頂く方が決まりました。

長らくお待たせし申し訳御座いませんでした。

 

秋のユースホステルは後日、再度調整することとなりましたのでお待ち下さいね。

 

発表の前にいつもと同じく近況報告と投稿時の注意事項です。

 

☆近況報告

夏のユースホステルレッスンは既にほぼ皆様に2通目のご連絡まで完了しております。

3通目詳細のみ、まだな方は一度メールのチェックをお願い致します。

なお、変更など御座いましたら早めにお知らせ下さいませ。

 

☆出来うる限り皆様にお越し頂けるように、また、ご希望に副うように調整致しましたが、年齢や性別等の関係でお越し頂く事が出来ない方もおられます。また、夏のユースホステル参加者さま以外をメインに調整致しております。

大変申し訳御座いませんが、ご理解くださいますようお願い申し上げます。

 

 

☆該当者さまへ投稿時の注意

コメント記入画面になりますと[名前]・[タイトル]・[URL]・[コメント]と出てきます。その際、[名前]の欄に募集記事や発表記事にて必要事項として挙げております【H.N.】をお書きください。


また、[コメント]の欄にご本名やメアドなどの連絡先をご記載頂きますので、此方の方で非公開にて拝見させて頂きます。連絡先の記載をお間違えないようにお願い致します。


下記にH.Nのある方は、この記事のコメント欄に【H.N】・【保護者氏名】・【連絡先(携帯)】・【メールアドレス】の計4点をお書きの上、投稿下さいますようお願い致します。H.Nは申込時のものでお願いします。変更されたい場合はその旨も一緒にお知らせ下さい。

 

では、最後になりましたが、本題の夏休み日帰りレッスンにお越し頂く方の発表です。

敬称略にて失礼致します。

 

[募集時にNo.13が抜けておりましたが、日程に間違いはなく、番号の振り付けミスでした ]

[各日4組で調整しておりますが、少人数での日程も御座います。

此方はレッスン内容などの都合で少人数で調整しているもとなります。]

 

1. 7月21日(火) AM10時~正午

myua・けんしんママ・koro0113・はすきっちゃん

 

2. 7月21日(火) PM3時~5時

ぐるんぱ・おにぎり・るーまま・nozomaruko

 

3. 7月22日(水) AM10時~正午

らんたろう・ししにく・タルトタタタン・くじら

 

4. 7月22日(水) PM3時~5時

サクサク・ピルエット・みさ・すぴかママ

 

5. 7月23日(木) AM10時~正午

ましゅこっぺ・たまこ

 

6. 7月23日(木) PM3時~5時

りーちゃんまんま・Banana

 

7 8月6日(木) PM3時~5時

けんちゃん母さん・ひまわり(兄)・はるっこ。・たくみママ

 

8. 8月7日(金) AM10時~正午

花と感情・たまごカレンダー・たかママ・ガジュマルの木

 

9. 8月7日(金) PM3時~5時

リカママ・tamaki・いいはな・ななもん☆

 

10. 8月10日(月) PM3時~5時

まるたん星人・OKI・じゅんこ・たづこ

 

11. 8月14日(金) AM10時~正午

chima・あんじゅ・ABCママ・はるまま

 

12. 8月14日(金) PM3時~5時

ちゅみママ・KOYAMA・ゆきぺい・みつよ

 

14. 8月18日(火) AM10時~正午

サリー・まさと母・こうまな(兄)・Manabe

 

15. 8月18日(火) PM3時~5時

K.N(兄)・あすきち(兄)・タイママ・まさやん

 

16. 8月19日(水) AM10時~正午

ぐみ子ママ・ももかママ(姉)・さきはは・クリングリーン

 

17. 8月19日(水) PM3時~5時

ハニカムママ・ブルーミニィ・くーくー・大きなかぶ

 

18. 8月24日(月) AM10時~正午

りこななママ・ふみまろ・かほ母・MIKO

 

19. 8月24日(月) PM3時~正午

はちごん・NmMy・Huマロン・TygerTyger


20. 8月26日(水) AM10時~正午

ちいこ・るり母・KANA・ふさいち

 

21. 8月26日(水) PM3時~5時

サーブ・ぴょんこ・asada・Snow-P

 

22. 8月27日(木) AM10時~正午

デニコ(姉)・カムミカ・ゆうかママ・ことりママ

 

23. 8月27日(木) PM3時~5時

さととゆい(姉)・みのりん太・☆りくママ☆・ゆいママ

 

以上が計22回分のお越し頂く方々です。

随時、訂正等もあるかとは思いますので、暫くの間、ちょこちょこと覗いて頂けると有難いです。

 

お名前があった方は此方の記事のコメント欄に上記に記載しております必要事項をお書き頂き投稿して下さい。

6月30日(火)より順次、ご連絡を開始させて頂きます。

 

申し訳御座いませんが、お待ち下さいますようお願い致します。

夏本番って気分になって参りました。

 

頑張りますね~

それでは、good-bye♪


まだ答えのない未知の答えを探しにいく 1

2015-06-27 18:36:35 | 幼児教育の基本

ブロック講座でいちごの宝箱の作り方を教えていた時のこと。

4歳のAくんが貝殻や宝石の形のキラキラグッズを、作ったばかりの宝箱に

あふれるほど詰め込んでフタを閉めようとしました。

ところが、フタは宝箱の内側にはめこむように作ってあったので閉まりません。

それを見たAくんのおばあちゃんが、「中に入れ過ぎているから閉まらないのよ。

中に入れているのを少し出しなさい」とアドバイスしていました。

Aくんは、ひとつも取り出したくないほど、「宝をいっぱい入れたい」という気持ちが

強かったようで聞きいれません。

そこでわたしは、Aくんといっしょに、

「せっかく入れた宝をひとつも捨てないで、同時にフタがきちんと閉まるように

する方法」を考えてみることにしました。

 

「いちごの箱がもう数段高くなるようにブロックを重ねると、

フタがきちんと閉まるようになった」という解決法というほどものではなく

小さな小さな工夫ですが、

こうした対応が、Aくんたち子どもに与える影響は大きいです。

 

普段の生活上のあれこれを学ぶ時や解答のある問題を考える時は、

「中に入れ過ぎているから閉まらないのよ。

中に入れているのを少し出しなさい」のように、うまくいかない原因を知って

正しい対処法を学ぶのはいいことです。

ただ少し間を作って、子どもが自分で理由に気づいたり、

それを言葉にして問題を解決するのを待ってあげるともっといいでしょうが……。

 

ただ、ブロックや工作や自由遊びの場で、

「こういうふうにしたい!」という自分の中の願いや意志のせいで

うまくいかないことにぶつかった時は、

「こういう風にしたい!」という願いや意志自体を帳消しにして、

従来のやり方に従うばかりでは、子どもが頭を使う範囲が狭くなってしまう

と感じています。

 

大人があるねらいで作ってあげたもので子どもが突拍子のない遊び方をした時、

今度は、その突拍子のなさを活かしつつ、最初のねらいを実現する方法を

いっしょに考えてあげると、子どもは考える作業に主体的に参加するように

なっていきます。

 

そんなふうに接していると、子どもの中に生じたいたずら心もこうやりたいという

欲望も、まだ答えのない未知の答えを探しにアイデアを練っていく動機になります。

 

同じ日にこんなことがありました。

2歳のBくんに上の穴からビー玉を入れて、横から差し込んだ棒を引き抜くと

ビー玉が落ちて行くというおもちゃを作ってあげました。

 

が、Bくんはビ-玉が落ちていくことには関心がなく

ビー玉を入れる穴にブロックの棒を差し込みたがっていました。

 

その後、わたしがひもを使って押したブロックがピョコンと飛び出すしかけや

ゴムを使ったおもちゃの作り方などを紹介していると、

Bくんのお父さんが、それらを改良してこんな面白いおもちゃを作っていました。

 

真ん中のボタン(出っ張っているブロック)を押すと、「へぇ~ボタン」のように、

心地よくポンポン押すとへっこんでは元に戻るのです。

 

ボタンの下に輪ゴムがしかけてあります。

 

ブロック講座で仕入れたアイデアを下地にして、

Bくんの「上部の穴から押しこみたい」という思いを大事にして

あげている面白い作品だな、と感心しました。


親子向けのベビーレッスン用のメモ用紙を作ってみました♪ 2

2015-06-26 14:28:37 | 初めてお越しの方

1歳11ヶ月のBくんは、昨日までできなかったことが急にあれこれできるように

なるような大きな成長の時期のようです。

お家では重ねコップのおもちゃを積み上げたり簡単なパズルをしたりして

遊んでいるそうです。

 

Bくんは周囲の人と人との間でどんなことが起こっていて

どんな感情のやり取りや会話がなされているのかに目ざとい子です。

少し年上の子たちがルールのある遊びに興じたり、揉めたりしている時、

Bくんは一部始終をしっかり観察していて、

自分もその仲間の一員として振舞おうとしたり、

理不尽な赤ちゃん扱いを受けようものなら断固として間違いを正そうとしたりします。

 

普段、お兄ちゃんたちが、

「強い」とか「大きい」とか「多い」とか「全部」ということに重要な価値を

置いているのを見聞きしているからか、

強そうなサメやライオンやカニ(はさみを持っているので)を選んで、

「こわいぞぅ」という素振りをしたり、両手いっぱいにカエルをつかんで、

「全部、全部いるよ!」と主張したりしていました。

 

工作タイム。

お母さんに怖い顔のサメの絵を描いてもらってAくんのお兄ちゃんのサメと

戦わせているBくん。

 

この時期、Bくんに易しいパズルや重ねコップなどの知育玩具などの知育玩具で

遊ばせてあげるのも大事でしょうが、Bくんの個性を考えると、

わかりやすいルールのゲームに参加させたり、お兄ちゃんたちが

手品をするところを見せたり、駅や飛行場の仕事や消防隊の仕事などを細かい設定で

盛り込んだごっこ遊びに参加させるなど、「より複雑な意味のある遊びの世界の周辺で

過ごす」ことと、「それらをBくんにとってわかりやすいものにする」のが

大事なのかな、と思いました。

 

「それらをBくんにとってわかりやすいものにする」というのは、

この日のレッスンの中で例をあげると、

HABA社の「Eraster Obstgarten」というゲームを使って、

「赤いサイコロの目が出たら、赤い実を取る」

かごの目が出たら、かごをザーッとひっくりかえす」など、見てわかりやすく

やってみて楽しいと思う行為を中心にするとか、

「順番にする」ことだけをルールの中心にし、

果物にかぶせたコップをはずして目当ての果物を見つける遊びをするなどです。

 

2歳3ヶ月のCちゃんは、おしゃべりが流暢で、「これがしたい」という目的を定めて、

実行するのが上手なしっかりさん。

やろうと決めたことは、多少うまくいかないことがあってもやりぬきます。

HABA社のEraster Obstgartenのゲームをしている時は、

楽しんで参加していたものの、「ひとりで果物を色ごとに分けていく」といった

自分で目的を定めて、少し長いプロセスを踏んで

全てやり遂げるような取り組みの方が喜ぶように感じました。

今回のレッスンでは、自分がやろうと思ったことをやっていく途中で、

これは違うというものを見つけて知らせにきたり、

自分で問題を解決したりする姿(異なる種類のものだけをより分けるなど)が

よく見られました。

 

 

 

 


親子向けのベビーレッスン用のメモ用紙を作ってみました♪

2015-06-25 19:06:45 | 0~2歳児のレッスン ベビーの発達

0~2歳のベビーレッスンと親子向けの幼児のレッスンに来ていただいている方への

メモ用紙を作りました。

 

○歳○ヶ月メモ は、

<全体>

<身体・手指>

<言葉と言葉の理解>

<知恵>

<敏感期>

<数>

<個性・強み>

<人との関わり>

<創造性>

 

○歳○ヶ月 体験・遊び  メモ は、

<全体・一番好きな遊び>

<ブロック 工作>

<ごっこ>

<ゲーム>

<体験>

<観察・実験>

<絵本・図鑑・本>


親子向けのレッスンにいらっしゃった方に(毎回)上の二枚をお渡ししようかと

思っています。

教室でのレッスンを、家庭での子どもとの関わりに活かしていただけたらと

願っています。

 

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今日は1歳11ヶ月のAくん、Bくん、2歳3ヶ月のCちゃんのベビーレッスンでした。

Aくんの年中のお兄ちゃんもいっしょに、ブロックをしたりゲームをしたり工作をしたり

数遊びをしたりして楽しく過ごしました。

 

さっそく今回作った用紙に、それぞれの子の個性的な資質や子どもにあった

家庭での遊びのアイデアをメモしていただきました。

 

Aくんは今、見えなくなったものがどうなっているのか、気になってしょうがない

時期のようです。

警察のドールハウスに人形を入れてドアを閉めて、

人形がどうなったのか上からのぞいて確かめることを繰り返していました。

ものをじっくりとていねいに、さまざまな角度から観察する子です。

 

棒を引き抜きながらビー玉を落としていくおもちゃも

穴をのぞきこみながらじっくり関わった末、

どうなっているのか気になって上部のブロックをはずしてもっと中を

確かめようとしていました。

そこで、横から出し入れしていたブロックの棒を

電車のおもちゃに変えてみると、再び上からのぞきこんで、

キャッキャと声をあげて喜んでいました。

 

○歳○ヶ月 のメモを取っていただく際、この時期の子の発達の目安についても

確認していただくのですが、その月齢の言葉や身体の発達の目安に達していないと

思う部分があっても、それを気にかけて、「不足部分を補う」といった発想で

子どもと関わるのはよくないと思っています。

できないことや苦手なことを、訓練して上達させることに気を取られていると、

本当にその子らしい資質やその子が繰り返しやりたがる得意な部分を育むための

十分な時間がなくなってしまうからです。

 

今回、メモ用紙を作ったのは、子どもにとって今何が大切なのかを十分理解した上で、

家庭で楽しみながら、発達上の気になる部分を支援したり、語彙を増やしたり、

知恵を伸ばしたりするアイデアを学んでいただくためです。

 

子どもはとても個性的で、

「この月齢の子にはこうした働きかけをしたらいいですよ」という本や資料から

集めてきたアドバイスは、

「ほんの少し気にとめておく目安」としか役立ちません。

そうした情報と上手に付き合いながら、

わが子がどんな魅力的な資質を持っているのか、遊びや日常の関わりを通して

理解を深めていただきたいと思っています。

 

レッスン中、Bくんを抱っこして、棚の上のおもちゃを指さしながら、

「どれにする?どれが取ってほしい?」とたずねました。

すると、Bくんは哺乳類や両生類や爬虫類などの

フィギュアが入っている箱を指さしました。

1歳代の子を抱っこしてこうした質問をすると、たいてい黄色いアヒルの箱や

ミニカーが入っている箱を指すのですが、

Bくんは前にBくんの自分のお兄ちゃんたちがこのフィギュアで学んでいたのを

覚えていたようで、見たところ地味なこのケースを選んでいました。

サメを触っていたので、ブロックの海のプレートを出してあげると、

サメやワニや魚やカエルといった水の中の生き物をその中に入れていきました。

 

話の途中ですが次回に続きます。

前回までの記事の続きも近いうちに書きますね。

 


「子どもがやりたがらない遊びに誘うべきかどうか?」という質問 3

2015-06-24 20:23:22 | 幼児教育の基本

写真は年長のAくんのカブトムシ型乗り物。

コストコの巨大な袋に何を入れてきたのかと思いきや、

お家で紙箱を貼り合わせて作ったこの乗り物が入っていました。

「虹色教室で改造してすごい乗り物にしたい」と言って、

教室のある日を心待ちにしていたそうです。

 

 

この乗り物、持ってきた時は、ざっと紙箱を貼り合わせただけだったのですが、

「全部、黒くして、カブトムシの乗り物ってわかるようにしたい。」「合体もして、

武器もついてて、この丸いやつ(メロンアイスのふた)が回転しながら

飛んでいくようにしたい。それから、前やったみたいに、せんたくばさみを

開いたら、ゴムがビュって飛んでいくようにしたい」

「はねが開いたり、閉じたりするようにしたらどう?ねぇ、先生?」

「つののところにアイスのカップつけて、つのが出たり入ったりして、片付ける時に

小さくなるようにするよ。だって、これ、大きすぎるから」

「合体する方のやつにも、はねをつけたらどうかな?そうしたら、空を飛んでいて、

下りてきて、合体して、潜水艦みたいに海に沈んでいくことができるよね。」

と舌も手も忙しいAくんに材料を用意したり、しかけのアドバイスをしたりするうちに、

Aくん大満足の出来に仕上がった模様です。

誇らしさと達成感で、表情が輝いていました。

 

工作の後で、Aくんはかなり難しい算数パズルを解いていたのですが、

抽象的な概念もしっかり理解して、的確に解いていました。

解いている最中、「ぼくは、こういうの大好きだ。もっともっと解きたい!」と

自信に満ちた声で言っていました。

創作活動がAくんを意欲でみなぎらせ、自分への深い信頼感につながっているのを

感じます。

 

ミヒャエル・エンデのこんな言葉があります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

創造的な力は最高の人間の力である。それは決して基礎づけられたり、

習得されたりしないが、私はどんな人間もそれを身につけており、

神との真の類似性―あるいは神との同一性でさえ―がその中に含まれていると確信している。 

『Das Phantasien-Lexikon』(遺稿より)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

わたしはどの子にも自分の創造力を発揮する機会を持たせてあげたい

と思っています。

お母さんに「○○作って!」「○○はこういう風にして!」と

作らせてばかりいる子も創造力を発揮しています。

 

カブトムシ型の乗り物を作ったAくんが、

「こういう風にしたい」「こんなのを作りたい」と

イメージを膨らませて、あれやこれやおしゃべりを続けているのにしても

創造のたまものなのです。

Aくんは大雑把にテープで貼り合わせていくという技で

手を使って創造することもしています。

 

でも、手を使って作ることだけが創造力を発揮することではないし、

手も頭もどちらも使わないと創造力を使ったことにならないわけでもありません。

 

頭の中で創造するのも、手で創造するのも

どちらも大事だと思って、

創造の楽しさを親子で味わうようにすると、

「誘ってもやりたがらない」という状態が、「子どもが遊びの中で

創造力を発揮できるように自然な手助けをする」という状態に

変わっていくかもしれません。

 

写真は自閉っ子のAくんの

ブロック遊びの様子です。

クレーンのおもちゃを取りつけるために、

ブロックで枠を作ったり、クレーンにひもを取りつけたりしました。

わたしといっしょに、ブロックの棒を引き抜くとビー玉が落ちてくるしかけも作りました。

年長になった今、

お友だちと協力しあってブロック作品を作りあげていくことを心から楽しんでいますが、

1年半ほど前は、誘われたことは何であっても(工作もですが、それ以外何でも)

頑なに拒絶するか、ひとつの作業にだけこだわるかのどちらかでした。

でも、今のAくんは自信を持って、主体的に動きます。

可動式のゴムでっぽう。

 


「子どもがやりたがらない遊びに誘うべきかどうか?」という質問 2

2015-06-24 07:07:26 | 幼児教育の基本

幼い子が、何でも真似したがり、

誘われなくても無理矢理、遊びに割りこもうとする相手は、その子の幼い兄や姉です。

少し年上のきょうだいは、弟や妹を遊びに誘うべきかどうか迷うこともなく、

「何して遊びたい?」とたずねることもありません。

ただ楽しそうに遊び、自分ができないことを上手にやってのけるだけです。

時には、弟や妹が近づくたびに泣き叫んだり邪険に追い払ったりすることもあります。

でもそんな存在が、

他の誰よりも幼い子たちの好奇心を刺激し、遊びの世界に引きこむのです。

 

「子どもがやりたがらない時も、工作に誘うべきでしょうか?」

「ブロック遊びは好きじゃないようなので、子どもの好きな遊びを優先させた方がいいでしょうか?」

という質問をいただいた時、

子どもに親の行動を模倣しようという気持ちが薄かったり

親子の間に自然な遊びや気楽な会話のやり取りが生じにくかったり

する場合、「誘う」という大人の態度のあり方に問題を感じることがよくあります。

 

ただ普通に「誘う」こと自体、何の問題もないのですが、

相手が1歳や2歳の子にも関わらず、「○○する?」「○○してみたい?」と

子どもの気持ちをたずねてから遊びに入ろうろする親御さんの子は、「ままごと」のような好きな言葉だけに反応して、

同じ遊びだけ繰り返したかと思うと、大人の声を邪慳に振り払い無視することが遊びのメインになっていることがあります。

また、子どもが大人の遊びに乗ってきた時に、工作なら「喜んで楽しそうにやってほしい」「食いついてほしい」

「最後までやりとげてほしい」という大人の思いがあるために、

「途中で飽きた」「途中から親にやらせていた」「あまり楽しそうにしてくれない」といった判断を

大人の側が早々と下してしまうこともよく起こるようです。

 

遊びって、もう少し自然に生じ、育ち、発展していく面があるんじゃないかな、と考えています。

それは工作やブロック遊びのような創作活動にしても

そうです。

それを遊びと呼んでいいのか、何をしているのかわからないような行為や活動が、

重なりあううちに、子どもにとって意味や価値のあることが熟していく過程が遊びなのではないでしょうか。

 

子どもがパーキングに車を入れる遊びをしている時、

「駐車券をお取りください」と言いながら、小さな紙切れが出てくるところを

作ると遊びが盛り上がります。

そんな時、いらない紙のはじっこをハサミで切って、

「券もどき」を作ってあげると、子どもにとってハサミはあこがれのアイテムになります。

無理矢理、「やってごらん」と誘うまでもなく、

ちょっと面倒でも、何度か大人が楽しいことにハサミを使う姿を見せれば、

子どもは自分もやってみたいと思うはずです。

ただ、そうした自然な遊びが成り立ちにくい場合、親が性急な結果を出そうと無意識に余計なサインをたくさん出している

場合や

愛着の問題、

子どもの対人関係の作りにくさなどが背後に隠れていることがよくあります。

そんな風に別の問題が隠れている場合、

「やりたがらない遊びに誘うべきかどうか?」という問いへの答えをもらって、

それを実行していれば安心だと思うことは、

子どもの問題を感じ取る親の勘を鈍らせることになるかもしれません。