虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

新 0、1歳児算数教室の日程発表です♪

2009-09-30 22:06:08 | 生徒募集 イベント参加募集
0、1歳児算数教室の日程発表が少し変わりました。
あすきちさんとゆっとママさんに参加していただきます。 nijiirokyouiku4@excite.co.jpにお子さんのご住所、電話番号、お子さんの名前、年齢を書いて、メールをくださいね。(10月7日はひとりの方が参加できないかもしれないそうなので、4名になっています)
これで、今年の募集はおしまいです。また来年の春以降の募集の際はよろしくおねがいします。


日時を変更したい方、申し込んだのに名前が載っていないという方は、
コメント欄に書き込んでくださいね。

当日、雨が激しい場合は、延期します。県外の方の募集は
風邪の流行の心配のない春ごろにさせていただきますね。




9月18日(金)
かおりんさん ぼるさん cclefさん

10月7日(水)
あむママさん ぽんき茶さん   あすきちさん

10月9日(金)
emichy.さん とうまママさん ゆーママさん

10月14日(水)
るきさん asibeさん ゆっとママさん

11月5日(木)
ユニコさん 侑ママさん

就学前に勉強を教えると、学校で勉強がつまらなくなるのでは?

2009-09-30 18:46:16 | 教育論 読者の方からのQ&A
就学前に勉強を教えると、学校での勉強をバカにするようになり、
勉強がきらいになるのでは……?

学校で教わるものを先取りして教えるのは、
競争に勝とうとするエリート主義では?

学校で教わるものを先に学んでも、2重になるので何の意味もないのでは?

虹色教室の幼児たちが、年齢よりかなり進んだ学習をしていることについて
上のような質問をいただくことがあります。

確かに、勉強とは、学校で良い成績をとるためにするもの
良い学歴を得るためにするもの

という考えのもとで、勉強を捉えるとしたら、
幼児期に算数や国語を学ぶことは何の意味もないことだと思います。
そうした目的の先取り学習は
子どもの意欲を削いでいくからです。

でも、私は、

勉強は、誰かに自慢するためにするものとも、
良い学校に合格するためにするものとも考えていない

ので、その時々の子どもの能力が
ちょうど楽しくてワクワクするレベルの学びに触れさせることは、
いつでもとてもよいものだと感じています。

誰の言葉か忘れましたが

潜在的な能力を最大限に使い、自分の能力の及ぶ限りの人物になる

という言葉を目にしたことがあります。

私自身、変に力の出しおしみをせずに、
自分の力を使い切って、吸収できるものを学びきって、
頭も身体も
あ~せいせいした~!!と感じる瞬間が
大好きなんです。

でもそれは誰かにするように指示されたものでなくて、
自分の心が「やってみたい!」って選んだことでだけ感じる気持ちです。

チクセントミハイが『フロー体験』と名づけた無我夢中になる活動をしたとき
のみ感じることができる
最高の幸福感です。

(フローとは、1つの活動に深く没入しているので、他の何ものも問題とならなくなる状態という概念に基づく最適体験の理論で扱われている言葉です)

チクセントミハイは、

最良の瞬間は普通、困難ではあるが
価値のある何かを達成しようとする
自発的努力の過程で、
身体と精神の限界まで働かせきっている時に生じる

と述べています。

私は、教室の子たちが、学習するときにも、
このフロー体験をしっかり体感できるように
いつも注意しています。

何歳だから何を~という壁を設けると、それぞれが個性的な子どもたちは、
能力が高くても、ゆっくりでも、それを体感できません。
その子が挑戦してみたいと思うものの中で、全力をつくさせて
達成感を味あわせることは、
後々、勉強嫌いの子を作ったりしないことは、子どもたちと接していてよくわかります。どんな易しそうな学習も、成績のために学ぶのでなく
好奇心からそれを眺めるのなら、どんどん深まっていく面白さを含んでいるからです。

平和な世の中が続いている現在、大人たちは『自分の限界まで何かすること』を
常に怖がっているように見えます。
そのため、子どもに先取りさせるにしても、ゆるやかな階段を作って
いかに楽して良い成績を取るか……ということを目標にしてしまうのです。

でも、本当の幸福感は、ゆるゆると自分を甘やかすことからも、毎日の退屈なルーティンワークからも、学校で取る良い成績からも得られません。
何かに自分を投げ出さないと、味わえないものなのです。
それは『生きる』ということの意味と
強く関わっているからです。

子どもに自分のテーマで生きてほしいと願うことは、
子どもに楽して良い思いをしてほしいと願うこととはちがいます。

大人の学校至上主義は、子どもたちから
学ぶ魅力を奪っているのではないか……
そんな危惧を感じています。

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問題のある『褒める』と 子育てで大事な『褒める』

2009-09-30 18:13:17 | 教育論 読者の方からのQ&A
『褒めて育てる』
これって子育ての王道ですよね。

でも私はこれまで、記事の中で、何度か『褒める』ことの問題点を指摘しているものですから、
なら、子どもにはあまり安易に褒めない方がいいのかな?
と感じる方がいるのではないかと、
気にかけてはいるのです。

それで、一度、私が問題と感じる『褒める』行為と 
子育てで大事な『褒める』行為を、
言葉にして整理しておこうと思いました。

子どもが何かできるようになって、「できた!うれしい!」って感じているときや、お手伝いをしたい!自分から何かがんばってみたい!と思ってチャレンジするとき、

そうした子どもの喜びを、
大人もうれしく感じて『褒める』という……

親子で響きあうような、褒めるは、何度してもとてもよいものだと思います。

私が問題を感じるのは、
どこか現代的なエゴで汚された『褒める』なのです。

うちの子、あの子のようにできないな。もっと褒めたら、できるようになるかな?

という意図から生まれる
子どもから発するものがないのに
大人から一方的に降り注ぐ『褒める』

子どもへの過干渉と過保護のすき間を埋め続ける『褒める』
(褒めることで、リモコンスイッチをにぎっている感じです)

成長過程のひとつを、大人から見ると賢そうに見えるからという理由で
過度に褒めて、子どもに偏った価値観を植えつける『褒める』

大人が描く理想に沿うものにだけオーバーに反応する『褒める』

などです。

叱って育てるより、褒めて育てるほうが良いのはもちろんなのですが、
まず大人がいつも素直で正直な気持ちで
子どもを褒めることが大事だな♪
と思っています。

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2歳のふたごちゃん♪ どんどん字を読みたがるけど大丈夫? 1

2009-09-30 11:03:28 | 幼児教育の基本
毎月レッスンに通ってくれている男の子と女の子の2歳のふたごちゃん♪
それぞれの個性があらわれてきて、どちらも賢くかわいらしく成長しています。

虹色教室でも、お家でも、子どもたちが自分でやりたがる遊びを中心に
ゆったり過しています。

そうしたゆったり、ゆっくり見守る子育てをしていると……

2歳の時期というのは自分の中から個性的な才能が芽生えだし、
急にさまざまなことができるようになるものですから、親御さんとすればそれにどのように対応してあげたらよいのかちょっと迷いもあるようです。

男の子の★くんは、形や数への興味が、文字への興味につながっていって、
今はひたすら字が読みたい様子です。
今回のレッスンでも、裏にひらがなが書いてある絵カードを出してきて、濁音も含む字をスラスラと次々読んでいきます。

こうした★くんの姿は、親戚の方々が集まる場でも目立つようで、
みんながやたらびっくりしたり褒めたりするので、
それが★くんの育ちに悪影響を及ぼさないか……
ふたごちゃんのお母さんは心配されていました。

私が子どもを『褒める』という行為にちょっと注意しているのもこの点です。

子どもはいろんな場で、褒められ認められて、
自己肯定感を育まれて幼児期を過すことが大事です。

ただモンテッソーリの敏感期のお仕事や
パターン認識の時期のひたすら識別したい、覚えたい、
という時期の
子どもの内面からの要請で繰り返したがることを、

大人の価値観で褒めすぎると、

いずれ卒業して『次の次元の活動』に移行していかなければならないときに、

大人に褒められたいからいつまでもそれにこだわったり
とどまったりすることが起こりがちなのです。

★くんと☆ちゃんとで、絵カードで遊んでいたときに、★くんが、
「食事の時に使う道具はどれかな?」と問うと、お箸のカードを、
「くだものの仲間です」と言うと、もものカードを選んでニコニコしていた姿から、

この間まで、ひたすら名前や記号を識別して覚えることを繰り返していた★くんが、
名前なしで、それが意味することを推測することができはじめていることに
気づきました。

そうした新しい気づきの段階を大切にするために、

大人が偏った価値観であることをオーバーに褒めすぎたり注目するのは、
ちょっとどうかな?
と感じているのです。

2,3歳の子が漢字やひらがなを覚えるのは、
その時期の子がひたすら引き出しをあけたがり、何でもひっくりかえしたがり、
すぐに反抗したり、
できないことも「自分で!自分で!」と大騒ぎする活動と
同列にあるものです。
つまり反抗も大泣きも、文字を読むのと同じように、
喜んであげなければならない成長へのステップなのです。

そうした子どもの内部からあらわれるものは、
大人からどう見えるかに関係なく
すべて次の次元のより大きな成長の準備段階だからです。

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それぞれの子の課題 それぞれの月齢の課題

2009-09-29 17:03:49 | 教育論 読者の方からのQ&A
年長さんの3トリオくん。
年長さんになってから、
それまではなかったお家での課題を持って帰っていただくようにしていました。
Tくんのお母さんがその様子を記事にしてくださっています。

☆学習記録 6歳の夏休み その1
☆学習記録 6歳の夏休み その2

虹色教室で読み書きや計算を就学準備のために勧めるのは、
意外……??
と感じた方がいるかもしれません。
だったら、うちの子も練習させなくては……とあせるかもしれません。

ただ、気をつけていただきたいのは、
これは私が、
『Tくんに必要』と感じて出した課題であって、
就学の準備には、こうしたことが必要と考えているわけではないということです。

まずなぜ私が、Tくんが年長さんになった時、Tくんのお母さんに

「お手紙、くじびき遊び、メモボードへの落書き、暗号遊び クイズごっこなど
いろんな楽しみを通して、
字を書くことを面倒がらないようにするお手伝いをしてあげてくださいね」

という課題を出したのかというと、

幼い頃からTくんと接してきてよくわかっているTくんの性格と能力などを考慮して出しています。

Tくんは、直感型の子で、モンテッソーリの手仕事などには、ほとんど興味をしるしませんでした。そのように遊びの中でコツコツ細かいことを続けていくという習慣が身についていないので、
頭を使うことは大好きだけど、手作業をめんどくさがるところがあるのです。
それを放っておくと、字を書く作業がめんどう学校の勉強をいやがる
にもつながりかねません。

Tくんのお母さんが、遊びと完全に自由意志でするものという形でこれまで学ぶことを捉えて、そのようにTくんに接してきたこと(この時期までそれはとても大事と思います)

就学に向けて、少しだけ『義務としての学び』という概念も、遊びと完全に自由意志でする学習の中に取り入れていただいて、

めんどうだったり、自分がやりたくないなと思うものでも、
外から与えられた課題を、
少しならこなすことができるようにしていくためです。
(6歳児はちょうどそのような責任感が芽生えはじめる時期だからです)

能力のバランスを取るため

Tくんたち3トリオさんは、小2~3年用のかなり難しい算数問題も論理的に
筋道をたてて解いていく力があります。
また国語面でも、かなり高い読解力と表現力を持っています。
3トリオさんがこうした能力を十分伸ばせたのは、
プリント学習ではなく、遊びや実体験の中でさまざまなことをよく考える
ことをしてきたからです。
ただ書く体験は少ないですから、

理解できることと、書いて解く力

のバランスは悪いのです。それで、今後それらのバランスを取っていく意味で
書くことを苦に感じない
自由に自分の手の動きをコントロールできるようにしていくことが
大事だろう、
と思っているのです。
(九九をしているのも、問題を解いたり、ボードゲームで遊ぶ際は、割り算の概念が入っているものも楽しく取り組める子だからこその課題です)

こうした話を書くと、少しでも早く書く練習を~と思うかもしれません。
ただ、
頭の中でイメージする力や考える力が十分育っていないのに、
プリントで字を書く練習をさせていると、
自由画が描けなくなる、想像力や思考力が乏しくなる
といった問題にもつながります。

またあまりに早く学習習慣を親がつけてしまうと、
義務感や責任感が育ってくる時期に
やる気がなかったり、反抗したり、親のためにしているという
態度を取る子が多い気がします。

たっぷり遊び、のびのびと成長してきた子は、
6歳頃から知的課題に自分から取り組みたがり、
親から与えられるお手伝いやちょっとした学習課題なども
自分からやりたがりますから、
その時期から、子どもの能力や発達に合わせた
就学準備をするのがいいと思っています。
(就学準備とは、学校の勉強の先取り学習ではなく、
授業中に座っていられるくらいの根気や義務感を育てていくことです)

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両替遊び♪

2009-09-29 12:59:17 | 算数
年長さんの女の子ふたりで、
両替遊びをしています。

虹色教室では、10のまとまりを意識して、繰り上がりの理解をすすめたり、
比の理解をすすめたり……と、
さまざまなテーマの両替遊びをしています。

今回は、小学校受験のシーソーの問題が解けるようになることがテーマとなっています。

青3個 と、黄色1個の交換
青1個 と、緑2個
緑1個 と、赤3個
白1個 と、青2個

最初にたくさん緑のチップを持って、他の人にお願いして
他の色に
ルールに従いながら交換していって
最終的に黄色をたくさん貯めていきます。

黄色の上には小さなおまけのお人形をちょこんと乗せて
楽しさをUP!

「交換してください!」とお願いしては、換えていくだけの簡単ルールですが、
算数のさまざまな基礎が身につきます。


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もうひとつのブログで、「生き辛さ」を抱えて生きるということ という記事を書きました。

2009-09-29 09:41:30 | 100均グッズで学ぶ
私のもうひとつのブログで、

☆「生き辛さ」を抱えて生きるということ

という記事を書きました。
よかったら読んでくださいね。

午後には、算数クラブのゲームの様子を記事にする予定です♪

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子育てで気をつけていた3つめのこと 3

2009-09-28 13:29:04 | 教育論 読者の方からのQ&A
前回まで長々と前置きしてきた私の直感やら興味やらにつきあってくださった方々は、
物理学の新発見やフラクタルに関わる数学理論、
また最近の意識の研究が、

これまで科学の外に追いやられてきた摩訶不思議現象やら、宗教で取り扱ってきたことやら、前世の話なんかを、

ごくまじめな研究所で検討される理論の中に引き込んで、
不思議でも何でもない物理的世界の背後にある事実として説明しつつあるんです!

と伝えたところで、

それがどうして子育ての話につながるんだろう?
と疑問に感じているかもしれません。

でも、私には、今、この時代に育っていく子どもたちというのは、

かつて地球が丸いと知らされて、どうしても信じることができずにパニクッていた人々や、
人間の祖先は猿だったと知って、信じることができずに怒り狂っていた人々が経験したのと同じ、

考え方や意識や信じていたものが180度転換していく、
精神的な大きな変革の時代に生きていく子どもたち

であって、
単純にスゴイんじゃないかな……?と感じているのです。

アインシュタインは、時間が流れていくという認識は、私たちが心の中で作り上げるものです、と指摘しています。
宇宙では、現実はすべての「いま」を、過去や現在、未来をまったく区別することなく含んでいるのだそうです。
それを一貫性のある経験として展開しているのは、
私たちの意識です……と、
物理学者に説明されても、私たちの想像力の範囲では、捉えることが難しいですよね。(こうした理論についてはまたの機会に、もう少しわかりやすく説明します)


話は変わって、物理学者や、多くの学者たちの発見した事実が、
輪廻転生を認めだしたことに関しては、
だれもがどこかに懐かしいような知っている感を抱いているので、
理解しやすいかもしれません。

輪廻転生とは、
つまり記憶の連続性があるのかどうか……という話ですが、

哲学者の言葉を借りると、
実在の姿を特定しなければならない様相実在論よりも、実在の姿の変更は要求せず単なる概念的再定義を求める輪廻転生のほうが「信じやすい」
のだそうです

確率的な正誤を求めていくと、輪廻転生はある……というややこしい話より、

私は、精神医学者のイアン・スティーブンソンが、40年以上関わっている『生まれ変わり』についての研究に興味を持っています。

『前世を記憶する子どもたち』イアン・スティーブンソン 日本教文社

の1巻、2巻はこれまで繰り返し読みました。そこにしるされる生まれ変わりを示唆する3000以上の事例は、
記憶の間違い、大人の期待や吹き込み、事実の捏造などが起こらないように
いかに立証可能な記憶を収集するかという
科学者の厳しい姿勢で検討されているので、
その検証方法そのものがとても面白いです。

こうした輪廻転生などという話がアカデミックな場でもまじめに取り上げられて、、
さらにそれを証明する物理的な事実が次々に発見されていくような時代に
育っていく子って、
どんな子???
というのが、私がわが子を含む、未来を担う子どもたちに抱いている
感覚です。

自己実現!!と騒ぐのは時代遅れ……

魂が自分の中に抱いて生まれてくるテーマを、
探求し、実現していくという
新しい人生観を持った世代のスタートを切る子たちなのかもしれないな……

そんな思いを抱いて子どもたちを見つめているのです。

そういう思いを抱いて子育てするというのは、
自分の価値観でしばらないことだったり、
子どもから生じるものが
自分の理想と異なっても尊重することだったり、
子どもの個性的な可能性を大事にすることだったりします。

こうしたことは、最初にお話した心の内面から浮かんできた言葉や映像
とも関わりがあります。

私自身も、自分が生まれてきた理由ともテーマともいえるものに
そうして直感を通して、
何度も触れたことがあるのです。
以前も書いたことがある東洋的なものと西洋的なものが融合する(結婚のとき)を見届けに来た~と言うものです。
この見届けたい思いこそ、
おそらく私が、これまでいろいろ
夢中でしてきたことの原因なのだろうと感じています。

抹茶母さんが、
「人という生き物は、存外素直な生き物で、きちんと己の内側に耳を澄ませば
自分のテーマは自分で見つけてくるし、またそれ以外に心揺さぶられる生き物ではない」
と記事に書いておられた言葉を、
信じるということでもあります。

子育てで気をつけてきたことの3つめは、
長々と話してきたわりに、
抹茶母さんの言葉をそのまんま借りてきて、
子どもが自分でテーマーを見つけられるように、(輪廻の概念も含むと、
自分のテーマを思いだせるように)
個として尊重して育てるということです。
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子育てで気をつけていた3つめのこと 2

2009-09-28 10:13:53 | 教育論 読者の方からのQ&A
話がどんどん子育てから遠ざかっていますが……

私はいろいろな面で手を広げすぎるのが、欠点です。

といっても、家族などから見ると、たいてい家に閉じこもっていて、
流行にも最新のニュースにも旅行にもあまり興味がなく、
機械の操作や英語や礼節のマナーなど何一つマスターする意欲がなく、
何十年間同じテーマの本ばかり集めまくっている私は、手を広げなさ過ぎる人と映るのかもしれません。

そこが外向型の人と内向型の人の方向性の違いだな~としみじみ感じます。

幼稚園くらいのころから、
私は仕組みやエネルギーの動きやらに強い興味を抱いていたものの、
目で見えて、実際操作できるものには、
ほとんど興味がありませんでした。

精神的なエネルギーや、
自然現象の背後にあるルール、
蜂たちが送りあう情報や、体内の内臓が送りあう信号……
それらに必要な高度な知識が、人間の脳のようなものに頼らず、偶然の中からどのように生じて、進化にもぐりこめるのか、確率的な問題はないのか……といった

目に見えないものの仕組み

にだけ興味を駆り立てられてきました。
(今でこそ、子どもたちに教えるためにロボット製作なんかにも興味を持っていますが)

そんなわけで、外から見ると、何十年間、ちっとも変化していない私ですが、
内面世界に関しては、ミクロの世界から、
宇宙の果てまで興味を広げつくして、
ブラックホールの中まで覗きこんでやろうという勢いがありました。

そうやって好奇心と疑問を広げて、広げて、
何でもかんでも首を突っ込んで知りたがったあげく、
自分の中でもやもやし続けていたことは、
さまざまな分野の最先端の研究が発表しだした

恐ろしいほどシンプルなパラダイム 宇宙観

で説明できることを理解して、

ようやく『ちょっとは素直に先生の話にも耳を傾けられる生徒』
に成長したような
心地で、
いろんな本が眺められるようになったのです。

その恐ろしいほどシンプルなパラダイム 宇宙観

というのは、『ホログラフィック・ユニウ゛ァース』と『自己組織化する宇宙』に関するものです。
ホログラフィック・ユニウ゛ァースは、科学雑誌に登場した当初は、
「宇宙論を考えている人々は、こんなすごい考え方も提唱しているけれども、まだ難解すぎて、理解するには……」
と、何だかあいまいに解説されていました。
でも、宗教や人間の潜在意識の世界まで含んでしまう壮大な宇宙論の登場に
私はもうワクワクして、
その世界観に飛び込んでいきました。
ただ物足りなかったのは、仮説の部分が多いことも否めなかったことです。

それが、この数年の各分野の科学的発見が、どれもこの

人間とは
『創造的行為を担った宇宙的マインド』
『物理次元そのものが、自分自身を探求している意識体』と捉え、
宇宙をホログラフィックな原理で説明する

という斬新なビィジョンの証明をしはじめていることに、
驚いたり、ほっとしたりしているのです。


現在、この世界は、空間、時間、物質、エネルギーを越えて結ばれた、
ひとつの分離できない世界、ホールワールドであるいう考えが、
支持されはじめています。
現在、出現しつつある新たな科学的意味においては、『情報』とは、人間が
やりとりしたり、コレと理解しているものを超えて、

リアリティーの基本的な性質そのもの

とされています。
私たちが生み出したパソコンは、その理解を少し助けてくれるかもしれません。
パソコン上の映像は、リアリティーではなく、情報が変換されたものだとは
多くの方が知っていますよね。

物理的に有効な形をした情報は「形成」する存在であり、
顕在世界のダイナミクスと形態を生み出すもととなっているのです。

ちょっと話がややこしくなっていますが、次回にもう少し続きます。


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子育てで気をつけていた3つめのこと 1

2009-09-28 04:50:36 | 教育論 読者の方からのQ&A
前回の続きです。
3つ目はスピリチュアルなことです。

私は子どもの頃から、誰かがそう言うから、そう信じているから、私も信じる~
みんなが集団的に信じているから信じる~という経験がほとんどありません。

特に疑り深かったり、批判的だったりするわけではないのですが、
いつも次々と疑問が湧いてきて、その話ではうまく説明できない部分に
好奇心を抱くものですから、
親の話も学校の先生の話も、専門家と呼ばれる人の話も
『信じる』という聞き方ができたためしがないのです。


ですから母に通わされていた教会学校でも、教義のあいまいな部分にばかり気持ちが行って、
通えば通うほど、『信じる』という行為から離れていってました。

直感が優越機能の私は、普段から『ひらめく』は得意技で、いつでもどこでも、
「そうだ!いいこと思いついた!」とばかりに、ピピッと自分に必要なアイデアを
考え付きます。昔からひらめかなくて困るのではなく、
ひらめきすぎて、実行、続行していく間に新しい魅力的なアイデアが自分をそそのかすので、それに困っていました。

そんな私の直感は、時には『第六感』と呼ぶような自分の意識での理解を超えた
ものであることも時々ありました。私の場合、自分の内面から、その時期の自分の思考できる能力を超えたものが、
言葉の塊や映像として
浮かんでくる
という形で体験していました。

また、何度か同じミスを繰り返したり、意外なアクシデントが起こったときに、少しその背後にある物事と人間関係とに注目すると、
自分自身に何かを気づかせようとする意図があったことが
ハッとわかるときがあるのです。

私は何度も何度も浮かんでくるそうした情報を、
無視してみたり、丸々信用してみたり、ただ心にとめておくだけにしておいたりと、さまざまな対応や付き合い方を繰り返してきました。
そうしながら、そうしたものがどれくらい真実味があって信用できる内容なのか、
何を意味しているのか、自分はそれらとどうやって付き合っていけば良いのか
そうした感性を磨いてきました。

私は10代の時に、シノダボーレンの本に出会って以来、道教のタオイズムが、
詩を味わうような感覚で好きですが、
他の宗教書やスピリチュアル関連の本にはあまり関心がありませんでした。

それらはもしかして自分が体験している不思議に答えをくれるかもしれないけれど、私は『納得すること』や『信じること』には興味がなく、
その背後にある理由や仕組みが知りたかったのです。

若い頃の私には、
宇宙の成り立ちや、人の胚の成長、自然のシステム、進化論、量子論、人の潜在意識の世界、遺伝子の世界の謎、宇宙の動きが簡単な数式になおせること

など、どれに関しても疑問がいっぱいで、
自分たちが毎日、目にしているから……現実という名で存在するから……
という理由だけで、

多くの人が怪しい宗教でも信じるように、
どう考えたってつじつまが合わない科学の諸説を
バラバラなまま『信じて疑わない』ことが、
不思議でなりませんでした。

話が長くなったので、次回に続きます。

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