今回の絵本大好きクラブで子どもたちがストーリーに夢中になっていた本は、
『ぼくまいごになったんだ』(わたなべしげお作)と
『トイレとっきゅう』(織茂共子作)でした。
まいごのこぐまくんの気持ちに自分を重ねてしっかり聞いていました。
上の写真は、『にんじゃのくらし』というれきし絵本を見た後で、にんじゃに扮装している
ところです。
しゅりけんも飛ばしてみました。
子どもたちは「まきびし」に興味しんしん。「背後から敵が追いかけてきたら
こうやってまきびしを投げるのよ」と映画村で買ってきたおもちゃのまきびしを投げてみせると、
おっかなびっくり見ていました。
今回はフランスから帰宅したばかりの3歳の女の子が参加していたのですが、
日本で育っている子たちはまず選ばない『ジルベルトとかぜ』の絵本を選んで
「これ!」と大事に抱えていました。
とても地味な表紙で、黒人の男の子が表紙に載っていて、レトロな外国のポスターのような雰囲気なのです。
『ジルベルトとかぜの絵本』を見た後で、「船を作って、水に浮かべてみる?この絵本みたいに。
風で動くかやってみる?」とたずねると、子どもたちは大乗り気。
でも残念なことに、前回までふねの材料に使っていたカレー用のトレイが
あと2枚しかなかったのです。
子どもたちはみんな船を作りたいようです。
そこでアルミ箔や紙で船を作る方法を教えると、
それはそれで満足していました。
見栄えこそ悪いですが、このアルミ箔の船は子どもの手で簡単に作れる上、
うちわで仰ぐとすべるように水の上を移動しました。
今回もコップの底の穴を開けるのを面白がっていた子らがいたので、
それに水を入れて、じょうろに見立てて遊びました。
子どもたちは、大人からすると本当にくだらないようなことに顔を輝かせます。
『トイレとっきゅう』の絵本で、夜中にトイレにかけつけて、
とびらを少し開いているシーンがあったので、
「ここにもトイレがあるのよ。ちょっとだけのぞくと、トイレがあるのよ。
バイキンがあるから、トイレに入るのはトイレに行く時だけよ。今は外からそっと見るだけよ」と言って
とびらを少しだけ開けて見せると、「隙間からのぞいてみる」という状況だけで
遊園地の遊具に乗った並みの感動が表情に浮かんでいました。
2歳1ヶ月の★くんなんて、まるで魂を奪われたような表情でのぞきこんでいました。
今回の絵本大好きクラブでは、★くんだけが通常のレッスンにも通ってきてくれている子でした。
そのため、これまでも絵本の世界で見聞きしたことを現実の体験とつなげていくような体験や
現実に体験したことをブロックや工作で見立て遊びとして再体験することに
なじんできています。
そのためか、観察したこと、気づいたこと、過去に体験したこと、やってみたいことを
現実の場面、場面で言葉で豊かに表現できるようになってきていました。
絵本だけを大量に読み聞かせをしていて流暢におしゃべりができるようになっている子は
ちょっと注意が必要なのです。
そうした働きかけの結果、現実の世界を五感でしっかり感じとるという力が
弱くなっている子にもよく出会うからです。
絵本との出会いはとても素晴らしいものですが、
現実の世界の体験の豊かさとのバランスがとても大事だと感じています。
ここでいう体験の豊さというのは、
あちこち人工的な体験施設に連れて行くことでも、
遠出して特別な自然体験をさせることでもありません。
子どもにいろいろなすばらしい体験をさせようとしすぎると、
刺激過多になるためか
感受性が鈍くなったり、
細やかな感情に疎くなったりしているように見えることがあります。
子どもの日常には、その子の身の丈にあった興味深い魅力的な体験が
数えきれないほどあります。
絵本はそうした子どもの目線と世界の感じ方と子どもの感情の動きを
大人に思い出させてくれます。
知識や言葉を大量にインプットするための教材と捉えることは、
読んであげる大人の心を曇らせて、そうしたものを感じとれなくしていまいがちだと
思っています。
次から次へと忙しく読み聞かせて、
まるでテレビでもボーッと見ているように絵本の話を聞く習慣を身につけさせるのは、
子どもの月齢や生活体験とのバランスによっては、
害になる場合だってあるのです。
それよりも大人が絵本を通じて、子どもの心に近づいて、
子どもといっしょに現実の世界を眺めなおしてみるといいな、と思っています。
子どもの心の世界では、自分で卵を割って目玉焼きを作っただけの体験も、
ぐりとぐらが森の中で卵を見つけて、ホットケーキを焼いて、森の動物たちといっしょに
分けあったのと同じ出来事でもあるのです。