虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

絵本大好きクラブ (絵本を知的なインプットに使わないで!)

2012-05-31 15:25:30 | 幼児教育の基本

今回の絵本大好きクラブで子どもたちがストーリーに夢中になっていた本は、

『ぼくまいごになったんだ』(わたなべしげお作)と

『トイレとっきゅう』(織茂共子作)でした。

まいごのこぐまくんの気持ちに自分を重ねてしっかり聞いていました。

上の写真は、『にんじゃのくらし』というれきし絵本を見た後で、にんじゃに扮装している

ところです。

しゅりけんも飛ばしてみました。

子どもたちは「まきびし」に興味しんしん。「背後から敵が追いかけてきたら

こうやってまきびしを投げるのよ」と映画村で買ってきたおもちゃのまきびしを投げてみせると、

おっかなびっくり見ていました。

 

今回はフランスから帰宅したばかりの3歳の女の子が参加していたのですが、

日本で育っている子たちはまず選ばない『ジルベルトとかぜ』の絵本を選んで

「これ!」と大事に抱えていました。

とても地味な表紙で、黒人の男の子が表紙に載っていて、レトロな外国のポスターのような雰囲気なのです。

 

『ジルベルトとかぜの絵本』を見た後で、「船を作って、水に浮かべてみる?この絵本みたいに。

風で動くかやってみる?」とたずねると、子どもたちは大乗り気。

 

でも残念なことに、前回までふねの材料に使っていたカレー用のトレイが

あと2枚しかなかったのです。

子どもたちはみんな船を作りたいようです。

そこでアルミ箔や紙で船を作る方法を教えると、

それはそれで満足していました。

見栄えこそ悪いですが、このアルミ箔の船は子どもの手で簡単に作れる上、

うちわで仰ぐとすべるように水の上を移動しました。

今回もコップの底の穴を開けるのを面白がっていた子らがいたので、

それに水を入れて、じょうろに見立てて遊びました。

子どもたちは、大人からすると本当にくだらないようなことに顔を輝かせます。

『トイレとっきゅう』の絵本で、夜中にトイレにかけつけて、

とびらを少し開いているシーンがあったので、

「ここにもトイレがあるのよ。ちょっとだけのぞくと、トイレがあるのよ。

バイキンがあるから、トイレに入るのはトイレに行く時だけよ。今は外からそっと見るだけよ」と言って

とびらを少しだけ開けて見せると、「隙間からのぞいてみる」という状況だけで

遊園地の遊具に乗った並みの感動が表情に浮かんでいました。

 

2歳1ヶ月の★くんなんて、まるで魂を奪われたような表情でのぞきこんでいました。

今回の絵本大好きクラブでは、★くんだけが通常のレッスンにも通ってきてくれている子でした。

そのため、これまでも絵本の世界で見聞きしたことを現実の体験とつなげていくような体験や

現実に体験したことをブロックや工作で見立て遊びとして再体験することに

なじんできています。

そのためか、観察したこと、気づいたこと、過去に体験したこと、やってみたいことを

現実の場面、場面で言葉で豊かに表現できるようになってきていました。

 

絵本だけを大量に読み聞かせをしていて流暢におしゃべりができるようになっている子は

ちょっと注意が必要なのです。

そうした働きかけの結果、現実の世界を五感でしっかり感じとるという力が

弱くなっている子にもよく出会うからです。

 

絵本との出会いはとても素晴らしいものですが、

現実の世界の体験の豊かさとのバランスがとても大事だと感じています。

 

ここでいう体験の豊さというのは、

あちこち人工的な体験施設に連れて行くことでも、

遠出して特別な自然体験をさせることでもありません。

子どもにいろいろなすばらしい体験をさせようとしすぎると、

刺激過多になるためか

感受性が鈍くなったり、

細やかな感情に疎くなったりしているように見えることがあります。

 

子どもの日常には、その子の身の丈にあった興味深い魅力的な体験が

数えきれないほどあります。

 

絵本はそうした子どもの目線と世界の感じ方と子どもの感情の動きを

大人に思い出させてくれます。

知識や言葉を大量にインプットするための教材と捉えることは、

読んであげる大人の心を曇らせて、そうしたものを感じとれなくしていまいがちだと

思っています。

次から次へと忙しく読み聞かせて、

まるでテレビでもボーッと見ているように絵本の話を聞く習慣を身につけさせるのは、

子どもの月齢や生活体験とのバランスによっては、

害になる場合だってあるのです。

 

それよりも大人が絵本を通じて、子どもの心に近づいて、

子どもといっしょに現実の世界を眺めなおしてみるといいな、と思っています。

 

子どもの心の世界では、自分で卵を割って目玉焼きを作っただけの体験も、

ぐりとぐらが森の中で卵を見つけて、ホットケーキを焼いて、森の動物たちといっしょに

分けあったのと同じ出来事でもあるのです。

 

 


ものがたりの算数 (年中さん、年長さん)

2012-05-31 09:14:03 | 算数

想像力と創造力がとっても豊かな年中さんの★ちゃんと年長さんの☆ちゃんレッスンです。

「お話を聞かせて!」と言うので、

算数に関わるお話を即席で作って、ふたりに質問を投げかけてみました。

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<ものがたりの算数>

ある日のこと。

クッキーがたくさん、たくさんあったのよ。

先生が1枚食べてみると、まだたくさんあったわ。

もう1枚食べると、まだたくさんあったの。

それでね、もう1枚、もう1枚、もう1枚、もう1枚って食べて、しまいに9枚食べたらね、

びっくりすることが起こったの!

クッキーが少ししかなかったのよ!!!

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

この話はふたりに大受けで、

ついでに「少しって何枚くらいだったと思う?」とたずねると、

なかなか抜け目のない答えが返ってきました。

「だって最初に何枚だかわかんないと、どれだけ残ったかなんてわかんないわよねー」と★ちゃん。

「ねー」と☆ちゃん。

「初めが100枚だったら?」とたずねてみました。

「ええーっ!!」と★ちゃんはびっくりした声をあげてから、疑り深い口調になって、

「それね、1枚、1枚って食べても、少しになるの?」とたずねました。

「おっかしいよねー」と☆ちゃん。

正確に答えがわかるわけではないけれど、

100という数の食べ物の量と、それをある程度食べてもたいして減らないという経験があるようです。

「じゃ、最初が10枚だったら?」とたずねてから、10の指を見せて1本、1本折り曲げて9枚分曲げると、

ふたりとも当たり前のことを聞く……とふんがいしたように、

「それは、す、こ、し、でしょー!」と言ってから、ちょっと自信なさげになって、

1が少しなのか、ただの1なのか

ふたりで相談していました。

 

そんな算数のお話をした後で、足し算、引き算の文章題をいくつか出すと、

ふたりともとても喜んで解いていました。

 

最後にもうひとつ <ものがたりの算数>

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魔法使いがいてね。

1枚のクッキーに魔法をかけました。

ちちんぷいぷい~エイ!1枚のクッキーたくさんになあれ。

(エイのところで、クッキーをたたくまねをします)

ほらね。こまごましたかけらが、いっぱいいっぱい。たくさんのクッキーになったわよ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

この話にお腹がよじれるほど笑っていた★ちゃんに、

「本物の魔法使いじゃないから、しょうがないわ。こんな魔法でも。

だって、この魔法使いは魔法使いの格好をしていた☆ちゃんのお母さんだったんだもの」

というと、今度は☆ちゃんも涙が出るほど笑っています。

 

そこで、「でもね、たくさんのかけらはあっという間になくなったの。

なぜだと思う?」とたずねました。

 

いつも奇想天外なストーリーを思いつく★ちゃんが、「そりゃあ、

どろうぼうが持ってったってことも考えられるけど、

あんまりそういうことはないわね。

どろぼうはあんまりこういうところにいないから。

アリかもしれないわ。アリはちいさいけど、みんなで力を

あわせてうんしょうんしょって

運ぶこともあるんだから。

それと誰かがたべたのよ。子どもとか。

でも、先生。これはうその話?本当の話?」

「うその話」

ふたりは笑いながら、「うそなんかついたら、本当にあったことかって信じちゃうじゃない」

「そうよ。わたしのお母さんが魔法使いの格好していたって、本当かと思っちゃう」

「あら、でも、絵本のなかのものがたりはうその話もあるわよ。

先生のするお話は算数のものがたりだから、作ったお話なのよ。

ね、ふたりとも絵本にでてくるクマやうさぎがおしゃべりしていろんなことをする話は

本当の話だと思う?」

「ちがうよ。それはうその話だよ」と★ちゃん。

「でも、クマやうさぎがおしゃべりする話は、どれもみんなうその話なのかな? それとも、ほんのちょっぴりは

本当に話もあるのかな?」と聞きなおすと、

真剣な表情で考えていて、「やっぱりおかしいもん。きっと全部、うその話」「そうそう」という返事が

返ってきました。

 

わたしが、「うそのお話を考えるのもなかなか難しいよ」と言うと、

★ちゃんが、「そんなことないよ。うそなんか誰でもかんたんかんたんにつけるんだから。

幼稚園の◎くんだって、いっつもうそつくんだから」と言いました。

「どんなうそ?」

「きのうきゅうしゅうに飛行機で行ったっていうんだよ」

「きゅうしゅうでは何を食べたの?」

「ラーメン!」

「それは、凝っているうそねぇ。でも、本当にうそをつくのって簡単かな?」と

たずねると、★ちゃんの次のような返事が返ってきました。

「うそなら★も簡単につけるよ。あのね、きのう、くつやさんに行ったらおばけがいたの。

そのおばけのなかには、☆ちゃんが入っていて、☆ちゃんの中には奈緒美先生が入っていて、

奈緒美先生のなかには、★のお母さんが入っていて、

★のお母さんの中には☆ちゃんのお母さんが入っていたのよ。ほーらね、

うそついたわ」

「面白いうそね。なかにはいってるってどんな風に?」

「マトリョーシカちゃんみたいに。パカッと開けたら、どんどん小さくなっている人が

入ってるのよ」

 

それは、なかなか魅力的なうそですね……。

こんな風に★ちゃんは、お話を考えるのが大好きで、

☆ちゃんは、一日がどうして24時間なのかとか、宇宙や星のこととか、時間の流れや天体の動きや

身の回りのありとあらゆることが不思議でならない子です。

☆ちゃんとそうした話をしていると話が尽きません。

いつも遊んでいる仲良しさんのふたりですが、

興味を持つことや、理解する内容がずいぶんちがっています。

子どもの個性って面白いなとしみじみ感じます。


絵本大好きクラブ追加へご参加の方

2012-05-31 00:39:27 | 連絡事項

コメント欄にメールアドレスが書き込めないという状況が

起こっているようで、お手数をおかけしています。

申し訳御座いませんが、恐らくgooブログの規制に

引っ掛かっているので対処することが出来ません。

 

ですので、メールアドレスの@以降すぐをカタカナで入力

もしくは、どこかに半角スペースでも入れて一度書き込みを

試して頂けますでしょうか?

 

以上、事務Kより。


絵本大好きクラブ   (そそっかしい失敗 と 絵本の世界で遊ぶ) 

2012-05-30 17:29:39 | 工作 ワークショップ

 絵本大好きクラブの3日目でした。明日で一段落します。

昨日から胃の痛みと頭痛が酷くて、今朝はようやく立ち上がれた~くらいのヘロヘロ状態で

朝食を抜いて出かけました。

このところの暴飲暴食やら忙しい生活が体にこたえていたようです。

こんな風に体調が悪いと、日頃はあまり目立たないADD傾向が表に出てきて、

「あっ、やっちゃった」というような失敗がちらほら。

 

レッスンから帰宅するなり、ガーンと落ち込んだのは、ズボン。

衝動性や多動っぽさで困り感を抱えている方なら、「よくあること……」と共感してくださるかもしれませんが、

よりにもよって……というそそっかしい判断をして、

最初の状態なら何ひとつ問題がないものを、わざわざ問題の火種を作りだす癖が出てしまいました。

 

前日の夜に、「明日、着ていく服で迷ったらいけないから……」とズボンにアイロンをかけて準備していたのですが、

それをはいて「さぁ、出かけよう」という段になって、棚の上に畳んで置いてある昨日はいていたズボンが目に入りました。

 

実は今日のために用意していたズボンは少し固い素材のウエストが細めのもので、

昨日のは伸縮性のある生地の着心地のいいもの。

よれているところやシミがないか調べると、膝下のあたりに丸いポツポツした汚れがついていました。

 

昨日、急に雨に降られたので泥が跳ねたのかもしれないと思いつつ、水をつけて布でこすると

黒いズボンだったこともあってきれいに取れていました。

今日はこんなに体調が悪いんだし、せめて締め付けない服を着とかなきゃ昼食会もあるんだし……と、

慌ててシミ取りをしたばかりのズボンに着替えて家を出ました。

レッスン中は、子どもたちのことに気を取られてすっかりそのことを忘れていました。

すると帰宅してびっくり。今朝取ったはずのシミがまた浮き出ているのです。

泥が跳ねたと思っていたのは、子どもたちが落としたボンドを踏んでしまったのか、スライムを踏んで

ついたもののようなのです。

水をつけると消えるのに、水が渇くと浮き出てくる模様。

まるで自分の服で実験でもしているよう。

おそらくレッスンの半ばくらいから布が渇いて現れてきたのでしょう。

「それなら、昨日もついていたの?」と不安になって記憶をたどっていくと、前日は

乾燥機から取り出したばかりのズボンが畳んであるのを見て、

「この素材、アイロンなしでもしわにならないからいいわ」とノーチェックでそれをはいて出たのでした。

ということは、昨日もこんなシミのついたズボンでレッスンしていたというわけ?

とくらくらしました。

まぁ、もともとがそそっかしいので、その手の失敗には慣れっこなんですけどね。

お見苦しい格好で失礼しました。

結局、胃の痛みが酷くなって、注文した食事には少しも箸をつけずに返すことに

なったのですが、夕方にはずいぶんおさまってきました。

 

こぐまちゃんのホットケーキを読む前に、子どもたちとホットケーキ作り。

作った作品で絵本の世界を堪能しました。

手をフライパンにして、ホットケーキを乗せてひっくり返します。

 

休憩時間に船を作って浮かべました。

季節外れですが、「まどからおくりもの」の絵本に子どもたちは大喜びで、

オリジナルの絵本を作る時も、この絵本のアイデアをもらって

窓つきの絵本を作る子がたくさんいました。

(子どもたちの作品はどれもすばらしかったのに、カメラの充電が足りなくて

写真が少なくなって残念です。)

 


現代の子どもをめぐる問題について整理しました

2012-05-30 09:07:05 | 記事のまとめ(リンク)

 

☆子どもの変化 大人の変化

☆ゆる~いオーラと、忙しんだから話かけないでオーラ 1

☆ゆる~いオーラと、忙しんだから話かけないでオーラ 2

☆息子とのおしゃべり

☆このムダ(?)エネルギー何かに生かせませんか?

☆落ちこぼれだった問題児20名が全て学力が向上し無欠席となった学習法


絵本大好きクラブ (絵本の世界と現実の世界の橋渡しをする) 2

2012-05-29 21:13:54 | 幼児教育の基本

 

絵本を読んだ後で絵本作りの時間を設けたら、どの子も夢中になって取り組んでくれたのはいいけれど、

材料の入った袋から「シャボン玉が吹ける剣」を見つけだして、それを振り回して遊ぼうとした子がいました。

そこで、「剣の作り方を覚える?」とたずねると、真剣な表情でこっくりしました。

色画用紙をくるくる巻いて、テープをつけます。

それからアルミ箔を巻きつけて、できあがり。

その後、他の子らも剣作りに取り掛かりました。

真剣勝負。

3歳8ヶ月の○ちゃんも「剣作る~」とチャレンジ。(剣で、ライトの実験をしています)

「剣もいいけど……魔法のバトンにしてみたら?先っぽにシャラシャラした

ひもをつけてみたら?」とたずねると、喜んでいました。

この青いポリひもをつけた怪しいバトンも、子どもたちにあっという間に流行して、

「ぼくもつける」「ぼくも」と男の子たちもつけていました。

振りながら踊ったり、ハタキにしたり。

お子様ランチのメニューに、お寿司屋さんになれるというものが……。

昼食会でひとりの子が頼んでいました。

 


絵本大好きクラブ (絵本の世界と現実の世界の橋渡しをする) 1

2012-05-29 16:47:23 | 工作 ワークショップ

2回目の絵本大好きクラブの活動です。

絵本大好きクラブで大切にしているのは、絵本の世界と現実の世界の橋渡しをするということです。

絵本というと、見るだけ聞くだけのインプットとなりがちですが、

手を使ってする物作りや、劇のような身体表現、頭を使って考えること、自分の意見を言葉にすること、

現実の世界を観察する力を高めるといったアウトプットの体験につなげていく

お手伝いをしています。

 

『ぐりとぐら』や『こぐまちゃんのホットケーキ』といった絵本のストーリーを

主人公に扮して演じると、とても楽しそうでした。

 

 

 

光を当てると、影が浮き上がる仕掛け絵本を見た後で、

「こんな絵本を作りたい?」とたずねると、どの子も「するする!」ととても乗り気でした。

そこでさっそく絵本作り。

作った作品に光を当てているところです。

 

光を当てると影ができる仕組みの虜になった3歳2カ月の★くん。

影絵用のコップを大量に製作中。

 

海に出かける絵本を見た後で、

本物のやどかりを観察しました。

3歳1ヶ月の●くんは、おかやどかりに夢中です。気づいたことをたくさん

おしゃべりしてくれました。

海の絵本には、貝の中にいない時の

やどかりの姿が載っていました。

まるで「ゆうれい」か「おばけ」みたいな姿なんです。

 

魚屋さんと八百屋さんの絵本を見て、魚屋さんのお店に並んでいるものは、

どこで取ってくるのかな?」「八百屋さんに並んでいるものは、どこでできるのかな?」

といった問題を考えました。

 

次に続きます。

 


金環日食前後のもやもや と 自分の心をぴったり言い表す言葉 1

2012-05-29 06:36:12 | 理科 科学クラブ

金環日食の実験 (理解の伴わない知識を持っていることの問題点) 1

金環日食の実験 (理解の伴わない知識を持っていることの問題点) 2

の記事を書いた頃、あっちでもこっちでもテレビでもネットでも、「金環日食」が話題を独占していました。

 

子どもといっしょに手軽に科学に親しむのは、とってもいいことだと思うし、

それで子どもの科学への興味に火がつくかもしれないという期待はわたしも持っています。

1生に一度あるかないかの胸が躍るロマンチックな体験であることもよくわかっています。

 

それなのに、、「金環日食」の話題を見聞きするたびに、ワクワクする思いと同時に、

喉に小骨でも引っかかっているようなしっくりこない気持ちをくすぶらせてもいました。

 

当日のニュース見ても、「金環日食」を見た感動を伝える文章を読んでも、そのひとつひとつは、

「いいな~」とほのぼのするのに、

素直にお祝ムードに共鳴できない自分に対して、

「ちょっとひねくれているのかな?」なんて感じていました。

 

そして、「チャンネル変えてもどこも金環日食やってることが……つまり過剰な報道が嫌なのかな?」

 

「それとも全校生徒を早めに登校させてまで゛天体ショーを見せてあげようという学校が、

普段は子どもの疑問や発想を無視したり、物作りを教科学習より下に見たりして科学の芽をつぶしているように見えて、

バランスが悪いから嫌なのかな?」

 

「子どもたちが天体ショーを人工的な花火のショーを見るように体験して、流行りものと関わるように

科学と親しんでいくのが嫌なのかな?」

 

「科学を探求していくことは、孤独な個人的な関心をどこまでも深めていくような作業のはずなのに、

みんなと同じことを言って、同じことに関心を持って、みんなが忘れると、いっしょに忘れてしまうような……

集団でワイワイ騒いだり、集団の話題に乗り遅れないようにしたり、集団に対してうんちくを披露したりするために

科学があるというような印象を子どもたちに与えてしまわないかな……。

 

大人は、科学は科学として体感でわかっている上で、そうしたお祭りのなかで体験しているのだけど、

子どもの場合、それしか科学に触れる機会がなかったり、

テレビ経由で興味を持って、テレビが取りあげなくなったら

飽きて別の話題に切り替える姿を真似させることにならないのかな?」

 

などとそのひねくれた感じ方のもととなっているものを

追及して言語化しようともがいていたものの、結局、日食当日はわたしも感動でいっぱいになって、それまでのもやもやは

うやむやになっていました。

 

が、先日、過去記事の整理をしていて、慶應義塾大学の佐藤雅彦教授の次のような文章を再び目にして、

「自分のなかでもやもやくすぶっていたものの正体はこれだ」と

霧が晴れたようなすがすがしい気分に浸りました。

 

佐藤教授がwebや雑誌で、ピタゴラ装置とはゴールドバーグマシンの一種で云々~と解説風の文章を見かけると

必ず覚えるという違和感……

それはわたしが「金環日食とは~こういう現象で……」とテレビや雑誌で紹介されるたびに

感じていた違和感でした。

また子どもたちが「金環日食?知ってる知ってる。それはこういうことだよ」と大人の説明をそのまま

復唱するように言いながら、全てを知ったような様子になって、

わたしが投げかける疑問をさえぎるように、うろおぼえの知識で目にしている不思議を説明しようとする姿に

感じた違和感でした。

 

「名前を持ち出して、あたかもそれに対して理解が済んでいるようなふるまい」

は、

「誰もが持っている『言語化されていない面白さを素直に感じる能力』を
自ら放棄することにならないか」


「世の中の文脈に依存した生き方に繋がってしまわないか」

 

と、佐藤教授の文章が投げかける言葉は、わたしが子どもたちと過ごす時に

何を体感させてあげたいと思っているのかを

再確認する言葉でもありました。

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ピタゴラ装置が今や多少知られるようになったせいか、
最近webや雑誌で、「ピタゴラ装置とはゴールドバーグマシンの一種で云々」
というような解説風の文章をたまに見かけることがあります。

そのたびに、私は小さな違和感を覚えずにはいられません。
誰もが、そんなことを知る以前に、あのような連鎖する装置に近いものを子供の頃に
夢想したり、それが高じて、消しゴムや本など手近なものを
駆使して稚拙ながらも連鎖反応を試したりしたことがあったと思います。
その時の面白さに向かう気持ちには、濁りも余計な知識もありません。
ただただ、純粋に連鎖する動きを作って試してみたいだけです。

その生き生きとした所為に比べて、
それをゴールドバーグマシンの一種、と名前を持ち出し、あたかもそれに対して
理解がが済んでいるようなふるまいは、何かとてもつまらないことに思えて
しょうがありません。
(略)
それは誰もが持っている『言語化されていない面白さを素直に感じる能力』を
自ら放棄することにもなり、
世の中の文脈に依存した生き方に繋がってしまうと
感じるからです。

          (『ピタゴラ装置』DVDブック ②  小学館 より)

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ついでにこのDVDブックを見ながら子どもたちとした「工作+実験」の様子を

紹介しておきます。


小学2年生の子らのグループレッスンで。
『ピタゴラ装置②』の本にあった「放り出しカー」を作りました。

といっても、本にある材料とはほど遠い
ありあわせの材料で作るもんですから、思う通りに動くはずもなく、
失敗の連続で、位置を付け替えたり、
積み木の数を変えたり、もたもたもたもた……試行錯誤したあげく、
何とか、それっぽい動きが実現しました。
「やったー!」とピースサインをする子どもたち。



車から出たでっぱりが、シーソーの上の荷物を押して落とすと、
シーソーがでっぱりといっしょに台を斜めに押し上げて、
車の上の荷物を回転させて落とします。


本の図解にあったイメージでは、
「これは簡単にできそう!」だったのに、現実は厳しかったのです。

うまく積み木が落とせて、シーソーが上がっても、
力が弱くてでっぱりを押し上げることができないのです。
シーソーの材料の問題か、シーソーの長さの問題か、傾きを大きくすればいいのか、車の側を改良する必要があるのか……

うまくいくのかどうかすらわからない……やりなおしの作業の連続にめげず、
子どもたちは
がんばって作り続けていました。






追加で絵本大好きクラブに参加していただく方々です♪

2012-05-28 23:35:28 | 生徒募集 イベント参加募集

 

6月19日(火) AM10:00~11:45

あきさん・danmumさん・あけむさん

Ikさん・はすきっちゃんさん・失われた時を求めてさん

 

6月21日(木) AM10:00~11:45

けいとさん・ぽんぽんさん・かりんさん

くじらさん・キャンディさん・かのんさん

 

7月3日(火) AM10:00~11:45

ふーちゃんさん・ぴよさん・あいけんさん

青緑さん・もんぶらりんさん・

 

上記にお名前のある方は、この記事のコメント欄に

メールアドレスとお電話番号とハンドルネームを書き込み下さい。

事務より質問メールを送らせて頂き返信を頂戴し次第、順次詳細をお送りします。

また、新幹線等の予約の加減で早めに詳細を欲しい方は、その旨も

コメント欄にご記載下さいますようお願い致します。


ドーナツショップで宿題をする子 

2012-05-28 17:38:24 | 日々思うこと 雑感

午後に休みが取れたので、買い物ついでにドーナツショップに寄って

一服することにしました。

アイスコーヒーを手に席に着くと、隣の席では4,5歳の子が

英語のプリントと格闘していました。

傍らでお母さんらしい女性が、その子に向かって

あまりに攻撃的に毒づいているので、一服ついでに読む予定だった単行本を開く気も萎えて、

こちらまで縮こまってドリンクをすすっていました。

子どもの袖には色から判断すると年少さんか年中さんの名札が

とめられています。

その女性はとてもきれいな発音で英文を読んでから、

「アイス」「アーイス」という発音を2タイプのイントネーションで

付け加え、「どっちなの?アイスなのかアーイスなのか?

意味分かんないのに宿題にでるわけないでしょ。」と責め続けていました。

 

どうもアイスクリームのアイスなのか、氷のアイスなのかを判断して単語のつづりを練習していく

宿題らしいのですが、子どもが困惑した様子で押し黙っているので、

その方は質問の仕方を変えて、

「アイスは何でできているの?」とたずねました。

それからだんだん声を荒げながら何度も何度も「アイスは何でできているの?」と繰り返しました。

 

隣のわたしは聞きたくなくても聞こえてしまうその質問に、

「アイスクリームのアイスなら生クリームと砂糖と卵でできているんだろうし、

氷のアイスなら取りあえず水が答えなのかな……。それにしても成分が分かると、

つづりがどっちか判断できるんだろうか……」と暗い気持ちで考えていました。

 

「今日は英語で言ってんじゃないよ。日本語なのにわかんないわけないだろ」

と激しくののしられて、

それまでひとこともしゃべらなかった子が蚊の鳴くような声で「か、き、ご、お、り?」と

答えました。

「まぁ、クラッシャーしたら、そうとも言えるけど。でも、何?氷は何でできてるの?

もう時間ないんだよ。早くやってしまい!」と女性。

 

下を向いたまま黙々とえんぴつを走らせていた子が、黙ったままスッと立ち上がると、

プリントとその子の手首をあわただしく掴んで、その方は店を後にしました。

 

大阪ではこういう光景は特にめずらしいものではありません。

わたしが特別ドーナツ好きというわけでも、

ドーナツショップにしょっちゅう行くわけでもないのだけれど、(年に数回?)

なぜか十三でも、天王寺でも、京橋付近でも、西九条でもドーナツショップで宿題をする子に遭遇しました。

 

塾にしても習い事にしても、その子がどれだけ他の習い事をかけ持ちしているかとか、

他の習い事や学校でどれだけ宿題が出ているかとか、

休日に用事を抱えているかとか、

電車通学で時間を消費しているかとか、

通信教材の提出物があるかどうかなんておかまいなしに、

幼稚園児にも宿題を出すのですから。

 

それも、どんな風に宿題をして、誰が宿題の世話をするかなんてことも、

親が宿題見ているうちについつい熱くなって必要以上に子どもを責めちゃうんじゃないか

なんてこともおかまいなしです。

 

特にフランチャイズの塾や習い事ともなると、

テレビではキラキラ輝く子どもの笑顔を広告に使いながら、

人間味の感じられないむごい苦しみを子どもに味あわせてしまうことがあるな……と

胸が痛くなりました。子どもを責め立てていた方にしろ、子どもを追い詰めずにはいられない動機は、

おそらく子どもへの憎しみというよりも、日本人特有の「出された宿題は絶対しなくてはならない」という

強迫観念の混じった生真面目さから来るものの方が大きそうです。

 

いろんな人が……いろんな物が……いろんな管理システムが、子どもをいじりすぎているのでしょうか。

 

ドーナツショップで隣に座っていた子のお母さん(だと思われる女性)が、ひとつの解答を求めて

問いただすような言い方をしなければ、

また普段から子どもの間違いに寛容だったなら、

子どもは「アイス」がアイスクリームを言い表すこともあるし、

氷でもあることに興味を抱いて、自由に疑問を口にしたり、持論を語ったかもしれません。

 

また、氷は何からできているかという質問を、

氷が細かい氷にもなり、水にもなり、水蒸気にもなるという科学的な興味にまでつないでいたかもしれません。

 

虹色教室でこうしたクイズを子どもたちに出題すると、トンデモ発言がどんどん飛び出すなかで、

こうじゃないか、ああじゃないか、でもおかしいな、不思議だな、納得できない、きっとこうだとぼくは思う、

わたしはこうだと考えるわ、といった意見がどんどん生まれてきて、

「何て世界は面白いもので満ちているんだろう」

「何て自分の頭を使うのは楽しいんだろう」

「何て言葉で表現するのは気持ちいいんだろう」

という思いが子どもたちの間に響き渡るのです。

それは、大人が先にひとつの答えを用意しておいて、

それを答えないと「×」の評価を子どもに押しつけることがないからだし、

時間内に教え込もうと焦ってもいないからでもあります。

「子どもに間違えさせたくない」という余計な心配症で

子どもを囲いこんでもいないからです。

 

実際、学問を深く追求する人々は、「1+1」のようなあたり前に思われていることにも

疑問を投げかけて探求し続けているのです。

 大人にしたって、誰もが理解している知識なんて知れているのですから、

子どもといっしょに「不思議だね」「知りたいね」「なぜだろう」と探求する楽しみを共感しあうだけで

十分なんじゃないかな、と考えています。

その土壌から、子どもの自発的に学ぶ意欲が芽を出すはずです。