虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

自分の気持ちを簡単に捨てられてしまう 8

2017-07-30 18:31:58 | 日々思うこと 雑感

Aくんが、「自分の思いが誤解されている」と感じて、

自暴自棄に陥ることがないように、Aくんの気持ちにきちんと応えるためには、

Aくんという子が、「かっこよさ」にあこがれる子で、

理想の自分をみんなに見せたいと思っている子だということを理解することが

大事でした。

集団の場では、リーダーシップを発揮できている時に一番いきいきしていました。

 

 お泊り会の解散前にこんな出来事がありました。

今回、重い図鑑類をたくさん持って行ったので、わたしの荷物はいつになく多くて、

旅行用のスーツケースと下のような大きな手提げかばんとなりました。

このけっこうな重量がある手提げかばんを、

子どもたちが、「ぼくが持ってあげる」「わたしが持ってあげる」と

率先して運んでくれていました。

 BくんとCちゃんが、「平気、平気、重くないよ」と言いながら、

かばんを持って広場を一回りしてくると、

あたりにいた子たちがどんどん集まって、

「ぼくにも持たせて」「次はわたし」とかばんの取っ手に手を伸ばしていました。

北海道からきていたAくんも、この「次に持たせて!」の輪に入ろうと近づいたものの、

ひとつの取っ手に数人の子どもの手が重ねられていることに気づくと、

差し出していた手をスッと引っ込めて、後ずさりしていました。

 

わたしはAくんが他の子の真似をして後ろからついていくよりも、

他の子らが自分の真似をしようとぞろぞろついてくるような場面で

心からうれしそうな笑顔を見せていたのを思い出しました。

そこで、Aくんにわたしの持ってきた少し大きなカメラを貸してあげました。

落とさないように首にかけて写真の撮り方を教えてあげると、

はじけるような笑顔を浮かべて、

みんなのところに向かいました。

そして、ひとりひとりの子の前に進み出て、写真を撮っていきました。

真剣に構える様子は、まるで本物のカメラマンのようでした。

Aくんは、ただ珍しさから面白がってシャッターボタンを押すのではなくて、

昨日親しくなった子や大人を写真に収めようという意志のもとで

動いていました。

Aくんの気持ちを大切にするということは、Aくんの意志を尊重するということ、

Aくんの中に自分なりの思いが渦巻いていることを理解することでもあると

感じました。

 

 

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自分の気持ちを簡単に捨てられてしまう 7

2017-07-28 14:37:35 | 日々思うこと 雑感

23~24日のユースホステルでのレッスンに北海道から年中の

Aくんという男の子が、初めて参加してくれていました。

最初のうち、Aくんと他の子たちの関係はギクシャクしていました。

仲良く遊んでいる子たちの輪に、「入れて」と自然に仲間に加わっていくのは

抵抗があるようでしたし、何か思いついたり興味を持ったりすると

周囲に目がいかなくなる性分のようで、

気づくとひとりで何かに夢中になっていることが続いていたからです。

 

またAくんとお母さんの関係も、ほんの少し、

心と心がすれちがいがちなように見えました。

Aくんのお母さんは穏やかで優しい方で、Aくんのことを

心から思いやっていました。

けれども、Aくんの内面に広がるイメージや意志や

アイデアや知恵を感じ取るより前に、

態度や行動面での目に見える部分だけで判断して注意をうながしたり、

心配を口にしたりしがちでもありました。

そのため、知らず知らずのうちにAくんの気持ちを

切り捨ててしまっていました。

 

それは、どの親御さんもしょっちちゅうしてしまうような

ささいな事ですし、ひとつひとつについて神経質に対応する必要などない

のだとも感じます。

日常の中でだれもが何度も経験していくことですから。

 

でも、そのことについて、一度、言葉にして、

Aくんという子の心に光を当ててみたい気もしました。

 

このお泊り会の集合場所であるココプラザの和室に集まって

工作をしていた時、こちらの誘いかけにはほとんど乗らず、自分の好きなように

作っていました。こちらが何かを問いかけると、自分の言いたいことを言って

ふらっとどこかへ行ってしまうので、

相手の話に耳を傾けるのが苦手なのかな?と感じました。

 

でも、数時間もしないうちに、わたしのAくんに対する印象は

180度変わりました。

Aくんは相手の話したひとことひとことをとてもていねいに聞き取っているし、

それを長い間覚えていて、

必ずといっていいほど行動に移していることに気づいたからです。

 わたしがそうしたAくんの性質に気づくと、Aくんはどこへ行く時も

わたしといっしょについてきて、他の子らの手助けをしたり、道案内

をしたり、いっしょに息を合わせて何かを創作したりしていました。

 

ただ、Aくんは周囲の人の気持ちや場の雰囲気の影響を受けやすい子で、

一度、気持ちがくじけると、自分の思いとは正反対の屈折した

態度を示すことが多々ありました。

お母さんのひとことで、「自分の思いが誤解されている」

と感じるやいなや、手伝いをしようと意気揚々とはりきっていた場面でも、

たちまち気分が萎えて、

何も感じず考えずに好き勝手に駆け回るようなそぶりをしていました。

 

お友達を部屋に招待して、北海道からどんな交通手段で来たのか説明するAくん。

 

次回に続きます。

 


ひとりひとりの個性的な才能に寄り添うこと 1

2017-07-25 12:44:11 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

「自分の気持ちを簡単に捨てられてしまう」の続きは、時間がある時に書かせていただきますね。

 

ユング派の「元型的心理学」の創始者といえるジェイムズ・ヒルマンは、『魂のコード』の中で、こう主張しています。

 

人生を逆向きに読むと、幼い頃に熱中していたことが、

いかに大きく現在の行動を先取りしていたかがわかる。

「成長」などは、もともとその人が生まれもってそなわっている特定の

イメージに比べれば、重要な人生上のカギではないということがわかる。

いろいろな能力が発達したり、衰えていったりする中で、

ひとりの人の運命の内なるメッセージはとぎれることなく存在している。

わたしというかけがえのない人間が生きるための理由があるという感覚。

日々のことを超えてやらねばならぬことがあるという感覚。

日々の出来事に意味を与えるものがあるという感覚。

わたしがここにいる理由を世界が与えてくれているという感覚。

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ヒルマンは、ひとりひとりの子どもには、生まれ持ったユニークさや宿命があると

断言しています。通常異常と診断される兆候すら、ある意味で

このユニークさや宿命に由来する才能、賜物の一部ととらえています。

つまり子どもたちはあらゆる種類の材料をあたえられた才能豊かな子どもで、

子どもに与えられているものはそれぞれの現れ方をするということです。


教室に来る大勢の子らと接していると、ジェームズ。ヒルマンのいう

その人が生まれもってそなわっている特定のイメージ

らしきものを感じることが多々あります。

 

それは子どもの苦手や欠点と表裏一体となって

あることが多々あります。

たとえば、教室ではよくこんなことがあります。

競争心が皆無で、大人の期待や環境が設定している課題に

関心が薄い子というのは、がんばりが足りないように見えたり

得意なことが少ないように見えがちです。

でも、その一方で、歴史や科学の世界にあるロマンと呼ぶようなものに

強く惹きつけられる子が多いです。

評価されたり褒められたりしなくても、自分の内側からの欲求で

アカデミックな世界をもめることがよくあるのです。

 

下の写真は、小学4年生のAちゃんが作ったヒエログラフが描かれた

 岩壁です。

 

Aちゃんは成績表には頓着しないマイペースな女の子です。

ひとりひとりの子の個性を大切にしているAちゃんのお母さんも、

頭脳明晰でがんばり屋の妹ちゃんに比べて、

他の子たちと和気あいあいと過ごせていれば万事OKという感じのAちゃんに対して、

何が得意なのか、特異をどう伸ばしてあげればいいのか、

と戸惑っておられることがありました。

 

 

 

以前、 AちゃんやAちゃんのレッスンのグループの子たちと教室で国立民族学博物館に出かけた時にこんなことがありました。

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帰りに前回の記事のAちゃんの家族と電車でごいっしょしました。

その時、Aちゃんの3年生のお姉ちゃんのCちゃんに

この本を預けていたところ、

最初は興味本位に何ページか読んでいたのですが、

しだいに本の内容に没頭しだして、

最寄りの駅に着いたので返してもらうという段になって、

「次に、教室に行ったとき、その本の続きを読んでもいい?」と真剣な表情で

頼まれました。

どのページもプリミティブアートの解説が載っていて、

「子どもが読んで面白いのかな……?」と思うような内容だったのですが、

さっそくひとりはこの本のファンができてうれしい限り。

 

上の写真に添えられた言葉を書いておきますね。

 

大きな目 

 

見た目を 信じちゃいけないよ。

実はぼくの身長は 10センチと少し。

でもうれしいな。いつも 小さな ぼくなのに

今だけでも こんなに 大きくしてもらえるなんて。

ぼくの目 大きくて 青いでしょ。 これはパウア貝。

オセアニアの海岸で とれる めずらしい 貝なんだよ。

指が 3本ずつしかないとか。

よく見ると 足には 水かきが ついているとか いわれる。

それから 舌から 足首まで 細かい もようが 彫ってあるでしょ。

ぼくたち マオリ族は こうやって 体に 入れ墨するんだよ。

ニュージーランドの 人たちは ぼくを ヘイティキと 呼んでいて

おまもりとして 首に かけるんだ。

ぼくについては いろんな 説がある。

どこかの星から やってきた 最初の 人間の姿だとか

まだ お母さんの おなかのなかにいる 赤ちゃんだとか

生まれたばかりの 赤ちゃんだとか

妊婦さんの まもり神だと 思っている 人もいる。

水かきのある 足を 見て

海の 生き物と 関係があるって 思っている 人もいる……。

そんなわけ みんなぼくを 大事にしてくれる。

そりゃそうだ。幸運の おまもりなんだからね。

 (プリミティブ・アートってなぁに? 文マリー・セリエ 監訳 結城昌子  西村書店 より 引用)

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Aちゃんは、プリミティブアートの素朴な作品が生まれる背景に
 
歴史や民族の思いや願いなどより大きく深いものが含まれていることに
 
感動したのだと思います。
 
そうした感性は、成績として他の子と比べられるものとは別の
 
独自の個性輝きです。

 Aちゃんがこの本に引き付けられたのは、言葉にならない感動を、

言葉にしようと摸索している試みに対して、

畏敬の念も抱いたからではないか、と感じました。

Aちゃんはそのような心の世界を持っている子です。

教室では、一見、地味で面白みのない本に熱中する様子を見るといった

そんなちょっとした瞬間に、

その子という個性に対する関心が生まれるし、

自分とその間に見えない絆ができる感じがします。

 

その子といっしょに、これからどんなことをしていったら情報が

見えやすくなってきます。

また、こんなこと好きだろうな、というわたしの思いを、

その子のより深く入っていく興味が越えていくことに感動しもします。

 

下の写真は、小学2年生のBちゃんの薩摩藩の藍色切子脚付蓋物です。

 

下の写真は3年生のCちゃんの福井の東尋坊です。

 


自分の気持ちを簡単に捨てられてしまう 6

2017-07-21 13:07:11 | 日々思うこと 雑感

説得作戦、歌作戦、

10円玉で誘いだす?

100円玉で誘いだす?踊り作戦と、

名案、愚案がいろいろ試される中で、

みなが足止めされ、効率的な日常の流れから切り離されたまんま、

それを見守る大人たちは常識と非常識の際

日常と非日常の境界線上に立たされていました。

 

他者に迷惑をかけるということに気にかけたり、

互いに迷惑をかけあいながら生きる自分を意識したり、

待つことや見守ることが困難な世界で暮らしているということを

感じ取ったりしながら。

 

そうやって、ひとりの子の存在に待ったをかけられて、進むのを

やめたとたん、他のひとりひとりの子についても、

その時々の断片的な姿ではない「その子」というのが浮き上がってきました。

 

最初に、両手を腰に当てて、鼻息荒く、

「みんなの使うものなのに、ほかの人が入れないようにしてしまうなんて、

本当に悪いよ。」「自分たちだけの部屋じゃないのに、自分たちだけで使うなんて、

悪い人たちだよねー。ねー」と訴えてきた

年長のEちゃんFちゃんの女の子ふたり組は、昨日初めて顔を合わせたばかりでした。

どこに行くのも連れだって行動し、

「ねー」「ねー」と言いながら顔を見合わせていた仲良しふたり組ですが、

親しくなったきっかけは、Eちゃんの

「わたしのプリンセスのかばんを触っている子がいるから嫌だ」

という苦情でした。

「どれどれ?どれを触っている子がいるの?」とEちゃんの後ろをついていって、

かわいいプリンセスの絵柄のキャリーバックを見せてもらいました。

「このキャリーバックを触っていた子がいるの?」

「そう」

「Eちゃんの大事なかばんだから、触られたくないな~って

思ったの?」

Eちゃんは、「そうだよ。だって、嫌だもん!」と怒りに震えながら

口をとがらせていました。「ふーん、かわいいキャリーバックだもんねぇ。

かわいいから、ちょっと触ってみたいな、って思ったのかな?」

「そうじゃない?嫌になっちゃう」

「へぇ~。大事なキャリーバックだから触られたくなかったのね。

Eちゃんだけが、自分でファスナー開けて、中に入れてるものを出したり、

片付けたりしたかったのね。」

「そうそう」

「へぇ~」と聞きながら、「どの子が触ったの?」とたずねました。

「この子!」と言いながら、Fちゃんを指さします。

「Fちゃん、このキャリーバック、かわいいなぁって触ったの?」とたずねると、

Fちゃんは顔を引きつらせた状態でこっくりしました。

「かわいい絵がついているから、ちょっと見ようかなって思ったの?」

「そう」と言います。

「ふぅ~ん」と何度かうなずいてから、

「Eちゃんも、Fちゃんも、こんなかわいいカバンが好きなのね」というと、

ふたりともこっくりしました。

「いっしょのものがかわいいなぁって思ったり、同じものが好きだったりするのね。」

と言ってから、

「Eちゃんも、Fちゃんも同じ年長さんね。同じものが大好きだから

とっても仲良しになれるかもね」と言いました。

 

すると、たったその一言で、

ふたりはもじもじしながらも、しっかりと手をつなぎあいました。

そして、心底うれしそうな笑顔を浮かべて、互いにキラキラ光る目で

見つめあってから、

どこかへ行ってしまいました。

EちゃんとFちゃんの、どこへいくのも連れだって、「ねー」「ねー」と言いながら

顔を見合わせる仲良しぶりは、そこから始まっています。

 子どもが誰かに不満を抱いたり、文句を言ったりする時にしても、

その背後には、もやもやした気になるという気持ち、

相手への興味、親しくなりたい気持ちなど、さまざまな思いが

潜んでいるのだと思います。

それを身近な大人が、いつもいつも、

子どもの代わりに成敗しておしまいという

流れを作ってはいけない、と感じました。

 

このEちゃんFちゃんは、ユースで出会ったお姉さんたちに

とてもかわいがってもらっていました。

わがままも甘えも許容してもらって遊ぶうちに、

だんだんテンションが上がって、お姉さんたちの頭に

おもちゃを乗せる悪ふざけをしている姿がありました。

 

そういえば、EちゃんFちゃんの責められてたじたじとなっていた

Bくんは、2年前まではうれしすぎて興奮して、相手が嫌がるような

ちょっかいをだしてしまいがちでした。

でも、今年はすっかりそうした面は卒業し、責任感や自制心が

芽生えつつあるのです。でも、そうしたがんばりの一方で、

ひとつくじけると、今回のように自分の殻に閉じこもってしまう

こともあります。

 

EちゃんとFちゃんは、常識的な善悪が見えだして、

「これは悪いことだよ」と他の人には厳しいけど、

自分自身には甘いという時期でしょうか。

Bくんの周りに集まっている子たちの心はみなBくんの心の延長上にあって

互いに溶けあって、

いっしょに自分の内面や外で起こる出来事と会話をしながら、

心を耕しているんだな、と感じました。

 


虹色教室オンライン 工作について

2017-07-21 13:01:31 | 連絡事項

虹色教室オンライン教材のご購入をご検討いただき

本当にありがとうございます。

虹色オンライン工作の教材は、メンテナンスの最中で、少しの間、

発売をストップさせていただいています。

すでに購入しておられる方は今まで通り見ていただくことができます。

発売を再開しましたら、

このブログ上でお知らせします。

どうぞよろしくお願いします。

 


自分の気持ちを簡単に捨てられてしまう 4

2017-07-19 08:35:10 | 日々思うこと 雑感

Bくんに呼びかけているDくんは、

敏感でものごとをより強く感じ取る子で、

ちょっとしたことで驚いて興奮してしまいがちでした。

数年前まで、ユースでも、こうした騒動の主人公になっていた

タイプでした。

今年はしっかりしたお兄ちゃん、という姿に成長したDくん。

年下の敏感な子たちが過敏になって問題を起こすと、

「ぼくもね、以前は、しょっちゅう……こんな気持ちになったり、

……あんなことをしたりしていたんだ。

でもね、落ち着いて。大丈夫だから……。」と

親身になって、窮状から救ってあげようとする姿がありました。

Dくんのお母さんいわく、Dくんは以前の自分のような子を見ると

放っておけないそうです。

また、年下の子たちのテンションが高すぎるときは、悪ふざけが

収まるように、リーダーシップを発揮してくれていました。

 

何とか戸を開こうとみんなで考えあぐねる様子は、まるで

天照大神が天の岩戸に隠れて世界が真っ暗になったという有名な神話の

物語を演じているようでもありました。

すると、子どもたちの様子を見守りながら世話を焼いてくれていた

Aちゃんのお父さんが、神話の世界を実演するように

閉まった戸に向かって、簡単な舞いを披露しました。

もちろん、おふざけやお遊びの延長上の踊りなのですが、

お父さんの踊りが上手なこともあって、子どもたちは

さらに深く今自分が体験している出来事の中に引き込まれていきました。

 

おでこを打ったAちゃんはというと、日ごろ、控えめで優しすぎるくらいの子が

「ちゃんと謝ってよ!」と文句を言いにいきもしたし、

「大丈夫よね」と言われると、痛くても我慢してしまう性質のところ、

十分にみんなに介抱され心配されもしたもので、

もう被害者としての体験はおなかいっぱいという様子で、

閉まった戸の周りで繰り広げられる話の展開を眺めていました。

自分の事件がこんなすごいことになっているし、

これほどみんなが注目している……

一大事を救うカギを自分が握っているのかも、

という思いもあってか、瞳がキラキラと輝いていました。

 

しまいに、いてもたってもいられない様子で、「先生、わたしも、Bくんが

出てくるようにがんばってみる!」と言い残すと、

 みんなのところへ駆けていきました。

すると、作戦会議の真っ最中だったDくんは、

Aちゃんがおでこをぶつけた本人だとも知らずに、「Bくんが戸を開けよう

としたら、わざとじゃないんだけど、おでこをぶつけた女の子がいて……」と

事の始終を話していました。

AちゃんはAちゃんで、「それは私のことよ」と言って話の腰を折ることもせずに、

「Bくんが好きな歌を歌ってみたらどうかな?

そうしたら、戸を開けるかもしれない」と懸命に知恵を絞る姿がありました。

 

子どもが自由に自分の知恵を試せて……

自分の考えを否定されたり決めつけられたりせずに言葉にできて……

想像力を非現実の世界までどんどん膨らましていけて……

問題を自分たちで解決していける……という場所や時間や人と人の関係

を保障してあげたい、守ってあげたいと強く思いました。

その時に解決しなくたって、次もその次もある、次には自分でと思える

変わらぬ場と人間関係と時間がひとりひとりの子どもに持たらされることを

切望しました。

 


自分の気持ちを簡単に捨てられてしまう 3

2017-07-18 18:12:37 | 日々思うこと 雑感

いったん戸を開けさせて、

おでこを打ったAちゃんにきちんと謝らなければならないこと、

この部屋は他の大勢の利用者のためにあるものだから、

カギをかけてはいけないこと、を注意すると、

当のBくんは靴下を脱いで、自分の足の指を調べながら

押し黙っていました。

どこかでケガをしたのか、足の指先から血が出ていました。

黙っているものの、Bくんの表情からすると、

Aちゃんのおでこにケガをさせてしまったかもしれない状況への

ショックが大き過ぎて、言葉を失っているようでした。

すっかり自分の殻に閉じこもってしまったBくんは、再び

部屋の内側からカギをかけてしまいました。

 

本来なら、他のお客さんへの迷惑ということを考えて、性急にBくんを部屋から

出させて注意しておしまい、となるところ、

その日のその時間は周囲に人はあまりおらず、

子どもたちのために、空間と時間の隙間を

ちょっと使わせてもらうのならいいかな……そんな風に

感じられる日でした。

 

カギのかかった部屋の周りに集まって、子どもたちが

Bくんを外に誘いだす相談を始めました。

「まずは、熱中症を避けなくちゃ。

部屋の周りに隙間はないかな?

そこから水筒かペットボトルを入れないと!」と

真顔でつぶやくDくん。

部屋のぐるりを調べてから、「Bくん、ぼくとCくんだけを部屋に

入れてくれない?他は誰も入れないから大丈夫だよ。

ぼくたちふたりだけが入れる狭い隙間を開けてくれたらいいんだ」と説得していました。

 

途中ですが、次回に続きます。

 


自分の気持ちを簡単に捨てられてしまう 2

2017-07-17 18:46:07 | 日々思うこと 雑感

「大切だと感じていることを大事に扱われることがないから、

どんどんそういう気持ちがないものになっていっているんだろうな」

という知人の指摘は、豊かで便利な日本で暮らす子どもたちが、

総じて、何だか幸せそうに見えないことと

関連があるように思いました。

子どもたちは、大人たちから、いいと思われるもの、

子どもの能力を高めそうなもの、

子どもの価値を上げそうなものを、毎日、

シャワーのように浴びせられているのです。

 

でも、子ども本人が何をどう感じたのか、どう考えたのかには、

ほとんど注意を向けられていない現状があります。

 

もやもやと言葉にできない感情を抱いて、

自分でも何がなんだかわからないような衝動のまま外に出してみて、

いろんな人のいろいろな反応に、驚いたり、自分の態度を悔いたり、

慰められたり、勇気づけられたり、自分の感じていた言葉を見つけたりしながら、

出来事の中でゆっくりと自分の感情を噛みしめていく……という

誰もが数えきれないほど通過してきたような子ども時代の当たり前の体験が、

現在は、効率的に管理されたカリキュラムの中で削ぎ落されています。

 

先日、「子ども時代のほとんどの体験は、それを味わう子どもの

気持ちを大事にしてあげるなら、

その子の人生にとってかけがえのない貴重な一瞬、一瞬となるのだろう」

としみじみと感じる出来事がありました。

アメリカからいらしたマイコさんのご家族と日本で親しくしている方々と

いっしょに集った際のことです。

 

みんなで出かけた先で、幼稚園の女の子ふたりが、

「みんなの使うものなのに、ほかの人が入れないようにしてしまうなんて、

本当に悪いよ。」「自分たちだけの部屋じゃないのに、自分たちだけで使うなんて、

悪い人たちだよねー。ねー」と憤慨した様子で訴えてきました。

 小学生の男の子ふたりが内側からそこの部屋の鍵をかけてしまったらしいのです。

 

「だって、眠いんだよ!」

「疲れているんだから、休んだっていいじゃんか!」

と小さな声で逆切れしている男の子たち。

実際、その前の晩は、大人がいない部屋で自分たちだけで寝たいと強気で

宣言したものの、怖い人が部屋に来るかもしれない、何かが起こるかもしれない、

とドキドキし通しで、(何度も大人たちの部屋を覗きにきていて)

しっかり眠れなかったのです。

とはいえ、その部屋は、個人的に占拠していい場所ではなく

そこを訪れる人みんなが利用するスペースでしたから、

カギをかけるなど言語道断でした。

 

「これはダメなこと!みんなに迷惑がかかるから出てくるように」と

注意しに行くと、さすがに悪いと思ったのか

もじもじしながら出てきかけていました。

 

と、その時、内側にいたBくんが無造作に戸を押し開けたので、

戸の反対側にいた小学生の女の子のおでこにぶつかってしまいました。

 

「大丈夫?」「痛くない?」と女の子を介抱する声や、

「急に戸を開けたから、〇〇ちゃんのおでこにぶつかってしまったのよ。

謝りなさいよ」という注意する声に驚いたのか、

Bくんは再び部屋に閉じこもってしまいました。

 

おでこをぶつけたAちゃんのお母さんが、ぶつけたところをちょっと調べて、

「大丈夫、大丈夫」と言いかけると、

(Aちゃんのお母さんはいつも子どもの心をとても大切にしておられる方です)

女の子の表情がちょっと固くなりました。

 

親御さんにすると、周囲や閉じこもっている子たちや女の子自身を

安心させる必要がありますから、これはそうしかるべき対応なのですが、

でも、打ったばかりのおでこがまだ痛い当人にすると

酷なあしらいでもありました。

そこで、「痛そうね。今は何ともなくても、後から、

腫れてくるかもしれないし、大丈夫かどうかはAちゃん(女の子)しか

わからないから。これは、絶対に謝ってもらわなくちゃ。さぁ、いっしょに

Bくんのところに行こう」とAちゃんの手を取って、裏にある戸の前に行きました。

 

話の途中ですが、次回に続きます。

 

 

 


事務Kよりご連絡(ユース)

2017-07-17 11:46:22 | 連絡事項

こんにちは、虹色教室事務担当、事務Kです。

 

今夏のユースへのご参加者頂く皆様へ。

以前にご連絡頂いていた(お約束していた方や1回目の募集)方には、ほぼ1通目のご連絡が完了しております。

 

本日中に先日2回目の追加募集(7月23日~24日)にてお越し頂くことになりました方へは急ぎ、立て続けにメールを3通送らせて頂きます。

 

その他、秋ユースご参加の方には1通目をお送り致しますが、夏ユースのご連絡優先となりますのでお時間を頂戴致しますこと、ご容赦ください。

 

なお、本日中に1通目がまだお手元に届いていない方は、メールBOXの迷惑メールに振り分けられていないかご確認ください。

 

併せて、迷惑メールの設定の確認などもして頂きますようお願い申し上げます。

 

注意事項としましては、特にhotmailをご連絡先にされている方は、Yahoo!メールとの相性が悪く殆どこちらに返送されてしまい、お手元に届かないケースが多発しております。

 

メールアドレスにつきましては、最低1つ、可能であれば2つお教え頂ければ両方にお送り致しますので、ご都合(使い勝手)の良い方のアドレスにてお返事ください。

 

次回以降はそちらにお送り致します。

ご希望の方には2か所に同じ内容を送信致しますのでお気軽に申し出ください。

 

週初めに6時間程度座ってPCと格闘して1通目を送信したのち、軽くお腹の張りが出てしまいお休みさせて頂いておりました。

皆様にはご迷惑をお掛けして申し訳御座いません。

 

本日も頑張りますので確認のほど宜しくお願い致します。

 

それではこれにて。

 

虹色教室 事務K


自分の気持ちを簡単に捨てられてしまう 1

2017-07-15 21:49:09 | 日々思うこと 雑感

 親しくしている知人のAさんからこんな話をうかがいました。

子どものスポーツの付き添いをしていた時のこと、周囲の母親たちが、

誰も子どもの話を真剣に聞いていないことに気づいたそうです。

Aさんがひとりひとりの話に耳を傾けていると、

わざわざ振り返ってAさんに話しかけてくる子たちもいて、

自分の話をしっかり受け止めてくれる人を熱望しているのが、

ひしひしと伝わってきたそうです。



Aさんは、子どもたちは多くのことを感じているのだけど、

その気持ちを簡単に捨てられているんだろうなと、と感じたそうです。

大切だと感じていることを大事に扱われることがないから、

どんどんそういう気持ちがないものになっていっているんだろうなと、

思ったそうです。

 

子どもにたっぷり愛情を注いでいる人でも、

子どもに何をしてあげようかと考えることに忙しくて、

子ども感じているもろもろの思いをあってないものとして、

聞く価値などないものとして、扱っている親御さんは

よく見かけます。

外から見て、子どもの気持ちに寄り沿うお母さんという態度で、

相槌を打ちながらにこやかに子どもの話を聞いている方でも、

自分がいいと思うものや外から得たいいと思う情報と同じように

子どもの言葉を扱うなんて、思いもつかないという方もいます。

 

途中ですが、次回に続きます。