「自分の気持ちを簡単に捨てられてしまう」の続きは、時間がある時に書かせていただきますね。
ユング派の「元型的心理学」の創始者といえるジェイムズ・ヒルマンは、『魂のコード』の中で、こう主張しています。
人生を逆向きに読むと、幼い頃に熱中していたことが、
いかに大きく現在の行動を先取りしていたかがわかる。
「成長」などは、もともとその人が生まれもってそなわっている特定の
イメージに比べれば、重要な人生上のカギではないということがわかる。
いろいろな能力が発達したり、衰えていったりする中で、
ひとりの人の運命の内なるメッセージはとぎれることなく存在している。
わたしというかけがえのない人間が生きるための理由があるという感覚。
日々のことを超えてやらねばならぬことがあるという感覚。
日々の出来事に意味を与えるものがあるという感覚。
わたしがここにいる理由を世界が与えてくれているという感覚。
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ヒルマンは、ひとりひとりの子どもには、生まれ持ったユニークさや宿命があると
断言しています。通常異常と診断される兆候すら、ある意味で
このユニークさや宿命に由来する才能、賜物の一部ととらえています。
つまり子どもたちはあらゆる種類の材料をあたえられた才能豊かな子どもで、
子どもに与えられているものはそれぞれの現れ方をするということです。
教室に来る大勢の子らと接していると、ジェームズ。ヒルマンのいう
その人が生まれもってそなわっている特定のイメージ
らしきものを感じることが多々あります。
それは子どもの苦手や欠点と表裏一体となって
あることが多々あります。
たとえば、教室ではよくこんなことがあります。
競争心が皆無で、大人の期待や環境が設定している課題に
関心が薄い子というのは、がんばりが足りないように見えたり
得意なことが少ないように見えがちです。
でも、その一方で、歴史や科学の世界にあるロマンと呼ぶようなものに
強く惹きつけられる子が多いです。
評価されたり褒められたりしなくても、自分の内側からの欲求で
アカデミックな世界をもめることがよくあるのです。
下の写真は、小学4年生のAちゃんが作ったヒエログラフが描かれた
岩壁です。
Aちゃんは成績表には頓着しないマイペースな女の子です。
ひとりひとりの子の個性を大切にしているAちゃんのお母さんも、
頭脳明晰でがんばり屋の妹ちゃんに比べて、
他の子たちと和気あいあいと過ごせていれば万事OKという感じのAちゃんに対して、
何が得意なのか、特異をどう伸ばしてあげればいいのか、
と戸惑っておられることがありました。
以前、 AちゃんやAちゃんのレッスンのグループの子たちと教室で国立民族学博物館に出かけた時にこんなことがありました。
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帰りに前回の記事のAちゃんの家族と電車でごいっしょしました。
その時、Aちゃんの3年生のお姉ちゃんのCちゃんに
この本を預けていたところ、
最初は興味本位に何ページか読んでいたのですが、
しだいに本の内容に没頭しだして、
最寄りの駅に着いたので返してもらうという段になって、
「次に、教室に行ったとき、その本の続きを読んでもいい?」と真剣な表情で
頼まれました。
どのページもプリミティブアートの解説が載っていて、
「子どもが読んで面白いのかな……?」と思うような内容だったのですが、
さっそくひとりはこの本のファンができてうれしい限り。
上の写真に添えられた言葉を書いておきますね。
大きな目
見た目を 信じちゃいけないよ。
実はぼくの身長は 10センチと少し。
でもうれしいな。いつも 小さな ぼくなのに
今だけでも こんなに 大きくしてもらえるなんて。
ぼくの目 大きくて 青いでしょ。 これはパウア貝。
オセアニアの海岸で とれる めずらしい 貝なんだよ。
指が 3本ずつしかないとか。
よく見ると 足には 水かきが ついているとか いわれる。
それから 舌から 足首まで 細かい もようが 彫ってあるでしょ。
ぼくたち マオリ族は こうやって 体に 入れ墨するんだよ。
ニュージーランドの 人たちは ぼくを ヘイティキと 呼んでいて
おまもりとして 首に かけるんだ。
ぼくについては いろんな 説がある。
どこかの星から やってきた 最初の 人間の姿だとか
まだ お母さんの おなかのなかにいる 赤ちゃんだとか
生まれたばかりの 赤ちゃんだとか
妊婦さんの まもり神だと 思っている 人もいる。
水かきのある 足を 見て
海の 生き物と 関係があるって 思っている 人もいる……。
そんなわけ みんなぼくを 大事にしてくれる。
そりゃそうだ。幸運の おまもりなんだからね。
(プリミティブ・アートってなぁに? 文マリー・セリエ 監訳 結城昌子 西村書店 より 引用)
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Aちゃんは、プリミティブアートの素朴な作品が生まれる背景に
歴史や民族の思いや願いなどより大きく深いものが含まれていることに
感動したのだと思います。
そうした感性は、成績として他の子と比べられるものとは別の
独自の個性輝きです。
Aちゃんがこの本に引き付けられたのは、言葉にならない感動を、
言葉にしようと摸索している試みに対して、
畏敬の念も抱いたからではないか、と感じました。
Aちゃんはそのような心の世界を持っている子です。
教室では、一見、地味で面白みのない本に熱中する様子を見るといった
そんなちょっとした瞬間に、
その子という個性に対する関心が生まれるし、
自分とその間に見えない絆ができる感じがします。
その子といっしょに、これからどんなことをしていったら情報が
見えやすくなってきます。
また、こんなこと好きだろうな、というわたしの思いを、
その子のより深く入っていく興味が越えていくことに感動しもします。
下の写真は、小学2年生のBちゃんの薩摩藩の藍色切子脚付蓋物です。
下の写真は3年生のCちゃんの福井の東尋坊です。