虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

事務Kよりご連絡

2017-04-30 00:31:50 | 連絡事項

 

 

こんばんは☆

虹色教室事務担当の【事務K】です。

 

早速ですが、お呼出のご連絡です。

先日アップ致しました『ブロック講座参加者さまお知らせ』ですが、ご連絡頂きました方には詳細までご連絡が完了しております。

 

現在、お手元に届いていない方、ご連絡(コメント欄にH.Nとご本名とお電話番号の記入)がまだの方はこちらの記事でも結構です。

 

ご連絡下さいますようお願い申し上げます。

 

※下記内容は、新規募集では御座いません。

現在、定期的にお越し頂いている方に向けて書かせて頂いておりますので、ご注意ください。新規募集は受付ることが出来ない状態となっております。誠に申し訳御座いません。

 

 

ご協力頂ける方だけで結構なのですが、今年度(平成29年度)の通常レッスン生全ての名簿を新規で作成させて頂こうかと考えております。

 

 

これは全て先生にお渡しする紙媒体での名簿に反映したいと考えております。

と言いますのも、私事では御座いますが、今年の初めに入籍を済ませてから、すぐ親族が立て続けに亡くなったりで、それに伴う諸々の手続きなどがあり色んな所をうろうろして一日が終わっているような状態です。恐らく年内いっぱいはそんな感じになるだろうなと…。

 

 

そのため、どうしてもメールのチェックやお返事に多大なタイムラグが生じております。急ぎでのご連絡に対応することが難しく、ご迷惑をお掛けすることが多く大変申し訳御座いません。

 

 

そこで、先生からも直接ご連絡がとれるようにしたいと考えました。

(先生からはお電話が主です)

 

 

これまでにイベントの際にご連絡先についてお教え頂いている方も多数いらっしゃるのですが、去年の夏にPCの買い替え時に5年分の受信メールが消えてしまいました。(夏以降のイベントについてのメールは残っています)

 

 

そのため、通常レッスンに現在お越しになられている方がどれほどいらっしゃるのか、またその連絡先について私の方で把握が出来ていない状況が続いております。

過去の資料(イベント名簿)を探してご連絡しておりますが、これを機に最新の内容への更新も兼ねさせて頂きたいと思っております。

 

 

ですので、このような形で失礼致しますが、皆様にご協力をお願いすることに致しました。事務Kのアドレスをご存知の方はそちらに直接お知らせ頂ければ有難いです。または、コメント欄でも問題御座いません。

 

 

お願いしたい事項は最低限に絞りまして下記となります。

 

 

【H.N(ハンドルネーム)】

【保護者氏名(漢字)】

【保護者氏名(ヨミ)】

【ご連絡先(携帯orご自宅)】

※可能であれば、両方お願い致します。

 

【お子様氏名(漢字)】

【お子様氏名(ヨミ)】

【お子様の29年度の学年】

※お越し頂いているお子様全員分をお願い致します。

 

こちらの都合でのお願いとなり、お手数をお掛けするものですので、ご協力頂ける方だけで問題御座いません。

義務では御座いませんので、ご安心ください。

 

 

ただ、夏頃に事務Kから上記内容についてのお願いメールをお送りすることがあるかと思いますので、その際にはご協力頂けましたら幸いです。

 

 

本当に私の都合で申し訳ないのですが、これ以上、皆様をお待たせしたり情報が行き違いになってご迷惑をお掛けするのは失礼ですので、今回はこのような対応にて解決の方向へ進めて参りたいと思います。

 

 

個人情報については、ご連絡以外に使用することは御座いません。

可能な限りパスワードを難解にしたりと私が出来る範囲では御座いますが、おこなっております。

 

 

以上を踏まえて、ご協力して頂ける方がおられましたら宜しくお願い申し上げます。お手数をお掛けするので心苦しい限りなのですが…。

 

宜しくお願い申し上げます。

 

 

事務K


宇宙ブーム,到来

2017-04-29 18:24:50 | 通常レッスン

教室は、今、宇宙ブーム。

小学2年生のAくんと小学4年生のBくんCくんで、教室に宇宙の世界を作りました。

 2年生のAくんの大作。太陽です。

「サッカーボールくらいの太陽を作りたい」と言うものの、そんな大きなサイズの球の土台になるものが

見つからず、困っていたところ、形の学習にと100円ショップで買っていたサーカーボールの形になる

寄せ書き用のアイテムを見つけました。黒いところはいらないとのこと。

凝り性のAくんは、それを赤いビニールテープでぐるぐる巻きにし、その上から両面テープを貼って、

フェルトの炎を貼り付けました。

 

 ブロックや工作がとっても得意なBくんの作品。

慣れた手つきでスペースシャトルを作っていきます。

Cくんは地球の柄を塗るのに一生懸命でした。

「ブラックホールも作りたい」と大奮闘。

何だか、いい感じです。

 

天体望遠鏡風に。

 

テクノ界隈で話題沸騰!『小学一年生』付録「ドラえもん こえピアノ」が超進化

と聞いて、さっそく購入した小学1年生。どらえもんははずしています。

「われわれはうちゅうじんだ!」と吹き込んで、どんどん声のトーンを上げていくと、

本当に宇宙と交信しているみたいでした。

 

算数の時間に面積をしっかり学びました。まず、ブロックスを使って、四角い作りゲーム。


自分に自信がない、自己肯定感が低い子  続きです

2017-04-29 13:18:12 | 日々思うこと 雑感

常識的な配慮だと思いながらも、Aくんとお母さんのやり取りが心に引っかかったのは、

お母さんはどこまでも大人の目線でAくんの体験を眺めていたところなのかもしれません。

少しの間でもAくんの目線まで降りてみたら、やりたいことがあれもこれもあって、

やってみたらうまくできた喜びに満たされて、

もっとすごいことができそうだと予感して

いいものも見つけたし、やってみたいアイデアもあるし

ちょっとアクセルを踏み過ぎちゃったほど心が自信で膨らんでいたのだということに気づいたかもしれません。

ですからら、たとえ、今回、「それは教室の大事なものだから持って帰れないよ」と伝える状況だったところで、

まず、「いいもの見つけたね~」「それで作るもの思いついたの?どんなもの?」と興味を抱いてたずねたり、

自信がついてあれこれやってみたくなっている心を励ますような

代替え案を用意したりできたはずなのです。

 

先の記事で、Aくんは、

「誘う→

いやいや参加する→

すぐに飽きて別のことを始める→

しばらくすると戻ってきて、最初の活動(特に工作)がやりたいという→

自分なりのアイデアや「こういう風に作りたい」「これが作りたい」という→

そうして自分発でやりたがったことは最後まで熱心にやり抜く→

「もうひとつ作りたい」「これもやってみたい」と次にやりたいことに思いが膨らむ」

という参加の仕方をしていたという話を書きました。

 

こうした姿を大人の目線だけで捉えていると、

大人側が意図している活動への誘いにスムーズに乗るかどうか、

それに一定時間、取り組めるかどうか、のみに注意が向きがちです。

カリキュラムがかっちり決まっている園でも、

集団で同じ課題に取り組ませる時の反応だけ見て、子どもの意欲や集中力のあるなしを

判断してしまうのかも……と感じています。

前回の記事にこんなコメントをいただきました。(もとのコメントは非公開にしているものですが、子どもの名前の部分以外は公開することを許していただいているので紹介します)

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以前保育園の保護者の方の様子を見て、子供の要求と保護者の希望を混同している

保護者が多かったこと、さらには大人の希望のみで子供の要求に

気付いていない保護者が増えてきたと感じているとコメントでも書いたことがありましたが、

どうしてそんなことを感じたかと言うと、自分の軌跡だと気付いたからだと思うのです。
同様に、この一連の“自分に自信がない、自己肯定感が低い子”の記事を見て、

このAくんもお母さんも両方とも私であると感じました。

最近も、自分と他人との境界について考えることがありますが、

私は子供の頃、他人の気持ちに敏感であるために、自分の

考えがわからなくなっていたのかなと考えています。そのまま成長し

、合理的な考えでしか判断できない大人になっていたのだと考えています。

大人になるにつれて他者の気持ちを優先しなくても良いようになったから

楽になったようでいて、自分のこともわからないままだったため、

なにか軸のようなものを見失ったまま、生きている実感がないような感じでした。
自分の子供がうまれたとき、久しぶりに他者の気持ちと通じる必要が出てきたけど、

すっかりその他者と通じる感覚を忘れていました。

もちろん自分というものも見失ったままだったので、子供がもっと小さい頃は、

合理的な考えや浅い部分で感じる自分の欲求と子供との関係をバランス

ゲームのように築こうとしていたのかなと考えています。子供がそれで問題なく育てば良いけど、

うちの子供たちは、敏感さをもつ、他者との境界があまりはっきりしない子供たちだったから、

押し付けがましい周囲の考えはどんどん子供たちの内面に流れていくけれど、

子供自身は自分の欲求と折り合いをつけないといけなかったから

だったからしんどかったでしょうね。それで色々問題が起きたのかなと

考えています。そこではじめて、子供がなにを考えているか、問題がどうしておこるのか、子

供のことを知りたいなと考えるようになりました。

ひたすら育児書などをみたけど私の知りたい答えは見つかりませんでした。
結局子供を知る、感じることができるようになってきたきっかけは、

自分をみつめたことでした。自分の感情に相反するものが存在すること(両義性)と、

子供の頃の自分にあったもの(先生の娘さんたちが起こした会社の面接など)

を見つけたことでした。子供との関係で、自分のなかに絶対的な善悪や基準など

の境界がなくても良くて、色々な状況に応じてフレキシブルに動きうる、ファジーさ

を残した境界があれば良いのだと実感したことと、子供のころの自分と

目の前の自分の子供が同じであり、子供という存在の普遍性を感じたことによって、

子供と自分にバランスのよい境界をつくっていこうと考えることができたのだと思います。
子供たちのお陰で、これからも子供の頃に失ったままだった自分を

見つけられるのではないかと思っています。もしかしたら、

子供の頃に見失ったからこそ、見つけられるものがあるのではないかなと予感しています。

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何度か紹介させていただいている『マイコー雑記』というブログで

一次体験を堪能しておくと二次・三次情報に触れても 好奇心の勢いや理解の深さが違う

 という記事を読みました。

この数年、密かに抱えていた悩みを解決する糸口を見いださせて

いただいく内容でした。

悩みというのは、こうしたことです。

わたし自身は教室で子どもたちと驚いたり感動したり

わくわくする気持ちを探究したり真剣に考えをめぐらせたりして、この記事にある一次体験というものを

どっぷり堪能した後で、そこから生まれた気づきや知恵やアイデアを言葉にして伝えています。

でも、そうして一次体験の先にあるものを目にすることで、受け取る親御さんのなかには、

マイコーさんの記事にあるように、体験を子どもが味わう間もなく、「これを機会に学ぼうモード」に

なってしまう方がいらっしゃるのです。

それはまだいい方で、ちまたでは、一次体験をすっとばして、二次・三次情報だけで

子どもの環境を作ってしまおうとする動きもあります。

ブログを読みやすくする意味で、「○○する方法」というタイトルで記事を書くことも

あるのですが、本当は、子どもが生きていることを実感できるような一次体験が土台にあって、

その体験をより豊かな実りあるものにするための工夫を言葉にするつもりが、

読み手に伝わる時には、本末転倒して、「○○を習得させるという目的のために、子どもに

こういう体験をさせる」という形に変形してしまうことも多々あるのです。

 

前回までの記事で、大人の目線で子どもの体験を眺めることについて書いてきましたが、

それは言い換えると、「子どもが一次体験を堪能する」ことの軽視とも言えます。

また、コメント主さんのおっしゃる

「子供の要求と保護者の希望が混同されること」や「大人の希望のみで子供の要求に

気付いていないこと」とも言えるのかもしれません。

 

親のみならず子どもに関わる専門職の方や、

子ども思いの気持ちの優しい親であっても、自分がしらずしらずそのようにふるまっていることに

気づかないほど、そうした関わり方が多数派になりつつあるのを感じています。


自分に自信がない、自己肯定感が低い子 

2017-04-28 20:13:18 | 日々思うこと 雑感

過去記事です。お母さんとお父さん、おじいちゃんおばあちゃん、みんなで

Aくんへの対応を変えることで、今では、園でも褒められることが増え、虹色教室でも

自信満々に意欲的にふるまうことが増えてきました。

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「園のお友だちがみなしっかりしているせいか、何をするのも自信がない様子です」という

相談をいただいていた年中のAくん。

集団での活動にうまく参加できないことが多々あるようで

園の先生から指摘を受けているという話でした。

虹色教室に着いてしばらくの間、Aくんはゲームや工作に誘うと

尻込みして「うーん」「できない」とつぶやいて

もじもじしていました。興味を持ってやりはじめても、少しでも手間取ると、

お母さんや周囲の評価をうかがうような

視線を投げて、スーッとその場を離れていました。

仲のいい友だちがみんなひらがなが書けるので、

「Aくんひらがな書けないの?」「Aくんできないの?」と

たずねるそうで、ひらがなを見るだけで顔をひきつらせて、強い拒否反応を示していました。

 

最初のうち、活動に誘いかけても乗り気ではなく、ちょっと参加すると興味を失って

うろうろしていたAくん。でも、いっしょに時間を過ごすうちに、

それまで見聞きしていたAくんの姿とは別の一面が見えてきました。

 

誘う→

 

いやいや参加する→

 

すぐに飽きて別のことを始める→

 

しばらくすると戻ってきて、最初の活動(特に工作)がやりたいという→

 

自分なりのアイデアや「こういう風に作りたい」「これが作りたい」という→

 

そうして自分発でやりたがったことは最後まで熱心にやり抜く→

 

「もうひとつ作りたい」「これもやってみたい」と次にやりたいことに思いが膨らむ

 

レッスンの間に、Aくんは知的な課題にも熱心に取り組みたがるようになっていました。

 

帰り際、こんなことがありました。

次第に積極的になって、「あれが作りたい」「あれもこれもしたい」と言っていたAくんが

教室にあった筒を見つけて、「これで作りたい」と言いました。

「教室は終わりの時間だけど、その材料は持って帰っていいよ。袋に入れてあげるから

自分で持ってね」と言うと、Aくんは筒を手にはめてみて、

ああしようかな、こうしようかな……と自分の思いつきを興奮した口調で話しながら、

「ふたつ持って帰ってもいい?」

とたずねました。

Aくんに「持って帰っていいよ」と答えたのですが、Aくんのお母さんは恐縮した様子で、

「ふたつはやめておきなさい。ひとつだけ」とAくんを説得していました。

「いいですよ。作りたいものがあるようだし。帰りに荷物にならなかったら、どうぞ持って帰ってください」と言いました。

「ひとつにしなさい」とお母さんに何度諭されても、

Aくんは、「ふたつとも持って帰って、こういう風にして作りたい」と熱心に言い続けていました。

普段、やりたいのかやりたくないのかはっきりしない

遠回りな意思表示が多いAくんにすると、本気さが見える瞬間でした。

 

が、終いに、教室に着いた時見せていた、優柔不断で自分に自信がないような

態度に戻って、もごもごと口のなかでつぶやくように「じゃぁ、ひとつでいい」といいました。

いかにも不満そうです。

でも、自分の言い分を通すほどの熱意もなさそうです。

すると、それを見たお母さんが、「じゃあ、持って帰るのやめておいたら?」と、

提案しました。

お母さんとしたら、グズグズ聞き分けがなかったAくんが

ひとつ納得しかかったところで、ここは、大人の言うことをちゃんと聞いてくれそうな

チャンスだと感じたのかもしれません。

Aくんのお母さんは優しい子ども好きの方です。

「周囲のお友だちがしっかりしていて……」と相談しておられたものの、

Aくんの個性をおおらかに見守っておられます。

 

レッスンの帰り際に、「ふたつ筒が持って帰りたい」というAくんに対して

「ひとつにしておきなさい」と諭すことは、ごく普通の常識的な配慮でした。

他の子らは持って帰っていなかったし、教室で使う備品だということは一目瞭然でしたから。

 今回は、わたしが「持って帰っていいですよ」と言ったからいいものの、

持って帰ったらダメな場面も多いでしょうし、ふたつもひとりで取ったら

他の子が困るということもあるでしょう。

 

だとしても、帰り際のお母さんとAくんのやり取りには

ちょっと気になる点もありました。

 

Aくんは人の気持ちを察知する繊細な性質の子です。

意気揚々と「ふたつ持って帰りたい」と言っていたAくんが、

優柔不断なぼそぼそしゃべる態度に変化していったプロセスでは、

大人の強い口調も厳しい表情も必要ありませんでした。

 

ただ何となく大人は自分の主張を面白く思っていないらしい……

自分の言い分は間違っているし、価値がないようだ……という雰囲気が

Aくんの気持ちに浸透していくなかで、Aくんは、「ふたつ持って帰りたい」という主張を

「ひとつでいい」に変えました。

 

子どもにすると、そうして自分の気持ちに決着をつけるのは大変なことです。

それにも関わらず、その瞬間にお母さんが、(Aくんに対して怒っているわけでもないのに)

「それなら持って帰るのをやめておいたら?」と提案したのを聞いて、

こうしたやりとりの流れが、いつもあたり前のように

Aくんと周囲の大人との間でで展開しているのではないかと感じました。

 


古代魚と宇宙が好き♪

2017-04-26 15:15:34 | 通常レッスン

4歳9か月のAちゃんのレッスンの様子です。

古代魚と宇宙が好きなAちゃん。科学館のお土産として、教室用に「宇宙食」をいただいたので、

それをきっかけに、いっしょに宇宙探検にまつわる工作をすることにしました。

使えそうな材料をいくつか出して来たら、

Aちゃんが下の写真のように100円ショップのバネ風のおもちゃで

宇宙飛行士の人形を囲って遊んでいたのが面白かったので、

そのまま箱に貼らせてあげることにしました。

Aちゃんは今、しゅりけんを作るのがブームで、宇宙の乗り物に貼ったらどうかと

出してきたホイル折り紙でどんどんしゅりけんを折って、2枚ひっつけていました。

しゅりけんは宇宙飛行士にも引っ付けられていましたが、何かいい感じです。

光の通路は、100円ショップの光ファイバーをっペットボトルに通して作っています。

 

 宇宙船には、大きな子たち用のプラモの廃材がぴったりあっていました。

 

 


詰将棋に似た先を読む力を育てる手作りゲーム 『ニュートリーコ』

2017-04-25 16:11:36 | 算数

 

簡単に作ることができる、詰将棋に似た数学的な『ニュートリーコ』という

ボードゲームの作り方を紹介します。

 

写真のように5×5のマスと

色の異なるコマを3つずつ作るとできあがり。

 

<ルール>

最初に↑の写真のようにコマをセットします。

赤チーム、緑チームで、自分の色のコマを

タテ・ヨコ・斜めに真っすぐ、3つ並べた方が勝ちです。

★ コマの動かし方に特徴があります。

順番に自分の色のコマをタテかヨコかナナメに動かします。

その時、相手のコマの手前かボードの壁まで止まることができません。

どこまでも滑っていくようにコマを動かします。

 

自分の好きな場所で止まることができないため、

3つ並べるには、何手順も先のコマの動きを読んでいかなくてはなりません。

 

幼児や小学校低学年の子が将棋をすると、コマの動かし方を覚えることに

気を取られて、先を読むことまでできないものです。

このゲームは、シンプルな作りのため、幼い子たちも

自然に先を予測しながら遊ぶようになっていきます。

 

ネットで、『ニュートリーコ』で検索すると

オンラインゲームを楽しむこともできますよ。

 

クリスマスとお正月用に手作りゲームを作った1年生の子たち。

算数の学習もきちんとできていました。


物作りで世界の国々の文かを味わう

2017-04-24 08:15:04 | 工作 ワークショップ

 

国立民族学博物館への遠足後の教室の様子です。

小学3年生のAちゃんが、民博で見たさとうきびを絞る機械を教室で作りたい、と

設計図をかいてきてくれました。えんぴつで描いていた図が写真によく見えなくて残念。

ストローでさとうきびを作りました。

緑のストローの蛇腹部分を半分に切って、ストロー同士を接続していきます。

以前、六角柱のおみくじを作った経験から、立体を作るのが上手になってきました。

今回は、円柱を作って、さとうきびを絞るためのローラーを作っています。

 

ヨーロッパのイコンに感動していた小2のBちゃん。

今回、教室では、「何もしたくない~」とぐたぐたしていたのですが、イコン作りを提案すると大乗り気でした。

Bちゃんがエランだネットの画像を参考にして、段ボールとクリアファイル、折り紙などで

作っていきました。

渾身の作。家に帰ってから、金色の部分をもっと飾り付けるそうです。

Bちゃんの作品をカメラ内の画像で見た他のグループの女の子もイコンを作っていました。

 


昔も今も変わらない子どもたちの姿

2017-04-21 17:20:40 | 日々思うこと 雑感

4月の初めに国立民族学博物館に行った時のこと、館内の言語コーナーに設置してある

点字器が子どもたちにとても人気でした。

点字器というのは、点字を打つ道具のことです。

点字器の扱いはなかなかややこしくて、まるで暗号表のような

点字のひらがな表から書きたい文字の点の組み合わせを探してから、それを左右反転

(突起面を読むので、紙を裏返すのです)させなくてはならないのです。

この度なややこしさや難易度地味なんだけど目新しい作業が、

子どもたちの心をくすぐるようです。民博に行く度に

はまる子がいますから。

上の写真は、点字器に並ぶ教室の子どもたち。

列に並んで点字で名前やあいさつを打って、

順番を変わると、再び、列の最後尾に並ぶという

エンドレスモードで盛り上がっていたので、

「そろそろ先に進むよ。そんなに人気があるなら、教室用に

点字器を購入することにするから」と声をかけるものの、

なかなか動こうとしない子どもたち。

一部の女の子たちは、展示場をすべて回った後で、言語コーナーまで戻るだけでかなりの距離があるのに、

この点字器の前に舞い戻っていました。

 

下は虹色教室内の写真。

点字器購入しました。

安物の点字器なので、使い心地はイマイチなのですが、とにかく子どもたちは夢中です。

 

民博で開かれていたビーズ展に子どもたちが惹かれていたので、ビーズで遊べる道具も教室にそろえました。

 

 

再び、民博の写真です。

地下の休憩スペースで、本を読むBちゃん。

今、虹色教室の小学生の女の子の間で、「お勧め本を持ってきて、他の子らに見せる」

というのが、流行っています。お出かけ中も、昼食前後のちょっとした時間が、読書や本の紹介

タイムになっています。

この読書ブームの火つけ役は、教室の小学生出版社の社長のAちゃんです。Aちゃん、ありがとうね。

名前占いの本を持ってきたCちゃん。ひらがなの画数で占ってくれます。

「画数」というものを初めて意識する子がほとんどだったのですが、

Cちゃんに占ってもらったおかげで、画数とのいい出会いができました。

 

 「きれい!」と自分の好みを伝えるBちゃん。

他の子らと異なる独特の好みであるほど、誰かに知ってもらったり、自分自身で確認したり

する必要があるようです。

 

こうした子どもたちの姿を見て、昔も今も子どもたちは変わらないな~と感じました。

大人は工場で大量生産したり、チューブで栄養を送りこんだりするように、

子どもに知識を詰め込んで、同じペースで同じものを試させたがります。

また、他に何人も成功したという方法で、ひとりだけ猛ダッシュさせるのも

大人が考える手法です。

 

でも、子どもの学び方は、昔も今も、

自分の内面にモチベーションを発火させて、周囲の子らと共有していくスタイル

一番のようです。

まずは、自分の心にヒットしたことから、

学び方の基本の姿勢を身に着けて、その先に習って学ぶとか、

みんなと同じ課題をこなしていくとかがあるのです。


小学生のつまづきと教え方

2017-04-20 20:15:29 | 算数が得意?苦手?の分かれ目

診断はくだっていないグレーゾーンの子も含めて
発達障害や知的障害がある子と、
障害のない子では、
つまずく原因もできるようになるための手立ても異なるケースが多いです。


ですから、子どもが「わからない」と言っているからと、どの子にも同じ方法で教えたのではうまくいかないように思います。

発達障害などがない子たちに教える場合、
いきなり解き方を教えるよりも、
まず学習に対する主体的な態度やメタ認知力をつけていくことが大事だと
考えています。

文章題が苦手な子にも、やる気がない子にも、学習の力の入れどころがずれている子にも、
他の子と計算時間などを比べて、「計算をもっと練習したらできるようになるよ」といったアドバイスをするのは、あまり良い教え方とは思えません。

そうした子たちには、
大人が、
「遠回りで本質からずれた方法でも、まず練習さえすれば、やってるうちに成績に結びつくから、それで欲が出て、勉強をするようになるはず……」という
子どもだましな方法で指導をしても、
心の底では、「そんなのおかしい」と感じて反発するので、大人の思惑通りいかないものなのです。
また、本当に計算さえすれば成績が伸びる子だったとしても、その必要性を本人が自覚しない限り、
やらされている作業をただこなすだけでは、成績に結び付けていくことは難しいのです。

現実に大阪市では、○○式なる大量に計算訓練をさせる教室をいたるところで見かけるし、小学生と話をすると、その教室に通っていない子の方がめずらしいほどなのですが、
大量に高速で計算させる学習をする子が増えたから、大阪市の子どもたちの学力が向上しているという話は、
聞いたことがないのです。

主体的な態度やメタ認知力をつけていくとは、
つまり、
子どもに、どこがどのようにわからないのか具体的にくわしく説明させたり、
自分にはどんな学習が足りないと思うか、どんなことをすればできるようになりそうか、分析させたりするのです。

自分のしている学習を、少し高い位置から客観的に眺めさせて、
自分でやることを決めさせるのです。

もちろん子どもにとって最初はどうすればいいかわからないでしょうから、
ヒントをたくさん与えます。
そうしながら、大人もいっしょに、
わからない原因と、これから必要な学習を分析していくと、
大人の側もどんなことをどこまで支援すればよいのかわかってきます。

虹色教室ではこんなことがありました。
小学4年生の☆さんは、頭は良いのですが、さみしがりやで飽きっぽい性格です。宿題を始めるやいなや、
「わからない、できない」と言うと、お母さんが飛んできて、手を変え品を変えして説明したり、「どうしたらいいんでしょう?」っと心配したり、「なら、先生に聞いてみようか?ならこうしたら?」と提案してくれるのにすっかり味をしめて、
『自分で考えてみる』ということは、思いもよらない様子です。

教室でも、すぐさま「わからない、できない」と言うと
よそ見を始める☆さんに、
私は、お友だちや年下の子たちに、解き方を教える役をさせたり、
友だちと協力しあって考える機会を与えたりしています。

☆さんには、読書家で、いつも図書室で借りた本を見せてくれるという一面があります。それで、
「本がたくさん読めるということは理解力がある証拠よ。めんどくさいという心を乗り越えて、がんばってみて。自分で考えるの」と説得していました。
すると、私の前では、「できない、わからない」と騒ぐのはやめて、
課題にきちんと取り組めるようになってきました。

この☆さんのように子どもが「わからない」というとき、
その子の力量を見極める大人の眼力が大切だと感じています。
ていねいな説明が必要な子と、
自力で少し考えさせる必要がある子がいるのです。
考えさせるというのは、問題の解き方だけではなく、「自分はなぜ解けないのか」という理由もです。
「そうだ、学校で先生の話を聞いていなかったからわからないんだ」と気づくかもしれません。
そんな場合は、先生の話など聞かなくても、いつでも「わからない」と言えばだれか助けてくれるよと身体に覚えさせるよりも、
「今度から、ちゃんと授業を受けよう」と本人が自覚した方がいい場合があります。

最近では、子どもが「わからない」と言おうものなら、
どう教えたらよいか、誰に教えてもらうよう手配しようかと考えることに忙しくて、
「まず、自分で考えてみた?」とたずねるのを忘れている場合がよくあるのです。
子どもの側も、まだオムツをしている年齢から、
ご機嫌を取りながら手取り足取り教えてくれる習い事や、
何も考えなくてもスローステップで出題されるプリント問題に慣れすぎて、
たった1分かそこらでも、自分の頭を使ってみる体験をしたことがない子もけっこういるのです。
考える前に、「自分で問題を読んでみた?」と問わなくてはならないケースもあります。

小学生が学習につまずくとき、
何らかのハンディーキャップが原因で
できていない場合があります。
「努力しないから」とか「先生の説明を聞いていないから」などと
安易に決めつけず、ていねいに原因を探る必要があります。

写真はアスペルガー症候群の女の子に勉強を教えていたとき使っていた紙です。
この子は、障害特性のせいで、『興味の範囲がとても狭い』です。
動物が大好きで、寝ても覚めても動物の話をしています。
私が「お家では、お姉ちゃんとどんなことをして遊ぶの?」とたずねても、
「この問題の解き方はわかる?」とたずねても、
「今日は、カーコちゃん(うちの鳥です)は何をしているの?」
「どうしてカーコちゃんは、飛んでいってしまうの?」と自分の好きな動物の話題にすりかえてしまいます。

何とか計算はできるようになっているものの
算数の概念の多くは、難しすぎて理解できない様子です。
いくら説明しても、首をかしげたままなので、親御さんが困っておられました。

こうした興味の範囲が狭い子には、その子の興味のある事柄で
算数の概念を説明するようにすると、
急に理解が進む場合があります。
この女の子も、「子どもが100人いました……」という話だと、
そわそわしたり、「うーん」と首をかしげて「わからない」と言うだけだったのですが、
子どもをフラミンゴに変えて、「フラミンゴが100羽いてね。そんなにいっぱいいたらどうする? 困るね~!!
100羽のフラミンゴを同じ数ずつ10の小屋に分けたら、
何羽ずつになるのかな?」という話で説明すると、ずっとわからなかった大きな数を10分割するときの概念に、理解をしめすようになりました。

興味の範囲が狭い自閉症スペクトラムの子どもたちに教えるとき、
電車とか、昆虫とか、動物とか、その子が興味を持っている分野の内容で
説明すると、学習に集中できる場合がよくあります。
また、学習内容を、できるだけシンプルにして、
理解させる部分だけ抽出して教えることも大事です。

1枚の紙に、1つの内容だけ書く。

といったことが、理解に役立ちます。

同じ診断名だから、同じハンディーを抱えているとは限らないので、
まず、苦手な部分を見つけると同時に、
得意なことや長所も見つけておくと、得意や長所を通して難しい概念の理解が教えやすくなるときがあります。

苦手は、字が小さかったり、たくさん字が並んでいたりすると、読むのが困難になる、聞くと見るを同時にできない、注意散漫、筆算が苦手、文章題が苦手、メタ認知力が極端に弱いなど……。
得意には、色に敏感、位置はよく覚える、数字好き、字を読むのが早い、褒められるとがんばるといったものがあります。
 
 
知的障害を持っている子たちに勉強を教えるときには、
大きく分けて3つの視点が必要だと感じています。

ひとつには、障害児専門の家庭教師の方々や特別支援教室の先生方がしてくれるようなハンディーに合わせた
『教えたい内容の一部分だけに特化して、スローステップで教える』
方法です。
それには学習内容をよりシンプルにして、噛み砕いて提示する工夫が必要です。
また『目で見えて、手で操作できる』教具を使って教えることも大切です。
文字を大きくしたり、漢字にふりがなを打ったりして
学習しやすくすることも必要です。

私が会ったことがある知的障害の子に関する印象は、人が好きで温和で素直ということです。
ですから、できないことは恐がってしないけれど、
できることは何度もやりたがり、褒められるといきいきとしてがんばります。
ルールが易しいトランプやボードゲームなどで遊べるようになると、
お友だちといっしょに遊びを共有できていることをとても喜びます。

私が知的ゆっくりさんに学習を教えるとき大切にしているのは、
『できることは何度もやりたがる』という性質を最大限に利用することです。

たいていの親御さんは、できることというのを、
学習課題の狭い範囲の中で捉えているので、
ひとつのことができるようになっても、いつまでもそこで足踏みしていて、
次の課題に進めない知的障害の子の様子にじりじりとしびれを切らしているように見えます。
でも、実際には、何かひとつできるようになって、何度も何度も同じことを繰り返している期間というのは、
親の接し方ひとつで、さまざまなことを訓練し、新しいことを学び取ることができるチャンスでもあるのです。

たとえば、知的ゆっくりさんが、折り紙を長方形に半分に折る作業をはじめたとします。何枚も何枚も、長方形に半分に折る姿を見た親御さんは、
三角に半分に折る方法や、折り紙で猫や犬を折る方法を教えて、進歩や新しい展開を求めることでしょう。
それでも、本人は、長方形を折り出したらそればかり……。
いろいろな見本を見せても、声をかけても、知らんふり。
いつまでたってもあまりに進歩がないので、イライラしてくるかもしれません。
そんなときは、「上手に長方形が折れているね。ちゃんと、角と角を合わせているわね。」と、本人の作業を認めながら図形の名前や、作業にともなう言葉の表現が覚えられるような声かけや会話をするようにします。
また、「どうやって作るのか教えてちょうだい」と作業の手順を説明させる役をさせるのもいいですね。

「たくさん折ったわね。いくつ折れたか数えよう!」と数の学習に誘うこともできます。
また、できた長方形を図形パズルにして遊んだり、
長方形の両脇をセロテープで貼って財布にするという
作ったものを生かした工作に誘うこともできます。

折り紙を例にあげましたが、文字の練習でも計算でも、ひとつ何かできることがあって、それを繰り返している期間は、
さまざまな新しい課題を習得させるチャンスでもあるのです。

 

 


学習していくとき、人が頭の中でする作業には、
次の4種類があげられます。

★わかる……認知する・分類する・意味を理解する
★覚える……保持する・記憶する・想起する

★考える……類推する、推測する、一般化する、抽象化する
★決める……企画する、評価する、判断する、選択する

学習というと、上であげた『わかる』と『覚える』を子どもに繰り返させることというイメージがあります。

認知させ、分類させ、意味を理解させ、その記憶を保持させて、思い出させてテストすることを繰り返すことこそ、学力につながると信じられています。
教材では、
類推する、一般化するといった『考える』作業は、
そのパターンをわからせ、覚えさせて、テストしていくことでマスターさせるようにできている教材は多いです。
またそういう学習の場では、『決める』は大人がしてあげる仕事という前提があります。

「読み書き計算は学習の基礎だから、まず読み書き計算の徹底を!」というスローガンはもっともだし、その大切さはよくわかるのですが、
子どもの能力を急いで上げようとするあまり、
『考える』体験と、『決める』を体験をする場や機会がなくなっているのはどうかなぁ?と感じているのです。

ひと昔前の子であれば、外で子どもだけで群れて遊ぶ時間が長かったので、
自分で選択したり、評価したり、判断したり、企画したりすることは、
しょっちゅうありました。
大人が飛んできて何でも解決してくれるわけではないので、
推測したり類推したりする力を発達させないと危険でしたし、
家のお手伝いは、考え、決める力を使う絶好のチャンスでした。

それが、最近では、学習法がどんどん合理的になり、系統化されているので、
テストの点としては、短期間に急速に進歩するようになっているものの、
そのせいで、子どもが自分で考える体験も、決める体験もできないということが起こりがちなのです。

★考える……類推する、推測する、一般化する、抽象化する
★決める……企画する、評価する、判断する、選択する

は、授業内容や教材の中に取り込もうとすると、複雑になって難しいですが、
遊びやお手伝いやものづくりや会話の中では、
大人の関わり方次第で、
自然に伸ばしていけることでもあります。

私が子どもの頃は、学校の規則がそれほど細かくなかったので、
学校でたびたびトラブルが発生していました。
そのたびに、学級会や終わりの会で、子供同士、活発に意見が交わして、問題を解決しようとしていました。

当時は、『考える』と『決める』が活性化されるような場面がたくさんあったのです。
授業中に交換日記を回している子がいるとか、
シャーリングなどのおもちゃをどこまで学校に持ってきてもいいかとか、
男の子の口が悪いとか、女の子がえらそうだとか、揉め事にしても、けんかや話し合いにしてもつきることはありせんでした。

本当にうだうだと言い合いばかりしていましたが、そうした真剣な言葉や感情のぶつけ合いを通して、
自分の責任を自覚したり、考えを練ったり、判断力をつけたりしていたのです。
「子どものことは、大人が何でも決めて、大人が勝手に解決する」という風潮は、最近のものだと思います。

基礎が大事だからと、『わかる』と『覚える』を訓練していく際の問題は、大人が子どもの能力を伸ばそうとあせるあまり、
視野が狭くなって、

★わかる……認知する、分類する、意味を理解する
★覚える……保持する。記憶する、想起する

の部分で、少しでも先に進ませようと、目に見える成果を求めるあまり、
『考える』と『決める』を体験する場や機会を奪ってしまうことにあるように思っています。
忙しくって、子どもたちに話し合いなどさせていられない……という大人のせかせかした態度をゆるめて、少しリラックスして子どもたちに接しないと、
勉強はたくさんしたけれど、考えたり、決めたりしたことがないという子が増えてくるかもしれません。


話を知的ゆっくりさんへの教え方に戻しますね。

九九を教えると、真似して2の段と3の段が言えるようになったとします。
教えている側が、「はやく4の段を!5の段を!」をあせっても、
知的ゆっくりさんたちは、ゆっくりゆっくりしか覚えていかないでしょうし、
九九を覚えたからといって、九九を使った文章題の理解に移行するのは難しいでしょう。

私は、2の段と3の段が言えるようになったなら、
それをさまざまな場面で活用できるように工夫しています。
写真のように、「2個ずつ人形におやつ(積み木)を配ってね」と言って、
「2いちが2~」と言いながら、配ってもらうこともそうですし、
友だちとの遊びや、お手伝いの場面で、かけ算が役立つようにするのです。
それと同時に、少しずつ次の段をマスターするための練習を進めていきます。

また、10の合成が言えるようになったとすれば、
最初に10個の物を見せてから、いくつか隠して、
「いくつ隠れているでしょう」と推理する遊びをしたり、
その問題を他の人に出題する役をさせたりします。

学ぶときに子どもが、教える役や説明する役、人形劇を演じる役など、
さまざまな役割を体験できるように工夫すると、
学習がなかなか進まず停滞しているように見える時期にも、
企画する、評価する、判断する、選択する、
類推する、推測する、一般化する、抽象化するといった経験を深めていくことができます。
 

女の子の工作 簡単なドレッサーの作り方

2017-04-20 15:11:49 | 工作 ワークショップ

「シルバニア用のドレッサーが作りたい」と年長のAちゃんに相談されました。

紙コップの一部を切り取って、コップの底に貼り付けたら、

それだけでドレッサーみたいに見えました。

銀色の紙を貼って、ストローでデコレーション。

 

いつも読ませていただいている

Follow your bliss

 というブログでこんな話題を目にしました。

小学生のお子さんがいらっしゃる方は必見。

小学生が人間関係を学べる本

 

ユーモアの力で心を開く試み