虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

忍者の知恵を工作で再現

2015-08-31 19:14:26 | 工作 ワークショップ

小3の男の子たちのレッスンで。

「工作がしたい」というものの、なかなか作りたいものが決まらなかった

Aくん、Bくん、Cくん。

この年齢の男の子たちは歴史に興味を持つ子が多いです。

「昔の人の知恵を工作で再現してみたらどうかな?」

と言いながら、『もののはじまり図鑑』や『忍術・手品のひみつ』『忍者の大常識』といった

本をいっしょに眺めるうち、何だかワクワクしてきた様子。

「こんなの作ってみたい」「これ試してみたい」と声があがりました。

一番人気は『水ぐも』で、「本当に水の上を歩けるものが作りたい!」と意欲を

燃やすものの、材料と実演する場の問題から、もう少しこじんまりした作品に

チャレンジすることにしました。

 

『かめ筏(いかだ)』。ちゃんと浮かんだ時は感動しました。

 

 

『折りたたみ式の船』

 

『お城の堀になわばしごをかける方法』。

なわまき機をふたつ用意し、なわの中央になわばしごをつけて

2手のなわまき機を巻いて、なわばしごを城に近づける。

忍者のひとりは、ピンと張ったなわをつたってなわばしごを取り付けに行く。

 


『9歳の壁』でつまずくか つまずかないか を左右する抽象概念の理解力 5

2015-08-30 07:58:28 | 教育論 読者の方からのQ&A

小3の女の子たち中心のユースホステルでのレッスンでの算数の時間。

遊び体験が豊富で工作好きの子どもたちです。

普段とはちょっと異なる目新しい課題を用意したところ、

ほとんどの子が「いつの間に身に付けたのかな?}と驚くほどの数学的な思考力を

発揮していました。

 

『スーパーエリート問題集 小学2年』に、

絵を描きながら難問と解くという問題集が付録としてついていたのですが、

2年生の問題集についていたとはいえ、初めてするなら高学年でも難しいような

内容でした。

「誰か絵を描いて解いてみたい人?」とたずねると、小3の4人がいっせいに

手を挙げました。絵を描いたり物を作ったりするのが好きな子たちなので、

未知の問題とはいえ、絵を描くと聞いただけでワクワクしたようです。

そこで4人で相談しながら描いてもらうことにしました。

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今日は まんかいの さくらの下で、お花見です。ごちそうは 金太郎あめと

銀太郎あめの やわらかステーキです。

金太郎あめは 銀太郎あめの3ばいの 長さです。

みんなで午前中に 金太郎あめと銀太郎あめを ちょうど半分ずつ 食べたところ、

のこりの 長さを合わせると 16㎝でした。

では、金太郎あめは もともと 何㎝ だったのでしょうか。

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金太郎あめはやたら太くて、銀太郎あめはただの棒では……とつっこみたくなるような

絵ではありましたが、「銀より3倍大きい金を半分にして、

銀も半分にしたということは、

半分にしたって、3倍というのは変わらないと思う」とひとりが言うと、

他の子らが、「それは、そうよ。最初が3倍なら、それぞれを半分にしたって、

何倍かっていう違いは変わらないもの」と口ぐちに言う姿に、

3年生ならではの知恵に感心しました。

 

「それなら答えは?」とたずねると、

「16㎝を金の側3つと銀の1つの4つに分けて、4㎝が元の金太郎あめだと、

3倍にしたのが元通りにするから、もうひとつ分あるって

ことだから24㎝ってことでしょう?」と、次々正解を出していました。

そうした子どもたちの姿に、いっしょに参加していた幼い子のお母さんは

とても驚いたようでした。

 

算数の時間に、『だいたい いくつ?数えてみよう・はかってみよう』という絵本を

みんなで楽しみました。

絵本の画面を埋め尽くす大量のハチを見て、「ハチはだいたいなん匹だと思う?」と

たずねると、「横と縦の一列に何匹ずついるか数えて、かけ算で計算したら、

だいたいの数がわかると思う」

「線を入れて切ってみて、その中に何匹いるか数えて、その切ったのが

いくつぶんあるか見たらわかると思う」などのアイデアが出ました。

 

 

これまでしたことがない一風変わった問いを投げかけると、

遊びの質の大切さを実感します。

縦にして並べた飛行機の半分弱のサイズふが10mと示してある写真を見て、

「それならピサの斜塔は~mくらいだ、自由の女神は~mくらいだろう……」活発な

意見が交わされていました。

比で比較してだいたいのサイズを予想したり、

単位を変換して表現したりすることができていました。

何よりこうした頭の体操を心から楽しめているのがいいな、と感じました。

 

高さについてのおしゃべりついでに、「自分の身長がわかる人?」とたずねました。

身長がわかる子もいれば、わからない子もいました。

正しい身長がわかっている子たちのサイズを書きだしてから、

身長がわからない子のサイズを予測することにしました。

 

身長がわからないAちゃんの妹のBちゃん。

106㎝とわかっているもうすぐ3歳のCちゃんと120㎝のAちゃんといっしょに

並んで立ってもらうことに……。

話しあいの結果、「Bちゃんは、106㎝のCちゃんとの身長差の方が、

120㎝のAちゃんとの身長差より大きいこと」が判明しました。

また、Cちゃんとの差もAちゃんとの差も3㎝以上はあるようです。

 

とすると、Bちゃんは何㎝から何㎝の間の身長だと予測できるのでしょうか?

 

図を描いて比べて考えました。

 

『だいたいいくつ?』の本に面積比べもありました。

Dちゃんのこんな考え方に感心しました。

「もとになる1平方センチメートルのクラッカーのだいたい4つ分が大きいクラッカー。

調べたい野球のCDは大きいクラッカーのだいたい5つ分(4つ敷き詰めた後、

半分に割ったものを底部分にふたつ敷くことができる)だから、

4×5で20平方メートルくらいじゃないかな?」

とのこと。確かに小さいサイズのものがいくつ分か考えるよりも、

先に大きいサイズで考えたほうが、すばやく正確に把握することができますね。

 

間違えやすい10000-3や10000-305といった

計算を、ミスしないように解く方法を学びました。

 

子どもたちにページ当てクイズを出しました。

9ページの次の一枚を抜かした後にあるのは何ページか?という問題。

3年生より幼い子たちは、「9の裏が10で、その次が11と12で、

その次だから……」とカウントしながら考える問題。

さすが3年生。「わかった、奇数になるでしょう?奇数が、9、11、13……

と続くことを考えて、11のページを抜かすから、答えは13でしょう?」とのこと。

紙に書いて説明してもらうと、

「9、11、13……と続いている奇数は、2ずつ大きくなるでしょ……」と

説明してくれました。

 

 


働いているお母さんと子どもの小さなボタンのかけちがいについて 

2015-08-29 22:35:23 | 日々思うこと 雑感

この記事を書くきっかけとなった当時5歳の★くんは、今年はもう小学3年生。

今年も参加してくれたユースホステルでは、下の学年の子の髪を洗ってくれたり、

積極的に学習に取り組んだりと、しっかりしたお兄ちゃんぶりを発揮。

参加していた大人からも子どもからも信頼され高い評価を得ていました。

なつかしい記事が出てきたので紹介することにしました。

 

保育所などに子どもを預けて、

働きながら子育てをしているお母さんとお子さんの関係に

小さなボタンのかけちがいが起こって何だかややこしいものになっているのを

見かけることがよくあります。

 

小さなボタンのかけちがいってどういうものでしょう?

 

よく相談をお受けしたり、関係がこじれていくのを目にするのは次のようなケースです。

 

働いているお母さんからすると、

家での子どもの態度やできることにやや不満があるというか……。

 

つまり他の子らより幼く感じたり、意欲が乏しいように見えたり、

呼んでも知らんふりだったり、テレビやゲームの固執したりする様子が気になることが

あるようです。

でも、働いているため、十分構ってあげられない罪悪感があったり、

用事がたくさんあるので現実的に子どもと衝突する暇もエネルギーもなかったり

するため、その「もやもや」を保留にしたまま日々の忙しさに追われがちです。

 

そうするうちにお互い相手の心がよくわからなくなって

親子関係が表面的で何だか寂しいものになっていくことがあるようなのです。

 

働きながら子育てするのは本当に大変です。

 

少し立ち止まって親子関係を豊かなものにする工夫を凝らしたり

お互いの気持ちのずれを修正したりする時間もなかなか取れないかもしれません。

 

そこで生活はそのままでちょっと視点を変えたり、子どもへの対応を変えるだけで、

親子関係が実りあるものになっていくコツを紹介しますね。

 

先ほど次のようなことを書きました。

<働いているお母さんからすると、家での子どもの態度やできることにやや不満が

あるというか……つまり他の子らより幼く感じたり、意欲が乏しいように見えたり、

呼んでも知らんふりだったり、テレビやゲームの固執したりする様子が気になることが

あるようです>

 

もちろん働いていないお母さんだって、子どもの態度やできることに不満はあるし、

子どもの発達やすることが気になるはずです。

それはそうなのですが、仕事を持っていないお母さんのそれと、

仕事を持っているお母さんのそれはちょっと性質がちがうな、というのが

わたしの印象です。

また子どもの態度や姿そのものも、仕事を持っていない方のそれと、

仕事を持っていない方のそれはちょっと質が異なるのです。

 

仕事を持っているお母さんは常に社会と接触していて、たいてい、

時間内に義務を果たしたり、時間内に何らかの成果を残すような

「お仕事モード」に心のチャンネルを合わせて過ごしています。

 

「お仕事モード」のチャンネルは、ものの見方や、感じ方や、価値観や、

考えの展開の仕方もお仕事向きに調整されているはずです。

「お仕事モード」にチャンネルをあわせられることは、責任感を持って社会と

関わっていくために必須の能力です。

 

でも仕事中はもちろん、仕事が終わってたとしても、

「オフモード」に切り替えられないとあれこれ微細な問題が生じてくるようです。

といっても家に帰っても家事や子どもの世話に追われる主婦は

そうやすやすと「オフモード」に切り替えることができませんよね。

 

そこで自分が、ものの見方や、感じ方や、価値観や、考えの展開の仕方などの

何が「お仕事モード」のままになっているのか意識しておくことが大事だなと

感じています。

切り替わってないものは切り替わってないな、と知っておくということです。

 

そうでないと「お仕事モード」の価値観と正反対の世界で生きている「子ども」に

チャンネルを合わせにくくなってくるからです。

  

保育所などの集団生活の場で長い時間を過ごしている子は、帰宅する頃には、

すっかりエネルギーを消耗していて、

テレビでも見ながらダラダラゴロゴロしていたいと思うことが多いようです。

人とずっといっしょにいれば、そりゃ身体も心も疲れるはずです。

おまけに幼い子には、お母さんが近くにいない寂しさに耐える苦行も加わります。

 

ですからお家に帰ったら、長距離走を走りぬいたランナーみたいに、

ひたすら消耗したエネルギーを充電して翌日に備えたいと感じているのかもしれません。

 

でもお母さんと離れている時間が長い子がようやくお母さんに会える短い時間は、

お母さんの側からすると、わが子の姿を目にできる貴重な時間でもあります。

 

その短さゆえに、

「成長をこの目で確かめたい」

「個性や才能を実感できるようなアウトプットを見たい」

という期待は、濃度が濃いものになりがちです。

 

もちろん、そうした期待を投げかけるのも忘れるほど忙しい場合もあるのですが、

それはそれで、

「(親も)忙しいし疲れているから、自分でテキパキ動いてほしい」

「手をわずらわせずに自立してほしい」

という別の形の期待が高まるようです。

 

おまけに仕事の世界では、時間内に目に見える結果を出すことに価値が

置かれていますから、その価値観に染まれば染まるほど、リラックスして

ダラダラしたり、感情を表現したり、無意味な遊びに興じたりすることは

何の価値も見出せなくなりがちなのです。

本当は、疲れたときに身体を休めることはとても意味があることですよね。

 

よその子が「こんなことができるようになった」「あんなこともできるようになった」

という話を聞くと、ちょっとあせりもします。

そうしてちょっと不安になって、「わが子に何かさせたい」「がんばってほしい」

と思って接する短い時間に、

子どもはというと、「疲れたから休みたい。もう何もしたくない」

「いやなことをたくさん我慢してイライラが溜まっているから発散したい。

ただただ泣き叫びたい」という心境であるのは自然なのです。

なぜながら子どもにすると、お母さんと過ごす貴重な時間は、

「もう少しもう少し」と我慢を重ねた後にようやく手にした息継ぎの時間なのですから。

 

お母さんと離れている時間が長い子がようやくお母さんに会える短い時間は、

お母さんの側からすると、わが子の姿を目にできる貴重な時間でもあって

その短さゆえに、子どものしっかりした姿を目にしたいという期待の濃度が高まる、

といったことを書きました。

子どもが家庭で自発的に学ぶ姿を見たいし、

遊ぶにしても創造的で知的な遊びに興じる姿を見たい、と思っても、

子どもにすればそうできない事情があるのです。

 

というのも、ある場所で何かに熱中してエネルギッシュに振舞うには、

学びにしろ遊びにしろ、それまでその場所で、

「うまくいった」「やってみたら楽しかった」「ここでこんなことをすると、

お母さんがそばにいてくれるから心地いい」

「こんなことしたら楽しかった」「上手にできてうれしい」という体験をしながら

自分の芯となるものを育んできたかどうかにかかっているのです。

 

子どもという存在さえいれば、勝手に創造的に遊びを発展させていくわけでもないのです。

 

たとえば上の写真は、教室で電車好きの子らがいきいきと遊んでいる姿ですが、 

この子たちがこんなふうに楽しく遊べるのには、

「教室で前に線路を使って遊んだときカンカンってふみきりつけたら面白かったな。

ぼくはいろいろすごいことを思いつくことができるんだ。自分で考え付いたら

楽しくなるんだ」

「お母さんはこうしてって頼んだら、きっと心よく手伝ってくれるはず」

「線路をななめにもできるし、下をくぐらすこともできるし、

上におくことだってできる。おもちゃが足りなかったら、作ればいい」

といった気持ちを、大人に手間と時間をかけてもらって、その場所で体験したことが

あるからなのです。

 

 

わたしたち大人にしても勝手の知らない他所の家に行って

テキパキ動くのは大変ですよね。

もちろん共働きの家庭の子どもにとって家庭は勝手の知らない他所の家なんかじゃ

ありませんが、「学び」や「遊び」の場としては、

「あ~っ、前に○○したの面白かったな。またしてみようかな」と過去の創造的な体験を

思い浮かべるには、それまでのわくわくしたり、じっくり取り組んだりした体験の量が

少なすぎるということもあるのです。

 

だからしょうがないんだ、というのではなく、濃度の濃い期待を投げかけるのをやめて、

「本当に小さくてささやかなものでいいから、短くていいし、あれこれおもちゃを

出さなくてもおしゃべりだけでもいいから、

子どもと心がポカポカするような時間を作っていこう!」と心を切り替えてみると、

急速に子どもとの関係がよいものに変わっていったという話を耳にすることがあります。

 

働いているお母さんというのは、本当はいつも子どもと過ごしているお母さん以上に

子どもを恋しくいとおしく思っていて、

仕事をしている分、子どもに対しても根気よく子どもの立場に立って

考えてあげられる力を持っている方が多いのです。

また子どもにしても、一日中、お母さんに会うのを待ち焦がれていたのですから、

お母さんとワクワクする楽しい時間を過ごせるなら、それがたとえ短い時間でも、

ちょっとした褒め言葉や「大好きよ」という言葉でも

心に染みわたって、「いい子になろう」「がんばろう」という素直な向上心を

抱くようになりやすいのです。

 

1ヶ月ほど前に、

専門的なお仕事で多忙をきわめておられるお母さんと

家でダラダラテレビばかり見て、反抗的ですねた態度ばかりとっていた★くんの

関係のこじれをどうやって修復していったのか、

記事にさせていただいたことがあります。

 

★くんの激変ぶりに、

「★くんのお母さんが具体的に何を変えたのか教えてほしい」という質問が

コメント欄にきて、★くんのお母さんが直接お返事をしてくださいました。

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オレンジママさんからご質問があったので・・・

私は昨夏に、息子が感情タイプの子であること、

自己肯定感が低くなっていることなどを教えてもらいました。

繊細なタイプの息子は、保育園生活の中でかなりがんばっていたんだな、

と分かったので、危険なことと礼儀以外は(なるべく)叱らず大目に見て、

スキンシップを心がけました。

それと、玄関の鍵は兄だけが持っていい(妹は持てない)とか、エレベーターの

ボタンは兄が押す、とか、仕事で使う封筒にシールを貼る、とか・・・

ほんのささいなことですが彼だけの役目を持たせて、いてくれて助かる~!

ありがとう!とやっているうちに、本当にこんがらがった糸がほぐれるように、

すねた態度がなくなり素直になりました

今、ホントに息子がかわいいです(^^)

今回のレッスンでもう少しゆったり過ごす時間が必要というヒントをいただいたので、

さっそく実践しはじめました。

保育園から帰ってくると、好きなテレビとごはんの時間が重なってしまい、

ついつけたまま食べていたのですが、テレビを消しておしゃべりするようにしました。

今まで聞けなかった話が飛び出てきて、面白いことを考えているんだなーと、

またまた新しい発見です。

ノーと言えない流されやすい息子に不安を感じていたところでしたが…よく考えたら、

はっきりイヤと言いなさい!なんていわれても言えないですよね。

今は少し助けてあげながら、これからたくさん自信をつけて、自然に意志が

表現できるようになっていけばいいかな、と思いました。

 

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★くんの近況とそれまでの経緯を記事にしたものを紹介しますね。

半年ほど前、ユースホステルのレッスンではかなりの困ったちゃんぶりを発揮して

四六時中、お母さんを手こずらせていた★くん。

家でも外でも、どうしようもないところまで、

お母さんを怒らせてしまわずにおれないような複雑な心理状態に陥っていたのです。

それがユースホテルでのレッスン後、

お母さんが★くんへの見方や関わり方を変える努力をされたそうで、

少しすると、「見違えるようにしっかりして、保育園の先生からもよく褒められる

ようになりました」という連絡をいただいていました。

 

 

そして、昨日、久しぶりに★くん親子と再開しました。

年長さんに進級し精神的にグッと成長したように見える★くん。

 

お母さんに対しては素直で明るい態度。

妹には優しく根気のいい態度で接するようになっていました。

以前の★くんの姿からすると、まるで別人のようでした。

 

教室に着いた★くんにやってみたいおもちゃを自由に選ばせたところ、

写真のような頭脳パズル系のおもちゃばかり選んで遊んでいました。


どのおもちゃにもじっくり関われていました。

また工作では、がちゃぽんや野球ゲームなどを積極的に作っていました。

半年前まで、だらだら寝ころんだり、お母さんに口答えをしたりして

活動にいっさい参加しようとせず、ずいぶん幼い印象があった★くんの内面に

知的好奇心や向上心がこんなにも潜在していたなんて、

信じられないほどでした。


最レベの算数の文章題にもしっかり取り組めました。

ルールに配慮しながら、物を分ける問題です。


★くんのお母さんは、「素直で聞き分けがよくなった上、お友だちや妹を大切にするし、

園での活動もしっかりがんばっているので申し分ないのですが……」と前置きした後で、

「園で過ごす時間が長いので疲れるのでしょうが、家ではテレビばかり見ているのが

気になります。妹は家でも、切ったり貼ったり絵を描いたり……と

いろんなことをして過ごしているのですが、

★は何時間でもテレビを見ているんです」とおっしゃいました。


「集団生活の時間が長いから確かに疲れているんでしょうね。

★くんは教室のさまざまなおもちゃにしっかり取り組めていますから、

家でもテレビより面白いと感じるような遊び道具がいくつかあると、

テレビに固執しなくなるかもしれません。

 

それか見ているテレビの内容に大人も興味を持って、

遊びや物作りに活かしていくのも方法かもしれません。

テレビの男の子向けアニメが載っている雑誌ってありますよね。

ああいうのを買って遊んでみるのもいいのかも」と言ったところ、

ちょうど行きの新幹線で戦隊物が載っている雑誌を買ったばかりという返事が

返ってきました。

 

ごくたまにこうした雑誌を購入しているそうですが、付録などはお父さんが全て

作ってあげているそうです。

 

★くんは、「すごろくもついているんだよ!」と興奮した様子で雑誌を

わたしの前にひろげました。

準備もルールもややこしそうなすごろくでしたが、

★くんがずいぶん乗り気だったので、いっしょに作ることにしました。

★くんが最後までねばり強く材料を組み立てていたのと、

複雑なルールをしっかり理解していてゲームしている姿を見て、

★くんのお母さんは、「こんなに自分でできるんだね。知らなかったわ。

こんなことができるなんて、本当にびっくりしたわ。今度からいっしょに作って、

いっしょにいっぱい遊ぼうね」と何度も繰り返していました。

★くんのテレビの視聴時間が楽しい創造的な遊び時間に代わっていくといいですね。

 

↓記事の後ろの方に以前★くんと過ごした時の出来事について書いています。

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先日、小学5年生の●ちゃんの国語の入試問題の採点をしていたときの話です。

『セロ弾きのゴーシュ』からの出題で、ゴーシュの性格は設問で「繊細」と

表現されていたのですが、

「繊細な性格」とは「気が優しい」こととイコールで結ばれると思っていた●ちゃんは

間違えてしまいました。

 

そこで、「家族や友だちのような身近な人のなかに、繊細な人っているかな?」と

問いかけて、「繊細な性質」というのは、「感受性が強くて、他の人なら気にならない

ような小さな刺激にも過敏に反応したり、

感情が細やかでいろいろなことによく気づいたりする性質のことよ。

そういえば、◎くんとか、神経が細かくて繊細かもね。」と説明すると、

 

「あーうちの弟の◎くん、それそれそれ!!だって、そんなん気にしてどうするの?

ってことで、急に、ぐずぐずいややーとか言いだしたり、優しいんだけど、

気にしすぎ?ってところがいろいろあるのよねー」と●ちゃんが興奮して応えました。

 

●ちゃんと、ゴーシュの性格やら、繊細な人の特徴やらでの話で盛り上がった後、

赤木かんこの『日本語ということば』という著書の中で、

第47回全国小・中学校作文コンクールの優秀賞受賞作品で

小学校2年生の女の子、中村咲紀ちゃんの『セロ弾きのゴーシュ』

の感想文を目にしました。

読み進むうちに、いろんな思いが込み上げてきて涙がこぼれてしまいました。

 

咲紀さんは、ゴーシュについて次のように分析しています。

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「ひとりぼっちでだれにもあまえることができないゴーシュは、

おこられるといつもそうやって、くやしい気もちも、かなしい気もちも、

いやだと思う気もちも、みんながまんしたのです。

ゴーシュは、ぼろぼろないたあと、気をとりなおして、

じぶん一人だけでれんしゅうをはじめます。でも、わたしはゴーシュのがまんが、

一生けんめいれんしゅうする気もちにつながるとは思いません。

だれも気がついていないけれど、ゴーシュの心の中には、へんなものがたくさん

つまっています。へんなものというのは、その人によってちがうけど、

じこまん足だったり、つよがりだったり、がまんのしすぎだったり、

色んなものがあります。そういうへんなものが心の中に入っていると、

本当のじぶんがちゃあんと見えません。ゴーシュは一生けんめいれんしゅうしている

つもりだけれど本当のじぶんがちゃあんと見えていないので、本当のれんしゅうが

できていないのです。

本当のじぶんをちゃあんと見ないでどんなにがんばっても、

まちがったがんばりかたしかできません。それは本当のがんばりにつながりません」

( 略)

ゴーシュはあとになって、この時のことを「おれはおこったんじゃなかったんだ」

と言っています。わたしもそうだと思います。

ゴーシュは、本当は、本当のじぶんをしっていたんじゃないかと思います。

でも、本当のじぶんはとてもひどいので、見ないようにしていたんだと思います。

それなのに、かっこうにだめなじぶんを見せられて、

そのだめなじぶんにカッとなって、

そのむしゃくしゃをかっこうにぶつけてしまったんだと思います。

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この感想文を書いている咲紀さんは、妹が生まれたときに、素直に甘えられなかった

経験があるそうです。

お母さんがだっこしてあげようといっても断って、

 

「まきがおかあさんにだっこしてほしいと思った時、

いつでもだっこしてもらえるように、わたしはもうだっこしてもらわなくていいの、

まきがだっこしてほしいと思った時、わたしがだっこしていたら、

まきがだっこしてもらえないでしょう」

 

と言うのです。

咲紀ちゃんはこんな回想もしています。

 

わたしは、もう一ついえなかったことがあります。わたしは、

マクドナルドのハンバーガーが食べたかったのです。

ようちえんで、みんなが、「マクドナルドで何食べたあ」なんてはなしているのを

きいたり、となりのいえのマーくんが、マクドナルドのおまけのおもちゃを、

たくさんもっているのを見たのです。

わたしは、年中のころから、ずっとマクドナルドが食べたかったけど、

おねだりできませんでした。マクドナルドはたかいだろうと思いました。

おとうさんは、マクドナルドは食べない人だろうと思いました。

 

小学生になった咲紀ちゃんは、ようちえん時代の自分を次のように振り返ります。

 

今考えると、わたしの「がんばるぞ」は、本当の「がんばるぞ」ではなかったと

思います。

「つらいのがんばってがまんするぞ」の「がんばるぞ」だったのです。

わたしは、へんなものがいっぱいで、じぶんじしんもまわりの人も、

何もかもちゃあんと見ることができなかったと思います。わたしは、

だれにもあまえないで、心をきつくしてぼろぼろないていただけだったのかも

しれません。

だから、いくらがんばっても、つらいことばかりだったのだと思います。

私のがんばりは、がまんするだけで、本当のがんばりにつながらなかったのです。

わたしはゴーシュだったと思います。

 

咲紀ちゃんは思いきって、おとうさんに言いました。

「マクドナルドのハンバーガーが食べたいのでかってください」とたずねます。

すると「いいよ」とあっさりした返事がかえってきたそうです。

 

わたしはびっくりしました。そんなにかんたんに「いいよ」なんて言われると、

わたしはびっくりするタイプです。

 

と咲紀ちゃんは綴っています。 

咲紀ちゃんは次のようにも書いています。

「おかあさんはね、さきがいつあまえてきてもいいように、

いつでもさきがあまえてくるところをあけてまっているの。見えなかった?」と、

おかあさんは聞きました。わたしは見えなかったのです。でも、今は見えます。

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咲紀ちゃんの洞察力と分析力には驚きが隠せないのですが、

私が一番心を揺るがされたのは、

咲紀ちゃんほどの表現力も文章力もないかもしれないけれど、

感受性という面で、同じくらい敏感に感じ、考え、体験を心に浸透させていく

感情が優れている子たちのことが思い浮かんだからです。

そういえばうちの娘も幼稚園の頃から、あれこれと鋭い人間関係や人の心や感情に

関わる指摘をする子でした。

私が自分の子育ての誤りに気付いて、方向転換することを決意したのも、

娘の敏感さと全てを悟っているかのような人間関係や感情の世界への洞察力に触れて、

子どもだからといって自分の意のままになる相手ではないことや、

人の個性のすばらしさは、既存のテストの点だけでは測れないことに気づいたからでも

あります。

 

9月のユースホステルのレッスンに、お母さんと気持ちが噛み合わなくて、

しじゅうぶつかってばかりいる感情が優れている5歳の男の子★くんが

参加していました。

すねて床にひっくり返っている時に、私がそっと頭を撫でに行くと、

その表情に何とも言えないくらい優しい愛らしい満面の笑みが広がって、

素直に誘いかけに応じる様子が目に焼き付いて消えませんでした。

 

★くんのお母さんは温和でがまん強い方で、

決して無茶な叱り方をするタイプではありません。

★くん自身が、甘えたくて仕方がなくて、お母さんが大好きなのに、

どうしようもないところまで、お母さんを怒らせてしまわずにおれないような複雑な

心理状態に陥っていたのです。

 

でも、本当はそうした態度の背後に、透き通るような純粋なかわいらしい性質が

隠れていて、荒れに荒れている最中にも、

静かに、「いっしょに~へ行こうか?」と呼びかけると、嬉々として飛び起きて、

自分からこちらの手を握り締めて

照れながら、そっと甘えてくる姿があったのです。

 

成長してから、素直になれなかった自分を振り返る

感受性豊かな咲紀ちゃんの文章を読むうちに、

その姿がいつのまにか★くんの笑顔の記憶と重なっていました。


自分で情報集めて自分で選択するか、他の人に決めてもらうか 

2015-08-28 05:53:44 | 日々思うこと 雑感

先日、教室の電子工作の準備を手伝ってくれていた息子が、

「これまでさんざん自由にやってきたから、現実に失敗に終わったことも多いし、

遠回りもいろいろしたけど、結果に関わらず、そうしてきてよかったし、それはそれで

意味があったんだなと最近強く思うよ」と言っていました。

「親や学校や塾や予備校の先生が、最適な方法と進路を示してくれて、

その通りに努力して希望した結果を得るのは、いいにはいいけど、

そうやってうまくもいってるし、成績自体もいい友だちと話していると、

自分で情報を集めて、自分で選択しようとしないで、まるで運命に身を預けている

ような考え方をするから驚くことがあるんだ。

大学の授業は、これをやってみるといいよ、こんな世界があるよ、と提示されるだけで、

強制的に何かやらされるわけじゃないから、

学びたければ、いくらでも自由に学ぶことができるし、

興味があればどれだけ深くやろうと、広げようと、中高の頃のように注意を受けたり

馬鹿にされたりしないで、奨励してもらえるいい環境だよ。

 

そのおかげで、大学に入ってから、勉強が本当に面白くなったんだ。

でも周りのほとんどの友だちは、大学は楽しくない、これこれしてくれないから……

ってぼやいている。自由に学ばせてくれる先生より、これをやらないと内申点がないぞと

強迫するような先生が好きで、あの先生のおかげであれもこれもできるようになったと

支持してるから不思議になる。

 

確かに、脅されて強制的にやらされたことが、それを学ぶための最短距離だったら、

あとからありがたい気持ちになるのはわかるけど、

結果があまりよくなくても、自分なりの方法を模索しながら進んでいると、

途中にある小さい競争では負けても、最終的には必要なものを手にできている気が

するんだ。

 

大学の授業でよくわからない難しい問題にぶつかったら、

昔からの自己流の勉強の癖で、それを証明するのに時間をかけるんだ。

一からすることになるから時間はかかるけど、証明しているうちに、理解できるから。

でも「そんなの勉強するに値しないし、非効率的だよ。それより、テストに出る

暗記項目をきちんと押さえたほうがいい」と言われることがしょっちゅうある。

確かに授業直後のテストの成績はぼくよりずっといい場合も多いから、

ぼくのやり方より効率的なんだろうけど。

でも、テスト以外の場面で、そこで習ったことをちょっと応用させたような話題に

ぶつかると、内容自体は同じものなのに、全く別の自分達から遠い話として

スルーしたり、学んだこと本質的な意味に関することは、

(言葉以外は)ついこの間勉強したばかりのことなのに、

誰も何ひとつ覚えていないのにびっくりすることがある。

ぼくは記憶力が良くないから、言葉をうっかり忘れることはあっても、

学んだことが他のこととどう関連しているのかはすぐピンとくるし、

どういう意味か内容を忘れることはまず考えられないから、

遠回りで非効率的な学習の仕方も、それなりにいい面があるんだろうね」

 

 時間のある方は、こちらも読んでくださいね。

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『9歳の壁』でつまずくか つまずかないか を左右する抽象概念の理解力 4

2015-08-27 22:40:01 | 教育論 読者の方からのQ&A

ユースホステルでの晩の勉強会で、

遊びや日常のどんな場面で、数学的な考え方に触れる機会があるか話しあいました。

子どもいっしょにとさまざまな考え方に親しむアイデアを共有しました。

 

その時期、その時期、子どもにヒットすることや、子どもがしつこいほど繰り返したが

ることは、その子の能力を最も成長させてくれるものであることがほとんどです。

 

先の記事で書いた「絶対、違うに決まっているでしょってことでも、

ちがうよ、こうだよ、と説明しても、少しすると、また同じことばかり言う」という

自閉症のAくんにしても、こちらが、特性によるこだわりだと一蹴せずに、

「抽象的な意味を伴う言葉の意味をわかった、そういうことか、と自分の中に落とし

こめるような体験を欲している」「言葉に対して敏感になっている」という

受け止め方をして、気になる言葉をさまざまな場面で目で確認し、体感できるように

してあげることは知力の大きな成長につながると考えているのです。

 

Aくんにとって、「大切」とか「重要」という抽象的な言葉は、耳で聞くだけでは

わかりにくいものです。

でも、Aくんが大切にしているものを、「大切だね。これは大切」と言いながら、

大切に扱うボディーランゲージをし、ゴミとして捨てるものを、「大切じゃない。

こんなの大切じゃない。」と言って、ぞんざいに扱う真似をするすると、

Aくんの中に、具体的な大切という言葉のイメージが蓄積されていくかもしれません。

重要などもそうです。

お母さんの話にあった鳥の羽根の話も、

「人が落としていったハンカチは拾いに戻るけれど、鳥が落としていった羽根は

拾いにもどらない。なぜなら、人間が大切じゃないなとポイッとゴミ箱に捨てたものと

同じで、鳥にとってもういらないものだから。

それに鳥は落としたことに気づいていないかもしれない」といったことをテーマにした、

ごっこ遊びや人形劇遊びをするとAくんが今敏感になっていることに寄りそうことに

なるのかもしれません。

 

発達の凹凸がない子たちは、Aくんのようにひとつのことにこだわって

同じ言葉ばかりを繰り返すようなことはありませんが、

その時期、その時期で、非常に敏感になっている思考のあり方があるし、

月齢ごとにより抽象化した概念に関心を寄せるようになっていることを

遊びや会話の中で感じます。

 

次回に続きます。

 

 

 

 


電子工作の作品 あれこれ

2015-08-26 20:57:24 | 工作 ワークショップ

魚を釣るとブザーが鳴る仕組みを作った小3のAくん。

アルミ箔を敷いて作った釣り池にアルミ箔で作った魚たちを泳がせています。

魚を釣りあげるとブザーが鳴る仕組みだけでは、釣りゲームとしての面白みが

足りませんでした。そこで、発想の転換!

魚につけた針金の一部をセロテープでくるんで、ブザー音が鳴らない部分を作り

ました。そうすれば、「上手に釣りざおを操作して、ブザーの音を鳴らさないように

魚が釣れたら成功」というゲームができました。

 

魚が丸見えだと易しすぎるのでストローで作った水を入れてました。

 

空中から飛んできたヤマタノオロチにぶつかるとブザーが鳴る仕組み。

 

コップで作った人形たち(妖怪ウォッチのキャラクターたち)を

重ねて合体させてもブザーが鳴るようにしました。

 

アルミ箔の道を歩いて行って紙コップで作った家のインターホンに触れると

ブザーが鳴るようになっています。

 

 


『9歳の壁』でつまずくか つまずかないか を左右する抽象概念の理解力 3

2015-08-25 11:39:16 | 教育論 読者の方からのQ&A

前回までの記事にこんなコメントをいただきました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

今回のユースホステルありがとうございました。

かわいい子ども達と出会い、とても楽しかったです。

毎日、仕事で子ども達と遊び、工作などをくり返す中で、

数学的思考が発達の凸凹のある子ども達にとって、社会を生き抜いていく中で、

重要な鍵になるのではないか‥‥と考えていました。

発達の凸凹のある子ども達は、あらゆる刺激の強さから、一対一対応でしか物事を

認識できないこと‥少しでも違いがあると別の物として認識してしまうことが

多くありますよね。様々な物が全く違った物として個別に存在しているので、

分類遊びは自然発生的には、なかなか出てきません。

例えばよくある事例では、

・Aちゃんを叩いてしまった時、注意を受けてとても反省していても、

Bちゃんは叩いてしまう。また注意を受けると「Bちゃんは叩いたらダメって言われて

ないもん!」と言う。

・「まっすぐ家に帰りましょう。」と言われると「そんなの帰れない!」と言い、

なぜか聞くと「曲がらないと帰れないから。」と言う。

こういった彼らの性質上の特性として片づけられてしまっている事も、

刺激の強さから抽象概念をとらえられず、遊びの中で充分に育まれにくい事から

起こるのではないか‥と感じていました。

物事を抽象的にとらえられる様になると、帰納的な考えや類似的な考え、

統合的な考えなどにつながりやすく、そういった考えは勉強だけでなく、

人間社会に多くある暗黙のルールをとらえられやすくなったり、変化に対する耐性や

柔軟さもでき、学校生活や社会生活の不安が少なくなるのでは‥と感じています。


発達の凸凹のある子ども達はくり返す事で(くり返すと思っていても、彼らには全く

違うことなんでしょうね。自転車が毎日、場所が1ミリも、角度が1°も違わず置いて

あることなんて、ないですもんね。違った状況を何度も照らし合わせて、

様々な角度から擦り合わせていく事で)意味として、獲得していくんでしょうね。

そこに、彼らの苦手とされる抽象的な表現や変化やユーモアなど取り入れると、

一対一対応ではなく大きな意味を持ったものとして、獲得していけるんだな‥‥と強く

感じました。

心と身体を解放して、全身で自分が何が好きか、何が心に響いているのか‥‥を

表現する子ども達。そんな子ども達に触れられて、とても幸せな2日間でした。

ご一緒させていただいたご家族のみなさん、ありがとうございました。

また、お会いできるの楽しみにしています。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

通常、ユースホステルのレッスンは、

幼児中心の日、小学生の女の子中心の日、小学生の男の子中心の日、

発達に凹凸のある子たちが中心の日などで分けて募集しているのですが、

今年は、十分な日程を確保できなかったため、発達に凹凸のある子、一般的な子、

援の仕事をなさっている方のお子さんたちで年齢の高いお兄ちゃん、お姉ちゃん……と、

さまざまな年齢のさまざまなタイプの子らが参加することになった日を

設けることになりました。

こうした特別な日を作ると、

「発達の凹凸のある子のお母さんが相談したり気持ちを打ち明けたりしにくくなるの

ではないか?」「それぞれの子の学習時間がきちんと取れるのか?」

「まとまりのある体験ができるだろうか?学びを共有できるだろうか?」

「つまらなかった、参加しづらかったという子は出ないだろうか?」と気を揉むことも

多いのですが、心配のほとんどは杞憂に終わり……

結果良ければ…じゃありませんが、特別な日は特別な日にしかないかけがえのない時間を

参加した方々と共有することができました。

 

晩の親の学習会では、発達に凹凸のある子にも一般的な子にも

とても大切だと感じている日常生活や遊びや親子の会話の中で、

「抽象概念の理解力」と「さまざまな数学的な考え方」をどのように育んでいくかに

ついて話しあいました。

 

この記事の初めに、「難関突破経験と子育ての実態」の調査で、

子どもの自主性や思いや意欲を大切にして、遊びの主導権を子どもに与えることの

大切さが示唆されたという話題を紹介しました。

子ども自身が考える余地を与えるような援助的なサポートをする

共有型の関わりが大事であることや、遊びの量より質が重要であることも書きました。


でも、実際、子どもの遊びを見守る段になると、

「考える余地を与えるようなサポートってどんなこと?量より質っていったい何を

どうすればいいの?」と疑問でいっぱいになったかもしれません。


虹色教室では、子どもたちの遊びの質を高めるためのさまざまな試みをしているので、

何がどのように子どもの思考する姿勢に影響を与えるのかよく把握しているつもりです。


子どもと遊ぶ時に、あれやこれや知識を与えようとするのは

子どもを考えることから遠ざけてしまうこともあります。

遊びながら知識をインプットしようとするのではなく、

子どもの中に形成されつつある数学的な考え方の芽を育んでいくことが、

考える力の土台を作っていく上で大切だな、と感じています。

また、日々の暮らしの中で抽象的な言葉の理解を深めていくことも重要だと思います。

 

数学的な考え方には、

『数学的な考え方を育てる課題&発問集/鈴木正則著(明治図書)』を参考にすると、

 

帰納的な考え方  類推的な考え方  演繹的な考え方

統合的な考え方  発展的な考え方

記号化の考え方  数量化、図形化の考え方

集合の考え方   単位の考え方

抽象化の考え方  単純化の考え方  一般化の考え方

特殊化の考え方  表現の考え  操作の考え

アルゴリズムの考え  概括的把握の考え 基本的性質の考え

関数の考え    式についての考え

 

などがあります。

言葉だけみると、大きくなってから数学の世界で学ぶように感じられる考え方も、

まだ2、3歳という幼い時期から、ざっくりと考えに触れたり、使ってみたり、

扱う中で洗練させたりしているものがたくさんあります。

幼い子向けの絵本や児童文学の世界でも、こうした考え方は多用されているものです。

 

たとえば、

数学的な考え方のひとつの帰納的な考え方というのは、

いくつかの場合を調べて、それらに共通するルールや性質を見いだし、

それを元に推測し、推測したことが正しいか新しいデーターで確かめていくことです。

 

帰納的という言葉こそ難しそうですが、

子どもたちが親と楽しそうにおしゃべりする様子を聞いていると、年少の子らでも、

「あれとあれとあれは、こういうところが似ているね。ということは、

あっちは、こうなるのかな?」と、共通に見られるルールに着目したり、

それをもとに予測したりすることを心から楽しんでいる子はけっこういるのです。

そういう子は、文字や計算のプリントを早い時期からするようなことはありませんが、

1を聞いて10を知るような利発さがあって、考えることを心から楽しんでいるのです。

 

途中ですが、次回に続きます。

 

 

 


『9歳の壁』でつまずくか つまずかないか を左右する抽象概念の理解力 2

2015-08-23 17:28:54 | 教育論 読者の方からのQ&A

Aくんが半分という言葉に関心を抱いていた姿を見て、

朝食後のレッスンで「抽象的な言葉にはどんなものがあるでしょう?

具体的な言葉にはどんなものがあるでしょう?」というクイズを子どもたちに出しました。

 

聞き慣れない言葉に、最初はキョトンとしていた子どもたちも、

「具体的な言葉は、目で見て形がわかる言葉よ」と言ってから、

近くにあったホッチキスを指して、

「ホッチキスは具体的な言葉よね。この黄緑のホッチキスは、目で見て、

これって形がわかるわよねそれから、消しゴムも○くんの靴下も目で見て確かめられる

具体的な言葉よね。

抽象的な言葉は、あいまいでこれって指さして確かめられないような実態のない言葉よ。

勇気、重要、理想、正義……どれも、これだよって指さして見ることができないね」

と説明すると、小1のBくん、Cくんがわくわくした表情で、

部屋中の物を指しながら具体的な言葉を挙げてから、

「色は抽象的な言葉?」「理解は抽象的な言葉?」と質問しはじめました。

神妙な顔で考え込んでいた小3のDくんも、

「自然は抽象的な言葉?夢は抽象的な言葉?」とたずねては、

「そうよ。よく気づいたね」と言うと、心底うれしそうな笑顔浮かべていました。

 

そこで、子どもたちの前に1つのコップをかかげて、

「このコップは、ただの紙コップだけど、よく見るといろんな言葉が隠れているよ。

外側、内側、底、オレンジ色……」と言うと、

子どもたちから、「丸」「形」「白色」「薄い」といった声が上がりました。

わたしが、「円周、縁」と言うと、Dくんが、「安物!」と言いました。

「それは名称や色や形やサイズとは違う、意味を伴う新しい表現の仕方だね。

それじゃ、リサイクル可能、影」と言うと、子どもたちはこんな楽しいことはないと

いう様子で、思いつく限りに言葉を挙げていました。

 

言葉というのは、本当に面白いのです。

4歳のEくんが、「ぼく、タコが作れるよ」と作った作品は、

さっきまで眺めていた紙コップを材料としているけれど、

わたしたちからそれまでとは別の言葉を引き出してくれます。

「これは何でしょう?」

「タコ」

「どうしてタコだとわかるのかな?どうしてタコに見えるのかな?」

「下の部分、いくつも切っているでしょ?足に見えるから、タコってわかる」と

Cくん。

「Eくんがタコだって言ったから、タコってわかるよね。作者が言うんだから」

とわたし。

「全部見たら、ほら、頭の部分から足みたいなところまで形を見たら、

タコに似ているでしょ。だからタコってわかる」とBくん。

 

その場では黙っていた小5のFちゃんが、お母さんの耳に何かささやいていました。

後から聞いたところ、「欲望も抽象的な言葉」と言ったのだとか。

欲望というちょっと刺激的な言葉に、Fちゃんの周りで笑いが起きました。

それを小耳にはさんだDくんは、

「希望も願望も抽象的な言葉だ」とつぶやいていました。

実はEくん、お母さんからうかがった話では、算数は得意だけれど、

国語は苦手とのことでした。

Eくんが、抽象的な言葉についてずっと思いを巡らせているのを見て、

「Eくん。国語のいいセンスしているね。国語もきっと得意になるよ」と言うと、

Eくんは、うれしそうに照れ笑いを浮かべていました。

 

タイトル通りの話題になかなか行き着きませんが……

記事がどんどん雑談と化していますが……

次回に続きます。


『9歳の壁』でつまずくか つまずかないか を左右する抽象概念の理解力 1

2015-08-21 19:56:15 | 教育論 読者の方からのQ&A

(途中までしか書いていない記事は近いうちに続きを書かせていただきますね。)


20代の子を持つ親(1040名)を対象に実施された

「難関突破経験と子育ての実態」に関する調査によると、

いわゆる難関突破した経験のある子の親とそうでない親の間に

子育てスタイルに大きな違いがあることがわかったそうです。

その違いとは、難関突破した経験のある子の親は、そうでない親に比べ、

遊びを重視する傾向があることです。


就学前の遊ばせ方の特徴として、

 子どもの自主性、思いや意欲を大切にして遊びの主導権を子どもに与えています。

また、親もいっしょに遊んだり絵本の読み聞かせなどで、

ていねいに関わっていたお家が多いようです。

 

こうした調査をしているプロジェクトのメンバーである

お茶の水大学名誉教授・内田伸子先生は、

<今回の調査から、大学受験や資格試験などの難関を突破する力や夢を実現する力と、

就学前の遊ばせ方には相関関係があることが示唆されました。

子どもは、五感を使うことで脳が発達するため、

ちゃんと遊んでいないような子どもは“9歳の壁”に突き当たりやすいのです。>

とおっしゃっています。


9歳の壁とは、学習内容が具体的なものから抽象的なものへと変わる9歳の時期に、

勉強がわからなくなる子が増えることから呼ばれる言葉です。

調査結果を長年にわたり研究している内田先生によると、

難関突破経験者の親の3人に2人が、子ども自身が考える余地を与えるような

援助的なサポートをする共有型

逆に難関突破未経験者の半分以上が、大人目線で介入し子どもに指示を与えてしまう

強制型の子育てスタイルなのだそうです。

このことから、「遊びは量よりも質が大事で、特に親との関わり方は大切」

とのことです。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

話が少し飛ぶのですが、普段のブログで遊びの大切さはさんざん書いているので、

今回は、抽象概念の理解力についての話を……。

 

 

 ユースホステルでのレッスンでこんなことがありました。

朝食時に5歳の自閉症のAくんが、「なおみ先生、なおみ先生」と繰り返しながら、

わたしのそばにやってきました。もう食事はすませた様子。

 

わたしがお尻をずらして席を半分あけて、

「Aくん、ここに座る?椅子の半分をあけたよ。ここに座る?」とたずねると、

わたしの隣に座っていた他の子のお母さんも反対方向に身体をずらして、

「Aくん、こっちにも半分、席があるよ。半分座る?」と、

茶目っ気たっぷりにたずねました。

 

わたしが、Aくんの目の前に半分ずつできた椅子の隙間を順に指さして、

「半分と半分、あっ、ひとつになっちゃった!」と告げると、

Aくんの表情が好奇心と喜びでパッと輝きました。

そこで、Aくんをその半分席に座らせて、朝食のソーセージを半分に切り分けて、

それぞれをフォークにさしてみせました。

「半分と半分……あっ、ひとつになっちゃった!」と言いながら、

切り分けたソーセージを元の一本に戻すと、Aくんはゲラゲラ笑いながら、

「半分、半分」と繰り返しました。

Aくんの心に、「半分」という言葉と概念が強く響いているようだったので、

皿にあったハッシュポテトでも「半分と半分、あっ、ひとつになっちゃった!」を再現。

それから、塩の小瓶を手にして、「半分だねぇ」と告げました。

 

白い塩の粒が瓶の半分ほどを占めているのを目にしたAくんは、

そこにできた空白部分と白い部分と半分という言葉のつながりに気づいたのか、

深く感動したようでした。

塩の小瓶を持って、「半分、半分」と言いながら、

他の子や親に見せてまわっていました。

 

 Aくんについて前日の勉強会で、Aくんのお母さんからこんな話を伺っていました。

 

「とにかく同じことを何度も何度も言い続けます。

絶対、違うに決まっているでしょってことでも、ちがうよ、こうだよ、と説明しても、

少しすると、また同じことばかり言うので、返事をするのもうんざりしてしまいます。

他所の家の前に自転車が置いてあると、Aが「忘れているの?」と聞くので、

「忘れているんじゃなくて、置いているんだよ。あそこのお家の人の自転車だよ」と

説明するのに、

それからもその家の前を通る度に、毎回、「自転車、忘れているの?」と聞くんです。

それとか、道に鳥の羽根が落ちているのを見て、

「鳥が落としていったのね」と言うと、「取りに来る?」とたずねるので、

「鳥は落としていった羽根を、人間の落し物みたいに取りに戻ったりしないよ」

と説明しても、何度も何度も「取りに来る?」と聞くので、もう、どう答えたら

いいのかわからなくてイライラして、きつい言い方で返してしまうんです」とのこと。

 

「あきらかに間違っていることを何度も何度もたずねられる場合、

どう答えたらいいんでしょう?」という質問もいただきました。

 

「わたしは毎回毎回、初めて聞いたみたいに対応しています。

自閉の子の望む答えは決まっていることが多いですよね。

自分の言う通りに答えてもらいたがったら、相手の要望そのまんまに答えつつ、

毎回、少しだけ返事のバリエーションに変化を加えて、

こちらの伝えたいことを目でわかる形で示すようにしています。

すると、うんざりするくらい同じことばかり聞いていたかと思うと、

ずいぶん経ってからですが、あれっと驚くほど、

コミュニュケーション能力や語彙の理解力のステージが一段上がったのを

感じる瞬間が来るんですよ」と返事をしたところ、

いっしょに勉強会に参加していた支援級の補助のお仕事をしておられる方が、

相槌を打ちながら、こんなことをおっしゃいました。

「その通りですよ。わたしも、何度も何度も同じことを聞いてくるのに

本人の望むように答えながら、少しだけ新しいことを加えて返事を工夫するように

しているんですが、半年、同じことを言い続ける時期もありますが、

そうやって対応していると、ある時、劇的な変化の瞬間を迎えるんですよ。

本当に!」

 

その晩は、他の年齢の自閉っ子のお母さんとも、

ただのこだわりだと一蹴したくなる質問にも、毎回ていねいに答えることと、

そうした同じ質問だからこそ、こちらも知恵を絞って、

プラスαに創意工夫を加えてみることの大切さについて、話が盛り上がりました。

(詳しくは別の機会に書きますが、この回のユースには、次に食べたいものと

その値段の話題ばかり繰り返す自閉っ子の小2の男の子が参加していたのですが、

いつもいつも繰り返す食べ物と値段の話題にその子の望む返事をしつつ、

消費税の計算や場合の数の考え方など算数の世界の新しい話題を少し加えて応えて

いると、その都度、新しい算数の問題に思いをめぐらすことに夢中になっていました)

 

話が中途半端ですが、長くなったので、次回に続きます。

 


かけがえのない思い出 (ユースホステルのレッスンに行ってきました♪)

2015-08-19 19:45:21 | 初めてお越しの方

8月に入って2回、ユースホステルのお泊りのレッスンに行ってきました。

どちらもワクワクドキドキするような初めての体験の連続。

1回目のユースでは、団体で泊りに来ていたオーストラリアの方々と親しくなり、

子どもたち一人ひとりに小さいコアラのぬいぐるみとカラフルなペンを

いただきました。帰り際も、握手したりいっしょに写真を撮ったり……。

 

2回目のユースは、お父さんの参加が多かったため、家族で2段ベッドのある

部屋を使っていただき、お母さんと子どもでの参加た子どもだけの参加の場合、

和室で過ごしてもらう予定でした。

でも、いざ部屋割りという段になって、

子どもたちのほとんどが2段ベッドで寝たがり、和室を嫌がりました。

 

そこで、無茶な解決案!

 

親御さんたちの許可を取ってから、子どもたちに「どうしても2段ベッドで寝たい子は、

今日だけどこかの家族の子どもにしてもらうこと。

自分で、今日だけ、このお家の子にしてください、と頼んでみてね」と告げました。

 

すると、

「2段ベッド!」と騒いでいた子はみんな一日養子縁組交渉に励んでいました。

少ししてからそれぞれの部屋を覗きに行くと、子どもたちの適応力にびっくり!

初めて会った子同士でも、本当の兄弟姉妹みたいに親密な仲になっていました。

 

朝食時、こんなことがありました。

写真のような自由に飲み物が選べる機械が使えるようになっているのですが、

遊び半分におかわりしたらいけないので、「それぞれお家の人に

何杯まで飲んでもいいか聞いてから飲みなさいね」と注意をうながしていました。

すると子どもだけでユースに参加していた3年生のAちゃんが、

「先生、わたしはどうすればいい?」とたずねてきました。

「今日はどの家の子だった?」とたずね返すと、「そうだった!」と手を打ち、

目をきらきらさせて満面の笑顔を浮かべながら、

「お父さん~!」と言いながら、その日までのお父さんのところに

許可を求めに行っていました。

 

子どもって高いところが好きですね♪ 押入れでも2段ベッドでも笑いっぱなし。

 

3年生のAちゃんとBちゃんが作った「将来うらない」。

紙コップに入った占いの紙が、機内食でも配っているような雰囲気で配られています。

感心したのは、普段はなかなかの毒舌家でもある現代っ子のふたりが、

どの占いも、引いた人が思わずうれしくてバンザイしたくなるような内容を

綴っていたことです。

 

「これを引いた人は、将来、科学者になってノーベル賞を取るでしょう」

「これを引いた人は、将来、サッカーの日本代表になって、優勝するでしょう」

「これを引いた人は、将来、美人になるでしょう。

男の子ならハンサムになるでしょう」などなど……。

 

↑ 2段ベッドで占いを引いています♪

 

 

水でっぽうを作りました。

 

工作とゲーム三昧。

 

夜空に大きなサイズの飛行機が……。

 

ユースホステルの窓から新幹線をながめられます。