この記事を書くきっかけとなった当時5歳の★くんは、今年はもう小学3年生。
今年も参加してくれたユースホステルでは、下の学年の子の髪を洗ってくれたり、
積極的に学習に取り組んだりと、しっかりしたお兄ちゃんぶりを発揮。
参加していた大人からも子どもからも信頼され高い評価を得ていました。
なつかしい記事が出てきたので紹介することにしました。
保育所などに子どもを預けて、
働きながら子育てをしているお母さんとお子さんの関係に
小さなボタンのかけちがいが起こって何だかややこしいものになっているのを
見かけることがよくあります。
小さなボタンのかけちがいってどういうものでしょう?
よく相談をお受けしたり、関係がこじれていくのを目にするのは次のようなケースです。
働いているお母さんからすると、
家での子どもの態度やできることにやや不満があるというか……。
つまり他の子らより幼く感じたり、意欲が乏しいように見えたり、
呼んでも知らんふりだったり、テレビやゲームの固執したりする様子が気になることが
あるようです。
でも、働いているため、十分構ってあげられない罪悪感があったり、
用事がたくさんあるので現実的に子どもと衝突する暇もエネルギーもなかったり
するため、その「もやもや」を保留にしたまま日々の忙しさに追われがちです。
そうするうちにお互い相手の心がよくわからなくなって
親子関係が表面的で何だか寂しいものになっていくことがあるようなのです。
働きながら子育てするのは本当に大変です。
少し立ち止まって親子関係を豊かなものにする工夫を凝らしたり
お互いの気持ちのずれを修正したりする時間もなかなか取れないかもしれません。
そこで生活はそのままでちょっと視点を変えたり、子どもへの対応を変えるだけで、
親子関係が実りあるものになっていくコツを紹介しますね。
先ほど次のようなことを書きました。
<働いているお母さんからすると、家での子どもの態度やできることにやや不満が
あるというか……つまり他の子らより幼く感じたり、意欲が乏しいように見えたり、
呼んでも知らんふりだったり、テレビやゲームの固執したりする様子が気になることが
あるようです>
もちろん働いていないお母さんだって、子どもの態度やできることに不満はあるし、
子どもの発達やすることが気になるはずです。
それはそうなのですが、仕事を持っていないお母さんのそれと、
仕事を持っているお母さんのそれはちょっと性質がちがうな、というのが
わたしの印象です。
また子どもの態度や姿そのものも、仕事を持っていない方のそれと、
仕事を持っていない方のそれはちょっと質が異なるのです。
仕事を持っているお母さんは常に社会と接触していて、たいてい、
時間内に義務を果たしたり、時間内に何らかの成果を残すような
「お仕事モード」に心のチャンネルを合わせて過ごしています。
「お仕事モード」のチャンネルは、ものの見方や、感じ方や、価値観や、
考えの展開の仕方もお仕事向きに調整されているはずです。
「お仕事モード」にチャンネルをあわせられることは、責任感を持って社会と
関わっていくために必須の能力です。
でも仕事中はもちろん、仕事が終わってたとしても、
「オフモード」に切り替えられないとあれこれ微細な問題が生じてくるようです。
といっても家に帰っても家事や子どもの世話に追われる主婦は
そうやすやすと「オフモード」に切り替えることができませんよね。
そこで自分が、ものの見方や、感じ方や、価値観や、考えの展開の仕方などの
何が「お仕事モード」のままになっているのか意識しておくことが大事だなと
感じています。
切り替わってないものは切り替わってないな、と知っておくということです。
そうでないと「お仕事モード」の価値観と正反対の世界で生きている「子ども」に
チャンネルを合わせにくくなってくるからです。
保育所などの集団生活の場で長い時間を過ごしている子は、帰宅する頃には、
すっかりエネルギーを消耗していて、
テレビでも見ながらダラダラゴロゴロしていたいと思うことが多いようです。
人とずっといっしょにいれば、そりゃ身体も心も疲れるはずです。
おまけに幼い子には、お母さんが近くにいない寂しさに耐える苦行も加わります。
ですからお家に帰ったら、長距離走を走りぬいたランナーみたいに、
ひたすら消耗したエネルギーを充電して翌日に備えたいと感じているのかもしれません。
でもお母さんと離れている時間が長い子がようやくお母さんに会える短い時間は、
お母さんの側からすると、わが子の姿を目にできる貴重な時間でもあります。
その短さゆえに、
「成長をこの目で確かめたい」
「個性や才能を実感できるようなアウトプットを見たい」
という期待は、濃度が濃いものになりがちです。
もちろん、そうした期待を投げかけるのも忘れるほど忙しい場合もあるのですが、
それはそれで、
「(親も)忙しいし疲れているから、自分でテキパキ動いてほしい」
「手をわずらわせずに自立してほしい」
という別の形の期待が高まるようです。
おまけに仕事の世界では、時間内に目に見える結果を出すことに価値が
置かれていますから、その価値観に染まれば染まるほど、リラックスして
ダラダラしたり、感情を表現したり、無意味な遊びに興じたりすることは
何の価値も見出せなくなりがちなのです。
本当は、疲れたときに身体を休めることはとても意味があることですよね。
よその子が「こんなことができるようになった」「あんなこともできるようになった」
という話を聞くと、ちょっとあせりもします。
そうしてちょっと不安になって、「わが子に何かさせたい」「がんばってほしい」
と思って接する短い時間に、
子どもはというと、「疲れたから休みたい。もう何もしたくない」
「いやなことをたくさん我慢してイライラが溜まっているから発散したい。
ただただ泣き叫びたい」という心境であるのは自然なのです。
なぜながら子どもにすると、お母さんと過ごす貴重な時間は、
「もう少しもう少し」と我慢を重ねた後にようやく手にした息継ぎの時間なのですから。
お母さんと離れている時間が長い子がようやくお母さんに会える短い時間は、
お母さんの側からすると、わが子の姿を目にできる貴重な時間でもあって
その短さゆえに、子どものしっかりした姿を目にしたいという期待の濃度が高まる、
といったことを書きました。
子どもが家庭で自発的に学ぶ姿を見たいし、
遊ぶにしても創造的で知的な遊びに興じる姿を見たい、と思っても、
子どもにすればそうできない事情があるのです。
というのも、ある場所で何かに熱中してエネルギッシュに振舞うには、
学びにしろ遊びにしろ、それまでその場所で、
「うまくいった」「やってみたら楽しかった」「ここでこんなことをすると、
お母さんがそばにいてくれるから心地いい」
「こんなことしたら楽しかった」「上手にできてうれしい」という体験をしながら
自分の芯となるものを育んできたかどうかにかかっているのです。
子どもという存在さえいれば、勝手に創造的に遊びを発展させていくわけでもないのです。
たとえば上の写真は、教室で電車好きの子らがいきいきと遊んでいる姿ですが、
この子たちがこんなふうに楽しく遊べるのには、
「教室で前に線路を使って遊んだときカンカンってふみきりつけたら面白かったな。
ぼくはいろいろすごいことを思いつくことができるんだ。自分で考え付いたら
楽しくなるんだ」
「お母さんはこうしてって頼んだら、きっと心よく手伝ってくれるはず」
「線路をななめにもできるし、下をくぐらすこともできるし、
上におくことだってできる。おもちゃが足りなかったら、作ればいい」
といった気持ちを、大人に手間と時間をかけてもらって、その場所で体験したことが
あるからなのです。
わたしたち大人にしても勝手の知らない他所の家に行って
テキパキ動くのは大変ですよね。
もちろん共働きの家庭の子どもにとって家庭は勝手の知らない他所の家なんかじゃ
ありませんが、「学び」や「遊び」の場としては、
「あ~っ、前に○○したの面白かったな。またしてみようかな」と過去の創造的な体験を
思い浮かべるには、それまでのわくわくしたり、じっくり取り組んだりした体験の量が
少なすぎるということもあるのです。
だからしょうがないんだ、というのではなく、濃度の濃い期待を投げかけるのをやめて、
「本当に小さくてささやかなものでいいから、短くていいし、あれこれおもちゃを
出さなくてもおしゃべりだけでもいいから、
子どもと心がポカポカするような時間を作っていこう!」と心を切り替えてみると、
急速に子どもとの関係がよいものに変わっていったという話を耳にすることがあります。
働いているお母さんというのは、本当はいつも子どもと過ごしているお母さん以上に
子どもを恋しくいとおしく思っていて、
仕事をしている分、子どもに対しても根気よく子どもの立場に立って
考えてあげられる力を持っている方が多いのです。
また子どもにしても、一日中、お母さんに会うのを待ち焦がれていたのですから、
お母さんとワクワクする楽しい時間を過ごせるなら、それがたとえ短い時間でも、
ちょっとした褒め言葉や「大好きよ」という言葉でも
心に染みわたって、「いい子になろう」「がんばろう」という素直な向上心を
抱くようになりやすいのです。
1ヶ月ほど前に、
専門的なお仕事で多忙をきわめておられるお母さんと
家でダラダラテレビばかり見て、反抗的ですねた態度ばかりとっていた★くんの
関係のこじれをどうやって修復していったのか、
記事にさせていただいたことがあります。
★くんの激変ぶりに、
「★くんのお母さんが具体的に何を変えたのか教えてほしい」という質問が
コメント欄にきて、★くんのお母さんが直接お返事をしてくださいました。
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オレンジママさんからご質問があったので・・・
私は昨夏に、息子が感情タイプの子であること、
自己肯定感が低くなっていることなどを教えてもらいました。
繊細なタイプの息子は、保育園生活の中でかなりがんばっていたんだな、
と分かったので、危険なことと礼儀以外は(なるべく)叱らず大目に見て、
スキンシップを心がけました。
それと、玄関の鍵は兄だけが持っていい(妹は持てない)とか、エレベーターの
ボタンは兄が押す、とか、仕事で使う封筒にシールを貼る、とか・・・
ほんのささいなことですが彼だけの役目を持たせて、いてくれて助かる~!
ありがとう!とやっているうちに、本当にこんがらがった糸がほぐれるように、
すねた態度がなくなり素直になりました
今、ホントに息子がかわいいです(^^)
今回のレッスンでもう少しゆったり過ごす時間が必要というヒントをいただいたので、
さっそく実践しはじめました。
保育園から帰ってくると、好きなテレビとごはんの時間が重なってしまい、
ついつけたまま食べていたのですが、テレビを消しておしゃべりするようにしました。
今まで聞けなかった話が飛び出てきて、面白いことを考えているんだなーと、
またまた新しい発見です。
ノーと言えない流されやすい息子に不安を感じていたところでしたが…よく考えたら、
はっきりイヤと言いなさい!なんていわれても言えないですよね。
今は少し助けてあげながら、これからたくさん自信をつけて、自然に意志が
表現できるようになっていけばいいかな、と思いました。
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★くんの近況とそれまでの経緯を記事にしたものを紹介しますね。
↓
半年ほど前、ユースホステルのレッスンではかなりの困ったちゃんぶりを発揮して
四六時中、お母さんを手こずらせていた★くん。
家でも外でも、どうしようもないところまで、
お母さんを怒らせてしまわずにおれないような複雑な心理状態に陥っていたのです。
それがユースホテルでのレッスン後、
お母さんが★くんへの見方や関わり方を変える努力をされたそうで、
少しすると、「見違えるようにしっかりして、保育園の先生からもよく褒められる
ようになりました」という連絡をいただいていました。
そして、昨日、久しぶりに★くん親子と再開しました。
年長さんに進級し精神的にグッと成長したように見える★くん。
お母さんに対しては素直で明るい態度。
妹には優しく根気のいい態度で接するようになっていました。
以前の★くんの姿からすると、まるで別人のようでした。
教室に着いた★くんにやってみたいおもちゃを自由に選ばせたところ、
写真のような頭脳パズル系のおもちゃばかり選んで遊んでいました。
どのおもちゃにもじっくり関われていました。
また工作では、がちゃぽんや野球ゲームなどを積極的に作っていました。
半年前まで、だらだら寝ころんだり、お母さんに口答えをしたりして
活動にいっさい参加しようとせず、ずいぶん幼い印象があった★くんの内面に
知的好奇心や向上心がこんなにも潜在していたなんて、
信じられないほどでした。
最レベの算数の文章題にもしっかり取り組めました。
ルールに配慮しながら、物を分ける問題です。
★くんのお母さんは、「素直で聞き分けがよくなった上、お友だちや妹を大切にするし、
園での活動もしっかりがんばっているので申し分ないのですが……」と前置きした後で、
「園で過ごす時間が長いので疲れるのでしょうが、家ではテレビばかり見ているのが
気になります。妹は家でも、切ったり貼ったり絵を描いたり……と
いろんなことをして過ごしているのですが、
★は何時間でもテレビを見ているんです」とおっしゃいました。
「集団生活の時間が長いから確かに疲れているんでしょうね。
★くんは教室のさまざまなおもちゃにしっかり取り組めていますから、
家でもテレビより面白いと感じるような遊び道具がいくつかあると、
テレビに固執しなくなるかもしれません。
それか見ているテレビの内容に大人も興味を持って、
遊びや物作りに活かしていくのも方法かもしれません。
テレビの男の子向けアニメが載っている雑誌ってありますよね。
ああいうのを買って遊んでみるのもいいのかも」と言ったところ、
ちょうど行きの新幹線で戦隊物が載っている雑誌を買ったばかりという返事が
返ってきました。
ごくたまにこうした雑誌を購入しているそうですが、付録などはお父さんが全て
作ってあげているそうです。
★くんは、「すごろくもついているんだよ!」と興奮した様子で雑誌を
わたしの前にひろげました。
準備もルールもややこしそうなすごろくでしたが、
★くんがずいぶん乗り気だったので、いっしょに作ることにしました。
★くんが最後までねばり強く材料を組み立てていたのと、
複雑なルールをしっかり理解していてゲームしている姿を見て、
★くんのお母さんは、「こんなに自分でできるんだね。知らなかったわ。
こんなことができるなんて、本当にびっくりしたわ。今度からいっしょに作って、
いっしょにいっぱい遊ぼうね」と何度も繰り返していました。
★くんのテレビの視聴時間が楽しい創造的な遊び時間に代わっていくといいですね。
↓記事の後ろの方に以前★くんと過ごした時の出来事について書いています。
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先日、小学5年生の●ちゃんの国語の入試問題の採点をしていたときの話です。
『セロ弾きのゴーシュ』からの出題で、ゴーシュの性格は設問で「繊細」と
表現されていたのですが、
「繊細な性格」とは「気が優しい」こととイコールで結ばれると思っていた●ちゃんは
間違えてしまいました。
そこで、「家族や友だちのような身近な人のなかに、繊細な人っているかな?」と
問いかけて、「繊細な性質」というのは、「感受性が強くて、他の人なら気にならない
ような小さな刺激にも過敏に反応したり、
感情が細やかでいろいろなことによく気づいたりする性質のことよ。
そういえば、◎くんとか、神経が細かくて繊細かもね。」と説明すると、
「あーうちの弟の◎くん、それそれそれ!!だって、そんなん気にしてどうするの?
ってことで、急に、ぐずぐずいややーとか言いだしたり、優しいんだけど、
気にしすぎ?ってところがいろいろあるのよねー」と●ちゃんが興奮して応えました。
●ちゃんと、ゴーシュの性格やら、繊細な人の特徴やらでの話で盛り上がった後、
赤木かんこの『日本語ということば』という著書の中で、
第47回全国小・中学校作文コンクールの優秀賞受賞作品で
小学校2年生の女の子、中村咲紀ちゃんの『セロ弾きのゴーシュ』
の感想文を目にしました。
読み進むうちに、いろんな思いが込み上げてきて涙がこぼれてしまいました。
咲紀さんは、ゴーシュについて次のように分析しています。
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「ひとりぼっちでだれにもあまえることができないゴーシュは、
おこられるといつもそうやって、くやしい気もちも、かなしい気もちも、
いやだと思う気もちも、みんながまんしたのです。
ゴーシュは、ぼろぼろないたあと、気をとりなおして、
じぶん一人だけでれんしゅうをはじめます。でも、わたしはゴーシュのがまんが、
一生けんめいれんしゅうする気もちにつながるとは思いません。
だれも気がついていないけれど、ゴーシュの心の中には、へんなものがたくさん
つまっています。へんなものというのは、その人によってちがうけど、
じこまん足だったり、つよがりだったり、がまんのしすぎだったり、
色んなものがあります。そういうへんなものが心の中に入っていると、
本当のじぶんがちゃあんと見えません。ゴーシュは一生けんめいれんしゅうしている
つもりだけれど本当のじぶんがちゃあんと見えていないので、本当のれんしゅうが
できていないのです。
本当のじぶんをちゃあんと見ないでどんなにがんばっても、
まちがったがんばりかたしかできません。それは本当のがんばりにつながりません」
( 略)
ゴーシュはあとになって、この時のことを「おれはおこったんじゃなかったんだ」
と言っています。わたしもそうだと思います。
ゴーシュは、本当は、本当のじぶんをしっていたんじゃないかと思います。
でも、本当のじぶんはとてもひどいので、見ないようにしていたんだと思います。
それなのに、かっこうにだめなじぶんを見せられて、
そのだめなじぶんにカッとなって、
そのむしゃくしゃをかっこうにぶつけてしまったんだと思います。
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この感想文を書いている咲紀さんは、妹が生まれたときに、素直に甘えられなかった
経験があるそうです。
お母さんがだっこしてあげようといっても断って、
「まきがおかあさんにだっこしてほしいと思った時、
いつでもだっこしてもらえるように、わたしはもうだっこしてもらわなくていいの、
まきがだっこしてほしいと思った時、わたしがだっこしていたら、
まきがだっこしてもらえないでしょう」
と言うのです。
咲紀ちゃんはこんな回想もしています。
わたしは、もう一ついえなかったことがあります。わたしは、
マクドナルドのハンバーガーが食べたかったのです。
ようちえんで、みんなが、「マクドナルドで何食べたあ」なんてはなしているのを
きいたり、となりのいえのマーくんが、マクドナルドのおまけのおもちゃを、
たくさんもっているのを見たのです。
わたしは、年中のころから、ずっとマクドナルドが食べたかったけど、
おねだりできませんでした。マクドナルドはたかいだろうと思いました。
おとうさんは、マクドナルドは食べない人だろうと思いました。
小学生になった咲紀ちゃんは、ようちえん時代の自分を次のように振り返ります。
今考えると、わたしの「がんばるぞ」は、本当の「がんばるぞ」ではなかったと
思います。
「つらいのがんばってがまんするぞ」の「がんばるぞ」だったのです。
わたしは、へんなものがいっぱいで、じぶんじしんもまわりの人も、
何もかもちゃあんと見ることができなかったと思います。わたしは、
だれにもあまえないで、心をきつくしてぼろぼろないていただけだったのかも
しれません。
だから、いくらがんばっても、つらいことばかりだったのだと思います。
私のがんばりは、がまんするだけで、本当のがんばりにつながらなかったのです。
わたしはゴーシュだったと思います。
咲紀ちゃんは思いきって、おとうさんに言いました。
「マクドナルドのハンバーガーが食べたいのでかってください」とたずねます。
すると「いいよ」とあっさりした返事がかえってきたそうです。
わたしはびっくりしました。そんなにかんたんに「いいよ」なんて言われると、
わたしはびっくりするタイプです。
と咲紀ちゃんは綴っています。
咲紀ちゃんは次のようにも書いています。
「おかあさんはね、さきがいつあまえてきてもいいように、
いつでもさきがあまえてくるところをあけてまっているの。見えなかった?」と、
おかあさんは聞きました。わたしは見えなかったのです。でも、今は見えます。
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咲紀ちゃんの洞察力と分析力には驚きが隠せないのですが、
私が一番心を揺るがされたのは、
咲紀ちゃんほどの表現力も文章力もないかもしれないけれど、
感受性という面で、同じくらい敏感に感じ、考え、体験を心に浸透させていく
感情が優れている子たちのことが思い浮かんだからです。
そういえばうちの娘も幼稚園の頃から、あれこれと鋭い人間関係や人の心や感情に
関わる指摘をする子でした。
私が自分の子育ての誤りに気付いて、方向転換することを決意したのも、
娘の敏感さと全てを悟っているかのような人間関係や感情の世界への洞察力に触れて、
子どもだからといって自分の意のままになる相手ではないことや、
人の個性のすばらしさは、既存のテストの点だけでは測れないことに気づいたからでも
あります。
9月のユースホステルのレッスンに、お母さんと気持ちが噛み合わなくて、
しじゅうぶつかってばかりいる感情が優れている5歳の男の子★くんが
参加していました。
すねて床にひっくり返っている時に、私がそっと頭を撫でに行くと、
その表情に何とも言えないくらい優しい愛らしい満面の笑みが広がって、
素直に誘いかけに応じる様子が目に焼き付いて消えませんでした。
★くんのお母さんは温和でがまん強い方で、
決して無茶な叱り方をするタイプではありません。
★くん自身が、甘えたくて仕方がなくて、お母さんが大好きなのに、
どうしようもないところまで、お母さんを怒らせてしまわずにおれないような複雑な
心理状態に陥っていたのです。
でも、本当はそうした態度の背後に、透き通るような純粋なかわいらしい性質が
隠れていて、荒れに荒れている最中にも、
静かに、「いっしょに~へ行こうか?」と呼びかけると、嬉々として飛び起きて、
自分からこちらの手を握り締めて
照れながら、そっと甘えてくる姿があったのです。
成長してから、素直になれなかった自分を振り返る
感受性豊かな咲紀ちゃんの文章を読むうちに、
その姿がいつのまにか★くんの笑顔の記憶と重なっていました。