虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

子どもの個性に合わせたた知的な働きかけ 5

2011-06-30 15:58:27 | 子どもの個性と学習タイプ

今回のユースホステルでのレッスンには、
いつも穏やかでニコニコと笑顔を絶やさない2歳の◎くんが参加していました。

◎くんは、語彙が豊富で観察力が優れている利発な子です。
お友だちと遊ぶのも上手ですし、自発的に自分でやってみようとする気持ちも強い子です。

私は最初、◎くんについて、
いつもニコニコしているものの、喜怒哀楽を表現することが少なく
言葉で説明することを好む様子から、
「内向的感覚の思考寄りの子かな?」と感じていました。

でも、長時間いっしょに過ごすうちに、◎くんが2歳児とは思えないほど想像力が豊かな子で、
物語の主人公に共感して涙を流したり、
自分に絵本の世界のヒーローを重ねて、お友だちたちを助ける役をかってでる姿などから、
「内向的感覚の感情寄りの子ではないかな?」と思うようになりました。

「どちらにしても感覚が優れている子にはまちがいなさそう」と私は思っていたのですが、
親御さんは、これまでの私の性格タイプの記事を読んで
「うちの子は感覚タイプではないな」と感じていたようです。

理由は、飽きっぽくて次々と新しいことに興味を移しやすく、
コツコツと手を使った作業に取り組むことがめったにないからだそうです。

確かに◎くんは、多くの感覚が優れている子がそうであるように
はさみでチョキチョキ切る作業をしはじめたら、
「どれだけしたら気がすむの~?」とあきれるほど切り続けたり、
小さなおもちゃの椅子に人形を乗せていくといった作業を延々とし続けることを
好む子ではありません。

でも、◎くんの周囲を観察する様子の正確や、

音や触感に対する感覚的に敏感さ(ノイズとして嫌がるのではなく美しさを感じ取る力)

感受性の高さ、

物事に取り組むときに
お手本通りにていねいにやってみようとするところ、

見ることと行動の間に独特の間合いがあるところ、

最初に口を開くときに言う言葉が,ゆったりとした観察にもとづいたものであるところ、

お友だちや親とのほどほどの関わり方
(あまり激しい感情的なやりとりを好まず、強い感情的なつながりを求めないわりにいつも親しげで友好的。
気難しい自己中心的な言動が少なく柔らかな印象がある。)

などから、私は

◎くんは、やはり感覚が優れている子で、
飽きっぽさや指先を使った作業をあまりしたがらないのには
おそらく何か理由があって、
一時期そのように見えるだけではないかな?

と感じていました。

次回に続きます。



子どもの個性に合わせたた知的な働きかけ 4

2011-06-30 07:17:05 | 子どもの個性と学習タイプ
子どもの個性に合わせたた知的な働きかけ 3
の続きです。

感情や直観が優れている子が、エレベーターの開閉ボタンに興味を持っていた場合、
どのように働きかけると、
集中して考える習慣が身につくようになるのかという話の途中でしたね。

どちらのタイプの子も言葉であれこれ説明されるよりも、
実際、自分で触ってみて、いろいろ試した後で、考えます。

感情が優れている子は「想像力」をたくさん使って考え、

直観が優れている子は「創造力」をたくさん使って考えるな~

と感じています。

(ついでに言うと、感覚が優れている子は「観察力」と「五感で感じる力」を使って考え、

思考が優れている子は「思考力」を使って考えている姿をよく見かけます。)

子どもが感情が優れているのでしたら、見立てる道具を用意すると、
それを使って小さな劇をしたり、周囲の人にパフォーマンスしたり、ごっこ遊びに発展させたり、
会話を楽しんだりするのをよく目にします。

感情が優れている子に対する働きかけの方法を紹介しますね。

たとえば、エレベーターに興味を持ったのなら、
ティッシュの空き箱を2つ用意するだけでもいいのです。

箱と箱を離したり、ひっつけたりして、エレベーターのドアを再現するでしょう。
「エレベーターのボタンを作ろうか?」とたずねると、
「作りたい!」と工作への意欲につながるかもしれません。
工作といっても、ペットボトルのふたを、セロテープで空き箱に貼る程度で十分です。
幼児期は技術よりも、物作りに対する能動的な姿勢を育てることが最重要と感じています。

それが勉強するときの めんどくさがらずに
絵や図を描きながら解いていく姿勢にもつながります。

直観の優れている子は、直観的な「気づく」力に訴える
易しい物作りがおススメです。


たとえば、↑の写真のように
色画用紙をくりぬいただけのものでも、
背後にドアが開閉できるように紙を2枚おくと、
開いたり閉まったりするドアになりますよね。

また、ティッシュ箱2つで、エレベーターのドアに見立てて遊ぶときも、

「輪ゴムを箱と箱の間に貼り付けて、箱同士を離した後で、
手を離すとドアが閉じる」という仕掛けや、

箱と箱に磁石を貼っておいて、ピタッとドアが閉まる仕掛けなどを
つけてあげると、
いつまでもそれで遊んでいたかと思うと、さまざまな発見をしたり、
自分でもその力を利用して何か作ってみたりします。

直観の優れている子は飽きっぽく見えますが、創造力を必要とされる場面では、
とても集中力があるし、
仕掛けを理解したり、科学的な力を探求したりするときには
とても熱心です。

その子の発達段階に対して、複雑すぎる見本は、
意欲や探究心を失わせます。
「仕組みに子どもが気づくレベル」「子どもが自分でも作れそうだと感じるレベル」が最適です。

工作に漢字の開くと閉じるの字を取り入れると、
直観が優れている子たちにとって、漢字は魅力的な工作の素材やおもちゃのように感じられるようになるかもしれません。
創作活動の場に引き込まれた知識をものにするのは、
直観が優れた子にとって、とても簡単ですし、自分でも漢字をいろいろな場で使うようになると思います。

感情が優れている子は、他人にパフォーマンスをして見せるときに、漢字が有効だと納得すると
すばやく覚えてしまうはずです。
現実に自分の利益になることは、取り入れるのが上手な子らです。
一方で、心が納得しないことは、意地でも覚えようとしません。



↑ひっぱると、上がっていくエレベーターを作りました。楽しそうに遊びながら
いろいろ考えています。

感情タイプの子も、直観タイプの子も、行動が先で言葉は自分の内面から後から出てきます。
じっくり遊んで考えが整理できていくまで、あれこれ質問して、
気を散らさないことが大切です。



次回に続きます。



クリエイティブに生きる 4~6

2011-06-29 13:16:28 | 日々思うこと 雑感
息子が近い将来、「創ってみたい」という物の具体的な案を、
耳にすることがよくあります。

どれも「あっ、それはすごいわ!思いもつかなかったけど、それが欲しいって人はたくさんいるはずよ。」とびっくりするものが多いです。
変化球なんだけど、ど真ん中をついている……というか、
幼いときから どこから湧いてくるの?って呆れるような
奇想天外で、それでいて実用的な『閃き』が
ポンポン飛び出してくる人でしたが……今もそれは進化している模様。

最近、読んだ雑誌の記事によると、クリエイティブに考えるための思考回路には「内向き」のものと
「外向き」のものがあるらしいです。
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「内向き」思考回路

●知っていることから発想する ●既存のフレームワーク(軸)を用いる
●特異点は排除する  ●「常識」から考える ●論理重視
●必然性重視 ●アイデアは質重視 ●全部勝ちに行く
●問題は未然に防ぐべし●変えることがリスクである●均一性重視


「外向き」思考回路 (イグノランスマネジメント的発想)

●知らないことから発想する ●新しいフレームワーク(軸)をひねり出す
●特異点から発想する ●「非常識」から考える ●直観重視
●偶然性重視 ●アイデアは最重要 ●ある程度の失敗は当然
●問題は起こってから学ぶべし ●変えないことがリスクである
●多様性重視 ●「遠い」世界から考える
                          
         (『Think!』 東洋経済 WINTER2011 No.36 より引用)
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教育の現場では、クリエイティブに考えること自体が軽視されているところがあるので、発想する思考回路を鍛えるような機会はほとんどないですよね。
それはバランスが悪いんじゃないか、
それなら家庭や社会で、
そうした能力が衰退しないような工夫がいるんじゃないかと思うんですよ。

私が『考える』ことより『発想する』ことを得意としているということもあるのですが、
(それが良いともいえないんですが……)

わが子や虹色教室の子たちからも、
まずそれぞれの持っている独創的なアイデアを引き出して、
それをもとに思考するなり、人に発表できる形に整理するなりする方法を
教えることを大事にしています。

といっても、発想する際の思考回路について
『Think!』の記事を読むまで考えてみたこともありませんでした。

同じように「クリエイティブに考える」といっても
「内向き」と「外向き」では、何もかもが正反対。

どっちがいいとは言いがたいのでしょうが、
未知を見る「外向き思考」は、
これからの変化の多い時代に必要となってくる方法のようです。

こうして2つの思考回路を見比べていると、
どちらも長所もあるけれど、短所もあります。

ですから、本当に創造的なすごいものを生み出そうと思ったら、
「内向き」「外向き」と混ざり合わない正反対の思考方法とはいえ、
どちらか一方だけを支持するのではなくて、

互いに創造的な会話のキャッチボールを繰り返して、
高めあっていかなくてはならないのでしょう。

だとすると、創造性や発想力などは、社会に出てから磨くものという
捉え方を改めて、

幼い子も含むさまざまな年代の人が、
アイデアを出し合い、それを洗練していけるような場が
いろんなところにあってもいいのかもしれません。

先日 息子が
「何でもフリーの時代が来たから、有料のものが全て廃れていくのかというと そうでもないよ」と言うので、

「なぜそう思うの?」とたずねると次のような答えが返ってきました。

息子 「有料も無料もどちらもある場合、無料のものの方が有料のものより機能性もデザインも優れているというのに、
それでも有料を使うって人は少数でもいるんだ。

ぼくが使っている麻雀サイトもそうなんだけど、
無料の方が使い勝手がいいのに、
どうしてわざわざお金を払って質の悪いものを使うのかっていうと、
ちゃんと理由があるんだ。

無料だと、誰でも入れるだけに、マナーが悪い人がたくさんいて、
めちゃくちゃにされたりけんかになったり
することもしょっちゅうなんだけど、
有料のとこでは、それは皆無に等しいんだ。

人にはどんな人ともそこそこやっていける人と、
嫌いな人とは絶対やっていけないって人がいるよね。
ぼくは相手がちょっと困った人でもあまり気にならないんだけど、
お金を払うか払わないかっていう一線で、
人を選別することを求めている人もいるんだよ。

それで思ったんだけど、物を作るときは
制作者サイドの質を考えるだけではなくて、
使用する側の視点で質を考える必要もあるんだなって」

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私 「制作者サイドの質を考えるだけではなくて、
使用する側の視点で質を考えるって……
お母さんが工作のワークショップや不定期の科学クラブを開くときにも
重要なポイントでもあるの。

ただ開催する側、教室運営サイドの価値観で質を考えるなら、
何をどれだけ学べるかといった学習内容の質や量、
それから教え方の上手い下手といった教師の質、
価格や開催場所や交通の利便性といった面で、
他の工作教室なり科学教室とある程度、比較することが可能なんだけど……。

お母さんが大切に守ろうと思っている質は、
そうしたものとは、全くちがうものでもあるのよ。
そうした基本的な質に工夫をこらしてはいるけど。

じゃぁ、何を優先しているのかというと、言葉にしにくいんだけど、

お母さんは能力や才能というのは、
『与える』とか『伸ばす』ものというより、
『見つける』ものだと感じていてね。

自然の山に登ると、いろんな珍しい草花や生き物が見つかる
のと同じように、
子どもが集まれば、そこには数えきれないくらいの才能が
見つかると思っているの。」


息子 「あっそうか、見つけるかー!そうだね。
才能って発見するものだよね」


私 「ただ問題なのは、『与える』とか『伸ばす』というのなら、
具体的な教授法なり、学習内容なりを示せるけれど、
『見つける』となると、とても曖昧で未知の部分が大きくなるから、
『外からは見えない価値』とも言えるわね。

でも、そうした『外からは見えない価値』が、
リピーターとして
何度もうちの教室のレッスンに申し込んでくれる人にとって、
最も重要な遠方からも何度も通ってこようと希望する理由になっているのはわかるわ。
今は予約が混みすぎて、新規の募集はかけていないけどね。

具体的な才能というのは、親にとっても本人にとっても、
誰かが見つけて、そこにスポットライトを当てない限り、
ないも同然に潜在しているものよ。

でも、いったん見つけて言葉にして、本人や周囲が
それを受け入れたとたん、才能は現実の世界で芽を出して自然に伸び始めるわ。

たとえば、、東京の工作のワークショップで小1の男の子が、段ボール内を走るビー球コースターを作っていたんだけど、
その様子を見ていたその子のお母さんは
(なんて地味な作品だろう。もっと華やかで、何かあっという仕掛けを作ったほうが……)とずっと思っていたそうなの。

でも、私はその子の
『見えない部分を推測しながら作品を作るという発想』は
すばらしいと思ったし、
その作品には『独創性』や『推理力』という点で
その子の中に潜在している
才能を垣間見せてくれるものだと感じたの。

そうした私の発見は、しっかりその子に届いて、
ワークショップの後で、その子は精力的に作品作りに励んでいたそうなのよ。

滋賀の工作イベントでもこんな作品があったわ。
ワークショップでは基本の作り方をいろいろ伝授するわけだけど、
その時にストロー数本と紙コップを使って簡単な電話の作り方を教えたの。
そうしたら、ストローをこれでもかって
本数つなげて電話線をはりめぐらせた家を作った子がいたのよ。
びっくりしたわ。

きっと、(こうしてみたらどうなるだろう?)という『好奇心』や『探究心』が強い子なのね。それとねばり強さも強みなんだと思うわ。」


息子 (電線をはりめぐらされた家の写真を見て) 「あっ、それ面白いねぇ。すごいすごい」


私 「段ボール内部にビー球コースターを作った子にしても、
電話線をはりめぐらせた家を作った子にしても
それぞれの才能は異なるだろうけど、
どちらもとてもクリエイティブな能力と関係が深いはずよ。

そうした力って、私が教え込んで伸ばすものじゃなくて、もともとそこにあるものを見つけて、本人が磨いていくものなのよ。

最初に話していたのは、制作者サイドの質と
使用する側の視点での質のことだったわよね。

作っている人は作る対象についての既存の
これまでに認められたことのある価値の中で
作っているものの質を測りがちよね。
それを求めて努力している。

もちろんそれは重要だけど、
使用者が使う場で生まれる
それまでにない新しい価値もあるはずなのよ。

『外からは見えない価値』や
『人と関わることで新しく創造される価値』
といった物が★(息子)が言っていた生きた作品になるかどうか、
ヒットを生み出す作品になるかどうかのカギを握っているのかもしれないわね。」


息子 「さまざまな場でIT化が進んで、多くの人の願望や欲望を満たすものが次々生まれているけれど、
そうなればそうなるほどそれを生み出す現場では『アナログな知識』といったものが必要になってるのかもしれないね。
それが『外からは見えない価値』や
『人と関わることで新しく創造される価値』の正体なのかな?

ほら、お母さんの仕事なんてのも、
分厚い教え方のテキストをマニュアル化したもんじゃないよね。
実際、使っているのは人が生きて生活している場の温度が伝わってくるような知識じゃん。

ぼくはよく、
どうしてあんなに流行っているんだろう?
何であんなに人気があるんだろう? って目で
『けいおん!』(かきふらい原作の漫画及びそのアニメ作品)を見るとき
があるんだけど、冗談が飛び交う和気あいあいとした雰囲気の中で、
ひとりでも欠けたらいけないっていう
個が個としてかけがえがない場所を占めているところが人気なんだろうって思うんだよ。

実際の部活は、馴れ合いや義務感ばかり膨らんでいるような場も多いんだけど……。
でもさ、本当のところは、みんなそういうものを
めちゃくちゃに馬鹿にしながら、
そして実際馬鹿みたいにくだらないものになっちゃっているけど
それでもそうした部活や学芸会的なものを一番求めているのかもしれない……
って感じることがよくあるよ。

人と人が、顔と顔を合わせて、ふざけたり、まじめな話をしたり、創造的な何かを共有したりね。
そうした生の体験で感じる感情に飢えているって言ったらいいのかな?

ほら、メイド喫茶に通うのが好きって人にしても、
本当にアニメの主人公みたいなメイドに会いたいってだけで、
そこに通っているんじゃないと思うんだよ。
自分たちはこんなキモイ世界観も好きだと言えるだという
そのドアを通った時点でその場にいる者同士の強い結束感のようなものがあるんじゃないかな?
外の世界で どんなにコミュニケーション不全に悩んでいても、
その空間では自分は完全に受け入れられている……
そこの一員だという安心感のようなものも求めているのかもしれないよ。

『ウォーターボーイズ』にしても『けいおん!』にしても、
あれは映画の世界だ、アニメの世界だって、けっして手が届くことはない遠い世界のことのように語る人は多いけれど、
現実には誰からも遠くはないんだと思う。
誰かが作った規範に従うことが、自分の世界との関わり方になってしまっているだけで、世界は自分がどう思い、どう感じ、何をしようとするかで
自分が望むものとほとんど同じようなものになるものだから。」


私  「そうよね。★(息子)はそういう今の社会に渦巻くさまざまな思いを汲み取って、作品作りに生かしたいの?」



息子  「ぼくはみんなが表面的な意識の部分で望んでいるものではなく、
その心の奥底に眠る本当の願望に訴えるものが作りたいんだ。

マンガ家が『ワンピース』の作者に憧れているから、
『ワンピース』 みたいな マンガが描きたいって思っちゃったら、
そこが到着点になって、それ以上のものを作るのは難しくなると思うよ。
『ワンピース』 より 面白いものが作りたいって
そう思わなくっちゃ、良い作品はできないはずだよ。
すでにあるものを作っても面白くないから。
でも、矛盾するようでも、同時にすごいものを作ろうと自分のプレッシャーをかけたりせずに、
すでに誰かが作ったかも知れないものでも、
まず できそうなものをどんどん作っていって……
とにかくいろんなものをたくさん作って、
確実に夢に近づきたいんだ」









クリエイティブに生きる 1~3

2011-06-29 13:12:54 | 日々思うこと 雑感
過去記事の「クリエイティブに生きる」を読み直したいというお話があったので、記事の途中ですが挟ませていただきます。
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受験中の息子は、90分を一コマとして、何コマかずつ集中的に勉強しては、休憩を取っています。シンセサイザーを弾いたり、マンガや本を読んだり、ネットをしたり、家族とおしゃべりしたりしています。

姉と話すときは遊びや旅行や流行についてや人間関係のことを、
ダンナと話すときは最近のニュース(特にダンナが好きな海外の時事ネタ)について、
私と話すときは、将来どのように働きたいか、どんなものを創りだしたいかといったことがほとんどです。(たまに教育ネタも)

息子も私もクリエイティブに生きたいという強い願望を持っています。
それで、この手の話をするときは、どんだけ? という熱心さで、
話をしています。

息子いわく、
「会話することで、将来、創りたいものが明確にできる。輪郭が見えてくる」そうです。

息子 「大きなビジョンとして、一生のうちにこんなものを作りたいという夢はあるんだ。
最終目標として関しては、一般受けするものより、
マイノリティーを相手にした本当に作りたい物にしたいんだけど……
それ以外では、現代のニーズにあったヒットするものも生み出したいよ。
とにかくいろんな物をたくさん作りたいんだ。」

私 「パソコンとか携帯電話の従来の形や使われ方とは全く異なる形態の何かが求められているんじゃない? 」

息子 「確かにそうだけど、そうした新しさはぼくが作りたいと思っているものとは、また別の分野かな?

研究室に入って最先端の物を作り出すっていうのは、
お母さんが買ってきてた雑誌で糸井重里さんが言ってた
『ツリー構造』の先端を極めていく仕事になりがちだと思うんだ。

糸井さんが挙げていた例だと、ツリーを細かく分けて、
その先々に目をやっていると、
自動車をクリエイティブで考える場合に、
バックライトやワイパーの高性能化につながりやすいってことになるって。

研究室では大衆のニーズよりも、
研究という世界観の中でより注目され、
より価値のあるものを生み出そうと努力しているんだろうし、そ
れは大切なことだと思うよ。
それにもちろん、世の中のニーズに合致する革新的な物も生まれているわけだけど。
でも、そこでぼくが作りたいようなものが作れそうか、ぼくの強みが生かせそうか……というと疑問なんだ。専門的すぎる感じがするんだ」

私 「★(息子)の強みは創造力と洞察力と世の中のこれからの動きに敏感だってことだものね。ひとつの物事をどこまでも極めていって最先端を目指すより、世の中の流れとダンスでも踊るように柔軟に自分の生き方を創っていった方が合っているのかもね」

息子 「うん。
音楽でも、絵でも、高尚なものが必ずしもいいわけじゃないと思うんだ。かといってたくさん売れたらそれが価値を表すわけでもないけど。

でも、低俗だと思われるものの中にも、多くの人に愛されているものは、
そこに人を感動させる何かがあるものだよ。

ぼくは質の上で高いものを求めながら、
同時に低俗だと思われている部分も含んでいて、『誰でもウェルカム』という形に、あらゆる人に開かれている作品が作りたいんだ。

低俗な部分を含んでいるって表現はおかしいかな……
ほら例えば将棋って
幼い子でもルールを覚えればすぐ遊べるけれど、
その深さはどこまでも続いていく感じがあるよね。

かといってそれは最先端技術を生み出す研究から生まれるものでもないし、
単純な思いつきから始まっているわけでもない。
そのシンプルな面白さの底には、
人の営みのとても本質的なものがあると思うんだ。

今はクリエイティブに生きるのは難しいよ。
本当に質が高くて新しいものを生み出す芸術家がいても、
その人が必ずしもお金持ちになれるわけじゃない。

創作活動に夢中になる人の多くが、お金儲けには無頓着ってこともあるけど。
それだけでなくその質の高さが、一部のマイノリティーな人以外の多くの人々拒んでいるてこともあるんだよ。
誰でもウェルカムじゃないんだ。

そこで、その作品をパクって、一般受けする形にするだけじゃなく、
どうでもいい目を引く部分を強調してよさを崩す人々がごろごろいるよ。
それが商売ってものだろうし、悪いわけじゃない。
でも、それが当たり前になって、成功をリードしちゃうと、
クリエイターは生きづらいよね。

ほら、『ニーチェの超訳』にしたって、わざわざニーチェが本当に言いたかったことの本筋からずれたものや、正反対の言葉を取り上げて、
売れる作品に仕上げることだけを目指しているじゃん。

ぼくがどうやってクリエイティブに生きていくかってことを考えると、
創る作業と同じくらい、
どのように創るのか、誰に向かって創るのかというビジョンを明確にしていかないといけないと思っているんだ。」

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プロバスケットボール選手のマジック・ジョンソンの言葉に
次のようなものがあります。
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「お前には無理だよ」と言う人のことを聞いてはいけない。

もし、自分で何かを成し遂げたかったら、
できなかったときに、
他人のせいにしないで、自分のせいにしなさい。
多くの人が、僕にも「お前には無理だよ」と言った。
彼らは、君に成功してほしくないんだ。
なぜなら、彼らは成功できなかったから。
途中であきらめてしまったから。
だから、君にもその夢をあきらめてほしいんだよ。
不幸な人は不幸な人を友達にしたいんだよ。

決してあきらめては駄目だ。
自分のまわりをエネルギーであふれた、
しっかりした考え方を持っている人で固めなさい。
自分のまわりをプラス思考の人で固めなさい。
近くに誰か憧れる人がいたら、その人のアドバイスを求めなさい。
君の人生を変えることができるのは君だけだ。
君の夢が何であれ、それにまっすぐ向かって行くんだ。
君は、幸せになるために生まれてきたんだから。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
世の中、本当に多くの人が
「お前には無理だよ」と忠告することに熱心です。

うちの子が灘中を受けたいと言い出したときも、
担任も他の先生も友達の親もこぞって、
「そんなの無理に決まっている。やめた方がいいよ」と言い、
決意を変えないと、しまいには怒り出しました。
小学校の図書室で分厚い専門書を借りようとしただけで、
「そんな読めもしない本を借りるのはよしなさい」と叱られました。

私が「ファンシーショップをしたい」と言い出したときも、
周囲の人は、「そんなのうまくいかないに決まっているから、やめた方がいい」と必死で止めました。
知人の自閉症の息子さんのことを、周囲の専門家たちは「この子はしゃべれるようにならない」と言いました、
虹色教室の生徒の子の多動がひどかったとき、
療育の先生は親御さんに「この子は黒よ。あれもできるようにならない、これもできるようにならない。早くあきらめなさい」と忠告しました。

そんな風に他人に、「お前には無理だよ」というメッセージを送ることに
自分の持つ力を注ぎこんでいる人々をよそに、
うちの息子はコツコツ自分で勉強し、難しそうな本にチャレンジしたし、
私はお店を開いて「もう一軒、店を開こうか」と考えたほど
羽振りの良いときもありました。
知人の自閉症の息子さんは小学生になってからしゃべりはじめ、今では短い日記を書いています。
「あれもできない。これもできない」と言われていた教室の生徒は、
知能が高く創造力のある子に育ってきました。

それぞれ「お前には無理だよ」と言う人の忠告に従わなかったからといって
何も失わなかったし、
とてもたくさんのものを得たのです。

上のマジック・ジョンソンの言葉は、
『働く理由』戸田智弘  ディスカバー・トゥエンティーワン
という本の中で見つけたものです。
他にもすてきな言葉がたくさん集められていたので紹介させてくださいね。


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才能とは継続する情熱のことである
       (モーパッサン)
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大体、すべての新しい才能は、役に立たない才能からしかスタート出来ないんだぞ。何の役にも立たない才能を、ただ普通に存在する有用な才能に変えていくことこそ変革って言ったりしてね。
それができる人間のことをこそ゛才能がある゛って言うんだ。
           橋本治『若者たちよ!』(河出書房新社)
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このふたつの言葉、本当だな~と思います。
そして、ただたゆまず前進し継続するだけでいいことを、
どうしてやる前から「お前には無理だよ」という言葉でやめさせるのか、
またあきらめてしまうのか……。

ずいぶん、もったいないことです。
クリエイティブに生きるとは、
他人が何度も通ってきた安全で退屈な道を歩むことではなく、
自分で選び、自分で考え、自分の足でゆっくり楽しみながら歩いていくことなのでしょう。

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夕食時に、携帯でヤフー知恵袋を使ってカンニングしようとした事件の話題がのぼりました。
テレビでこう言ってただの、
それはおかしいだの、こう思う、ああ思う、こうなんじゃないの?
 ああなんじゃないの?とさんざん好きなことを言い合った後で、

ダンナと娘はさっさと自室へ退散し、息子はまだくつろいだままでiPod touchをいじっていて、私は食後の後片付け。

こうした事件を、ばっさりと「こういうこと」と結論づけてしまうことに
抵抗がある私……
まだ、気持ちがもやもやとくすぶっていました。

私 「予備校の模試のような
それほどチェック体制が厳しくないところでカンニングをしてしまうと、
それで周囲からは成績が良いと見られるし、

周囲からこれくらいできる人といういう目で見られているから……
途中から、現実の自分の実力で勝負ってわけにいかなくなって、またカンニングを繰り返す……
という悪循環に陥っていたんじゃないかしら?

今回の事件は許せない犯罪ではあるけれど、
犯人は『親や教師や周囲の人々の期待や評価や価値判断の犠牲者』
のようにも思えて痛ましいわ。

今の教育でいくと、いざ大学受験となったとき、
ある面で大人たちに騙されてきたような感覚がると思うのよ。
大人は子どもにとって必要なことは何でも知っているし、
何でも教えてあげるし、言うことさえ聞いていたらどんな望みもかなうんだよというスタンスに。

子どもに計算や字の練習を先取り学習させている幼児の親が、
『早い時期から始めたから頭が良くなるとはとうてい思わないけれど、就学後に良い成績が取れるようにしておいてやると、子どもは自分はみんなよりできるんだ、賢いんだと錯覚する。そうしたら、がんばるじゃないか?』と言ったり、
計算の系統学習をさせている塾の教師が、『意味がわかっていなくても、取りあえずできるようになっておけば、理解は後からついてきます。良い成績が取れないと、子どもはやる気になれないものだから、まず良い成績を取らせてあげることが先決です』
と言ったりするのを聞いて、

それも一理あるかもしれないど、そうした錯覚が無効になるのが大学受験じゃないかと思って……。

どんなに素直に大人の指示に従ったところで、『できないもの』は『できない』し、
できないからって、『怠けてるんでしょ。がんばってよ』って責められても、
『がんばったからって必ずしもできるわけじゃない』って問題にぶつかるのが大学受験でしょう?

子どもをお勉強マシーンにするために うまいこと持ち上げて、
プリントをこなしたら表彰してもらうとか、
ワークをし終えたらプレゼントもらえるとか、
テスト結果で格上のクラスに入れてもらえるとか……

周囲が作り上げた動機に煽られて、
自分は賢いんだってプライドだけで、どこまでもがんばってた子が、

いきなり、
『自分の頭で考えろ。解法を自分で作り出せ』とでも言って冷や水を浴びせられるような難問……
を解くことになったら、
そりゃ、ヤフー知恵袋のようなものにでもすがりたくなるんじゃないかしら?
まぁ、テスト中に頼るのは論外だけど。

どこが騙されたように感じる点かというと、
大人が『これをしなさい』と与えるものの多くが、
その目的のために本当に必要なものを見極めて、そこから遡って、これをしなさい……と勧めているわけじゃないってことよ。

『絶対、いるから』と言っている割に、
『念のために……必要そうだと思えるもの、本当のところは自分にもわからないけれど、みんなが大事と言っていたもの、何か作業さえしておけばきっと役に立つと思われるもの』のために
闇雲に努力させるってことが多いことなのよ。

それが全て悪いわけじゃないわ。
でも、いつもいつも大人が解法を示しながら育てておきながら、最終目的では『教わらなくても自分で考えることができる力』を求められていた
って事実は痛いでしょう?」

すると息子がiPod touchから顔を上げて、次のように答えました。

「そうだね。そういう考え方もあるよね。
違法ダウンロードしろ、他人の作品をパクるのにしろ、
今回のようなカンニングにしても、犯罪と犯罪ではないことの間の壁が薄いよね。
ぼくはそうした軽犯罪……と言っていいのかわからないけど、最近問題になっている犯罪の後ろには、
『自分ひとりの影響力はたいしたことはない……』という気持ちがあると思うんだ。
『お前もおれも、その他大勢に過ぎない』という捉え方かな?

本当は、ひとりにできることって、いっぱいあると思うんだ。
誰でもどんなことでもできるとまではいかなくても、
例えば、先生になったんなら良い先生になろうって本気で努力することができるし、
その努力が周囲に与える影響力は大きいよね。
学校の先生は、『そんなことをしたら他の子が真似するだろう』って叱ることがよくあるけど、そういう言葉は、『お前はその他大勢に過ぎないし、おまえの行為は個人の行為としては善でも悪でもない』と言っているようで嫌なんだ。

ひとりにできることはたくさんあるし、自分ひとりの周囲に与える影響力は大きい……そう考えて、自分の行動に責任を持つなら、
犯罪に手を染めたいとは思わないはずだよ。

学校じゃ、善意をパターンで教えようとするよね。
でも、そうやってパターン暗記で覚える善意なんて、悪い宗教というか、迷信のようなもので、誘惑に会えば一瞬で消えてしまう。

ぼくは、小学生くらいの時から、善意と悪意について、よく考えを煮詰めていって、自分なりに納得できるしっかりした考え方をつかんでおくといいと思っているんだ。
学校じゃ、危ない意見が出てきたら先生じゃ対処できないからなのか、
子どもたちにじっくり考える暇を与えないよね。
でも、子どものうちに、本当の善意とはどういうものなのか、自分の考えを自由に言う機会があったなら、じゃあ自分はこれから世界とどう関わっていきたいのかって
方向が見えてくるはずだよ。」







今日の ちょっとうれしい出来事♪

2011-06-29 09:47:34 | 日々思うこと 雑感

今日、ちょっとうれしい出来事がありました。

アメリカのシアトルで幼児教育に関わる仕事をしておられる方から、
あちらの幼児教育現場の視察に誘っていただいたのです。
これまで何度か虹色教室に足を運んでくださり、私の教室での実践に
共感してくださっている方です。

出不精の私にとって、海外行きは大きなチャレンジですが、
ぜひ海外の教育事情や子どもたちの様子を自分の目で確かめてきたいです!
もし実現したら、ブログでもくわしく報告しますね。


子どもの個性に合わせたた知的な働きかけ 3

2011-06-29 07:50:45 | 幼児教育の基本
前々回の記事
★くんの話題に戻りますね。

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親御さんは大らかな子ども好きな方で、★くんとの相性はピッタリでしたが、
次々と新しい知的な刺激がほしい★くんの知的好奇心を満たしたり、
この性質の子の衝動性や飽きっぽさを
どのようにして根気よく探求していく態度に導いていったらよいのか
わからない様子でした。

★くんは、動きがあって、働きかけたことに対してフィードバックがすぐに返ってくることが好きです。

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たとえば、エレベーターに乗る時に、★くんは、
開閉ボタンを押す役をしたくてたまりません。

記号や漢字も覚えてしまって、開きたいときに、「開」のボタン押して、
閉じたいときに「閉」のボタンを押すのを覚えてしまっています。

ここで、★くんが思考タイプの子だとすると、
「だったらこういう漢字のときはどうなるの? 
だったら、こういう記号のときはどうなるんだろう?」などと、
文字とそれが表現するものの関係について、
追及することに興味を持つかもしれません。

また感覚タイプの子ですと、
「この漢字は何?」「この漢字は何?この字はくねくねしてしっぽみたいなのが
ついているね」と
漢字を見分けることに興味を持つかもしれません。

でも、★くんの言動からは、感情と直観が優れている子だと思われました。
ですから、もし親御さんが、「この子は漢字を見分けることができるんだな」と感じて、
別の漢字も次々教えていこうとしたとすると、
おそらく気もそぞろの態度が増えて、
じっくり考えることをやめてしまうことでしょう。

なぜかというと、感情と直観が優れている子というのは、
とても合理的な一面があって

「今、自分が世界に向かって働きかけたいこと」

に直接、影響を及ぼさないことを
ごたごた考えたり、知識を身につけてもしょうがないと思っているところがあるのです。

それで、親御さんが、何かというと、ついでにあれこれ教えようとすると、
うるさがって勉強嫌いになることもあります。

こうしたタイプの子は、現実的で、空気を読むのがうまく、
世界から直に最重要事項を嗅ぎ分けて いつも そこにフォーカスしているとも
言えます。

といっても、大人があれこれ教えようとすると うるさがるからといって、
放っておくと、この開閉ボタンのような知的な興味も
たちまち、おふざけの種となってしまいがちです。

電化製品のスイッチを押したり、テレビのリモコンを連打したりして、
とにかくパッパと光が点滅したり、映像が変わりさえすれば、「おもしろい」となって
終わりがちなのです。

それなら、こうした性質の子には、どのように働きかけると、
集中して考える習慣が身につくのでしょう?

次回に続きます。


子どもの個性に合わせたた知的な働きかけ 2

2011-06-28 20:27:54 | 幼児教育の基本
★くんの話の続きの前に少し前置きをさせてくださいね。

子どもの個性に合わせて知的な働きかけ方を変えるというのは、
すごく難しいように思えますが、
ひとつ簡単なコツがあります。

何かしている子どもに
「最初に声をかけるときの内容やタイミング」に注意するということです。

どうして、「最初に声をかけるときの内容とタイミング」が大切なのかというと、
次のような理由があります。


たいていの親御さんは、

親の願望とか親の動機とか、親の目に映ったものとか、
親の内面から出てくるもので、

子どもとの会話を始めようとします。

でも、子どもはぼんやりしているように見えるときも、

子どもなりの興味のある切り口で世界を眺めているし、
子どもがしてみたいことを「やってみようかな」と考えています。

幼くても、
子どもなりの見え方とか、子どもなりの面白さとか、子どもなりの動機や価値観を
ちゃんと持っているのです。

でも、親御さんの興味や願望から声をかけられると、
まだ自分の意志や思考を保つことはできませんから、
目的を定めたり、イメージしたり、考えたりするのをやめて、
親御さんの声の通りに動こうとします。

すると、とても気が散りやすくなるし、気持ちのこもらない取り組み方をするようになります。

といっても、親だって親自身が目にしているものを子どもと共感しあいたいし、子どもにあれこれ見せてあげたい、教えてあげたいと思いますよね。もちろん、それは構わないし、子どもにも、いい刺激になることも多いです。

でも、やっぱり、最初の声かけでは、それはしてはいけないと思うのです。

あたり前のように、「みてみて、●●ちゃん」「●●ちゃん、これしてごらん」「●●ちゃん、あれなあに?」と
言い続けている親御さんの子は、
何でも親に頼って自分で行動したり考えたりしなくなったり、
メタ認知力が弱くなったりするように思います。
また、子どもの個性的な長所が弱まったり消えたりするようにも思います。


なら、どのようにして声をかけるといいのでしょう?


その子が世界にどのような関心の向け方をしているのか、

どのような視点で見ているのか、

どのような態度でいろいろなものごとに関わろうとするのか、

まず子どもが発信するものをしっかり受信して、最初のうちは、親の言葉はほんの少しでいいと思っています。



「シャワーのように言葉を聞かせないと、知能が発達しないのでは?」と心配する方もいますよね。

もちろん、子どもは親の言葉をたくさん聞きたがります。
でも、子どもが親に聞かせてもらいたがるのは、
自分の関心があることを、
上手におしゃべりできるようになるために必要な言葉です。


自分の考えていることの気を散らすようなことばかり、
山ほど耳にしたいわけではありませんよね。

大まかに分類すると、子どもたちは、

感覚が優れている子、思考が優れている子、

直観が優れている子、感情が優れている子という性格タイプによって、

親から最初にかけてもらいたいと思う言葉がちがっているように思います。

それにとらわれる必要はないけれど、参考にすると、いつも子どもの気持ちを無視していないか
気づきを得ることができますよ。

感覚が優れている子たちは、たいてい、まずどんな色でどんな形状で、どのような順序で動いているのか、
計測するように観察することから
関わり始めます。
それから、それを「やわらかい」とか「冷たい」とか「赤と青のしましま模様」など、それを形容する言葉を
話題にしたがります。

親御さんにも、そうした細かい五感で感じ取る差異を表現する言葉を使ってもらいたがります。

感覚タイプの子には、秩序だった分類を好む子と、音や光の美的センスに敏感な子がいます。

「そうしたタイプによって、自分が言いたい言葉も親に使ってほしいと思う言葉もちがってくる」と知っていると、
まず、子どもが関心を持っている話題でたくさん話をしてから、
親の言いたいこともいう……というバランスが取れてくることと思います。


直観タイプの子でしたら、動きがあって、仕組みについて表現する言葉を好む子が多いです。
理由を探求するための言葉も使ってもらいたがります。

「エレベーター、あっ開いちゃった、あっ閉まっちゃった。どうしてかな?あれぇ?」とか
「上にどんどん、上にどんどん上がったねぇ。Aちゃんが、引っぱったら、カゴが、
バイバイって上に行っちゃうね。どうしてかな?」と問いかけて、
すぐに答えを出さずに「どうしてかな?」と探求しつづけることを好みます。

思考タイプの子たちは,
いろいろやってみる前に自分で結論づけたり、仮説をたてたりするのが好きな子が多いです。


2歳くらいの子でも、このタイプの子は、「ああ、虫さん行っちゃったね。太陽があるからね、暑いよ~暑いよ~って、行ったんじゃない?あのね、虫さんはね、~~なんだよ。だからねうんぬんうんぬん~」と延々とひとりでしゃべり続けています。

会話するというより、自分の考えを説明するように話します。
見ることよりも、自分の中に浮かんでくる考えに興味を奪われているように見えます。
思考タイプの子には、自分で考えるのが好きなので、
正しい知識を与えて、考える意欲をなえさせず、
質問したり、相槌を打つときに、新しい語彙が増えるように
親御さんがいろんな言葉を使う工夫が必要だと思います。

感情タイプの子はとてもおしゃべりで会話好きです。人の気持ちを表すことばや、実体験に基づく言葉や
ごっこ遊びで役立つ言葉が好きです。

「先生がね、お菓子ちょうだいって言ったら、●ちゃんが、いやよって言って、先生がもう一回ちょうだいって言ったら、またい~や~よって言ったのよ。悲しいな~悲しいな~えーんえーんって泣いたのよ」
といった感情の動きや人と人のやりとりを含んだ話を聞きたがります。

上の例は幼い子たちへの声かけの例ですが、
もちろん少し大きな子たちにも、その子たちの性質に合わせて
言葉を選ぶと、
喜んで話に乗ってきて、懸命に頭を使って考えはじめることがよくあります。

特に、最初の言葉は子どもの関心のあることから始めるようにすると、
キラキラした眼の輝きや集中力が変わってきますよ。

次回に続きます。








子どもの個性に合わせた知的な働きかけ 1

2011-06-28 15:12:15 | 子どもの個性と学習タイプ

ユースホステルでのレッスンに行ってきました。

とっても楽しかったです。
今回の2歳さんと、3歳さんたちは、みんな初めて会うお友だちだったのに、
帰りに、「お家に帰りたくない。お家はパワーショベルで壊れちゃったよ(自宅が壊れたから、ずっとユースホステルにいよう、と物騒なことを言っています」「バイバイしない」「もっともっと遊ぶ」とずっと前から親しい友だち同士のように
別れを惜しんでいました。
今回は、ユースホステルの1階にあるレストランで夕食がでました。(ときどき、食事場所が変わるようです)
このユースホステルは各部屋にクーラーや洗面台などがあって、とても清潔で、職員さんたちがとっても親切です。

国際評価ランキングで世界一清潔なユースホステル
に選ばれている模様。快適な時間を過ごせました。
幼稚園児や小学生は夏休みなどに限られるのでなかなか実現しないのですが、未就園児は要望があれば
また何度か開きたいと思っています。

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子どもはひとりひとり個性が異なります。
ですから、親がその子の個性を感じ取る感受性を高めて、
子どもにピッタリ合った働きかけをすると、
子どもの思考力や集中力が急速に高まるようになります。

ユースホステルでのレッスンは、時間がたっぷりあったので、
それぞれの子の個性にフォーカスして働きかけると、
どれほど子どもの表情が輝きだして、うれしそうに学ぶようになるのか
実感していただけました。

たとえば、今回、参加していた3歳の★くんは、
外向的感情の直観寄りの子か外向的直観の感情寄りの子のようで、
いつも朗らかでいきいきとしていて、運動能力や人間関係能力が高く、柔軟で瞬発力があって、
創造的な性質でした。

知的好奇心が強く、自発的ですが、少し衝動的で飽きっぽいところがありました。お友だちにも、大人にも自分からどんどん関わっていって、上手に遊びます。ときどき、興奮して、ふざけすぎたり、ちょっと乱暴に振舞うときもありますが、
ちゃんと加減はできているおりこうさんです。

親御さんは大らかな子ども好きな方で、★くんとの相性はピッタリでしたが、
次々と新しい知的な刺激がほしい★くんの知的好奇心を満たしたり、
この性質の子の衝動性や飽きっぽさを
どのようにして根気よく探求していく態度に導いていったらよいのか
わからない様子でした。

★くんは、動きがあって、働きかけたことに対してフィードバックがすぐに返ってくることが好きです。


引っぱりますが、次回に続きます。



男の子とごっこ遊び

2011-06-28 13:51:40 | 工作 ワークショップ


女の子たちにまじって男の子もごっこ遊び。

女の子たちが、ままごとの世界を展開するのを尻目に、「ごっこ遊びなんていや。ゲームもつまんない。工作もいや。何にもしたくな~い」と言っていた★くん。
「消防士さんになって、このホースで火を消しにいこうよ」と誘うと、「する!する!」と乗り気になりました。

消防士だけではつまらないので、警察も兼業することに。
手錠と牢屋を作りました。

このふたつだけでは、仕事に飽きちゃうからと、
郵便屋さんとアイスクリーム屋さんと、博士とお父さんの役もすることにして
ご満悦でした。
お兄ちゃん達のグループが残していった宝物と呪いの札を探すミッションも
していました。






女の子たちは、お料理をしたり、買い物に行ったり、ペットの世話をしたりと
大忙しです。

遊びながら、数のこと、時間のこと、数学的な考え方についてなど、
いろいろ学びました。


息子とおしゃべり

2011-06-26 06:16:02 | 日々思うこと 雑感

受験生の息子。息子が一番よく話題にするのは、受験を飛び越えて将来の仕事のこと。
次に受験勉強をしていて気付いたこと。
それに続いて世の中の動きや趣味の音楽、ネットの話などが多いです。

先日はこんなことを言ってました。
「最近、感じたんだけど、とにかく初心にかえらなきゃダメだなぁって」

「初心にかえるって?」と聞き返すと次のような答えが返ってきました。

「これってネットとかテレビなんかの弊害でもあるんだろうけど、情報単体で受け取って
知った気になって、自分がすべて何も知らないってことを
ずっと忘れていたんだ。

知識ばかりが増えすぎて、わかった気になっちゃうんだけど、
でも実際やってみたら全然ちがうんだよ。
でもそれがこのところ受験勉強に行き詰っていた原因なのかなって思ってさ。

ピアノにしたって、知識でお腹いっぱいになって、これはこういうものとわかっている気でいても、
実際、弾いてみたら、知っているのと、リアルな現実は全くの別物だよ。
それも一回するだけじゃなくて、ずっと続けてみたら
続けないとわからないことがたくさんある。
当たり前のことなのに、それに気付かないもんでさ。
わかっていても翌日になったら 自分がすべて何も知らないってことを
忘れてしまうんだ。
毎回、毎回、しらん、しらん、って思い出すようにしててもいいくらいだと思ってさ」


私 「そうなの。全て何も知らないことを確認すると、どんないいことがあるの?」

息子 「ぼくの世代はたいていそうだと思うけど、知識としてはたいてい何でもっていっていいくらい知っているんだ。
だから世の中全部がわかった気になっているし、実際によく知ってもいる。

そのせいで、何をするにもちょっと冷めたところがあるんだけど。
たとえば、友だちとボーリングに行くにしても、初めてボールを転がす時点で、
初心者の平均得点を知ってたりするんで、今日の自分の得点はきっと平均にプラマイ10点くらいかな~なんて
無意識に予測しながら遊んでいる。
ボーリングだけじゃなくて、何をするにしても、知識のフィルターがかかっているから、
どこかで本気で楽しめないところがあるんだ。好奇心が動かなくなっているというか。」

私 「そうよね。事前に知識を持ち過ぎていると、先が見えないからこその面白さが失われるわね」

息子 「小学校の時もさ、事前に全てを説明されて。説明通りに実行していくことが
学校生活でもあったから、何もかもが予定調和で、好奇心が動くことがなかったな。
勉強も活動も、作業になっていたから。

でも、同じようにそれらをするにしても、その人自身の心の持ち方次第で
世の中は無限に変わるんじゃないかと思うようになったんだ。
お母さんは知っているだろうけど、ぼくは自己啓発書とかスピリチュアルといった言葉でくくられるような話に
あまり興味がない。でも、『無知の知』なんていう哲学とか宗教っぽい言葉が、
今の自分たちに必要だなと強く感じているんだ。イメージとして、無知の知をいつも意識していくことが、
今の僕が囚われている閉塞感から抜け出す方法のように思えている。
知識だけで思いあがっちゃいけない、って思っとくことは大事だよ」

私 「無知の知って難しいわよね」

息子 「ネットの情報で世界の情勢や経済事情を目にしていると、実際には現場にいないのに、
その触りの部分すらリアルには知らないのに、もう現場にいる気分になって
あれこれ講釈してしまう。
でも、それはかなり思いあがった態度だよね。
ぼくなんて今、受験中で動き回れないからバーチャルリアリティーの世界にどっぷりつかっているようなところがあってさ。
でも、それが勉強にも悪影響を与えていた気がしているんだ。

勉強を続けていると、知識だけは自然に溜まってくる。
でも、数学を解くにしても、本当は知識で頭を使うのとは別次元の
何かがあると感じているんだ。
ほら、絵にしても音楽にしても、知識では語れない次元の価値があるよね。
数学とか、他の勉強にしても、忘れがちだけどそういう面があると思うよ」

私 「そうよね。数学に美しさを感じる人がいるもんね。」

息子 「ぼくも毎日、問題を解いているせいで、次を解いたら、受験のこの部分を攻略できて、
次はこうこうすればいいんだな、先のことまで見とおした気持ちになってしまうんだけど、
まだ解いてもないのにわかった風になっている悪い傾向だと思ってさ。

だって、次の一問を解いたら、突然、世界に対する視野が一気に広がるかもしれないし、
ひとつの問題との出会いが自分の人生に深い意味をもたらすかもしれないじゃん。
まだやってないものは、何も知らないんだよ。
それをわかっていないと、わかっているという思い込みに未来が浸食されて、
好奇心が枯れてしまう。
はじめに受験数学というくくりのなかで数学を捉えて学びはじめるとさ、
勉強の上での新しい出会いはなくなって、どれもこれもが工場での仕事と同じになってしまう気が
しているんだ」

私 「言いたいこと、よくわかるわ。お母さんはいろいろ感じることはできても
●(息子)のように、それを自在に言葉にあらわすことがうまくできないから、
感じたことをうまく言葉にあらわせる●がうらやましいわ。
それで、無知の知に気付くと、そうした問題は解決するの?」

息子 「無知の知ってあくまでもイメージ上の言葉だけど、
思いあがったらいけない……といった自分を罰するような意味で捉えるのでなくて、
さっき言った……その人自身の心の持ち方で
世の中は無限に変わるという肯定的な意味で使いたいんだ。
そこにあるものを楽しむ力を復活させるというか、
すべてを新しいものとして捉えることで、自分の目の前には常に新しい出会いが生まれ続けていて
新鮮な好奇心や感動を味わうことができると思うんだ。
受験勉強は単調な作業の繰り返しの部分もあるけれど、
心の持ち方ひとつで、ずいぶん変わってくるからね。今日、解いていた現国の問題でも、
僕自身に向かって投げかけられているような問題だった。
この間から将来、就きたい仕事についての話でしていた、良すぎるものは常に強いものではない、ということについて、
いろいろ考えさせられたよ」

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このところ、私は仕事で、息子は勉強で忙しくて
じっくり会話をする時間が減っていたのですが、久しぶりに長い時間話込むと面白かったです。
ちょっと停滞……という時期からも、いろいろと学んでいるんでしょうね。明日からユースホステルでのレッスンですので、次の更新はあさっての6月28日火曜日の午後になります。
7月5日のユースホステルでのレッスンに息子がボランティアとして参加することになりました。娘や事務Kちゃんに声をかけていたのですが、予定があるようだったのと、その日は男の子たちの参加が多かったので……息子に頼むことになりました。
小さい子の相手はあまり慣れていませんが、よろしくお願いします。

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