虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

子どもの内面に 言葉にできないうっぷんが溜まっている時には? 5

2016-05-31 08:41:19 | 日々思うこと 雑感

子どもの内面に 言葉にできないうっぷんが溜まっている時には?4の記事で

こんなことを書きました。

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「子どもにはいろんな意味で、十分なスペース(余白)が必要だと感じています。

しつけ上のルールにも。

時間にも。

空間も。

人間関係も。

大人の考えにも。

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この日の話でまだ登場していないBくんの話を書かせてくださいね。

最近、保育園に通い出したというBくんは

集団での関わりに少し疲れているのか、他の子らの遊びに近づかず

ドールハウスやブロックでひとり遊びをしていました。

以前は、みんなでするゲームなどの活動をそれなりに楽しんでいたのですが、

今回は、呼びかけても聞こえていないように振舞って、警察署のドールハウスの一室に

金貨のおもちゃを入れることに熱中していました。

 

そんなBくんの姿を気にかけたBくんのお母さんは、

AくんやBくんのお兄ちゃんが遊んでいる方向を指さして、

「ほらっ、あんな面白そうなことしているよ。ほらっ」と声をかけては

Bくんの注意を他のふたりのもとに向けようとしていました。

そうするのが悪いわけではないし、そうする必要がある場合もあるけれど、

今回は、そうした働きかけを控える必要を感じました。

 

大人の心が不安に覆われて、子どもを自分の思う方向へ動かそうとすると、

子どもが自分で感じたり、何をしようか決めたり、考えたりする時間を

奪ってしまいます。

人との関わり方も、相手の思う方向へ動かされるかスルーするかといった

限定されたものになりがちです。

 

とはいえ、子どもが他の子のすることに興味を持たずにひとり遊びを続けていたら、

どうしたものかと戸惑ってしまいますよね。

 

どうすればよいのかのひとつの答えは、

焦る気持ちを脇において、スペース(余白)を作ることだと思っています。

 

今回のBくんでしたら、Bくんのひとり遊びをやめて

他の子らのところに遊びに行かせようとするのではなく、

まず「どんなことに興味をそそられているのかな」とBくんの遊びを眺めます。

Bくんはドールハウスのなかに金貨のおもちゃを詰め込んでいました。

大人の目には、やめてほしいこと、無意味なこと、赤ちゃんぽいことをしているように

見えるかもしれません。

でも、よく見ると、Bくんはどんどん金貨を入れると、

金貨に押されてドールハウスのドアが開くのを楽しんでいるのがわかりました。

 

そういえば、以前、Bくんと、ブロックで同様のビー玉を詰めて、

出口がビー玉の重さで開く遊びをしたことがあります。

そこで、スーパーボールを上から入れて行くと、

下からポコポコ飛び出してくるしかけのブロックタワーを作ってみました。

すると、Bくんは信頼感のこもった笑顔をこちらに向けて、

いっしょに遊びだしました。

今度はBくんのもとにお兄ちゃんやAくんがやってきました。

Bくんはハンバーガーショップのドールハウスに、

ていねいにハンバーガーを分類しておいていく

遊びを始めました。同じ種類のもの同士分類するのが楽しい様子。

ちいさなハンバーガーのおもちゃの感触を楽しむ姿もありました。

 

お家で、ブロックタワーのようなおもちゃを作る必要はないのですが、

他の人のすることに興味を失っている子やもともと人への興味が薄い子には、

大人の側が、その子のしていることへの強い興味を示すことが

大事だと感じています。

興味を持たせるのではなくて、興味を持ってあげると、

「面白さ」を共有することができます。

その子の見つけた面白さを、もっと別の形でも楽しめないか試行錯誤してみると、

興味しんしんで近づいてくるかもしれません。

 

そうした関わりには、大人の「こうしてほしい」「こうであってほしい」という

思いからくる窮屈さがないので、人との関わり方に余白が生まれます。

お母さんとの関わりが楽しいと、他の子は何をしているのかなと

気持ちが外に向かいだすものです。


計算が好きになる電車に乗る時の遊び

2016-05-30 19:07:42 | 算数

『あそびま集』という本に載っていたアイデアをちょっとアレンジした

遊びを紹介します。

電車で出かける際、切符を買うことがあったら、

裏にある4つの数字を見ます。

どの順番でもかまわないので、この4つの数字を足したり引いたり、

(できる場合)かけたり割ったりして10になったら、

『ラッキー』な切符をゲットしたことに。

 

上の写真の切符でしたら、

0+2×5×1=10

とか、

0×1+2×5=10などがありますね。

かけ算を学習する前の子たちとかけ算をする時は、

「2が5個だから、2+2+2+2+2」と計算します。

 

2ケタの暗算ができる子には、

2つの数字を組み合わせて、2ケタの数字を作って計算して100になったら、

『超ラッキー』な切符、という遊び方も楽しいです。

 

切符を持ち帰りたい時は、駅員さんに伝えると

改札を出た処理をしてもらってから

持って帰ることができます。

 


ピタゴラ装置を作ったよ♪ <ボールの重さで結果が変わる>

2016-05-30 07:10:47 | 工作 ワークショップ

小4のAくん、Bくんのピタゴラ装置作りの様子です。

教室の道具を棚に片付ける時のために新調した脚立。軽い素材で扱いやすいです。

その扱いやすさが幸いしてか、災いしてか、

毎回のようにピタゴラ装置遊びに登場するようになりました。

 

今回のピタゴラ装置のメインは、『てこ』の利用。

転がったビー玉が手作りのシーソーに取り付けたコップに入る

   ▼

重さでシーソーの傾きが変わる

   ▼

シーソーに取り付けた紙が持ち上がると、紙の後ろに置いていた木の玉が転がる

   ▼

(最初の作戦)転がり落ちた木の玉がおもちゃのショッピングカートに入り、

ショッピングカートが発進する。

   ▼

(改良後の作戦)ブロックのドミノ倒しをする

 

うまくいかないことの連続。

 

転がす玉(ビー玉のサイズ、玉の素材など)が

成功のカギを握っていることを実感したふたり。

 

微調節、微調節の繰り返し。最終的に、ゴール部分を変更することで

成功していました。(ドミノが完璧に倒れたわけではないので、半成功?)

 


歴史好きな子、お城やお寺が好きな子のおもちゃと遊びの広がり

2016-05-29 20:15:44 | 記事のまとめ(リンク)

教室には、「テレビの時代劇から歴史が好きになった」

「大阪城に出かけて以来、大のお城好きになった」

「幼稚園や学校で武士の話題が流行っている」

「忍者好きから歴史も好きになっていった」といったきっかけから、

歴史に関する話題が大好きになったという子らがたくさんいます。

 

上の写真は、3D立体パズル の大阪城と姫路城です。

この3Dパズルのシリーズは比較的安価ですがとてもしっかりした作りです。

作るのも楽しいし、作った後で、縄張り図を見ながら

ブロックや積み木でお城の周辺を再現すると遊びが広がります。

 

縄張り図を見ながら……といっても正確なものではなく、迷路作りの延長ですが……。

 

今は販売されていないと思いますが、『風林火山』ゲームです。

ルールを易しくして、幼い子や発達に凹凸のある子たちも楽しめるようにしています。

 

<ルール>

サイコロをふたつ振って、出た目の組み合わせが書いてある陣地に

自分の色の武士を置いていきます。

同じ陣地を取りあうことになったら、トントン相撲で勝負します。

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過去記事から歴史やお城やお寺に関する遊びの様子を

紹介しますね。

↑ はブロックで作ったお城とお城の周辺。

敵が攻めてきた時に橋が落ちようにしています。

 

寺院好きの小2の女の子たちが作った三重の塔。

 

小1の城好きの男の子が発泡スチロールカッターを使って

作ったお城。お城の守りの方法を研究するのが好き。

 

小学3、4年の子たちの彦根城。

 

『狭間(さま)』 ↑  戦闘の際、ここから鉄砲などで攻撃した

壁や塀に作られた三角形や四角形の隙間。

 

9~11歳の子らが協力して作った清水の舞台。

 

 


子どもの内面に 言葉にできないうっぷんが溜まっている時には? 4

2016-05-29 06:57:15 | 日々思うこと 雑感

前回の記事で、Aくんに笑顔が戻ってきて、いきいきとしたAくんらしさが

発揮されだしたのはなぜでしょう?

 

子どもにはいろんな意味で、十分なスペース(余白)が必要だと感じています。

しつけ上のルールにも。

時間にも。

空間も。

人間関係も。

大人の考えにも。

 

 子どもは、自分の本当の気持ちを言っても大丈夫というスペースが保証されていないと、

自分の思いを別のネガティブな行動で表現することがよくあります。

本当の気持ちを言っても大丈夫というスペースを作るとは、

「その場で本音を言ってごらん」とアクションをかけるような浅い対応ではなく、

子どもは過去の出来事を事細かに記憶しているものだし、従う従わないに関わらず

大人の言葉の影響を大きく受けているものだと知った上で

子どもの思いを尊重して対応することです。

 

Aくんの「貸したくない」「全部、ひとり占めしたい」という気持ちには、

「電車は、全部電車の仲間だからここだよ。電車が1つなくなったら、

間があいちゃうからダメだ」という、今、敏感になっている秩序への思いが含まれて

いるのでしょうし、

「ぼくが最初に遊んでいたよ」

「さっきBくんのお兄ちゃんに別のおもちゃを貸してもらえなかったよ」

「前の時はぼくのお兄ちゃんが全部取ってしまって、

ひとつも貸してもらえなかったんだよ」という訴えや過去の体験で味わった不満感を

再び心の浮上させようとする行為でもあるのでしょう。

また、「今、やっている途中だよ。面白いからもっとやっていたい。

やりだしたことを落ち着いて完成させたい」という発達上の要求や、

「お母さんや先生は、お友だちに貸してあげなさい。順番よっていうから、

言うこときかなくちゃ。

でもお母さんや先生の言うこと聞きたくない」という反抗期の葛藤もあるでしょう。

 

そうした複雑に絡みあった思いを整理して、自分を素直に表現できる状態になるには、

どう見積もっても、たっぷり時間が必要です。

 

訴えを言葉にできないものも含めて聞いてもらう時間も必要です。

 

不満感が満たされる体験、

不満やイライラなんてどうでもよくなるくらい

自分のやりたいことをやりきる時間もいります。

 

自分の個性的な資質を発揮することで、自分の強みを手にして

いやな出来事を眺めることも大事です。

 今回の話でいうと、Aくんの強みは、「物語を作っていく力」です。

Aくんは自分の強みを使って、

電気を消して、まっ暗にしたら、取れないよ。遊べない。」というアイデアを

言葉にした瞬間から、

「おもちゃを取ったり取られたり……」というストレスフルな体験を

ごっこ遊びのストーリーの一部として、

ちょっぴり刺激的で創造的に関わっていく対象へと変化させていました。

おもちゃを貸してくれず自分のおもちゃを執拗に取り上げようとする

存在だったお友だちのお兄ちゃんは、

Aくんの遊びの世界を豊かにする案内人へと変わりつつあるようでした。


子どもの内面に 言葉にできないうっぷんが溜まっている時には? 3

2016-05-28 18:41:53 | 日々思うこと 雑感

Aくんの態度が以前に比べて全体的に消極的で自分らしさを抑えたものに見えたので、

Aくんの今の「旬の興味」を探ってたっぷりやらせてあげる必要を感じました。

自分がやりたいことを存分にやりつくすことで、子どもは情緒の落ち着きと

自分への信頼感や自信を取り戻しますから。

 

Bくんのお兄ちゃんがブロックで作ったストッパーを使って、

並べたミニカーを一気に滑らせるという遊びをしていた時、

Aくんの関心はこの遊びのメインである「ストッパーをあげた瞬間、ダイナミックに

滑っていくミニカー」にあるのではなく、

車と車の間にできる一台分の隙間にミニカーを詰めることにありました。

他の遊びでも、空所を目にするたびに、そこにあうものを詰めようとしていました。

 

そこで、写真のような木のパズルを用意して、ひとつだけ隙間をあけてみたのですが、

Aくんは興味を示しませんでした。

そういえばAくんは、どっしりとした手ごたえのあるものを扱うのが好きなのです。

また、ストーリーのあるお話が好きなので、ボードゲームや知育玩具も、

無機質な教具教具したものよりも、それを手にしてお話ししながら遊ぶような

どこか温かみのあるものやとぼけた風合いのものを好むのです。

ですから、同じ「詰める遊び」にしても、Aくんが操作を心地よく感じるもので、

ストーリーを展開しながら、

それらで詰めていく作業ができるように枠を工夫することにしました。

 

ブロックで枠を作って、新幹線を入口から入れます。

Aくんは入れた後で、奥に電車を詰めていく作業が面白くてたまらない様子でした。

 

それを見ていたBくんのお兄ちゃんが、「ぼくもやらせてよ」と

言いました。Aくんは、列車を全部抱え込んで返事をしません。

「お兄ちゃん、Aくんは今貸したくないみたい。

列車ね、Aくんがこうやってこうやってこうやって

ギューッて奥に入れて遊んでいるのよ。まだ、もっともっとそうやって遊びたいはずよ。

教室にはたくさんミニカーがあるから、いっぱいいーっぱいお兄ちゃんに

出してきてあげるよ。先生といっしょに駐車場を作らない?

Aくんのより大きくて、車が出たり入ったりするところと面白いしかけが

いろいろあるようにしたらどう?」とたずねても、

「いやだよ。ぼくも、列車で遊びたいんだ。列車を貸してよ」と

Bくんのお兄ちゃんも譲りません。

Aくんはというと、絶対、ひとつも貸すものかと電車を抱え込んでいました。

しばらく経った時、Aくんのお母さんが穏やかな口調で、

ひとり占めをせずにお友だちとわけあう大切さを教えながら、

「お兄ちゃんにひとつ貸してあげたら?」と誘いかけていました。

Aくんのお母さんの対応は正しいものでしたが、

これまでさんざん有無も言わせずおもちゃを取り上げられることが多かったAくんに

対して「今回は特別」という機会を作ってもいい気もしました。

 

「Aくん、列車を1台だけ貸してくれる?」とたずねると、「いや」と小声で答えます。

「じゃぁ、この列車は貸してくれる?」「いや」

「じゃあ、これは?」「いや」

「Aくんは、一台も貸したくないのね。ぜんぶ、Aくんが使いたいの?」と聞くと、

真剣な表情でこっくりします。

 

「お兄ちゃん、あのね、前にAくんが遊ぼうとしたらね、だめー貸さないよ、

全部取っちゃうよ、ってAくんのお兄ちゃんがおもちゃを全部取ってしまったのよ。

それに、今日は、Aくんがミニカー並べたいなと思ったら、

だめだめ、触っちゃだめってBくんのお兄ちゃんが言ったでしょ。

だから、今度はAくんは、この列車は全部自分で使いたいんだって。

ね、今日だけ、お願いよ。

今日は、Aくんが列車で遊ぶことにして、お兄ちゃんは先生とすごくいいおもちゃを

探しに行くことにしたらどう?

お兄ちゃんの大きな駐車場を作って、宝物も隠せるようにしたらどう?」とたずねると、

Bくんのお兄ちゃんは「いやだよ。ぼくは列車で遊びたい。列車、取っちゃうよ!」

と言いました。

 

するとその時、Aくんが、いいことを思いついたという様子で、

「電気を消して、まっ暗にしたら、取れないよ。遊べない。」と言いました。

「そうよね。電気消したら、夜になっちゃうかな?

きっとおもちゃが見えなくなって取れないよね。暗くしてみよう」と言うと、

それまで緊張して引きつっていたAくんの表情がほころんで、笑顔がこぼれました。

 

部屋の電気を消してみると、少し薄暗くなりました。

「見えるよ。それに取れるよ!遊べるし。」とBくんのお兄ちゃん。

「えっ、電気を消したのに、本当に見えるの?」とびっくりした様子でたずねると、

「見えるよー!!」と答えます。

「お兄ちゃんは、暗くても、ちゃんと目が見えるの?」

「見えるよー!」

Aくんはそのやりとりをニヤニヤしながら見ています。

昼間なので電気を消しても、ちょっと薄暗いかな程度なのですが、

自分以外の人の目にその世界がどのように映っているのか興味をそそられたようでした。

 

再び、電気をつけた後も、「列車を貸して」と言い続ける

お兄ちゃんに、「じゃあ、列車に聞いてみようよ。

お兄ちゃんがたずねてみてよ、いっしょに遊ぶ?って」と言うと、

「それは、先生が答えるんでしょ?いやだ、遊ばないって先生が答えるんでしょ」

とお兄ちゃん。怒ったふりをしていますが、目が笑っています。

 

Aくんはというと、「電気を消して、まっ暗にしたら、取れないよ。遊べない。」

と言ってから、急に本来のAくんらしいほがらかな茶目っ気たっぷりの態度に戻って、

ああだから、こうだから……と思いつくままにいろいろなおしゃべりを始めました。

 

Aくんいわく、貨車は列車の仲間じゃないので、列車といっしょに

並べるわけにはいかないのだとか。

前にも後ろにも新幹線の顔みたいなとんがったところがないからだそう。

 

 

いきいきしたAくんらしさを取り戻したとたん、新しい遊びを試してみたり、

不思議さに心を奪われたように覗きこんだりする姿がありました。 


子どもの内面に 言葉にできないうっぷんが溜まっている時には? 2

2016-05-28 07:42:49 | 日々思うこと 雑感

内面に言葉にできないうっぷんが溜まると、子どもによって、

家のようなリラックスできる場で大泣きしたり、

攻撃的になったり、消極的になったり、赤ちゃん返りをしたりします。

本人の心は深い混乱にあるはずなのに、そうした素振りを少しも見せずに明るく

過ごしている子もいます。でもそうした子は数年先に、

一年以上難しい時期(年長や小1の頃に、問題行動を繰り返したり、

極端な赤ちゃん返りをしたりすることです)を送る姿を教室でよく見かけます。

 

それでは、子どもの内面に言葉にできないうっぷんが溜まっているような時、

どうすればいいのでしょう?

内面にうっぷんを溜めやすい子自体がハイリーセンシティブチャイルドという

敏感なタイプの子が多いとは思うのですが、ごく一般的な子であっても

今ある環境に圧倒されて過敏になっている時期には、

このHSC(ハイリーセンシティブチャイルド)の子と同様の対応が

重要になってくるように感じています。


例えば、ダウンタイムを大切にする、人ごみを避けるなどや、

自然を楽しむ、創造性のある遊びをする、感情の調整を助けてやるなどが挙げられます。

 

先にあげたヒントは、言葉通り解釈するのではなく、

それぞれの子の日常や環境のなかで咀嚼しなおして、

「繁華街のような人ごみには連れて行ってないけど、幼稚園での集団の騒がしさで

疲れているはずだから、静かに自分の遊びに集中できる時間を作ってあげよう」など。

 

Aくんの話にもどりますね。

Aくんは、しょっちゅう遊びを妨害するお兄ちゃんのせいでストレスを感じつつ、

お兄ちゃんに強く惹かれていて、お兄ちゃんのすることが面白くてたまらない様子です。

今回のレッスンでも、葛藤を抱えて黙りこみながらも、同年代のBくんではなく、

遊びを一人占めしてしまうBくんのお兄ちゃんにピッタリひっついていました。

 

話の途中ですが、次回に続きます。 


子どもの内面に 言葉にできないうっぷんが溜まっている時には? 1

2016-05-27 12:50:39 | 子育て しつけ

2歳10ヶ月のAくんは、大らかで茶目っ気のある性質。

2歳を過ぎた頃から、周囲で起こっていることをじっくり観察して

自分なりの意見をよく口にしていました。

 

ところが今回のレッスンでは、ちょっと様子が違いました。

やりたいことがあっても、他の子がしている間は

身構えた慎重な態度で立ちすくしている姿が何度も見られました。

 

これまでニコッと顔をほころばせては自分の考えをつぶやいていたのに、

終始、表情をこわばらせて黙りこくっていました。

そういえば、数ヶ月前から、Aくんが何かしようとするたびにAくんのお兄ちゃんに

全て奪い取られてしまったり、Aくんが「これで遊びたいよ」と言っても、

「こっちで遊ぶんだよ」と無理強いされたり、Aくんが何か言おうとすると

お兄ちゃんが割りこんできたりすることが続いていたのです。

男の子の兄弟は、こんな風に周囲をヒヤヒヤさせるほどの衝突を繰り返しながら

成長していくものです。

とはいえ、あまりに理不尽すぎる出来事の連続に、

さすがに大らかな気質のAくんも自分のなかに溜めこんでいるものがあるようでした。

 

この日、Aくんのお兄ちゃんは教室に来ていなかったのですが、

お友だちのBくんのお兄ちゃんが来ていて、いっしょに遊んでいました。

Aくんが、Bくんのお兄ちゃんと同じおもちゃを使いたがり、

同じ遊びをしたがるものですから、自分のお兄ちゃんとの衝突ほど激しくないものの、

たびたび思いがぶつかりあっていました。

 

といっても、Aくんは以前のように自分の意見を主張しようとせず、黙ったまんま

固まっていました。その表情から、口には出さないものの

Aくんの心のなかには、さまざまな思いが渦巻いているのが見て取れました。

 

この日教室には、他の子が「これは、いらない」と残していった

工作作品が置いてありました。それを見つけたAくんは、ゆっくり

それをやぶきだしました。

あわててお母さんが注意しても、さらにやぶいていきます。

「それはね、お友だちが、もういらないよって言ってた作品だから、

Aくんがもらうことができるよ。好きなように改造してみたら?」と問いかけても、

まだやぶいています。

やぶいているAくんの表情は、派目をはずして悪さをしている感じでは

ありませんでした。

何か言いたいことがあるけど、うまく言葉にできなくていじいじしている……

そんな感じです。

 

次回に続きます。


自己肯定感は褒めると上がる? 1

2016-05-27 07:46:24 | 日々思うこと 雑感

ブログで自己肯定感の話を書くと、

「(自己肯定感を上げるには)もっと褒めるといいんでしょうか?」

という質問をいただくことが多々あります。

そのたびに、「褒める」というのとはちょっとちがうなぁ……と思いつつも

ひとことで、「これこれこういうことしたら上がるものですよ」と

アドバイスできるものでもなく、もやもやした思いをくすぶらせることがあります。

 

そこで、わたしが考える「自己肯定感」が上がると思われる接し方と、

「自己肯定感」が下がると思われる接し方について、

言葉にして整理しておきたくなりました。

 

特に、子どもの自己肯定感を上げようと思って褒めているのに、

「褒める」行為自体が、

子どもの自己肯定感を下げているように見えるケースについて

言語化できるといいな、と思っています。

 

3歳になりたての子らというのは、

「こういうことがしたいんだ。自分でやってやるんだ!」と

自分の動きを自分でコントロールしたい気持ちが持続しはじめるものの、

「何をどんな風にしたいのか」ということは後回しというか、

本人にするとどうでもいいことだったりします。

 

周囲にすると、一生懸命しているところ、口出しするのも何だけど、

「ちょっと紙の使い方もったいないんじゃない?」

「新聞紙使って工作してごらん」なんてあれこれ口出ししたくなる時です。

 

大人からちょっとあれこれ言われても、

それまで自分や自分のすることに自信が育ってきている子は、

大人のアドバイスもそこそこ聞きいれつつ、

「大丈夫だよ。もうこれで、こうちゃく出来上がりだよ。」と

自分のしてきたことを否定しないでいいような切り返しで決着するものです。

お姉ちゃんから手厳しい追及を受けてもへっちゃらで、

ぼくが作っていたのは「○○!」と、おそらく、できあがってものを見て

後付けでひらめいた名前を自信満々に言います。

 

子どもの自己肯定感というのは、自分で自由にできる余白というか、

実際に動く場面でも、想像の世界においても、自分で動いて失敗してもOKという

可動領域がしっかり確保されているかどうかに、

大きく関わっているように思うのです。

 

大人が子どもの領域へしょっちゅう侵入していたり、

逆に「子ども」という存在を特別視したりお客様扱いしたりして祭り上げて、

子どもの周りに地に足をつけている大人が存在しなくなったりすることも、

子どもが確かな自分を感じられなくなる、

つまり自分に自信を持てなくなる原因のひとつとなるのではないでしょうか。

 

大人のアドバイスに過剰反応し過ぎて激しいかんしゃくに発展してしまう子も、

即座に大人の指示に従って、「自分のそれまでしていたこともこれからしようと

していたこと」も帳消しにしてしまう子も、

「ママして~」とすること自体放棄してしまう子も、

ちょっとしたことをきっかけに自信や自分への信頼感が

揺らぎやすい子なのかもしれません。

 

子どもはそうした揺らぎのなかで成長していきますから、

こういう反応をするから、自己肯定感が低いとか高いとか、

気にかける必要はないのでしょう。

でも、

大人の関わり方の加減次第で、日常の行為のひとつひとつが、

子どもを勇気づけ、自己肯定感を高めていくきっかけになることも

事実だと思っています。

 

それは子どものすることなすことを「褒める」というのとは、異なります。

幼い子たちのすることは、たいていでたらめでめちゃくちゃですから、

大人が「褒めなきゃ、褒めなきゃ」と思っていると、

心にないような嘘をつくことになるか、子どもが一番自信満々でやった部分は無視して、

大人が言葉でコントロールしてそれなりの形にした部分だけ、

「すごい、すごい」と褒めることになりかねません。

 

つまり、「自己肯定感を上げるために褒めなきゃ、褒めなきゃ」と思って

褒めているうちに、褒め言葉が、大人の期待通りに子どもを動かすための

見えないニンジンになってしまうことが非常に多いのです。

 

「子どもの自己肯定感を高めるため」という名目で、

子どもに何かできるようにさせようとあせっている時、

実は、周囲の人の評価を大人である自分が欲していて、

「もっと褒めてもらいたい」「もっと認めてもらいたい」という飢餓感が

その動機に取って変わらないか、自分の心を見はっておくことが大切です。


自分に自信がない、自己肯定感が低い子 5

2016-05-26 07:23:10 | 自己肯定感を育む

自分に自信がない、自己肯定感が低い子 1

自分に自信がない、自己肯定感が低い子 2

自分に自信がない、自己肯定感が低い子 3

自分に自信がない、自己肯定感が低い子 4

の記事で、

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子どもにすると、そうして自分の気持ちに決着をつけるのは大変なことです。

それにも関わらず、その瞬間にお母さんが、

(Aくんに対して怒っているわけでもないのに)

「それなら持って帰るのをやめておいたら?」と提案したのを聞いて、

こうしたやりとりの流れが、いつもあたり前のように

Aくんと周囲の大人との間でで展開しているのではないかと感じました。

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「こうしたやりとりの流れ」というのは、大人の側の頭のなかには、

最初から最後までAくんの考えや気持ちというものを想像して、

理解したり認めたりするスペースは存在しておらず、

大人側の正しい意見や意向に、少ない衝突で従わせていくことだけがある場合の

やりとりのことです。

 

こうしたやりとりの流れは、どんなに子ども思いの親であっても、

むしろ子どもへの思いが強く「あれもしてあげたい、これもしてあげたい、

少しでも能力を上げてあげたい、少しでもよい環境を与え、

よい時間を過ごさせてあげたい」という望みが強いほど、ありがちな展開です。

 

先日もこんなことがありました。

牛乳パックで車を作ることを繰り返していた1年生のBくんが、

車を作る作業に自信をつけて、「次は自分も乗れる大きな車が作りたい」と言いました。

「本物の車と同じように、車のなかにはちゃんとエンジンがついていて、

ドアをあけたりしめたりできるようにしたい」と。

これは大きなチャレンジです。大きいものを作るのは小さいものを作る以上に

さまざまな作業をやりぬくエネルギーが必要です。材料集めも簡単ではありません。

思わぬアクシデントも起こります。

それでも、Bくんの今回のチャレンジにかける思いは強くて、

これまでにないほど凝った作品ができあがりました。

わたしが「大きい作品だから持って帰れないかもしれないよ」と注意していたので、

コンパクトに折りたたむことができるよう試行錯誤を続けていました。

 

そうしてやっとのこと作品を完成させたのですが、

残念ながら作品を持って帰ることはできませんでした。

Bくんは涙ながらに、「どうしても持って帰りたい」と訴えていたのですが、

お迎えにきたお父さんに

「持って帰るのも難しいし、家に置くスペースもないから」と説得されていました。

子どもの日々には、心の底から切望しても

断念しなくてはならないことがしょっちゅうあります。

それ自体は仕方ないし、そうした経験が子どもを成長させもするでしょう。

Bくんのお父さんの説得も、Aくんのお母さんの説得同様、

常識的な正しい内容でした。

 

ただ、わたしの心に少し引っかかったのは、Bくんの大きな車を目にしたお父さんが、

Bくんの「持って帰りたい」の言葉も耳にしたとたん、

Bくんのがんばりをねぎらうことも、Bくんがどんな思いでコンパクトに

折りたたむ努力をしていたかも作品の精巧さに感動することも忘れて、

困った顔をして説得し続けていたことです。

 

その場では、ただただBくんが大人の「持って帰れない事情」に

納得することだけが優先されていました。

最終的には「持って帰れない」としても、

それは子どもの気持ちや思いを無視していいことにはつながらないはずです。

AくんもBくんも周囲の気持ちに敏感な繊細で優しい性質の子です。

こうしたタイプの子を相手にする場合、

大人が極力注意しなくてはならないポイントだと考えています。

 

とはいえ、Bくんはこのくらいのことで、

「自分に自信がない、自己肯定感が低い」という心の状態には

ならないように思いました。なぜなら、Bくんはこれまで、

「周囲が望むこと」よりも「自分がやりたいと思うこと」を大事にされてきた子で、

自分の興味を出発点に遊び込む体験をたっぷりしてきたからです。