虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

発達障害ではないけれど 集団行動が苦手な子 2

2017-12-31 15:17:22 | ハイリーセンシティブチャイルド(HSC)・敏感な子

 ずいぶん前に、発達障害ではないけれど 集団行動が苦手な子

という記事を書いたことがあります。

教室での子どもたちの姿について書いたものですが、

別の視点からこのことについて書いておいた方がいいかと思いました。

 

最近、幼稚園等で集団行動が苦手な子を見ると、即座に

「発達障害ではないか」という眼差しが向けられることが増え、

「この子が?」と思う子が療育に通っているという話を聞くことも多くなりました。

わたし自身は医師でもそうした専門家でもありませんから、

この子は発達障害、この子は発達障害でないと、

白黒つけられる立場ではありません。

でも、子どもの身近にいて、多くの子が成長していく姿を見てきた経験からいうと、

集団行動を難しくする感覚の敏感さが、

ハイリーセンシティブ(HSP)と称される人々のそれと

自閉症スペクトラムの人々とそれとでは、

原因が全く異なるのに、特に幼い間は、

困っている姿だけを見て同じ扱いを受けてしまうことに問題を感じています。

 

そのことについて、

生まれつき敏感な子ども「HSP」とは? 繊細で疲れやすく創造性豊かな人たち

というブログに非常にていねいに解説してあります。

 

また同じブログの

創造的な人がもつ複雑で多面的な人格の10の特徴―HSPや解離とのつながりを考察する

 

解離が学べる絵本「私の中のすべての色たち」―逆境を生き抜く勇敢で創造的な子どもたち

も個性的な子どもを理解する上で大切な記事だと感じました。

 

年末、ゆっくりパソコンに向かう時間がなくて、

好きなブログの記事の紹介ばかりになってしまいましたが、

わたしもこうした話題では、書きたいことがたくさんあるのです。

来年、時間がある時にじっくり言葉にしたいと思います。


錫杖(しゃくじょう)

2017-12-29 22:32:34 | 工作 ワークショップ

忍者ブームの小3のAくん。錫杖を作って、

僧侶に変装する忍者になりきっています。

僧侶の衣装のようにまとっているのは、お母さんの

筒状のマフラー&ストール。

忍者好きが高じて、なんでも忍者の修行だと思う事で

ポジティブに物事を受け止めたり、

乗り越えて行く努力をすることが出来るようになってきたそうです。


忍者の時代だったらこんなことで弱音吐いてたら

敵に捕まって殺されてたかもと思うと、なんでも頑張れるのだとか。

 


えんぴつけずり

2017-12-28 22:06:12 | 工作 ワークショップ

小2のAちゃんが、えんぴつけずりを作っていました。

ジュースの空き容器を見て、えんぴつけずりの形が浮かんだそうです。

箱にひっつけて、後ろに回転するようにストローを

ねじで取り付けました。

かわいくデコレーションして満足そうでした。

 


キャプテン・リノ  のゲームを手作り

2017-12-27 23:57:13 | 工作 ワークショップ

教室にある『キャプテン・リノ』というカードゲームが人気です。

楽しく遊んだあとで、ひとり3枚、(壁2枚と屋根)のカードに絵を描くという

きまりで教室オリジナルのキャプテン・リノを作りました。

 

100円ショップの200枚で100円の名刺サイズのカードを使います。

壁のカードは半分に降ります。屋根のカードには、

直角の「く」の字型を1~2個描きます。

簡単にできて、きれいに積み上げていけます。

オリジナルゲームは積み上げ競争などもできて楽しかったです。

屋根には、壁を乗せる時の形が下の左の写真のように描いてあります。


今の時代は大人も子どもも生きるのが難しい?

2017-12-26 16:25:56 | 日々思うこと 雑感

ひと月ほど前に書いた

子どもとの間で生じる『力のゲームから抜けるには』 1

子どもとの間で生じる『力のゲームから抜けるには』 2 

子どもとの間で生じる『力のゲームから抜けるには』 3

子どもとの間で生じる『力のゲームから抜けるには』 4

子どもとの間で生じる『力のゲームから抜けるには』 5

の記事に、こんなコメントをいただいていました。

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「正解がないことから逃げない」ということばが心にしみました。

>子育てにしても、鷲田先生の言葉を借りると、
>「あいまいなものにあいまいなまま正確に対応する」べきもの
>「正解などそもそも存在しないところで最善の方法で対処する、
>という思考法や洞察力」が求められる

これも、いままでの子育て経験を振り返ると本当にそうだなあと思います。

上の子が3才くらいまではかなり「嵐」な子育てだったのですが、

いろいろな情報や他の子育て経験者のアドバイスなどが一応頭にありつつも、

ひとりとして同じ子どもがいない中で目の前にいるこどもはどういうタイプで

いまなにを求めているのか、そしてわたしはいまどう感じているのか、

そしていまこの瞬間なにをするべきなのか、正解はないままにその場

その場をなんとか乗り切ることの積み重ねでいまがある気がしています。

いまたまたまこどもが小康状態というか落ち着いているからって、

簡単に「こういう場合はこうしたらいいのよ」なんて

他の人にアドバイスできないし、これからどうなっていくかもさっぱりわかりません。

わかったつもりが危険なんですね。いままでの経験や本で得た知識にあてはめて

「これはこういうことか」と決めて安心してしまえば、

その途端にいま目の前にいるこども、いまこの瞬間の自分の状態からは離れてしまう。

常に敏感にこどもや自分についてアンテナを働かせる、

ということが大事だなとおもいました。

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「興味を広げる環境を整えてきたのに知的好奇心が薄い気がします」4

の記事には別の方からこんなコメントをいただいていました。

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週末この記事が頭の中を回っていました。

以前からこの通りだとは思っていましたが、どうしても面倒
になるのが嫌だと感じると

先回りして問題を解決したい衝動に駆られていました。

また子どもたちに問題がおこると、どうやって乗り越えたら良いのだろうと

試行錯誤すると同時に、困り果てたり、悲観したりすることもありました。

(もちろんそのポジにふれるかネガにふれるかは、私の精神状態に左右されるのですが。)

でもこの記事と、様変わりする算数セットの記事、

また子どもたちとの週末を通して、なんともスマートに過ごせない日々の生活に対して

ポジティブに受け止めるための心構えみたいなものを体感的に再確認できました。

こどもたちのジレンマを歓迎する気持ちも、とても客観的なところからですが、

でてきました。

また子ども発の言葉や気持ちの裏にあるものの奥の深さを感じ、

しっかり受けとめ保障したいと感じました。

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先日、『ひきこもる小さな哲学者たちへ』という本を読んでいて、

ふと先のふたつのコメントを思い出し、お返事がてらに記事を書くことにしました。

『ひきこもる小さな哲学者たちへ』は臨床心理士の小柳晴生先生が、

20年余りにわたる学生相談の仕事の現場をもとにして書かれた本ですが、

学生の親だけでなく、子どものいない方もまだ就学していない子を育てている方にも

読んでいただきたい今を生きる指針となるような本です。

 

この本を読んでいてどうして先のコメントを思い出したのかといえば、

どちらのコメント主さんの声も、小柳先生が現代の豊かな世界を生きる知恵や力として

挙げておられる4つの力を使って書いておられるな、と感じたからです。

 

小柳先生によると、今の時代の豊かさは、欠乏が生み出す苦しさは減じてくれたけれど、

新たに「生きる難しさ」をもたらしたそうです。

豊かさは、欲しい物がすぐに手に入るという安逸さをイメージしがちですが、

実際は「物と情報があふれるジャングル」であり、

いつ対処できないほどの物や情報の濁流に襲われ、多様な選択肢に絡みとられて

身動きできなくなるかわからない過酷な世界。

大人も子どももめまいを起こすほど早い変化に、やけを起こさずにつきあう方法を

みつけるという課題に直面しているそうです。

 

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欠乏の時代の生き方が皆でそろっての電車やバスでの団体旅行だったとすれば、

豊かな時代の生き方は、個人や少人数での車での旅行といえます。

団体旅行は、自由に行動できない不便さはありますが、(略)

旅行仲間とは、目標を共有し「同じ釜の飯を食う」一体感があります。(略)

 

一方、個人旅行では、どの道を行くか、どこに泊るか、いつ食べるか、

旅行のすべてを自分で決めなければならないのです。

自分の裁量による部分が大きくなり、どう判断するかで結果が大きく

異なるのです。選択肢が多くなった分だけあいまいさが増え、その中を手探りで

進まざるえなくなったのです。判断という作業は孤独を感じさせるものです。(略)

このような豊かな時代を生きるには、

これまでとは違った知恵や力が必要になるのです。

 

その第一の力は「あいまいな状況を探索的に生きる力」です。

ある学生が、「ひたすら打ち込めることがない。それさえ見つかれば、

そして成功する約束があれば取り組めるし、生活が充実するのに」と

語ったことがあります。

この生き方は、決められた一本のレールをひた走る受験のような生活には

有利かもしれませんが

豊かな時代にはレールそのものがないのです。困難や苦しみに耐えて進めば目標に

到達するという、成功が約束された道がなくなったのです。

うまくいくかどうかわからないリスクを自分で背負い、道を作りながら進しかないし、

そうした生き方を良しとする価値観を身につけることが

求められるようになったのです。(略)

 

第二の力は「自分とつきあう力」です。

あいまいな状況を生きるには、「自分が何を望んでいるのか、どう感じているのか」が

羅針盤やナビゲーターの働きをするのです。自分で楽しみを味わい、

結果を自分で評価する力もいります。

このためには自分の心の声をうまく聴けることが必要になるのです。(略)

豊かな時代では、自分の声が聴こえないとどう進んでいいかわからず

途方に暮れて立ちすくみ、時には遭難さえしかねないのです。

 

第三の力は、「自分と折りあう力」です。

豊かさは、たくさんの可能性を提示するので、

何でもできるかのように思わされがちです。

しかし、人は体が一つしかなく、時間は一日二十四時間しかないために、

現実に選びうるのはごく限られています。

苦労して選んだとしても必ずしもうまくいくともかぎりません。

苦労して選んだことがうまくいかないときに、

やけを起こさないで対処する力が必要になるのです。(略)

不完全さに折りあいをつけて楽しみを味わう力がないと、

「豊かさ」はあくまで欲望の充全な充足を求める無間地獄のような世界になるのです。

 

第四の力は、「内的な倫理観や価値観、センスに裏付けられた節制力」です。

豊かな時代は、子どもでも消費社会という「巨大なテレビショッピングの世界」に

放り出されるのです。

そこはあらゆるものが魅力的にすり寄ってくる誘惑の地雷原です。

一瞬にして金を失わせる投機的な誘惑や健康を損ねる薬など、

危険と隣り合わせの世界なのです。(略)

自分にとって何が大切かをはっきりさせ、それ以外はなるべくこだわらない、

関わらないという生き方を確立していないと、

誘惑に振り回され地雷を踏みかねないのです。(略)

(豊かな時代の知恵は)まだ誰も知らないために外から学べるものではなく、

自分の声を聴き自分の内側を見つけ培っていくしかありません。

そのために、大人も子どもも「ゆっくり自分と向き合う時間」を確保することが

求められているのです。

  『ひきこもる小さな哲学者たちへ』 小柳晴生  生活人新書  P31 より

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今の時代は大人も子どもも生きるのが難しい? 1

の記事が中途半端なままになっていることを気にかけながら、

ずいぶん日が経ってしまいました。前回の記事を読んで、

「ん?」と腑に落ちない気持ちを抱いた方がいらっしゃるんじゃないかと思います。

 

誰もが経済的な面で何らかの不安感を抱え、

ニュースでは貧困とか生活苦という言葉がクローズアップされることも多い昨今、

「豊かな世界を生きる知恵」とか「豊かさが生きる難しさを生み出している」なんて、

バブル崩壊前の勘違いを引きずっているのでは……という印象を

与えかねない地雷付きの話題なのかもしれません。

 

でも、今の時代、子どもを育てていくには、この話題から決して目を背けるわけには

いかない、というのがわたしの実感です。

 

臨床心理士の小柳晴生先生は、著書の中で、「歴史上はじめて、物と情報のあふれる

『豊かな世界』に足を踏み入れた」わたしたちが、

どのような生きづらさを抱えるようになったのか、書いておられます。

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「生きるために食べ、食べるために稼ぎ、稼ぐために働く」という疑いようもなく

信じられた価値観が力を失い、

「空腹に腹いっぱい食べた満足感」や「経済的にしばらくしのげる安心感」や

「長年欲しかったものを手に入れた喜び」といった生きる実感が味わいにくくなりました。

着るものがないから服を買うのではなく、タンスいっぱいにあるけれど流行や買い物を

楽しむことが目的となり、飢えを満たすために食べるのではなく、

おいしさや人と楽しい時間を過ごすために食べるようになったのです。


         ※『大人が立ち止まらなければ』小柳晴生著/生活新書 

          の一部を少し短くまとめて紹介しています。

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生きる実感が味わいにくくなると、

何が確かなものかわからないことからくる漠とした不安や

絶え間ない物足りなさをもたらします。

 

そうした生きる実感が味わいにくい世界で

生まれ、育っていく子どもたちは、どうなるのでしょう?

 

豊かな世界というのは、たとえ経済的に自分が豊かでなかったとしても、

絶え間ない誘惑や欲望を刺激する情報にさらされ続ける世界です。

つまり何かを手にしても、すぐに新たな欲望にかきたてられて不足感しか残らないし、

何をしようと思っても、すでに誰かがやった後なのを思い知らされて、

気持ちが萎えてしまうのです。

 

そこで、大人たちが、とにかく他の子より先に学習を進めておいて、

他の子より上手にできることを増やしておきさえすれば、

「明るい未来を手にすることができる」「幸せに生きていける」と思って子育てしても、

実際に努力の末、子どもが手にできるのは、

不足感や自分に対する不満足感だけなのかもしれません。

 

生きる実感が希薄なまま、

「この大学に入れさえすれば幸せに生きることができる」

「この職に就くことさえできれば安穏と暮らしていける」と信じて目標に邁進しても、

得た結果に満足し続けることができるのでしょうか。

 

それならどうすれば子どもに生きる実感が味あわせてあげることができるのかというと、

まず、溢れる情報やハイスピードに変化していく世の中に、

大人の心がいっぱいいっぱいになっていることに気づくこと、

現在の世界で、生きる実感を味わうことは本当に難しいんだと

実感することじゃないかと思っています。

立ち止まること、ペースを落とすこと、自分の不安をごまかすために掲げた競争心や

見栄を満たすための目標を手放してみないことには、始まらないのかもしれません。

 

 話は変わって、

上の写真は、大阪城の巨石をどうやって船に積み込んだのか実験するための模型です。

この実験をする際、引き潮から満ち潮に変化していくところを再現するために、

子どもたちが総出で、ペットボトルに水を溜めては注ぐを繰り返しています。

 

この実験を、さまざまな年齢の子らのグループでやりました。

2歳くらいの子(さすがにこの年齢の子は、グループの子ではなく妹、弟さんですが)

から中学生になる子まで、

どんなにやる気なさげにぐだぐだ言ってた子も、何をするのもめんどくさがるような子も、

本当にいきいきと大はしゃぎで水を汲みに行っては注ぐ作業に興じるものですから、

わたしを含め見ている大人はみな、子どものパワーに圧倒されてしまいました。

 

水の重さ、汲みにいく手間、注ぐ時の水の迫力、みんながわいのわいのと夢中になって

やっている感じ、めちゃくちゃややんちゃがしたい気持ち、

「どうなるんだろう」という疑問、「もっともっと」と身体を使いきりたい感じ……と、

どれも生きている実感を感じさせてくれるものなのでしょうか。

 

生きている実感は、こんなにも子どもをパワフルにするものなんだろうか、

と、子どもの頃、団地の自転車置き場の屋根に上ったり、

近くの池にザリガニ釣りに行ったりして、

自分の心や身体が望むことを思いっきりやりきった時の充足感が蘇ってきました。

 


「興味を広げる環境を整えてきたのに知的好奇心が薄い気がします」 

2017-12-24 18:28:09 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

 この時相談をいただいたBちゃんは今小学3年生。「何もしたくな~い」と言っていた

年長の頃には想像もつかなかったほど、好奇心旺盛で考えることが好きな子に

成長しています。いつも歴史人物の本を手放さないほどの歴史好きで、

家族旅行で出かけた先のめずらしい地形を工作で再現するのを楽しんでいます。

最近のBちゃんの作品(徳島の渦潮です)

頭脳パズルやボードゲームが得意で、算数の学習に自信を持っています。

お母さんと協力して、Bちゃんの意欲と好奇心を大切に育んできてよかったと感じています。

時間に余裕がある日は、帰宅時にレッスンに来た子どもたちを(入場券で)

大阪駅まで見送りに行って、

大理石に埋まった化石を見つける手伝いをしています。

何度も大阪駅に足を運んでいるので、新たな駅の見所や楽しみ方が増えました。

迷惑がかからないように行儀よく観察するようにしています。

 

普段は行かない遠方行きの路線の乗り場に行ってみると、めずらしい列車に会える

時があります。また、移動の際に、子どもたちに「マークを見つけたら報告してね」

と告げておくと、とってもレアで美しいマークが次々見つかってワクワクします。

 

土曜のレッスンに来た年中、年長さんたちとも大阪駅に寄ることになりました。

きっかけは、Aちゃんが化石について学ぶワークショップで

作ってきた『おゆまるのアンモナイトの化石』です。みんな興味しんしん。

ついでに教室の鉱物や石や化石のコレクションを見ることになりました。

 

鍾乳洞に行った子のおみやげ。ひんやりして気持ちいいです。

 

 

大理石の中のアンモナイトの化石。

 

石を眺めるうちに、「キラキラする宝石みたいなものが作りたい」という子どもたち。

アルミホイルで正八面体や正六面体を作ることにしました。

アルミホイルは適当な形を作ってから一面一面磨いていくと、

銀細工のような美しい塊に仕上がるのです。どろだんごづくりのような熱心さで

これに臨む子は多いです。アルミホイルで巻貝の型を取る遊びもしました。

 

話が脱線しますが……実験や工作をする時、アルミホイルはとても魅力的な素材です。

社会に貢献するアルミ箔の世界 という日本アルミ二ウム協会のホームページでは、

うちわとアルミ箔で手作りデジタルアンテナを作る方法とか、

アルミホイルを使って和紙を形状記憶素材にして工作する方法などが紹介されています。

 

 途中から子どもたちは、ボンドでビーズやスパンコールなどを

埋め込むアクセサリー作りをはじめました。

 

レッスン後、大阪駅まで見送りに行く途中、Bちゃんのお母さんから、

「幼い頃から興味を広げる環境を整えてきたつもりなんですが、

Bは知的好奇心が薄いように思います。どうしてでしょうか?」という質問を

いただきました。

 

Bちゃんが虹色教室にくるようになったのは半年ほど前。慣れるにつれて、

「わたしは今日、こういうことがしたいんだ」と主張することが増えました。

 他の子らと別行動を取ることが多いものの、自分発のやりたいことを一通り終えたら、

こちらが提案することに積極的に取り組むし、お友だちと協調してする活動も

楽しんでいるので、社会性の発達はしっかりしている様子。

 

今、Bちゃんは、自分で自分のすることを決めて、

自分で自分をコントロールしてやり遂げることで、

心地よさを味わったり、自信をみなぎらせたりしているのでしょう。

ですから、今のBちゃんの姿はそのまんまでいいのでしょうが、Bちゃんのお母さんの

言葉についてもよく考えてみることにしました。

 

 

この日、Bちゃんは教室で何をしたいのか決めてきたようで、他の子らが

「キラキラする宝石が作りたい」とか「水が勝手に塗り絵をする実験がしたい」と

口々に言いながらテーブルで作業する間、

「わたしはしなーい。わたしはやりたいことがあるんだもん。」と言って

材料入れを探っては何やら作っていました。

それがこのキラキラアクセサリー作り。

他の活動が一段落した子らが、いっせいにBちゃんの真似をしだしました。

 

「貝がらや生き物の骨なんかが土の中に埋まって、

上から粘土や砂や火山から出てきたものとかが、重なって重なって、

しまいに埋まっていた貝がらや生き物の骨なんかが化石になったのよ。

ビーズやスパンコールをボンドの中に埋めると化石みたいね」と話すと、

年中のCちゃんが話に強い関心を示しました。

 

 

このグループは最近レッスンに参加するようになった子が主なのですが、Cちゃんは

数年前から通ってくれている子で、教室で上の写真のような

地層に化石が埋まっている絵本作りをしたり、(写真はCちゃんとは別グループのもの)

家族で出かけ先でおみやげにアンモナイトの化石を買ってもらったりした

思い出があります。

おみやげの化石を教室に持ってきて、他の子らがCちゃんを

「ちょっと触らせて」「いいなぁ」と取り囲んで、

一緒に化石を発掘するごっこ遊びをした日は、それは誇らしそうな顔をしていました。

そうした楽しい記憶の積み重ねのせいか、Cちゃんは、化石はどうやってできたのか、

アンモナイトの身体はどうなったのか、

地面がクリームやチョコを重ねたケーキみたいになっていくのはどうしてかなど、

気になることがたくさんあるようでした。

 そんなふうに、蓄積されたバラバラの体験が、ある日臨界点を迎えて、

どっと疑問としてあふれだしたり、深い興味につながったりする瞬間があります。

 

ですからBちゃんの知的好奇心にしても、

こうした楽しい時間を重ねていればいずれ目覚めてくるもの、と

気長に待てばいいのかもしれません。

 

ただ、ひとつだけBちゃんのお母さんの話を伺ううちに気にかかったことがありました。

Bちゃんのお母さんは、Bちゃんにどのような環境を与え、親としてどのように接して、

今度、どうやって学習習慣をつけさせるのか、何度もていねいに検討する方です。

Bちゃんのお母さんの考え方や接し方は、どれも無理のない温かみのあるもので、

Bちゃんの自己肯定感を高めていることがよくわかります。

 

それにもかかわらず、「ひとつだけ気にかかった」と書いたのは、

Bちゃんのお母さんは、Bちゃんのことについていつも細かい点まで

考えに考えているけれど、Bちゃん自身は、「考えるのはお母さんの仕事、

わたしはやるだけでいい」とばかりに常にケロリとしていて、

自分のしていることを気にとめる様子がないことです。

Bちゃんのお母さんのお話をうかがううちに、

わたしはBちゃんの知的好奇心や教育についての話題が、

「何を与えたらいいか」「どう説明すればいいか」「どう教えればいいか」

「何をしてあげればいいか」といった

お母さんからBちゃんに向かう一方向の働きかけに終始していることが気になりました。

また、ていねいに先の環境を検討する理由が、後々、Bちゃんがジレンマに陥いら

ないように、問題にぶつかって悩むことがないように、

問題自体が起こらないような環境を選んでおこうという思いに基づいていることも、

Bちゃんの考える態度に影響を及ぼしているように感じました。

 

わたしが子どもの知的好奇心を育てようと思ったら、

まず、「その子がどんな内容の話に夢中になるか」

「どんな場合、熱心にこちらの話に耳を傾けるか」

「わくわくする表情を見せるのはいつか」

「少し難しいチャレンジに臨むのはどんな場面か」

「時間が経過しても熱心に考え続けるようなテーマは何か」といった

その子自身が周囲やわたしに向けて発信しているものを具体的に捉えます。

 

そうした上で、「興味を広げるのにこの子にあった働きかけはどんなものか」

「思考を追うのにこの子にあった表現方法はどんなものか」

「もっと意欲的に自分の意見を言うようにするには、どんな場面を作るといいか」

を探りながら試していきます。

子どもが重度の自閉症で、会話が成り立たなかったとしても、

より微細な情報にも注意を向けながら、そのようにしています。

 

また、子どもの環境には未完成な部分や葛藤を抱えるような部分、

問題にぶつかるような部分をわざわざ残しておいて、

子どもといっしょにそれを乗り越えるようにしています。

 

Bちゃんたちと大阪駅に寄った時、Bちゃんは化石探しを心から楽しんでいましたが、

最も顔が輝いていたのは、

移動中、偶然始めた「マークを見つけたら報告する」という遊びで

改札の近くで「新幹線のマーク」を見つけた時でした。

Bちゃんがこのところ、他の誰のアイデアでもない「最初にわたしが思いついたこと」に

固執している姿を思うと、「新幹線のマーク」に惹かれた理由がわかる気がしました。

というのも、壁一面のサンゴの化石に圧倒されるようなインパクトがあろうと、

「こっちにも化石がある」「あっちにも」とお友だちと報告しあうのが面白くても、

結局、どれも誰かに教えられたものなのです。

その一方で、「マーク見つけ」は大人から見ればどこにでもあるようなものでも、

この日たまたま始まった遊びなので、

率先して探していたのはBちゃんですし、「新幹線のマーク」のように

めずらしいものは、Bちゃんだけの新発見なのです。

 

つまり、主役はBちゃん。

そこのところは、何をさておき大事なんだろうな、と子どもたちと接していて感じます。

特に一見控えめで受動的に見える内向型の子にとって、

「自分の主観が尊重されていること」は絶対外せないお約束のようです。

 

 

子どもが夢中になっていることについて、

知的好奇心をくすぐるような話題や疑問を投げかけても、

「もう、いいの」と会話を終わらせたり、

楽しそうにやっていたことをやめてしまう子がいます。

Bちゃんも、自分のしていることを言葉で捉えなおすのを

極力避けたがる癖があります。

Bちゃんは自己肯定感が高くて知力がしっかりしている子ですから、

そういう個性として受けとめて、成長を待つのもいいのでしょう。

 

でも、これまで以上にBちゃんといっしょにじっくりと考える面白さを味わい、

会話を深めたいとすれば、これまでやってきたことの内容はそのままで、

それぞれのバランスを少し変えるといいのではないでしょうか。

 

Bちゃんのお母さんは、先のことを慎重にていねいに検討し、

最終的に無理のない適切な判断をくだす方です。

それ自体はすばらしいことで、これまでもよい選択をしてきたからこそ

Bちゃんがのびのびと子どもらしく成長しているわけです。

でも、今までBちゃんのことで、100パーセントそうして決めてきたところを

90パーセントか85パーセントくらいに控えて、

無計画でいい加減な部分を少しだけ残しておくと、

Bちゃんが思わぬ困りごとにぶつかったりジレンマに陥ったりする機会が

ほどほどにあっていいのかもしれません。

悩んでいる子を見守るのはつらいですが、いっしょに問題を乗り越えることで、

問題解決能力が鍛えられるし、メタ認知力も育ってくるはずです。

自分の経験していることに対するアンテナの張り方や責任感が違ってきます。

 

また、お母さんが、「Bちゃんにどんなことをしてあげようかな」

「何を教えようかな」「何を与えようかな」と考える比率と、

「Bちゃんは何を言おうとしていたのかな」

「夢中になっていたのは、何が心に響いているからかな」

「Bちゃんが自分から会話を深めていこうとする内容はどんなものかな」

ということに思いを巡らせる比率を、これまで9対1くらいだったのを、

5対5とか4対6くらいに変えてみるのもいいのではないでしょうか。

 

Bちゃんの生活の中で、Bちゃんが選べんだり決めたり、

それによって失敗したりする比率を増やしたり、

Bちゃんの考えに耳を傾けたり、Bちゃんに相談を持ちかけたり、

Bちゃんの表現活動に本作りやお話のひとこと感想や新聞作りのように

言葉を使うもの(無理に文字を書かさなくても、子どもの言葉を聞いて

大人が書いてあげるのもいいと思います)を加えていくのも大事なのかも、

と感じました。

虹色教室でも、そうした活動の幅を広げていってあげたいと考えています。 


給食帽に隠したみかん

2017-12-23 22:18:08 | 算数

 

幼い子たちに算数の問題を出す時、

「給食の帽子に隠す」という設定が加えたとたん、

たちまち、子どもたちのやる気が大きくアップするので面白いです。

 

下の写真は、年少の子らに、

「みかんが3こあります。こちらの子どもはみかんを2こ

帽子の中に隠しています。あわせていくつでしょう」という

問題を出しているところです。

子どもたちはすぐに足し算の仕方を覚えていました。

 

年中(年長)の子たちに問題を出す時は、

「女の子は2こみかんを帽子の中にかくしていて、

ここには3このみかんがあります。

たけしくんに4こみかんをあげました。

みかんはぜんぶでいくつですか。」といった問題を出します。

 

 

 

年中、年長さん向けの問題。

「牛乳が7本ありました。

こどもが帽子の中にかくしてしまったから、3本だけになってしまいました。

帽子の中の牛乳は何本でしょう。」

 

 

 


それぞれの子の個性と発達段階によって異なる敏感期の姿

2017-12-22 21:19:02 | 幼児教育の基本

 1歳7ヶ月の★ちゃん、☆ちゃん。2歳1ヶ月の●ちゃん、2歳6ヶ月の○くんの

レッスンの様子です。

 

ベビー向けのレッスンでは、親御さんに、子どもの遊び方や言葉から、

わが子が今、どんなことに敏感になっているのかに気づいてもらうお手伝いを

しています。

 

「敏感期」というのは、生物学者のユーゴー・ド・フリースによって提唱された概念です。

それを教育に取り入れたモンテッソーリは、敏感期を、

「発達の初期のころ、ある能力を獲得するために、身の回りの特定の

要素を捉える感受性が特別に敏感になってくる一定期間」として捉えていました。

モンテッソーリは、成長とは、曖昧なものではなく、

周期的なあるいは束の間生じて指針を与える本能によって、

細部に至るまで導かれる一個の作業だとおっしゃっています。

子どもの心や体の成長は、徐々に完成されるのではなく、

ある特定の時期に爆発的に完成されると考えていたのです。

 

また、敏感期には環境の習性や法則が

楽に喜びのうちに吸収され、課題の達成が簡単になること、

その時期に得られた能力や性向は敏感期を過ぎたあとも定着し、

次の段階の土台となると同時に後の生活や人生に影響を及ぼすことも指摘しています。

 

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実は、わたしはモンテッソーリの洞察力を深く信頼している一方で、

現在、日本の幼稚園や家庭で行われている

モンテッソーリ教育について、複雑な思いを抱いてもいます。

というのも、モンテッソーリの園に通っている子の親御さんの話をうかがうと、

その子個人の敏感期について、正確に読みとろうとする努力をせずに、

ただ「教具の世界での系統学習」という捉えで、子どもと関わっている先生や親が

多いように思われるからです。

また、同じ敏感期にあっても、子どもの個性や好みによって

教具や素材の質を変えた方がいいケースへの対応があまりないようでもあります。

 

たとえば、

折り紙を半分に折って、たくさんの三角形を作る作業に熱心な子がいる一方で、

同じように、真剣に大人の作業を観察して、正方形の角と角を合わせて

三角形を折るにしても、タオルハンカチのような素材で

人形のお世話やままごとの中で繰り返したがる子もいるのです。

 

○くんは、物のサイズに敏感な時期のようで、

長さの異なる乗り物がきっちり収まるような車庫を作ってあげると、

喜んで乗り物を入れていました。

また、懸命にブロックで物を埋めてしまおうとする活動にも熱心でした。

乗り物好きの男の子は、デュプロブロックのような色がはっきりしていて、

表面がつるっとしていて固いもので作った立方体や直方体を好むことがよくあります。

 

1歳7ヶ月の★ちゃんは、一つひとつの物の名前を言ってもらいたい時期のようでした。

幼い子たちと接していると、★ちゃん同様、物の名前をひたすら耳で聞きたい時期、

声に出して言ってもらいたい時期があるな、と思っています。

 

★ちゃんは、ミニカー類が入っていたケースをひっくりかえすと、

乗り物をひとつずつ掴んではわたしに手渡しました。

それらを受け取る度に、「白いスポーツカー。かっこいいね」

「トラック。荷物が入るのね」「これは、パトカー。警察の車よ」

「飛行機。空を飛ぶよ」「青い自動車。このタイヤ、前のタイヤの方が小さいね」

「銀色の車。ピカピカした銀色ね」などと、

ゆっくり聞き取りやすい声で言ってあげました。

★ちゃんの熱心さは、敏感期の子特有の「いったい、どれだけそれがやりたいの?」と

唖然とするほどのエネルギーに満ちています。

何十体もある乗り物を、ひとつひとつこちらに手渡しては、

わたしが「緑の車」と言えば、「みどい……ま」「トラック」と言えば、「アック」と、

必死に真似ようとしているのです。

途中で飽きて別のことを始めるなんてことはありません。

ひたすら、ひとつひとつ渡して、真剣な表情でこちらの言葉に耳をそばだてています。

また、「銀色の車。ピカピカした銀色ね」と言った時には、

もう一体、銀色の車を差し出して、それにも、「銀色の車。ピカピカした銀色ね。

いっしょ、いっしょ。銀色がいっしょね」とふたつの車を交互に指さすと

うれしそうに笑っていました。

 

★ちゃんと同じような時期の子は、機関車トーマスなどの絵カードの名前をひたすら

言ってもらいたがったり、「あっ」と自分が適当に指さすものを

ひたすら言ってもらいたがったりする子などがいます。

そうした時期に、ていねいにしっかり付き合うことで

語彙が爆発的に増えるのも実感しています。

 

敏感期の子と付き合う親御さんは、「ていねいにしっかり」とは

真反対の接し方をしていることがよくあります。

子どもが★ちゃんのように「はい」とおもちゃを手渡す行為にしても

あんまりしつこいもんですから、「はいはい」と適当に受け取る姿をよく見かけるのです。

 

この日のレッスンで、1歳7ヶ月の★ちゃんと同じように、

2歳1ヶ月のちゃんもお母さんの手に「はい」とおもちゃを乗せては、

その名前を言ってもらうのを喜んでいました。

が、★ちゃんとちゃんでは、同じように物の名前を言ってもらいたがるにしても、

お母さんに求めているフィードバックが少し異なりました。

 

★ちゃんの場合、とにかく何でもいいから手にしたものの名前を言ってもらいたい様子。

しかしちゃんとなると、ごっこ遊びの流れの中で、

ある同じカテゴリーの名前を続けて耳にしていくことに強い関心を示していました。

また、目にしている物と名前が必ずしも一致していなくても、

「そういう名前にしておく」と見立てた状態で、お母さんが名前を挙げることを

心から楽しんでいました。

たとえば、お弁当箱を手にしているお母さんにブロックを渡す度に、

「たまごやき」「ソーセージ」などの具材に見立ててもらう、といったことです。

 

この春、年長さんになった★くん。

最近になって急に文字を書くことに熱中するようになったとか。

 

これまで絵ばかりだった★くんの絵本作りに、文字がたくさん登場するようになりました。

 

★くんが文字を書くことに熱中しだしたのは、

絵だけ、切り抜きを貼っただけという絵本作りを

満足しきるまでやり尽くしたからのようです。

絵本作りのスタートは、虹色教室通信でも紹介している

色画用紙を半分に折っただけでできる、ハードルが低い絵本製作です。

最初に作った1冊を1年間楽しむような、ゆったりした関わりでしたが、

★くんの中に描くことと作ることへの強い情熱が育まれていきました。

 

 

 

★くんの大好きなジオラマ作り。遺跡の図鑑を見て、

パリの風景を真似しています。

 

 

恐竜、船、建物などに興味がある★くん。

いっしょに『世界一周ゲーム』をした後で、

初めて、ボードゲーム作りにチャレンジすることにしました。

 

 

 

ボードは図鑑のお気に入りの絵を選んでカラーコピーして使うことにしました。

進むマス目を書いて、物差しで線を引きます。

カードを作って、「たまご」をいくつか描いて、「肉食」か「草食」かも

書きました。

たまごはアルミハクを丸めて作りました。

 

サイコロでマスを進み、止まったところで、カードを引きます。

カードの指示通り、「たまご」と「肉」か「草」をもらいます。

たまごを取られるカード(バツ付き)もあります。

 


100円ショップの電卓(の)ロボット

2017-12-21 22:10:35 | 工作 ワークショップ

100円ショップの電卓で作る簡単なロボットの作り方を

紹介します。

写真のような電卓を、ドライバーで分解します。

 

内部がむきだしになった状態で箱に貼ります。

電卓の液晶画面のサイズの口を切り取ったロボットの顔を貼り、

曲がるストローの手をつけます。

モールをえんぴつなどに巻き付けて、飾りを作るのもいいです。

 

電卓のボタンの裏に黒い塊がついているはずです。

(↑の写真の左端のボタンの裏の黒いぽつぽつのことです)

それを(大きめサイズのもの)を、割り箸の先に貼って、

電流を流すための棒を作ります。

最初に、電源スイッチにあたる右端の迷路のようになっている部分に

黒い塊を押し付けると、0が表示されます。

他の部分も押してみて、顔の表情を変えてみます。

「イシシシシシシ……」と笑うロボット。

 


宇宙をテーマにしたお泊りのイベント

2017-12-20 19:41:25 | 理科 科学クラブ

宇宙をテーマにしたお泊りのイベントを終えました。

太陽系。

夏の大三角。

小3のAちゃんが、

折り紙の展開する構造を活かした

宇宙ステーションを作っていました。

最初は、上の写真のように小さいサイズです。

 

小さく折り畳まれた形で、宇宙に飛び立ち、

惑星に着陸してから、折り紙構造の建築材を広げます。

 

こんな記事でも紹介されています。

古くて新しい!?折り紙技術

 

お泊りイベントでは将棋やチェス、頭脳パズルなどが大人気でした。

算数の文章題もがんばりました。

<おまけ>

教室で。

年中のBくんとわたしの合作です。

(段ボールのおおまかな形はわたしが。塗ったり、

貼ったり、レバーを取り付けたりしたのはBくんです)