虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

1〜2歳児の工作素材にピッタリな紙皿工作

2022-08-27 10:06:48 | 工作 ワークショップ

1〜2歳児の工作素材に、紙皿はピッタリです。

色をつけたり、ちぎった色紙をのりで貼るだけで、「ホットケーキ」「ピザ」などの食べ物に見立てることができます。

丸いシールで目をつけると、動物の顔にもなります。

短いひもやボタンやスパンコールなどをたくさん用意して、自由に貼らせて、「たこ」「くらげ」「もじゃもじゃ」「おばけ」など子どもが好きなように命名して楽しむ独創的な作品を作ることもできます。


歴史をテーマにした創作活動

2022-08-18 08:53:56 | 積み木  ピタゴラスイッチ

教室の子どもたちと、積み木やブロックで歴史の1シーンを再現して遊びました。

↑は江戸時代の長崎の出島。

↓は江戸時代の参勤交代の様子です。

↓は、平安時代に建てられた厳島神社です。


絵が好きな子にどんなことをしてあげるといいでしょう?

2022-08-14 22:58:03 | 教育論 読者の方からのQ&A

★くんは、絵が大好きな5歳の男の子です。
教室に来ると必ずといっていいほど、絵を描きたがります。
前回のレッスンでは、水彩絵の具を使わせてあげると、とても喜んでいました。

子どもが絵を描くのが大好きだと、「上達させるために何をしてあげられるかな?」「絵画教室を探そうかな?」と悩んでしまいますよね。

子どもが何かに喜んで熱中しているとき、そうした親側のあせりは禁物です。

すぐに何か教えたり、習わせる前に、子どもの姿をよく観察すると、今の「大好き」を起点にして、さまざまな方向に伸びていく可能性が見えてくるからです。
とにかく急いで、既存の枠にはめてしまうと、他の可能性を遮断してしまうかもしれません。

★くんは、絵に熱中する前まで、積み木で日本のお城を作ることを繰り返していました。
正確に高さをそろえたり、橋の形通り再現したりするのを喜んでいました。

几帳面な性質で建造物への興味が強い子ですから、今の「絵が好き」から、設計図を描いたり、見たりすることや、地図を描いたり、地図の見方を学んだりすることにつながるかもしれません。

また、5歳以降は、「こうしたい」という自分の工作のイメージが、動きのあるものや、磁石や滑車などの科学的な知識を取り入れたもの、展開図などの算数の知識を取り入れたものに変化していく時期ですから、この時期の描いたり作ったりの作業を、「上手に絵を描く技術を身につける」という大人の決めた枠の中に押し込めて しまうのはもったいない気がするのです。

★くんは絵が大好きで、しょっちゅう絵を描きたがります。
描くことに抵抗がない子は、 算数の文章題を絵を描いて解いていくよう教えると、算数好きになることがよくあります。
頭脳パズルを作って解くことも楽しめます。

「絵=絵画教室で習うもの」「絵=絵を上達させなくては……」とあせりさえしなければ、さまざまな方向に可能性を広げつつ、絵も上手になっていくことができるのです。

それには「タイミング」が大事です。
親だけが少しでも早く、「上達させたい」と願ってみても逆効果!
今、子どもが家で、ただただ、らくがきするのを楽しんでいるなら、それを最優先にして、同時に子どもをよく観察するといいですよね。

たとえば、「絵として他人から見て上手に描けるわけじゃないけど、絵を描くのが好き」という子がいたとします。

その子に、自然に、ちょうど良い刺激を与えつつ、描きたいときにたっぷり描ける環境を用意してあげると、

算数の文章題を解いたり、地図や頭脳パズルを作ったりすることを楽しみつつ、絵も少しずつ上達するかもしれません。
けれども、 上手にさせようとして、急いで絵を習わせたり、描き方を教えたりすると「自分は上手ではないな」とコンプレックスを抱いて、それ以降、描くことを楽しまなくなるかもしれません。
そうなると、せっかく描くことを通して、親しめたかもしれないさまざまな可能性が消えてしまいますよね。ピアノを習って、音楽嫌いになった子の話はたくさん聞くのです。
習い事が悪いわけではないのですが、急くのはよくありません。

子どもの適性をよく見て、先のさまざまな可能性も把握して、子どもの心に響く対応をするのが良いと思うのです。

『ママ、ひとりでするのを手伝ってね!』(相良敦子)の著書のなかで、こんな話が取り上げられていました。
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幼稚園の教育実習に行ったふたりの学生の報告です。
お芋堀りのときのこと。Aちゃんは、お芋を掘ることよりも、土を掘りながら別のことを楽しんでいるようでした。
「ねぇ、先生、どんどん掘っていくと、下の方は冷たいよ」
実習生のIさんは、とっさに「どうして冷たいかわかる?」とたずねました。
「わからない」とAちゃんが応えたので、Iさんはどうして冷たいのか理由を説明してあげたそうです。

もうひとりの実習生Fさんは、Bちゃんに「先生、とてもいいこと教えてあげる」と連れられていきました。
そこは滑り台の下の砂場でした。「先生、つーめたいでしょ」
Fさんが砂に手を入れて冷たさを味わっていると、Bちゃんは、さんさんと日が照っている砂場にFさんを連れて行き、「先生、あったかいよ~」と言ったそうです。園庭に冷たい砂と温かい砂があることを発見し、それを宝物のように教えてくれたのです。
Fさんは感激し、Bちゃんと何度も2つの砂場を往復し、心ゆくまで砂の感触を楽しんだそうです。
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前のIさんの報告に、著者の相良敦子さんは、「なんとやぼな対応でしょう」
と感想を述べています。
Fさんについては、「Fさんは、やがて幼稚園の先生となりましたが、子どもとともに感じ、発見から発見へ、工夫から工夫へと進んでいくすばらしい先生になりました」と報告しています。

子どもが何かに夢中になっているとき、その子のなかで、さまざまな気づきや喜びや発見が渦巻いています。
感覚が敏感な時期の子には、その時期特有の学び方があります。

そのとき、多くの親御さんは、何か目に見える進歩が欲しくなって相良さんが「なんとやぼな対応でしょう」と嘆かれているような対応をしがちです。

「教えたい」「進歩させたい」「今すぐ結果を見たい」と急いて、先の大きな成長をつぶしてしまわないように、次の2つのことが大事です。

★子どもの今の発見や喜びに共感する。

★その子その子の個性と発達の段階を良く見て可能性をつかんでおいて、
ちょうど良い「タイミング」で、(ほとんどは子どもからの求めに応じて)新しい遊び(新しい学習)に誘う。


「遊園地」より「原っぱ」

2022-08-06 09:57:38 | 日々思うこと 雑感

『おせっかい教育(鷲田清一・釈徹宗・内田樹・平松邦夫 著/株式会社140B)』で、「遊園地」ではなく「原っぱ」的な遊びを……という提案があり、「現代の子どもたちのメタ認知力や地頭力が下がっているのは、これが原因だなぁ」と感じました。

同じ遊び場でも、遊園地というのは、そこに行ったら何をするかというメニューがすでにあって、その中でどれを選ぶか、どんな順番でやるかという場所です。

今の大学・学校もカリキュラムがあって、大学の授業は「勉強する遊園地」となっているそうです。

鷲田清一氏が、この著書の中で次のようにおっしゃっています。

「ぺんぺん草が生えて空き缶が転がっているだけという原っぱに、学校にも家にも居づらい子が、一人で来て空き缶を蹴ったりしていると、よそから同じような子がやって来て、お互いに意識しあう……。でも遊び道具もない、野球もできない。そんなときにちょっと空き缶をそいつの方向けて転がすと、向こうも手持ち無沙汰ですから、またポーンと蹴ってきたりして…そうやっているうちに二人の間で新しい遊びのルールを自ら作っていくんですよね。

子どもというのは別に遊び道具なんかなくても、石ころや棒切れなんかで、上手に、いろんなゲームを自分らで作っていく。

遊園地のように、その空間の意味があらかじめ決まっているんじゃなしに、自分たちが何かすることで空間の意味を作っていく。そんなふうにルールや意味を自分たちで作っていかないと、原っぱで遊べませんよね。

そういう教育の場所というのが今なくなってきているんです。「原っぱとしての遊びの場」がね。」


この話を読んで、『子どもの「遊び」は魔法の授業(キャッシー・ハーシュ=パセック他(アスペクト)』の著書にあったネズミの実験のことを思い出しました。

50年ほど前、ある教授が、研究室のネズミをわが子のペットとして数匹持ち帰ったそうです。それらが、研究所のネズミより素早く迷路をすり抜け、ミスが少ないことを発見しました。

その後、別の教授が、ネズミを取り巻く環境のさまざまな面がネズミの行動や脳の発達に影響を及ぼすかという研究をしました。

かごで1匹で暮らすネズミ、ほかの数匹と大きなかごで暮らすネズミ、おもちゃの滑り台や回し車のある遊園地のような環境で暮らすネズミを比べて調べました。

すると、遊園地のような環境で、ほかのネズミと一緒に暮らしているネズミは脳内にシナプスをたくさんこしらえていたそうです。

この話にはもう一つ重要な部分があって、この教授の報告によれば、遊園地のような環境で過していたネズミよりもっと脳が発達していたのは、自然の中で育ったネズミだったそうなのです。

自然の中の音、匂いといった刺激、遭遇する生き物、集団で群れる遊び、シラミやノミ取り、仲間とのはしゃぎあいなどは、研究者がかごの中に作ったディズニーランドよりずっと脳を発達させるものだったのです。

人間をネズミといっしょにするのは問題なのですが、人が人工的に作る豊かな環境は必ずしも何もない原っぱに勝るものではないことを、頭に入れておくとよいのかもしれません。

私が子どもだった頃は、広場はもちろん、街も学校も大人たちの作るコミュニティーも、『原っぱ』的な要素が十分にあった気がします。

過去記事ですが、よかったら読んでくださいね。↓

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<消費者ではなくて、製作者でもあったちょっと昔の話 >

マシュー・フォックスという神学者が次のような言葉を語っています。

私たちは本質的に 消費が好きな生き物だろうか?

そうは思えない。人間は製作者として存在してきたのであって、消費者ではないはずだ……。


年々、子どもをめぐる環境は変化し続けて、子どもの心のあり方や物の見方や関わり方が変わってきていますよね。

特に感じるのは、最近では、親がリードする形で、子どもがいつでもどこでも「消費者」になりつつあるということです。

私が子どもだった30年以上前、子どもの私が世界をどのように眺め、関わっていたかというと、良い消費者になりたくて、経済力をつけて、購入の際のセンスを磨こうと必死の大人たちと、現実には何もかもが未完成過ぎて、創作したり製作したり、自分で何とかしたりと……「製作者」の立場もとらざるを得ない現実の間でもがく大人たちの姿を……自分もその両方を模倣しつつ暮らしていました。

それで、当時の「製作者」側、「創作者」側、「発信する」側に、いざ素人の自分たちが立ったときの、何ともいえない危うさや面白さやワクワクや、がっくし……くる感じ……が、その「おしゃれ」とはほど遠くて、鈍くさくて面白すぎる風景が、子ども時代の私の脳裏に焼きついています。

どれを、思い出してもおかしくってしょうがありません。

そうしたことを急にだらだらと書いてみたくなりました。

 

私は大阪の吹田市の関西大学の近くで育ちました。

それで、子どもの頃はよく友だちと、大学の構内にもぐりこんで、乗馬クラブの馬のえさやりを手伝わせてもらっていました。

この関西大学の乗馬クラブは、毎日、私の住んでいる周辺の道路をきちんとした乗馬用の服で正装して、ぐるぐるまわっていました。

馬は千里山の駅前の信号機を確認しては、きちんと交通ルールを守って、かなり気取った姿で立っていました。

そこらあたりまでは、大阪のちびまる子ちゃん世代の日常として許せる風景だったのですが、近所に住んでいる地域の世話役の人が「子どもたちのために小さな動物園を作ろう!」と言い出したのです。

そこで、公園のそばの地域の集会所の前の広場でやぎと羊を飼いはじめたのです。確かうさぎもいました。

最初はよかったんですが、サラリーマンが多い地域……世話をする人も仕事があるし、大きな動物は世話が大変で、しまいには、どんどん開発の波が押し寄せてきている千里山の街中でやぎや羊を放し飼いすることになりました。

そこで、私は毎日、千里山の駅前で、きちんと交通ルールを守って立っている馬と、気の向くままに草を求めて移動するやぎや羊の姿を目にすることになりました。

おまけに当時、そのあたりはペットが野生化したワカケホウセイインコが大量発生していたので、夕方ともなると、カラスの大群なんて目じゃないほど、圧倒するような数の緑色の大型の鳥の群れが、空を移動していました。

そんなふうに、社会というか、環境が未完成でカオス……なので、私の通っていた公立小学校の校長の考えも自由そのもの。

宝塚歌劇のファンだからという理由で、学校のクラス名を、「雪組、星組、月組……」として、毎月クラスで劇を発表する日を作っていました。

子どもが育つ環境としてどうだったのか……というと、???なのですが、私も友だちも自分たちが頭で考えて、何かをすることに対して、躊躇しなかった気がします。

子どもなのですが、常に、「製作者」「作る側」の発想があるのです。

千里山の駅前には、ミスタードーナツとか、サンリオショップとか、「○○塾」とか、これから全国でチェーン展開していこうとする店舗が並びはじめていました。

その手前の道路には、自動車と一緒に馬やら羊やらヤギやらがごちゃごちゃしていたわけですから、子どもの目にも、世界はまだ未完成で混沌としているのだから、自分たちの参入する場はいくらでもある!

自分たちもクリエイティブにこの街作りに参加しようという気持ちがありました。

たとえば、道なども、はじめに覚えなくちゃならない道順があるのではなくて、到着地までの近道は自分たちで発見して作り出すものという思いがあったので、塀があれば登り、柵の下の穴を掘ってくぐれるようにし、他人の家の垣根のふちを、番犬を狂ったようにわめかせながら歩いていって、がけを斜めに渡っていって、団地の前の倉庫やら、自転車置き場の屋根やら、高いところがあれば必ず登って、そこも道の一つとして捉えて通っていくことに、何の疑問も抱いていませんでした。

子どもは、それぞれそうして自分で見つけて作り出した道や秘密の隠れ家をたくさん持っていました。

時間にしても、暗くなったら帰る時間というアバウトな捉え方で遊びまわってますから、曜日とか時間なんて気にかけたことがなかったです。

そんな中で、子ども同士、遊びでもルールでもどんどん自分たちで作り出して、考え出して、改善して遊んでいました。

人脈も開拓して、近所の人にお願いして犬の散歩をさせてもらったり、同じ団地に住むひとり暮らしのおばあさんに子どもたちで敬老の日のプレゼントを贈ったりしました。

運動オンチで内気な性格の私もどこでも登るし、もぐるし~を何ということもなくやってましたから、その頃の子どもたちは、躊躇なく何でもやっていたなと今になってびっくりしてしまいます。


とにかくエネルギッシュだし、自分たちの頭でよく考えていました。

よく考えていた~というのも、あんまり頭を絞ったので、40過ぎてる今でも幼稚園の頃、考えあぐねていた問題をはっきり思い出すことができるくらいです。

それで、最近の子どもたちが頭を使わないとか、昔みたいに小猿みたいな無茶をしろ……と思っているわけではないのですが、「それにしてもあんまりじゃないかな?」と思う現状があるのです。

今は幼い子でも習い事に通っている子が多いのですが、そうした人工的な場は当然、未完成さとかカオスからほど遠いものです。

時間の枠がありますし、することは決められてますし、場合によっては、どういう気持ちで、どういう態度で参加すべきかまで暗黙のうちに子どもに適応を求めてきます。

そこまでガチガチに固められた環境で、子どもたちが、自分が環境に影響を与えたり、変化させたり、作り出したりできる存在なんだって気づくことは皆無なんじゃないかな?と思えてくるのです。

それでもそんな現代っ子たちも、よくよく話に耳を傾けてみると、あれこれと考えていて、したたかで、ユニークで、面白いです。

何に関しても「消費者」としての受身な立場しか取ったことがない子は多いですが、一度「創作する」ことを覚えると、「買う」ことよりも、何倍もうれしそうな表情をします。

いったん、クリエイティブに創造性を発揮し始めると、どの子もいきいきとしてきます。

……ここまで、話してきて何を書きたかったのかというと、空間も時間もちょっと混沌としていてすき間が多いほうが、「何をしようかな? 面白いのかな? やってみようかな? やっぱりやめとこうかな? 私はそれがやりたいの? 好きなの?」と、自分で選んで、考えて、味わって、創造的に参加してみようという気持ちを、子どもの中から引きだしてくれるのじゃないかな? ということなのですが……。

 


学びの原動力は「謎」

2022-08-02 08:49:28 | 教育論 読者の方からのQ&A

『小さな友へ』という詩は、10年ほど前に、子どもたちに向けて書いた詩です。
もし何でも子どもたちにプレゼントできるとすれば、何を贈ればいいだろう?
私が子ども時代に手にしたもので、最高にすばらしかったものって何だろう?
今も宝物となっているものは何だろう?
そんな考えをめぐらせながら書いた詩です。

当時、私が、「子どもがもらって、心がときめくのはこれしかない」と考えたのは、『答えのない問い』でした。
つまり、『謎』であり、『不思議』であり、自分独自の『知りたい思い』『まだ答えが与えられていない未知の課題』です。
この思いは、10年経った今も、少しも変わっていません。

先日、『おせっかい教育論』 著者 鷲田清一 釈徹宗 内田樹 平松邦夫 (株式会社140B)という著書のもくじ欄で、『子供が育つには「謎」が必要』というタイトルを目にし、思わず、即、購入して帰りました。

この著書の中で、内田樹氏は、子どもにとって、成長の一番の契機になるのは「謎」だと断言しておられます。
子ども自身が自分の知的な枠組みを壊してブレイクスルーを果たすためには、「なんでこの人はこんなことをやっているんだろう」というミステリアスな大人が絶対不可欠なのだそうです。
学校では、文部省は一貫して教員たちの規格化・標準化を進めてきているので、一定の価値観の枠内の人しか教壇に立てなくなってきている問題を指摘しています。

鷲田清一氏は、大人が言うことが一色なのも問題で、いろんな考えがありうるという、複数の可能性のフィールドを提示するのが大人の責任だとおっしゃっています。

この著書で書かれているミステリアスな『謎』は、私が詩で表現した『謎』とは少し意味がちがっていたのですが、とても共感できるすばらしい本でした。

勝手に拡大解釈させていただいて……「子どもが育つには『謎』が必要」という言葉は、いろんな意味で、今子育ての場に最も足りないもので、最も重要なもののひとつでもあると感じました。

教室でもワークショップでも、子どもの目が輝き出し、一生懸命課題に取り組み出すきっかけとなるのは、「どうしてだろう?」「おかしいな」「不思議!」と感じた瞬間です。

子どもはすでにわかっていることを「覚えなさい」「練習しなさい」と言われるときではなく、「どうして?不思議!」と大人でも首をかしげるような疑問にぶつかったときに、全力で問題を解決しようとします。
そうして考えることの面白さに気づいた子は、普段の勉強もまじめにこなすようになっていきます。

『謎』は、上で紹介したような好奇心をくすぐる不思議との出会いや、価値観の異なる人々との出会いとは別に、『未知』であるという意味で、学ぶ意欲と深いところでつながっています。


虹色教室では、子どもたちと小さなものから大きなものまで、さまざまな創作活動をすることがよくあります。
子どもの興味に引っかかったものを、先行きについては『あいまい』なまま、気の向くままに、その都度、学べそうな要素をいろいろ盛り込みながら作っていきます。
こうした制作活動は、たいていの場合、いつも最初に期待していたよりも何倍も良い結果を得て終わります。

はじめ結果が読めないのは、その子その子の個性が混じるからです。
子どもによって、作ってるうちに、歴史や地理に強い興味を抱くようになったり、緻密に計算された作品を作るようになったり、根気が伸びたり、自己肯定感が上がって、何ごとにも積極的になったり、算数や理科が得意になったりとさまざまです。

そんな風にそれぞれが得るものは異なるけれど、手でする作業と、自分のなかの美を感じる気持ちと接触した後って、必ずといっていいほど、期待以上の結果を手にすることになるのです。

何かすごい作品を作ろうと力むのでなくて、面白そうだ~というアンテナにかかった作業にモクモクと熱中してみることで、子どもは素直になり、落ち着き、個性的な「自分」という感覚や、自由な生命力を取り戻すように見えます。

積み木で、幼稚園や小学生の子たちと、海上のピラミッド モン・サン・ミシェルやパルセノン神殿を作ったことがあります。
そうした製作はたった一日の出来事ですが、その後、教室では、古代のカレンダー、ストーンヘンジやピサの斜塔、コロッセオなど遺跡を作る子たちが続出し、学習への集中力や海外の文化に対する興味が高まりました。


日比野克彦氏と鷲田清一氏は、アートの「絵でも工作でも何かをつくることで、気持ちを共有したり、コミュニケーションの輪が広がったり、新しい発見ができたりする」という機能に着目しています。

「気持ちの共有」「コミュニケーション」「新しい発見」の3つは、虹色教室でも、製作活動中やその後で起こりやすいことです。

子どもが作品を作ったとき、時折、それを教室に飾っておいてあげると、「私も飾って!」と言い出す子がいて、描いたものを「誰か」が見てくれることがうれしくてたまらないという気持ちが、他の子の作品にも興味を持ち、自分の中にその良さを取り込んでいこうする態度に変わるときがあります。

また、ひとりの子の作品が、たくさんの子の心を揺さぶって、電子工作や歴史的な建造物を作るといったことが流行することがあります。

誰かが発見した科学的な仕組みを、別の子たちが別の作品で利用することが流行るときもあります。
「新しい発見を発表しなくちゃ!」というワクワクする気持ちと、小さなアイデアが広範囲に影響を及ぼす力に子どもひとりひとりが感動する気もちを持っています。

教室では、自然に遊びが共同制作へと流れていくことがよくあって、ピタゴラスイッチのような装置や、やどかりハウス(だんだん巨大化して屋根つきを作ります)などを、
「ぼくは、ここするから、そっちたのむよ」「これどう?いいでしょ?」「うん、すごいすごい!」といったやりとりをしながら、熱中する姿がみられます。
完成の喜びが、「磁石について、くわしく調べたい」「恐竜の時代について研究したい」など、強い知的好奇心に結びつくこともよくあります。

製作の場で、「気持ちの共有」「コミュニケーション」「新しい発見」が活性化されることと、日比野氏の『明後日の感覚』といったものはつながりがあると感じています。

「こういうものを作りなさい」「それぞれ個人で」など、ルールや先行きがかっちり決まりすぎていると、ただ作った~で終わっちゃいがちなんですね。

子どもを見ていると、人って個人的に何か上達することよりも、人とコミュニケーションを取ることや、互いに響きあうとき、誰かの役に立ったとき、認め合ったときに、
一番いきいきするんだなと感じています。

良い作品ができたとき、高い点数をつけてあげるより、「みんなに、どうやったらこんな風にできるのか教えてあげてちょうだい。みんなに、どこを工夫したか説明してあげてね!」と言った方が誇らしげな顔をしているのです。


日比野氏の言葉に、次のようなものがあります。
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そう展覧会でも、「この絵いいよね」という人もいれば、無言で通りすぎていく人もいる。
絵は同じでも、判断は百人百様です。
絵はダンボールに絵の具がのっているだけのものですが、人によっては、見た瞬間に時空を超えることもできる。
それって、芸術の力としては、絵描きの力よりも見る力のほうがすごいんじゃないか。
それで、だんだん、見る力のほうに興味が移ってきました。
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子どもに創作させるとき、「わが子が何を作ったか?」「他の子より上手か?」という点だけ気にかける親御さんはいるのです。
でも、本当は何も作っていなくても、他の子の作品を「見る」だけでも、見る力が高まっているんですよね。

「見る」力だけでなく、★幼児が「よく考える」ようになるステップ で取り上げたさまざまな力が、製作をお友だちと共有しあう場では、向上するのだと思います。

脳への「入力」自体が変わる、と言っても過言ではないのでしょうね。

日比野氏は美術を日常のなかに機能させる機会を広げることを、自分の役割と感じておられます。

美術を日常のなかに機能させる大切さって、すごく感じた出来事があります。
去年、母の死の後、私は母への供養の意味もあって、曼荼羅風の絵を何枚も描きました。

どうして曼荼羅かというと、母が末期癌におかされて入院中、「暇つぶしに」と、色鉛筆のセットと分厚い曼荼羅塗り絵というのを持っていったことがあるのです。
母は、クリスチャンだったので、曼荼羅と関わりがあるわけじゃないのです。ただパッチワークが好きだったので、曼荼羅が母の縫うパッチワークのパターンのようにも見えて買っていったのです。

数日後、入院先を訪れると、母のベッドに向かいのベッドの人がやってきて、「○さん、ありがとう。2枚も塗らせてもらっちゃったわ。心が落ち着くわ~ほんとに楽しいわね~」と言って、例の曼荼羅塗り絵を差し出しました。
母に塗り絵の進行状態を見せてもらうと、何十ページももう塗られていて、メモの欄に、病室の人らしき名前や看護士さん、実習生の方などの名前がつづられていました。

塗り絵の隙間には、○さん(母)に出会えて、私は感動しました。この塗り絵作業に(勝手にプロジェクト化していたのでしょうか?)参加させていただけて、どんなにうれしかったか……といったメッセージが、看護の実習生や看護士さん、病棟内の友人によって、いくつもいくつも書かれていました。

この曼荼羅塗り絵は母の形見としてもらおうかと思ったのですが、母が旅立つとき棺の母の顔の傍らに入れさせてもらうことにしました。

母のいた病棟は病が重い人が多くて、暗い気が立ち込めているような感じがあったのに、きゃっきゃっとはしゃぎあう高校生たちのような雰囲気で、塗り絵をしてよろこんでいる病棟の人々の姿と、それぞれの個性があらわれる色遣い、タッチなどの面白さが
今も目に焼きついています。

私も、スケッチブック一冊分、曼荼羅の絵を描き続けて、ようやく母の死を静かに受け入れられる心境へと移っていった気がします。

アートの力、すごいですね。

病棟の空気を一新したアートの力が、子どもたちの心に変化を起こしてくれないかな?
と、そんな夢を抱きました。