yoshikoさんとお話していた時、
「人は言葉で思考する生き物である限り、
言葉と思考力はセットだと思ってきましたし……」といったことを
おっしゃいました。
わたしは、確かにその通りだとは思うものの、
つい意固地なほどに、「言葉以外でも思考できる」ことを
主張していました。
後になって、yoshikoさんの何気ないひとことに
どうしてそこまでこだわってしまったのかと考えると、
「言葉を使わない思考にもさまざまな種類と質の広がりがあること。
今、トムくんとの関わりで大事なのは、
そうした言葉のない世界にある思考の豊かさに目を向けることだ」と
強く感じていたからでもあるのです。
最近、会ったトムくんは、
それまでに比べて、会話の面では大きな変化は見られないものの
思考の仕方が明らかに進歩してきているのが
わかりました。
それこそ、言葉と思考力がセットだと捉えていると、
言葉が増えていないのに、
思考力だけが伸びるはずがない、と思われるかもしれません。
でも、思考力というのは、確かに言葉と密接に関わりがあるものですが、
言葉抜きにそれだけで独立して
向上したり、複雑になったりすることも
あるにちがいないのです。
たとえば、迷路を解く能力は、言葉は必要としないけれど、
さまざまなレベルが存在しますよね。
絵を描く時、色を選び、タッチに強弱を決めて、自由に表現していくのにしても、
言葉とは関係のないところで、
思考力の使い方の差があらわれるはずです。
また、言葉がないままの思考も分岐点にぶつかった時に、
そのまま興味が途切れて、別に移ってしまう場合と、
いくつかの選択肢のうち良さそうな方法を選んで実行できる場合では、
思考力に大きな開きがあるのではないでしょうか。
そうした言葉のない世界の思考の分岐点について考えさせられる出来事を、
トムくんとわたしがふたりで留守番をしていた日の出来事から紹介します。
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yoshikoさん宅で、わたしがトムくんとふたりだけで過ごしていた時、
こんなことがありました。
「りんご、ください!」と、トムくんがわたしの顔を覗き込むようにして言いました。
キッチンの台の上にりんごやミカンを盛ったかごがありました。
「りんご、ください」と繰り返すトムくんに、わたしが戸惑った様子で、
「りんごは皮をむかないといけないわ」と返事しました。
するとトムくんはわたしの手を引いてキッチンの奥まで行くと、
引き出しを開けて、包丁を取り出してこちらに手渡しました。
「皮をむかないといけない」という言葉から、わたしが包丁を必要としていることを
察したようなのです。
こんなこともありました。
トムくんがテレビの前までわたしの手を引いていき、「テレビ、ください」「DVD、ください」
と言いました。
わたしは「これはわたしのテレビではないから、勝手につけることはできないわ」
とすまなそうに言いました。
するとトムくんはわたしの手を取ってリモコンの方に持っていこうとしたり、
「それなら、いったいどうすればいいんだろう?」とわたしを動かすための別の方法をさぐるように
そわそわしながら、何とかわたしにテレビをつけさせようとしていました。
「りんご、ください」と言った時にしろ、「テレビ、ください」と言った時にしろ、
会話する能力こそつたないものの、
トムくんの言葉に即座に反応しないわたしに対して、
トムくんが簡単にあきらめずに、伝える努力を続けていたことと、
最初の方法がうまくいかないとわかると別のアプローチをあれこれ取る姿に驚きました。
トムくんは2年前まで、一瞬の間も何かに注意をとどめておくのが難しく
人を人とも認識していないような態度でした。
言葉にしても、まだ使い始めたばかりです。
ですから、周囲からは、2語文や3語文を話し始めたばかりの幼い子のような
接し方をされてしまいがちです。
でも会話する力こそ、まだそうしたレベルにとどまってはいても、
外から見える姿よりずっと物事がわかっているのでは?
と感じました。
ひとつの問題にひとつの答えという学び方ではなく、
「こうしたいと思った時に、Aがダメな時はB,AもBもダメな時はCの方法があるよ」という
ことを体験のなかで示していってあげる必要があるようにも思いました。
学習する上で、いくつかの『分岐点』を用意してあげる必要があるというか、
そうした『分岐点』を理解するだけの
記憶力とかメタ認知力といったものが身についてきているように
思われたのです。
トムくんは
「ジェリーを~に連れて行ってあげて」とか「先生に~してあげて」といった
自分と他の人と行動と物の関係をある程度つかんでおかなくては
わからない指示も、きちんと理解できるようになってきているのです。
トムくんにかける言葉、見せるもの、教えることなどに、
基礎的なことを定着させる働きかけから、
論理的に創造的に考える機会を持たせることまで、
大きな幅を持たせて、多面的なアプローチを考えていくことが大切なのかもしれません。
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