虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

100円グッズで、戦隊物の変身ベルト作り

2012-02-29 19:54:40 | 工作 ワークショップ

戦隊物の変身グッズを作るときに便利な材料を紹介します。

 

100円ショップで売っている

自転車用の赤い点滅するライトです。

 

写真は、赤いカバーの部分をはずしたところです。

横のボタンを押すと、赤い3つのライトが点滅します。

 

これを戦隊物の変身ベルトに取り付けると、

なかなかかっこいい代物になりますよ♪

自転車用のライトなので、背後にクリップのような引っ掛ける部分がついているので

作りやすいです。

子どもの腰に布のリボン等を巻いて、

このライトを引っ掛けるだけでも変身ベルトになります。


2歳前後の子らの育ちで気になるところ と 接し方のコツ

2012-02-29 14:26:56 | 0~2歳児のレッスン ベビーの発達

今日はベネッセの方が取材に見えました。

「東京から来たかいがあった~!!」ととても喜んでいただけて、

こちらもとてもうれしい気持ちになりました。

7月号の「こどもちゃれんじ ぽけっと」のおうちの方向けの冊子に載せていただきます。

 

2歳前後の男の子たち、●くん、○くん、★くんの初めてのグループレッスンです。

それぞれの子たちの個性、発達の様子、優れている点、長所の伸ばし方、気になるところと接し方のコツ

などを、遊びや工作などの活動を通して、親御さんたちに気づいて学んでいただきました。

 

0歳代の頃、重い病気をして数ヶ月寝たきりになっていた時期があったためか、

その頃はハイハイで少し前に進むだけで倒れてしまうほど運動能力が弱っていたという●くん。

1歳後半となった今も、

身体の動きにぎこちなさ残っていて、動作がゆっくりで、よく転びます。

病院で診察を受けたものの、特にこれといった指摘や指導もないまま

経過を観察することになっているようです。

 

 

 ●くんの動きは緩慢で、

目に付いたものに手を伸ばす程度の動きも、

自分の思い通りにいかない様子で、ふんばるように身体に力を入れて、ようやくゆっくりゆっくり

手を前に出していって何かをつかもうとしているような具合です。

 

一方で、人への興味や活動への好奇心、自分で何かをしてみたいという意欲の

ようなものは確実に育っていて、

どんなにゆっくりでも他の子のやっていることには何でもチャレンジしようとするし、

自分ひとりでも立体パズルや型はめゲームのような教具を次々見つけ出してきては

やってみようとしていました。

ボールを回転させるおもちゃも気に入ってよく遊び、

「ここを回せば、回るんだな」とすぐさま使い方を理解していました。

 

そのように心や知的な面での発達はしっかりしているように見える●くんですが、

身体の機能という面での発達にはさまざまな気がかりなところがありました。

 

お友だちがすれ違い様にチョンと触れる程度に胸を突いた時のこと、

倒れかける●くんを抱きとめると、

●くんは全身から力が抜けて、ヘナヘナ~と脱力した状態になっていました。

 そうした時に、半身だけが、軽いけいれんでも起こしたように引きつって、

片腕だけが突っ張っています。

 

まだ言葉が出ていない原因には、

呼吸が浅くて息を吐き出す力が弱いことや、顔の筋肉や舌を自由に動かすことが困難なこととも

関係がありそうです。

病院の指示通り、経過を見守るだけでは、

今後、言葉の遅れにつながらないか心配です。

 

人への興味や活動への好奇心、自分で何かをしてみたいという意欲の

ようなものはきちんと育っている●くんですから、

その長所を生かして、

発語をうながしたり、身体の動きがスムーズになるようサポートしたりする

必要を感じました。

 

次回に続きます。

 

 


広汎性発達障がいと診断されたり、広汎性発達障がいの疑いを指摘されたら 31

2012-02-28 13:04:35 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

yoshikoさんとお話していた時、

「人は言葉で思考する生き物である限り、

言葉と思考力はセットだと思ってきましたし……」といったことを

おっしゃいました。

 

わたしは、確かにその通りだとは思うものの、

つい意固地なほどに、「言葉以外でも思考できる」ことを

主張していました。

 

後になって、yoshikoさんの何気ないひとことに

どうしてそこまでこだわってしまったのかと考えると、

 

「言葉を使わない思考にもさまざまな種類と質の広がりがあること。

今、トムくんとの関わりで大事なのは、

そうした言葉のない世界にある思考の豊かさに目を向けることだ」と

強く感じていたからでもあるのです。

 

最近、会ったトムくんは、

それまでに比べて、会話の面では大きな変化は見られないものの

思考の仕方が明らかに進歩してきているのが

わかりました。

それこそ、言葉と思考力がセットだと捉えていると、

言葉が増えていないのに、

思考力だけが伸びるはずがない、と思われるかもしれません。

 

でも、思考力というのは、確かに言葉と密接に関わりがあるものですが、

言葉抜きにそれだけで独立して

向上したり、複雑になったりすることも

あるにちがいないのです。

 

たとえば、迷路を解く能力は、言葉は必要としないけれど、

さまざまなレベルが存在しますよね。

 

絵を描く時、色を選び、タッチに強弱を決めて、自由に表現していくのにしても、

言葉とは関係のないところで、

思考力の使い方の差があらわれるはずです。

 

また、言葉がないままの思考も分岐点にぶつかった時に、

そのまま興味が途切れて、別に移ってしまう場合と、

いくつかの選択肢のうち良さそうな方法を選んで実行できる場合では、

思考力に大きな開きがあるのではないでしょうか。

 

そうした言葉のない世界の思考の分岐点について考えさせられる出来事を、

トムくんとわたしがふたりで留守番をしていた日の出来事から紹介します。

 

 

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yoshikoさん宅で、わたしがトムくんとふたりだけで過ごしていた時、

こんなことがありました。

「りんご、ください!」と、トムくんがわたしの顔を覗き込むようにして言いました。

キッチンの台の上にりんごやミカンを盛ったかごがありました。

「りんご、ください」と繰り返すトムくんに、わたしが戸惑った様子で、

「りんごは皮をむかないといけないわ」と返事しました。

するとトムくんはわたしの手を引いてキッチンの奥まで行くと、

引き出しを開けて、包丁を取り出してこちらに手渡しました。

 

「皮をむかないといけない」という言葉から、わたしが包丁を必要としていることを

察したようなのです。

 

こんなこともありました。

トムくんがテレビの前までわたしの手を引いていき、「テレビ、ください」「DVD、ください」

と言いました。

わたしは「これはわたしのテレビではないから、勝手につけることはできないわ」

とすまなそうに言いました。

するとトムくんはわたしの手を取ってリモコンの方に持っていこうとしたり、

「それなら、いったいどうすればいいんだろう?」とわたしを動かすための別の方法をさぐるように

そわそわしながら、何とかわたしにテレビをつけさせようとしていました。

 

「りんご、ください」と言った時にしろ、「テレビ、ください」と言った時にしろ、

会話する能力こそつたないものの、

トムくんの言葉に即座に反応しないわたしに対して、

トムくんが簡単にあきらめずに、伝える努力を続けていたことと、

最初の方法がうまくいかないとわかると別のアプローチをあれこれ取る姿に驚きました。

 

トムくんは2年前まで、一瞬の間も何かに注意をとどめておくのが難しく

人を人とも認識していないような態度でした。

言葉にしても、まだ使い始めたばかりです。

ですから、周囲からは、2語文や3語文を話し始めたばかりの幼い子のような

接し方をされてしまいがちです。

 

でも会話する力こそ、まだそうしたレベルにとどまってはいても、

外から見える姿よりずっと物事がわかっているのでは?

と感じました。

 

ひとつの問題にひとつの答えという学び方ではなく、

「こうしたいと思った時に、Aがダメな時はB,AもBもダメな時はCの方法があるよ」という

ことを体験のなかで示していってあげる必要があるようにも思いました。

 

学習する上で、いくつかの『分岐点』を用意してあげる必要があるというか、

そうした『分岐点』を理解するだけの

記憶力とかメタ認知力といったものが身についてきているように

思われたのです。

 

トムくんは

「ジェリーを~に連れて行ってあげて」とか「先生に~してあげて」といった

自分と他の人と行動と物の関係をある程度つかんでおかなくては

わからない指示も、きちんと理解できるようになってきているのです。

 

トムくんにかける言葉、見せるもの、教えることなどに、

基礎的なことを定着させる働きかけから、

論理的に創造的に考える機会を持たせることまで、

大きな幅を持たせて、多面的なアプローチを考えていくことが大切なのかもしれません。

 

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広汎性発達障がいと診断されたり、広汎性発達障がいの疑いを指摘されたら 30

2012-02-28 09:17:22 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

同じタイトルのまま、長々と記事が続いていますが、

これまで伝えたくても、どうしてもうまく伝えられなかった事柄を、

何とか言語化しておきたいという思いがありますので、もう少しだけお付き合いくださいね。

前回までの記事に、●くんのお母さんから、再びコメントをいただきました。

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私も,文章化して整理してみることで,レッスンでの息子の心の動きと先生の言っておられたことが繋がって,半分は?整理できたかな,と思っております。

どうして今回先生のおっしゃったことがうまく伝わりにくかったのかということを,私も今回の記事を熟読しながら考えおります。

私自身のダメなところからかもしれませんが,私は,息子の心の動きよりも目に見えている現象(アウトプット)にばかり目がいっていたのかもしれません。

レッスンの前半,確かに息子は防衛的な態度を取り、まだ30分も経っていないのに「おうちへ帰りたい」と,すがるような表情で私にひっついていました。そんな息子に,先生は工作を誘ってくださりますが,案の定工作には「イヤ」と言って応じない…

レッスンを通してずっと私にひっつきながら電車のおもちゃばかり触って(これは,こうしていると心が落ち着くのかな?と最近感じています)いて,先生の誘いかけにも応じず,工作も全くだし,「はぁ」(溜め息),というのが私の第一の感想でした。先生が「色々気になるところはありますが,おおまかに言って大丈夫ですよ」と言われる言葉が,私にはむなしく慰めのように聞こえたのです。

しかし,今回,先生がレッスン時のほんの数分間の息子の心の微細な動きにまで,焦点を当てて文章化してくださったことで,「ああ、あの場面ではこういう心の動きがあったのか」と,本当に納得できました。

そして,今まで,意識はしながらもアウトプットにばかり目が行きがちで,そこでみたものを息子や自分にフィードバックして落ち込んでいたんだなということが,今ようやくわかりました。

これから,日常生活でもどんな場面でも,息子と向き合う際,息子の心の動きをもっと大切にしていきたいな,と改めて思いました。それには,自分の「ものさし」の方向を変え,息子の「ものさし」に近づけるようにしてもっと洗練させる必要がありますね。
簡単なようで難しいことです。でも,それに気づかせてくださった先生に,また感謝しております。

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何度もすいません。

一つ,大切なことを書き忘れておりました。

レッスンの後,教室のドアを閉めると,息子が開口一番,こういったんです。
「あ~~先生のところ,楽しかった~」と。

私はその言葉を聞いてびっくりしたんです。
あんなにも、「楽しくなさそうな」(私からみたら)していたのに、息子はそう捉えていたのか!と。

息子の見方,感じ方,私のみていたもの,感じていたもの,先生のみていたもの、感じていたもの,それぞれだったんですね。
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●くんのお母さんのコメントを読ませていただきながら、

これまで親御さんの見え方と自分の見え方の差をすり合わせていく努力を怠ってきたことに

思いが至りました。

 

つい最近にも、同様の胸のなかに「ん?」と引っかかるものを感じながら、

それをそのままにしていた出来事があったことを思いだしました。

それはこのブログで何度か記事にさせていただいている

自閉症のトムくんのお母さんであるyoshikoさんと

お話をしていた時のことです。

yoshikoさんは次のようにおっしゃいました。

「わたし、1年以上前に奈緒美先生がおっしゃってた関わりができるようになったかな?と思ってるところなんです。

 たとえば、トムのことを完全に真似する。そこに、私の解釈もやりとりも加えず、

たとえばお風呂や遊び場で、トムのいうことを完全にコピーし、待つ。様子をうかがう。
そうすると、トムがのってくるんですよね。」

ちょうど1年前までは、トムくんは誰かとのやりとりを自発的に行うことが

とても難しい状態でした。

ですから、yoshikoさんはトムくんと何かを共有する時間が持ちたいと

強く願っておられたのです。

その当時、わたしは自分がトムくんとどのように関わってっていて、

共有できる活動を広げていくのか、説明したり、実際目で確かめていただいたりしたものの

うまく伝わらなかったのです。

でも、1年経った今、yoshikoさんはそれを身体で体得されたようなのです。

「よかった~」と思う一方で、現在のトムくんの内面は

1年前からするとずいぶん進歩していて、さまざまな新しい可能性の芽が

見え隠れしている状態で、

そうした関わり方だけでは物足りないのではないか、とも思われました。

 

レッスンが近づいたので、次回に続きます。


2、3歳児の「へりくつ」や「意味のわからない要求」にどのように関わればいいのでしょう? 

2012-02-27 17:30:22 | 幼児教育の基本

2、3歳の子というのは、「へりくつ魔王」のような存在で、どこからそんな理由が飛んでくるのかという理由を持ち出して、自分に起こったできごとを説明することが多々あります。

うちの子の育児記録に次のような話が残っています。
娘がもうすぐ2歳という時期のこと。実家に寄っていた妹に、その時まだ赤ちゃんの息子(まこちゃん)といっしょにスーパーに買い物に連れて行ってもらいました。
帰宅した妹は、「おねぇちゃん、またよ~もう★(娘)は……」とやれやれとため息まじりにスーパーのお菓子売り場の前でひっくり返って駄々をこねていた娘の様子を説明しました。

私が娘にそのことを問うと、こんな返事が返ってきました。

「ちあうの。まこちゃんね、おかちほしいな~ほしいな~言ったのよ。ちょうだいして、ほしいなほしいなして悪い子だったのよ。」と。

「★はどうしてたの?」とさらにたずねると、「あのね、んなちゃん(自分のこと)、まこちゃんめんめんよって言ったの。」とのこと……。

付け加えておきますが、当時、まこちゃんは「んまんま……」くらいしかしゃべれませんでした。

こんな風に、幼い子に何かたずねると、「トンデモ発言」や「ありえないへりくつ」が飛び出してきて、親が数十年間築いてきた常識的な世界観がグラグラとゆすぶられることがしょっちゅう起こります。

保育現場で働いている方々は、こうした意味不明のへりくつに日々向き合っているようで、保育の実践報告を読むと、思わず笑ってしまうシーンが多々あります。

『人とのかかわりで「気になる」子』という保育者向けの本の中にこんな話が載っていました。

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二歳から三歳くらいの子というのはすごくおもしろいへりくつをつきます。
わーわー泣いているときに、どうしたの、と聞くと、「○○ちゃんのはながたれていたからいやだ」とか、「くつしたがぐちゃぐちゃになっているから」と言ったりします。
そんな他人のことなんかでどうして、それとあなたが泣いていることとどんな関係があるの、と思ったりしますが……。
でも、「あー、それがいやだったのかー」なんて受けたりします。
そうするとはながたれてるなんて言われた子は余計腹立てて怒ったりしてね。
そんなことが日々の生活のなかにいっぱいあります。
子どもたちは、そんな「へりくつ」をいっぱい出して、それにすがりながら、立ち直りをつくっていくのだと思います。

 『人とのかかわりで「気になる」子』(現代と保育編集部ひとなる書房)P81 より
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「へりくつ」をいっぱい出して、それにすがりながら、立ち直りをつくっていく2、3歳の子。
でも、もし、大人がそのへりくつの間違いを正して、子どもにわかるように説明して、妙に大人っぽい物分かりのよい子に育ててしまうとどうなるのでしょう?
2歳や3歳の時期から、言葉で言えばわかる、わがままやだだこねの少ない子にしてしまうとどうなるのでしょう?

最近の子育てでは、できるだけ早く大人の望むように仕立てあげてしまうことが、他人に迷惑をかけない、しつけの行き届いたいい子を育てているかのように捉えられているところがあります。
もちろん、0、1歳から愛情を込めた年齢にそったしつけは必要なのです。
好き勝手させて放任していていいわけではありません。
でも、子どもがおりこうさんで大人の言うことを聞いてしまうからという理由でわがままやだだこねを十分せずにこの時期を過ごしてしまうと、子どものなかに自己をコントロールする力がきちんと育っていかなくなることが保育の場で指摘されています。

上の『人とのかかわりで「気になる」子』に次のように書かれています。
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子どものなかに自己をコントロールする力を育てていくということを考えると、何かあったとき、おとなが「だめ、だめ」といいながら、つけていくようにするのか、子ども自身のへりくつの固まりのような言い分を受け止めながら、そっと方向性だけを示してあげるのか、その対し方のいかんが保育者としてためされるのではないでしょうか。
(略)
そのへりくつを押さえ込んでいったら、子どもたちは何も言わなくなってしまいます。
ただ泣くだけ、暴れるだけになってしまうのではないでしょうか。

ただそれが、年長さんくらいになってくると、自分が今なんで暴れているのか、おとなの方で理解しないと満足しなくなります。ただ、だっこしたりおんぶしたりだけではダメだと思います。
悪いことは悪い。
「あなたのしたことは悪いと思うよ。でもそうしたかった気持ちはわかるよ」という説明があってはじめて、落ち着く。

 (『人とのかかわりで「気になる」子』現代と保育編集部  ひとなる書房 P82)

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家庭での子育ての様子をうかがうと、上のような保育の姿勢が逆転しているケースが多いようです。

2、3歳児には「最初が肝心だから」と強圧的なほど言葉と大人側の常識で「わからせて」しまい、そのせいで、4、5歳に問題行動が出てきます。
すると、4、5歳児には「問題行動に困って読んだ本によると子どもを受容するのが大事とあったから」と言って悪いことを悪いとはっきり言わずに受容するか、「しつけをしないと小学校に入ってから困るから」という理由で、悪いことをわからせて修正させるだけで、そうせざる得なかった気持ちを無視してしまうのです。

こうした困った親子関係がどうして生じるのかというと、2、3歳児の「へりくつ」や「意味のわからない要求」が、その後の成長にどのような良いものをもたらすのか知らないことによると感じています。

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昆虫や鳥の世界も4つ足で歩く動物の世界も、子どもが親をわずらわすことってそれほどありませんよね。
もちろん、ライオンの子育ての様子なんかを映像で見ていると、子ライオンがしつこくいたずらをして、親ライオンがガブッと軽く噛みついて、どこからどこまでが許されるのかしつける姿があるのです。
でも、そうした子育てはいたってシンプルで、人間の子ほど次から次へと親に新たなわずらわしい課題を与えることはないでしょう。

どうしてこんなに人間の子がめんどくさいか……といえば、勝手に自分で育ってしまわずに、大人の手をわずらわして成長する必要がるからなのでしょう。それほど高度な生き物なのです。

ややこしいから大人が関わって、そうして関わり合うから一人で育つ場合にはとうてい不可能なほど大きく成長するのですから。

子どもを効率的に最善の形で発達させるために、進化の過程で得た能力のひとつが、成長過程で親をわずらわすということなのでしょうね。



『関係からみた発達障碍』(小林隆児 金剛出版)の中で、

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「親(育てる者)-子(育てられる者)」という非対称的関係における
コミュニケーションの過度的段階でのある特徴を見て取ることができるように思う。

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という一文に出会い、大人の手をわずらわせながら成長する子どもが特にややこしくてめんどくさい時期について大切な視点を与えてくれる内容だなと感じました。


「コミュニケーションの過度的段階のある特徴」ってどんなものでしょう。

この著書によると、この過度的段階のコミュニケーションとは、次のような役割を担っています。

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ことばの獲得過程のいまだ途上にある子どもにとっては、ことばは自ら自由に操ることができるような道具ではない。
しかし、ことばを獲得して大人文化の仲間入りをしたいという欲求(自立したい欲求)を持つがゆえに、子どもは母親を自らの方に引き寄せて、母親に自分の内的表象をことばで語ってもらうことが、大きな喜びとなっている。
母親に依存しながらも、ことば文化を取り入れたいという欲求をも同時に表現している。
依存(繋合希求性)と自立(自己実現欲求)が深く錯綜しながら展開している母子コミュニケーションの一断面をみる思いがする。

 『関係からみた発達障碍』(小林隆児  金剛出版)p129

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「過度的段階のコミュニケーションが大事なのはわかったけど、それって具体的にいうとどんなもの?」と思いますよね。

「大人文化の仲間入りをしたいという欲求(自立したい欲求)を持つがゆえに、子どもは母親を自らの方に引き寄せて、母親に自分の内的表象をことばで語ってもらうことが、大きな喜びとなっている。」ときの子どもの姿は、↑の著書に次のようなエピソードが紹介されていました。

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<エピソード1>
絵を描いて、自分が何を描いたか、私に言わせようとする。絵を指して、私の方を向いて<言って>というふうに少し催促する声を出す。
目を見ても<これはなんだ?>と<言ってみて!>という気持ちがよくわかる。
すぐにパッと答えてあげれれば大満足で安心する。

でも、ときどき忘れてことばにつまることがある。
そんなときは、小さな声でそっと頭文字のことばを教えてくれる。
「パーキング」なら「パ」、「プリンスホテル」なら「プ」、頭文字がはっきり聞こえず、こちらがわからないと、すごく怒る。
一日に数回は怒らせてしまう。たまに、途中で私がわかって正解を言うと、パッと目に涙をためながらも笑ってくれて落ち着く。
切り替えは早い。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<エピソード2>

数日間から朝起きるとすぐに「(何かを)トッテ」と要求することが多くなってきた。
母親にしてみると何をとってもらいたいのか、本人の好みがいくつかあるので想像はできるのであるが、何かはっきりとはわからない。
そのため時折違った物を持ってくるとひどく不機嫌になってしまう。
自分の希望の物を持ってきてもらうととてもうれしそうに反応している。
ではどうして何をもってきてほしいと明確に言わないのか、言えないのだろうか。
日ごろはほしい物に関して何らかの表現方法は身につけているのであるから言ってもよさそうなのだが、それを母親に直接的に言わない。
なぜなのか母親は首を傾げている。

 (エピソードは2つとも 『関係からみた発達障碍』(小林隆児 金剛出版)より)
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子育て中の方は日々体験しているでしょうが、子どもって自分で言わずにわざわざ大人に言わそうとして、ややこしい行動をとるものですよね。

ユースホステルでのレッスンで、教室での定期レッスンにも通ってくれている2歳のおしゃべりの男の子のお母さんから、「うちの子良い子すぎて心配なのですが……」という相談をいただき、「えっ?★くんが?いえ、★くんは、いつもけっこう好き放題言ってて、良い子すぎじゃないから大丈夫ですよ~」と思わず笑いながら応えてしまい、後から、「奈緒美先生、ひどいですよ~あれは結構傷つきました」とこれも笑いながら告げられた出来事がありました。

というのも、★くんはそうとうなぐずぐずさんで、激しいかんしゃくこそ起こさないものの、何かするたびに、ぐずぐずぶつぶつぐだぐだ~とややこしいこと極まりないのです。
★くんのお母さんは大らかな性質の方でとにかく★くんがかわいくてたまりませんから、いちいち「これはどう?」「ならこれでは?」と延々と相手をしてます。
そうしてたくさん相手をしてもらっているので、しょっちゅうぐずぐず言っていても、それが★くんのお母さんにとってわずらわしいことのようには感じられず、楽しい親子の交流の時間になっているのです。
そうして相手をしても少しも苦とは感じないお母さんももとで、★くんは2歳とは思えないほど表現豊かに会話したり、考えたことを言葉にするのが上手になっていました。


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2、3歳は子育ての要ともいえる非常に大切な時期だと言われています。

この時期の大人との関わり方いかんで、その後の成長が左右されるようなところがあるからです。

人間関係の土台が、この時期に作られるといっても過言ではありません。

『人とのかかわりで「気になる」子』という保育実践の本に次のような文章がありました。

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自我の肥大期ともいえるこの時期(2、3歳)の子どもたちは、次に示すような矛盾する二つの顔を持ちながら大人との関係を作っていくが、そこでどのような関係を保障されるかということが、その後の人格形成に大きな影響を及ぼすことになる。

A 自己主張が強く、それが実現しないと強烈なダダコネをして抵抗する

B 保育者と気持ちが一つになるような関係ができたとき、素直に喜びを表現する

この場合Aの方が、子どもの内面から湧き上がる要求を出発点にするのに対して、Bの方は、マテマテ遊びやじゃれつき遊びのように、保育者が作る積極的な関わりを通して子どもたちが感じる、解放された幸福感のようなものを基礎に形成されていく点を特徴としている。

ここでとりわけ重要な意味をもつのが、強烈なダダコネまでして自己主張するこの時期の子どもたちを、彼らに寄りそおうとする大人が、いったいどこまで受け止めることができるかという点である。

どんなにダダコネしても、そんな自分を辛抱強く受け止めてくれ、身体が「心地よさ」を感じるまでつきあってくれる。そんな体験を積み重ねた子どもたちが、自分の思いを受け止められる喜び、聴き取られる喜びをベースに、今度は相手の言葉を聴く姿勢を自分のものにしていく……。

この時期の子どもたちは、まさにこうした関係の中で自分をステキに育てていくのである。

 (『人とのかかわりで「気になる」子』現代と保育編集部・編  ひとなる書房p31 p32)

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2、3歳児を育てる大人の仕事は次の3つです。

 

★ どんな自己主張も、受け止めてあげること

★ ゆったり受け止めた後で、子どもが混乱した状態から抜け出ることができるように、そっとサポートして、良い大人と子どもの関係を作っていくこと

★幸福を身体全体で感じるようなコミュニケーションを含んだ遊びを体験して、成長した次の段階の「幸福の形」を見つけることができるように導くこと

 

もし、大人が、「そうはいっても、子どもが自己主張するとイライラして受け止めることができない」と言う場合、子どもはダダコネ段階からいつまでも抜け出せずに、「へりくつ」や「意味のわからない要求」ばかり繰り返す魔の2歳児を卒業していくことができませんよね。

子どもが激しく駄々をこねるということは、それまで十分可愛がられてきて、自分を思いきり表現しても、受け止めてもらえるという信頼感があるからでもあります。

(ただ、その姿に、「感覚過敏が原因?」や「これはパニックでは?」といったちょっと一般的なダダコネとは種類が違うと感じたときは、注意が必要です。)

自分の思い通りにいかないことで泣きわめいてごねているのなら、きちんと自我が成長している証拠とゆったり構えて、まず子どもの気もちを受け止めて、でたらめなへりくつや意味のわからない要求をたくさん言わせてあげることが大切です。

そうするうちに、身体が疲れるまでダダをこねつくした後には、心の中に湧いていたムシャクシャするわけのわからないものがすっきり消えて、「お母さん、お父さん、大好き!」という気持ちだけが残っていて、今度はたっぷり甘えるうちことを繰り返すうちに、いつの間にか、この難しい小さな暴君のような一時期を卒業していくはずですよ。


子どもの性格タイプについて考えることで、どんないいことがあるの?

2012-02-27 15:46:45 | 子どもの個性と学習タイプ

子どもの性格タイプについて考えることで、どんないいことがあるの? 1

子どもの性格タイプについて考えることで、どんないいことがあるの? 2

子どもの性格タイプについて考えることで、どんないいことがあるの? 3

子どもの性格タイプについて考えることで、どんないいことがあるの? 4

子どもの性格タイプについて考えることで、どんないいことがあるの? 5

子どもの性格タイプについて考えることで、どんないいことがあるの? 6

子どもの性格タイプについて考えることで、どんないいことがあるの? 7

子どもの性格タイプについて考えることで、どんないいことがあるの? 8

 

<子どもの性格タイプについて考えることで、どんないいことがあるの?5>

の記事で、分析的な心と直観的な心について

解説しています。

最近、書き続けている

「広汎性発達障がいと診断されたり、広汎性発達障がいの疑いを指摘されたら 」という記事で、

こちらが伝えたいことを伝えた後に、正しく実践していただく難しさについて

取り上げているのですが、

その理由のひとつに、人がうまくいかない事柄に対して手を尽くそうとするとき、

分析的な心に傾き過ぎてしまうこともあるのではないか、

と思っています。

ふたつの意識のあり方があることと、人と人との関わり合いのプロセスが進行していくときには、

分析的な心よりも、直観的な心で対応した方がうまくいく場合が多いことを頭に入れておいていただくと

いいのかもしれません。

 

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人には異なる時代に進化した

「分析的な心」と「直観的な心」が備わっていると考えられています。

それは人間の意識の二面性をあらわしています。



強力で迅速で、ときには合理性から離れた働きをする直観的な心。

ルール重視で、行きすぎないように気を配る分析的な心。

直観的な心と分析的な心はバランスよく働くこともあれば、
ぶつかりあって、考え方や感情や行動をどちらか一方に偏った
硬直したものにしてしまうこともあります。

もし良い仕事をしようと思うなら、分析的な心の知性や規律を大切にしながら、
同時に直観的な心が生み出す自由で創造的なエネルギーが
活躍できるように調節しなくてはなりません。

私は、ブログで記事を書くときは、体験したことや見聞きして得た印象を整理して、
分析的な心を通して言葉にしているのですが、
実際に仕事をしている最中は、分析的な心はできるだけ引っ込めて、
直観的な心で子どもに対応していることが多いです。


ユージン・サドラースミスの『直観力マネンジメント』という著書では、
分析的な心と直観的な心の違いを次のようにまとめています。

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<分析的なこころ>

「ナロードバンド」(連続的処理)
コントロールされるプロセス(努力が必要)
ステップ・バイ・ステップで働く
意識的(直接的、意識的介入が可能)
言葉で語りかける
作用がゆっくり
進化的に新しい(数万年前)

<直観的なこころ>

「ブロードバンド」(並行処理)
自動操縦のプロセス(努力が不要)
総合的なパターン認識
無意識的(意識的介入ができない)
感情で語りかける
作用が迅速
進化的に古い(数十年前)


このふたつのこころの相互作用は、人間心理に固有の緊張感をもたらす。
分析的なこころは自分がすべてを仕切っているという想定あるいは妄想のもとで活動しているが、
ものごとの進行には、直観的なこころのほうが
大きな影響をおよぼしているかもしれない。

(『直観力マネンジメント』ユージン・サドラースミス  朝日新聞出版 より)

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『直観力マネンジメント』によると、どのような職種であれ、経験豊かなプロは全体的な状況の
「エッセンス」をとっさにつかんで、「何かがおかしい」という勘を頼りに、
さらに詳細に調べるべきか見分けるそうです。

たとえば、こんな例が紹介されていました。


ある夏の晩、隠密捜査中の覆面麻薬捜査官が街の売人から違法な薬物を買い取ったそうです。
そこで、捜査官は、待機していた仲間に売人の特徴を伝えました。
街角に向かいつつ、ある捜査官が突然仲間たちに「赤シャツの男を捕えろ、銃を持っている」と叫んだそうです。
赤シャツの男は売人とは別人でしたが、捕まえると357口径れぼるバーを隠し持っていたそうです。


どうして、売人とは別人の男が、銃を持っていることに気付いたのかというと、
暑い夏の夜なのに、長袖シャツを着て、裾をずぼんの外に垂らしていたり、
いきなり向きを変えて反対方向に歩きだしたり、立ってベルトをいじっていたりしていた印象が、
捜査官の直観的なこころに「何かおかしい」というサインを送っていたのです。

学習や経験、フィードバックによって十分に直観を発達させていても、
直観的なこころは間違いがないわけではありません。

でも、上の例のように直観的なこころが大活躍する場面もあるのです。

『直観力マネンジメント』では、直観的思考が向いている場合を次のように
まとめてあります。

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<直観的思考が向いているのは>


●問題の存在を察知する必要がある場合

●学習済みの行動パターンを迅速に展開すればいい場合

●予想がくつがえった場合

●「大きな絵」を構築する場合

●合理的な分析の結果をチェックする場合

●綿密な分析は棚上げにして、迅速にそれなりの解決に達したい場合

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私も仕事で直観的なこころをフルで使うときというのは、

「この子はこういう子なんだな」という外から見える姿とは異なる
子どもの一面に気づいて、どこかで自分の予想を裏切られる何かにぶつかるときです。

また、子どもの未知の潜在的な可能性を感じとるときも、直観が強く働いています。

直観的なこころをしっかり働かせるには、
細かい分析をすべて頭に入れた上で、そうした分析に縛られないで
自由に創造的に感じ取る必要があります。

さまざまな経験や知識を正確に把握した上で、
何も知識がないときのような先入観のない気持ちで
全体を眺めるようにしています。

感情で察知するものを、馬鹿にしないようにしています。

合理的に分析的に考えて、それがどんなに正しく思えることでも、
何か心に引っかかることがあったり、
子どもの表情や目の動きが、自分の心にざわざわするものを残す場合は、
全く別の視点から検討しなおして、
何かを変える必要があるものです。


広汎性発達障がいと診断されたり、広汎性発達障がいの疑いを指摘されたら 29

2012-02-27 09:46:07 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

前回までの記事に●くんのお母さんから次のようなコメントをいただきました。

 

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先日は、レッスンありがとうございました。

先生が「お母さんに伝えることの難しさ」を書いてくださっているとおり,私自身も,正しく理解することの難しさを感じ,あの日以降は悶々としておりました。

ただ,息子の,「怖がり」について,「原初的知覚」という言葉を使って説明してくださったことで,何か息子が今まで怯えていたものが見えてきたような気がしました。
それらは息子が集団やお友達の輪に入っていくのを躊躇すること,集団で楽しそうに行われていることにすっと楽しんで入って行くことに対する抵抗等にも,すべて繋がっているように,私には思えました。

そしたら,その抵抗感や怖さを乗り越えていくためにどうしたらよいか?といった点についても,お人形やぬいぐるみ,また私や別の人(家族でも友だちでも)が同じような体験をすることを彼が見守り,自分の中で消化することを重ねることで,乗り越えて行ける場合があること,と理解しています。

ただ,上記についてはとても慎重に行う必要があり,それこそ先生がブログで連日お書きになっているような,彼なりの
「ものさし」に私が近づき,彼の微妙な心の動きに注目しながら彼の心の緊張,不安の様子を捉えながら進めていく必要があるということも理解しております。

しかしながら,具体的な手だてといいますか,じゃあどういう場面でどうしたらいいのか?というものを,どうしても求めてしまいます。でもそうではなくて,こちらがどっしり構えて,まず息子の「怖さ」を理解できたこと,そこで第一歩。その先は,手だてをあれこれやってみる,のではなく、そういう「怖さ」を心の中に持つ息子の「ものさし」に私が近づいてみることーーそれが必要なのだと今は考えております。そうしていると,「あ,今,乗り越えられそうかな?」といった場面場面での瞬間がきっとあるはずで,その時にすっと支えてあげればよいのだと思っております。

言葉では言ってても,実践するのは本当に,難しいのですが…

同時に,「楽しいと思えること」の幅を広げてあげることも大切であると承知しながらも,それを実践することの難しさも感じております。この点について,何かご教示くだされば嬉しいです。

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●くんのお母さんは、●くんとの関わる上で何が大切で、どの方向に進んで行けばいいのか、

ぶれることのないしっかりとした指針をつかんでおられるのだな、

と感じました。

具体的な手立てという点で、

わたしが体験的に習得し、洗練させてきたものが

役立ってくれたら……と願っています。

 

それには、きちんとわたしが伝えたいと思うことが、

正しく伝わらないことには話になりません。

 

でも、わたしは最近になるまで、子どもと親御さんとわたしとで

何らかの活動をしていく際に、

親御さんがその場を見て、理解して、印象として感じとって記憶しているものと、

わたしが見て、理解して、印象として感じとって記憶しているものに

それほど大きな差異やずれがあるとは

気づいていなかったのです。

 

多少言葉の行き違いを感じても、

同じ空気を吸って、同じものを眺めているのだから、

自分と同じように見えていて、同じような印象を抱いているに違いないと

錯覚しているところがあったのです。

 

それがそもそもの間違いだったと

気づき、新たな伝え方を模索してみることにしました。

 

●くんのレッスンを終える頃、2時間の活動を通して、頑なだった●くんの言動は和らぎ、

 

防衛的な構えは、「やらないよぅ」といたずらっぽくこちらを試すようにつぶやく態度に、

 

固まっていた表情は、好奇心で目をキラキラさせた快活な顔つきに、

 

手を握ってこわばっていた身体は、「いや、やらない」とこちらをからかうような口調で言っては、

ちょっと触ってみる態度に、

 

「いやだ、やめてぇ!」と悲鳴に似た声をあげて阻止していたお人形が●くんの苦手にチャレンジする劇は、

演じて見せても、ケロッとしながら勝手にこちらにさせておいて、

次には少し乱暴なことをするのを期待する目を向けるようにまで変化していました。

 

わたしは●くんの柔軟性と変化を許容していく力に

ホッとする安心感を抱いていました。

●くんのユーモアへの感受性や知恵、好奇心の強さにも

頼もしさを感じていました。

それで、帰り際に●くんのお母さんに、「確かに神経は過敏な子でしょうけど、●くんは大丈夫でしょう。

これだけ柔軟な面があるのですから、時間はかかるかもしれませんが、

無理させず、楽しい体験を積んでいけば、

集団での活動も楽しめるようになっていくと思いますよ」と声をかけました。

 

するとたちまち●くんのお母さんの表情が曇って、

「本当に大丈夫でしょうか……?」と心配を口になさいました。

不安の理由をくわしくお聞きしてみると、

他の子がするような活動に参加する気配がないことや、●くんがいつも

同じ態度に固執していて、これから先も変わりそうにないことを気にかけておられました。

「でも、今日だけでも、●くんはたくさんの変化を受け入れていたし、

今くらい他の人のすることに関心があって、

そこにあるユーモアを理解したり、考えるのを楽しいと思うことができる素地があるのなら、

まだ2歳ですから、これからどんどん許容できるものが増えていくはずですよ」とお伝えしたのですが、

まだ不安そうでした。

●くんのお母さんが見た限りでは、●くんの態度の変化はほとんど感じられなかった

ようなのです。

これは、最初に書いたわたしが「とても驚いたこと」と重なります。

 

でも、この驚きのおかげで、

これまで●くんのお母さんだけでなく、他の多くの親御さんに、

自分が伝えようとしていることがなぜ伝わらなかったのか、

という理由にハッと思い至りました。

これまで、困り感を抱えた子のレッスンではたいていが、

言葉で伝えても伝わらず、腑に落ちない様子でレッスンを続けていただいた後で、

子どもが劇的な変化を遂げてはじめて、

「先生のおっしゃっていた通りになって驚きました」と報告をいただく形で

進むことが多かったのです。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 


それぞれの子の長所  小2の算数クラブ

2012-02-26 16:54:25 | 子どもの個性と学習タイプ

算数クラブで、小学2年生の子らがお雛様を作っていました。

この頃、女の子たちの間でも歴史ものの大河ドラマが流行っていて、

記憶だけを頼りにこしらえているお雛様の着物や髪形も

凝ったものになっています。

 

自由に物作りをしていると、それぞれの子の長所が際立って見えてきます。

また物作りの場面で見えてくる長所が、算数の問題を解くときの個性の違いにもあらわれていて

面白いです。

 

ひとりの子は細部にわたるまで几帳面に粘り強く作業をする子です。

仕上がりにとても気をつかいます。

算数の学習時には、細部に目が行きがちで、全体像をつかむのが

少し苦手な一面があるものの、

一度、きちんと理解すれば、その後は真面目に黙々と取り組みます。

自分のなかにいつも高い理想をかかげていて、たったひとりになっても

決して妥協せずに最後まで物事をやり通すところが長所だな、と感じています。

 

別のひとりの子は、どうすれば自分が作ってみたいと

思う個性的なものが作れるのかイメージしながら、

要点を押さえて、的確に作業をしていくことができます。

算数の学習では、論理的に考えていく問題と、高い推理力が要する問題が

得意です。

自己肯定感が高くて明るくさっぱりした性質の子なので、お友だちが自分より何か上手にできているときは、

「●ちゃん、~が上手ねぇ!」と感心した様子でニコニコしていたかと思うと、

素直な気持ちでお友だちのよい面を

自分に取り入れることができるところが長所だな、と感じています。

 

もうひとりの子は、物作りが好きでたまらないわりに、作業は大雑把です。

上手にできるかどうかなど気にせずに、とにかくエネルギッシュに

何にでも飛びこんでいって没頭するところ長所だな、と感じています。

算数の学習では、高い洞察力で、問題の本質や全体像をつかんで

解いていきます。

問題のレベルが上がっていっても、重要なポイントを見抜きながら

理解していくことができるので、次には確実に解けるようになっているところが

頼もしいです。

 

 

 

 

 

 

算数の問題は、ピグマリオンの「何通りの道筋があるか」を問う問題や、

面積クイズをしました。

↑の写真のような問題をひとりの子が持ってきてくれていたので、

みんなで解いてから、

それぞれがオリジナルの面積クイズを作りました。

 

↑のようなシートに、長さと面積の値を書き込んで

中央の長方形の面積を問うクイズを作るのです。

 

ただ問題を解くだけの時は、「わかった、わかった」とすんなり了解していた子らも、

いざ自分で問題を作る段になると、大きすぎる数を書き込んだり、

整数のかけ算で計算できない問題を作ったりしていました。

そうしてミスしたおかげで、このクイズで問われていることが

深いところまでしっかりとわかったようです。

 


広汎性発達障がいと診断されたり、広汎性発達障がいの疑いを指摘されたら 28

2012-02-25 21:00:41 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

前回と前々回の記事の●くんのレッスンで、

わたしにはすごく難しく感じたこと」と

とても驚いたことがありました。

 

[すごく難しく感じたこと]というのは、

●くんのお母さんに、●くんの不安や緊張を解除していく方法を

できるだけ的確に伝えて、理解していただくことの難しさです。

 

ひとつひとつの場面で、わたしが見せたり伝えたりすることは

誤解も生みやすく、

「こういう風にすればいいんだ」と●くんのお母さんが誤って解釈して

●くんに強く働きかければ、

かえって●くんの態度をこじらせてしまうことが危惧されたのです。

 

この問題は、ここのところわたしがずっと悩んでいる難題とも重なります。

 

というのも、●くんの場合、個性が強くて育てにくい面があるといっても、

人と関わる力や言語力や知力はしっかり発達している子ですから、

子どもの問題を改善する際に、正しく接すれば、打てば響くようにいい反応が返ってきます。

 

ほんの数十分の間にも、それまでの言動が変化していくという

外から見てわかりやすい面も持っているのです。

 

けれども重い問題を抱えている発達障がいの子の場合、

働きかけてもインプット時にうまくいかないという子、

子どもの内面は変化していてもアウトプットがうまくいかないという子、

過去の経験にフラッシュバックを起こしがちで、今この場の出来事を感じとってもらうのが難しい子、

物の理解に誤解が多くて、現実をまちがってとらえている子……など

どの子も絡まり合う複雑な要因を抱えていて、

こちらがしたことのフィードバックがきちんと返ってくるということは

まれなのです。

 

たとえ正しい働きかけ方の糸口を見つけても

変化が非常に微細でゆっくりで、いったんはさらに悪くなっているように見えることすらあるのです。

 

そうした暗闇のなかを手さぐりで進むような作業であっても、

当てずっぽうにあれこれするのではなく

その子の最重要課題に焦点を合わせて

ひとつひとつ確実にその子のなかに何かが積み上がっていくようにしなくてはなりません。

また、フィードバックがほとんどなくて先行きが不透明な段階でも

その子のなかに潜在的に眠っているものを把握して、

これから先の成長のおおまかな予想図をつかんでおくことも大事です。

 

でも現実には、明らかなフィードバックがあって、

自分の力で成長していく力をしっかり持っている●くんのような子でも、

不適応を起こしている一面やそれまでにこじれてしまった一面を

良い方向に変えていく手立てを説明していくのはすごく難しいのです。

 

ただ言葉にすればいいというものではなく、きちんと理解していただき、

正しく実践していただこうと思うと、

一筋縄ではいかないのです。

 

こちらの言葉足らずもあるでしょうし、

親御さんが囚われている思い込みもあるでしょうが、

なぜ難しいのかといえば、

 

方法がその子その子によって異なるという

 

「人間の個性」を

相手にしていることにもよるのでしょう。

 

また、こういう時にこうすればいいというマニュアルなど存在しなくて、

 

正しさはその都度、その場面場面で変化していくという

 

「人間関係の調節」などというややこしいものを扱っているという難しさもあるでしょう。

 

 

「ひとりひとりに対して、対応法が異なる上、

ひとつひとつの場面で正しさの基準が変化するなら、

そもそも正しい方法なんてあるの?」と 疑問を抱く方があるかもしれません。

 

わたしはその都度、目の前にいる子の表情、身体の状態、

呼吸の仕方、興味の移り変わり方、気分の変動、意欲の持続の長さ、

目の使い方、口調、話す内容、疲れの表現の仕方、

触れたがる素材、引きつけられる色、音への感受性、

お母さんへの振り返り方、お友だちへの視線の行かせ方、ユーモアを理解する度合い、

変化に対する許容度などのひとつひとつのあり方や強弱や回数が、

正しさの指針であって、

問題の提示もしているし、答えも示していると思っています。

 

ただ、変化を伴う問題解決には、

 

「ボタンを押したから、パッと結果が出る」といった単純なものではなく、

 

ある一定の時間の流れのなかで、

人の心がたどっていくプロセスに従って進んでいく

必要があるとも思っています。

 

その人の心がたどっていくプロセスというのは、

使い捨ての消費文化のなかでは、ないもののように無視されているものですが、

昔話や児童文学の世界では

当たり前のように存在しているものです。

これは先日、息子と会話していて気付いたばかりのことなのですが……。

 

またタオイズムのような宗教観や

ユングの心理学のなかにも存在しています。

 

 

次回に続きます。

 


広汎性発達障がいと診断されたり、広汎性発達障がいの疑いを指摘されたら 27

2012-02-25 16:34:23 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

●くんは人に対してとても警戒心が強い子です。

慣れないうちは、話しかけると

口をへの字に曲げたまま、聞こえないふりをしていて、

●くんのお母さんに向かってしつこいほどに

色の名前をたずねるなどしていました。

 

でも、会う回数を重ねるうちに、

●くんはわたしがすることに

とても興味をしめすようになりました。

また話しかけると、クリクリした目を輝かせて聞きいったり、

ニヤッと笑ったり、返事をしたりするようになりました。

 

それでも、いざ遊びや工作に誘うと、再び強い警戒心をあらわにして、

「いやっ!しない!」と活動に参加しようとはしませんでした。

 

●くんのお母さんは、同年代の他の子らが喜んで参加している活動に

毎回参加しようとしない●くんの態度を心配していましたが、

わたしが見たところ、●くんは活動の内容に強く好奇心をそそられている上、

よく理解もしていて、ああだこうだと口を挟んでもいるので心配いらないと感じました。

 

ただ、何か新しい展開があるたびに、身体をこわばらせて緊張する癖は、

本人が楽しいと思う体験の幅を少しずつ広げていくことで

克服させていく必要を感じました。

 

そこで課題のひとつとして、

「お人形や電車が、●くんにとっては怖くてたまらない体験を代わりにやってみせて、

●くんがそれを面白いと思って眺めることができるようになること」

を目指すことにしました。

 

 

わたしは電車のおもちゃを一台手にして、

「怖いなぁ。でも渡りたいな。ガタガタしたら、どうしよう?怖い怖い、やっぱりやめた」

と、高架になっている線路を渡ろうかどうしようか迷っている

姿を演じました。

●くんは、「やめてぇ!怖いよ。やめっ!」と

声を荒げて止めに入っていました。

 

わたしは、何度も渡りかけては、「やっぱり怖い!やめる!」と

戻ることを繰り返していました。

しかし、何度目かに、●くんが「渡っちゃだめ!怖いよ!」と止めるのも聞かずに、

「やっぱり渡りたいよ」と言いながら、電車を手にして、線路の上をすべらせました。

それを黙って見届けていた●くんは、プイッと後ろを向いて

黙っていました。

わたしもそっとその場を離れて別の活動を始めました。

 

●くんはその日、それまでなら「ダメ!いや!怖い!」と強い抵抗をしめしていた

活動に対して、

「先生がするくらいならいいか」「ちょっと触るくらいならいいか」「怖そうだけど、怖くないかもしれない」

という許容範囲を広げていきました。

 

●くんの知覚の仕方や身体の感覚は、ある面で過敏すぎるほど敏感なのですが、

知能や心の発達はしっかり成長しているので、

無理のない課題を設定して、少しずつ慣れさせていけば、

ほんの数十分の間にも、怖がらずにできる活動を、ひとつひとつ増やしていけるのです。