メールで次のようなご質問をいただきました。
来月ブロック教室でお世話になる5歳の息子がいます。
将棋のルールを教えたら大好きになり、すぐにマスターして、
私がうんざりするほど一日中将棋をやりたがります。
私が相手なのですが、私は将棋が本当に下手なので、
教室のようなところに入れようか迷っています。
でも、引っ込み思案で、他人から指図されるのが大嫌いな
息子、教室へ行くことにより、将棋が嫌いにならないか気になります。
でも私がずっと相手では、子供は上達するどころか、将棋の
おもしろさがわかる前にあきてしまうのでは、とも案じて
います。
将棋が子供のアンテナにひっかかった最初のものだったので
大切にしてあげたいのですが、どう対応していいのか、毎日
悩んでいます。
将棋が子供のアンテナにひっかかった最初のものだったので
大切にしてあげたい
という思い……とても大切なことだと思います。
この質問は、うちの子の子育てのうまくいった~失敗した~という部分と
かぶる大事なご相談と受け止めて、さまざまなことに思いをめぐらせました。
このご相談の答えのヒントとなった出来事は、
昨日、うちの息子との間でかわしたおしゃべりです。話が遠回りになるのですが、
お返事をそこからスタートさせてくださいね。
今、高2で、受験勉強に力を入れだした息子は、この夏休みは、家で一日中勉強に熱中しています。最近は、英語も数学も物理や化学も、理論を深く掘り下げた面白い本が出ているので、そういったものに触れるうちに、どんどん勉強自体に感動や喜びを感じるようになってきたようです。
休憩時には読書をしていて、私の本棚から本を何冊か抜いていっては読んでいます。
時々、勉強に疲れると、そうした読書や勉強で感動したことなど、あつ~く語っていた息子ですが、昨日は憤慨して、「山田悠介って知ってる? 最低だよ~。最悪最悪!
ほらリアル鬼ごっことか書いてる作家! ある王様が鬼ごっこのようなゲーム感覚で全国の佐藤を捕まえ、抹殺するという計画を提案して実行する話。この作家、次から次へと、こんな趣味の悪いのばっか書いてんだから……。主張なし。
別にさ、アングラとか~銃マニアとかいるし、そういう特殊な趣味の一部の人が、この本を支持するってんならいいんだよ。でも、こういうのが表舞台に出たらダメだと思うんだよね。映画とかありえね~。
何が嫌ってさ、学校の友だちもみんな読んでて、いい~いい~言ってんだから。
こういう話は大多数に支持されたり、映画になったりして市民権持つべきじゃないと思うな。ほんと、気持ち悪くて趣味悪いんだから。」
娘も横から、「このごろ、賞を取った小説読んだらたいてい、快楽ものか、猟奇的殺人で嫌だわ~」とぶつくさこぼしました。
「日本人、殺人事件好きだよね。潜在的に、そういう趣味があるんじゃない?」
と私が適当なこというと、息子は憤慨して、「そんなこと言ったら、ぼくの友だちが、変な子みたいじゃないか。みんな普通のいいやつらだよ。
ただ、そういう悪趣味な本ばっかり読んでるやつは、自分はこれが好き!とか楽しい!と思えるような趣味を持ってないな。まじめだ。」
こんな話をあれこれしたあとで、
息子から、我が家の本の品揃えについて、かなりお褒めいただきました図書館にもないいい本がそろっている~と。
幼稚園の頃から、親の言いなりにはならない自分の考えが一番!!の息子。
そうやって間接的でも親を認めてくれるのはうれしいことです。
話がめちゃくちゃ質問の答えからそれてるんですが、
20歳をむかえる娘、高校生となった息子が、
心の底から喜びを感じている趣味のいろいろ……
最近は勉強もそのひとつに加わりました……
は、どれも私が計画的に好きにさせようとしたものではないのです。
将棋に夢中の息子さんのように、子どもが面白くってたまらなくて
毎日したいと思う~でも、
子どもの情熱に見合う環境は用意してあげられず、
夢や願望や精神的な飢餓感だけが大きく膨らんでいたものなのです。
毎日、毎日、家の電子ピアノをいじっている小学生の息子に
「ピアノ習う?」とたずねると、「いい、やめとく」という答え。
それにすんなり従って、親が横着していたから……
今、息子は、「どんだけ~???(古い!)」レベルに音楽好きになった気が
しているのです。絵を描くのもむちゃくちゃ好きですし~情熱がすごいです。
読書も、小学生の頃、お菓子の作り方の本ばかり読む娘。
ゲームの攻略本しか読まない息子。
私自身は、ふたりがやりたがることは支援したけれど、
それ以外は放置……していたので、高校に入学したあたりから
難解な本をどんどん濫読するようになった気もするのです。
今、子どもたちは哲学書も評論も大好き。文学も数学理論の本も大好きです。
こういうのって、私が幼い頃から不必要に介入していたら、
こんな風に自分の好きを発展させることができたのかな?
と感じるのです。
ただまったく放置でもないのです。その都度、子どもが興味を持って
支援を求めたことは、いっしょに十二分に
楽しんだのです。
すると、それが料理でも、遊びでも、
勉強から絵の描き方にまで通じる「自分のエネルギーをいっぱいいっぱいまで傾けるにはどうすればいいのか」という自分の力を出し惜しみしない姿勢が身についた
と思うのです。
親が、子どもが遊んでいるときには、
勉強を気にかけ、
勉強しているときには、成績を気にかけ~と、
目の前のこと以外に心をそわそわ漂わせていると、しっかり今と向き合う力がつかないのではないでしょうか?
今の中高生にとって、猟奇殺人を面白がるような本は、
本当に自分の情熱を傾けたいものではないはずです。
でもそれがみんなに受け入れられるということは、いつも自分のエネルギーを出し惜しみしながら
義務や周囲の指示に縛られて生活しているからではないでしょうか?
将棋についての答えですが、今しばらく
子どもがうんざりしてあきるまで、お母さんが付き合ってあげてはいかがでしょう?
そのやり遂げた~という経験は、次のさらに大きな課題に駆り立てるエネルギーを
生み出してくれることと思います。
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来月ブロック教室でお世話になる5歳の息子がいます。
将棋のルールを教えたら大好きになり、すぐにマスターして、
私がうんざりするほど一日中将棋をやりたがります。
私が相手なのですが、私は将棋が本当に下手なので、
教室のようなところに入れようか迷っています。
でも、引っ込み思案で、他人から指図されるのが大嫌いな
息子、教室へ行くことにより、将棋が嫌いにならないか気になります。
でも私がずっと相手では、子供は上達するどころか、将棋の
おもしろさがわかる前にあきてしまうのでは、とも案じて
います。
将棋が子供のアンテナにひっかかった最初のものだったので
大切にしてあげたいのですが、どう対応していいのか、毎日
悩んでいます。
将棋が子供のアンテナにひっかかった最初のものだったので
大切にしてあげたい
という思い……とても大切なことだと思います。
この質問は、うちの子の子育てのうまくいった~失敗した~という部分と
かぶる大事なご相談と受け止めて、さまざまなことに思いをめぐらせました。
このご相談の答えのヒントとなった出来事は、
昨日、うちの息子との間でかわしたおしゃべりです。話が遠回りになるのですが、
お返事をそこからスタートさせてくださいね。
今、高2で、受験勉強に力を入れだした息子は、この夏休みは、家で一日中勉強に熱中しています。最近は、英語も数学も物理や化学も、理論を深く掘り下げた面白い本が出ているので、そういったものに触れるうちに、どんどん勉強自体に感動や喜びを感じるようになってきたようです。
休憩時には読書をしていて、私の本棚から本を何冊か抜いていっては読んでいます。
時々、勉強に疲れると、そうした読書や勉強で感動したことなど、あつ~く語っていた息子ですが、昨日は憤慨して、「山田悠介って知ってる? 最低だよ~。最悪最悪!
ほらリアル鬼ごっことか書いてる作家! ある王様が鬼ごっこのようなゲーム感覚で全国の佐藤を捕まえ、抹殺するという計画を提案して実行する話。この作家、次から次へと、こんな趣味の悪いのばっか書いてんだから……。主張なし。
別にさ、アングラとか~銃マニアとかいるし、そういう特殊な趣味の一部の人が、この本を支持するってんならいいんだよ。でも、こういうのが表舞台に出たらダメだと思うんだよね。映画とかありえね~。
何が嫌ってさ、学校の友だちもみんな読んでて、いい~いい~言ってんだから。
こういう話は大多数に支持されたり、映画になったりして市民権持つべきじゃないと思うな。ほんと、気持ち悪くて趣味悪いんだから。」
娘も横から、「このごろ、賞を取った小説読んだらたいてい、快楽ものか、猟奇的殺人で嫌だわ~」とぶつくさこぼしました。
「日本人、殺人事件好きだよね。潜在的に、そういう趣味があるんじゃない?」
と私が適当なこというと、息子は憤慨して、「そんなこと言ったら、ぼくの友だちが、変な子みたいじゃないか。みんな普通のいいやつらだよ。
ただ、そういう悪趣味な本ばっかり読んでるやつは、自分はこれが好き!とか楽しい!と思えるような趣味を持ってないな。まじめだ。」
こんな話をあれこれしたあとで、
息子から、我が家の本の品揃えについて、かなりお褒めいただきました図書館にもないいい本がそろっている~と。
幼稚園の頃から、親の言いなりにはならない自分の考えが一番!!の息子。
そうやって間接的でも親を認めてくれるのはうれしいことです。
話がめちゃくちゃ質問の答えからそれてるんですが、
20歳をむかえる娘、高校生となった息子が、
心の底から喜びを感じている趣味のいろいろ……
最近は勉強もそのひとつに加わりました……
は、どれも私が計画的に好きにさせようとしたものではないのです。
将棋に夢中の息子さんのように、子どもが面白くってたまらなくて
毎日したいと思う~でも、
子どもの情熱に見合う環境は用意してあげられず、
夢や願望や精神的な飢餓感だけが大きく膨らんでいたものなのです。
毎日、毎日、家の電子ピアノをいじっている小学生の息子に
「ピアノ習う?」とたずねると、「いい、やめとく」という答え。
それにすんなり従って、親が横着していたから……
今、息子は、「どんだけ~???(古い!)」レベルに音楽好きになった気が
しているのです。絵を描くのもむちゃくちゃ好きですし~情熱がすごいです。
読書も、小学生の頃、お菓子の作り方の本ばかり読む娘。
ゲームの攻略本しか読まない息子。
私自身は、ふたりがやりたがることは支援したけれど、
それ以外は放置……していたので、高校に入学したあたりから
難解な本をどんどん濫読するようになった気もするのです。
今、子どもたちは哲学書も評論も大好き。文学も数学理論の本も大好きです。
こういうのって、私が幼い頃から不必要に介入していたら、
こんな風に自分の好きを発展させることができたのかな?
と感じるのです。
ただまったく放置でもないのです。その都度、子どもが興味を持って
支援を求めたことは、いっしょに十二分に
楽しんだのです。
すると、それが料理でも、遊びでも、
勉強から絵の描き方にまで通じる「自分のエネルギーをいっぱいいっぱいまで傾けるにはどうすればいいのか」という自分の力を出し惜しみしない姿勢が身についた
と思うのです。
親が、子どもが遊んでいるときには、
勉強を気にかけ、
勉強しているときには、成績を気にかけ~と、
目の前のこと以外に心をそわそわ漂わせていると、しっかり今と向き合う力がつかないのではないでしょうか?
今の中高生にとって、猟奇殺人を面白がるような本は、
本当に自分の情熱を傾けたいものではないはずです。
でもそれがみんなに受け入れられるということは、いつも自分のエネルギーを出し惜しみしながら
義務や周囲の指示に縛られて生活しているからではないでしょうか?
将棋についての答えですが、今しばらく
子どもがうんざりしてあきるまで、お母さんが付き合ってあげてはいかがでしょう?
そのやり遂げた~という経験は、次のさらに大きな課題に駆り立てるエネルギーを
生み出してくれることと思います。
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