虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

シングルフォーカスと学習困難 人間関係 2(シングルフォーカスの特性を持つ子どもへの指導の仕方)

2011-08-31 18:19:56 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子
<,お知らせ>
9月23日 中津のJamJamで
アスペルガー当事者の堀川ひとみさんのライブがあるそうです。
シングルフォーカスの特性を持つ子どもへの指導の仕方です。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
★狭い細部に強く注目してしまう

★次の活動に切り替えられない

★全体の結びつきを理解しにくい

★聞くと書く 足と手 など同時にふたつのことを処理できない (不器用)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
といったシングルフォーカスの特性を持っている子に学習を教えていると、
「手を変え品を変えして説明しても聞いているのかすらわからない」
「頑固なほどに物分りが悪い」
という場面にぶつかることがあります。

その姿から、「この子はやる気がない」「他人の話を聞こうとしない」とか、
「この子は全然できない」「わかっていない」と決め付けてしまう方がいます。

ちょっと注意が必要なのは、
同じひとりの子が、シングルフォーカスに陥って、とても視野が狭くなっている時と、そうではない時で、
理解力や思考力に大きな開きがある場合が多いことです。

まるで頭がフリーズしてしまったように
「わからない!わからない!」と言い張るようなときは、
いったん学習を終わらせて、別の機会にそれまでとは違うアプローチで
説明すると、すんなり理解することがよくあります。

シングルフォーカスに陥りやすい子は、負のイメージを持った記憶を
いつまでも保っていて、
前のときにわからなかったものを
もう一度同じ方法で教えようとすると、
一瞥しただけで考えようともせずに「わからない!」と
決め付けることがあります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

上の2枚の色板は、アスペルガー症候群のもうすぐ4年生の☆ちゃんの学習で使っていたものです。

この子は、とても記憶力が良いのですが、
前に覚えた知識に固執するあまり、新しい概念を学んでもそれを受け入れることができないことがよくあります。

たとえば、1の線分を10に分けたうちのひとつが10分の1だと習うと、
次にそれが 0.1 でもあると聞いたとたん、

「10分の1と 0.1 のどちらが正しいのかわからないから、全部ちんぷんかんぷんになってしまった」

という事態に陥ってしまうのです。

☆ちゃんが今、悩んでいるのは、はかりの読み方です。
☆ちゃんはどの量りも、時計のように、この位置ならこの重さという
決まった答えがあると思っています。
でも良く似ていても、時計とはかりは大違い。
同じひとつの目盛りに見えるものが、あるときはひと目盛り1グラムで、あるときは2グラム、あるときは5グラムと読み方が変わります。

そうした説明をいくら受けても、☆ちゃんは
最初の自分の思い込みにしがみつくばかりです。

そういうときには、教科書やプリントから離れて、
手で操作できるものを準備することが大事です。

写真の色板を見せて、「ここからここまでが10のとき、半分のこの位置はいくつかな?」とたずねてみると、
☆ちゃんは首をかしげています。
ここからここまでがどれだけの大きさかということから遡って、
半分だったらそれがいくつになるかわからないとすると、
はかりを読むのは難しかったはずです。
まず、こうしたシンプルな教具で、

10本色板を並べて、「ここからここまでが100グラムのとき、ここは何グラムかな?」とか、
5本の色板を並べて、「ここからここまでが100グラムのとき、ここは何グラムかな?」とたずねてみて、切る数によって、数値が変わってくることを感覚で学ばせていく必要があるのでしょう。

それでも、たいていの場合、すぐに「わかった!」と納得しないはずです。
でも、そうして教えてから、しばらく時間を置くと、ちゃんとできるようになっていることがよくあります。

シングルフォーカスの特性を持っている子は、

● 頭がひとつの考えに占められている状態が鎮まって、少し自由に考えられるようになるまでゆったり待ってあげること

● 視覚優位の子が多いので、目で見て手で操作して考えられるようにしてあげること

のふたつが大事だと思っています。


シングルフォーカスの特性を持っている子というのは、
自分のわかっている知識を想像力を使って加工して、
わからない知識を理解するのに使っていくというのが苦手です。

そこで、私がとても重要だと感じているは、
「想像力が弱い」という状態に対する
周囲の人の想像力です。

イメージすることに苦労しない一般的な人々は
想像力が弱いというのがどんな状態か、
想像してみるということはほとんどありません。

でも、自分の持っている想像力を使って、
そうしたハンディーが
どのような場面でどんな困難を生み出すのか
ていねいに考えていくようにすると、
子どもが先に進めなくて困り果てているときに、適切な支援をしてあげることができます。

たとえば、ものさしの絵と、リボンがいくつかに切りわけられている絵がワークブックに描かれているとします。

ものさしの目盛りには、左からだんだん大きくなる数字が書いてあって、
その線の位置の数値は、0からその場所までの長さを表しているという暗黙の了解があります。
リボンの場合、ある長さが、何センチという分量を表しています。

見た目がそっくりに描かれていても、一般的な人は、そうした暗黙のルールを想像力を使って見分けて、理解しています。
でも、シングルフォーカスの特性を持つ子たちには、
同じように線で描かれているなら、同じものに見えてしまうのです。

そこで、ひとつひとつ、実際に目で見て触れるものを用意して、
「この場合は、これを思い出して考えてね」「こっちの場合は、これを思い出して考えてね」と具体的に考えていける何かと結びつけてあげる必要があるのです。

そこに必要なのが、(繰り返しますが)「想像することが困難である」ということに対する
想像力です。

想像力にハンディーを持っていない人々も、
普段の生活では、過去のパターンに反射的に反応するだけで、
意識して想像力を使うことはあまりないようです。

でも、多くの人が、ちょっと意識して、いろんな場面で想像力をしっかり使っていくと、
想像することが苦手な子どもたちが、潜在している能力を伸ばせるようになるだけでなく、
少しずつ想像する方法を学んでいくことができるのです。

 




シングルフォーカスと学習困難 人間関係 1

2011-08-31 18:10:38 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

「シングルフォーカス」についての記事をお探しだという方がいらっしゃったので、過去記事から探してきました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

発達に気がかりがある子たちの学習を見ていると、

知的な面では問題がないのに、

『シングルフォーカス』

 (一度に一つのことしか目に入らない。同時に複数のことをこなせない。たくさんの情報の中の一部分に反応する。頭の切り替えが難しい)

という特性が原因で、勉強につまずいてしまうケースが多々あります。

教室に来てくれている小1の★くんは、学校では学習面でのつまずきや立ち歩きもないし、友だちとも遊べているので担任の先生からは何の問題も指摘されていません。

でも、親御さんの目から見ると こだわりが強すぎる点や

コミュニケーションがぎくしゃくしている点が気にかかる……ということで、

病院に連れて行ったところ、アスペルガー症候群の可能性を告げられたそうです。

知能テストの結果も凸凹が大きかったそうです。

この★くん、比を使った問題や大きなケタを扱う問題でも

直観的に理解して解いてしまう一方で、

気乗りしないと 易しい問題でも「できない」「やらない」の一点張りで取り組もうとしません。

その結果、できることとできないことの凸凹の差が、さらに広がってしまうのです。

 

★くんはシングルフォーカスに陥りやすく、頭を切り替えるのがとても苦手です。

パッと見た瞬間に、「嫌だ」と感じたものは、しっかり読めばわかるものでも、少しがまんすればすぐに終わる課題でも、

気持ちに折り合いをつけて 取りかかかったり、やり遂げたりすることができません。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

シングルフォーカスに陥って、大騒ぎしたり 集団の中で ひとりだけ好きなように振舞う子は、

「甘やかされて しつけをされていない ワガママな子」と

捉えられている場合がよくあります。

 

でも そうした行動が顕著な子は、

脳の特徴からそういう振る舞いになっている場合がほとんどです。

叱ったり、しつけを強化したりするだけでは、ちゃんとするどころか、

2次障害になってさらに困った行動を誘発するケースも……。

 

シングルフォーカスの特性は、次のようなものがあります。

 

★狭い細部に強く注目してしまう

★次の活動に切り替えられない

★全体の結びつきを理解しにくい

★聞くと書く 足と手 など同時にふたつのことを処理できない (不器用)

 

シングルフォーカスの特性が原因となっている学習困難って、

「こうすればうまくいく」という解決法がバシッとあるわけではありません。

それぞれの子が 異なる落とし穴から、「ヘルプ!ヘルプ!」と声にならないサインを出しているのを感受して、

その子が、自分で穴に落ちこんでいる事実に気づいたり、その穴から抜けだす方法を学んだり、ハンディーを軽減する別の方法を模索したりするのを

少しだけ手助けするくらいしかできないのです。

それでも 頭ごなしに押さえつけたり、無視して放置したりするのに比べて、適切な努力は

いつかは報われるものです。

シングルフォーカスの子への指導法は、来週中に続きを書きますね。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

シングルフォーカスの問題は勉強だけでなく

友だちとの関係が壊れる原因にもなりやすいです。

以前、お会いしたことがあるアスペルガー症候群の当事者の方(幽冥土さんという方です)が、人との間で起こりやすいシングルフォーカスによる揉め事の事例を教えてくださいました。

「シングルフォーカス」で周囲で起こっていることがわかりにくいAちゃんという小学生の子どもの話です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1+1=2は絶対に正しいことだから、それを唱えることが大好きなAちゃん。
算数の時間に連呼するのはまだ良かったのですが・・・ 国語→音楽→図工→・・・と科目が変わっても「1+1=2」の話をしてばかりでした。
うんざりした先生やお友だちが「Aちゃん。わかったから1+1=2の話はもうしないでね。」 と言うと、

「正しいことを言ってるのにどうして怒るの。お友だちだけじゃなくて先生まで。
おかしいよこの学校」
と判断をくだしてしまいます。

数少ないお友だちの一人のBちゃんに「みんないじめるんだよ!」と言うと、
「みんなAちゃんがうるさかったから言ったんだよ。いじめじゃないよ。
休み時間でもみんなゲームの話しているのに1+1=2の話ばかりしてちゃダメだよ。」と言います。

AちゃんはBちゃんの言葉を「極端な悪いこと」と受け止めます。
極端な事とは、「1+1=2」は正しいことなのにおかしいと言ったことです。

「シングルフォーカス」で周囲の状況がつかめないAちゃんは、
CちゃんがBちゃんに入れ知恵したと感じます。


BちゃんとCちゃんに掴み掛ってケガをさせます。

Aちゃんは気がついたら先生に怒られていました。
「Aちゃん!自分の言うことを聞いてくれなかったからってケガさせちゃだめでしょ!あなたは規則を守るの子なのにどうしてこんなことしたの!」


正義の戦いをしたと思っていたAちゃんは悲しくなりました。

BちゃんもCちゃんも悪いことをしたのだからケガをしてもあたりまえだと思ってたのでした。

Aちゃんはみんなから仲間はずれをされるようになりました。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

シングルフォーカスゆえのこうしたトラブルは、
周囲からこうした特性を持っている子が一方的に悪いと決め付けられて
終わりがちです。

規則を守らないお友達の手をひねって罰した
アスペルガー症候群の幼児が、
その子だけが先生から叱られ、
お友だちにも避けられてしまう……
といった話は、たびたび耳にします。

『いくら正しいことでも、その場の状況や自分のすることの内容によりけりで
間違ったことにもなってしまう』

ということを理解する事が難しいのです。

テストの点や勝負の勝ち負けにこだわるあまりに
シングルフォーカスゆえに、競争相手をののしったり馬鹿にしたり
周囲から客観的に眺めると???な行き過ぎた行為に走って
自分の価値を大いに落としてしまう事をしてしまう

といったトラブルも学童期によく聞くトラブルです。

 

私は、シングルフォーカスが原因で起す暴力と、
一般的なやんちゃくんやADHDのみがある子が起す暴力は
別物として捉えて、
全く同じ対応をしていてはいけないと考えています。

それって差別では? どちらかをえこひいきすることになるのでは?
と考える方もいるでしょうね。
それに普段、園や学校では全く同じ対応になっているのでしょう……

どうして、暴力自体は同じなのに、別物と捉えなくてはならないのでしょう?

私が思うに
やんちゃくんにしてもADHDの子にしても、衝動がおさえ切れなくて
暴力行為に至った場合、自分のしたことが良いことか悪いことかは
わかっている場合がほとんどです。


家庭環境のせいで、善悪の区別がきちんとついていない子でも、

それを「正義の戦い」と捉えて

行為に及んでいることはまずないと思います。


しかし、シングルフォーカスを特性とする子のハンディーは、

「場面によって価値判断が変化する」ことを理解しずらいという点にあるのです。


前回の例で紹介したAちゃんが、
お友だちにつかみかかってけがをさせたような事件が学校で起こった場合、
先生や周囲の大人は、Aちゃんを
「ふだんは良い子なのに突然キレる現代っ子」というくくりで
眺めてしまうかもしれません。

実は、Aちゃんの内面では、周囲からは「キレた」と見えている時も
まだ、

「規則を守る正しい行為の為に、正義の戦いをしている」わけです。

周囲の状況が読めていないので、
Aちゃんにとっては……あくまでAちゃんの心の世界からするとなんですが……

「キレた」という暴力行為は存在しなくて、

規則を守らない悪い子達が当然の制裁(罰)を受けた

という事実だけが存在するのです。

「正しいことを言ってるのにどうして怒るの。お友だちだけじゃなくて先生まで。おかしいよこの学校」

極端な事とは、「1+1=2」は正しいことなのにおかしいと言ったことです

悪いことをしたのだからケガをしてもあたりまえだと思ってたのでした。

という部分からも、Aちゃんが最後まで正義の戦いをしていて、
叱られても正確に出来事を把握できていないことがわかります。

虹色教室でそのようなトラブルが起こったケースでも、トラブル主くんは、本来 素直で規則を良く守る子なのです。
それが問題行動のさなかにも、その行為のどこが悪いのか正確に理解できなくて、
相手の誤りを罰しようという正義感のために、事がエスカレートしてしまうのです。

それでは、シングルフォーカスに陥っりがちな子が、
暴力に至った時は、どうすればいいのでしょう?

「頭の切り替えが難しい」のが
トラブルの原因なのですが、

トラブル後も、「頭の切り替えが難しい」ために

親や先生が最初に発した言葉や、問いにとらわれてしまって、
肝心の何が悪かったのか、次からどうすればよいのか、
が考えられなくなってしまうことが多々あるのです。

ですから、シングルフォーカスの特性を持つ子が問題を起した場合は、
反省させたり、謝罪させたり、どうしてそんなことをするのかと問いただしたり、
罰したりする前に、
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
まず「教える」「理解させる」ということを最初に意識して、
対応していくことが大事だと思っています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


以前、こんなことがありました。

グレーゾーンの男の子が、悪さをしたので、

親御さんがおこづかいの一部を取り上げました。その子が私に向かって繰り返しぼやいていたのは、
「おこづかいって言うのはさぁ、親が子どもにあげるものでしょう?でもぼくのお母さんは、子どもから親にお金が行くようにしてるんだよ。方向が逆でしょ。おかしいでしょ。親から子どもじゃなくって、子どもから親なんだから!!」
あんまり熱くなって、それを繰り返すので、本人がした悪さの内容(かなり悪いことです)についてたずねてみました。
すると、急に熱が冷めたように「わからない」と答えました。もう半分忘れてしまったような様子です。
言葉の定義や、自分の狭い考えにとらわれてしまって、そこから抜け出せないのです。

アスペルガーの当事者の方にうかがったところ、

「シングルフォーカス」で状況がつかめないと被害妄想にも陥りやすく、
怒りに「シングルフォーカス」して気がついたら法律を破る暴力をふるっていることだってあるそうです。
殴る蹴るといった暴力ではなく
ネット上で悪い人に対して正義の戦いをしたつもりでも、

いつの間にか常識や法を破る(=暴力)ことになってることがあるようです。

周囲の目にはズレてうとましくしくうつっていても、
本人はシングルフォーカスゆえに、
周囲の状況が読みづらいので正しいことを言っている、やっていると思っている状況があるのです。

Aちゃんの「1+1=2」は、
人によって、規則だったり、
ある知識だったり、
その人が常識と信じるものだったり、
正義だったり、
道徳だったりします。

「正しさ」というのは、
状況によって変ります。
「1+1=2」のように永久不変に思える正しさであっても、
「国語の時間に連呼する」という行為がともなえば、正しくないものになってしまうのです。

そうした「暗黙の了解」の上に成り立つルールを
シングルフォーカスという特性を持っている子に伝えていくのはとても難しいです。

一般的な親や大人は、
正しい事が、状況や使われ方によって正しくないといった
暗黙の了解は、「言わずとしれたこと」なものですから、
意識にのぼらせたこともないという方は多いです。

そのため、トラブルの際に、
そうした言葉にしにくいものを
きちんと説明して、理解させている方はほとんどいないようです。

私は、そうしたタイプの子には幼児のうちから、叱って終わりとせずに、

『普遍的で正しい事実も、
状況や使い方次第で正しくなくなることもある』

ということを、経験の中で、その都度ていねいに教えていくことが

大切だと感じています。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


親御さんへの「ダメ出し」 13

2011-08-31 14:35:59 | 教育論 読者の方からのQ&A

注意が必要な親子のペアというと、

本当は感覚タイプの親御さんと直観タイプの子とか、

思考タイプの親御さんと感情タイプの子とか、

感情タイプの親御さんと思考タイプの子といった組み合わせの方が、大きな問題を抱えやすいのかもしれません。

 

感覚タイプの親御さんが直観タイプの子を育てている場合、あまりにも親子のペースがちがいすぎて、

「多動があるのじゃないか?」と心配して厳しいしつけや精神的な虐待に走るケースや、

感覚タイプの親御さんの好む単調な生活に退屈した直観タイプの子が、

知的な好奇心を攻撃性に向けるようになっているケースにたびたび出会います。

 

また、思考タイプの親御さんが

感情タイプの子の「お友だちがするからする」「お友だ

ちが言うこらこうだと思う」といった人間関係中心に物事を考えていく

感性についていけなくて、言葉で馬鹿にしたり、

思考タイプの人の感情面の苦手さから感情タイプの子に十分な愛情表現がしてあげられないため

もともと人との関わりが上手なはずのこのタイプの子が

情緒不安的で攻撃的な性質になっているケースもありました。

 

また感情タイプの親御さんが、思考タイプの子の頭の良さを理解せず、

習い事等で人とうまく関われるかや、単純な暗記モノの学習結果でその能力を測ろうとするため

思考タイプの子が内に閉じこもって神経質でわがままな態度に終始していることもよくあります。

 

それでも私が直観タイプのお母さんと感覚タイプの子の組み合わせに、特に「注意が必要」と

感じているのは、その「わかりにくさ」からです。

直観タイプの人の大らかでアバウトなところと、感覚タイプの人の過敏で繊細なところは

どちらかが相手を理解していこうと努力していかないかぎり、

どんなに愛情があってもすれちがうものですから。

 

以前、感覚が優れている知人のBさんとショッピングに出かけた時のこと、

Bさんがお店の店員の態度やショッピングモールのデザインが購入者の目線に立っているかどうかなどに

いちいち不満を抱いて愚痴るのを聞いて、ひどく動揺した経験があります。

(私のようなアバウトな人間は、いっしょに空気を吸っているだけでイライラの対象になるのじゃないかと心配になって……)

Bさんというのはとても気が長くて親切な方で、裏表がある性格でもないのです。

でも「○○のお店の店員」とか「ショッピングモール」とか「レストラン」などに

求める最低限のマナーなり利用しやすさの基準がやたら高いのです。

 

Bさんが、庶民的な店に求める「常識がない……」として怒るレベルが私にすると、

冠婚葬祭の式場や高級ホテルレベル……?

 

感覚が優れている方はそれぞれその人が気にかけているものについてだけ厳しかったり細かかったりするので、

別に何もかもにそんな高い要求をしているわけではなく

むしろ寛容すぎるほどの面も大いに持ち合わせているのです。

 

でも、その人その人の中で体系化されている比較対象のデーターが細かいので、

「○○の店員なのに、○○という名前も知らないなんて信じられない」といった

私からすると想像だにしたことがない怒りにつながる模様です。

「学生バイトじゃないかな?」と適当にうけながすと、

「○○の店で学生バイト雇うなんて……それにちゃんと教育すれば、あんな風になるわけないわ」という返事が……。

 

逆に直観タイプの言動が感覚タイプの人や子を動揺させていることも

多々あるのです。

たとえば、直観タイプの人は、自分があれこれやり方を指示されるのが嫌だし、

たいていのことは自分でコツをつかんで自己流でやりたいと思っていて、それでまぁまぁうまくこれているのもあって、

「子どもにもあまり細かいことを言わないようにしよう」と親切心から、子どもを放任しがちです。

でも、感覚タイプの子は、きちんと手順通りの型を覚えて、完全にマスターしてできるようになりたいと感じていて、

日常のささいなことも「お手本」をしめして、できるまでていねいに関わってもらいたいものも

けっこうあるのです。

それが「どれ」なのか、その子によりけりですが、

そうした思いをきちっとキャッチして対応してあげないと、

とても自信なげな頼りない印象になることがあるのです。

そうした自己肯定感が低くなっているように見える感覚タイプの子が

虹色教室に来たとき、感覚タイプの子の好む作業を、お手本を見せてきちんと型を教えながら

本人の望むようにしてあげていると、

親御さんがびっくりするほど明るい表情でいきいきと根気よく活動するようになることがあります。

 

■くんの話題が途中のまま、ずいぶん脱線してしまいましたが、

■くんが感覚タイプかどうかはまだはっきりしないけれど、

五感を満足させる体験や繊細な差異を言葉で分類していくこと、

自分のそれまで関わってきたものをさらに広げる体験を好むことなどから、

そうした性質への理解を広げながら関わっていくことが大事なように思いました。

 

自分からしゃべる量が少ない子と

同じくらいの比率で会話しようと思うと、シーンと静まりかえってしまって

心配になるかもしれませんが、

子どものしゃべる量が少ないからと、親がそれを補うようにしゃべっていると、

子どもが自分で考えたり話したりするのをやめたり、

「図鑑を見ているときやテレビを見ているときだけ話す」のように会話する場面が減ってくるので、

気をつける必要があります。

 

 

 

 

 

 


親御さんへの「ダメ出し」 12 (手先が不器用な感覚タイプの子について)

2011-08-31 11:39:13 | 教育論 読者の方からのQ&A

私は教室の感覚が優れている子たちと長い年月にわたってつきあっていくうちに発見したのは、

直観タイプの人にとったら、10のうちの「ひとつ」や100のうちの「ひとつ」にしか感じられない

1の案が、

感覚が優れている子にすると、その1の内部に、

これまで蓄積された10なり100なりのデーターがそろっていて

本人にすれば、その中でたくさんの選択肢が含まれているものなんだ~

 

という事実です。

 

保守的な遊び方になっていたのは、

まずデーターをそろえて自分で把握したものから

することを選ぼうとしていたからなんだな~とちょっと尊敬。

 

感覚が優れている子たちは繊細で、大人の反応についても

ちょっとしたため息につき方や口調の強弱も自分の内部にデーター化している子がいますから、

大人の反応が、「また、それ?」というものが多いと、自分に自信を失っていくようです。

親御さんも同じ感覚タイプの方の場合、同じことばかりしたがる子をむしろ歓迎するところがあるので、

とても自信がある様子で自分の世界を深く広く広げている子がよくいます。

前回のユースホステルのレッスンにも感覚が優れていると思われる◇くん(お母さんもおそらく感覚タイプの方)が参加していたので、

いっしょに参加していた他の子のお母さんからこんなコメントをいただきました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

昨日~今日とホテルでのレッスンありがとうございました。素晴らしい子ども達、素敵なお母さん達、Kちゃんやボランティアのお兄さんとの出会いもあり、一緒に過ごした一瞬一瞬が大きな学びになり、感謝の気持ちでいっぱいです。私もたぶん直感が優位なので、本で読んだり、仕事で多くの子ども達と関わりながらも、感覚が優れている子ども達ってどんな子なんだろう?と、まったくわかりませんでした。レッスンやホテルであまり話す機会がなかった◇くん。最後にホテルから駅まで歩く少しの時間に、話すことができました。これから海遊館に行くと聞き、(まぐろのスターターを作ってたので)「まぐろいるかな~?」と声をかけてもキョトンとして、◇くんは水族館に行くのになんでまぐろだけ?と感じている様子。その後、電車も好きという話になり、「魚と電車とあと何が好き?」と聞くと、笑顔いっぱいに『虫!』と答えてくれました。お母さんと一緒にかまきりを飼っていることや餌に蛾や蝶を捕まえている事など、うれしそうに話す様子から、◇くんの愛情が飼っているかまきりだけでなく、餌として捕まえている蛾や蝶、そして食物連鎖のしくみ、生態系すべての物への愛情にあふれていました。これが感覚が優位ということなのか~と圧倒されて、なんて深くて広大な愛情なんだ!と衝撃と感動でいっぱいになりました!スターターのまぐろも大好きなすべての魚からの(スピードの出るピタゴラに合うように)愛情あふれたチョイスなんでしょうね~。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

感覚タイプの子は誤解を受けやすいです。

自閉症スペクトラムの子の特徴として、「こだわり」とか、「限定された狭い対象への興味」といった言葉が

使われているために、

年がら年中、電車や恐竜の話をしている子とか、好きな色や感触にうるさい子は、

「ちょっとこの子、発達障害とか大丈夫ですかねぇ?」と親御さんが心配を口にされることがあります。

 

でも、感覚が優れている子たちの多くはそうした言葉の上では

自閉傾向のある子たちと似ている特徴を持っているけれど、

人との関わり方や社会性や推論の発達などには

全く問題がない場合がほとんどです。

たとえば、教室に3歳の時から通ってくれている現在小学1年生の

感覚タイプの男の子は、最初の1年は、工作するときも遊ぶときも「トーマス」一色。

その後、恐竜にはまって、口を開けば恐竜の話で、途中で動物も好きになったとはいえ、

教室でのレッスンのほとんどが、恐竜に関わることに占められていました。

「何がしたい?」とたずねると、毎回「恐竜」という答えなので、「えっ、また?」と問い返したくなるのですが、

大人にすると「恐竜」という同じひとつのものも、

本人の中では非常にたくさんの要素が含まれていて、自分でひとつひとつ開拓して

データーを蓄積してきた膨大な情報の貯蔵庫でもあるのです。

この男の子の中では恐竜への興味はあらゆる方面に枝葉を広げていき、

恐竜の時代ごとの分類や、恐竜の住んでいる世界地理への興味となり、さらさらと世界地図や恐竜の絵が描けるようになって

オリジナルの恐竜図鑑作りに励むようになりました。

また、発掘作業やさまざまな画材で恐竜を描くことや

恐竜のジオラマ作りなどにも熱心でした。

そうするうちにIQ問題や算数の文章題にもきちんと取り組むようになり

お友だちと関わることが上手で社会性の発達もしっかりした想像力豊かな子に育ってきました。

 

 

上の写真のように「遺跡作り」に熱中する子、電子ブロックの回路作りに熱中する子など

感覚が優れている子たちは

ひとつの世界と深く根気よく関わります。

 

感覚が優れているけれど

あまり器用でない子もいます。

そうした子は、パン作りとかスライム作りとか、化学実験のような

器用でなくても、繊細な変化に長時間関われる作業を喜びます。

温度のちがいや感触のちがいを

感じとって遊ぶ作業にいつまでも熱中します。

そうした非常に繊細な差異を比べていくための言葉で会話をしたり、

ささいな変化をいっしょに楽しむようにしていると、

語彙が豊かになり考える力がついてきます。

外からはわかりにくいけれど内面は感覚タイプの子そのもの……

という子もいるのですよ。


親御さんへの「ダメ出し」 11

2011-08-31 10:04:30 | 教育論 読者の方からのQ&A

以前の記事で紹介した
『自閉症のDIR治療プログラム』の療育プログラムの解説の一部に次のような一文ありました。
ごく一般的な自閉症ではない子を育てている親御さんにも読んでいただきたくて紹介します。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

考える力を育てるために、子どもが要求や関心を表現できるように
促しましょう。気持ちや意志を表現せざる得ない状況を
作りだすのです。ゴッコ遊びでも言葉のやりとりでも、自分の
考えを表現させます。
その際、言葉と行動と感情は深く結びついていることを忘れないように
します。言葉や考えを、常に感情や行動と結びつけるのです。
考えはすべて尊重し、感情にしても興味にしても、子どもが追及したいことをすべて尊重するのです。
子どもの考えを絵画、記号、空間デザイン、さらに言葉などのいろいろな表現手段で具現化していくのです。

      『自閉症のDIR治療プログラム』(S.グリーンスパン 創元社)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

自閉症スペクトラムの子たちが、一般的な子と同じ発達をたどるように促すためのプログラムです。

 

一般的な子の場合、日常生活や遊びが豊かなら、ごく自然に

自分の要求や関心や意志を表現するようになっていくでしょう。

でも、そうしたハンディーキャップ等はない子でも

環境や親子関係が原因で、

「自分」を外に表現していく力が弱くなっているのをよく見かけます。

 

どうも日本では、自分の考えを表現することを「わがまま」と捉えるか、

他人の存在を無視するような本当にわがままな自己主張まで、

個性を育てることだと捉えるなど

両極端に走りがちなようです。

 

自閉症スペクトラムではない子にも、上の療育プログラムにあるような

「関わり方の知恵」が必要なのかもしれないな~と感じています。

 

話が飛んでばかりですが……

「子どもが自分の考えを表現しようとするのを

知らないうちに押さえがちになってしまう大人と子どもの関係があるな~」

と思っています。

たとえば、スポーツ好きのチャレンジャーな親のもとに

詩を作るのを愛するような繊細な文学少年、文学少女タイプの子が生まれたとしたら

親がかわいがるほど子にはプレッシャーになっていくという事態が起こるかもしれませんよね。

もしそうした親子のペアにも関わらず、

自己肯定感の高い考える力のある子になるよう育てていこうと思えば、

親の側が自分の価値観や視野を意識して広げ続けていく努力が必要になってくるのでしょう。

 

私が何組かの親子関係で、「注意が必要!」と感じたのは、

前にも書いたように直観が優れている親御さんと感覚が優れている子のペアです。

(感覚が優れている子といっても、

必ずしも感覚が優越機能にある子というわけではなく

感情型の子の感覚寄りの子や思考型の子の感覚寄りの子の場合も考えられます。)

 

直観が優れている親御さんは、いろいろなことに気づきやすいし、

あれもしようこれもしようという未来のアイデアや目標をたくさん

持っていることが多いです。

何かをするときには、

何十もの選択肢から「どれにしようかな」と選ぶといったことは、

苦もなく毎日やっているものです。

もともと、自分のアンテナに引っかかればそれでOKなので、いくつかのものから選ぶことに

苦痛がともなうなどとは夢にも思っていません。自分が選ぶときには、自分のフィーリングで選ぶのが

当たり前になっているからです。

でも他のタイプもそうかというとそうではないのです。

かつて私は、(私は直観タイプです)

感覚が優れている知人にいくつかの提案をして、

あんまり相手が苦しそうに悩むので、じりじりとじれてきて、「何か悪いことでも言ったのか」と不安になった

ことが何度かあります。

後からわかってきたのですが、

感覚が優れている方にすれば、提案された選択肢に関する情報が

それぞれ同じフィールドで比べようがなく、

比べる基準がない中でどうやって選べばいいのか途方にくれていたようなのです。

 

私が提案した相手が直観タイプの人なら、たいてい私が10挙げた提案をヒントにして

自分も「ああしようか」「こうしようか」と思いついて、

お互いに好き放題いろいろ言い合ったあげく、天のお告げのように

相手の直観タイプの人のアンテナに響いた何か(たいていご自分で考えた案)が選ばれるということになります。

 

感情タイプの方なら、私の提案のひとつが

その方の価値観にぴったりあうかどうかが決め手でしょうし、

思考タイプの方ならそれらの提案を取捨選択しながら、

その方の思考の構築に一役買うか、疑問を感じて質問を受けて意味を広げていくきっかけになるでしょう。

 

最初の感覚タイプの方は、直観タイプから見ると優柔不断に映りがちです。

でもそれは事実と少し異なります。

感覚タイプの人は全てのデーターをきちんと把握した上で

比べて選ぼうとするし、

直観タイプの人は次々ひらめく海のものとも山のものともわからないアイデアから

自分にピピピッと響けばそれを選ぶわけですから、

根本的に何をするか決めるときの方法がちがうだけなのです。

 

それを優柔不断ととらえてじりじりしたのでは

あまりに感覚の優れている方がお気の毒……なのですが、

親子関係の場合、遠慮がない分、そうした感性のずれが

一方の性質を誤解したままになったり、押さえつけてしまうようなことも

起こりがちなのです。

 

次回に続きます。

 

 


親御さんへの「ダメ出し」 10

2011-08-30 21:06:58 | 教育論 読者の方からのQ&A

■くんの話に戻りますね。

ユースホステルでのレッスンに、私は、『21世紀 こども百科 大図解』(小学館)という図鑑を持っていってました。

ガソリンスタンド、自動改札機、トイレ、鍾乳洞、恐竜、ジェットコースターなど、

「中をのぞいたらどうなっているのかな?」「どんな仕組みで動くの?」「どんな働きをしているの?」という

子どもの好奇心を刺激して満たしてくれる豊富な内容の図鑑です。

 

工作の際に子どもが作りたいもののイメージを膨らませて、工夫を施すために

用意していたのです。

工作タイムに、この図鑑を見せながらどんなものが作りたいかたずねたとき、

■くんは、即座に「恐竜」と小さな声で答えました。

すると■くんのお母さんは、図鑑のページをめくりながら、「こんなのどう?あっ、ジュースの自動販売機とか面白いよ。こんなのもあるよ」と

熱心に勧めはじめました。

 

■くんはお母さんの話をさえぎるように、それでいて消え入りそうな小さな声で

「恐竜」ともう一度言いました。

 

■くんのお母さんは、「恐竜はお家でも作れるでしょ。

今日はもっといろいろ仕掛けのあるものを作ってみたら?」と

優しくたずねました。

そのとき、私がモーターや電池といった工作材料を出し始めたので、

■くんはお母さんの問いかけには答えずに

私の隣に来て、モーターを見つめました。

「モーターを使う?」とたずねるとこっくりしたので、取りつけるところまでしてあげると、

うれしそうに受け取って作り始めました。

「こういうことがしたい」と言う場面で、私に対しても

妙に受動的に、勧めてもらうまで何も言えないでいた点が気になりました。

 

初対面ですし、照れというのもあるでしょうが、■くんの場合、どちらかというと

あっけらかんとした快活な子で、内向的だったり、羞恥心が強かったりするようには

とても見えないのです。

 

私がもうひとつ気になっていたのは、■くんに「こんなことしたら?」「あんなことしたら?」と提案していた

■くんのお母さんが、

その質問に対して明らかに乗り気でなく

次第に表情が陰っていく■くんの態度に、

顔を見ていながら気付いていないように見えたことです。

 

■くんの表情がどうだろうと、とにかく繰り返し勧めたりたずねたりして、何とか説得して

■くんの心を変えることに熱心なようでした。

■くんのお母さんの頭の中には、■くんの意見や気持ちよりももっと価値があるものがすでにイメージされていて、

とにかくその価値を伝えたいと願っているようでもありました。

私への遠慮があるのかもしれないし、

せっかくわざわざこうしたレッスンに参加しているのだからと思うのは当然で、

普段よりも強くお母さんの気もちが口調にこもっていたのかもしれません。

 

何度か「恐竜が作りたい」と言っていた■くんは、モーターで折り紙作品を回転させる機械作りが気に入って、

それからは何も主張しないまま、

黙って回転するモーターの先に手を当てて振動を感じとったり、

モーターの先に取り付ける作業に四苦八苦したりながら

製作をつづけていました。

 

私は■くんが地味な作業にもしつこいほど熱心に取り組む姿を見て、

普段から、■くんは自分が始めたことに責任を持って集中できる子のようなのに、

どうして■くんのお母さんは「恐竜を作りたい」と言った■くんの言葉に信頼を寄せていなかったのか

不思議に感じました。

■くんは行動面ではしっかり「自分」ができあがってきていて、信頼できる行動ができているのですから、

何をするのか決める時点で、本人の裁量に

任せちゃっていいように思えたのです。

 

■くんのお母さんは、■くんをコントロールしようとしているようには見えませんでした。

ただ、■くんにすばらしい体験をさせてあげたい、より良い選択をさせてあげたい、

より良い接し方をしてあげたいという気持ちを、常に強く持っておられるようでした。

 

それで、さまざまな場面で、何度も■くんのお母さんが■くんにどうしたいのかたずねて、

■くんが、「うーん」と自分の気持ちを、渋るような態度で示す場面がありました。

 

でもどうして■くんは、そこで素直に自分の気持ちを言いずらい状況になっているのか、

家では自由に発言しているけれど、こうした場だからそうなっているのか、

 

これまでのやりとりで、素直に自分の意見を出すことで損をしたり、

言っても無駄だと感じたり、

言ったことで自分に自信を失うような体験があったのか、気になりました。

 

■くんがはっきり意見を表明しないために、

■くんと■くんのお母さんのコミュニケーションでは、1対9とか2対8という割合で

お母さん側が圧倒的にたくさん言葉をかけて、■くんは少しだけしゃべっている状況で、

ほとんどの場面でお母さんのリードで会話がスタートしていました。

一見、■くんの気持ちからスタートして話が始まるように見える場面でも、

まずお母さんが■くんの思いを察して、

そこでお母さんがリードして話すことになっていたのです。

 

でも■くんのお母さんは大らかな方で子どもにこまごまと構うタイプではないのです。

実際、下の妹さんとはとてもナチュラルに会話を交わしているのです。

おまけに■くんにも妹さんにもしっかり愛情をかけているのです。

それなのに、どうしてそうした何だかバランスが悪いコミュニケーションが定着してしまったのか、

(もしかして一時的なものかもしれないけれど)

何か理由があるような気がしました。

 

 


親御さんへの「ダメ出し」 9

2011-08-30 13:18:04 | 教育論 読者の方からのQ&A

ユースホステルでのレッスンに行ってきました。

男の子たちが協力して作っていたビー玉コースターです。

ボランティアの高校生のお兄ちゃんに手伝ってもらいながら、それぞれの子がさまざまなアイデアを出し合って

作っていました。

↓工作タイムにアルミ箔を磨いて「秘宝」作り。

前回の続きです。

 

直観が優れている人が、「感覚が優れている」ということの良さを理解しようと思うと、

見たところ古いおわんとしか感じられない古美術品の価値について理解するような

「勉強してなんとか……」という面があるのです。

■くんの話の続きを書く前にちょっと脱線させてくださいね。

 

今回のレッスンには感覚が優れていると思われる小学1年生の◇くんが参加していたのですが、

工作タイムに作っていたのは

「ティッシュ箱の周囲をまぐろが回遊する仕組みになっている

ピタゴラスイッチ用のビー玉スターター」という個性的な作品。

「どうしてまぐろ?まぁ、まぐろが好きな子もいるだろうし……宇宙船を作るのは良くて、まぐろが悪いわけじゃないけど、

でもよりにもよってどうして……まぐろ?」という疑問を抱きつつ、

「◇くん、魚が好きなんですか?」と◇くんのお母さんにたずねると、

魚も好きなのだけど、他にもいろいろ好きなものがあって、その「好き」のあり方が独特で

◇くんはセミも好きなのだけど、その好きの方向がセミの羽根の見分けようがないほど微妙な違いや鳴き声の違いや

サイズの違いみたいな部分に向かっていて、面白いという話でした。

感覚が優れている子たちのこうした興味の示し方は、発達に気になるところがある子たちの

こだわりや限定されたものに興味を持ったり、同一性を守ろうと執着する様子と

言葉で表現すると似ているようですが、

身近で接しているとちょっと異なります。

「好き」なものとの関わり方が深い子という印象です。 

◇くんの「好き」が向かっている方向は、感覚が優れている子にはとっても多くて、

教室にも、1メートルまでめもりがついている棒に合わせてひたすらブロックを積み上げていくとか、

喜びを感じる作業のほとんどが、分類や高低差を比べる遊び……なんていう感覚が優れている子たちがいます。

2歳くらいの子で、「この子感覚が優れている子じゃないかな?」と思うときに、

ぬるま湯と冷たい水を容器に入れて用意してあげると、交互に手をひたしては

満面の笑顔を見せることがあります。

もちろん、幼児のほとんどがこうした感覚の違いを好むところがあるのですが、

感覚が優れている子のこうした遊びをするときの熱心さや喜び方は、

まるで手を使って正確な温度差を計測しようとしているかのような雰囲気があるのです。

直観が優れている子たちというのは、遊ぶときにその急所を押さえたらあとは適当……という

何が大切なのか見極める力といいかげんで粗雑な面をあわせもっていることが多いです。

でも感覚が優れている子は

何が重要か何が重要でないかなんて差はなくて、すべての値を同じ熱心さで計測していくような

遊び方をします。

その遊び方は遊びそのものの持つ意味よりも、

ひとつひとつのデーターを正確に把握していくことにあるように見えます。

 

ユング研究所で「タロットと象徴」という講義をしていたサリー・ニコルズは、

私が最も尊敬していて思考の筋道や広げ方に共感している女性です。

そのサリー・ニコルズの著書『ユングとタロット 元型への旅』には、

「感覚」タイプと「直観」タイプについて次のように書いてあります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

直観タイプが出したアイデアを実行に移す場合に、

委員会が対処しなければならない実際的な現実に注目するのに

長けているのは、感覚タイプである。

感覚タイプの人は、空想的な考え方に向いていない。つまり、彼の感覚的な意識は現実に適応するように

できている。彼は、自分を囲む外的環境の状態を細部にわたって正確に観察するだろう。

有能な新聞記者のように、誰が、いつ、どこで、何を、なぜ、どのようにというような、特定の事項に

興味をもつ。 

直観タイプが見る将来への夢を、いかにすれば既存の条件と適合させることができるか?

その部屋は聴衆全体が座るだけの十分な広さがあるだろうか?

ピアノをドアを通って搬入することができるだろうか?予算の中から

この計画のために金は出せるのか?

これらの二つのタイプは、人生に対してどちらかといえば自動的に反応する。直観タイプは未来の可能性を嗅ぎ分け、

直観するが、いかにしてこの情報に到達したのかはわかっていない。

似たようなかたちで、感覚タイプの人は感覚的体験を自動的に記録する。

                    『ユングとタロット 元型の旅』(サリー・ニコルズ 新思索社)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「タイプって何?」という方のために、上の著書から

タイプについての説明を紹介させていただきます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ユングの考えでは、すべての人間は生まれながらにして四つの特徴的な潜在力をもっており、

生の経験を把握したり、それに対処したりするために秩序を与えたりするという。

ユングはこれら四つの潜在力はプシケーが機能する際の特徴的なありようを表しているので、

それらを「四つの機能」と呼んだ。

私たちが世界を把握するふたつの機能を、ユングは「感覚」、「直観」と呼んだ。

これら二つの機能はどちらかというと合理的にではなく

自動的に作動することから、ユングはこれらを「非合理機能」と呼んで特徴づけた。

他の二つの機能である「思考」と「感情」のことを、

彼は「合理機能」と名付けた。なぜなら、それらは私たちが自らの経験に秩序を与えたり、

評価をしたりするありようを言い表しているからである。

ユングによれば、私たちはみなこれら四つの機能のいずれも、

ある程度まで発展させる可能性をもって生まれてくるのだという。

しかし、通常は人生の初期において、、このうちひとつの機能に対して私たちが特別な適性があることが

明らかになる。この機能は「優越機能」と呼ばれる。それからしだいに

他の二つの領域においても、ある程度の適性をもっている

ことに気付くようになり、最終的に二次機能、三次機能として限定的であるが利用可能となる。

私たちは二次機能、三次機能を優越機能を助けるために動員することから、ユングはこれらの機能を

「補助機能」と呼んだ。しかし、第四の機能は常に相対的に無意識のままにとどまるため、

あまり使われることもない。ユングはこの機能が直接意識的なトレーニングをとりにくいことから、

これを劣等機能と呼んだ。結果として劣等機能のふるまいには、他の三つの機能と較べると

信頼がおきにくいことになる。

            『ユングとタロット 元型の旅』(サリー・ニコルズ 新思索社)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 


親御さんへの「ダメ出し」 8

2011-08-29 10:50:46 | 教育論 読者の方からのQ&A

今日の午後からユースホステルでのレッスンです。

記事の続きは明日の午後以降に書きますね。

 

親御さんへの「ダメ出し」6 の続きです。

■くんと美術工房でスライム作りをしていたとき、「■くんは感覚が優れている子かもしれない」と

感じました。

なぜかというと、スライムで遊ぶときの楽しみ方が

ぬるぬるする時、ベタベタする時、弾力がある時、水に入れた後にくらげのようなつるっと手をすべる感じがする時といった

ひとつひとつの感触をそれはうれしそうに味わいながら、長い時間を過ごすものだったからです。

 

それほど変化が見られないようなものを混ぜることにも積極的でした。

直観が優れている子たちもスライム作りを喜びますが、感触を長い時間味わうように楽しむ子はまれで、

「これを利用して面白いことをしよう」という

いたずらに近い喜びを見出すことが多いのです。

 

■くんはこのレッスンの前にカードゲーム類で遊んだときには、

「ルールを察して、理解する」ことがあまり得意ではないようでした。

まるで考えようとせずに参加しているようでもあったのです。

それが、スライム作りの後の「理科クイズ」や「量に関わる算数問題」では、

よく考えていて、きちんと理由を説明することができていました。

前のカードゲーム類は直観が優れている子たちが得意なもので、

後の「理科クイズ」や「量に関わる算数問題」は感覚が優れている子たちが得意な分野でした。

 

私が■くんについてとても感心したのは、

うまくいかなくても、もたつくことが多くても

けっして投げ出すことなく長時間熱中し続けることができる点でした。

 

ここでも「■くんは直観が優れているのではなく、感覚が優れている子なのかな?」という疑問が湧きました。

 

直観が優れている子も自分の得意分野ではこうした熱心さをしめすのですが、

感情を揺さぶるような刺激や変化がないにも関わらず、もくもくと熱中するというのは

非常に苦手です。そのため、頭の回転はいいのに、コツコツする学習習慣をつけようとしても

どうにもうまくいかない子が多いのです。

 

感覚が優れている子はしている活動が心地よければ

外から見ると何が楽しいのかわからないようなことも長時間喜んでします。

発掘作業のような地味な遊びも大好きです。

 

私がこのように■くんの性格タイプについて気にかけ始めたのは、

■くんが自分の意見を言うときのぎこちなさの原因が、

お母さんと■くんの性格タイプのちがいによってもたらされているのかもしれないと

感じたからです。

私自身は直観が優れているタイプです。ですから劣等機能である感覚について学ぶのに

とても苦労しました。

感覚が優れている子たちに対する誤解や

誤った働きかけをしがちな自分の態度を修正するのに

たくさんの試行錯誤が必要でした。

 

それだけに、直観タイプの親御さんがよかれと思ってする

ちょっとした言動の数々が

感覚が優れた子たちを優柔不断にしたり、自信を失わせたり、

自分の意見を言いにくい状態にしているシーンに

敏感になっているのです。

 

善し悪しじゃないのです。わかりにくいのです。直観が優れている人にすれば

感覚が優れているという状態やその良い面が。

 

たとえば、感覚が優れている子たちは、一度何かが気に入ると、

何度も何度も、言葉が悪いですが、バカの一つ覚えみたいに

同じことをしたがることが多いです。

感覚が優れている親御さんは、同じことを何度もすることに

少しも抵抗がない方が多くて、お菓子のレシピでもひとつ覚えると

何十回でも同じお菓子を作っているのを見かけますが、

直観が優れている方にすると、「えっまたー?」と、

何がやりたいのか聞いた時点で、ネガティブな反応を返してしまうことがあるのです。

 

直観が優れている親御さんというのはチャレンジャーで好奇心旺盛で

新しい学びの要素や考える必要があることが含まれている活動が好きですから、

子どももそうした新しい体験に連れ出そうとしたり、

「外で遊んどいで~」と追っ払って、外でいろいろな体験に遭遇することを期待したりしがちです。

でも、感覚が優れている子たちの多くは

そうした新しい体験の場でも、

家で繰り返しやっていたことをやりたがることが多い「遊びの保守派」です。

ですから、どんなに子ども思いを尊重して、子どもの気持ちに添った接し方をしようと心がけていても

ちょっと「ずれ」が生じるのは仕方がないのです。

でも、それは直観が優れている人が、感覚が優れている子が体験している世界の豊かさを

正しく理解していないからともいえるのです。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 


親御さんへの「ダメ出し」 7

2011-08-29 06:42:42 | 教育論 読者の方からのQ&A

 

前回の記事の続きを書く前に、親御さんへの「ダメ出し」3 の記事に関して、

 

○ちゃんが愚図った気持ちよくわかる。

公平じゃないから、この場合、○ちゃんの親御さんは◎ちゃんとじゃんけんさせればよかったのでは? 

という意見をいただいているので、

それに対して私の考えを書かせていただきますね。

 

場合によりけりだけど、私自身は○ちゃんのお母さんはこの対応でよかったし、

この時は、子どもたちの言い分を聞いて、大人が「正しさ」で解決してしまわなくてよかった

と感じているのです。

 

私が揉めている場に行ったとき、

負けた○ちゃんの気持ちなど考える余裕もない様子で

ベッドの上の子らがこれまでの経過をまくしたてていたのも、

この子たちが、「私という大人」がこれをどう判断するか、

どう裁決するかによって、

自分たちの行為が悪にも善にもなるし、これから先の損得が決まると捉えているからのようでした。

 

子どもたちが何か考えたり、決めたり、揉めたりするたびに、大人が神様のような視点から

有無を言わせぬ「正しい」介入をして、解決してしまうことが多いと、

子どもは自分の心や頭のスイッチを切ってしまったような状態で、

「こういうルールだからこうなんだ」とか「お母さんが言ってたからこうなんだ」とか「先生がこう言ってるんだ」と

自分の立場を主張するばかりで、

相手の気持ちを思いやったり、自分たちで創造的にいい提案をして問題を解決していこうとする姿勢が失われます。

 

ちょっとこすいくらい自分に都合のいい「言い方」さえできたら、

「大人が納得して自分の味方をするかどうか」を体験した事実よりも重要なことのように

扱いはじめるのです。

 

もちろん、しつけや善悪の基準や公平不公平ということについて、

大人がはっきり「正しさ」をしめさないといけない場面はたくさんあります。

 

集団生活を始める年齢になれば、その場の基本ルールの決定権を誰が持っているのか

理解することは大事です。

 

でも、日常のささいな揉め事は、子どもたちが自分で失敗し、自分でさまざまな感情を体験し、自分たちで意見し合って、

稚拙ながらも、「だったらこうしたら?」「こうしようよ」と解決していくのを見守る必要があると思っているのです。

 

大人はそこで行き過ぎないように気を配ったり、心が傷ついていたらサポートしたり、

考えが偏っていたら別の視点をしめしたり、自分がその子の立場になったらどう感じるか想像させたり

する程度で十分で、解決まではしないのが私のスタンスです。

 

大人がいつでもどこでも「正しさ」で介入することは

子どもから自分で考える力や理不尽な状況もそれなりに受け入れるという態度を失わさせると感じているのです。

日々の暮らしは大人がコントロールできる完璧なものではなく

理不尽な出来事の連続でもあります。

どんなに楽しみにしていたイベントも雨で中止になることもあります。お天気は人との約束を守ってくれないのです。

大人がルールを決めていても、ハンディーキャップや年齢が原因で守れない子もいます。

そうした現実とうまくやっていくには、

何かや誰かを既存のルールで裁くのではなくて、臨機応変に問題を解決したり、

この場はやむ得ないと納得したりできる子どもたち自身の知恵が必要と考えています。

 

今回のお泊りは「自分たちがここで眠りたい」と主張すれば、場所を選ぶことができました。

でも集団生活では、最初から本人の希望と関係なく

どこのベッドに寝るのか決まっていることもあります。

 

そこで「不公平だ」と大騒ぎして、被害意識のかたまりになってしまうと、何も楽しめませんよね。

私は子どもがそんな風に外のルール次第で、幸福になったり不幸になったりするのでなく、

どんな環境でも自分の頭と心でしっかり関わって、

自分の「幸福感や楽しさ」は自分で創造していけるようにサポートしていきたいと考えています。

 

「正しい」か「正しくないか」の物差しで何でも判断してしまうと、

個人の目から判断する「正しさ」と

集団をまとめる側からの「正しさ」がぶつかりあった場合には、

学校が「横暴」に見えたり、

親が「モンスターペアレンツ」に見えたりする事態にもなりかねない気がしています。

以前、こんな出来事があったのです。

小学校の運動会のリレー選手を選ぶために学校で短距離走のタイムを計ったそうです。

それで何人かの子が選手に選ばれて喜んでいました。

すると、負けた子のひとりが納得できなくて親に言うと、

その子の親はタイムを計っていたのが先生ではなく子どもだったので、

「間違いがあるかもしれないし、もう一度先生が計測しなおすべき」と抗議して

もう一度、計測しなおすことになったそうです。

この出来事、賛否両論あるのでしょうが、子どもの心と成長という

観点からすると、「どうなのかな~?」と首をかしげてしまいました。

でも「正しさ」という物差しで全てを決めるべきだとすると、当然の結末なのかもしれません。

 

 

先日、いただいたコメントに次のような一文がありました。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

……先生の「わが子とおしゃべり」の記事の先生と息子さんの対話で言われているように

自分が経験したことだけで、物事を判断せず、
「理解できない世界や、目には見えないものを尊重する態度、自分の理解を超えた複雑なものがあることを認めて、それを少しずつ知りながら、関わっていく」です。

すべての療育関係の方々に、心にとめておいて頂きたい大切なポイントだと思います。

この記事にある先生の息子さんの言葉が、私の置かれている状況をぴたりと言い当てていて、驚きました。

「自分が認識している以上に、複雑で深さがあるものかもしれないという捉え方をせずに、
今、自分が理解できなかったら、それは意味も価値もないもので、それ以上理解しようとしないだけではなく、理解している人を片っ端から攻撃するって人も多いんだ。自分のアイデンテイテイを持たずに自分から切り離された状態で意見だけできるからね。」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私も息子の意見に共感していて、

世の中を自分の認識していることだけで白黒つけて、「正しさ」をふりかざして、

他の意見を引っ込めさせてしまえば、

最終的に、「自分のアイデンティティを持たずに自分から切り離された状態で意見だけする」子や人を

たくさん作りだすことになると思うのです。

この○ちゃんと他の子らの揉め事にしても、

最初に■ちゃんと◎ちゃんが「じゃんけんをして決めよう」と考えて、◎ちゃんが「勝ってうれしい」と思っている気持ちを、

無視して、「もう一度じゃんけんしなおしなさい」と大人が言うのは

子どもの世界に入りすぎている気がするのです。

ここで○ちゃんが「ずるいから◎ちゃんともじゃんけんしたい」と言いだして、◎ちゃんも納得してじゃんけんしなおしたなら、

それは大事だ進展だと思うのですが。

子どもに全ての事柄において、「大人が答えを持っている」と思わせて、「大人の判決」にしたがってさえいればいいと思わせてしまうと、

 

「今はまだ自分では理解できないわからないことが多い

広くて深い世界」に向かって

どっぷり世界に巻き込まれて過ごしながら、

自分自身をより広げていく深めていく、自分を変容させていく体験」

 

が失われると思うのです。

 

『下流志向』のなかで内田樹氏は、

「学び始めたときと、学んでいる途中と、学び終わったときでは
学びの主体そのものが別の人間である、というのが学びのプロセスに身を投じた主体の運命なのです。」

と書いているのですが、

子どもの日々の体験も、こうした学びの連続となるよう

本人が自分の裁量でやっていく部分がたくさんいるのではないでしょうか。

 

不必要に大人が介入したり、不必要に人工的にしたり、不必要に大人がコントロールしたり、不必要に系統立てたりして、

選択肢や解決法や解答や時には自分の感じ方までひとつに絞って、

子どもに与えてしまう危険を感じています。

 

関連する過去記事を貼らせていただきますね。↓

(この話はアスペルガー症候群の成人女性の方から

「とても好きな記事」とおっしゃっていただいたものです。

これまで一方的な誤解に基づく言葉をたくさん投げかけられたことがあるのかもしれません。時には、

何かあるたびに、即座に言葉で判断しないこと、善し悪しを決めてしまおうとしないこと、

静かにその出来事をありのままに咀嚼するだけで終わることも必要なのかもしれません。)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 

『心のなかはだれにもわからない』

先日 久しぶりに 
夜間に子どもをお預かりする
ボランティアをしました。
小学生の子なので
私が学童保育まで迎えに行って
それからの時間を 夕食を食べたり ゲームしたりして
過ごします。

その 学童に子どもを迎えに行った時あった出来事です。
私が迎えに行った時
ちょうど学童の子のひとりが
外の薄闇の中で
壁に つっぷして泣いていました。
私が預かる子より 学年が下の女の子です。
実は この数週間前
私は 地域の伝統行事に使うための絵を
学童の子らに描いてもらいました。
その時 「わたし描けないから描かない」と
遠巻きに見ていた女の子です。
その日 私は だれでも簡単に描ける小道具を
いろいろ持って行ってました。
クレパスをすこし塗って
水のついた筆でなでると
きれいに広がる画材などです。

おかげで その日「描かない…」とがんばっていた女の子は
「ちょっとだけしてみる…」となり
終いには 2枚力作を仕上げてから
「もう1枚描きたい」と言いだしたほどでした。

女の子には絵を描くこともですが
他の遊びや友達づきあいも
ぎこちなさがみられました。

そして先日 薄闇で一人で泣いている様子は
だれかにいじめられたとかではなく
上手く自分の思いをコントロールできない辛さが
あらわれているように見えました。
少しすると 女の子のお母さんが迎えに見えました。
いつも柔らかい口調の
優しいお母さんで
「どうしたの?」と聞いたけれど
理由をつきとめるような様子はありませんでした。
と 学童の先生や子供達が中から出てきて
「数人の友達と遊んでいた時
すねてしまい
その後 学童の先生が言った軽い一言で
ひとり外に出て泣いていたんです」
と説明しました。
学童の先生も
すねているのなら
無理やりつれもどしても しかたがないから
気持ちが済むまでそっとしておく
という作戦に出たようなのです。

先生とその子のお母さんが
くわしい事情を話すために
部屋の中に引っ込んでしまうと
ことの進行に興味津々の学童の子らも
いっしょにぞろぞろついていきました。

それで 外にいるのは
その女の子と私の2人きりでした。
女の子は
周囲の大人が「しつこい」「いつまでもすねている」
と表現したくなるのももっともな様子で
泣き続けています。
私もお預かりする乳幼児さんには
「すねすねモード」なんて言葉も使うのですが…
ただ その子が そうした言葉に傷ついて 泣き止むタイミングを
失っているようにも見えました。

お預かり予定の子が 出てくるのを待つ間
ふと ひとことその子に声をかけてから帰りたくなって
しばらく女の子の髪をなでていました。
それから
「心の中は だれにもわからないんだから
すねているかなんて わからないよね。」とささやきました。

すると 部屋の中にいた子らが
ぞろぞろ出てきて 私と女の子の周りをかこみました。

私は小さい声でその子たちにも説明しました。
「ただ悲しい気持ちで泣いているだけかもしれないよ。
心の中は誰にも わからないでしょう?
だから 勝手に すねている…とか他人の心の中を
決め付ける言葉を言ってはいけないよ。」

みんな目をまんまるくして こっくりしています。
どの子も 優しいいい子達なんですよ。
みんなその女の子の悲しい気持ちに 
寄り添うように立っていました。
でも 「あの子はすねてるんだ」とか「おこっているんだ」とか
「仲直りしたいんなら 早く泣くのをやめたらいいのに」
とか(大人が言葉で気持ちを説明してしまうと)
相手を思いやる気持ちが
鈍くなってしまうようです。


私も気をつけなくては……
その日は お預かりした子と
いつも以上に いろんなおしゃべりをして過ごしました。


親御さんへの「ダメ出し」 6

2011-08-28 20:31:05 | 教育論 読者の方からのQ&A

私は■くんに会ってからしばらくの間、軽く「直観が優れている子なのかな」と考えていました。

実をいうと、他にいろいろと気にかけていることがあって、

■くんの性格タイプが何かということはそれほど関心がなかったのです。

■くんのお母さんは「おそらく外向直観タイプの方かな?」と思われるいろんなことがアンテナに引っかかる感じの

好奇心旺盛な方だったので、それで同じく好奇心の旺盛さが似ているというだけで

■くんもよく似たタイプのように錯覚していたのです。

 

■くんはお母さんにいろいろ問いかけられても

自分の意志に関することをはっきり表現しないことが多く、

「うん」か「ううん」で即答できるようなことも、「んー」とはっきりしない態度をしめします。

■くんのお母さんはそれに対してイライラする様子もなく

「同じ質問を3回は問うのが当たり前」という習慣が付いているようでした。

 

私が気になっていたのは、

 

■くんが耳で聞き取る力が弱いようでもなく、

 

お母さんのことをうっとうしく感じて反抗しているわけでもなく、

 

性格が優柔不断でぐずぐずしがちな子なのでもなく、(むしろさっぱりしていて快活)

 

問いに対して本当に悩んでいる風でもなかった点です。

 

外から見ると、■くんは自分の意見を重要なこととして扱ってもらった体験がないために

自分の意見や気持ちを表現することに

意義を感じていないように見えました。

 

でもそれはおかしなことなのです。

■くんのお母さんは他のお母さんなら簡単に却下するような

「セミを逃がしたくない」とか「もっとセミ捕りしたい」といった意見ですらないがしろにすることが

ない方なのですから。いつも懸命に■くんの気持ちに耳を傾けようと努力している姿がありました。

 

■くんのお母さんはいつも意識して■くんの思いを尊重しようとしていたのです。

 

「でも、それなのにどうして

■くんは自分の意見を重要なこととして扱ってもらった体験がないように見えるのかな?

お母さんとの会話の中で自分の意志や気持ちが自由に出てこないのかな?

 

会話が苦手なわけではなさそうで、本を見ながらどうしてだと思う?ってたずねるような場面では

しっかりと自分の意見が言えているし笑顔もいっぱい見せているのに、どうしてなんだろう?

 

妹さんは自分の意見を自由に表現して

いるけど、■くんのお母さんは妹さんばかり構っているわけではなく

むしろ■くんのことをいつも気にかけて大事に扱っているのに なぜ?」

 

私は不思議な気持ちにとらわれたまま

■くんと遊んだり、いっしょに食事をしたり、工作したり、勉強したり、実験をしたりして過ごしました。

次回に続きます。