う~ん、そう話しても、自分自身がもやもやしたままなのは、長電話の中で、お友だちが必死で言葉にしようとしていたことの大切さも懸念も、とってもよくわかることでもあるからなんです。
ユングとタロットの悪魔のカードの解説にあるように、
それ自体としては実に賞賛に値する価値があるものでも、私たちを呑み込んでしまうものが何であれ、
私たちの全エネルギーが一つの計画に捕えられてしまい、他の全ての計画が排除されてしまう時、油断のならない危険なものとなる
ということなのです。
私は柔軟な性質だし、子どもの姿を見ながら判断するけれど、
私が「これがいいよ」と伝えた相手に柔軟性がなく、ある考えに固くとらわれてしまった場合、
たとえば、小学生の子が小さなレゴで何か表現したいと思うような要求を「デュプロで十分」と却下されてしまうような事態にはならないか……
そんな友人の懸念……悩むところなのです。
ただ、私の中に「ある経験」があって、
やっぱり、まず親子で
頭を使う喜びを味わうところから、おもちゃ遊びはスタートするのがいいと確信もあるのです。
「ある経験」というのは、児童館に工作指導のボランティアに通っていた頃、
自由に遊べるさまざまな種類のおもちゃがあるにもかかわらず、
子どもたちのほとんどが、
「やりたい!」とおもちゃを出してくるものの、目新しい間ちょっと触って、乱暴に扱って、おしまい……となっていたことです。
それぞれの子は年齢相応のおもちゃが楽しいはず……だから児童館には
ゲームから、積み木から、知育玩具から、さまざまなものがそろっています。
でも
小学生たちに
工夫したり、よく考えたり、根気よくひとつのことに取り組む
姿勢が育っていないので、
館長先生がたびたび嘆いていたのですが、どの子(小学生)も
おもちゃを投げる、崩すだけしかしない……
(1,2歳児さんの遊び方に似ているのです~)
でも、その同じ子どもたちが、私のしている工作教室で、
画用紙や紙箱で
見栄えの悪いおもちゃ作りに興じ始めると、表情の中に
感動、喜び、自尊心、達成感といったものが
あらわれていたのです。
そうして一度、
物自体の面白さではなく、
物を通して自分自身の頭や手を使う
面白さに気づいた子というのは、
他のおもちゃでの遊び方もちがってくるように見えたのです。
ひと昔前の子どもたちは、たくさんの兄弟姉妹や近所の子ども集団から、
遊び方や頭の使い方を学んでいける環境が十分ありました。
けれど、現代の子どもたちは、物とおもちゃばかりに囲まれて、
それを扱うもとである頭や手の使い方や、
遊びこむことを習う場がないのです。
何が言いたかったのか……
本当は砂遊び講座でも紙工作講座でもいいんですよね。
おもちゃなしで外で遊ぶのも良い!!
そのどれも十分やりこなせば、頭で考える喜びが味わえて、
ブロックと
同じような体験が共有できるはず。
でも、毎日砂場に行って、おまけに水まで持ち込んで遊べるという子はまれですし、
紙工作も材料集めが大変です。外遊びも途方にくれてしまう親御さんが多いです。
素材が複雑すぎて広がりすぎて、
数学的感性を育てるのにはイマイチという難点もあります。
多くの方々と同じ場を共有しやすいという理由から、ブロック講座
にさせていただいている……
のです。
だから小学生の子が「レゴのお城を作りたい」と言ったら、
それはそれで、各自できちんと対応してあげていただきたいのです。
小さなレゴでブロック講座に参加するのも、
工作材料でブロック講座に参加するのも、
もちろんOKなんです。工夫次第です。
うまく言葉にまとめられないので、またの機会にもう少し補足しますね。
コメント欄のご質問になかなか答えることができないでいます。
また時間ができたら、お返事していきますね。
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