虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

子どもの能力を引き出す幼児教育  ダメにする幼児教育 5

2011-05-31 19:38:40 | 幼児教育の基本



自閉症の子 と アフォーダンス  ターンテイキング の話

で取り上げた「アフォーダンス」という概念は、知れば知るほど、興味深いものです。


アフォーダンスとは、物体の持つ形や色や材質といった属性が、それをどう扱ったらよいのか
という行為の可能性を生き物にメッセージをして伝えているとする、考えです。
「環境が動物に提供するもの」です。

たとえば、引き手のついたタンスは、そこにいる私が引いて開けることができるかどうかを
認識していようとしていまいと、「このタンスと私には引いて開けるというアフォーダンスが存在する」と
表現されます。

幼い子たちを観察していると、
あらゆる場所で、「子どもと物体」「子どもと自然環境」の間に存在するアフォーダンスを
目にすることができます。
幼児の探索活動は、アフォーダンスをピックアップして、利用して、理解する活動を
延々とし続けているように見えます。

幼児は水や砂のようなものに無限に潜在する意味も
探し続けます。

『知覚はおわらない』佐々木正人  青土社  

の中で、著者が早稲田の講義で学生たちに、「水のアフォーダンスについて教えてほしい」とたずね、
返ってきた答えを紹介していました。

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……水は物を動かし、浮かし、溶かし、無くす。流す。
水は物と物とを「結びつけ」、すべての「間を埋める」。
陸と陸の隙間を埋める。あらゆる容器はじつは水に埋められる隙間であり、
空気にあるあらゆる隙間は湿気とよばれる飛散した水で埋められている。
水はすべての表面との「緊密な接触」を意味する。水に
何か落とすと、物にどんな小さなくぼみがあっても、どのように複雑なカーブを描いていても、
物のすべての表面に水がぴたりとふれて包む。離れない。
水は接触する物のかたちによって
融通無碍に変形する。
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早稲田の学生が挙げた水のアフォーダンスよりもっと多種多様のものを、
幼い子たちも知覚しているように見えます。

憑かれたようにそれを探求し続ける姿がありますから。

『モンテッソーリの知恵』LESLEY BRITTON (株)ブラザー・ジョルダン社
に子どもが学ぶ過程について説明した次のような記述があります。

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学習は誕生時から始まり、子どもがどのように学ぶかという根本的な過程は、
人生の始まるほんの初期にあるのだと
認識することはまた大切なことです。
まず、第一に子どもたちは遊びを通して、彼らのまわりの世界にある物を
その経験を通して学びます。

たとえば水は湿っている、水は熱くもなるし冷たくもなる、水は容器から別の容器に
そそぐことができるという考えを、
他の多数のことと同様、あなたの赤ん坊や子どもは彼の普段の生活の中で、
お風呂やキッチンでの遊びを通して学ぶことでしょう。

この自発的な遊びは、子どもの発達の要求に対する反応なお中で開始されます。
子どもを手助けするためにできることは、可能な限り子どもの年齢に適切な
多くの異なった経験と多くの遊びを提供できるよう、保育室や過程を遊びやすく整頓んすることです。
親や保育者自身もこれらの遊びに参加し、励まし、そして怒りえる問題に備えて、
安全を守ることも大切です。
                    (『モンテッソーリの知恵』より)

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子どもの遊びとは、学びであって、
その学びとは何なのかというと、
どうも「アフォーダンス」と関わりが深そうですよね。
土や砂や水や粘土や絵の具、糊、折り紙といった素材は
子どもの感覚受容系を構造化し、精巧にさせる助けとなるといわれています。

大人の目からすると、ただのいたずらにしか見えない活動のどれもが、
子どにとって最も最適な学習であって、
それは学ぶだけでなく脳をより良い状態に発達させる助けになっているんだな
と驚きます。

幼児を見ていると、
直観、感覚、思考、感情のどれが優れているかという
性格タイプのちがいによって
「アフォーダンス」の利用の仕方がずいぶん異なるように感じています。

直観が優れている子は、さまざまな物が潜在させているアフォーダンスを、
奇想天外なものまで次々ピックアップします。

ままごとのフライパンがあったとすると、
それに物を入れて、何かを炒めるまねをする前に、くぼんだ形から
帽子のようにかぶってみたり、足に履いてみたり、
取っ手がついている形からバットのように振ってみたり、
取っ手を持って、隙間に突っ込んでみたりします。

感情が優れている子の場合、フライパンはフライパンとして、
お母さんの真似事をするためや、「はいどうぞ」と差し出してやりとりするために使われます。

感覚が優れている子たちも、フライパンをフライパンとして使うけれど、
感情が優れている子たちよりも、道具そのものをより洗練された動きで扱おうとしたり、
サイズや大きさで分別したり、そのくぼみの部分にぴったり過ぎるほど
合うものを入れたりします。
それか、色やある一部分の形に強い興味を示します。

思考が優れている子たちは、直観寄りの子か、感覚寄りの子かで、
思いがけない活用法を探求することに興味があるか、
秩序立てていくことや、色や形や性質に興味があるかわかれるものの、
少しすると、それを分析して言葉で表すことに興味を示しています。


次回に続きます。

子どものけんかを見守る 2

2011-05-31 12:49:27 | 幼児教育の基本
☆くんはお家に帰ってから、かなり泣いていたそうです。

「あれもこれも自分はできなかった。自分はダメだった」と思ったようです。

でも現実には、ブロックで設計図通りに組み立てる作業を、
最後までやり遂げたのは☆くんです。

「これがしたい」「あれがしたい」と思ったものは、「今回は無理よ」と言われていたものも
最後には、することができました。

ゲームで負けたことにしても、本当に負けたのではありません。
「負けていないよ、勝っているよ」という言葉を受け入れることができなかっただけなのです。

国語のクイズは、まちがえたけれど、同じように★くんもまちがえていたので、気にする必要はありませんでした。



現実がどうであれ、☆くんは、今たっぷり泣く必要があるのかもしれません。

学校生活も習い事もせいいっぱいがんばっていて、
「ゲームは自分が勝たなければならない。負けたら自分はできない子だ」
「クイズや問題では正解しなくてはならない。ミスしたら自分はバカな子だ」という
緊張した気持ちを抱いて生活していれば、いつ緊張の糸が切れてもおかしくないですから。


親は子どもにいつもニコニコと幸せそうにしていてほしいと望みます。

けれども、子どもはささいなほころびをきっかけに、泣いたり、癇癪を起したり、イライラしたり、すねたりして
感情を十分表現する時間が必要です。



『親と子どもの感情BOOK』  エリザベス・クリアリー著 田上時子 本田敏子 訳   築地書館

に、次のように書かれています。
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子どもが不幸な目にあわないように、いつもあなたが先手を打っていたら、

子どもに、自分の幸せを他人に依存するよう奨励していることになります。

また、あなたがいつも先まわりして子どもの人生を快適にしてあげていると、

子どもに自分で欲求不満や失望に向き合うために必要なスキルを

身につけるチャンスを与えないことになります。

                 (『親と子どもの感情BOOK』より)

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 エリザベス・クリアリーは、
「子どもには感情を表す言葉が必要で、感情は変化すること、
感情は行動と違うことを知る必要があります」
と語っています。

年齢や学習段階に応じて、子どもは自分の感情と向き合う方法を親からサポートしてもらう
必要があるのです。


子どもは、泣いたり、癇癪を起したり、イライラしたり、すねたりして
感情を外に表現するときに、親から適切なサポートを受けることで、
欲求不満や失望にぶつかったときに、自分をなだめ、問題を解決し、他人の感情を理解する方法を身につけます。


 エリザベス・クリアリーは、「知的能力が平均以上なのにもかかわらず、
情動の機能が乏しいと、学校の成績が悪く、依存症になったり犯罪を犯したりするリスクが高くなる。
それによって、なぜすばらしい潜在能力を持っていても、何も達成せずに終わるかが説明できる」
とおっしゃっています。

それなら、子どもの心が乱れているとき、親は何をすればいいのでしょう?
『親と子どもの感情BOOK』
では次のように説明しています。

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まず、よくないのは、過敏な反応です。「何か買ってあげる」と言ったり、楽しい話を持ちかけて、
子どもの機嫌を取って気を散らしても、感情への対処法は学べません。

批判的な反応もよくありません。「もう、ふくれ面しないの!」
「悲しいからって、妹をいじめちゃだめ」など、
感情をあらわした子どもを批判するような言い方はよくありません。

繕う反応もよくありません。子どもが不安にならないように親が子どもの問題を解決したり、
状況に立ち向かうのを避けさせたりすることです。
ひとりで問題に立ち向かう子どもを励まさない対応はよくありません。

大切なのはコーチの反応です。
子どもの感情を認め、感情に対処できる方法を教えます。
いろいろな選択肢があることや、親を情報源として利用できることを教えます。

「怒っても、いいのよ」とか「泣いてもいいのよ」と子どもの感情を認めて、
サポートする親は(子どもは世話してくれる人の感情に敏感なので)子どもが取り乱していても辛抱強く落ち着きを
保つようにします。

「でも、妹は叩いてはだめ」など限度をもうけ、
「代わりに、紙をやぶくか、○○をしてもいいよ」といった選択肢を与えます。
「近くに座ってほしい?」といったサポートも与えます。

危機的なときだけ子どもの感情に対処していると、子どもは絶望的な感情だけ
持ち続けるそうです。
親が子どもの感情を認め、子どもが落ち着くのを手助けしているのに、
なぜ子どもが何カ月も癇癪を起すのかというと、
子どもは落ち着くスキルや状況に対処するスキルを持っていないから
なのだそうです。

子どもに自分の感情に対処する力を持ってほしいと思うなら、
感情の性質、自分で落ち着くためのスキル、問題を解決するための方法の3つを教える必要があるのです。

この3つに関しては、またの機会にくわしく書かせていただくことにしますね。

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☆くんの場合、泣きたい思いを十分吐き出させてあげた上で、
現実の出来事を思い返してみて、それに対して、
自分は自分にどのように接したらよかったのか
いっしょに考えてあげる必要があるかもしれません。

自分の中に湧きあがってくる感情にどう対処したらよいかわからなくて、
毎回、攻撃的な態度や言葉を自分自身に向けてしまう場合、
「ぼくはダメだ、ぼくはできないって、自分で自分をいじめる言葉を言ってはいけないよ。
いい気持ちになって、がんばろうって思える言葉をかけてみよう!」と提案することができます。

まずたっぷり泣いて、気持ちがすっきりしてきたときに、
☆くんが心から安心と幸せを感じることができるような言葉かけを
いろいろ考えてあげるといいかもしれませんね。




子どものけんかを見守る 1

2011-05-31 10:04:34 | 幼児教育の基本
前回の続きは次回に書きますね。

子どものけんかを見守る上で私が気をつけているポイントを紹介します。

幼児期や小学校低学年の間は、
大人の監視下で遊ぶことがほとんどです。

ですから子ども同士で、ちょっとでも揉めそうになると、
たちまち「こっちは○」「こっちは×」と大人が裁いて、
大人の目から見て悪い側の子は叱られて、正しい方の子は守られるという流れで解決しがちです。

私は子どもが揉め始めると、危険がないように気を配りながら、
その進行を静かに見守っています。

すると、けんかのなかから、さまざまな子どもと大人の今後の課題が見えてくることがあります。

けんかは、大人の指示でするのではなく、
感情に突き動かされてするものですから、
それまでは潜在していて見えなかった課題が、
目に見えるところまで浮上してきている貴重な出来事でもあるのです。


先日、小学1年生の★くんと、☆くんのレッスンでこんなことがありました。
オセロに似たゲームをしていて、★くんがズルをして勝ったのです。
といっても、わざといじわるをしてズルをしたというより、★くんはルールがちゃんとわかっていないところがあったのです。
★くんはいたずらで茶目っ気のある性質で、時折、こんな自分勝手な行動をするときがあるものの、
友だち思いの大らかな子です。

私は、★くんに「それはズルじゃないの?」とたずねました。

★くんがそれに答える前に、☆くんが、「ぼくはできない、負けた」といって涙を流して泣き始めました。

「☆くん、★くんはズルしたから、勝ちじゃなくて負けだよ。☆くんが勝ったよ」と説明しても、

負けてしまった=自分は弱い=自分はきちんとできなかった=自分はダメだ

という思いがぐるぐると渦を巻いている様子で、自分を責める言葉をつぶやき続けて
涙がとまりませんでした。

☆くんは、その日、お家に帰ってからも、ずいぶん泣いていたそうです。



☆くんは、日ごろ、スポーツを習って体を鍛えていて、我慢強さを身につけています。
通いはじめた小学校生活にも慣れたようで、学校のことをたずねると「楽しいよ。勉強は面白いよ」と答えます。
工作が得意で、最後まで根気よくやりとげることができます。


そんな1年生として申し分ないスタートをきっている☆くんの
心をくじくような体験をわざわざさせなくてもいいんじゃないかな?

「自分はダメだ」と思って泣くようなことが次からないように、
ズルするような子と遊ばさない方がいいんじゃないかな?

ズルされた☆くんが悲しむなんて割に合わないから、
もっとズルしたことを厳しく叱ってもいいんじゃないかな?


この様子を他の方が見ていたら、そう感じたかもしれません。

子どもが揉めたときに、「善」か「悪」かで、裁いて眺めると、
悪い方が改めるのが当然で、
良い方が変わるなんてとんでもない、と思いがちです。

けれども、揉めたからには、「善」の側も「悪」の側も「環境」も「見守る大人」も
微細なことかもしれないけれど
何らかの変化を強いられていて、
より成長する方向に変わっていくよう後押しされているものです。

幼い子でしたら、けんかはもっと親しくなりたいという思いから生じるし、
少し大きな子でしたら、けんかは、考え方やとらえ方の偏りを解消したり、
相手の気持ちを理解したり、トラブルを回避する術を身につけたりするきっかけになります。

★くんと、☆くんのトラブルを見て、
私は次のように感じました。

☆くんの長所は、心が優しく、がんばりやで責任感が強いところです。
心が優しいことはいいことです。
でも、お友だちに優しくするだけでなくて、自分にも優しくすることを
覚えなくてはなりません。
心が優しい子は、自分に対してはいくら厳しい言葉を吐いてもかまわないと考えている子がいます。
でも、本当はお友だちに対して冷たい言葉を吐いたり、責めたりしてはいけないように、
自分に冷たくあたってはいけないのです。

揉め事中、悪いことをした方の子だけを叱っていると、
良い子の側が学ぶチャンスを奪ってしまいがちです。

私はこうした出来事は、「パニックに陥った時に、自分に優しい言葉をかける大切さ」を
教えるのにちょうどいいチャンスだと考えています。



次回に続きます。

子どもの能力を引き出す幼児教育  ダメにする幼児教育 4

2011-05-30 16:34:41 | 幼児教育の基本
ユースホステルでのレッスンで、6月に参加していただく方のメールの送信が完了しました。夏の日帰りのレッスンは、
すべてのユースホステルの連絡が終了してから募集させていただきます。


ずいぶん前で記憶がさだかではありませんが、新聞のコラムだったか、投書欄だったかに、
こんな親と子のやり取りが載っていました。
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子どもがドロップの缶のなかから好きな味のドロップが出てくると小躍りして喜んでいるのを見て、
その子のお母さんが「全部、その色ばかり入っているのを買ってあげようか?」と
たずねたそうなのです。

すると、その子は、「いろんな味のが出てきて、嫌な味のドロップも出てくるから、
好きなのが出てきたときすごくうれしい。だから、このままでいい」
と答えたそうです。

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読後に「そうだなぁ、その通りだな」とホンワカしたあたたかい気持ち
になったのを覚えています。

「全部、その色ばかり入っているのを買ってあげようか?」とたずねたお母さんは、
優しいすてきなお母さんではあるけれど、
「買う前に子どもに聞いてみてよかったな」とホッとしました。

もし、子どもへの愛情から、子どもには何もたずねずに、

次からドロップを子どもの好きな味のものばかりに変えて、
子どももその変化を意識しないまま、
好きな味ばかりなめることに慣れてしまったら……

生きていくときに役立つ知恵が
ひとつ身につかなかったかもしれない……と感じました。

現在、「親が意識して子どもに良いと思ったもののみを与える」という子育てが、
子どもから能力を引き出すために必要な体験を
奪っているな~と感じることがあります。

人間というのは、
窮地を切り抜けたり障害を乗り越えるとき、
その人の内部にある最善のものが引き出されると
いわれています。

何もライオンのように子どもを崖から突き落とす必要はありませんが、

たまに「お友だちが持っているのと同じものを持っていなくて悲しくて泣く」とか、

「できないことにぶつかって、不安になって、しばらく心が揺れ動く」とか、

「自分のやりたかったことができなくて、もやもやした不満を心に抱く」といった体験は、

幼い子や小学生にとっては、

とても大切な「窮地に立たされる体験」「障害を乗り越える体験」「自分の中に眠っているパワーを
呼び覚ましてくれる体験」だと思っています。

でも、「お金を払って子どもに体験させている時間」
「親がわざわざ連れていってあげている時間」に子どもがそんな思いを少しでもしようものなら、
親は、黙って見ていることができないですよね。


「あらかじめこの苦難に耐えたらこんな良いことがあります」と
お得な能力開発と引き換えの
苦しみならまだしも、
無駄に見える苦労に、お金を払いたいとは誰も思わないのではないでしょうか。



過去の記事で、
時間をお金で買う、体験をお金で買うことの
弊害について書きましたが、
どうして良くないのか、どこがよくないのかを
突き詰めていくと、上のドロップの話で、
「先走って子ども好みの同じ味のドロップばかり買い与えてしまった」ということに近いのかもしれません。

虹色教室にしても「時間をお金で買う」「体験をお金で買う」教室に変わりありませんから、
どんなに工夫しても、注意をうながしても、
その弊害からまぬがれることはできません。

この問題、タダなら大丈夫なわけでなく、
うちのダンナが関わっている無料の子ども会活動でも、いくつかの選択肢からそれを選んだ時点で、
お金に交換できる親の労力や子どもの時間を使っているという点で、
「時間をお金で買う」「体験をお金で買う」体験に近づいています。
親からクレームが出ないことが、
子どもの成長より優先されるようになってきているのです。
その結果、どこもかしこも遊園地化して、
かつて子どもの自立をうながす一助となっていたイベントも、
楽しいけれどすぐ飽きる、教えられることは多いけど成長しないイベントになりつつあるのです。

親の意識が「良い」と思う色が、子どもを囲む世界をどこも一色に塗り替えていて、
そこから子どもが何も学べないような真空になっていても、
誰も気づかないのです。


かつてのような自然で純粋な……良いことも悪いことも混ざっているような……

楽しいことも、我慢が必要なことも、お得に感じられないことも、思いがけない喜びも、
退屈も、自分を超えていく出来事も、ごちゃまぜにあって、
子どもの心と知力にとって真の栄養になるものがたっぷりあるような場が、皆無に等しくなっているのです。



「かくれんぼ」ができない子どもたち  (杉本厚夫著 ミネルウ゜ァ書房)
という著書に次のような話が載っていました。
(簡単に要約して紹介します)


著者は子どもの遊びについて研究しながら、「親子遊び塾」や「放課後子どもプラン」などで
親と子の遊びと学びの場作りの企画と実践をしてこられた方です。

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一般的な子どもの遊びのイベントでは、さまざまな遊びのお店を用意して、そこに来た子どもに
遊びを教える。
あるイベントで、竹トンボをつくるお店を開いていたけれど、すでに竹トンボの羽根の部分はつくってあって、
子どもはひごに、その羽根をつけるだけで完成。

それを飛ばした子は、すぐに飽きる。
なぜ、一から竹トンボを作らないのかと聞いてみると
「自分でつくってできなかったり、うまく飛ばなかったりするとかわいそうだから」という答え。

出来栄えにこだわるあまり、遊び道具を自分でつくって遊ぶという醍醐味を味わえない。
これではいつまでたっても、自分たちで遊ぶという主体的な活動ができずに、
与えられるのを待って、飽きたらやめてしまう癖がつく。

ここまで極端でなくても。大人が遊びを用意して、子どもたちにそれを与えるという方法では、
子どもたちは遊ぶことはできない。
「何をして遊んでもいいよ」といっても
「何をして遊んだらいいのかわからない。おじちゃん教えて」といってくる子が多い。
そこで、大人たちは我慢できず、子どもたちの喜びそうな遊びを必死で用意する。
しかし与えられる遊びには、子どもたちはすぐに飽きてしまい、「ちがう遊びがしたい」という子どもの要望にこたえて、
次から次へとちがう遊びを用意しなくてはならず、ついに「種が尽きた」となってしまう。

そこで、子どもたちがやりたいといいだすまで、こちらから遊びを用意したり、教えることは一切しないようにした。
囲碁と将棋を大人たちだけでしていると、子どもがやりたそうに取り囲んで見ていた。
が、大人は知らんふりしてやり続ける。
そのうち、子どもが「教えて」という。
それでも教えず無視してやり続ける。
それでも「教えて」といってきたときに、初めて教える。
この待たせる時間が大切なのだ。
すぐに教えると、子どものやる気の純度が低く、教え方が下手だと「もういいや」とやめてしまう。
本気のやる気を引き出すために無視するのである。

本気のやる気を引き出すためのハードルを用意するのである。

          (「かくれんぼ」ができない子どもたち 杉本厚夫著 ミネルウ゜ァ書房 より)


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「子どもの本気のやる気を引き出すためのハードル」は、
親が子どもの周りを自分色に染め上げなければ、自然のなか、人間関係のなか、出来事のなかに
いくらでもあります。

ハードルですから、けっして気持ちいいものでも、
見栄えがよいものでもありません。
「無視するおじさん」なんて、お金を出して購入したい親はいませんよね。

でも、そうした価値がないように見えるもの、時間の無駄に感じられるもの、小さな心の怪我、
恥ずかしさをともなうもの、小さな挫折感、
それを子どもの世界から取り除いてしまうと、
子どもが本気のやる気に目覚める瞬間が、どこにもなくなってしまうのです。





子どもの能力を引き出す幼児教育  ダメにする幼児教育 3

2011-05-30 12:44:50 | 幼児教育の基本
年中さんたちのレッスンで、「みぎとひだり」について学んでいたときのこと。

ふたりの子に向き合って立たせて、一方の★ちゃんに「右手はどっち?」とたずねました。
すると、★ちゃんは「はい」と元気に右手を挙げました。

その子に、「○ちゃん(向き合って立っている子)の右手はどっちかな?」とたずねました。
すると、「こっち」と言いながら自分の右手側の○ちゃんの手(○ちゃんの左手)を指しました。

そこで、私は、○ちゃんに「右手はどっち?」
とたずねました。○ちゃんが、「はい」と右手を挙げると、
★ちゃんの表情にも見学していた子どもたちにも「あれれ?」という表情が広がりました。

「あれぇ?どうしてだろうね。」と私もびっくりしてみせながら、○ちゃんの挙げている手を取って、バレエを踊るようにゆっくりクルッと回転してもらって、右手を挙げたままの○ちゃんと右手を挙げたままの★ちゃんが重なるように
立ったところで、
「あっピッタンコって重なるね」と言いました。

すると、子どもたちはみんな「あれぇ?」「あれれ?」手品でも見ているように
驚いた声をあげて、ゲラゲラ大笑いを始めました。

その後、子どもたちは順番にこの「ピッタンコ」を体験してみて、
相変わらず、毎回、驚いては大爆笑していました。

この年齢の子にすると、正面を向いている人が180度回転して後ろを向いたとき、
その人の右手が自分から見ると、左右が入れ替わるというあたり前の事実が、
魔法や手品のように感じられているのです。
それで、目を見開いて、それが入れ替わるプロセスを何度見ても、
「え?どうして?どうして?」と不思議でたまらなくて、笑い出したくなるほど面白いことなのです。

そりゃあ、魔法が目の前で起こったら、面白いでしょう。

こうしたレッスンは小学校受験問題の
「向かい合って人の右左がどう見えるか」や
「鏡に映ったときに
自分の左右はどのように見えるか」
といったテーマをベースにして遊んでいます。

といっても、目標としているのは、それが早く解けるようになることではありません。
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● 身近にある不思議にわくわくできる好奇心や探究心を育てること。

● 間違えることを恐れないこと。緊張したり恥ずかしがらないこと。
間違えたときに「あれっ?」とそれまで以上に関心を持って考えられるようにすること。

● お友だちと自由に意見を出し合って、それに耳を傾けながら考えることができるようにすること。
人といっしょに学ぶのが気持ちよいと感じられるようになること。

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知識のインプットではなく学習態度を育てているのです。

幼児期に「できる」「できない」で評価すると、
ミスを恐れて、考える際に緊張するようになります。

すると、「考える」ことがほとんどできなくなって、とにかく過去の知識を再現して
正解しようとするようになるのです。
どんどん学ぶことを嫌がるようになる子もいます。

本当はこの時期の学習では、
「できる」も「できない」も「正解」も「不正解」もそれほど
大差はないのです。

「鏡にはどうして左右が反転して映るのか」という理由は、

「x軸、y軸、z軸がうんぬんうんぬん……」と大学生でも難しいような数学的な説明が必要で、
「実は視線が裏返った状態で鏡を見ている」といういくら説明を読んでもこんがらがってくるような
理由が隠れているのです。

そんな奥深い不思議を前にして、
早押しクイズのように、「こっちが正解」「あっちが正解」と言い当てることができるようになったところで、
そんな訓練は、

「もう知っているから不思議でもなんでもない。考えなくてもいい」

と思い込むために学習しているようなものなのです。
正しい答えを示してはいけないわけではないけど、それは、「なぜだろう?」と考えるための材料に過ぎなくて、
子どもに○×をつけるために使ってはいけないと思っています。
○×をもらうのは、小学校に就学する年齢からで十分だと思っています。

それでも、そのように、余裕を持って接していると、
ほとんどの幼児は難しい問題でもどんどん正解して解いていきます。

大人も知らないことだらけの世界に夢中になっているひとりとして、
「どうしてだろうね」と子どもといっしょに考えを追っていくと、
考えれば考えるほど、お互いに笑い出したくなるほど
学ぶことが面白くなってきます。

幼児期には「不思議だな」「もっと知りたいな」「どうしてだろう?」という気持ちが、
外の世界に向かって十分開いていくように
そっと見守っていく期間だと思っています。

そうして思ったことや感じたことや推理したことを、
物怖じせずに言葉にして、
それを周囲にきちんと受け止めてもらったり、認めてもらったりする体験が、
確かな知力につながっていくと感じています。



次回に続きます。

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子どもの能力を引き出す幼児教育  ダメにする幼児教育 2

2011-05-29 17:51:28 | 幼児教育の基本
教室の生徒の親御さんのブログで
ぜひ多くの方に読んできただきたいものがあったので、紹介します。
 「子供のやりたい」 を親目線で見ない親になりたい・・・



今日は年中さんたちのレッスンでした。

妹や弟ができたとき、幼稚園に通い出したとき、園の友だちとうまくいかないとき、親御さんの期待と本人の気質にわずかなずれがあるとき、
脳が急成長する時期、強い個性が周囲とぶつかりがちなとき……

子どもたちは不安が強くなったり、よく泣いたり、よく怒ったり、いじわるになったり、良い子過ぎたり、無気力だったり、神経過敏になったりします。

レッスン中に、子どもからそうした気がかりなサインを受け取ったとき、
私は親御さんとその日のうちに話合って、しつけをゆるめてもらったり、抱きしめてリラックスさせる時間を増やしてもらったり、
子どもの気質を理解して期待をその子にあうものに調節していただいたり、
ストレスがかかっている問題を取り除いていただいたりしています。

教室の親御さんたちには、
そんな風にひとことふたこと多い
おせっかいな関わりを続けていているのですが、
そのたびに親御さんは子どもとの関わりや環境を見つめて、
修正してくださっています。

すると、いつの間にか子どもたちが目を見張るように成長していて、
その姿に胸がいっぱいになるときがあります。

今日のレッスンでも、それぞれの子が心の底から幸せそうに笑いながら
エネルギッシュにさまざまな課題に取り組む姿を見て
うれしくなりました。
お友だちと遊ぶときは、人といっしょに共鳴しあう喜びでいっぱいの様子。
学習時の態度からはそれぞれのなかに育っている自己肯定感があふれていました。

そんな子どもたちから力をもらって、

「現代の子育ての問題点をあれこれ指摘するおせっかいが、
一時は読者の心にゆさぶりをかけたとしても、
子どもたちのこんな笑顔と利発さと個性の輝きにつながっているのなら、
やっぱり伝えていこう」

そう再確認しました。

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2歳前の幼い子たちに接しているとき、親子の間で何度も交わされるはずの
非言語のコミュニケーションがほとんど見られないときがあります。

幼い子が成長するときには、まるで呼吸するようにひんぱんに、

子どもが親御さんの方を振り返って、目と目を合わせてニコッとしたり、助けを求めるような表情をしたり、「これしてもいい?」とたずねるような視線を投げて、

親御さんの方でもそれに応えて、笑い返したり、「がんばって」や「いいわよ」や「だめよ」を表情や身振りで自然に返すことが
行われています。

しかし、それがほとんどなくて、子どもの表情のレパートリーが少なくて、
「泣く」や「笑う」や「怒る」の中間にある微妙な気持ちを表現して
伝える様子が見られない子がけっこういるのです。

外出先でこうした幼い子を連れた親御さんに出会うとき、
ベビーカーに乗せっぱなしだったり、携帯の画面を見るのに忙しかったり、
カメラで子どもを撮影していたり、
ママ友とのおしゃべりに気を取られていたりして、
そうした親子のコミュニュケーションを交わそうにもできない状況をよく見かけます。

子どもの側も、そうした経験が少なすぎて、
親の方に視線を向けることがほとんどありません。
視線を向けても、
親からのフィードバックを期待して向けるのではなく、
まるで物や風景を見るように親を見るか、緊張した様子で怒っているか確かめるように表情を盗み見ています。

前回の記事で紹介した『科学のクオリア』の中で小林春美教授が、

「子どもが言葉を習得するときには、母親などの他者の意図を推測して、
ある発話と意味を結びつける過程があるのではないか」とするご自分の研究についての話をしておられました。

「親子の会話は、視線や身振りなど、きわめて多くの情報を含んでいる濃密なコミニュケーションで、成長過程では、何も情報がない 真空 のような状態なんてありえないんじゃないか」とおっしゃっていました。


親子の間でやりとりされる多種多様なコミュニュケーションがあって、
子どもの言語能力は育っていくのですね。

「教育用のビデオ」とか「かけながし用のCD」とか、「テレビ」とか、「一方的な親のインプットしよう、教えようとする姿勢」
「ママ友とのつきあい」「携帯電話」「カメラ」「ベビーカー」「習い事」などのせいで、
しばしば子どもをめぐる世界は
学ぶことができない「真空」状態に近づいていないでしょうか?

現在、それをゼロにすることは難しいでしょう。
でも、そうしたことに無自覚にいるうちに、生活時間のほとんどが子どもにとって「真空」のような時間になっている場合、
とても危険だと感じています。

幼児が学ぶというのは、
大人のように学習内容を学ぶのではなくて、
学ぶのと同時にその時期に必要な脳を作っているのです。

親と子の自然なコミュニュケーションのなかにある学びは、
次の段階の学習に必要な
ハードの部分を作っていることでもあるのです。

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子どもの能力を引き出す幼児教育  ダメにする幼児教育 1

2011-05-29 08:35:15 | 幼児教育の基本
子どもの能力が伸びるか伸びないか大きなカギを握っている
現代の子育て特有の問題があります。

「過剰すぎて、足りなくなっているものがある」ということです。

子どもに「あれが大事、これが大事」と、過剰に与えるうちに、
成長する上で必要不可欠なものを与えそびれてしまっているといったらいいでしょうか……。

たとえば、植物に
さまざまな肥料を取り寄せて与えていても、
光の当たらない部屋で、水をやるのを忘れていたのでは
うまく育ちませんよね。

それと同じで、
過剰にあふれかえる情報と物の渦のなかで、

人間が進化の過程で、途方もないほど長い年月をかけて獲得してきた
脳の成長に欠かせないプロセスが
踏まれないまま育てられて、
発達にゆがみや停滞が生じているケースをよく見かけるのです。

「だったら、脳の研究をしている方が提唱している脳にいい育児法を学んで育てれば大丈夫!」と思うかもしれません。
でも、これにも危険な盲点があるのです。

なぜなら、私たちが「こういう方法が大事」と何かに注意を向けて、
目的意識を持って行動しているときは、

自分と子どもだけの何もない状態なら、自然にやっていたようなことが、
「くだらない どうでもいいこと」のように感じられて、
それをしないで過していても気づかないことがあるからです。

『科学のクオリア』(茂木建一郎 日経ビジネス文庫)という著書に載っていた話に次のようなものがあります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
人間の赤ちゃんは、母乳を飲んでいるとき、
途中で休むときがあります。
お母さんがそっと揺らしたり、声をかけたりすると、
また飲み始めます。

チンパンジーの赤ちゃんは飲み出したら、最初から最後まで
飲みっぱなしなのだそうです。

なぜ人間の赤ちゃんがおっぱいを飲んでいる最中に一休みするのかというと、
そうすることで、自分がサインを出して、お母さんが揺らしたり、声をかけたりして、それをまた自分が受け取って……を繰り返すことで、将来の学習に必要な技術を獲得しようとしているのです。
赤ちゃんは言語の習得に必要な交互にやりとりする型を、
授乳の最中に学んでいるのです。

前回、紹介したターンテイキングのひとつではないかという
説があります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
現代のように物や情報に囲まれていなければ、
母乳を与えている最中に、赤ちゃんが飲むのをやめて
休んでいれば、
揺らしたり、ちょっとつついたり、目と目を合わせて
「どうしたの?」と問いかけたりするのは、
それが必要だと知らなくても、自然に行う行為だと思います。

けれども、携帯電話やテレビや英語のかけ流しの音や「こうすれば頭が良くなる」といった情報で
そうした自然な気づきへの感性が鈍感になっていると、
赤ちゃんにとって絶対不可欠な
その後の発達の基盤になるものが発達不全のままになってしまうことがあるのです。

もちろん、上の例はたくさんの大切なもののひとつで、
私たちが、「これは良さそうだ」「こうすれば子どもが賢くなる」と注意を向けているものの外側にある
どうでもいいことのように捉えている
親と子の何げないやり取りのなかに、
次の段階の発達を可能にするための必要な準備がたくさん含まれているのです。


次回に続きます。

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ブログの話

2011-05-28 19:56:02 | 番外(自分 家族 幼少期のことなど)
先ほど、かなり長い記事をアップしていたのだけど、一ヶ所だけ
文字を修正して、もう一度アップしたら、全て消えてしまいました。
このところ、パソコンの調子が悪いので、
ハードディスクを変えようか、
新しいのを買おうかと迷っている最中なのですが、
いよいよ寿命が近づいている模様……。

記事が消えてしまったことに関しては、何だかホッとしました。
なぜって、前回の続きで、ちょっとピリピリした内容でしたから。
消えてしまった後で、
何だかあせっていた自分に気づきました。

私は親御さんを苦しめたり悩ませたりしたいわけではなくて、
楽しくリラックスして子育てしてほしいと願っているし、
子どもたちに笑顔をいっぱい浮かべて成長してほしいだけなのです。
ピリピリしている……という記事にしても、
同じ思いで書いているのですが、
子どもたちにもっともっとよい環境を与えたいと思うあまり
ちょっと急ぎすぎてもいたのです。

問題を指摘して改善してもらうのは、的確で手っ取り早い方法ですが、
次々、問題を告発されたら、心が萎えてしまいますよね。
もう少し、言葉を練って、ゆったり記事を書いていかなくては……と
思いました。

ブログを更新していると、
「お母さんって、よくそんだけ書くことあるねぇ。
ネタ切れ……とかないの?」
と娘がびっくりしているような呆れたような口調でたびたび聞いてきます。

「ネタ切れ……? ない! いつも書くことが、ありすぎるから」とキッパリ。
ひらめくことにかけては、汲んでも汲んでも湧いてくる魔法の壷を持っているかのような
直観タイプの人間なので、
文章力も点の打ち方もめちゃくちゃなまま向上する気配はないけれど、
何を書くかで悩むことはまずないのです。

話が脱線しましたが……
前回の続きは、もう少し先に、他の話題の後で
書くかもしれません。
明日まで、もう少しゆっくり考えてみます。

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自閉症の子 と アフォーダンス  ターンテイキング の話

2011-05-28 08:37:56 | 幼児教育の基本
今回の話は、わかりづらくて、読みにくいかもしれません。
最初の説明のぐだぐだしている部分を……次回からは具体例を交えてわかりやすく書きますので、ちょっとだけ、がまんして読んでくださいね。

アフォーダンスって聞いたことがありますか?

アフォーダンスとは、知覚心理学者のギブソンによる造語で、
環境が動物に対して与える「意味」のことです。

世界にどのような意味があるのか、
人間の脳がそれを作り出しているかのような印象がありますよね。
でも、ギブソンによると、
環境の側に 客観的な構造として「意味」が存在していて、
生き物がその一部をピックアップしているのだそうです。

アフォーダンスの理論はまだ仮説ではありますが、
幼い子たちと接している私には、とてもリアルに実感できるもののひとつです。

たとえば、ひもがあると、それ自体に、物を束ねたり、物と物を密着させたり、結んだり、縛ったり、音を伝えたりする行為の可能性が備わっていますよね。その構造に意味や価値が潜在しているとも言えます。
動物が生活の場を探索することによって獲得することができる
そうした意味や価値が、アフォーダンスと呼ばれているのです。

この概念に出会ったとき、
私はこれまで勘で、

「漠然としていて目には見えないけれど、
子どもの能力の伸びに大きな差を与える何か」

として敏感に捉えて
自分の内面にだけ体系化してきたものの
正体がわかったように気がしました。

私は自閉症の子への教育法を学んできたわけではないのですが、
言葉がほとんど話せない自閉症の子といっしょに過すときがあります。

そんな時、その子の行動から、「教えるときに役立ちそうな情報」として注意深くチェックしているのことがあります。

「教えるときに役立ちそうな情報」というのは、
アフォーダンス……
つまり「その子が環境にある客観的な構造にある意味の
何をピックアップし、どのように使っているか」ということです。

といっても、アフォーダンスという概念を知って、
そうするようになったのではありません。

仕事柄、0歳~2歳の子と関わることが多いので、
言葉がなくても、作業手順や物事の意味を子どもに理解させるために、
私の内部で進化してきた方法が、
アフォーダンスという概念と関わりが深そうだと
後から気づいたわけなのです。

言葉を介さない漠とした世界でも、
アフォーダンスに注目すれば、

相手がどのようなことができそうで、
どのような方法なら理解しそうで、
どのような形で教えればよいのか、
どのようにして一人で学んでいくのか、

の目処が立ちます。

また、障害はないと思われる幼児も、
親御さんの過干渉や、早期教育の影響で、
自由な探索活動が減って、
アフォーダンスの理解が進まないと、
「地頭力が弱い」という状態になりやすいことも
経験的にわかってきました。

これまで記事にしてきた性格タイプの違いによっても、
アフォーダンスのピックアップの仕方や理解の仕方に特徴的な違いがありそうだということにも気づきました。

アフォーダンスという言葉へのくわしい説明がないまま
次々カタカナ語を出してきて悪いのですが……

ターンテイキングという

非言語的なコミュニケーションの方法があります。

ターン・テイキングとは、相手から身振りや目線によるサインが示されているときは受け手となり、サインが途切れたら今度はタイミング良く相手へサインと送り返すといった、
瞬間的に自分の役割を理解してサインを出し合うことです。

このターンテイキングは、言葉を獲得する上で
非常に重要な役割を担っているようです。

それにも関わらず、現在、さまざまな理由で親の側が
ターンテイキングをほとんど行わずに、
子どもの成長を遅らせているケースを
よく見かけます。

これについては、次回にくわしく書きますね。

親御さんに問題がなくても、
自閉症の子の場合、
ターンテイキングをほとんどしないか、したとしても
ぎこちないです。
こうした能力にハンディーキャップがあるのでしょうね。

そのように自閉症の子たちは、ターンテイキングはほとんどしないけれど、
環境や物からアフォーダンスは理解している……

つまり、環境とか物に潜む客観的な構造としての「意味」は
ちゃんとピックアップして利用する力を持っているんだな
と気づくことが多々あります。

人と人として、私と自閉症の子が直接、教え教えられの
関係を作ろうとすると難しい場合でも、
自閉症の子が環境や物のアフォーダンスを理解する姿から、
それを私が利用して
自閉症の子に教えたいものを理解しやすい形に変化させることが可能です。

場合によっては、私自身が、体を使って、
意味を含んだ客観的な構造を示すことができるようになります。

たとえば、自閉症の子が、くぼみのある器の形に、
何かを注ぎ込むという行為の可能性を見出すことができるのなら、
私が手でおわんの形を作れば、
そこでひとつのコミュニケーションが成立するかもしれないのです。
また、近づくと後ろに下がる、押すと倒れるといった
物に潜在する構造をピックアップできているようなら、
人の私がそうした動きを再現することで、
コミュニケーションが成り立ってくる場合があるのです。

自閉症の子が、筒の形から、一方に口を当てて、
「フウッと息を吹き込む行為ができる」という可能性をピックアップできているとすると、
私が、「筒状のものに口を当てて、息を吹き込んで、何かを移動させる」といったお手本を見せて、それに注目するということができる可能性は高いし、

もしそれが可能なら、そうした「本人が構造からわかっていることで見本を見せる」ことを繰り返して、

「一般的な学習課題の手本を見せるときに注目する」という
学習の型を身に付けさせることも可能です。

こうした話題は、「何が言いたいのかさっぱりわからない」と感じた方
がいらっしゃるかもしれません。
次回は、もう少し具体的に、
一般的な幼児とアフォーダンスやターンテイキングとの関係について書きますね。

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ひとりひとりの子にとって一番大事な働きかけ 11

2011-05-27 13:50:23 | 子どもの個性と学習タイプ

小学生の頃、学校で角度についての授業で、
「三角定規2枚(直角三角形と直角二等辺三角形)を使ってどんな角が作れるか」という学習をしたことがあります。

先生の示した答えは、

30度+45度=75度  30度+90度=120度  
60度+45度=105度  60度+90度=150度 
 90度+90度=180度 

の5つでした。

それから先生は、「三角定規2枚では、30度より小さな角度は測れません。
180度より大きな角度も測れません。」と説明しました。
その日の宿題は、この授業の復習で、
三角定規2枚で作れる角を
分度器で測りながら書き出してくることと、
100マス計算でした。

私は内向的直観の感情寄りの子どもで、
思考がしっかり働くわけではないのだけど、
直観で「ひらめく」ということに
関しては、
「瞬きする間に新しいことを思いついている」というほど、
次から次へとひらめいていました。
それで、この宿題をする際も、先生が「この5つの角度しか測れません」と説明したのも、
「三角定規2枚では、30度より小さな角度は測れません。
180度より大きな角度も測れません。」と説明したのも
覚えていたにも関わらず、
何とかそれ以外の角を測れないかと試行錯誤しはじめました。

その時点で、宿題の意図からはずれているのですが、
そうこうするうちに、
いろいろとひらめきました。
三角定規2枚を重ねてはみ出した部分の交差点に点を打てば、
15度を作ることができます。
これは、先生の「30度より小さな角度は測れません」という説明の反証になります。

また三角定規をコンパスのように利用して、
ひとつの角を中心点として、別に角にえんぴつを固定して、
円を描いて、別の地点から同じ作業をすれば、
交差する点と、中心点の代わりにしていた点を結ぶと、
さまざまな角度が作り出せます。

また、三角定規は2枚のルールがあったとしても、三角定規の型をえんぴつでなぞって紙の三角定規もどきをたくさん作れば、
180度より大きな角を作ることが可能です。

そんな風に、「とんでも」な方法を湯水のごとく思いついたあげく、
宿題では大きな×をもらいました。

母は感情が優れているタイプで、私の試行錯誤は母にとって「ノイズ」でしかありませんでしたし、
「そんなことを長いことやっていないで、100マス計算のタイムを、もう少し縮めてくれたらどんなによいか」と考えているようでした。

それでも、子ども時代の私には、そんな私の個性をそのままに受け止めてくれる大人が、図書館や友だちの家や学校にちらほらいました。
また、自然やゆったり過ぎていく時間は、
学校で求められることだけでなく、私らしさを育てる場所や時間を
与えてくれていました。
そうやって大人になった今、
小学生の私が発信する三角定規をいじくりまわしながら「これ、面白い!」と感じていた気持ちを、今の自分がしっかり受けとめて、
思わず吹き出してもいます。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
先日、教室の親御さんから、
最近の虹色教室通信の記事を読んだ感想をいただきました。

その方は、小学生と幼稚園の子のお母さんですが、
自分の子たちが、
「お母さん、大好き!」心の底から溢れるように表現してくれるのに対して、
「私はたいしたことをしてあげているわけではないし、子どもを褒めるのも
あまり上手じゃないのに、どうしてこの子たちは私のことがこんなにも好きなのかな?」と考えていたそうなのです。
その疑問の答えが、「ノイズ」について扱った
今回の一連の記事を読んでわかったそうなのです。

その親御さんは、それぞれの子の個性をユニークで魅力的なものとして
受け止めていて、
ネガティブに見えるものも全て、その子のあるがままの姿として
愛情を込めて眺めておられるのです。
一時期、幼稚園で困ったちゃんの一面が出て、周囲から指摘を受けていたときも、親御さんは問題にはきちんと対処するけれど、
そのどれも「ノイズ」としては捉えませんでした。

「子どもを育てていれば、いろんなことがあるし、
それを乗り越えて子どもは成長する」と大らかに構えていたのです。
欠点も含むあるがままのわが子が魅力的ならば、将来についての心配はありません。
子どもたちも、そうして自分の全てを信じてもらい、
認めてもらっていることをよくわかっていて、
お母さんのことが好きでたまらなくて、
同時に自分自身が大好きなのです。
知力も才能もどんどん伸びています。
ですから、勉強にも遊びにも創作活動にもスポーツにも、
いつも全力投球でがんばれるし、自由に自分の思いを表現し、
幸せいっぱいの笑顔を浮かべて生活しているのです。

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