虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

ややこしい9、10歳の子 と 9歳の壁 2

2013-06-30 17:59:16 | 初めてお越しの方

高学年になると、言うこともそれなりに論理的になってきますし、

衝動的に言葉を口にするより、自分の内面で会話することが増えてきます。

 でも、その少し手前の9、10歳の子たちは、

明らかに、それまでの言われたことをそのまま鵜呑みにするような考え方を

卒業しつつあるものの、

たいてい、外に向かって自分の考えを伝えられるほどの力はないし、

第一、自分が練っている考えが何なのか、自分でもよくわかっていないものです。

 

それでも、「それは、ちょっとちがう」と感じたり、もやもやと思いをくすぶらせたり、

「きっと、こうだ、絶対、こうだ」とひらめいたり、

「何はともあれ、何か言いたい」「自分の中にあるものを、言葉にして吐きだしたい」

という思いに捉われやすい時のようです。

 

それを、「うるさい!」「黙って、やりなさい」「そんなのおかしい」と一喝するのは簡単です。

でも、もし、身近な大人が、そうした言葉の中に含まれるその子の世界に真摯に耳を傾けるなら、

きっと、考えるという行為自体を大切に扱う姿勢が育ってくるのではないか、と思っています。

 

少し前にお聞きしたことなので、記憶があいまいなので、記憶違いがあるかもしれませんが、

ちょうどこの年代の知人のお子さんが、ある時、

学校の宿題をしながら、こんなことをつぶやいたそうです。

 

「こういうのじゃなくて、もうちょっと難しい勉強がしてみたい」と。

 

それを聞いた知人は、思考力を必要とする問題の載っている問題集を見せました。

すると、その子は、「こういうのじゃなくて、もうちょっと難しいのが……」と言ったそうです。

 

「それなら……」とお父さんが中学入試の問題を教えてあげようとしたのですが、

それに対してもその子は、「こういうのじゃなくて、もうちょっと難しい勉強が……」と

言ったもんですから、

「いくら何でも、今の勉強も完璧じゃないのに……!」とお説教モードに移っていきそうなところを、

「それなら……」と、知人が高校だったか、大学だったかに使っていた本を出してきて

あげたそうです。

 

すると、その子は、それをじっくり読んで、満足したそうです。

それからずっと、その子は、とてもまじめに自分の課題をこなしているようです。

 

その子が、「もうちょと難しいの……」と言った理由は、

勉強を舐めてかかってそういったわけでも、

あれこれ難癖つけて勉強をさぼろうとしたわけでもなくて、

ただ、今、学んでいる勉強の先の先に何があるのか、その先から全体を見渡してみたら

どんな風に感じるのか、強い好奇心に駆られたからのようなのです。

 

また、まだはっきりと言葉で表現することはできないけれど、その子が時折、漏らす疑問や言葉からは、

生きることと死ぬこと、宇宙の不思議についても、自分の中で

いろいろなことに考えをめぐらせていたようです。

 

おそらく思春期を前にして、自分で世界や自分が生きていることについて考え始める

入口に立ったんだな、と感じました。

 

そういえば、うちの子も11歳くらいの時に(11歳の孤独 という詩に書きました)

それまで長い間、考え続けた様子で、

「宇宙はアメーーバーみたいなものかな、お母さん……

だってアメーバーはひとつがたくさんに増えていく。

宇宙は膨張していくでしょ」と自分自身に問いかけるような口調でつぶやいたことがあります。

きっと、9歳とか10歳の頃から、自分の中でこの疑問の答えを探り続けてきたんじゃないか

と思われました。

 

大人が全てを知っている存在でも、何にでも答えを与えてくれる存在でもないことに

気づきだして、

抽象的な思考の世界に入っていこうとする子の姿は

純粋でもろくて、ばからしくて大人には見えにくいものですね。

 

知人のお子さんにしても、その子の中にはさまざまな思いが渦巻いているはずなんですが、

たいていの大人の目には、やらされていることに難癖をつけているか、舐めてかかっているようにしか

映らないのでしょうから。

知人は、「今、自分がやることをきちんとして、全部できるようになってから、

もっと難しい問題をって言いなさい」と大人の考えでしつけることもできたし、

「今の年齢のレベルも難しいのは解けないのよ」とか「中学入試の問題は難しいわよ。もっと勉強しないとできないわよ」

とはっぱをかけることもできたし、

「生意気なことを言って、まだこんなこともできないでしょ」と辱めることもできたのです。

でも、そうしないで、

その子の気持ちに添って、対応しました。

すると、その子は、納得もしたし、親の自分への信頼感も感じたでしょうし、今、自分がするべきことを受け入れたのでしょう。

おそらくその出来事に励まされもしたはずです。

 

 

 


日帰りレッスンに申し込んだのに抽選から漏れてしまったという方に

2013-06-30 14:07:07 | 生徒募集 イベント参加募集

日帰りレッスンを申し込んだけど抽選から漏れてしまったという方で、

もしキャンセル等で空きが出たら参加したいという方がいらっしゃったら

この記事の下のコメント欄に、ハンドルネーム、子どもの名前と年齢、メールアドレスを書いてください。

来ていただけそうな日時に空きができたら、メールでご連絡します。

 


とっても意外だった「今日、やりたいこと!」

2013-06-29 16:36:50 | 算数

ボードゲームとカードゲームが大好きな

算数クラブの男の子たち。

いつもなら自由に何をやりたいか決めていい時間は

ゲーム三昧しているところ、

今日は、全員が、「うーん、何をしようかな?」と考えこんでいました。

 

「いつもゲームばかりしているでしょ?

今日は、工作してみたらどう?

昨日、来ていた小4の子は、電子工作をしていたわよ。」と言いながら、

電子工作のキットを見せて、

「こういうの作ってもいいし、段ボールや木にネジを取りつけて、

自由に工作するのもいいわよ。それか、実験をするのはどう?尿素の結晶作りとか?」とたずねました。

 

男の子たちは顔を見合わせて、「うーん、それもいいけどさ……」と歯切れの悪い返事をしていました。

それから、もじもじしながら壁に貼ってある女の子たちが描いたマンガの絵を指さして、

「こういうのできる?」と聞きました。

「マンガが描きたいの?」

「うん」「うん」「うん」と全員がこっくりします。

 

そこで、後は表紙にタイトルと絵を入れるだけ……というところまで

仕上がっている教室のマンガ雑誌を見せました。付録付きです♪

ユースホステルで回し読みする予定。

 

それを見て、俄然やる気を出した男の子たち。

「紙とえんぴつと物差しちょうだい!」と言うと、さっさと作業に入りました。

「おれたちもさ、自分んたちだけの雑誌つくろうよ」などと相談しています。

でんち゛ゃらすじーさん好きの男の子たちがマンガを描くにあたって、

下品なネタはここまでの路線はOKだけど、これはだめ……といった話をしていたら、

「ウ○○はだめ?じゃぁ、おっ○○は?」と上機嫌で騒いでいましたが、

最終的によだれを垂らしているカービィーを描いて、

「これは絶対、女子に見せたらいけないよな。女子はよだれとか出てきたら

絶対、絶対、絶対、ビリビリに破くから。」と言って盛り上がっていました。

付録用にパズルも作っていました。

大急ぎでマンガを描いた男の子たちは、世界一周ゲームに興じていました。

このグループの子たちは、小1~4年生と学年が異なるので

算数タイムに異なる課題と同じ課題の二種類をしました。

異なる課題は、それぞれの学年に添った最レベの問題(4年生の子は5年生用のワーク)で、

同じ課題は、サピックスの小3、4年用の問題集の重さについて考える問題。

思考力を問う問題なので、何年生の子でもじっくり考えたら

解いていけるものです。

マンガ作りの時間もとても楽しいものでしたが、

算数の学習時間もどの子にとってもワクワクする充実感のある時間になったようです。

 

 

 


「自閉症の子に実年齢より幼い子向けのおもちゃで遊ばせ続けてよいものでしょうか?」という質問

2013-06-28 15:46:39 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

前回の続きは明日か明後日にでも書きますね。


自閉っ子 と就学の準備 3

の記事にこんなコメントをいただきました。

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緊張したりおもちゃで遊べない息子に体験不足とよく耳にします。療育や学校では実年齢や経験を意識し、知育的なもの、すごろく、トランプ、ボーリングなどしていますが、楽しそうな表情もなく自分から家でやりたいとも言いません。実年齢にあっていない音が鳴る赤ちゃん用のおもちゃやブランコでも楽しい面白いと思う物で遊ばせ続けてよいものでしょうか?

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実年齢より幼い子向けのおもちゃで遊ばせ続けてよいものでしょうか?という質問については、

ずっとそれだけではよくないと考えています。

でも、子どもの年齢とかけ離れた赤ちゃん用のおもちゃであっても、

わざわざ購入までする必要はないでしょうが、

どこかでそうしたおもちゃに触れる機会があって、とても楽しそうに遊んでいたとしたら、

そうしたおもちゃで遊ぶ子どもの姿をよく観察することが、その子の遊びを広げるきっかけにもなると

思っています。

 

虹色教室でも遊びの体験が少ない子や自閉っ子が

赤ちゃん向けのおもちゃで遊びたがることはよくあります。

好奇心や手持ちぶたさから、ごく一般的な小学生の子たちが

赤ちゃん向けのおもちゃを一通り触りたがることもあります。

ひもを引っ張ると乗り物の絵と音が出るおもちゃ、ボタンを押すと動物などがピョコンと飛び出すおもちゃ、

ハンドルを回すとボールがひっくり返って落ちていく

おもちゃ、ボールを落とすと坂を転がっていくおもちゃなどです。

 

「赤ちゃんが遊ぶものだから、遊んだ後は

ウェットティッシュで拭いておいてね」とか、

冗談で、「赤ちゃんのおもちゃで遊ぶことは禁止です!小学生の方々は、赤ちゃんのおもちゃで遊ばないでください~!」

と言うことはありますが、

熱心に遊んでいるようなら、ある程度満足するまで触らせてあげます。

 

特に体験不足が気になったり、遊びの幅が狭い子の場合、興味を抱いて遊べるのなら、

それが赤ちゃん向けのおもちゃであろうと、おもちゃとはいえないようなものだろうと、

それを足がかりにして、他の興味関心に広がっていくように

サポートしています。

 

たとえば、玉転がしの赤ちゃん向けのおもちゃで

遊ぶようなら、それと同じような仕組みをブロックやクーゲルバーンや紙で作るようにして、

物を作ったり、組み立てたりする遊びに親しめるようにしています。

段ボールに穴を開けて、紙コップで玉を受けるだけでも

子どもは喜びます。遊びそのものは

赤ちゃん用のおもちゃと同じでも、さまざまな素材で作って遊ぶことで、

自分から作るようになるきっかけになります。

 

ブランコなども、もしもブランコが大好きなら、

「公園にあるブランブラン~って遊ぶ遊具なあに?」といったなぞなぞを出したり、

「今日は10回こごうか?20回こごうか?」と数に親しませることもできます。

 

ただ、自閉症の子の遊びを広げていくには、遊びの内容だけを広げようとしても

上手くいかないように感じています。

 

こちらがその子のこだわりのルールを多少破っても、それを許容して、面白がってくれるような

信頼関係を築いていくことが

必要だと感じているのです。

こちらのすることを模倣したい、という思いを育むことも大切です。

 

こちらが自閉症の子の行動を模倣しながら、

その子の瞬間瞬間の気持ちを受け止めていくことが

信頼関係を作っていく上でとても役立つ時があります。

また、自閉症の子がしつこく繰り返す行動のひとつひとつに

本人が喜びそうなリアクションを付けて返すのもいいかもしれません。

リアクションといっても派手なものではなく、どちらかというと静かで同じ繰り返しの多い

反応を返す方が喜ぶように思います。

 

コミュニケーションをとるのがとても難しい自閉症の子と

親しくなったきっかけは意外なものがほとんどです。

 

たとえば、こんな出来事があります。

ある子は机の上から物を繰り返し落としていました。

その子が落とすたびに、わたしはそれを大事そうに拾って、そうっと机にもどして、

「大事、大事」と小さな声で言いました。

何度も何度も、その子がそれをする度にそうしていたら、

その子の興味は、落とすことから、わたしの言動へと移っていきました。

 

遊びを広げていく前に、お互いの信頼関係を築いていく過程について

書いた過去記事がありますので、紹介します。

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初めて会った4歳当時は、★くんはトランポリンで跳ぶとか、マット上でごろごろ転がるといった関わりさえ

いっしょにするのは難しいような印象でした。

最初は積み木をぐちゃぐちゃと散らかすだけだった★くんが、

私が縦に並べていった積み木に、★くんも積み木を並べた……というだけで、

「こんなことができるのかー!それなら、他のこともいっしょに楽しめるかも」とそれだけで感激した記憶があります。

 

5歳頃の★くんは、テーブルと電車のおもちゃの隙間をいつまでも見ていたり、ひとりごとを言いながら跳びはねていることが多く、

やはり関わることに難しさを抱えていました。

 

今、目の前にいる7歳の★くんは、いきいきとして表情豊かで、

知力も目覚ましく伸びています。

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★くんと、長いボールコースターを作って遊びました。

この遊びの最中、★くんはこれまで見たことがないほどのはしゃぎっぷりで、

ピンポン玉サイズのボールが筒に入った瞬間、その地点で数回回転することが

うれしくてたまらないようでした。

「見て!ねっ!見てよ。ねこのボールがくるくるってまわるん?トンネルで。

ねぇねぇ、ピタゴラスイッチかくめい~くるくるビーダマ~♪」と途中までは私の方を見て、

途中からはひとりで歌うように言いました。

私も真似て、「ピタゴラスイッチかくめい~くるくるビーダマ」とふしを付けて言うと、

「それ、ぼくが作ったんだよ。名前!」と返ってきました。

「★くんが作ったのね。くるくるまわるもんね。くるくるっとね」と返すと、

「どう?これねぇ、くるくるってまわるんだよ。すごく。今から、ここから転がすからね」と★くんは

満面の笑みを浮かべて、ボールをスタートさせました。

このボールコースターで遊ぶ間中、★くんは私のまなざしの先や表情を見て、

ちゃんとボールを見ているのか、自分と同じように喜んでいるのか確かめるような様子でした。

また、心から打ち解けて、満面の笑みを浮かべていました。

どうも、このボールコースターを作る前の

クーゲルバーンで遊んでいた時から、私が急速に楽しい遊び相手と感じられるように

なったようなのです。

気にいった理由は、

★くんのお母さんが外に席をはずしてくださっていたこともあって、

私はわざと★くんの遊び方に合わせて、荒っぽい口調で「バーン!」とか「ドカーン」とか、「もうっ!★くん、やめてやめて!グラグラ

ドッカーンってこわれちゃうよ。あ~あ、こわれた~ハハハハ~(大爆笑)」と言ったりして、

★くんのはちゃめちゃな遊びっぷりと同調して遊んでいたからのようです。

 

★くんは、おなかがよじれるほど笑い転げてました。

その後★くんは私の一挙一動に好奇心いっぱいのまなざしを向けながら

目と目が合うと、いたずらっぽく笑いかけてきたのです。

その後、長いボールコースターを作ってからは、★くんの方から積極的に私に話かけては、私の返事を聞いて、

それに返事を返す……という会話の中身は同じようなことの繰り返しなのですが、

心と心でずっと長い間、キャッチボールをし続けることができたのです。

こんなに楽しく★くんと遊んだのは初めてでした。

 

 

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ややこしい9、10歳の子 と 9歳の壁 1

2013-06-28 10:17:36 | 教育論 読者の方からのQ&A

4年生の子をお持ちの知人が、近い学年の子を育てている数人の幼馴染と雑談していた時のこと。

勉強の話になると、みな一様に、

「この頃、ややこしいことばっかり言って、先に進まないのよね。

あーだこーだ言ってないで、早く勉強やっちゃいなさいっていうの!」と

9歳を超えて、もうじき高学年を足を突っ込もうかという年代の子たちの

減らず口っぷりへの不満であふれかえっていたそうです。

 

3年生までは、黙々と計算ドリルをこなしていた子たちが、

「割り算の筆算って、どうしてこんな変な形なの?」とか、

「何で、1㎝は10㎜なのに、1mは100㎝なの?

1時間が60分ってのもおかしいし!」などと、どうでもいいような質問をくり返しては

勉強を脱線するものだから、

10分ドリルに30分も1時間もかかるらしい。

 

「大きくなるにつれて反抗的になって困っちゃう」

「どうして何も言わずにさっさとできないのかしら?」

「悪知恵ばっかりついて……」と笑いながら愚痴るお母さんたちの言葉を耳にしながら、

教育関連の仕事をしている知人は、その年代の子のややこしさを別の視点から

捉えていたようでした。

 

「この年代の子たちって、それまで意味について考えずに

取り組めていたものにも、どうして?という疑問を抱くように

なるんですよね。

時間の無駄のようにも感じても、そこで、そうした疑問に、

面白いね、ほんと、どうしてだろう?って親もいっしょになって

考えをめぐらせるのと、

つまらないことばっかり言って怠けていないで早くやっちゃいなさいと一喝するのとで、

その後、その子が算数や数学が好きで得意になっていくかの

分かれ目になっていくと思うんですよ。

9歳の壁って、そういう面でのできるかできないかの分かれ道でもあるのかも」

といったことをおっしゃいました。

 

「そういえば、そうだな~」と共感しました。

抽象的な思考の入り口に立とうとする子らの言葉は、

どうでもいい御託を並べて、物事を混ぜ返して中断しているようにしか見えないものです。

 

でもそうした思考の種を拾い上げて、ていねいに良い土壌に埋めて、水や肥料を与えるか、

ただの種だからとゴミ扱いするか、

それは子どもの勉強との関わり方を大きく左右するものだと

思われました。

 

子どもの思考の種を大切に扱うためには、

近視眼的な成果を見過ぎないことが大事なのかな、とも感じ、

先週のレッスンでのこんな出来事を思い出しました。

 

ひとつひとつできることが増えていく喜び

という年長さんと1年生の子らのレッスンでの出来事です。

「サーカスの舞台を作りたい」という子らのために

ネットで検索したサーカスの画像のひとつに

下の写真のような二等辺三角形の旗が吊下がっている写真がありました。

これは、子どもたちの心を引きつけて、「作ってみたい」という子が数人いました。

 

 

そこで、折り紙を用意して、「どうしたらこんな旗がたくさんできるのか」という

話し合いをしました。

年長さんと1年生の子とはいえ、工作に慣れているので、二等辺三角形を作ることには

長けています。

いくつか折り紙を重ねて、

半分に折れば、たくさん二等辺三角形ができることを承知していました。

切った後で、上の写真のような二等辺三角形と直角三角形に分かれた時に、

「できるだけ折り紙を無駄遣いしたくない」

「二等辺三角形を切った残りの直角三角形から

二等辺三角形は作れないだろうか?」と考えた時に、

「答えがわからないから徒労に終わるかもしれないけれど、うまく二等辺三角形が作れたら

折り紙を有効利用できるし、面白いなぁ」という課題が生じました。

「サーカスを作る」という目的のもとでは、

その一部である旗の切り方に試行錯誤するなんて

時間の無駄でしかありません。

いろいろやったあげく、ひとつもいい考えが浮かばない可能性だってあります。

それでも、それぞれの子が、「こうしたらどうかな?」「わかった!できるよきっと!」と

そこに関心を集中させて、いろいろなアイデアを出していると、

折り紙としてはあたり前の、「折ると、三角形ができました」というような

上の写真のようなアイデアでも、子どもの理解の度合いによっては、

二等辺三角形とは何なのか、補助線を引く時にどこに注目すればいいのか……といったことが

見えてくるような体験となるのです。

そうやって小さい二等辺三角形を切りとると、そのあまりは二等辺三角形になります。

図形の性質に気づく瞬間ですね。

 

次回に続きます。

 


お友だちと関わりながら成長していく心

2013-06-27 13:52:06 | 幼児教育の基本

 

4歳4ヶ月の☆ちゃんと3歳8ヶ月の○ちゃんのレッスンの様子です。

○ちゃんは言葉の発音が少し不明瞭なためコミュニケーションが取りづらいこともあって、

自分からお友だちに関わって行くことがあまりありません。

 

そこで、☆ちゃんと○ちゃんのお母さんに30分ほど席をはずしていただいて、

わたしと☆ちゃん○ちゃんの3人だけで過ごすことにしました。

 

 

☆ちゃんはブロックで作ったプールの近くに脱衣所を設置し、

○ちゃんは列車にたくさんの動物を乗せてプールに向かう設定で遊んでいました。

 

 

 

みどりのトンネルの下にはビニールひもの水が垂れさがっていて、

電車が通るとシャワーが浴びられるようになっています。

 

お母さんたちがいなくなった後、☆ちゃんはプールの中に入れていたキラキラグッズの中から

ガラスの靴だけを取り出して、「先生、靴屋さんがしたい」と言って、ブロックの板をお店にして、

靴を並べ出しました。

「○ちゃん。☆ちゃんね、靴屋さんをするんだって。

○ちゃんは、何屋さんがいい?」とたずねると、

きょとんとしていた○ちゃんが、「バナナ屋さん」と答えました。

「○ちゃん。バナナは教室のおもちゃにないから、折り紙で作ろうか?」とたずねると、

横から☆ちゃんが、「わたしも折り紙で靴が作りたい」と言いました。

 

折り紙を取ってきて、さぁ、作りましょう、という段になって、○ちゃんのバナナ屋さんは思いつきで言ったものらしく、

ポストをブロックの板につけるのに熱中していました。

そこで、折り紙で作るのは「お手紙」に変更。

靴を作りたがっていた☆ちゃんは、材料入れの中のビーズやスパンコールに目を奪われて、

「☆ちゃんね、アクセサリー屋さんがしたい。アクセサリーを作りたい。アクセサリーってね、指輪とかネックレスとか

そういうもの。」と言いました。

すると、☆ちゃんが、

「先生、アクセサリーは、○ちゃんのと☆ちゃんのと

ふたつ作れるようにして!」と言いました。

☆ちゃん、○ちゃんと会うのは今日が初めてなのに、

○ちゃんの分も気にかけています。

ブランコを取りつける際も、☆ちゃんが、「先生、わたしね、ブランコが作りたいの。

ブランコね、○ちゃんのと☆ちゃんのとふたつ作るようにして」とお願いしていました。

 

実は☆ちゃんは、少し緊張が強い内向的な性質の子なので、数ヶ月前までは

お母さんと離れてお友だちとだけで過ごすことは、とても難しかったのです。

 

でも、お友だちの輪に入っていったり、自分からお友だちに働きかけたりする時の

不安な気持ちがわかっているためか、

お友だちと上手に遊べるようになった今は、

自分の世界からなかなか踏み出せないでとまどっているお友だちを見ると、

お母さんにそうしつけらているわけでもないのに、

「~ちゃんのと☆ちゃんのとふたつちょうだい」「~ちゃんのと☆ちゃんのと、ふたつある?」と

お友だちの分も気遣って、

まだ遊び慣れていないお友だちが、☆ちゃんの作った場を壊してしまっても、

大らかに見守りながら、ごっこ遊びを展開していました。

 

なかなか母子分離ができなくて泣くことが多かった時期にも

それを叱ったり突っぱねたりするのではなく、

気持ちを受け止め、感情を大切に扱ってきたからこそ

繊細な性質が、気弱さや神経質さではなく

愛情の細やかさや気づく力、お友だちとの関係を積極的に作って行く力へとつながってきたのだと

思います。

 

 

初め、お店屋さんに買い物に行くことにピンとこなかった○ちゃんに

☆ちゃんがショッピングカートを差し出して、

「これで靴をお買いものできるよ」と言いました。

すると、○ちゃんの顔に満面の笑みが広がって

お買いものごっこが続き、しまいには、自分もお店を作って

商品を並べていました。

 

そうして☆ちゃんと○ちゃんはすっかり仲良しに。

○ちゃんはお友だちとの関わりにずいぶん自信がついてきたようです。

 

国立民族学博物館への遠足が楽しくてたまらなかったという☆ちゃん。

お家に帰ってからも、布を巻きつけて

民族衣装をまとうふりをしてよく遊んでいるようです。

 

はぎれにテープでリボン等を貼って、

巻く形の洋服作りをすることにしました。

こんなに素敵な服ができました♪

 

算数タイムには、時系列に絵を並べて説明するゲームや

パネリンピックゲームをして遊びました。

 


「この頃、動くしかけに興味しんしん!」という4歳前後の子たちとする工作

2013-06-26 17:22:25 | 工作 ワークショップ

「この頃、ペダルを押すと開くゴミ箱とか、

ボタンを押すと飛び出すおもちゃなど、

動くしかけにとても興味があるようです」という4歳0ヶ月の★くん、3歳11ヶ月の●くんの

レッスンの様子です。

 

「今日、何がやってみたい?」とたずねると、「ねんど、ねんど」と口をそろえて

言う★くん、●くん。

網目の型にねんどを押しつけて

めろんぱんを作ったり、だんごを作ったりして

熱心に遊んでいました。

ちょっと飽きてきたところで、「お金を入れると、ねんどのおもちゃが

がちゃんって出てくるガチャポンを作る?」とたずねると、

「作る!」と大乗り気でした。

ガチャポンの作り方は、4歳前後の子でもできる

ようにシンプルにしました。

<作り方>

写真のようにお菓子の箱の上の部分を切りとります。

 

画用紙を丸めてセロテープで止めてから

真ん中をくりぬきます。

 

上からねんどを投入し、レバーである画用紙を回転させると、

取り出し口からねんどが出てきます。

 

取りだし口は、大人がカッターで切ってあげるか、

本人が、えんぴつで穴を開けてからはさみで周囲を切り抜くかして

作ってくださいね。

 

ふたりとも、この仕掛けに大喜び。

 

そこで、ふたりが持ってきたおやつの袋を使って

こんな仕掛けを作ってあげました。

ビスコの袋の上の方にはさみで2か所切り込みを入れます。

ひもを貼りつけて

絵を描いた厚紙をビスコの袋に入れて、

切り込みからひもを引き出します。

最初は、袋の中に入っているビスケット人形が、

ひもを引っ張ると飛び出します。

カントリーマームでも♪

ゴムを使って、押すと飛び出して元にもどる

ピンポンボタンを作りました。↓

輪ゴムを使って、物が飛び出す仕組みに興味があるようだったので、

ブロックにゴムをかけて、車をスタートさせる道具を作りました。

●くんの要望で、電車がゴムで飛び出す仕組みも作りました。

(これは、「こんな風にしたい」という●くんの声を聞きながら、わたしが作っていきました。)

写真は算数タイムの様子です。

 

 


自閉っ子 と 就学の準備 (新しく出てきた課題の克服) 3

2013-06-26 13:50:23 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

前回までの記事の補足として、

人や周囲の出来事への関心が極端に薄い子の

「体験不足を補う」

ことについて書いてみようと思います。

 

体験が不足と聞くと、いろいろなところに連れて行けばいいのか、

スポーツや音楽などの習い事をさせたらいいのか、

もっと同年代の子と遊ばせたらいいのか、と迷いますよね。

 

わたしは何か特別なことをさせることより、

それまで通りの生活の中の1シーン1シーンを

身近な大人が少しだけ意識して

その子の心と身体に働きかけていくものに変えていくことが

大切だと思っています。

 

たとえば、この日の工作で、●くんにとって重要だったのは、

「いろいろある材料の中から気に入ったものを選ぶ」ということでした。

●くんは、「選ぶことは楽しい!」という経験を

あまりしたことがないようでした。

 

何かひとつのものが気に入って、「見つけた!」と思い、

「これ、ちょうだい」という体験。

 

「これが好き」「これが欲しい」という思いを大事に育んでもらっていると、

次には、「それで遊ぶ」「じっくり遊ぶ」「ひとつのものに愛着を持つ」という段階に移っていきますし、

そこから人との関わりも生まれてきます。

 

●くんのお母さんは、●くんの発達の遅れを気にするあまり、

これまで何かが上手にできるようになるためのアプローチに

ばかり励んできたそうです。

そうしたお母さんの努力は、●くんの

人や物や環境への無関心さを加速させてしまったようではありました。

 

今は、何かを訓練したり、上手に人と関わることを求めたりするよりも、

「どれにしようかな?ぼくはこれがいい。これが好き」と自分で選んで手にできるような

場面をたくさん作ってあげる必要があるのかもしれません。

おでかけの際に、好きながちゃぽんをひとつ選ばせてあげることや、

朝食用のジャムやふりかけを本人の好きな味やデザインでいくつかそろえてあげて、

選ぶ際のやりとりを親子で楽しむようにする

程度のことでも、子どもは変化していきます。

●くんは、ボタンをポンポン押すと、人形がトンカチで相手の人形をポカポカするゲームで

☆くんと遊んだのがうれしくてたまらないようでした。

自分の殻に閉じこもり気味だった☆くんが、「いっしょ、遊べたよ。いっしょ。遊ぶのできた~!」と

お母さんに大きな声で報告していました。

 

そのはしゃいだ様子からは、

●くん自身、お友だちと上手に遊べないことを苦しく思っていて、いっしょに遊んでいる姿を見せて

お母さんを喜ばせてあげたいと思っているのがうかがわれました。

 

●くんの場合、ただ、子どもの輪の中に「遊びなさい」と放り込むのではなく、

このトンカチのゲームのように

●くんの今の力でお友だちと遊べそうなものをいくつか用意して、

短い時間でもいいので遊びが成り立つようにサポートしてあげながら、

「これなら遊べる」という自信をつけていってあげる必要を感じました。

 

 

 

できるようになることに注目するのではなく、

体験の中で「楽しい」「うれしい」「面白い」と感じる感性が育まれているか

配慮しています。

 

自閉っ子 と 就学の準備 (新しく出てきた課題の克服) 2

2013-06-25 20:15:50 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

娘と難波でショッピング。ミツヤで食べたかき氷がおいしかったです♪


自閉っ子と就学の準備 1 の続きです。

☆くんがつまずいていた「10の合成」というのは、

写真のような10のくぼみのある入れ物に

7、8つ赤い実を入れて、「あといくつで10になるのかな?」と

問う問題です。

また、指で6や8を作って

「あといくつで10になるのかな?」といった問題をしました。

 

☆くんは語彙が豊かで、自分でいろいろなことを考える知恵の

ある子です。

でも、相手の言っていることを理解しようという意欲が乏しい上に

言葉を自己流に誤って解釈していることがよくあります。

特に物と物の関係を表す言葉は、混乱しがちです。

見えないものをイメージする言葉も苦手です。

 

「あといくつで……」と問われても、「いくつ足すと……」とたずねられても、

そこにある物の数を数えて答えていました。

「8にいくつ足すと10になるかな?」といった問いに対して、

「8」と答えてしまうのです。

 

☆くんはまだ年長さんなので、今、それができる必要は

ないのでしょう。

でも、言葉で言われていることが、具体物のどのような操作にあたるのかや、

どの部分について問われているのか、がわかるようにしておくことは

大切ですよね。

また、シングルフォーカスに陥った時、そこから抜け出すための練習を積んでおく

ことも。

 

☆くんが間違いをくり返す時は、頑なで攻撃的な態度になって、

どんな言い方で説明しても、

「絶対、こうだ」と言い張ります。そうした姿からは、それを理解する段階に達していないようにも

見えます。

が、実際は、気持ちが落ち着いている時に、1対1で、☆くんの心がほぐれるような話をしながら

説明すると、きちんと理解できるし、次からはできるようになっています。

 

自閉っ子に教える時は、その子がどんな場面でどんな状態の時に、どんな言葉や言い方で説明すると

理解するのかを把握しておくことが

重要だと思っています。

集団の場では、どうしてもできなかったことも、

別のアプローチで教えれば、できるようになることも多いからです。

 

☆くんは、「くりあがりのある計算」も

写真の教具で学習しました。

目だけで、物を移動させた結果をイメージできるようになることが課題です。

きちんとできるようになりました。

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☆くんといっしょにレッスンを受けていた年中さんの●くん。

まだ虹色教室に通い始めたばかりです。

 

これまでの体験量の少なさのためか

人や周囲の出来事に関心が極端に薄く、

他の子やわたしがしていることに視線を向けることもなく

ひとり遊びにふけっています。

 

といっても、遊びといえるほど持続して何かするわけではなく

ポンポン叩くだけ、転がすだけ……といったベビー向けのおもちゃで遊ぶことにも

難しいようでもあります。

 

ひとつひとつの体験を「楽しいな」という気持ちを味わいながら

積み重ねていくこと、

実際にやってみることで言葉の意味を理解すること、

人や周囲の出来事への関心を高めること、

できる遊びのレパートリーを増やすことを、

今の課題にしています。

今回のレッスンでは、工作をする☆くんのお手伝いをしたり、

自分もビー玉転がしのおもちゃを作ったり、☆くんトンカチゲームをして遊んだりしました。

 

次回に続きます。

 


 

 


子の夢 親の夢 子の人生 親の人生

2013-06-24 23:08:18 | 番外(自分 家族 幼少期のことなど)

(過去記事です)

わが子が幼い頃や小学生時代、いっしょに交わす会話が面白くてよく記録に取ったものでした。
それが子どもが成長するにつれ、学校、通学、趣味、友だちとのつきあい、バイト……と親より慌ただしい生活をするようになって、
顔を合わせて話をする時間が激減していました。

それが、受験生になった息子が学校が休みの日も 遊びに行かずに家で勉強するようになって、勉強に疲れると気分転換に家族としゃべる機会が増えて……。

そうするうちに、自分の中にむくむくと「子どもとの会話を記録しておきたい」という思いが復活してきました。
「なぜ?」と問われたら困るのですが、カメラ好きの方が わが子の姿を写真に残しておこうとするのと近いものだと思います。



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先日、進路について悩む息子から相談を受けました。
進路といっても、大学や学部選びはもう自分の中で決まっているようで、
迷っているのは将来の仕事に向けて 
これから何を学んでいくべきか、
就職する会社はどのような職種から選んでいけばいいのか
といったことでした。

途中で現われたダンナが、
「先のこと考えて御託並べてないで、まずしっかり勉強しろ!」
と雷を落とし、
息子が「受験勉強はしてるさ。でも闇雲に勉強するだけでは、大学卒業時にそこから4,5年かかる勉強をスタートすることになって、出遅れるよ。ビル・ゲイツが成功したような まだネット社会が未完成だった時代じゃないんだからさ」と言い返すシーンもありました。

夕食後に3時間近く話しあって、
最後には、「話をしてみてよかったよ。おかげで行きたい方向がはっきり見えてきた」と言われて胸が熱くなりました。
息子の進路について相談に乗っているつもりが、
私自身の進路というか……これから自分が歩んでいく方向性のようなものを考えるきっかけにもなった会話でした。

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息子 「最近、ただIT関連の仕事がしたいと漠然と考えて、
大学で情報工学を学ぶだけじゃ、
本当にやりたい仕事からずれていくような気がしてさ。
ITといったって、今はひとつひとつの分野が専門的に進化しているから、
それぞれの先端じゃ互換性はないはずだよ。

だからといって念のためにと あれこれつまみ食いするように学ぶんじゃ
1しっかり学べるところを、2分の1、3分の1ずつしか学べなくなってしまう。
今、一番迷っているのは、ソフトを作る力を蓄えるか、ハード面で強くなっておくかということなんだ。
もしこれまでのネットのあり方を根源から変えるようなものを作りたいとすれば、大学を卒業しても、そこから研究生活に入ってく形になる。
それがぼくが本当にやりたいことなのか、自分にあっていることなのか迷っているんだ」

私 「今後、ネットの世界は飽和状態に向かうと考えているんでしょ。
ただプログラミングを学ぶだけでは、いずれ、どんなに質の良いものを作り出しても、競争の中で消えていくだけかもしれないわ。
だったら、時間や手間がかかってもハードそのものを扱う勉強をした方がいいんじゃないの?」

息子 「勉強や研究が嫌なわけじゃないんだ。」

私 「早く働きたいの?」

息子 「それもあるけど、それより自分が本当に創りだしたいものは何なのか、そう考えていくと、今 立ち止まってじっくり考えておかないと、
何となくそっちの方が良さそうだという気分に流されるうちに、自分自身を見失いそうな気がしているんだ。
それで、ぼくの、ぼくだけの特技ってなんだろう? 
将来の仕事の決め手になるような他のみんなより誇れるところって何だろうって煮詰めていくとね、
『みんながみんな左に向かっているときにも、右に向かうことができる』
ってところだって思い当たってさ。
じゃあ、そんな自分が活かせる仕事、いきいきと働き続けることができる仕事は何だろう
……それとぼくが創りたいものの本質は何だろうって考えていたんだ」


「『みんながみんな左に向かっているときにも、右に向かうことができる』能力って、単にひねくれ者ってわけじゃなくて、
多くの人がいっせいに左に向かっているときって、
その時点で もう本来の左に進むべき目的が見失われているときがあって、
みんな薄々、それには気づいてるんだけど、
動きが取れなくなっていることがあるよね。

そんなときにぼくは
潜在的にそこにある大切そうなものを汲み取って、
ひとりだけでも右に方向転換することができるってことだよ。

そういう能力が将来、活かせるかもしれないって気づいたのは、
プログラミングを自分で学んでいたときなんだ。

学べば学ぶほど、より優れた技術、より精巧な動きっていうのを、
無意識に求める気持ちに呑まれていくんだけど、
一方で、より面白く、よりすごいものを作ってくって
技術面だけにこだわってていいのか? って考えたんだ。

もちろん、技術の向上が大切なのはわかっている。
でもね、もし技術ばかりがひとり歩きして、こんなものが欲しいという人の欲望みたいなものから離れてしまったら、
それは死んだ作品じゃないだろうかって。

ほら、3Dテレビって今どんどん進化しているじゃん。
100年前の時代だったら、
3Dテレビを作り出すために一生かけてもいい、
3Dテレビをどんな苦労してもひと目見たいって、願った人もいると思う。
で、今、3Dテレビがそれほど求められているのかっていうと、
100年前と比べると、それに対して人々が抱いているロマンのようなものが変質したと思うんだよ。
それでも技術革新は必要なんだろうけど、
同時にどうしたら生きた作品を生み出せるのかって考えるときが
来たんじゃないかな?

それで、ぼくは技術を身につけて、自分で制作に入りたくはあるけど、
その一方で、『プランナー』といった面を持っている仕事も
自分にあってるんじゃないかと思いだしたんだ」

私 「生きている作品ってどんな感じのものなの?」

息子 「感情を揺さぶるライブ的要素も持った作品かな?

今の世の中がこんなにも『うつ』っぽくなっちゃった理由は、
何でもかんでも、そうしてはならないものまで、
品物化していった結果だと思うんだ。

ほら、エンデの『モモ』って童話があるじゃん。
あれを子どもの頃に読んだとき、
みんな何日で読んだ~何ページも読んだ~
他の本と比べてどのレベルで面白かったかってことばかり話題にして、

どうして、自分自身の今の生活が、
時間泥棒に奪われているモモの世界の出来事と
同じことが起こっている事実について考えてみないんだろうって

不思議だったんだ。

みんなはどうして人間としての自分の感情を通して、
物と付き合わないんだろうっさ。

いろんなものを品物として見るって、
高級料理にしたって、勉強の授業のようなものにしたって、品物化されて、
数値化されてるよね。

友だちのようなものまで、
ネット内でボタンひとつで友だちかどうか選別したり、
グループ内で友だちを格付けしたり、友だちを数でコレクションしたりする
ようになってくる。
でも、本当は、そんな品物化した『友だち』を、誰も求めちゃいないはずだよ。
友だちを欲するのは、友だちという人を求めているというより、いっしょになって団結して何かしてみたり、
冒険したり、共感しあったり、
そこで動く感情を欲しているはずなんだから。

みんな感情を求めていて、それに気づいていないんだよ。
何でも品物化したあげく、これは品物にしようがないっていう感情でしか処理しようにない『死』を、偏愛する人も増えている。

もし、IT産業で何かを作っていくにしても、
そんな風に物を求める根底になる感情の流れを揺さぶる生きた作品を作ることを目指していきたいんだ」


息子 「ぼくはずっとゲームクリエイターになる夢を抱いてきたけど、
ゲーム好きの人たちと自分の間には、
かなり感性の違いがあるのはずっと感じてきて……
最近になって、本当にぼくはゲームが好きなんだろうか?
って思うことが増えてきたんだ。

ぼくがゲームに対して感じている面白さって何なんだろう
って突き詰めてみると、
さっきお母さんが京都の巨大鉄道ジオラマの話をしていたから
閃いたんだけど、

『仕事の遊び化』って部分に

惹かれているんじゃないかと思うよ。

ぼくがゲームを面白いって感じている基盤の部分に、
この『仕事の遊び化』を生み出したい気持ちがあると思ったんだ。

ジオラマ作りに参加した職人やアーティストは、
退屈で苦しいはずの作業の中に、わくわくする楽しい気持ちやフローの感覚を抱いていたはずだよ。

この『仕事の遊び化』って、昔から人が苦しいものを喜びに変えたり、
辛い作業から楽しみを抽出する知恵として
存在しているものだと思うんだ。
たとえば、プラモデルなんかも、設計の仕事から、
楽しい部分だけを抜き出したようなおもちゃだよね。

ぼくがゲーム作りをしたかった一番の理由は、
ゲームという媒体を使って、
人間の営みをいろんな視点から眺めたり、そのユニークな一面に光を当てる
のが楽しいからなんだって気づいたんだよ」

私 「『仕事の遊び化』……そうね。日本が豊かになって、
物ではうんざりするほど満たされた後に、
きっと人はそうしたものを求めだしているように感じるわ。

遊び化といっても、遊び半分という意味でなくて、プロフェッショナルとして、天職として仕事に関わるとき
そうしたものを感じることができるのよね。

人の営みの面白い面を再体験したいって思いから
ゲームは生まれたのかもしれないわね」

そう言いながら、私は息子が小学生のとき 
モノポリーが好きでたまらなかったことを思い出しました。
何度やっても、いつも息子の一人勝ち。

どんなに他のメンバーの情勢が良いように見えるときも、
なぜか最後には息子の戦略にまんまとはめられて、
お金をほとんど奪い取られてしまうのでした。
手作りモノポリーもたくさん作っていました。

モノポリーは投資のゲームですから、それもおそらく『仕事の遊び化』という一面で惹かれていたのでしょう。

息子 「現実に体を動かしてやった方が面白いものを、
ゲームにするのは好きじゃないんだ。
どんなにリアルさを追求しても、実体験には負けてしまうから。

でも、そこのゲームの世界も、より美しい画像で、より高い技術でってことを追いかけていくうちに、人間的な部分が置いてけぼりになっている気がしてさ。
人が何を面白く感じ、何に心が動かされるのか……って所を見失ったまま進化が進んでいるようだよ。

それで、そうした世界でぼくは本当にゲームが作りたいんだろうか?
面白いものが作れるんだろうか? って思いだしたんだ。

先々、ゲームを作るにしろ、作らないにしろ、
まずゲーム会社とは全く職種の違う世界で働いて、
そこでの仕事に熱中しながら、自分の作りたいものを捉えなおした方が
いいような気がしているんだ」


私 「どんな職種を考えているの?」

息子 「アプリケーションの制作会社とか、
それか、シンセサイザーなんかといっしょに新しい音響機材を作る会社なんかも考えている。

ゲームを作りたいから、
新しいエンターテイメントを生み出したいから、
ゲーム会社に入るというのは、ぼくにはあっていない気がするんだ。
そんなことを思いだしたのは、マンガを読んでいたときなんだけど。

今さ、たくさんマンガの勉強をしたんだろうな
という技術レベルの高いマンガ家がたくさんいるんだけど、
そりゃぁたくさんの人がマンガを描いているんだ……
でも、どれを読んでも面白くないんだよ。
生きている作品がないって感じ。

一方で、ある時期までマンガとは全く関係ない異分野の仕事をしていて、
途中でマンガ家になった人たちが描く職業マンガが、
けっこう面白くって、このごろ気に入ってるんだ。

単純に考えると、少しでも早い時期からマンガを描き始めて、
それだけに打ち込んだ方が、良いものができるに決まってるって思うじゃん。

でも、マンガの世界もある程度
成熟し終えた面があるから、
無意識のうちに すでにできあがった価値観の影響を受けながら、
その世界でよりすばらしくって技術を向上させるだけじゃ、
人の心が動くような作品は生まれにくいんだよ。
その点、異業種から遅れて参入してきた人の作品は、
多少いびつなところがあっても、
思いもかけない斜めからの視点があって
新鮮で読みたい気を起させるんだ。」

私 「そうね、ものづくりの現場でも
そうした異業種同士の連携が、
不況を超えるカギになっているようだものね。」

息子 「ぼくも、自分が抱いている面白さを追求する道を、
既存のイメージができあがっている世界ではなくて、
ストレートにそのまんまじゃない……
別の職種の枠の中で探求していく方がいい気がしてきててさ。

そう考えだしたのには、受験勉強の影響もあるんだ。

受験って、ランキングで格付けされて、合格の道筋がマニュアル化されて、
いかにも品物化が進んでいる分野でもあるけど、
でも勉強していると 意外なんだけど、どの勉強も人間的な性格的なものが
その底にあるんだなって気づかされることがよくあったんだ。

かしこさって、いかにもIQや頭の回転のよさだけで測られるように思うじゃん。
でも、国語を学ぶって、結局は、そこにあるのは人間の営みや生きていることへの理解を深めることに過ぎないんだって学ぶほどにわかってくる。
文章のすばらしさをただ公式を当てはめて、答えをはじきだす作業じゃなくて、
読む文章から生きていることの何かを受け取ることが国語なんだなって。

数学のように、人間的なものからかけ離れているように見えるものでも、
生きていることのすばらしさを放っておいて、存在しないんだよ。
数学がすばらしいのは、そこに
人間的な評価が潜んでいるからでもあるんだから。
それで勉強するうちに、自分が表現したいものは、この人間的なことや
生きる営み、人の感情を揺さぶることを抜きにして考えられないなって。
そうした本質的なものを含んだ作品は、小さな枠の中で近視眼的に
他人と技術を競うだけでは生まれてこないと思ったんだよ」

私 「さまざまな物や行為と『生きて存在していること』の関わりを考えていくのって、哲学の世界では大事にされていることよね。
哲学って難解なイメージがあるけど、実際には幼児が考える疑問のように……ごく基本の基本みたいなことを扱っているわよね」

息子 「うん、そうそう。哲学って、存在する全てのものを意味でつないでいるものだと思うよ。
それは勉強を極めていった選択肢の先っぽにあるんじゃなくて、
もっと身近な……人が手にするひとつひとつの物……えんぴつでも服でも何でもいいんだけど……や、
『生活の営み』全般の芯の部分にあたるんだろうな。

だから、特別にかしこまらずに、もっともっとみんな
普通に哲学に触れればいいのにって思っているよ。
自分の中に持っておくというか……。

哲学だとハードルが高いんなら、詩のようなものでもいいんだ。

哲学にしても詩にしても、
形容できないものを、文字の媒体で表そうとすることじゃん。

形容できないものを形容しようとする試みがなかったら、
『友だち』というのを数や格付けとイコールで結ぶようなもので、
人の行為は、
『名前を付けられた空のパッケージ』ばかりになってしまうよ。」

私は息子の口から詩という言葉が出たのでとても意外な気がしました。
詩を読んでいる姿を見たことがなかったので。成長すると、身近にいても親が知らない面がいろいろあるもんです。

息子 「詩なんていうと、デザートのように思っている人もいるだろうけど、
『生きる糧』のようなものじゃないかな?

そうした自分の内面の芯のようなものがないままに、
どんどん勉強して、どんどん知識や技術を吸収して何を得たとしても、
それは人としての『基盤の幸せ』を失うリスクを犯すことに
ならないのかな?

生きていくことの手段に過ぎないものを
全てであるように錯覚している人がたくさんいるから、
そこで暮らしている子どもたちにしても、
もう本来の『子ども』って存在じゃないように見えるよ。

他人の評価に依存するものに、
自分を全て明け渡して、
自分の中にある形容できない何かを、
まったく無いもののようにしているんだから。
じゃあ、もうそこには自分がないってことじゃないの?」

息子の言葉を聞いて、私は昔、自分が書いた詩のことを思い出しました。
それで詩画集を持ってきて、次のような詩のページを広げて
息子に差し出しました。「同じようなこと考えるもんでしょ。やっぱり親子よね」
そういえば、息子に自分の詩を見せるのは初めてでした。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    ハーメルンの笛吹き

もしも君たちが   自分の言葉を裏切るなら
もしも君たちが   平気で夢を枯らすなら
もしも君たちが   太陽と風を忘れるなら
もしも君たちが   本当は誰も愛していないなら

ハーメルンの笛吹きがあらわれる   子どもを連れにあらわれる
遠ざかる笛の音をつかまえても    もうおそい

まちじゅうどこにも 子どもはいやしない
赤ん坊は赤ん坊じゃないんだ
子どもは子どもじゃないんだ
ちいさくたって同じ
のっぺりした顔の 大人ばかり

そののっぺりが 世界中を埋めつくしても
みんな平気の平左さ
だって ほら 世界中  もう大人しかいないからね

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
息子はえっ? と驚いた様子で、
「あっそうだ。お母さん、詩を書いてたんだったよね」と笑いながら読んで、ちょっと真剣な口調で、
「あ~わかる。いいな~。」と言ってから、
次のように付け加えました。
「親子だからどうって言えない面があるんだけど、
もし、これがお母さんの詩じゃなくて、目にしたとしたら、すごく好きになってた可能性があるな。」
と本当に感動している様子で言ってくれました。

「いつ書いたの?
詩集を作ってたのは見たことがあるから、その時?」

「絵はね。でも、詩はもっと前よ。★(息子)とそれほど変わらない年齢の時のものもあるわ。
ほら、これ。」
私はすっかり舞い上がって、別のページも
息子に見せました。

環状線 
という詩です。

「ほら、さっき★(息子)が言ってた……
何となくそっちの方が良さそうだという気分に流されるうちに、自分自身を見失うってあるじゃない。
褒められたり、期待されたりして、
ちょっといい気になってそれを続けるうちに、環状線に乗ってぐるぐる回り続けているってことがね。そのうち、本当はどこに行きたかったのか忘れちゃうってことが……。」

息子 「そうだよ。ほとんどの人が、人からえらいとか、目立ちたいとか思ってがんばっているうちに、気づかない間にその詩の環状線に乗っていると思うな。」

私はすっかりうれしくなって、
出逢い 
小さな友へ の詩も見せました。

すると、息子は笑いながらこう言いました。

「お母さんの詩、いい詩だよ。ぼくは好きだな。
お姉ちゃんが、いい詩が読みたいって探してたけど、意外に
お母さんの詩を読んでもいいんじゃないかな?」

私 「気に入ってもらってうれしいわ。
お母さんの詩が良い詩かどうかなんてわからないけど、
でも、今そうした詩を書こうと思っても、もう書けないから、お母さんにとっては貴重な詩なの。

だって、それはその時のお母さんの心の軌跡でもあるから。

環状線を書いたときは、
自分がいつのまにかそうした不安な状況に呑みこまれてて、降りたくてもどうやって降りたらよいのか見当がつかなかったのね。

それがきれいな詩を書くために、
過去を振り返りながら、上手に言葉を組み合わせるように書くんだったら、
お母さんにとってはあまり意味がないのよ。

その時、その時の心が抱く思いは、普遍的なところがあると思うの。
お母さんの心が感じる体験は、世界中のさまざまな人が同じように感じているだろうってこと。

出逢いの詩で書いたような心の体験が、人と真剣に出逢うときには
必然と言っていいほどあって、
たとえそれが苦しいものだったとしても、
そうした普遍的なものに触れて、
自分の目にどう映り、どう感じたのか……
『その時』を言葉にできたことが うれしいのよ。

評価されるかとか、認められるかなんてこととは別の問題でね。
どんな出来だって、作るのは楽しいものよ。

そしてこうやって、ちゃんとひとりでも読んでくれる人がいると
すごく感激するものだしね。
そうだ、★が11歳の時の姿をスケッチしたものと詩があったわ。
ほら、これよ」

11歳の孤独
息子は面白そうにそれを読んでから、懐かしそうに笑い出しました。
「ああ、この時のぼくは、ぼくで、今とはまったく違う心で、いろんなことを考えていたんだよな……今思い出すと面白いな」

私 「お母さんは子どもの頃からずっと児童文学の作家になりたいって夢みてきて、いまだに夢はずっと持ち続けているのに、遠回りばかりしているわ。

今の仕事が大好きだしね。
その時、その時、★が言ってたような『生きている』って実感を味わいながらきているから、
思い通りにいかないときも、それなりに満足しているの。
それに、自分を生きているとね、どの道を歩いていたとしても、やっぱり夢に近づいているように感じるわ」