中学入試の理科の問題というのは、
次のような問われ方をすることが、よくあります。
試験管の水を温めたとき、~の方が早く温まります。この理由をA,B
のように考えてみました。
A ~から
B ~から
問題はこれからです
Aの理由が正しいかどうかの実験をおこない、結果はどうなったか考えます。
Bの理由が正しいかどうかを調べるための実験もおこない、結果を考えます。
↑の結果から、結論を考えます。
とにかく理科は、問いの文章が長いです。
この問題を知人のお子さんの5年生の☆くんに解いてもらったところ、
いきなり「答えはBだ。」と言ったきり、
困惑していました。
☆くんは知識として、答を知っていて、それは正しいのです。
しかし、この問題は、
まずAかな?Bかな?と考えて、
Aが正しいか、Bが正しいのかどうか
どうしたら証明できるのかを考えていく問題なのです。
なので、答えは合っていても、☆くんの解答は×なのです
自分の知識を記憶の中から取り出して解く
という方法しか経験したことのない子は、
読解力のあるなしではなく、筋道を立てて考えていく…という考え方についていけないようです。物を覚えることはたくさんしていても、
物をしっかり考えた経験がないのです。
☆すぐに辞書を引く習慣、図鑑で調べる習慣にちょっと注意
の記事でも書いたのですが、調べることは大事だけれど、
「自分の頭で筋道をたてて考える作業をしない」で、
「とにかく知識をインプットしよう」という態度を育ててしまうと、
こうした少し練った問題にぶつかると、
問いかけられている内容に頭や気持ちがついていけない…
きちんと考えればたいした知識はいらない問題でも、
パニックを起して手がつけられない…
となるようです。
これは理科だけの問題ではありません。
☆教育の窓・ある退職校長の想いで「全国学力検査」に関して、次のような話が取り上げられていました。
国語で『二つの感想文を読み比べて、共通する良い書き方を2点記述しなさい。』という問題があった。子どもたちの解答を見ると、『思ったことが書かれていてよかった。』『いっぱい書いてあってよかった』など、答えになっていなかった。
その点から、toshi先生は、
知識・技能の習得にくらべると、思考力の発揮にかかわる部分は、粗雑に扱われる傾向が、一部にある
と指摘しています。
初任者指導をしていて感じるのだが、また、初任者に限らず、ベテラン教員でもやってしまいがちなのだが、日ごろの授業では、上記のような解答で満足してしまっていることがめずらしくないのである。
たとえば、ふだんの授業で言えば、
「声が大きく発表できたから、よかったと思います。」
「はっきり発表できたから、聞きやすかったです。」
そのくらいの発言で満足してしまう。
toshi先生は、
「あのくらいの発言で満足してしまうと、どんなお話でも、通用してしまうね。また、次のお話のときも同じことを言えばすんでしまう。
それでは、このお話をとり上げた意味がない。
やはり主人公の心情に迫るとか、主人公の行為の意味について考えるとか、そういうところまで追求しようとする子どもを育てててほしいものだな。」
とアドバイスしているそうです。
家庭においても、
知識や技能の習得には力を入れて、
子どもが「わからない」と言えば、「○で調べなさい」と言うのが癖になっている親御さんがいます。
答を知ったら、
そこから思考を発展させることもなく、
子どもの感想が「あ~そっか~わかった~」でも、
「覚えておきなさいよ」と言って満足してしまうのです。
これでは、なぞなぞを出された先から解答を盗み見るのと同じくらい
頭を使わなくなってしまいますね。
子どもが何かに疑問や興味を持ったときには、
大人もいっしょに頭を十分使って、
「考える」「表現する」のお手本を見せてあげるように
心がけることが大事だと思います。
もちろん???ばかりでもOKです。
それからいっしょにドキドキしながら図鑑を調べるなら、それはたくさんの
感動を与えてくれるはずです
次のような問われ方をすることが、よくあります。
試験管の水を温めたとき、~の方が早く温まります。この理由をA,B
のように考えてみました。
A ~から
B ~から
問題はこれからです
Aの理由が正しいかどうかの実験をおこない、結果はどうなったか考えます。
Bの理由が正しいかどうかを調べるための実験もおこない、結果を考えます。
↑の結果から、結論を考えます。
とにかく理科は、問いの文章が長いです。
この問題を知人のお子さんの5年生の☆くんに解いてもらったところ、
いきなり「答えはBだ。」と言ったきり、
困惑していました。
☆くんは知識として、答を知っていて、それは正しいのです。
しかし、この問題は、
まずAかな?Bかな?と考えて、
Aが正しいか、Bが正しいのかどうか
どうしたら証明できるのかを考えていく問題なのです。
なので、答えは合っていても、☆くんの解答は×なのです
自分の知識を記憶の中から取り出して解く
という方法しか経験したことのない子は、
読解力のあるなしではなく、筋道を立てて考えていく…という考え方についていけないようです。物を覚えることはたくさんしていても、
物をしっかり考えた経験がないのです。
☆すぐに辞書を引く習慣、図鑑で調べる習慣にちょっと注意
の記事でも書いたのですが、調べることは大事だけれど、
「自分の頭で筋道をたてて考える作業をしない」で、
「とにかく知識をインプットしよう」という態度を育ててしまうと、
こうした少し練った問題にぶつかると、
問いかけられている内容に頭や気持ちがついていけない…
きちんと考えればたいした知識はいらない問題でも、
パニックを起して手がつけられない…
となるようです。
これは理科だけの問題ではありません。
☆教育の窓・ある退職校長の想いで「全国学力検査」に関して、次のような話が取り上げられていました。
国語で『二つの感想文を読み比べて、共通する良い書き方を2点記述しなさい。』という問題があった。子どもたちの解答を見ると、『思ったことが書かれていてよかった。』『いっぱい書いてあってよかった』など、答えになっていなかった。
その点から、toshi先生は、
知識・技能の習得にくらべると、思考力の発揮にかかわる部分は、粗雑に扱われる傾向が、一部にある
と指摘しています。
初任者指導をしていて感じるのだが、また、初任者に限らず、ベテラン教員でもやってしまいがちなのだが、日ごろの授業では、上記のような解答で満足してしまっていることがめずらしくないのである。
たとえば、ふだんの授業で言えば、
「声が大きく発表できたから、よかったと思います。」
「はっきり発表できたから、聞きやすかったです。」
そのくらいの発言で満足してしまう。
toshi先生は、
「あのくらいの発言で満足してしまうと、どんなお話でも、通用してしまうね。また、次のお話のときも同じことを言えばすんでしまう。
それでは、このお話をとり上げた意味がない。
やはり主人公の心情に迫るとか、主人公の行為の意味について考えるとか、そういうところまで追求しようとする子どもを育てててほしいものだな。」
とアドバイスしているそうです。
家庭においても、
知識や技能の習得には力を入れて、
子どもが「わからない」と言えば、「○で調べなさい」と言うのが癖になっている親御さんがいます。
答を知ったら、
そこから思考を発展させることもなく、
子どもの感想が「あ~そっか~わかった~」でも、
「覚えておきなさいよ」と言って満足してしまうのです。
これでは、なぞなぞを出された先から解答を盗み見るのと同じくらい
頭を使わなくなってしまいますね。
子どもが何かに疑問や興味を持ったときには、
大人もいっしょに頭を十分使って、
「考える」「表現する」のお手本を見せてあげるように
心がけることが大事だと思います。
もちろん???ばかりでもOKです。
それからいっしょにドキドキしながら図鑑を調べるなら、それはたくさんの
感動を与えてくれるはずです