虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

機能不全家族について  もう少し 4

2013-10-31 09:18:52 | 私の昔話 と 物語


前回の記事にこんなコメントをいただきました。(子どもさんのお名前があったので、非公開にしています)

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先生の猫拾いさんの記事を拝読して、子どもたちは地域社会でお育てする、その意味をかみしめました。
先生は幼いころの出来事を社会的な意味を見出して覚えておられるのです。私事ですが、ギャンブラーな父と宗教家の母という対照的な2人に育てられ最近までインナーチャイルドに苦しんできました。
誰でも、完璧な親になる必要はなくて、みんなで子どもをお育てする意識が潜在的にもあれば、うまくいく雰囲気になるのかなぁと思いました。

ここからは、個人的なことですが、先日小学校一の息子のクラスで絵本の読み語りをさせていただきました。私の感受性が強いのは中学生のころからですが教壇に立ったときのくらすの 雰囲気が異様で、イライラした感じの空気がクラスの真ん中にあって敏感な子どもたちはほかの子どもをけったり叩いたりしていました。そうでない子どもたちはどこか、ぼーっとしていて何も受け付けない様子。
絵本を読み始めると、ぼーっとしている感じの子たちは絵本を見つめているのですが、世界に入り込んでいる様子ではない感じの子もいて私には衝撃的でした。
うまく書けませんが、教室のイライラ感(雲?)はなんなのでしょう?謎です。こんな中で何を学ぶのかふしぎです。とりとめなくてすみません。

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わたしの記事から、地域社会で子どもを育てていく意味を見出していただきありがとうございます。


話が少し脱線しますが、うちの子らがまだ小学生だった頃、「地域で子どもを育てていく」大切さと難しさについて

しみじみ感じたことがありました。

それを『本当に悪い子なの?』 という記事にしたことがあります。(時間がある方は読んでくださいね)

 

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 『本当に悪い子なの?』 

息子が小学3~4年生の頃
同じクラスに暴言をはいたり 暴力を振るったりすることが多く
クラスになじめない男の子がいました。
息子とは正反対のタイプで
おまけに息子には他に仲の良いお友達が何人かいたのですが
その子は毎日のように 息子と遊びたいから…と言って
遊びに来ていました。
せっかく遊びに来ても 数分もすると その男の子のワガママが過ぎて
息子たちは よそで遊び始めてしまい
私とその男の子でいっしょにゲームをしたり
遊んだりする日々が続きました。
この子は 私が友達でもいいんだな…と思うと
ちょっとおかしくもあり
時間が許せば遊んであげるようにしていました。

そのうち 
6年生になったその子は
ますます問題行動が増えたようで
たびたび悪いうわさを耳にするようになりました。
その子のお母さんは ずいぶん前に家出していて
暴走族に入っている兄と 粗暴な感じの父親と暮らしている
という話もうわさの中で知りました。

その頃になっても
その子は 私の元にちょくちょく遊びに来ては
兄のバイクに乗せてもらったことや
白バイへのあこがれなどを話して帰りました。

息子と同じクラスの他のお母さんたちは
その子の不良っぽい言動を気にして
子どもを近づけないように注意していましたが
私自身は その子が息子に暴力を振るうとは思えないし
息子もその子に誘われたくらいで悪いことをするとは
到底 思えなかったので
気にせず遊ばせていました。

あるとき その男の子が青い顔でやってきて
「学校のガラスを割ってしまった…。」と言いました。
わざとやったのか カッとなった時に乱暴が過ぎてしまったのか
事情はわからなかったけれど
「私も 子どもの頃 妹とけんかして
トイレに飛び込んで隠れていたら
妹がどんどんトイレのドアを叩くもんだから
しまいにガラスが割れて すごくびっくりしたことが
あるよ。ガラスがある時は
カッとしていても注意しなくちゃいけないね。」
と言うと、少しホッとしたような
なみだ目になって 帰って行きました。 
 
息子が6年生のある日
いつも何ヶ月か置きに演劇を見に連れて行ってたのですが
ちょうどチケットが一枚余ったので
その子を連れて行くことにしました。
誘ったのは 
息子の仲の良いお友達は みんな塾で忙しく
その日に都合が良いのは その子くらいだったからです。
それで 親御さんに伝えて
いっしょに劇を見に行きました。
終始 予想以上のはしゃぎっぷりで
もう楽しくてしょうがない様子でした。
劇場で会った私のお友達は その子を連れてきたことに
ひどくびっくりしてあきれ返っていましたが
思い切って誘ってよかったと思いました。

その時すでに 年上の非行少年たちとの交流があったようですし
もう一年経ったら 道で会ってもそっぽを向くのかもしれません…。
ふつうに暮らしているだけで 悪い道を進んでいきそうな環境で
その子の夢が「白バイに乗ること」だったことが救いで
少しでもいっしょにいれるうちに
「がんばって警察官になってね。☆くんは きっと良い警官になれるよ。」
と繰り返し言っておきたかったんです。


少しして 6年生の修学旅行がありました。
息子の帰りを学校の校庭まで迎えに行くと
子どもたちが 大きすぎるリュックをしょって帰ってきました。
引率の先生は ひとりの生徒をつかまえて
がみがみと叱りながら 歩いていました。
見ると あの子なのです。
きっとよほど悪いことをしたのでしょう。
でも どの子も
迎えに来た親が リュックを持ってやったり
「どうだった?楽しかった?」と声をかけたりして
楽しく帰宅していく中
その子ひとりお迎えがいないんです。
そんな心細い状態で まるで見世物のように叱られているのです。

たまらなくなって その子のそばまで行って
「自転車にまだリュックを乗せれるから 乗せて送っていってあげるよ。」
と言いました。するとそばにいたさきほど怒っていた先生に
「あなた だれですか?」と冷たい口調で聞かれました。
「この子は息子の友達なので…。」と言うと
ちょっとイライラした様子で どこかへ行ってしまいました。
その日 とても辛かったのは
他のお母さんたちの視線が冷ややかに感じられた
ことです。でも おそらく この子についての嫌なイメージが
先行しすぎていたために 場の空気が凍り付いちゃった
だけだと思うんですが…。
悪意があったわけでもないのに しばらく落ち込んでしまいました。

その子の粗暴な行動は
発達障害にあるのか 環境のためなのかはわかりませんが
どちらも根本的にはその子に因があるわけではないと思うのです。

私は今も その子について 「本当に悪い子なの?」と
疑問に感じています。

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文章の中では触れていないけれど、当時は、自分の選択でわが子たちを苦しめているんじゃないか、

先々、わが子に危害が加わるようなことにつながらないか、

という不安が頭から離れませんでした。

 

それでも、そうしたのは、その子の子ども時代は、

今後、もう2度と体験しなおすことはできない、という焦燥感にかられたからですが、

心配が取り越し苦労に終わってほっとしました。

 

 

話を前回の続きに戻しますね。

子どもの頃、さまざまな方から、単に地域の子として構ってもらうだけではなくて、

人と人とのつながりや絆を感じるような可愛がり方をされていたのを思い出します。


高校時代、定期テストの前に「いっしょに徹夜でテスト勉強しよう」と誘ってくれる友だちがありました。

徹夜どころか、夜更けに散歩に出たり、繰り返し休憩を取ったりした挙句、

早々と寝てしまうのですが、

快く迎えてくれる友だちのお母さんに甘えて、度々お世話になっていました。


そこのお母さんは和装や手芸が得意な方で、ある時、わたしと友だちに浴衣の縫い方を

教えてくださることになりました。

美しい色の布地を裁って、いざ縫い始める段になると、わたしも友だちもたちまち飽きて、

仕事を放り出して

おしゃべりばかりしていました。

それで結局、2着の浴衣を仕上げていくのは、友だちのお母さんとなりました。

 

そこのお母さんは、何かたずねると、遠慮がちに笑って、穏やかな調子で、

よく練られた思慮深い返事を返してくださる方でした。

わたしは悪びれもせずに、

一針一針と自分の代わりにそのお母さんが縫い進めていく傍らで、

あれこれと自分が聞いて欲しいことをしゃべり続けていた記憶があります。

 

高校生にもなって、ずいぶん幼い振舞いなのですが、

家では母子の役割が逆転して、わたしは母の悩みの相談役であり、支え役と指南役も兼ねていましたから、

こんな風にわがままな子どもの状態で過ごせる場所を必要としていたのだと

思います。

結婚後、わたしと友だちはめったに会うことがなくなったのですが、

友だちのお母さんは時折、こちらに連絡をくださいました。

数年前に母が亡くなる直前にも、田舎に療養に向かう母のことを心配して

親身になって相談に乗ってくださったことをありがたく覚えています。

 

数駅先にある図書館の司書の女性も、

図書館に通い始めた小学校低学年の頃から、

ずっとわたしを可愛がってくださった方です。

図書館に顔を見せると、貸出の受付の仕事を他の職員と交代して、

わたしの本選びに長い時間つきあってくれていました

その方がたびたびカニグスバーグの作品を勧めるのに、

表紙の絵が暗いため、なかなか手に取りたがらなかったのですが、

ある時、思いきって読んでみたら面白かったということがありました。

他のカニグスバーグの作品も探していたら、

その方が駆け寄ってきて、

こっちの作品はこんな話、あっちの作品はこんな話と説明しはじめて、

その姿が本当にうれしそうで、はしゃいだ様子だったことが印象に残っています。

たまたまその方の新しい勤務先の図書館が高校の最寄り駅のそばだったので、

そうした関係は高校生になっても続いていて、

資格もないのに、司書の臨時アルバイトとして雇ってもらったこともあります。

 

こんな風に子ども時代に可愛がってもらった人々というのはまだまだいて、

挙げているときりがありません。

面白いことに、自分が大人になって子どもと接する時には、

そうして子ども時代に出会った大人の方々の語り口調や癖やユーモアや喜び方や好みなんかが

知らず知らず、自分の内に蘇ってきて、

自分の性格の一部のように感じられることがあります。

そんな時は、子ども時代の不思議に触れる気持ちになります。

 


「心が大きく広がり始めた♪」 うれしい成長 3

2013-10-30 23:31:52 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

前回の続きは、明日にでも書きますね。

 

「心が大きく広がり始めた♪」 うれしい成長 2

の記事で紹介した★くんのレッスンが先日ありました。

前回までは、積極的に人と関わるようになってきたことや遊びの種類が増えてきたことを

喜んでいたのですが、

今回のレッスンでは、ごっこ遊びのストーリー展開を何度も楽しむ姿があって、

とても感激しました。

 

★くんのお母さんからは、園の加配の先生から、

「さらに指示が入りやすくなり、集団での活動の仕方や友だちとの関わり方の質が良くなっている」

という話もお聞きしました。

その際、お母さんから繰り返し、

「そうした変化のきっかけを作った虹色教室での活動がどんなものなのか、

加配の先生方からたずねられているので、これからの関わり方の参考にするからぜひ細かく教えてほしい」

とお願いされていたので、

今回のレッスンで、★くんがごっこ遊びの世界に親しんでいくためにしていた工夫について

書いてみようと思います。

 

この日、★くんといっしょにレッスンしていたのは、今度1年生になる

自閉っ子の○くんです。語彙が多く知力が高いのですが、社会性の面では

ゆっくりした子です。

同年代の子と過ごしている別のレッスン日には

他の子らがしまいに

○くんに譲って言いなりになってくれるのをいいことに、

自分ルールでみんなを振り回したり、おもちゃが貸せなかったり、片付けをお友だちにやらせたり

しがちです。

それで、時折、年下の○くんと過ごす時間を作って、相手に譲ったり、おもちゃを貸してあげたり、

手伝ってあげたり、相手に合わせて遊んだりする体験ができるようにしているのです。

 

★くんは初めて会った時から○くんに強く惹かれていて、

ひとりでごろんと横になって遊んでいた時期も、○くんが触っているものは

取り上げにいったり、動作を真似て遊びに加わろうとすることがありました。

そんな姿から、

★くんと○くんは、できることや発達段階にかなりの開きがあるものの、

共通する資質や才能があるのかもしれないと感じたのも

ふたりでのレッスンを始めた理由のひとつです。

 

 次回に続きます。


機能不全家族について  もう少し 3

2013-10-29 13:47:38 | 日々思うこと 雑感

過去は変えられないものなのに、世代間連鎖を断ち切ることができた理由のひとつに

親以外の大人たちから注がれた愛情を挙げると、

そうした縁に恵まれなかった方に対して、何のアドバイスにもなっていないようで心苦しいです。

でも、そんな方も、

自分の子どもたちに負の連鎖をつなげないための方法として、

こうした捉え方があることを知っていただきたくも

あり書くことにしました。

 

機能不全家族で育つと、何に対しても強い責任感を持つようになる方が多いと思います。

子育てをするにしても、親のような子育てはしたくない、子どもには幸せな人生を歩んでほしい、世代間連鎖を

断ち切りたいと強く望むため、親のがんばりだけで子どもの人生をコントロールしようと

してしまいがちです。

でもそうやって一生懸命がんばる方角に向けていた針を、

あまり無理をせずに、自分が楽しく安心して暮らすことや、

子どもがより多くの人と関わり、異なる価値観に触れることを受容するような

方角に向けることが、

長い間続いてきた問題を消滅させるカギとなることもあると、自分の体験から実感しています。

 

子ども時代を通して、わたしはいろいろな人から、可愛がってもらい、

わたしの個性を大切に扱ってもらった記憶があります。

 

両親が自分の問題でいっぱいいっぱいの時も、

わたしがわたしらしくあることを望み、ありのままのわたしを好きでいてくれる人たちを

いつも身近に感じていました。

だからわたしも教室の子や近所の子らと会う時は、ひとりひとりの個性の輝きと

ていねいに接していきたいと思っているのかもしれません。

また、自分の子ども時代のことをこうした記事に書くのも、他所の子もわが子と同じように

愛せる素地のある人が、今の時代でもそうして良いと思うきっかけになればと期待しているのかも

しれません。

 

 今もはっきりと記憶に刻まれているこんな出来事があります。

友だちとおしゃべりしながら近所をぶらついていた時、やっと目が開くか開かないかくらいの子猫を見つけました。

 

わたしはそれまで何度も捨て猫を拾っては、さんざん周りに迷惑をかけてきたという自覚がありました。

一件家に住んでいる親友のお母さんは、わたしが何年かおきに拾っては押しつけた猫を飼うのに苦労していて、

わたしに会う度に、「猫拾いさん、絶対、もう猫を連れてこないでよ。おばちゃんはもう猫は飼えないよ!」と

苦言を呈していましたし、

田舎に帰省した際は、わたしが子猫を拾ったために、母が駅前で子猫を入れた箱を抱えて

飼い主探しに奔放しなくてはならなかったこともありました。

そのため、普段なら、妹たちが捨て猫にエサを与えているのを見かけても、

「団地じゃ、猫を飼えないのよ」と注意して、猫に近づくこともためらっていたはずでした。

 

ただ、その日、思わずその子猫のそばにしゃがみこんでしまったのは、

子猫の皮膚がむき出しになった白い身体を、

無数のゴマ粒のようなものが這っているのが

目に着いたからでした。

それがあまりにむごたらしかったのと

こんなに気味の悪い虫にたかられていたら、誰も子猫を拾ってくれないと心配でならなかったので、

友だちとふたりで家の風呂場で洗ってやって、もう一度元の場所に戻しておこうと決めました。

 

母はパートに出ていて、留守でした。

まだふにゃふにゃした子猫ですから、

最初はおそるおそる濡らしたタオルで拭いて虫を取ろうとしていたのですが、

相手はしつこい猫ノミで、それではとても埒が明きません。

そこで、ベビーバスで赤ちゃんを洗うようなあんばいで、洗面器にぬるま湯をためて洗ってやりました。

すると、もともと弱っていた子猫が身体の力が抜けたように、くたっとなったのです。

自分のせいで子猫が死んでしまうのではないかと

血の気が引きました。

それからタオルにくるんで移動する間も、子猫の容態が気になってしかたがありませんでした。

いざ、子猫を元の場所に置いて去ろうとした時、駆け寄ってきた女性から、

猫を捨ててはいけない、捨て猫なんてとんでもない、とすごい剣幕でののしられました。

仕方なく、ふたたび子猫を抱いて歩きだしたわたしを、その女性はずっと睨みつけていました。

 

猫を抱いている間中、わたしの余計なおせっかいで猫が死んでしまうのではないかと思うと

頭がまっ白になって、

足がガタガタ震えていました。

そうして近所中をぐるぐる歩き回った挙句、

「絶対、もう猫を連れてこないでよ。」と言い渡されていた親友の家に向かいました。

 

わたしの姿を見て、呆れかえっていたそこのお母さんは、「飼えないよ」と繰り返し釘をさしていましたが、

泣いているわたしの顔を見るに忍びなかったようで、

しまいに、「猫拾いさん」と言って、わたしの頬を少しつねる真似をしてから、

子猫を引きとってくれました。

 

しばらくしてから、遊びに行くと、部屋のあちこちに積み上げてある本の上を

猫たちが占拠していて、そのそばにわたしが連れてきた子猫もいました。

そこのお家の気立てのいい母猫が世話を焼いてくれたようなのです。

 

親友の家のリビングは、壁一面が本棚になっていて、何の本が並んでいたのかさだかでは

ないのですが、分厚い百科事典がずらっと並んでいるコーナーがあったことは覚えています。

わたしが何かたずねると、そこのお母さんがいちいちそれを取りに行っては、

事典の一節を説明してくれていました。

その内容はひとつも思いだせないのですが、百科事典を引き出す後ろ姿は記憶に焼き付いています。

 

わたしが本好きなのを知って、数駅先の図書館まで連れて行ってくれたのは、

別の友だちのお母さんです。

遊びに行く度に、美しい色板や工作素材や質のいい児童文学に触れさせてくれる方でした。

ガラス張りのベランダでセキセイインコを放し飼いにしていました。

せっかく訪ねたのに友だちがいない日には、甘いミルクティーを入れてくれて、

しばらくそこのお母さんとおしゃべりした後で、抱きしめてから家に帰してくれました。

 

 


機能不全家族について  もう少し 2

2013-10-28 21:09:04 | 初めてお越しの方

わたしは、機能不全家族について もう少し 1

で紹介したコメント主さん同様、

父のDVやギャンブル依存、母の共依存などの多くの問題を抱えた家庭に育ちました。

わたしも妹もそうした機能不全家族の中で割り当てられた役割……

妹は「スケープゴート」、つまり「悪い子」の役を、

わたしは「プラケイター」と「責任を負う子」、

つまり親をなだめたり、支えたりする家庭内ソーシャルワーカーの役と

家庭内の混乱に秩序をもたらすために一生懸命がんばって親の期待に応える役を

担って子ども時代を過ごしました。

 

そのように子ども時代を子どもとして生きれなかった子は、

心に慢性的な喪失を抱えたまま

健全な自己愛や自尊心を獲得できずに

大人になっていくと聞きます。

自分を信頼し、「やれば何とかなる」といった前向きな姿勢で、人生を切り開いていくことが

難しいとも言われています。

 

父母の思い出話から推測するに、おそらく父の父母もその父母も、また母の父母もその父母も

家族の関係の問題によって自分たちの人生を蝕まれてきたのだろうと思われました。

そして、父も母も、表現の仕方ほど異なるものの、

アダルトチルドレンの特徴をたくさん持っていました。

 

父は、白黒、二極化した思考をしがちで、人を試す発言が多く、怒りを抑えられず、

漠然とした不安感や空虚感をギャンブルへの依存で埋めていました。

母は、自己信頼感が希薄で依存心が強く、何でも人にたずねて、自分で判断することができませんでした。

いつも周囲に合わせばかりで、人からの頼みごとを断れず、自分の人生に希望を抱けないまま

何となく日々を過ごしていました。

 

 そんな両親のもとで育ったわたしは、身体的にも精神的にも脆弱な子どもでしたし、

実際に心が深く傷ついてもいたし、ずいぶん遠回りをしながら大人になりはしたものの、

幼い頃から、どんな時も、父の考えにも母の考えにも染まらないところがありました。

 

たとえ一時期、両親の思考のあり方の影響を受けて認知に歪みが生じていたとしても、

それに気づいて、自力でそこから抜け出す知恵も持っていました。

 

そして、今、生きづらさを感じずに生活しているし、わが子たちが

自己愛や自尊心や自己信頼感が成長していく過程を支えてあげることもできます。

 

父も母も妹も、自分の親と自分自身がプログラムした思考の罠が

自分の人生を蝕んでいくことから

どんなにあがいても抜け出せなかったのに、どうやってわたしはそこから出たんだろうと考えると、

いくつか思い当たる理由があります。

 

そのひとつは、

両親の伺い知らないところで、

両親や祖父母以外の

さまざまな大人たちから、自分の子どもに対するような深い本物の

愛情をかけてもらっていたからじゃないかと思っています。

また、大きくなるまで続いていた幼なじみとの心の絆も

両親との関わりに別の視点をもたらしてくれました。

 

次回に続きます。

 

 


『生きる力』のもとは真実の言葉を話すこと、人と出会うこと

2013-10-28 19:35:34 | 日々思うこと 雑感
明治生まれの国語教師、
大村はま先生の著書『日本の教師に伝えたいこと』(ちくま学芸文庫)
を読んで、深く感動しました。
少しだけ紹介させてくださいね。(一部省略しています)
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(子どもたちは)まず真実の言葉を話せるようにしなくてはなりません。
どんなときに真実の言葉が育たないかと言いますと、たとえば何か読んだあと、すぐに教師が感想を聞くとします。

感想というのは、言葉にすることの難しいもので、たくさんあっても、なかなか言えないものです。
考え深い子どもが、かえって言えなくなる場合もあります。

ところが学校には、学校型の優等生がいて、ぱっと手を挙げて感想を言います。
すると教師はそれを聞いて、「ほかに」と言って、(発言した子は、ちっともねぎらってもらうこともなく)「ほかに」「ほかに」とやっているうちに、
とにかく答えることがいいんだ。
考えることよりも答えることが大事だと心得る、そんな風にならされていくわけです。

答えられたときだけ褒められて、黙っているとよくない。子どもは教師に喜んでほしい。これはもう当然のことですから、何か言おうとします。

私は、これは恐いことではないかと思います。
ほんとうに自分の気持ちが表せる言葉でなくとも、とにかく適当に言えるというのは、
恐いことではないでしょうか。

それから教師が「ほかに」と言って、じっと自分のほうを見ていると、
何か言わないと悪いような気がしてきて、子どもはそういうところは
大人とまたちがった可憐なところがあるので、
それでついちょっと思いついた言葉を言います。

ちょっと思いついた言葉なのであって、心の中から本当に出てきた、
言おうと思った言葉ではありません。
言おうと思ったことばではなくとも、何か言えるとほっとするのです。

そういうふうに、言おうと本当に思ったことではないことが、いちおう人に言えるということは、とても寂しいことのような気がします。

別に悪いことではないと思いますけれども、しかし、あまり親友を得たり、本当にに人と交わる喜びを感じたりすることが、少し難しくなるのではないかと思うのです。
            (↑『日本の教師に伝えたいこと』より引用)
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今の時代は、
『心の中から本当に出てきた、言おうと思った言葉をを言う』
ことの大切さをすっかり忘れているのかもしれません。

幼い子たちにしても、大人たちがまるでパソコンやロボットにインプットするように知識を注いで、
それらが、できるだけ素早くたくさんインプット通りに子どもから出てくることを期待する姿があります。

本当は、子どもは大人が大人の知識を入れたり出したりする道具ではなくて、
その子の内面で熟成され、形になろうとしている
まだ言葉にならないその子特有の思いがあるのです。
黙っている子どもは、
それを外の世界に出そうとする生みの苦しみを抱いているのです。

そうして表現した自分の言葉を他人に受け止めてもらってはじめて、
子どもの自分というものの核となるものができてくるように思います。

大村はま先生は、読後の感想なども、感動するほど、言い表すことばが浮かばないもので、それは単に表現力がないということと別物だとおっしゃっています。
それを無理に言葉にさせてしまうと、適当に、とにかく言う習慣が身に付いて、
言語生活者として基本的な、

『本気で考えて、本気のことを素直に言う』

ということがなくなっていくそうです。

子どもに何げなしに、
苦しまぎれに何か言わないと、できない子と思われる、
という気持ちにさせないことが大切なのだとか。

のど元まで出ている気持ちが言えないときには、
大人が自然な形で「こうかな」と具体的な言葉でフォローしてあげると良いそうです。

工作のワークショップや虹色教室で、子どもが自分の真の言葉を語ってもいいという雰囲気を作っていると、
子どもたちはひとことしゃべるごとに、自分への自信を深めていることがわかります。

子どもの表情の輝き、したことがない算数の問題に「はい」「はい」と手を挙げる様子、その後、家に帰ってからも、何時間も何かに熱中する姿があるのです。

大人たちは、いろいろ教え込んで子どもを「できる子」に仕立て上げて、
自信をつけてあげようと考えがちです。

でも、そうした愛情が、自分の真実の言葉を見失うほど
他人の言葉を子どもの中に注ぎ込むことだとしたら、

何ができるようになっても、子どもは大村はま先生がおっしゃるように
真の言語生活者になれないのかもしれません。

写真は、京都のワークショップに参加してくれた男の子の作品です。
いつも言いたいイメージが溢れてきて、何も言えなくなってしまうところがあるようです。
ゆっくり耳を傾けると、面白いアイデアが次々飛び出してくるのです。

先日は家族でクレパス絵画展に来てくれて、もじもじと恥ずかしそうにしていたのですが、「ブログに☆くんのパトカーの作品をアップするね」と言うと、
満面の笑みを浮かべていました。
家に帰ってから、
「お母さん扉の外にいて欲しかった」と告げたそうなのです。
絵画展では緊張して話せなかったけれど、私に話したいことがいろいろあったそうです。
照れて何も言えなかったようだけど、誰かに本気で伝えたいと思う自分の言葉を、
心の内側にしっかり持っているところが、すてきだなと思いました。
 
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明治生まれの大村はま先生の指摘は、
今もちっとも古くなっておらず、むしろこれから教育の場で非常に重要になってくるのかもしれないと感じました。

というのも、
ちょうどいただきものの雑誌類を整理していて、ついでにパラパラと拾い読みしていたら、こんな記事を見つけたのです。
記事で目にとまったのは、「物語る力」という言葉。

ビジネス・ブレークスルー大学院大学学長の大前研一氏が、
アメリカ人ジャーナリストのダニエル・ピンクのこんな言葉を紹介していたのです。
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いまもっとも必要とされるのは「物語る力」だ。
「符牒的な答」など存在しない時代だから、自分の意見を物語として説明し、相手の「共感」を得る必要がある。
もちろん反論も出るだろう。それをくみ上げたうえで、両者が納得できる結論を生み出す。そうした「合成する力」こそ、21世紀のリーダーに求められるものだ。        
 (講談社MOOK セオリー より)
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「物語る力」といえば思い浮かぶのが、息子の学校のある先生です。
過去記事を紹介しますね。↓

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息子の通っている学校に、
『教えるのがとても上手な先生』という方がいらっしゃいます。

息子いわく、
学習内容への興味を掻き立ててくれるし、モチベーションが上るし、授業がわかりやすくてとても良い~とのこと。

その先生が、今の学校で教えるようになるまでの経緯を聞いて、
ちょっとびっくりしてしまいました。

何でも、旅行好きだった先生は、若い頃は、定職に就かずに、
世界中を貧乏旅行して渡り歩いていたそうです。
あるとき、塾の教師になろうと働き始めたとき、
その塾は、生徒たちに、
「授業のわかりやすさ」等で先生を評価するシステムをとっていたそうです。
すると、何と、結果は最下位だったのだとか。
その結果を前にして、
「絶対、だれよりも教えるのがうまい教師になってやろう!」と決意したそうです。


その後、その思いを強くして、教員を目指して勉強し始めたときは、
かなりの年齢になっていて、
いざ、教職に就こうと学校を打診しはじめたときは、
教員になる年齢制限の35歳くらい~を、過ぎていたのだとか。

そこで、この先生はどうしたかというと、
自分がどのような経緯で今にいたり、どんな人間か……等、自分の思いをつづった手紙を50通、さまざまな学校に送ったのだそうです。
すると、年齢制限の枠を超えているとはいえ、
5通の返事があったのだとか。

その後、その先生は、その5つの学校に
「自分はまだ教育実習を受けていないので、
働く際に、そこの学校で、まずそれを受けさせていただいてから、
働かせてください~」といった内容の手紙を送ると、

何と、良い返事が3つあったそうです。

そうして、今の学校で、授業の上手な先生として
働いておられます

この先生の情熱を受け取って、手紙を返したってところで、
うちの学校もなかなかやるじゃん~と思っているらしい息子。
確かに、先生もすごいし、学校も太っ腹ですね。

人間、なりたい夢がはっきりしていて、
思いが強ければ、どんなことでもなせばなるのもですね~
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息子はこの先生の
「人は会って話をすれば面白い人間かどうかわかる。そのために面接があるようなもんだ」という言葉が気にいっていて、
娘と将来について話すとき、よく話題にしています。

娘も、「音楽聞いたり、本物の芸術に触れたり、自分でいろんな体験をすると、それが全部自分の一部になるって読んだことある。
成績とか資格などとは別に、自分らしさを磨く体験をいろいろしておきたい」と言います。

大前研一氏は、次のようにもおっしゃっています。(簡単に要約しています)
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新しい時代において20世紀型の秀才はまったく役立たない。どんなに暗記が得意でも、正解そのものが存在しないからだ。

答えがないなら、自分の頭で考えるしかない。
そういう意味では、先生に言われたことを従順にこなす子どもより、
むしろ単純作業に嫌気がさして宿題をわざと忘れてくるような子どものほうに可能性がある。「なんでやらなきゃいけないのか?」と疑問に感じる心が大切なのである。

新しい時代に通用する人材を見抜くポイントは3つある。

まずは、前提条件を提示する能力。
知識自体は価値を持たない時代には「頭の構造」を調べる必要がある。
「そもそも」という発想ができない処理型人間ほど無用の存在はいない。

次に大切なのは環境の変化に合わせて自分を変えていく能力だ。
細かい兆しを見落とさず、一人で柔軟に対応するしか生き残る方法はない。

3つ目は、能動的な生き方をしてきたか。アメリカのヘッドハンターは、必ず過去の業績を見る。中学の頃に運動クラブを立ち上げて会計係をやったとか、高校のブラスバンドで老人施設を計画的に訪問していたとか、何でもいい。
イニシアチブをとる人間だったのか、それともフォロアー(その他大勢)だったのか、自然に見えてくる。

一方、日本の履歴書は箇条書きで、資格の欄に普通免許とか書き込むだけ。
国民皆免許の時代には何の意味もない。将来、花開くようなやつは、仲間を集めて近所の川掃除をしていたり、学生時代に冒険旅行に出たり、必ず何か語れるものをもっていた。
20世紀型の秀才たちは不思議と書くことがない。先生の言うとおり生きてきた人間は、朝起きました、歯を磨きましたという日記風にしか書けない。

エスカレーターに乗って受動的に生きてきた人間は、文章を書かせるだけでもはっきり見分けられる。
         (講談社MOOK セオリー より)
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これから「物語る力」が、どうしてこうも求められるのか?

それは、グローバル化が進んでいるからなのでしょう。
大前氏のインタビューから例を借りると、
日本の若者たちも日本の外に出て、
海外の工場が閉鎖するようなときに、
どうやって相手を納得させるかといった手腕が問われるようになってきたからなのでしょう。

新学習指導要領の『生きる力』でも、思考力・判断力・表現力等をはぐくむ観点から、言語活動の充実があげられています。

それはただ語彙をたくさん知っていて、
問われたらそれなりの答えが返せるということより、
大村はま先生のおっしゃるように、

『本気で考えて、本気のことを素直に言う』
『自分の心から湧き出てくる真実の言葉を言う』

ことが重要なのでしょうね。
 

1歳6ヶ月の子のレッスンから(子どもの知能の発達と個性に合わせた遊び)

2013-10-26 21:57:43 | 0~2歳児のレッスン ベビーの発達

 

過去記事です。



1歳6ヶ月の★くんのレッスンです。
★くんは、いろんなものがごちゃごちゃ入っている箱から、車を選び出して、
並べていました。
おもちゃ箱の中に、ビー球を転がす道具が入っていたのですが、
「これは、ちがう」と言う様子で、排除していました。
ごちゃごちゃした中から、選り分けたものを指して、「おんなじ、おんなじ」とか「大きいね、小さいね」と見比べるように誘うと、
感動したように交互に見て声をあげていました。

そんな風に、とても熱心に遊ぶ姿を見て、
お家でも「同じ種類のものと、関係ないもの」を分けるための箱や引き出しを用意してあげると、分類する作業を楽しめるだろうと思いました。

色のついたチップも選り分ける遊びにぴったりです。
このチップの場合、★くんは、まだ色には関心が薄く、
写真のようなじょうごに入れていく遊びや、
皿から皿に移し変える遊びが楽しかったようです。
チャリンという音の響きがうれしい様子でした。


ペグさしも楽しみました。

子どもにおもちゃを与えるときに、正しい遊び方を教え込もうとするのではなく、子どもの遊ぶ姿から、

○ 今の知的な発達の課題は何か?
○ 個性的な長所はどのようなものか?
○ 色、形、素材などの個性的な好みは何か?
○ 巧緻性の発達の課題は何か?
○ 適切な言葉かけ

といった点に注意して、大人の側が学ぶようにします。
そうして子どもに自由に遊ばせてから、子どもの知的な発達のぴったり合うレベルの課題のお手本を見せるようにします。
そうすると、子どもは驚くほどの集中力や熱心さを発揮します。

たとえば、この日の★くんの遊び方から、私は次のようなことに気づきました。
★くんは、他人の動作を記憶することが得意で、
ひとつの流れや意味のある遊びを好むことがわかりました。
また、遊ぶときに自分なりの目的を定めて、最後まで集中して
遊んでいました。


幼い子は、大人や年上のきょうだいがしていることを、
そのまんま丸ごと吸収して、自分のわかる範囲でまねっこします。

たとえば、スーパーでレジの店員は、バーコードをピッと読み取って、かごに入れ、お金を預かって、レジからお釣りを取り出して子どものお母さんに渡しますよね。
その後、お母さんがポリ袋に商品を入れるまで、1歳児でも真剣に見ています。

子どもってそうしたレジ係の動作から、
お母さんの動作までの全てを遊びに取り入れて表現しようとしますよね。

★くんは、そのような流れのある動作を記憶していて、遊びに取り入れるのが上手でした。


それは ★くんのお母さんが、
★くんが遊んでいる最中に
構いすぎたり、口出ししたりせずに、ゆったり見守っているおかげで
身についた能力のようでした。

大人の指示が多いと、子どもは環境全体から丸ごと吸収することをやめて、
大人の言うことをその通り実行するか、それに反抗してしないかにだけ注目するようになります。
とても視野が狭くなっていくのです。
子どもの能力を狭めないために、一歩引いて見守る姿勢が大切です。


動作を記憶することが得意なことがわかったので、私は
★くんに遊びのお手本を見せるときに、
動きや意味を取り入れるように工夫しました。

おもちゃのお人形を、手に持って歩いていっては、ショッピングカートに入れて遊んでいたので、
お皿やおぼんにおもちゃを乗せて、運んで届ける遊びを見せました。

また、オルゴールを回すことにとても興味を持っていたので、
鳴っているオルゴールをハンカチで包んで
「隠しっこ遊び」をしました。

1歳6ヶ月では、隠したものを探す遊びは難しいですが、
お気に入りのメロディーが鳴っていれば、探すことができます。
★くんは、自分でオルゴールを見つけ出して大はしゃぎでした。




子どもの遊び方を見ていると、その子ならではの「ここに興味がある」というポイントがあるものです。
★くんは、パタパタ開いたり閉じたりするものが好きで、
横に開く形の入れ物や、後ろの部分が押すと開くタイプの車のおもちゃが気に入っていました。

「変化すること」「入れたものが見えなくなること」といった点に
興味をそそられるようでした。

お家にもあるというデュプロブロックとしんかんせんのおもちゃ
を使って、同様の遊びが楽しめるように工夫してみました。

デュプロブロックに取り付ける形の扉です。

輪ゴムに紙を貼っただけです。輪ゴムをブロックに引っかけると、開け閉めできる扉になります。
単純な作りですが、★くんには大大ヒット!


ドアを押して、しんかんせんをくぐらせては大喜びです。

トンネルの長さを工夫して、上からのぞけるように隙間も作りました。
★くんは、2台目のしんかんせんを入れて、前のしんかんせんが押されて出てくるのがとても面白かったようです。

お家では、トンネルの先に、滑りおりる坂も作ってあげるのもいいかもしれませんね。
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「大きい」と「小さい」に興味があるようで、大きなあんぱんまん号と小さな
あんぱんまん号の乗り物に交互にどきんちゃんの人形を乗せては
とても喜んでいました。


自分の力で回せるコマにも大はしゃぎ。
そこで、紙皿にビー球を貼って、★くんが回せるコマを手作りしました。
こちらも自分で回して喜んでいました。

★くんは、人とコミュニケーションを取ろうとする意欲が高い子です。
どの遊びをするときにも、お母さんや私の方を見て、
「んしゃ。かやかやこよちゃた~~~~」(電車、ここに入れたよ……といったことを説明しています。まだ、言葉の数は少ないですが、
伝えたいことははっきりしていて、
行動からもしていることをきちんと理解していることがわかります。


★くんのお母さんは、「うん、うん」と簡単に返事を返していたのですが、
★くんの理解のレベルに合わせて、もう少ししっかり
言葉を返した方が良いように思いました。

たとえば、子ども用の椅子に座るときも、★くんは椅子が斜めになっていると、立ち上がって自分で向きを直して座りなおしていましたから、
そんな時に、
「椅子が斜めになっていたから座りにくかったのね。上手に直せたね。座りやすくなったね」といった具体的な言葉をかけるのです。


2時間のレッスン中、★くんはずっと集中し続けて
さまざまな課題にチャレンジしていました。
その姿に★くんのお母さんはとても驚いたそうです。

幼い子も、その子の個性に沿った遊びを工夫すると
頭を働かせて、集中します。
高価なおもちゃを買わなくても、
子どもをよく観察して、お家にあるものに工夫を加えるだけで、
子どもの能力を伸ばすのに最適なおもちゃになりますよ。


機能不全家族について  もう少し 1

2013-10-26 08:29:57 | 日々思うこと 雑感

記事内容から脱線して、自分の気持ちについて少しだけ書くつもりで、結局だらだらと長い話になってしまった

10~16までの文章。

わがままな振舞いが目立つ子にどのように接すればいいでしょう? 10

わがままな振舞いが目立つ子にどのように接すればいいでしょう? 11

わがままな振舞いが目立つ子にどのように接すればいいでしょう? 12

わがままな振舞いが目立つ子にどのように接すればいいでしょう? 13

わがままな振舞いが目立つ子にどのように接すればいいでしょう? 14

わがままな振舞いが目立つ子にどのように接すればいいでしょう? 15

わがままな振舞いが目立つ子にどのように接すればいいでしょう? 16

 

これで終わりにしようと思っていたのですが、

機能不全家族の問題にこれから向き合いながら子育てをしていこうとしている方から

コメントをいただいたり、

遠方に住んでいる親しい人からメールで苦しい胸の内を打ち明けられたり、

レッスンの中で世代間連鎖を断ち切る難しさを相談されたりするうちに、

あれでは少し不親切な答え方だったと思い直しました。

 

たいした力にはなれませんが、もう少しだけ、自分が当事者としてこの問題と関わり続けて

気づいたこと、理解したことについて書いてみようと思います。

 

先の記事を書いている最中に、次のようなコメントをいただき、

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いつも拝読させていただいております。
私は父がDV、母が家族に共依存しているという典型的な機能不全家族に育ち、
3歳、1歳の育児をしています。
今、実家は家族の機能不全関係が表面化した問題に直面しており、
私は、両親を手助けすれば重い依存がのし掛かってくることが予想され、常に実家が心配で育児は上の空、という状況です。
私が親として、母の優柔不断で家族の機嫌を取ってばかりの面、父のストレスが溜まると怒りという形で爆発する面を受け継いでしまっていないか、自信なく子育てしてます。

3歳の息子のわがままかんしゃくが、私の育ちを投影しているのではないかという心配があること、
過去の記事から先生が機能不全家族に悩んでいらっしゃったお話を聞き、勝手に親近感を持っていたこと、
から、今回の記事を興味深く読ませていただいています。

先生が、機能不全家族に悩まされながら、どのように精神衛生を保ち、子育てをされていたのか、
どのようにして、世代間連鎖を断ち切ったのか、
機会があればお聞かせ頂きたいと思っております。

先生とお会いできる機会があればとレッスンの応募を何度かしておりますが、ご縁がなく残念に思っています。
けれど、先生の記事に出会えただけでも育児の指針、心の支えとなり、とても有難い出会いと思ってます。これからもどうぞよろしくお願いします。

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その後、

記事を16まで書き終えた時、とてもありがたい感想をいただきました。

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 先日コメントで質問をさせていただいた者です。
先生の記事、噛み締めながら拝読いたしました。
機能不全家族に悩まされたり、子育てをしながら自分の育った道を思い返して苦しむ中、有難く、心救われる気持ちがしています。
先生の優しさと強さの源を見せて頂いた気がしました。
自分の置かれた状況を被害的に捉えてばかりで子育てに自信を失っておりましたが、心を澄ませて自分らしく道を拓いていけたらという気持ちになりました。
心に染み入る素敵な物語のお話でした。私もいつか自分と家族の影を抱きしめて、最後に丸い円を描けるようになりたいです。
ありがとうございました。これからも記事を楽しみにしております。

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心を澄んだ状態に整えて、自分の生き方を考えておられる姿に

息を引き取るまで共依存の状態から抜け出すことができなかった母の人生が

誰かの未来の中で活かされるようでうれしく感じました。

 

しかし、同時にコメント主さんの前向きで純粋な思いが、

わたしが書いた文章によってより傷つくことにならないか

少し怖しくもあって、数日間、この記事に続きを書くべきかどうか悩んでいました。

 

怖いという言葉をここで使うのは、残酷で奇妙に聞こえますが、わたしの正直な思いでもあります。

今から夜の登山をしようという人や

砂漠に入って行こうとする人に、

そこを抜け出せた体験を語り、方法を伝えても、

その方法とは、山を消す魔法でもなければ、砂漠から出る地図でもありません。

 

より過酷な状況になっても、自分を取り戻すために

一歩一歩歩みを進めるためのエールを送ることしかできません。

 

それでもそれをやり抜くための知恵なら

言葉にすることができるかもしれないと思い、続きを書くことにしました。

 

機能不全家族という言葉を耳にすると、

それは家族間の関係の問題であって、前向きながんばりや純粋な意志や深い愛情によって、

乗り越えていけるようにも思われます。

 

でもその背景には、依存症の問題が隠れていて、

少し頼りない性格程度に思われる共依存のようなものであっても、

社会から敵視される薬物依存同様に

人の心や意志やがんばりだけではどうしようもないものがあることを

わたしはこれまでの数十年間の中で、心の深い部分で実感しました。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 


自閉症の子の会話やコミュニケーションの質を向上させる工夫 5

2013-10-25 22:20:05 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

教室に来たばかりの頃、たいていの自閉症の子は、

こちらのすることを模倣することがほとんどありません。

でも、徐々に、わたしのすることを真似るようになると、

遊びが広がる上、会話やコミュニケーションの質も向上していきます。

 

ですから、わたしは、自閉症の子が、いつ、どのようなタイミングで、どんな条件のもとなら

他の人のすることを模倣するのか、どのように模倣するのか注意深く見守っています。

 

●くんの場合、「開閉する扉のようなものを開けて何かを入れていく」という動作なら、

それが、ドールハウスのドアであっても、電車のおもちゃのドアであっても、ゴミ収集車の投入口であっても、

工作であっても、こちらのすることに関心を持っていて、

数分後にそれで遊び出すのがわかりました。

写真のようにスロープを作って、電車やビー玉などを滑らせるのも、

●くんの興味を引きました。

こちらのすることを真似て、ビー玉を転がして遊んでいるとしたら、

ビー玉を粘土に変えて、

「クルクル~まんまるまんまる」と粘土を丸める作業も入れて、

模倣のレベルを少し複雑にするのも大切だと思っています。

 

そんな時には、粘土を丸めることは強要せずに、ただそうやって「見せる」ものの

幅を広げていくだけにとどめるようにしています。

 

先の記事でも書いたのですが、自閉症の子は、興味を抱いて見ているようでも、

実際にそれを真似るのは、うろうろと別の場所を移動した後になることが多いです。

 

情報をインプットしてから、アウトプットするまでの時間が、

こちらの感覚と大きくずれているようです。

 

興味を持っているようだからと、急いて、

何度も誘ったり、こちらがそれをしてもらいたがっていることが伝わるような素振りをすると、

常同運動を始めたり、ひとりごとを言いだしたりして、

そのまま模倣しないで終わってしまうこともあります。

 

こちらの時間の感覚に自閉症の子を合わせようとするのではなくて、

自閉症の子の時間の感覚にこちらの言動を添わせるようにしていくと、

子どもとの距離がグッと縮まることがあります。

 

この日のレッスンは、☆くんのお母さんに外で時間を潰していただいて、

●くんと●くんのお母さん、☆くん、わたし、の

4人で行いました。●くんのお母さんから見ると、いろいろな遊びを楽しみ、

ニコニコしながらわたしと会話をしている☆くんには、何ひとつ問題がないように

感じたようです。

でも、レッスン終了の15分前に、☆くんのお母さんが教室に戻ってくると、

☆くんの表情が険しくなり、「お母さんは外に出て行って!」と

繰り返し出しました。

しまいに、パニック状態になったため、もう一度、しばらくの間、

お母さんに外で待っていていただくと、

☆くんは少し落ち着いたものの、足をキュッと丸めて、つま先に力を入れて、

放心していました。

☆くんのお母さんはとても優しい方で、☆くんはお母さんにとてもなついているのです。

でも、☆くんはお母さんに対して

しょっちゅう甘えたいけど、甘えたくない、

近づきたいけど、近くに来て欲しくない、という葛藤状態に陥りがちなのです。

そんな☆くんの急変ぶりに、●くんのお母さんはびっくりして、

☆くんもまた困り感をたくさん持っている子なんだと知ったようでした。

そうした☆くんの姿を通して、子どもとの関わり方を微調整していくことの大切さを

強く感じ取ってもおられました。

 

 

 


自閉症の子の会話やコミュニケーションの質を向上させる工夫 4

2013-10-24 23:23:47 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

わたしは、●くんのお母さんが●くんに話しかける時に、

●くんがつぶやいた言葉について「○○したいの?」などと問い返したり、

「そんなことないよ。お父さんのところへは行けないよ」などと間違いを正したり、

「○○してみる?」と誘ったりと、

●くんからの返事を期待する言葉や

●くんの態度の変化を求める言葉が多いことが気になりました。

といっても、どれも穏やかで優しい言い方で、

ほほえましいだけで、

本来、いちいち気にするような声かけではないのです。

それでも、●くんがとても過敏な子である以上、

そうした接し方は少し修正した方がいい気もしました。

 

言葉という点では、わたしにしても、●くんのお母さんと同じせりふを言っている場合も

けっこうあると思うのですが、

わたしが自閉症の子にかける言葉は、

言葉そのものの内容よりも、

不安を減らしたり、落ち着かせたりすることの方に重点を置いているので、

同じように聞こえても、過敏な子の受け止め方はずいぶん異なるのです。

 

相槌や絵本の中で繰り返される言葉のように

リズムのある言い回しだと、

自閉症の子の心に、自分が相手から何か求められているのではないか、

何を求められているのかわからない……といった不安感を生じにくいのです。

 

また、言葉をかけた際、それが伝わっていないように見えても、

聞こえていなかったようだから何とかわからせようと、

何度も同じことを告げるのは、不安をあおるように感じています。

 

わたしは、伝えたいことは、目で見える形で示して、一度言った後に

本人が聞いていないように見えても、そっとしています。

すると、たいてい、5分から10分すると、

それに対してきちんとした応答が返ってくることはよくあります。

 

●くんにしても、どんなに気づいていないように見える時も、

見せて声をかけたものは、5~10分ほどすると、

こちらが示したものを模倣して、それまではしなかったような新しい遊びを展開していきました。

そうした●くんの姿を見るうちに、

「どの言葉が正しくて、何がよくないのかわからない」と困惑しておられた

●くんのお母さんも、

ふっと腑に落ちるものがあったらしく、

「言葉がなかなか出なかったもんですから、●がちょっとでも言葉をしゃべると、

それに答えなきゃ答えなきゃとあせっていた気がします。

もう少し、ゆったり待つ必要があるんですね。

今日はほとんどエコラリアがありません。●が、本当にいろいろなことをして

遊んでいます」と言って、にっこり微笑まれました。

 

 


年の離れたきょうだいで、いっしょにカードゲームを楽しむためのルール作り

2013-10-24 13:46:38 | 通常レッスン

前回の続きは今晩にでも書きますね。

「6歳と3歳など年の離れた兄弟姉妹でいっしょにゲームを楽しむことはできますか?

上の子が必死になって勝ちたがるので、せっかくやりたがっていた下の子が負けてばかりで

途中からむくれてどこかへ行ってしまいます。

楽しく遊ぶいい方法はないでしょうか。」といった質問をいただくことがよくあります。

 

先日も、「小学校低学年の兄と未就園児の弟で、トランプゲームをするものの

神経衰弱なども弟がルールを理解しきれずに何枚もめくってみたり、

七並べにしても数字がわからないまま出していったりするので、揉め事が耐えません。」とお聞きして、

こんなゲームの仕方を提案しました。

神経衰弱をする際には、

カードの半分を表に、半分を裏にして、

弟くんは表になっているカードから同じものを2枚見つけ、お兄ちゃんは

裏になっているものから通常通りめくるのです。

力加減が対等であることが大事なので、

これでは弟くんばかり勝つようなら、お兄ちゃんがめくってもいいトランプの数を4~6枚に

増やすのもいいかもしれません。

 

七並べにしても、スペードなどあらかしめひとつのマークのカードを全て

弟くんのものとして分けておいて、

お兄ちゃんには残りのカードで通常通りゲームをしてもらいます。

弟くんの番には、自分のカードを並べるコーナーに、「連結、連結」と言いながら、

トランプをきちんと隣につなげていければOKくらいのルールにするといいのかもしれません。

 

教室では算数の学習の際も、兄弟姉妹で同じ場で遊びながら、

少しルールを変えることがあります。

写真は、年長さんの●くんと年少さんの☆ちゃん兄妹のレッスンのひとこまです。

 

☆ちゃんは、「4の次の数は?」とか「さんじゅうごのカードはどれでしょう?」という問題を解いています。

●くんは、「たかしくんは10個お菓子を持っています。はなこさんはたかしくんより7個多くお菓子を

持っています。ふたりのお菓子を合わせるといくつですか」という問題や

「40+2+2はいくつですか?」といった問題を出しています。

☆ちゃんも●くんもとてもよくできていました。