虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

ままごと遊びで能力アップ

2011-09-30 19:59:28 | 虹色教室の教具 おもちゃ

今晩、記事をアップしますね~と書いて、娘と出かけたものの、帰宅後に2階の大掃除をしていたらきりがなくなってしまいました。おまけに10時からネット上の読書会があるのです。そこで、過去記事を貼って、今日の記事はおしまい……にさせていただきますね♪
  

 

手先が不器用…な子のために
ペグさしやモンテッソーリ教育のお仕事をすすめても
嫌がってしないことがよくあります。

教室に来るちょっぴりこだわりの強い子たちが
好きな手先のお仕事を紹介します。

封筒におもちゃのお金を入れる

さいふにおもちゃのお金を入れる

貯金箱におもちゃのお金を入れる

などです。
学習っぽくない、封筒にお金を入れる作業は
特に人気があって
不器用さの目立つ子も熱心に取り組んでくれます。

他に、100円ショップの南京錠をはずす作業も
喜びます。

 

ままごと遊びを少し工夫すると、さまざまな能力を育てることができます。

まず他と区切られた空間は大事ですね。
教室ではテントを吊ることが多いですが、
お家なら敷物を敷くだけでもいいと思います。
ごっこ遊びのお家のインターホンをならして(声真似です)
宅配品を届けます。

宅配ごっこは
「包む練習」にもってこいです。

おりがみで包む場合、小さめの小物を。

いらない包装紙を適当な大きさに切ったものも
重宝します。
あまり引っ付かない状態にしたシールやテープで
最後にとめます。

紙で包む以外、ハンカチやナプキンで包むのも
いいです。
手先が器用になる上、見積もる力がついてきます。

こうした遊びを加える際は、教え込むことよりも
遊びの世界のバリエーションを豊かにして、
子どもの「やってみたい」を増やすことが大事です。

きれいに包ませようと教えすぎると、
遊び心が失われて
学ぶ意欲が弱くなります。


ものがたりの算数 (年中さん、年長さん)

2011-09-29 16:35:02 | 算数

想像力と創造力がとっても豊かな年中さんの★ちゃんと年長さんの☆ちゃんレッスンです。

「お話を聞かせて!」と言うので、

算数に関わるお話を即席で作って、ふたりに質問を投げかけてみました。

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<ものがたりの算数>

ある日のこと。

クッキーがたくさん、たくさんあったのよ。

先生が1枚食べてみると、まだたくさんあったわ。

もう1枚食べると、まだたくさんあったの。

それでね、もう1枚、もう1枚、もう1枚、もう1枚って食べて、しまいに9枚食べたらね、

びっくりすることが起こったの!

クッキーが少ししかなかったのよ!!!

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この話はふたりに大受けで、

ついでに「少しって何枚くらいだったと思う?」とたずねると、

なかなか抜け目のない答えが返ってきました。

「だって最初に何枚だかわかんないと、どれだけ残ったかなんてわかんないわよねー」と★ちゃん。

「ねー」と☆ちゃん。

「初めが100枚だったら?」とたずねてみました。

「ええーっ!!」と★ちゃんはびっくりした声をあげてから、疑り深い口調になって、

「それね、1枚、1枚って食べても、少しになるの?」とたずねました。

「おっかしいよねー」と☆ちゃん。

正確に答えがわかるわけではないけれど、

100という数の食べ物の量と、それをある程度食べてもたいして減らないという経験があるようです。

「じゃ、最初が10枚だったら?」とたずねてから、10の指を見せて1本、1本折り曲げて9枚分曲げると、

ふたりとも当たり前のことを聞く……とふんがいしたように、

「それは、す、こ、し、でしょー!」と言ってから、ちょっと自信なさげになって、

1が少しなのか、ただの1なのか

ふたりで相談していました。

 

そんな算数のお話をした後で、足し算、引き算の文章題をいくつか出すと、

ふたりともとても喜んで解いていました。

 

最後にもうひとつ <ものがたりの算数>

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魔法使いがいてね。

1枚のクッキーに魔法をかけました。

ちちんぷいぷい~エイ!1枚のクッキーたくさんになあれ。

(エイのところで、クッキーをたたくまねをします)

ほらね。こまごましたかけらが、いっぱいいっぱい。たくさんのクッキーになったわよ。

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この話にお腹がよじれるほど笑っていた★ちゃんに、

「本物の魔法使いじゃないから、しょうがないわ。こんな魔法でも。

だって、この魔法使いは魔法使いの格好をしていた☆ちゃんのお母さんだったんだもの」

というと、今度は☆ちゃんも涙が出るほど笑っています。

 

そこで、「でもね、たくさんのかけらはあっという間になくなったの。

なぜだと思う?」とたずねました。

 

いつも奇想天外なストーリーを思いつく★ちゃんが、「そりゃあ、

どろうぼうが持ってったってことも考えられるけど、

あんまりそういうことはないわね。

どろぼうはあんまりこういうところにいないから。

アリかもしれないわ。アリはちいさいけど、みんなで力を

あわせてうんしょうんしょって

運ぶこともあるんだから。

それと誰かがたべたのよ。子どもとか。

でも、先生。これはうその話?本当の話?」

「うその話」

ふたりは笑いながら、「うそなんかついたら、本当にあったことかって信じちゃうじゃない」

「そうよ。わたしのお母さんが魔法使いの格好していたって、本当かと思っちゃう」

「あら、でも、絵本のなかのものがたりはうその話もあるわよ。

先生のするお話は算数のものがたりだから、作ったお話なのよ。

ね、ふたりとも絵本にでてくるクマやうさぎがおしゃべりしていろんなことをする話は

本当の話だと思う?」

「ちがうよ。それはうその話だよ」と★ちゃん。

「でも、クマやうさぎがおしゃべりする話は、どれもみんなうその話なのかな? それとも、ほんのちょっぴりは

本当に話もあるのかな?」と聞きなおすと、

真剣な表情で考えていて、「やっぱりおかしいもん。きっと全部、うその話」「そうそう」という返事が

返ってきました。

 

わたしが、「うそのお話を考えるのもなかなか難しいよ」と言うと、

★ちゃんが、「そんなことないよ。うそなんか誰でもかんたんかんたんにつけるんだから。

幼稚園の◎くんだって、いっつもうそつくんだから」と言いました。

「どんなうそ?」

「きのうきゅうしゅうに飛行機で行ったっていうんだよ」

「きゅうしゅうでは何を食べたの?」

「ラーメン!」

「それは、凝っているうそねぇ。でも、本当にうそをつくのって簡単かな?」と

たずねると、★ちゃんの次のような返事が返ってきました。

「うそなら★も簡単につけるよ。あのね、きのう、くつやさんに行ったらおばけがいたの。

そのおばけのなかには、☆ちゃんが入っていて、☆ちゃんの中には奈緒美先生が入っていて、

奈緒美先生のなかには、★のお母さんが入っていて、

★のお母さんの中には☆ちゃんのお母さんが入っていたのよ。ほーらね、

うそついたわ」

「面白いうそね。なかにはいってるってどんな風に?」

「マトリョーシカちゃんみたいに。パカッと開けたら、どんどん小さくなっている人が

入ってるのよ」

 

それは、なかなか魅力的なうそですね……。

こんな風に★ちゃんは、お話を考えるのが大好きで、

☆ちゃんは、一日がどうして24時間なのかとか、宇宙や星のこととか、時間の流れや天体の動きや

身の回りのありとあらゆることが不思議でならない子です。

☆ちゃんとそうした話をしていると話が尽きません。

いつも遊んでいる仲良しさんのふたりですが、

興味を持つことや、理解する内容がずいぶんちがっています。

子どもの個性って面白いなとしみじみ感じます。

 

 

 


100円グッズでワンピース

2011-09-29 16:20:53 | 工作 ワークショップ

 

 

 

 

 

 

年中さんと年長さんのレッスンで、ワンピースを作りました。

100円ショップの何十枚かセットになっている使い捨ての介護エプロン2枚で

作ります。

制作時間は5分~10分くらいです。

子どもが介護用のエプロンをつけると、写真のようになるのですが、

脇をセロテープでとめて、

腰回りにもう一枚介護用エプロンを巻いて結ぶとできあがりです。

 

後ろ姿はこんな感じ。

スパンコールやシールやリボンを貼ったり、マジックで絵を描いたりして

仕上げます。


分数と小数についてのおしゃべりタイム

2011-09-29 09:41:31 | 算数

小学2、3年生のグループレッスンで。

ブロックで作った1のカステラについての切り方を考えています。

 

10個ブロックがつながった塊が1つのカステラだったときに、

0.1とは、どれだけにあたるでしょう?

 

20個のブロックがつながった塊が1つのカステラだったときの

0.1は、どれだけでしょう?

 

どうして、0.1という数は同じなのに、

ブロックの数が変化するのか、子どもたちとの話しあいを通して

考えを深めていっています。

 

5分の1、10分の1といった分数についても

包丁で切る動作をしてみながら

意味を探っています。

 

物差しの目盛りについてもいろいろな意見がでました。

1センチメートルを1とすると、1ミリメートルはその1に対して、0.1にあたるということは、

大発見。


すてきなアイデア  (ハムスタープールの自動ドア)

2011-09-28 23:42:27 | レゴ デュプロ ブロック

年長さんの☆くんのすばらしいアイデア。

ハムスターたちの巨大プールふたつをつなぐ

自動ドアを作ってくれました。(ハムスターにとって自動ですが、人間が動かす手動です……

 

☆くん、プールとプールの間にすきまを作って、ドアにするブロックを横向きに置いて、

左右にスライドすることができるようにしていました。

 

スイッチを押すと、ギーガチャンと開く仕組み。

 

これはすごい!わたしも次から、このアイデアを

使わせてもらいます。

 

 

 


教育と学習方法について考えること (息子とおしゃべり) 9

2011-09-28 22:47:09 | 息子とおしゃべり(ときどき娘)

息子 「学習を通して伸ばしていくものって、基本的な3つに分けられると

思うんだ。

一つ目は知識の量。

二つ目は思考の方法。文法のように体系化された学習内容を含むものだよ。

三つ目が地頭力。

学校では一つ目と二つ目の学習には熱心だけど、特に一つ目に偏った形でさ。

でも、三つ目の地頭力を伸ばす場面は少ないよね」

 

母 「そ。地頭力を育てる気持ちが薄いから、特別支援教室で学んでいる子が

せっかく勉強しても、それが将来の実生活で生かせていないのよ。

地頭力を伸ばせない問題は、学習支援の必要な子に限ったことじゃないけどね」

 

息子 「学校で地頭力を伸ばすカリキュラムが組みにくいのは、

地頭を伸ばそうと思うと、断片化して個別にパッケージできない種類のさ、

広範囲にわたる学習を統合するような勉強が必要になってくるからかな?

さっき話した『いろいろ考えた後で、それをひとつに統合して、蓋をするって作業』がさ。

でもそうした雑多の教科をまたぐ学習は、どれだけ進んだのかわかりにくいし、

成績として比べにくいよね」

 

母 「そうね。でも、成績で測って管理しやすいかどうかで

学習が偏ったり、子どもの思考法まで断片化するような方法ばかりに

なるのってどうなのかな?

せめて家庭や地域では相互コミュニケーションや創造的な活動を増やして、

子どもの生きる力を育てていかなきゃね。

思考が断片化しないためには、何かひとつの活動にしっかりコミットメント

する必要があると思うのよ。」

 

息子 「今の習い事は、感情を通してテレビドラマにあるような

うれしかったり悲しかったり、感動したり、耐えて努力したりっていう

体験の幅がないものね。わかりやすく断片化した体験が、

マニュアルで管理されて時間で売られている。

そんな風に何もかもが断片化されていくと、全てに通じる何かがわかった!って

瞬間が少ないかも」

 

母 「本当にそうよ」

 

息子 「そうだ。大学に入ったらさ、難関校を目指している中高生を集めて『数学クラブ』でも

作ろうかと思っているんだ。

お母さんのやってることとか、面白そうだしさ」

 

母 「お金を取る形で? それともボランティア?」

 

息子 「大学入試のために成績を上げることを重視したクラブなら、

お金を集めるつもりだし、そうじゃなくてプログラミングやゲームを通して

遊びを中心に部活風にするなら無料でしようと思っているよ。

どっちでもいいんだけどさ。

もしお金を取る形でするにしても、

実際に成績が上がった場合に家庭教師料をもらうとかさ、

お金を集めるシステムは学生らしい良心的なものにしたいけどね。

数学をわかりやすく教える自信はあるんだ。

まぁ、何でも実際やってみないと、はじまらないけど。楽しみだな」

 

これで長々と続いた息子との話合いはおしまいです。

 

そういえば、1年前にも息子と教育問題の話で長話をしたのでした。↓

わが子との会話を残しておくと、その時々の自分と子どもの感じていたことや考えたこと

が見なおせて懐かしいです。

教育現場に欲しい新しい言葉と新しい概念 1

教育現場に欲しい新しい言葉と新しい概念 2

教育現場に欲しい新しい言葉と新しい概念 3

教育現場に必要な 『ブラックボックス』 という言葉 1

教育現場に必要な 『ブラックボックス』 という言葉 2

教育現場に必要な 『ブラックボックス』 という言葉 3

教育現場に必要な 『ブラックボックス』 という言葉 4

教育現場に必要な 『ブラックボックス』 という言葉 5

教育現場に必要な 『ブラックボックス』 という言葉 6

 

 


教育と学習方法について考えること (息子とおしゃべり) 8

2011-09-28 20:07:03 | 息子とおしゃべり(ときどき娘)

外食ついでに教育と学習方法についていろいろと話しあった後で、

まだ話し足りなくて、結局、翌日も翌々日もその続きをあれこれ言いあっていました。

 

息子 「算数オリンピックとか数学オリンピックのいいところってさ、自らアウトプットするってところに

あるのかな?

学校の授業は一方通行にインプットされるばかりだし、定期テストはアウトプットとしては、

価値が怪しいしね。

前から定期テストのために勉強するのってどうなのかなって思ってたんだけどさ。

そもそもテストってそういうものじゃなくて、

勉強した成果がテストの成績であらわれるってのはわかるけど、

その逆はちょっとさ……続けていれば必ず学習動機を見失うよ。

話しが戻るけど、アウトプットってとても大事だと思うよ」

 

母 「でも、アウトプットが大人たち……つまり親や教師の

成果比べのために使われることもあるから、

どうなのかと思うときもあるわ。

インプットの良い面、悪い面、アウトプットの良い面、悪い面を押さえておく必要

があるのかもね」

 

息子 「確かに、コンピューター内って、誰もが気楽にできる

アウトプットのスペースになっているけど、

そこに問題がないといったら嘘になるしね。

アウトプットばかりだと、

他人の意見を聞かずに自分側から好き勝手なことを

言うだけになりがちだな」

 

母 「教育現場ではいい形で実現しにくいのかもしれないけど、

インプットにもアウトプットにも偏りすぎない

やっぱり相互交流という形の学びっていると思うのよ」

 

息子 「そうだな。相互コミュニケーションをしているときは、

思考が断片化されないってメリットが大きいもんね。

最近、思うんだけど、テレビを見ていると頭が悪くなるってよく言われるのは、

番組が低俗だからとか、脳内物質がアンバランスになるからなんてことより、

思考が断片化されてくからじゃないかなって思うんだ。

あくまでもぼくが自分でテレビを見てて

感じることで、何の根拠もないんだけどさ。

テレビの画面を目で追っていると、最初に自分の頭にあったことが、

次には何の脈絡もない話題に切り替わるようなことがしょっちゅうあるんじゃん。

そのせいでテレビがついていると理由もなく疲れていることがあるよ」

 

母 「断片化? あまり考えたことがなかったけどそうよね。

その断片化って、いろんなところで起こってきているように思うわ。

教育現場なんかでも」

 

息子 「確かに、学校の授業は思考を断片化しがちだよね。

集団で学んでいるから仕方がない面もあるけれど、

はい、次、はい、次……って、生徒の理解の度合いに関わらず

進行していくからね。

どうりでどの受験向けの参考書にも学校の授業を聞かずに

内職をすることを勧めているわけだな。

断片化しないようにきちんと思考をするには、

いろいろ考えた後で、それをひとつに統合して、蓋をするって作業が

いるんだろうけど、

ぼくは自分で勉強するときには、その都度、そうしたけじめをつけていくんだけど、

学校ではそういうことを大事にしないよね。

断片化のメリットは、生徒の進み具合が明確にわかることだろうから、

どれだけ進んでいるか、どこまで進んでいるかを教師や親が把握することが

優先され過ぎて、

むしろ思考を断片化していくことを良しとする風潮さえあるよ」

 


教育と学習方法について考えること (息子とおしゃべり) 7

2011-09-28 14:17:46 | 息子とおしゃべり(ときどき娘)

ゆとり教育世代の息子。

自分が受けた教育の質うんぬんより、

教育の形がより良いものに洗練されていくのでなく

その時々で、まるでファッションの世界の流行と衰退のように大きく揺れていくことに、

疑問を抱き続けていたようです。

 

息子 「自分自身で学ぶ内面のプロセスに関する情報っていうのは、

教える側にも、今の何十倍も必要だと思うよ。

 

だって、教師になる人は、例えれば箱の中にある青いボールについて

すでに知っている側、わかっている側の思考プロセスで教えようとするけれど、

教わる生徒は、箱の中に何色のボールがあるのかわからない側。

 

場合によっちゃ、ボールが入っているのかどうかさえつかめていない状態で学んでいるんだから。

 

そこで、青いボールについてどう説明するかとか、

青いボールの次に何色のボールについて教え、その理解度をどうやってテストするかってこと以外に、

箱の中に何が入っているかわからない状態から、そこにボールがあり、その形と色を認識するために

必要な思考のプロセスはどのようなものか、

わからないという状態にはどのようなわかる側からは理解しがたい盲点が潜んでいるのか、

情報として把握しておく必要があると思うんだよ。」

 

 小学生の頃、ボードゲームやパズルを手作りするたびに、

姉の友だちから、

「お前には初心者向けっちゅう発想がないんかーい」という突っ込みを入れられていた息子。

初心者側の視点に立つこと、学ぶ側、生徒側の理解度に配慮することの

大切さについて、

よく考えるようになっているようです。

教育問題については、次のような感想も言っていました。

 

「教育問題が議論されているとき、

一番問題に感じるのは、小学校、中学校、高校のそれぞれの教員の立場、大学の研究所の立場、

企業の立場、臨床の立場、予備校や塾の立場、

メディアの立場、子育て中の親の立場と、それぞれ別の切り口で

論点の優先順位が目まぐるしく変化していて、会話がちぐはぐになっているよね。

 

ぼくは教育の世界を語りあうためには、

その前提として、あらゆるマイノリティー側の意見も拾って、

数学的な平等さで体系化された相関図のようなものと、

それらをどの立場にも偏らない視点から網羅してある百科事典のような情報が必要だと

思うな」

 

母  「確かにそういうものがあると、教える際の立ち位置や自分の向かっていく方向

がわかりやすいわね」

 

息子 「何のためにそうした情報が必要かっていえばさ。

身近な例でいくと、○○式といった体系学習と、お母さんが子どもに教えるときの教え方の優劣は、

測れない種類のものだよね。

でも、多くの人はそうは思わないはずだよ。

メディアで成功しているか、有名であるかということが、

まるで教育の質の良し悪しを測ることができるように錯覚するからね。

 

過去の時代に価値を持っていた教育観も平等に評価しなおして、

子どもの生きている形について、できるだけ正確にバランスよく

教育という面から捉えて体系化すれば、

それぞれ教える側の人が、時代の流行に飲み込まれずに、

個人としてかしこくなれるよね。

自分はどのように教えるのか、その子どもにはどのような教え方が適しているのか、

一番いい方法が探りやすくなると思うよ。

それと、まず教育について議論するときに

迷走しないですむよね。」

 


教育と学習方法について考えること (息子とおしゃべり) 6

2011-09-28 08:39:46 | 息子とおしゃべり(ときどき娘)

息子と話しこむうちに、息子自身はどのような学校教育を受けたいと感じてきたのか、

どのようであればいいと考えているのか知りたくなって、それについてたずねました。

 

息子 「一度、勉強を損得勘定とつないでしまうと、そこから

勉強自体の面白さ……つまりパズルを解くような学ぶ楽しさに気づいていくのは

難しいもんだよ。

大人は、勉強しないと将来、こんな困ったことになる、こんな損をするといった

損得勘定を刺激するような安易な動機付けをして、

生徒たちを机に向かわせようとするけれど……

ぼくが学校で出会った先生たちのほとんどが、

口を開けばそうした脅し文句を繰り返していたけれどさ。

 

現実に社会を見渡せば、頭がよくなることがそのまま幸福な人生を保障してくれるわけじゃない

ことくらい小学生にも見えているんだよ。

実際、かしこくなればなるほど厭世的な思いにとらわれて、

無気力になっている人は多いよ。偉人の伝記を読んでも、ネットでの発言を見ても

それは顕著。

人と関わるのがおっくうになったり、

ささやかな善意を素直に喜べなかったり、

日々の営みをつまらなくてくだらないことのように感じて、

より単純なもので楽しめなくなっているんだ。

だからって頭がよくならない方がいいってわけじゃないけど、

教える側や教育する側に、脅し文句に変わる

もっと確かな教育のための哲学が必要だってことじゃないかな?」

 

母 「それなら、実際の教育現場はどのようになればいいと思うの?

現実に足りないものや改善点は何だと思うの?」

 

息子 「小学生って、足し算習って、かけ算習って……と、次々、新しい知識を

教えられていくけれど、後から振り返ると、

そうして6年間に何がどこまでできるようになったかなんて進歩よりも、

本当は習う内容なんてどうでもよくて、それを通して自分なりの勉強の

やり方をきちんと身につけることができたかってことが、その後の出来不出来を決めていく

と思うんだよ。

ぼくは小学校であれほど漢字を大量に書かされてもいっこうに覚えることができなかったのに、

ある時から漢字を覚えるのが簡単になったときに気づいたんだけど。

たとえ100回書いて苦しい訓練を積んだところで無駄な努力は無駄なままで、

それよりも1個の漢字を、ああ、こうしたら覚えられる、こうやってできるようになるんだってことを、

1回のプロセスの成功から身体で学ぶことが必要だとわかったんだ。

1個覚えるときに、どういう手順で、どういうプロセスで覚えたかわかったのかということを、

あいまいなままにせず、きちんと自分で了解すれば、

その後は急速に勉強が楽になる。

もし、教育の現場で、ひとつだけなおしたらいいことを挙げるとすれば、

自分自身で学ぶ内面のプロセスに関する情報を増やすってことかな。

教える側も、子ども自身も。

たとえば、足し算、引き算を大量に計算カードで練習している子たちは、

足し算ってどういう意味なのか、引き算ってどんなことなのか、

どういうときに成り立って、どのような不思議さや不可解さが含まれているのか、足すことと引くことで

どんな可能性が生まれてくるのかといった

「1+1」というひとつの数式に関する情報をほとんど与えられていないよね。

考える機会すらない。

そんなにも情報が少ないままに、大量に覚えていくことで、

自分でそれをわかるってプロセスがつかめないままでいる子は多いと思うよ。

そこに、なぜ、という問いが入り込む余白がないから」