虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

予測が100%当たってびっくり!? 2

2014-02-28 12:29:38 | 初めてお越しの方

予測が100%当たってびっくり!?

の記事を書いた頃、4歳になったばかりだった★ちゃんのお母さんから、

こんなコメントをいただきました。

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懐かしい記事に思わずコメントしてしまいました。今小1になっています。

記事の頃はナナメ線が認識しにくくて(うまく書けなかった)、

ちゃんと字がかけるようになるか心配していた時期でした。が、

先生の「大丈夫ですよ」の一言に、そのあとも字を教えることは一切せず

本人がしたいままそっとしておきました。

そうするとひたすら「うそ字」ばかりを書く時期がきて(この頃は大人の真似をして字を

書いている自分に満足しているようでした)小学生になった今は字を書くのが大好きに

なっています。

心配していたナナメ線の認識も、もしかしたら少し見づらいとかはあるのかも

しれませんが、とにかくうそ字の練習量(?)は相当なものだったので(笑)、

書く事に関してまったく問題ないです。

学校の担任の先生も「字を習って1年生に上がってきた子達はあまり文字に興味が

ないし、間違って覚えた文字を、正しい文字に覚えなおすのがなかなかできない」

おっしゃっておられました。

虹色教室に通っていると「あのとき教えなくてよかったなー」と思うことが

多々あるのですが文字もその一つです。


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↑は、★ちゃんが小学校に就学する前の春休みに、

虹色教室のマンガ雑誌用に作っていたものです。

絵からも文字からも描きたい気持ち、綴りたい気持ちがあふれだしてくるような

作品ですね。

 

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文字は、子どもが強い興味を抱いて

書きたがる時期に教えてあげるのがいいと思っています。

子どもによっては、その時期がとても早い子もいます。

 

下の作品はもうすぐ年中さんになる☆ちゃんが

お家で作ってきてくれた『ももたろう』の絵本です。

一緒に教室に来た1年生のお姉ちゃんが

「☆がね、字も絵も全部、自分でしていたんだよ」と教えてくれました。

 

☆ちゃんが教室に通い始めたのは、0歳7ヶ月のとき。

工作体験がたっぷりあるので、何事もねばり強く最後まで取り組む根気が育っています。

☆ちゃんはピッケの絵本作りの会というイベントに参加したり、

お姉ちゃんがレッスンでカセット絵本を作っているのを見たりしてから、

絵本作りへの興味を募らせていたようです。

お話の中身は、図書館で自分で選んだ絵本を真似て書いたそうです。

 

 

 

ボタンを押すと「ピンポーン」と音がする赤ちゃん絵本を利用して、

次のページに移る合図に「ピンポーン」という音を入れながら、

絵本の文章を録音しました。

 


怖いもの知らずで聞き分けのない2歳児。 強く叱った方がいい?

2014-02-28 09:54:57 | 0~2歳児のレッスン ベビーの発達

過去記事です。

 

怖いものしらずで、聞き分けのない2歳3カ月の☆ちゃん。

 

そうした相談をママ友や祖父母にしたところ、

「まだ2歳だから言うことを聞かないのは当たり前。いちいち怒る必要はない」

というアドバイスと、

「昔のように怖い人がいないから、大人の言うことを聞く気がない。

もっと大きな声で厳しく叱った方がいい」という正反対のアドバイスを受けて、

どう接したらいいのかわからなくなったそうです。

 

叱られても知らんふりするか、笑い声をあげるかして、

悪さを続ける☆ちゃんに対して、

怖がらせるほど強く叱った方がいいのか、

危ないことをしたときには体罰を加える必要もあるのか、

まだわからないのだから、抱きしめて気をそらしてやればいいのか、

迷っていたのです。

 

そんな相談をうかがいながら、

わたしは☆ちゃんと☆ちゃんのお母さんと連れだって公園に遊びにいきました。

そうしていっしょに過ごすうちに

☆ちゃんのお母さんが叱り方に悩んでいる理由がよくわかりました。

というのも☆ちゃんは、道路で車が通りかかったとたん、

突然、手を振り払って車の方に走っていこうとしたり、

他所の家の郵便受けを開けることとか、汚いゴミを触ることとか、

どうしてもやめさせなければいけないことばかりしたがる上、

それにしつこく固執するところがあったのです。

抱いて連れて行こうとすると、反り返って激しく抵抗します。

アスレチック付きの滑り台にのぼっていく際、小学生のお兄ちゃんたちが

滑り台の前のスペースでカードゲームをして遊んでいたのですが、

ひるむことなくお兄ちゃんたちの輪のなかを横断すると、滑り台に上についている鉄棒に

ぶらさがりました。

その後、滑り台をいきおいよく滑ってきて、何度もそれを繰り返しました。

言葉でだけ説明すると、

 

「2歳児はまだものがわかっていないから、そんなの当たり前」と

いえばお終いなのですが、

どうも☆ちゃんには一般的な2歳児とは微妙な点で異なる面があって

☆ちゃんのお母さんを悩ませていることがわかりました。

 

それは「危険に対する警戒心のなさ」「危険そうなものに惹かれてこだわる傾向」

といったものです。

 

「危ない、ダメ!」と強い口調でストップをかけたにも関わらず、

子どもが突然走っている自転車に近づこうとしてヒヤッとする……といった出来事が

重なると、大人が大きな声で「ダメ!危ない!」と注意したら、

ストップできるようにだけはさせておかなくちゃ、

怖いものがないから言うことを聞かないから普段からこの人は怒ると怖いよと

わからせておかなくちゃ、と思うようになる気持ちはわかります。

 

また、☆ちゃんのように、わざわざ触って欲しくないものにばかりこだわったり、

他人に迷惑をかけることをしつこくやりたがったりする場合、

「怖がらせておかなくちゃ」という気持ちがだんだんエスカレートして、

2歳児相手に一日中、怒り続ける行為にもつながりがちです。

 

☆ちゃんのようなタイプの子には

どのように接するのがいいのでしょうか?

 

☆ちゃんを見るうちに、叱ったり、怖がらせたりするより

先にするべきことがあるように感じました。

 

わたしが気になっていたのは、☆ちゃんのお母さんを求める気持ちの薄さです。

 

☆ちゃんは誰にでもすぐ甘えて人懐っこい半面、

お母さんとほかの人の違いがわかっていないようにも見えました。

そのためか、転んだり、軽いけがをするような場面で、

泣いてお母さんに甘えるのではなく、

一瞬、泣き顔になって、放心したように突っ立っていたかと思うと、

たちまちケロリとして動きだすことがたびたびありました。

痛みや不快な体験に対する鈍感さのようなものも感じました。

 

暗い部屋にひとりでスーッと入っていって遊んでいたり、

ちょっとこれは危なそうだぞ、という人や場所にも躊躇せずに、

近づいたりする姿も目立ちました。

 

わたしには、☆ちゃんの問題は、厳しく叱る大人がいないため怖いものがなくて

危険なことをするというより、

人見知りをする時期の子が他人に見せる警戒心のようなものの足りなさや、

「怖い」とか「不安」といった感情に対する鈍感さにあるように感じました。

 

そこで、☆ちゃんのお母さんに、

☆ちゃんが、「お母さんじゃなきゃだめ。お母さんが一番好き」と感じるくらい

たくさんスキンシップを取って、☆ちゃんにかかわるように勧めました。

 

また、日常の小さな体験を☆ちゃんの目線でいっしょに味わいながら、

「そうっとそうっとね」とか「痛い痛い」「怖い怖い」など、

感情を言葉やジェスチャーで表すようにもしました。

身体が固くて、背中を触られても気づかないような鈍感さが気になったので、

ごろごろ転がったり、ピョンピョン飛んだりする遊ぶなど、

感覚を統合する遊びを増やすことも提案しました。

 

それから2週間後、わたしを見るとすぐにだっこするようせがんでいた

☆ちゃんが、少し固い表情でわたしを見上げました。

そして、お母さんには何度も笑いかけながら、抱きついていきました。

 

そんなふうに、お母さんが一番、よその人はちょっぴり怖い……という

人見知りに近い態度が出てくると、

気になっていた鈍感さが、目に見えて減っていました。

まるで耳が聞こえないかのように振舞うことも多かったのに、

呼ぶとパッと振り向いたり、

「それ、ちょうだい」と指さして指示すると、

ちゃんと指さしている先のおもちゃを取って渡してくれるようにもなりました。

「怖いね、怖いね」とか「どうしよう、どうしよう」など、

感情をいっしょに味わうのも上手になって、

おそるおそる覗きこんだり、怖がる真似をしてキャッキャッと笑い声をあげるように

なってきました。

 

そんなふうに、いろんな感情を感じとりやすくなってくると、

危険なものに会うと、ちょっと振り向いて、

お母さんの表情をうかがうようになってきます。

そうした☆ちゃんの変化を見て、愛着の薄さが感じられるときに叱って怖がらせて

さらに愛着がつきにくい状態にしなくてよかったとしみじみ感じました。

 

強く叱るべきかどうか迷ったときには、まず子どもの様子をていねいに観察してから、

接し方を決めるといいですね。

 


遊びと学びの中間ゾーン

2014-02-28 09:50:04 | 工作 ワークショップ

工作はただ工作するだけでも、

巧緻性や創造力や芸術的な感性を高めてくれる楽しい活動です。

でもそれではちょっともったいないな~と感じるのです。

工作活動を支援する大人がほんの少し工夫するだけで工作は小学校に上ってからの

さまざまな分野の学力の基盤を作ってくれるものだからです。

そのためにはどんな工夫をすればよいのか、私が気にかけている点を書いてみます。

工作教室やアトリエに通っていると、「もう工作はしたから十分」と大人は思って

しまいがちです。けれどもそうした創作活動だけを主とした場とは別に

工作と勉強の中間ゾーンを意識した活動時間も持っていただきたいのです。

工作中、どんなことに気をつけると学力につながるのか……というと、まずひとつは、


★「見積もる力をつける」ということです。

見積もる力は、大人の指示に従いながら、集団で同じものを作っているうちはなかなか

身につきません。どんな簡単なものでもいいから、自分で作りたいものがあって

試行錯誤するとこうした力はアップします。

たとえば、四角形の周りの長さが20センチ、縦の長さが4センチの長方形の面積を

求める問題を見積もる力は、箱やひもを使って工作しているときに、

材料が足りなかったり、思うように作れなかったりする経験の積み重ねから生まれます。

準備しすぎず、完璧を目指しすぎず、教えすぎないことが工作を学力に結び付けます。

もうひとつ。

★ 道具の使い方を教えることも大事。

それも完成した道具よりも、ひもとプッシュピンと鉛筆をつないだコンパスとか、

お皿を使った円の描き方とか……が最適です。

なぜかというと、そうした原始的な道具は、辺や中心点の意味をそのまま子どもに

悟らせることができるからです。

また、ものさしの目盛りの読み方や、はかりや分度器の使い方をマスターさせると

理科でも算数でも役立ちます。

教え込むのでなくて、ゆっくり子どものペースでマスターさせていきます。

★ 動きを加えて、理科の知識を増やし、工作道具で遊ぶことが、実験の結果を

理解することにつながるようにする。

★ さまざまな角度からのものの見え方に興味がわくように工作する。

★ 手を使ったさまざまな作業を正確にマスターさせる。

★ 素材について学ばせる

★ 積み木やブロックなどシンプルなもので、頭を使う。

デュプロブロックとレゴの小さなパーツのブロックでは、デュプロの方が見積もる力を

育ててくれる一面があります(本格的なレゴ作品は別)。

パーツの形が決まっているので、計算しながら組み立てないと、

形が作れないからです。

どんどん複雑に、難しいものを・・・と親心でおもちゃのレベルを上げることは、

学力につなげるという点からいうとあまりよくないように思います。


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先の記事と重なる部分が多いのですが、遊びと学びの中間ゾーンを意識した活動の様子を

いくつか紹介しますね。


小学生の女の子ふたりの『お祭りの屋台ごっこ』です。

「分類する」作業が遊びに含まれていると、

楽しさが増すし、遊びの世界が広がります。

カラフルなおはじきやビー玉を色分けしては、キャンディー屋さん、ジュース作り、

魚の配達などをして遊んでいます。

 

 

水風船を膨らませて、ヨーヨー釣りを作りました。

 

 

「ろ過する」作業を喫茶店遊びに入れています。

 

 

屋台で売る小物として指輪を作っていました。

「折り紙を半分に折り、もう一度半分に折る」という作業で、

どの折り方が適切な細さになるのか考えました。

 

こんなシンプルな物作りでも、折った後の形を推理するようにしていると、

算数のセンスが身についていきます。

 

 

屋台とは関係がないかもしれませんが、

『ピッケのつくるえほん』というソフトで手作り絵本を作って、

販売するコーナーを作りました。

本作り、マンガ雑誌作り、新聞作り、詩集作り、写真集作りなども

遊びに取り入れると、遊びの質が上がります。



クレープ製造機。


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この日の午後に来た小1の男女のふたごちゃんと幼稚園の女の子のレッスンの様子です。

午前のレッスンの女の子たちが作っていた屋台用の遊び道具をもとにして、

自分たちが考えた遊びをいろいろと発展させていました。

 

色違いのスライム作り。



ヨーヨー釣り用の釣る道具は

ティッシュペーパーにモールの釣り針をつけて作ります。

簡単な工作だからこそ、物差しで測る作業や

「1㎝はどれくらいの長さか?」「10㎜は何㎝か」といったことに

気をつけて作ることができています。

 

 

濃度の異なる砂糖水を作って、二層ジュースを作っています。



水で膨らむジェルを使って遊ぶついでに試験管に入れて遊びました。

それぞれの数を描きだしたり、大きい球のときと小さな球のときでは、

どちらがたくさん入るのか推理したりしました。

 

 

「Aの5」「Fの6」など、座標を言って攻撃するバトルシップゲーム。

とても面白かったようです。

 

 

付録のおさるのてんびんばかりで遊びました。

付録で遊ぶときは、説明書が自分で読めるようになるようにサポートしています。


親の学習(子どもへの教え方)のポイント

2014-02-27 17:25:28 | 教育論 読者の方からのQ&A
レッスンに親御さんも同席していただいて、
親御さんに「子どもへの教え方のコツ」を学んでいただいたあとで、
それまでどうしてうまく伝わっていなかったのか、
どういう点がわかりにくいのか見えてくることがあります。

そこで、親御さんが混乱しやすい子どもへの教え方のコツについて、
いくつか紹介していこうと思います。

昨日、午後の科学クラブは親御さんに参観していただくことにしました。

すると、子どもだけのときは、かなり集中してさまざまな取り組みができる子
たちなのですが、日ごろ、お母さんと一緒に遊びに行ったときのモードになった
ようで、自由にはじけて遊ぶ姿がありました。

それはそれで、友だち同士の協力の仕方や、問題の解決法、
長所や性質を親御さんに具体的に子どもが地を出している姿から
学んでいただけるのでよいかと思い、子どもたちはゆるめのレッスンにして、
親御さんたちにいろいろ学習していただきました。

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段ボールで作った自動販売機で、100円、50円のコインを持たせて
買い物をさせるというシーンで、

★100円と50円を合わせたら、150円がわかっているか?
それがわかっている場合、100円と20円なら?
100円が2枚と50円なら?
という課題があります。

★50円2枚と100円が交換できるか?

それから、
★200円を投入し、50円のおつりが返ってくる体験。

★100円2枚と50円1枚持っていて、
130円のものを買うとき、どの2枚を出すとおつりが少なくてすむか。

そのように、段ボールに穴をあけただけの自動販売機ごっこで、
どんどんお金や大きな数への理解度をあげていくことができます。

親がそうしたゆるやかな段階にどんなものがあるかを把握していることで、
算数の文章題でも、国語の読解でも簡単に解けるように、
子どもを導いていくことができます。


よくブログでは「教えすぎない」と書いているのですが、
正確には、
「まだ子どもがその概念を理解していない場合、無理矢理わからせようと
がんばらない」という意味で、
何ひとつ教えてはダメという意味ではないのです。
その子にとって、ちょうどいい知的な課題を子どもたちはとても喜びます。

はじめて知識に触れるとき、子どもの中で、その情報に関する
「おわん」ができます。それにいろんな体験で、
ポタン、ポタンとしずくのような情報がたまっていって、
それがあふれるとき、理解するのです。

「教えすぎない」とは、
おわんを作って、集中豪雨を浴びせて、無茶して
水をあふれさせたらいけない……という意味なのです。

まだ書くことがおぼつかない子に、
文字をていねいになぞることを徹底すれば、
なぞるべきでない、アバウトに捉えて描く場面でも、なぞることしかできなく
なってしまいますよね。
知的にも、身体の技術としても、自然に自分で欲して理解にいたる
時期でないと、思い込みや勘違いをたくさん生んでしまうのです。

プリント学習の教室に通っている子が、
どう見ても引き算の文章題を足し算で解くので、どのように考えたのかたずねると、
「1つ前の問題が、引き算の時はいつも引き算だから」という答え。
(その子の教室のプリントは、1問目が引き算の場合、すべて、
引き算の問題で構成されているそうなのです)
わかっていないときに、正解するために編み出す方法は、
場面が変わると通用しなくなる例ですね。

先ほどのお金でしたら、両替がわからない子には、
その場で教え込むのでなく、
買い物やお手伝いなど、さまざまな場面で、両替をする体験を増やして
あげることだけでいいのです。
1回ですべてわからせようとすることから、うろ覚えの理解が生じます。

子どもの自然な知力の発達を見守りながら、新しい「おわん」を作っては、
どこでも、ポタンポタン水がたまり続けている
状態にすることが親のちょうど良い教え方だと考えています。
 
 
 
中学や高校の入試問題を見ると、
幼児期や小学生の時期にどんな教え方をすればよいのか
見えてくる場合がよくあります。

写真は、偏差値が中の上クラスの中学入試の問題です。

特にめずらしい問い方をしているものではなく、
高学年の子なら、
このくらいの問題がきちんと解けると良いな~という内容です。

省略してある方眼紙が描いてあって、
(P,Q)と点を表すとき、

点(15、23)から右へ1、左へ3、次に下へ4……
と進んだ先の点をあてる問題

点(27,18)から右へ3、次に上へ2と行くことを繰り返して、
方眼紙から外にでる手前の点をあてる問題

などが出ています。

こうした問題、見た目は難しいのですが、
教えてもらって、誘導されるままに解いていくなら、
幼児だって解ける問題なんです。

「右に3いってね、それから上に~」と教えていけば……
また、それが定着するよう繰り返し訓練すれば、誰でも簡単に解けますよね。

でも、実際に小学生が、らくらくこうした中学入試の問題を解いて
いけるかというと難しいのです。

なぜかというと、
「これはね、こうやって、こうやって、こうするのよ」という
説明を受けてやるのなら、
幼児でもわかるレベルの問いだったとしても、

それ以前に、

問題を読んで、「あ~こういうことが問われているのか」と
理解する力

「こういう手順で、解いていけばいいんだな」と
自分で解く手順を考える力

そうやって、全体を押さえてから、ミスがないように
部分部分に集中する力

が必要だからです。

解き方を易しくかみくだいて、説明して解けるようになった
ところで、そうして大人に、
「何をすべきか決めてもらっては、作業している子」は
ちょっと問い方が変わればできませんよね。
(最近、人気の通信教材も、□ の中を埋めていきながら、解説が誘導するままに解き方を覚えて、同じタイプの問題で復習~という
学習スタイルのものが多いですね)

幼児がおもちゃで遊ぶときにも、
すぐすぐ説明したがる方がいますよね。
でも、そうした説明したがりでお世話が大好きな大人が
近くにいると、子どもは、いくらおもちゃは上手に遊べるように
なっても、自分で察して自分で判断し、自分で試行錯誤する力が、
奪われていきます。


それまでしたことがないものを目にして、
自分なりにあたりをつけて、
「こうかな?」「こうやるのかな?」と
だいたい察することができたり、
失敗しつつ、自分の行動を改善して、
「できる」状態にしていくことが大事で、
0歳くらいの赤ちゃんでも、本能的にそうした行動を取ろうとする
力を宿しています。
ただ過干渉で過保護で、何でも先に教えようとする大人がいると、
それはできるようになっても、他の場面で応用がきかない、
誰かに説明してもらった後でないと、
どんなに易しいものも考えられないという癖がついてしまいがちです。


この問題を小5の男の子に解いてもらったところ、
(27,18)から右へ3、上へ2といくのを繰り返して、方眼紙の外にでる手前の点を見つけるときに、
つらつらと、全ての点を書き続けていました。
そして、解けました。

確かに、答えは出たわけだけど、
だいたいこの問題は○分以内に解かなくちゃならない~という
目安がありますよね。
つらつらつらつら~全て書き出していたら、
いくら時間があったって足りません。

こんなとき、どんな力が必要かというと、
自分のしている作業の途中で、やっていることを再検討し、
「効率的に工夫して解けないかな?」
「ルールはないかな?」と俯瞰した視点から眺めなおして、
改善、修正していく力。
それから、時間配分に気をつけて、
大きな流れを意識しながら、テストをしていく力です。



予測が100%当たってびっくり!?

2014-02-27 14:59:49 | 幼児教育の基本
過去記事です。
今日は、3,4歳の女の子たちの月1回のグループレッスン日。
4歳になって間もない★ちゃん、☆ちゃんのお母さん方から、
「実は、初めの頃は、半信半疑だったんですけど、
先生のおっしゃる通りに、工作環境を整えてのんびり子育てしていたら、
次はこんなふうに成長しますよ、という言葉そのままに成長していくのに
びっくりしています。

3歳、4歳になったころには、ボードゲーム類を好むようになるので、
目につく場所に準備だけはして、無理にやらせないようにと聞いてたんで、
その通りしてたんです。
でも、買ったときは興味なしですし、そんな時期来るのかな?と怪しいくらい
だったんですけど、やりたがるとき、適当に駒を進めて遊ぶという本人のしたいように触らせていたら、
4歳の誕生日が近づいたら、ひたすらゲームをしたがるようになりました」
★ちゃんのお母さん。
「うちの子は、オセロに夢中です」と☆ちゃんのお母さん。

どちらも、知能が急成長したように見える時期の前は、
しばらくボーッとして何もせず、停滞する時期があったそうで、
それも私が言っていた通りになったと驚いておられました。

「子どもって自然に育てていたら、こんなに賢く育つんだ~」と
日々、うれしい驚きを感じて、生活してくださっているそうで、
うれしいです。

今回のレッスンで、子どもたちは文字ブームでした。
といっても、ひらがなの書きを練習させているわけではないので、
それっぽい「うそ字」が多いのですが……。

ごっこ遊び中、
「メニュー表作って!コーヒーとアイスコーヒーとバナナジュースの。
それから、レシートもいる」「チケットも!」「手紙も」と、紙に書いてある文字は何でも取り入れたい様子。

早期にひらがなの書きを練習させず、3,4歳まで自然な発達を待っていると、
「文字の敏感期」と言えるような文字にとても敏感な時期が来ます。
それまでに、ひらがなをワークなどで教えてしまうと、
この時期に、文字が社会でどのように使われているのか、
興味しんしんで、「自分も書いてみたい」と強く願い、
遊びに文字をどんどん取り入れようとする意欲が薄くなる子もいます。

空腹感がなければ、食べたいと思って食べ物を探さないのと同じように
知識も敏感期の強いエネルギーで吸収しないと、
知っているために、文字を見ても無関心という状態も起こりがちです。

子どもの自然な成長を信じ、
その時その時に最適な働きかけをすることが大切ですね。

最近の子ども向けアニメのストーリー展開 と 笑いのツボ が 気に入らない? 2

2014-02-26 13:03:04 | 息子とおしゃべり(ときどき娘)

ゲルランゲがおそうじを覚えた理由は、

大人の言うとおりの恐ろしい体験をして懲りたからではありません。

また、次にも大人の言うことを聞かなかったために、

怖い目に合うのを恐れたからでもありません。

自分の考えは子どもっぽくて間違っていて、大人の言うことが正しいんだと悟った

からでも、自分の言動や性格について反省したからでもありません。

恐ろしい体験をして、言うことを聞かないゲルランゲが優等生のゲルランゲに変わった

わけでもありません。

 

それなら理由は何かというと、

ゲルランゲは、冒険と体験を通して、ゲルランゲという個性のまんま

成長したからなのでしょう。

 

強情っ張りのゲルランゲは強情っ張りの性格のまんま、

おそうじごときで意地を張らなくてもいいほど、

そして家族の深い愛情を理解するほど大人になったのでしょうし、

「おばあさんを喜ばせたい」という素直な感情が

ゲルランゲの心の変容の後押しをしたのでしょう。

 

そうしたゲルランゲの姿は、教室で見る子どもたちの姿と重なります。

子どもが本当の意味で成長するのは、その子の悪いところも含めて

しっかりとその子自身の個性で生きたあとだし、

それは待つことと見守ることを含めた愛情という土壌でだけ成り立つことなのです。

子どもの心は大人が与えたがる道徳教育とは別の筋道を通って

人としての資質を身につけていきますから。

 

息子は、ゲルランゲの童話を読んでから、面白そうに笑ってこんなことを言いました。

 

息子 「ゲルランゲは作家っていうすでに大人になっている人とは別の

ひとつの人格を持った子どもとして活躍しているね。

 

少し話が逸れるけど、

小説が作家の妄想であったとしても、キャラも妄想であっちゃいけない、

空想の世界で作家は主人公になっちゃいけない、って意見をどこかで読んだことが

あるんだ。人間って、100%自分がイメージできるものは、不思議と面白いと思わ

ないもんだよね。

 

物語のリアリティーは、作者がやりたいことをやるっていう願望充足とは別に

自動的に作りあげられていくところがあるよね。物語自体の持つ意志のようなものがさ。

それに添っているかどうかが、

子どもの心に忠実かどうかに対になっているように思うよ」

 

わたし  「物語自体が自動的に展開していくって話……同じようなことを、

ゲド戦記の作家のそんな言葉を目にしたことがあるわ。」

 

息子 「へぇ、そうなんだ。ぼくは、物語は、実験に近いような面があると思うんだ。

試してみてはじめて、何かを見つけたり、何かが生まれたり、次の展開につながったりするよう

な部分があるってことだけど。

 

お母さんが教室の子たちとティッシュ箱でする工作にしても、

一番初めに、自分の思いを完璧にイメージできてしまったら、

作る意味が半減するんじゃない?

なぜ作るのかといえば、そこにある実験的な要素のおかげで、

偶然、新しいものを発見することができるからだよね。

設計図を描くのにしても、

イメージしたものをわざわざ描く理由は、ただ頭の中にあるものを紙に写しだすため

だけじゃなくて、描くうちにイメージした時点では気づいていなかったものを発見する

からだし、描くうちに、自分の見え方そのものが変わっていくからじゃない?

 

子ども向けのアニメを作る上で、そうした偶発的に作る過程で起こることを

大事にしないで、最初に設定したテーマの中で、作り手の主張したいもののために

キャラクターたちを都合よく動かしてしまったら、

子どもの心から遠いものになるんじゃないかな?」

 

 

 

 


最近の子ども向けアニメのストーリー展開 と 笑いのツボ が 気に入らない? 1

2014-02-25 13:23:44 | 息子とおしゃべり(ときどき娘)

わたしは娘とも息子ともよくしゃべります。

娘とのおしゃべりは、人間関係のことが主なので

相手方のプライバシーの問題もあって記事にできないのが残念ですが、

たくさん話をすることで、娘の生きている世界、世界を眺める視線、葛藤、心の軌跡が

手に取るように伝わってきます。

 

息子とわたしは、お互い直観のアンテナに引っかかったものを言葉にするのが

好きなので、ちょっと気になるものがあると何にでも首を突っ込んで、

食事の間中、しゃべり通していることがあります(行儀が悪いことこの上ないのですが、

わたしは片手にペンを持って、メモを取りながらしゃべっています)。

 

娘との会話も息子との会話も、冗談混じりに思いついたことをポンポン言い合っている

だけなんですが、その背景には常に、

「今、この時代を、この社会で、どう生きるのか」というテーマが透けているように

感じます。

おそらく若いふたりには「これからどう生きていくか、社会とどう関わっていくか」が、

わたしにとっては、「中年期の課題を充実したものにしたい」が、

常に旬の話題だからなんでしょうね。

  

夕食時のこと。

わたしが、「ごくたまにだけど、最近の子ども向けのアニメって

どんなストーリー展開をしているのかなっと思って見ることがあるんだけど、

どうも腑に落ちない……というか、

やたら明るくて安全な世界が描かれているのに、

ちょっと気持ちが暗くなるものが多いのよね。ドラえもんも今風になってたわ。

 

お母さんの子どもの頃のアニメは、子ども向けとは思えないドロドロしたストーリー

設定や残酷なシーンもあったけど、子どもの心の真実には忠実だった気がするのよ。

 

その点、最近のアニメは、

大勢でするポケモンを民主主義モードに固定してゴールまで行っちゃおうって方法に

何だか似てるのよ。

大多数の子の思いを体現しようとしているのに、

たったひとりの子の心の真実も、ちゃんと生きさせてあげないって感じがするのよね。

すべて見たわけじゃないから、どのアニメもそうなのかわからないけど」と言うと、

 

息子が、「何か言えるほど見たわけじゃないけど……」と前置きしてから、

「この間、いくつか見て、同じようなことを感じたよ。

昔のアニメの主人公は、悪いことをするとき、それが社会的に見て悪いことでも、

その子自身にとったら悪くない……というか、つまり、

自分が正しいと信じているものや自分の中の善を真剣に追いかけてるようなところが

あったよね。外に向かって嘘をついている場合も、自分には正直だった。

 

でも、この頃のアニメは、本人が明らかにそれが悪いことだとわかった上で、

ちょっとくらいいいよねっと

周囲に妥協して許してもらおうと甘えながら、悪いことをしているって感じだったな。

笑いの取り方も、誰かがミスしたときやお決まりのルール違反をしてしまったときで、

それを子どもが面白いと感じているのか、

面白いと感じさせられているのかわかんないな。

 

だいたい、子どもがストーリーのどこにワクワクするのかといえば、予定調和が崩れて、

これをしたらダメなんじゃないかな、こんなことしてもいいのかな、

と思うようなことに手を染めざるえないような状況になってさ。

それをきっかけに自由や冒険やスリルを味わったり、

罪悪感や起こしたことの責任を取るために苦しんだりしたあとで、

その子としての心の解決にまで行きつくことじゃないかな?」

 

わたし 「心の解決? そうそう。子ども自身が自分で納得しないと、面白くない

わよね。外の圧力に納得させられるんじゃなくて、自分でする体験で納得したいはず。

それが、アニメの主人公に自分を重ねてするような想像上の体験にしたって」

 

息子 「どこまでも予定調和でいくストーリー展開を見ていて、イラッとするのは、

最終的に解決さえあれば、議論を放棄してもいい、ってスタイルが当たり前になって

いるからかな?自分の内面での議論も含めてだけど。

 

その思考に至るまで、主人公が、いったん間違った考えを抱いたとして、

なぜ間違ったのか、その問題と自分なりに折り合いをつけていくプロセスがなくて、

主人公が一般論や偏見に言いくるめられるようにして、

結果オーライになっているところがいい気がしないんだ」

 

わたし 「子ども向けの短い素朴なアニメにしろ、童話にしろ、

きちんと子どもの心の現実に添ってるものは、子どもが主人公に自分を重ねるうちに、

 自分だけの答えを見つけられるように作られているわ。

そう言えば、押入れの中にお母さんがずっと大事にしている本があったはず……。

ちょっと待ってて。」

 

わたしはそう言って2階から、『おそうじをおぼえたがらないリスのゲルランゲ』

という童話を探し出してくると、

最初の数ページと最後のページを読むように勧めました。

「最後のページのゲルランゲの言葉と行動の変化は、

★(息子)の言う子どもの心の解決をきちんと描いているわよね」と言いながら……。

 

ゲルランゲの話は、わたしが五つか六つの頃に、繰り返し読んでいた童話です。

 

こんな話です。

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むかしブナの木に11ぴきのリスのきょうだいがおばあさんリスといっしょに

すんでいました。

いちばん小さな子リスはゲルランゲ。すこしなまけもので、

たいへんごうじょうでしたが、とても元気で、ひょうきんで、すばしこく、おまけに、

かわいい、ぬけめのない顔つきをしていましたから、だれでも、すきにならずには

いられませんでした。


子リスたちは、夕ごはんの後のおさらのかたづけとそうじをするのがきまりでしたが、

ゲルランゲはおさらをかたづけることは気もちよくしたけれど、

おそうじがすきではありませんでした。

ある日、どうしてもおそうじをおぼえたくなかったゲルランデは、ブナの木のいえを

出ていきます。「ぼく、ごはんなんかいらない。野宿したっていい。オオカミにたべられ

たっていい。でも、ぼく、おそうじはおぼえたくないんや」とへりくつをいいながら。

 

そうして、ゲルランゲはオオカミにたべられそうになったり、キツネやアナグマにあって

こわい目にあったり、フクロウにちえをもらったりしたあとで、

ようやくブナの木に帰ってきます

 

 

<ゲルランデがブナの木にもどってきた場面です>

子リスたちは、おとうとがかえってきたので、とてもうれしくなって、十ぴきみんなで

ゲルランゲのまわりをとびまわりました。

「わかっただろ、ゲルランゲ?」と、にいさんたちは、いいました。

「意地っぱりだと、こういうことになるんだよ」

「だけど、ぼくがどうなったっていうの?」ゲルランゲは、木の枝のはしっこで、

ぶらんぶらんしながらこたえました。

「オオカミは、ぼくをたべなかった。ぼく、ごはんにもありついたし、

野宿もしなかった。ぼく、ひとりぼっちでおどりもしなかったし、それにおそうじを

おぼえてもこなかったよ」

けれども、ゲルランゲは、しんは、気だてのよい子リスでしたし、

おばあさんをよろこばせたいともおもいましたので、この冒険のあと、ともかく、

おそうじをおぼえました。

        『おそうじを おぼえたがらない リスのゲルランゲ』

         J・ロッシュ=マゾン作/山口智子訳 福音館書店

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ひとりひとりの子にとって一番大事な働きかけ

2014-02-25 07:10:10 | 日々思うこと 雑感

よく検索されている記事です。

 

小学生の頃、学校で角度についての授業で、

「三角定規2枚(直角三角形と直角二等辺三角形)を使ってどんな角が作れるか」

という学習をしたことがあります。


先生の示した答えは、

30度+45度=75度  30度+90度=120度  
60度+45度=105度  60度+90度=150度 
90度+90度=180度 

の5つでした。

それから先生は、「三角定規2枚では、30度より小さな角度は測れません。

180度より大きな角度も測れません。」と説明しました。

その日の宿題は、この授業の復習で、三角定規2枚で作れる角を分度器で測りながら

書き出してくることと、100マス計算でした。

私は内向的直観の感情寄りの子どもで、思考がしっかり働くわけではないのだけど、

直観で「ひらめく」ということに関しては、

「瞬きする間に新しいことを思いついている」というほど、

次から次へとひらめいていました。

それでこの宿題をする際も、先生が「この5つの角度しか測れません」と

説明したのも、「三角定規2枚では、30度より小さな角度は測れません。

180度より大きな角度も測れません。」と説明したのも覚えていたにも関わらず、

何とかそれ以外の角を測れないかと試行錯誤しはじめました。

その時点で、宿題の意図からはずれているのですが、そうこうするうちに、

いろいろとひらめきました。

三角定規2枚を重ねてはみ出した部分の交差点に点を打てば、

15度を作ることができます。

これは先生の「30度より小さな角度は測れません」という説明の反証になります。

また三角定規をコンパスのように利用して、ひとつの角を中心点として、

別に角に鉛筆を固定して、円を描いて、別の地点から同じ作業をすれば、

交差する点と、中心点の代わりにしていた点を結ぶと、

さまざまな角度が作り出せます。

また、三角定規は2枚のルールがあったとしても、三角定規の型を鉛筆でなぞって

紙の三角定規もどきをたくさん作れば、180度より大きな角を作ることが可能です。

そんなふうに「とんでも」な方法を湯水のごとく思いついたあげく、

宿題では大きな×をもらいました。

母は感情が優れているタイプで、

私の試行錯誤は母にとって「ノイズ」でしかありませんでしたし、

「そんなことを長いことやっていないで、100マス計算のタイムを、もう少し縮めて

くれたらどんなによいか」と考えているようでした。

それでも子ども時代の私には、そんな私の個性をそのままに受け止めてくれる大人が、

図書館や友だちの家や学校にちらほらいました。

また、自然やゆったり過ぎていく時間は、学校で求められることだけでなく、

私らしさを育てる場所や時間を与えてくれていました。

そうやって大人になった今、小学生の私が発信する三角定規をいじくりまわしながら

「これ、面白い!」と感じていた気持ちを、今の自分がしっかり受けとめて、

思わず吹き出してもいます。




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先日、教室の親御さんから、

最近の虹色教室通信の記事を読んだ感想をいただきました。

その方は、小学生と幼稚園の子のお母さんですが、自分の子たちが、

「お母さん、大好き!」心の底から溢れるように表現してくれるのに対して、

「私はたいしたことをしてあげているわけではないし、子どもを褒めるのも

あまり上手じゃないのに、どうしてこの子たちは私のことがこんなにも好きなの

かな?」と考えていたそうなのです。

その疑問の答えが、「ノイズ」について扱った今回の一連の記事を読んで

わかったそうなのです。

その親御さんは、

それぞれの子の個性をユニークで魅力的なものとして受け止めていて、

ネガティブに見えるものもすべて、その子のあるがままの姿として

愛情を込めて眺めておられるのです。

一時期、幼稚園で困ったちゃんの一面が出て、周囲から指摘を受けていたときも、

親御さんは問題にはきちんと対処するけれど、

そのどれも「ノイズ」としては捉えませんでした。

「子どもを育てていれば、いろんなことがあるし、それを乗り越えて子どもは

成長する」と大らかに構えていたのです。

欠点も含むあるがままのわが子が魅力的ならば、将来についての心配はありません。

子どもたちも、そうして自分の全てを信じてもらい、

認めてもらっていることをよくわかっていて、お母さんのことが好きでたまらなくて、

同時に自分自身が大好きなのです。知力も才能もどんどん伸びています。

ですから、勉強にも遊びにも創作活動にもスポーツにも、

いつも全力投球でがんばれるし、自由に自分の思いを表現し、

幸せいっぱいの笑顔を浮かべて生活しているのです。

 


↑の内容は、ひとりひとりの子にとって一番大事な働きかけ 11 です。

 

興味がある方は、こちらも読んでくださいね(4の記事は、この記事の流れと

関係ないものだったので、削除しました)。

 

ひとりひとりの子にとって一番大事な働きかけ 1

ひとりひとりの子にとって一番大事な働きかけ 2

ひとりひとりの子にとって一番大事な働きかけ 3

 

ひとりひとりの子にとって一番大事な働きかけ 5

ひとりひとりの子にとって一番大事な働きかけ 6

ひとりひとりの子にとって一番大事な働きかけ 7

ひとりひとりの子にとって一番大事な働きかけ 8

ひとりひとりの子にとって一番大事な働きかけ 9

ひとりひとりの子にとって一番大事な働きかけ 10


カエルは何の仲間?

2014-02-23 18:28:40 | 理科 科学クラブ

 

リアルな生き物のフィギュアを並べて遊んでいた1年生の★くん。

カエルを手にして、川のところにおこうか、陸のところにおこうか

迷いながら、

「先生、カエルは何の仲間?」とたずねました。

 

「カエルは両生類よ。

両生類は、子どもの時はエラで呼吸して、大人になったら肺で呼吸するものが

多いはずよ。

図鑑を持ってくるから、カエルの仲間を調べてみてね」

と『ふしぎ?なぜ?大図鑑』の両生類の特徴をテーマにしたページを見せると

とても興味を持っていました。

 

『飼育と観察』(学研)という図鑑でもカエルについて調べてみたついでに、

カエルの卵もどきを作って遊びました。

固めのスライムを作って、ピンセットで小さな丸いビーズを埋め込みました。

 

 

★くんたちのレッスンの後で、小学生の女の子グループの子ふたりが、

「本物のカエルの卵を見たことある」と言いました。

そこで、どんな卵だったか再現してもらうことにしました。

固いスライムにデュプロの凹凸で型をつけ、

ビーズを埋めています。

こんな風だったそうですが、本当でしょうか?

 

本物を見たことがあるという子。

もっと本物そっくりに作れるという子は、ぜひ作ってみてください。

 

ピンセットで卵を埋め込む作業をしながら、

「ips細胞とstap細胞を研究しているところ」という研究室ごっこで

遊んでいる子もいました。


フリクションボールで暗号遊び と 文字の練習

2014-02-23 17:04:36 | 初めてお越しの方

 

 

温度変化で筆跡が透明化するフリクションボールという

ペンがあります。

摩擦熱で消える不思議なペンです。

値段は150円~200円代と手ごろです。

このフリクションボールを使った遊びを紹介しますね。

 

最初に普通のボールペンで書きたい文字を書きます。

 

後から、フリクションボールで

文字がわからなくなるように、絵を描きくわえます。

 

暗号を解く側の子は、フリクションボールの摩擦熱を起こす部分で

絵をこすります。

すると、中から文字が出てきます。

 

一度消した絵を再現したい時は、

この紙を冷凍庫に入れて冷やしてみてください。

消えていた絵がうっすらと現れてきます。

 

このペンをひらがなや漢字の練習に利用すると、

勉強がとても楽しくなりますよ。