前回までの記事に、海外の幼稚園で多くの親御さんから信頼を集める教育をしておられる
Cさんから、こんなコメントをいただきました。
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ああした人との小さな関わりや繋がりが、こどもを変えていくんですよね。
こういう瞬間を、あまりにも「学ばせる」環境にいる大人は軽視していると思います。
毎日のように、こういうやりとりを話し合えない、今の環境にいらだちを感じます。
すべてがマニュアル通りの対応です。
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Cさんはベテラン教師で、若い先生方を導いていく立場ですが、本当に大事なことが
伝わらず、表面的な形だけがマニュアルとなって指導に使われていく状況に
困惑しておられるのです。
人間関係も人の成長も輪切りにして、バラバラに分解し、
そこだけを、これが正しくこれが悪い、こういう場合はこうすればいい、問題を解決する
ための計画を立てて、とにかくひとつひとつ遂行していく、ということが
できないものです。
少し前、「愛や、美や、心地よさや、ゆたかさなどは、
部分に分解した瞬間にそれ自体失われ、死んでしまうようなところがあります。」
という言葉を目にしたところなのですが、
人間関係や人の成長を支えているものは、
そうした見えない何かなのでしょう。
(もっとも、こうした誤用されやすい抽象語をスローガンにして、保育や教育の場を
運営することは、非常に危険なことなのでしょうが。)
それでは、「ボーッと生きてんじゃねぇよ」のチコちゃんに
助けられたもうひとつの出来事についてお話しますね。
学習に対する意欲や関心が薄く
国語のテストはほとんど手付かずで提出しているという小3の
Dくんの学習を見た時の話です。
とにかく、勉強が嫌だ、やりたくない、の一点張りで、
どこがわからないのか、何につまずいているのか、
本当に知力の弱さが際立っている子なのか、
モチベーションに問題がある子なのか、いっしょに学びながら把握したいと思うものの、
「勉強を始める」というその一点だけで一苦労でした。
それで、簡単なところからゆるゆると学習を進めていくよりも、いっそのこと、
一番苦手としているという裏も表も赤いバツばかりだった記述式の国語のテストを
用意してもらって、いっしょに解いていくことにしました。
案の定、長い文章を目にしたとたん、「めんどくさい」「むずかしい」「できない」と、
読む前から白旗を上げていました。
とはいえ、いっしょに長文を読み進めながら、時折、読み終えた部分を理解しているか
質問すると、ちゃんと適切な答えが返ってくるのです。
国語のテストでバツばかりの子の答えではありません。
「読んでる文章がちんぷんかんぷんの子の
答えじゃないよ。ちゃんとわかっているね。よくできているよ」と言いました。
さて、設問を解く段になると、1問目から、「めんどくさい、わからない」
とやる気がありません。
でも、「文章の中から大事な言葉をさがさなくてはならないよね。何を探すといいの?」
とたずねると、「これだよ」と設問中のキーワードを示します。
何を探さなくてはならないのかまではわかるけれど、探そうという気持ちにつながらないようです。
「Dくん、ポケモン好きでしょ。言葉と思わずにポケモンと思って探してよ。」と言うと、
Dくんは二ヤッとして、キーワードを探し出し、それを頼りに正しい答えを書きました。
そんな調子で、モチベーションを維持させるコツさえわかれば、
問題に正確に答える力はあるようで、
8割方の問題を解いていき、正解していました。
が、最後の、すべて記述で答えなくてはならないところになると、
「無理!できない!わからない」と投げ出して、絶対にこれだけはやるもんか、と
強い決意をしているようでした。
これほど強くやるものか、と構えてしまうと、私もお手上げです。
そこで、例のチコちゃんに助けてもらったわけです。
「ねぇ、Dくん。間違えたら、ボーッと生きてんじゃねぇよって言うことにしようよ。
でもさ、あんまり大きい声で言うと、周囲の人が何があったのかってびっくりするから、
小さい声で言わなくちゃならないけど、いっしょに言おうよ。」
そう言ったとたん、Dくんがくりくりっといたずらそうに目を輝かせました。
「それで、正解したら……。」と言いかけると、Dくんが、
「面白くねぇやつだなぁ。チコってんじゃねぇよ、って言うんだよ。」と
うれしそうに言いました。
「そうよね。そうしよう。もし、うっかり正解しちゃったら、
面白くねぇやつだなぁ。チコってんじゃねぇよ、って言おう!」
そう私が言うと、Dくんはえんぴつを手に最後の問題を
解き始めました。
Dくんが、学習に対して、こうも無気力になのは、これまでの
度重なる失敗体験が元になっているのでしょう。
間違えても、「ボーッと生きてんじゃねぇよ!」て言うのなら
面白いかもしれないな、そう思えると、ちゃんと問題に向き合えるのです。
そして、「ボーッと~」が言いたいためにわざと間違えるようなことはなく、
きちんと正しい答えが書けていました。
「面白くねぇやつだなぁ。チコってんじゃねぇよ。」と小声で叱られて、
にやにやとうれしそうな顔をしていました。
あんなに勉強を嫌がっていたDくんは一番苦手な国語の読解のテストを
きちんと解き終えました。
ちょっと欲が出た私は、裏面の問題を「後、2問だけ解こう」と持ち掛けました。
「ええーっ!!」と文句を言いながらも、まんざらでもないDくんは、
キョエちゃんも登場させて、最後まで解きました。
別れ際、Dくんが、「今度、いつ会えるの?」とニコニコしながらたずねてきました。
また、次にいっしょに遊ぶ日(学ぶ日?)はいつかと楽しみにしてくれていたのです。
「また、勉強だよ。」というと、「うん、うん」と満面の笑みでこっくりしていました。
またまたチコちゃんに助けられたなぁ、としみじみ感じました。