政治と社会システムについて考えること (息子とおしゃべり) 1
政治と社会システムについて考えること (息子とおしゃべり) 2
政治と社会システムについて考えること (息子とおしゃべり) 3
政治と社会システムについて考えること (息子とおしゃべり) 4
政治と社会システムについて考えること (息子とおしゃべり) 5
政治と社会システムについて考えること (息子とおしゃべり) 6
政治と社会システムについて考えること (息子とおしゃべり) 7
政治と社会システムについて考えること (息子とおしゃべり) 8
という一連の記事の「6」で、
日頃、ゆとり教育を受けた世代について、感じていることを書かせていただいたところ、
e-子育てcomの羊先生から次のようなコメントをいただきました。
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奈緒美先生、いつもブログにコメントお寄せ下さりありがとうございます。
虹色教室通信を読むと、
色々頭の中に考えが渦巻くような種を投げ込まれる感があります。
今回の記事もそうでした。
「自分で判断するなという圧力」にさらされた子どもたちとおっしゃっているのは、
そのとおりだなと思います。
小生の寺小屋に来て外遊びをしていても
「先生トイレに行ってきていいですか?」と尋ねます。
「トイレは好きな時に行ってもいいよ」と常々言っているのですが。
許可を取ることに慣れてしまっています。大人がそうさせているのですね。
塀を乗り越えて空き地で遊んだ子どもが怪我をしたら、管理者の責任を追求する。
放課後遊んでいて事故が起こると学校の責任になるので、
授業が終ったら一斉下校させる。
大人だって何かあれば自分の落ち度を棚にあげて相手の責任を追求する風潮が
できあがっています。
結局転ばぬ先の杖を突き過ぎて、子どもが自分で歩けないように仕立て上げておきながら
「今の若者はなんにもできん!」と怒る。なんの解決にもなりませんね。
話は変わりますが、ハリー・ポッターの寮生活を見ていると、
彼らも規則に縛られているのですが、常にそれを破ろうと機会を狙っている。
規則破りは仲間からも賞賛される。そうして規則を破った動機が間違っていなかったら
教師の方も寛大な処置をするというシーンが度々描かれています。
どんなに規則があっても運用次第で子どもの能力を伸ばすことができる道はあるのかも。
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コメントにあるハリーポッターの寮生活の話に思わず頬がほころびました。
「わたしの子どもの頃も、自分で判断するなという大人の圧力はあったし、
周囲の大人たちは、集団にすぐに同調したり、
自分の責任を他人に転嫁しては責め立てるという頼りない面が大いにありました。
とにかく、子どものわたしからも精神的な虚弱さが透けて見えるような
その時代の大人たちに囲まれてはいたけれど、その監視下のもとで、
子どもだった私は今の子よりのびのびとした解放感を感じて暮らしていたな~
今と何が違っていたのかな?と思うことがあります。
時折、浮上してくるそんな疑問への答えが、
コメントで取り上げられている、ハリーポッターの話題に隠れているように
感じました。
わたしが小学生だった頃、
規則を作るのは大人、ルール決めるのは大人、
それを崩したり破ったりするために
小さい者同士わさわさと、でたらめに横につながっていくのが子ども、
既存のルールの隙をついて新たな問題を提示するのが子ども、
という関係があって、大人の上からの圧力に対して、
人の頭数とでたらめさでそこそこ立ち向かうことができたんですよね。
たとえば、「学校に不必要なもの持ってきてはいけない」というルールがあっても、
必ず、その隙間を狙って、
「これならおもちゃじゃないんじゃない?これくらいいいじゃん。
これは学校で友だちと遊ぶと面白そう!」ってことを思いつく子がいて、
常に新しいものが流行っていました。
女の子でしたらシャーリングとかお手玉とかおはじきとかなんですけど、
家だと見向きもしないような地味なおもちゃも、
学校だとそれしかありませんから、みんなで夢中になって練習したり、
新しい遊び方を考えだします。
ワザで競えない子は、シャーリングの色のきれいな組み合わせを自慢したり、
すぐにお金でなんとかしようとする子は、その路線上で
みんなをあっと言わせるようなものを買ってきたり……。
そうこうするうちに、シャーリングだけでなく
鉛筆や消しゴムの珍しいもの自慢みたいなものが加速してきて、
そうした物が学校内選挙(当時の小学校では学校をあげて
生徒会長を選ぶ選挙活動が行われていました)で賄賂に使われだしたり、
盗んだ盗まれたの騒ぎが起きたりして、
最後にはそうしたグッズが学級会でやり玉にあげられて、
「そんなものを持ってくるのが悪いから、禁止にしよう」という流れになるのです。
どうせその頃には、みんなそんなおもちゃに飽き飽きしているものです。
でも、そうしたぐだぐだした現実を通して正義感やら、問題意識が揺さぶられて、
少しずつ大人になっていったな~と懐かしく思い出します。
学校に持っていってもさほど問題を感じないもの……のひとつとして、
交換日記も流行りました。
わたしもいろんな友だちと交換日記を回すうちに
いつのまにか5~6の交換日記グループに所属することになりました。
「交換日記しよう!」「いいよ~やりたい!やりたい!」と
受けるときは調子がいいものの、
毎日、紙面を文字で埋めていく作業のハードさ、友だちの催促のうるささ
(誰もが自分のグループの交換日記を優先しろとうるさい……)
「行きはよいよい帰りはこわい~こわいながらもとおりゃんせとおりゃんせ~」
のメロディーが耳のなかで響き続けるような心地で、
しまいに授業中まで交換日記を書いて回すようになっていました。
それも、終わりの会でやり玉に挙げられ、私を含む数名が立たされて
クラス中の集中攻撃を浴びせられ、泣いて謝りながら、
涙のどこかでこの流行が終息することにほっとしながら、同時に次なる新しい遊びの
種が胸のなかで生まれつつあるのを感じていました。
そんなとき、先生は……というと、
子どもの世界などそんなドタバタが常にあるものという適当さと余裕があって、
「叱るけど、抹殺はしない」
「問題が起これば圧力をかけるけど、予防線を張って禁止まではしない」
「親の苦情に対して鈍感で、自分の仕事は子どもの教育と思っている」
という態度でした。
というのも、厳しい割に、当時の大人は、直観や身体では人間というものが
わかっているところがありましたから。
つまり、森に入っても、食べれるものを一切合財、収穫していくんじゃなくて、
そこで生きる動物や来年のために残しておく知恵のようなものです。
言葉にするのが難しいんですけど、子どもが「自分」の知恵を使えるスペース、
「自分」で新しいルールを作っていけるスペース、
「自分」で失敗して、挫折から学べるスペースをちゃんと残しておく
ゆるさがあったのです。
今、子どもの世界で数値で見える成果を上げようとしている姿を見ていると、
「森に大型重機を持ちこんで、食べられるものや利用できるものを
一切合財取りつくして、その時期の数値だけ他所の森と競い合う」みたいな
イメージを受けるんですよね。
「学校をフランチャイズ化して、子どもたちを全国で一斉に販売する
ハンバーガーみたいに扱っている」ようにも、
「清潔志向が行き過ぎて、善玉菌まで抹殺してしまっている」ようにも見えます。
とにかく、わたしが子どもだった頃は、学校は「コンピューター」ではなく
「生身の人間」が管理しているところで、
ドロドロしたドラマがいっぱいあって
将来、社会に出たら役に立つような勉強をするチャンスがたくさんあったのですよ~。
以前書いた『お仕事裏話』というバイト体験記で、わたしは
若者の雇用の厳しい現実と、仕事現場で役に立つ能力やワザがどういう種類のものか
まざまざと実感たことを言葉にしたことがあります。
職場では理不尽なことで怒鳴られたり、いいように利用されたり、
先輩がいじわるして教えてくれないなんて、あたり前にありますから、
そういうときにどういう心で、どういう知恵で、どういう能力で
切り抜けていくかというのが大事になってきます。
わたしの場合、子ども時代のごたごたや揉め事やドラマや人間観察なんかが
働くときにとても役に立っているのを感じます。
お仕事裏話 1
お仕事裏話 2
お仕事裏話 3
お仕事裏話 4
お仕事裏話 5
お仕事裏話 6
お仕事裏話 7
お仕事裏話 8
お仕事裏話 9
こんなわたしの思い出話を書いたのも、『内田樹の研究室』で内田樹氏が、
『格差と若者の非活動性について』
という記事を書いているのを見て、強い衝撃を受けたからです。
『格差と若者の非活動性について』のなかで、内田樹氏は、
「これだけ若者たちにしわ寄せが行く社会になっているのに、
そして政策的にも若年層に不利な方向で進んでいるのに、
若者たちはなぜ、社会に対して何かを訴えたり行動したりしないのでしょうか?」
という質問にひとつの答えを示しているのですが、
若者のひとりであるうちの息子が、そうした問いにどのような考えを抱いているのか
話あってみると、経済が明るくなっていく一方だと信じていたバブル前に社会に出た
わたしなどと比べると、この世代を生きている息子が、これまでも真剣にこの問いと
向き合ってきたことに気づきました。
(『政治と社会システムについて考えること (息子とおしゃべり)』のなかから、
「若者たちはなぜ、社会に対して訴えたり行動したりしないのでしょうか?」
という問いへの答えとなるような息子の言葉を拾ってみました。↓
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「社会の仕組みが複雑すぎて、
いったい何をどう変えたら個人個人にとってよくなるのか、わかりにくい。
それで、問題を糾弾して騒いだり、本質的な問題からずれた敵を
攻撃するだけで終わりがちなんだと思う」
「どの分野も最先端に向けて進歩し続けているって捉えられている
一本の道筋があって、の道上の進退にばかり目が奪われているけれど、
同時にもっと全体的な見方で、医療の世界でいう東洋医学的な捉え方で、
それを見直す必要があるんだと思う。
そういう意識の転換が、これからは求められているんじゃないかな?」
「労働者自身が何が辛くて、何が欲しいのか、
政治的に利用されないで考えていけるようなツールが必要だと思うよ。
お金がある人がお金のない人を利用して、さらにお金を得て、
お金のない人はお金のある人に利用されるだけで、されるがまま、なすがまま。
そうして我慢したり、病気になったり、
関係ない相手にイライラをぶつけたりするのではなくて、
ここまでは自分で守れるという一線を見極めておく必要があると思うんだ」
「働くってことは、多くの人に共有されていることなのに、
それに関わる重要な知識は、知っている人と知らない人で大きな差があるよね。
特別な教育を受けた人じゃなくても、
社会に関わる物事を、総合的に分析することができるような道具が
必要だと思うんだよ。
そういう意味で、パソコンは今でこそ使い方が悪いけれど、
みんなを幸福に導いてくれるツールのひとつになりえるものだと思う。
数学の世界でも、関数電卓ができただけで、それまで複雑すぎて一部の人しか
できなかったような数学的な思考実験が簡単にできるようになっているんだ。
同じように、経済や社会の仕組みにしても、全体像を目で見てわかりやすい媒体で、
誰でも総合的に分析できる道具ができたら、大衆全体の考える力が向上するはずだよ。
複雑になりすぎた世界が、完全にブラックボックス化する前に、
もっと誰からも中身が透けて見ることができるようなツールが必要なんだと思う。
昔、家族でよくシムシティーで遊んだよね。
ああいうものも、社会がどんな原因と結果でつながっているのか理解するのに
面白いツールだった。
ぼくも大学に入ったら、そうした社会のあり様をシュミレーションできるような
ツールを、作ってみたいと思っているよ」
「こうしたストが創造的な解決法に結びついていくのは難しいよね。
こんな時代だからこそ、働く意欲のようなお金とは別の次元の価値を見直していく
必要があるんだろうな。
今はさ、お客にはどんなにサービスしても、
し足りないくらいサービスするのは当たり前で、
働く側はどんなに苦しくてもいいと思われている半面、多少、詐欺的な面があっても、
客を騙すような儲け方をしても構わないって風潮があると思う。
でも、多くの人が、自分は99パーセントの被害者だって感じるような経済なら、
そろそろ、仕事観を改める時期が来ているんじゃないかな。
働くことから得る精神的なものの価値について、
それぞれが考えていく時期が来てるっていうかさ。
経済とか社会の仕組みを、個人個人の感情の面からも捉えなおすのも大事だよ。
人の幸せはお金と等価交換できないからさ。
働くからには辛くなくちゃいけない、命を削っていかなくちゃならない、
時には自分の道徳心を裏切って詐欺的なこともしなくちゃならない
……それが社会で、それが仕事ってものだって考えを、社会全体で見直して、
みんなが幸せを感受できる社会システムを作っていかなくちゃ
お金を持っている人と貧しい人の衝突は、これから激しくなる一方だと思うよ。
それぞれの人にしても、仕事は単にお金を得る手段と割り切るのではなくて、
仕事そのものに魅力を感じる能力がいるんじゃないかな」
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「若者たちはなぜ社会に対して何かを訴えたり行動したりしないのか」という内田樹氏への質問 2
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