虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

改良!改良!改良の末、完成した『宝石(金塊?)落とし』のゲーム機

2014-11-29 19:53:19 | レゴ デュプロ ブロック

小3のAくんは、新しい何かに手をつけるまでに

とても時間がかかるタイプです。

それに出会ってから2年も3年も経った後で新しい何かに関心を持つことも

度々……。

その一方で、一度、興味を持って取り組みだすと

何度も何度も繰り返しチャレンジし続ける根気と熱意の持ち主でもあります。

 

今回、Aくんの電子工作の相手を息子に少し頼んでいました。

アルデュイーノに初めて触れたAくん。

(わたしにはよくわからないので教わったまま書くと……)

アルデュイーノとは、初心者でも簡単に扱えるマイコンボード

とそれに書き込めるプログラムを作成できる開発ソフトのことです。

点滅するライトや会話する人形や動くロボットなどが

作れるそう。

 一通りやってみて、「ふーん、そう。」と、相変わらず新しい活動には

あっさりした反応のAくん。

 

 

その後、遊び慣れたデュプロブロックを使って何やら作り始めました。

ブロックで作った長い棒を左右に動かすと

金貨が下に落ちていく仕掛けが作りたかった模様。

 

ところが、左右に動かす棒に取り付けたブロックで

押すだけでは思うように金貨が落ちてくれません。

どうすればいいのか考え込んでいました。

 

こうした動く仕掛けに興味を持つのは

Aくんにするとすごく珍しいことです。

これまで何度もそうした働きかけをしてきたけれど、ブロックで作るのは

もっぱら電車の博物館や水族館などの建造物ばかりでした。

いつも見た目や形にこだわって美しく仕上げることがAくんの関心事でした。

が、今回、アルデュイーノに触れたり

ネットの動画でレゴで作ったピタゴラ装置やピンボールゲーム機を見て

刺激を受けたりしたためか、

「宝を落とすゲームが作りたい!」と強く感じたようでした。

 

そこで、Aくんといっしょに物を動かすためにどんな力が使えるか

考えてみることにしました。

ゴムの力、磁石の力、手で押す力、ひもで引く力、傾いている面を転がる力、

空気の力、水の力、モーターの力、ばねの力、回転させることで起こる力、重さを利用するなど

いろいろ考えられます。

Aくんはひもを引っ張るとピョコンと中に入れたものが飛び出す仕掛けを

横向きに使うことにしました。

 

が、引っ張りだすもののサイズが大きすぎて

ひもでは思うように動きませんでした。

そこでシンプルに押し出して落とすことにしました。

 

押し出すことには成功したものの、

デュプロの接続する力が弱くて

押す面のブロックがはずれてしまいました。

 

そこで補強のブロックをつけて金貨をたくさん押せるように

押す面を横に広げました。

↑の写真のようなカーブをつけた階段状の形は、

宝を下に落としていくための

Aくんの画期的な問題解決策。

 

 

最初のうちは、金塊を一段だけ下に落とすだけで

精一杯だったのです。

車に宝を押す羽根をつけて

押された車が転がり下りる際に

宝が下に落ちるようにしていたのですが、それだと

一段だけ宝を落とすので精一杯でした。

 

最後に完成したのが、この記事の最初の写真です。

一回だけ押す力で

宝を一番下の囲いまで落として遊ぶことができます。

これだけの作品をこれまで動く仕組みにほとんど興味がなかったAくんが

すべてひとりで完成させたことのにはびっくりしました。

Aくんの中に新しい興味のスイッチが押されたのを感じました。

 

ペットボトルとシャボン玉膜の中に小さな雲の粒をつくる実験もしました。

今日、とても面白かったので、お休みだった算数クラブの男の子たちは、次回、やってみてね。


恐竜のトランプ

2014-11-28 14:10:03 | 虹色教室の教具 おもちゃ

 いただきものの恐竜のイラストがついているトランプで、

1~13までの数のカードを集めていくゲームをしています。

 

こうした集めてコレクションしていくゲームは、

子どもの喜ぶ絵柄のついたトランプで遊ぶととても盛り上がります。

 

<ルール>

7枚ずつカードを配ります。

自分の番になったら、

表向きにしていくつかカードを並べている場からカードを1枚選ぶか、

裏向きの数がわからないカードを2枚もらうかを、決めます。

また、自分の番の間に、自分の手持ちのカードのだぶっている数のカードと

友だちのだぶっていらない数のカードを持ちかけることができます。

(断ることもOK)

1~13までのカードがそろった人が勝ち。

 

何が足りないか、何がだぶっているのか、自分は今どうすべきなのか、何が有利なのか

などを判断する力がついてきます。

 

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姫路城のお堀を作っています。

水が緑がかっているのは、実際に姫路城に行ってきたAくんが

「水が緑だった!」と衝撃を受けた体験に基づいて、

水性マジックの色選びにこだわっていたためです。

 

 

青い水をペットボトルに溜めて、青いスポーツカーを作る予定のBくん。

 


「がんばり屋だけど考えるのが苦手な子」 「飽き性だけど頭の回転が速い子」

2014-11-27 15:52:53 | 教育論 読者の方からのQ&A

子どもの個性も長所も十人十色です。

たとえば「がんばり屋だけど考えるのが苦手な子」

「飽き性だけど頭の回転が速い子」っていますよね。

「がんばり屋だけど考えるのが苦手」という子の長所は

「もっともっとたくさんしよう」「がんばろう」とするエネルギッシュさです。

といっても、勉強の場合、いくらがんばり屋でも 考えるのが苦手だと、

「考えなくてはならない問題」で先に進めないことが続くと、

勉強を避けるようになるかもしれません。

勉強以外のスポーツやお手伝いや携帯ゲームの攻略などでは

長所の根気のよさを生かすけれど、

勉強は苦手というタイプに成長するかもしれません。

かといって、「易しい計算問題ばかり」をスローステップでやらせていると、

ある時点で、考えなくてはならない文章問題の学習に入ると、

満点ばかり取っていて良くできると思っていたのに、

小学3年生くらいから、いきなり成績が急降下しはじめるということも起こります。

「がんばり屋でも 考えるのが苦手という子」の答案を見ると、

はりきってたくさん問題にチャレンジしているものの、

どれもこれも間違いばかりということがあります。

そんなときに、相手ががんばり屋さんですから、多少手厳しいことを言っても、

まじめで素直な対応が返ってくるものですから、

親もつい本人の心への配慮を怠ってしまいがちです。

せっかく自発的にたくさんがんばったという場面でも、

「何でこんなにミスばかりなの?」と本人が自分には能力がないと錯覚するような

ことを言ったり、たくさん×をつけて、「たくさんがんばれば、×が増えるから、

自分から努力すると損だ」と思い込むようなことをてしまいがちなのです。

学校の授業やテストでは、間違えた問題にすぐに×がついて、

間違いを修正するのは大事です。

でも家庭で自発的に学習する場合にも、身近な大人が

自分の「勉強とはこういうもの」というイメージを子どもに無理に押し付けていると、

子どもの長所が学習で生かせなくなってしまう場合があります。

 

カナダ人の心理学者アルバート・バンデューラが提唱した感覚に、

自己効力感というものがあります。

自己効力感とは、「外界の事柄に対し、自分が何らかの働きかけをすることが

可能であるという感覚」

「ある具体的な状況において適切な行動を成し遂げられるという予期、および確信」

いったものです。

 

勉強の場面で、過去に「自分の強みを発揮して成功できた」という体験がなければ、

次に「きっと自分にはうまくできるから、がんばろう」と自発的に取り組む動機は

生まれてきませんよね。

 

私は、学習の場面で、子どもに「自己効力感」が身につくまでの間は、

「最初が肝心だから、ミスはその都度きちんと直しておかないと」とか、

「たくさん失敗しても、それを乗り越えられる強い子になってほしいから」

といった大人の持っている学習へのイメージを、

子どもが「自己効力感」を得るか否かよりも優先しない方がいいと思っています。

私たち大人でも、外国の方を相手に、勇気を持って習いはじめの外国語で

声をかけたとき、間違いを馬鹿にされたり、注意されたり、

何度やっても通じなかったという体験が続けば、

それでもがんばって話しかけ続けるか……というと難しいのではないでしょうか?

でも、相手が外国の子どもだった場合、こちらのミスをいちいち気にしていないとしたら、

たくさん話しかけるうちに、自分は外国語で会話ができるという自信がつくし、

回数を踏むうちに、上手に正しい使い方ができるようになってくるかもしれません。

「自己効力感」がないまま、何年、英語を学んでも、

外国の人と会話のキャッチボールをするのは難しいのかもしれません。

 

多くの勉強が苦手な中高生は、

知的なハンディーキャップを持っている子ばかりではありません

また、発達障害があって、努力や計画的に物事を進めることに

ハンディーキャップがある子ばかりでもありません。

ごく普通の小学生の頃はがんばり屋で成績も良かった子の多くが

「勉強ができない子」に成長しているのです。

その原因には、日本の教育では、個人個人の「自己効力感」より、

集団に通用する「教育ってこういうもの」という大人が信じやすいものを

優先しすぎているからのように思います。

 

私は 子どもの個性はさまざまですから、集団の場でない限り、その子が

「自分の有能さ」を感じ取れるような勉強が必要だと思っています。

本来なら、集団の場でも、「みんなから認められている」「自分は有能だ」という

フィードバックを得る体験がたくさん必要だとも思っています。

勉強の場で、「自分の有能さ」を発揮できるという確信が、

いくつになっても自発的に学び続ける姿勢を育てるからです。

一方で、いつも先に解き方を暗記させておいてから良い点を付けていく

スローステップの学習で、「考えない」癖をつけてしまうことも問題だと思います。

このさじ加減は難しいので、何度かに分けて詳しく説明させていただきます。

 

「飽き性だけど頭の回転が速い子」っていますよね。

さまざまな新しいことをやりたがってチャレンジ精神旺盛なのはいいのだけど、

やる前は、大騒ぎして、「どんな苦労もいとわない!」という様子だし、

やってみると人一倍、呑み込みもいいのに、すぐに飽きて放り出してしまう子。

目ざとくて、知恵もよく働くけど、気が散りやすくて怠けがちな子。

こういうタイプの子って、お友だちが習い事をしているのを目にすると、

すぐに自分もやりたがって、泣いて騒ぐことがよくあります。

「それならと……」習わせると、少しすると、今度は練習や宿題が嫌で、

毎日、親とバトルになるという結末をたどりがちです。

通信教材もしかり。「ぜったいがんばるからやらせて!」と

地団駄を踏んでいたのもつかの間、教材を取り出したとたんに、

ほとんど手付かずのまま溜め込んでいくものです。

 

注意が必要なのは、「自分がやると言いだしたんでしょ!がんばりなさい!」

「ちゃんとがんばればできるのに、努力が足りない!」と叱り続けるうちに、

幼い頃は自分から知的なことに何でもチャレンジしたがっていたのに、

大きくなるにつれ、勉強に関わることは自発的にチャレンジするのを避けるように

なってくることです。

その代わり、後々、「やる、やらない」で揉めたり、

「やめたい、しんどい」と悩んだりしなくてもいいテレビゲームや買い物などでは、

相変らず、ごね続けるようになりがちです。

 

飽き性の子に、我慢することや努力することを、しつけていくことは大事です。

けれども、現代は大人と子どもの境界線が薄れていますし、

幼い子も消費のターゲットになっている時代ですから、

「あなたが自分でやるって言い出したんだから、すぐに投げ出さずにがんばりなさい」

と叱ると、年齢不相応な自己責任の押しつけになってしまうことも多々あるのです。


3歳、4歳、5歳といった子が

「お友だちといっしょにリトミックを習いたい」とごねたところで、

その子の年齢だと、

「お友だちが公園に行ってるから私も行きたい」とごねているレベルの先の見通ししか

持っていないものです。

まだまだ、自分に何が合っているのか、どんなことなら長続きするのか、

何をすると一番がんばれるのかといったことを、

いろいろ試してはやめて、夢中になっては卒業して、より自分を成長させることが

できる何かを、外にも、自分の内側にも探索していく時期なのです。

 

それなのに、大人の世界が幼い子の暮らしにまで浸透して、

子どもの習い事に、ママ友同士のおつきあいが絡んでいたり

子ども向けの商売のシステムのせいで、

幼児が数年計画の責任感を問われることになっていたりするのです。

 

「飽き性だけど頭の回転が速い子」の長所は、

新しい興味の対象に向けるエネルギーの強さです。

「やりたい!」と言っているときのエネルギーと、

やりはじめた当初のエネルギーが維持されたら、

この子はどれだけ賢くなることか……?と感じている親御さんは

たくさんおられることでしょう。

私は、あまりお金などの負担がかからないことでいろいろチャレンジさせてみて、

やってみたり飽きたりを繰り返しながら、

「こういうことならがんばれそう」「自分が生かせそう」という

自己効力感を得られるものに気づかせていくことが大事だと感じています。

 

勉強で、基礎を繰り返し学習するのを極端に嫌がる場合、

「あなたは勉強嫌いの悪い子だ」

「あなたは怠けもので、こんなことをしていたら将来勉強が苦手になってしまう」

というイメージを植え付けないように気をつける必要があります。

このタイプの子は、易しい問題と難しい問題が混在したワークで、

「好きなものを1問選んで解いてね」と言うと、

ちょっとひねったものを選んで解いて、

それを機会に「もっと解きたい」と言い出す場合がよくあります。

 

子どもの学習に構いすぎるのもよくないのですが、

義務を無理強いして大の学習嫌いにさせるよりも、

長所の頭の回転が良さを使って、知的な課題の面白さに気づかせることが

大事だと思っているのです。

飽き性って悪いことばかりじゃなくて、

執着心のなさや、自分によってより必要なものを見極めていく力や、

好奇心の強さとも関わっているものです。

今、自分にとって一番重要な目的に全力投球できる能力でもあります。

短所に見えるところも、罪悪感を植えつけず、大らかに関わっていると、

そのように良い資質として使っていけるようになっていきます。

 

うちの子たちにしても、飽き性とはちょっと異なるのですが、

コツコツがんばることが苦手です。

ですから、決まりごとや義務が多い場では、

欠点ばかりが目立っていた時期もありました。

でも、ゆっくりと長所も欠点もどちらも大切に育てていくようにすると、

長所だったものはもちろんですが、短所と思われていたものが、

自分で目的を定めたり、深く考えたり、創造的に解決したり、学び続けたりする

原動力となっているのがわかるのです。

 

わが子が、子どもとは呼べないような年齢になると、

子どもに対して親ができることは本当にしれていて、

役に立つのは信じてあげることくらいだと気づきます。

子どもは本当に自分がなりたいものに向かって、自分の力で成長し続けていくのです。


「若者たちはなぜ社会に対して何かを訴えたり行動したりしないのか」という内田樹氏への質問を読んで

2014-11-26 14:18:41 | 教育論 読者の方からのQ&A

政治と社会システムについて考えること (息子とおしゃべり) 1

政治と社会システムについて考えること (息子とおしゃべり) 2

政治と社会システムについて考えること (息子とおしゃべり) 3

政治と社会システムについて考えること (息子とおしゃべり) 4

政治と社会システムについて考えること (息子とおしゃべり) 5

政治と社会システムについて考えること (息子とおしゃべり) 6

政治と社会システムについて考えること (息子とおしゃべり) 7

政治と社会システムについて考えること (息子とおしゃべり) 8

という一連の記事の「6」で、

日頃、ゆとり教育を受けた世代について、感じていることを書かせていただいたところ、

e-子育てcomの羊先生から次のようなコメントをいただきました。

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奈緒美先生、いつもブログにコメントお寄せ下さりありがとうございます。

虹色教室通信を読むと、

色々頭の中に考えが渦巻くような種を投げ込まれる感があります。

今回の記事もそうでした。

「自分で判断するなという圧力」にさらされた子どもたちとおっしゃっているのは、

そのとおりだなと思います。

小生の寺小屋に来て外遊びをしていても

「先生トイレに行ってきていいですか?」と尋ねます。

「トイレは好きな時に行ってもいいよ」と常々言っているのですが。

許可を取ることに慣れてしまっています。大人がそうさせているのですね。

塀を乗り越えて空き地で遊んだ子どもが怪我をしたら、管理者の責任を追求する。

放課後遊んでいて事故が起こると学校の責任になるので、

授業が終ったら一斉下校させる。

大人だって何かあれば自分の落ち度を棚にあげて相手の責任を追求する風潮が

できあがっています。

結局転ばぬ先の杖を突き過ぎて、子どもが自分で歩けないように仕立て上げておきながら

「今の若者はなんにもできん!」と怒る。なんの解決にもなりませんね。

話は変わりますが、ハリー・ポッターの寮生活を見ていると、

彼らも規則に縛られているのですが、常にそれを破ろうと機会を狙っている。

規則破りは仲間からも賞賛される。そうして規則を破った動機が間違っていなかったら

教師の方も寛大な処置をするというシーンが度々描かれています。

どんなに規則があっても運用次第で子どもの能力を伸ばすことができる道はあるのかも。

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コメントにあるハリーポッターの寮生活の話に思わず頬がほころびました。

「わたしの子どもの頃も、自分で判断するなという大人の圧力はあったし、

周囲の大人たちは、集団にすぐに同調したり、

自分の責任を他人に転嫁しては責め立てるという頼りない面が大いにありました。

 

とにかく、子どものわたしからも精神的な虚弱さが透けて見えるような

その時代の大人たちに囲まれてはいたけれど、その監視下のもとで、

子どもだった私は今の子よりのびのびとした解放感を感じて暮らしていたな~

今と何が違っていたのかな?と思うことがあります。

時折、浮上してくるそんな疑問への答えが、

コメントで取り上げられている、ハリーポッターの話題に隠れているように

感じました。

 

わたしが小学生だった頃、

規則を作るのは大人、ルール決めるのは大人、

それを崩したり破ったりするために

小さい者同士わさわさと、でたらめに横につながっていくのが子ども、

既存のルールの隙をついて新たな問題を提示するのが子ども、

という関係があって、大人の上からの圧力に対して、

人の頭数とでたらめさでそこそこ立ち向かうことができたんですよね。

 

たとえば、「学校に不必要なもの持ってきてはいけない」というルールがあっても、

必ず、その隙間を狙って、

「これならおもちゃじゃないんじゃない?これくらいいいじゃん。

これは学校で友だちと遊ぶと面白そう!」ってことを思いつく子がいて、

常に新しいものが流行っていました。

女の子でしたらシャーリングとかお手玉とかおはじきとかなんですけど、

家だと見向きもしないような地味なおもちゃも、

学校だとそれしかありませんから、みんなで夢中になって練習したり、

新しい遊び方を考えだします。

 

ワザで競えない子は、シャーリングの色のきれいな組み合わせを自慢したり、

すぐにお金でなんとかしようとする子は、その路線上で

みんなをあっと言わせるようなものを買ってきたり……。

 

そうこうするうちに、シャーリングだけでなく

鉛筆や消しゴムの珍しいもの自慢みたいなものが加速してきて、

そうした物が学校内選挙(当時の小学校では学校をあげて

生徒会長を選ぶ選挙活動が行われていました)で賄賂に使われだしたり、

盗んだ盗まれたの騒ぎが起きたりして、

最後にはそうしたグッズが学級会でやり玉にあげられて、

「そんなものを持ってくるのが悪いから、禁止にしよう」という流れになるのです。

どうせその頃には、みんなそんなおもちゃに飽き飽きしているものです。

でも、そうしたぐだぐだした現実を通して正義感やら、問題意識が揺さぶられて、

少しずつ大人になっていったな~と懐かしく思い出します。

 

学校に持っていってもさほど問題を感じないもの……のひとつとして、

交換日記も流行りました。

わたしもいろんな友だちと交換日記を回すうちに

いつのまにか5~6の交換日記グループに所属することになりました。

「交換日記しよう!」「いいよ~やりたい!やりたい!」と

受けるときは調子がいいものの、

毎日、紙面を文字で埋めていく作業のハードさ、友だちの催促のうるささ

(誰もが自分のグループの交換日記を優先しろとうるさい……)

「行きはよいよい帰りはこわい~こわいながらもとおりゃんせとおりゃんせ~」

のメロディーが耳のなかで響き続けるような心地で、

しまいに授業中まで交換日記を書いて回すようになっていました。

 

それも、終わりの会でやり玉に挙げられ、私を含む数名が立たされて

クラス中の集中攻撃を浴びせられ、泣いて謝りながら、

涙のどこかでこの流行が終息することにほっとしながら、同時に次なる新しい遊びの

種が胸のなかで生まれつつあるのを感じていました。

そんなとき、先生は……というと、

子どもの世界などそんなドタバタが常にあるものという適当さと余裕があって、

「叱るけど、抹殺はしない」

「問題が起これば圧力をかけるけど、予防線を張って禁止まではしない」

「親の苦情に対して鈍感で、自分の仕事は子どもの教育と思っている」

という態度でした。

 

というのも、厳しい割に、当時の大人は、直観や身体では人間というものが

わかっているところがありましたから。

つまり、森に入っても、食べれるものを一切合財、収穫していくんじゃなくて、

そこで生きる動物や来年のために残しておく知恵のようなものです。

 

言葉にするのが難しいんですけど、子どもが「自分」の知恵を使えるスペース、

「自分」で新しいルールを作っていけるスペース、

「自分」で失敗して、挫折から学べるスペースをちゃんと残しておく

ゆるさがあったのです。

 

今、子どもの世界で数値で見える成果を上げようとしている姿を見ていると、

「森に大型重機を持ちこんで、食べられるものや利用できるものを

一切合財取りつくして、その時期の数値だけ他所の森と競い合う」みたいな

イメージを受けるんですよね。

「学校をフランチャイズ化して、子どもたちを全国で一斉に販売する

ハンバーガーみたいに扱っている」ようにも、

「清潔志向が行き過ぎて、善玉菌まで抹殺してしまっている」ようにも見えます。

 

とにかく、わたしが子どもだった頃は、学校は「コンピューター」ではなく

「生身の人間」が管理しているところで、

ドロドロしたドラマがいっぱいあって

将来、社会に出たら役に立つような勉強をするチャンスがたくさんあったのですよ~。

 

以前書いた『お仕事裏話』というバイト体験記で、わたしは

若者の雇用の厳しい現実と、仕事現場で役に立つ能力やワザがどういう種類のものか

まざまざと実感たことを言葉にしたことがあります。

   

職場では理不尽なことで怒鳴られたり、いいように利用されたり、

先輩がいじわるして教えてくれないなんて、あたり前にありますから、

そういうときにどういう心で、どういう知恵で、どういう能力で

切り抜けていくかというのが大事になってきます。

わたしの場合、子ども時代のごたごたや揉め事やドラマや人間観察なんかが

働くときにとても役に立っているのを感じます。

 

お仕事裏話 1

お仕事裏話 2

お仕事裏話 3

お仕事裏話 4

お仕事裏話 5

お仕事裏話 6

お仕事裏話 7

お仕事裏話 8

お仕事裏話 9

  

 

こんなわたしの思い出話を書いたのも、『内田樹の研究室』で内田樹氏が、

格差と若者の非活動性について

という記事を書いているのを見て、強い衝撃を受けたからです。

 

『格差と若者の非活動性について』のなかで、内田樹氏は、

「これだけ若者たちにしわ寄せが行く社会になっているのに、

そして政策的にも若年層に不利な方向で進んでいるのに、

若者たちはなぜ、社会に対して何かを訴えたり行動したりしないのでしょうか?」

という質問にひとつの答えを示しているのですが、

 

若者のひとりであるうちの息子が、そうした問いにどのような考えを抱いているのか

話あってみると、経済が明るくなっていく一方だと信じていたバブル前に社会に出た

わたしなどと比べると、この世代を生きている息子が、これまでも真剣にこの問いと

向き合ってきたことに気づきました。

(『政治と社会システムについて考えること (息子とおしゃべり)』のなかから、

「若者たちはなぜ、社会に対して訴えたり行動したりしないのでしょうか?」

という問いへの答えとなるような息子の言葉を拾ってみました。↓

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「社会の仕組みが複雑すぎて、

いったい何をどう変えたら個人個人にとってよくなるのか、わかりにくい。

それで、問題を糾弾して騒いだり、本質的な問題からずれた敵を

 攻撃するだけで終わりがちなんだと思う」

 

「どの分野も最先端に向けて進歩し続けているって捉えられている

一本の道筋があって、の道上の進退にばかり目が奪われているけれど、

同時にもっと全体的な見方で、医療の世界でいう東洋医学的な捉え方で、

それを見直す必要があるんだと思う。

そういう意識の転換が、これからは求められているんじゃないかな?」

 

「労働者自身が何が辛くて、何が欲しいのか、

政治的に利用されないで考えていけるようなツールが必要だと思うよ。

お金がある人がお金のない人を利用して、さらにお金を得て、

お金のない人はお金のある人に利用されるだけで、されるがまま、なすがまま。

そうして我慢したり、病気になったり、

関係ない相手にイライラをぶつけたりするのではなくて、

ここまでは自分で守れるという一線を見極めておく必要があると思うんだ」

 

「働くってことは、多くの人に共有されていることなのに、

それに関わる重要な知識は、知っている人と知らない人で大きな差があるよね。

特別な教育を受けた人じゃなくても、

社会に関わる物事を、総合的に分析することができるような道具が

必要だと思うんだよ。

そういう意味で、パソコンは今でこそ使い方が悪いけれど、

みんなを幸福に導いてくれるツールのひとつになりえるものだと思う。

数学の世界でも、関数電卓ができただけで、それまで複雑すぎて一部の人しか

できなかったような数学的な思考実験が簡単にできるようになっているんだ。

同じように、経済や社会の仕組みにしても、全体像を目で見てわかりやすい媒体で、

誰でも総合的に分析できる道具ができたら、大衆全体の考える力が向上するはずだよ。

複雑になりすぎた世界が、完全にブラックボックス化する前に、

もっと誰からも中身が透けて見ることができるようなツールが必要なんだと思う。

昔、家族でよくシムシティーで遊んだよね。

ああいうものも、社会がどんな原因と結果でつながっているのか理解するのに

面白いツールだった。

ぼくも大学に入ったら、そうした社会のあり様をシュミレーションできるような

ツールを、作ってみたいと思っているよ」

  

 「こうしたストが創造的な解決法に結びついていくのは難しいよね。

こんな時代だからこそ、働く意欲のようなお金とは別の次元の価値を見直していく

必要があるんだろうな。

今はさ、お客にはどんなにサービスしても、

し足りないくらいサービスするのは当たり前で、

働く側はどんなに苦しくてもいいと思われている半面、多少、詐欺的な面があっても、

客を騙すような儲け方をしても構わないって風潮があると思う。

 

でも、多くの人が、自分は99パーセントの被害者だって感じるような経済なら、

そろそろ、仕事観を改める時期が来ているんじゃないかな。

働くことから得る精神的なものの価値について、

それぞれが考えていく時期が来てるっていうかさ。

経済とか社会の仕組みを、個人個人の感情の面からも捉えなおすのも大事だよ。

人の幸せはお金と等価交換できないからさ。

 

働くからには辛くなくちゃいけない、命を削っていかなくちゃならない、

時には自分の道徳心を裏切って詐欺的なこともしなくちゃならない

……それが社会で、それが仕事ってものだって考えを、社会全体で見直して、

みんなが幸せを感受できる社会システムを作っていかなくちゃ

お金を持っている人と貧しい人の衝突は、これから激しくなる一方だと思うよ。

それぞれの人にしても、仕事は単にお金を得る手段と割り切るのではなくて、

仕事そのものに魅力を感じる能力がいるんじゃないかな」

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 「若者たちはなぜ社会に対して何かを訴えたり行動したりしないのか」という内田樹氏への質問 2

 「若者たちはなぜ社会に対して何かを訴えたり行動したりしないのか」という内田樹氏への質問 3

「若者たちはなぜ社会に対して何かを訴えたり行動したりしないのか」という内田樹氏への質問 4

 「若者たちはなぜ社会に対して何かを訴えたり行動したりしないのか」という内田樹氏への質問 5

 「若者たちはなぜ社会に対して何かを訴えたり行動したりしないのか」という内田樹氏への質問 6

 「若者たちはなぜ社会に対して何かを訴えたり行動したりしないのか」という内田樹氏への質問 7

「若者たちはなぜ社会に対して何かを訴えたり行動したりしないのか」という内田樹氏への質問 8

 「若者たちはなぜ社会に対して何かを訴えたり行動したりしないのか」という内田樹氏への質問 9


算数の世界のいろいろな発見

2014-11-25 13:46:02 | 算数

 

3~5歳の女の子たちのグループレッスンで。

Aちゃんがおせんべいを持ってきてくれていたので、

帰り際にみんなでおやつをいただくことになりました。

おせんべいの入っていた袋を開ける前に、「中に何枚入っているかな?

10枚以上かな?10枚より少ないかな?」と推理。

(袋の裏には20グラムとあるけれど枚数は書いてありませんでした。

もう少し年上の子たちのグループだと、こんな時に量りで、本当に20gなのか、

袋の分だけ重くなっているのかなどを確かめるのも面白いのです。)

 

袋を開けて答え合わせ。

きれいな紙の上に指を広げて、指の上のおせんべいを乗せながら、

10より多いか少ないか調べました。

 

8枚!

 

Aちゃん、Bちゃん、Cちゃんの3人が2枚ずつ分けたあと、

Aちゃんが残りの2枚を「BちゃんとCちゃんにあげる」と言いました。

Aちゃん、お母さんに褒められたあとで、しょんぼりした様子で、

「やっぱりわたしも食べたい」とのこと。

 

そこでわたしが袋を覗いて、

「Aちゃん、2枚しかないね。先生がこれを4枚にしてあげようか?」とたずねました。

するとAちゃんが顔を輝かせて、「半分に割るんでしょう?でも4枚じゃなくて、

一枚は半分にして、もう一枚はそのままでいい」と答えました。

そうして半分の方をお友だちにあげて、自分は一枚食べる腹積もりのAちゃん。

残念ながら、わたしがどちらも半分ずつ、4枚に分けたので、

今度は2分の1枚のあまりがでました。

そこで、「2分の1を今度は3つに分けて、3分の1ずつにしようね」と持ちかけて

一件落着。

 

 

かんむり作りをしている時、こんな発見がありました。色画用紙を半分に折って

ギザギザを描いて切ります。

自分のかんむりを作ると、何と切り落とした半分もかんむりの形に!

 

子どもたちはちょっとびっくりしながら

自分用と教室のお人形用にかんむりを作ってあげていました。

 

 

 

かんむりを作っている時、

Bちゃんがセロテープを切る部分で指をこすってしまいました。

血は出ていなかったけれど、絆創膏を貼ることにしました。

実際に血が出ているようなケガだと、絆創膏の通気性に問題が出そうですが、

かわいい絆創膏が貼りたいという要望で「妖怪ウォッチのばんそうこう」を

作って貼ることになりました。

 

絆創膏に貼るための切り抜き入れ。

糊で貼ったり、今回のようなグッズを作ると喜ぶので、

フリーペーパーや広告に子どもの好きなイラストを見つけたら

適当に切り抜いて入れています。

 

小学校受験の

「右回りに一回回転したらどうなるか」

「左回りに一回回転したらどうなるか」

「右回りに二回回転したらどうなるか」といった問題を考え中。

手の甲に右と左が分かるシールを貼って考えるとわかりやすいです。

 

折り紙に回転させる図を描いて、

赤いシールと青いシールのボタンを押す回数を回して、どうなるか調べています。

 

ピクニックに出掛ける設定でままごとをしています。

座るためのシートを敷く方向でかなり悩んでいました。

縦の長さと横の長さが異なる長方形の辺と辺をぴったり合わせることは、

なかなか難しいのです。

 

 じゃらぽんゲームで3つずつ同じ絵柄がいくつそろうか競っています。


架空の地図作り 

2014-11-24 18:27:31 | 初めてお越しの方

 

小2の女の子たちのグループレッスンで。

 

今回、何をしたいかの話合いで、「地図を作りたい」という意見でまとまりました。

地図といってもさまざまな種類があります。

もののはじまり図鑑で昔の人がどうやって地図を作ったのか調べたり、

地図記号を書きこんだ地図の書き方を見たり、お城の縄張り図や、

ドラゴン学という架空のドラゴン研究書の世界地図を眺めたりしながら

どんな地図が書きたいのか意見を出し合いました。

 

3人とも「宝物を探すための架空の地図を作りたい」とのこと。

「東西南北を英語で表すとどうなるの?それを地図の端っこに

書いておきたいんだけど」

「古い地図だってわかるように煮た紅茶の液をつけて、くしゃくしゃってしたり、

はさみで周りを切ったりしたい」

と、あれこれアイデアは浮かぶようですが、いざ地図を描く段になると

思いのほか難しいかったようです。

何だか地図らしからぬ作品が生まれていました。

 

 

算数タイムにサピックスのぴぐまりおんの3、4年生用の問題を解きました。

1学年上の子たちもたくさんミスをしていた問題ですが、

全員よくできていました。

 

サピックスのぴぐまりおんの3、4年生用は廃版になっていてもう手に入らないのですが、

サピックスの通信教材のピグマキッズクラブ(1~4年生対象)で

同様の思考力を鍛える問題を体験することができます。

ただ、どの問題もかなり複雑で難しいので、問題文をていねいに読んで、

よく考えて解くよう見守る必要があると思います。

 


落ち着いて活動や学習に取り組めるようになってきました♪

2014-11-23 20:30:00 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

ひとつの遊びが成り立たず、次々と関心を移しがちだった小2のAくん、Bくん。

「こういうことがしたい」と決めた活動に、

腰を落ち着けて集中できるようになってきました。

 

今回のレッスンでは、姫路城の城壁を作ることと

シャボン玉の中に小さい雲を作る実験をしました。

また、算数は時計と少し難しい文章題を学びました。

 

姫路城の「にの門」のトンネルのしかけを制作中。

 

 

 

トンネルを通り抜けようとすると、上から槍で攻撃される。

 

お菊の井戸から幽霊が出てくる仕掛けを作りました。

 

貞子風のお菊。

 

石で埋める門。


水掘でめいろを作っています。

 

「ひしの門」。城を守る上で重要なL字型の城壁。

 

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70分は何時間何分か?

120分は何時間何分か?

といった学習をしています。

前回までのレッスンでは、算数学習が始まったとたん、

「わからない、わからない」と言って遊びだすことが多かった二人ですが、

落ち着いて取り組めるようになってきました。

 

かなり複雑な応用問題にもチャレンジ。

最後まで集中して解き切ることができました。

 


子どもの成長に合わせて働きかけを変えていくことについて

2014-11-23 20:29:26 | 幼児教育の基本
子どもは常に成長していきます。
ある時期、子どもにとって必要だった働きかけも、
子どもの成長に応じて、変化させていかなくてはなりません。

どんな場合 変えた方がいいのかというと、親子でひとつのパターンが
定着して、子どもがそれに依存しはじめた時です。

たとえば、子どもが問題を解くたびに「お母さん、あってる?」とたずねて、
自分では答えがあっているかどうか見直す素振りがないとします。
たいていの場合 親御さんは 子どもが間違いを直して、
正しい答えを覚えることに気持がいっています。
ですから「あってるわよ」とか「そこちがうわよ」といったコメントを
返して終わってしまいます。

でも、注意が必要なのは、そうした質問をする子は、
『解いた問題をチェックするのはお母さん』というパターンに
慣れてしまって、自分のしていることを少し高い視点から眺めて、
解いた答えがあっているかどうか確かめようとする、
「メタ認知」の働きが弱くなっているのです。

そんな場合は、まず、答えが正しいかどうか確かめる方法を、
ポイント、ポイントに注意して、ていねいに教えてから、
「解き終わったら、お母さんあってる?ってたずねる前に、
こうやって自分であってるかな?って確かめるのよ」と説明して、
少しずつ少しずつ親側が手を抜いていくようにした方がいいです。

写真は「見本どおり積めるかな?」という積み木の問題。
「1階、2階、屋根 OK!」とひとつひとつ指差しして確認すると
答えが正しいかどうか自分でも確かめられますね。

課題にチャレンジしている場合以外でも、
親子でできてしまった同じパターンの繰り返しが
子どもの成長の邪魔をしているケースがよくあります。

たとえば、「これ何?」「これ何?」としじゅう子どもにテストをするような
声かけをしていたり、「これは赤よ」「これは『あ』って読むのよ」などと
何かを教える声かけばかりしている親御さんの子どもで、
会話をする能力にかなりの遅れが見られることがあるのです。


会話というのは、決められた質問にワンパターンの答えを返していくだけでは
育ちにくいのです。
子どもが自発的にあれこれ話すのに、大人がちょうどいいフィードバックを
返してあげていると、上達していきます。

悪いパターンは、大人の視点が子どもの「できる」「できない」にだけ
向けられていることです。
子どもに働きかけるときに、子どもを見ることに夢中になるのではなくて、
自分自身の言動と、子どもと自分の間で交わされている言葉や、
気持ちのキャッチボールの内容に気を配るようにすると、
子どもはできなかったことを次々自分で乗り越えていきます。

ゲームで暗算力をつけるための小道具

2014-11-22 21:07:36 | 初めてお越しの方

クリスマスやお正月に家族やお友だちとゲームをする機会が増えることと思います。

暗算力をつけるちょっとした小道具の作り方を紹介します。

 

トランプでもかるたでもすごろくでも

ゲームを進める中でコインをゲットできるルールを加えておくと

得点を計算する機会が増えます。

小学生の子たちと遊ぶ時に重宝するのが、25点カードと100点カードです。

25点を得る度に25点カードと交換し、

25点が2枚で50点、3枚で75点、4枚で100点という話題を

繰り返し学びながら、

25点カードを4枚集めて100点のカードを手にすることを目指します。

 

75を見ると、あと25を足すと100になるな……という感覚が身についてくると

暗算が得意になります。

 

時計の学習の準備には、

60ポイント集めると「1時間券」と交換できるカードを使うのもいいです。

 

 


しゃぼん玉をわると小さな雲が浮かぶ実験

2014-11-22 17:54:11 | 理科 科学クラブ

『天気の自由研究』(武田康男著 永岡書店)にあった面白い実験を紹介します。

しゃぼん玉をわると小さな雲が浮かぶ実験です。

 

①大きめのコップにたっぷりとお湯を入れて

台所用中性洗剤を2~3滴たらしてしゃぼん玉液を作ります。

 

②表面近くにストローをさして1つだけ大きなしゃぼん玉を作ります。

 

③線香に火をつけて、そのけむりを少し吸い、しゃぼん玉の中に入れます。

 

けむりが芯になってたくさんの水滴ができて、しゃぼん玉の中が白くにごります。

懐中電灯を当てると、小さな粒が動いている様子がわかります。

しゃぼん玉をわると。空中に雲のような塊がわずかな時間見られます。

 

温かい空気に含まれる水蒸気から雲ができます。

線香のような塵があると雲ができやすいです。