虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

内田樹氏の「コミュニケーション能力とは何か?」について、親子でおしゃべり 4

2013-12-31 21:43:00 | 息子とおしゃべり(ときどき娘)

今年もブログを読んでくださりありがとうございます。

いいお年を♪

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前回の会話の続きです。

 

わたし 「つまり、コミュニュケーションを不調に追い込むのも、回復を阻むのも、

うまく人と関われなかったり会話下手だったりすることよりも、

コミュニケーションには想像力が必要だということが忘れられてしまったから……ということ?

 

確かに、誰かとコミュニケーションを取るということは、ただ言葉だけを文字通りに受け取って

返せばいいものじゃないわよね。自分ではない誰かが発した言葉は、その人がどんな立場に

あるのか、どのような経緯で、どういう思いで、どんな目的でその言葉を使っているのかという

言葉の背後のあるものへの想像力が必要よね。

 

でも、もし今の社会が、★が言うように、コミュニケーションにおいて、仮想の設定で

考えてみることに価値を置いていないとしたら、コミュニケーション能力って言葉が

いくら幅を利かせていても、おかしな話だわ。

能力の高低を語る前に、コミュニケーションって、

異なる過去と思考と目的を持った自分と他者、誰かと誰かの間で交わされるものだから。

 

内田先生が書いておられたマニュアルの蔓延は、

コミュニケーションの性質上、相手への想像力とか仮想の設定で考えてみたり、表現したりすることが

当然必要だろうと思う感性をマヒさせてしまうのかもね。」

 

息子 「そうだろうな。実際、ぼくがコミュニケーションがうまく成り立たない状態を脱するには、

いったんそれまでの文脈から離れて説明する能力なんかが役に立つな。

たとえを使ってみるとか。

お互いの目標を確認してみるとか。

全体像を俯瞰して、話してみるとかさ。

相手の生活とか趣味とかを意識しながら

たとえ話をすると、会話能力を上げる以上に、自分の言いたいことが伝わりやすくなるし、

考えを共有しやすいよ。」

 

そういえば、以前、言葉でのコミュニケーションについて、今回とは異なる視点で、息子とは

話をしたことがあります。 記事の一部をコピーしますね、(時間のない方は読み飛ばしてください)

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息子 「ぼくは言語には欠陥があって、

その欠陥に無自覚なままで言語主体の話合いを続ければ、

いろいろな誤解が生じてくるのは仕方がないように思うよ。

 

言語の欠陥を補うために、数学的な考え方や数学の世界の言語を

議論に取り入れるといいように思うんだ。」

 

母  「言語の欠陥って?」

 

息子 「言語というのは、物と物と比較する上で勘違いを起こしやすいからね。

たとえば、ある政治家がひとこと言い間違いを犯して、

メディアや国民からいっせいに非難を浴びるとするよね。

で、そのひとことの重さというのは、その政策全体の価値に対して

どれくらいの汚点にあたるのか、

言語はそうした数値的な比較を背景に遠のかせて、

人々の関心や感情やメディアのその時期の注目度によって

その価値を調整していくじゃんか。

 

数学の世界で名著と言われているものの場合、

それを理解して良し悪しを決定するのは

数学について、ある一定の理解の基準を満たしている人々になるから、

名著と評されているものが正しく名著である確率は高くなる。

 

でも、国語の世界は母国語であれば

よくわかっていなくても、わかった風なことを言ったり、評価する立場になることは

可能だよね。

場合によっちゃ、正しく理解している人が2割、わかっていない人が8割

なんて状態で、

物の良し悪しが決められることだってあるんだから。」

 

母 「言語は、錯覚や勘違いを含みやすいから、数学の世界の言葉を議論に取り入れるってどういうこと?」

 

息子は紙に一部が重なっている2つの円を描きました。

 

息子 「お母さんが、今、仕事上での考えている上での立ち位置っていうのは、集合のべん図で表すと

この重なっている部分にあたるんだよね。

それか、もうひとつ円を加えて、この3つ目のCの円を含む3つの円が重なる部分を除く

最初のAとBの円が重なっている部分ってことのなるのかもしれない。

つまり、数学の世界の図で描くと、それは当然過ぎるくらい当たり前の

ある部分なんだ。

 

でも、それが言語主体の話合いだけで進めていると、

A派に属することが、そのままB派と重ならないことを意味するような

関係しかないように受け取られがちなんだ。

 

数学は同時にいくつかの関係を表現できるけれど、

言語はその都度、ひとつを選んで、表現するものだからね。

 

数学の世界ではAの方程式とBの方程式が存在するときに、

 問題によりけり、条件によりけりで、この場合はAで解くべきか、Bで解くべきか、

AB両方を複合させて解くべきか、AでもBでもダメなのか、

AとBをベースにして全く新しいメタな解決法を必要としているの

かっていう選択が、ごく当たり前の前提として存在している。

 

そこには流行も人の感情も、時代の空気も、その評価に参加する

人々の能力のばらつきというものにも振り回されず客観的に

物を考えていく道具としての数学の長所が生かせるんだ。

 

もちろんそうして全体を把握した上で思考するのも

決断するのも人間なんだけど、

議論の途中で言語の持っている欠陥によって

問題の解決がうやむやになるなんてことはあまり起こらない。

 

ぼくが物を考えるときに、頭の中にマインドマップのようなものを思い浮かべるけれど、

よくあるマインドマップのように中心があって、

それから枝葉を広げていくようなものではなくて、

相関図のようにたくさんの中心があって、それらのどれが主体となるわけではなく

矢印によって関係が示されてイメージなんだ。

 

そうしてまず、全てを平等に価値のある概念として

イメージ上に配置した上で、それらがどのような関係を創り出しているのか、

矢印を行き来させて、考えていくんだよ。

社会学や世界情勢についてや、教育の問題なんかについて考えるときも、

そうしや相関図やグラフや表やベん図や線分図なんかで

いったん感情を入れずに全ての情報を洗い出してみてから、

ファジーさや柔軟さを残した状態で、どのように感じて、どのように思うのか、

考えを練っていくんだ」

 


内田樹氏の「コミュニケーション能力とは何か?」について、親子でおしゃべり 3

2013-12-31 11:03:27 | 息子とおしゃべり(ときどき娘)

息子 「ぼくは今の時代、コミュニケーション能力についてしょっちゅう取りざたされたり、

コミュニケーション不全といった状態が問題を起こしているのは、

個人の能力の高低というより、

今の時代に不足している物語……というか虚構かな……

もしも、こうだったらという仮想の設定に自分を置いたり語ったりする意味を

見失ったことによるところが大きいと思うよ。」

 

わたし 「物語?仮想の設定?

どういう意味?」

 

息子 「コミュニケーションでは、自分には当たり前でも相手は知らないという事柄を

わかる言葉で伝えなくちゃならないよね。

それには柔軟性や試行錯誤もいるけど、まず、

もし自分が相手の立場だったら……という仮想の設定を

してみる必要があると思うんだ。

 

内田樹先生のフランスのレジの店員とのやりとりがちぐはぐになったって

たとえ話があったよね。

それはコミュニケーションが不調に陥った時にそれを修正して回復させていく能力が

店員に不足していたというのも、その通りだと思う。

 

でも、同時に、能力という言葉で表わされるような言い方とか対応の仕方が適切じゃなかったとしても、

もし自分がその人だったら……とか、自分が外国で買い物をするとしたら……いう視点に立つことを大事にしていたら、

上手下手なんてあまり関係なく

コミュニケーションが円滑に進んでいた可能性が高いんじゃないかな」

 

もう少し続きます。


内田樹氏の「コミュニケーション能力とは何か?」について、親子でおしゃべり 2

2013-12-30 17:04:14 | 息子とおしゃべり(ときどき娘)

息子に、「コミュニケーション能力って何だと思う?」とたずねた結果、

返ってきた答えというのは、こんなものでした。

 

息子「ぼくは、お互いの最終目標を意識しない形でする

コミュニケーションは、間違っていると思うな。

無理矢理、同じひとつの意見にすり合わせていく必要もないけど、

相手が何を目的として、それを言っているのかや最終的に何を目指しているのかも

理解しないで、自分の主張を押し通す態度はコミュニケーション能力の問題と

言えるんじゃない?

 

ほら、よく学校や塾で先生に文句を言う親と親に文句を言う先生との間で

揉めることってあるよね。

お互いに相手に自分の目的を伝える気もなければ、

相手の目的を知って、できる範囲で達成してあげようという気もないまま話合うんじゃ、

いつまでたっても、かみあわないはずだよ。

 

相手の最終目標を理解するといっても、

コミュニケーション能力が、

相手をなだめたり、言葉の扱いに注意したりして、

トラブルを起こさなかったり、感情を静めたりする能力ってわけでもないだろうし、

相手の意見に迎合することでもないとは思うよ。

 

でもコミュニケーションするからには、

自分以外の人の考えが行きつく先とか、

ひとつひとつの意見の全体像のようなものを意識しないで

自分の世界観でやりとりを完結させようとするのは、

コミュニケーション能力の問題と言えるんじゃないかな。」

 

わたしは息子の言葉を聞いて、

これまでいろいろな話題で息子とおしゃべりを続けてきたけれど、

その都度、知らず知らずのうちに、

親のわたし自身が教室で直面している課題への答えを発見していた

ことを思いあたりました。

こちらは、少しも意識していなかったけれど、

息子の側は、そうした雑談の間にも

わたしが最終的に目的としている事柄を探る努力をしていたのかもしれません。

 

次回に続きます。

 

 


内田樹氏の「コミュニケーション能力とは何か?」について、親子でおしゃべり 1

2013-12-30 13:01:44 | 息子とおしゃべり(ときどき娘)

知人のフェイスブックに紹介されていた

内田樹の研究室の

「コミュニケーション能力とは何か?」という文を読みました。

 

興味深い内容だったので、朝食を食べていた息子に読むように勧めると、

さっと目を通してから、

「確かに、コミュニケーション能力なんて……

まるで数値化して比べられるもののように扱っているわりに、

コミュニケーションという言葉の意味をきちんと突き詰めて考えていないよね。

使っている人同士が同じイメージで語っているのかとか、

それを能力として高い低いで語れるとしたら、その具体的な基準はどんなものかとか。」と

つぶやきました。

 

そこで、「★(息子)は、コミュニケーション能力って何だと思う?」とたずねてみました。

すると、「コミュニケーション能力」という意味を息子はどう捉えているのか、

わたしにはない発想が返ってきて、

くわしく説明を求めるうちに、

朝の忙しい時間帯を、親子ともども30分ほどおしゃべりに浪費してしまいました。

 

 『内田樹の研究室』の文章について、親子で交わした会話は、過去にもこんな記事にしたことがあります。

「若者たちはなぜ、社会に対して何かを訴えたり行動したりしないのか」という内田樹氏への質問 1

「若者たちはなぜ、社会に対して何かを訴えたり行動したりしないのか」という内田樹氏への質問 2

「若者たちはなぜ、社会に対して何かを訴えたり行動したりしないのか」という内田樹氏への質問 3

「若者たちはなぜ、社会に対して何かを訴えたり行動したりしないのか」という内田樹氏への質問 4

「若者たちはなぜ、社会に対して何かを訴えたり行動したりしないのか」という内田樹氏への質問 5

「若者たちはなぜ、社会に対して何かを訴えたり行動したりしないのか」という内田樹氏への質問 6

「若者たちはなぜ、社会に対して何かを訴えたり行動したりしないのか」という内田樹氏への質問 7

「若者たちはなぜ、社会に対して何かを訴えたり行動したりしないのか」という内田樹氏への質問 8

「若者たちはなぜ、社会に対して何かを訴えたり行動したりしないのか」という内田樹氏への質問 9

 

 

「コミュニケーション能力とは何か?」をめぐってしたおしゃべりの続きは、

今晩か明日にでも書かせていただきますね。

 


子どもの「なぜ?」につきあう、 知りたい気持ちと響きあう

2013-12-29 20:22:46 | 教育論 読者の方からのQ&A

年少の☆ちゃん。

列車のおもちゃをセロテープで連結させてから、

不思議そうに、

「どっちが前?」とたずねました。

 

動物なら顔がある方が前で、しっぽがある方が後ろなんでしょうけど、

列車の場合、前にも後ろにも顔のような運転席の部分があるので

迷ってしまったようです。

前がふたつもあって、後ろがひとつもない……そんな風に見えたようでも

あります。

 

たいていの方が子どもの「なぜ?」にどう答えるか、どう教えるか、どう対応するかに

気にかけておられます。

でも、本当は、そんなことより、子ども中から生まれてきた「なぜ?」を

いっしょに味わうことや、どうしてだろうと考える楽しさにたっぷり浸ることが

大事かな、と感じています。

 

「なぜ?」と注目するポイントは子どもによって千差万別で、

子どもの「なぜ?」には、その子らしさが隠れているのです。

 

☆ちゃんの「なぜ?」は、

正しい正しくないと割り切れないような白黒つけがたいものを目にした時に、

一番よく生まれるようです。

 

だんだん暗くなりかける空を見て、「これは、夜?夜明け?」と悩んだり、

幼稚園の制服が夏服から冬服に変わる時に、季節の移り変わりと洋服の関係に

関心を抱いたり……。

 

「こうだよ」って答えを説明しにくい「なぜ?」は、

「どう答えればいいのか……」と大人を悩ませてしまいがちです。

☆ちゃんのお母さんは、答えを教えることを焦らず、

そうした「なぜ」の中に☆ちゃんらしさを感じて、☆ちゃんという子を

より深く知って、いっしょにさまざまなことを探究しあって楽しんでおられます。

 

そうするうちに、☆ちゃんは年少さんながら、

カレンダーや季節の移り変わりや昼と夜の違いや日常のさまざまな事柄に

ついて、「なぜ?」「どうして?」と疑問を抱いては、

自分なりに一生懸命考えたことを説明してくれるようになりました。

 

 

 


小学生の算数レッスンのまとめ

2013-12-29 16:01:57 | 初めてお越しの方

 

算数の文章題を考えるためのワザ 1

算数の文章題を考えるためのワザ 2

割り算レベルアップ


2ケタの計算につまずいた時に教え方

2年生の子らと規則性

表にすることと規則も見つけ出すこと

 

手作りゲーム(条件を読みとること、整理して考えること)

 

お金の算数パズル

 

線分図を学ぶ

 

どうして低学年の子に植木算や旅人算を教えているの?

ブロックを使って体積を学習中


「自閉っ子のこだわり」 を「能動的に取り組む活動」へと 橋渡しする 中間の活動 

2013-12-29 10:43:05 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

遊びのアトリエさんの新しいホームページができたそうです。

とてもすてきです。

あそびのアトリエ

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発達障害のある子のお友だちとの関係をサポート 1

発達障害のある子のお友だちとの関係をサポート 2

発達障害のある子のお友だちとの関係をサポート 3

 

の記事にさせていただいた

発達障害の診断を受けている3歳6ヶ月の★くんと未診断ながら発達上の凹凸が目立つ☆くんの

1ヶ月ぶりのレッスンの様子です。

 

☆くんは、劇の幕が上がっていくところに夢中なのだそうです。

そこで紙を丸めて作った筒に布を貼りつけて、

くるくる上がる幕を作ってあげました。

☆くんはハムスターの人形や持ってきたおやつを舞台に並べて

大喜びしていました。

 

 

★くんは周囲の状況に合わせて動くのが苦手です。

誘いかけても、じっと座ったまま

しつこいほど同じ遊びを繰り返していることが多いです。

今回は、前回同様、

ひたすらバスのドアの開閉にこだわっていました。

 

★くんがひとつの遊び方に固執して

他の活動にいっさい参加しようとしないのには

見通しの立ちにくさと

身体感覚の鈍さが

理由にあるようでした。

 

というのも、そのふたつに配慮して誘った遊びには

積極的に参加し、

2回目以降には誘えばすんなり従う姿がありましたから。

 

お母さんのお話では、集団の活動の場で、みんなで踊ったり体操したりする

時間に、ひとりだけおもちゃを触りたがって

いっしょに参加しようとしない、ということでした。

ただ気に入ったおもちゃさえあれば、そこに通うのを嫌がることはないそうです。

 

★くんには、 

遊びが広がらない自閉症の子との遊びを発展させていく方法 4

で書いたような

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その子がこだわる活動、つまり

見たり聞いたり感覚を楽しんだりしたがる活動と

 自分で働きかけたり作ったりする活動との橋渡しになるような

それらの中間に位置するような活動

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 がとても重要だと思われました。

 

★くんはせっかく同年代の子が集う場に連れて行っても、

ある特定のおもちゃのひとつの遊び方に執拗にこだわるところがあるようです。

だとすると、他の子たちと場を共有してはいても、

いっこうに遊びが発展していかない可能性があるのです。

 

虹色教室でも、自由に遊ばせて様子を見ていると、

延々とバスのドアの開閉だけを繰り返し続けて、

しゃべる内容も、「ドアが開かない」「ドアがちゃんと閉まらない」

とだけ、それこそ何十回でも言い続けています。

★くんは事物の

細部にだけ集中し続ける興味の狭さを持っています。

 

そのため、★くんの日常生活をサポートするために

お母さんが準備したイラスト付きの手順書のようなものにさえ、

細部に注目しすぎてしまい、逆効果になることもあるそうです。

たとえば、ズボンを自分ではこうとしないため

ズボンをはく手順をイラストで示すと、

「(手順書と違うから)そのズボンと同じタイプのものでないとはかない」という

新たなこだわりが生じて

とても苦労するのだとか。

 

それほど細部に集中して、こだわりを強めてしまう★くんに対して、

「何か興味ありそうなものを……」と誘いかけても、

固い無表情のまま無視されてしまいます。

 

そこで、わたしは★くんがこだわっているバスのドアの開閉を

他の活動につなぐことはできないか

いろいろと試してみました。

紙箱で開閉するドアを作る工作の見本を作ったり、ブロックで開閉するドアを作ってみたり、

警察署のドールハウスの引き戸を開閉してみせたりしました。

が、そのどれにも★くんは興味を示しませんでした。

 

が、そうやっていろいろ働きかけるうちに

★くんは開閉すること自体よりも

バスの扉の機械のような動きに魅力を感じているのがわかってきました。

押すと鳴るブザーとか

カメラのシャッターを押す動作などに

★くんは惹きつけられるところがあるのです。

★くんが夢中になっていたバスの開閉するドアも

レバーをひねると、バスのドア部分がアコーディオンカーテンのように折りたたまれてカチャッとはまる

動きが機械を思わせるのです。

 

それでは……と工作道具に

100円ショップの電動歯ブラシを加えて、

何か作るたびに、工作物の床をそれで振動させて

不思議な動きを作りだすと、

キラキラと目を輝かせて席に着きました。

 

 

 

どうしてこんな電動ハブラシが教室にあるのかというと、

科学クラブの子たちが分解して何か別のおもちゃに改造するための

電池で動く機械の100円グッズをあれこれ買いだめしているからなのですが……

この手の安価な電動グッズ類が自閉っ子たちのツボにはまることって

よくあるのです。

 

たとえば、くるくるハンドルを回したりカチカチ握ったりして

蓄電してライトを灯す機械とか、

光ファイバーのライトとか

押すと音がでるグッズとか、

砂時計に似た不思議な液体や粒子が上下に移動するグッズなどです。

 

今回の電動歯ブラシは、写真のように空き箱に押し当ててスイッチを入れると

箱の上に乗せた船はまるで海を渡っているように走りますし、

毛糸の玉はもぐらや毛虫のような動きをします。

★くんと☆くんに、持ってきたおやつの空き袋で舟を作ってあげると

大喜びでした。自分の食べたお菓子、それも前回と同じように

ピクニックごっこをして、山のぼり(椅子のことです)もして、包みを開いて

食べたお菓子の袋で作ったもの、ということで、

とても気に入っているようでした。

 

舟が箱の上を動いていく様子を見た★くんは、

電動歯ブラシを手にして、自分も舟を動かしてみたり、それをおもちゃのバスやセロテープの台やテーブルに押し当ててみて、

振動が変化する様子を楽しんでいました。

 

☆くんはモールを使って、虫を作ることにしました。

★くんは毛糸を切って、妙な生き物を作るのに熱心でした。

なかなかうまくはさみが使えず苦労していましたが、「こうするの?こうするの?」と

たずねながら、根気よく切っていました。

ふたりがいろいろ試してみながら熱心に遊ぶ様子を見て、

次の機会には、他の電動の機械類を使った遊びをいくつか提案してみようと思いました。

手を打つと音に反応するロボットや

障害物を避けて進んでいくロボットなどで遊ばせてあげると、

身体を使う遊びや

積み木やブロックで障害物を作る遊びにつながるかもしれない、と思いました。

(ちょうどそれらの電子工作で作るロボット類の科学クラブ用に準備していたものです)

 

「自閉っ子のこだわり」 を「能動的に取り組む活動」へと 橋渡しする 中間の活動

というのは、

必ずしも物に働きかける活動だけでは

ないと考えています。

 

何の道具も材料もなくても、自閉っ子の世界を広げていくお手伝いはできるはずです。

 

たとえば、こんな感じです。

 

★くんがバスのドアの開閉にひたすら

こだわっていたことを書きました。前回のレッスンの時に

★くんはバスの中に教室にあるものをあれこれ押し込んで遊んでいたのですが、

ハムスターの人形を出してあげた時に一番喜んでバスに乗せていました。

今回、「バスに入れるのがない。」とつぶやくのを聞いて、

「ハムスター乗せる?」とたずねると、パッと表情が明るくなりました。

自閉っ子たちと遊んでいて、強く感じるのが

こちらとの時間の感覚の違いです。

 

自閉っ子たちは、その場所でずいぶん前にあった出来事も

ほんの数分前にあったことのように鮮明に覚えていることが多いようです。

 

ですから、今遊んでいるものと関係なくても

本人の記憶の中ではリアルにつながっている物があれこれあるのです。

 

そうしたその子が過去に愛着を持ったものを

こちらが覚えておいて(覚えておくばかりでは無理があるので、できるだけ記録しておいて)

過去の場面をそっくりそのまま再現してあげるようにしています。

過去の場面といっても、大人の目から見た過去の場面ではなく

その子のこだわりにそった過去の場面ということですが。

 

すると、自分のファンタジーの世界にこもりがちな子や

警戒心が強くて人を拒絶するような構えが強い子も

そんな風に同じ過去を共有しているわたしに対して頼ったり甘えたりしてくるようになりますし、

ちょっと気を緩めて、新しい体験を受け入れてみようという姿勢が生じてきたり、

わたしが次にすることを期待するような態度が出てきたりします。

 

これまでの話とは反対に、もし身近な大人が、その子が過去に不快に感じた物とか

これまで触れたことがないので不安を覚えるものなどを

子どもを喜ばせよう、何か学ばせようとして

出してくると、自分の世界に閉じこもる態度を強固にすることがあるはずです。

 

自閉っ子は「甘えたい、近づきたい」という気持ちが高ぶると同時に

「離れたい、拒絶したい」という気持ちも高くなることが

多いようです。

そのため、「お母さん」のような

一番甘えたい対象が近ずくほど、たちまちやる気を失って、だらだらと崩れるような態度で過ごしたり、

同じ行動を反復し続けて自分の中に閉じこもってしまったりする

ことがよくあります。

 

そんな悪循環に陥っている時は、子どもによかれと思うことを

あれこれしようとがんばる前に、

遊びが広がらない自閉症の子との遊びを発展させていくこと5

で紹介した

 

「関係発達支援の基本」の 関係欲求をめぐるアンビバレンスに基づく悪循環を断ち切ること

を最初に目指すことが大切じゃないかと思っています。

 

 

 ★くんの話に戻しますね。

★くんはバスの中にハムスターを詰め込んでは、「ドアが開かない、開かない」と言って

ぶつぶつ言っていました。

この「ドアが開かない」という言葉は、わたしに何とかしてほしい、という意味を含んでいるようでした。

 

なぜドアが開かなくなるのかというと、バスのドアの開閉部分に

ハムスターが詰まってしまうからです。

正確に言うと、★くんがそこにハムスターを入れて

ドアが開かなくなるように、わざわざしているのです。

 

そこで★くんの「ドアが開かない」「開かない」を

困ってるんだな、嫌なんだな、とだけ受け取って、

「だったら、ハムスターをバスに入れるのをやめなさい」とか

「ドアの近くにハムスターを入れないように気をつけなさい」と言うのは

まずいな、と思いました。

 

なぜなら、★くんはまだ人と関わっていく力がとても弱い子だからです。

 

★くん自ら、他の人に関わっていこうとするのは

皆無に等しいのです。

とすると、たとえそれがわざわざ自分で作りだしている

不満や不平であっても、相手のフィードバックを求めて能動的に振舞っているなら

そのひとつひとつが大切なものでもあるからです。

 

といっても、その対応いかんによっては、

「問題行動を起こすと注目されるという」刷り込みとなって

自閉っ子に悪い習慣をつける可能性もあります。

 

ですから、こうした時の対応は、とても慎重に注意が必要だし、少しずつ良い関係へと変換していくもので

なくてはなりません。

 

わたしはひとつひとつの訴えに

本人が望む以上でも以下でもない、そのまんまの対応を繰り返すようにしています。

 

明らかに、「わざわざそんなところに入れるからでしょ?」という状態で、

「いったい、何十回、同じ失敗(おそらくわざと)をしているのかな?」という場合でも

初めて要求された場合と同じように対応するのです。

 

それと同時に、そうした要求に応える言動が、★くんにとってわかりやすくて、

人に対する興味をそそるものとなるように工夫しています。

もしそれが難しいと感じる方はパーキング等の自動券売機のような音声が出る機械になったふりをして

遊んであげるのでもいいです。

 

★くんは、「どうして開かないのかな?」と注意深くドアの中をのぞきこみ、

「あっ、こんなところに詰まっている。ハムスターが詰まっている。」と言ってから、

ゆっくりバスをひっくり返して、

トントンと詰まった部分を叩いて、ハムスターを移動させて、

「うまくいったかなー?」と★くんの期待と自分の期待を重ね合わせるように息を合わせて

ドアを開くという一連の作業に心から満足しているようでした、

 

そうしたまるで機械のように

望んだことを望んだように返してくれる相手に

自閉っ子は信頼や安心感を寄せるようになってきます。

 

そうして信頼や安心感が見えはじめると、

強迫的な繰り返しは減り始め、自分から能動的に働きかけてくるものも増えてきます。

 

 

★くんの変化は、こんな感じでした。

初めのうちは、座り込んだまま、険しい表情でうつむいたまま、「バスのドアが開かない」と

半ばおもちゃに当たるような調子で繰り返していたのが、

だんだん、こちらを呼ぶような口調で、「ドアが開かないドアが~」とイライラした声になり、

しまいには、自分からバスを持ってきて、「ドアが開かない」と言いながら

わたしにそれを付き出すようになってきました。

そうして何とかしてほしいという様子で持ってきながら、

ちょっと甘えるような仕草をするようにもなりました。

ある時、わたしにもたれかかって、こんなものを見せてくれました。

バスにはドアの開閉ができる面と

写真のように開かないドアが描かれている面があるのです。

★くんはその開かないドアを指さして、「どうやって開けるの?」とたずねました。

おそらくどうして開かないのか、★くんはわかっているのです。

見たところ開きそうもない作りですから。

 

それでも、わたしが開けようと試みて、「うーん、開かないね。開かないドアだね」と言うと、

満足した様子で、フッと笑って、

予想したことが予想通りでとってもうれしいという態度で、

バスを抱えて自分の遊びの場に戻って行きました。

 

☆くんは発達の凹凸があるにはあっても

個性の範囲と思われる子です。

目が少し合いにくく、コミュニケーションの取り方がちょっとだけちぐはぐかな?と感じることがあります。

その場の状況を把握するのが苦手なようです。

 

とはいえ、人と関わるのが好きですし、物ややり方にこだわることもありませんから、

大らかに成長を見守って行くだけでいいのかもしれません。

 

☆くんは発達障害等はない子たちの別のグループレッスンにも参加しています。

そこでの☆くんの遊び方と★くんと過ごす時の遊び方を比べると、

「同じ子かな?」と思われるほど指示の通りやすさと意欲の違いが見られます。

 

★くんとふたりで過ごす間の☆くんは、わたしが誘う活動がブロック作りであれ、工作であれ、

積極的に参加して、自分の考えもあれこれ口にしています。

でも、別グループで4人ほどで過ごす時には、

みんなが工作などを始めたり、椅子に座ってお話を聞いたりしている間も、

ひとりでふらふらと歩きまわることがよくあるし、状況の読みにくさが目立つ印象があるのです。

 

☆くんは刺激が多く、処理する情報量が多い場では、

自分をコントロールするのが難しくなるのでしょうか。

☆くんにすると、★くんの活動量の少なさは安心感につながっているのかもしれません。

 

★くんと☆くんといっしょに

今回も前回同様ピクニックごっこやクイズごっこをしました。

それぞれが持ってきたビスケットとクラッカーをティッシュに包んで、その上からさらに大きなハンカチで包んで

ピクニックに出掛けます。

☆くんは、こうした見立て遊びが楽しくてたまらない様子。

★くんは、見立てているという状況がどういうものか

ピンときていないようにも見えましたが、一通りのアトラクションを抜けて

お弁当タイムということでお菓子を広げました。

 

その時、「クイズです!このお茶は誰のお茶でしょう?」と★くんの

ペットボトルを上に掲げると、

★くんが急に手を挙げて、身を乗り出すようにして立ちあがって、

「★くんの!」と元気に答えたのにはびっくりしました。

一度できたことを、何度もやる機会を設けて

成功させてあげる大切さを感じました。

 

☆くんは、★くんの食べているビスケットが欲しくてたまりませんでした。

それで自分のクラッカーを★くんに押しつけるようにしてあげると、

★くんの手からビスケットを奪い取ろうとしました。

★くんは多めにビスケットを持っているのですが、自分の分を分けたくない様子です。

 

そのためふたりの間で無言のお菓子のひっぱりあいが続いていました。

どちらも自分の思いを相手に伝えることができないでいるのです。

それで、それぞれの気持ちを言葉にさせました。といっても★くんは「いやいや」とだけ、

☆くんは「ほしい~」とだけしか言えませんでした。

わたしがそれぞれの気持ちに少し言葉をそえて、ふたりに考えさせていると、

★くんが決心したようにビスケットを☆くんの方に差しだしました。

 

こうした小さなトラブルにていねいにつきあいながら、

自分の気持ちも相手の気持ちもどちらも大切にしながら

問題を解決していく力がついていきます。

 

そうした揉め事の後では、

★くんも☆くんも、「ふたり」でいっしょに何かする、

ということに積極的になりはじめたように感じました。

そのおかげか、ふたりともかなり長い間、工作に取り組んでいました。

 

この日、

帰り際に、★くんに工作で作った舟を手渡してあげると、

★くんが顔をほころばせて、ニコニコしていました。

心底うれしくてたまらない、楽しくてたまらないという様子です。

★くん、とにかく固い無表情でいることが多い子なので、

こんなにかわいらしく幸福そうに笑うのか、と感動してしまいました。

 

☆くんはどの活動も楽しくてたまらない様子でした。学ぶ姿勢もしっかりしていました。

☆くんの遊び方からは、余裕と発展しそうな可能性が感じられました。

ですから次に来た時には、

劇の幕だけでなく、もっとたくさん☆くんが日常で興味を持っていたものについて

お母さんからうかがって遊びに取り入れるといいのかもしれない、と思いました。

 


クリスマスプレゼント?

2013-12-28 22:10:59 | 日々思うこと 雑感

年末でバタバタしているため、過去記事をアップする日が増えています。ゴメンナサイ~。

 

子どもたちやダンナから、わたしへのクリスマスプレゼントとして、

『12季節の魔法使い』というカードゲームや海賊の金貨と金塊をもらいました。

さっそく教室で使わせてもらいました。

そして、娘から父(ダンナ)へのプレゼント。

三層式の大阪の地図パズルです。

大阪のさまざまな建物のミニチュアが入っていてとてもかわいかったです。色付けするそうです。

できあがったら、教室で使わせてもらう予定です。

(たびたびプレゼントという名目で、わたしや子どもたちから何かもらっては

教室の備品を作らされているダンナ……

 

わたしとダンナから、大きなわが子たちへのプレゼントは

お金にさせてもらいました。(流行の服も音楽の機材も何を買ったらいいのか

わかりませんから……きっとわたしやダンナが選んだものは、いずれ教室行きとなるでしょうし……)

 

いいお正月を♪

 


勉強でつまずく小学生 「できるようになりたい」と思わない子

2013-12-28 18:33:20 | 教育論 読者の方からのQ&A

勉強につまずいている小学生が
「できるようになりたい!」という向上心を持っている場合、
指導の仕方を工夫すれば、きちんとできるようになっていくことでしょう。


でも、子どもが「できるようになりたい」と思っていない場合、
できるようにするのは、一筋縄ではいかない難題です。


子どもが「できるようになりたい」と思わない理由はさまざまです。

「できるようにならない」ことで自分に注目を集めたり、
親への間接的な不満を「できない」ことで表現したりして、
大人をコントロールする子たちがいます。


また、自分のことなのに、自分のことのように思えなくて、「こうなりたい」という欲求が生まれてくる自分の核となるものがないように見える子もいます。

いつも子どものことを親御さんが決めていて、
子どもの自我がきちんと成長していない場合そうなりがちです。
最近は、子育てが、ママ友とのお付き合いの付属のオプションのようになっていて、
親の「(子どもが)こうであってほしい」と、子どもの「こうなりたい」の境界線が、
親にも子にも見えなくなってしまうケースを見聞きします。

そうして親子で一心同体のまま、二重に心を重ねた状態で、ある年齢までいってしまうと、
子どもの自立したいという思いは、
親の「こんな子に成長してほしい」という気持ちに反抗する形で、
あらわれてくるかもしれません。

子どもは自分の成長を犠牲にしてでも、
自立をしなくてはならない危機に陥っているのです。


「できるようになりたい」と思わないのには、
他にも、さまざまな理由があるでしょうが、
「できるようになりたい」と思わない子を、できるようにさせようとして、
手を変え品を変えして教えたり、
学校の先生の教え方に不満を持ったり、
塾に入れたりするだけでは、おそらくうまくいかないはずです。

たとえ、一時期、成績が伸びても、
少しすると、もっと大きく膨らんだ学習上の問題にぶつかることでしょう。
根本的な問題を先送りすることになるからです。

「できるようになりたい」と思わないのは、
良い成績を取れないからで、
易しい問題から繰り返し訓練して自信をつければ、「もっとできるようになりたい」と思うはずだと考える方は多いでしょう。
確かにそういう子もいます。

でも、それは大人の都合の良い解釈で、
そうした「子どもはこんなもの」という大人の気持ちの押し付けの連続が、
「できるようになりたい」という気持ちを奪っていることもよくあるのです。

 

「できるようになりたい」と思わない子が
「できるようになりたい」と思わない理由のもとは、幼児期の過し方にあるように思います。
幼い子たちは、あちこち探索していたずらしたり、自分で食べようとして食事をぐちゃぐちゃにしたりしがります。

砂遊びやねんど遊び、水遊び等も好みます。
そのように
大人には理解しにくい
「こんなことをしてみたい」「あんなことをしてみたい」という
子どもなりのやりたいことがあります。

でも、その時期に、おしゃれをさせて、
お母さんのしてほしい遊びを子どもがするのを望んだり、
習い事やサークルに連れて行って、
お母さんの過してほしい時間の使い方をさせたりしていると、
本当に子どもがやりたいことを、少しもしていなくても
お母さんも子どもも気づけなくなってきます。

でも、意欲ややる気や意志は、その時期、その時期の子が、
自分の内側からの衝動で、
「面白そう」「やってみたい」と思ったことを、
とことんやりつくすうちに育ってくるものなのです。

石ころを水の中に入れ続けるとか、水たまりで遊ぶとか、
ままごとばかり四六時中するとか、
親ではなくて、その子自身のアンテナに引っかかったことを存分にするからこそ、生まれてくるのです。

親が子どもにやらせたいことをして、ごほうびをあげて喜ばせても、
何かができるようになったとしても、
子どもの中に本当の意味での充足感や達成感は生まれません。


自分がやりたいと思ったことを、疲れるまでやりつくしたときに
「もっともっと成長したい」と願う強いエネルギーが湧き上がってくるものだからです。

話は変わりますが、
教室の3、4年生の子たちが、「学校でホラーマンガが流行っているよ。」「いろいろあるよ。みんな読んでいるよ」と言うので、私も見せてもらったところ、
「いじめ」や「殺人」や「自殺」がエンドレスで繰り返し登場する心をざわざわさせる内容でした。
まさか低学年の子らは読まないだろうと思っていたら、2年生の女の子たちのグループも口をそろえて、「学校で流行っている、流行っている」と言うので驚いてしまいました。
小学校低学年くらいから、何度も何度もいじめと死のシーンが繰り返されるストーリーが流行るなんて……
小学生たちに蔓延する不安やイライラした気持ちの深刻さを感じました。

子どもたちから、「自分」というものや「自分らしさ」が
奪われていないか、気にかかりました。

 

大人の期待する通りに、
「もっと勉強ができるようになりたい」とはりきって勉強する子だけが
良い子で、正しい子で、「できるようになりたい」と思わない子には
問題がある……
と言いたいわけではないのです。

「できるようになりたい」と思わないという態度からは、
子どもからのSOSやメッセージ、
隠れた問題を表面化させて改善しようとする意志が含まれているように感じられることが多々あるということをお伝えしたかったのです。


たとえば、
外からは見えにくいハンディーキャップが原因で、
読み書きの障害や推理力や一般化する力に苦手があって、
本人は周りの子と同じように努力しているつもりでも
いっこうにできるようにならないとします。

そんなときに、ハンディーキャップを軽減するような学習方法を工夫せずに、
勉強量を増やすとか、お友だちのママに聞いて良さそうな塾に入れるとか、
安易な解決法を繰り返すとどうなるでしょうか?

がんばってもがんばっても努力が報われないので、
勉強に対するあきらめの気持ちや劣等感が強くなって、
「できるようになりたい」と思うことに抵抗を感じるようになるかもしれません。

「怠け者」とか「勉強嫌い」という表現は、そうした子たちにあいません。
「できるようになりたい」と思っては、何度も何度も挫折した時の古傷がうずくので、
「できるようになりたい」という気持ちに蓋をして感じないように
しているだけなのです。

そうした子たちには、ただただみんなと同じ勉強を押し付けるのではなくて、
できない理由をていねいに見極めて、
本人が「できそうだ」と見通しを立てられるような
方法を示してあげなくてはなりません。

努力をすれば、努力がきちんと報われるという実感を
感じさせてあげる必要があるのです。

一度、深く傷ついてしまうと、傷は簡単には癒えません。
勉強をさせるだけではなく、学習する際に負ったトラウマを長い期間をかけて
癒してあげることが大切だと感じています。

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ごく一般的な子の場合、
「できるようになりたい」と思わないという態度は、
自分のことをあまり大切にしないという態度と
つながっていることがあります。

「できるようになりたい」という気持ちは、
「認められたい」「大人になりたい」「自立したい」「もっと自分を表現したい」「目標や目的を持ちたい」という思いでもあります。

これまでの経験で得た達成感や自分への信頼感、次にできそうなことがわかっている安心感などの土台の上に
生まれる気持ちです。

ですから、子どもにあまりにも「できるようになりたい」という気持ちが
見られない場合、
「勉強なんて、どの子も嫌いなものよね」と安易に捉えずに、
ストレスが溜まっていないか、
心の中に不満や言いたいことを溜めていないか、
強い劣等感を抱いていないかといったことを、よく見てあげる必要があると思っています。

ささいな口げんかもしないような仲良し親子の場合、
子どもは親に言いたいことを
きちんと言葉にできていないかもしれません。

「子どもの願いを何でも聞いてあげる優しすぎるお母さん」は、
子どもから反抗期を奪ってしまいがちです。
すると、子どもの側は、
親離れできないイライラが原因で、
「子どものまま、がんばらないまま
いつまでも成長しないでいよう」という態度に執着することがあるのです。


小学生の子が勉強につまずくとき、
あわてて他所の子と同じ対応をするのではなくて、
わが子をきちんと見たり、
わが子と親の関係を見直したりすると、
問題は深いところから解決しはじめるかもしれません。

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余談ですが、この「できるようになりたい」と思わない……という気持ちは、
私の小学生時代を振り返ると思い当たる感情なのです。

私は非常に母と仲が良くて、今でいう友だち親子のような間柄でした。
反抗期もありませんでした。
私や妹の習い事を選んだり、手作りの服でおしゃれをさせたり、私や妹の友だちのお母さんとお付き合いをするのが母の楽しみでした。

自分のことは脇において、わが子の成績が伸びることや、ピアノが上達すること、絵や作文で表彰されることだけを生きがいのようにしていた母を
嫌だとは思わなかったし、母の喜びが自分の喜びでもあったものの、
私はいつも自分にブレーキをかけていました。

何かできるようになって、注目を浴びると、さらに次の期待をかけられる……どんどん「自分のこと」が、「自分のこと」じゃなくなっていくような気がする……。

と、自分が成長していくイメージに対して、
それに覆いかぶさり侵入してくるような親のイメージが、いつもつきまとっていたのです。

そうしたもやもやとした不安を抱いていても、私は母の提案に「イヤ」と言うことはできませんでした。
いつも母が喜ぶような答えを先回りして言うので、
母の願望は、そのまま私の願望であるように伝わっていました。

ですから、外から見える私は、やる気があって素直で優しい良い子でした。
がんばってもできないのはご愛嬌。

でも、心の中の私は、一歩踏み出すことにいつも躊躇していました。
全力でがんばることを出し惜しみしていました。
そのどちらも、一時期、母を喜ばしはしても、自分のプラスにならないと感じていたからです。

それと、自分で意識できない部分では、私という人間を自分の私物のように扱う母に、
「成長しない」ことで仕返ししていたのです。

私と母が、そんな不健康な依存しあう関係に陥っていたのには、
母が、乱暴な父や、
言うことを聞かない妹との関係で悩み苦しんでいたからです。

それで私は、母の不幸を埋め合わせるのは自分の役目であるように感じて、
心理的に母子べったりな関係から抜け出せずにいたのです。

そして、母の過保護で過干渉な態度をすべて受け入れ、
母の期待を、まるで自分の願望であるように見せかけてもいました。

でも、どんなに周囲に微笑ましいく映っても、
親と子がささいなぶつかりあいもできないような関係は
息苦しくて、
成長を蝕みます。

子どもにすばらしい人生を用意しようと親が努力するほど、
親の用意した道を歩む子の足取りは重くなるものです。

母が私のことに夢中になるほど、私は自分の能力を高めることに投げやりになっていました。

といっても母を喜ばせるために、表面上はがんばってはいるのです。でも、常に、心ここにあらずで、いつも自分にブレーキをかけながら
上達することに怒りすら感じていたのです。

なぜ、怒りまで感じていたのかというと、
何かができるようになって親を喜ばせることは、
親離れできず親のおもちゃになっている自分に直面することでもあったのです。心の中で、それを恥ずかしく思いながら、気持ちに蓋をしていたのです。


そんな子どもの頃のことを思い出すと、
「子どもに過剰な負担をかけないために、
親は自分から少しずつ子離れする努力をしなくてはいけないな」と感じています。
親がしがみついていたら、子どもは親に遠慮して
親離れできないものですから。

親と子の間にきちんと境界線が引かれて、
子どもは子ども、親は親として幸せに自分の人生を生きていくならば、
子どもは、親離れ子離れを遅らせるために無駄なマイナスの方向のエネルギーを使う必要はなくなります。

すると、子どもは自分の成功を勝ち取るために、
自分を最大限に成長させることに集中できるようになることでしょう。


デュプロブロックで0~2歳児のおもちゃ作り

2013-12-28 18:30:49 | レゴ デュプロ ブロック
レゴ デュプロ ブロックを買ったものの
まだ自分で何か作るのは難しい‥という
0~2歳児のための
おもちゃのデザインを考えてみました。

写真の左に積み上げているのは

「いす」です。



0~2歳児は「いす」にお人形を座らせるのが
大好きです。
4色のはっきりした色が
子どもの色への理解力も 高めてくれますよ。
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レゴ デュプロ ブロックを写真のように
組みます。
ビニール袋をブロックではさんだら
「乾燥機」のできあがり♪

色紙のお洋服を入れて
フーっと息を吹き入れると
洋服がくるくる回ります。

どうすれば よく回るのか
工夫してくださいね。