以前の記事で紹介した
『自閉症のDIR治療プログラム』の療育プログラムの解説の一部に次のような一文ありました。
ごく一般的な自閉症ではない子を育てている親御さんにも読んでいただきたくて紹介します。
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考える力を育てるために、子どもが要求や関心を表現できるように
促しましょう。気持ちや意志を表現せざる得ない状況を
作りだすのです。ゴッコ遊びでも言葉のやりとりでも、自分の
考えを表現させます。
その際、言葉と行動と感情は深く結びついていることを忘れないように
します。言葉や考えを、常に感情や行動と結びつけるのです。
考えはすべて尊重し、感情にしても興味にしても、子どもが追及したいことをすべて尊重するのです。
子どもの考えを絵画、記号、空間デザイン、さらに言葉などのいろいろな表現手段で具現化していくのです。
『自閉症のDIR治療プログラム』(S.グリーンスパン 創元社)
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自閉症スペクトラムの子たちが、一般的な子と同じ発達をたどるように促すためのプログラムです。
一般的な子の場合、日常生活や遊びが豊かなら、ごく自然に
自分の要求や関心や意志を表現するようになっていくでしょう。
でも、そうしたハンディーキャップ等はない子でも
環境や親子関係が原因で、
「自分」を外に表現していく力が弱くなっているのをよく見かけます。
どうも日本では、自分の考えを表現することを「わがまま」と捉えるか、
他人の存在を無視するような本当にわがままな自己主張まで、
個性を育てることだと捉えるなど
両極端に走りがちなようです。
自閉症スペクトラムではない子にも、上の療育プログラムにあるような
「関わり方の知恵」が必要なのかもしれないな~と感じています。
話が飛んでばかりですが……
「子どもが自分の考えを表現しようとするのを
知らないうちにおさえがちになってしまう大人と子どもの関係があるな~」
と思っています。
たとえば、スポーツ好きのチャレンジャーな親のもとに
詩を作るのを愛するような繊細な文学少年、文学少女タイプの子が生まれたとしたら
親がかわいがるほど子にはプレッシャーになっていくという事態が起こるかもしれませんよね。
もしそうした親子のペアにも関わらず、
自己肯定感の高い考える力のある子になるよう育てていこうと思えば、
親の側が自分の価値観や視野を意識して広げ続けていく努力が必要になってくるのでしょう。
私が何組かの親子関係で、「注意が必要!」と感じたのは、
前にも書いたように直観が優れている親御さんと感覚が優れている子のペアです。
(感覚が優れている子といっても、
必ずしも感覚が優越機能にある子というわけではなく
感情型の子の感覚寄りの子や思考型の子の感覚寄りの子の場合も考えられます。)
直観が優れている親御さんは、いろいろなことに気づきやすいし、
あれもしようこれもしようという未来のアイデアや目標をたくさん
持っていることが多いです。
何かをするときには、
何十もの選択肢から「どれにしようかな」と選ぶといったことは、
苦もなく毎日やっているものです。
もともと、自分のアンテナに引っかかればそれでOKなので、いくつかのものから選ぶことに
苦痛がともなうなどとは夢にも思っていません。自分が選ぶときには、自分のフィーリングで選ぶのが
当たり前になっているからです。
でも他のタイプもそうかというとそうではないのです。
かつて私は、(私は直観タイプです)
感覚が優れている知人にいくつかの提案をして、
あんまり相手が苦しそうに悩むので、じりじりとじれてきて、「何か悪いことでも言ったのか」と不安になった
ことが何度かあります。
後からわかってきたのですが、
感覚が優れている方にすれば、提案された選択肢に関する情報が
それぞれ同じフィールドで比べようがなく、
比べる基準がない中でどうやって選べばいいのか途方にくれていたようなのです。
私が提案した相手が直観タイプの人なら、たいてい私が10挙げた提案をヒントにして
自分も「ああしようか」「こうしようか」と思いついて、
お互いに好き放題いろいろ言い合ったあげく、天のお告げのように
相手の直観タイプの人のアンテナに響いた何か(たいていご自分で考えた案)が選ばれるということになります。
感情タイプの方なら、私の提案のひとつが
その方の価値観にぴったりあうかどうかが決め手でしょうし、
思考タイプの方ならそれらの提案を取捨選択しながら、
その方の思考の構築に一役買うか、疑問を感じて質問を受けて意味を広げていくきっかけになるでしょう。
最初の感覚タイプの方は、直観タイプから見ると優柔不断に映りがちです。
でもそれは事実と少し異なります。
感覚タイプの人は全てのデーターをきちんと把握した上で
比べて選ぼうとするし、
直観タイプの人は次々ひらめく海のものとも山のものともわからないアイデアから
自分にピピピッと響けばそれを選ぶわけですから、
根本的に何をするか決めるときの方法がちがうだけなのです。
それを優柔不断ととらえてじりじりしたのでは
あまりに感覚の優れている方がお気の毒……なのですが、
親子関係の場合、遠慮がない分、そうした感性のずれが
一方の性質を誤解したままになったり、押さえつけてしまうようなことも
起こりがちなのです。
私は教室の感覚が優れている子たちと長い年月にわたってつきあっていくうちに発見したのは、
直観タイプの人にとったら、10のうちの「ひとつ」や100のうちの「ひとつ」にしか感じられない
1の案が、
感覚が優れている子にすると、その1の内部に、
これまで蓄積された10なり100なりのデーターがそろっていて
本人にすれば、その中でたくさんの選択肢が含まれているものなんだ~
という事実です。
保守的な遊び方になっていたのは、
まずデーターをそろえて自分で把握したものから
することを選ぼうとしていたからなんだな~とちょっと尊敬。
感覚が優れている子たちは繊細で、大人の反応についても
ちょっとしたため息につき方や口調の強弱も自分の内部にデーター化している子がいますから、
大人の反応が、「また、それ?」というものが多いと、自分に自信を失っていくようです。
親御さんも同じ感覚タイプの方の場合、同じことばかりしたがる子をむしろ歓迎するところがあるので、
とても自信がある様子で自分の世界を深く広く広げている子がよくいます。
前回のユースホステルのレッスンにも感覚が優れていると思われる◇くん(お母さんもおそらく感覚タイプの方)が参加していたので、
いっしょに参加していた他の子のお母さんからこんなコメントをいただきました。
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昨日~今日とホテルでのレッスンありがとうございました。素晴らしい子ども達、素敵なお母さん達、Kちゃんやボランティアのお兄さんとの出会いもあり、一緒に過ごした一瞬一瞬が大きな学びになり、感謝の気持ちでいっぱいです。私もたぶん直感が優位なので、本で読んだり、仕事で多くの子ども達と関わりながらも、感覚が優れている子ども達ってどんな子なんだろう?と、まったくわかりませんでした。レッスンやホテルであまり話す機会がなかった◇くん。最後にホテルから駅まで歩く少しの時間に、話すことができました。これから海遊館に行くと聞き、(まぐろのスターターを作ってたので)「まぐろいるかな~?」と声をかけてもキョトンとして、◇くんは水族館に行くのになんでまぐろだけ?と感じている様子。その後、電車も好きという話になり、「魚と電車とあと何が好き?」と聞くと、笑顔いっぱいに『虫!』と答えてくれました。お母さんと一緒にかまきりを飼っていることや餌に蛾や蝶を捕まえている事など、うれしそうに話す様子から、◇くんの愛情が飼っているかまきりだけでなく、餌として捕まえている蛾や蝶、そして食物連鎖のしくみ、生態系すべての物への愛情にあふれていました。これが感覚が優位ということなのか~と圧倒されて、なんて深くて広大な愛情なんだ!と衝撃と感動でいっぱいになりました!スターターのまぐろも大好きなすべての魚からの(スピードの出るピタゴラに合うように)愛情あふれたチョイスなんでしょうね~。
自閉症スペクトラムの子の特徴として、「こだわり」とか、「限定された狭い対象への興味」といった言葉が
使われているために、
年がら年中、電車や恐竜の話をしている子とか、好きな色や感触にうるさい子は、
「ちょっとこの子、発達障害とか大丈夫ですかねぇ?」と親御さんが心配を口にされることがあります。
でも、感覚が優れている子たちの多くはそうした言葉の上では
自閉傾向のある子たちと似ている特徴を持っているけれど、
人との関わり方や社会性や推論の発達などには
全く問題がない場合がほとんどです。
たとえば、教室に3歳の時から通ってくれている現在小学1年生の
感覚タイプの男の子は、最初の1年は、工作するときも遊ぶときも「トーマス」一色。
その後、恐竜にはまって、口を開けば恐竜の話で、途中で動物も好きになったとはいえ、
教室でのレッスンのほとんどが、恐竜に関わることに占められていました。
「何がしたい?」とたずねると、毎回「恐竜」という答えなので、「えっ、また?」と問い返したくなるのですが、
大人にすると「恐竜」という同じひとつのものも、
本人の中では非常にたくさんの要素が含まれていて、自分でひとつひとつ開拓して
データーを蓄積してきた膨大な情報の貯蔵庫でもあるのです。
この男の子の中では恐竜への興味はあらゆる方面に枝葉を広げていき、
恐竜の時代ごとの分類や、恐竜の住んでいる世界地理への興味となり、さらさらと世界地図や恐竜の絵が描けるようになって
オリジナルの恐竜図鑑作りに励むようになりました。
また、発掘作業やさまざまな画材で恐竜を描くことや
恐竜のジオラマ作りなどにも熱心でした。
そうするうちにIQ問題や算数の文章題にもきちんと取り組むようになり
お友だちと関わることが上手で社会性の発達もしっかりした想像力豊かな子に育ってきました。
上の写真のように「遺跡作り」に熱中する子、電子ブロックの回路作りに熱中する子など
感覚が優れている子たちは
ひとつの世界と深く根気よく関わります。
感覚が優れているけれど
あまり器用でない子もいます。
そうした子は、パン作りとかスライム作りとか、化学実験のような
器用でなくても、繊細な変化に長時間関われる作業を喜びます。
温度のちがいや感触のちがいを
感じとって遊ぶ作業にいつまでも熱中します。
そうした非常に繊細な差異を比べていくための言葉で会話をしたり、
ささいな変化をいっしょに楽しむようにしていると、
語彙が豊かになり考える力がついてきます。
外からはわかりにくいけれど内面は感覚タイプの子そのもの……
という子もいるのですよ。
注意が必要な親子のペアというと、
本当は感覚タイプの親御さんと直観タイプの子とか、
思考タイプの親御さんと感情タイプの子とか、
感情タイプの親御さんと思考タイプの子といった組み合わせの方が、大きな問題を抱えやすいのかもしれません。
感覚タイプの親御さんが直観タイプの子を育てている場合、あまりにも親子のペースがちがいすぎて、
「多動があるのじゃないか?」と心配して厳しいしつけや精神的な虐待に走るケースや、
感覚タイプの親御さんの好む単調な生活に退屈した直観タイプの子が、
知的な好奇心を攻撃性に向けるようになっているケースにたびたび出会います。
また、思考タイプの親御さんが
感情タイプの子の「お友だちがするからする」「お友だ
ちが言うこらこうだと思う」といった人間関係中心に物事を考えていく
感性についていけなくて、言葉で馬鹿にしたり、
思考タイプの人の感情面の苦手さから感情タイプの子に十分な愛情表現がしてあげられないため
もともと人との関わりが上手なはずのこのタイプの子が
情緒不安的で攻撃的な性質になっているケースもありました。
また感情タイプの親御さんが、思考タイプの子の頭の良さを理解せず、
習い事等で人とうまく関われるかや、単純な暗記モノの学習結果でその能力を測ろうとするため
思考タイプの子が内に閉じこもって神経質でわがままな態度に終始していることもよくあります。
それでも私が直観タイプのお母さんと感覚タイプの子の組み合わせに、特に「注意が必要」と
感じているのは、その「わかりにくさ」からです。
直観タイプの人の大らかでアバウトなところと、感覚タイプの人の過敏で繊細なところは
どちらかが相手を理解していこうと努力していかないかぎり、
どんなに愛情があってもすれちがうものですから。
以前、感覚が優れている知人のBさんとショッピングに出かけた時のこと、
Bさんがお店の店員の態度やショッピングモールのデザインが購入者の目線に立っているかどうかなどに
いちいち不満を抱いて愚痴るのを聞いて、ひどく動揺した経験があります。
(私のようなアバウトな人間は、いっしょに空気を吸っているだけでイライラの対象になるのじゃないかと心配になって……)
Bさんというのはとても気が長くて親切な方で、裏表がある性格でもないのです。
でも「○○のお店の店員」とか「ショッピングモール」とか「レストラン」などに
求める最低限のマナーなり利用しやすさの基準がやたら高いのです。
Bさんが、庶民的な店に求める「常識がない……」として怒るレベルが私にすると、
冠婚葬祭の式場や高級ホテルレベル……?
感覚が優れている方はそれぞれその人が気にかけているものについてだけ厳しかったり細かかったりするので、
別に何もかもにそんな高い要求をしているわけではなく
むしろ寛容すぎるほどの面も大いに持ち合わせているのです。
でも、その人その人の中で体系化されている比較対象のデーターが細かいので、
「○○の店員なのに、○○という名前も知らないなんて信じられない」といった
私からすると想像だにしたことがない怒りにつながる模様です。
「学生バイトじゃないかな?」と適当にうけながすと、
「○○の店で学生バイト雇うなんて……それにちゃんと教育すれば、あんな風になるわけないわ」という返事が……。
逆に直観タイプの言動が感覚タイプの人や子を動揺させていることも
多々あるのです。
たとえば、直観タイプの人は、自分があれこれやり方を指示されるのが嫌だし、
たいていのことは自分でコツをつかんで自己流でやりたいと思っていて、それでまぁまぁうまくこれているのもあって、
「子どもにもあまり細かいことを言わないようにしよう」と親切心から、子どもを放任しがちです。
でも、感覚タイプの子は、きちんと手順通りの型を覚えて、完全にマスターしてできるようになりたいと感じていて、
日常のささいなことも「お手本」をしめして、できるまでていねいに関わってもらいたいものも
けっこうあるのです。
それが「どれ」なのか、その子によりけりですが、
そうした思いをきちっとキャッチして対応してあげないと、
とても自信なげな頼りない印象になることがあるのです。
そうした自己肯定感が低くなっているように見える感覚タイプの子が
虹色教室に来たとき、感覚タイプの子の好む作業を、お手本を見せてきちんと型を教えながら
本人の望むようにしてあげていると、
親御さんがびっくりするほど明るい表情でいきいきと根気よく活動するようになることがあります。
■くんの話題が途中のまま、ずいぶん脱線してしまいましたが、
■くんが感覚タイプかどうかはまだはっきりしないけれど、
五感を満足させる体験や繊細な差異を言葉で分類していくこと、
自分のそれまで関わってきたものをさらに広げる体験を好むことなどから、
そうした性質への理解を広げながら関わっていくことが大事なように思いました。
自分からしゃべる量が少ない子と
同じくらいの比率で会話しようと思うと、シーンと静まりかえってしまって
心配になるかもしれませんが、
子どものしゃべる量が少ないからと、親がそれを補うようにしゃべっていると、
子どもが自分で考えたり話したりするのをやめたり、
「図鑑を見ているときやテレビを見ているときだけ話す」のように会話する場面が減ってくるので、
気をつける必要があります。