虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

パートと 学べる場 学べない場 の話

2019-11-23 07:47:14 | 番外(自分 家族 幼少期のことなど)

これまで、私のお仕事ネタで、

ファンシーショップの話

ファンシーショップの話 2
ファンシーショップの話 3

お仕事裏話

など書いてます。

勉強の話ばかりじゃ疲れるので、
第3弾じゃないですが、昔々、私が某大手スーパーの早朝パートをしていた時の話を書かせてくださいね。


かつて、まだ若さが残っていた頃、
早起きが取り柄だった私は、
数年ごとに、パン屋の早朝パートとか、コンビニの早朝パートなどをして、お小遣い稼ぎをしておりました。うちの子たちが起き出してくるまでに、
2時間ほどの仕事を終えて、猛ダッシュで帰ってきて、朝食、朝の支度とバタバタしながら、子どもたちを園や学校に送り出していました。
あるとき、時給の高さに釣られて、2駅ほど先にある大手スーパーの早朝パートに行くことに……。

担当は、鮮魚コーナーです。

数日、勤めるうち、他の部署のパート仲間から、
「鮮魚コーナーと精肉コーナーは
新しいパートが続いたことがなくて、せいぜい一週間が限度よ。
1日で辞めるアルバイトも珍しくないのよ~」という噂が耳に入ってきました。

「どうりで、いっしょに入った精肉のアルバイトの男の子……隣の部屋(精肉コーナー)で見かけないと思ったわ」
と思いながら、早いとこ、仕事の流れをつかまなきゃ……と、
頭の中で手順を整理しようとするんだけど、
『もやもや~』とまとまらないのです。

鮮魚コーナーには、私と同じ時期に勤めだした
20代前半の高学歴の几帳面な☆さんという方が勤めていました。

彼女も、私と同じ『もやもや~』に見舞われていたようですが、
いつも120パーセント全力疾走するがんばり屋なので、
『もやもや~』の原因は脇に置いて、
取り合えず、指示されたことを、大量に高速でこなすことに燃えていました。

私が、ずれた三角巾を鮮魚コーナーの鏡面に映して直そうものなら、
すっ飛んできて、
「そんなこと仕事中、すべきことじゃないでしょー!!」と激を飛ばす一秒惜しまぬ働きっぷりでした。

そこで、私も普段の自分の2倍速くらいの動きで、それなりに仕事をこなしていたのですが、
頭の中には、やっぱり、『もやもや~』が居座っていて、
仕事をするごとに、それが膨らんでいきました。

『もやもや~』の正体は、初めのうち、私にもわかりませんでした。

が、先輩パートの女性に魚のパックに
ラップをかける機械の使い方を教わったときに、
あれっと疑問を感じた瞬間から、しだいに理由が見えてきました。

ラップをかける機械というのは、古くて扱いにくい機械で、パックのサイズごとにさまざまな調整しなくてはなりません。
やたらでかくて、やたらボタンが多くて、やたら複雑……。
覚える手順も多く、手先の器用さも要求されます。
誰しも一朝一夕にマスターできるとは、とうてい思えない代物です。

その機械の前に引っ張って行かれた私は、
「一回だけしか教えへんからね。ちゃんと覚えてよ」と
強い口調で告げられました。
それから、先輩は、手早く機械をいじって、
パックにラップをかけたかと思うと、
「私ら、忙しいねんから、あんたらに教えてる暇なんてないから」
というと、カリカリしながら、こちらに背を向けて自分の仕事をしはじめました。
すると、奥で働いていた別の先輩が、
「ほんと、仕事できないのに、私らより高い時給もらってんだから!」
と、とげのある口調で、その先輩に耳打ちしました。

 

……○先輩、一回だけしか教えへんからね……と言ってたけど、
ここで働いている人たちは、どれくらいの回数で覚えたのかな?
驚異的な記憶力があっても、1回ではなさそうだけど……。
それにしても、2回目に教えてもらいにくそう~な雰囲気だなぁ……。

そんなことを考えつつも、
以前、働いていたパートの経験から、
業務用の機械を扱う手順をマスターするのは、ちょっと自信があったので、

私が難しいんなら=他の人だって難しいはず

という、適当な推理を働かせて、

「教えてくれないんだったら、他の人が機械を使うのを盗み見て覚えるしかないか~やれやれ~まあ、2時間かそこらの仕事だし、がまんしよ」
などと、かる~く捉えていました。

そうして、冷凍室から魚を運び出すときなど、その機械を使っている人がいないか注意していました。

その機械は、冷凍室の隣にある
<関係者以外立ち入り禁止>の部屋にありました。
そこには、この道10年、20年というベテランパート数名が魚を下したり、
貝を洗ったりしていました。
ベテランたちですから、手の動きは猛烈に素早いのですが、
口の方も常に忙しく動いていて……
要は、四六時中おしゃべりをしていました。

あるとき、そのベテランの先輩のひとりが、ラップの機械を触りながら、
「あ~これどうすんだっけ。○ちゃんは~? あっ、今日休みよね。」と言い、
横から別のベテランの先輩が、「私もその機械、使い方がわからないのよね。
あ~どうすんだったかな……右のそれ、いじってみたら?」と声をかけていました。
そこに、ちょうど通りかかったこちらもパート歴何年の男性が現われ、機械について質問されるものの、「しらん、しらん」といって、
軽く手を振って、冷凍室に入っていきました。

ということは……もしかして、このラップの機械をまともに操作できるのは、
私に「1回しか教えへんよ。……」と言ってた○先輩だけってこと
なの……?


そんな考えが、頭をよぎると同時に、それまで『もやもや~』と、くすぶっていた靄が晴れて、仕事が覚えにくかった原因が見えてきました。

私を含む3人の早朝パートの主な仕事は、
その朝届いたばかりの食品(ちりめんじゃこなど)を
売り場の冷蔵の棚に並べていくことです。
前日の食品の賞味期限をチェックし、新旧の食品を入れ替えていくのです。

文字にすれば単純そのもの~
数字さえ読めたら、1日、2日でマスターできそうな仕事なのですが、
現実には、もうかれこれ5,6年勤めているという早朝パートの●さんが、
「まだ覚えられへんのか?」「あんた何年目や、あほか!」
「何やってんのや、何回教えたら気すむんや!」と怒鳴られ、わめかれ、
陰口を叩かれ続けていました。
といって、この女性、特に動作がにぶいわけでも、仕事が雑なわけでも、
物覚えが悪いわけでもなさそうでした。

早朝パート同士3人でお茶をした時に聞いた話によると、

娘さんが大学を卒業するまで、
この仕事をやめるわけにはいかないから、
多少、ひどい言葉をあびせられても、聞かなかったことにして
がんばっているそうなのです。

そんなことを吉永小百合風の笑みを浮かべて語っていました。

けなげな話ではあるけれど……それにしても、●さんは何年も、どうして仕事が覚えられないのか……?

というより、私も、いっこうにこの仕事の段取りがつかめないのだけど……
こんなにも仕事の流れが読めない……のは、なぜ?

と考えるうち、そういえば、ここの職場、鮮魚売り場だけで、
船頭が3人いるなぁ~と、思いあたりました。
魚をおろしている仕事場も含めると、船頭が5人はいます。

その5人の船頭(主任や副主任、ベテランパートなど)が、
早朝パートにやらせようと考えている
仕事の内容がてんでバラバラなのです。
指示もちがえば、叱られる内容も正反対、仕事の方法も異なります。

それで、前日教わった方法で作業を進めていたら、
いきなりお怒りモードの主任があらわれて、
「それ、何してる? だれがせい言うた?」と責められます。
「★さんに」と答えると、
チッと舌打ちするような素振りをして、
「それ、全部やりなおせ。~しろ」といった指示がくだります。

といって、他の先輩パートは忙しそうで、
質問できる雰囲気じゃありません。質問できたところで、
返ってくるのは、おそらくその先輩が考えるお仕事内容で、
その通りすれば、他の先輩からは注意を受けることが目に見えているのです。

う~ん、どうしたものか……
もうひとりの早朝パートの☆さんは、どうやっているんだろう?

と、☆さんを眺めると、完ぺき主義でがんばり屋の☆さんですから、
この猫の目のように変わる指示に呑まれて、
一瞬、一瞬が、緊急事態のような緊迫した様子で、ストレスフルに働きまくっていました。

☆さんったら、あんまりがんばりすぎて、ちょっと静かに考えてみる余裕も失っているな……と感じたのは、
先輩パートの□さんに呼ばれて、
「このごろ、他の部署にカート取られるから、1時間早く来て、カートを取ってきとけ」と命令されたときです。

1時間早くと言われても、その時間はパートのお給料は出ないわけです。

そんな勝手な指示にしたがう必要はないのだけれど、
☆さんは、「はい、わかりました」と素直にしたがっていました。

(私の場合、「それは、できません」と、はっきり言ったもので、その後、しばらく嫌がらせを受けていたのですが……)

 

早朝パートの仕事は、
他の部署と共同の道具置き場にカートを取りに行って、
朝一に届く荷物を取りにいくことからはじまります。
カートを手に、荷物を待つちょっとした間が、他の部署のパートの方々との
社交の場でもあります。
私が鮮魚の段ボールをカートに積むのを見て、
お菓子売り場の早朝パートの年配の主婦2人が話しかけてきました。
「鮮魚?あんたんとこ、こわいよね。すごい怒鳴り声が響いてくるじゃない?」
「あほ、ぼけ、しねーとか。お菓子はいいよ。静かで働きやすくて。」

そして、顔見知りになると、たびたび、「お菓子においで~。こっちに変えてもらいなよ~」と誘いを受けるようになりました。
とはいっても、パート特有の社交辞令で、現実には、頼んで仕事場を変えてもらえるわけじゃないのは、お互いによくわかっているんですけどね。

どうも、鮮魚コーナーの怒鳴り声は、開店前のスーパーの食品売り場内全体に
響き渡っていたようです。
鮮魚のコーナーがどうしてそんなにカリカリしていたのかというと、
実際、忙しいからでもあるのです。
なぜ、忙しいのかというと、
テキパキ仕事ができる働き手が少なくて、
ひとりひとりの仕事量がかさむからでもあります。

食品売り場は朝が勝負。
スーパーが開店するまでに、売り場に新鮮な食材がきちんと並んでいなければなりません。そのために、わざわざ、早朝だけ出勤する時給の高いパートを雇っているのです。
鮮魚の場合、魚を下したり、パック詰めしたりするベテラン向けの仕事が
たっぷりありますから、
売り場にじゃこを並べるくらいは、早朝パートにちゃっちゃと動いて
もらいたいところなのです。

それが、研修中のパートがいては、教える手間まで増えて仕事が倍増するし、
おまけに何年も働いているパートにもいちいち指示を与えなくちゃいけない状態……それは目がまわる忙しさで、怒鳴りたくなる気持もわかるのです。

おまけにメインの機械をまともに操作できる人がひとりでは、
いちいち呼び出されて、パック詰めさせられる○先輩もイライラするなら、パック詰めの仕事のたびに滞る仕事の流れにキレる人が数人出るのも
仕方がないのです。
といっても、ベテラン同士は、イライラを貯めつつも、
おしゃべりに花を咲かせて仲良くしていますから、
結局、その全ての『イライラ~カリカリ~ムカムカ~』を一挙に
引き受けていたのは、早朝パートの●さんでした。

食品売り場全体に響き渡っていた怒鳴り声の9割までが、
●さんに浴びせられていた怒鳴り声だったのです。

 

開店に向けてバタバタ仕事をしているとき、
あー忙しい、みんな自発的に動いて、テキパキしごとをこなしてくれ~とばかりに早足で歩く主任や副主任の目に、昨日言ったのとちがう作業をしている
早朝パートの●さんが目につきます。

もっとも、●さんが悪いわけでなく、上から伝えられている指示がバラバラで毎回ちがうもので、
何年勤めようと、『学習したことを蓄積していく』ということが成り立っていないのです。
それで、新人以上におろおろ仕事しているわけです。

すると、「ここ勤めて何年目や~!」と言う怒鳴り声が爆発するわけです。

ここのパートをしていたとき、
うちの子たちはまだ、今、レッスンで相手している子たちと同じくらいの年齢でした。
それで、この職場の惨状は、『学べない場』の見本として、
染み入るように勉強になりました。

子どもが、もたもたして上手にできないときに、
ひとつひとつていねいに繰り返し教えるのは、
手間も根気も必要です。
忙しい時間には、サッと取り上げて親がやっちゃいたいことでもあります。
でも、覚えるまで、気持ちに余裕を持って付き合いさえすれば、
後は、子どもが自分で自立してきちんとできるようになるのです。

はじめのうちこそ、時間を無駄にしますが、
最終的には、子どもが自分でできるまでていねいにサポートすることは
大人の楽につながるのです。

それと、本当に忙しかったところで、
「忙しい、忙しい~」とカリカリしていたのでは、
教わる側が、わからなくても聞くに聞けないものです。

すると、何年経っても、子どもは自分に依存して頼ってくるでしょうし、
それが原因で叱り飛ばすことにもなります。

また、子どもが学んだことを蓄積するには、
身近な大人が、自分なりの価値観や、
生活の枠組みをきちんと意識して、しょっちゅうぶれないことが大切なのだと
感じました。

他の子と比べて、子どもの「できない」が目についたとき、
イライラムカムカ~とするものですが、
「できない」の前には、
できるようになるためのわかりやすい道筋がつかめなくて
もやもやと戸惑う姿があったはずだと思うようになりました。

わかりやすいシンプルなぶれない手本を何度も見せ、
わからないときに気持ちよく(いやみなどを言わずに)教え続けていれば、
子どもは自発的に学んでいくコツを
きちんと身につけることができるのです。


子どもの自立のために、今何をすべきなのか、
学びたくなる場、学びやすい場、学んだことが蓄積していける環境を
作るにはどうすればよいのか、
いろいろ考えさせられた職場でした。


やる気のスイッチを入れるアイデアいろいろ 7 (おしまいです)

2019-11-19 19:19:28 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

 このページの写真は子どもたちの積み木遊びの様子です。「やる気」の文章とはあまり関係がありません。

↑ (遊びの中でその子の持っている個性的な美的センス

が引き出されてくる時があります)

子どもたちが物作りや勉強に

前のめりになって参加するために教室でしている工夫として

「 ひとりひとりの子のやる気スイッチの入るタイミングを

ていねいに把握するようにしています」と書きました。

 

子どもによったら、やる気の火がつくまでに

かなり時間がかかる子がいます。

また誘われると、まず「やりたくない」という態度を示して、

ずいぶん経ってから、「やっぱりやる」と言い出し、

だんだん楽しくなって熱中する子もいます。

不安が強くて、目新しいことは何であれやりたがらず、慣れてくると

楽しそうに参加する子もいます。

 

そんな風にやる気のスイッチが入るまでに時間がかかる子に

関わる時、

親御さんの対応は「すぐさせる派」と「待つ派」のどちらかに分かれます。

よくあるのはこんな対応です。

 

「すぐさせる派」で多いのは叱ってでもやらせる、しつこく誘う、強要するという対応。大人の言いつけを

とにかく守らせようとする。優しく誘いながら、子どもが活動しないことにがっかりする。

 

「待つ派の」で多いのは、子ども誘導しようとしながらも、まだかまだかと強い緊張感を持って

待ち続ける。子どもの気持ちを気にしすぎて、おうかがいをたてる。

どうすれば子どもがやる気になってくれるかとあれこれ試す。


ただこの「すぐさせる派」の対応も「待つ派」対応も、

子どもの態度をよりぐずぐずだらだらさせたり

ただスイッチが入りにくいだけでなく、「やりたくない!イヤだ!」という強い気持ち

を生むことにもつながりやすいと感じています。

 

ならどうすればいいのかと悩んでしまいますよね。

わたしは「すぐさせる」か「待つ」かという態度で

大人の対応を固定させるよりも、

大人が感情の面で、その子という個性と成長の段階と

物事に取り組み集中していくタイミングのあり方を理解した上で、

とにかく「意欲的にできた」「やってみたら楽しくて達成感があった」

「思ったほど難しくなかった。自分にはこれができそうだ。またやってみたい」という

心で終われるようにサポートするのがいいかな、と思っています。

やる気なんて、「やる気を出そう」という子どもの精神的な努力で生まれるものではなくて

意欲的に取り組んでみて達成感を味わったとか、

活動そのものに興味がでてきて、しらずしらず熱中していたという体験が

何度も重なるうちに、ゆっくりと作られていくものです。

小さな「できた」の積み重ねを土台にして

意欲的な態度が育ってくるのです。

また、遊びの世界での意欲的な態度は、

(おもちゃに遊んでもらうのでなく、創造的に遊びこむ体験)は、

学びの世界での意欲的な態度にもつながっていきます。

 

 

 

教室では「すぐさせる」時もあるし、「待つ」時もあります。

 たとえば、この活動はこの子にとっていい体験になるし、やり始めたらきっと楽しいだろう

というような時も、やる気になるタイミングがくるのをまだかまだかと

待ち構えるのではなくて、

「今日は、いっしょに積み木で何かを作ります。それは今日の決まりです。

何を作るかは自由だから、いっしょに考えよう」と

はっきり言い渡す場合があります。

また、日によっては、子どもが自分から「やりたい」と言い出すまで

自由にさせている日もあります。

 

そんな風に、その日の状況で変えるなら、どうしてわざわざそれぞれの子のタイミングを

把握しているのかといえば、子どもが大人の誘いに乗らなかったり、

すごく嫌そうな横柄な態度で参加したりしたとしても、

どうして他の子のようにふるまわないのかと気をもむのではなく、

その子のペースを信頼して見守るためです。

また、ここぞという時に、その子がスッと活動に入っていけるように支えています。

小さなところで成功させて、より大きなところに

その前向きな態度が広がるように、支援しています。

 

まずいのは、いつもやりはじめてしばらくしてから熱中しだす子に対して、

最初の時点でやる気のある態度を求める思いを大人が抱いたり、

「こうであってほしい」という期待を押し付けたりすることだと思います。

最初はいやいやしはじめても、途中から、誰よりも集中して物事に取り組む

子たちがいるのです。

 

一方、子どもがそれを「やりたい」と思う以上に、

大人が子どもにそれを「やりたいと思ってほしい」と感じている状況も

子どもの意欲を減退させると思います。

子どもは大人の期待に敏感です。

特に自分の感情や思考に対してまで

何らかの期待があると、

たとえ大人が口にださずにひたすら自分がやる気になるのを

待っていてくれたとしても、

強い抵抗を示します。

 

算数の学習時にも同様のことが言えます。

子どもが勉強に対して抱いている意欲以上に、

大人が子どもに意欲的に学んでほしいと期待すると、

その期待のせいで子どもの意欲は減退してしまいます。

子どもの意欲は、それまで意欲的に取り組めた体験の蓄積の上に築かれていきます。

ですから、最初に、

子どもがいやいややりはじめたり、やる気のない態度だったりしても、

子どもの態度を正してあげようとするのでは、

自発的にがんばったという体験がひとつも積めないと思います。

それよりも、その子なりのタイミングで、

実際に集中できるよう支えながら、

子どもがやる気を持って勉強に熱中する達成感を味わえるように

サポートしてあげることが大切だと思っています。

 

 

 


途中休憩  子どもたちの積み木作品です。

2019-11-16 21:37:09 | 通常レッスン

やる気スイッチの記事、まだ最後まで書ききっていないのですが、

ちょっと休憩を。(近いうちに続きを書きますね。)

 

下の作品は小2のAくんとBくんの

バビロンの空中庭園(女の子の作品<右横 >とまた違う趣きです。)

このふたりとにかくパワフルに作りまくるので、建物を作りおえたかと思うと

庭や迷路を作り、それから、船を作り、まだまだ力が余っていて、橋も作りました。

子ども銀行のお金が隠されていました。

このところ、教室で積み木遊びをする子が多いので、

100円ショップで積み木遊びに役立ちそうなものをいくつか買ってきました。

↑の写真は年長のCくんと私の共同作品。

メンテナンス中の船です。

 

購入したのは↓のキッチンペーパーを立てる

道具です。写真ではそれに壊れたおもちゃのパーツをかぶせて

クレーンとして遊んでいます。

このキッチンペーパーを立てる道具は3つ

買いました。糸を結びあうと積み木作品の上に

モノレールや飛行機が飛ばすことができるかと思ったんです。

でもAくんのアイデアで、クレーンを立てるのに利用するといい感じでした。

小1のDちゃんのトロイの木馬の入場シーン。

本当はDちゃんは積み木でトロイの木馬が作りたかったんです。

でも馬の顔を積み木で作るのは難しそうだったので、建物や門を作って

トロイの木馬は紙工作の素材を使いました。

 

 


子どもたちの積み木作品です♪

2019-11-13 20:29:46 | 工作 ワークショップ

小学2年生の女の子ふたりの作品。100円ショップで買った

観覧車を水車の代わりにしています。

バビロンの空中庭園です。この後でもっと美しい作品になっていたのですが、写真を

撮りそびれました。残念。

積み木の通路。

小二の男の子たちの作ったコロッセオ。(男の子たちがフィギュアで戦いごっこを

始めたので、この作品作りは階段のところなど私が少し手伝っています。)

 

 

年長さんたちの古代の出雲大社。


やる気のスイッチを入れるアイデアいろいろ 6

2019-11-10 09:54:56 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

先の話と重複しますが、

虹色教室内では、最初はあまりやる気が見えなかった子も次第に深い集中状態に

入っていきます。

また工作やボードゲームなどに意欲的に取り組むと、その後の

学習態度も真剣なものになっています。

遊びや物作りへの意欲的な態度とと学習へのやる気のスイッチの入り方は

地続きで、強く結びついているものだと感じています。

 

前回までの記事で、

「簡単じゃないと、やりたくないと思うのに、簡単だとやる気がでない」


という複雑な心理と

 「その年代、その年代で、とても敏感になっている

数学的なテーマを工作に取り入れる」

ということについて書きました。

 

それについて、2年生のDちゃん、Eちゃん、Fちゃんの積み木遊びとその後の算数学習の様子から少し補足を

していこうと思います。

教室のレッスンはたいていの場合、かなり自由にやりたい活動を選べるようにしているのですが、

たまに「今日は〇〇で」とざっくりとした縛りを設ける日があります。

この日は後者の方で、「今日は積み木を使って何かを作りましょう」という決まりのも

とで活動しました。

 

どんなものを作りたいかアイデアを出し合う際は、

三人とも制作にあまり乗り気ではありませんでした。

世界の遺跡の写真を見せたり、他の子らが作った

ヨーロッパ風の城や日本の城の縄張り図などの写真を見せたり

しても、「どれも作りたくない~」と言っていました。

それが、らせんの階段を高く高く上がっていった先に建物があるという

ちょっと難易度が高そうな建築物の絵を見て、「作りたい!」

と言いました。

何がこの子たちを惹きつけたのかというと、

「完成するかどうかわからない(まだ誰も作ったことがない)ような未知の難しさ」

「とにかく階段を積んでいけばできそう

という作業に対する親しみ」だったようです。

 

 まずざっくりと大きな土台を作り、それぞれに子が段差を作って

創作に励んでいました。土台作りはけっこう大変で、

かなりの高さを作るのにどうすればいいか

みんなで知恵を作って解決しました。

その「なんかいいものないかな?」「誰かいいアイデアない?」と

ちょっとした飢餓感やみんなで真剣に知恵を絞らなくてならない場面が

子どもたちのやる気を高めていきました。

またそれぞれの子が自分流のアイデアで

作りたいところを作っていたのも楽しさのもとになっていたようです。

子どもたちは、誰かの指示や指導のもとで、決められた作業を

まかせられるのではやる気がでないのです。

自分発の未知の発想を試してみる時、一番、いきいきしています。

教室で子どもたちの様子を見ていると、

幼児期の子たちは、2歳ごろの1対1対応の遊びから始まって、

個々の数えられるものをたくさん扱っていくことに熱心です。

 

それが年長頃から2年生の後半ごろまで

面を扱うことや形に興味がいきがちだと感じています。

 

3年生ごろの子はいったん何か形あるものを生み出すことへの興味が薄れ、

暗号やゲームのルールなどに惹きつけられる子が多いです。

暗号遊びに興じた後の子は、数字を記号に置き換えて

算数問題を解く力がついています。

 同じように色いたを並べている時も

Dちゃんは正三角形の敷き詰めていて、一番端の部分に30度の三角の隙間ができるのを

何とかしようとがんばっていました。

Eちゃんは段差と段差をよりなだらかな段にするのに励んでいました。

Fちゃんは色板を立てた状態で面白い形が作れないかいろいろ試していました。

この日子どもたちは植木算にチャレンジしました。

何本かの棒を等間隔に立てていった時、間がどれくらいの長さを

問う問題です。

子どもたちは積み木遊びの延長で考えていたようです。

「できそうだ」という明るい見通しを持って、真剣に解く姿がありました。


やる気のスイッチを入れるアイデアいろいろ 5

2019-11-05 20:42:41 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

前回は休憩を挟んでしまって申し訳ありません。

 

「その年代、その年代で、とても敏感になっている

数学的なテーマを工作に取り入れる」

ということについて、どうしてうまく説明できないのか……と考えていて、

ひとつ思い当たることがありました。

 

いかにもこの書き方だと、何かをプラスする

というイメージがともなうのですが、

実際に私がしているのは、その反対なんですよ。

 

子どもは本来、その時期その時期で過度にこだわることがあるので、

私は子どもが関心を持っていることだけに

集中できるように余計な情報や手順を減らす

というサポートをしているんです。

これは算数の学習で関わる時も同じです。

何かを教え込もうとするよりも、その子が最も重要な部分に気づきやすいように

情報を減らして余計な負荷をかけないようにしています。

頭で考える作業だけに集中できるように

その子のレベルに応じて、めんどうな部分をはぶいてあげたりしているんです。

そうして、「算数の問題を解くのがすごく面白い」という気持ちになったところで

しっかり最後まで自分で解くよう勧めています。

 

それは簡単にしてあげているのとはちょっと違います。

ひとつひとつの課題を易しくして、スローステップで進めるようにしているのとは

大きく異なるんです。

 

その子が今一番、頭を集中させたいと思っているところに

照準を合わせやすいようにしているので、

実際している内容はその子の最近接領域で、

「できるようになりたい」けど、「自分ひとりではできない」レベルへの橋渡しです。

 

 写真は小学1年生のCちゃんの工作風景です。教室に着くなり、

「クローゼットが作りたい」と

言っていました。

「クローゼットってどんなもの?」とたずねると、

「引き出しとかがあって、こんな風になっていて……」と身振りで説明してくれました。

「どうやって作る予定?何を使って作る?」とたずねると、

「折り紙で箱が作れるから、それを引き出しにしたい」と言いました。

Cちゃんの折り紙の引き出しというのは、3、4歳の頃に何度か作ったことがある

「お風呂」や「プール」を作る時のシンプルな折り方でした。

引き出しにするのなら、最初に折り紙を長方形にしておくことと、

二枚の折り紙を外が表になるように合わせて

両面折り紙のようにして折るときれいな引き出しができるはず、といった話しあいをしました。

(↓の写真は3,4歳の子らのお風呂作りの様子です)

Cちゃんと、作った引き出しより数ミリ大きい幅で

方眼紙で背面の型紙を作りました。

それから、「あと、どんな面があるかな?」とたずねると、

「横のところと下と上」と言うので、側面の型紙を折り紙の箱にひっつけるようにして

サイズを把握して作り、底の型紙を折り紙の引き出しを上に乗せて

作りました。

こんな風に形の型紙を使って作ることにしたのですが、

Cちゃんに「後ろと右横左横の3つをひっつけて

折り筋をつけて折って作る方法と、

ひとつひとつの形をバラバラに切ってテープで合わせていく方法があるけど

どっちがいい?」とたずねると、「バラバラがいい」と言いました。

その後Cちゃんは、型紙を当ててみては、必要だと思う面を増やして

クローゼットを完成させていました。

 

こういう時、仕上がりがきれいかとか、効率的か、ということで選ばず、

子どもが自分の頭で判断しながら

興味を持続させて作れる方法を選ぶと、その後はどんどん集中して

自分で作っていきます。

 

 

 

下の写真は小学2年生のDちゃんが宝箱を作っている様子です。

はじめに材料箱から下のようなひし形の板を見つけて

それにきれいな折り紙を貼ることに熱中していました。

その後、何かひらめいた様子で、

「宝箱が作りたい」と言っていました。

宝箱のサイズやイメージをきいて

作り方の相談に乗りました。

Dちゃんは、ひし形のふたを型紙代わりにして

なぞり、底の面としました。

そしてそこから立ち上がる側面の型紙を作って、それを底の

辺にあてて側面を作って、ふたのない箱の展開図を

実際に紙を折ってイメージの助けにしながら描いていました。

 

こうした工作の後で1年生の子らは

長さの単位の変換を学んでから周りの長さを学び、

2年生の子らは面積の計算方法や方陣算などを学ぶと

やる気いっぱいの姿勢で学んでいました。

 

(↓ 1年生の周りの長さの問題です。自由に自分たちで作った形の周りの

長さを計算しています。)

最初の記事の説明が終わらないまま脱線しているのですが、次回に続きます。

 

 


追記   集団生活になじめない子と過ごすかけがえのない時間

2019-11-05 13:19:21 | 日々思うこと 雑感

前回の時期の続きは今日明日中に書くつもりです。

 

『集団生活になじめない子と過ごすかけがえのない時間』という過去記事にコメント

をいただいたついでに読み返してみたら、この頃は

お友だちとの関わりやひとつのことに集中して取り組むことが本当に難しかったAくんが

今年のユースホステルでのレッスンではお友だちを大切にしながら仲良く遊ぶ姿や

落ち着いて創作活動に励む姿があったことを思い出し、

(「ゆったり子どもとの時間を過ごすので大丈夫ですよ、というコメントへのお返事もかねて)

記事を再アップしておきたくなりました。

それとこの記事を書いたころからすると、私の文章修行も新しい方向性が見えてきました。

前年までにいくつか長編を最後まで書き上げてはいたのですが、

三人称で書く際の文章のルールなどをよく知らないまま書いていたのです。

それで、これまで書いてきたものを自分で扱いやすい一人称の型に書きなおす作業を始めると、

これまでよりずっと楽に自分の強みを生かして書いていけることがわかりました。

子どもたちといっしょに私も日々精進しています。

お時間のある方は読んでくださいね。

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『集団生活になじめない子と過ごすかけがえのない時間』

いきなり個人的な話から入って悪いのですが、わたしは子どもの頃からの夢だった

こともあり、虹色教室の合間に物語を書いているんです。

これまで3作書いたのですが、そのうち2作は原稿用紙300枚を超える

長編になってしまい、字数制限の厳しい新人向けの公募先が見つからず、

いつかチャンスがめぐってくるまで家で寝かしておくことになりました。

そうやって物語を書きながら、子育てについて感じたことがあるんですよ。

物語書いていると、書いているうちに、「生む」行為に夢中になって、

だんだん何が何やらわからなくなって、

どこか客観的に自分の書いているものを見ていない

親バカ状態になるんです。すごくいいとか思っているわけじゃないんです。

わが子だから、どんなだってかわいい!という心境です。

そんなことを考えるうち、実際の子育てでも、そして物語の創作でも、

夢中で生んで育てている間、

子どもが自立しはじめて、世の中に出ていく準備を自分で始めるくらいまで、

それでいいのかな、という感じがしたんです。

物語の場合も、書きあがるまでの自分と自分の創作物との蜜月は、

一度、誰かに読んでもらう段になると、ぎくしゃくし始め、ゆっくりと終わりを迎えるんです。

それからは自分もそうした外にある客観的なまなざしで、自分の作品を眺め始めるので、

「ここもだめ」「あそこもだめ」とダメな部分も大いに出てきて、欠点を底上げしていく

作業に四苦八苦するわけなんです。

でも、そうやって四苦八苦できるのも、長い親バカな期間がしっかりあったからなんですよ。

とにかく自分の作り出したものが愛しいという気持ちがベースにあるからこそ

そうした厳しさを自分に課せるし、創作物自体がそれ固有の命を持っているかのように

私の予測を超えた成長を遂げてもくれるんです。

 

虹色教室の「私も親バカ万歳の1人です」とおっしゃるやんちゃくんのお母さんが、

「ダメなところというかきっと外の世界では?でしょうけど、

その時までゆっくり温かく育んでいくことが、

外に出た時の力になるのだろうなと思います。

かといって甘やかせば良いのではなくて、その子の力を見くびらないで、

接するようにしたいです。

うちの子の中心は輝いています。大切に育つよう見守りたいと思います。」

とおっしゃっていました。

 

その時、うかがった「中心の輝き」という言葉が、

その通りだな、と強く心に響きました。

教室にはいろんな子が来ていて、まるで台風の目のように、

周囲のいっさいがっさいを投げ飛ばしていくような

荒っぽいエネルギーを持った子もいるんですが、

その中心にはその子固有の命が輝いています。その子だからこそ、その子にしかない

輝きがあるのです。

密にずっとつきあっていると、困らされることも含めて

全てが愛おしくなってくるから不思議です。

 

 教室にはいろいろな理由で、(単に時間の調節の難しさなどからの子もいます)

グループから離れて、個別で見ている子がいるんですけど、

たとえ、最初の理由が「困りごと」を発端にしていても、

ひとりの子とじっくり関われるということは、ありがたいことだな、

と感じているんです。

先に書いた物語を生み出す過程にも似ていて、

その子の存在を自分の世界にいったん取り込み、

外の世界から離れた狭い暖かな世界で、育み守っていく期間を持つようなところがあって、

子どもと自分の間にまるで親子のようなきずなが生まれることも多いのです。

 そうした閉鎖空間の中で、ただただ親バカならぬ教師バカの期間を経ると、その後で、

その子は自分の置かれている外の環境を生きていこうとする力が

ついているのがわかるんです。

子育て期間で、子どもが他の子や環境と合わなくて、

外の世界から引きこもってしまう時期があるとしたら、

それはそれで、そうした秘密の庭のような自分たちだけの世界で、

子どもと過ごすことが許されている特別な時間でもあると思ってもいいのかな、

と教室で個別レッスンの子どもと私だけの至福の時間を味わうたびに、そう感じもしたんです。

「許されている」という言葉を使ったのは、

たとえ親が望んでも、子どもが新しいチャレンジや同年代の子との関わりを

求めて動き出す時には、自分たちだけの世界で遊ばせておくわけにはいかないでしょうから。

 

子どもが、環境にあわない時期は、

同時に個性的な才能なり

その子が愛情を注ぐものとの関係なりが、育つ時期でもあります。

 

ですから、子どもが幼稚園や学校で集団活動がうまくいかないような時に、

まるで戦地にわが子を送り出すような気持ちで集団に適応することだけを目標にして、

親も子も追い詰められる必要はなく、

その期間が許してくれる特別な時間を満喫してみるのもいいんじゃないかと思ったんです。

園や学校に通えなくなっている場合はもちろんですが、園や学校でうまくいっていない

わが子を見て、やきもきする場合もそうです。

 

そういえば、先日も、「うまくいかない状況」が作ってくれたこんな時間に

子どもも私もふたりで元気をもらいました。

 

その子は昨年まで、他の子の物を奪ったり、

他の子に手をあげたりすることが多かったので、

ひとりでレッスンに通ってもらうようになった子です。

それで、この1年ほど、親御さんにも席をはずしていただいて、

わたしとふたりきりで、ひとつひとつの物事にじっくりていねいに関わることや

想像力や思考力を使って遊んだり学んだりする時間を過ごすようにしてきました。

 

その日も、教室に着くなり、次々と目移りし、おもちゃを出して遊ぼうとするので、

「まず、気に入ったおもちゃをいくつか出してきていいけど、それを見て、

こんなものがほしいな、あんなものがあればいいな、

と思ったら工作して作ろう」と言うと、おもちゃを

あれもこれもと両手に抱えるように取ってきて、

「セブンイレブンを作ろうよ」

「それからマクドナルドと駐車場のところとダンプカーを作ろう」

と言いました。「それなら町を作ろうか」といって紙工作の道具や材料を用意したところまでは

よかったのですが、「そうだ、ケーキ屋さんもいるね」「それから公園も作らないと」

「それからコンクリートミキサー車も」と次々と作りたいものが膨らむ中で、

本人は、ちまちまと緑の紙を切って、「草」を作り、

その後、灰色の紙もちまちま切って「レンガ」を作って、

それまで作ろう作ろうと言っていた

セブンイレブンやらマクドナルドなどは、

「先生、作っとき」と私に丸投げしようとするんです。

「さぁ、マクドナルド、作らないと」と私を催促します。

思いや言葉と実際にすることとできることの落差のようなものが大きくて、

困り感を抱えているのです。

それで、「Aくんの工作はAくんが作るんだよ。先生じゃないよ。

どうしても難しいところはお手伝いしてあげる。さぁ、

お店の形を作る方法を教えるから、ちゃんと見ていてよ」

というと、「うん、わかった」と返事はいいものの、目はそわそわと空を動いていて、

「次は、駅を作ろう」

「次は、工事現場作ろう」と作りたいものばかり増えていきます。

私が簡単な工作の手本を見せている間も、新しくひらめくアイデアに夢中で、

こちらの手元に注意をとどめておくことはできませんでした。

Aくんは、この頃、園であまり問題を起こさなくなったようですが、

まだ互いに思いを通わせて遊びを共有する

にはもう少し時間が必要なようです。

(虹色教室で、こうした困り感を抱えていた子らは、小学校の2,3年

ごろには、友達を大事にするようになり、

仲良く楽しく遊ぶようになっています)

 

それで、私は2,3度紙を折って、切りこみを入れたら、

建物の形になる作り方の見本を見せました。

すると、「そうだね、そうだね!」と機嫌よく見ていたAくんは、

「じゃあ、火山と川と公園を作らないと」と作るものを3つも増やしていました。

これでは、いっこうらちがあかないので、タイミングを見て、

「次から次へと作りたいものが増えているけど、

先生に全部作っときっていうのはバツです。

ダメダメダメダメ。Aくんが自分でちゃんと作ってください!」とはっきり言うと、

はじめて、気づいたように、ちょっと考え直して、ぼちぼち作りだし、

しまいにすごくうれしそうに創作に関わっていました。

というのも、最近、文字の練習をしているので、「まくどなるど」とか

「せぶんいれぶん」などの

看板を作って、紙に貼り付けると、自分の作りたいものになると

発見したようなのです。また、トラックの作り方を習った後で、

荷台に自分がちまちま切り刻んだ

紙のレンガを乗せるうちに、だんだんやっていることに

興味が出てきたようなのです。

 

私が弟くんがお母さんと公園に行くための地図を

描いてあげたことを思い出した様子で、「そうだ、地図を描こう」と言いながら、

町にする画用紙の土台に、道や「公園の裏の壁になっている家」

(お母さんと私の話を聞いていたんです)や

駐車場の車を乗せるスペースを描いて、満足そうな笑みを浮かべていました。

 そうして、工作をしあげた後で算数のプリントをする時、

本人にすると120%くらいの集中力を注いで、一生懸命取り組んでいました。

こうした子どもとふたりだけで過ごす時間というのは、こちらが子どもに教えるだけでなく、

子どもの発想や知恵、今超えようとしているものなどが、ごくごくささやかなものでも

見えてくるような余裕があるし、そのひとつひとつに感動や喜びという

フィードバックをしっかり返してあげることもできるんです。

ちょっと話が脱線するのですが、先の「中心の輝き」という

言葉を使っておられた親御さんが、

「子供のやっている遊びが一見生産性のない遊びだったりしても、

その中に広がりを感じることがあります。

子供の行為の裏に、面白いという感情を感じたり誰かのために一生懸命だったり。

そういうものを感じると、ムダだとか、それをしてくれなくて良いとか、

とてもいえなくなります。歓迎されないものであっても」とおっしゃっていたことがあるんです。

子どもの行為の中に「広がりを感じる」という子どもとの繊細な関わりは、

集団の場ではなかなか叶わないもので、ちょっとそこから引きこもった

のんびりおっとりした無駄のあふれる時間の中でこそ、見出せるものかもしれません。

 

たとえば、「看板作り」は、次々思いつくけれど、ひとつひとつに

関わるのが難しいAくんが、今、自分ができる力で、

自分の思いついたものに一通り関わったという自信を

与えてくれる飛び切りの秘策だと思いました。そこにも広がりがありますよね。

Aくんは、絶え間なくおしゃべりしていて、作業の方は亀の歩みで進んでいるわけですが、

そうしておしゃべりしながら、いっしょに行動を調整するうちに、

次第に自分の言葉で自分を励まして、やらなくてはいけないことに

方向を見出す力を蓄えているんです。それは、

算数のプリントをしている最中に

わからないところにぶつかるたびに、言葉で自分を導きながら、乗り越えていく姿に

垣間見ることができました。

環境への不適応は、ある意味「負け」のようで、

一度は撤退を余儀なくされることもあるけど、

そこに適応している方が優れていて、適応できていないから劣っているとか、

適応していることが正しくて、適応していない状況が間違っている

わけではないな、と感じています。

そこにある豊かさのようなものを味わう余裕があってもいいな、と。

 

子どもが元気で「そうしたい」という意志を持てば、

親がどんなに子どもとふたりきりの時間を過ごしたくても、

手を放していかなくてはなりません。

子どもに必要なのは安全な膜で、安全な壁ではないんです。

でも、不適応という機会が、特別な不思議な時間を作ってもくれるのだと感じたんです。

私はそうして教室の子らとふたりっきりで遊ぶ時、

お互いを癒してくれ、成長させてくれる

魔法のようなプロセスが展開していくのを実感する時があります。

 


やる気のスイッチを入れるアイデアいろいろ 4 (途中休憩)

2019-11-03 07:21:42 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

書けば書くほど、うまく説明できていない……というか、

最初のAちゃんの話をするために、Aちゃんのことはほっぽって

脱線しまくって、 長々と読む側には??な話を続けなければ、

伝えたいことを言葉にできない……ということに

途中で気づきました。

 

自分としては、何となく勘でやっていることも、

いざ言葉にしようとすると、さまざまな背景やこれまでの長い経験のもとで判断していることが

複雑に絡み合っていて、「こうやっています」とひとことではとても言い表せない

のだと身に沁みました。

 

ただレッスンに来て、現場で子どもを目にしているお母さん方は、

私が言わんとしていることがスッと腑に落ちたようなので、

もう少し言葉にする努力をしてみます。

 

気持ちが折れかけているので、気分転換に、小学4年生の子らの積み木遊びの写真を

はさんでから、

続きを書いていきますね。