虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

発達障害に似ているけれど、発達障害ではない子 ちがいの決め

2019-05-18 19:45:39 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

この記事をお探しの方がいたのでもう一度アップします。

 

『敏感すぎて生きづらい人の明日からラクになれる本』(十勝むつみのクリニック院長 精神科医 長沼睦雄 )

によると、感覚刺激に対する過敏性を持った「HSP](非常にセンシティブな人)

自閉症や多動症という発達障害と呼ばれてきた人々(現在は社会の中で生活できる人も多いことが判明したため

神経発達症群と呼ばれるようになったそうです)

はとても似ているところがあるそうです。

不安が強く敏感すぎるHSPは自閉症に、

好奇心旺盛で新しいもの好きのHSS(遺伝的な気質のひとつで、新しくて強い刺激や激しい刺激を求める

タイプで、HSPであり、HSSでもあるという人はけっこういるそうです)

平面が苦手で立体に強い学習症はHSP・HSSに

似ているところがあるそうです。

 

発達障害(神経発達症)もHSPやHSSも

生まれ持った神経の特性で、生まれた後の影響を強く受け、客観視が弱く、

主観的なものの見方が強く、対人関係やコミュニケーションに弱さを持つところが共通しているのだとか。

 

でも、明らかに違うところもあるそうです。

それは共感性をつかさどるミラーニューロンシステムの働きや感情や感覚に使われ方

HSPでは強く、

自閉症で弱いことだそうです。

 

さまざまな神経ネットワークの結びつきHSPでは強く

自閉症で弱いことが予想されるそうです。(HSPと発達障害を合併しているような子もいるそう)

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ほとんど引用ばかりの文章で申し訳わけありません。

関心がある方はぜひ先に紹介した著書を手にとってみてくださいね。


持っている能力をきちんと発揮することができない子 との関わり 続き

2019-04-02 22:36:35 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

「でも、絵本を見ると、大阪環状線の一つの駅の写真に淀川が写っているわよ」と

言って絵本を開いて見せると、◎くんは、「本当だ、淀川だ!」と言い、

川を作るための青い布地を出してあげると大喜びしていました。

◎くんは、路線図や地図や写真と、自分の作っているものが対になっているのが

うれしくてたまらないようでした。

ところが、まぐろのおもちゃでふざけていた当の★くんは、写真を見せても

ピンとこない様子でした。

 

想像をするのが難しい子に、イラストや写真を見せると、想像しながらしていく活動が

しやすくなるのですが、

イラストや写真の情報と現実の物事をつながりにくい段階にある子もいるのです。

紙に印刷された情報に関心が薄い子もいます。

そんな場合、視覚的な支援や言葉をそえるだけでは足りません。

 

それならどうすればいいのかというと、

わたしは、これまで困り感のある子たちと接する中で何度かうまくいった方法を

解決の糸口にするようにしています。

 

★くんの話から少し脱線するのですが、

解決の糸口にしている方法をいくつか紹介させていただきますね。

 

一つ目は、「その子発のアイデア追うときに、それまでわからなかったことと

関連づける」ということです。

相手の話を理解したり状況を読むのがとても苦手な子も、

自分が閃いたアイデアを追いかけていくのなら、

それまで全く理解していないように見えたことでも

わかるようになることはよくあるのです。

 

また、その子のアイデアから出発して、理解したもろもろのことを、

繰り返し具体的な言葉で伝えていると、

ほかの場面でも、応用がきくようになってきます。

 

見たところ、理解する力が弱いようでも、実際は、相手と同じものに

注意を向ける力や自分が関心がないものに注意を持続させる力に

問題があって、理解力そのものはかなり高い子も多いのです。

たとえば、ジオラマ作りが始まってから、自分が何をしているのかわからない様子で、

その場と全然関係のない突拍子もない発言を繰り返していた☆くんですが、

こんな自分発のアイデアから、意味を理解した上で活動に参加するようになりました。

 

リーダー役を命じられている◎くんが、「大阪環状線はぐるっと丸くなってるから、

線路をつないでいくよ」とみんなに声をかけると、☆くんが、

「湖西線がいい。湖西線」と言いました。

 

「☆くん、湖西線がいいの?それなら、ちょうどそこにブロックの清水寺があるから、

そっちが京都ってことにしようか?

大阪駅から京都方面に向かう線路をつなごう」と言って線路を加えてから、

「湖西線、いい考えね。湖西線も作ったら、ジオラマ作りが面白くなるよね。

ほら、この丸いところが大阪環状線。ここが大阪駅。そこから京都に向かう線路。

今は、それぞれの駅にある動物園とか川とかビルを作っているのよ」と言うと、

それまではこちらが話をはじめたとたんうろうろするか、

自分が思いついたことを話していた☆くんが、

わたしが手で触れて説明する物を見ながら、最後まで話を聞いていました。

 

「☆くんはどんなものが作ってみたい?作るのに必要なものを探してくる?」と

たずねると、☆くんは小物入れがら小さいサイズのロボットをいくつか出してきました。

 

「☆くん、ロボットは、電車のジオラマ作りと関係がないんじゃない?

先生は最初に、ジオラマ作りに関係があるものは、出して使ってもいいけれど、

全く関係のないおもちゃで勝手に遊んではダメ。

関係がないおもちゃを触った人は、それがジオラマに関係するものになるように

先生とよく話しあいながら考えたり、作ったりして、責任を取ってもらいます!って

言ったよね。

☆くん、ロボットは電車のジオラマ作りと関係ない。

先生と話しあいするよ!」と言ってから、「ロボットを売っているお店を作ったり、

ロボット博物館を作ったりしたら、駅の近くにある施設になるよ。どうする?

ほかの方法を考えてもいいよ」と付け加えました。

 

すると、☆くんは了解して、建物と飾り棚を作ってロボットを飾っていました。

それが博物館の展示の仕方そっくりにあんまり上手にできていたので

びっくりしてしまいました。

その後、☆くんは2階と屋根をつけて、とても立派な博物館を完成させました。

↓ (内部が展示場になっています)

 

二つ目は、「見たり聞いたりしてから、それをアウトプットするまでに

かなり時間がかかる子がいる(10分近く時間差がある子もいる)。

教えてすぐに反応がない場合も、しばらくするとそれをしている姿を見たら、

時間のずれを考慮した上で、関わるようにする」ことです。

 

三つ目は、「その子の表情が輝いているときや

好奇心を抱いたとき、集中して何かしているとき、理解できたときなどを

それがどんなものでも覚えておいて、

本人が自分の長所に気づく言葉として繰り返し伝えて、

関わりや学習の場で活かす」ことです。

たとえ、その時は、困った行動でしかないものでも、

子どもがうれしそうにすることやしつこくやりたがることは、

子どもの成長に役立たせることができます。

 

「持っている能力をきちんと発揮することができない子との関わり 4」の三つ目

「その子の表情が輝いているときや

好奇心を抱いたとき、集中して何かしているとき、理解できたときなどを

それがどんなものでも覚えておいて、本人が自分の長所に気づく言葉として

繰り返し伝えて、関わりや学習の場で活かす」について、

もう少し詳しく書かせていただきますね。

 

積んだものを乱暴に崩したり、ふざけて物を振り回したりするときは、

うれしそうに笑い転げるものの、腰を落ち着けて活動することがなかった★くんに、

わたしは、「ブロックの爆弾、作りたい?あとで作り方を教えてあげるわ」と

告げました。

ほかの子らも口ぐちに、「ぼくも作りたい」「教えて!」と言いました。

ブロックの爆弾というのは、デュプロブロックにゴムを引っかけて、

びっくり箱の仕掛けのようなものを作ることで、作る際、しっかりこちらの手本を

見て集中して作業しないと、上手く作れないものです。

パンッとはじける瞬間が面白いので、強い刺激を求めて作業を嫌がる子たちも、

熱心にいくつも作ろうとするブロック作品の一つです。

 

それが、算数の学習の時間がきてしまったので「あとで……」と言ってから、

なかなか教える時間が取れずにいました。

すると、★くんは、ほかの子らが忘れた後も、「ブロック爆弾は?」と言い続けて

いました。(勉強が終わってから、帰り際に作ることになりました)

 

こんな出来事も、「みんなが忘れてもずっと覚えていて、記憶力がいいね」とか、

「記憶しておくのが得意だね」といった言葉にして★くんに伝えてから、

次から学習をする際に、

「前に、こんなこと~あったね。先生も他のお友だちもみんな忘れても、★くんは

ブロック爆弾は?って聞いてたよね。ずっと覚えていて、記憶力がいいね」

と前置きするといいのかもしれません。

 

それと同時に、問題文をいっしょに読みながら記憶力クイズをしたり、

記憶する力を利用して問題が解けたという体験をさせるのもいいな、と考えています。

 

★くんは、「勉強する」という状況や「紙に印刷された文字」を見たとたん、

即座に、「できない」「わからない」という強く拒絶をしていましたから。

 

気持ちや注意を学習に向けるには、

自分の得意な能力を使ってそれに取り組めるような言葉を覚えておくといいです。

★くんでしたら、「ぼくは記憶するのが得意だから、やり方を教えてもらって

覚えておいたら、きっとできる。こういう問題を解くときはどうするんだったかな?」

といった取り組もうという気持ちを作る言葉とか、

「筆算の仕方は、数字を書いて、それから下にも数字を書いて、

ちゃんと1の位と1の位がそろってるかなぁって見て、横の線~!」のように、

問題を解く時に唱える言葉などを教えていくといいのかもしれません。

また、投げ出したい思いをとどまらせるため、自分で自分を励ます言葉を

繰り返し、かけるのも大切なのかも。

 

この日、『カタンの開拓者』というカードゲームをしているとき、

★くんは記憶力だけでなく、情報処理能力がとても高い一面があるし、

言葉の理解力もあることがわかりました。

初めてするゲームなのに、交換の概念をすぐに理解してスムーズにゲームを

していましたし、「普通は、何もしなくても2枚のカードがもらえるところ、

騎士のカードを持っている人は、騎士のカード1枚につき、1枚多くカードをもらう

ことができるのよ。★くんは騎士のカードを2枚持っているでしょ。

わたしから何枚カードをもらうことができるの?」

とたずねると、悩むことなく「4枚」と答えていましたから。

 

そうした★くんの様子は、勉強中、「わからないわからない」と言い張って

問題を見ようともしないし、話を聞こうともしない姿や

遊びの場で、ほかの子らの行動から自分が何をしたらいいのかわからなくて、

ふざけ続ける姿からは、想像もつかないものでした。

 

ある状況下なら、自分の力を発揮しやすのでしょうし、

状況によっては、混乱と不安に捉われてしまうのでしょう。

 

★くんにとって大事な支援は、それらの二つの状況をつなぐ橋渡しをして、

混乱しやすい場面でも、

「自分の力が出せる場面でできていることなら、ちゃんとできる」という

自信をつけていってあげることでしょう。

それには、自分の行動を統制するのに役立つ言葉を

かけていくことが大事だと思っています。

 


持っている能力をきちんと発揮することができない子 と の関わり 

2019-04-01 13:23:22 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

何らかの困り感から、持っている能力を、学習やほかの子らとの活動の場面で

きちんと発揮することができない子がいます。

 

春休み中のレッスンでも、そうした小学生たちのこんな姿を見かけました。

 

機転のきく会話からは、利発な子だと思われるのに、

問題を見たとたん、見慣れないものだと「わからない」と、突っぱねる子。

 

がんばり屋でまじめなのに、

相手の話や問題を把握する前に、早とちりして取りかかり、

必死でがんばるものの、時間だけを浪費している子。

 

ブロックの作品作りには、よく考えながら最後まで取り組めるのに、

プリント上の問題だと、どこを見ればいいのかもわからなくなってしまう子。

 

一つでもわからないことにぶつかると、

たちまち気持ちが萎えて、何もかも投げ出してしまう子。

 

語彙からイメージするのが苦手で、言葉で指示されただけだと、

何をしたらいいのか戸惑ってしまう子。

 

発達障害の診断を受けている子も受けていない子もいるのですが、

診断のあるなしは脇に置いておいて、

子どもが何に困っているか見極めて、「適切な」対応を取ることが重要だと

感じています。

 

というのも、

表面上の問題にだけ目を留めて「適切ではない」対応を取り続けているため、

子どもの問題を深刻化させることが多々あるからです。

 

それでは、教室でどんな対応をしているのか、

できるだけ具体的に書いていくことにしますね。

 

持っている力をきちんと発揮できない子のほとんどが、

注意を調節する力にアンバランスを持っています。

 

自分のしている課題に上の空だったり、すぐに飽きてそわそわしたり、

手だけを動かして頭では少しも考えていなかったり、

さまざまな情報の中から何に焦点を当てたらいいのかわからなかったり、

入ってくるたくさんの刺激の中から課題に必要なもの以外を締め出すことが

できなかったりするのです。

 

虹色教室で、注意の向け方に問題がある子に最も効果的だったのは、

行動をコントロールするための言葉を教えていくことです。

また、活動や学習の場面で、繰り返し内言の発達を助けるための

援助をすることです。

(内言とは、思考の道具として自分自身の内面で使う言葉のことです。)

 

それについて、『よみがえれ思考力』では、次のように取り上げられています。

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ロシアの心理学者ルリアは、注意の機能をつかさどる前頭葉は、

行動を統制する言葉を使うことでより発達すると考えている。

大人は脳が構築したこの「内言」を

問題解決や計画を練ることに利用する。

内言とは、文字どおり頭の中で自分自身に語りかけるものである。

幼い子どもでさえ活動とともに「独り言」をいうことで課題をよりうまく

解けるようになることが研究で解明されている。

たとえば、親は子どもが何をしているかを言葉で示してやり、

子ども自身が言葉を同時に使ったりするように仕向けることができる。

(たとえば「小麦粉をカップ半分測ろうと思うの。

カップ半分のしるしのところをみて。これくらいでいいかな」等)

    『よみがえれ思考力』 ジェーン・ハーリー 大修館書店 からの引用)

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教室でも、「子どもが何をしているかを言葉で示してあげること」で、

子どもがこちらが見せるお手本を理解しやすくなり、

自分のしている活動に集中して取り組むようになるのを実感しています。

(昨年、就学準備グループに参加してもらった発達の凹凸がある子たちのほとんどが、

年長の春のスタート時は席に着くのも難しかったのですが、1年後、

集中して学習に取り組むようになりました。

理解力も向上したため、親御さんたちにとても喜んでいただきました。)

 

ただ、子どもの内言の発達を助けるために、どんな言葉を添えたらいいのか

難しいと感じる親御さんも多いようで、伝える難しさを感じています。

実際に、子どもと関わっている姿を見ていただくようにしても、

子どもがフリーズしてしまう言葉やそわそわしだすような言葉をかける方が

とても多いのです。

うまく言葉にできるかわかりませんが、実際のレッスンの様子から、

教室で、どのように行動を統制する言葉をかけているのか、書かせていただきますね。

 

 春休みのレッスンに来てくれた、

新小学2年の★くん、☆くん、●くん。新小3の◎くん。

4人とも、それぞれ異なる困り感を抱えているようでした。

 

持っている能力をきちんと発揮することができない子たちは、たいてい、

自分がやりたいことを選んだり、「こんなことがしてみたい」と計画を練ったり、

それをするにはどんな手順が必要なのか、イメージしたりするのが苦手です。

 

 新小学2年の★くん、☆くん、●くん、新小3の◎くんの4人に、

「今日は、こんなことやあんなこと……ができるのよ。どれかやってみたいことは

ある?」とたずねると、「ぼくね、ゲーム機持ってきたんだよ」とか

「あのね、ぼくのお母さんねぇ……」と、質問とはかけ離れた、ちぐはぐな返事を

繰り返すことが続きました。

 

「どんなことをするのが好き?好きな物を言うのでもいいわよ。何が好き?」と

質問すると、◎くんだけは、「電車が好き」と言いながら、持ってきた電車の本を

見せてくれたのですが、ほかの子らは、話している間中、寝転がったり、

ふざけだしたり、おもちゃの入っている引き出しを開けたりしていました。

 

話し合いがなかなか進まないので、電車が好きな◎くんにリードしてもらう形で、

全員がやることに納得した「電車のジオラマ作り」をすることにしました。

 

◎くんは、「こんなことがしたい、あんなことがしたい」とアイデアをたくさん出して

いましたが、それを実行に移す段になると、具体的に何をどうするのか考えていくのは

難しいようでした。

 

◎くんは、電車の路線図を指さしながら、「この丸くなってるところの駅は、

○○駅、○○駅、○○駅……だから、これにしよう」と言いました。

「大阪環状線ね。とてもいいアイデアね。それぞれの駅がどんなふうになっているのか、

駅にある施設が載っている『おおさかかんじょうせん』っていう写真絵本があるわ。

施設って、キッズプラザとか図書館とか動物園とか病院とか空港とか、

そういったものよ」と話をしながら、

線路として使っている梱包資材を何本か出してあげると、

◎くんは「いいねぇ、いいねぇ。これを丸くなるように置いたら環状線ができるよ」と

上機嫌でした。

 

 

イメージすることが難しい子たちと話をするとき、

わたしは話している内容について目で確かめたり、

手で動かしたりできるようにしています。

想像力が弱い子ほど、より具体的な言葉とイメージをつなぐ小道具が必要ですし、

ただ物を見せながら話すのではなく、

「ギーッ、ギーッと」とか「この紙をチョキチョキはさみで切って……」といった

擬態語や擬音語などを挟んで、身ぶり手ぶりも加えてわかりやすくした言葉を

添える必要を感じています。そうしながら、

「はさみで切ったあとに、何かしなきゃいけないよね。このままだと、ほら、

重ねてもひっつかないから……困ってしまうもの。どうすればいいの?」と

次にする行動を言葉にできるように支援しています。

 

また、常に意味や理由を目で見てわかる形で納得させたり、

その子が唐突に話しだす意味を伴わない話題が、今、話している話題の中で意味を

持つように言葉を添えたり、まったく関係のない行動を始めても、

それが今していることの中で意味を持つように助けています。

そうしながら、自分の話すことや行動が、実際、周囲と共有している会話や活動の中で

きちんと機能し、意味を持っていると実感できるようにしています。

 

このジオラマ作りでも、そうした言葉による手助けをすることで、

最初はてんでバラバラに動いていた子たちが、時間が経つにつれて、

協力しあいながら、集中して自分の作業に熱中したり、それぞれが状況にあった

自分の意見を口にできるようになっていきました。

 

教室内に『大阪環状線』をテーマにした電車のジオラマを作ることに決まったあと、

わたしは、「ジオラマ作りに関係があるものは、出して使ってもいいけれど、

全く関係のないおもちゃで勝手に遊んではダメよ。

関係がないおもちゃを触った人は、それがジオラマに関係するものになるように

先生とよく話しあいながら考えたり、作ったりして、責任を取ってもらいます!」

と約束事を伝えました。

 

が、そう伝えたすぐ後で、★くんは大きなまぐろのおもちゃを抱えて

ふざけだしました。

「★くん、これから、環状線のジオラマ作りをするんだったよね。

そのまぐろをジオラマに加えるなら、海を泳いでいることにするのか、

まぐろは淀川にいないけど、取りあえず淀川を作って泳がすのか、

ブロックや積み木で水族館を作って、まぐろを飼うのか決めないといけないわよ。

◎くんに地図と環状線の絵本を見せてもらって、

海や川や水族館がある環状線の駅がないか相談してね」と言いました。

すると、★くんは、わくわくした表情で、「淀川にする」と言って、

◎くんが広げている地図を覗きこみました。

 

◎くんは、うれしそうにニコニコしながら大阪湾を指さして、

「海ならあるんだよ。ちょっと駅から遠いけど、ほら。でも淀川はないなぁ」

と言いました。


言葉の遅れ、人と関わる力の弱さ、叱られると笑うところが気になります 5

2019-02-08 22:57:12 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

現在は、「子どもになりきる」まなざしが

なくなりやすい環境です。

情報が多すぎるし、携帯電話やテレビやベビーカーといった

大人と子どもの間に見えない壁を作ってしまいがちな道具があふれていますから。

 

また子どもの側に、生まれたときから、

大人を不安にさせたり、挑発したり、無関心にさせたりするような

素質があった場合、いくら親御さんが良い親になりたいと考えていても、心優しい性格だったとしても、

しだいに親御さんの自信がくじかれていって、そうしたまなざしになれなくなるのも

仕方がないことです。

 

ですから、「子どもになりきる」まなざしになれない自分は

悪い……と捉えるのではなしに、

ちょっと自分の心のチャンネルを子どもサイド見方に切り替えるくらいの

気楽な気持ちで、この状態を意識的に作るようにしていると、

子どもの言葉の遅れが劇的に回復することもよくあるのです。

 

 

言葉の遅れのある子のなかには、

一方的に単語を言ったり、要求を口にすることはできるけれど、

相手からたずねられたことに返事をすることがなかなかできない子がいます。

 

★ちゃんにしても、「これなあに?」とか「じいじいは?」とたずねても、

自分に向かって何かをたずねられているということがわかっていない

様子でした。

また、たずねられたことに自分から応じていこうという

意志が感じられませんでした。

 

そんなときに、もし★ちゃんのお母さんが、完全に★ちゃんになり変わって返事をするのでもなく、

「じいじいはお外っていいなさい」と指示を出すのでもなく、

 

★ちゃんが主体であることをわかった上で、

★ちゃんになりきって、

そっと★ちゃんの身体をたずねた相手の方向に向けながら、身体そのもので言葉を受け入れる態勢を作ってあげながら、

「りーんーご」とか、

「じいじいは、えーと、どこかなどこかな、あっち」と身振りもまじえて

いっしょにお返事してあげると(最初のうちは大人だけの返事になるでしょうが)

★ちゃんが言葉を覚えていきやすいように思いました。

 

「子どもになりきる」というのは、絵本を読むシーンでも

大事です。

★ちゃんは、絵本を手にして「読んで」という素振りをします。

でも、ただ絵本の文字を読んであげるだけでは、

2ページ目に移る前にふらりとその場を去ってしまいます。

それを繰り返していると、★ちゃんのお母さんも拍子抜けして、

「~してよ」と能動的な★ちゃんの働きかけに対して、

「どうせちゃんと聞かないんでしょ」といういやいや

従うような態度で応じることになりがちです。


言葉の遅れ、人と関わる力の弱さ、叱られると笑うところが気になります 4

2019-02-08 22:45:20 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

子どもに言葉の遅れがあるとき、

その子のお母さんの子どもとの関わり方に

ちょっと気になる特徴を感じることがあります。

 

もちろん、言葉の遅れというのは

子どもの側に原因があるかもしれず、

まるで育て方が原因で言葉の遅れが起こるかのような

指摘はよくないのかもしれません。

でも、先に子どもの言葉の習得の遅れがあって、

それが原因で後から親御さんの態度が変化したものかもしれないけれど、

ひとつの共通する特徴のようなものがあるのです。

 

それはどのような特徴かというと、

「子どもになりきる」まなざしが少ないということです。

 

つまりいつも大人から、他者から……というまなざしで

子どもの動きを捉えているように見える

ということです。

 

それなら、「子どもになりきる」というのは、どのようなまなざしかというと、

たとえば、子どもが重たいものを引きずって運び始めたら、

見ている方も知らないうちにふんばって息を止めて、「よいしょ、よいしょ」と

心の中でつぶやくことってよくありますよね。

子どもがすっぱいものを口にすると、こっちまで肩をしぼめて、すっぱいときのキューッと顔の筋肉を縮めたような表情を

してしまうものです。

特に幼い子を育てている親御さんは、

本能的に子どもの姿を目で追いだけで、そうした「子どもになりきる」状態にしょっちゅう

なっていることと思います。

子どもに何かを教えるときも、

自分の身体までが勝手に動いて、言葉がただの言葉ではなくて、

「こーうしーて~こーうしーて~」と見聞きしている側のかもしだしているリズムに合わせて

提示しているのです。

それを真似ようとする幼児の動きを

今度は教えていた側が、真似ているような形で、

さまざまなことが伝えられます。

 

こうした大人の側が「子どもになりきる」形の伝達は、

幼い子が言葉や生活習慣を学んでいく上では、

必ずといっていいほど必要なものだと思います。

とても本能的で普遍的な活動だからです。

たいていの親御さんは、遊んでいるときも、

いつの間にか、子どもの目線で世界を見、子どもの感じるものを自分で感じているかのように

反応しながら、

遊びに興じています。

知らない間に、呼吸の速度まで子どもと同じになっているのです。

 

でも、言葉の遅れのある子の親御さんのなかには、(子どもの育ちへの心配や

診断等でついた名前や子どもの持つ関わりにくさなども一因でしょうが)

いつでも大人の立ち位置、大人のまなざし、大人の判断、大人の思考、大人の分析を

手放さないで、

とまどいながら子どもと接している場合によく出会います。

 

次回に続きます。


言葉の遅れ、人と関わる力の弱さ、叱られると笑うところが気になります 3

2019-02-08 22:42:04 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

★ちゃんのような発達に気になるところがある子の場合、

療育をしている教室に通うように勧められて、

週1回くらい同年代のお友だちと過ごしながら

人と関わる力を学んでいく子が多いです。

それ自体は大切な体験ですが、

実際、そうして療育にこれまで通ってきたとおっしゃる方々にお会いすると、

異口同音に、療育を勧められて通ううちに何だかよくわからないままに日が過ぎて、

具体的な親子関係の作り方を教えてもらえるわけでも、接し方のコツがわかるわけでもないので

家庭での療育がなおざりになってしまったとおっしゃるのです。

 

そうして、親御さんの子どもへのまなざしは

どこか遠いところから異星人を眺めるようにわが子に注がれていて、

子どもの側は、親御さんが不安そうに見ている遊びにばかり没頭していて、

呼ぶと、プイッと背を向けて次のおもちゃに向かっていき、

きちんと遊びが成り立たないままで、

親御さんとの関わりは、危険を制止するときと、

お片付けをうながすときだけという危うい関係ができあがっていることがよくあるのです。

 

子育てに困り感を抱えている親御さんに必要なのは、

だっこされるのを嫌がる子をどのようにしてだっこして、

甘えることが心地よいことだと学ばせていくのか、

絵本を読んであげようとすると、無理矢理閉じで、どこかに行ってしまう子に

どうやって絵本を読んであげるのか、

遊びに誘っても、背を向けて走り出していく子と

どうやって遊べばいいのか……

 

そうした具体的な技術を体得してもらって

親としての自信をつけてもらうことだと実感しています。

虹色教室は療育の場ではないのですが、

そうした親子関係の作り方について、具体的な方法を学んでいただいています。

とてもうまくいった方法について、これからも記事にしていきますね。


言葉の遅れ、人と関わる力の弱さ、叱られると笑うところが気になります 2

2019-02-08 21:08:23 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

★ちゃんと★ちゃんのお母さんの関わりを見ていると、

いくつか気になるところがありました。

★ちゃんの自分から人との関わりを求めていこうする力が弱いからでしょうが、

★ちゃんと★ちゃんのお母さんの関係は

希薄に見えます。

 

お母さんをお母さんと認識していないかのように見えるときもあります。

★ちゃんのお宅にお邪魔して遊ぶ様子を見せていただいたところ、

★ちゃんの興味は遊び道具より、

フックのようなものや仏様に備えてあるお線香やガラスのコップや木のささくれのような

おもちゃでないようなものに向かっていました。

 

そのため、★ちゃんが遊び出したとたんに、★ちゃんのお母さんが「ダメダメ」と注意することがあって、

するとなぜか★ちゃんがケタケタとうれしそうな笑い声をあげるということが

何度もありました。

見ていると★ちゃんが、お母さんとの関わりで、いきいきとうれしそうにしているときは、

このように「ダメダメ」と注意されているときだけでした。

そのためか、★ちゃんはちょっとめずらしいものに興味を示すときだけでなく

お茶を飲んでいる最中や、ペンでなぐりがきをしているようなときも

わざわざ「ダメダメ」という関わりを求めるように、はめをはずしがちでした。

 

虹色教室でこれまで出会った人と関わる力に弱さを持った子たちも

お母さんとの関係が希薄で、心と心がしっかり通いあうというシーンが少ないのに

「ダメダメ」と注意するときには、いきいきしてきて笑い声をあげるという

ちょっと気になる親子関係があった場合、年を追うごとに悪ふざけや

大人の嫌がる行為をするのがエスカレートすることが多々ありました。

 

そのため、★ちゃんのお母さんには、

次の3つのアドバイスをしました。

 

① 悪いことするとき以外のことで、笑顔を引き出すようにすること。

喜ぶ遊びは繰り返ししてあげること。

 ★ちゃんがお母さんに抱きついたり甘えたりしやすい

態勢を取ること。自然でリラックスした態度で接して、少しでも甘えるそぶりを見せたら、

心地いいようにだっこしてあげるか、ぎゅっと抱きしめてあげること。

反りかえるなど、抱かれるのを嫌がるときは、どのような抱かれ方を喜ぶか

慎重に接しつつ、次第に甘えることを気持ちがいいことだとわからせていくこと。

 

② 悪いことをはじめたら、静かにきっぱり注意して、

怒り声を楽しいもののように感じさせて興奮させないこと。

 

③ 「ちょっと変わっているなぁ……」と共感できない遊びに没頭したり、

大人にとって嫌な物を好むときには、

叱ってやめさせるよりも、何を喜んでいるのか(感触か音か動きかなど)を

見極めて、大人にとっても困らない遊びにして提案すること。

(たとえば汚いものを好んで触りたがるようなときは、

糊を画用紙に塗りたくる造形遊びに誘うといいです)

次回に続きます。


言葉の遅れ、人と関わる力の弱さ、叱られると笑うところが気になります 1

2019-02-08 21:05:30 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

2歳2カ月の★ちゃんのレッスンです。

★ちゃんのお母さんからは、1歳半検診で指摘された言葉の遅れと、

日常関わる中で自閉傾向があるのではないかと心配していることを

うかがいました。

虹色教室は病院ではないので、そうした心配の正誤については

アドバイスしかねるのですが、

遊びを通して見えてくるものや必要な関わりを探ったり、

親御さんの不安を和らげるお手伝いはできます。

 

★ちゃんは名前を呼んでも、振り返らずに知らんふりしているところがあります。

耳の聞こえを心配して耳鼻科に行ったところ異常がなかったようです。

言葉はぼちぼち出ているけれど、

「これなあに?」とか「~はどこ?」「~はどれ?」といった質問は、

理解しているように見えません。

こちらの表情を読もうとする意欲が弱くて、

ちらっと見ても、すぐ目を別の方向に移します。

ままごとのお鍋をスプーンでかきまぜていたので、

手を差し出して、「ちょうだい」と言うと、

気づかないかのようにいつまでも無視しています。

背後から背中をさすると、それも気づいていないかのように

無視していました。

 

お家で家族が集ってくつろいでいるときも、

★ちゃんはひとりだけふらりとその場を離れて

電気のついていない部屋で一人遊びをすることがあるそうで、

そうした姿が気にかかるというお話でした。

また外出先で触りたいものがあると、祖父母の手をつかんで、

触らせようとするクレーン現象のようなものもみられるということでした。

 

★ちゃんといっしょにいろいろな遊びをしてみたところ、

確かに気になる点も多々あるのですが、

「なかなかしっかりしているところがあるな」

「働きかけ次第で、気になるところは軽減しそうだな」とも感じました。

 

というのも、★ちゃんはだっこしておもちゃを指さすと

ちゃんとさしている方向を見ますし、

「ちょうだい」とやりとりに誘っても無視しているようなときも、

こちらの求めていることに全く気付いていないのかといえばそうではなく、

何となく兆しとしては、「ちょうだい」と頼まれたら、「どうぞ」と渡すやりとりを

学んでいけそうな柔軟な雰囲気をかもしだしてはいるのです。

こうした兆しは、言葉にして表現しにくいのですが……。

 

★ちゃんは、「できるか」「できないか」でチェックしていくと、

「できない」がたくさんある子ではありましたが、

「できそう」という可能性を含んだ「できない」がほとんどなのです。

今後もきちんと病院での検査等は必要でしょうが、

同時に親子関係の質を向上させていくことで、

心配なところはひとつひとつ減っていきそうな子でもありました。


ゆっくり成長していく心 (発達に凹凸がある子)  

2019-02-07 09:52:23 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

この記事で紹介した年長のAくんは今年、小学4年生。

この学年になるまでは、簡単な計算もなかなか定着しない、 学校で友達に手が出てしまうなど

さまざまな問題を通ってきました。

が、ゆっくりゆっくり本当に素敵な子に成長してきたんです。

あんなに苦手だった算数は、今ではAくんの自信の源です。

明るく優しくかしこい子に育っています。

発達に凹凸がある年長のAくん。

教室に着くなり午前のレッスンの子たちが作って帰った駅(↓の写真)を見て、

「壊してもいい?」とたずねてきました。

 

 

「それはね、前に来た子が一生懸命作ったものだから、置いておいてって

たのまれているの。だから壊さないで。もしAくんもブロックで何か作りたいなら、

新しいブロックをもっと出してあげる」と答えても、

Aくんは「でも、ぼく壊したいよ」と言いながら、作品に足を引っかけていました。

 

Aくんは発達の凹凸のある子の特性で

相手の気持ちがわかりにくいところはありますが、

意地悪な子でも攻撃的な子でもやんちゃな子でもありません。

気が優しくて純粋な心根の持ち主です。

 

少し前に、気持ちの行き違いから、お友だちの作っていた工作物をAくんが壊して

しまう事件があって以来、自分が悪かったことを認めるのを拒み続けていて、

「お友だちのものを壊す」という行為に妙なこだわりを持っているのです。

それでしばらくの間、ひとりでレッスンを受けることになっています。

罰でそうしているのではなく、少しの間、お友だちから離れて、

じっくり自分の内面を表現する活動をしたり、

信頼関係を築きながら、わたしと1対1で会話をしたりする時間がAくんには必要だと

感じているのです。

Aくんは学習に対する不安があって、遊びの最中も、「今日は算数をするの?」

「算数したくない」「算数しないよ。絶対しない」と数分おきに言い続ける癖があるので、

そうした学習に対しての不安感を和らげることも、ひとりでレッスンする期間の課題にしています。

 

少し前にAくんがお友だちの作品を壊してしまった事件のあらましは、こうです。

その日、いっしょにレッスンを受けていたBくんは、凝ったビー玉コースターを

作っていました。

ゴールをくぐると、輪ゴムでこしらえた罠のようなしかけがビー玉を捉えるように

なっています。

それが思うように作動しないので、Bくんは何度も熱心に試行錯誤を繰り返していました。

 

そんなBくんの作品に興味しんしんのAくんは、

「こうしたらいいよ」「ああしたらいいよ」と自分の作品のように

しかけを動かして調整しようとしました。

「やめてよ。ぼくが作ったんだから」と言うBくんの言葉も耳に入らないようで、

「こうしたらいいんだよ」と自分のやり方を押し通そうとしたあげく、

わざとではないのですが、よろけてコースターのレールをひっくり返してしまいました。

Bくんはちょっとしたことで動じない子なので、

「やめて、触らないで」と言うと、Aくんのことは頓着せずに壊れた個所を修復しだしました。

 

どう見てもAくん側の部が悪いのですが、自分がBくんのものを壊してしまったという

状況にパニックを起こしてしまったAくんは、

「こうしたらいいんだよ。それなのに嫌っていうんだもん!Bくんが悪い。

Bくんが悪いよ!」とBくんを非難しはじめました。

「Aくん。Bくんが作っているものは、Bくんがこうしたいなぁって思うように

作っていいのよ。Aくんは、Aくんが作っているものを、こうしようかな、

ああしようかなって工夫すればいいでしょ。

わざとじゃなくても、Bくんのものを壊してしまったら、ごめんなさいって謝らなく

ちゃだめよ」と注意するわたしの言葉に耳をふさいで大騒ぎしていました。

 

Aくんにとって、自分が「こういうふうにしたらいい」と思うのに

他の子は自分とは異なる考えを持っているいうことを推し量るのが難しい様子。

Bくんが作っている作品は、Bくんがどうするか決める権利を持っているということも

わかりにくいようです。

 

ちょうど今、Aくんの心はそれを少しずつ受け入れ理解していく過渡期にあるようで、

本来、快活で温和であまり他の子と揉めないAくんが、

たびたびそうした問題を起こしては、もんもんと葛藤していました。

 

そんな出来事の後、Aくんは何度かひとりでレッスンを受けることになりました。

 

Aくんは、ひとつでも不安なことがあると、ひたすらそれを言い続けるところがあります。

Aくんは口達者で利発な子ですが、数の理解については極端な苦手があるようで、

物を「1,2,3……」と数えていくこともままなりません。Aくんのお母さんは

「算数のLDではないか」と気を揉んでいるのですが、

実際には、嫌がってきちんと答えないからできないようにみえるのか、

できないから嫌がっているのか、はっきりしません。

教室では、まず算数の世界に親しみを抱くようになることを課題としています。

 

ひとりでレッスンしている間、Aくんは、

「今日は、算数の勉強はあるの?」「算数は嫌だよ」「ぼくは算数は嫌いなんだよ」

「算数の勉強はなしにして」と口癖のように繰り返していました。

でも実際、算数の学習がはじまると、ニコニコしながら楽しそうに学んでいて、

勉強が終わるのを惜しむ姿がありました。

Aくんは全てのこびとの生態を空で言えるほど『こびとづかん』が好きなので、

算数の学習にこびとのフィギアを登場させると、大喜びしていました。

その次のレッスンからは、

「今日は、算数の勉強はあるの?」「算数は嫌だよ」「ぼくは算数は嫌いなんだよ」

という訴えの後に、「今日はこびとづかんで算数する?こびとづかんせ算数しようよ」

と付け加えるようになりました。

そうするうちに、「算数はあるの?算数は嫌だ」という訴えはなくなって、

「こびとづかんで算数するの?」とだけたずね、

「算数で何をするかは、先生が決めることよ。今日はこびとづかんじゃないもので

算数の勉強をするよ。ワークもするよ」と言った答えにも納得し、

きちんと学ぶことができるようになってきました。

 

話をAくんがお友だちのブロック作品を、

「でも、ぼく壊したいよ」と言いながら、足を引っかけていたことに戻しますね。

足を引っかけていた……とはいえ、Aくんは乱暴な子ではないので、

足を引っかける真似だけして、自分の内面のもやもやと戦っている様子でした。

「Aくん、壊してはだめ。Aくんも駅を作りたいんなら、こっちでいっしょに作ろう。

ちゃんと大きな板もあるよ。ブロックもたくさんある」と言うと、

「大きい板が2つある?ちゃんとふたつだよ」とだけ言って、

「あるよ。ふたつある」と答えると、すなおにこちらに従いました。

「なおみ先生、ぼくは高いところを走る線路がいいんだよ。地面じゃ嫌なんだ。

高いところを走る長い線路を出してよ」と言うので、

Aくんのお気に入りの長いエッジで作った線路を出すと、落ち着いて作品作りに

取り組んでいました。

途中で、山の作り方を習って、山の中に山に住むこびとを隠しました。

 

牛乳パックを使ってふんすいも作りました。

 

 

 

川の上に鉄橋をかけて、こびとを配置して大満足のAくん。

 

悪いこびとのアラシクロバネがどんなに悪いのかひとしきり話した後で、

これまでBくんの作品を壊してしまった事件から、

「Bくんが悪い」の一点張りだったAくんが、ずっと言いたかったことを告白する

ように「Bくんは悪くないかもしれない」とつぶやきました。

実は当のBくんはすっかりそのことを忘れてしまって、

先日わたしが、「この間、Aくんが作品を壊しちゃったのごめんね」と謝ると、

何だっけ?という表情でキョトンとしていたのですが、

Aくんの方がずっとそのことで苦しみ続けていたようです。

「Bくんは悪くない」と言ってから、肩の荷が下りたように

すっきりした様子で、笑顔で帰っていきました。

 

経験で培った知恵は、経験を通過していない人に伝わるか

2019-01-26 08:51:29 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

先日、知人からこんな話をうかがいました。

知人の息子さんが夏休みの自由研究の工作に取り組んでいた時の話です。

初めのうち息子さんは、何を提案されても乗り気でなく、

自分でやろうと思いついてもぐずぐずしていたそうです。

が、はっとひらめいてからは、いきいきと自分の思い浮かぶものを想像しながら

一気に形作っていったそうです。

 

知人が自分の意欲に火がつくまでぐだぐだと過ごさせてあげたからこそ

息子さんはいきいきと取り組み、達成感を味わう結果となったわけです。

とはいえ、その都度している判断はちょっとしたことに左右されるので、

一般化できるものなどなくて、

子どもたちのやりたいこととそれだけでは成り立たない生活のペースの狭間で

 その場その場でどうしたらいいか考えていることに思いいたったという話でした。

 

わたしも、何でも一般化しようとする風潮の中で、そうした経験に基づく判断が

ないがしろにされているのを危惧していたところでした。

 

知人がこんなことを言いました。

「ゆとり教育」の始まりや「ホームスクール」の取り組みも、

最初は試行錯誤しながら勘を養いながら出来上がっていったものが、

そういった経験を通過していない人まで表面的な方法だけ取り入れて

やろうとすると、おかしいことになるし、

実際に取り組んだ経験のない人にまで、わかるように言語化するのは難しいです。

 

 

知人の意見に耳を傾けるうち、ふいに、発達障害という言葉が普及したことで、

今、まさに知人の言う「全く経験のない人が、経験で培ってきた方法の

マニュアルの字面だけをおってそのまま実行する」ことによる弊害が

蔓延しているんじゃないか、と感じました。

 

前回の記事で、発達障害という言葉が普及したことで、

今、まさに知人の言う「全く経験のない人が、経験や勘で培ってきた方法の

マニュアルの字面だけをおってそのまま実行する」ことによる弊害が

蔓延しているんじゃないか、と感じた、という話を書きました。

そのことについて触れる前に、これまでわたしが発達障害という言葉と

どのように付き合ってきたのか、その経緯をお話しようと思います。

 

わたしが発達障害という言葉について意識し始めたのは、教室を始める前に

ファミリーサポートという市の子育て援助の活動に参加していた時に

目が合わなかったり、会話が成り立たなかったり、攻撃的だったり、

常に動き回って危険なことを繰り返したりする子の存在を気にかけていたからです。

 

当時は、突然、思ってもみないようなことをする子

(その子の妹や弟のおむつを替えている一瞬の間に、玄関に突進していって

鍵を開けて外にでようとする子や、

何の前触れもなく、階段のかなり高い段から飛び降りようとする子など)の事故を

防ぎたいという気持ちから、危険度に応じて、預かる側がそうした情報を共有

する必要性を強く感じていました。

 

それと同時に、書いていたらきりがないほど危険なことや破壊的なこと

をし続ける子について、全てを書面に残して親に差し出すことに

躊躇していました。

それは預かる側の義務ではあるものの、

育てにくい子の子育てに困窮している親がちょっと息抜きをしようとしたとたん、

さらに悩みを抱えることにはならないか、

問題を指摘されることで、誰にも頼れない子育てへと引きこもってしまわないか、

親子の関係をさらに悪くすることにつながらないか、といった

迷いの渦に飲み込まれていたのです。

 

十数年前のことなので、親御さんが相談する場もほとんどなく、

あちこち医療機関をはしごしても、「様子を見ましょう」と告げられるのが

関の山でした。

幼稚園や学校で集団活動ができない場合、親御さんは、

周囲から親の育て方の問題として扱われるか、

しつけて何とかしようとするうちにそれが虐待に近いものになっていくか、

子どもの問題から目を背けることだけに力を注ぐか、

わが子は発達障害なのか、発達障害でないのか、と悩むことに

時間を費やしていました。

 

子育てに悩む親への受け皿がほとんどない時期でしたから、

「私自身、どうしたらいいのかさっぱりわからないけれど、

悩みを聞きながら支えていくくらいのことはしよう」という思いで、

発達障害のある子たちと関わるようになりました。

 

その後、知り合った方々から、

子どもの遊びや物作り、算数の学習を見てほしいと頼まれるように

なって、虹色教室という小さな教室を始めるようになりました。

生徒として集まった子たちは、7割くらいがごく一般的な子で、

残りの3割ほどが、発達に気がかりなところのある子たちで、現在もそうした

形で教室を続けています。

 

虹色教室では、何よりもひとりひとりの子の自発的な学びを大切にしてきました。

2時間~2時間半のレッスン時間のうち、最初の1時間半で工作やボードゲーム、

実験などをし、

残りの30分~1時間だけ算数の学習をしています。

 

(教室での学習の一例は、ブログ『ボディーワーカーのギフテッド子育て記』の

 虹色教室と勉強方法 でご紹介いただいています。)

 

教室を通して、十年以上子どもと関わるうちに、

わたしの子供観や発達障害の思いは

最初の頃よりも、

ひとりひとりの子の成長する力を信じる気持ちと個性的な才能に魅了される思い

で占められるようになりました。

 

前置きが長くなってしまいました。話をもとに戻しますね。

 

経験で培った知恵を経験や勘を通過していない人が使う時に

起こる問題ってどんなものでしょう?

 

一番に考えられるのは、経過を観察せずに、期待する結果を求めてしまうことかな、

考えています。また、現実を吟味する前に、先入観が刷り込まれてしまうという

きらいもあります。

 

「こういう問題で悩んだ時は、こうしたらいいよ」という外から与えられた

解決法を試してみて、うまくいかないと、

「これはよくないから別の方法を試してみよう」と次を探し求める気持ちに

向かいがちにもなります。

 

でも、実際にはそれがどんな問題でも、その問題の背後にあるものが

見えてくるくらいまで、じっくりそこで踏ん張ってみないことには、

その子ども自身が見えてこないし、理解もできないのです。

子どものことで気がかりなことがある時、親はその問題を解決して終わりとする

修理屋さんのような立ち位置ではなく、

問題というきっかけを通して、子どもと深く関わっていくようにすると、

子どもを知り自分自身もよりよく知ることになるし、

子どもと大人が相互に変容していくことにもつながります。

 

前の記事で、発達障害という言葉が普及したことで、

「全く経験のない人が、経験や勘で培ってきた方法の

マニュアルの字面だけをおってそのまま実行する」ことによる弊害が

蔓延しているんじゃないか、といったことを書きました。

 

それはどういうことかというと、

子どもとはどういうものかという子ども像を持たない人が、

(まだ子どもという人との付き合いが浅い人が)

発達障害という色眼鏡だけで、子どもの問題に

過剰な干渉をしてしまう、一場面、一場面をより大きな問題として

不安を感じて、子どもをより不安定にさせてしまう

という問題につながるのではないか、と感じているのです。

 

また、周囲の人が、子どものことでうまくいかないことがあるごとに

発達障害かどうかというフィルターを通してそれを眺めるゆえに、

親が不必要に動揺したり傷ついたりして、

反抗期のような子どもにとって大切な体験をきちんと通らせてあげることができない、

ということも起こります。

 

子育てには不快なことやうまくいかないことがつきものです。

うまくいかないことが、即、子ども側に問題があるとか、

親側に問題があるということにつながるわけではありません。

 

子どもの成長にはさまざまな時期があり、性格もさまざまで、

集団の環境やいっしょに過ごす子たちや先生との相性というものもありますから、

どちらにも何の問題もなくても、あれこれあるのが子育てなんです。

 

たとえば、「幼い子が集団の場になじめない」という時、

子どもの状態が「今、その時の姿」で切り取られて、特性の有無をチェックされ、

発達障害かどうかという捉え方だけで処理されることは

危険なことだと感じています。

もちろん、発達障害であるリスクはあるし、

保険の意味で、療育的な関わりをすることが悪いわけではありません。

 

でも、初めから終始、子どもがなじめないことについて、

その子自身の問題として、つまりその子が発達障害なのかどうなのかという

切り口から問題を見るようになると、

集団の場自体が、子どもから学んで成長するあり様が、ゆがむのではないかと

思うんです。

子ども側に問題があるという前提条件が普通になると、

集団を管理する側にとって、それが自らのあり方を考えなくてすむ

逃げともなるし、

子どもという存在から学んでいく集団自身の成長が小さくなります。

 

たとえ、集団の場を発達障害の子たちのニーズに

沿うよう改善して、環境がより良いものになっているように見えても、

問題を子ども側だけに押し付けている

安易な手札を手にしていることに変わりなくて、

もっと根本的な保育なり教育なりの質の向上が難しくなってしまうように

感じています。

なぜなら、問題を発達障害という手札だけで眺める限り、

子どもとはどのようなものか、子どもにとって

良い環境とはどういうものか、を追究する心が

薄くなるからです。