虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

幼児が「よく考える」ようになるためのステップ 2 <見た後で>

2021-10-05 21:12:06 | 思考力
 
幼児はいろいろなものを「見る」のが好きですね。

「見る」にもいろんな技術があります。
理解力や思考力、発想力が高い子というのは、この見る技術に長けた子が多いです。
親子で楽しめる「見る」技術をいくつか紹介しますね。
 
 
見ているものを言葉で表現する

クワガタとか、恐竜とか、新しい靴とか、アニメのキャラクターとか、子どもの今のお気に入りをよく見て、それについて話をすると、子どもはいくらでも話したがりますよね。
「ここはとがっているね。のこぎりみたい。黒くてつるつるして、ランドセルみたいな色ね。手に乗せたらちくちくするのは、どうしてかな?」

子どもの好きなものを見ながら話をするとき、色や感触、何に似ているか、どう感じたかなど、大人も本気でよ~く観察して、言葉にしようとつとめると、子どもの感性や表現力が変化してきます。
色にしても、「うすい茶色、空のような透き通った水色、濃い赤、光っている黄色」など、観察するほど、表現が工夫できますよね。
教えるよりも、いっしょに楽しむことが大事です。

文章の表現力がつくだけでなく、IQの問題や小学校受験問題などを解く力もアップします。
 

見たときのヒラメキを言葉にする

子どもは、何か見ているとき、「そうだ!いいこと考えた!」と思いつくことがありますよね。
例えば、「冷たいコップをほっぺたにあてたら、ほっぺが冷たくなるんだよ~!すごいでしょ~」といった大発見を報告してくれます。
そんなとき、すごいね~と関心をしるしたり、大人もちょくちょくこうした発見やアイデアを口にしていると、発想やアイデアが言葉にしやすくなって、何か作るときや問題を解くとき、良いアイデアが浮かびやすくなります。
 

ある時間をおいて見る

「家の前の水たまり、~~くらい大きいね」と会話して、次の日どうなったか見る。
お月さまの位置を話題にして、何時間かしてから見る。
水たまりに葉っぱ落として変化を見る など。

推理する力や理由について考える力などが刺激されます。


鏡 虫眼鏡

鏡を通して見る
虫眼鏡で見る

観察の仕方を工夫すると、考えることが楽しくなってきます。
 
 
見たものを遊びで再現する

美容室に行った後で、美容師さんになりきってお仕事する
宅配便のお兄さんのまね
駅員さんのまね
 
など、経験したもの見たものを再現して遊ぶと、記憶力や観察力が高まっていきます。
 

見たものを工作やブロックで作る

働く車を見たあとで、働く車をブロックや工作で作ってみる

といったことをすると、工夫したり、考えたりすることが楽しくなってきます。


「見る」ことが上手になれば、画数の多い漢字を覚えるのも易しくなりますね。
親子で楽しく「見る」技術を身につけると、いつでもどこでも、しっかり考えることができるようになりますよ。
 
次の記事→ 幼児が「よく考える」ようになるためのステップ 3 <聞く> に続きます。
 
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本を出させていただきました♪


幼児が「よく考える」ようになるためのステップ 1 <見る>

2021-10-02 21:28:33 | 思考力
「うちの子あまり考えません~」と親御さんが嘆く子に会ってみると、考えるために必要ないくつかのことが身についていないのがわかります。

上手に「考える」ことができるようになるには、その前にできるようになっておくといいステップがあります。

ひとつは、上手に「見る」ことです。

よく見る
ていねいに見る
よく似ているものを思い浮かべたり、違いを考えながら見る
見て不思議に気づく
見て好奇心が刺激され、調べたいと思う
動きのあるものを見る
考えながら見る
人の表情をよく見る・目を見る

というように「見る」ことを極めていけば、必ず「よく考える」ことにつながっていきます。

1歳代の子とお散歩に行くと、歩く先々で「じっくり見る」と面白いものにぶつかります。
小学校の校庭をのぞくのも好きですし、水たまり、花のおしべめしべ、ポストの投入口の中、ありの行列、はとたちの日向ぼっこ、日光が当たっている部分と影になっているところ、お風呂屋さんのえんとつなどなど……きりがありません。

幼い子ほど、そうしたものに感動し、よりていねいにじっくり見ようとします。
葉っぱに毛虫がいれば、何度でも何度でも見たがります。

合理的に効率的に目的地に直行!
ではなく、歩いて、子どものペースでさまざまなものを見て、見たときの思いや発見を話し合って共感しあうことが、「見る」能力を高めて、「考える」力のベースになります。

幼児にしても、小学生にしても、「よく考えない」ということの裏に、「よく見ていない」ということがあります。
算数の問題も、国語の問題も「よく見る」だけで解けるものは多いのです。

でも、いったん「見ない」癖がついてしまった子には、どうすればいいのでしょう?

子どもがぼんやりしているように見えるとき、「ぼんやりしている」と思うのでなくて、「何を見ているのかな?」と視線の先を見ると、何かに気を取られていることがよくあります。
そうした子どもが見ているものについて、いっしょにおしゃべりして楽しむようにすると、見方が変わってきます。
また、「よく見ない」子には、忙しく動き回るという子もいます。
外で、子どもが発見したものを報告してもらって「すごいね~!どこどこ?」と感動していると、さらに面白いものを見つけようとするはずですよ。
 
続きの記事はこちらです。↓
 
幼児が「よく考える」ようになるためのステップ 2 <見た後で>
 
幼児が「よく考える」ようになるためのステップ 3 <聞く>
 
幼児が「よく考える」ようになるためのステップ 4 <聞いた後で>
 
幼児が「よく考える」ようになるためのステップ 5 <感じる>

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本を出させていただきました♪


『9歳の壁』でつまずくか つまずかないか を左右する抽象概念の理解力 6

2019-07-02 20:07:17 | 思考力

この話題、タイトルの内容から脱線しながら書いているので

読みづらくて申し訳ないのですが、もう少し続けさせてください。

 

寝食を共にするユースホステルのレッスンでは、

子どもたちが数学的な考え方を扱う場面や

抽象的な言葉と出会う機会がたくさん見られました。

 

夕食中、わたしの前に座っていた3歳のAちゃんが、

「先生とわたしはお向かいだね」と言いました。

Aちゃんの口から「お向かい」という言葉を聞くと思っていなかったわたしが、

聞き間違いかと思って、「Aちゃん、先生とAちゃんは何だと言ったの?」と

たずねると、Aちゃんの隣に座っていた年長の姉のBちゃんが

「お向かいって言ったのよ。先生はAの向かい側に座っているから」と解説しました。

「ああ、そうね。先生とAちゃんはお向かいだわ。

それならAちゃん。Aちゃんの斜め後ろは誰かしら?」と問うと、

くるりと後ろを振り返ったAちゃんは、斜め後ろに座っているDちゃんのお母さんを

見ながら、「わからない」と言いました。

すると、BちゃんとBちゃんの友だちが、「Aちゃんは、Dちゃんの名前を知らないの。

Aちゃんの斜め後ろに座っているのはDちゃんのお母さんでしょ?

ねぇ先生?もしわたしの斜め後ろはっていうなら、別の人だけど」と言いました。

 

この場面、周囲にいた子は興味しんしんで耳を傾けていました。

食事中だったのでやめておきましたが、

こんな算数クイズを出したら面白いだろうな……と思いました。

  

<その人は誰でしょう?クイズ>

その人はAちゃんのとなりではありません。

その人はBちゃんのお向かいに座っていません。

その人はCちゃんの斜め前に座っています。

その人は誰でしょう?

 

食後に、職員の方から、「できる分でかまいませんから、

できるだけ同じ食器ごとに重ねて、返却コーナーに戻してください」と

いうお知らせがありました。

子どもたちに、「同じ食器ごとに重ねるってどういう意味かわかる?」と

たずねると、

「こうやって、おわんはおわんってすることでしょう?」と写真のように

重ね始めました。

 

忘れ物や落し物があった時も、数学的な考え方に触れる機会になります。

わたしの道具入れに混じっていたミッフィーちゃんのペン。

部屋にいた数名の子とお母さんにたずねると、

「わたしの物ではない」ということでした。

 

それなら、誰のペンである可能性があるのでしょう?

まず、部屋にいた人々のものではないことがわかったのですから、

今、部屋ではない場所にいる人の物である可能性がありますよね。

 

そんなふうに子どもたちと探偵のような推理を働かすのは面白いです。

 

こんなクイズにも発展します。

ピンクの消しゴムが落ちていました。

Aちゃん、Bちゃん、Cちゃん、Dちゃん、Eちゃんのいずれかの落し物です。

 

AちゃんとBちゃんは公園で遊んでいます。CちゃんとDちゃんはお部屋にいます。

Eちゃんは台どころにいます。公園に行って、落としものについてたずねたところ、

消しゴムの持ち主はいませんでした。

お部屋に行ってたずねましたが、そこにも消しゴムの持ち主はいませんでした。

消しゴムを落としたのは誰でしょう?

 

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本を出させていただきました♪


『9歳の壁』でつまずくか つまずかないか を左右する抽象概念の理解力 5

2019-07-01 17:09:05 | 思考力

小3の女の子たち中心のユースホステルでのレッスンでの算数の時間。

遊び体験が豊富で工作好きの子どもたちです。

普段とはちょっと異なる目新しい課題を用意したところ、

ほとんどの子が「いつの間に身に付けたのかな?}と驚くほどの数学的な思考力を

発揮していました。

 

『スーパーエリート問題集 小学2年』に、

絵を描きながら難問と解くという問題集が付録としてついていたのですが、

2年生の問題集についていたとはいえ、初めてするなら高学年でも難しいような

内容でした。

「誰か絵を描いて解いてみたい人?」とたずねると、小3の4人がいっせいに

手を挙げました。絵を描いたり物を作ったりするのが好きな子たちなので、

未知の問題とはいえ、絵を描くと聞いただけでワクワクしたようです。

そこで4人で相談しながら描いてもらうことにしました。

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今日は まんかいの さくらの下で、お花見です。ごちそうは 金太郎あめと

銀太郎あめの やわらかステーキです。

金太郎あめは 銀太郎あめの3ばいの 長さです。

みんなで午前中に 金太郎あめと銀太郎あめを ちょうど半分ずつ 食べたところ、

のこりの 長さを合わせると 16㎝でした。

では、金太郎あめは もともと 何㎝ だったのでしょうか。

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金太郎あめはやたら太くて、銀太郎あめはただの棒では……とつっこみたくなるような

絵ではありましたが、「銀より3倍大きい金を半分にして、

銀も半分にしたということは、

半分にしたって、3倍というのは変わらないと思う」とひとりが言うと、

他の子らが、「それは、そうよ。最初が3倍なら、それぞれを半分にしたって、

何倍かっていう違いは変わらないもの」と口ぐちに言う姿に、

3年生ならではの知恵に感心しました。

 

「それなら答えは?」とたずねると、

「16㎝を金の側3つと銀の1つの4つに分けて、4㎝が元の金太郎あめだと、

3倍にしたのが元通りにするから、もうひとつ分あるって

ことだから24㎝ってことでしょう?」と、次々正解を出していました。

そうした子どもたちの姿に、いっしょに参加していた幼い子のお母さんは

とても驚いたようでした。

 

算数の時間に、『だいたい いくつ?数えてみよう・はかってみよう』という絵本を

みんなで楽しみました。

絵本の画面を埋め尽くす大量のハチを見て、「ハチはだいたいなん匹だと思う?」と

たずねると、「横と縦の一列に何匹ずついるか数えて、かけ算で計算したら、

だいたいの数がわかると思う」

「線を入れて切ってみて、その中に何匹いるか数えて、その切ったのが

いくつぶんあるか見たらわかると思う」などのアイデアが出ました。

 

 

これまでしたことがない一風変わった問いを投げかけると、

遊びの質の大切さを実感します。

縦にして並べた飛行機の半分弱のサイズ

が10mと示してある写真を見て、

「それならピサの斜塔は~mくらいだ、自由の女神は~mくらいだろう……」活発な

意見が交わされていました。

比で比較してだいたいのサイズを予想したり、

単位を変換して表現したりすることができていました。

何よりこうした頭の体操を心から楽しめているのがいいな、と感じました。

 

高さについてのおしゃべりついでに、「自分の身長がわかる人?」とたずねました。

身長がわかる子もいれば、わからない子もいました。

正しい身長がわかっている子たちのサイズを書きだしてから、

身長がわからない子のサイズを予測することにしました。

 

身長がわからないAちゃんの妹のBちゃん。

106㎝とわかっているもうすぐ3歳のCちゃんと120㎝のAちゃんといっしょに

並んで立ってもらうことに……。

話しあいの結果、「Bちゃんは、106㎝のCちゃんとの身長差の方が、

120㎝のAちゃんとの身長差より大きいこと」が判明しました。

また、Cちゃんとの差もAちゃんとの差も3㎝以上はあるようです。

 

とすると、Bちゃんは何㎝から何㎝の間の身長だと予測できるのでしょうか?

 

図を描いて比べて考えました。

 

『だいたいいくつ?』の本に面積比べもありました。

Dちゃんのこんな考え方に感心しました。

「もとになる1平方センチメートルのクラッカーのだいたい4つ分が大きいクラッカー。

調べたい野球のCDは大きいクラッカーのだいたい5つ分(4つ敷き詰めた後、

半分に割ったものを底部分にふたつ敷くことができる)だから、

4×5で20平方メートルくらいじゃないかな?」

とのこと。確かに小さいサイズのものがいくつ分か考えるよりも、

先に大きいサイズで考えたほうが、すばやく正確に把握することができますね。

 

間違えやすい10000-3や10000-305といった

計算を、ミスしないように解く方法を学びました。

 

子どもたちにページ当てクイズを出しました。

9ページの次の一枚を抜かした後にあるのは何ページか?という問題。

3年生より幼い子たちは、「9の裏が10で、その次が11と12で、

その次だから……」とカウントしながら考える問題。

さすが3年生。「わかった、奇数になるでしょう?奇数が、9、11、13……

と続くことを考えて、11のページを抜かすから、答えは13でしょう?」とのこと。

紙に書いて説明してもらうと、

「9、11、13……と続いている奇数は、2ずつ大きくなるでしょ……」と

説明してくれました。

 

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本を出させていただきました♪


『9歳の壁』でつまずくか つまずかないか を左右する抽象概念の理解力 4

2019-07-01 16:07:29 | 思考力

ユースホステルでの晩の勉強会で、

遊びや日常のどんな場面で、数学的な考え方に触れる機会があるか話しあいました。

子どもいっしょにとさまざまな考え方に親しむアイデアを共有しました。

 

その時期、その時期、子どもにヒットすることや、子どもがしつこいほど繰り返したが

ることは、その子の能力を最も成長させてくれるものであることがほとんどです。

 

先の記事で書いた「絶対、違うに決まっているでしょってことでも、

ちがうよ、こうだよ、と説明しても、少しすると、また同じことばかり言う」という

自閉症のAくんにしても、こちらが、特性によるこだわりだと一蹴せずに、

「抽象的な意味を伴う言葉の意味をわかった、そういうことか、と自分の中に落とし

こめるような体験を欲している」「言葉に対して敏感になっている」という

受け止め方をして、気になる言葉をさまざまな場面で目で確認し、体感できるように

してあげることは知力の大きな成長につながると考えているのです。

 

Aくんにとって、「大切」とか「重要」という抽象的な言葉は、耳で聞くだけでは

わかりにくいものです。

でも、Aくんが大切にしているものを、「大切だね。これは大切」と言いながら、

大切に扱うボディーランゲージをし、ゴミとして捨てるものを、「大切じゃない。

こんなの大切じゃない。」と言って、ぞんざいに扱う真似をするすると、

Aくんの中に、具体的な大切という言葉のイメージが蓄積されていくかもしれません。

重要などもそうです。

お母さんの話にあった鳥の羽根の話も、

「人が落としていったハンカチは拾いに戻るけれど、鳥が落としていった羽根は

拾いにもどらない。なぜなら、人間が大切じゃないなとポイッとゴミ箱に捨てたものと

同じで、鳥にとってもういらないものだから。

それに鳥は落としたことに気づいていないかもしれない」といったことをテーマにした、

ごっこ遊びや人形劇遊びをするとAくんが今敏感になっていることに寄りそうことに

なるのかもしれません。

 

発達の凹凸がない子たちは、Aくんのようにひとつのことにこだわって

同じ言葉ばかりを繰り返すようなことはありませんが、

その時期、その時期で、非常に敏感になっている思考のあり方があるし、

月齢ごとにより抽象化した概念に関心を寄せるようになっていることを

遊びや会話の中で感じます。

 

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本を出させていただきました♪


『9歳の壁』でつまずくか つまずかないか を左右する抽象概念の理解力 3

2019-07-01 15:42:07 | 思考力

前回までの記事にこんなコメントをいただきました。

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今回のユースホステルありがとうございました。

かわいい子ども達と出会い、とても楽しかったです。

毎日、仕事で子ども達と遊び、工作などをくり返す中で、

数学的思考が発達の凸凹のある子ども達にとって、社会を生き抜いていく中で、

重要な鍵になるのではないか‥‥と考えていました。

発達の凸凹のある子ども達は、あらゆる刺激の強さから、一対一対応でしか物事を

認識できないこと‥少しでも違いがあると別の物として認識してしまうことが

多くありますよね。様々な物が全く違った物として個別に存在しているので、

分類遊びは自然発生的には、なかなか出てきません。

例えばよくある事例では、

・Aちゃんを叩いてしまった時、注意を受けてとても反省していても、

Bちゃんは叩いてしまう。また注意を受けると「Bちゃんは叩いたらダメって言われて

ないもん!」と言う。

・「まっすぐ家に帰りましょう。」と言われると「そんなの帰れない!」と言い、

なぜか聞くと「曲がらないと帰れないから。」と言う。

こういった彼らの性質上の特性として片づけられてしまっている事も、

刺激の強さから抽象概念をとらえられず、遊びの中で充分に育まれにくい事から

起こるのではないか‥と感じていました。

物事を抽象的にとらえられる様になると、帰納的な考えや類似的な考え、

統合的な考えなどにつながりやすく、そういった考えは勉強だけでなく、

人間社会に多くある暗黙のルールをとらえられやすくなったり、変化に対する耐性や

柔軟さもでき、学校生活や社会生活の不安が少なくなるのでは‥と感じています。


発達の凸凹のある子ども達はくり返す事で(くり返すと思っていても、彼らには全く

違うことなんでしょうね。自転車が毎日、場所が1ミリも、角度が1°も違わず置いて

あることなんて、ないですもんね。違った状況を何度も照らし合わせて、

様々な角度から擦り合わせていく事で)意味として、獲得していくんでしょうね。

そこに、彼らの苦手とされる抽象的な表現や変化やユーモアなど取り入れると、

一対一対応ではなく大きな意味を持ったものとして、獲得していけるんだな‥‥と強く

感じました。

心と身体を解放して、全身で自分が何が好きか、何が心に響いているのか‥‥を

表現する子ども達。そんな子ども達に触れられて、とても幸せな2日間でした。

ご一緒させていただいたご家族のみなさん、ありがとうございました。

また、お会いできるの楽しみにしています。

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通常、ユースホステルのレッスンは、

幼児中心の日、小学生の女の子中心の日、小学生の男の子中心の日、

発達に凹凸のある子たちが中心の日などで分けて募集しているのですが、

今年は、十分な日程を確保できなかったため、発達に凹凸のある子、一般的な子、支

援の仕事をなさっている方のお子さんたちで年齢の高いお兄ちゃん、お姉ちゃん……と、

さまざまな年齢のさまざまなタイプの子らが参加することになった日を

設けることになりました。

こうした特別な日を作ると、

「発達の凹凸のある子のお母さんが相談したり気持ちを打ち明けたりしにくくなるの

ではないか?」「それぞれの子の学習時間がきちんと取れるのか?」

「まとまりのある体験ができるだろうか?学びを共有できるだろうか?」

「つまらなかった、参加しづらかったという子は出ないだろうか?」と気を揉むことも

多いのですが、心配のほとんどは杞憂に終わり……

結果良ければ…じゃありませんが、特別な日は特別な日にしかないかけがえのない時間を

参加した方々と共有することができました。

 

晩の親の学習会では、発達に凹凸のある子にも一般的な子にも

とても大切だと感じている日常生活や遊びや親子の会話の中で、

「抽象概念の理解力」と「さまざまな数学的な考え方」をどのように育んでいくかに

ついて話しあいました。

 

この記事の初めに、「難関突破経験と子育ての実態」の調査で、

子どもの自主性や思いや意欲を大切にして、遊びの主導権を子どもに与えることの

大切さが示唆されたという話題を紹介しました。

子ども自身が考える余地を与えるような援助的なサポートをする

共有型の関わりが大事であることや、遊びの量より質が重要であることも書きました。

 

でも、実際、子どもの遊びを見守る段になると、

「考える余地を与えるようなサポートってどんなこと?量より質っていったい何を

どうすればいいの?」と疑問でいっぱいになったかもしれません。

 

虹色教室では、子どもたちの遊びの質を高めるためのさまざまな試みをしているので、

何がどのように子どもの思考する姿勢に影響を与えるのかよく把握しているつもりです。

 

子どもと遊ぶ時に、あれやこれや知識を与えようとするのは

子どもを考えることから遠ざけてしまうこともあります。

遊びながら知識をインプットしようとするのではなく、

子どもの中に形成されつつある数学的な考え方の芽を育んでいくことが、

考える力の土台を作っていく上で大切だな、と感じています。

また、日々の暮らしの中で抽象的な言葉の理解を深めていくことも重要だと思います。

 

数学的な考え方には、

『数学的な考え方を育てる課題&発問集/鈴木正則著(明治図書)』を参考にすると、

 

帰納的な考え方  類推的な考え方  演繹的な考え方

統合的な考え方  発展的な考え方

記号化の考え方  数量化、図形化の考え方

集合の考え方   単位の考え方

抽象化の考え方  単純化の考え方  一般化の考え方

特殊化の考え方  表現の考え  操作の考え

アルゴリズムの考え  概括的把握の考え 基本的性質の考え

関数の考え    式についての考え

 

などがあります。

言葉だけみると、大きくなってから数学の世界で学ぶように感じられる考え方も、

まだ2、3歳という幼い時期から、ざっくりと考えに触れたり、使ってみたり、

扱う中で洗練させたりしているものがたくさんあります。

幼い子向けの絵本や児童文学の世界でも、こうした考え方は多用されているものです。

 

たとえば、

数学的な考え方のひとつの帰納的な考え方というのは、

いくつかの場合を調べて、それらに共通するルールや性質を見いだし、

それを元に推測し、推測したことが正しいか新しいデーターで確かめていくことです。

 

帰納的という言葉こそ難しそうですが、

子どもたちが親と楽しそうにおしゃべりする様子を聞いていると、年少の子らでも、

「あれとあれとあれは、こういうところが似ているね。ということは、

あっちは、こうなるのかな?」と、共通に見られるルールに着目したり、

それをもとに予測したりすることを心から楽しんでいる子はけっこういるのです。

そういう子は、文字や計算のプリントを早い時期からするようなことはありませんが、

1を聞いて10を知るような利発さがあって、考えることを心から楽しんでいるのです。

 

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本を出させていただきました♪


『9歳の壁』でつまずくか つまずかないか を左右する抽象概念の理解力 2

2019-07-01 08:15:39 | 思考力

Aくんが半分という言葉に関心を抱いていた姿を見て、

朝食後のレッスンで「抽象的な言葉にはどんなものがあるでしょう?

具体的な言葉にはどんなものがあるでしょう?」というクイズを子どもたちに出しました。

 

聞き慣れない言葉に、最初はキョトンとしていた子どもたちも、

「具体的な言葉は、目で見て形がわかる言葉よ」と言ってから、

近くにあったホッチキスを指して、

「ホッチキスは具体的な言葉よね。この黄緑のホッチキスは、目で見て、

これって形がわかるわよねそれから、消しゴムも○くんの靴下も目で見て確かめられる

具体的な言葉よね。

抽象的な言葉は、あいまいでこれって指さして確かめられないような実態のない言葉よ。

勇気、重要、理想、正義……どれも、これだよって指さして見ることができないね」

と説明すると、小1のBくん、Cくんがわくわくした表情で、

部屋中の物を指しながら具体的な言葉を挙げてから、

「色は抽象的な言葉?」「理解は抽象的な言葉?」と質問しはじめました。

神妙な顔で考え込んでいた小3のDくんも、

「自然は抽象的な言葉?夢は抽象的な言葉?」とたずねては、

「そうよ。よく気づいたね」と言うと、心底うれしそうな笑顔浮かべていました。

 

そこで、子どもたちの前に1つのコップをかかげて、

「このコップは、ただの紙コップだけど、よく見るといろんな言葉が隠れているよ。

外側、内側、底、オレンジ色……」と言うと、

子どもたちから、「丸」「形」「白色」「薄い」といった声が上がりました。

わたしが、「円周、縁」と言うと、Dくんが、「安物!」と言いました。

「それは名称や色や形やサイズとは違う、意味を伴う新しい表現の仕方だね。

それじゃ、リサイクル可能、影」と言うと、子どもたちはこんな楽しいことはないと

いう様子で、思いつく限りに言葉を挙げていました。

 

言葉というのは、本当に面白いのです。

4歳のEくんが、「ぼく、タコが作れるよ」と作った作品は、

さっきまで眺めていた紙コップを材料としているけれど、

わたしたちからそれまでとは別の言葉を引き出してくれます。

「これは何でしょう?」

「タコ」

「どうしてタコだとわかるのかな?どうしてタコに見えるのかな?」

「下の部分、いくつも切っているでしょ?足に見えるから、タコってわかる」と

Cくん。

「Eくんがタコだって言ったから、タコってわかるよね。作者が言うんだから」

とわたし。

「全部見たら、ほら、頭の部分から足みたいなところまで形を見たら、

タコに似ているでしょ。だからタコってわかる」とBくん。

 

その場では黙っていた小5のFちゃんが、お母さんの耳に何かささやいていました。

後から聞いたところ、「欲望も抽象的な言葉」と言ったのだとか。

欲望というちょっと刺激的な言葉に、Fちゃんの周りで笑いが起きました。

それを小耳にはさんだDくんは、

「希望も願望も抽象的な言葉だ」とつぶやいていました。

実はEくん、お母さんからうかがった話では、算数は得意だけれど、

国語は苦手とのことでした。

Eくんが、抽象的な言葉についてずっと思いを巡らせているのを見て、

「Eくん。国語のいいセンスしているね。国語もきっと得意になるよ」と言うと、

Eくんは、うれしそうに照れ笑いを浮かべていました。

 

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本を出させていただきました♪


『9歳の壁』でつまずくか つまずかないか を左右する抽象概念の理解 1

2019-07-01 08:14:31 | 思考力

20代の子を持つ親(1040名)を対象に実施された

「難関突破経験と子育ての実態」に関する調査によると、

いわゆる難関突破した経験のある子の親とそうでない親の間に

子育てスタイルに大きな違いがあることがわかったそうです。

その違いとは、難関突破した経験のある子の親は、そうでない親に比べ、

遊びを重視する傾向があることです。

 

就学前の遊ばせ方の特徴として、

 子どもの自主性、思いや意欲を大切にして遊びの主導権を子どもに与えています。

また、親もいっしょに遊んだり絵本の読み聞かせなどで、

ていねいに関わっていたお家が多いようです。

 

こうした調査をしているプロジェクトのメンバーである

お茶の水大学名誉教授・内田伸子先生は、

<今回の調査から、大学受験や資格試験などの難関を突破する力や夢を実現する力と、

就学前の遊ばせ方には相関関係があることが示唆されました。

子どもは、五感を使うことで脳が発達するため、

ちゃんと遊んでいないような子どもは“9歳の壁”に突き当たりやすいのです。>

とおっしゃっています。

 

9歳の壁とは、学習内容が具体的なものから抽象的なものへと変わる9歳の時期に、

勉強がわからなくなる子が増えることから呼ばれる言葉です。

調査結果を長年にわたり研究している内田先生によると、

難関突破経験者の親の3人に2人が、子ども自身が考える余地を与えるような

援助的なサポートをする共有型。

逆に難関突破未経験者の半分以上が、大人目線で介入し子どもに指示を与えてしまう

強制型の子育てスタイルなのだそうです。

このことから、「遊びは量よりも質が大事で、特に親との関わり方は大切」

とのことです。

 

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話が少し飛ぶのですが、普段のブログで遊びの大切さはさんざん書いているので、

今回は、抽象概念の理解力についての話を……。

 

 

 ユースホステルでのレッスンでこんなことがありました。

朝食時に5歳の自閉症のAくんが、「なおみ先生、なおみ先生」と繰り返しながら、

わたしのそばにやってきました。もう食事はすませた様子。

 

わたしがお尻をずらして席を半分あけて、

「Aくん、ここに座る?椅子の半分をあけたよ。ここに座る?」とたずねると、

わたしの隣に座っていた他の子のお母さんも反対方向に身体をずらして、

「Aくん、こっちにも半分、席があるよ。半分座る?」と、

茶目っ気たっぷりにたずねました。

 

わたしが、Aくんの目の前に半分ずつできた椅子の隙間を順に指さして、

「半分と半分、あっ、ひとつになっちゃった!」と告げると、

Aくんの表情が好奇心と喜びでパッと輝きました。

そこで、Aくんをその半分席に座らせて、朝食のソーセージを半分に切り分けて、

それぞれをフォークにさしてみせました。

「半分と半分……あっ、ひとつになっちゃった!」と言いながら、

切り分けたソーセージを元の一本に戻すと、Aくんはゲラゲラ笑いながら、

「半分、半分」と繰り返しました。

Aくんの心に、「半分」という言葉と概念が強く響いているようだったので、

皿にあったハッシュポテトでも「半分と半分、あっ、ひとつになっちゃった!」を再現。

それから、塩の小瓶を手にして、「半分だねぇ」と告げました。

 

白い塩の粒が瓶の半分ほどを占めているのを目にしたAくんは、

そこにできた空白部分と白い部分と半分という言葉のつながりに気づいたのか、

深く感動したようでした。

塩の小瓶を持って、「半分、半分」と言いながら、

他の子や親に見せてまわっていました。

 

 Aくんについて前日の勉強会で、Aくんのお母さんからこんな話を伺っていました。

 

「とにかく同じことを何度も何度も言い続けます。

絶対、違うに決まっているでしょってことでも、ちがうよ、こうだよ、と説明しても、

少しすると、また同じことばかり言うので、返事をするのもうんざりしてしまいます。

他所の家の前に自転車が置いてあると、Aが「忘れているの?」と聞くので、

「忘れているんじゃなくて、置いているんだよ。あそこのお家の人の自転車だよ」と

説明するのに、

それからもその家の前を通る度に、毎回、「自転車、忘れているの?」と聞くんです。

それとか、道に鳥の羽根が落ちているのを見て、

「鳥が落としていったのね」と言うと、「取りに来る?」とたずねるので、

「鳥は落としていった羽根を、人間の落し物みたいに取りに戻ったりしないよ」

と説明しても、何度も何度も「取りに来る?」と聞くので、もう、どう答えたら

いいのかわからなくてイライラして、きつい言い方で返してしまうんです」とのこと。

 

「あきらかに間違っていることを何度も何度もたずねられる場合、

どう答えたらいいんでしょう?」という質問もいただきました。

 

「わたしは毎回毎回、初めて聞いたみたいに対応しています。

自閉の子の望む答えは決まっていることが多いですよね。

自分の言う通りに答えてもらいたがったら、相手の要望にそのまんまに答えつつ、

毎回、少しだけ返事のバリエーションに変化を加えて、

こちらの伝えたいことを目でわかる形で示すようにしています。

すると、うんざりするくらい同じことばかり聞いていたかと思うと、

ずいぶん経ってからですが、あれっと驚くほど、

コミュニュケーション能力や語彙の理解力のステージが一段上がったのを

感じる瞬間が来るんですよ」と返事をしたところ、

いっしょに勉強会に参加していた支援級の補助のお仕事をしておられる方が、

相槌を打ちながら、こんなことをおっしゃいました。

「その通りですよ。わたしも、何度も何度も同じことを聞いてくるのに

本人の望むように答えながら、少しだけ新しいことを加えて返事を工夫するように

しているんですが、半年、同じことを言い続ける時期もありますが、

そうやって対応していると、ある時、劇的な変化の瞬間を迎えるんですよ。

本当に!」

 

その晩は、他の年齢の自閉っ子のお母さんとも、

ただのこだわりだと一蹴したくなる質問にも、毎回ていねいに答えることと、

そうした同じ質問だからこそ、こちらも知恵を絞って、

プラスαに創意工夫を加えてみることの大切さについて、話が盛り上がりました。

(詳しくは別の機会に書きますが、この回のユースには、次に食べたいものと

その値段の話題ばかり繰り返す自閉っ子の小2の男の子が参加していたのですが、

いつもいつも繰り返す食べ物と値段の話題にその子の望む返事をしつつ、

消費税の計算や場合の数の考え方など算数の世界の新しい話題を少し加えて応えて

いると、その都度、新しい算数の問題に思いをめぐらすことに夢中になっていました)

 

ーーー

本を出させていただきました♪


自分の時間を過ごしている子は、脳が、ちゃんと抽象的な思考ができる状態に 自然に発達していく

2012-06-21 07:07:44 | 思考力

コメント欄で次のような質問をいただきました。
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この4月から、4年生の理科を担当しています。
1学期は、自然観察、天気と気温の関係、電気のはたらきと学習を進めてきました。(教科書の順です。)
前の2つの学習では、テストをしても大した差は見られず、平均点もよかったのですが、
「電気」の授業・テストをして、これは!と歴然とした差が子ども達の中にあるのを感じました。
前の二つの学習は、目に見えるものを扱っています。
気温にしても、体感でどの子もある程度の経験量がある。
でもこの「電気」は、目に見えない上に、経験にも大きな差が。
問題を解こうとすると、抽象的な思考を要するんですよね。
するととたんにできなくなる子が続出!
見えないものをイメージするのがかなり難しい様子。
担任の先生方に聞くと、算数でも同じような状態になっているとのこと。
抽象的な考え方って、どれくらいで身につけていくものなんでしょう?

9歳~10歳の4年生の今が、そういう時期なのかなとは思うのですが、
(だからこそ、教科書にもそういった内容を扱う学習が出てくるのだと思うのですが)
一朝一夕に、身につけられる力ではないと思うのですが、
そうであっても、ただ何もせずそういう力がついてくるのを待つしかないのでしょうか?
そんなことを考えながら、ブログを読んでいたら、この記事に出会いました。
自分の手を使って、切ったり、貼ったり、組み立てたり・・・。
「工作」する中で、抽象的なものの見方などを育てることもできるのでしょうか?
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この質問をいただいてから、以前、教員をされていた☆さんと、

このコメントの内容についてお話する機会がありました。

(質問主さんと☆さんは別の方です)

「抽象的な見方や考え方は、どのようにして育つのでしょう?」とたずねると、
☆さんは、小学校高学年と低学年のふたりのお子さんをこれまで育ててくるなかで、
感じた考えを聞かせてくださいました。

☆さんの上のお子さんは、小さい頃から飲み込みが早く、記憶力が良くて、人と関わりながら学ぶのが
大好きな子でした。
おまけにまじめで聞きわけが良く、学習習慣もつけやすくて、
自分から進んでワークをするおりこうさんでした。
それで、☆さんは、この子にさまざまなことを教え、この子は驚異的なスピードで
マスターしていました。

ところが、このおりこうさんぶりが災いして、
9歳~10歳になった頃、抽象概念の理解につまずきはじめました。
この子はとても賢い子ではあるのですが、それまで大人が教えることを
できるだけ効率的に受動的に学ぶ習慣が身についていました。
そうして、教わってできるようになることの繰り返しでは、学習をどれほど先に進んでも、
それが抽象的な見方に発展していかないところがあったのです。

「ひとつの答え」を急いで求めようとする早押しクイズをしているような態度や、
大人から正しい解き方の説明をしてもらって、できるだけ
素早く正確にマスターしようとする態度は、
抽象的な思考につながりにくいどころか、
それを邪魔するような遠ざけるような面があったのです。

一方、下のお子さんは、工作やブロック制作や自由遊び、親子の会話や日常生活の中で、
自分で体験して学ぶことが主で、☆さんは、
極力、「教える」ことを控えて子育てしてこられました。
すると、下のお子さんは、まだ低学年なのにも関わらず、
自分で論理的な筋道を立てて考えたり、抽象的な概念も正確に理解して問題を解いたり、
高い思考力で問題解決をするように
育ってきました。

そこで、☆さんは、上のお子さんにも、教え込んで、その日のうちにわからせてしまうことを避け、
自分で自由に試行錯誤するゆったりした時間を与えるようにしました。
また、日々の生活をゆっくりマイペースに過ごせるようにしたり、
友だちとの遊び時間を大切にしてあげるようにしました。

すると、時間はかかりましたが、上のお子さんにも、
抽象的な見方や考え方が芽生えてきました。

☆さんは、現在も教育関連のお仕事をなさっていて、
そこで、子どもたちの知能の発達や抽象概念を扱えるようになる子とならない子のちがいについて、
ていねいに観察しておられました。

☆さんいわく、
「抽象的な見方や考え方は、
大人に抽象的思考を教えられたから身につくものではなく、

子どもが自分で日常の体験を味わうことが大事で、
そうして自分の時間を過ごしている子は、脳が、ちゃんと抽象的な思考ができる状態に
自然に発達していくものですよ」
というお話でした。



次回は、『よみがえれ思考力』(ジェーン・ハーリー  大修館書店)
に書かれている抽象的な見方や考え方を育むための方法を紹介しますね。

『よみがえれ 思考力』 ジェーン・ハーリー  大修館書店
には抽象的な見方や考え方について、次のように書かれています。(要約して紹介します)

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十代の初期には、物の世界を習熟し終えて、抽象的な考えの操作へ進まなければならない。

ある人は、ピアジェのいう「形式操作の思考」である抽象的な思考の段階に
達しているのは大人のに3分の2だけだと考えている。

おそらく、抽象的な問題に対して創造的な答えを生み出すことが要求される
「課題発見」とよばれる究極の段階に到達する者は、きわめてわずかだろう。

われわれの社会が、そういった能力をもつ人々をもっと多く必要としていることは
誰も異存はないだろう。


<抽象的思考の手立て>


◆ 演繹的推論  

人間の脳は経験の中に規則や秩序をさがし求めるようにされている。
幼い子どもは情報のさまざまな断片に注目し、
大きな規則や広いカテゴリーへとそれらの情報をまとめていくことを
学習する。

「昆虫は全て足が6本みたいだ。だから昆虫であるということの規則は足が6本であることに
ちがいない」というのは、帰納的推論である。
この語、一般的原理を取り入れ、未知の状況へ応用する。


◆ 仮説検証

問題について可能性の高い答えを考えだし、うまく機能する答えが見つかるまで
系統的に検証していくことは、科学的な推論の基盤である。
一つの考えに固執して、事実を無理やりそれに合わせてしまう傾向がある時期は、
大人の援助が必要。
毎日出会うさまざまな問題に、心をひらいて対処していくことは、
この仮説検証という重要な成長へと向かう明確な水路である。


◆ 命題的論理

「メアリーはサリーより背が高く、サリーはマージーより背が高い。一番、背が高いのは誰でしょう」
という問題は、具体的操作を習得した子なら理解できる。

しかし、「雨が降っている。夏にちがいない。とすれば、夏であれば雨が降るのじゃ」といった
命題を理解することは困難である。


◆ 比率

比を扱う問題を心で操作できるようになるには、具体的な材料や公式を必要とする。


◆ 二次表象システム

代数と文法はどちらも別のシンボル体系を表すシンボル体系である。
幼い子たちには、規則を抽象的に応用することを期待すべきではない。

◆ 「抽象的な心的態度」

状況の外側に立ち、通常のかたちでは相伴うことのない考えを
結びつける能力。
隠喩、文の中ではあからさまに述べられていないような推論、ある種のユーモア、類推、
自分自身の現実的な評価などである。

感受性の高い大人であれば、質問を正しくすることで、この種の推論へと
子どもたちを引き上げることができる。 


◆ 抑制することの重要性


われわれは脳が活動的であることを好むが、過度に活性化された脳というのは、
一度にあまりにも多くの刺激に反応し、
考えから考えへと飛躍してしまうといった問題を生じやすい。

前頭葉の発達の研究では「内言」(自分自身との心的な対話)の重要性を強調している。
衝動的に行動を起こすのではなく、問題に対して心の中
で一通りの言葉を使って考えることができる生徒は学校において優秀であり、
高次の思考技術をより早く獲得することができる。

◆ 意志決定

身につけた新しい精神的見識が、個人の意志決定のための全く新しい構造を
若者たちにもたらす。その構造を使って実践するにつれて、
彼らは依存したいことと主張したいことを
ふるい分けるようになる。

            (『よみがえれ 思考力』 ジェーン・ハーリー  大修館書店 より)



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前回の記事で、知人の

「抽象的な見方や考え方は、
大人に抽象的思考を教えられたから身につくものではなく、

子どもが自分で日常の体験を味わうことが大事で、
そうして自分の時間を過ごしている子は、脳が、ちゃんと抽象的な思考ができる状態に
自然に発達していくものですよ」

という発言は、上の<抽象的思考の手立て>を読むと
納得できるものです。


「演繹的推論」ができるようになるには、
自分で身の回りの世界から規則や秩序に気づく体験の蓄積が必要です。

でも、大人が教えたり、図鑑を見て
最初から一般的原理を教えたのでは、脳が経験不足に陥ったり、
考えずに鵜呑みにする悪い癖が身に付きますよね。


また、「仮説検証」についても、
子どもに教え込んでいく学習をさせると、
「自分が大人に教わったものだから正しい」という
よく考えを練りもせずに、
ひとつの考えに固執して、事実の方を無理やりそれに合わせてしまう
癖がつきがちです。

私が、大人や現代の環境が、子どもから、
「内言」が発達することを奪っているように感じています。
自分自身との心的な対話は、子どもが自分でいろんな体験をして、
ゆったりしたその子の時間を与えられなかったら
生じてきませんよね。

子どもをお勉強マシーンのように捉えて、次々課題をこなさせて、
そうした過度に脳を活性化させるばかりの活動が続くと、自分で自分と対話する静かな時間が
失われるのです。
その静かな子ども自身の時間を、
学習漫画やパソコンやゲーム機でする知識をインプットする
知能が向上しているような錯覚を覚える活動で埋めては、
お得感(時間を無駄にせずにすんだという理由で)を感じるという親御さんがいます。

抽象的な思考力の発達という点からすると、そうした反射的な思考回路ばかり
強化するのはとても危険なことのように
思われます。

子どもはボーッとしてゆったり過ごす時間に、
自分で自分と対話をし、自分の経験を振り返ってそこから規則を見出したり、
自分の意志で選びたいものについて夢想したりするからです。

といっても、ただ放任して時間を十分に与えたからといって、
どの子も抽象的な見方や考え方ができるようになるかというと、難しい問題です。

-抽象的な見方や考え方ができるようになるには、
次のふたつの体験がベースになっています。

◆ 身体、五感でする体験。

◆ 物に触れて、操作しながら具体的に考えること。

このふたつの体験の豊かな蓄積の上に、
抽象的思考は成り立ちます。

「抽象的な思考力がないと「9歳の壁」を越えられない……
だから、思考力を鍛えるワークや頭脳パズルを早くから学習に加えよう」
と考える方もいます。

でも、それは抽象的な思考力のごく一部にしか通用しないかもしれません。

思考力を養う教材で抽象的な思考を養おうとするのでは、
実際、抽象的に考える段階になったときに、

身体感覚からのインプットの量も、

遊びや創作活動を通して触れる具体的に目で見て、手で扱って考えた体験の量も
少なすぎるからです。


物事を正しく認識し、文字や数など抽象的なシンボルを扱う思考力は、
身体を通して学び、感覚を統合させていく体験と、
おもちゃや工作の素材に、自由に働きかけて、
手を使って何かを作りだしたり、想像力を使って見立てたり、自分のアイデアを形にしたり、
うまくいかない時には工夫して解決したりする体験を通して養われます。 


↑の写真は、ユースホステルでの工作作品です。
機械が大好きな2歳の★くんが、クーラーの室外機のファンが回る様子に
強い興味を示していたので、
お母さんが★くんといっしょに作ったものです。

★くんは、紙コップで作ったファンをくるくる回したり、
スイッチをつけたり消したりする真似をして、大喜びでした。

2歳くらいの子にとって、「ある物が、何かの内部にある」という関係も、
実際、手で触れて出し入れしてみないと
難しいものです。
このようにティッシュ箱の中に何かが入っている状態というのも、
体験して初めて、「わかる」ものだし、
こうして手で扱えるものになってから、
「こうしたらどうなるのかな?」「こうやったらこうなるのか」
「あの機械は、こんな風な力で動いているのか」「くるくる回るのはこうするから回るのか」
と具体的な体験を通して考えることができるのです。


抽象的な思考をする力を育むには、

「身体と五感を通じてする体験の蓄積」

「遊びや創作活動を通じてする具体的な物の操作」

「内言を育むこと」

「親子の対話」

「読書」

「身近な大人が抽象的な思考を使う姿を見せること」

の6つが、とても大切なように感じています。

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虹色教室のグループレッスンでは、それぞれの年齢の子たちが好む遊びの機会を提供して、
それがより洗練されたものに展開する手助けをしています。

さまざまな年齢のグループレッスンに付き合っていると、
非常にさまざまな内容の濃い遊びや活動を展開する幼児たちに比べて、

小学生のグループは年齢が上がるにつれて、
地味であまり活発とはいえない遊び方に変化していきます。

<教室で子どもたちがしている遊び>

◆機能
 1歳くらいから、目と手を協応させる遊び、手指の感覚を育てる遊び、身体を使ってする遊び
がはじまります。

★象徴
 2歳くらいから、つもりやみたてがはじまり、
  3歳くらいから、ごっこ遊びがはじまります。
  模倣や社会的役割の理解と獲得が進みます。

☆構造
 2歳半くらいから。
 空間認知、創造性、仲間との協調性が育む構造遊び。

○数の世界
 2歳半くらいから。数の敏感期とともに遊びが展開していきます。
 

□ルール
 3歳半くらいから ボードゲーム カードゲーム 

●知恵
 4歳くらいから 頭脳パズルなど ニキーチンの積み木など

■抽象的思考

対話の中で、抽象的な考え方を深めていく



でも、表面的には、同じトランプゲームを繰り返したがったり、
だらだらおしゃべりしていたがったりして非生産的に見える時も、
それに適度に関わっていると、子どもの内面で具象から抽象へ、
興味の変化が起こっていて、大人の手を借りてそれをより深めたがっているのが
わかります。

現代の小学生は、きょうだいが少ないので、自分の家にも近所にも、
少し年上のお姉ちゃんお兄ちゃんという存在と接することができない子が多いです。

そのため、抽象的な思考力が発達する時期には、
同年代の友達同士のおしゃべりや、ひとりでぐるぐるろ同じところを回っていた考えを、
身近な大人にそっと軌道修正してもらう必要があるように思います。

間違いを正してもらうのではなくて、
脱線しそうになる考えを、ひとまわり大きな枠組みから捉えたり、
他の視点から眺めたりできるような
質問をしてもらったり、相槌を打ってもらうことがいるんだな、と感じているのです。

先日も、小学校高学年の女の子たちのグループで、

「私はいつも運が悪いわ。先生(私のこと)は、今、運が悪いんだったら、
後でいいことがたくさん起こるんじゃない?なんて言ってたけど、
前に運が悪かったときから思うと、今は後だと思うけど、やっぱり今も運が悪いわ」とぼやいている子がいました。

「運が悪いって、具体的にいうと、どんなことがあったの?」とたずねると、
「具体的にいうって?」と聞き返します。

「ほら、よく石につまずくとか、くじびきで、はずればっかりだとか、実際に運が悪いと思う理由になった
ひとつひとつの出来事のことよ」

「なら、ウノをするときは、運が悪い。配られたカードが悪いのばかりだから……でも、ボードゲームとかだと、運が良いときもある。トランプのときも、あんまり運が悪くない。」

「Aちゃんは、ウノだと運が悪くて、他のゲームだと運が悪くないのね。
それなら、私はいつも運が悪いわって言葉は、私はウノをするときいつも運が悪いわ、っていう
ある部分に限定した言い方に変えた方がいいんじゃない?」

「そうだけど……」と、ちょっと不服そうに口ごもりながらも、考え込んでいました。グループのお友だちも
この問題についていろいろ考えていました。

<AはBである> (私はいつも運が悪い)

なんていう子どものつぶやきも、それをテーマに対話をすることによって、抽象的に考えていく方法を
学ぶ機会になります。

思春期に近くなるにつれ、子どもたちは、
活発に楽しげに遊びを繰り広げるのではなくて、
こうした日常で感じた心のささくれのようなものを相手に、
「ああでもない、こうでもない、でも……」とぐずぐずと、悩んだり愚痴ったりするように
なります。
でも、よく聞いていると、それは抽象的な思考を試して
練習している場合が多いです。
脳が、そうした脳内の言葉だけの操作を求めるように
なるんですね。

でも幼い頃から、「はやくはやく」とせかされて、
ひとつの正解を求めて練習を積むような訓練をたくさんしている子は、
こうした自然な抽象的な思考への移行が見られないときがあります。

子どもにゆっくりと考えを練る時間を与えてあげたいですね。