小2のAちゃん。今、深海魚に夢中なのだそうです。
オリジナルの深海マップや深海魚図鑑を作ってきてくれました。
「これは、海の深さが200mから400mのところに住んでいるってことで……」と、
数字が何をあらわしているかについてもていねいに説明してくれました。
小2のAちゃん。今、深海魚に夢中なのだそうです。
オリジナルの深海マップや深海魚図鑑を作ってきてくれました。
「これは、海の深さが200mから400mのところに住んでいるってことで……」と、
数字が何をあらわしているかについてもていねいに説明してくれました。
新1年生のAくん、Bくん、Cくんのレッスンで。
3人とも、自分のやりたいことを自分流に何度も何度もやりたい
マイペースくんたちです。教室でも家でも好きなことをとことんする毎日。
小学生になってまだ一月足らずの3人ですが、
物を作る技術的な力、イメージし、計画し、取り組む力。考える力や表現力、
算数の問題を考える力などが、劇的に伸びてきたのを感じました。
3人がそれぞれ身につけてきた力のひとつひとつは、
ごくごくシンプルで基本的ですが、
好きでたまらない気持ちで何度も何度も取り組んできたことで、
子どもたちが自在に使える確かな力となりつつあるようです。
数年前から船を作り続けているAくん。初めは、「作って」が多かったのですが、
「紙を折って、曲線に切り、セロテープで貼ってから広げる」という簡単な
船の作り方をマスターしてから、自分の頭で「こうな風にしたい」と抱いたイメージを
立体にしていく力を身につけてきました。
「画用紙を丸めると棒ができる」という技術は、Aくんの十八番。
たいがいの難所はこれで乗り切ります。帆をつけると、かっこいい船ができます。
「ダンボールに絵を描いて切り抜く」という平面の作品を同じものばかり1年以上、
作り続けていたBくん。最近になって、さまざまな立体作品を作るようになってきました。
動物図鑑の内容をほとんど記憶しているほど動物好きなので、今回は、
教室にあるフィギアの『ハクトウワシ』を作りたいと言っていました。
でも、どうやったら鳥の身体の形が作れるのか悩んでいました。
そこで、いつも船を作っているAくんの船の作り方を見るようにうながしました。
折って二枚合わせに曲線に切ってテープで貼るだけ。
これならできそうと感じたBくんは、船より丸い形で曲線を描いて
作っていきました。羽根をつける位置を工夫して、
羽根を広げたり閉じたりできるようにしていました。
顔をつけると、立派なハクトウワシです。
Cくんが映画や劇を演出するのが大好きな子です。
今回も大掛かりな人形劇用の劇場作りをしてからカモを作っていました。
下の写真はCくん作の清掃車。
今回は1学年と2学年の範囲(3年範囲も少し)の時計の問題を解きました。
何時間後、何時間前の問題や、
「1時間に3枚ずつ絵を描く時、午前9時から午後1時までに
何枚絵を描くことになりますか」といった問題もよくできていました。
3人ともとても意欲的に取り組んでいました。
私が子どもたちの学習を見ていてしみじみ感じるのは、
それぞれの性格タイプによって「やる気のもと」となるものは異なるし、
「勉強嫌いの原因となるもの」もずいぶん違うということです。
十把ひとからげに「子どもは競争を好むもの」とか、
「子どもは褒められればがんばる」といった捉え方をしている場合には、
性格タイプによる勉強との付き合い方の違いを知ると、
少し考え方の幅が広がるかもしれません。
それでは、算数の学習について、それぞれの性格タイプの「やる気のもと」と、
「勉強嫌いにさせないコツ」について私の考えを書かせていただきますね。
感覚タイプの子は、コツコツと几帳面に作業をこなしはじめると、
そうした作業そのものにモチベーションを感じることが多いです。
幼い頃、パズルをしたり、モンテッソーリの教具のようなもので遊びだすと
ひとりで何度も繰り返す時の達成感が、そのまま学習の動機となりやすいです。
感覚タイプの子は同じペースで持続していくことは好きだけれど、
直観的なひらめきを求められる頭脳パズルのような問題は、
慣れないと嫌がることもあります。
感覚タイプの子を勉強好きにしようと思えば、毎日自然に繰り返したくなるような
スローステップの良質の教材を与え、手で触れる教具で五感から学ばせ、
このタイプの子を不安にさせる無理な負荷をかけないことだと思います。
黙々と同じことを繰り返す期間が長いので、進歩していないように感じるかも
しれませんが、そうした易しい作業を通して、単にそれができるようになるだけでなく、
多い少ないや増減の感覚を自分の内面に発達させていきます。
すると、「この子、天才?」と驚くような数学的なセンスを発揮するようになる子が
多いです。
感覚タイプはお金の計算をするのも大好きなので、
おこずかいを与えることも算数好きにするポイントです。
思考タイプの子は、
思考を必要とする「考える」問題を与えことが強い学習意欲につながります。
思考タイプは圧倒的に男の子が多いようです。
(ユング派の心理学者の秋山さと子さんが、「女性の思考タイプはほとんどいない」と
書いているのを読んだことがあります)
すでにできている漢字を何回も書かされたり、作業的な学習が続くと
勉強を嫌がることもあります。
放っておいても高学年くらいからは成績が伸びてくるはずです。
直観タイプは、好奇心を刺激される算数クイズのような問題や、
ボードゲームやカードゲームで頭脳を使うようにしていると、勉強好きになっていきます。
当てずっぽうで解いているように見えるときもあるので、調子よく学習しているときも、
答えを出すまでの道筋を言葉にするのを手伝っていると、思考が発達してきます。
このタイプに易しい問題ばかり解かせると、考えずに勘で言い当てることが勉強だと
思い込むので、そこそこ骨のある問題を絵を描いて解かせるなどの工夫が必要です。
また、漢字練習や計算練習などの地味な作業を極端に嫌い、
かなり思考力のある子に限って、作業の量が多すぎると、
深刻な勉強嫌いに陥るかもしれないので注意が必要です。
感情タイプは、人から褒められることや認められること、みんなの注目を集めること、
友だちといっしょにわいわい活動することが学習のモチベーションとなります。
人と関わるのが好きで要領もいいので、言語能力や記憶力が高い子が多いです。
(言語能力や記憶力があまりよくない感情タイプの子は劣等感を抱きやすく、
非常に繊細で、言葉を介さない面では、大人並みに人を観察していて、
人が自分をどのように評価しているかなどに敏感なため、
特別に気をつけて育てる必要があると思います)
感情タイプの子は、
場の空気を読むのがうまくタイミングよく物事をこなすのが得意ですが、
ひとりで、「考える作業に集中する」ことを極端に嫌います。
感情タイプの子は、感覚が補助機能でもあるので、コツコツする作業もそれほど
苦手ではないので、記憶力がよい子の場合、「先に解き方と答えを覚えてしまって、
さっと答えを出して、即座に周囲からの注目や賞賛を浴びる」というスタイルで、
ある時期までは、たった1分間すら考える作業を持続できないまま優等生として
過ごしていることもよくあります。
でも、感情タイプの子は抽象的な思考を毛嫌いすることが多く、
いつも満点を取っているような子でも、ほんの少しの時間でも「考えを練る」ことが
耐えられない……熟考なんてとんでもない……という子もよくありますから、
小学校高学年以降の学習でつまずきがちなのです。
特に、親御さんも感情タイプの方だった場合、一度つまずくと、
なかなか持ち直せないときがあります。
というのも、感情タイプの親御さんは、子どもが幼児期や小学校中学年くらいまでの
期間に、効率的に「できるようになること」や「よい成績を取ること」だけに注目して、
自分で工夫したり、遠回りでも自分で考えたりすることを、時間の無駄だと捉えて
子育てしていることがよくあるのです。
生活の場面でもそうした傾向は強いです。
親御さんのそうした合理的に効率的に良い結果を出そうとする態度は伝染して、
もともと「学習内容への興味は薄いけれど、そこから得る結果には強い関心がある
感情タイプの子」に対して、
「華々しい結果を出せないなら、全く何もしない方がまし。でも、考えることは嫌」
「自分の勉強ができないのは、
先生の教え方が下手だから。塾や家庭教師を変えるといい成績が取れるはず。
でも自分で考えるのは嫌。自分が変わるのは嫌」という考え方をするように
仕向けてしまうことが多々あるのです。
順調に物事が進んでいるときにも、親が自分の性格タイプの長所と弱点を
把握しておくことが大事だと思っています。
人の心から影響を受けやすい感情タイプの子らは、
堅実でぶれない大人の考え方の下では、着実に苦手な面を克服していって、
人を惹きつける魅力ある性質に磨きをかけていきます。
感情タイプの子の多くは、「あんな風になりたい」というあこがれの人を見つけて、
努力します。良い出会い、良い人間関係が大事です。
でもせっかくあこがれるような人と出会っても、それまでに強い劣等感を抱くように
なっていて、嫉妬や憎しみしか感じられないようになっていては、
せっかくの感情タイプの子の長所が発揮できません。
感情タイプの子は、憧れの対象を見つけると、火事場の底力のようなしごいパワーを
みなぎらせてがんばりだすことがあるのです。このタイプの子はたいてい、
「思考ができない」のではなくて、「思考が嫌い」なのです。
食わず嫌いみたいなものなのです。
『ユングのタイプ論』に次のような一文があります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
感情タイプが思考できないと考えるのもまた、大きな間違いである。
彼らはとてもよく考えるし、深くて素晴らしい本物の思考や非凡な思考すすることも
非常に多い。
しかし彼らは気まぐれなのだ。たとえば、感情タイプにとって試験の間に適切な
種類の思考を引っぱりだすことは難しい。
『ユングのタイプ論』M.L.フォン・フランツ J.ヒルマン 創元社P 27より
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
親はこのタイプの子の自己肯定感を高めるために、
勉強の成績とか、特技とか、態度といったものと関係なく
子どもが存在するだけで、その子の存在を丸抱えにあるがままで愛して認めることが、
他のどのタイプより大切なのでしょう。
次には、劣等感のために学習困難に陥っている感情タイプの子への対応法を書きますね。
『はりがり』というカードゲームの終了後、
みんなで取ったカードの枚数を数えていた時の出来事です。
新1年生のAちゃんが、
「カードの枚数で言うと、5枚だったけど、
くだものの数で言うと、13個だったよ」と言いました。
こんな風に、目にしているものについて、いくつか別の面から物を捉える
習慣がある子がいます。
そういう子は、大きくなるにつれて算数が得意になっていく子が多いです。
幼い子たちはおしゃべりする時、
物を別の面から捉えなおしたり、言いなおしたりする
ととても喜びます。
「コップの中のお茶がからっぽになったね。全部なくなったね。
Aちゃんのお腹の中はおちゃでいっぱいになったね。」とか、
手で作った双眼鏡をのぞく真似をして、
「Aちゃんのところから見ると、うさぎさんは遠くにいるけど、
先生のところから見ると、こんなに近くに見えるよ。びっくりした!!」
「足が痛い痛いね。でも、手は……?」「手は痛くないね。目も痛くないね。
頭も痛くないね。足だけが痛いね」
駅に向かっている時、「お家からだいぶ遠くなったね。遠くなったね。
駅に近くなったね。近くなったね。どうして遠くなったのに、近くなったのかな?」
など。
そんな風にイメージと言葉の世界でたくさん遊ぶと
物の捉え方が多面的になってきますよ。
(「100ってどんな数?」)
わたし 「パッケージ化された体験?
そういえば、去年はいろいろな意味で……いい面も悪い面も、外にあるものとしても、
教室内の課題としても……それを意識しながら仕事をした1年だったわ。
事前に山にカブトムシやクワガタを放しておく『夏休みの虫とりイベント』みたいに
わざとらしいものから、フランチャイズ化している習い事にしろ、
消費者のニーズを盛り込む幼稚園にしろ、
情報網の中で先回りがあたり前となっている子育て環境にしろ、
いろいろな場が、それ自体で完結しているパッケージ化されたものになりつつあるわよね。
どれも悪いものじゃないし、商品としての質を約束しようとしているだけでも
あるんだけど、なら何が問題なのかといえば、参加している子が、
あれこれ得ることはできても、人や環境と直に会話していくことができない、
ということにつきるんでしょうね。
自分の反応で環境が変化するということがないし、
自分の考えが、結果を別の方向に持っていくこともないでしょ」
息子 「パッケージ化された体験は、未来がある程度固定されちゃうし、
他の体験の代わりにならないところがやっかいなんだろうな。」
わたし 「他の体験の代わりにならないって、どういう意味?」
息子 「子どもの時に、野球とか将棋に夢中になっても、そのまま
野球選手や棋士を目指す人は稀だよね。
たいてい、夢中になっていた時にした体験は、新たに興味を持った体験の中で
更新されていくよ。
パッケージ化されて他人から与えられた体験じゃなくて、
本当に自分が関わっていた体験の場合だけど。
次のもっと自分にぴったりくる体験をした時には、
前にやっていたことが別の形で活きてくるし、自分にとっての意味もわかってくる。
ぼくは、子どもの時に必要な体験って、
それが別の体験と代替え可能なものかどうかが、先々役立つかより
ずっと大事なことだと思うよ」
わたし 「そうよね。お母さんも子どもたちと接していると、いつもそれを感じるわ。
子どもってひとりひとり個性的だから、同じ体験をしていても、
その体験の何がその子に響くのか、何がその子に残っていくのかは千差万別なのよ。
たとえば工作していると、「これこれこういう風にしたいんだ」
「ここはこうでこうで」とやたら注釈が多いけれど、
不器用さのせいで仕上がりがいまいちって子がいるのよ。
それでも本人が楽しんでいるなら、工作をしながらおしゃべりしていた体験が、
理科や算数の図を見ながら分析していくのを楽しいって思う感性につながって
いくことがあるの。
一方で、作るものはこちらの模倣で作り方も大雑把なんだけど、
できたものを使って遊ぶのが大好きだった子が、それを劇遊びに発展させて、
最終的に、絵本や物語を作るのがその子の日々の楽しみになっている子もいるわ。
他の子が工作する間、ドールハウスにミニチュアを並べる遊びを繰り返していた子が、
最近になって、動画を撮影するのに興味を持ちだしたってこともある。
そんな姿を見ていると、
工作だったら、工作をいかに見栄えのいい作品を作らせていくか、
ピアノならどうやって短期間に上達させていくか、
スポーツなら競技でいい成績をあげるかっていう世界だけで、
どんどん追い立てていくのはどうかと思うのよ。
もちろん、そうした系統的な学びができるように整った環境が大事な場合もあるのは
よくわかるの。
ただ、何もかもが、そうなってしまうことが気になるのかな」
(立体迷路)
わたし 「何もかもが、そうなってしまうことが気になる……
なんて歯切れの悪い言い方になってしまうけど、
自分でも自分の思っていることを整理して捉えられていない状態なのよね。
話が脱線するけど……子どもの頃住んでいた団地の敷地にある土で、
お母さんたち当時の子どもはよく遊んでいたの。
棒を拾って、お姫様や絵描き歌のコックさんを描いたり、ケンケンパや
陣取りゲームの線を描いたり、水で周囲を囲った島を作って
蟻の世界を作ったりもした。掘ると粘土が出てくるのが面白くて、
半日かけて土を削ってみたり、
泥だんごには向かない土なのに、大量のどろだんごをこしらえて、
1階のベランダの下にある隙間に隠しておいて、何日もかけて磨いてた。
当時の子の目には、土は遊び道具のひとつとして映っていて、
さっき★が言っていた『単体で存在しているねじ』のように、
途方もないくらいいろいろな種類の可能性のイメージを重ねることができたのよ。
でも、今、砂場以外で、土があっても気づかない子も多いわ。そんなものに
自分の想像力や思考力を重ねていってもいいんだ、と思ったこともないはず。
わたしが子ども時代の情景を思い返すのは、昔はよかったとノスタルジーに
浸りたいわけでも、
昔の子はおもちゃもなしに上手に遊んでいたと自慢したいわけでもないのよね。
正論を振りかざしたいわけでも、自分のやっていることは正しいって
再認識したいわけでもない。
たぶん、今の幼い子や小学生たちと接していると窮屈そうに感じる自分がいて、
どうして自分がそう感じるのか正確な理由をつきとめたいんだと思う。
昔も今も、雨も降れば星も月も太陽も空にあるのに、不思議を感じて、
どうして?なぜ?と周囲や自分自身に問いかける子は少数派になりつつあるわ。
目に映るものに、自分の頭や心を使えるんだ、使っていいんだ、って
気づいていないの。
お母さんが教室で教えたいのは、やっている内容がごっこ遊びであれ、
物作りであれ、実験であれ、
算数の問題であれ、それに自分の頭や心を使えるし、使ってもいいんだよ、
ということにつきるんだと思う。
ただ、実際、教室という形を取って教え始めると、
他人から評価されるようなアウトプットやどんなすばらしい体験をしたのか、
新しく何を吸収したのかという点だけが注目されて、それぞれの子がどんなものに対して
自分の頭や心を使っていいと認識しているかを気にかける人はあまりいないんだけどね。」
数なり式なりを記号に置きかえたとたん、
まったく頭が働かなくなってしまう子がいます。
読書量が多く語彙が豊富で、
言葉から言葉への言いかえは軽々とやってのける子のなかにもそうした子はいます。
たいてい、自称「算数苦手」さん。
記号に置きかえる作業は、こんな風にたとえられます。
ピンクのマジックとオレンジのマジックと緑のマジックがあります。
「ピンクのマジックとオレンジのマジック」をいったん箱に入れて、
「Aとラベルを貼っておく」ことにするとしますよね。
A+緑のマジックというのは、
ピンクのマジック+オレンジのマジック+緑のマジック
ということでもありますよね。
こんな風に、あるものをいったん記号に置き換えておいたり、
また元の姿に戻したりすることは、記号だけで見ていると
何のことやらちんぷんかんぷんでも、こうして具体物で操作してみると
イメージしやすくなりますね。
先日も、知的なハンディーキャップを持っているため、
ようやく小2の学習を終えたばかりの中1の★ちゃんの学習を見ていた時、
こんなことがありました。
先に、箱とマジックを用意して、↑の写真の「A+みどり=ピンク+オレンジ+みどり」
になる遊びをしてから、
箱の中に3と5と書いた紙を入れてから、Aのラベルを貼り、
外の7と書いた紙を置いて、
A=3+5
B=7+A
Bはいくつでしょう?
という問いを出しました。
すると、マジックの遊びで要領を得ていた★ちゃんは正解しました。
そこで、
A=3+5
B=7+3×A
Bはいくつでしょう?
という問いを加え、足し算よりかけ算を先に計算するヒントを与えたところ、
こちらも正解しました。
★ちゃんがこうした記号の扱いをすぐにマスターできると思っていなかったので、
ちょっと驚いた出来事でした。
おそらく★ちゃんに
A=3+5
B=7+Aなんて見知らぬ記号が書いてある
という問題を先に見せていたら、「わからない」という気持ちで凝り固まって、
後からどんなに見本を見せて説明しても理解できなかったのではないでしょうか。
★ちゃんがすんなり解き方をマスターする姿を見て、
算数の苦手感は、記号に対する先入観や
記号を使ってできることに関するイメージの乏しさにも一因があるように感じました。
また、ボードゲームやカードゲームの世界では
さまざまな形で、記号や情報が交換されていくので、
こうしたゲームに興じる子たちが自然と算数が得意になっていくのも納得できました。
新年長の子たちのパソコン作り。お家のパソコンはアップルとのこと。
パソコンの画面に何を描くのかと思いきや、数字のパズルらしきものを描いていました。
「パソコン画面を立たせたい」というAちゃん。
ひもを利用して、折りたためて、開くと画面が立つようにしました。
マウスも上手に工夫しています。
こちらはBちゃんのパソコン。画面にはかるたのゲームの絵が。
いっしょにレッスンしていたCちゃんもパソコンを作ったのですが、
途中で粘土のねずみやたまごっちを作っていたので写真を撮りそびれました。
手を動かしながら子どもたちとおしゃべり。
「今日ね。うちのお兄ちゃんは大学の合宿に行ったんだよ」と言うと、
「合宿ってなあに?」とBちゃん。
「学校の近くに泊れるところがあって、そこでみんなとごはんを食べたり、
勉強をしたりして泊るのよ」と説明すると、
Bちゃんが、あ~それなら知ってる知ってるという訳知り顔で、
「あ~それっ、お泊り保育って言うのよね」と言いました。
それから、Aちゃん、Cちゃんに向かって、
「そういうのね、お、と、ま、り、ほ、い、く、って言うのよ」
とていねいに解説していました。
最初に
を読んでくださいね。
同じ場面で子どもに声をかける時、算数が得意になる子のお母さんと苦手になる子の
お母さんの言葉の選び方の違いを感じることがあります。
いちいち会話のひとつひとつをチェックしているわけではないけれど、
算数の得意になる子のお母さんが使いがちな言葉、
算数が苦手になる子のお母さんが使いがちな言葉というのがあるように思うのです。
たとえば、車で動物園に向かっているとして、
子どもが、「まだぁ?もう着く?」とたずねた時。
算数が得意になる子のお母さんは、
「半分くらいきたわよ」といった「全体量に対して今どれくらいか」という
答えを返す姿を見かけます。
算数が苦手になる子のお母さんは、
「ちょっと待ちなさい。ぐずぐず言わないで」とか、「何かおやつを食べる?」とか、
「まだよ。もうちょっと」といった、
その時の気分を持たせることにフォーカスした言葉がほとんどのようです。
子どものことで相談を受ける際も、算数が得意になる子のお母さんの場合、
子どもがむちゃくちゃに荒れている時期も、
「あの時期は落ち着いていたけれど、この数ヶ月、調子が悪い。
今後は……」といった一年とか幼稚園年長から小学校低学年の終わりまでとか、
小学校6年間といった全体を意識しつつ、今はどんな感じか……
といった話し方をすることが多い気がします。
「全体に対してどれくらいか」を把握する感覚は、分数を扱う時も
割合の問題を考える時も大事です。
日頃の会話のなかに、そうした全体との比率を体感させる会話があることは、
算数が得意になるための秘伝のひとつなのかもしれませんね。
問題を見たら解き方がピンとくる算数が得意な子と
問題を見ただけで頭がフリーズしてしまう算数が苦手な子っていますよね。
計算だけなら、努力の分だけむくわれる面もあるけれど、
文章題の応用問題となると、そうはいかないようです。
教室でも、頭脳パズルやボードゲームが好きな子が、
「あーそういうことか!」「こうでしょ?」とパッと見ただけでわかる算数の問題に、
まじめでがんばり屋の子が「わからない、わからない」と頭を抱え込むことがあります。
困ったことに、知力はしっかりした子なのにも関わらず、
手を変え品を変えヒントを与えても、
どんなにかみくだいて説明しても、理解に至らないのもよくあることです。
そうした差は頭の良し悪しとか算数のセンスがあるかないかによるものと思われがち。
本人も親御さんも固くそう信じ込んでいる場合があります。
でも、本当にそうなのかなぁ?ともやもやしています。
良し悪しあるなしが一番の原因ではなく
好き嫌い面白いつまらないという感じ方の影響が大きいのではないか……と。
(でも、ちょっと注意が必要なのは、計算訓練等で、低学年の間に
「みんなよりできるから好き」「いい点が取れるから面白い」という気持ちを
作ってしまうことです。これは、他の子よりできなくなったとたん、やる気を失ったり、
いい点が取れなくなったとたん算数きらいになったりしますから)
そこで、基礎的な発見のカテゴリーに続き、
『算数が得意?苦手?の分かれ目』というカテゴリーを作って、
教室でよく見かける算数が得意な子の「あるある」や
算数苦手っ子の「あるある」を、紹介していこうと思います。
こうした「あるある」話で、子どもをコッチの子アッチの子と区別するのではなく、
算数の苦手感を克服するヒントにしていただけたらと考えています。
前置きはこれくらいにして、
<「大きな数」と出会ったった時の反応>の話題に入りますね。
--------------------
6日から11日までは何日あるでしょう?
という問題。
カレンダーに赤いチップを置いてみます。
--------------------
数えてみると、答えは、「6」。
でもね、「6日から11日までだよね。11ー6=5なのに、
どうして6なんだろう?」と言うと、
たいていの子は、「1多くなるから」と、自分で規則に気づきます。
そこまでは、算数が得意な子も苦手な子も同じ。
でも、算数が得意な子は、
「だったら、5から12までの場合、12ひく5したら7になるから、それに1たして
8だよね。だったら、3から20までの場合……。」と
いった話題を続けるのが好きです。
別に難しいことを言っているわけではなく、「わかりきったことの繰り返しだけど……」
ということを確かめてみるのが好きです。
教室で実験をすると、
水に塩を入れる実験をしたら、「じゃあ、砂糖入れたらどうなるの?」
「じゃあ、もっといっぱい塩を入れたら?」「じゃあ……?」と、
次々やりたがる子たちにも共通する感性です。
その点、算数の苦手な子は、
そうした無駄ともみえる好奇心をあまり抱かないことが多いです。
こうして、
「6日から11日までは、大きい数から小さい数を引いたのより1多くなるよね」
ということに気づいた時、
「それなら、145から266までの数が順番に書いてある旗があります。
旗は何本でしょう」という問題を出すと、算数が得意な子は数字が大きくなっても
さっき気づいたルールで解けばいいんだな」と、問題を面白がるけれど、
算数が苦手な子は、こんな風に「大きな数」が出てきた時点で、
完全に心が拒絶してしまうようです。考えようともせずに、
「できない、わからない、いやだ、できるはずがない」と騒ぐことしきり。
そういえば、後から算数が得意になってくる子のなかに、
幼児期にやたら大きい数を言ってみたがる子たちがいるのが思い当たりました。
わかってなくても、「えっ100万?」とか「1兆?」「無限?」など。
大きな数のままごと用のお札を作ってみたり、
好きな動物について体重や走る速さのような
数に関わることを図鑑で見たりして、日頃から大きな数と友だちになっておくことが、
算数が得意になるための近道かもしれません。