虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

お母さんへのダメ出し

2019-08-01 13:56:20 | 日々思うこと 雑感

■ちゃんと◎ちゃんの説明はこうでした。

最初に○ちゃんと◎ちゃんがベッドの上段に上がって勝手に自分の場所と決めていたようなのです。

そこに■ちゃんが現れて、◎ちゃんのベッドに登って行ってベッドを取り合ってじゃんけんをしたそうです。

すると◎ちゃんが勝ちました。

負けた■ちゃんに、気のいい○ちゃんが、「私のところにおいでよ~いっしょに寝ようよ~」と誘いかけたそうです。

そこで■ちゃんと○ちゃんがいっしょに寝る算段で、二段ベッドの上でふざけていたところ、

親御さんたちから「危ないから、上でふたりで寝てはダメ!」と注意を受けたようです。

■ちゃんと○ちゃんがじゃんけんをしたところ、先にベッドを陣取っていた○ちゃんが負けて、

泣いて抗議するものの、「じゃんけんで負けたのだから仕方ないでしょ」「最初に勝手に場所を取ってたからって自分のものにはならないでしょ」と親御さんたちからも子どもたちからも理路整然と説明され、

本人としては納得できずにしつこく抗議して愚図っていたので、

しまいに○ちゃんのお母さんのカミナリが落ちたようなのです。

 

○ちゃんのお母さんというのは私の数倍は寛容で気の長い方です。

その○ちゃんのお母さんがきつい言葉で叱ったとあれば、おそらく私がそこに来るまでに

○ちゃんは、カミナリでも落とされないと収拾がつかないほどのごね方をしていたのでしょう。

 

「家に帰るわよ」という脅し文句は、

こうした楽しいイベント事が何より好きな○ちゃんにかなりこたえたらしく、

私が着いた時には、しくしくと静かに泣き続けているだけでした。

 

出来事を説明する■ちゃんと◎ちゃんの興奮した口調のなかには、

自分だけが上の段を取っていることへの罪悪感や、

じゃんけんの結果を素直に受け入れることができない○ちゃんを罰する気持ちや、

自分たちは悪くないもんと主張したい気持ちや、上の段が取れて有頂天になって自慢したいような気持ちなどが

入り混じっているようでした。

そのテンション高くまくしたてる様子は、じゃんけんに負けて泣いている○ちゃんからすると、

「イケズ」として映っていたかもしれません。

 

そこで私は、「○ちゃん、こっちにおいで」と呼んで

「上の段で○ちゃんも寝たかったんだね。それに、■ちゃんに親切にしようと思って

自分のところに呼んであげたのに、こんなことになって悲しいのよね」とだけ言いました。

○ちゃんは素直にコックリすると、私にもたれかかって涙を拭いながら

黙っていました。

私はあれこれ言うのはやめて、ただ泣かせておいてあげました。

○ちゃんは怒っているわけではなく、自分が遭遇した現状を受け入れるために

もう少し泣く必要があるだけでしたから。

 

私はベッドの上から何か言いたげに顔を出しているふたりに向かって、

いたずらっぽく、

「じゃんけんで勝った人は、カーテンを閉めて静かにしていてちょうだい。

自慢たらしく騒がれたら、負けて悲しい気持ちの人が、悲しいけどしかたがないか、我慢しようか……って

気持ちになれないでしょ。さぁさぁ、上の段の人はベッドの横から足を出したり、

はしごのところから顔を出したりしないで、ひっこんでてちょうだい。

ベッドから足を出したりして寝ぞうが悪くてもいいのは、下の人たちだけよ。

上の段はそんなことしたら危ないんだから。きっちりカーテン閉めてお行儀よく寝てちょうだい。

下で寝る人は、落ちてもけがしないでしょうから、暑い時にはベッドから足を半分くらい出してたり、

ごろごろ寝返りうっても構わないわよ。」

上の段の■ちゃんと◎ちゃんが苦笑いをしながらも黙ってひっこむと、

○ちゃんは次第に機嫌をなおしていきました。

しまいに1段目のベッドに寝てみて、上の人たちに自慢するように

わざと足をベッドから落ちそうなほど外に出して、「こっちで寝る方がいいわ」と言って、

ごろごろ寝返りを打つと、にっこり笑顔を見せました。

その様子を、最初から下の段に寝ることにしていた☆ちゃんは

黙って見ていました。

☆ちゃんは聞き分けがいいおりこうさんタイプの子です。

子どもたちが2段ベッドの取り合いを始めた時点で、☆ちゃんのお母さんが、

「☆は弟がいるんだし、下で寝なさい」と言った一言で

すぐにそれに従っていたのです。

争いごとが嫌いな☆ちゃんは、揉め事が激しくなるのを見て、

1段目を取っていてよかったと思っていたようです。

でも夜の大人だけの勉強会では、☆ちゃんのお母さんは

☆ちゃんが何を選ぶのかをお母さんが決めてしまったことに対して

反省していました。

最終的には揉め事がきらいな☆ちゃんは自分で下を選んだ可能性が高いけれど

最初から☆ちゃんを揉め事の外に出してしまったことを反省していました。

いい子タイプの☆ちゃんは、聞き分けが良すぎる半面、

「自分からこんなことをしたい」「勝ちたい」「できるようになりたい」という意欲が弱いときが

あります。

見たところ意欲的でしっかりした子なのに、

自分が遭遇している現実に対して、どこか他人事のように振舞うときが

多々あるのです。

がまん強いけれど、どこかでしらけた態度をとることがあるのです。

ユースホステルでの☆ちゃんはおそらく本来の性質である

芯が強くて情緒が豊かで他の子らを惹きつける魅力的な一面をたくさん発揮していました。

大人の顔色をうかがって緊張しているときではなく、

子ども同士で自由に自発的に振舞っていた時です。

☆ちゃんは、さまざまな場面で本人の判断に任せても大丈夫な

利発で責任感のある子なのです。

こうして他の親御さんや子どもといっしょに過ごすなかで、わが子に対する認識を改めながら、

☆ちゃんとお母さんとの関係も、少しずつ微調節していくと、さらにいいものになっていくように思いました。

 


親御さんへのダメ出し 2

2019-07-31 13:26:40 | 日々思うこと 雑感

ユースホステルに宿泊する日の夜は

親御さんたちと

真夜中過ぎまで親のための勉強会をしています。

毎回、和気あいあいとしてそれは楽しい時間になっています。

 

この日は、いろんな面できちんとした性格のために、

独身時代や職場ではそれで物事がうまく回っていたけれど、

子育てをする際には

決まりごとをゆるめたり曖昧さやルーズさを受け入れたりしていくことにとても苦労したという

Aさんも参加していました。

Aさんは◎ちゃんよりもう少し大きな子を育てています。

 

Aさんは、◎ちゃんのお母さんの気持ちがよくわかる~と共感した上で、

「まず、小さなひとつだけ、まあいいか……とゆるめる部分を作ってみると、

他の部分でも、これもまぁいいか……あれもまぁいいか……と少しずつ許容できる範囲が広がっていきますよ」と

具体的なアドバイスをしていました。

 

その晩は◎ちゃんのお母さんが子育ての悩みや不安や小さな喜びや面白さやイライラなどの本音を

自由に言葉にしていくのを、

他のお母さん方も私も、共感したり、なだめたり、応援したりしながら耳を傾けていました。

結局、「本音に耳を傾けた」というそれだけのことをしただけなのですが、

そうした時間を過ごすことで、◎ちゃんのお母さんはもちろんそこにいた誰もが、

親としてどのように子どもと接していこうかと

普段は見ようとしなかった自分の心の内面の風通しをよくして、

子育ての足元を固めるための時間を共有できたように思います。

 

私のようにもう大人に半分足をつっこんだような子どもたちを育てていても、

こうした子育て最前線に立っている親御さんたちの迷いや決意や本音や幸福感に触れていると

自分の築いてきた親子関係を新鮮な目で見直して、

ちょっと反省したり、自分に優しくなったりするのです。

親同士、学びあえるいい関係を作ることは大事だな~と実感しました。

 

「ダメ出し」と言えば、別の2年生の★ちゃんとの親御さんとの間でこんなこともありました。

私は言葉上では「ダメ出し」していないのですが、

親御さんが子どもを厳しく叱った後で、

私がそれと反対の言動をしたので、結果的に親御さんの言動にダメ出しをしたような雰囲気になったのです。

 

でも、実際、私は、反対の態度をとりつつも、

心の中では親御さんの対応はその時その場にちょうどいいものだと思っていました。

親御さんが間違っていたから私が子どもに親御さんと異なる対応をしたのではなくて、

親御さんが先にきちんと子どもに厳しい態度をしめしていたので、

私はその場に足りなかった部分だけを補う形でよかったのです。

 

ユースホステルでは、2段ベッドの上段で寝るのがとても人気です。

毎回、子どもたちの間で激しい争奪戦になっています。

2段ベッドがふたつと畳でふとんで寝るスペースがある部屋で

小学2年生の女の子4人で揉め事が持ち上がりました。

 

隣の部屋にいた私は、「あっちの部屋でベッドを取り合って○ちゃんが泣いているよ」という話を聞きつけた

私は様子を見にいくことにしました。

すると、○ちゃんはこれまで相当ごねていた様子で、私が着いたときには、

しまいにお母さんから「そんなことなら家に帰るわよ」と叱られた○ちゃんが

部屋の隅で三角座りをして膝に顔をうずめて

しくしく泣いていました。

 

私が部屋に入ってくると、左右の2段ベッドの上段から■ちゃんと◎ちゃんがひょっこり顔を出して、

「先生!聞いてください!私が説明します」「先生、説明させてください!」と

体育大会なんかで、「宣誓!わたくしは~」なんて言うときのような口調で

これまでの経緯をまくしたてました。


親御さんへのダメ出し 1

2019-07-30 10:11:07 | 日々思うこと 雑感

ユースホステルでのレッスンで

何度か親御さんに「ダメ出し」をすることがありました。

といっても、親御さんの言動が間違っているわけでも、教育方針がまずいわけでも

ないのです。

何かにつけてちょっとゆるめの私からすると、こちらが見習ったらいいような内容ばかりでした。

それならどうしていちいち「ダメ出し」などをしたのかというと、

親御さんのしていることも言っていることもそれ単体としたら少しも悪いところがないけれど、

今、その時の子どもと親御さんの関係のなかでは、

ちょっと引いた方がいい、ちょっと押した方がいい、ちょっとゆるい方がいい、ちょっと厳しい方がいい……なんて

場面があったからなのです。

子どもが自ら成長していくための道筋を作ることができるよう余白を作る意味で

親御さんに「ダメ出し」をして子どもへの対応を調整していただいたのです。

 

たとえば、次のようなことがありました。

少し前のユースホステルでのレッスンに、親御さんの話によると

「意欲がない」「やる気がない」

「じっくり考える力が弱い」「ぐずぐずしつこくごねる態度に手を焼いている」

と困った態度がオンパレードという小学2年生の◎ちゃんという女の子とお母さんが参加してくれていました。

工作やお勉強や友だちとの自由遊びやベッドメーキングや配膳のお手伝いなどをしながら一日いっしょに過ごしてみたところ、

確かにこの◎ちゃんは、親御さんが子育てに悩むのもごもっとも……と思われるほど

困ったちゃんぶりを発揮する場面が時々ありました。

そうした時に、親御さんは一方的に叱りつけるようなことはせず、イライラしつつも辛抱強く、諭していました。

◎ちゃんのお母さんは、子どものことを一生懸命考える愛情深くて賢い方なのです。

 

この日、私が、親御さんに「ダメ出し」したのは、こうした◎ちゃんが、

しつこく親御さんが嫌がることをしたり、注意を受けても何度も止められていることをしたりしていたシーンではありません。

一見、何気ないおだやかなひと時の

親御さんの応対やちょっとした表情やあえて褒め言葉を控える態度が

気になって、失礼ながら何度か「ダメ出し」させていただいたのです。

というのは、それが◎ちゃんを、イライラした投げやりな態度と

過剰にいい子になろうとする態度の間を揺れ動く不安定な心の状態に

させているように見えたからです。

 

といっても親御さんが無意識にしていた◎ちゃんへの働きかけは

一般常識に照らせば、ごく普通の問題のないものでした。

 

ただ、◎ちゃんという

「神経過敏でまじめでちょっと不器用なところがあって

すぐに自分への自信を失ってしまうように見える子」

とペアになったときに、

「少し関係を調節した方がいいかも?」と思うものだったのです。

 

たとえば、◎ちゃんはルームキーを預かる役を引きうけたとき、それに誇りを感じている様子で、

責任を持って何をするときも片手に握っていました。

ただ2段ベッドに登るときも、ルームキーをぶらぶらさせて登っていたので、

目に入りそうで危険だったので、私が「◎ちゃん、危ないからカギはテーブルにでも置いておいて」と告げました。

すると、◎ちゃんはこれは大事な預かり物だからテーブルの上なんかに放っておいて無くすわけにはいかない……というようなことを

言ってためらっていました。

「でも、それは危ない」と私がもう一度言うと、急にひらめいた様子で、自分のベッドの枕の下にしまいにいきました。

私はしっかりしているなと感心して見ていたのですが、◎ちゃんの親御さんは

私から注意を受けたのにしばらくためらって即座に動こうとしなかった態度について不満があるようで

「いつも、ああなんですよ」

とこぼしていました。

その後、◎ちゃんはルームキーを枕の下にしまったことを忘れて出かけてしまい

部屋にカギがかけられなる事件が起こりました。

途中で、◎ちゃんが枕の下にしまっていたことをそこにいたメンバーが思い出し、

無事部屋のカギを締めることができました。

◎ちゃんのお母さんは、「いつもいつもあの子はこうで……」と、◎ちゃんを見つけて叱りつけなくては……!と

怒り心頭でした。

この出来事で私が気になったのは、◎ちゃんがルームキーを預かることに

責任感を感じていて、これをきちんとやり遂げたいと素直に心から感じていたことが

わかっていたからです。他の2年生たちは、そんな面倒な役はしたがりません。

◎ちゃんは、他の人やお母さんの役に立ちたいという気持ちを持ったまじめが取り柄な子なのです。

でも同時におっちょこちょいでもあるのです。

◎ちゃんが前向きな気持ちで取り組んでいることに対して、ちょっと自分でどうするか迷ったり、

そそっかしさから失敗してしまったりする度に、

「あ~あなたはこんなにダメな子だ」「また~こんなだわ」とため息ばかりつかれたのでは、

他の子がやりたがらない仕事を自分から進んで引きうけようとは思わなくなりますよね。

こういう場面では、自己肯定感が向上するように

次から気をつける点のアドバイスはしても成功を感じて終わらせてあげたいものです。

 

こんなシーンもありました。

ユースホステルの夕食は子どもも大人と同じ量が出るため

「子どもにしては多すぎますかね?すいません。」とコックさんに恐縮されるほど

おかずの量が多いのです。よく食べる外国の方も満足するような分量ですから。

そのため、子どもたちはたいてい3分の1ほど残すのです。

その日も、子どもたちがちょこちょこ私の方にやってきては、

「先生、すいません。もうおなかいっぽいです。残してもいいですか?」とすまなそうにたずねてきていて、

「もともと量が多いからね。食べられる分食べたらいいのよ」と応えていました。

途中で子どもたちのテーブルに行ってみると、

2年生の女の子たちはどの子も、せいいっぱい食べたのでしょうけど、その日のメニューのフライものも野菜も

半分くらい残していました。

そのなかで◎ちゃんだけはかなりがんばっておかずは全て食べきり、野菜が少し残っているだけでした。

と、それを見た◎ちゃんのお母さんが、

きちんと食べていないことに不満そうにちょっとしたコメントをしました。

ものすごくちょっとしたひとことではあったのですが、

でも他の子たちと見比べてもよく食べている◎ちゃんに注意するのは、

まるで98点を取ってきた子に100点でないことを愚痴るような

気持ちの萎える言葉ではありました。

◎ちゃんのお母さんは冷たい方でも厳しすぎる方でもありません。

でもご自分がかなりいい子として生きてきて、完璧ないい人であるよう努めるところがあるので、

無意識のうちに子どもに期待する理想が常に高めに設定されているようでした。

◎ちゃんはそんな風に一日の大半は非常にまじめにいい子になろうと努力していて、

それでもいつもお母さんからはダメ出しをもらうことが多いし、自分自身も完璧主義で

自分の行動に満足できないので、

しまいに自信が揺らいでイライラが募って、

わがままな態度やしつこく止められることをするといった行動につながっているようでした。

いざ、◎ちゃんがそうした悪い態度を表現しているときには、

◎ちゃんのお母さんは辛抱強く優しい態度で接していました。

◎ちゃんのお母さんも◎ちゃんと似たところがあって

自分に無理をさせてもいい人であろういい親であろうとギリギリまでがんばるところがあって、

そのせいでかえって、どうでもいい場面や◎ちゃんががんばっている時に、

チクチクと嫌みを言ったり、ため息をついて

不満を表現したりすることになっていたのです。

 

次回に続きます。


おもちゃで遊んで、飽きて、おしまい……とならないように

2019-06-19 20:31:09 | 日々思うこと 雑感
虹色教室にはさまざまな種類のたくさんのおもちゃがあります。
そのひとつひとつのおもちゃについて、
「遊んだらそれでおしまい」「ちょっと遊んだら飽きちゃった」という結果で終わらないように
いろいろな工夫を凝らしています。
今回は、教室でどんな工夫を凝らしているのか
書いていこうと思います。
工夫 その1
 
おもちゃで遊んで興味を持ったら、易しいシンプルな作り方で
そのおもちゃを工作で作り、
その原理がわかるようにしています。

「どんな形をしているのか。どんな仕組みで動いているのか。
そっくりに作るにはどうすればいいのか。どんな素材を使えばいいか。うまくいかない時にはどうやって解決するのか」
おもちゃをよく観察して、身近にある材料で再現しています。


子どもが興味を持つものはさまざまです。先日もこんなことがありました。
工作タイムになっても、
「警察署のドールハウスで遊びたい」と言っている子がいたので、
「それなら警察署を作ってみる?」とたずねると、こっくりしました。
といっても、それほど大がかりなものを作るわけではなく
本人がこだわっていた
スライドさせて開け閉めする牢屋のドア部分を再現すると
満足していました。
今でこそ教室には多種多様のおもちゃがそろっていますが、わが子が幼い時は
ほとんどおもちゃらしいおもちゃは家に置いていませんでした。
その代わり、今と同じように、デパートのおもちゃ売り場で見かけたおもちゃが面白そうなら
それを手作りし、(なんちゃって手作りで、適当な出来上がりです)
いっしょに遊園地等に出かけた後は、子どもたちが自ら遊んできたアトラクションを
紙で再現して遊んでいました。そのためおもちゃはなかったけれど、
世界中のありとあらゆるボードゲームやおもちゃで遊んだなぁ~という懐かしい思い出があります。
おもちゃを選ぶ時、質の良いおもちゃか、安価なおもちゃか、たくさんある方がいいのか、少なくていいのか、
迷うことと思います。話の途中ですが、おもちゃ選びについて書いた過去記事を貼らせていただきます。
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子どもの個性に合わせたおもちゃ選び


おもちゃを選ぶとき、木製などの質の高いものを
与えなければならないか…というと
必ずしもそうではないと思います。
子どものタイプによって、おもちゃの質より遊び方や自由度が大切で、
100円グッズや紙があれば十分…という子もいるのです。

うちの子たちもそうでしたし、特に息子は、紙とえんぴつとハサミさえあれば
満足している子でした。教室の2~3歳の子にもこうした子はいて、
おもちゃの扱いは少し雑なのですが、
自分のこしらえた工作物は、
宝物のように大切にしています。
目で見るものより、想像したことや見立てたこと、アイデアやルールに惹かれるようです。

前回紹介した質のよいおもちゃにじっくり取り組むことも、
材質よりもその背後にある想像の世界に遊ぶことも

どちらも優劣つけがたいことです。

どちらが良いかでなく、子どもの個性と気質と学び方によっておもちゃ選びのポイントはずいぶん変ってくると思います。

お金のかかり具合も、雲泥の差ですが…。

感覚が優れていてクオリティーの高い材質やデザインのものに惹かれる子は、
1歳、2歳の子でも、ヨーロッパ製の木でできた教具を
何度も何度もやりたがったりするのです。

その繰り返しのなかで、ほんの少しのペグの高低や、
木製ビーズの形のちがいを見分けるようになります。
まるで指先に目がついているようで、そうした子の遊ぶ姿を眺めていると、
いつも、強い感動を覚えます。
そうした子は、遊ぶごとに数学的な感性が高まっていくようです。遊びながら科学の法則を学び取っていきます。

(幼児は幼いほど材質の違いに敏感なので、
まだ自分で選べないような小さな子に知育玩具を買い与えるときは、
できればプラスチックではなく、材質もデザインも色の配色も優れたものを
選ぶ方が良いように思ってます。)

一方、おもちゃの材質ではなく、
目に見えない価値に惹かれる子には、
おもちゃを与えるより、道具やアイデア(博物館や人形劇、工作物の展示会などに連れて行ったり、作品集やカタログなどをたくさん身近においておく)
や自由な時間や手助けや褒め言葉、いっしょに遊びに付き合ってあげることなどが大切だと感じています。
お金がかからない分、労力や配慮はたくさん必要です

写真は小学生の頃、息子が手作りしていたゲーム類(モノポリーらしい)の一部です。ゲーム好きなので、人生ゲームとかモノポリーなどを
気の遠くなるようなエネルギーを注ぎ込んで作っていました。
何百枚というカードの全てに、従来のゲームを参考にしながら…
自分で考えたさまざまなアイデアを盛り込んで
書き込みをしているのです。

息子にとっては、おもちゃの質よりも
自分の頭のなかのアイデアと作る過程に魅力があったのだと思います。

おもちゃの与え方について考えさせられるこんな話があります。

17回現代日本美術展大賞を最年少で受賞し、
テレビ番組の『ウゴウゴルーガ』や
音と光を奏でる楽器『TENORIーON』などを手がけ、
絵本の『100かいだてのいえ』の作者でもある岩井俊男氏の子どもの頃のお話です。
あるとき、母親から「もうおもちゃは買いません」と言われたのだそうです。
かわりに工作の道具や材料を与えられたことから
ものづくりに目覚めたのだそうです。

高価なおもちゃを買うもよし…。
おもちゃを与えないもよし…。

どちらにしても想像力と創造性に満たされた
家庭内の空気が大切なのでしょうね。

 

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工夫 その2

 ひとつのおもちゃでいろいろな遊び方を考えます。

 

たとえば、↓のリンクは「くもんのキューブ積み木」というおもちゃを使った遊び方の工夫です。

遊びだけでなく、小学校受験問題や小学生の算数の教具などにも活用しています。

 

★くもんのキューブつみき 虹色教室風遊び方!? 1

★くもんのキューブつみき 虹色教室風遊び方!? 2

★くもんのキューブつみき 虹色教室風遊び方!? 3

★くもんのキューブつみき 虹色教室風遊び方!? 4

 

このようにどんなおもちゃもいろいろな使い方をして遊んでいると、子どもの思考力や発想する力が高まってきます。

 

また、「新しいおもちゃがほしい」と思った時に、お家にすでにあるおもちゃに

少し手を加えたら、その遊びができることがよくあります。

 

例として、「豪華なドミノ」がほしかった場合、レンガ積み木とブロックを使って遊んだ時の様子と」

「カナヤック」のゲームを、「生き残りゲーム」を使って遊んだ時の様子を紹介します。

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ドミノは楽しく遊びながら、数に強くなったり、
指先の巧緻性が高まったりするよいおもちゃです。

おうちにあるドミノをさまざまな仕掛けのある
豪華な…??ドミノにする方法を紹介します。

デュプロで作る段差です。

台になるブロックを写真のように少しずつずらすことで、
安定した台ができます。

小さいサイズのブロックだとだとさらに細かいしかけも作れると思います。

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ハバ社のイヌイットの魚釣りをモチーフにした☆「カヤナック」
とうゲームがあります。
以前、おもちゃコレクターの方から、教室にお借りしていたのですが、
とても魅力的で子どもたちが大喜びで遊びました。

ただこのゲーム、つり竿が大きくて、先がとがっているので、
つい夢中になって他の子のしているのを覗き込もうとしたり、
つり竿を振り回したりすると危険なので、ヒヤヒヤ……。
それと、魚の代わりの金属の玉が、あまりに小さいので、
遊んでいるうちに無くしやすいという難点もありました。

そこで、生き残りゲームの盤とジオマグの磁石を使って、このゲームを再現。
イヌイットの世界の素朴な美しさはほぼ皆無……ですが、
子どもたちには大盛況でした。

100円ショップで売っている「ジオマグもどき」と、
お家の空き箱でも楽しく遊べるので、おすすめです。

魚釣りの竿にジオマグの棒を使うと、
かなり短い状態で遊べる上、
長い竿として使っているときも、磁石でついているので、危なくありません。

幼い子の魚釣り遊びにぴったりだと思いました。

子どもは魚釣り遊びが大好きですが、
おもちゃのつり竿は転んだり取り合うと危険なので、
安易に渡せないですから。


また、釣ったとき、金属の玉が磁石に引っ付いてくるのを、
子どもは喜んで数えます。
「落ちそうで、落ちない……」のって、ドキドキして面白いですよね。

生き残りゲームでカヤナック遊びをする場合、
金属の玉を穴の中に落として、仕掛けておき、(くぼみがあるので、きちんとおさまります)
自分の番のときに、レバーを動かして、魚を探しつつ
魚釣りを楽しみます。
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工夫 3

 

まだその遊びをするのは難しい月齢の時には、ルールを「赤ちゃん向け」「幼児向け」に変えて、

子どもが楽しめるレベルにしています。

 

★ブロックを買ったものの、ひっくり返して「おしまい~」です…

★ウルトラマンカードの遊び方♪

★「チケット トゥ ライド」 幼児も遊べる遊び方 1
★「チケット トゥ ライド」 幼児も遊べる遊び方 2
★「チケット トゥ ライド」 幼児も遊べる遊び方 3
★「チケット トゥ ライド」 幼児も遊べる遊び方 4

★「チケット トゥ ライド」 幼児も遊べる遊び方 5

★「チケット トゥ ライド」 幼児も遊べる遊び方 6

 

 


『魚を与えるのではなく釣り方を教えよ』じゃダメ?

2019-05-28 13:20:41 | 日々思うこと 雑感
3,4歳の子たちと算数遊びをしているところです。
「赤い玉3個と青い玉1個」
 
 
 
 
「子どもに魚を与えるのではなく釣り方を教えよ」という言葉をよく聞きますよね。
 
笑顔を創りたいWeb屋の日常というブログで、
゛魚を与えるのではなく釣り方を教えよ゛じゃダメだと思う
という面白い記事があって、そうそう……とうなずきながら読ませていただきました。
 
「子どもに魚を与えるのではなく釣り方を教えよ」という格言、

「魚を与えればその場の飢えはしのげる。しかし明日も同じ状態になる。
つり方を教えれば、その後もずっと食べていける」という意味ですが、

「今このご時勢では「釣り方」を教えるんじゃダメだと思うんです。
いや、もっというと釣り方ばかりを教えてきたからダメなんだと思います。」という意見。

もう子どもも日本人も飢えていない。日本人は、「手法偏重主義」「公式偏重主義」など
「釣り方」にこだわっちゃう人が多いわけで、それもわるくないけど、
結局テクニックにすぎないから、それを使う”心”を育まないと意味ないじゃんっ
というお話でした。
 

「魚を与えるのではなく"釣り方"を教えよ」

ではなくて、

「魚を与えるのではなく"釣り"を教えよ」だそう……。

食べ物という意味でも、情報という意味でも、生きるという意味でも飽和状態にあるこの国において「釣り方のみを教える」というのは、とてつもなく危険!
 
とおっしゃるtoksatoさんの警告は、わたし自身もいつも抱いている危機感と重なりました。
 
どんなにテクニックやプロセスを学んでも、それが好きで「良いものを創りたい」という熱意や興味がなければ、
本当の意味での使い道がわからないし、
好きじゃなかったら分析法を知ってたって、分析する楽しさはわからない。
 
どうしても紹介したいので、ブログを書いている方にお許しをいただいて、
記事の最後にあった言葉を写させていただこうと思います。
 
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自分の生き方や興味なんて自分で見つけて当たり前って言われそうですが、
少なくとも、この国の教育はそれを否定していると思います。なぜそれを行い、
どうしてその公式を使い、どんな個性や魅力があるのかをきちんと考えさせてこなかった、
画一的な教育で「考えること」を否定する教育を受けた人間に「自分の行き方を自分で考えろ」
というのは甚だ矛盾しすぎではないかと思うのです。

だからこそ、人に何かを教えるには「釣り」を教えることが最も大事だと思います。
楽しさや意義という土台から、テクニックまで。
「釣りとはなんぞや」を教えることが、大切なんじゃないかと思います。

                    (笑顔を創りたい Web屋の日常 より)

 

 

 

↑ 無我夢中。

 

「釣り方じゃなくて

釣りを教える」

まさしくわたしが子どもの教育に最も大切だと感じているものを

的確に言い表した言葉だと思いました。

 

教室でレッスンをしていると、

レッスンの内容からそうした思いがきちんと子どもにも親御さんにも伝わっている場合もあるし、

そうでない場合もあります。

 

「そうでない場合」というのは、

とにかく親御さんは「テクニックを学びにこよう」「テクニックを子どもに学ばせよう」と考えていて、

子どもがレッスンでする課題を習得しているかどうかを

常に気にかけておられます。

その子が学んでいる内容に興味を抱いたり、活動に喜びを見出したり、うまく頭を使えて幸福そうにしている時に、

すかさず「それならもう1つこれがんばってみよう~」というプッシュをして、

子どもが常に最後には学習に対する少しイライラした感情と自分に対する自信のなさとを体感して

いるように見えます。

おそらくたくさんテクニックを教えれば教えるほど、テクニックを習得させればさせるほど

子どもは伸びるはずで、そのために多少、子どもが気分を壊したり、学習に対する愛着を失うくらい

どうってことなくて、

きっと良い成績さえ取れたら、そんなの全て忘れてやる気が出てくるはず……と思っている

みたいです。

子どもから学ぶことの楽しさや意義を奪ってしまう親御さんたちがいるのは

とても残念です。

 

とはいえ、それもこれも子どもへの愛情がなせるわざでもあるのです。悪気があるわけじゃありません。

 

幼い子らを育てている親御さんたちが、子どもから学ぶことの楽しさや意義を奪ってしまうこともあります。

ひとりの子が「風船欲しい!」と言って、わたしがその子に風船を選ばせて

膨らましてあげているとしますよね。

すると、すかさず、「先生が風船くれるよ。もらっといで」

と子どもをプッシュする2、3歳児のお母さんがいるのです。子どもが無関心だと

無理にでもらいにいかせようとします。

 

でも幼い子は、

「あっ風船だ、いいな、ぼくも欲しいな」と考える時間を与えてもらえなかったら、

ほんの少しの飢餓感を味わうことも、

「何かをほしい」「やってみたい」という気持ちが自分の内部から湧きあがってくるのを

経験することもできません。

そこで、「この風船は赤色よ」とか「ありがとうは?」などと

テクニックだけ教わっても、自分がない感じを味わうだけですよね。

もしそこで少し親御さんが待ってあげたら、子どもは

風船をもらいにいったとしても

もらいにいかなかったとしても経験からさまざまなことを学ぶはずなのです。

たとえば、ぼんやりしていて自分の分がなくなたとしても、

「ある」ということと「ない」ということ、

「自分から積極的に働きかけていく大切さ」「お友だちがしていることへの関心に

つながっていたかもしれないのです。

 


種まき期間なしに学ばせる弊害について

2019-05-18 12:56:18 | 日々思うこと 雑感

過去記事なので、現在の状況(ソフトの監督の話や児童館の話は過去のことです)

と異なる記述もあります。

 

★手を出さず 口を出さず がまんするための施設? 
★手を出さず 口を出さず がまんするための施設? 2
の続きで、
またまた、うちのダンナさんの話ですが……
少し前まで、近所の小学生のソフトボールチームの監督をしていました。
(ソフトがうまいからではなく、世話する人が少ないので、借り出されてます~)
それが、毎度、同じパターンのぼやきで悪いのですが……
監督をし始めた頃から、年を重ねるごとに、
新しいタイプの子が増え出して、「ちょっとな~う~ん、これは困った」という
事態に遭遇していました。

どんな風に新しいかと言うと、
最初から、「1からきちんと学ぼうとする子」というか……
親が「1から正確に学ばせようとする子」が多くなってきて、

大きな子の真似っこをして、
バットを適当に振ったり、ボールをでたらめに投げたり、友達同士でスポーツにはならないけどそれの真似事のようなことをしていた

だらだら期間……あこがれたり、失敗したりする期間がないまま、

「最初から上達目指して習い事のようにスポーツを始める子」が増えてきたということなのです。

それのどこが困るのかというと、
本当は大人にあれこれ指図されず、適当にボールやバットを扱ううちに、
「自分はお兄ちゃんたちのように上手にできていないな」と気づき、
「上手になりたいな~」という憧れが生まれ、
「どうやったらできるようになるのか」と試行錯誤して、
しまいに、大人のアドバイスを聞いてきちんときいて、やってみようとする態度が生まれてくるものなのです。

が、この「適当」な、「子どもに自由にさせる」
種まき期間というのがないままに、

最初から大人の指導が入るものですから、

「こういう風にしてごらん」と言われると面白くなくて反抗するか、
一生懸命、教わろうとはするものの、
ちっとも楽しそうじゃないのです。
「ソフトボールは好き?」とたずねると、首を振るそうです。
そうやってイヤイヤやっているので、親が叱ります。
すると、余計に
スポーツ全般が大嫌いという態度になって、
結局、上達しないままやめてしまうのです。
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私は児童館などで、絵や工作を教えていたのですが、
子どもに自由にめちゃめちゃな作品を作る時期を通らせず、
「さあ、先生に教えてもらいなさい。先生のするのを見なさい」という
親御さんの子で、
最終的にすばらしい作品を製作するようになった子はいませんでした。
上手に作るようになる子は、
下手な期間が長いのです。それでも、自分ではとても満足していて、
ぐちゃぐちゃしたゴミのような作品を、
大切そうに抱えて帰るのです。
教室をしていたとき、いきなりすごい作品を作り出したのは、
上の子の教室に付き添ってきていた妹ちゃん、弟くんたちです。
この子たちは自由に好きな遊びをしていただけですが、その間にも、
大人の指導が入らない種まき期間を
たっぷり体験していたのでしょう。

時計の読みにしても、長い期間でたらめな読み方を続けつつ、
時計を読む振りをして遊んでいた子は、
時計を読むだけでなく、時間を扱う難しい計算もできるようになっています。

スポーツでも、絵画でも、学習でも、
子どもの中に、「できるようになりたい」「上手になりたい」「どうすれば上手になれるかな」という
あこがれが育ってくる前に、
上手にさせよう、教えようとするのは急ぎすぎではないでしょうか?

私たちにしても、食べたくもないのに、勝手に口に食べ物をを運ばれて、
買いたくもないのに、無理やり買わされれば、
意欲自体が薄れていくことでしょう。

私は、0~3歳の子用の算数教室もしていますが、
それは乳幼児に「どうやって算数を教え込むか」というテクニックを教える教室ではありません。
子どもの中に自然に発達していく数学的な感性を、どうすればつぶさないでいられるのか、
育んでいけるのか、を伝えるものです。
子どもが本来持っている「学びたい」「成長したい」という気持ちに寄り添うには、どのように接すればよいか
を学んでいただくクラスです。


学びの原動力は『謎』

2019-05-16 18:14:46 | 日々思うこと 雑感

『小さな友へ』という詩は、10年ほど前に、子どもたちに向けて書いた詩です。
もし何でも子どもたちにプレゼントできるとすれば、何を贈ればいいだろう?
私が子ども時代に手にしたもので、最高にすばらしかったものって何だろう?
今も宝物となっているものは何だろう?
そんな考えをめぐらせながら書いた詩です。

当時、私が、「子どもがもらって、心がときめくのはこれしかない」と考えたのは、『答えのない問い』でした。
つまり、『謎』であり、『不思議』であり、自分独自の『知りたい思い』『まだ答えが与えられていない未知の課題』です。
この思いは、10年経った今も、少しも変わっていません。

先日、『おせっかい教育論』 著者 鷲田清一 釈徹宗 内田樹 平松邦夫  
(株式会社140B)という著書のもくじ欄で、
『子供が育つには「謎」が必要』というタイトルを目にし、思わず、即、購入して帰りました。


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この著書の中で、内田樹氏は、
子どもにとって、成長の一番の契機になるのは「謎」だと断言しておられます。
子ども自身が自分の知的な枠組みを壊してブレイクスルーを
果たすためには、「なんでこの人はこんなことをやっているんだろう」というミステリアスな大人が絶対不可欠なのだそうです。
学校では、文部省は一貫して教員たちの規格化・標準化を進めてきているので、一定の価値観の枠内の人しか教壇に立てなくなってきている問題を指摘しています。


鷲田清一氏は、大人が言うことが一色なのも問題で、いろんな考えがありうるという、複数の可能性のフィールドを提示するのが大人の責任だとおっしゃっています。
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この著書で書かれているミステリアスな『謎』は、私が詩で表現した『謎』とは少し意味がちがっていたのですが、
とても共感できるすばらしい本でした。

勝手に拡大解釈させていただいて……
「子どもが育つには『謎』が必要」という言葉は、いろんな意味で、今子育ての場に最も足りないもので、最も重要なもののひとつでもあると感じました。

教室でもワークショップでも、
子どもの目が輝き出し、一生懸命課題に取り組み出すきっかけとなるのは、「どうしてだろう?」「おかしいな」「不思議!」と感じた瞬間です。

子どもはすでにわかっていることを「覚えなさい」「練習しなさい」と言われるときではなく、「どうして?不思議!」と大人でも首をかしげるような疑問にぶつかったときに、全力で問題を解決しようとします。
そうして考えることの面白さに気づいた子は、普段の勉強もまじめにこなすようになっていきます。

『謎』は、上で紹介したような好奇心をくすぐる不思議との出会いや、価値観の異なる人々との出会いとは別に、『未知』であるという意味で、
学ぶ意欲と深いところでつながっています。
↓は過去記事ですが、よかったら読んでくださいね。
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『明後日(あさって)』の感覚って聞いたことがありますか?
アーティストの日比野克彦氏が、哲学者で大阪大学総長の鷲田精一氏との
対談中に使っておられた言葉なんですが、
目にしたとたん、
「良い言葉だな~」という感動を通り越して、
自分の生きてきた方法とか、やってきたこととか、考えてきたこととか、
そうしたもの全てに太い一本の芯が通って、
「あ~、私はこうした感覚を大事にしてきたんだ」
と納得したような気持ちになりました。


日比野氏が、

明日のことはある程度はっきりわかる。1ヶ月後のことは全然わからない。自分の絵の描き方やワークショップなどの共同作業は、
ちょうど、「明後日」のように、ぼんやりと大まかなところだけわかっている感じなんです。
……(中略)ある一つのアクションが次のアクションを生み、この人と出会ったから、このアクションにつながっていく。
いつもその連続です。
絵も同じで、大まかな方向性はありますが、「黒い線を描いた、この次はどうしよう」と、まず一手を描かないと次の一手を思いつかないものです。……(略)

と、アーティスト自身が先行きを正確に把握しないまま進んでいくプロジェクト
について、「明後日」の感覚という言葉で言い表したところ、

鷲田氏が、

そういうプロセスには、「新しい社会性」とでもいうものを模索していくヒントがあるような気がします……(続く)

といったこと答えておられるんです。

以前、教育現場に必要な 『ブラックボックス』 という言葉 
という一連の記事を書いて、教育の場に、『ブラックボックス』という言葉が必要なのでは?……といったことを書いたことがあります。
子どもたちが、ブラックボックス化する世界に生きていることを無視したまま、、パソコンや携帯ゲームや、○○○計算や○○時間といったよさげ~な方法だけ取り入れても、子どもたちが主体的に勉強していく方向には、
機能しないんじゃないかな?
という疑問を言葉にしたものです。
(多くの方が、同じようなことを考えていたそうでした)


日比野氏の『明後日(あさって)』の感覚という言葉に出会ったとき、村上陽一郎氏の『ブラックボックス』という言葉を目にしたときと同じような強い衝撃を受けました。
そして、この『明後日(あさって)』の感覚という言葉もまた、
「教育現場に必要な言葉じゃないかな?」
「子どもが意欲ややる気を取り戻すキーワードじゃないかな?」という
思いにかられました。

虹色教室で子どもたちに学ばせているとき、私には、
どうすれば子どもたちのやる気や意欲が盛り上がってきて、知りたい!調べてみたい!もっとがんばりたい!という気持ちになるのか、
だいたいのところ勘でわかっているんです。

それは、「自分は既存のきまったコースをなぞってるだけじゃないんだ」という感覚……というか、
「ある方向性はあるけれど、進んでいく先はガチガチに固まったもんじゃないんだ」
「自分のアイデアや考えや発言が、未来を変えてく影響力を持っているんだ」
という感覚でレッスンを受けているということです。

教室で、時々、にんじゃブームとか、日本全国のゆるきゃらを覚えようブームとか、宇宙の実験ブームとかが巻き起こるのですが、
最初の火付け役の子たちの時期には、
黒い布切れにもぐって宇宙気分を味わうことから、宇宙への興味が膨らんでいくような、教材は整ってないし、やることは見えてないしで、
言わばレッスンとしたら、「レベル低い!」状態なんです。
でも、そんなカオスな時期こそ、子どもたちは、「こうしたら?」「これしたい!」「なんでだろ?」と主体的に自分で動いて、それは熱心に学びたがるんです。
そのブームが飛び火して、他の子たちの興味も加わるにつれ、
私は子どもたちがワクワクして熱中していた学習課題を扱いやすい教材にして、
「宇宙」といったタイトルのついた箱の中に溜めていきます。

すると、大人の目には、箱を開けるだけでワクワクするような
教材パックができあがるんです。
もたつかずに、「わ~」っという感動や、
「そういうことだったのか」という知識を得るのも手っ取りばやくて、
大人は満足。
でも、最初の子たちに比べたら、ものすごく良い教育環境……のはずが、
後の子たちほど、しら~っとやる気がない状態に陥ってしまいがちなのです。
そこから、発展させて自分で調べてみようという気持ちになりにくく、
「見て、不思議でしょ?」と、笛吹けど踊らずという状態です。

同じように見えるけど、
むしろ、後の方がよっぽど魅力的なのに、
何がどうやる気や意欲を半減させるのでしょう……?

大人が何日も前から事前に準備していた魅力的なプロジェクトよりも、
下の記事のような3歳の子のふとした発見の方が、どうして子どもたちの探求心に火をつける場合があるのでしょう?
★3歳の子の発見から、発明、研究、工作の輪 1
★3歳の子の発見から、発明、研究、工作の輪 2
★3歳の子の発見から、発明、研究、工作の輪 3
★3歳の子の発見から、発明、研究、工作の輪 4
★3歳の子の発見から、発明、研究、工作の輪 5
子どもの意欲ややる気の盛り上がりって、ランダムでその日のお天気で決まっているように見えて、
やっぱり言葉にして整理できる一定のルールが存在する気がしています。

うちの息子が、小学3,4年生の頃、
ビデオカメラ片手に友だちと映画を撮ることに熱中していたことがありました。
上映会というのに、引っ張っていかれて見たら、
期待以上の面白さで、
「今度、もっと良いのができたら、公募に応募したらどう?
映像作品の募集がないか調べてあげるわ」と言ったことがあります。
すると、息子は呆れたように、
「お母さんは、遊びってものがわかっていないな~。
何かのためとか、結果とか気にせず、自由にやるから遊びで、
だから面白いんだよ」
と言い返されたことがあります。

子どもって、もともと功利的じゃないんですよね。
「遊び心」が汚されていない場や時間の中ではじめて、
いきいきと自分を発揮できるし、
思いきりがんばれるし、頭をしぼりきって考えられるのでしょう。
それと、遊んでいる途中で、映画作りが、探偵ごっこに変わるかもしれないし、
まったく別の興味へと流れていくかもしれない
という未来が固定されていない感じが、
今の集中や全力投球を支えているのでしょう。

そういえば、昔、私が通ってた小学校や高校(中学は荒れてました)は、きちんと学校としての秩序は保たれていたけれど、日比野氏の言った
『明後日(あさって)』の感覚というものが、いろんな場の底流に流れていて、
私たちの好奇心を持続するのに役立っていたな~と思いあたりました。

虹色教室では、子どもたちと小さなものから大きなものまで、
さまざまな創作活動をすることがよくあります。
子どもの興味に引っかかったものを、先行きについては『あいまい』なまま
気の向くままに、
その都度、学べそうな要素をいろいろ盛り込みながら作っていきます。
こうした制作活動は、たいていの場合、
いつも最初に期待していたよりも何倍も良い結果を得て終わります。

はじめ結果が読めないのは、その子その子の個性が混じるからです。
子どもによって、作ってるうちに、歴史や地理に強い興味を抱くようになったり、緻密に計算された作品を作るようになったり、根気が伸びたり、
自己肯定感が上って、何ごとにも積極的になったり、
算数や理科が得意になったりとさまざまです。

そんな風にそれぞれが得るものは異なるけれど、
手でする作業と、自分のなかの美を感じる気持ちと接触した後って、
必ずといっていいほど、
期待以上の結果を手にすることになるのです。

何かすごい作品を作ろうと力むのでなくて、
面白そうだ~というアンテナにかかった作業にモクモクと熱中してみることで、
子どもは素直になり、落ち着き、個性的な「自分」という感覚や、
自由な生命力を取り戻すように見えます。

積み木で、幼稚園や小学生の子たちと、
海上のピラミッド モン・サン・ミシェルやパルセノン神殿を作ったことがあります。
そうした製作はたった一日の出来事ですが、
その後、教室では、
古代のカレンダー ストーンヘンジや
ピサの斜塔、コロッセオなど遺跡を作る子たちが続出し、
学習への集中力や海外の文化に対する興味が高まりました。
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日比野克彦氏と鷲田清一氏は、アートの

『絵でも工作でも何かをつくることで、気持ちを共有したり、
コミュニケーションの輪が広がったり、新しい発見ができたりする』

という機能に着目しています。

「気持ちの共有」「コミュニケーション」「新しい発見」の3つは、
虹色教室でも、製作活動中やその後で起こりやすいことです。

子どもが作品を作ったとき、時折、それを教室に飾っておいてあげると、
「私も飾って!」と言い出す子がいて、
描いたものを「誰か」が見てくれることがうれしくてたまらないという気持ちが、他の子の作品にも興味を持ち、
自分の中にその良さを取り込んでいこうする態度に変わるときがあります。

また、ひとりの子の作品が、たくさんの子の心を揺さぶって、電子工作や歴史的な建造物を作るといったことが流行することがあります。

だれかが発見した科学的な仕組みを、
別の子たちが別の作品で利用することが流行るときもあります。
「新しい発見を発表しなくちゃ!」というワクワクする気持ちと、小さなアイデアが広範囲に影響を及ぼす力に子どもひとりひとりが感動する気もちを持っています。

教室では、自然に遊びが共同制作へと流れていくことがよくあって、
ピタゴラスイッチのような装置ややどかりハウス(だんだん巨大化して屋根つきを作ります)などを、
「ぼくは、ここするから、そっちたのむよ」「これどう?いいでしょ?」「うん、すごいすごい!」といったやりとりをしながら、
熱中する姿がみられます。
完成の喜びが、「磁石について、くわしく調べたい」「恐竜の時代について研究したい」など、強い知的好奇心に結びつくこともよくあります。

製作の場で、
「気持ちの共有」「コミュニケーション」「新しい発見」が活性化されることと、
日比野氏の『明後日』の感覚といったものはつながりがあると感じています。

「こういうものを作りなさい」「それぞれ個人で」
など、ルールや先行きがかっちり決まりすぎていると、
ただ作った~で終わっちゃいがちなんですね。
子どもを見ていると、人って個人的に何か上達することよりも、人とコミュニケーションを取ることや、互いに響きあうとき、誰かの役に立ったとき、
認め合ったときに、
一番いきいきするんだなと感じています。良い作品ができたとき、高い点数をつけてあげるより、
「みんなに、どうやったら
こんな風にできるのか教えてあげてちょうだい。
みんなに、どこを工夫したか説明してあげてね!」
と言った方が誇らしげな顔をしているのです。


日比野氏の言葉に、次のようなものがあります。
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そう展覧会でも、「この絵いいよね」という人もいれば、無言で通りすぎていく人もいる。
絵は同じでも、判断は百人百様です。
絵はダンボールに絵の具がのっているだけのものですが、人によっては、見た瞬間に時空を超えることもできる。
それって、芸術の力としては、絵描きの力よりも見る力のほうがすごいんじゃないか。
それで、だんだん、見る力のほうに興味が移ってきました。
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子どもに創作させるとき、「わが子が何を作ったか?」「他の子より上手か?」という点だけ気にかける親御さんはいるのです。
でも、本当は何も作っていなくても、他の子の作品を「見る」だけでも、
見る力が高まっているんですよね。

「見る」力だけでなく
★幼児が「よく考える」ようになるためのいくつかのステップ で取り上げた
さまざまな力が、製作をお友だちと共有しあう場では、向上するのだと思います。

脳への「入力」自体が変わる、と言っても過言ではないのでしょうね。

日比野氏は美術を日常のなかに機能させる機会を広げることを、
自分の役割と感じておられます。

美術を日常のなかに機能させる大切さって、すごく感じた出来事があります。
去年、母の死の後、
私は母への供養の意味もあって、曼荼羅風の絵を何枚も描きました。

どうして曼荼羅かというと、
母が末期癌におかされて入院中、「暇つぶしに」と、
色鉛筆のセットと分厚い曼荼羅塗り絵というのを持っていったことがあるのです。
母は、クリスチャンだったので、曼荼羅とかかわりがあるわけじゃないのです。ただパッチワークが好きだったので、
曼荼羅が母の縫うパッチワークのパターンのようにも見えて
買っていったのです。

数日後、入院先を訪れると、母のベッドに
向かいのベッドの人がやってきて、
「○さん、ありがとう。2枚も塗らせてもらっちゃったわ。心が落ち着くわ~ほんとに楽しいわね~」と言って、例の曼荼羅塗り絵を差し出しました。
母に塗り絵の進行状態を見せてもらうと、何十ページももう塗られていて、
メモの欄に、病室の人らしき名前や看護士さん、実習生の方などの
名前がつづられていました。

塗り絵の隙間には、○さん(母)に出会えて、私は感動しました。この塗り絵作業に(勝手にプロジェクト化していたのでしょうか?)
参加させていただけて、どんなにうれしかったか……といったメッセージが、
看護の実習生や看護士さん、病棟内の友人によって、いくつもいくつも書かれていました。

この曼荼羅塗り絵は母の形見としてもらおうかと思ったのですが、母が旅立つとき棺の母の顔の傍らに入れさせてもらうことにしました。

母のいた病棟は病が重い人が多くて、
暗い気が立ち込めているような感じがあったのに、
きゃっきゃっとはしゃぎあう高校生たちのような
雰囲気で、塗り絵をしてよろこんでいる病棟の人々の姿と、それぞれの個性が
あらわれる色遣い、タッチなどの面白さが
今も目に焼きついています。

私も、スケッチブック一冊分、曼荼羅の絵を描き続けて、
ようやく母の死を静かに受け入れられる心境へと移っていった
気がします。

アートの力すごいですね。

病棟の空気を一新したアートの力が、子どもたちの心に
変化を起してくれないかな?
とそんな夢を抱きました。


幼児が「よく考える」ようになるためのいくつかのステップ 2 <見た後で>

2019-03-07 22:10:37 | 日々思うこと 雑感
幼児はいろいろなものを「見る」のが好きですね。

「見る」にもいろんな技術があります。
理解力や思考力、発想力が高い子というのは、この見る技術に長けた子が
多いです。
親子で楽しめる「見る」技術をいくつか紹介しますね。


見ているものを言葉で表現する

クワガタとか、恐竜とか、新しい靴とか、アニメのキャラクターとか、
子どもの今のお気に入りをよく見て、それについて話をすると、
子どもはいくらでも話したがりますよね。
「ここはとがっているね。のこぎりみたい。黒くてつるつるして、
ランドセルみたいな色ね。手に乗せたらちくちくするのは、
どうしてかな?」

子どもの好きなものを見ながら話をするとき、
色や感触、何に似ているか、どう感じたかなど、
大人も本気でよ~く観察して、言葉にしようとつとめると、
子どもの感性や表現力が変化してきます。
色にしても、「うすい茶色、空のような透き通った水色、濃い赤、
光っている黄色」など、観察するほど、表現が工夫できますよね。
教えるよりも、いっしょに楽しむことが大事です。

文章の表現力がつくだけでなく、IQの問題や小学校受験問題などを
解く力もアップします。


見たときのヒラメキを言葉にする

子どもは、何か見ているとき、
「そうだ!いいこと考えた!」と思いつくことがありますよね。
例えば、
「冷たいコップをほっぺたにあてたら、ほっぺが冷たくなるんだよ~
すごいでしょ~」といった大発見を報告してくれます。
そんなとき、すごいね~と関心をしるしたり、
大人もちょくちょくこうした発見やアイデアを口にしていると、
発想やアイデアが言葉にしやすくなって、何か作るときや問題を解くとき
良いアイデアが浮かびやすくなります。

ある時間をおいて見る

「家の前の水たまり、~~くらい大きいね」と会話して、
次の日どうなったか見る。
お月さまの位置を話題にして、何時間かしてから見る。
水たまりに葉っぱ落として変化を見る など。

推理する力や理由について考える力などが刺激されます。


鏡 虫眼鏡

鏡を通して見る
虫眼鏡で見る

観察の仕方を工夫すると、考えることが楽しくなってきます。
 
 
見たものを遊びで再現する

美容室に行った後で、美容師さんになりきってお仕事する
宅配便のお兄さんのまね、
駅員さんのまねなど、経験したもの見たものを再現して遊ぶ
記憶力や観察力が高まってきます。
 

見たものを工作やブロックで作る

働く車を見たあとで、働く車をブロックや工作で作ってみる
といったことをすると、
工夫したり、考えたりすることが楽しくなってきます。

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「見る」ことが上手になれば、画数の多い漢字を覚えるのも
易しくなりますね。
親子で楽しく「見る」技術を身につけると、
いつでもどこでも、しっかり考えることができるようになりますよ。

おひさまクラブのレオ先生が、『良心はどうやって育つの?』という記事を書いてくださっています

2019-03-07 09:39:38 | 日々思うこと 雑感

 

おひさまクラブのレオ先生の記事に共感しました。

良心はどうやって育つの?

ぜひリンク先で読んでみてくださいね。

 


「価値観を固定しない教育」と「未完成な親」の価値 終わりです

2019-03-01 22:17:37 | 日々思うこと 雑感

話がずいぶん脱線していたのですが、

「価値観を固定しない教育」と「未完成な親」の価値 3 の

2歳9ヶ月~3歳1ヶ月までの★くん、☆ちゃん、●くん、○ちゃんの

レッスンの様子の続きです。

 

●くんが最近のマイブームを再現したり、

線路の切り替えスイッチに感激したのをきっかけに、

ブロックで作った「2方向にビー玉が分かれて転がっていく」仕組みで遊んでいる間に、

他の子たちは同じ場を共有しながらも、別のものに興味を持って、

別の遊び方をしていました。

 

★くんは、↓の写真の中央のプラスチックのビー玉スロープが気になるようで、

それを手に持ったまま、積み木で道路を作っていました。

わたしが近づくと、オレンジ色の迷路のようなスロープを指でなぞりながら、

「これ何?これ何?」とたずねます。

わたしは「それは、ビー玉を転がして遊ぶものよ。★くん。ビー玉、転がしてみる?」

とたずねてから、★くんのすぐ近くにいる赤ちゃんの妹ちゃんに目を移して、

「でも、妹ちゃんが口に入れたら危ないかもね……」と言い足しました。

横合いから★くんのお母さんが、「家でも★がビー玉で遊びたがるんですけど、

下の子が口にしたらいけないんで触らせていないんですよ」とおっしゃいました。

 

そこで、

「★くん、向こうでピタゴラスイッチみたいにビー玉がころころ転がっていくの

作って遊ぼうか?」と誘って、お母さんと妹ちゃんから離れた場所にビー玉通路や

穴がある積み木を出してあげました。

★くんは知力がしっかりした語彙の豊富な子です。

内向的な性質で、他の子が興味を持っているものにすぐに関心を示すタイプではなく

自分の心が動いたひとつの事柄を深く探求したいタイプの子です。

自由に遊びを広げていくよりも、

自分の中に生じた目的に向かって、ちょっとしつこいかな、というほど

試行錯誤を繰り返すような遊びをします。

 

大人が遊びの手本を見せてあげる際に、

子どものそうした個性的な性質を把握していると、こちらの提案するものが、

子どもの中で眠っていた潜在的な力が表現されるようになっていったり、

自分のやり方にこだわりがちな子が他の人の提案を受け入れたり、

お互いに気持ちを共有しあってする遊びを楽しめるようになってきます。

 

 ●くんが喜んでいた

「もうちょっとでうまくいきそうだけど、知恵を絞らないと

なかなか上手くいかない課題」です。

●くんが最初に興味を抱いたオレンジ色のスロープを中心に、

少しだけ他のおもちゃも取り入れています。

 

子どもによったら、気持ちが移りやすく、

次から次へと新しいものに目がいく子もいるし、

ひとつのことに興味を持ちだすと、なかなか次に移れない子もいます。

●くんは気持ちを切り替えるのが苦手という短所と同時に

それと表裏一体でもある「ひとつの物事への探究心を持続し続けること」が

得意という長所があります。

また、遊び方の幅が少し狭いという短所と同時にそれと表裏一体でもある

「目的や課題をはっきりさせて、何かをやりとげるまで努力し、

推測したり、理由を考えたりすること」を好むという長所も持っています。

 

●くんは、ビー玉通路のある積み木をオレンジのスロープの中央部分に

設置するのですが、

ビー玉を転がすたびに、通路の落ちずに、片方の端から転がり出てしまうことが

不思議でならないようでした。

大人にすると、スロープの下部の穴からビー玉が落ちるのですから、

その下に通路を置くのがあたり前のように感じられるでしょうか、

2歳後半の子にすると、

まるでビー玉が意志を持って、脱走していくかのように見えもするのです。

でも、何度も何度も、繰り返しビー玉を転がしてみることで、

物の性質に対する理解が高まり、どうやったら問題を解決できるのか

自分で気づきます。

●くんは、この遊びに長い時間関わって、上手くいった時は、

全身で喜びを表していました。

こうしたビー玉スロープのおもちゃで遊ぶにしても、

積み木やブロックで遊ぶにしても、

大人が子どもに新しい遊びを提案したり、新しい形で頭を使う活動に誘ったりする時は、

その子の性質や長所と短所を感受しながら、

子どもの自発的で能動的な態度を引き出すように接するのが大事だと感じています。

もしそうしたことが難しいなら、

働きかける前に、見守ったり、待ったり、子どもの声によく耳を傾けるように

気をつけるだけでいいのかもしれません。

 

それには、子どもと過ごす場や時間がひとつの価値観で固定された

柔軟性のないものにならないよう、

気をつける必要があるのかもしれしれません。

 

教室をしていると、

毎日のように「価値観を固定しない」大切さを実感する瞬間があります。

 

絵を描いたり物を作ったりする活動ひとつとっても、

絵具や素材と無心に触れ合うことを好む子もいれば、

排水管のように、その子が気になってしょうがないものを

作ることで、その仕組みを理解して満足する子もいるし、

絵本を作って、自分の中から生まれてくる物語を表現したい子もいれば、

図鑑を作って、自分の知識を披露したい子もいれば、

科学的な物の性質に興味を抱いて物を作りたい子もいます。

大きくダイナミックに製作するのが好きな子、

緻密にていねいに製作するのが好きな子、

大雑把に作るけれど仕掛けに凝る子、

自然の素材が好きな子、電子工作をしたがる子、

子どもの個性は千差万別です。

 

たくさんの子を相手にしている場では、そうしたひとりひとりの個性に

対応するのは限界があるはずです。

 

でも、子どもと接する大人が

ひとつの決まった価値観でだけ子どもを眺めるのをやめると、

全く同じ活動をしていても、それぞれの子がその活動を通して、

自分が何にわくわくするのか、もっともっとやってみたいこと、知りたいことは何なのか、

アイデアを出したり考えたりする面白さ、がんばってやり遂げた時の達成感、

自分ってどんな子なのか、自分はどんな風にすばらしいのか、ということに

気づくことができるのです。

 

物作りの例で言うと、

上手にできたかどうか、作品として質が高いかどうか、といった

価値観だけで見るのではなく、

「友だちと協力できているな」とか「触感を楽しんでいて、

創作するうちにリラックスできるようだな」とか、

「独創的なアイデアを思いつく子だな」とか

「予測するのがうまい」「工夫するのが上手」「几帳面」「色への感性が優れている」

「科学的な探究心が強い」「ストーリーを考えるのが上手」といった

子どもの数だけある価値観で眺めるだけで、

子どもは自分でそうした自分の美点を膨らませていく力を持ち始めると思います。

 

 

 

 

「価値観を固定しない教育」と「未完成な親」の価値 7

2歳9ヶ月~3歳1ヶ月までの★くん、☆ちゃん、●くん、○ちゃんのレッスンで、

積み木遊びをしていた時、こんなことがありました。

○ちゃんのお母さんが、めん棒で粉物を伸ばす動作をして、

○ちゃんとままごとをしていました。

他の子らにも、「お料理しよう。何を作りたい?」とたずねると、

「お魚」「おもち」と返ってきました。

ガスレンジの魚焼き機にお魚を入れて、焼く真似をしたり、

もちをつく真似をした後で、線路の上に積み木を並べて、

もちをひっくり返して焼いて「あちちあちち」と言いながら食べました。

 

こんな時、本当に熱くてたまらないように

振りをするのがとっても上手な子っているのです。

また、遊びに必要なものをブロック等で作るのが上手な子もいます。

上手くいかない時に、自分で工夫して直そうとする子もいます。

別の食材の名前を思いついて、遊び出す子もいます。

 

そんな風にそれぞれの子が自分の「強み」を発揮していきいきと遊びを発展させて

いくには、その場と時間を、決まった価値観が支配していないことがとても大事なのです。

 

アメリカの発達研究の成果をまとめた子どもの「遊び」は魔法の授業』という

著書の中にこんな一文があります。

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幼児の数学的思考の発達を専門に研究している

アリゾナ大学のロナルド・ジャレル教授は、

遊びが数学的概念を理解する上でなぜ重要なのかを明確に教えてくれる。

遊びは子どもの数学的思考の発達に不可欠である。

他の形態の知識と違い、数学的知識は物と物の関係を扱うものなので、

大人の説明を聞くことで学ぶことはできない。

遊びに関する実証的研究は、遊びと数学的な理解力と数学的な能力の向上との間に、

強いつながりがあることを示している。

遊びがなければ、子どもの数学的な推理力はまったくといっていいほど

発達しないだろう。


これはフラッシュカードやコンピューターゲームを使って得られる類の

知識なのだろうか?

いや、そうではない。子どもたちが物を使って遊ぶときにやっている、

探究する、操作する、分類する、分割する、組み立て直すといった日々の真剣な経験が

必要なのだ。 

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数学的思考が必要なのは、算数とか数学という教科に限られたものではないですよね。

理科はもちろん、全ての学習に論理的に考えていく力は必要だと思います。

 

そうした学びの基盤となる「探究する、操作する、分類する、分割する、

組み立て直すといった日々の真剣な経験」は、

子どもの遊びの世界から失われつつあるように感じています。

 

子どもが五感と身体と自分の頭を使って、世界に能動的に働きかける機会は、

どんどん少なくなっていますから。

 

その一方で、情報だけで凝り固まった価値観が教育の名のもとに、

幼稚園でも学校でも習い事の場でも家庭でも

幅を利かせているのではないでしょうか。

大人にとって魅力的に感じる価値観ほど、成果や効果が期待できることほど、

相対的に、大人たちから、子どもの内面から遊びへの要求が生まれてくるのを待つ

余裕を奪ってしまうのかもしれません。

どんなにすばらしい教育システムも、それのせいで、

子どもの発達過程に組み込まれた身の回りの世界を論理的に解釈していくための

プログラムがきちんと作動しなったら、元も子もないですよね。

 

e-子育て・comのスタッフブログ~子育て、教育のヒントお届け~ という

ブログをしておられる羊先生が、遊びが失われていく子どもたち

という記事で、このブログの過去記事を取り上げてくださいました。

 

今回の記事では、価値観を固定するとかしないとか、

ちょっとわかりづらい書き方になってしまったのですが、

羊先生の

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「種まき期間」なしに、いきなり正式レッスンの入り口に立たされてしまい、

楽しんでやれない子ども。

遊びとして楽しむ期間がないので、面白いと感じられず、

うまくなりたいという意欲がわかないのが、問題なのですね。

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という言葉だと、子どもには「価値観が固定されていない時期」が

なぜ大切なのか納得しやすいかもしれません。

また本格的にひとつの価値観や枠組みの中に自分を投入してがんばる時期が来ても、

それぞれの子が自分としっかりつながって成長していけるように

「価値観が固定されていない余白部分」や「方向すら定まっていない未知のプロセス」や

「意欲や願望や夢が育まれるような遊びの部分」が必要なのではないでしょうか。