100円ショップの「タレ入れ」で、指先の巧緻性を高める
方法を紹介します。
子どもはタレ入れを圧迫して空気を外に出して、
水を吸い上げる
という作業にとても興味を抱きます。
といっても、3歳を過ぎていてもなかなか難しいのです。
またタレ入れの蓋はねじる形になっているので、
これもなかなか難しいだけに、熱中します。
スポイドと同じ仕組みで水を吸い上げることは、
科学的な興味にもつながりやすいです。
方法を紹介します。
子どもはタレ入れを圧迫して空気を外に出して、
水を吸い上げる
という作業にとても興味を抱きます。
といっても、3歳を過ぎていてもなかなか難しいのです。
またタレ入れの蓋はねじる形になっているので、
これもなかなか難しいだけに、熱中します。
スポイドと同じ仕組みで水を吸い上げることは、
科学的な興味にもつながりやすいです。
100円ショップに行ってきました。
教室では、アクリルストーン(キラキラした玉)が、
幼い子にも小学生にも大人気なので、(男の子も秘宝!と言って遊びます)
たくさん買ってきました。
算数の学習にもとても役立ちますし、
工作のイベントにも
こういうものが大活躍するのです。
デコレーションボールやお弁当用のグッズも
工作や学習用にと買ってきました。
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教室では、アクリルストーン(キラキラした玉)が、
幼い子にも小学生にも大人気なので、(男の子も秘宝!と言って遊びます)
たくさん買ってきました。
算数の学習にもとても役立ちますし、
工作のイベントにも
こういうものが大活躍するのです。
デコレーションボールやお弁当用のグッズも
工作や学習用にと買ってきました。
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デュプロの月齢の表示の1.5歳~5歳用の表示を見て
「ぼくは6歳だら、これはできない」と悩む生徒のいる一方、
私がデュプロで何か製作していると、面白そうに寄ってきて、
ちゃちゃっと何か作ってくれる17歳の息子。
(デュプロで遊ぶことに抵抗はないらしい……)
それで、昨日息子がブロック数個を手品のように
ちゃっちゃつと動かしながら、
質問してきたのが、
「デュプロのシンプルなパーツでフラクタルもどきが作れるんだよ、見ててよ。
ほら。でも
ポッチの数は縮小拡大になるけど、形としては比率がおかしくなるから、
これはフラクタルとは言えないのかな?」
という疑問。
私もフラクタルについては、なんとなくわかっているつもりになっていたけど、
正確な定義ってどんなものだろう……急に興味がわきました。
それで、息子の作ってくれたブロック作品を見ながら
みなさんにも考えていただこうと記事にすることにしました。
まず、
息子が「見てよ」と言ってきたのは写真の作品。
右のシンプルなパーツが、
4つ集まると、最初の形とよく似ていて、
表裏の面積比は最初と同じになるけれど、
形として拡大縮小関係にはならず……
またそれを4つ集めた左の作品も
表裏の面積比は最初と同じだけれど、
形としての比率のゆがみは大きくなっている……
こういう形をなんと呼ぶべきか……?
今度じっくりフラクタルについて調べたり考えたりすることとして、
息子に、このパーツの面白さを使って
幼い子が喜ぶおもちゃを作ってもらいました。
次回から3回に分けて写真を載せますね。
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「ぼくは6歳だら、これはできない」と悩む生徒のいる一方、
私がデュプロで何か製作していると、面白そうに寄ってきて、
ちゃちゃっと何か作ってくれる17歳の息子。
(デュプロで遊ぶことに抵抗はないらしい……)
それで、昨日息子がブロック数個を手品のように
ちゃっちゃつと動かしながら、
質問してきたのが、
「デュプロのシンプルなパーツでフラクタルもどきが作れるんだよ、見ててよ。
ほら。でも
ポッチの数は縮小拡大になるけど、形としては比率がおかしくなるから、
これはフラクタルとは言えないのかな?」
という疑問。
私もフラクタルについては、なんとなくわかっているつもりになっていたけど、
正確な定義ってどんなものだろう……急に興味がわきました。
それで、息子の作ってくれたブロック作品を見ながら
みなさんにも考えていただこうと記事にすることにしました。
まず、
息子が「見てよ」と言ってきたのは写真の作品。
右のシンプルなパーツが、
4つ集まると、最初の形とよく似ていて、
表裏の面積比は最初と同じになるけれど、
形として拡大縮小関係にはならず……
またそれを4つ集めた左の作品も
表裏の面積比は最初と同じだけれど、
形としての比率のゆがみは大きくなっている……
こういう形をなんと呼ぶべきか……?
今度じっくりフラクタルについて調べたり考えたりすることとして、
息子に、このパーツの面白さを使って
幼い子が喜ぶおもちゃを作ってもらいました。
次回から3回に分けて写真を載せますね。
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発売中止になっていたぴぐまりおんのワーク、今は一部
販売されているそうです。情報をいただきありがとうございます。
算数クラブははじめてという年長さんふたりのレッスンでしたが
どちらの子も、ぴぐまりおんの1~2年生の問題も、
最レベ1年生のハイレベルの問題もきちんと解くことができました。
お家では、そうした問題は解いたことがないというお話だったので、
子どもが問題を解けるようになるかどうかは、
問題の提示の仕方や、学習させるときに
自由で楽しいリラックスした気持ちにさせてあげることの方が
重要と感じています。
子どもたちに学習を教えるときに、
奇妙なのですが、
ワークをこなしていない子の方が
ワークなどをたくさん体験してきた子よりも解けることが
よくあるのです。
理由は先入観や思い込みや問題へ構えが、
素直に問題をイメージする力を邪魔させるからのようです。
算数クラブでは、その子の年齢より上の学年の
文章題を解かせています。
理由は
先取りさせたいからではなくて、
文章題のストーリーとして、子どもが楽しく思えるその子の生活感に
合ったものを出そうとすると、どうしてもそうなるからです。
年長さんともなると、お友達との物のやりとりも複雑です。
2人の間で「か~し~て~」「はい」
というやりとりは卒業して、
数人の友だちにお菓子を配ってから、「残ったお菓子はだれがもらえばいいのかな?」と考えたり、
「2時間もののアニメを見たら見すぎだから、半分ずつ今日と明日で見る」なんてことを考えることも可能です。
そうしたレベルの問題となると、どうしても1年後半~2年生のハイレベルの文章題が楽しいレベル……
となるのですよ。
でも提示の仕方はとても大切です。ただ問題集を見せるだけではストレスとなるだけだからです。それと、子どもの個性的な力をよくみて、その能力が発揮しやすい教え方をすることも大事です。(教え方というより、考えたくなる場を作るという感じですが)
ブロックやミニチュアのお人形といった小物を使って
操作しながら、楽しく考える機会を作ってあげてくださいね。
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販売されているそうです。情報をいただきありがとうございます。
算数クラブははじめてという年長さんふたりのレッスンでしたが
どちらの子も、ぴぐまりおんの1~2年生の問題も、
最レベ1年生のハイレベルの問題もきちんと解くことができました。
お家では、そうした問題は解いたことがないというお話だったので、
子どもが問題を解けるようになるかどうかは、
問題の提示の仕方や、学習させるときに
自由で楽しいリラックスした気持ちにさせてあげることの方が
重要と感じています。
子どもたちに学習を教えるときに、
奇妙なのですが、
ワークをこなしていない子の方が
ワークなどをたくさん体験してきた子よりも解けることが
よくあるのです。
理由は先入観や思い込みや問題へ構えが、
素直に問題をイメージする力を邪魔させるからのようです。
算数クラブでは、その子の年齢より上の学年の
文章題を解かせています。
理由は
先取りさせたいからではなくて、
文章題のストーリーとして、子どもが楽しく思えるその子の生活感に
合ったものを出そうとすると、どうしてもそうなるからです。
年長さんともなると、お友達との物のやりとりも複雑です。
2人の間で「か~し~て~」「はい」
というやりとりは卒業して、
数人の友だちにお菓子を配ってから、「残ったお菓子はだれがもらえばいいのかな?」と考えたり、
「2時間もののアニメを見たら見すぎだから、半分ずつ今日と明日で見る」なんてことを考えることも可能です。
そうしたレベルの問題となると、どうしても1年後半~2年生のハイレベルの文章題が楽しいレベル……
となるのですよ。
でも提示の仕方はとても大切です。ただ問題集を見せるだけではストレスとなるだけだからです。それと、子どもの個性的な力をよくみて、その能力が発揮しやすい教え方をすることも大事です。(教え方というより、考えたくなる場を作るという感じですが)
ブロックやミニチュアのお人形といった小物を使って
操作しながら、楽しく考える機会を作ってあげてくださいね。
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幼児の死亡率が高かった昔は、「七歳までは神のうち」という考えがありました。
これは前述の通り、
幼児期の生命が危うかったために伝えられた言葉でしょうが、
幼児を神様として、大人とは一線を引いて扱っていたことは
別の意味でも重要なことだったように思います。
モンテッソーリにしても、フレーベルににしても、シュタイナーにしても、
世界の幼児教育家と呼ばれる方々は、
自分の方法論に子どもを当てはめて教育しようとしたのではなくて、
幼児期という「人間の本能」とか「内的衝動」とか
「生まれながらのプログラム」といった
子どもが子どもであるゆえに、
内在する潜在的能力や、自然や宇宙と密につながっている状態であることを
教育法の中心にすえています。
7つまでの子の「神の性質」とでも呼べるようなものにあわせた教育を展開しているといえるのです。
神なんていうとオーバーかもしれませんが、
大人が左脳やエゴで判断し操作しようとする教育のあり方は、
7つを迎えて、小学校で学んでいる子たちにのみ有効なことなのです。
幼児期は、自発的活動を洗練させていく時期、
感情を通してさまざまな体験を消化する時期、
脳が欲することに熱中する時期、
好奇心を大きく広げる時期、
五感を通して芸術、
知識などの美しさを感じとる時期
つまり、右脳を通して世界や宇宙と交流し続けている時期と言えるのです。
子どもは系統的な左脳の学習をしないでも、自分で自分に必要な文法の整理などを自然におこないながら、
(どんな教えべたな親のもとにそだっても)
きちんと母国語を身につけることができますよね。
★フレーベルの恩物
にしても
モンテッソーリの秩序感にしても、
子どもの内部には宇宙の構造の縮図があり、それが成長とともに展開されてくることを前提としているように感じるんですよ。
そのように「神」に近い存在である子どもの能力を最大限に高めていくために必須の要素は、
チル大のゆっかりんさんが「近頃、育児が楽しいぞ♪」 というブログで記事にしていらした★「評価を急がない」ということなのだと思います。
幼児期に「評価」という形で
子どもと関わらないようにするだけで、
「神」のようでも「自然そのもの」でもある子どもは、
自分で自分の成長のバランスをとっていき、
苦手なことは繰り返しチャレンジし、
できなかったことは時期がくると集中的に熱中します。
4歳になったばかりのグループのレッスンをしていると、ひとりの子は
数がよくわかっているけれど、ひとりの子はちんぷんかんぷん
という場合があります。
教室で観察していると
言語理解の能力が高い子は、先にそちらが発達するようで、
数学的な理解力はゆっくり発達することがよくあるんです。
ただ、それはどっちが先に発達するかや、能力の個性の問題で
時期がくると、そうしたちんぷんかんぷんだった子も
それを取り戻すように数学的な遊びに熱中します。
ただそのようにバランスがとれない子もいます。
それはお母さんや他の教室が、そのときすぐに
子どもの能力への評価をくだしがちな場合です。
子どもはたちまち「大人の思い」を吸収して
「できない自分」を信じ込みます。そして時期がきても、その課題を避けようとします。
ただ、7歳を過ぎた子には、評価も適度に必要です。
自分で自分を振り返り、修正していく力が育ってきているからです。
幼児期の神から直に何を次にするべきか指令を受けているような
無意識的な学び方から、
「自分」を中心にした学び方に変化するからです。
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これは前述の通り、
幼児期の生命が危うかったために伝えられた言葉でしょうが、
幼児を神様として、大人とは一線を引いて扱っていたことは
別の意味でも重要なことだったように思います。
モンテッソーリにしても、フレーベルににしても、シュタイナーにしても、
世界の幼児教育家と呼ばれる方々は、
自分の方法論に子どもを当てはめて教育しようとしたのではなくて、
幼児期という「人間の本能」とか「内的衝動」とか
「生まれながらのプログラム」といった
子どもが子どもであるゆえに、
内在する潜在的能力や、自然や宇宙と密につながっている状態であることを
教育法の中心にすえています。
7つまでの子の「神の性質」とでも呼べるようなものにあわせた教育を展開しているといえるのです。
神なんていうとオーバーかもしれませんが、
大人が左脳やエゴで判断し操作しようとする教育のあり方は、
7つを迎えて、小学校で学んでいる子たちにのみ有効なことなのです。
幼児期は、自発的活動を洗練させていく時期、
感情を通してさまざまな体験を消化する時期、
脳が欲することに熱中する時期、
好奇心を大きく広げる時期、
五感を通して芸術、
知識などの美しさを感じとる時期
つまり、右脳を通して世界や宇宙と交流し続けている時期と言えるのです。
子どもは系統的な左脳の学習をしないでも、自分で自分に必要な文法の整理などを自然におこないながら、
(どんな教えべたな親のもとにそだっても)
きちんと母国語を身につけることができますよね。
★フレーベルの恩物
にしても
モンテッソーリの秩序感にしても、
子どもの内部には宇宙の構造の縮図があり、それが成長とともに展開されてくることを前提としているように感じるんですよ。
そのように「神」に近い存在である子どもの能力を最大限に高めていくために必須の要素は、
チル大のゆっかりんさんが「近頃、育児が楽しいぞ♪」 というブログで記事にしていらした★「評価を急がない」ということなのだと思います。
幼児期に「評価」という形で
子どもと関わらないようにするだけで、
「神」のようでも「自然そのもの」でもある子どもは、
自分で自分の成長のバランスをとっていき、
苦手なことは繰り返しチャレンジし、
できなかったことは時期がくると集中的に熱中します。
4歳になったばかりのグループのレッスンをしていると、ひとりの子は
数がよくわかっているけれど、ひとりの子はちんぷんかんぷん
という場合があります。
教室で観察していると
言語理解の能力が高い子は、先にそちらが発達するようで、
数学的な理解力はゆっくり発達することがよくあるんです。
ただ、それはどっちが先に発達するかや、能力の個性の問題で
時期がくると、そうしたちんぷんかんぷんだった子も
それを取り戻すように数学的な遊びに熱中します。
ただそのようにバランスがとれない子もいます。
それはお母さんや他の教室が、そのときすぐに
子どもの能力への評価をくだしがちな場合です。
子どもはたちまち「大人の思い」を吸収して
「できない自分」を信じ込みます。そして時期がきても、その課題を避けようとします。
ただ、7歳を過ぎた子には、評価も適度に必要です。
自分で自分を振り返り、修正していく力が育ってきているからです。
幼児期の神から直に何を次にするべきか指令を受けているような
無意識的な学び方から、
「自分」を中心にした学び方に変化するからです。
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いつも見たこともないグッズを差し入れしてくださる友だちから、
「漢字ビスケット」なるものをいただきました。
ブルボンです。
面白いです!
漢字を学ぶというより親しむのにぴったり♪
漢字はちょっと見にくいですが、そこが何かな?という楽しみにつながります。おそrく小6くらいまでの漢字がランダムに入っています。
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「漢字ビスケット」なるものをいただきました。
ブルボンです。
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漢字はちょっと見にくいですが、そこが何かな?という楽しみにつながります。おそrく小6くらいまでの漢字がランダムに入っています。
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