本屋さんで一目ぼれして購入した
『子どもの科学』で大人になった INAXギャラリー
という本。
自動模型ケーブルカーやエジプトの水時計
模型電気洗濯機
模型ミキサー
なんていう……とにかくすごいなぁ~と思う
『子どもの科学』で取り上げられた工作を再現しながら、
当時の工作少年たちの
声を集めた貴重な本です♪
本の中に、
『子どもの科学』は友だちみんな買って読んだり、回し読みをしたり
していました。発売日にはみんなで本屋に行くんです。
……五、六人集まっては部品屋さんに行ったり、
うちにある半田ごて1本でみんなで組み立てたりしてましたね。
……何年何月号にどこに何の記事があるというのが
分かるぐらい、子どもは必死に読んでいました。
……でも子どもはみんな下手くそでした。
それに失敗することに対して、おおらかでした。自分で小遣いをためて
部品を買って、自分で作ったものなら、失敗したり、壊してしまったりしても
いいじゃないかと思えるのです。
といった、『子どもの科学』で育った世代の方々の
思い出話が載っていて、
今の教育に足りないものに気づかせても
くれました。
みんなが参加している
というこの遊びを共有している感覚が、
子供達のやる気や熱心さにつながることを実感しています。
自分のがんばりが、どこかでだれかとつながっている。
興味や関心が仲間同士で響きあう。
そうした体験ができる場を、
便利さを追い求めて大事なものを捨ててしまった大人たちは、
子供たちに返してあげなければならないなぁ~と感じています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
一昔前の子たちも、学校では、計算を競ったり、漢字を何度も練習したりといった画一的な教育を受けていましたよね。
でも、いったん学校を出れば、また学校であっても授業から開放されさえすれば、
今度はそうした部分的な訓練とバランスを取るように
遊びや日常生活の中で「全体」と関わりながら
しっかり頭を使う豊かな時間があったのでしょうね。
大人にリモコンでつながれた状態で、
あれこれさせられるような時間が、どこでもいつでも続いているような子は
ほとんどなかったはずなのです。
本当は現代っ子こそ、地頭力なしに生き抜いていけないような
社会になってきているんですよね。
上の管理のもとで、言われるままに、急いでたくさん生み出す作業は
安い賃金でできる海外に外注しようという時代ですから。
でも、教育現場の方は、ますます、子どもを社会や生活から目隠しして、
数値を使って管理しやすい子を作ることにばかり励んでいるようにも
見えるのですが……
(母親が子どもを抱え込んで密室育児をしてしまう問題と同じように、
学校が、子どもを社会から隔離して、
教育現場に抱え込んで密室教育をしてしまっている……といったらよいのか……?
学校にしか適応できない子を量産しようとするのはどうしたものか……。)
リクルートの出している「キャリアガイダンス」
という冊子の中に、とても興味深い記事が載っていました。
日本の「学力低下」をしるす際に引き合いに出される「PISA](科学的リテラシー)という国際的な学力テストの話です。
日本はこのテストで毎回順位を下げています。
ところが、この結果で、
学力が下がっていると判断するのは間違っていると
都留文科大学の福田誠治教授がおっしゃっているのです。
日本の子は数年前と同一の問題では、
正答率は変わってないのだとか…。
つまり学力はいっしょ…。
順位が下がった原因は、
参加国が増えたこと
これまで測られなかった学力をPISAが
測ってしまったから
なのだとか。
ここで、大事なのは、「これまで測られなかった学力」
という部分ですよね。
このブログを読んでくださっている読者は、まだ子どもさんが
幼かったり小学生だったりする方が多いと思います。
するとこれから先の教育のゆくえを予測する
「これまで測られなかった学力」=
「これからはメインとなって測られる学力」
の部分は、とっても大切なのではないでしょうか。
OECD事務局長は、日本の子は
「多くの国の労働市場からすでに消えつつある種類の仕事に
適した人材育成を主に行なう
というリスクを冒している」
と、おっしゃっています。
つまり、日本の学びは古い。
大工場で一斉労働時代のもの…
ということなのです。
それで、「これまで測られなかった学力」というのが、何なのか……?
というと、
科学があつかうものは何かなどと考えたり、身の回りで起こっていることを
科学的に考え、説明する力」
なのだそうです。
こうしたものが弱いのは、読解力や数学的リテラシーにも
共通しているそうです。
そのかわり、公式を用いて解くという部分は、
日本の子はとても得意なのだそうです。
日本の子どもは、知識はあるけれども、
どんな場面で、どのように使えばよいかわからない……のですね。
いままだ小さなお子さん達は、
いずれ本格的にこうした世界標準の「学力」が、
求められるはずです。
そうした学習は、プリント学習や塾通いでは身につきません。
ますます家庭での教育力が求められるようになるのではないか…?
と感じています。
地頭力を育てるって、これまで誰かしてきたことを真似してできることではなく、
これから、「そのためには何が必要か」「どうすればよいのか」と
大人が試行錯誤しながら模索していく課題なのだと思います。
私にしても、それを求めて、探して、考えていく以外できません。
ですから、私がこうして発信していることも、
正しい解答でもマニュアルもなんでもなく、
子どもと過すなかで、困ったり、気づいたり、発見したりしたプロセスの
記録でしかないのです。
ブログというツールを使って、多くの子どもの教育に関心を抱いている方々と、
意見を交換していけたらいいなと思っています。
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『子どもの科学』で大人になった INAXギャラリー
という本。
自動模型ケーブルカーやエジプトの水時計
模型電気洗濯機
模型ミキサー
なんていう……とにかくすごいなぁ~と思う
『子どもの科学』で取り上げられた工作を再現しながら、
当時の工作少年たちの
声を集めた貴重な本です♪
本の中に、
『子どもの科学』は友だちみんな買って読んだり、回し読みをしたり
していました。発売日にはみんなで本屋に行くんです。
……五、六人集まっては部品屋さんに行ったり、
うちにある半田ごて1本でみんなで組み立てたりしてましたね。
……何年何月号にどこに何の記事があるというのが
分かるぐらい、子どもは必死に読んでいました。
……でも子どもはみんな下手くそでした。
それに失敗することに対して、おおらかでした。自分で小遣いをためて
部品を買って、自分で作ったものなら、失敗したり、壊してしまったりしても
いいじゃないかと思えるのです。
といった、『子どもの科学』で育った世代の方々の
思い出話が載っていて、
今の教育に足りないものに気づかせても
くれました。
みんなが参加している
というこの遊びを共有している感覚が、
子供達のやる気や熱心さにつながることを実感しています。
自分のがんばりが、どこかでだれかとつながっている。
興味や関心が仲間同士で響きあう。
そうした体験ができる場を、
便利さを追い求めて大事なものを捨ててしまった大人たちは、
子供たちに返してあげなければならないなぁ~と感じています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
一昔前の子たちも、学校では、計算を競ったり、漢字を何度も練習したりといった画一的な教育を受けていましたよね。
でも、いったん学校を出れば、また学校であっても授業から開放されさえすれば、
今度はそうした部分的な訓練とバランスを取るように
遊びや日常生活の中で「全体」と関わりながら
しっかり頭を使う豊かな時間があったのでしょうね。
大人にリモコンでつながれた状態で、
あれこれさせられるような時間が、どこでもいつでも続いているような子は
ほとんどなかったはずなのです。
本当は現代っ子こそ、地頭力なしに生き抜いていけないような
社会になってきているんですよね。
上の管理のもとで、言われるままに、急いでたくさん生み出す作業は
安い賃金でできる海外に外注しようという時代ですから。
でも、教育現場の方は、ますます、子どもを社会や生活から目隠しして、
数値を使って管理しやすい子を作ることにばかり励んでいるようにも
見えるのですが……
(母親が子どもを抱え込んで密室育児をしてしまう問題と同じように、
学校が、子どもを社会から隔離して、
教育現場に抱え込んで密室教育をしてしまっている……といったらよいのか……?
学校にしか適応できない子を量産しようとするのはどうしたものか……。)
リクルートの出している「キャリアガイダンス」
という冊子の中に、とても興味深い記事が載っていました。
日本の「学力低下」をしるす際に引き合いに出される「PISA](科学的リテラシー)という国際的な学力テストの話です。
日本はこのテストで毎回順位を下げています。
ところが、この結果で、
学力が下がっていると判断するのは間違っていると
都留文科大学の福田誠治教授がおっしゃっているのです。
日本の子は数年前と同一の問題では、
正答率は変わってないのだとか…。
つまり学力はいっしょ…。
順位が下がった原因は、
参加国が増えたこと
これまで測られなかった学力をPISAが
測ってしまったから
なのだとか。
ここで、大事なのは、「これまで測られなかった学力」
という部分ですよね。
このブログを読んでくださっている読者は、まだ子どもさんが
幼かったり小学生だったりする方が多いと思います。
するとこれから先の教育のゆくえを予測する
「これまで測られなかった学力」=
「これからはメインとなって測られる学力」
の部分は、とっても大切なのではないでしょうか。
OECD事務局長は、日本の子は
「多くの国の労働市場からすでに消えつつある種類の仕事に
適した人材育成を主に行なう
というリスクを冒している」
と、おっしゃっています。
つまり、日本の学びは古い。
大工場で一斉労働時代のもの…
ということなのです。
それで、「これまで測られなかった学力」というのが、何なのか……?
というと、
科学があつかうものは何かなどと考えたり、身の回りで起こっていることを
科学的に考え、説明する力」
なのだそうです。
こうしたものが弱いのは、読解力や数学的リテラシーにも
共通しているそうです。
そのかわり、公式を用いて解くという部分は、
日本の子はとても得意なのだそうです。
日本の子どもは、知識はあるけれども、
どんな場面で、どのように使えばよいかわからない……のですね。
いままだ小さなお子さん達は、
いずれ本格的にこうした世界標準の「学力」が、
求められるはずです。
そうした学習は、プリント学習や塾通いでは身につきません。
ますます家庭での教育力が求められるようになるのではないか…?
と感じています。
地頭力を育てるって、これまで誰かしてきたことを真似してできることではなく、
これから、「そのためには何が必要か」「どうすればよいのか」と
大人が試行錯誤しながら模索していく課題なのだと思います。
私にしても、それを求めて、探して、考えていく以外できません。
ですから、私がこうして発信していることも、
正しい解答でもマニュアルもなんでもなく、
子どもと過すなかで、困ったり、気づいたり、発見したりしたプロセスの
記録でしかないのです。
ブログというツールを使って、多くの子どもの教育に関心を抱いている方々と、
意見を交換していけたらいいなと思っています。
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