虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

教育の場で『地頭力』を育むには?  1

2010-06-27 09:05:22 | 教育論 読者の方からのQ&A
本屋さんで一目ぼれして購入した
『子どもの科学』で大人になった   INAXギャラリー
という本。

自動模型ケーブルカーやエジプトの水時計
模型電気洗濯機
模型ミキサー

なんていう……とにかくすごいなぁ~と思う
『子どもの科学』で取り上げられた工作を再現しながら、
当時の工作少年たちの
声を集めた貴重な本です♪

本の中に、

『子どもの科学』は友だちみんな買って読んだり、回し読みをしたり
していました。発売日にはみんなで本屋に行くんです。
……五、六人集まっては部品屋さんに行ったり、
うちにある半田ごて1本でみんなで組み立てたりしてましたね。
……何年何月号にどこに何の記事があるというのが
分かるぐらい、子どもは必死に読んでいました。
……でも子どもはみんな下手くそでした。
それに失敗することに対して、おおらかでした。自分で小遣いをためて
部品を買って、自分で作ったものなら、失敗したり、壊してしまったりしても
いいじゃないかと思えるのです。

といった、『子どもの科学』で育った世代の方々の
思い出話が載っていて、
今の教育に足りないものに気づかせても
くれました。

みんなが参加している
というこの遊びを共有している感覚が、
子供達のやる気や熱心さにつながることを実感しています。

自分のがんばりが、どこかでだれかとつながっている。
興味や関心が仲間同士で響きあう。

そうした体験ができる場を、
便利さを追い求めて大事なものを捨ててしまった大人たちは、
子供たちに返してあげなければならないなぁ~と感じています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
一昔前の子たちも、学校では、計算を競ったり、漢字を何度も練習したりといった画一的な教育を受けていましたよね。
でも、いったん学校を出れば、また学校であっても授業から開放されさえすれば、
今度はそうした部分的な訓練とバランスを取るように
遊びや日常生活の中で「全体」と関わりながら
しっかり頭を使う豊かな時間があったのでしょうね。

大人にリモコンでつながれた状態で、
あれこれさせられるような時間が、どこでもいつでも続いているような子は
ほとんどなかったはずなのです。

本当は現代っ子こそ、地頭力なしに生き抜いていけないような
社会になってきているんですよね。
上の管理のもとで、言われるままに、急いでたくさん生み出す作業は
安い賃金でできる海外に外注しようという時代ですから。

でも、教育現場の方は、ますます、子どもを社会や生活から目隠しして、
数値を使って管理しやすい子を作ることにばかり励んでいるようにも
見えるのですが……
(母親が子どもを抱え込んで密室育児をしてしまう問題と同じように、

学校が、子どもを社会から隔離して、
教育現場に抱え込んで密室教育をしてしまっている……といったらよいのか……?
学校にしか適応できない子を量産しようとするのはどうしたものか……。)

リクルートの出している「キャリアガイダンス」
という冊子の中に、とても興味深い記事が載っていました。

日本の「学力低下」をしるす際に引き合いに出される「PISA](科学的リテラシー)という国際的な学力テストの話です。
日本はこのテストで毎回順位を下げています。

ところが、この結果で、
学力が下がっていると判断するのは間違っていると
都留文科大学の福田誠治教授がおっしゃっているのです。

日本の子は数年前と同一の問題では、
正答率は変わってないのだとか…。
つまり学力はいっしょ…。

順位が下がった原因は、
参加国が増えたこと
これまで測られなかった学力をPISAが
測ってしまったから

なのだとか。

ここで、大事なのは、「これまで測られなかった学力」
という部分ですよね。

このブログを読んでくださっている読者は、まだ子どもさんが
幼かったり小学生だったりする方が多いと思います。

するとこれから先の教育のゆくえを予測する

「これまで測られなかった学力」=
「これからはメインとなって測られる学力」

の部分は、とっても大切なのではないでしょうか。

OECD事務局長は、日本の子は
「多くの国の労働市場からすでに消えつつある種類の仕事に
適した人材育成を主に行なう
というリスクを冒している」
と、おっしゃっています。

つまり、日本の学びは古い。
大工場で一斉労働時代のもの…

ということなのです。

それで、「これまで測られなかった学力」というのが、何なのか……?

というと、
科学があつかうものは何かなどと考えたり、身の回りで起こっていることを
科学的に考え、説明する力」
なのだそうです。
こうしたものが弱いのは、読解力や数学的リテラシーにも
共通しているそうです。

そのかわり、公式を用いて解くという部分は、
日本の子はとても得意なのだそうです。

日本の子どもは、知識はあるけれども、
どんな場面で、どのように使えばよいかわからない……のですね。

いままだ小さなお子さん達は、
いずれ本格的にこうした世界標準の「学力」が、
求められるはずです。
そうした学習は、プリント学習や塾通いでは身につきません。
ますます家庭での教育力が求められるようになるのではないか…?
と感じています。

地頭力を育てるって、これまで誰かしてきたことを真似してできることではなく、
これから、「そのためには何が必要か」「どうすればよいのか」と
大人が試行錯誤しながら模索していく課題なのだと思います。

私にしても、それを求めて、探して、考えていく以外できません。
ですから、私がこうして発信していることも、
正しい解答でもマニュアルもなんでもなく、
子どもと過すなかで、困ったり、気づいたり、発見したりしたプロセスの
記録でしかないのです。
ブログというツールを使って、多くの子どもの教育に関心を抱いている方々と、
意見を交換していけたらいいなと思っています。


関連記事
★「頭の使い方」の学び方 1

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『地頭力』が育つ幼児期 9

2010-06-26 20:19:18 | 教育論 読者の方からのQ&A
算数クラブ、科学クラブの年齢はあまり気にしないでくださいね。少しくらいの落差はどの子にも個別対応できる人数でレッスンしてますから大丈夫です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
地頭力の話に、どうして私の子ども時代の話を持ち出したかと言うと、
当時は
あんまり褒められた子育てではなかったけれど、
子どもが「こういうことがしたい」という最終目標を抱いて、
それなりに自分で着手してみて、失敗するにしろ、成功するにしろ、
だいたいのところの全体像をつかむことができていたことを
お伝えしたかったのです。

子どもって、まだ現実を知らないので、
途方もない夢や計画を、いとも簡単にできることのように
思い描くものです。
それで、「こうしたい」と考えて、
自分のそれまでの知恵と馬力を総動員してやってみて、
自分の力がどれくらいのものなのかわかると同時に
将来、自分が大きくなった暁には、絶対これをやりとげるぞ!と
意欲を燃やすこともできたのです。

またしても私の子ども時代ですが、
団地のまわりって、金属製のフェンスで囲まれていました。
年上の子たちは、楽々とフェンスを超えて、向こうへ渡っていくのですが、
それができない子たちは、何十分もかかる遠回りをして、フェンスの向こう側に住んでいる友だちの家に遊びに行かなければなりませんでした。

「何とかして、一足飛びにフェンスの向こうに渡りたい」それが団地っ子たちの願いでした。

フェンスにはところどころに錆びて、ほころびができていたので、
その穴を少しずつ拡げていって、服を引っかけてしまうことがままあるものの、小柄な子ならやっとのことで通れるような
穴を作った子たちもいました。
私と近所の女の子たちは、砂をけずるのが楽しかったこともあって、
そのフェンスの下の白くて固い土をひたすら掘っていました。

それこそ、何人もの子に受け継がれ、
何ヶ月にも渡る手や枝で掘り進む工事が続いた後で、とにかく頭さえ入れば、後は体をなるべく平べったくしてもぐれば、
向こうへ行けるという穴が開通しました。

この開通工事の成功は、
団地っ子の交友範囲を一気に広げました。
最初に「向こう側に行きたい」と願ってから、
現実に目標を達成することの大変さ、うまくいったときにどれほど時間や便利さが向上するか、大人たちがしている道路工事や山のトンネル工事といったものが何を目的としているか、
などいろんなことがわかったものです。

今の時代は、子どもに、こんないらんことをされたらたまらない……という都市の事情がありますよね。
でも当時は、何でも仮設で作ってあるようないい加減なものも多くて、
私たちが「こうしてみたい」と思い描くことは、
何かしら、やってみる手立てがあったのです。

例えば「犬が飼いたい」でも「飼えない」という事情があっても、
ほとんど面識のない近所さんに「犬の散歩をさせてください」と頼めば、
「それは助かるわ。お願いね」とまかせてもらえるような
……いろんな面で壁がないというか、実現するためのハードルが低いというか……ルールやきまりがきちんと整っていない
未完成な世界なりのよさがあったのです。

それで、私たち子どもは、自分たちの考えが、常識知らずだろうと、
途方もないことだろうと、
思いついたら、最終目標に向かって、計画を練り、
頭を使ってそれをやりとげようとしていました。

幼稚園のときに、スズメをつかまえようと、仕掛けを作って
自分たちは友だちの団地の物置に仕掛けに結びつけたひもを持って
ひそんでいたことがありますし、

同じ頃、団地の上下の階のベランダで、
カゴにひもをつけておろして、物のやりとりができるような仕掛けを作ったこともあります。

そうするうちに、だんだん、現実の厳しさとか、難しさとか、自分たちの体力や知力が把握できてきて、それなりによく考えてことにあたるようにはなっていました。

とにかく、「目標」や「目的」がくだらないことでも、実現不可能なことでも、
「目標」や「目的」を見つけるのも自分たちなら、
決めるのも選ぶのも自分たち、
「どうしようか」と考えるのも、
うまくいかない現実にぶつかって悩むのも自分たち、
うまくいったとき、喜び合うのも自分たち
という
大人抜きで、最初から最後まで、「全体」に関わったという体験は、

地頭力のベースとなる 「知的好奇心」「直観力」「論理思考力」

地頭力の3つの思考力 「抽象的思考力」(単純に考える)
           「フレームワーク思考力」(全体から考える)
           「仮説思考力」(結論から考える)

を子どもの中から思いっきり引き出してくれていたな~と感じています。
「頭から湯気が出るほど考える」という場面が
たびたびありましたから。


でも、過去にもどることもできないし、
過去は過去で大いに問題もあったわけですから、
これからの子どもたちに、地頭力を引き出してあげるような体験をどうやって
与えるか?
となると、次のようなことが大事かな、と思っています。

「こういうことをさせてあげたい」「これを上達させよう」とばかりに、目標や夢を大人が子どもから奪い取った形で、部分的な作業だけ与えることはあまりしないこと。

子どもの興味や思いに耳を澄ませて、きちんと子どもと向き合って、
それを受け取る大人の
聞く領域、見る領域を日々広げていくこと。

国や社会に協力を求めながら、一歩下がって大らかに子どもを見守りはぐくむことができる場を創っていくこと。

大人同士、協力し合い、助け合い、互いに学びあって子育てできるような環境を、地域、園や学校、公共施設……と拡げていくこと。

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『地頭力』が育つ幼児期 8

2010-06-26 16:26:21 | 教育論 読者の方からのQ&A
自分の子ども時代を思い出して、

地頭力のベースとなる 「知的好奇心」「直観力」「論理思考力」

地頭力の3つの思考力 「抽象的思考力」(単純に考える)
           「フレームワーク思考力」(全体から考える)
           「仮説思考力」(結論から考える)

をフルに働かせて何かをしたときっていつかな?
こうした力が育ったな~と思う体験っていつかな?
と記憶をさらってみました。

すると、やっぱり、学校の授業中とか、習い事の場ではなくて、
友だちと遊んでいるときや揉めているとき、問題にぶつかったとき、
親の目の届かないところで何かしようとしているときなんかに、
自分なりに真剣に頭を絞っていたことに思いあたりました。

私が幼児や小学生だった昭和40年代の都会の新興住宅地の暮らしというのは、
全国チェーンのドーナツ店やら焼肉屋やら、ファンシーショップやら、公共団地やら、見た目こそ今とそう変わらない建物が並んでいたものの、
そこで暮らしてるのも働いているのも、だいたいが田舎から出てきたばかり……という人々の寄せ集めでした。

うちの母は四国から大阪に働きに出てきて、
父は家出同然で山口から出てきていました。
近所の人たちも、初対面のあいさつは、「私は九州」「私は沖縄」と自己紹介する具合で、
しばらく会わないでいて、久しぶりに顔を会わせると、
「ちょと、実家にねぇ……ほじゃけんの~(この人は愛媛です)」と会話に方言が混じってました。

ですから、形だけは、
「うちはヤマハの音楽教室通わせる」とか、
「お習字行かせる」「そろばん行かせる」「個人塾に通わせるわ」と競うように都会風の子育てをしようとしている割に、

いったん子どもを外に出してしまうと、
子どもだけで近所の池でザリガニ釣ってようと、
自転車置き場の屋根の上で跳ねてようと、
泥ダンゴを山ほどこしらえて、そのせいで服はドロドロだし、ちょっと引っかけて破いてきたとしても
気にもとめていませんでした。

そんな風に親の目が節穴だらけなもので、
親からも近所の人からも「良い子すぎて心配だわ」
とささやかれていた私でも、
木でも他人の家の塀でも屋根でも何でも登るわ、勝手に池に遊びに行くわ、工事現場にもぐりこむわ、穴を掘って近所の大学構内にもぐりこむわと、
今の子からするととんでもないほどの「悪さ」を重ねていました。

当時の大人は子どもなんてそんなもの……という感覚があったのでしょうし、子どものすることをいちいち細かいところまで把握する習慣はありませんでしたから、
子どもが数名集まったら、親の目の届かないところで
何かしら悪さがはじまったものでした(けれどある一定の限度はわきまえていたところはあります)。

以前、その当時の様子をこんな記事にしたことがあります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

<番外 消費者ではなくて、製作者でもあったちょっと昔の話 >

マシュー・フォックスという神学者が次のような言葉を
語っています。

私たちは本質的に 
消費が好きな生き物だろうか?
そうは思えない、
人間は製作者として存在してきたのであって、
消費者ではないはずだ……。


年々、子どもをめぐる環境は変化し続けて、
子どもの心のあり方や物の見方や関わり方が変わってきていますよね。

特に感じるのは、最近では、親がリードする形で、子どもがいつでもどこでも「消費者」になりつつあるということです。

私が子どもだった30年以上前、子どもの私が世界をどのように眺め、関わっていたかというと、

良い消費者になりたくて、経済力をつけて、購入の際のセンスを磨こうと必死の大人たちと、

現実には何もかもが未完成過ぎて、創作したり製作したり、自分で何とかしたりと……「製作者」の立場もとらざる得ない現実のでもがく大人たちの姿を……

自分もその両方を模倣しつつ暮らしていました。

それで、当時の
「製作者」側、「創作者」側、「発信する」側に、
いざ素人の自分たちが立ったときの、
何ともいえない危うさや面白さやワクワクや、がっくし……くる感じ……が、

その「おしゃれ」とはほど遠くて、鈍くさくて面白すぎる風景が、

子ども時代の私の脳裏に焼きついています。
どれを、思い出してもおかしくってしょうがありません。
そうしたことを急にだらだらと書いてみたくなりました。

私は大阪の吹田市の関西大学の近くで育ちました。
それで、子どもの頃はよく友だちと、大学の構内にもぐりこんで
乗馬クラブの馬のえさやりを手伝わせてもらっていました。
この関西大学の乗馬クラブは、
毎日、私の住んでいる周辺の道路を
きちんとした乗馬用の服で正装して、ぐるぐるまわっていました。
馬は千里山の駅前の信号機を確認しては、
きちんと交通ルールを守って、かなり気取った姿で立っていました。

そこらあたりまでは、大阪のちびまる子ちゃん世代の日常として
許せる風景だったのですが、

近所に住んでいる地域の世話役の人が、「子どもたちのために、小さな動物園を作ろう!」と言い出したのです。そこで、公園のそばの地域の集会所の前の広場で
やぎと羊を飼いはじめたのです。
確かうさぎもいました。
最初はよかったんですが、サラリーマンが多い地域……
世話をする人も仕事があるし、大きな動物は世話がたいへん……で、
しまいには、どんどん開発の波が押し寄せてきている千里山の街中で
やぎや羊を放し飼いすることになりました。

そこで、私は、毎日、
千里山の駅前で、きちんと交通ルールを守って立っている馬と、
気の向くままに草を求めて移動するやぎや羊の姿を目にすることに
なりました。
おまけに当時、そのあたりはペットが野生化したワカケホウセイインコが
大量発生していたので、
夕方ともなると、カラスの大群なんて目じゃないほど、圧倒するような数の
緑色の大型の鳥の群れが、空を移動していました。

そんな風に、社会というか、環境が未完成でカオス……なので、
私の通っていた公立小学校の校長の考えも自由そのもの。
宝塚歌劇のファンだからという理由で、
学校のクラス名を、「雪組、星組、月組……」として、毎月、クラスで
劇を発表する日を作っていました。

子どもが育つ環境としてどうだったのか……というと、???なのですが、
私も友だちも
自分たちが頭で考えて、何かをすることに対して、
躊躇しなかった気がします。
子どもなのですが、常に、「製作者」「作る側」の発想が
あるのです。

千里山の駅前には、ミスタードーナツとか、サンリオショップとか、「○○塾」とか、これから全国でチェーン展開していこうとする店舗が並びはじめていました。
その手前の道路には、自動車といっしょに
馬やら羊やらヤギやらがごちゃごちゃしていたわけですから、
子どもの目にも、世界はまだ未完成で混沌としているのだから、
自分たちの参入する場はいくらでもある!
自分たちもクリエイティブにこの街作りに参加しよう
という気持ちがありました。

たとえば、道なども、
はじめに覚えなくちゃならない道順があるのではなくて、
到着地までの近道は自分たちで発見して作り出すものという思いがあったので、
塀があれば登り、柵の下の穴を掘ってくぐれるようにし、
他人の家の垣根のふちを、番犬を狂ったようにわめかせながら歩いていって、
がけを斜めに渡っていって、
団地の前の倉庫やら、自転車置き場の屋根やら、高いところがあれば必ず登って
そこも道のひとつとして捉えて通っていくことに
何の疑問も抱いていませんでした。
子どもは、
それぞれそうして自分で見つけて作り出した道や秘密の隠れ家を
たくさん持っていました。
時間にしても、暗くなったら帰る時間というアバウトな捉え方で
遊びまわってますから、曜日とか時間なんて気にかけたことがなかったです。
そんな中で、子ども同士、
遊びでもルールでもどんどん自分たちで作り出して、考え出して、改善して遊んでいました。
人脈も開拓して、近所の人にお願いして犬の散歩をさせてもらったり、
同じ団地に住むひとり暮らしのおばあさんに子どもたちで敬老の日のプレゼントを贈ったりしました。

運動オンチで内気な性格の私も、どこでも登るしもぐるし~を何ということもなくやってましたから、
その頃の子どもたちは、
躊躇なく何でもやっていたな~と今になってびっくりしてしまいます。

とにかくエネルギッシュだし、
自分たちの頭でよく考えていました。
よく考えていた~というのも、あんまり頭を絞ったので、40過ぎてる
今でも幼稚園の頃、考えあぐねていた問題をはっきり思い出すことができるくらいです。

それで、最近の子どもたちが頭を使わないとか、
昔みたいに小猿みたいな無茶をしろ……と思っているわけではないのですが、

「それにしてもあんまりじゃないかな?」と思う現状があるのです。

今は幼い子でも習い事に通っている子が多いのですが、

そうした人工的な場は当然、未完成さとかカオスからほど遠いものです。

時間の枠がありますし、することは決められてますし、
場合によっては、どういう気持ちで、どういう態度で参加すべきか
まで暗黙のうちに
子どもに適応を求めてきます。

そこまでガチガチに固められた環境で、
子どもたちが、
自分が環境に影響を与えたり、変化させたり、作り出したりできる存在なんだって
気づくことは皆無なんじゃないかな?
と思えてくるのです。

それでもそんな現代っ子たちも、よくよく話に耳を傾けてみると、
あれこれと考えていて、したたかで、ユニークで、面白いです。
何に関しても「消費者」としての受身な立場しか
取ったことがない子は多いですが、
一度「創作する」ことを覚えると、
「買う」ことよりも、何倍もうれしそうな表情をします。
いったん、クリエイティブに創造性を発揮し始めると、
どの子もいきいきとしてきます。

……ここまで、話してきて何を書きたかったのかというと、
空間も時間もちょっと混沌としていてすき間が多い方が、
何をしようかな? 面白いのかな? やってみようかな? やっぱりやめとこうかな? 私はそれがやりたいの? すきなの?
と自分で選んで、考えて、味わって、創造的に参加してみようという気持ちを、
子どもの中から引きだしてくれるのじゃないかな? 
ということなのですが……。
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地頭力の話が長引いていますが、続きは次回に書きますね。

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夏休みの算数クラブ、科学クラブの日程発表です♪

2010-06-26 15:59:59 | 生徒募集 イベント参加募集
夏休みの算数クラブ、科学クラブの日程発表です♪
抽選に漏れてしまった方、どうもすいません

教室の住所等がわからない方は、下のコメント欄に
メールの宛先を書いて、ハンドルネームをお願いします。
非公開の状態で見させていただいて、くわしい内容のメールを遅らせていただきます。


7月12日(月)10時~12時  算数クラブ 3歳~5歳
ほのてるさん ぱんちゃんまんさん pigmon ママさん

★7月19日(祝)2時 ~4時 科学クラブ 年齢自由
つばめさん YUYUさん junさん さとみさん


★7月28日(水)10時~12時 算数クラブ 5歳以上
ゆきゆき 2人 アニカリンさん はるこさん 松村雪絵さん

★7月29日(木)10時~12時 算数クラブ 6歳以上
しおママさん シュリンプさん  ほのてるさん そらままさん

★7月30日(金)10時~12時 算数クラブ 6歳以上
楓さん アッキーママさん ぼくてんのママさん つるさん

★7月30日(金)2時~4時    算数クラブ3歳~5歳
ななみママさん2人 らんさん よっしーままさん 

★8月6日(金)10時~12時 科学クラブ  年齢自由
ROYママさん かえるさん minamiさん nanaさん

8月12日(木)10時~12時 算数クラブ 6歳以上
りんさん mamiさん みずみずさん ぴぴこさん

★8月17日(火)10時~12時 科学クラブ 6歳以上
Bigmamaさん かぁまっちさん べべさん らいママさん

★8月20日(金)10時~12時 科学クラブ 5歳以上
マイッチングさん ayakoさん tikaringさん ここさん

★8月21日(土)10時~12時 科学クラブ 3歳~5歳
クウガさん ゆすらさん  はるっこさん まつさん

★8月21日(土)2時~4時   科学クラブ 年齢自由
たくまま   ゆきかさん3人  

★8月23日(月)10時~12時 科学クラブ 年齢自由
まゆさん ところてん 2人 ともみ母さん

★8月23日(月)2時~4時   科学クラブ 年齢自由
 ひろさん ぼるさん ユニコさん かおりんさん

★8月25日(水)10時~12時 算数クラブ 年齢自由
ROYママ まおママ タルトタタンさん くーままさん

★8月26日(木)10時~12時 算数クラブ 5歳以上
がんもさん ともかママさん  アキコさん みどりままさん

★8月29日(日)10時~12時 算数クラブ 年齢自由
りーちゃんまんま むなちこさん 2人 

★8月30日(月)10時~12時 算数クラブ 5歳以上 
おにまんさん タルトさん みほさん ひろぽんままさん

★8月30日(月)2時~4時   算数クラブ 年齢自由
よきままさん2人 たけさん てんてんさん 


目の光るロボットをブロックで作る 2

2010-06-26 13:05:58 | 記事のまとめ(リンク)
豆電球の回路を作ります。
(ホームセンターなどで、ソケットに入った豆電球、電池ボックス、電池、(必要なら導線)などを購入して、回路を作ります。豆電球のソケットにつながっている導線を途中で切って、端にアルミ箔をしっかり巻きます。

ブロックで適当に土台を作って、
電池ボックスを乗せ、
ロボットの顔を作って土台にセットし、目の位置に豆電球を取り付けます。
アルミ箔の部分を合わせると、目が光ります。
2つ目を光らせる方法は、子どもと工夫してくださいね。

簡単な見本の作品を作ると、子どもは自分のアイデアを膨らませて、
さまざまなものを作っていくことと思います。

ゲームの勝敗を決めるライト、光るお魚ロボット、電気のつくお家など
楽しく作れますよ。


デュプロブロックでテレビを作りました

くわしい作り方

デュプロブロックで自動販売機を作りました。

作り方の補足です。

補足2

デュプロブロックで幼児用パズルを作りました。

デュプロブロックでガチャポンをつくりました

作り方の補足です

作り方の補足です 2


ブロックでたくさんの数をすばやく数える方法

デュプロブロックで小学校受験問題


デュプロブロックで 回転して飛ぶ体操選手と トランポリンを作りました♪


動くしかけです。

機関車トーマスの操車場を作りました。


作り方1

作り方2

デュプロブロックで 2~4歳児用のすごろくを作りました。


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目の光るロボットをブロックで作る 1

2010-06-26 12:56:20 | レゴ デュプロ ブロック
目が光るロボットの作り方(今回は顔だけです)を紹介します。

写真のように、デュプロブロックのひとつ分の隙間に
豆電球がちょうど入るサイズなんですよ♪

作り方は次回に。


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『地頭力』が育つ幼児期 7

2010-06-25 19:06:31 | 教育論 読者の方からのQ&A
小学生の女の子グループの子の保育所に通っている妹さんが、
「お姉ちゃんだけ勉強に通っていてずるい!」と言って毎回泣いて困るとお聞きしていたので、この妹さんもいっしょにグループに参加させることになりました。
すると、参加そうそう姉妹げんか。
それぞれの言い分を聞くと、
「通るとき、お姉ちゃんが蹴った」と妹。
「そりゃ、私は蹴ったけど、この子は、家では私の倍は蹴るんだもの。
それに、ピアノの練習なんて、2週間に1回しかしないのよ」と姉。
(家では好き放題な妹が、私の前でやたら要領が良いのがしゃくにさわるらしい)

「わかったわ。みんなは、ここの教室で今1回蹴るのと、
家でその2倍蹴るのと、どっちが悪いと思う?」
とたずねると、賛否両論が飛び交って大盛り上がり。
主流は、「家で蹴ったのは、過去のことだから、今この教室で蹴った方が悪いけど、でも、過去でも蹴る数が2倍だから、その分悪いから、どっちもいっしょ」と言った意見。
「そう、なら、教室で、4回蹴るとすると、お家でその2倍蹴る人は何回蹴ることになるの?」とたずねると、
「8回~!」と小学生組が声をそろえました。

「じゃ、今日の5月16日に★ちゃん(妹)がピアノの練習をしたとして、
2週間に1回練習するわけだから、その前に練習した日はいつ?」
「16から、7かける2の14を引いて、5月12日?いや13日かな?」

「カレンダーで確かめてみてね。
それから、これから聞くことにきちんと集中してちょうだい。
★ちゃんは2週間に1回しかピアノの練習をしないとして、
1年間にだいたい何回練習するでしょう?
だいたいの数で答えてみて」と言うと、
「1年は12ヶ月だから、だいたい2週間に1回だと月1回?ううん、2回だから……」と1年間という部分に注目して、それを言い換えて
考えていった小3の○ちゃんと小4の●ちゃん。
「わかった、24回」となかなかうまいこと考えていました。

企業で出される地頭力を測るフェルミ推定の例題では、

「日本全国に電柱は何本あるか?」
(制限時間3分、電卓・PC使用不可、情報の参照不可)

なんて、問題がでるそうです。
こういう問題、「情報が少ないから算出は難しいと考えたらその瞬間にゲームオーバー。
こうした例題で試されるのは、最終的に出てきた結果の正確性よりも
どういう考え方で解答に至ったかのプロセスなのだそうです。

私も虹色教室で、少し凝った文章題や
この記事の最初の会話のように、日常の出来事の中に潜む数をクイズ調にして
子どもたちに出すとき、
正解するか、速く解けるかより、
取り掛かり方や、解くプロセスや、
考える上での粘り強さに着目しています。

小学校低学年頃の算数では、丸暗記して解いていくことも確かに大事なのです。
九九なども、この時期覚えるから一生もので使えますよね。
でも、子どもの日常から「考える」という機会が奪われた状態で、
教えたことを、そのままコピーするように繰り返させる学習ばかりしていると、
ちょっと問い方の切り口が変わっただけで、
1分ほど考えてみることもせずに「わからない~」「わからない~」と大騒ぎするようになってしまいます。

教室では、
そのようにすぐすぐ思考をストップさせる習慣をつけないように、
遊びのなかで、「考え方」の基本が身につくように工夫しています。
具体的には、
「このおもちゃで遊びたい」とか「こんなことしたい」と言ってきたときは、子どもが2,3歳児でも、
やりたい~という気持ちが高ぶっている間に、
「どういう風に遊びたいの?」とたずねて、これから自分がしようとしていることのイメージを言葉にさせるといったことです。

すると、「電車を出して、線路をね、あっちとこっちにつないでって、それから駅とトンネルをおきたいの。それから、エレベーターを駅のところで作って、
降りた人が、ここに来て、電車に乗れるようにするの~」といった説明をするようになるし、その表現力は回を重ねるごとにしっかりしてきます。

また、遊び中、思うようにいかないことが起こった場合、
「どうすればいいと思う?」と子どもにたずねて、
問題を解決するのを支援しています。
解決するための仮説をたてさせ、実際やってみて
うまくいったか考えていきます。

遊び終わった後、作品なら、「お母さんやお父さんに見せてきてね。どこを工夫したのか、どこが難しかったのかきちんと説明してあげてね」と自分のしたことを振り返らせています。
おままごとのような遊びでも、どのように工夫して遊んだのか、
どこが面白かったのか、大事な部分を振り返って報告させるようにしています。

あまり堅苦しくせずに、
普段の暮らしのなかで、お母さんやお父さんやお友だちに自分のしたことを伝えたり、自分がどのようなことがしたいのか説明したり、
問題にぶつかったとき、いろんな仮説をたてて
解決法を模索することを取り入れていると、
子どもは常によく考えるようになってきますよ。

ひらがなとか計算とか、勉強っぽいことをさせては「考えさせない」習慣をつけるよりも、
子どもが夢中になる遊びのなかで、表現力、思考力、集中力、問題解決能力をきちんと育てていくことが、地頭力につながっていくと考えています。

写真はオーストラリアから来てくれた3歳、2歳の兄弟です。
理科実験が大好きな子たちです♪

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姉妹げんか……と言えば、10年近く前の日記にこんなものが……

     <ケンカタイム>

知人の娘さんふたりの勉強を見るアルバイトをしているのですが、
この姉妹、寄ると触るとケンカしています。
冬場、こたつに頭を寄せて勉強させていると、見えない部分は常に修羅場。

姉の☆ちゃんの英語のワークの進みが遅いのを注意すると、
「○(妹)がこたつの中で蹴ってくるんで、勉強にならないもん~。なんとかして」と文句を言います。
即座に、こたつの中で、悪さばかりをしている二人分の足を交互に軽く蹴ってやりました。
それから、おごそかに、
「蹴りあったりせずに、まじめに、静かに、集中して勉強するのと、
蹴りあったりしながら、中断しいしいのんべんだらりと勉強するのと
どっちがすきなの?」と
「妹が蹴ってくる」と文句をいう☆ちゃんに詰め寄りました。
すると、☆ちゃんは、
「そりゃぁ、どっちかと言われたら……蹴りあってやる方がいいけど……」と白状しました。

実はこの姉妹が勉強する間、ついでにわが家の姉弟ペアも勉強させているので、
当然の成り行きとして、4人がからかいあったり、互いに邪魔したり、ケンカしたり、ふざけたりして収拾がつきません。

そこで、勉強はなるべくシンプルにして集中できる配慮をし、途中でルールつきで
ケンカタイムを取ることにしました。
ルールは、その都度、私のお天気(気分)で決めます。

「今日のケンカはことわざか、四字熟語しか使っちゃ駄目よ。制限時間は5分。
ルール違反者は勉強時間延長。OK?」
「へい」
「ふんふんふん」
「○(妹)がさ、私のことバカやとか言ってくるのさ……あれ、えーと、目くそ鼻くそを笑う、やろ」と☆ちゃん。
「五十歩百歩や」と息子。
「どんぐりの背比べ」と娘。
「そーや、人のふり見てわがふりなおせ。」と再び☆ちゃん。ついでにこう付け加えました。
「でも、言わぬが花やったな。私までみんなにバカにされているみたい。
これって、キジも鳴かずば撃たれまい?」
そこで、私が、「チリンチリーン、ラスト」とつげました。
「えーもう終わり?」と全員。
「そう、立つ鳥後を濁さず(ぐだぐだ言わず、きれいに終わりましょう~という意味で使っています)」

数日後。
「今日は、いやにまじめのがんばっているね。そろそろケンカタイム取ろうか?」
「いいよ。もう今日は」と☆ちゃん。「これはやくやっちゃいたいし」
○ちゃん(妹)が横合いから、
「そ、めんどくさい。おばちゃん、黙っててーや」
(関西っ子たち、口が悪いですね~
……子どもの成長、恐るべし……。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
↑の姉妹とうちの子たちで、当時、毎日いろんな遊びが生まれていました。
遊びが育むやる気と 問題を乗り越える力 1
遊びが育むやる気と 問題を乗り越える力 2



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『地頭力』が育つ幼児期 6

2010-06-25 08:34:45 | 教育論 読者の方からのQ&A
幼稚園も学校も家庭も、
やたら教育的になる一方で、
大人が一丸となって汗水たらして、わざわざ
子どもの『地頭力』となるものを奪っているように感じているのは
私だけでしょうか。

少し話がそれますが、
十数年前、私が投稿と公募にはまっていた時期、↓のような文章を新聞の投稿欄に載せていただきました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<なぜチームが勝ち始めたか>

「ドッチボールでね、このごろぼくたちのチームが勝っているだよ」
4年生になる息子がうれしそうに打ち明けた。
聞くところによると、ずいぶん長い間、
息子のチームは、機敏で力のある子が多い相手チームに
連敗してきたらしい。
それが最近、勝ち始めた理由は、
「向こうのチームはね、下手な子が拾ったら、すぐに
うまい子にパスする作戦なんだ。
だから、いつも強くて速いボールが飛んできて、
負けてた。
でも、ぼくのチームの子は下手な子が拾っても
その子が投げていたんだ。」
「でも、何度も何度も投げるうち、下手だった子も
少しずつうまくなって、
今じゃ逃げていた女の子も、ボールを取りにいくぐらい
なんだ。
数人のすごく強い子より、皆のやる気!」
子どもは子ども同士、群れて遊ぶなかから、
さまざまなことを学ぶのだな、と実感した。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
どうして、こんな古い記事を引っ張り出してきたのかというと、

子どもの地頭力を育む上で、元凶となるのは、

「勝つ」ことや「成果をあげる」ことを子どもの世界に持ち込んで、
大人が割り振りした部分的な役割を、
全体が見えないまま、
子ども自身の欲望や動機の源に触れないままにやらせていることじゃないかな?

と感じているからです。

スタート地点から、合理的に、効率的に「勝ち」を目指していたら、
目標を決めるのも、
何をするか決めるのも、
選ぶのも、
段取りするのも、
大人になってしまいますよね。

子どもに残るのは、
タイムウォッチ片手に管理する親や先生のもとで、
100マスを埋めたり、
プリントの枚数をかせぐ時間を縮めていくことだけ……となりがちです。

そうやって、全国統一テストの点数が数点あがったところで、
それは本当の意味で、子どもの実力を伸ばしていることになるのでしょうか?

お仕事の現場で、「全体のストーリーがない」まま、「何らかの仮説や全体像もつかまない」まま
データーを集めてみたり、分析にのめりこんだりすることは、
効率の悪い問題のある行為のはずです。

けれど、いずれ、
社会に出て行く子どもたちに、
学習の一部分だけ関わらせて、
データー処理能力だけ……
計算力だけ向上させるというのはどうなのでしょう?

確かに、今既存の、海外や全国で子どもの知力を比べあうような
テスト上での数値はあがるのでしょうけど……。

話が硬くなってきて、しんどい……という方には、
近いうちにもう少し軽い話題を書かせていただきますね。
この話、もう少しだけ続きます。

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『地頭力』が育つ幼児期 5

2010-06-24 21:09:44 | 教育論 読者の方からのQ&A
前回の記事へのコメントのお返事は近いうちに書きますね。

灘中の赤本と格闘していた息子が、
過去問を解くだけでは、らちが明かないので、
参考書や問題集を何冊か買ってこなくちゃ……と言い出したときには、

ざっと自分で数年分の受験問題に目を通していたため、

どのような問題が、どのような配分で出題されているのか、
確実に点に結びつきそうな分野は何か、
何をどれくらいの量、訓練したら良さそうか、
自分の強みがいかせそうな部分はどこかといったことを、

全体を俯瞰した位置から見渡せていたようです。

そのおかげで、最も得点に結びつきそうで、自分の強みをいかせそうなものの
ランキングが
自分のイメージの世界にできていたようです。

パートから帰宅後、息子の勉強を見てあげようとは思うものの、
灘中の問題は、当時の私には「何を手がかりとしたらよいのかさっぱり~」なものも多くて、
結局、息子からの勉強についての分析や経過の報告に
耳を傾けるだけでした。

息子は、最初に過去問で全体像をつかんでいたので、
最重要課題から順番に手をつけていってました。
こうした全体像を先につかんだり、自分にとって重要なことから、手をつけていく習慣は、
ボードゲームや工作など、好きな遊びに熱中するなかで、
息子が身体で覚えた勘です。
おかげで、短時間ながら、
着実に力をついてはいました。

ネックは時間。
計算が遅いし、ミスが多いところは一朝一夕には
なおらず、時間内に解ききることが入試の際まで、一番の課題となっていました。
実際、灘中の受験準備に一年ではあまりに厳しく、
「最低ラインギリギリだろうけど……
けっこう良い線までいってるんじゃないかな?
当日調子が良ければいけるかも?」
と期待したのもむなしく、結果は不合格。

ついでに受けた中高一貫校は、風邪による腹痛で、試験を途中までしか受けられなかったものの、合格していました。
この私学も関西ではとても人気が高くて、近辺の子たちも、ここの学校を目指して早くから受験塾に通い出すのです。
ですから、ラッキーと言えば、ラッキーで、
息子の受験計画の進め方は、まずまずだったんじゃないかな?とも
思われました。

最初から、合格できそうな学校を狙わず、自分の力を超えたチャレンジをした
ことで、不合格の痛手は負ったものの良いこともありました。
中学に入学してから、姉が数検を受ける際、
息子も同じ準2級(高1レベル)受けたがって、
2週間ほど姉の教科書を借りて勉強しただけで、
1次の計算技能、2次の数理技能のどちらも合格していたのです。
1年間、自分なりに、もがきながらがんばった受験勉強は、
息子の中に何かを残してくれていたようなのです。

数学への感性はもちろんなのですが、
「こういう結果を得たい」と思ったときに、

「結論から」「全体から」「単純に」考えて取り掛かって、
短期間にどうやって自分の思うような結果を導き出すか、
うまく段取りして、やり遂げる力が
受験を通して身についたようなのです。

教室の子たちを見ていても、子どもって
やりたがることを自分たちで失敗もOKでやらしていると、
うまい具合に段取りしたり、交渉したりするようになるものです。

今日は小学生の女の子たちに、
勉強の前に、片栗粉を水で溶いたもので
遊ばせてあげていたら、

自分たちはこういうことをしたいので、こういうものが欲しいんだけど~
それはどんな風にやる意味があるのかといったセールスポイントと、
それぞれの子がどんな役割をしようと思ってるのか~など、
こちらがその話に乗りやすいように交渉してきました。
そしてさんざん、粉を練って遊んだ後で、
「先生、一瞬でトロッとした液体から、粉だけの塊にする方法を発見しました」
と報告してきました。
見せてくれたのが、小さな紙コップに片栗粉で作ったドロドロの液を入れ、
上からティッシュペーパーで強く押さえるというワザです。
何と、手品のように粉だけの塊が残るのです。
確かに、びっくり!大発見です。

ぐだぐだ書いているうちに、ちゃんと地頭力について説明することを忘れていました。
近いうちに、もう少しわかりやすくまとめますね。

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『地頭力』が育つ幼児期 4

2010-06-24 19:19:05 | 教育論 読者の方からのQ&A
(受験の話の続きは次の記事で書きますね)話が脱線するのですが、地頭力を育むため(かつて正確にその言葉を意識していたわけではありませんが)に、わが子が幼児期や小学生の頃、私が特に気をつけていたことを書いた過去の記事をもう一度紹介させていただきます。

<「よく見る」ということは「あまり見ない」ということ>

このブログでは、何度も、
子どもを「よく見る」とか、「よく観察する」ということを
書いているのですが、
この「よく見る」ということほど誤解されやすいことは
ないような気がします。

「よく見る」というのは、ただ目の前の子どもの行動を
より細かいところまでチェックするという意味ではないのです。

むしろ普段、それまでの自分の思い込みや先入観という色眼鏡を通して、
近すぎる位置から子どもを眺めていたのを、
かなり後ろまでさがって、
ぼんやりした視界の中で見直してみる。

理性で見ていたものを、
感情や直感を通して眺めてみる。

自分が子どもにとって全てを知っている神様みたいな位置で見ていたものを
意識して「見ない」部分を設けて見る。

そんなさまざまな「見る」の形は、
極端に言うと、「よく見る」って、「あまり見ないこと」なんだ~
とも言えたりするのです。

どうしてこんなことをするかと言うと、

子どもって
いずれ変化して成長していく存在なので、
今、現在の様子を数値化するような形で観察してしまうと、
とんでもない間違いをおかしてしまうからです。

例えば、パンダの赤ちゃんってすごーく小さいのはご存知ですよね。
そのサイズとか、能力とかを
細かく観察して、あひるのヒナと比べるとします。
すると、いずれこうなるに違いない…
と思う予測が、巨大なアヒルと手乗りパンダ…みたいに、
ケタ外れにおかしなことになってしまうんです。

ですから、よく観察するというのは、

自分の見方の偏りを修正して、
大きな視野で心で見る

ということでもあるんですね。
つい子どもの行動にうんざりしたり、叱ったりすることが多くなっている時は、
それが必要だと思います。

それと大事なのは、
「あえて見ない」
と言う事です。

過干渉の害は分かっていても、
子どもを見るという事に関しては、ついつい行き過ぎが起こりがちなのが
今の時代です。
でも私達の子ども時代も、
自分の失敗やら、欠点やら、発達途中の多くの事柄を、
隅から隅まで親に把握されていたとしたら、
きっときちんとした大人になれなかっただろうし、
生きることにうんざりしてしまったように思うのです。

私たち大人が、今を元気よく生きれているのは、
大人の目が、「ふし穴」だったからでもあるんですね。

現在は、軽度発達障害児の問題行動なんかも、
つぶさに大人に観察されています。
特別な配慮が必要なので、
それも大切だったりはするのです。
でも、それが、かえって子どもの成長の足を
引っ張っていないのでしょうか?

昔は、子ども時代、大人の見えないところで
たくさん悪さをしながら過していた人も、
大人になるとしっかり生活している方がたくさんいたように思います。

今は、見ることによって、
大人たちから投げかけられる醜い未来像のせいで、
そのイメージどおりの悪い未来を歩んでいる人が多い気がします。

見るとき、理性で見ることと、
感情や直感で見ることのちがいを例にあげると、
こんなことがあります。

刑務所に入っている人に対して、
感情や直感を通して見る時には、
その人が、きちんと人生を建て直し、
心を愛情で満たして人間らしく生活する姿が見えると思います。
しかし、理性で数値化しながら見るならば、
今現在の問題点ばかりが目に付いて、
一生そのまま犯罪にまみれて生きる姿しか見えないと思います。
そしてそういう見方が、その人の人生を決定付けてしまうように感じます。

それは極端な例ですが、
子どもに対しても、
近視眼的に見すぎることは、
未来に悪い影響を及ぼすこともあることを
わかっていただけたのではないでしょうか?

知人の陶芸の先生の息子さんのことでこんな話を聞きました。
その子の偏差値が30台だった時、
その子が医学部に行きたいといったので、
周囲の人はバカにして笑ったそうです。
でも、お母さん(陶芸の先生)だけは、
その子を正しく見ていて、
「きっとあなたなら行ける」と応援していたそうです。
その息子さんは、最終的に京大に進まれました。

よく見るということは、こういうことだなぁと思っています。

イラストは『夏の山』です。

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