虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

子どもの可能性を最大限に広げる体験って?

2011-04-26 17:53:03 | 日々思うこと 雑感
「子どもの可能性を広げてあげたい」
「すばらしい体験をさせてあげたい」
「将来役立つ技能を身につけさせてあげたい」
と多くの親御さんは考えておられることと思います。

いろいろなところへ子どもを連れていったり、
あれこれ習い事をさせてみたりすることでしょう。

でも、そうして親ががんばって子どものために奔走しているときは、
本当の意味で子どもの可能性を広げることにはなりにくい
ものです。

特に、いろいろ連れて行ったり、学ばせたりしては、
「うちの子はAちゃんのように賢くないし、Bちゃんのような特技もない、
どれもこれも中途半端でパッとしないな」という不満を抱いて、
わが子を眺めているときには、なおさらです。

どうして親ががんばるとき、子どもの可能性を最大限に広げるのが
難しくなるのかというと、
親が良いと評価しているものを子どもに与えるばかりでは、
子どもが自分で、自分のアンテナに引っかかるものを見つける力や、
今の自分を伸ばしてくれそうなものに
しっかり関わっていく力を育てる時間が少なくなるからです。

幼児にしても小学生にしても、
大人と異なるところは、

「世界」に恋している

というところです。

自分の目の前のありきたりの現実に、
恋愛感情にも似た自分の全てを与えきるような
無我夢中の状態にしょっちゅうなれるのです。

幼児は、自分の可能性を引き出してくれそうなものなら、
引き出しを開け閉めするだけでも、
だじゃれを言ってゲラゲラ笑うだけでも、
すぐに夢中になります。
何度も何度もやりたがります。

幼児は自分の中にプログラムされている衝動に突き動かされて、
いつもいつも自分を最も成長させてくれる活動を探索しています。

子どもは自分の個性にぴったりな何か、
自分の得意分野を伸ばすのに最適な何か、
自分の弱点を克服するのに良い何か、
自分の発達段階にちょうどよい何かを、
自分の目の前の現実から驚くような正確さで探り当てます。

どうしてそのようなことが可能なのかというと、
子どもは自分を取り巻く世界から何でも吸収しようとする
とても敏感な時期を過しているからです。

子どもは自分がどんなものに惹きつけられるか、
どんなことをやってみたくなるか、
良く知っています。
けれども、大人には、それがほとんどわかりません。
そのため、よかれと思ってあれこれ子どもにやらせるうちに、
子どもの自分の可能性を広げていく力のようなものが
鈍くなってしまうことがあるのです。

写真は、感覚が優れている内向的な3歳の男の子です。
五感が優れているので、
きれいなイージーチターの音色を喜んだり、
色ごとに積み木を並べたり、
インクの色の広がりに感動したり、
化学の実験に夢中になったりしていました。
お家ではお料理の手伝いをいつも楽しんでいるそうです。(味覚も敏感なので)
こうした五感が優れた子に、強すぎる刺激や商業的な感じがする教材やおもちゃは合いません。

その子その子の持っている可能性に気づくには、
子どもが大人からの期待や評価を受けることなく、
毎日、安心して、自由に振るまえるようにしてあげる必要があります。
子ども自身が、自分自身を成長させる本能のようなものを
十分発揮できるようになったら、
毎日の暮らしが、子どもの可能性を最大限に広げる体験に
なってきます。

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「愛着」の形成がうまくいかなくなってきた現代 3

2011-04-26 17:07:59 | 日々思うこと 雑感
「愛着」の形成がうまくいかないのは、
前回の話のように、子どもを放置しがちで世話を怠ったり、
愛情不足や関心の不足から起こるとばかり言えない気がしています。

それはそれは子どものことを気にかけ手をかけ、
しょっちゅう話しかけて、抱っこもしている……
祖父母も総出で可愛がっている……と、
自他共に認める方でも、
子どもとのコミュニケーションの様子を見るとかなり気がかりで、
それが1~3歳の子の行動の仕方や耳の聞こえ方などに影響を及ぼしているように
見える場合がよくあります。
発達障害はないのに、親に呼ばれても振り返りもせず
目は合うには合うけれど、親の表情を読むだけで自分から目で親に気持ちを伝えようとしない。

表情から親への信頼感や親に寄せる安心感が感じ取りにくく、ペットの動物のように動くことがよくある。(その間、親は言葉のシャワーのように声かけをしていることが多い)

抱っこのされ方がぎこちない(ハグ!ハグ!と親は思ってしているのだけど、ぬいぐるみを抱きしめているかっこうになって、子どもの抱いて欲しい気持ちが満たされていない)

気質の強い子にしっかり注意しない、気質の弱い子に強い態度で接するなど、
親のしつけが子どもに正しく届いていない

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愛着の形成がうまくいかないという問題は、
現代の日本の何とも言えない
幼児と親の危ういコミュニケーションのあり方の中で、
特別なことでなく、誰にも、どこの家庭でも起こることになりつつあるように
感じるのは私だけでしょうか?

ずいぶん前に、テレビで赤ちゃんたちをハイハイさせて競争させる番組を見たことがあります。
ハイハイしてママのところまで一番先に着いた子が勝ちというルールです。
途中で、音や光の出るおもちゃといった赤ちゃんにとって魅力的な障害物がたくさん置いてあるので、それに気持ちが惹かれてハイハイするのを忘れてしまった子はアウトです。
赤ちゃんは本能的な親を求める気持ちに駆り立てられて
一生懸命前に進むのですが、
さまざまな目を引くものや、気が散るものに囲まれているため、
だんだん何をしているのか忘れ、しまいに親を目で追うことすら
しなくなる子も多々いました。

その光景は、今も目に焼きついていて、思い出すたびに不安を掻き立てられます。

さまざまなおもちゃにかこまれるうち、お母さんを求める気持ちを見失ってく赤ちゃん。それと同時に、テレビの撮影現場という特殊な設定に舞い上がり、
この日の経験が赤ちゃんの心に残すかもしれない影に気遣うことも忘れ、
心を持った赤ちゃんをまるで機械仕掛けのおもちゃのように扱ってしまう大人たち。

環境によって本能的な親を求める強い気持ちといったものを失うパターンを学習するって……
現代の物に囲まれ、次々めまぐるしく変わる新しいCMからの刺激を受け続ける世界で
親たちもまた、
「赤ちゃんに惹きつけられる」といった本能的な心を見失わないのでしょうか?

これは特殊な光景ですが、
実際には市が行う子育て支援の場などが、
参加する親たちに非言語の状態で、
赤ちゃんと親との誤ったコミュニケーションのあり方を教え込んでしまうことも多いなと感じています。
ひとつは、私も少し関わっていたのですが、
一部屋の会議室に何十人という赤ちゃんと親を集めて
教育をしたり、遊ばせたりするものです。

その設定は、人が密集した騒がしすぎる場所で、
赤ちゃんの様子も見ないで過すことを「普通」と錯覚させる危険なものでした。

その赤ちゃんと親のための教育プログラムはとても人気があったため、
毎回、募集人数を応募人数が超えていました。
なので、当日、連絡なく遅刻した人は、やめさせられて、別の新しい人がメンバーになるきまりになっていました。
連絡なく遅刻するのは確かに問題がありますが、
初めて赤ちゃんを育てはじめた親にとって
出かけようとしても予期せぬアクシデントがつきものですし、
心がまだ不安定な時期でもありますから、
こうした外の世界のルールに合わせるよう赤ちゃんがらみのことで
強制されると、
赤ちゃんの様子がいつもとちがわないか、熱がないか、もっと寝たがっていないかといった赤ちゃんのサインを読み取ることより、
外の世界の進行に乗り遅れないことばかり気になってしまいますよね。

別の子育て支援施設の「子供向けの広場」も、
赤ちゃん連れもたくさんいるにも関わらず、
大人でも耳を塞ぎたがるような喧騒の中で、行われていました。
大人同士、声をかけても、相手の声が聞こえないのです。
そこに大勢の赤ちゃんが放置され、親同士はおしゃべりに花を咲かせているのです。

赤ちゃんを持つ親だけでなく、
主催する市の職員さんたちも、手伝うボランティアも、
赤ちゃんという生命あるものへの感性を失いつつあるのではないか?
そんなもやもやする思いを抱いた経験でした。

「愛着」の形成がうまくいかなくなってきた現代 2

2011-04-26 13:47:17 | 日々思うこと 雑感
前回の記事に次のようなコメントをいただきました。
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ものすごく今気になっていたことです。
昨日、子育て支援センターに行ったら、
娘と同じ1歳半ぐらいの子を持つ4人の子と母親が来ました。でも、母親達は端でおしゃべりに夢中。
子どもを全くみてないのですが、
子どもも全く母親を必要としてなくて、
それぞれひとりで大人しく遊んでいるんです。それぞれの性格もあるし~とは、思っていてましたが、あまりにもかまうことがなく、かまったと思ったら、遊んでるおもちゃを停止させてカメラ撮影に必死。一人は6ヵ月ぐらいの二人目の赤ちゃんもいてましたが、母親から離れたベビーベッドに置かれ、2時間の間にいちど授乳をしただけで、ずっと置いておかれたままでした。視界にも入っていない感じでした。
1歳半ぐらいのこどもたちは、初めて会う私にも全く警戒なく、ボールで遊ぼうと誘ってきたり、べったり付いてくる感じ。人懐っこい感じはするけど、なんかとても違和感を感じました。

ママ達のおしゃべりも大事だけど、きっと家でもこんな感じなのかな~って思うと明らかにコミュニケーションが少なすぎるな~と思いました。
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コメントをいただいたような親子の光景は、
今、児童館でも、公園でも、ショッピングセンターの遊びの広場でも
保育所や幼稚園の園庭でも子育て支援の場でも当たり前に見られる姿です。

以前、児童館の館長さんに頼まれて
未就園児の多人数の子育てサークルの遊び方の指導をしたことがあります。

それぞれのお母さんが大人同士のおしゃべりに夢中で、
1時間半ほどのサークルの間、子どもは眼中にもない様子でした。
積極的な子たちは走り回って、他の子のおもちゃを奪い取ったり、
赤ちゃんをつきとばしたり、ただ走り回ったりしていて、
おとなしい子は、騒がしい空間で、何をするでもなく座ったまま宙を見つめるか、お母さんたちがしゃべる様子をぼんやり見つめていました。

私が、ぬいぐるみの犬にシャワーをかけてお風呂に入れる真似を始めると、
子どもたちはいきいきとした表情を浮かべて、
犬を風呂に入れたり、拭いてやったりして遊びだしました。
また、文字積み木で図書館やレンタルビデオ屋さんをはじめると、
喜んで借りにきては、
ビデオを見る真似をしたり、
本を選ぶ振りをしたりして楽しそうに遊びだしました。

すると、その様子を見た親たちが、
しぶい顔をして、子どもをにらみつけたり、
暗い表情で、子どもを呼んで、「あの子と遊んじゃだめって言ったでしょ」と耳打ちするのです。
親同士、仲が良いとか悪いとかがあるようなんですね。
仲の悪い親の子どもとは遊ばないようにしつけているようなのです。
それと、
子どもが楽しそうに遊ぶのなんて、まったく無意味で、
先生として参加してくれるのなら、
音楽とか英語とか教えてくれたらよいのに……と思っているのが伝わってくるのです。

案の定、集団でする体操の時間や鈴やタンバリンを鳴らす音楽の時間になると、
お母さんたちの視線はわが子に釘付けになって、
あんなに無関心だったことが嘘のように、今度は一挙一動のミスも、他の子より遅れている部分も見過ごせないわ~という
雰囲気になっていました。
携帯で写真撮る方も多かったです。

気になったのは、多くの子が、
お母さんとまなざしで会話する姿が見られず、
親を振り返りもせずに、
まるで動物のようにうろつくときと、
親の視線が自分の注がれる場面では、
他の子と比較しているのを察知して
顔をこわばらせたり、目をパチパチさせたり、親の目を恐怖に見開いた目で見つめ続けたり、
それかまなざしは感じているはずなのに全く無関心な様子でお遊戯中もイスにのぼったりする姿があったことです。

こうした親子の姿は、あまりめずらしいものではありません。
いろんな子育て支援の場に参加しましたが、どこに出かけても、
「子どもを他の子と比べる場面以外では全く無関心、子どもは視界の外」
という親の姿は、
多数派でしたから。

おそらく今の日本の子育ての定番の形なのかな?

とも感じています。

子どもの側もそれに適応していて、
親に無関心か、自分の要求をかなえる道具として認識しているように見えます。
ですから、子育て支援の場で30組以上の親子が集まると、
殺伐とした空気が流れているんですよ。


今、虹色教室で子どもや親に集まってもらう場合、
親も子もとても良い形で関わることができています。
このブログを読んでくださっている方は、子育てのスタイルでは
少数派なのかもしれませんね。
事前に、子どもへの接し方や子育てで何が大切なのかといったことを共有しておくことの
必要性を感じています。
愛着障害というのは、
多くの子どもたちを少数の職員で世話しなくてはならない
児童福祉施設などでよく見られた問題です。
それがごく普通の家庭でもよく起こるようになってきたというのは
なぜなのでしょう?

私が幼い子を育てている親御さんたちと接していて感じるのは、
言葉を使わない子どもが発するサインに気づけない方が、
非常に多いということです。

前回の記事に次のようなコメントをいただきました。
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コメントを取り上げていただいてありがとうございます。
やはり、どこにでも見られる光景なのですね。
先週も外食先で驚く光景がありました。
となりに自分と同じぐらいの夫婦と10ヵ月ぐらいの子供がいてたのですが、約30分の食事中、ベビーカーにずっと座ってひとり遊びしているのですが、親とのコミュニケーションが全くないんです。
気になってついつい観察してしまったのですが、夫婦は楽しそうに会話しながら食事をしていて、子どもが時々父親の服をひっぱったりしても気付かない様子。
約30分ぐらいの間に、父親が子どもの方を見たのはたった3回で(私が見ていたかぎりなんですが)1回は写真を撮り、2回目はバーと一度笑顔をみせたもののすぐ会話に戻り、3回目は『いこか』でした。母親は私たちに背を向けていたので、表情はわかりませんが、子どもが全く母親を見てなかったので母親もみてなかったんだと思います。
母親は二人目を妊娠されているようでした。
日本の子育てこれでいいのかな~と不安になりました。
ゆっくり外食ができてうらやましいかぎりではありますが。
うちでは、ほぼ交代で娘を見ながらの早食いが多いので、めったに外食はできなくなりました。それが普通だと思っていたので、目が釘つけになってしまいました。
子どもの発信をしっかり大人が受けてあげないと、子どもは発信をやめてします。言語以前の心のキャッチボールが全くできていないんだなぁ~と感じました。そしてそんな親ほど、うちの子は手がかからなくていい子と子育てに不安を感じていない方が多いように感じます。

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こうした光景もまたけっしてめずらしいものではありません。
ベビーカーを押しながら移動するママ友たち、
ショッピングセンターで見かける親子、外食の場で出会う親子も、
「お世話時間以外は、自分の視界からも心からも遠く離れた場所に放置していてもかまわない電子ペット」のように
子どもを捉えているようにも見えます。
電子ペットですから
自分がアクションをかけて打ち込んだ情報には
きちんとした反応が欲しいのです。

でも、そうした大人側からの求め以外で、子どもを見ることすら忘れているような現代の子育ての状態があって、
かつては施設で育った子や虐待を受けた子にしかなかった愛着の障害が、
ごく普通の子ども好きの親のもとでも
起こるようになってきたのでしょうか?


赤ちゃんは、3ヵ月頃までにアイコンタクトが成立します。
欲求があると泣いて知らせ、
あやされると手足をバタバタさせたり、
笑い声をあげたりして、身体中で喜びを表現します。

大人が近づくと、目を見つめながら微笑みかけてきます。
「遊んで!」のサインです。
 大人は、その愛らしいサインについ抱きあげては、あやして遊ぶようになります。
すると赤ちゃんは、また全身で喜びを表現します。
赤ちゃんが喜ぶから、大人もついついもっとあやします。

するとさらに赤ちゃんがはしゃぎます。やめると、もっと遊んでとばかりに、
「あーあー!ブチュブチュ(あぶくを出すなど)」して注意をひき、
うまくいかないと、泣いてさらに注意を引きつけようとします。
そのように赤ちゃんの出すサインに大人が応える形で、愛着は形成されていきます。
 そして生後6~8ヵ月頃には、身近な特定の人(だいたいお母さん)を愛着の対象者として選び、その後、人見知りをはじめます。
見慣れない人に抱かれると泣き、お母さんが抱くと泣きやみます。
お母さんと遊んでいるとき、他の人が接近してくると、目をそらしたり、母親にしがみついて警戒したりします。
そんなときしっかり抱きしめてもらうことで、
赤ちゃんはお母さんのいつも自分を守ってくれるという思いを抱き、
「安心感のよりどころ」とするようになります。

そうして特定の人(主にお母さん)と信頼関係が結ばれると、不安を抱かず他の人を受け入れることができるようになるのです。

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「愛着」の形成がうまくいかなくなってきた現代 1

2011-04-26 13:28:59 | 日々思うこと 雑感
最近、愛情深く育てられていて、発達障害もないと思われる幼児の表情のレパートリーが少ないことが気にかかることがよくあります。
笑顔と無表情、泣き顔と怒った顔以外の、
「恥ずかしそうにしながら好奇心いっぱいに目を輝かしている表情」とか、
「ちょっと含み笑いをするような表情」とか、
「喜びに満ち足りてフワッと笑顔が顔全体に広がっている表情」とか、
「ちょっぴりすねながらも、甘えていて、こちらを上目使いにうかがっている表情」など、子どもが自分の感情を自然にいきいきと表現する姿が
あまり見られないのです。

子どもの『愛着』の形成について関心が強い知人は、
親子の間の愛着の希薄さのようなものが、
子どもの表情のレパートリーの少なさと関係していると
話します。

子ども側の親を強く激しく求めていく本能のようなものが弱くなっていて、
親の側も子どもをぎゅっと抱きしめようとする本能のようなものが弱くなって
いて、
人として生きていく基盤となる部分が
育ちにくくなっていると言うのです。


過去記事ですが、よかったら読んでくださいね。
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「公園などで見かける多くの幼児が、
『愛着』の形成がうまくいっていないように見える」

「そうした子の親の関わり方を見ていると、
外からは可愛がっているように見えるし、ごく普通の親のように見えるけれど、
子どもとの心の交流や非言語でのやりとりが
かなりずれているようだ」

数年前から、幼い子を育てている最中の知人から、繰り返しそうした指摘を受けていたため、
私もその問題には細心の注意を払ってきました。

愛着とは、特定の人に対して「この人は自分の欲求や感情や意思を理解してくれる。この人といれば安心だ」という認識をもつこと。
特定の人に対して特別な情愛を抱くことです。
生後6~8ヵ月頃に、赤ちゃんの心に大人との関わりを通して形成されます。

愛着がきちんと形成されないと、次のふたつの態度が生まれます。

世話をしようとしている人に対して、警戒的で、「素直じゃない」という態度が多くなります。
甘えたいの甘えることができなくて、優しくしてもらっているのに、怒りだしたり泣いたりします。

一方、初めて会う人にもなれなれしく近づき、ベタベタし、
社交的に見えるものの、警戒心がほとんど見られず、
相手がどんな人か頓着しません。

3歳くらいまでは、子どもってこんなものかな~と思ってきたけれど、3歳を過ぎ、成長するにつれ、気になることが増えてきたという方で、
子どもの愛着形成がきちんとできていないな~と感じるケースと
よく出会います。

「こんな風にしたらうまくいく」と一言で伝えられる内容ではないのですが、
愛着の形成に集中的にしっかり努めてみると、
母親に1,2歳児のようにベタベタ甘える時期、、
親に八つ当たりしたり、ワガママをぶつける時期を経過したあとで、
状態が飛躍的に良くなる子が多いです。

愛着の形成に問題がある子は、
発達障害を持っている子もいるし、ごく普通の子もいます。
どちらであっても、
愛着がしっかり形成されていくと
問題のある行動は減ってきます。

2歳3歳の子というのは、愛着に問題がなく、
すくすく育っていても、
何でもかんでも「自分で!」と言い張ったり、「ダメ」「イヤ」と言わないと、
何もはじまらないのが普通です。
ですから、子どもが、よく泣いたりごねたりするからといって
過度に心配する必要はありません。

しかし、今、子育て環境の変化から、
専門家の間でも、
「普通の家庭」で育てられている子ども達の間に、愛着がきちんと形成されていない子がたくさん見られるようになり、
特に、
「人見知りがなく、誰にでもすぐになれなれしく甘えていく脱抑制型の愛着障害がよく見られる」という指摘がされているのも事実です。

私自身も、記事の最初に登場した知人も、子どもの姿を観察しながら、
非常に多くの幼児がこの問題を抱えていることを感じています。
愛着の形成の問題は、安易に見過ごすわけにはいかない、
先の多くの問題(学級崩壊、不登校、反社会的行為、無気力無関心)のねっこともなるものなんだろうな……と感じています。

具体的な対応、解決法は
また時間があるときに記事にしていきますね。

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頭を抱えた算数の問題

2011-04-25 23:02:16 | 虹色オンライン教材

今日は年中さんの★ちゃんと、年長さんの☆ちゃんのレッスンでした。

教室の近くでタンポポとぺんぺん草を摘んできて、
工作をしました。
ぺんぺん草のクリスマスツリーと、たんぽぽのホウキなのだそうです。

★ちゃんも☆ちゃんも、とてもおしゃべりで想像力が豊かな子です。
ですから、20くらいまでの数の足し算や引き算にまつわる文章題なら
どんな凝った問い方をしても
きちんと正しい答えを返してきていました。

「チョコレートとガムを売っているスーパーマーケットがあってね」と話すと、
「チョコとガムしか売っていないスーパーマーケットなんておかしいわね。」と★ちゃんが笑います。

「そうよ、ちょっと変なスーパーマーケットなの。それで、あっちもこっちも、チョコ、チョコ、チョコ、チョコ、ガム、ガム、ガム、ガム、見渡すかぎりにそればっかり売っているの。」と言うと、
「あー面白い」とふたりともゲラゲラ笑い転げます。

それでね、★ちゃんが、チョコを4個、ガムを2個買って、☆ちゃんがチョコを5個、ガムを3個買ったとしたら、ふたりが買ったチョコをあわせるといくつで、ガムをあわせるといくつだかわかる?」
「そんなの簡単よ」とふたりは口をそろえて、「チョコは9個で、ガムは5個」と答えました。


そんな風に、あれこれ文章題を出したところ、どれもすぐに答えを言うので、
「なら、今度は★ちゃんと☆ちゃんが、先生に算数の問題を出してちょうだい」と言いました。

すると、難問奇問が続出し、私はすっかり頭がこんがらがってしまいました。


★ちゃん 「へやが6つありました。そのとなりはだれさんとだれさんがいるのでしょう?」
私は考えこみました。どう考えても、なぞなぞでもとんち問題でもありません。おそらく、★ちゃんが満足する住人の名前を言えたら正解なのでしょう。
それで、教室の人気のぬいぐるみの名前を言うことにして、
「白ねこちゃんと、黒ねこちゃん?」と自信なげに答えると、
「ピンポーン!正解です」とのこと。
そうですか、当たりでしたか……。

次に★ちゃんがもう一問。
「6、車を買いました。どれが本物の★ちゃんの車でしょう?」

「えっ?6台の車を買ったんなら、6台とも★ちゃんの車じゃないの?
6台のうち、どれか★ちゃんじゃない人の車があるの?」と不思議に思ってたずねると、

★ちゃんと、☆ちゃんは顔を合わせて、
「みんなに買ってあげたんじゃない、ねぇー」「ねぇー」と、
当然でしょとでも言いたげにうなずきあってます。

「あぁそう、★ちゃんがお金を出して車を買ったんだけど……6台も!
お金持ちね。その6台のうち何台かは、誰かのために買ってあげたのね。
それで、何台かは自分の車なのね。
それで、どれがって聞いているんだから、1,2,3,4,5,6って、
車が並んでいるところを想像して、ここにあるのが★ちゃんの車でしょって言ったらいいの?」
とたずねると、
「そうよ、右とか左とか」という答え。
「なら、一番左!」「ピンポーン!正解です」とのこと。
また当たったようです。

次は☆ちゃんが出題。
「最後にある数字と最後にある数字を足したらいくつでしょう?」

「えっ、最後にある数字って、1,2,3,4,5とある中で、その最後にある数字のこと?それとも、1,2,3,4,5,6,7,8,9,10とある中で最後にある数字のこと?」とたずねると、

「それは……」と口ごもる☆ちゃんに、★ちゃんが横から助け舟を出しました。「それを言ったら、答えがわかっちゃうじゃないの?ねぇー」
すると、☆ちゃんも「ねぇー」と言って、またもやふたりで
顔を見合わせて、言います。
先生、そんなことをたずねるなんてズルだわとでも言いたげです。

その割に、「じゃあ、最後にある数っていくつなの?」とストレートにたずねると、すんなり返事を返してくれました。
「むりょうたいすうだよ」という答え。

「えっ、最後にある数って無量大数のことだったの?
無量大数と無量大数を足すの?
それは難しいなぁ」と言うと、

またもやふたりで顔を見合わせて、「だって無量大数だもん、ねぇー」「ねぇー」と言いあっています。
どこでそんな言葉を覚えてきたのやら……それにしても、
この問題も難しい……。


写真は★ちゃんの作品です。

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夏休みのユースホステルでのレッスンについて

2011-04-25 21:15:35 | 日々思うこと 雑感
科学クラブや算数クラブの子どもたちと、
夏休みにユースホステルに1泊してレッスンをすることを
計画していたので、
新大阪ユースホステルに予約の申し込みに行ってきました。

何日か、予約できたので、
最初に予定していた科学クラブや算数クラブの子どもたち以外でも、
子どもへの接し方や学習の教え方をじっくり学びたいという方も
何名か参加していただくことにしました。

大人と子どものペア、6組で1泊します。

くわしい日時は、今週中にお知らせします。

予定では、発達に気がかりなところがある小学生 6人、
幼児 女の子たち 6人、
幼児 男の子たち 6人、
科学クラブ 6人
算数クラブ 6人

の5つのグループの宿泊を予定しています。
それぞれ別の日時です。


費用は、大人1人と子ども1人の宿泊費と夕食と朝食代、子どものレッスン料、大人の方々の勉強会の費用などを全て含めて2万円弱になります。

部屋は6人部屋で、大浴場があります。
男女別相部屋を6人単位で予約するので、
基本は母親とお子さん一人のペアになります。

(父親も宿泊したいという場合は、
ツインルームを取ったり、もう一部屋、男性が泊まれる部屋を頼めるか
ユースホステルに相談してみますが、
予約できるかどうかわかりません。
下のお子さんを連れて参加したい場合も、
子どもの年齢により金額が変わりますので、
ユースホステルに問い合わせてみます)

ぺんぺん草 と 色の実験

2011-04-25 20:27:41 | 日々思うこと 雑感
科学クラブの★くんが、ぺんぺん草を持ってきてくれました。
気になる野草を見つけたら、教室に持ってきて
みんなで観察することにしているのです。

「ぺんぺん草って葉っぱみたいなところがハートだよね。どうしてだろう?」
「葉っぱみたいだけど、プクッとしていて、葉っぱじゃないみたい」
「そこは、きっと種が入っているんだよ」
そんなことを話しあいながら観察しました。

ハートの形の部分を爪で引っかくと、
中から種が出てきて、子どもたちは大喜び。
「そういえば、葉っぱはちゃんと下についている。ハートのは
葉っぱじゃないね」と納得。

ルーペを使って白い小さな花を観察したり、
茎の断面を観察したり(小さすぎて、よく見えず)
しました。

みんなで観察するうちに、植物への興味がどんどん膨らんできた様子の
子どもたちは、
「今度は、茎がもう少し太い植物の断面図を観察してみる」
と意欲満々でした。


色のにじみ方の実験。
コーヒー用のフィルターに
水性マジックで色をつけ、水を染ませてにじみ方を見ます。
いろんなパターンが試したくて、何度も何度も作っていました。

ゴールデンウィーク中の科学クラブ  についての発表です。

2011-04-25 10:13:35 | 日々思うこと 雑感
ゴールデンウィーク中の科学クラブに来ていただく方の発表です。
今回は、募集人数が少なくて本当にすいません。

教室までの道順をメールで送らせていただきます。
来ていただく方々は、
コメント欄にメールと電話番号をお願いします。
非公開で見させていただいて、
連絡します。

5月3日 1時~3時    2名まで
ひいらぎさん  きょきょさん

5月4日 10時~12時  3名まで
アキコさん  しょうじゅんさん  ayakoさん

申し訳ありませんが、当日は、1時間半は子どもだけのレッスンで、
残り30分が見学の時間となります。

久しぶりに会う子たちに会いたい気持ちでいっぱいで、
思わず日数を無理にでも調整して、もう少したくさんの子たちに来てもらう
形に変更しようかと悩みに悩んでいたのですが、
「そうやって無理な変更をするから問題が起こる」と家族から注意を受けてしまいました。

子どもたちを成長させる質の良い体験を用意しようと思ったら、
どうしても少人数で、
ひとりひとりの子にしっかり関わる必要があります。
でも、そうしようと思うと、
何度も抽選に漏れてしまう方が出るので、悩むところです。
ただ、私はあまり器用でないので、やはり、ひとりひとりとゆっくり
関わっていくしかできないな~と最近、気づきました。





実は、先日の刈谷でのワークショップで、
私のそうした判断のミスで、参加した方に不自由な思いをさせてしまったのです。

遠方でワークショップを開く場合、
交通費の問題があるので、私が単身でそこに向かいます。

お手伝いの方を十分な人数募集しておかないと、
参加してくださった方を誘導したり、スムーズにワークショップを運営することが難しくなります。

刈谷でお手伝いの募集をかけたところ、「もし、子ども連れで参加できない場合は、お手伝いとして参加させてください」と書いてくださっていた方がけっこういたのです。

せっかくそうした申し出をしてくださった方が、
それを書いたために抽選から漏れてお手伝いに回されるようなことになってはいけないと思った私は、参加申し込みとお手伝いの申しこみを同時にしてくださった方は、子どもと参加できるようにすることにしました。

そうして、最低限のお手伝いの人数だけキープして、
それぞれの参加者にそれぞれほんの少しだけ手伝ってもらうか、
自主的に動いてもらえば何とかなるだろうと
判断したのです。


が、当日、子どもさんの体調不良などで、
少なかったお手伝いの人数がさらに減ってしまいました。

結果とすれば、子どもたちはいきいきと楽しそうに
参加していたので、よかったといえば、よかったのですが、
大人の方々は会の流れがつかみにくくて、
困っただろうなという反省もあったワークショップでした。

それと、
2~3人までのレッスンで、
ひとりひとりの子の性質や発達の課題をきちんと把握した後で、
こうした多人数のワークショップに参加してもらうのでないと、
あまりプラスにならないような気もしました。

大勢の方のニーズに応えようとして、
どの方にも中途半端な対応になったのでは元も子もないですよね。
それで、今後は、少ない人数で、「もう一度、行きたい」という子どもの気持ちに応える形を中心に
不定期のレッスンの募集をしようと考えています。


発達障害のある子に 教えるとき

2011-04-24 20:00:43 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

発達障害のある子に何かを教えようとすると、
この子たちがどれほど「他人から学ぶ」のが
苦手なのかよくわかります。

「教えている側と、教わる側が、
同じ方向に注意を向ける」という
教える上での前提条件とも言えるものが成り立たない場合がよくあるのです。

「自分に向かって言葉がかけられている」ことに気づいたり、
「自分が何をするよう期待されているのか」察することも

教える上での前提条件ですよね。

それから、教える側が使っている言葉が表している内容が、
教わる側に正確に伝わることも、
教える以前の条件でもあります。
教える側が熱弁していても、言葉が通じていなければ、ただの雑音に
すぎませんよね。

発達障害のある子の教育では、
そうした「教える、教わる」以前に必要な条件が
ほとんどそろっていないケースが多いです。

それに加えて、それぞれの子が、学習障害を重複して持っていたり、想像力が極端に弱かったり、知的な能力に弱さがあったりするので、
「みんなと同じ」教え方では、なかなか成果が上りません。



虹色教室のレッスンで、
発達障害のある子に学習を教える時、
課題ができるようになることのみを目指すのではなく、
教えようとしても、
うまく噛み合わない部分に着目するようにしています。

噛み合わない部分というのは、
「こうした指示を出せば、当然、こうした反応が返ってくるだろう」
と期待していたのに、
空振りに終わったところです。

発達障害の子を教えていると、しょっちゅうそれにぶつかりますよね。

そんな時に、「今、教えていること」や「できるようにさせたいこと」だけを
気にかけて、あせったり、がっかりしたりしがちです。

もちろん「教えたことができるようになること」は大事な目標ですが、

うまく通じあわない現実から、

「子どもと自分は認知の上でどのような違いがあるか」
「どんな時、言葉の理解が食いちがうのか」
「どんな時、気持ちが切り替えられなくなって拒絶するのか」
「どんな時、自分に向けられている問いだと気づけないのか」
といったことを把握していくことも重要なのです。

教えるのがうまくいかないとき、
冷静にうまくいかない事実を分析していくと、
子どもが学校の授業中に、
どのような困り感を抱えて過しているのか
わかってきます。
具体的などのような援助が必要なのかも見えてきます。

くるくる楕円を描きながら線をなぞっていく課題で、
ある女の子は、一筆でスムーズになぞっていくのではなく
線の交差部分ごとにえんぴつを止めて、意外な方向に線を加えて
課題をしていました。

「このようなプリントは、こうするのが常識」
と多くの人が感じる常識を
察することが苦手なようなのです。

こんなときに、「こうやって描くのよ」と練習させて、
できるようになったらお終い……では、
足りないと思うのです。

この子はこういう苦手がある……と気づくことから出発して、
学校や家庭で学習する際、
次のような配慮をする必要が出てくるのではないでしょうか?

★ 課題の具体的なお手本を見せること
(見せる位置や向きも大事)

★ どのようにしたらよいのかわからないとき、誰にどのようにたずねたらよいか教える

★ 課題にどのような意図があるのか、言葉でわかるように説明する。
「えんぴつでくるくるとまらないで上手に描けるようになる練習をするのよ。
だから、くるんくるんってすべっていくみたいに、描くの。」


発達障害のある子は、
「他人から学ぶ」のが上手ではありません。
ですから、
教えるとすれば、「どんどん教えるから、ついてきなさい」という姿勢ではなく、
その子が、自分にとって最適な方法を見つけて、自分で学んでいける形に
手助けしながら整えていくのが、
周囲の大人の役割かなと感じています。

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発達障害のある子が成長してハンディーがわからなくなった時  

2011-04-24 12:09:48 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

web拍手で次のような質問をいただいていました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
以前の記事の事でお聞きしたいです。障害のある子や問題のあるの子が小学校中学年、高学年になり問題が無くなった様に見える時期があり、でも、障害が無くなった訳でもなく気を付けなくてはいけない という記事をもう一度読みたいですが見つかりません 奈緒美先生わかりましたら教えて頂きたいです。お願いします。私の子もはっきり診断を受けていませんが、4年生になり聞き分け、自分でやるべき事、授業の態度等大分良くなり、まわりの友達に近づきつつありますが、先生の以前の記事を思いだしました。お忙しいと思いますが、お願いします。
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過去記事が多すぎて、私にも見つからず……。
別の内容になりますが、今、感じていることを書かせていただきますね。

「障害のある子が小学校中学年、高学年になり問題が無くなった様に見える」
という時、
周囲に迷惑をかけるとか、大人の手をわずらわせるという問題は確かに減ったけれど、
本人の苦しさや悩みは、以前よりも増えている場合があります。

虹色教室に通っている高機能自閉症の男の子が高学年になったときに、
「ぼくがこれまで言ったり、したりしてきたことが恥ずかしい」と言ったり、
「友だちがみんなでぼくの悪口を言っている」と言ったりして
悩むようになりました。
勉強の面でも社会性の面でもずいぶん成長してきて、
親御さんにしても、学校の先生にしても障害がなくなったように感じるとき、
本人の肩にはずっしりハンディーキャップがのしかかってくることも
あるのです。

発達障害のある子たちは、
自分が疲れているかどうかが感じ取りにくい子がいます。

また、かなり辛い時も、自分からSOSが出せない子もいます。
そのため、いったん努力しはじめると、
周囲から求められたら求められただけ、
がんばってしまうことがあるのです。

心療内科医・医学博士の星野仁彦の
『発達障害を見過ごされる子ども、認めない親』という著書の中に、
次のような一文がありました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
発達障害の子は、前頭葉の報酬系の機能が弱く、ドーパミンという神経伝達物質も不足しています。
そのため脳のストレス耐性が低く、教師に叱られたり、クラスメートのからかわれたりしただけで、パニックを起してしまします。
(略)もともとストレスに弱い発達障害の子どもが、親や教師から怒鳴られたり、きつくしかられたりすれば、大人が想像する以上のダメージを受けてしまいます。子どもによかれと思ってしたことが、かえってマイナスの要因になってしまい、二次障害を引き起こすきっかけになりかねません。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

発達障害のある子が、問題となる行動が減ってきた場合でも、
本人にすれば、いっぱいいっぱいの非常に苦しい我慢を
自分に強いていることが多いです。
それでも、一般的なハンディーのない子に比べると、ミスも多く、
きつく叱られることもたびたび起こるはずです。

一般的な子と見分けがつかなくなるほど、
求められるもののハードルも上って
本人の苦しみは深刻なものになっているかもしれません。


成長してハンディーキャップが周囲からは見えにくくなった子の
生き辛さは、
私自身にもADDの特徴をたくさん持っていて、能力の凸凹からくる不自由な暮らしをしているのでよくわかります。
(診断は受けていないのですが)

といっても、ADHDやADDの特徴に振り回されて
日常生活が戦場のようになっている方からすれば、
ごく普通に働いて、それなりにいろいろなことをこなしている私が
ADDであるなんてとんでもない。本当のADDの辛さがわかっていない……
と感じるかもしれません。

一方で、ごく一般的な方からすれば、
「どうしてそんなことができないの?」「どうしてそんなミスをするの?」
とイライラするか、
「人間はミスするものよ。みんなそうよ」と
考えすぎをとがめるかもしれません。

外から見ると、ハンディーキャップがあるようには見えなくて、
得意なことがいくつかあって、
苦手なことも、得意なことでカバーできたり、
意識してすれば何とかできてしまう場合……

一般的な方にしても、苦手はあるし、ミスもするのだから、
「発達障害があるとは言えないんじゃないか?」
「発達障害のことなどいちいち気にかけなくてもいいんじゃないか?」
と思う方がいるかもしれません。

でも、自分の体験から言うと、苦手やミスが発達障害の特徴を原因としている場合、
一般的な方のアドバイスや常識的な考え方を
実行しようとすると、さらにできなくなることに つながりがちなのです。


発達障害に関する知識をもとに
自分のぶつかっている問題を見つめてみてはじめて、問題を克服できる場合が多々あるのです。

ちょうど、昨日、私はブログの記事で数字を書き間違えていたので、
そのことを例にして説明しますね。

私は、こういううっかりミスがとても多いのですが、
だからといって普段、仕事中にそうしたミスをするわけでもありません。

いくつかの条件が重なると、とても不注意になるときがあるのです。
慣れている単純な作業をしているとき、
頭の中では作業とまったく別のことを考えていて、
その考えに過度に集中するあまり、
耳も聞こえていないし、目もちゃんと物を見ていないという状態になりやすいのです。
(それが怖くて、運転免許を取るのは諦めたのですが……。事務の仕事も無理でしょうね)

脳が無意識のうちに、
普段使っているモードと全く別のモードに切り替わっていることが多々あるのです。

不注意なミスを起す状態になるから、必ずしもそれが悪いものかというと
そうでもなくて、
別のモードに切り替わっているときは、
普段より創造力や発想力が活発になっています。
ある意味でとても生産的になっているのです。
でも、そのモードで考えを追いはじめると、時間の感覚にゆがみが出るので
10分くらいと思っていたら、何時間も経っていて驚くことがあります。

いつ過度に集中しだすかわからないので、私は自分の脳が信用できなくて、
大事な用事があるときは、数分おきにタイマーをかけています。
これまで何度も自分の脳に裏切られたような気持ちを味わったことがあるので
ついた習慣です。

そうやってオーバーなほど気をつけていても、
やっぱり一般的な人より、「うっかり」が多いのです。

そうしたときに「自分はダメだな」と自虐的になったり、
「人は失敗するもの」と開きなおったりするのでなく、
発達障害の知識に目を通すようにすると、
自分の困り感の中身がはっきりしてきて、具体的な解決策が見えてきます。

能力に凸凹があると、「凹さえなければ……自分は今頃……」と
悔しい気もするのですが、
自分の「できない」面や不自由さから学ぶこともたくさんあります。

特に発達障害のある子たちの学習を見ているときは、
そうした自分の「できない」面や不自由さから気づく
ヒントが役に立ちます。
「どのようにしたらできるようになるか」という道筋を捉えるときにも、
「何がどうわからないのか」理解する意味でも。
また、心の面でも。

最初の、発達が気がかりだった子の
問題が無くなった様に見える時期についても、
外からハンディーが見えないからこその生き辛さや
普通に生活していくだけで、どんどん精神的に追い詰められていく状況がよくわかります。

発達障害があると、一般的な人が「まだ何もしていないから全く疲れていない」ような状況でも、ちょっと騒がしいとか、ちょっとまぶしいとかで、
軽いパニックを起して疲れ果ててしまっていることがよくあるのです。

聴覚、視覚、味覚、嗅覚、触覚の必要な情報だけを取り入れることができず、すべての情報が流れ込んできて、
いっぱいいっぱいになってしまうこともよくあるのです。

私の場合、聴覚でだけそうした困り感を持っているのですが、
そのひとつだけでも、すぐに疲れてしまって集中力を失っていくのです。

感覚過敏がいろいろある子は、
どんなにストレスを抱え込んでいるのだろうと思います。

子どもから問題が見えなくなったとき、周囲はみんなと同じにすることを
子どもに求めます。
発達障害がある子にとって、
「みんなと同じ」にすることが、
「みんなと同じ」レベルの我慢の上に成り立っているのではないことを
理解しておくことがとても大切だと思っています。


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