前回の記事に次のようなコメントをいただきました。
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ものすごく今気になっていたことです。
昨日、子育て支援センターに行ったら、
娘と同じ1歳半ぐらいの子を持つ4人の子と母親が来ました。でも、母親達は端でおしゃべりに夢中。
子どもを全くみてないのですが、
子どもも全く母親を必要としてなくて、
それぞれひとりで大人しく遊んでいるんです。それぞれの性格もあるし~とは、思っていてましたが、あまりにもかまうことがなく、かまったと思ったら、遊んでるおもちゃを停止させてカメラ撮影に必死。一人は6ヵ月ぐらいの二人目の赤ちゃんもいてましたが、母親から離れたベビーベッドに置かれ、2時間の間にいちど授乳をしただけで、ずっと置いておかれたままでした。視界にも入っていない感じでした。
1歳半ぐらいのこどもたちは、初めて会う私にも全く警戒なく、ボールで遊ぼうと誘ってきたり、べったり付いてくる感じ。人懐っこい感じはするけど、なんかとても違和感を感じました。
ママ達のおしゃべりも大事だけど、きっと家でもこんな感じなのかな~って思うと明らかにコミュニケーションが少なすぎるな~と思いました。
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コメントをいただいたような親子の光景は、
今、児童館でも、公園でも、ショッピングセンターの遊びの広場でも
保育所や幼稚園の園庭でも子育て支援の場でも当たり前に見られる姿です。
以前、児童館の館長さんに頼まれて
未就園児の多人数の子育てサークルの遊び方の指導をしたことがあります。
それぞれのお母さんが大人同士のおしゃべりに夢中で、
1時間半ほどのサークルの間、子どもは眼中にもない様子でした。
積極的な子たちは走り回って、他の子のおもちゃを奪い取ったり、
赤ちゃんをつきとばしたり、ただ走り回ったりしていて、
おとなしい子は、騒がしい空間で、何をするでもなく座ったまま宙を見つめるか、お母さんたちがしゃべる様子をぼんやり見つめていました。
私が、ぬいぐるみの犬にシャワーをかけてお風呂に入れる真似を始めると、
子どもたちはいきいきとした表情を浮かべて、
犬を風呂に入れたり、拭いてやったりして遊びだしました。
また、文字積み木で図書館やレンタルビデオ屋さんをはじめると、
喜んで借りにきては、
ビデオを見る真似をしたり、
本を選ぶ振りをしたりして楽しそうに遊びだしました。
すると、その様子を見た親たちが、
しぶい顔をして、子どもをにらみつけたり、
暗い表情で、子どもを呼んで、「あの子と遊んじゃだめって言ったでしょ」と耳打ちするのです。
親同士、仲が良いとか悪いとかがあるようなんですね。
仲の悪い親の子どもとは遊ばないようにしつけているようなのです。
それと、
子どもが楽しそうに遊ぶのなんて、まったく無意味で、
先生として参加してくれるのなら、
音楽とか英語とか教えてくれたらよいのに……と思っているのが伝わってくるのです。
案の定、集団でする体操の時間や鈴やタンバリンを鳴らす音楽の時間になると、
お母さんたちの視線はわが子に釘付けになって、
あんなに無関心だったことが嘘のように、今度は一挙一動のミスも、他の子より遅れている部分も見過ごせないわ~という
雰囲気になっていました。
携帯で写真撮る方も多かったです。
気になったのは、多くの子が、
お母さんとまなざしで会話する姿が見られず、
親を振り返りもせずに、
まるで動物のようにうろつくときと、
親の視線が自分の注がれる場面では、
他の子と比較しているのを察知して
顔をこわばらせたり、目をパチパチさせたり、親の目を恐怖に見開いた目で見つめ続けたり、
それかまなざしは感じているはずなのに全く無関心な様子でお遊戯中もイスにのぼったりする姿があったことです。
こうした親子の姿は、あまりめずらしいものではありません。
いろんな子育て支援の場に参加しましたが、どこに出かけても、
「子どもを他の子と比べる場面以外では全く無関心、子どもは視界の外」
という親の姿は、
多数派でしたから。
おそらく今の日本の子育ての定番の形なのかな?
とも感じています。
子どもの側もそれに適応していて、
親に無関心か、自分の要求をかなえる道具として認識しているように見えます。
ですから、子育て支援の場で30組以上の親子が集まると、
殺伐とした空気が流れているんですよ。
今、虹色教室で子どもや親に集まってもらう場合、
親も子もとても良い形で関わることができています。
このブログを読んでくださっている方は、子育てのスタイルでは
少数派なのかもしれませんね。
事前に、子どもへの接し方や子育てで何が大切なのかといったことを共有しておくことの
必要性を感じています。
愛着障害というのは、
多くの子どもたちを少数の職員で世話しなくてはならない
児童福祉施設などでよく見られた問題です。
それがごく普通の家庭でもよく起こるようになってきたというのは
なぜなのでしょう?
私が幼い子を育てている親御さんたちと接していて感じるのは、
言葉を使わない子どもが発するサインに気づけない方が、
非常に多いということです。
前回の記事に次のようなコメントをいただきました。
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コメントを取り上げていただいてありがとうございます。
やはり、どこにでも見られる光景なのですね。
先週も外食先で驚く光景がありました。
となりに自分と同じぐらいの夫婦と10ヵ月ぐらいの子供がいてたのですが、約30分の食事中、ベビーカーにずっと座ってひとり遊びしているのですが、親とのコミュニケーションが全くないんです。
気になってついつい観察してしまったのですが、夫婦は楽しそうに会話しながら食事をしていて、子どもが時々父親の服をひっぱったりしても気付かない様子。
約30分ぐらいの間に、父親が子どもの方を見たのはたった3回で(私が見ていたかぎりなんですが)1回は写真を撮り、2回目はバーと一度笑顔をみせたもののすぐ会話に戻り、3回目は『いこか』でした。母親は私たちに背を向けていたので、表情はわかりませんが、子どもが全く母親を見てなかったので母親もみてなかったんだと思います。
母親は二人目を妊娠されているようでした。
日本の子育てこれでいいのかな~と不安になりました。
ゆっくり外食ができてうらやましいかぎりではありますが。
うちでは、ほぼ交代で娘を見ながらの早食いが多いので、めったに外食はできなくなりました。それが普通だと思っていたので、目が釘つけになってしまいました。
子どもの発信をしっかり大人が受けてあげないと、子どもは発信をやめてします。言語以前の心のキャッチボールが全くできていないんだなぁ~と感じました。そしてそんな親ほど、うちの子は手がかからなくていい子と子育てに不安を感じていない方が多いように感じます。
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こうした光景もまたけっしてめずらしいものではありません。
ベビーカーを押しながら移動するママ友たち、
ショッピングセンターで見かける親子、外食の場で出会う親子も、
「お世話時間以外は、自分の視界からも心からも遠く離れた場所に放置していてもかまわない電子ペット」のように
子どもを捉えているようにも見えます。
電子ペットですから
自分がアクションをかけて打ち込んだ情報には
きちんとした反応が欲しいのです。
でも、そうした大人側からの求め以外で、子どもを見ることすら忘れているような現代の子育ての状態があって、
かつては施設で育った子や虐待を受けた子にしかなかった愛着の障害が、
ごく普通の子ども好きの親のもとでも
起こるようになってきたのでしょうか?
赤ちゃんは、3ヵ月頃までにアイコンタクトが成立します。
欲求があると泣いて知らせ、
あやされると手足をバタバタさせたり、
笑い声をあげたりして、身体中で喜びを表現します。
大人が近づくと、目を見つめながら微笑みかけてきます。
「遊んで!」のサインです。
大人は、その愛らしいサインについ抱きあげては、あやして遊ぶようになります。
すると赤ちゃんは、また全身で喜びを表現します。
赤ちゃんが喜ぶから、大人もついついもっとあやします。
するとさらに赤ちゃんがはしゃぎます。やめると、もっと遊んでとばかりに、
「あーあー!ブチュブチュ(あぶくを出すなど)」して注意をひき、
うまくいかないと、泣いてさらに注意を引きつけようとします。
そのように赤ちゃんの出すサインに大人が応える形で、愛着は形成されていきます。
そして生後6~8ヵ月頃には、身近な特定の人(だいたいお母さん)を愛着の対象者として選び、その後、人見知りをはじめます。
見慣れない人に抱かれると泣き、お母さんが抱くと泣きやみます。
お母さんと遊んでいるとき、他の人が接近してくると、目をそらしたり、母親にしがみついて警戒したりします。
そんなときしっかり抱きしめてもらうことで、
赤ちゃんはお母さんのいつも自分を守ってくれるという思いを抱き、
「安心感のよりどころ」とするようになります。
そうして特定の人(主にお母さん)と信頼関係が結ばれると、不安を抱かず他の人を受け入れることができるようになるのです。
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