虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

「こだわり」を新しい興味や課題につなげる工夫  (自閉症スペクトラムの子のレッスンで) 2

2012-11-23 07:28:43 | 初めてお越しの方

 

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☆ちゃんのお母さんが、意思疎通が難しい☆ちゃんの動き方に圧倒されて、

主導権の全てを☆ちゃんに明け渡してしまっていることが、

☆ちゃんの良い面を見えにくくも、活かしにくくもしているようでもありました。

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ということを書きました。

 

☆ちゃんは自閉症の子の特性を持ちながらも、

人と関わっていく力をたくさん備えた子です。それは今後の伸びを予感させてくれる潜在的な能力として

とても魅力的な個性です。

 

他の子や他の大人のしていることに興味を持って、真似ようとするのもそのひとつ。

 

といっても一般的な2歳後半の子の模倣の仕方よりは荒っぽく、

興味を持ったものを

片っ端から奪い取っていこうとしたり、

相手の場に無理に自分の身体を滑り込ませて占領したりして終わることも多々あります。

またお母さんが手本を見せて真似させようとしても、

素直に乗ってくるわけではありません。

大人のすることを何でも模倣するというわけではなく、

☆ちゃんに模倣したい気持ちを起こさせるのには、☆ちゃんが好きな動作や活動を

提示してあげなくてはならないのです。

 

最初は難しく感じるかもしれませんが、☆ちゃん自ら他人のしていることに関心を持って近づいてきて、

☆ちゃんの喜ぶ提示の仕方をすれば模倣しはじめるのですから、

☆ちゃんの世界を広げてあげるチャンスはたくさんあることと思います。

☆ちゃんは感覚過敏等はあまりないようで、スキンシップを好む子です。

抱き上げて、あやすような遊びを繰り返すと、ケタケタと笑い声をあげて喜びますし、

そうしてこちらから積極的に働きかける中で、だんだん息を合わせて、共同注意をいう

他者と同じものを目で追う活動につないでいくことも可能です。

 

わたしが☆ちゃんを抱っこした状態で(ある程度、身体を拘束していないと

絶え間なく動き回るために共同注意行動はほとんど起こらないです)

積み木を並べていって、☆ちゃんに崩させることを繰り返しつつ「バラバラ~」とか「ガラガラ~」と言いながら

遊んでいると、いっしょに同じ方向や同じものを見て遊ぶ活動を長い間続けることができていました。

 

そのように☆ちゃんが他の人と同じものに注意を向けて遊ぶ場面をたくさん

作っていくことは、☆ちゃんの発達を促進させてくれるように思われます。

 

そう言葉で言うのは簡単ですが、☆ちゃんのお母さんにすると、

「さあ、こうやって相手をしてみよう」と働きかけると、

☆ちゃんはそれを振り切るようにして好き勝手に動き回るという結果に終始しているようです。

 

そこで、☆ちゃんの好きなカード遊びを通して、お母さんに

☆ちゃんとの関わり方を学んでいただくことにしました。

☆ちゃんは絵カードが大好きです。

絵カードを触らせていると、カードをめくったり、バラバラにしたりしながら

独り言を言って、延々と遊んでいます。

 

そんな☆ちゃんの姿を見て、「独り言を言わせたくない」と思うというお母さんは、

「これなあに?」「これなあに?」とカードを指して聞いていきます。

後ろを向いたまま、「きりん~」「ぶど~」などと返事をしていた☆ちゃんですが、しまいに

お母さんの声をわずらわしそうにしはじめ、カードの扱い方が乱暴になって

遊び方が崩れてきました。表情は口を一文字に結んで、固まっています。

 

その様子を見て、☆ちゃんと関わる時は、だんだん表情がほぐれてきて、

さらなる関わりを求めたり、模倣しようとする意欲を引き出すように

配慮する大切さを伝えました。

 

わたしが☆ちゃんを触り心地のいい薄い生地のお弁当袋にカードを入れる遊びに誘うと

カードを詰め始めた☆ちゃんは、次に一番下からカードを引き抜いて、裏返して一番上に重ねて

袋に入れるという遊びをはじめました。

そういう☆ちゃんが自発的にやりはじめる遊びは、

「こだわり」にもなりますが、

同時に、☆ちゃんの興味を新しい何かにつなげたり、課題を作り出したりするのに

役に立ちます。

☆ちゃんのお母さんの問題は、そうした☆ちゃんが自発的にしはじめる遊びに

気づかないか、不安を覚えて、

遊びに誘う行動が、☆ちゃんが楽しんでいる活動を邪魔することと

イコールで結ばれる場合がとても多いことでした。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 


前回の記事の補足です。

2012-11-23 07:07:28 | 幼児教育の基本

親が自分のメタ認知力を上げると、幼児の知力は自然に向上する?

の記事は、実は一年前のものです。

この記事の中で、

「普段は、★ちゃんがこうして○○車と言って遊び出すと、

ふーん、ゴミ収集車なの、と言うだけでおしまい……となっていた」とおっしゃっていた★ちゃんのお母さんと★ちゃんが

ちょうど数日前のレッスンに参加してくれていました。

 

ブロックで駅を作っている★ちゃんを見て、「★ちゃんは駅で何に興味を持っていましたか?」とお母さんにたずねると、

「改札口や○○や○○や○○を面白がっていました。」と次から次へと★ちゃんが

関心を持っていたものがお母さんの口から飛び出しました。

 

かつては、「何も思いつきません‥‥‥」「子どもと遊ぶのって難しいですね」と言いつつ、

ぎくしゃくしながら

★ちゃんに接していたお母さんですが、

この1年の間に★ちゃんの気持ちを手に取るように感受しながら、いっしょに響かせて広げていくことが

簡単にできるようになってこられたのです。

 

そのおかげか★ちゃんは、電車を見かけた時にも、「あの電車は速くて、あっちの電車は速くないのはね、~~からなんだよ」

と分析してみせたり、

算数タイムに積極的に参加して、電車のおもちゃの片側に3つドアがあるとき、両方の面のドアは、「3と3で6になるよ」と

誇らしそうに説明する姿がありました。

 

お母さんといっしょに物を観察して自分の考えを口にすることや、

お母さんといっしょに自分の好きなものについて

思いをめぐらせるのが楽しくてたまらない★ちゃん。

そのためかさまざまなものごとに好奇心を広げ、同時にそれを深めていくようになったのです。

 


親が自分のメタ認知能力を上げると、幼児の知力は自然に向上する?

2012-11-22 15:08:39 | 幼児教育の基本

虹色教室をしていてしみじみ感じるのが、

幼児の知力の向上と、

親のメタ認知能力というか親が意識できている範囲の広さと、とても関係が深いんじゃないかな?

ということです。

 

もちろん、子ども自身、持って生まれた能力というのはあるでしょうが、

後天的に伸びていく部分は、身近な大人のあり方と密接につながっているように

思うのです。

 

子どもにこれこれさせた、こんな訓練をした、ということより

身近な大人が何を認識し、どんなことをよく思い出し、どんなことを口にしているか、

どんな発想をして、何に価値観を置いているかで、

子どもの育ちはずいぶん違うんじゃないかと感じています。

 

といって、頭が良い親じゃなきゃいけないとか、

理想的な何でもできる親じゃなけいけないというのではなくて、

ごくごく普通の能力の親でも、メタな視点を持つとか、

意識できている範囲を少し広げる努力を怠らないだけで、

子どもにあれこれさせようと焦らなくても、自然と子どもの知力は引き上げられる

と感じているのです。

 

たとえば、親御さんが思い出すことに愚痴や不満が多いか、

その日、子どもがうれしそうにしていたことや楽しかったことの振り返りが多いかで、

幼児の記憶力に各段の差が出るのです。

 

幼児って、快と不快を基準にして、

何度もしたがることと、嫌になって避けることを

分けていきますよね。

ですから、嫌なことを思い出すことが多い親御さんの元だと、

過去を切り捨てて、すぐに忘れながら生活しようとするし、

楽しかったことを思い出して口にする親御さんの元だと、

記憶力をフルに使って、あった出来事を思い出そうとするのです。

 

また、親御さんが子どもの長所に気づきやすいか、短所に目が行きやすいか、でも

子どもの能力は大きく違ってくると思います。

長所は少し刺激すれば急速に伸びるし、おまけに短所まで底上げされる

ものですが、

短所ばかり刺激すれば、自己肯定感が下がって

全てにやる気がない態度になりがちですから。

 

子どもの能力の伸びって、親の何気ないささいな一言にも影響されるものです。

たとえば、教室で子どもがひとつのおもちゃで遊んでいて、次に別のおもちゃを触ったところで、

「もう終わり?もうあれで遊ばないの?」といった

子どもの気持ちをちょっと下げて、小さな罪悪感を持たせがちな一言が多い方っているものです。

もちろん、使ったおもちゃは片付けなきゃいけないのですが、

その場の雰囲気で、「2つ3つまでは出してもOKで、それ以上出したいときはきちんとお片付け」くらいの

ルールで十分なごっこ遊びのような複数の物を必要とする遊びの最中にも、

つい手持ちぶたさで、子どもの楽しい気持ちを下げるような一言を言ってしまうということが

あると思うんです。

でもそうした大人の余計なひと言を、しょっちゅう浴びている子は、

遊んでいても、すぐに気持ちが沈んだり、つまらなくなって飽きたり、気まぐれに感情を

爆発させたりしやすくなるものです。

 

そうした時に、親が自分のつぶやく言葉に一線を設けて

子どもがよりいきいきと生産的に想像力を膨らませながら遊べるように

配慮してあげると、

子どもはちょっと動くたびに気分が変動して落ち込むといったことがなくなって、

思考力をいっぱいいっぱいまで使って遊び出します。

 

虹色教室の乳幼児のレッスンでは、

親のメタ認知能力を上げたり、意識できる範囲を広げるために、

どんなことに気をつけたらいいかといったことを話題に親御さんたちといっしょに

おしゃべりをすることがよくあります。

そうした時間が子どもたちの成長に大きな影響を与えているなと

実感しています。

 

 

写真は2歳3ヶ月の★くんと☆ちゃんのレッスンの様子です。

玉そろばんで数遊び中。

 

前回、子どもの想像力や思考力の広がり方や伸び方というのは、

身近な大人が何を認識し、どんなことをよく思い出し、どんなことを口にしているか、

どんな発想をして、何に価値観を置いているかと密接な関わりがあろようだ、

といったことを書かせていただきました。

 

それなら、具体的にどのような働きかけ方をしたらよいのか、

2歳3ヶ月の★ちゃん、☆ちゃんのレッスンで

親御さんたちに学んでいただいたことを中心に

紹介させていただきますね。

 

★ちゃんは、後ろが開いたり閉ったりする車(本来は警察の護送車らしい)を手に、

「ゴミ収集車」と言って遊びだしました。

 

「ゴミ収集車」で連想できるものって何でしょう?

 

収集日があること。

街中回って、ゴミを集めること。

ゴミってゴミ袋に入ってますね。カラスがゴミに悪さしないように気をつけている地域もあります。

ゴミ収集車のお家はどこでしょう? ゴミの焼却場でしょうか。

ゴミ収集車のお友だちは誰でしょう? 働く車たちでしょうか。

 

子どもが「ゴミ収集車」と言って遊び出したら、

いっしょに遊んであげている大人が、ちょっと頭をひねって

連想できるものをいろいろと遊びに取り入れると、

たちまち子どもも記憶力と想像力と思考力をフルに使って遊び始めます。

 

「そうだ、今日は月曜日だから、ゴミの収集日だわ。9時までにださなくちゃ。」と言って、

袋にゴミに見立てたものを入れて、

ゴミ出しの真似をすると、

子どもは喜んでそのゴミを収集して遊ぶだけでなく、

収集日は曜日で決められていたりするんだな、いろんなルールがあるんだな、

と直観的に学びますし、

カラスがゴミをつつきにくる、というストーリー展開を

楽しむこともできます。

 

2歳児と遊ぶときは、あまり説明的ではなく、(教え込んだり、わかっているかたずねたりせずに)

あくまでも雰囲気で、楽しくてワクワクする気持ちを

膨らませるために、さまざまな言葉を駆使して遊びます。

遊びのなかで、ゴミ収集車に「お家に帰りたい!」と言わせたり、

「お友だちと遊びたい!」と言わせたりして、

ゴミの焼却場や働く車たちを登場させるのもいいですね。

 

 

★ちゃんのお母さんによると、普段は、★ちゃんがこうして「○○車」と言って遊び出すと、

「ふーん、ゴミ収集車なの」と言うだけでおしまい……となっていたそうです。

幼い子たちは親や年上の子らに誘われて、

イメージの世界を広げ、考える楽しさを学びます。

普段、身近な大人が、どのようにイメージを広げ、どのように思い出し、どのように考えているかが、

そのまんま幼児の想像力と思考力が育まれるスペースであり環境となります。

 

かる~いねんど(100円)でクッキー遊び。

1回遊んだら、後は固まって遊べなかった~となる

遊びもたまには必要。

無駄に見えますが、子どもの心に、柔らかかったものが、固くなって2度と元に戻らなかった

という経験が残ります。

 

★くんは、物をよく観察して、物の作りを記憶するのが得意です。

☆ちゃんは、お料理の手順のように

流れのある作業を記憶することが得意です。

そうした子どもの得意な記憶がどのようなものか

知っておくことで、

子どもといっしょにする遊びをより豊かにすることができます。

また、子どもに何かを見せてあげるときに、

子どもの得意な記憶がより鮮明なものになるよう

ていねいに見せてあげることができます。

 

 

 


「こだわり」を新しい興味や課題につなげる工夫  (自閉症スペクトラムの子のレッスンで) 1

2012-11-22 12:38:08 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

自閉症の診断を受けている2歳後半の☆ちゃんと診断はまだ受けていないものの

目が合わず、他人との関わり方にさまざまな問題を持っている3歳前半の●くんのレッスンでした。

 

目まぐるしく動き回る☆ちゃん。

次から次へとおもちゃを広げていきます。

言葉はまだ単語がほとんどですが、前回会った時より語彙がずいぶん増えて、

物の名前を聞きたがる仕草をするようになっていました。

 

☆ちゃんのお母さんは、すばしっこく動きまわっては

ものを散らかしていく☆ちゃんの姿に圧倒されて、

接するタイミングがわからなくなっているようでした。

 

「わたしが遊びに誘っても、こちらの話を聞こうとせず、

好き勝手に振舞うばかりで、どう関わってあげたらいいのか

わかりません。

どうしたらいいのか‥‥‥」

☆ちゃんのお母さんはそう困惑しきった声でおっしゃいました。

 

☆ちゃんは確かに、こちらの提示する遊びに、

惹きつけられるように

興味を示す子ではありません。

相互に関わりあうのも苦手です。

おまけにこのところ注意されることが増えたため

お母さんの声がわずらわしいのか、以前にもまして

大人からかけられる声を遮断して、避けているようでもありました。

 

その一方で、スキンシップを好むし、積み木をドミノのように並べてガラガラ倒す遊びや、

「あれれ?あれれ?」と言いながら椅子やテーブル越しにのぞきっこする遊び、

「おにさん」「きりんさん」と言いながらお母さんに絵を描くように催促してそれを眺める遊び等、

本人がケラケラ笑い出すような遊びを作れば、いっしょにやり取りするのも楽しめます。

 

また、これまで何度かいっしょに過ごした●くんと●くんのお母さんのすることに

関心を寄せていて、

●くんがやりはじめたことはたいてい自分もやりたがるのです。

 

そうした☆ちゃんの姿からは、自閉症の特性を持っているとはいえ、

人と関わる力の高さが感じられます。

また、さまざまな物を受け入れる許容する力の大きさや

利発さも、遊ぶ姿から伝わってきます。

 

ただ、☆ちゃんのお母さんが、意思疎通が難しい☆ちゃんの動き方に圧倒されて、

主導権の全てを☆ちゃんに明け渡してしまっていることが、

☆ちゃんの良い面を見えにくくも、活かしにくくもしているようでもありました。

 

次回に続きます。

 

 

 


愛着の形成がうまくいかなくなってきた現代

2012-11-22 09:56:25 | 日々思うこと 雑感

最近、愛情深く育てられていて、発達障害もないと思われる幼児の表情のレパートリーが少ないことが気にかかることがよくあります。
笑顔と無表情、泣き顔と怒った顔以外の、
「恥ずかしそうにしながら好奇心いっぱいに目を輝かしている表情」とか、
「ちょっと含み笑いをするような表情」とか、
「喜びに満ち足りてフワッと笑顔が顔全体に広がっている表情」とか、
「ちょっぴりすねながらも、甘えていて、こちらを上目使いにうかがっている表情」など、子どもが自分の感情を自然にいきいきと表現する姿が
あまり見られないのです。

子どもの『愛着』の形成について関心が強い知人は、
親子の間の愛着の希薄さのようなものが、
子どもの表情のレパートリーの少なさと関係していると
話します。

子ども側の親を強く激しく求めていく本能のようなものが弱くなっていて、
親の側も子どもをぎゅっと抱きしめようとする本能のようなものが弱くなって
いて、
人として生きていく基盤となる部分が
育ちにくくなっていると言うのです。


過去記事ですが、よかったら読んでくださいね。
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「公園などで見かける多くの幼児が、
『愛着』の形成がうまくいっていないように見える」

「そうした子の親の関わり方を見ていると、
外からは可愛がっているように見えるし、ごく普通の親のように見えるけれど、
子どもとの心の交流や非言語でのやりとりが
かなりずれているようだ」

数年前から、幼い子を育てている最中の知人から、繰り返しそうした指摘を受けていたため、
私もその問題には細心の注意を払ってきました。

愛着とは、特定の人に対して「この人は自分の欲求や感情や意思を理解してくれる。この人といれば安心だ」という認識をもつこと。
特定の人に対して特別な情愛を抱くことです。
生後6~8ヵ月頃に、赤ちゃんの心に大人との関わりを通して形成されます。

愛着がきちんと形成されないと、次のふたつの態度が生まれます。

世話をしようとしている人に対して、警戒的で、「素直じゃない」という態度が多くなります。
甘えたいの甘えることができなくて、優しくしてもらっているのに、怒りだしたり泣いたりします。

一方、初めて会う人にもなれなれしく近づき、ベタベタし、
社交的に見えるものの、警戒心がほとんど見られず、
相手がどんな人か頓着しません。

3歳くらいまでは、子どもってこんなものかな~と思ってきたけれど、3歳を過ぎ、成長するにつれ、気になることが増えてきたという方で、
子どもの愛着形成がきちんとできていないな~と感じるケースと
よく出会います。

「こんな風にしたらうまくいく」と一言で伝えられる内容ではないのですが、
愛着の形成に集中的にしっかり努めてみると、
母親に1,2歳児のようにベタベタ甘える時期、、
親に八つ当たりしたり、ワガママをぶつける時期を経過したあとで、
状態が飛躍的に良くなる子が多いです。

愛着の形成に問題がある子は、
発達障害を持っている子もいるし、ごく普通の子もいます。
どちらであっても、
愛着がしっかり形成されていくと
問題のある行動は減ってきます。

2歳3歳の子というのは、愛着に問題がなく、
すくすく育っていても、
何でもかんでも「自分で!」と言い張ったり、「ダメ」「イヤ」と言わないと、
何もはじまらないのが普通です。
ですから、子どもが、よく泣いたりごねたりするからといって
過度に心配する必要はありません。

しかし、今、子育て環境の変化から、
専門家の間でも、
「普通の家庭」で育てられている子ども達の間に、愛着がきちんと形成されていない子がたくさん見られるようになり、
特に、
「人見知りがなく、誰にでもすぐになれなれしく甘えていく脱抑制型の愛着障害がよく見られる」という指摘がされているのも事実です。

私自身も、記事の最初に登場した知人も、子どもの姿を観察しながら、
非常に多くの幼児がこの問題を抱えていることを感じています。
愛着の形成の問題は、安易に見過ごすわけにはいかない、
先の多くの問題(学級崩壊、不登校、反社会的行為、無気力無関心)のねっこともなるものなんだろうな……と感じています。

続きを読んでくださる方はリンク先に飛んでくださいね。

 

「愛着」の形成がうまくいかなくなってきた現代 2

「愛着」の形成がうまくいかなくなってきた現代 3

「愛着」の形成がうまくいかなくなってきた現代 4

「愛着」の形成がうまくいかなくなってきた現代 5



ろうそくを使った実験 と 世界遺産の3Dパズル

2012-11-21 17:28:00 | 通常レッスン

小3の子どもたちと、ろうそくを使った実験をふたつしました。

 

ひとつめは、コップがお皿の水をすいこむ実験。

わかりやすいように水に食紅を混ぜています。

 

もうひとつは水を入れたコップを燃やす(水を入れている部分)実験。

 

燃やすといっても水が入っている部分は火がつかないのですが、

コップの底の縁が少し燃えていくのを見て、子どもたちはヒヤヒヤしていました。

               

これらの実験は、『手作り科学おもちゃ』(主婦と生活社)という本に載っています。

 

その後の算数タイムで、難しい問題をさっさと解き終わった●くん、☆くん。教室に飾ってあった世界遺産の

立体パズルを作りたがりました。(えらくすばやく勉強を済ませると思ったら、終わった後で

もうひと遊びしたかった模様)

ふたりで協力してシドニーのオペラハウスを作りました。

 

 

 


ボードゲームで急成長。IQ158の4歳児さん

2012-11-21 14:42:51 | IQ 小学校受験
(過去記事です。現在、☆ちゃんは科学クラブと算数難問研究部に入ってくれています)
毎月レッスンに来てくれている4歳10ヶ月の☆ちゃんが
幼稚園で『ビノー田中式知能テスト』というのを受けてきました。

するとあまりに知能が高かったので上限を超えてしまい
テストをした方に別室で質問を受けて、手作業で計算する部分も加えてもらうこととなり
結果はIQが158もあったそうです。
 
当時の☆ちゃんは、
プリントやワークの学習をしたことがありませんでしたから、
初めて見る問題を潜在的に持っている力で解いていったはずです。

☆ちゃんはお外遊びが大好きというおてんばさん。

虹色教室に初めて来たときは、
「とにかく外が好きで、ちょっとお勉強が苦手そうな感じです」
というお母さんの言葉でした。

私は☆ちゃんが遊ぶことがとにかく大好きで
ボードゲームで喜んで遊ぶ様子を見て
今後すばらしい成長を見せてくれる子ではないかな?
と思いました。

☆ちゃんとは毎月ボードゲームや工作を存分に
楽しんでいます。
あるとき、☆ちゃんが楽々と「Aの3、Bの5」と
座標を読むので「すごいですね。☆ちゃん座標がきちんと読めますね」と
感心すると「たまごっちのボードゲームのおかげなんです。」
というお答えが返ってきました。
教室で遊んで以来、☆ちゃんが大のたまごっち好きになったので、
お家用に購入して遊んでいたらしいのです。
☆ちゃんはそうしていろんなゲームで遊ぶうちに
空間認識も言語理解も目に見えて育ってきました。

それにしてもIQ158というのはすごいですね。
虹色教室に通ってきてくれている子は
IQのテストを正式に受けた子は少ないのですが、
だいたいどの子も☆ちゃんと同じレベルの能力を持っています。
ボードゲームや工作、さまざまな遊びに没頭するうちに
どの力もバランスよく伸びていっていると思います。

遊びの力の大きさを強く実感しました。

3歳児さんたちの算数遊び

2012-11-21 13:10:04 | 算数

3歳3~4ヶ月の子どもたちの算数タイム。

 

「見えない数をイメージする」遊びをいろいろしていると、

目の前の数を数えるだけでなく、

足したり引いたり分けたりした後でどうなるのか

推理する力がついてきます。

集中力も身に付きます。

 

ぞうの人形、三体に布をかぶせて、

「ぞうは何匹いたかな?」と質問。

「4?」「1?」など間違えるのも大事。

布をめくってみて

正しい数を数えて、「そうか~」と思うことで

記憶力が増してきます。

 

きりんの人形をいくつか持って、

手を後ろにまわして、「きりんは何匹でしょう?」

といったクイズを子どもに出させます。

問題を出す先生役をする時も、自然に、

数をイメージして、「ちがうちがうもっと多いよ」と言ったりします。

そうした数を当てる遊びをするうちに、数をイメージするのが上手になってきますよ。

 

電車を手にして「電車のドアはいくつでしょう?」と問うと、一方の面のドアを数えて、

「1、2、3、3だ」といい、もう一方も数えて、「1、2、3、3だ」と言っていた☆くん。

「電車のドアだからね。1、2、3、4、5、6、6だね」と合わせて数えるところを見せると、

了解して、自分でも上手に数えることができました。

 

ただ数えるだけ、いくつあるのか当てるだけの遊びも、

数えるものによって「そうなのか!」という驚きや、「数えるのって面白い」という

ワクワクする気持ちが生まれてきます。

 


常識やイメージの世界わかりはじめることからくる笑いのポイント

2012-11-21 12:38:24 | 幼児教育の基本

過去記事です。

 

4歳児さんたち(4歳になったばかりの子3人と4歳7カ月の子1人)のレッスンで。

このグループには、ペロ嫁の工作de知育な日記NEW

の4歳になったばかりのペロ子ちゃんも参加してくれています。

 

数日前、3歳児前後~3歳7カ月の子というこのグループの子たちより

1歳年下の子らのグループレッスンがあった時のこと、

3歳児さんたち、言うことなすことあんまりかわいいもんですから、

それぞれの子のお母さん方は胸がキュンとなった様子で、

帰り際に、「かわいすぎる~」「ずっとこのまま大きくならなければいいのに~」と口々につぶやいて

おられました。

 

それに大きくうなずいていたわたしですが……。

それが、それが……4歳児さんたちが来たら、4歳児さんたちが最高におもしろかわいいし……。

5歳児さんたちが来ても、6歳児さんたちがきても……小学校高学年の子らが来ても、

やっぱりそれぞれが、思わず微笑んでしまうかわいらしさで……本当に、子どもたちには、

日々、癒されています。

 

前置きが長くなりましたが、

今回の4歳児さんたち、ちょっと自分を抑えることができるようになって、

おりこうになってきました。

 

ひとりの子が魅力的なおもちゃで遊びだすと、他のひとりが、「か~し~て」と言います。

そこで、「いいよ」と次の子におもちゃが渡るのですが、

その瞬間、別の子が、「か~し~て」と言うもんですから、

おもちゃは再び、次の子の手に。

そうするうちに、最初に遊んでいた子が、最後にそのおもちゃを手にしている子に、

「か~し~て」と言いますから、誰ひとり、1分たりとそのおもちゃで遊ぶことなく

おもちゃがぐるぐる子どもたちの間を回っているということが多々あります。

 

 

わたしが感心した様子で、

「みんな、お姉さんねぇ。お友だちにか~し~て、と言われたときは、

かしてあげるの?」とたずねると、

「そう、そう」とこっくりします。

「あのね、この間、赤ちゃんたちと遊んでいた時に、

おもちゃ、か~し~て!と言ったら、赤ちゃんったら、そのおもちゃを自分のお口に入れるのよ。

もういちど、か~し~て、と言ったら、今度は、ポーンとそれを投げるんだから」と言うと、

子どもたちはゲラゲラ笑いながら、「赤ちゃんはね、そういう風にするのよ~」と教えてくれます。

「でも、うちの●くんは赤ちゃんだけど、か~してって言ったら、はいっ、てかしてくれるよ」と

説明してくれる子もいました。

それから、ちょっと誇らしそうに、

「わたしたちは、4歳だから、お友だちにかしてあげるもん」と胸をはっていました。

 

こんな風に、赤ちゃんたちの行動をゲラゲラと笑っていた4歳児さんたちの様子を、

小学生らのグループで話すと、

遊びもしないで、かしてって言われたらはいって渡すなんて……!それじゃ、いつまで

たっても遊べないじゃない!」と言って大笑いしていました。

それぞれの年齢で、笑うポイントがちがいます。

 

4歳児さんたちが大笑いするポイントって、

3歳児さんとはかなり質が異なってくるように思います。

常識やイメージの世界がわかりはじめることから、

ユーモアを感じとる感受性が高まってくるようなのです。

 

今回のレッスンで、子どもたちが木製のおもちゃのケーキに木でできたろうそくを

さしてわたしに届けてくれるというシーンがありました。

このろうそくには、木でできた赤い炎がついています。

わたしが吹いて消す真似をすると、

子どもたちが口々に、「先生、それは、木だから消えないよ」と言います。

すると、「これは、真似だから」とみんなに説明している子もいました。

 

わたしが、「じゃあ、見ていてね。本当に火を消すからね」と言って、

ギュッと目を閉じて、「あっ、見えない、見えないから、火が消えちゃったよ」と言うと、

子どもたちはよほどおかしかったらしく笑い転げながら、

「おもしろい、おもしろい~」と黄色い声を出していました。

 

4歳ともなると、わたしから世界がどのように見えているかを

了解して、そこから生じるユーモアを感じとることができるんだな、

と楽しい気持ちになりました。


働いているお母さんと子どもの小さなボタンのかけちがいについて ②

2012-11-21 09:05:29 | 日々思うこと 雑感

お母さんと離れている時間が長い子がようやくお母さんに会える短い時間は、

お母さんの側からすると、わが子の姿を目にできる貴重な時間でもあって

その短さゆえに、子どものしっかりした姿を目にしたいという期待の濃度が高まる、といったことを書きました。

子どもが家庭で自発的に学ぶ姿を見たいし、

遊ぶにしても創造的で知的な遊びに興じる姿を見たい、と思っても、

子どもにすればそうできない事情があるのです。

 

というのも、ある場所で何かに熱中してエネルギッシュに振舞うには、

学びにしろ遊びにしろ、それまでその場所で、

「うまくいった」「やってみたら楽しかった」「ここでこんなことをすると、お母さんがそばにいてくれるから心地いい」

「こんなことしたら楽しかった」「上手にできてうれしい」という体験をしながら

自分の芯となるものを育んできたかどうかにかかっているのです。

 

子どもという存在さえいれば、勝手に創造的に遊びを発展させていくわけでもないのです。

たとえば上の写真は、教室で電車好きの子らがいきいきと遊んでいる姿ですが、

 

この子たちがこんな風に楽しく遊べるのには、

「教室で前に線路を使って遊んだとき、かんかんってふみきりつけたら面白かったな。

ぼくはいろいろすごいことを思いつくことができるんだ。自分で考え付いたら

楽しくなるんだ」

「お母さんはこうしてって頼んだら、きっと心よく手伝ってくれるはず」

「線路をななめにもできるし、下をくぐらすこともできるし、上におくことだってできる。

おもちゃが足りなかったら、作ればいい」

といった気持ちを、大人に手間と時間をかけてもらって

その場所で体験したことがあるからなのです。

 

わたしたち大人にしても

勝手の知らない他所の家に行って

テキパキ動くのは大変ですよね。

もちろん共働きの家庭の子どもにとって家庭は勝手の知らない他所の家なんかじゃありませんが、

「学び」や「遊び」の場としては、「あ~っ、前に○○したの面白かったな。またしてみようかな」と

過去の創造的な体験を思い浮かべるには、

それまでのわくわくしたり、じっくり取り組んだりした体験の量が少なすぎるということも

あるのです。

 

だからしょうがないんだ、というのではなく、

濃度の濃い期待を投げかけるのをやめて、

「本当に小さくてささやかなものでいいから、短くていいし、あれこれおもちゃを出さなくても

おしゃべりだけでもいいから、

子どもと心がポカポカするような時間を作っていこう!」

と心を切り替えてみると、

急速に子どもとの関係がよいものに変わっていったという話を耳にすることがあります。

 

働いているお母さんというのは、本当はいつも子どもと過ごしているお母さん以上に

子どもを恋しくいとおしく思っていて、

仕事をしている分、子どもに対しても根気よく子どもの立場に立って考えてあげられる力を

持っている方が多いのです。

また子どもにしても、一日中、お母さんに会うのを待ち焦がれていたのですから、

お母さんとワクワクする楽しい時間を過ごせるなら、それがたとえ短い時間でも、

ちょっとした褒め言葉や「大好きよ」という言葉でも

心に染みわたって、「いい子になろう」「がんばろう」という素直な向上心を

抱くようになりやすいのです。

 

1ヶ月ほど前に、

専門的なお仕事で多忙をきわめておられるお母さんと

家でダラダラテレビばかり見て、反抗的ですねた態度ばかりとっていた★くんの関係のこじれを

どうやって修復していったのか、記事にさせていただいたことがあります。

 

★くんの激変ぶりに、「★くんのお母さんが具体的に何を変えたのか教えてほしい」という質問がコメント欄にきて、

★くんのお母さんが直接お返事をしてくださいました。

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オレンジママさんからご質問があったので・・・
私は昨夏に、ムスコが感情タイプの子であること、自己肯定感が低くなっていることなどを教えてもらいました。
繊細なタイプのムスコは、保育園生活の中でかなりがんばっていたんだな、と分かったので、危険なことと礼儀以外は(なるべく)叱らず大目に見て、スキンシップを心がけました。
それと、玄関の鍵は兄だけが持っていい(妹は持てない)とか、エレベーターのボタンは兄が押す、とか、仕事で使う封筒にシールを貼る、とか・・・ほんのささいなことですが彼だけの役目を持たせて、いてくれて助かる~!ありがとう!とやっているうちに、本当にこんがらがった糸がほぐれるように、すねた態度がなくなり素直になりました。
今、ホントにムスコがかわいいです(^^)
今回のレッスンでもう少しゆったり過ごす時間が必要というヒントをいただいたので、さっそく実践しはじめました。
保育園から帰ってくると、好きなテレビとごはんの時間が重なってしまい、ついつけたまま食べていたのですが、テレビを消しておしゃべりするようにしました。今まで聞けなかった話が飛び出てきて、面白いことを考えているんだなーと、またまた新しい発見です。
ノーと言えない流されやすいムスコに不安を感じていたところでしたが…よく考えたら、はっきりイヤと言いなさい!なんていわれても言えないですよね。
今は少し助けてあげながら、これからたくさん自信をつけて、自然に意志が表現できるようになっていけばいいかな、と思いました。

 

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★くんの近況とそれまでの経緯を記事にしたものを紹介しますね。

半年ほど前、ユースホステルのレッスンではかなりの困ったちゃんぶりを発揮して

四六時中、お母さんを手こずらせていた★くん。

家でも外でも、どうしようもないところまで、

お母さんを怒らせてしまわずにおれないような複雑な心理状態に陥っていたのです。

それがユースホテルでのレッスン後、

お母さんが★くんへの見方や関わり方を変える努力をされたそうで、

少しすると、「見違えるようにしっかりして、保育園の先生からもよく褒められる

ようになりました」という連絡をいただいていました。

(その時の★くんのユースホステルでのレッスンの様子は↓の茶文字の記事に書いています)

 

そして、昨日、久しぶりに★くん親子と再開しました。

年長さんに進級し精神的にグッと成長したように見える★くん。

 

お母さんに対しては素直で明るい態度。

妹には優しく根気のいい態度で接するように

なっていました。

以前の★くんの姿からすると、まるで別人のようでした。

 

教室に着いた★くんにやってみたいおもちゃを自由に選ばせたところ、

写真のような頭脳パズル系のおもちゃばかり選んで遊んでいました。

どのおもちゃにもじっくり関われていました。

また工作では、がちゃぽんや野球ゲームなどを

積極的に作っていました。

半年前まで、

だらだら寝ころんだり、お母さんに口答えをしたりして

活動にいっさい参加しようとせず、ずいぶん幼い印象があった★くんの内面に

知的好奇心や向上心がこんなにも潜在していたなんて、

信じられないほどでした。

最レベの算数の文章題にもしっかり取り組めました。

ルールに配慮しながら、物を分ける問題です。

 

★くんのお母さんは、「素直で聞き分けがよくなった上、お友だちや妹を大切にするし、園での活動も

しっかりがんばっているので申し分ないのですが……」と前置きした後で、

「園で過ごす時間が長いので疲れるのでしょうが、家ではテレビばかり見ているのが

気になります。妹は家でも、切ったり貼ったり絵を描いたり……といろんなことをして過ごしているのですが、

★は何時間でもテレビを見ているんです」とおっしゃいました。

 

「集団生活の時間が長いから確かに疲れているんでしょうね。

★くんは教室のさまざまなおもちゃにしっかり取り組めていますから、

家でもテレビより面白いと感じるような遊び道具がいくつかあると、

テレビに固執しなくなるかもしれません。

 

それか見ているテレビの内容に大人も興味を持って、

遊びや物作りに活かしていくのも方法かもしれません。

テレビの男の子向けアニメが載っている雑誌ってありますよね。

ああいうのを買って遊んでみるのもいいのかも」

と言ったところ、

ちょうど行きの新幹線で戦隊物が載っている雑誌を買ったばかりという返事が返ってきました。

 

ごくたまにこうした雑誌を購入しているそうですが、付録などはお父さんが全て

作ってあげているそうです。

 

★くんは、「すごろくもついているんだよ!」と興奮した様子で雑誌をわたしの前にひろげました。

準備もルールもややこしそうなすごろくでしたが、

★くんがずいぶん乗り気だったので、

いっしょに作ることにしました。

★くんが最後までねばり強く材料を組み立てていたのと、複雑なルールをしっかり理解していて

ゲームしている姿を見て、

★くんのお母さんは、「こんなに自分でできるんだね。知らなかったわ。こんなことができるなんて、

本当にびっくりしたわ。今度からいっしょに作って、いっしょにいっぱい遊ぼうね」と

何度も繰り返していました。

★くんのテレビの視聴時間が楽しい創造的な遊び時間に代わっていくといいですね。

 

↓記事の後ろの方に以前★くんと過ごした時の出来事について

書いています。

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先日、小学5年生の●ちゃんの国語の入試問題の採点をしていたときの話です。

『セロ弾きのゴーシュ』からの出題で、ゴーシュの性格は設問で「繊細」と表現されていたのですが、

「繊細な性格」とは「気が優しい」こととイコールで結ばれると思っていた●ちゃんは

間違えてしまいました。

 

そこで、「家族や友だちのような身近な人のなかに、繊細な人っているかな?」と問いかけて、

「繊細な性質」というのは、「感受性が強くて、他の人なら気にならないような小さな刺激にも過敏に反応したり、

感情が細やかでいろいろなことによく気づいたりする性質のことよ。

そういえば、◎くんとか、神経が細かくて繊細かもね。」と説明すると、

 

「あーうちの弟の◎くん、それそれそれ!!だって、そんなん気にしてどうするの?ってことで、

急に、ぐずぐずいややーとか言いだしたり、優しいんだけど、気にしすぎ?ってところが

いろいろあるのよねー」と●ちゃんが興奮して応えました。

 

●ちゃんと、ゴーシュの性格やら、繊細な人の特徴やらでの話で盛り上がった後、

赤木かんこの『日本語ということば』という著書の中で、

 第47回全国小・中学校作文コンクールの優秀賞受賞作品で

小学校2年生の女の子、中村咲紀ちゃんの

『セロ弾きのゴーシュ』

の感想文を目にしました。

読み進むうちに、いろんな思いが込み上げてきて涙がこぼれてしまいました。

 

咲紀さんは、ゴーシュについて次のように分析しています。

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「ひとりぼっちでだれにもあまえることができないゴーシュは、おこられるといつもそうやって、

くやしい気もちも、かなしい気もちも、いやだと思う気もちも、みんながまんしたのです。
 ゴーシュは、ぼろぼろないたあと、気をとりなおして、

じぶん一人だけでれんしゅうをはじめます。でも、わたしは、

ゴーシュのがまんが、一生けんめいれんしゅうする気もちにつながるとは思いません。
 だれも気がついていないけれど、ゴーシュの心の中には、

へんなものがたくさんつまっています。へんなものというのは、

その人によってちがうけど、じこまん足だったり、つよがりだったり、

がまんのしすぎだったり、色んなものがあります。そういうへんなものが心の中に入っていると、

本当のじぶんがちゃあんと見えません。ゴーシュは一生けんめいれんしゅうしているつもりだけれど

本当のじぶんがちゃあんと見えていないので、本当のれんしゅうができていないのです。

本当のじぶんをちゃあんと見ないでどんなにがんばっても、まちがったがんばりかたしかできません。
それは、本当のがんばりにつながりません。」
( 略)

ゴーシュはあとになって、この時のことを「おれはおこったんじゃなかったんだ」

と言っています。わたしもそうだと思います。
 ゴーシュは、本当は、本当のじぶんをしっていたんじゃないかと思います。

でも、本当のじぶんはとてもひどいので、見ないようにしていたんだと思います。

それなのに、かっこうにだめなじぶんを見せられて、そのだめなじぶんにカッとなって、

そのむしゃくしゃをかっこうにぶつけてしまったんだと思います。

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この感想文を書いている咲紀さんは、妹が生まれたときに、素直に甘えられなかった経験があるそうです。

お母さんがだっこしてあげようといっても断って、

 

「まきがおかあさんにだっこしてほしいと思った時、いつでもだっこしてもらえるように、

わたしはもうだっこしてもらわなくていいの、まきがだっこしてほしいと思った時、

わたしがだっこしていたら、まきがだっこしてもらえないでしょう」

 

と言うのです。

咲紀ちゃんはこんな回想もしています。

 

 わたしは、もう一ついえなかったことがあります。わたしは、

マクドナルドのハンバーガーが食べたかったのです。

ようちえんで、みんなが、「マクドナルドで何食べたあ」なんてはなしているのをきいたり、

となりのいえのマーくんが、マクドナルドのおまけのおもちゃを、たくさんもっているのを見たのです。

わたしは、年中のころから、ずっとマクドナルドが食べたかったけど、

おねだりできませんでした。マクドナルドはたかいだろうと思いました。

おとうさんは、マクドナルドは食べない人だろうと思いました。

 

小学生になった咲紀ちゃんは、ようちえん時代の自分を次のように振り返ります。

 

 今考えると、わたしの「がんばるぞ」は、本当の「がんばるぞ」ではなかったと思います。

「つらいのがんばってがまんするぞ」の「がんばるぞ」だったのです。

わたしは、へんなものがいっぱいで、じぶんじしんもまわりの人も、

何もかもちゃあんと見ることができなかったと思います。わたしは、

だれにもあまえないで、心をきつくしてぼろぼろないていただけだったのかもしれません。

だから、いくらがんばっても、つらいことばかりだったのだと思います。

私のがんばりは、がまんするだけで、本当のがんばりにつながらなかったのです。

わたしはゴーシュだったと思います。

 

 咲紀ちゃんは思いきって、おとうさんに言いました。「マクドナルドのハンバーガーが食べたいのでかってください」とたずねます。

すると「いいよ」とあっさりした返事がかえってきたそうです。

 

わたしはびっくりしました。そんなにかんたんに「いいよ」なんて言われると、わたしはびっくりするタイプです。

 

と咲紀ちゃんは綴っています。 

咲紀ちゃんは次のようにも書いています。

「おかあさんはね、さきがいつあまえてきてもいいように、

いつでもさきがあまえてくるところをあけてまっているの。見えなかった?」と、おかあさんは聞きました。
 わたしは見えなかったのです。でも、今は見えます。

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咲紀ちゃんの洞察力と分析力には驚きが隠せないのですが、

私が一番心を揺るがされたのは、

咲紀ちゃんほどの表現力も文章力もないかもしれないけれど、

感受性という面で、同じくらい敏感に感じ、考え、体験を心に浸透させていく

感情が優れている子たちのことが思い浮かんだからです。

そういえば、うちの娘も幼稚園の頃から、あれこれと鋭い人間関係や人の心や感情に関わる指摘をする子でした。

私が自分の子育ての誤りに気付いて、方向転換することを決意したのも、

娘の敏感さと全てを悟っているかのような人間関係や感情の世界への洞察力に触れて、

子どもだからといって自分の意のままになる相手ではないことや、

人の個性のすばらしさは、既存のテストの点だけでは測れないことに気づいたからでもあります。

 

9月のユースホステルのレッスンに、お母さんと気持ちが噛み合わなくて、

しじゅうぶつかってばかりいる感情が優れている5歳の男の子、★くんが参加していました。

すねて床にひっくり返っている時に、私がそっと頭を撫でに行くと、

その表情に何とも言えないくらい優しい愛らしい満面の笑みが広がって、

素直に誘いかけに応じる様子が目に焼き付いて消えませんでした。

 

★くんのお母さんは温和でがまん強い方で、決して無茶な叱り方をするタイプではありません。

★くん自身が、甘えたくて仕方がなくて、お母さんが大好きなのに、

どうしようもないところまで、お母さんを怒らせてしまわずにおれないような複雑な心理状態に陥っていたのです。

 

でも、本当はそうした態度の背後に、透き通るような純粋なかわいらしい性質が隠れていて、

荒れに荒れている最中にも、

静かに、「いっしょに~へ行こうか?」と呼びかけると、嬉々として飛び起きて、

自分からこちらの手を握り締めて

照れながら、そっと甘えてくる姿があったのです。

 

成長してから、素直になれなかった自分を振り返る

感受性豊かな咲紀ちゃんの文章を読むうちに、

その姿がいつのまにか★くんの笑顔の記憶と重なっていました。