虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

3歳0ヶ月~4歳0ヶ月の子ら と 算数ゲーム

2013-07-17 17:05:09 | 通常レッスン

 

3歳0ヶ月~4歳0ヶ月の子らのグループでのゲームの様子です。

さまざまな形のプレートを選んで

ゲーム盤を埋めています。

最後までみんな熱心に、ゲームに取り組んでいました。

『1,2,3 GO!』という算数ゲームです。

年少さんたちでもルール通り遊べる上、とても奥が深いゲームです。

くねくね曲がった道に

特別なさいころを振って、

数のコマを置いて行ってゴールを目指します。

 

道が曲がっているので、3の目が出ても、3の塊は使えないことがあります。

そんな時は、

1と2のコマを使って

3を作ったり、1を3つ使って3を作ったりします。

「どっちが大きな数?」という

トランプゲームで遊びました。

 

ブロック遊びや簡単な実験も楽しみました。

 

 


自閉症の子 と RDI 対人関係発達指導法 6

2013-07-17 13:22:17 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

前回の記事に次のようなコメントをいただきました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

おもちゃやこだわりから遊びが広がらず、何を使っても遊びが成り立たないのかと落ち込んでいましたが、今日の内容もとても勉強になり気づくことが出来ました。シンプルや距離感大事ですね。
先生が感じる自閉症の子が他の子と遊びが成り立ちやすいおもちゃを色々紹介していただけたら夏休みに取り入れたいと思います。
なかなか虹色教室さんのように先生、先生が良いと感じるお友達、定期的に安心して遊べる相手が難しい現状で憂鬱でしたが、少しでもこのブログで私やたまに来てくれるほかの人でも遊べたらいいナと思います。続きを楽しみにしながら少しでも夏休みを楽しく過ごせたらと思います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「自閉症の子が他の子と遊びが成り立ちやすいおもちゃ」は、

できるだけ市販のものではない方がいいかもしれません。

市販のものは、多機能のものが多いです。

「あれもこれもできる」という具合に、

購買欲を刺激するように作られているので、

自閉症の子にすると、自由度が高すぎて遊びにくいようです。

 

 

アフォーダンスという視点でおもちゃを眺めた時に、

できる行為が、「他者とのやりとり」を含むもので、

1つに限定されていることが好ましいです。

 

アフォーダンスというのは、環境の中にある知覚者にとっての価値のある情報のことで、

人が素直に直観にしたがって行為する時、自然に行えるような形態やデザインのことを言います。


「他者とのやりとり」を含むもので、1つに限定されている

ものには、次のようなものがあります。

 

かき氷屋さんの道具でしたら、綿を押しこんで、綿が下から出てくるところを受け止めて、

それに蜜をかける行為はわかりやすくてあいまいさがありません。

そうして作ったものを、誰かに「どうぞ」と渡すのも、

その流れの中に含まれています。

 

ドライブスルーの経験がある子なら、ドライブスルーの窓を作って食べ物をやりとりしたり、

レストラン等のドリンクバーが好きな子でしたら、段ボールに穴をあけて、

飲み物が出てくるところでやりとりが成り立つ形にするのもいいかもしれません。

 

ビー玉コースターのスターターを工夫するのもいいです。

スターターにビー玉を入れる作業をする子と、「ようい、スタート!」と声をかけて、

ビー玉の流れを見守る子が息を合わせて遊ぶ形になりやすいです。

 

「クール宅急便ごっこ」なども成り立ちやすい遊びです。

発泡トレイの箱の中に氷に見立てた綿かビー玉と魚やカニやアイスクリームなどに見立てたものを

入れておき、

「ピンポーン」とドアホンを押す真似をして、届ける役と

届いたものを開ける役などで遊びが成り立つことがあります。

普通の段ボールで運ぶ宅配ごっこは、自閉症の子にはわかりにくいことがあります。

 

ドアとドアホンも遊びが成り立ちやすい道具です。

 

エレベーターを吊り上げるのも、友だちと同じものを見て、いっしょにひもを引いて

楽しめます。

 

前回の記事の★くんと☆くんは、

かき氷屋さん遊びの後で、段ボールにボルトをつける遊びをいっしょにしていました。

段ボールを使った工作は、こうした共同作業を作りやすいです。

こんな車ができあがりました。

 

 


自閉症の子 と RDI 対人関係発達指導法 5

2013-07-16 21:30:00 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

自閉症の子の微細な変化から、その子が強く惹かれてこだわりたがるものに気づいても、

それを人と関わりながらする遊びにつなげようとすると、うまくいかない場合が多いことと思います。

 

教室での遊びを観察していると、

自閉症の子にとって、他の子との遊びが成り立ちやすいおもちゃや道具が

あるのを感じています。

写真は、段ボールでできたかき氷屋さんごっこをする道具です。

小学生の子たちが作ったおもちゃとも言えないような遊び道具ですが、

これまで他の子を避けてひとり遊びをしがちだった子が

かなり長い時間、ごっこ遊びを楽しむ姿がありました。

上部のじょうごから綿を押しこむと、下から出てくるという簡単なしくみですが、

シンプルすぎるほどシンプルな作りであることと、

注意を向けるものややることがはっきりしていることや

段ボールが壁になって他の子との距離が一定に保たれていることなどが、

安心して遊べる理由のようです。

 

自閉症の子 と RDI 対人関係発達指導法 3の記事で

お母さんのコメントを紹介させていただいた年少さんの★くん(お家で自発的に遊ぼうとしないという男の子です)が、

今日のレッスンにきてくれました。

いっしょに過ごしている同じ年の☆くんと、教室に着くなり、このかき氷屋さんの道具で遊びだしました。

わたしはこれまで★くんがごっこ遊びをする姿を見たことがないのですが、

容器に氷に見立てた綿を入れて、上からシロップ代わりの蜜をかけて、

☆くんとふたりでわたしのところに持ってきては、笑顔を見せていました。

この段ボールに、水道に見立てた穴をあけて、ポリひもを通していたのを見つけた

★くんは、ぬいぐるみに水をかける真似をして、次にはわたしに向かって

水をかける真似をして、とてもはしゃいでいました。

 

 話の途中ですが、次回に続きます。


手作りゲーム と コマ回しマシーン

2013-07-16 19:06:17 | 通常レッスン

小3の★ちゃん、☆ちゃんのレッスンの様子です。

算数の時間に、ぴぐまりおんの応用問題をしました。

集中してしっかり考えて解いていました。

自由時間に、「ゲームを作りたい」と言うふたり。

★ちゃん作のパチンコ風ゲーム。ゲームボードに、お友だち(風邪でお休みしているお友だちも)の

顔を描いていました。

 

 

☆ちゃん作のコマ回しマシーン。

 

 


自閉症の子 と RDI 対人関係発達指導法 4

2013-07-15 15:34:13 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

自閉症の子 と RDI 対人関係発達指導法 3

の続きです。

 

「自閉症の子の心と行動の可動領域が少しでも広がるように

環境を整える」ということについて、

まず最初は、危険がない限り、本人が必要とする行動を肯定するということを

書きました。


次に大切だと感じているのは、自閉症の子の微細な変化に敏感になることです。

 

常に自分の世界に没頭してばかりいる自閉症の子も、

長い時間、いっしょに過ごしていると、

何かに興味を抱いて、うれしそうにする瞬間というのはあります。

何かに注意を向けているのが難しい子が、

他のことよりしつこくやりたがることがあれば、それに注目するようにします。

緊張が強い子なら、ただ、いつもよりリラックスしているように見えるといった小さな変化も

見逃さないようにするといいのかもしれません。

 

特に、子どもが誰か他の子や他の人と過ごしている時に、

相手によって、どんな違いがあるのか、よく観察するようにしています。

この子の近くにいる時は、相手の子のおもちゃを後から触っていることが多いとか、

他の子なら、急に手を引っぱられたりすると、二度とその子のそばに近寄ろうとしないのに、

その子に引っぱられた後は、あまり気にしていないようだったといったことに注意を払っています。

お父さんといる時は、呼吸がゆったりしていて、よく笑っているようだとか、

お母さんといる時は、こんな時にテンションが上がり、こんな時に落ち着かなくなるとか、

お祖母ちゃんといっしょにいる時は、ねんど遊びのような活動を長い時間しているようだといった

違いに気をつけているのです。

同年代の子は苦手だけれど、お年寄りといっしょながら、

ひとつの活動に集中しやすい自閉症の子もいます。

 

そうやって自閉症の子の微細な変化に注意を向けていると、

誰とどんな場面で相互に関わりを深めていくチャンスがありそうかや、

子どもが比較的、積極的に振舞う相手のどのようなところが

そうした積極性につながっているのかや、他の人ともどうすれば関わりを深めやすいかが

見えてきます。

 

教室に通っている自閉症の子の中には、

自閉症ではなく人と関わことが好きな知的障害の子と過ごしているうちに

相手の真似をしたり、いっしょに遊んだりする楽しみに気づいた子が何人かいます。

また、お友だちのお母さんと遊べるようになった後で、そのお母さんの子どもと

上手に関われるようになった子もいます。

 

次回に続きます。

 

 


年少さんと工作、知恵遊び。

2013-07-15 13:08:15 | 3、4歳児

年少の★くんと工作。

ジュースや水が出てくるところが作りたいそう。

箱に穴をあけて、ひもを通すとできあがり。

 

水で皿を洗っているそうです。

あやつり人形や船も作りました。

今、★くんのマイブームは、「ひも」のようです。ひもをいろいろなところにつけて、

作ったものを動かします。

 

 

回転しながら玉を飛ばす道具。

絵カードを同じ種類に分ける遊びをしました。

同じ仲間と思うものを並べながら、

「果物の仲間」「動物の仲間」「昆虫の仲間」など、

何の仲間なのか言葉にしていきます。

★くん、「カエルと雨は仲間、カメも仲間」と言い張って、並べてもたものの、

自分でも何の仲間かわからなかったようで、言葉につまっていました。

お弁当のトランプで、「大きな数字を出した方が勝ち」という

ゲームをしています。


学ぶことが好きになる工作遊び

2013-07-15 12:59:11 | 工作 ワークショップ

『カレーを作れる子は算数もできる』 (講談社現代新書 )という著書で、著者の 木幡 寛氏が次のようなことを書いておられます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

カレーライスを作ったことがあるだろうか?

作ったことがなくても料理のレシピを見てカレーライスを作ることができるだろうか?

まず材料をチェックしてみよう!ニンジン・ジャガイモ・豚肉・油・カレーのルー。それに道具も揃っているかどうか見ておこう。材料のきざみ方、調理の手順……、あれこれ考えなければならない。どうしてタマネギを最初に炒めるのか?その理由がちゃんとわかるか、そして炒めた後にどうするのか……。水の量は?カレーのルーはいつ入れるのか?

それらの段取りをきちんとおさえていなければ、料理は作れない。

(略)

問われてくるのは、注意深い観察・レシピ通り料理の流れを実行するパターン認識・量の認識と把握……。レシピに従って実行する力、料理のレシピを分析したり総合したりする力……。

このように、ものごとの後先を考え行動できる力を、算数・数学では<論理的思考能力>と呼ぶ。カレーライスを作る力の中にはそれらが凝縮されているのだ。

( 『カレーを作れる子は算数もできる』 より引用)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

木幡 寛氏がカレーライスを作る中に凝縮されているという

<論理的思考能力>は、工作をすることを通して養うことができます。

工作の場合、まだ文字が読めない幼児でも

ひらめきを形にするコツ、問題解決能力、科学的な理解力なども

この論理的思考能力といっしょに伸ばしていくことができます。

 

「学習の基盤作りとして基礎こそ大切なのだから、小学校低学年、中学年の間は、

論理的思考能力など伸ばさず、徹底的に計算をさせるのがよい」とおっしゃる方がいます。

確かに、論理的思考力を求める文章題を教科書で学ぶのは、高学年以降でもよいのかもしれません。

 

でも、実際には、子どもって3歳を過ぎれば「どうして?」「なぜ?」と

目にするもの全てに疑問を投げかけるようになるものなのです。

論理的に筋道を立てて考えていきたいと思いは、こんなに幼いうちから

芽生えているのです。

 

それに対して、知識としての答えを押しつけるだけでは、時が経てば聞いたことは忘れ、

知的好奇心は薄れていきます。

まだ、そんなことを考えるのは早いから……と、放っておくのも同じです。

知的好奇心が薄れるだけでなく、

考えること自体をやめてしまいます。

 

「どうして?」「なぜ?」という疑問から出発して、筋道を立てて考えていくにはどうすればよいのか、

仮説を立てて試行錯誤して考えながら、常識を疑い、新しい解決法を考えていくにはどうすればいいのか……というと、答えは簡単。

 

手を使って切ったり、貼ったり、組み立てたり、動かしたり、壊したりして学べばいいのです。

要は『工作』です。

「こんなものを作りたい」という思いを描き、そこに行き着くまで、

自分なりにいろいろやってみるなら、論理的な思考力は自然に育まれていくのです。

 

工学博士で人気作家の森博嗣氏が、『創るセンス 工作の思考』の中で、

 

だから、「とにかく作りなさい」ということが本書の主張である

 

ときっぱりおっしゃっていて爽快でした。

森博嗣氏の考えは次の通り。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ビジネス書コーナーに並ぶ「こうすれば成功する」「問題はこのように解決しろ」というタイトルの本は、しょせん「こうすれば上手くいった事例がある」にすぎない。

「こうすれば上手くいきそうな気分になれる」程度の錯覚を誘っているだけで、自分を騙しているようなもの。

一度決めれば、思考停止して、その後楽に動けるから、人間は思い込もうとする習性がある。でも、思い込みは不自由で、その場限りの淡い納得しか得られない。

その場はちょっと気持良く、やる気は出るけれど、その人自身が変わらないのだから、環境が改善されるわけがない。

それより実際に手を動かして、一つでも新しいものを作った方が良い。作れば、貴方は必ずなにかを学ぶし、貴方の中できっと変化が起こるだろう。

(『創るセンス 工作の思考』 集英社新書より引用)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「貴方の中できっと変化が起こるだろう」という言葉って、

さらっと読んでしまいがちですが、

 

今、教育の世界に何が足りないのか、

 

最も見過ごされがちで、最も重要な急所を突いているのでは……? と感じました。

 

この「学ぶ」ことで起こる自分の中の「変化」って、つまり以前記事にした

「持つ」教育 「ある」教育の、「ある」教育をした場合に起こるものでは?

と考えています。

話が飛びますが。

哲学者で大阪大学総長の鷲田清一氏が、『噛みきれない想い』というエッセイの中で、

文学部の哲学科の生徒たちが三年生にもなって1冊の哲学書も最後まで読んでいないことが

理解できなくて、

「みんな、どうして本を読まないの?」という疑問をぶつけた話が載っていました。

 

このエッセイ、なるほど~と共感できる話で締めくくってあったのですが、それはここで取り上げるのはやめておきますね。

この話、大学の現状を知った感想として、ちょっとした衝撃がありました。

 

これって「持つ」教育の末路なんじゃないかな……と。

点数をどんどん追いかけていって、哲学を読み解く力を身につけても、

自分の内部にそれを求める気持が育っていなかったら、

つまり「持つ」教育だけ受けて、「ある」教育がお留守のまま進んだら、

その先はどうなっていくのでしょう……?

そこには、学んでいることと行動がアンバランスで、

過去にその学生の立場に身を置いていた人にすると、「どうして……?」と問いかけずには

いられないような姿があるのでしょうね。

 『カレーを作れる子は算数もできる』で 木幡寛氏は、次のようなことをおっしゃっています。(簡単にまとめています)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
日本が抱えている学力問題は、

<How to>は得意だが<Why>ということに対する問いかけがなされない

ことに帰着する。

「なぜそうなるのか?」を問う学習をないがしろにしたままでは、
PISAのランクが下がるのも当然。

練習・鍛錬・反復による基礎・基本の獲得を徹底しても、
訓練不足に対する効果はあっても、

一方では <計算の操作のみを重要視する>という
落ちこぼれの原因につながる傾向を助長しかねない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

<Why>の大切さといえば、先日、数学の問題のことで息子とした会話で話題にのぼったばかりでした。

半日 数学と格闘していて、休憩に現われた息子が、
こんなことを言いました。

「数Ⅰや数Ⅱの問題になると基礎は終わっているから難問だけ拾って勉強していくことになるから、かなり苦しい思いをしていたんだけどさ……。
気分転換に数Ⅲや数Cのチャート式を解いてみると、まだこっちは本格的に取り組んでないから、するのは例題や中レベルの問題だけだから、
今度は簡単すぎて拍子抜けしたよ。
難しいのも易しいのもどっちもやってて思うんだけど、
学校だと長い時間をかけて大量の問題を解くわけだから、
ずいぶん勉強が進んだように感じるけど、
考えないでパターンを繰り返すだけでは、結局、たくさんしたからできるようになったような錯覚に陥っているだけで、
自己満足に浸っていただけなんだな~って。」

「いつの頃からか、数学は暗記だ!って声に反論する人もいなくなって、勉強法の主流になってきたものね。
若い学校の先生方も、自学自習で学んできたなんて人は小数派で、
塾や予備校で学んできた方がほとんどでしょうから、自分が習ったように教えるのは仕方がないのかしらね」
と言うと、息子からは私の極論を和らげるような言葉が返ってきました。

「実際、解法パターンの暗記は必要ではあるんだ。

だからといって、パターンを暗記しながら量をこなせば、完璧になるかというとそういうわけにはいかないんだよ。

こういうタイプの問題は、こういう解き方をするという
問いと解法が直結しているような易しい問題だけしていくのなら、それもありだろうけど。
少しひねった複合問題になると、円の面積の問題に見せかけて、2次方程式で解いていくものだったりするよね。
そうしたとき、たくさんある筋道からどれを選ぶのかということまでも、
パターン化して、解法パターンを増やしていくって方向はよくないと思うんだよ」

「パターン暗記は必要だけど、組み合わせによって増え続けるパターンをさらに暗記していくのは良くないと思うのね。
なら、どうすれば良いと考えているの?」
と私はたずねました。

「そうだな。パターンで問題を解いているときにも、『なぜ』と問う視線が必要なのかもしれない。
ほら、青空学園数学科ってホームページがあるじゃん。
あそこで扱っている解き方は、全て、『なぜ』という問いを追求することで成り立っているんだ。それだけに理解するのに時間がかかったり、苦しい一面もあるんだけどね。
でも、それが必要なんだと思う。自己満足に終わらない勉強をしようと思ったらさ。
受験までは時間との戦いだから、やむをえずパターン暗記を取り入れて解いていくにしても、
青空学園数学科にある『理由』に基づく次元の視点がいるだろうな」

息子の返事を聞いて、
自分が幼い子たちと工作をするとき大事に思っていることを、
息子も受験勉強で感じ取っているんだとうれしく思いました。


「工作をすると何か学べる」というのはわかる。
でも、「工作すると自分が変化する」ってどういうこと?

と感じた方がいるかもしれませんね。

工作って、自分の好奇心のアンテナに引っかかるものを「探す」「見つける」ことからはじまって、イメージして、それを膨らまし、

手を使ってリアルに物と向き合っていく行為です。

テレビゲームのように、途中でリセットすれば消えてなくなるものではなくて、

飽きて放り出せば、そこにはゴミなり残骸なりが残るわけで、

それはそれで自分を知る勉強になります。

 

森博嗣氏は「工作」とか「もの作り」の概念をかなり広い範囲まで広げて、

写真を撮ることも、カメラという道具を使って、現実から切り取られた「静止画」を作っているのだから、一種の「作る」行為ではないか?

料理を作ることも工作では?

ファッションやガーデニングも工作ではないか?

と どんどん思考を飛躍させることを歓迎しておられます。

工作のセンスはいろいろなものに活かせるし、どんな工作でも大切なのは、それを楽しむことで、そのプロセスでの自分自身の変化を「喜ぶ」ことだから……と。

自分でなにかを作ろうと考えると、その対象に向かう観察眼が芽生える。作るためのプロセスを思い描くようになる。これらは、作ることがない生活では、ほとんど死んでいたセンスだから……ともおっしゃっています。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

以前、年長さんの男の子とポストを作ったことがあります。私ははがきの投入口と、背後から取り出す部分を作って、郵便のマークをつけたらポストだろうと思っていたのですが、

その子は、ポストの横に集配時間を書いた紙を貼りたいと言い出しました。

きっと、大人よりずっと好奇心を持ってポストを眺めているので、自分なりに「これは面白い!」と感じているポイントがあるのでしょうね。

本人は、18:00~20:00  25:00~30:00など、

適当にそれらしい数字を書きこんでいましたが、

アドバイスしようにもこれまでそんなものに注意を向けたことがなかったので、

さっぱりわかりません。

「どこらへんに、どんなことが書いてあるんだっけ?」とすぐにでもポストのところに飛んでいきたい気分になりました。

子どもたちとレジを作るときもそうで、

どうせティッシュ箱でちゃっちゃっと作るような工作なんですが、

それでも現実に子どもと工作すると、「ピッ」とバーコードを読み取る部分に100円ショップのプッシュライトを取り付けたりして、それぞれの子の懲りたいところに関わります。

すると、「ティッシュ箱にセロテープでベタッとしてできあがり」なんていう工作に付き合っているだけだというのに、私自身の観察眼が変わってきて、

スーパーで清算してもらっているときも、横目で最近のレジの作りをチェックするようになってきているのです。

最近のレジは、小銭をザーッと放り込むと自動的に計算してくれるような

バス料金を精算するコーナーにあるようなローラーがついたお金の投入口がついているものがあるのです。

「こんな物がレジについているなんて、すごいな」「それ何?」「作ってみたい」「日夜レジも進化しているのね」と買い物ついでに、感心することしきり……。

そういう小さなワクワクが自分の中に次々生まれてくること……それが「工作をすると、自分が変化する」ということのひとつかもしれません。

もちろん、工作につきあっているだけの私がそんなに変化するのですから、

作っている本人は、何かを作りはじめたとたん、どんどん観察眼を洗練させていきます。

3歳くらいの子でも、「ちがうちがう、それはこんな風になっていたよ。それから、ここのボタンは、もうちょっと大きくて、ギュッと押したら引っ込まないとダメなんだよ」と、

空き箱工作にやたら高度なワザを求めるようになってきます。

 

「内面が変化する」といっても幼児の場合、脳が劇的に成長する時期ですから、

大人とは別の面の変化も大きいのかもしれません。

目と手の協応作業が、
脳の機能自体の変化とも関わってくる時期なのです。

 

幼児が手を使って何かを「作る」ことによって、

その子の潜在能力を最大限に伸ばす

 

ということへのアプローチは、

モンテッソーリ、ニキーチン、フレネ、フレーベルがそれぞれ独自の世界観で幼児教育のあり方を追求しています。

それぞれはどれもすばらしく、またとても大切なものです。



大阪市立科学館に行ってきました♪

2013-07-14 17:12:25 | 番外(自分 家族 幼少期のことなど)

小1グループの子たちと大阪市立科学館に遠足に行ってきました。

催し物の『ブラックホール』という映像作品とプラネタリウムも見てきました。

『ブラックホール』は、小学生も楽しめるようにユーモアたっぷりに

作られていました。

「危ないからくれぐれもブラックホールに近づかないように……」という注意が流れると、

背後から「こわい~」という子どもの声が聞こえました。

 

 

科学館の展示物は、どれもとても魅力的です。

いっしょに出かけた年少さんの●ちゃんも夢中になって

いろいろな展示物で遊んでいました。

●ちゃんはとてもしっかりした工作好きの女の子ですが、

これまでは科学的な原理を利用した工作やからくりのある工作には

あまり興味がありませんでした。

 

が、科学館での●ちゃんの様子を見ると、

これからの物作りの仕方や実験への参加の仕方が変わってきそうです。

 

 

面白いボールスロープがたくさんあったので、教室でもできるだけ

再現してみたいです。

科学館の展示物は、誰でもすぐに触りたくなるような魅力にあふれているけれど、

何度が触ると、「やったことがあるから」と飽きてしまうものでもあります。

それに対して、空き箱やペットボトルで同じ原理を再現する工作や実験は、

見栄えはよくないけれど

自分で工夫を加えて改良できるので、

すればするほど発展していくし、理解も深まります。

科学館で本物に触れてワクワクした後で、

教室では、自分たちで扱えるサイズで科学館にあった実験をもう一度やりなおしたいと思っています。

 

磁石コーナーに関心がある子が多かったので、

大阪市立科学館で作っている小冊子の『磁石と自発的対称性のやぶれ』 (斎藤芳吉彦著)を

買ってきました。(200円)

↑ 心霊写真……!?と子どもたちは大はしゃぎ。

ゴキブリではなく、ラックカイガラムシという昆虫です。

この虫の分泌物から、シェラックという天然のプラスチックができるそうです。

 

かみなりの赤ちゃん。

つまみあげた円柱を落とすことで音を出す面白い楽器。

教室にある木琴や鉄琴にこんな工夫が加えられないか……と思って

写真を撮ってきました。

★くんが夢中になっていたスイッチやコイル。

はんだ付けが必要な電子工作は、1年生の子たちとは

していなかったのですが、

★くんの様子を見て、次回のレッスンででも体験させてあげることにしました。


自閉症の子 と RDI 対人関係発達指導法 3

2013-07-13 21:56:17 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

「自閉症の子の心と行動の可動領域が少しでも広がるように

環境を整える」ということについて

具体的にしている工夫を紹介しますね。

 

可動領域なんて妙な言葉を使うのはこんな理由です。

 

自閉症の子はまるでロックでもかかってしまったかのように

ひとつの心理状態から抜け出せなくなったり、決まった行動パターンに固執したり

しがちです。

 

心の状態にしろ、行動にしろ、そんな風に極端に柔軟性がなくなるのは、

それが不安を回避したり、安心感や楽しみを与えてくれたりするなど、

本人に必要だからでしょう。

 

ですから、動ける範囲を広げていくための働きかけは、

まず最初に、危険がない限り、本人が必要とする行動を肯定して、

それを守ったり支えたりしながら、「ここなら動きそう」という部分を見つけて、

一歩外に出たり、また元に戻ったりを繰り返していくことだと思っています。

 

「最初に、本人が必要とする行動を肯定する」というのは、

思いの外、難しいです。

 

ちょっと話が脱線するのですが……。

 

自閉症の子のお友だちに関する質問をいただいて……

という記事に、その記事でレッスンの様子を紹介している自閉っ子の★くんのお母さんから

次のようなコメントをいただきました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

こんにちは、★の母です。
このレッスンのお土産に先生が作ってくれた工作物(画像の赤い折り紙で作った円がモーターで回る物)で自宅でも楽しく遊んだり、私がビー玉を転がすコースターを食品トレーの廃材で作ってやって、それで遊んだりしました。

■ところが先日、ちょっとした親子喧嘩になり、気持ちがむしゃくしゃした★は私が作ったビー玉コースターを破壊、それだけでなく先生が作ってくださった工作物も破壊してしまいました(すみません)。

どちらも制作時に★自身で手を加えていなくて、★は工作物で遊ぶだけだったからそこまで愛着がなかったのかもしれませんが・・・。

癇癪を起こして物に当たったり、腹いせに物を無駄にしたりすることも多いので口を酸っぱくして注意するのですが改善しません。


■また、★は母が家事中などに自分独りでなかなか遊べずまとわりついてきて仕事にならないので、独りで遊べるように線の書き方を教えたり塗り絵をやらせてみたりしてみますが、独りでは落書きして遊ぶこともなく母が仕事中は結局1時間何もせずソファでゴロ寝しているだけのことも多い・・・という状況で、この自発性ゼロの有様を嘆いております。
最近はブロックも積み木もやらないで置物と化しています。親が誘いかけない限りはやらない感じ。。。


主人は★の「物を大切にしない(破壊・ポイする)」、「自発のなさ」について、本人(★)が望みもしない物を母親が与え過ぎたのが原因だと非難します。

私はそれほど与えてないと思うのですが。おもちゃもお菓子のオマケでもらったような物ばかりで、望んでもいないオマケ類を与えたといえばそうです。果たしてこれが良くなかったか…?


また、母が家事中に独りで遊べるようにと、これも置物と化していた童話絵本を音声ペンで音の出るタッチ絵本に加工してやったり、ipadと脳機能をUPするゲームアプリを適宜与えてやらせてみたりしましたが(機械好きだから楽しめるかと思いきや、どちらもそれなりにやるが没頭するほどではない)、・・・それが仇になったのか?


確かに・・・★の癇癪回避や手先の不器用さ故に、これまで先回りして母が口出し、手出しし過ぎたのは事実なので、それは今後控えるつもりですが、物の与え過ぎという主人の非難は当てはまるのかな?と考えています。

そもそも自発が少ないので与えてみて刺激しないと始まらないし。与えてみたもののイマイチはまらなくて置物化している物達だけを見ると、与えすぎたゆえに破壊したり、飽きっぽく、自発に欠けるとも見えるでしょうし。コロンブスの卵みたいなものです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

★くんがかんしゃくを起こして物を破壊したり捨てたりすること、

誰かが相手をしてあげないと、自発的にひとり遊びをしようとしないことについて

ご主人が原因探しをして非難するのは、困ったことですよね。

おそらく、原因はそれまでの育て方の失敗にあるのではなく、

障害特性ゆえに、

感情のコントロールがうまくできなかったり、自発的に遊びを作っていくためのイメージする力が弱かったりする

ためでしょうから。

 

こうあってほしいという期待を押しつけると、問題だらけに見える★くんですが、

少し前までは、誰かが遊び相手をしていてもバスの扉の開閉のような

非常に狭い興味にこだわり続けていた★くんが、

相手をしてもらっている間は、笑顔を見せて、創造的に遊ぶようになったのは、

★くんにすると、ここ数ヶ月の間に起こった大きな進歩だと思っています。

 

物を破壊することは、肯定するわけにはいかなくても、

かんしゃくを起こして、物を破壊したくなる状態になることについて、

一度、認めて理解を示した上で、★くんが少しずつ自分を律していけるように支援していくのが

いいのかもしれません。

 

もし、わたしと★くんのふたりで過ごしている時に、★くんがかんしゃくを起こして物を壊し始めたら

おそらく、こんな対応になるような気がします。(★くん次第で、異なる対応になる可能性も大きいです)

 

激しく興奮している状態を、壊したら困るものから、壊してもそれほど困らないものに移すために、

わたし自身も、★くんの気持ちに共感して、

「そうだよね。~だったら、プンプン腹がたつね。嫌だね。嫌になったら、壊したくなってしまう。

でも、それは大事だから、壊しちゃだめだね。悲しくなってしまう。新聞紙ならいいかな?えいっえいっ!」

新聞紙を、ビリビリ破いたり、くしゃくしゃに丸めてみたり、粘土を乱暴に潰してみたりします。

 

といっても、そうして、当たってもいいものに当たりなさいと勧めるわけではなくて、

怒りや不安を目に見える形で、いったんはいっしょに共有して、

その後で、つい怒りにまかせて壊してしまった大事なものについて、

「大丈夫。ほら壊れてしまっても直すことができるよ。直してあげるから大丈夫」と安心させたり、

「怒って、壊してしまったから、これは直らないよ。でもまた作ろう。大丈夫大丈夫。

壊れちゃったら悲しいね。今度腹が立った時は、おもちゃを壊すのはやめておこう」と言って気を落ち着かせます。

 

また、くしゃくしゃにした新聞紙を、今度は、雪だるまにしたり、サッカーボールにしたりして、

破壊に使ったエネルギーを創造的な活動につなげることができるのを見せるかもしれないし、

簡単な人形劇を演じて、今、起こったことを客観的に

少しユーモアを抱いて眺められるようにするかもしれません。

 

 

もちろん、相手が自閉症の子でも

悪いことをしたら叱らないといけないのでしょうが、

パニックを起こして、破壊的な行動に走る場合は、

自分のやったことを振り返って、次はしないようにがんばろうと思えるように

安心させるのが一番かなと思っています。

また、感情のコントロールがきかなくなる手前で、大人にSOSを出して、

支えてもらいながらそれを乗り越えられるようになるためにも、

そうやって信頼関係を築いて行くことは大事と思っています。

 

ただ、それは甘やかすことではないし、叱らず放置することでも

ないです。また、何か代替えの物に怒りをぶつけなさいと教えることでもないです。

こうした対応を言葉で伝えるのは難しいです。

 

自発的に遊ばずにごろごろしていることにしても、

何をしたらよいのか具体的なイメージがなくて困っているのかもしれないし、

そうやってひとりでゆっくりすること自体が必要なのかもしれません。

それにしても、まず、いったん、肯定してあげることが

大事だと思っています。

自分が何か間違っていて、責められているらしいと察すると、

余計に何もできなくなるでしょうから。

 

 

今は、お母さんが相手をしている時に遊べるならそれで十分ではないでしょうか。

できそうなことを作って、少しだけでも取り組めたら、それが自信につながるはずです。