緊張が強い子 と 心と心が近づく時、お互いの絆が生じる時 1
緊張が強い子 と 心と心が近づく時、お互いの絆が生じる時 2
緊張が強い子 と 心と心が近づく時、お互いの絆が生じる時 3
緊張が強い子 と 心と心が近づく時、お互いの絆が生じる時 4
緊張が強い子 と 心と心が近づく時、お互いの絆が生じる時 5
の続きです。
先の記事にこんなコメントをいただきました。
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先日遅ればせながら、こどもを連れてアナと雪の女王を見に行きました。(はやっているのは知っていたのですが、上の子が映画の刺激にどう反応するのか、ストーリーの内容がこどもに見せるのに適しているのか迷っていて遅くなりました。)
内容がどう、というよりLet it go(ありのままで~)の歌が、うちの子も含めてみんな好きなのだなーという感想でした。
この歌のどこがこどもたちの心を捉えるのだろう?とつらつら考えている中で、この歌のちょっとロックな、というか少し痛みを伴う感覚はなんだろうって探っていたのですが、もしかしてこれが自分を開いて、閉じられた快適な世界から飛び出す時の痛みかな、なんてふとおもいました。
ひとりごと的なコメントで失礼しました。また気が向いた時に続きお待ちしています。
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『アナと雪の女王』の姉のエルサの姿は、どこかで緊張の強い子たちに通じるものがありますよね。
映画を見た方はたくさんおられると思いますが、簡単にストーリーをわたし流(書き方が偏っていたらゴメンナサイ)
に整理しておこうと思います。
ありとあらゆるものを凍らせてしまう危険でパワフルな力を持つエルサは、
生まれ持った特性と才能ゆえに孤独を生きています。
自分の世界に閉じこもって暮らしていたエルサが、
外の世界と接触する戴冠式の日、エルサの力は暴走し、周囲を冬へと変えてしまいます。
それを機に、自分を抑えつけるのをやめてありのままに生きていく決心をしたエルサも
エルサが創造する世界も
本当に美しくて高貴な魅力にあふれていますが、同時にどうしようもない孤独も体現しています。
妹のアナの命の危険を顧みず自分を助けようとする姿を目にして、
エルサは、魔法の力をコントロールする術とは、
「恐れ」ではなく、相手を思いやる「真実の愛」なのだと悟ります。
最後に、雪と氷を空へ蒸発させた夏に戻った世界で、
エルサは自分の特性や才能を親しい雪だるまのオラフを助けることや
国民たちと真夏のスケートを楽しむために利用するようになります。
緊張の強い子たちというのは、活動にも参加せずにじっとしている時も、
無力なわけでも怠惰なわけでもないものです。
自分の内面に周囲を圧倒するような力や思いを秘めている子がほとんどですから。
その子たちが一歩外の世界に踏みだそうとする時には、
エルサ同様、それまで内に抑え込んでいたまだ社会化されていない感情が
暴発してしまうことが多々あるのです。
それによって、お友だちや親や先生や自分自身を深く傷つけて、
夏だった世界を冬へと変えてしまうかもしれません。
緊張が強い子 と 心と心が近づく時、お互いの絆が生じる時 1 で、
わたしが第三者だからできることは、外の世界とその子の世界の境界面に立って
外と内との橋渡しをすること、
境界面に風穴を開けて、内と外の風通しをよくすることで、
その瞬間は、たいてい、無意味で無駄に見えるし、
ショッキングな辛い出来事がきっかけとなることが多いとも書きました。
そんな時、緊張が強い子とわたしの心と心がそれまでにないほど近づいて
絆のようなものが生じたのを実感するというのは
どういうことなのか、できるだけ具体的に書いてみたいと思います。
次回に続きます。