虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

「興味を広げる環境を整えてきたのに知的好奇心が薄い気がします」 3

2015-02-19 10:01:08 | 通常レッスン

Bちゃんのお母さんのお話をうかがううちに、

わたしはBちゃんの知的好奇心や教育についての話題が、

「何を与えたらいいか」「どう説明すればいいか」「どう教えればいいか」

「何をしてあげればいいか」といった

お母さんからBちゃんに向かう一方向の働きかけに終始していることが気になりました。

また、ていねいに先の環境を検討する理由が、

後々、Bちゃんがジレンマに陥いらないように、問題にぶつかって悩むことがないように、

問題自体が起こらないような環境を選んでおこうという思いに基づいていることも、

Bちゃんの考える態度に影響を及ぼしているように感じました。

 

わたしが子どもの知的好奇心を育てようと思ったら、

まず、「その子がどんな内容の話に夢中になるか」

「どんな場合、熱心にこちらの話に耳を傾けるか」

「わくわくする表情を見せるのはいつか」「少し難しいチャレンジに臨むのはどんな場面か」

「時間が経過しても熱心に考え続けるようなテーマは何か」といった

その子自身が周囲やわたしに向けて発信しているものを具体的に捉えます。

 

そうした上で、「興味を広げるのにこの子にあった働きかけはどんなものか」

「思考を追うのにこの子にあった表現方法はどんなものか」

「もっと意欲的に自分の意見を言うようにするには、どんな場面を作るといいか」

を探りながら試していきます。

子どもが重度の自閉症で、会話が成り立たなかったとしても、

より微細な情報にも注意を向けながら、そのようにしています。

 

また、子どもの環境には未完成な部分や葛藤を抱えるような部分、

問題にぶつかるような部分をわざわざ残しておいて、

子どもといっしょにそれを乗り越えるようにしています。

 

Bちゃんたちと大阪駅に寄った時、Bちゃんは化石探しを心から楽しんでいましたが、

最も顔が輝いていたのは、

移動中、偶然始めた「マークを見つけたら報告する」という遊びで

改札の近くで「新幹線のマーク」を見つけた時でした。

Bちゃんがこのところ、他の誰のアイデアでもない「最初にわたしが思いついたこと」に

固執している姿を思うと、「新幹線のマーク」に惹かれた理由がわかる気がしました。

というのも、壁一面のサンゴの化石に圧倒されるようなインパクトがあろうと、

「こっちにも化石がある」「あっちにも」とお友だちと報告しあうのが面白くても、

結局、どれも誰かに教えられたものなのです。

その一方で、「マーク見つけ」は大人から見ればどこにでもあるようなものでも、

この日たまたま始まった遊びなので、

率先して探していたのはBちゃんですし、「新幹線のマーク」のように

めずらしいものは、Bちゃんだけの新発見なのです。

 

つまり、主役はBちゃん。

そこのところは、何をさておき大事なんだろうな、と子どもたちと接していて感じます。

特に一見控えめで受動的に見える内向型の子にとって、

「自分の主観が尊重されていること」は絶対外せないお約束のようです。

 

次回に続きます。

 

 


「興味を広げる環境を整えてきたのに知的好奇心が薄い気がします」 2

2015-02-18 11:58:34 | 幼児教育の基本

 

レッスン後、大阪駅まで見送りに行く途中、

Bちゃんのお母さんから、「幼い頃から興味を広げる環境を整えてきたつもりなんですが、

Bは知的好奇心が薄いように思います。どうしてでしょうか?」という質問を

いただきました。

 

Bちゃんが虹色教室にくるようになったのは半年ほど前。慣れるにつれて、

「わたしは今日、こういうことがしたいんだ」と主張することが増えました。

 他の子らと別行動を取ることが多いものの、自分発のやりたいことを一通り終えたら、

こちらが提案することに積極的に取り組むし、お友だちと協調してする活動も

楽しんでいるので、社会性の発達はしっかりしている様子。

 

今、Bちゃんは、自分で自分のすることを決めて、

自分で自分をコントロールしてやり遂げることで、

心地よさを味わったり、自信をみなぎらせたりしているのでしょう。

ですから、今のBちゃんの姿はそのまんまでいいのでしょうが、Bちゃんのお母さんの

言葉についてもよく考えてみることにしました。

 

 

この日、Bちゃんは教室で何をしたいのか決めてきたようで、他の子らが

「キラキラする宝石が作りたい」とか「水が勝手に塗り絵をする実験がしたい」と

口々に言いながらテーブルで作業する間、

「わたしはしなーい。わたしはやりたいことがあるんだもん。」と言って

材料入れを探っては何やら作っていました。

それがこのキラキラアクセサリー作り。

他の活動が一段落した子らが、いっせいにBちゃんの真似をしだしました。

 

「貝がらや生き物の骨なんかが土の中に埋まって、

上から粘土や砂や火山から出てきたものとかが、重なって重なって、

しまいに埋まっていた貝がらや生き物の骨なんかが化石になったのよ。

ビーズやスパンコールをボンドの中に埋めると化石みたいね」と話すと、

年中のCちゃんが話に強い関心を示しました。

 

 

このグループは最近レッスンに参加するようになった子が主なのですが、Cちゃんは

数年前から通ってくれている子で、教室で上の写真のような

地層に化石が埋まっている絵本作りをしたり、(写真はCちゃんとは別グループのもの)

家族で出かけ先でおみやげにアンモナイトの化石を買ってもらったりした思い出があります。

おみやげの化石を教室に持ってきて、他の子らがCちゃんを

「ちょっと触らせて」「いいなぁ」と取り囲んで、

いっしょに化石を発掘するごっこ遊びをした日は、それは誇らしそうな顔をしていました。

そうした楽しい記憶の積み重ねのせいか、Cちゃんは、化石はどうやってできたのか、

アンモナイトの身体はどうなったのか、

地面がクリームやチョコを重ねたケーキみたいになっていくのはどうしてかなど、

気になることがたくさんあるようでした。

 そんなふうに、蓄積されたバラバラの体験が、ある日臨界点を迎えて、

どっと疑問としてあふれだしたり、深い興味につながったりする瞬間があります。

 

ですからBちゃんの知的好奇心にしても、

こうした楽しい時間を重ねていればいずれ目覚めてくるもの、と

気長に待てばいいのかもしれません。

 

ただ、ひとつだけBちゃんのお母さんの話を伺ううちに気にかかったことがありました。

Bちゃんのお母さんは、Bちゃんにどのような環境を与え、親としてどのように接して、

今度、どうやって学習習慣をつけさせるのか、何度もていねいに検討する方です。

Bちゃんのお母さんの考え方や接し方は、どれも無理のない温かみのあるもので、

Bちゃんの自己肯定感を高めていることがよくわかります。

 

それにもかかわらず、「ひとつだけ気にかかった」と書いたのは、

Bちゃんのお母さんはBちゃんのことについていつも細かい点まで考えに考えているけれど、

Bちゃん自身は、

「考えるのはお母さんの仕事、わたしはやるだけでいい」とばかりに常にケロリとしていて、

自分のしていることを気にとめる様子がないことです。

 

話の途中ですが次回に続きます。

 


2歳児さんたちの頭脳パズル と ゲーム

2015-02-18 11:01:17 | 0~2歳児のレッスン ベビーの発達

教室でゲームや頭脳パズルをこのんでやりたがるようになるのは、

3、4歳児さんたちが主ですが、

2歳頃から「なんちゃって○○」も含めて、そうしたものに親しむようになっていきます。

 

上の写真は2歳10カ月の★ちゃん。

課題の色の順になるように、色の玉を移動させて戻す問題にチャレンジ中。

横から覗いていた2歳11ヶ月の○ちゃんも、その後でチャレンジ。

○ちゃんは、こうした問題を解くのが好きなのか、初めてやったわりに、

うまい具合に玉を操作して元通りにすることができていました。

 

この頃、パズルにはまっているという★ちゃん。

Make´n Break もやってみたがりました。

タイマーを合わせて、カードの指示を見て、積み木を積みます。

2歳8ヶ月の◎ちゃんも興味しんしんです。

まだ形だけの「なんちゃって○○」の遊び方ではありますが、

2歳の後半にさしかかる子たちの「なんちゃって……」は、

大まかな流れをそれらしく真似るのが上手で面白いです。

 

磁石の棒に玉を付けて動かしていく迷路遊びをする2歳2ヶ月の☆ちゃんです。

 

この写真は別のグループの2歳2ヶ月の◆くんと、2歳4ヶ月の■くん。

「ニコニコ顔のカードの時はがまんして、プンプン顔のカードの時にベルを

鳴らします。」

絵をきちんと見分けたり、衝動を抑えたりするのが上手になります。

 

2歳児さんたちのゲームは、わざわざ購入しなくても

お家にあるものでいろいろ楽しめます。

 

たとえば、赤、青、黄色のブロックを置いて、

「赤!」と言えば、赤を取り、「黄色」と言えば、黄色を取るゲームなど。

それが易しくなると、「赤~じゃない色!」といった問題を出します。

 

算数タイムに小さなドーナツで数について学んでいる2歳児さんたち。


1歳半~2歳半の子の『絵本大好きクラブ』

2015-02-17 14:01:15 | 0~2歳児のレッスン ベビーの発達

 

 

ベビー向けのレッスンで、

「科学」「算数」「モンテッソーリ」「ブロック」「絵本」といった

テーマのある活動日を設けてみると好評だったので、

今後も、子どもたちの反応とお母さん方の要望に応じて、

幼い子向けの『○○クラブ』の時間を作っていきたいと思っています。

 

今回は、1歳半~2歳半の子たちのレッスンでの『絵本大好きクラブ』の様子を

書かせていただきますね。

 

絵本というと、ページをめくりながら絵を眺めて、お話を聞かせてもらうもの……

という印象がありますよね。

それは幼い子たちの暮らしに欠かせない大切な体験です。

 

でも、時には、そうした受動的な関わりとは別に、

自分の五感や手や知恵を使って、もっと能動的に絵本と遊んでみると、

子どもはもちろん、親御さんもいっしょに、とても不思議で魅力的な体験を

することができます。

 

絵本は、子どもの活動を豊かにするためのヒントをたくさんもたらしてくれます。

 

見る、聞く、匂いを嗅ぐ、味わう、触る、知る、言葉を学ぶ、知りたいと思う、

疑問を抱く、調べる、描く、芸術に触れる、奏でる、考える、マッチングさせる、

作る、アイデアを言葉にする、意味を理解する、ごっこ遊びをする、劇をする、

料理をする、行事に参加する、人や物のつながりに気づく、

手品をする、ストーリーに心を添わせる、予測する、理由を考える、ユーモアを味わう、

実験をする、観察をする、発見をする、探検をする……といった行為に、

子どもたちを誘い出してくれます。

 

『絵本大好きクラブ』では、絵本を通じて、

子どもたちができる行為の幅を広げ、質を深めるためのアイデアを

体験してもらっています。

 

教育大学教授のハワード・ガードナーは、

 

「赤ちゃんや子どもは、世界を知るために世界で行為するのです。

私たちの知識は、行為から引き出され、行為にもとづく行為から引き出され、

ついには内面の心理的操作つまり内面化された行為から引き出されます。」

 

「知識を構成するというアイデアは、私たちすべてが人間として持っている力を

示してくれるものです。私たちが新しいものを創造し、新しい理解にたどりつくことが

できることを示してくれます。そして、子ども、アーティスト、発明家、科学者、

探究者の親近性を示してくれます。」

 と語っています。

 

今回、『絵本大好きクラブ』で使った絵本とお母さん方についでに見ていただいた絵本です。

特に「これらの絵本がおすすめ」というわけではなく、2歳半までの子と楽しむので

ストーリーがあまりないものをあれこれ選んでいます。

 

1冊目

『おふろだ おふろだ!』

(わたなべ しげお ぶん・おおとも やすお え /福音館書店)

 

くまくんが、パパくまとおふろに入って、シャワーをあびて、おふろに肩までしずんで、

背中を洗ってもらって、次には、パパの背中を洗ってあげます。

湯船の中で、「いーち、にーい、さーん……」と数をかぞえて、

風呂あがりにママくまにバスタオルで

拭いてもらってり、自分でパジャマのズボンをはいた後で、

お水を「あー、おいしい!」と飲んで、パパに絵本を読んでもらうまでのお話。

 

どのシーンも、1、2歳の子たちにも、わかりやすいものです。

絵本を見ながら、背中をごしごし洗ったり、湯船につかって数をかぞえたりするシーンを

実際にやってみて遊びました。

シャワーがかからないように両手で頭をかばって、目をきゅっと閉じたり、

「あちち」と言いながら湯船につかるふりをして、「もっともっと肩までしずもう」と、

どんどん深くしずんでいくところを表現したりします。

 

時々、身ぶりで少しだけヒントを与えながら、「次は……次は……何をするんだっけ?」

と問いかけて先を予想させたり、

「くまくんがパパの背中洗ってあげているね。さっきは、パパが誰の背中を

洗っていたのかな?」と問いながら前のページに戻ってみるのも楽しいです。

 

絵本の中にあるものと同じものが用意できたら、

イラストと本物を「いっしょ、いっしょだね」と指さして見比べるのも喜びます。

 

教室では、この絵本の中から、すぐに作れそうなものをひとつ選んで

子どもたちといっしょに工作することにしました。

絵本の中から、何かひとつ選んで、作ってみるのはとても面白いです。

工作が面倒な時は、積み木やブロックで見立てるだけでもOKです。

 

子どもたちが作ったのは、

トイレットペーパーの芯に青いポリひもをつけただけの「シャワー」。

こんな簡単な作りですが、とても人気があって、どの子も作って遊んでいました。

 

「ボタンをとめる」「ファスナーをしめる」という大人には当たり前の行為も、

幼い子たちの目には新鮮で興味がそそられることです。

自分でも実際にボタンをとめたり、ファスナーをしめたりしながら、

絵本の絵を眺めることは、ハッとするような体験にもなるのです。

 

ブラシやくしでねこの毛をすいてあげること、手を打ちあわせること、楽器を鳴らすこと、

はさみを使うこと、積み木を積んで壊して、犬の頭をなでて、手をなめられること。

幼い子たちは、そんなひとつひとつの行為を目で見て、言葉で聞いて、

実際にやってみて、深く納得します。

日常のさりげない行為も芸術的で質の高い絵本を通して体験しなおすと、

頭の中や心の中で何かがつながったかのように

心の底から満足した表情を浮かべる子が多いです。

こうした子どもの感受性に響く体験は、キャラクターが登場する絵本や

しつけビデオでするのは難しいな、と感じています。

 

幼い子に絵本を読んであげた後で、

ひとつでいいので、絵本の中で描かれているものを

現実の生活の中で体験しなおすようにしてあげると、とても喜びます。

これは大人にとっても、新鮮でワクワクする体験になるにちがいありません。

 

たとえば、絵本に「あり」が登場していたら、

お散歩に出たついでに、「あり」を探してみてはいかがでしょう。

どんな場所にいるのか、季節や時間によって行動範囲が異なるのか、

蜘蛛やバッタのような他の虫たちはどうしているのか……幼い子とともに

大人も好奇心を持って世界を眺める楽しさを味わうことができるはずですよ。

 

 


「興味を広げる環境を整えてきたのに知的好奇心が薄い気がします」 1

2015-02-17 09:09:47 | 日々思うこと 雑感

 

時間に余裕がある日は、帰宅時にレッスンに来た子どもたちを(入場券で)

大阪駅まで見送りに行って、

大理石に埋まった化石を見つける手伝いをしています。

何度も大阪駅に足を運んでいるので、新たな駅の見所や楽しみ方が増えました。

迷惑がかからないように行儀よく観察するようにしています。

 

普段は行かない遠方行きの路線の乗り場に行ってみると、めずらしい列車に会える

時があります。また、移動の際に、子どもたちに「マークを見つけたら報告してね」

と告げておくと、とってもレアで美しいマークが次々見つかってワクワクします。

 

土曜のレッスンに来た年中、年長さんたちとも大阪駅に寄ることになりました。

きっかけは、Aちゃんが化石について学ぶワークショップで

作ってきた『おゆまるのアンモナイトの化石』です。みんな興味しんしん。

ついでに教室の鉱物や石や化石のコレクションを見ることになりました。

 

鍾乳洞に行った子のおみやげ。ひんやりして気持ちいいです。

 

 

大理石の中のアンモナイトの化石。

 

石を眺めるうちに、「キラキラする宝石みたいなものが作りたい」という子どもたち。

アルミホイルで正八面体や正六面体を作ることにしました。

アルミホイルは適当な形を作ってから一面一面磨いていくと、

銀細工のような美しい塊に仕上がるのです。どろだんごづくりのような熱心さで

これに臨む子は多いです。アルミホイルで巻貝の型を取る遊びもしました。

 

話が脱線しますが……実験や工作をする時、アルミホイルはとても魅力的な素材です。

社会に貢献するアルミ箔の世界 という日本アルミ二ウム協会のホームページでは、

うちわとアルミ箔で手作りデジタルアンテナを作る方法とか、

アルミホイルを使って和紙を形状記憶素材にして工作する方法などが紹介されています。

 

 途中から子どもたちは、ボンドでビーズやスパンコールなどを

埋め込むアクセサリー作りをはじめました。

 

肝心の「興味を広げる環境を整えてきたのに知的好奇心が薄い気がします」という

相談への答えにまだ行き着いていませんが、次回に続きます。


子どもの個性は本当に面白い♪

2015-02-15 18:20:43 | 子どもの個性と学習タイプ

小2のAちゃんがおひな様を作ってきてくれました。教室に通い出した未就園児の頃から

エネルギッシュに物作りを続けているので、どんな大掛かりなものも全て自分の力で作ってしまう

実力派です。

ひとりひとりのおひな様の表情が味がすてきです。ぼんぼりがすごくきれいだったのに

写真に撮るのをうっかりして残念です。

↑ これはお姉ちゃんにならって、何でもひとりで作ってしまう妹のBちゃんの

おひな様。これもいい顔していますね。

Aちゃんが年長の時に作ってきてくれたおひな様の画像があったので

ついでに載せておくことにします。

なつかしいおひなまつりのごちそう作り 「何通りある?」の問題

の記事にありました。

こんな風にひとりの子が異なる年代で作った作品を並べると、時を経ても

変わっていないその子の個性が垣間見えて面白いです。

今回のレッスン中、Aちゃんがこんな小さなティーポットを作っていました。

そういえば、2年前のAちゃんはティーポットを作っていました。

全て紙で作られたティーポット。

今回、Aちゃんが教室で作っていた家具。

Aちゃんが使う素材は、紙が主で、

どんな形も折ったり貼り合わせたりすることで作ってしまいます。

あまり試行錯誤することなく的確な形を作りだすので、

紙を切る段階で、どのような立体ができあがるのか仕上がりをイメージできている

ようです。

こうした扱う素材や物の作り方は子どもによって

ずいぶん異なります。

同じ親に育てられている姉妹でも、Aちゃんの妹のBちゃんの場合、

主に使いたがるのは、プラスチックや布などで、

動きのあるからくりについてのイメージは仕上げのイメージを

しっかり持って作っているけれど、形は布を巻きつけるといった

大胆で実験的な作り方をします。お姉ちゃんの作品を模倣することも

多いのに、いざ、自分の作品を作るとなると、

Bちゃん独特の世界が表現されるところが面白いです。

これは、Aちゃんと同じグループの小2のCちゃんが作ったテーブル。

ヨーロッパ風のドールハウスの写真に載っていたテーブルが作りたくて

細部にまでこだわって作った作品です。

Cちゃんの物作りは、まるで職人さんのようです。

「こんなものが作りたい」という思いがすごく強くて、

どんなに時間がかかっても、何回作り直すことになっても、

イメージ通りのものを作ろうと奮闘します。

 

Cちゃんが数ヶ月前に凝っていた靴作りとからくりハウス作りの様子は、

うまくいかない時も、投げ出さずに何度も何度も再挑戦する力

の記事で紹介しています。

(この記事のBちゃんとは、今回の記事のAちゃんのことです)

 

写真は同じグループのDちゃんのビー玉迷路。

Dちゃんは語彙が豊富な国語が得意な子です。以前は他の子らが工作を

する時に別の活動をしたがることが多かったのですが、最近、物作りに目覚めて

もりもり作っています。うまくいかない時、思わぬ素材を使って解決するところが

すごいです。

やわらかく変形できるアルミ箔を使ったり、ビー玉を滑らせる通路を細いストローをいかだ状に貼り合わせて

作ったりしていました。

この頃、算数の力も伸びています。

いつも、「こんなものが作りたい」という壮大なイメージを抱いているEちゃん。

工作の好きさと熱心にやり遂げる根気と意欲、考える能力の高さでは、

教室の中でも一、二を争う小2の女の子です。

「ボタンを押すと音が出るようにしたい」と奮闘していました。

Eちゃんの「こうしたい」を実現するのに、今回はいらなくなった音の出るグッズから

一部を取りだして利用することになりましたが、ボタンを押そうとすると、

貼っていたテープがはがれていくので土台を作って補強したり、

穴を開ける位置を調べるのに、わざと落ちやすいインクを穴と合致させたい部分につけて

箱に押しつけて調べたり、接続させるパーツを手作りしたりと、かなり苦労しました。

写真は、算数学習の一コマ。

『旅人算』を学習中です。

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ちえ子さんは 1びょう間に 2m、ひろ子さんは 1びょう間に

3m 歩きます。

①2人は 10m はなれた ところに 立っています。

これから 2人は 同時に はんたいの むきに すすみます。

8びょう後に 2人は 何m はなれていますか。

②ひろこさんは ちえ子さんより 10m 前に 立っています。

2人は 同時に 同じ むきに 歩きます。

6びょう後に 2人は 何m はなれていますか。

(最レベ2年生 130ページ)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

4人とも物作りになれているので、算数で線分図を描いて

考えるのも得意です。全員、きちんと解いていました。

AちゃんとEちゃんが、2mずつ、3mずつの矢印を一部だjけ書いて、

規則を見つけ出して、途中からは計算式で解いていました。

自分たちで、工夫する方法を考えたそうです。

 

そこで、みんなに、「今はすべてていねいに書いていくのもいいけれど、

AちゃんとEちゃんみたいに、こういうルールで増えているな減っているな、と気づいたら、

全部全部書かずに、そこからは計算して解くのは大事よ」と褒めて、

ふたりに、どうやって工夫したのかみんなに説明してもらいました。

それから、「でもね、よく見て考えてルールに気づいてから、全部書かずに省略するのは

いいけれど、前にこんなこと習ったなと思って、よく考えないで省略するのはダメよ。

前に、そうやって省略して大失敗をしてしまった子がいるのよ」と

注意をうながすと、全員、「どんな失敗?どんなの?」と興味しんしんでした。

 

そこで、こんな勝手省略、大失敗の例を見せました。

「あっ!ゼロが並んでる。知ってる、知ってる、こういう時は、9、10って

書くんだった……と左のような計算をしてしまったの。」

「えー!!どうして?」「なんで、こんな途中のところに10を書いちゃったの?」と

子どもたちはびっくり。

「それはね、1000-260みたいに

1の位がゼロのの数を引く計算を教わった時に、隣の大きな位から10を借りてきて、もう一方の隣の小さい位に1を貸すから

9になるんだなって、ちゃんと意味をわかった上で9や10を書き込むんじゃなくて、

ゼロがたくさんある数から引き算する時は、9書いて、10書いたらいいんだななんて

丸暗記をしてしまったんじゃないかしら?」

そう説明すると、「わかったわかった。1の位がゼロじゃない時も

1の位がゼロの時と同じやり方で考えないでしちゃったのね」とAちゃんが

うなずきながら言いました。

他の子らも口ぐちに、「省略する時は、ちゃんと意味がわかってる時じゃないと

ダメなんだね」と言いあっていました。

 


国語のテストで0点近い点数を取ってしまうことが……(発達の凹凸のある子のレッスンで) 

2015-02-14 07:47:07 | 初めてお越しの方

 

発達に凹凸のある小学1年生の★くん、2年生の☆くんのレッスンの様子です。

 

★くんのお母さんから、このところ国語のテストの文章が長くなってきたので、

読むのが面倒なのかテスト自体を放棄してしまうため、

0点近い点数になってしまう……という相談をいただきました。

そこで、今回の学習時間には、前回に引き続き

国語の長文問題を解いてもらうことにしました。

(国語の話題は後から書かせていただきますね)

 

★くんも☆くんも、工作が大好きです。

ふたりとも「こういうことをしよう」とイメージしたり、

どのような手順で取りかかるのか計画したり、状況を把握しながら

柔軟に物事に取り組んでいくことをかなり苦手としている子たちです。

でも工作に親しむうちに、

工作やブロック遊びの中では、目標に向けて計画を立てて、準備から完成まで

自分の力でやり抜く力がついてきました。

 

☆くんは1年生の後半くらいまで、

ちょっとでも手間がかかりそうだったり、頭を使わなくてはならないような

活動を嫌がって、ゴロッと横になったり机につっぷしたままになってりして、

「え~やりたくない~」と言い続ける癖がありました。

 

自分の好きな遊び以外、何をするにも消極的なものですから、

「やりたくないからやらなくて、やらないからできない、できないからやりたくない」

という悪循環に陥っていました。

 

それが、1年生の終わり頃から、

工作やブロック遊びがだんだん楽しくなってきて、お家でもよく作るようになり、

学校でも先生やお友だちから「工作上手」と一目置かれるようになってきました。

 

工作に関して、自信がついてきた○くん。

急に、それまで嫌がって避けていたことも積極的にやりたがるようになってきました。

ゲーム類もそのひとつ。

「ゲームをしようか?」と誘うと、初めてする少し難しそうなゲームでも

「する!する!」と大乗り気でした。

 

 

今回は、えれめんトランプとマティックスという計算ゲームをしました。

どちらも初めてのチャレンジですが、楽しく遊べました。

 

↑★くん、☆くんの自信の源となっている

「自分の中でイメージしたものを、アウトプットできる」という技能です。

今回は、戦隊物のカードを作っていました。

 

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それでは国語の学習の様子を……。

 

★くんは知力が高く語彙力もある子です。

ですから1年生のテストが全然わからない、ということはなさそうです。

 

ただ★くんの能力には大きな凹凸がありますから、

国語のテストの形式が★くんの凹にあたる苦手な作業を含んでいることが

考えられました。

★くんは、何でも白黒つけたがるところがあります。

何をするにも0か100かで両極端。

 

「難しそう」「面倒くさそう」と感じた時点で、取り組むのを放棄して

白紙に近い答案を出しているのかもしれません。

 

そこで、★くんと☆くんに最レベの国語問題集の小学2年生の最高レベルの問題を

プリントして自分たちで解けるところまで解いてもらうことにしました。

 

どうして国語のテストを白紙で出してしまう★くんにまで、

2年生の難しい問題を用意したのかというと、

ある程度、読む文章が長くて、問われていることの種類が多彩でないと、

どこでどのようにつまずいているのかはっきりしないし、

解き方のコツが身につきにくくもあるからです。

 

ただ漢字については習ってないものはできませんから、先に教えておきました。

 

☆くんは少し前まで語彙量の少なさが気になっていた子です。

前回のレッスンでそうした語彙量の少なさを補うために、お家でする取り組みについて

☆くんのお母さんと話しあいました。

 

<前回のレッスンの様子です>

国語の学習につまずきがある子に教える時に気をつけていること 1

国語の学習につまずきがある子に教える時に気をつけていること 2

国語の学習につまずきがある子に教える時に気をつけていること 3

国語の学習につまずきがある子に教える時に気をつけていること 4

国語の学習につまずきがある子に教える時に気をつけていること 5

 

このレッスンから2ヶ月半ほど、毎日ではないものの

公文式の小学ドリルの『文章の読解』と

『ちょっと難しい1000の言葉』をお家でしているうちに、

語彙の意味を推測する力がついてきて、

国語の問題が解けるようになってきたそうです。

 

確かに、☆くんは今回テストした国語の読解問題を解く時も、

以前はつまずいていた「どこで」や「なぜ」や「だれと」といった質問に対して、

ちゃんと正しい答えを書きこんでいました。

 

★くんにしても、最初はどこから読み始めたらいいのか、どこから手をつけたらいいのか

混乱していたのですが、

解いていく時、どこを読めばいいのか、わからない時どんなことをすればいいのか

話合った後からは、自分で最後まで解いていました。

 

普段の会話では

自分の思っていることを的確に表現することができる★くん。

長文の読解問題も1学年上のものでも

これといったわからない問題はないようでした。

 

でも、いったん「わからない、わからない」と言いだすと、

「問題を読み返せばいいんだな」とか、

「わからない問題は飛ばして、次に進めばいいんだな」といった判断が

できなくなって、パニック状態に陥るところはありました。

 

そうかと思うと、「わからない時は、どうすればいいんだった?」

「どこらへんに問題の答えがあると思う?」と問うと、

「ここらへんを……」と言って、問題文を指したかと思うと、

「わかったわかった」と続きを解き始めます。

 

★くんは、知的な能力は高い子なのですが、見本通りに図や文字を写していくといった

アウトプットしていく力が極端に弱いことは、

病院で受けた知能検査の結果からも指摘されています。

 

そうした凸凹ゆえに、頭では理解できていても、できない、ということが

あれこれあるのです。

でも学校に支援をお願いしても、凸凹の凸部分の知能の高さを理由に

困り感に対応してもらえずにいるそうです。

外からは、「できるのに怠けているだけ」「わかっているのに反抗しているだけ」

にしか見えないのですよね。

 

虹色教室でも、すぐに効果がでるようなサポートはできないのですが、

「実際に長文問題を解いてみてできた」とか

「わからないと思って、困ってしまったけれど、落ち着いて、

こういうふうにしたらできた」といった成功体験を積ませて、

見ただけで拒絶することがなくなるように導いていこうと思っています。

 


考えることは無駄じゃない 

2015-02-13 11:25:10 | 日々思うこと 雑感

異業種の人同士グループを組んで、

アイデアを出しあって発表するイベントに友だちと参加してきた息子。

息子のグループは、学生の息子を除いてみんな年配の方々ばかりだったそうで、

さまざまな会社のすごい肩書きがついた名刺をいただいてきました。

 

話しあいのテーマは息子の関心から遠いものだった上、時間が短く、

「ありきたりのアイデアしかだせなかったけど……」と悔やみつつも、

年齢も立場も異なる方たちとの会話がとても面白かった様子。

(打ち解けてしゃべっていたら、突如、「君が発表して」とグループの話し合いを

まとめて発表する大役を任されることになり、緊張して思うように説明できず、

後から友だちにダメ出しをもらったそうですが……。)

 

「家であれこれ考えている時は、自分ひとりでどんなに考えを練ったところで

価値がない……というか時間の無駄のように感じるんだけどさ。

せいぜいそれについてお母さんと会話するぐらいで、

成績や資格に結びつくわけでも、すぐさま何かに活用するわけでもないから。

でも、今日みたいに社会に少し触れるような場で会話をすると、

普段、自分の中でいろいろ考えていうことは、お母さんと会話していることも

含めて、無駄じゃないんだと感じたよ。

今回のテーマは、興味があるものじゃなくて、もうちょっと具体的な

プログラミングやアプリ開発の議論をしたかったけど、

それはあちこちでやってるから次でいいよ。

興味あるかどうかは別にして、いろいろな人と話をしていると、

これからしたいことが見えてくるな」と息子。

 

「どんな?」とわたし。

 

「自分のクリエイティブな分野をしっかり作っていきたい。

自分のアイデンティティと一致する分野で、技術的な高さみたいな

普遍的な価値のひとつひとつを積み重ねて、強みを持っておきたいんだ。

 

とてもいい大学を出た人がこんなことを言ってたんだ。

その大学に行ったから特別なことを学べたかというとそんなことはない。

ただ、学歴から得た利点は、権力に対して物怖じしない気持ちを持てるように

なったことだって。

すごく生意気でえらそうに聞こえるかもしれないけど、それを聞いてぼくには

誇れるものがなくても、肩書きとか世間の評価に怖気ずに、

自分で見て感じて考えたことを大事にしていきたいと思ったよ。

 

すごくえらい人たちと話をしてみると、えらい人はやっぱりすごい面がたくさんあって、

うまく言葉にしにくい話題で、こんな言い方をしちゃうとちゃんと伝わるかなと

心配になるような微妙な言い回しになっても、

ちゃんと要点をつかんで理解してくれていよ。

でも、こんなこと言うと本当に生意気で失礼だけど、

でも、どんなにえらい地位にいる人も、学生がどんなものをほしがるか、

若者の間で何が流行っているか、何に惹かれて物を買うのかとなると、

よく知らなかったりするんだ。

もうすでに自分以外の誰かが考えているはず、もっと能力の高い誰かが

やってしまっているはず、なんて怖気づかずに、自分の立っている位置で、

考えられることをじっくり考えて、できることをひとつひとつやっていきたいと

思ったよ」

 

息子の話を聞くうちに、数日前に読み返した鷲田清一先生の

『わかりやすいはわかりにくい?臨床哲学講座』の一文を思い出しました。

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とはいえ、考えてみれば

これは老いの時期に限ったことではない。少なからぬ若者もまた、

社会生活の入口のところですでに、傷とかあきらめといったひりひりするような

痛みを深くため込み、力なく佇んでいる。

人生のあらゆる類型がすでに出そろっているところに生まれてきて、これからの

道のりが、その終焉の姿までほとんど「見えちゃって」いて、彼/彼女らは

「人生の盛り」を「もう済んだ」ものとしてしか受けとめられなくなっているらしい。


   『わかりやすいはわかりにくい?臨床哲学講座』鷲田清一/ちくま新書P132

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 ここで書かれている若者の姿は、

うちの子たちから遠いところにあるわけじゃありません。

<人生のあらゆる類型がすでにそろっているところに生まれてきて、

これからの道のりが、その終焉の姿までほとんど「見えちゃって」いる>ように感じる

世代のひとりで、そうした思いにずっと小さいころから感染してすでに

病んでいるような面があります。

自分を呑み込もうとするこの世代が抱えている退廃的な気持ちとどう折り合っていくのか、

それがいつもこの子の考えの底流に流れているんだなとも感じます。

娘は、がむしゃらに飛び込んで行っては、大きく転んで、

また新しい何かに突進していく形で外にその答えを求め続けていて、

息子は日々の体験を反芻しながら、自分の内に答えを見つけようとしているようです。

 

 

 


お菓子のおまけ、ねんど細工でIQアップ♪

2015-02-12 22:04:48 | IQ 小学校受験
お菓子のおまけでかわいい食べ物や食器などの
こまごました小さなグッズが手に入ったら、
実物を使った知能テストが作れます。
(ねんどなどで手作りするのも楽しいです)

同じ種類の食べものを乗せているお皿と
仲間はずれのお皿を作ります。
同じと仲間はずれをさがします。

いろんな組み合わせを作ってみてくださいね。

さらに乗せていくだけ、同じ食べ物を乗せてみるのも
知能アップにつながります。

具体物で体感する前にプリントで覚えてしまうと、現物を正確に認識できなくなる

2015-02-11 16:57:47 | 教育論 読者の方からのQ&A

日高敏隆氏の『生きものの流儀』という著書に興味深い話が載っていました。

簡単に要約して紹介しますね。

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著者が当時の成城学園小学校の先生だった庄司和晃先生からうかがった話です。

ある日、庄司先生は子どもたちに画用紙を配って

「さあ、アリの絵を描いてください」と言ったそうです。

たちまちイメージできたらしい子もいれば、

まだイメージをさぐっている子もいたそうです。

できた絵を見ると、アリの身体は頭と胴体のふたつに分かれていて、

人間がイメージしている「動物」の姿であって、

たいていの女の子はそのアリにリボンまでつけていたのだとか。

 

次に庄司先生は、子どもたちひとりに1匹ずつ、「実物」のアリを渡して、

「これがほんもののアリだよ。今度はそれをようく見て、

アリの絵を描いてください。」と言ったそうです。

すると、驚いたことに、実物のアリを見て描いたはずの絵でも、その多くは

依然としてアリは動と頭、足は四本だったのだとか。

著者はそこに人間のイリュージョンというものの見たような気がしたということです。

どの子も実物はちゃんとまじめに見ているはずなのに、

実物が自分の思っているように見えてしまい、それ以外のものは、

存在しなくなっているのです。

 

庄司先生は、その後、「……よく描けてきたなあ。えらい、えらい。

だけど、アリの体ってほんとに頭と胴体しかないのかい?」とか、

「じゃぁ、その六本の足はどこに生えている?」といった

会話を通した指導をして、もう一枚、子どもたちに絵を描かせると、

子どもたちの絵はより正確なものになりました(が、依然、赤いリボンを

つけている子らはいたようですが)。

「イリュージョンが修正されるには、これだけの手間が必要なのだ。

しかも現実の生きたアリが手もとにいるのにである」と著者は人間の持っている

錯覚や幻想のもつ意味と力が少し理解できるようになったと述べています。

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先に紹介した話で面白かったのは、

実物を見た後で、最初の動物もどきのアリの絵から、

頭、胸、腹、そして6本の肢という昆虫の姿に変化させることができた子というのは、

一枚目の絵を何度も描いたり消したりしていた子どもの場合に

多かったという著者の発見です。

何でも、一枚目の絵を太い鉛筆で自信満々、頭と胴、四本の肢と描いた子の絵は、

実物を見ても何一つ変わっていなかったそうです。

 

この話を読んだ数日後の小学2年生の女の子ふたりのレッスンで

こんな気になる出来事がありました。

 

この2年生の子たちは、もともと観察力があって、思考力も高い子たちです。

そのうちの子のひとりは、2年生になったあたりから、

長文を読んで理解する力が伸びて、中学入試向けの和差算や植木算や旅人算なども

ひねった問題でもテキパキと解けるようになってきました。

 

それでこれまでは虹色教室で月に1回、そうした問題に触れる程度だったのですが、

お家でも最レベの最高レベルの問題を中心に予習をしてくるようになりました。

 

わたしはこの子がやる気と自信に満ちて学習に取り組むようになったこと自体は

うれしくて、その意欲を大事に育んでいこうと感じた反面、

ちょっと気になる態度に引っかかるようになってきました。

 

お家で学んでくる際に、正しい式を教わってくるようになったためか、

問題を見たとたん、複雑なものでも数字を操作して、

正しい公式で解こうとする姿が目立つようになったのです。

 

でも、少し前なら、紙に絵図を描いてみて、考えこみながら解いていたのが、

問題を見たとたん、数を正しい公式にあてはめるようにさらさら解くようにも

なっていたのです。

 

そこで、その子がお家ではしていない3年生の最レベの問題から、

一部を取り出して、上の写真の図を描いて、緑色の線の部分、

直径2センチの円の中心が描く線について、

長さをたずねたところ、「18センチ?ん、20センチかな?」と

でたらめなことを言いました。

 

何度もよく見るようにうながしても、緑の線が18センチの線より長いということや、

20センチよりも短いということに気づけません。

この子は、本来、とても観察力があって、直観がよく働く子ですから、

この線の違いに気づかないわけはないのです。

 

でも、「小学3年生のだと難しいに違いない」とか

「やったことがない問題は解けないに違いない」とか

「算数の問題は、そこにあるどれかの数字を言えばいいはず」といった

思い込みが邪魔をするのか、素直に絵が見れなくなっていました。

 

難しい問題をさらさらと正しい式を立てて解けるようになると、

周囲から「すごい~」という賞賛を浴びることが多くなります。

 

すると、子どもはうれしくて、がんばる意欲を見せるときがあるのですが、

その時期の周囲の大人のフォローやサポートがとても重要だと思っています。

 

「すごい~」と言われることにばかり心が奪われると、

絵図を描いて、試行錯誤して、自己流の間違った式を立てるより、

「最初から答えを見て、暗記してしまえばいいじゃん」という態度に

傾きがちになるからです。

 

そうした時に陥りやすいのは、意味を理解せずに、

「こういう言葉が出てくるこういう問い方の時は、

この数からこの数を引いて、それにこの数をかければいいんだった」といった

わからないままに丸飲みするように解く癖がつくことです。

 

そういう癖がつきはじめている時の危険信号は、現物を見ているのに、

自分のなかのイリュージョンに自信を持つあまりに、

現物を正しく見ることができなくなっているという状態だと

感じています。

 

線が長いか短いか、素直に見るならすぐにわかるのに、

「前にどんな解き方だったかな?」と記憶をさぐる作業に忙しくて、

目の前のものが見れなくなる場合があるのです。

 

もちろん、意欲的に学習し、長い文を理解して解く力が伸びること自体は

いいことで、それを認めて、褒めて、大事にしてあげなくてはなりません。

 

でも、その時に、

子どもが問題を自分で具体物を操作して説明できるほどわかっておらず、

自分で絵図をきちんと描いて、自分の間違いを修正できるほど成長していないにも

関わらず、式さえ暗記すれば、そちらが正しい答えなんだよ……と

教えこんでしまうことは危険なことだと思うのです。

 

正しい式を覚えるのは、まず問題の意味が正確にわかって、

自分で自在に操作できるようになってからで十分で、

わかりもしないのに、正しい式だけかけるようになると、

自分がわかっていると錯覚して、さっぱり応用のきかない力をつけてしまうからです。

 

前回の記事にe-com子育ての羊先生から次のようなコメントをいただきました。

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ヒトの五感というのは脳で処理をする過程で、

記憶や経験に影響されるというのを聞いたことがあります。

アリの絵の話は、ヒトが見たいものを見るという例ですね。

実はまだブログでアップしていない記事で、公式をわすれたから解けないという

生徒の話を書きました。公式から離れて考えれば持てる知識で解けるのにです。


「正しい解法」という枠に囚われている生徒が多いように感じます。

その原因を作っているのは大人なのですね。

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羊先生のブログで、

現実の中から何かを引き出す訓練=学習

という記事を読んでとても共感しました。

京都産業大学の永田和宏教授の

 「今の若い人は、現実の世界から何かを引き出すという訓練を全く受けていませんね」

という指摘からはじまる考えさせる文章や

JT生命誌研究館館長 中村桂子氏の

「教育や学問では一人一人の状況に応じて対象から引き出すものが違ってくるところが

大事なのに、どんな子供も同じことから同じものを引き出すように仕向けている風潮が

ありますね」というこちらも現在の教育問題の急所を突く指摘と取り上げて、

羊先生がわかりやすく解説してくださっています。

ぜひ、ブログに遊びにいってくださいね。

 

前回の記事で、教室の子が意欲的に学習に取り組むようになると同時に

目の前の事実が素直に眺められなくなる事態が起こったという話を書きました。

 

「デジタルからデジタルへ」情報を変換することを覚えるほど、

目の前の現実の世界や自分が向き合っている対象を正しく読み説いて、

そこから価値ある何かを生み出していくことは難しくなりがちです。

 

 でも、だからといってプリントや本で学んだり、

その子の能力を超える概念に触れたりすることが悪いわけではないはずです。

 

羊先生がおっしゃる通り、「正しい解法という枠に囚われるあまり、

公式を忘れると解けなくなるような原因を作る」 大人の態度に

問題があるのではないでしょうか。

                                                                                                                                                                                                      

飲んだ飲み物はどこへ行くの?

という記事に何人かの親御さんから、

「わが子にも同じ質問をしたらこんな答えが返ってきました~」という

コメントをいただきました。

 

幼い子たちのトンデモ発言は思わず吹きだしてしまうおかしさですが、

一方で大人が正しいと思っている答えの方が、本当に正しいのか?

という疑問も残ります。

というのも、お茶の一部は確かに胃や腸を通って、最終的におしっこになりますが、

人間はミルク飲み人形とはちがって、飲んだお茶の全てがおしっこになるわけでは

ないのですから。

 

大人が子どもに教えがちな「飲んだ水分は、おしっこになるんだよ」という考えは、

アリを動物のように捉えていたイリュージョンと同じで、

不正確な思い込みでもあるのです。

 

上の作品は、写真は年中さんと年長さんふたりの作品です。

この子たち、何を作るか決めるところから、どんな素材を使って、

どのような手順で作るかまで、全て自分で作業してしまう

創造力溢れる子どもたちです。

3歳の頃から物作りが大好きなふたり。

毎日、ふたりで相談しながら、もりもりと創作に励んでいるそうです。

 

この子たちの要望で、何度か教室で

サンタさんの服作りや、ドレス作りをしたのですが、

その後、年長さんの子が、自分の体に合わせて寸法を調べながら

洋服作りをするようになって、親御さんが驚いていました。

 

それを聞いて、物作りでも勉強でも、

しっかり理解するように教えていくことは、大事だな~と感じました。

頭でも体でもわかること。

それがとても重要だと実感しました。

 

その子たちと、○や△や□の形を、

ふたりで平等に分ける場合の分け方、

三人で平等に分ける場合の分け方、四人で平等に分ける場合の分け方に

三角を3つや4つに分けるのが難しかったので、折り紙で再現。

間違った切り方も実際やってみて、どこがおかしいのか話をしました。