虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

ユースホステルでのレッスンに行ってきました

2016-08-14 20:23:19 | 工作 ワークショップ

 

3歳~小学1年生までの子たちとユースホステルでのレッスンに行ってきました。

お父さんと目にLEDをつけた怪物をつくった子がいたので、暗い部屋で怪物退治。

子どもたちは大はしゃぎしていました。

 

風呂あがりに算数のレッスンをしているところです。

 

算数の問題を演じているところです。

問題を解く役の子らは、我先に手をあげて答えを言っていました。

 

問題1 「子どもは何人でしょう?」

 

問題2 「最初に5人いるよ。

(みんなが目をつむっている間に何人かおうちにかえってしまった)

子どもが2人になってしまったよ。何人おうちにかえったのかな?」

 

問題3 「最初に7人いるよ。

(みんなが目をつむっている間に何人かおうちにかえってしまった)

子どもが2人になってしまったよ。何人おうちにかえったのかな?」

 

問題4 「6人の子どもがいるよ。

ひとりに2つずつ小鳥をくばったら、みんなで小鳥はいくつ?」

 

年少の子ががんばって配っています。

 

問題5 「6人人の子どもがいるよ。

ひとりに3つずつ小鳥をくばったら、みんなで小鳥はいくつ?」

 

眠くなってきたので、ひとり1問ずつ問題を解いて、眠りに行きます。

問題「3わの小鳥がいるよ。あと何わの小鳥がきたら、5わになるかな?」

 

「5わのことりがいるよ。何わか飛んでいったら1わになっちゃった。

何わ飛んでいったのかな?」

 

「1本の指が、10だったら、10本の指でいくつ?」

「1本の指が100なら10本の指でいくつ?」

「1本の指が1000なら、10本の指でいくつ?」

小1のAちゃんは、「1万!」と

ちゃんと答えることができました。「おやすみなさい」

 

 

 


文字を書く練習 ステップアップ

2016-08-14 17:56:38 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

あまり幼い子に文字を書く練習をさせることは、おすすめできません。

絵のなかに字を書き込むようになってイメージしたり、

表現したりすることへの妨げになる場合があるからです。

でも、先々、字を喜んで覚えて、練習し、思ったことをどんどん文字で

表現していくようになるために、その年齢ごとに大切な体験はあります。

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アスペルガー症候群、自閉症、ADHD、知的障害、書きのLD、DANP症候群などの

ハンディキャップを持っている子は、文字を書けるようになるのにとても苦労するときが

あります。

親御さんから「何度教えても、いっこうにできるようになりません~!」

という訴えを受けることがよくあります。

そこで、私がかわって、子どもさんにその覚えないという文字や絵を教えてみると、

何度も教えても覚えなかったという原因が見えてくることがよくあります。

その原因というのは、子どもにより、ハンディーによりそれぞれです。

 

・「斜めの線を把握しにくい」という見ることや空間認知の問題ゆえに

文字が覚えられない子がいます。

 

・ADHDの子や広汎性発達障害の子に多いですが、相手の手元や手本を見ることに

集中できないため、覚えられないという子がいます。

 

・数字の3のような丸く弧を描く腕の動きができないために書けない子がいます。

 

・どの地点で止まれば良いのか、最終地点を推測する力が弱くて、書けない子がいます。

 

・自閉症の子で、書くことへの意欲のなさから、書けない子がいます。

 

・ADHDの子で、椅子に座る困難から書けるようになれない子がいます。

 

・LDの子で、文字を目で判断する時点で困難を抱えてしまう子がいます。

 

・アスペルガー症候群の子で、自己流の書き順へのこだわりが治らない子がいます。

 

・DANP症候群の子などで、筆圧が弱すぎて、文字にならない子がいます。

 

何度教えてもできない……という場合、教え方がその子の最近接領域よりかなり離れている

可能性があります。

教えたら出来そうな事を見つけて強化するのが、できるようにするコツです。

数字の3のような丸く弧を描く腕の動きができないために書けない子には、

手作りバトン(紙を丸めて作った棒)を弧を描いて回す練習も有効です。

丸く描くコツを筋肉の運動からマスターさせるのです。

えんぴつで丸を書かせることが、最近接領域内にある作業とは思えない場合、

こうした大きな運動から練習をスタートします。

練習しても、なかなか字が書けるようにならない子にとても大切なのは、

「視覚と運動の統合力」です。

その中でも特に、 目と手の協調性は重要だと思っています。

目で見たものを手で描くとき、視覚は「目で見た」と判断したモノを手の感触によって

補強しながら書いているそうです。

手は、入力情報の入り口であり、発信源でもあるのですね。

指で感じて目で見るだけでなく、目で感じて指で見る感覚を養うことはとても大切です。

 

目と手の協調性のトレーニング

特別なトレーニングの場では、ボードのたくさんの点が、ランダムにひとつずつ点滅し、

それを手でタッチしてトレーニングしているところもあります。

自宅でするときは、かるたや絵カード、トランプを読み上げてもらって

すばやく手でタッチしていく遊びをすると良いと思います。

お風呂で、水鉄砲を使ってマトを打ち落としていくのもそうしたトレーニングになります。

 

トランプや数が大きく書いてあるカードを使って、次のような遊びをするのもいいです。

 

①トランプの1~10までをバラバラに置きます。

②1~10まで順番にタッチします。

③1から8のトランプを円形に並べます。

④2つの数(2と5など)を言って、両手を使って同時にタッチします。

折り紙に線、ぎざぎざ、などの簡単な線を描き、手でやぶります。

折り紙遊びをします。三角に折るだけでもOK。

ボールを投げてキャッチします。

お手玉、あやとり、ひも通しなど…。

 

文字を書くというと、字をトレーニングさせたい気持ちが強くなります。

が、私たちが足の指を使って字を書くことを思ってください。

書きたい気持ちはあっても、スムーズに動かない足の指では、

頭で字をどれほど捉えられても書けませんね。

まず、手と目の協調を助けるトレーニングをたっぷりしてみてくださいね。

 

ひらがなの練習のためにいきなりひらがなワークを与えると、

強い拒絶反応が返ってくることがあります。

筆圧が弱く手の動きをうまくコントロールできない子には

鉛筆を使ってする遊びを体験させると文字の学習がスムーズになります。

おすすめの遊びをいくつか紹介しますね。

 

★写し絵 

好きなキャラクターのイラストを写すのは子どもが大好きな作業です 

喜んで取り組むうちに自然と文字を書くために必要な線が上手にかけるようなっています。

写真の子は ひらがながきちんと書ける子ですが

そうした子にも 写し絵や文字を写す遊び(真似して書くのも)は役に立ちます。

大好きな雑誌の絵を真似して書いています。文章もいっしょに真似しています。

一緒におしゃべりしながらこうした遊びをさせると、文章の成り立ちや習っていない漢字の学習ができますよ。

 

★ 絵描き歌

いくつか絵描き歌をマスターすると必ずひらがなも書けるようになってきます。

へのへのもへじ…は知っていますか?

オリジナルの絵描き歌を 子どもと考えるのも楽しいです。


『へのへのもへじの絵かき歌(丸谷晴彦と絵かき愛好会著/中経出版)1,500円』には、

11個の絵かき歌がCD付きで収録されています。

絵かき歌の中には数字やひらがなや漢字の基本の形が含まれていて、繰り返し練習するうち

文字を書くのが易しくなってきます。とっても楽しく文字を書く準備練習ができる教材です。

発達障害の子のなかには、「し」や「つ」を書くのも、困難という子もいるかと思います。

その場合は、曲がれないのか、止まれないのか、まっすぐ下に線が書けないのか

横線、ななめ線が難しいのか、もとの形を認識するのが難しいのかを 

よく見極めるとよいかと思います。

 

ずんずんずんずん ストップ!という止まる練習や、空中に字を書く練習などからはじめると

よいかもしれません。

 

遊びながら不器用さを克服するアイデア集

ボタンをはめる 飲み物を注ぐなどの日常の動作が苦手だと、何をするにも人頼り……

かんしゃくの連続……幼稚園や学校へ送り出すだけで一日の総エネルギーを使い果たしてしまう

というおうちがあることと思います。

それに えんぴつがうまく使えなかったら、それが原因で勉強嫌いになってしまうかもしれませんね。

虹色教室の生徒の知的障害をもっている★ちゃんも、かなり不器用でした。

最初のうちは、指で3や4の形ができませんでした。

折り紙を折っていったら、ゴミを丸めたような仕上がりになってしまいました。

ピアノも「ドレミ」が弾けませんでした。

でも いろんな遊びを取り入れた指の訓練をするうちに、鍵盤ハーモニカで

一曲弾けるようになりました。

折り紙で犬が折れるように(角をきちんと合わせて)、また漢字が書けるようになりました

2ヶ月で達成することができた★ちゃんの指トレーニンを紹介しますね。

 

●シールあそび

ペットボトルやノートに シールをいっぱい貼らせます。

はがすのが難しいようなら 少しめくっておいてあげます。

写真のようなシールがたっぷりついていて、ワークもついているものは 

とても役に立ちます(1冊分シールを使い切る頃には かなり不器用が改善されています)。

コツは ワークをきちんとやらせようとせず、自由に貼らせること。

頭を使うことより もくもくと指を使うことが大切。

 

●金魚すくい スーパーボールすくい

おふろに常備します。すくいアミは100円ショップのおもちゃで十分。

金魚やスーパーボールはたくさんあると熱中します。



●水鉄砲

人差し指の訓練になります。



●ムシキングや恐竜キングのカード

(★ちゃんは たまごっちカードでした)

ある本によると ババ抜きは手先を器用にする訓練にもってこいなんだとか…。

「どれにする~?」と言われてカードをぬきとる動作が目と手の協調をさせるそうです。

ババ抜きのルールが難しい子でもムシキング等のカードなら

「これちょうだい!」と引けるのでとてもよいです。

並べたりめくったりしても、指先が鍛えられます。

 

●風せん投げ

目で動く物を追う力と、手全体のすばやい動きを育てます。



●手遊び 指遊び

「おせんべやけたかな?」や「このぶたさんは~♪」など指が自由に速く動くように…


●ゴルフあそび

鉛筆くらいの棒(紙を巻いたものでOK)で紙を丸めて作ったボールを打ちます。

この要領でビリヤード エアホッケーなどを楽しみます。鉛筆動作の訓練です。



●わなげ

おもちゃのわなげもいいですし、輪ゴムを消しゴムなどに向けて投げるのもいいです。



●料理

まぜる、こねるの手伝いを…



●砂に指で文字練習

ペットショップで売っているハムスターの砂浴び用の、白くて細かい砂をトレイに入れて

指の感触を楽しみつつ文字の練習をします。


●きんちゃくぶくろ

給食用のきんちゃくぶくろの中に小さめのおもちゃを5~7個入れて

触るだけで当てさせます。感覚の訓練になります。

大切なのは本人が楽しんで 無意識に指や手のいろんな動きをコントロールしていることです。

 

本を出版させていただきました。どうぞよろしくお願いします。

詳細はこちらで見てくださいね。

http://www.php.co.jp/family/detail.php?id=83303


工作やブロックが好きじゃない子も工作やブロックをしなきゃいけないの?2

2016-08-13 08:41:50 | 工作 ワークショップ

前回の記事で、1、2歳の幼い子たちの遊びの場でも

物作りを取り入れていることを書きました。

そうしていると、次のような良い効果も生まれます。

 

物作りに親しんでいると、お友だちとのトラブルが起こった時に

気持ちを切りかえたり、問題を解決するのが上手になるのです。

 

幼い子たちはとにかく自分の物は貸したくないし、

他の子の持っている物が欲しいものです。

大人が間に入ってトラブルを解決してあげる場合、

「ちゃんとお口で、貸して!って言ってごらん」

「ほら、○ちゃん、いいよ、でしょ」と、貸したくない側の子がおとなしくて

聞き分けのいい子の場合、その子の気持ちはそっちのけで、

物が行き来しておしまい、ということになりがちです。

 

そうして、大人の指示に素直に従う子は、幼い頃は、

「えらいね、かしこいね」とほめられるのだけど、

自分の気持ちを上から抑え込んで我慢しているだけですから、

成長して意志がはっきりしてくるにつれ、

意地でも自分の物を貸そうとしなかったり、

成長して意志がはっきりしてくるような年齢になっても、

決めごとは何でも大人に頼ろうとしたりするようになったりしがちです。

 

その一方で、人と関わりながら創造性を発達させていった子が、

年中さんや年長さんくらいになると、こんなうれしい姿もよく目にします。

 

お友だち間でおもちゃや物の奪い合いが起こると、

「それなら、同じ物を作ればいいんだよ」と提案する子がいるのです。

「作り方を知っているから教えてあげる」

「作るの手伝ってあげる」という子もいます。

「ふたりでいっしょに使おうよ。○くんが何の役するかと、ぼくが何の役するかを

決めたら、そのおもちゃは1個でも、大丈夫だよ」

「じゃあ、じゃんけんするか、何分ずつ使うか決めようよ。

★くんはどういう風にしたいの?」と遊び方の解決法を示す子もいます。

 

物作りは必ずしも、物を作ることに終始するのではなくて、

アイデアを作る、考えを作る、ルールを作る、ということにもつながっていくのです。

子どもたちは主体的に自発的に創造的に自分の現実と向き合うことを、

自分で何かを作りだす作業を通して身につけていくのです。

 

工作の魅力的な材料が人数分足りない時なども、

「わたしはそのひもがなくても、モールを編んだら

きっと同じくらいきれいになるからいいのよ」とか

「その箱は最初から形が面白いけど、でも普通の箱でも、

いろんなところを切ったり、色紙を貼ったりした方が、

きっと自分の好きなものが作れるからいいよ」

  

 ↑の写真は、

科学クラブの小学生たちが協力して元素の周期表を作っているところです。

子どもたちの中から「やってみたい」と始まった作業ですが、

これまでも物作りをしながら関わる体験を積んでいるので、

思い通りにならない部分があるほど、一致団結してがんばりだして、

それぞれが自分のやるべきことを考えて、上手く役割分担して仕上げていました。

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話が「工作やブロックが好きじゃない子も工作やブロックをしなきゃいけないの?」

という話題からずいぶん脱線してしまったので、話をもとに戻しますね。

 

「工作やブロックが好きじゃない子も工作やブロックをしなきゃいけないの?」

という質問は、遊びが子どもの世界に自然に存在するものではなくて、

一つひとつパッケージにして分けられた

「大人がよかれと選別して子どもに与える個別の商品」と

なりつつあることからも生じる質問のように感じています。

 

こういう疑問が生じてくるのには、子どもを、

「自分の理想に近づくように育成する対象」

「自分の願望を満たすために教育する対象」としてまるで大人の私有物であり、

大人が作り上げていく生きているおもちゃのような

一方的なまなざしを向けている社会のあり様が

背景にあるのではないでしょうか。

 

そういう雰囲気や行き過ぎがあるから、

それへの抵抗、疑問、戸惑い、迷いなどから、

こうした疑問が生じてくるのでは?と思われるのです。

 

子どもを、

「自分の理想に近づくように育成する対象」

「自分の願望を満たすために教育する対象」として、

大人の私有物のように扱う考え方は、

子どもをターゲットにした商売の宣伝文句できれいに加工されて、

ごく普通の子ども思いの親御さんの心にも浸透しています。

 

その前提の上で子どもの遊びまでも、

子どもを大人の望む理想の形に作り上げるための方法や道具として

語られていますから。

 

また子どもの世界が、

より理想に近づく育て方を説く指南書によってマニュアル化され、

子どもの遊びまで天才児作成アイテムのひとつとして、

大人の頭でイメージを固められてしまっています。

 

すると当然、人生を選び作り上げていくのは子ども自身で、

「親は無償の愛情を注ぎながら、そのサポートをするに過ぎない」

とわかっている子育ての本質的な部分からずれていない人にしたら、

「親の目標のため子育て」という線上で

良いものとして注目されて加工されているもの一つひとつに

ちょっと敏感に反応してしまのかもしれません。

 

「工作やブロックが好きじゃない子も工作やブロックをしなきゃいけないの?」

という疑問もそのひとつかな、と思っています。

 

もちろん、わたしにしても、

「子どもに与えるこういう体験が、子どものこういう良い資質を引き出す」

という話題や、

「こういう遊びがこういう能力の発達を助ける」という話題は

何度もこのブログで紹介してきています。

 

でも、もしそれは、「植物の種には、太陽の光と水が必要ですよ。

そうすると、ほら、種だったひまわりは元気に芽を出し、

今は大きな花を咲かせていますよ」と伝えたいことを、

そのまんま言葉にしているだけで、自分の持っている種(わが子)で、

ひまわりの花を咲かせよう(自分の理想の子を作り上げよう)と

模索している親御さんたちに、

「ひまわりにしたかったら、光と水がなきゃ無理です」と

説明しているわけではないのです。

その方の持っているのは、あさがおの種かもしれないし、

すみれの種かもしれない、珍しい大きな花を咲かせる何かかもしれませんから。

 

 

これこれは必要。これこれは大事。

でも、何を選び、どのように成長していくのかは、子ども本人の仕事。

失敗するのも、挫折するのも、成長するための滋養の数々。

子どもの生きる力、反抗する力、問題を乗り越える力を育んで、

少しずつ手を離していく……。

 

そうした子育ての流儀のようなものを、子どもと接する中で繰り返しながら、

そうした日々を言葉にしてブログで伝えているだけなのです。

 

それでもブログを読む方の読み方によって、一部分だけが

誤解されたままひとり歩きしていくこともあります。

今回とは異なる切り口からですが、次のような記事を書いたこともあります。

 

ブログの記事が誤解を与えている?

ブログの記事が誤解を与えている? 2

 

子どもの人生の舵取りを、

子どもが幼いうちに大人が奪い取ってしまおうとする情報が飛び交い、

過熱しているために、一方では、

そうした子ども主体性を無視した文脈で語られていく言葉に呑みこまれまい、

何か違う……何かおかしい……第一、目の前の子どもの現実にそぐわない……

という疑問を抱いて、どのように自分の態勢を立て直そうか、

考え込んでいる方々がいらっしゃるのではないでしょうか。

 

わたしとしては、

「工作」「ブロック」といった遊びの区分自体が、

大人の目線によるもののように感じています。

 

子どもの遊びはどれも地続きです。

 

ままごとをしている子が同時に草花を取ってきてお料理を始めて

工作に近い遊び方をすることもあるし、

草花を絞ってジュースを作るうち、色の混ざり方や素材への関心が高まって

理科実験の様相を帯びることもありますよね。

 

最近の子の遊びは大人の管理が行き届きすぎて

そうした自由な展開があまりないのかもしれませんが……。

 

ブロック遊びにしても、大人が作品の出来に期待を寄せなければ、

お店やさん遊びのアイスクリームやケーキになるし、

お人形遊びのお家にもなります。

キャンプごっこをするなら焚火にくべる薪になり、水筒になり、

望遠鏡にもなります。

ゲームをする時には、すごろくの盤になり、コマにもなります。

 

そんなふうに、

子どもの欲するものなら何にでも変幻自在に形を変えるブロックについて、

子どもの好き嫌いという線上で語ること自体にちょっと引っかかりもしています。

 

その言葉には、

「ブロックで遊ぶなら、パズルのピースを増やしていくように

より複雑で難しそうな作品を作っていかなくてはならない」

という焦燥感が含まれているようにも思われるからです。

 

わたしにとって、子どもにどんな遊びの体験を用意するのか、

それがブロックか積み木かお人形か外遊びかといった違いは、

子どもといっしょに「目の前の素材の長所や利点を引き出すと、

どういう良さがあったのか、どういう面白さや他との違いがあったのか」

結果を身体で味わうくらいのことしかなくて、

そこに好き嫌いを評価しようという気持ちはそれほどありません。

 

どんなにつまらないように見えるものにもその良さがあって、

魅力があります。

たとえば落ちている石ころでも、ゲームのコマにもなれば、

箱庭の材料にもなるし、宝探しの気持ちを満足させてくれるし、

地学への興味につながるかもしれません。

「石ころ」なんて、「工作」や「ブロック」のように遊びの名前として

登場しないかもしれないけど、

そこから自分を楽しませてくれる魅力を引き出そうとする「遊び」の

精神さえあれば、どんな遊びにも変えられないすばらしいものになるのです。

 

結局、「何」をして遊ぶかではなく、

「どのようにして」遊ぶかが、遊びの要なんですよね。

 

ブロックの場合は、ひとつできるようになった時に、

何個も何個も同じものを作りたいという思いを満足させてくれるし、

壊れにくいので持ち運んで配達遊びなどもできること、

お友だちが欲しがった時、新たに作ればいいという安心感もあるし、

作り方を習うことも教えることもできるし、

自分で課題を作りだすこともできる利点があります。

それぞれの子が自分の能力や個性を投影しながら遊んでも、

それを受容するだけの自由度があります。達成感を得やすいです。

 

そんなふうにおもちゃとの関わりは、対象の魅力を見出し、

引きだす力を養う時間とも言えます。

 

そこで、遊びが何かってことにばかり大人が気を取られていると、

遊びの世界にしても

人から人に伝授していくものがあることが忘れられてしまう気もしています。

わたしが教室で工作やブロック遊びを大事にしているのは、

そこにあるんですけどね。

 

というのも、

「子どもには何が大事か」「子どもの遊びは何がいいか」論争に巻き込まれると、

最終的に、子ども同士、自由に外遊びしているのが一番いいんじゃないかな、

と思ってしまいがちなのです。

 

でも「遊びが何か」じゃなくて、

「遊びの対象」にしっかりコミットメントして、

自分の想像力や思考力を活かしていったり、

そこから対象の良さを引き出していったりする体験を積んだ後に、

何の遊びをしても、その遊びがすならしいものになる、

子どもにとって価値あるものになる、ということを

忘れちゃいけないと思っているのです。

話題を最初に戻しますが、

児童館のように外で遊ぶ空間もあり、さまざまなおもちゃもあり、

異年齢の子どもたちが集う場で、イライラしているのか、

テンションが上がってふざけているのか、

ただただ物を壊す遊びしかしない幼児や小学生が大多数を占めているという

児童館の館長先生の嘆きを無視してはいけないと感じています。

 


夏のプログラミング レッスン 1

2016-08-12 09:25:10 | 工作 ワークショップ

夏のプログラミング講座の様子です。

最初にマイクを使って、声でパソコン内の人形と会話を楽しむために

プログラミングをしました。

小2のAくん、Bくん、小4のCくん、の3人。

まず、簡単な『状態遷移図』を作成。

 

Aくんがプログラミングした会話。

 

・こちら「スポーツのこと話そう」

→パソコン内の人形(人工知能)「やきゅうは好きですか?」

 

・こちら「すきです」

→パソコン「なんでですか?」

 

・こちら「きらいです」

→パソコン「そうですか」

 

Aくん、パソコン内の人形とやりとりが成功したのがうれしくて、

次に打ち込みたい会話をどんどん紙に書いていました。

 

Bくんがプログラムした会話。

 

・こちら「ごりらのこと話そう」

→パソコン「ごりらの特徴は、ムキムキ?強い?」

 

・こちら「ムキムキ」→

→パソコン「ごりらのきんにくは10トン」

 

・こちら「強い」→

→パソコン「人間をぶんなぐる」

 

Bくんのプログラムは、うまく作動しなくて、

マイクで話しかけても返事をしませんでした。

そこで、「ムキムキ」ということばを、発音をつけて登録したところ、

うまく作動するようになりました。

 

 

Cくんがプログラムした会話

 

・こちら「サッカーのこと、はなそう」

→パソコン「サッカーはすきですか?」

 

・こちら「すき」→

→パソコン「わたしはみるのがすきです」

 

・こちら「きらい」→

→パソコン「いちどやってみたらどうですか」

 

次はゲームを作るプログラミングにチャレンジ。

プロセッシング(ビジュアルデザインのためのプログラミング言語)を使って、

円を描いで、色をつけたり、動かしたりする方法を学びました。

座標で位置を決めることや、数字で色やサイズを変えることに

みんな興味しんしん。

 

プロセッシングを使ってプログラムをしていく学習は、

午後に来た小学5年生以上の子たちに大人気でした。

高学年以上の子たちは、変数を使うことで、作った図を動かせるところが

一番面白かったようです。

 


工作やブロックが好きじゃない子も工作やブロックをしなきゃいけないの? 1

2016-08-11 06:15:29 | 工作 ワークショップ

 

虹色教室通信では、子どもたちが工作やブロック遊びといった

物作りを楽しんでいる姿を紹介しています。

そうした画像を見るうちに、「うちの子は工作やブロックが好きじゃないけど、

好きじゃない子にもやらせなきゃいけないの?」と悩む方がいるようです。

 

もちろんやりたがらないものを無理にやらせる必要はないはずです。

 

ただ、「やりたがらない」の背後にあるものを、安易に、

好き嫌いの問題とだけ捉えて、

「うちの子にはあってないようだから、させなくていいわ」と

白黒つけちゃうのはどうかな、と思っています。

 

別に工作じゃなくてもいいし、ブロックじゃなくてもいいけれど、

子どもには、おもちゃに遊んでもらうんじゃなくて、

自分で遊びを作りだしていくようなシンプルな素材との付き合いが

必ず必要だと思っているのです。

 

わたしが子どもの頃は、

地面や草木や外の世界にある、ありとあらゆるものが

子ども自身が創造的に遊びを生み出していくための素材として

利用されていました。

 

「子ども時代、工作もブロックもしたことがない」という方も、

地面に円を描いて石けり遊びをしたり、線を引いてドッチボールをしたり、

階段を上り下りしながら、じゃんけん遊びをしたり、どろだんごを作ったり、

草花でままごとの料理を作ったり、フェンスを上って新しい道を開拓したりした

覚えはあることと思います。

そうした自ら作りだしていく遊びの場では、子どもから子どもへ、

伝承されていく学び合いが常に行われていたし、自分の気持ちを表現したり、

自分の考えを伝えたり、黙々と素材の感触と触れ合うゆったりした時間が

ありました。

 

「こういうふうに遊びなさい」と大人に遊びを決められたり、

「こういう遊び方しかない」とおもちゃに遊び方を限定されたすることなく、

その日の気分と自分という個性とひらめきや想像の全てを

オールマイティーに受け入れて、

さらなる発展をうながしてくれるような遊びの世界は、

今の時代、大人が意識して環境を整えてあげないと

存続できないようなところがあります。

 

もちろん現代の子どもの周りにも土や草花やフェンスや階段はあります。

でも、それらに自由に働きかけることは

今の子に許されていないし、そうした遊びの手本もありません。

 

異年齢の子どもたちが自由に外遊びをする姿が減り、兄弟姉妹が減り、

遊び時間が減り、

遊びを伝承する子どもの文化が衰退し、

子どもの世界に大人が良かれと思うあれやこれやが侵入しているのが、

今の子の現実です。

 

自分で判断したり、考えたり、工夫したり、

「わたしはこういう子だ」とか

「今はこういう気持ち」というものを表現したりするもの。

 

「やーめた、やっぱりこうしよう」と自分の意のままに変更したり、

破壊したり、塗りたくったり、ちまちました作業に没頭したり、

巨大なものを完成させる夢を抱いたりできるもの、していいもの。

 

物と物を会話させたり、他の子のすることに興味を持ったり、感動したり、

自分の作り上げたものに感激したり、称賛されたりするような

人と人とをつなぐ役割を果たしてもくれるもの。

 

そうした変幻自在に子どもの力で創り上げていく遊びは、

どの子にとっても大切なもの、重要なものだと感じています。

 

もちろんそれを「工作」や「ブロック」に限らなくてもいいのです。

 

でも子どもにはそういう遊びの経験がいる、ということは現代の子育てでも

心に留めておく必要があるのではないでしょうか。

 

もし「工作」や「ブロック」に興味がない子なら、

「知育玩具」や「パズル」や「絵本」でいい……というのではなく、

やはり「工作」や「ブロック」ぐらい自由度が高く、

能動的に働きかけられるような「ごっこ遊び」「劇遊び」

「お姫様ごっこ」とか「秘密基地作り」とか「冒険遊び」などが

楽しめるような環境を用意してあげることが大事かな、と思っています。

 

以前、近所の児童館で工作教室をしていた時のこと、児童館の館長さんから、

「とにかく遊びというと、物を破壊したり、投げたり、

足蹴りしたりすることだけで終始する子があまりに多いので、

どうしたものかと思っています」という相談をいただいたことがあります。

 

児童館には毎日、大勢の幼児や小学生が集まっていたのですが、

どの子も成長して子ども同士で遊ぶようになったとたん、

おもちゃを破壊して遊ぶことしか興味を示さない……ということを

危惧しておられたのです。

「破壊が創造の第一歩ということはわかります。

子どもだってストレスもあるでしょうし。

でも、破壊しかしなくて、遊びが生まれないというのはどうしたものか……」

館長さんは、そう言って、ため息をつかれました。

 

児童館の館長さんの心配は、ある地域の限られた子どもたちの姿ではなくて、

ごく普通の大多数の子らが大人の管理を離れて、

自由な遊び時間を手にした時に陥る姿だと思います。

 

虹色教室では、子どもの創造的な活動に対する意欲が生まれやすいように、

お友だち間の学び合いや協力が起こりやすいように

さまざまな工夫を凝らしています。

 

物作りの技術を身につけつつ、

人と響き合う楽しさ、アイデアを出し合う面白さ、

自分の全エネルギーを無駄にも思えるような何かに投入してみる満足感、

問題を解決した時のスカッとする気持ちなどを味わうことができるような

環境を物の面でも人の面でも整えるようにしているのです。

 

そうした種まきや地道に心を耕す過程があってこそ、

子どもたちが主体的に遊びを生み出して、お互いの心を共鳴させあいながら

楽しい時間を作りだすことができているのです。

また遊びがそのまま学びの好奇心になり、学ぶ時の姿勢になり、

学習動機や意欲にもつながっているのです。

 

子どもたちはみんな現代っ子ですから、もともと想像力や創造力が豊かで、

自分で考えて遊びを作りだし、お友だちと協調して遊び、問題が起これば

解決することができる子というのはごくわずかです。

 

教室に来ている小学生にしても、こちらが遊びを豊かにする方法を伝え、

子どもの心に「豊かさのある面白い遊び」という火を灯さなければ、

それぞれ好き勝手に自分で完結する遊びをしようとしたり、

遊びもしないのに教室を散らかしてまわったり、

室内でボール投げをしたりしてゲラゲラ笑い転げる……という

児童館の先生が嘆いておられた「破壊する遊び」だけに興じるところがあります。

それが幼児期に聞き分けよく育ってきた小学生たちが好む遊びだからです。

 

そんな子どもの遊びの世界の質の低下を目にすると、

大人たちは教育のことばかり語り合っていていいのかな、と疑問を抱きます。

子どもの遊び世界とはそのまんま子どもたちの内面世界の現れではないか、

と感じるのです。

また、子どもの生きている世界の投影でもあると思われるからです。

 

子どもの遊びの世界が衰退し、瀕死の状態にあるということは、

子どもの内面世界が枯渇し、

子どもを取り巻く環境が寂しいものとなっていることを伝える、

SOS信号とも受け取れるからです。

 

 幼い男の子たちが車や電車のおもちゃが気に入ると、

「何が楽しいのかしら?」と呆れるほど、

来る日も来る日も、ミニカーを前に動かしたり、後ろに動かしたりしながら、

遊び続ける姿がありますよね。

 

親御さんに、「この1月ほど、どんな遊びをしていましたか?

興味を抱いていたものや、好きになったものはありますか?」とたずねると、

目の前の子が車を前後に動かす姿に視線を投げながら、

「ずっと、あればっかりです。いつも車でしか遊ばないから、別のおもちゃも……

と思うんですが、それしかしたがらないんです。ひとりで遊んでくれるし、

つい楽なんで放っといちゃうんですが、

もうちょっと遊んであげた方がいいでしょうか?」

「プラレールを買ってあげたところ、毎日、レールをつないで電車が走るところを

いつまでの眺めています。それ以外の遊びがないので気になるのですが、

誘ってもそれしかしたがらないのです。

いっそのこと、好きなおもちゃ類を片付けちゃった方がいいんでしょうか?」

という質問が返ってくることがよくあります。

 

 本人が好きなことを存分にしているのですから、いいにはいいのでしょうが、

遊べば遊ぶほど、遊びの幅が狭くなって、

親御さんやお友だちがその遊びに参加する隙もなくなってしまうのは、

ちょっと気になりますよね。

 

遊びのパターンが固定されて、柔軟性が失われると、

いつも同じことが、一貫したテーマで再現されないと落ち着かなくなるし、

遊びが、外の世界を遮断する道具になってしまうこともあります。

 

車の好きな子には思う存分、車で遊ばせてあげたいけれど、

遊び道具や遊び方の一部に、創造的に変化させたり、

自分の思いを表現できるような柔軟性のある素材や方法を

取り入れるようにするといいな、と考えています。

 

一つのおもちゃや一つの遊び方にこだわりが強くなると、

お友だちが近づこうものなら、「自分の遊びを邪魔される」

「自分のおもちゃを奪われる」と身構えたり、威嚇したり、人を避けたり、

不安のあまり放心したようにボーっとなってしまう子がいます。

 

お友だちからお気に入りのおもちゃを奪われないかと緊迫した様子で遊ぶ子は、

お友だちが持っているおもちゃが目に付くと、

「それを自分のものにできないんだったらこの世の終わり」とでも

言いたげな態度に転じることがよくあります。

 

お友だちと過ごしている間中、

「自分のおもちゃを触られたくない」という気持ちと、

「ほかの子の持っているおもちゃが欲しい」という気持ちの間を行き来していて

その中間がないのです。   

すると遊びがいつまでも発展しないし、

遊びが発展しないということは、精神的な成長が停滞することにだってつながります。

 

虹色教室では、

子どもの遊びの世界が、外の世界のあり様を受け入れやすい状態を保つよう、

また遊びが身の回りの環境への開かれた窓の役割を担うように……という意味もあって、

1歳、2歳という幼いうちから、遊びに物作りを取り入れています。

 

具体的な例を挙げると、たとえば、電車でひとり遊びをしている子がいれば、

ブロックで隙間を作ってもいいし、空き箱に穴を開けてもいいし、

椅子の隙間をそのまま利用してもいいのですが、

それを切符の券売機に見立てて、切符が出てくる遊びを加えるようにするのです。

 

 

工作といっても、紙を乱雑にチョキチョキするのが楽しい時期の子もいるでしょうし、

細い紙を用意してあげて、一回、はさみを開閉するだけで

チョキンチョキンと切符ができていくのを喜ぶ時期の子もいるでしょう。

お母さんに切ってもらいながら、紙だったものが自分の見立てる力で

切符に様変わりしてしまう魔法に夢中になる子もいます。

「切符!切符!」と遊んでおきながら、ふいに紙をパラパラ散らして、

「雪!」と命名して笑みを浮かべる子もいます。

 

そのように物作りを遊びに取り入れたとたん、自分の頭の使い道が広がり、

「今日、駅で~した」と自分の体験をもっと遊びに入れてみようとしたり、

「切符だけじゃなくて、お金もいるよ」と知恵を披露してみたり、

「ジュースが出てくる機械とアイスが出てくる機械とトーマスの出てくる

ガチャポンも作る!(作って!)」と創作することと想像力を使うことで、

たちまち億万長者なみに自分の欲するものが手に入る喜びに浸る子もいるのです。

 

↑の写真はビー玉をセロファンで包んで信号機を作っている様子です。

(色の順番は間違っていますが、本人の好きなように)

駅で信号機を発見した男の子の感動を、遊びの中で再現しているところです。

100円ショップのプッシュライトを当てると、信号を順番に光らせて遊べます。

 

こんなふうに、遊びにいつでも物作りを取り入れられるようにしていると、

「駅に信号があった!」という子どもの感動が、光の性質や信号機の仕組みといった

ものに広がっていくきっかけにもなるのです。

 

また物作りを遊びの世界に取り入れると、「お手本をよく見て真似る」

という学びの姿勢を身につけさせる機会が増えます。

 

できるようになったことを、お友だちに教えてあげるようにもなります。

 

そのように物に固執しなくても、さまざまな心を満たしてくれるものがあることを

知るにつれ、子どもたちはお友だちと過ごすのが楽しくなり、

上手に遊べるようになってきます。

 

既成の完成されたおもちゃには、

たいてい子どものアイデアや想像が入る余地がありません。

 

↑の写真はブロックでケーキを作った子の作品。

これから、お友だちとそれぞれ作ったケーキを持ち寄ってパーティーをする予定です。

プレゼントを包み、ろうそくを立ててご機嫌の女の子。急に思いついたように、

赤い部分をはずして、「火が危ないから、ろうそくを消しておくわ」と言いました。

自分が今、思いついたこと、知っている知識、想像したこと、願い事、

自分の中に生まれた物語……。

そうしたものを、遊びの世界にリアルタイムに活かしていくには、

自由に作り変え、自由に見立てることができる素材が必要ですよね。

 

工作やブロックのように自由度の高い遊びは、

子どもの頭と心の可動領域を広げます。

子どもの内面世界を目で見て触ることができるスペースを作りだします。

 

 工作やブロックが好きじゃない子も工作やブロックをしなきゃいけないの?4

工作やブロックが好きじゃない子も工作やブロックをしなきゃいけないの? 5

工作やブロックが好きじゃない子も工作やブロックをしなきゃいけないの? 5補足


2,3,4歳の子たちとの工作を思い切り楽しむ方法

2016-08-10 19:19:24 | 工作 ワークショップ

↑ 自分で考えたストロー鉄砲に大満足の3歳6ヶ月のAくん

 

2~4歳の子との工作が広がらない、

「ママ作って」で終わってしまう、

導入の仕方がわからない、

途中でうろうろして飽きてしまう、発展しない……

という相談のコメントをいただくことがよくあります。

 

そこで、2~4歳の子らの工作する姿を紹介しながら、

どんなふうに工作が始まるのか、どんな点に気をつけているのか、

どのように発展していくのかを書かせていただくことにしますね。

 

4歳1ヶ月のBくん、4歳4ヶ月のCくんの工作風景です。

 

『しんかんくん いえにくる』という絵本を読み聞かせている時のこと。

二人とも、しんかんくんの話を聞いていたせんろくんが、

「そおれい」と空に向かって、ぐんぐん伸びていくシーンに

目を輝かせていました。

そこで二人と一緒に、両手を上げてグーンと伸びをしながら、

「そおれい!!」とせんろくんになりきって遊びました。

反り返った自分の身体の上にNゲージを走らせながら、

BくんもCくんも大喜びで笑い転げていました。

「そうだ、工作でせんろくんを作ろうか?」とたずねると、

「作る」「作る」と小躍りしています。

 

虹色教室の工作は、たいていこんなふうに始まります。

といっても絵本の読み聞かせが工作につながる……というわけではありません。

子どものおしゃべりを聞いているうちに始まることもあれば、

ごっこ遊びの最中に必要ができて始まることもあれば、

素材と触れ合ううちに、始まることもあります。

共通しているのは、いつも子どもの心が何かに強く惹きつけられた時や、

新しい発見をした時、心が大きく揺さぶられた時などに

それをきっかけに、モノ作りをしているということです。

 

つばめの巣を見つけたこと、空を飛行機が飛んでいくのを見たこと、

道で水たまりを発見したこと、エレベーターに乗ったこと、

大きな石の下にだんご虫が隠れていたこと、

テレビのリモコンスイッチを押すと音量がどんどん大きくなったこと、

猫を触ってみたこと、スーパーでバナナを自分で買い物かごに入れたこと、

おばあちゃんのお見舞いに行ったこと、お寿司がこぼれたこと、

駅で「黄色い線の内側まで下がってください~」とアナウンスが流れたこと……

そんな何気ない出来事や絵本で出会うひとつのシーンで

2~4歳の子どもたちの胸はいっぱいになります。

そんなささやかな発見に、心と身体のすべてを使って味わっても

まだ足りないほど夢中になります。

 

2~4歳の子と工作する時、

その時期、その時期の子が熱中する手先を作業ができるようにしておくと、

自分で作ろうとする意欲が身に着きます。

たくさんシールを貼りたい、なぐり書きがしたい、鉛筆の先などで穴を開けて

いくちょっと力のいる作業がしたい、ねんどをこねたい、ちぎりたい、

切りたい、トンカチなどで叩きたい、絵具を使ってみたい、

セロテープで何でも貼り合わせたい……など、

それぞれの子が繰り返しやりたがる活動を、

普段のいたずらや遊びの中で見つけておくようにしています。

 

 

↑ 子どもたちは、連結作業が大好きです。新幹線を作成中。

 

例えば、4歳のBくんとCくんでしたら、

工作用の木片と木片をぴったり合わせて貼り合わせていく作業や

クーピーペンシル2本を同時に使って線路を描く作業などが

ちょっと難しいので集中できるし、やっているうちに夢中になれる活動でした。

 

 

工作のお手本は、「子どもにとって魅力のある作業の一部を見せる」

くらいがいいと思います。

子どもが自分でやりたくなったら、自由にまかせます。

お手本通りにできなかったり、お手本とはまったく別のものを作りだしても

本人に任せるのがいいと思います。

 

お手本を示すのは、子どもに利用しやすい仕掛けや道具の扱い方のアイデアを

見せたいからでもありますが、

一番の目的は、工作したくなるワクワクする気持ちを引き出すことです。

子どもの作業に極力ダメ出ししないようにします。

子どもなりのアイデアが出た時は、それをいっしょに膨らませるようにしています。

工作に慣れてくると、

子どもはお手本がなくても自分でどんどん作品を作っていくようになります。

 

たとえば、

Bくんはグーンと伸びたせんろくんが向かう

かんたろうのお家だった紙コップを口に当てて、ウァァァンという音を出しながら、「見て見て!面白いでしょ。」と言いました。

新幹線だった木片も口に当てて、「先生、見て、こうやってプーッてするんだよ」と言いながら

ハモニカを吹く真似をしました。

そこで、BくんとCくんが自分たちで自由に作る工作に飽きてきたところで、

紙コップで作る電車のアナウンスのマイクの作り方を教えることにしました。

 

紙コップの底に鉛筆で穴を開けて、(はさみで穴を少し大きくします)

コップの底にアルミ箔をかぶせて、周囲をセロテープでとめます。

 

写真を撮りそびれたのですが、上の写真のように紙コップに口を当てて

アナウンスをすると、声が不思議なマイクを使ったように変化します。

 

3歳のAくんの場合、本人がひらめいたアイデアは次のようなものです。

粘土を何色か重ねてストローで抜くと

さまざまな色の重なりがストローの中に溜まっていきます。

このきれいなねんどの層を作る遊びは、教室でとても人気があるのです。

 

お手本を見せると、Aくんは自分でねんどを重ねて

ストローで抜きました。

 

それから、ねんどを抜いたのとは反対のストローの口から

息を吹き込んで、きれいなねんどの玉を飛ばしました。

 

Aくんのアイデアのねんど鉄砲です。

 

しばらくねんど鉄砲で遊んだAくん。この鉄砲の弾を踏んだら

やっかいなことになりそうだったので、紙袋に鬼の絵を描いて

口をくり抜いて、玉を入れの的を作りました。

 

 

 


負ける不安からゲームをしたがらない子も楽しめるボードゲーム

2016-08-09 20:23:44 | 虹色教室の教具 おもちゃ

負けるのが心配でゲームをしたがらない子でも楽しめる、

ボードゲームを紹介します。

 

『シークエンス』です。

 

激しい攻防戦よりも単調なくらいの緩やかな展開を好む、

感覚タイプの子たちに人気です。

 

手札のカードと同じものを、ボード上に見つけてチップを置いていくゲームです。

縦・横・ななめのいずれかに、自分のチップを5つ並べた人が勝ち。

 

幼児と遊ぶときは、「3つ並べたら勝ち」くらいのルールで遊んでいます。


2歳児さんと作る 雨ふらし機 と しゃぼん玉を膨らませる紙コップ

2016-08-08 21:28:14 | 0~2歳児のレッスン ベビーの発達

 

2歳児さんたちが、とても満足する工作です。

とんがったえんぴつで紙コップの底に穴をあけます。

上から力を入れるだけで穴があくので、これができるようになった2歳の子たちは

コップの底にたくさん穴をあけたがります。

 

コップに水を入れると、雨が降ってきますよ。

 

そうして遊んだあとで、

紙コップに自分でしゃぼん玉を膨らませてもらいます。

 

<遊び方>

1. しゃぼん玉液(台所洗剤を少しだけ溶かした水かせっけん水)に

穴をあけた紙コップの底をつけます。

 

2.ボウルなどに水を入れて、底にしゃぼん玉液をつけた紙コップを

写真のように逆さにした状態でつけていきます。

 

3.水に空気が押されてしゃぼん玉が膨らみます。

不思議で楽しい実験です。


「親ができるのは『ほんの少しばかり』のこと」という本

2016-08-08 09:26:19 | 日々思うこと 雑感

『親ができるのは「ほんの少しばかり」のこと(山田太一/PHP研究所)』

という本を読みました。

まえがきに次のような文章が綴られていました。

 

「生まれてくる子の性別も選べない。容姿も頭のよさも性格も健康も、

あるがままに受けとめるしかない。その上で『親ができること』をさぐりさぐり、

なんとか一緒に生きていく。

その一緒の歳月では無論、親は子供に影響をあたえるけれど、

その影響の大半は意識的な『子育て』によるものではなく、

親の『存在』が避けようもなくあたえてしまう影響だというように思います。

いくら『教育方針』などというものを持って教育に励んでも、

結局その親の器量以上のものを、子どもに伝えることはできない。

放っておく親とそれほど大差はないどころか、放っておいた親のほうが

『よき影響』をあたえてしまうというようなことが、いくらでもあるのが

子どもと親との関係だと感じています。」



「生まれてきたときから、子どもは他ならない『その子』です。

他の子と交換可能な個性のない存在ではありません。(略)


親ができることは『ほんの少しばかりのこと』です。親の力の限界を知り、

その中でどう生きるかというのが、子供との関係の基本だと思います。」

 

子どもは個性をもってうまれてくる存在だから、どこまで行っても、その子はその子。

子どもには親の持っている以上のものを伝えることはできない。

そうした言葉を目にすると、

がっくりして、子育てに励む気力が失せる方がいるかもしれません。

一方で、「そんなネガティブな意見は信じない、親の努力次第で子供の将来は豊かに

なっていくはずだ」と憤慨する方がいるかもしれません。

私は、たくさんの子どもに会えば会うほど、

「確かに子供は、交換可能な個性のない存在ではないな」と感じています。

0歳児でも、はっきりとしたどの子とも交換することができない個性を

放っていますから。

それなら「いくら『教育方針』などというものを持って教育に励んでも、

結局その親の器量以上のものを、子供に伝えることはできない」という考えに対して

どんな思いを抱いたのかというと、

「それは真実なのだろうな。子どもをこれこれこういうふうに育てたいと思って

がんばっても、何もしないほうが良い結果が待っているのかもしれない。

でも、親が子どもとの関わりの中で、自分の視野を広げ、人への理解を深めて、

学ぶことへの愛情に目覚めていくなら……そうして自分自身の器量を大きく育てて

いくなら、自分があたえることができる最上のものを伝えていくことができるだろう」

というものでした。


虹色教室で期待通りに成長してくれない子にやきもきして、

悩んだり、叱ったり、あれもこれもといろいろなことを試したり、イライラしたり、

愚痴をこぼしたりしていた親御さんが(たいていの場合、親御さんが困惑するのも、

ごもっとも……と思われる子どものやる気のなさや頑固さや困ったちゃんぶりが

あるものですが)この子はこういう子なんだなと、あるがままに納得するときが

あります。


その上で「気持ちが優しいし、素直な性格だ」「こういうときは、きちんとしている」

「ユーモアがあって、明るい」などと、子どもの良い面を見つけて、

自立をうながしながら、適度に手助けしはじめる方がいるのです。

すると、それまでダラダラ~グタグタ~していた子が、

突然、意欲的にがんばりだすことがあります。

いきなり良い成績を取り出すまでにはならなくても、

その子の個性的な素晴らしさが輝き出して、

子どものグループの中でも一目置かれる存在になりはじめることがあるのです。

『親ができるのは「ほんの少しばかり」のこと』の中で山田太一氏が、

次のように書いておられました。

 

「歩き出したら、片時も目をはなせない。そんな厄介な存在と暮らして、

幸福感があるのが不思議でした。

勿論、うんざりして、いなくなってくれないかな、と願ったことも何十回かは

ありましたが、何十回ぐらいですんだのは、子どもの可愛さでした。

子どもの可愛いのには、何千回も感嘆しました。

すべてが小さくて、しかしぜんぶそなわっていて、無力すぎる故に抗しがたくて、

ほんとうに生物というものはよくできている、ちゃんと親の苦労にむくいるように

子どもをこんなに可愛くつくってあるんだ、と見惚れました。」

 

子どもって、生きているだけで、そこにいるだけで感嘆するほど可愛いものです。

でも、子どもに、今この場で、いろんなものを求めてしまったり、

自分の子育てに自信が持てなかったり、親が自分自身の価値を認めて、自分を大切に

扱えないときには、子どもを可愛く感じられなくなるかもしれません。

でも、そういうときは、「子どもがこんなふうにしてくれたら……」とか、

「子どもがこんな子だったら……」と思うのでなく、

まず子どもを可愛く思えない自分の気持ちを認めて、

自分をいたわってあげるといいのかもしれません。

そうして自分に素直に向き合えば、、自分の器量が少しだけ大きくなりますよね。

そうすれば、少し大きくなった器量で、子どもに接することができるでしょうから。

 

私は前にも書きましたが、ADDの特徴をたくさん持っているので、

調子が良いときに限って、自分でも信じられないようなミスをしがちです。

私が調子が良いときというのは、いろんなことを抱えすぎて、

頭の中がいっぱいいっぱいになっているときでもありますから。

そうしたミスをするたびに、自分で自分に裏切られたような気持ちになるし、

何をしても無意味だという気持ちに飲み込まれそうにもなります。

でも、私は自分がそういう特徴を持っていなかったら、

もっと子育てで間違った方向に進んでたんじゃないかなとも感じているんです。

うちの子たちも、遺伝なんでしょうけど、同じような失敗が多い子なので、

小学生くらいの頃は、「何度言ったらわかるの?」「何回ミスすれば気がすむの?」

と喉元までそんな言葉が上ってくるような失敗をたくさんしていました。

でも、私は責める代わりに、失敗が続いたとき、

「どうしたら自分はダメな人間だとやけを起しそうになるときにも、

正直に自分の欠点を見つめて前向きにがんばれるのか」

「どうしたら、何度失敗してもチャレンジし続ける勇気が持てるのか」を

伝えるようにしてきました。

 

それは私がADDの特徴があるからこそ、何度も何度も、自分の能力に絶望しながら、

そのたびに、何とか気持ちを立て直して、自分にとっての最善をつくす方向に、

一歩踏み出そうとしてきたからなのです。

それがどんなに苦しいことが、よくわかっているので、わが子がつまずいたときには、

子どもが自分で問題を見つめて、欠点を乗り越えていくまで、

大らかに待ってあげることができました。

それで、私の子にすれば、同じ年齢のころの私よりずいぶんしっかりしているし、

それぞれの子が何にひるむことなく自分の可能性を広げ続けることに一生懸命なので、

うれしく感じています。

 

この著書には次のような文章もありました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

……そういう意味でいまの日本って、お人好し社会だと思うんです。

お人好しでなにがいけないかというと、人間の実態に鈍感ですから、たとえば、

自分の実態を超えて過度にいい人になろうとするとか、

他の人にもうんといい人であることを要求するとか、子どもに対しても、

そんなことを要求しても無理だということを要求してしまったりして、

その無理がどこかで暴力的に表に出て、

自他を傷つけてしまうというようなことがあるからです。

たとえば、子どもの能力に関係なく東大に入れたいとか、幼児から慶応に入れて、

あとをラクにしてあげようとか計画を立ててします。

子供は無力です。十歳くらいまでは、どうしても親の計画に合わせざる得ない。

東大へ入ったから、なんなの?という議論は別にしても、その子の能力を考えない、

無茶苦茶な計画である場合も多いわけです。

残念なことだし、なんかひどく頭の悪い人の計画というように感じてしまいます。

(省略)

親がどうぬけめのないプランを立てたって、子供がその通りにならなければ、

手も足も出ません。

いい学校へ入れようとしても入れない子どももいるし、

コネを総動員してなんとか入れたら、こんな学校行きたくない、と

登校拒否してしまうという例も少なくないようです。

それが子どもの素晴らしさだと思うしかないのではないでしょうか。

はじめに流行の教育コースがあるのではない。生身の子どもがいるのです。

子どもに従うしかない。

それが一番リアルなことだ、というように思います。

子どもが「なにが好きか」を基準にする他はない。

それを助けることしか、親のできることはない、と思います。

   ——親ができるのは「ほんの少しばかり」のこと/山田太一(PHP研究所)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「人間の実態に鈍感」という言葉を目にして、

このところ心に引っかかってもやもやしていたことが、浮かびあがってきました。

最近、教室の能力の高いしっかりさんたちが、小学校に通うだけでヘロヘロになって

帰ってきて、勉強に対しての不満や怒りを口にするようになりました。

親御さんたちにたずねると、少し前まで授業中に騒ぐ子がいて親からのクレームが学校に

集中したものですから、今度は学校側が過剰に厳しいルールを徹底するようになって、

授業中は後ろに手を回して「聞く姿勢」というのを保つことを要求されることが

多いそうなのです。

手遊びをさせないための配慮でしょうが、低学年でも6時限まで授業がある日も

あるので、四六時中、緊張し続けていると、かなりストレスが溜まるようです。

おまけに、そうやって微動だにせずに耳を傾けなくてはならない先生の説明が、

みんなが正解するレベルに設定した

「これとあれは、どっちが正しいでしょう?」といった簡単なものばかりなので、

授業が単なる苦行となっているようなのです。

一方で、文字がちょっとゆがんだり、はみだしたりするだけで

赤で修正されるものですから、書き取りを嫌がったり、細部に神経質になるあまり、

それまで書けていた字も書けなくなったりしているようです。

 

今の学校は少しルールをゆるめると、たちまち収拾がつかなくなるようなところが

あるので、学校の対応とすれば、ある面、仕方がないのかもしれません。

先生方も大変で一生懸命だ、ということもよくわかります。

それでも、もやもやした嫌な気分がくすぶるのは、小学校での問題解決の方法が、

どんどん生身の子どもとか人間というものの実態から、

かけ離れていくように感じるからです。

人間は疲れるし、ストレスも溜まるし、興味をそそられる話や

自分が能動的に関われる場面では、夢中になって集中しているけど、

そうでないときは気がゆるむものです。

もちろん、小学校の授業を個々の子供の能力に合わせるのは難しいですから、

それは仕方がないし、子供に常に先生の話に集中するように指導するのも

当然といえば当然です。

でもそこに、人間というものを知っていて、

全体に向けての基本のルールは徹底するけど、そこにちょっと遊び心を含めたり、

余白を設けておいたり、感情の部分では、ストレス抱えてがんばっている子どもの

気持ちを理解していて、ある部分で見て見ぬ振りをするとか、大目に見るといった、

ささやかな個別対応があっていいと思うのです。

親の側も、先生が自分の判断で、たまにはルールをゆるめたり、

一人ひとりの子にじっくり関わるのを、人間というものへの理解から、

「ちゃんとしていない」とか「ひいきだ」とかいっていちいち目くじらを立てずに、

そっとしておくことも必要なのかもしれません。

山田太一氏が親に向けて、次のようにおっしゃっているのですが、

教育現場でもいえることだな、と思いました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

人生の先輩として、方向をリードしたり忠告したりしたくなるのも人情でしょう。

しかし、親は自分の人格以上のものを口先で子供に伝えることはできないし、

口で伝えるようなことは、黙っていても伝えてしまっているのが、

親子というものではないか、と思います。自分の毎日の姿で伝えるしかない。

教育的な言辞は無駄なことが多いと思います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

この夏、PHP研究所から本を出させていただきました。

どうぞよろしくお願いします。

購入してくださった方、本当にありがとうございます。感謝しています。

 

  

詳細はこちらで見てくださいね。

http://www.php.co.jp/family/detail.php?id=83303

 


水の上を走る乗り物 改め 水が線路の上を走ってついでに光る

2016-08-07 21:25:47 | こんなこと、やってみたい!

発達に凹凸のある3、4年生の子のグループレッスンで。

電車好きの3年生のAくんが、教室につくなり、

「ぼくねぇ、いいことを考えたんだ。水の上を走る乗り物が作るんだよ。

リニアモーターカーみたいに。でも、水の上」と息を荒げて言いました。

どんなふうに作る計画なのかたずねると、

「リニアモーターカーみたいにだよ。じしゃくで浮かばせて、

水の上をスーッって走ったら、すごいでしょ」とのこと。

「それはいい考えだけど……。

前にリニアモータカーを教室で作ったことがあるけど、

強力な磁石を使ってもつま楊枝くらいの金属の棒を動かすのがやっとこさだったのよ。

Aくんは、どんな乗り物が動かしたいの?」

「もちろん、大きい電車だよ」

「だとすると、教室にはそんなに強力な磁石はないわ。」

「でも、作りたいよ」

「それなら、磁石で動かずのはあきらめて、風の力とかゴムの力とか

で動かしたらどうかしら?それなら、水の上を走るかもね。

でも、水は、どうやって教室のなかに流すの?

教室で水を入れられる大きな容器は、スーパーボールすくいの時に

使っている衣装箱くらいだけど。」

「そんなのだめだよ。部屋の中をグルーッと水が回って、

あっちもこっちもいって、グルーッと回ってこなくちゃいやだ」

Aくんが、しつこく言い張るので、こちらもやけになってこう言い返しました。

「それは、残念。そんなことしたら教室中、水びたしになってしまうわ。

どうしても、水をグルーっと回らせたいなら、

水の上を走る乗り物を作るんじゃなくて、

水が線路の上をグルーッと回るんだったらできるわよ」

 

すると、あっさりと、「それでいい!」とのこと。

本当に、それでいいの……??

 

そうして作りだした「水の上を走る乗り物」ではなくて、「線路の上を走る水」。

色画用紙をつないで、せっせとクレパスで色を塗りました。

クレパスを塗ると、水をはじくので、ストローで水の玉を落として、

ストローで息を吹きかけると、丸い水の玉の状態で線路上を走っていきます。

 

AくんもBくんも、

ストローで水の玉を移動させて大喜びしていました。

ついでに、実験用に買っておいた光る塗料を塗りました。

部屋を真っ暗にすると……

うっとりするような美しさでした。

 

AくんもBくんも、それぞれの学年の学習をしっかりがんばりました。