(ひと押しで、一番下の段まで宝が落ちる仕掛け作りに知恵を絞る)
わたしの話を聞いて、しばらく考え込んでいた息子は、こんな言葉を返しました。
息子 「もっともっと上を目指して、知識を増やして、技能をマスターして……
という形で、『単純なものから複雑なものへ』と進歩していくイメージばかり
重要視されがちだよね。
子ども向けにパッケージ化された体験はどれも、単純なものをひたすら足し合わ
せていって、より複雑なものを構成していく価値観でできているようにみえる。
でも、実際には、それとは逆方向に
『複雑なものが単純なものに書き換えられていく』ってプロセスも、
大事なんじゃないかな。難しいものを簡単な言葉で言いかえることや
情報のダイエットをするって意味じゃないよ。
ほら、ブレークスルーが起こると、それまで苦労して大量の情報を使っても上手く
いかなかったことが、シンプルな新しいやり方であっさり片付くようになるよね。
一つの方法が、それまでの膨大な情報を必要としていたことが、
一瞬にして少ない情報で行われるようになるってこと。
そんなふうに複雑なものが単純化されることって、
一人ひとりの頭の中では、よく起こることだと思うよ。
単純なものを複雑化していくのなら、努力次第で、誰がやっても同じプロセスを
踏んで行くよね。
でも、複雑なものを単純化する時には、何に着目して、それをどう捉えたか、
どう認識したか、どう意味づけたかが関わってくるから、
人それぞれ違ってくるはず。
複雑なものをどう単純化するかは、ただ知っているのか、理解しているのかを
分けるポイントにもなると思うよ」
わたし 「複雑なものの単純化……。今まであまり考えたことがなかったけれど、
確かに教室の子どもたちにしても、無秩序なものから秩序を見つけ出したり、
ただ『できる』だったものを、応用のきく『わかる』の形にコンパクトに書き換える
ときがあるわ。自分で意味を作りだす力を使って。
複雑なものを単純化するプロセスでは、それぞれの子の資質や個性がはっきり
出やすい気がするわ」
息子 「同じものを見ていても、それをどう解釈するかは人それぞれだから。」
わたし 「そういえば、遊びにしろ、工作にしろ、算数にしろ、一人ひとりの子が
強く意味を感じる部分の違いは見ていて面白い。
今ある環境ですぐに評価されるものもあれば、最終的にはその子の一番大事な力と
なるはずなのに、今は無駄に見えるか、良い成果を出すのを邪魔しているものもある。
お母さんがそういう力を活かしてあげられることもあるし、
この子はこういう能力があるんだな、と心に留めておくしかできないこともあるわ。
★(息子)は、幼稚園時代から、サイコロやチップやトランプをさんざん散らかした
あとで、その並べ方や出し方の中に潜在している秩序に気づいたり、
不思議を感じる点を見つけ出したりするのが得意だったわよね。
教室にも、着眼点や秩序の見いだし方は違うけれど、
そうしたランダムに見えるものから応用のきくシンプルな気づきを得る子らは
たくさんいるわ。
遊びの世界で、子どもがそうやって自分らしい資質を使うのを見るのはうれしい瞬間よ。
考えてみたら、子ども時代、お母さんが複雑なものを単純化する対象は、
いつも目に見えているものの目には見えない部分だったわ。
★のように見えないルールというものではないんだけど。
お母さんにも、子どもの頃のお母さん独特の『複雑なものを単純化』する感性の
ようなものがあった、あった。
団地のぐるりにピラカンサっていうオレンジ色の小さな実を大量につける木が植え
られていたのをしょっちゅう眺めていたのよ。
どんな葉の形でいつごろ実がなるか、なんて、植物図鑑的な興味は微塵も持たない
まま何年も過ぎたのに、飽きもせずに眺めていたのは、
こんなことを考えていたからなのよね。
このオレンジ色の実の一つひとつが顔で、それに一つひとつ心が宿っていたとしても、
お互いに同じ根っこでつながっているなんて気づかないはず。
知らないからけんかして、相手が枯れてしまったら、
結局自分も枯れてしまうなんてことはあるのかな……といったこと。
ピラカンサを見ながら、人間の場合、地球上を移動はしているけれど、
移動しながらも地球の一部としてひっついているってことはあるのかな、とか、
星の光は長い時間をかけて地球に届いて、ずっと昔の姿を今目の前で見ることが
できると聞いたけど、心は、光と同じような性質かな、とか考えていたわ。
団地の壁に貼りついている蛾を眺める時も、蛾の模様が偶然の産物には見えなくて、
進化の過程にどうやって、意味を持った画像が取り込まれていくのか、
誰のどんな目に映ったものが、何世代もかけて美しい模様を作っていくんだろう、
とかね。
受験に役立ったわけじゃないけど、それを思い出すと、自由でのびのびした幸せな
心地になるから、教室で接する子たちには、そういうその子ならではの頭や心の
使い方の自由を守ってあげたいと思う。」