虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

機能不全家族について 1

2022-03-08 21:26:08 | 機能不全家族・アダルトチルドレン

 

(わたしの子どもの頃の話です。)

 

小学校低学年頃だったと思います。

わたしは妹と近所の年下の子らを連れて、坂を5分ほど上って行って給水塔のそばの広場で遊んでいました。

 

そこは駐車場でもあるのですが、昼間の車の出入りはなく、四葉のクローバー探しの穴場でした。

小さな子たちを連れて、大人の目のないこんな場所まで遊びに行っていたのも、団地の前の庭には、じめじめした雑草が生い茂っていて、やぶ蚊やムカデや蛇がいるので、遊びといっても、探検ごっこか落とし穴作りしかしようがなかったからなのです。

 

ひとしきり遊んで、みんなでぞろぞろ来た道をくだりはじめた時、郵便配達人の格好をした20~30歳くらいの男性がこちらに近づいてきました。

優しい口調で話しかけてきましたが、その雰囲気や表情からは、気味が悪いような恐ろしいような得体の知れないものが感じられました。

 

当時、その地区では幼い子どもをターゲットにする変質者が出没するという噂が繰り返しささやかれていました。

また、そうした事件で、カッターで切りつけられたり、首を絞められたりして死んだ子がいるとニュースでやっていた、というこそこそ話が、子どもたちの間をまわってもいました。

 

わたしは見知らぬ人が近づいてきて、何かすごく楽しいことがあるような口調で団地の裏の人気のない場所に誘おうとしているのを聞くと、ゾクッと背筋が凍るような思いがして、警戒心をあらわにして、年下の子たちを催促するように押しながら帰りを急ごうとしました。

 

すると、その男性は、わたしの緊張した疑り深そうな目つきを避けるように無視したまま、少し離れたところにいた妹と妹の友だちの前にかがみこんで、朗らかで親切なお兄さんという様子で声をかけていました。

そして何気なくふたりの手を取ると、どこかへ連れて行こうとしました。

 

妹は快活で怖いもの知らずなところのある気の強い子でした。それと同時に、母との関係がうまくいっていなかったからか、(そうした事情については、「親のコンプレックスと子どもの困った行動 」という記事の中で書いています)自分に構ってくれる甘えられそうな相手に、強く惹きつけられるところがありました。

 

他の子らも、その男性と妹たちの後ろをぞろぞろと付いて行こうとしていました。

誰といっしょだったのかはっきり覚えていないのですが、おそらく妹たちよりももっと幼い子らだったのだと思います。

 

わたしは後ろずさりをしながら、近くの団地の階段をかけのぼってドアを叩いて大人の助けを得ようか、母のところまで知らせに戻ろうかと思いをめぐらせていました。

でも、周囲はひっそりと静まり返っていて他の大人の気配がありませんでした。

母を呼びに行って戻ってくるまでは途方もないほど時間がかかるようにも思えました。

 

そんなことを迷っている間にも、妹たちは団地の裏に消えようとしていました。

あの人はカッターを持っているのかもしれないし、いきなり両手で首を絞めようとするのかもしれない……。

 

恐怖心で声も出せずにガタガタ震えていたわたしは、ふいに覚悟を決めて、その人に向かって突進していきました。

それから妹たちの手を握るとグイグイと引っぱりました。

 その剣幕に驚いて、その男性はふいに妹たちの手を放すと近くにとめていた自転車で走り去っていきました。

 

それからどうなったのか、記憶はそこで途切れています。

ですが、自分が自分でないような不思議な感じがした覚えがあります。

というのも、その頃のわたしは、内気過ぎるほど内気で、弱々しい子どもだったのです。

鼻が悪かったり、喉や胸がぜいぜいして息をするのも苦しかったりして、疲れると身体を引きずるようにとぼとぼ歩く癖を、近所の人に笑われたこともあります。

人と関わる時に強く出れなくて、隣の席の子に下敷きで繰り返し頭を叩かれても言い返すことも逃げることもできなくて、その場にフリーズしていたり、近所の年上のいじめっ子に繰り返しだまされて、留守宅に閉じ込められたりしていました。

 

そんな風に自分で自分を守る力すらないのに、妹のこととなると、カミナリが怖くて震えあがっているのに、激しくカミナリが鳴るどしゃぶりの中を駆け抜けて迎えに行った記憶もあります。

 

わたしと妹は特に仲のいい姉妹というわけではなく、性格も遊びの好みも違う上、「妹は困った子、悪い子」という母のまなざしに同調しなくてはならない雰囲気の中で、親戚の子たちや友だちよりも遠い存在でした。

親戚の子たちや友だちよりも遠い存在であった妹のことで、どうして自分はいつも躍起になるのか、我を忘れて、恐怖の中に飛び込んでいったりするのか、ずっと自分でも不思議でした。

このブログの記事(ワガママな振舞いが目立つ子にどのように接したら良いでしょう? )を書く中で、「そうした激しい気性や気難しさや過敏さを持っている子たちを、特別にかわいく思い……」と書いてから、「これだと、育てやすい子は、特別には、かわいく思っていないようでよくないな」と躊躇しつつも、なぜだか削りたくありませんでした。

 

迷った挙句、言葉をそのまま残した瞬間、どうして自分が妹に関することでは、強い衝動に駆り立てられることが多かったのか、理由がわかったような気がしました。

 

妹は要求が多くて妥協を知らない育てにくさのある子で、どんなささいな衝突もとことんエスカレートさせて、長丁場の戦いに持ち込まずにはおれない性格でした。

 

 わたしは、赤ちゃん時代に始まって、何年経っても母が妹とぶつかり続けたことや、結局、妹が大人になるまで互いに歩み寄らなかったことに腹を立てる一方で、それがどうしようもなかったことも承知していました。

 

 母はその時代の子ども観やしつけ観の中で精いっぱい誠実に子どもを育てようとしていただけで、妹に対する愛情も優しさも本物でした。

 

わたしは母と揉めてばかりいる妹に、「どうして1つもらったら10欲しがるのか」

「どうして今、この状況では我慢すべきだと納得できないのか」とやきもきしていました。

昼寝の時に、母の両隣にわたしと妹が寝ることを、妹は絶対に許しませんでした。

毎回、母の全てを独占したがって、わたしに噛みついたり、髪の毛を引っぱったりしていました。

 

 次回に続きます。


パートの学べる場 学べない場の話

2022-03-06 17:32:18 | 私の昔話 と 物語

勉強の話ばかりじゃ疲れるので、昔々、私が某大手スーパーの早朝パートをしていた時の話を書かせてくださいね。


かつて、まだ若さが残っていた頃、早起きが取り柄だった私は、数年ごとに、パン屋の早朝パートとか、コンビニの早朝パートなどをして、お小遣い稼ぎをしておりました。うちの子たちが起き出してくるまでに、2時間ほどの仕事を終えて、猛ダッシュで帰ってきて、朝食、朝の支度とバタバタしながら、子どもたちを園や学校に送り出していました。
あるとき、時給の高さに釣られて、2駅ほど先にある大手スーパーの早朝パートに行くことに……。

担当は、鮮魚コーナーです。

数日、勤めるうち、他の部署のパート仲間から、「鮮魚コーナーと精肉コーナーは新しいパートが続いたことがなくて、せいぜい一週間が限度よ。1日で辞めるアルバイトも珍しくないのよ~」という噂が耳に入ってきました。

「どうりで、いっしょに入った精肉のアルバイトの男の子……隣の部屋(精肉コーナー)で見かけないと思ったわ」と思いながら、早いとこ、仕事の流れをつかまなきゃ……と、頭の中で手順を整理しようとするんだけど、『もやもや~』とまとまらないのです。

鮮魚コーナーには、私と同じ時期に勤めだした20代前半の高学歴の几帳面な☆さんという方が勤めていました。

彼女も、私と同じ『もやもや~』に見舞われていたようですが、いつも120パーセント全力疾走するがんばり屋なので、『もやもや~』の原因は脇に置いて、取り合えず、指示されたことを、大量に高速でこなすことに燃えていました。

私が、ずれた三角巾を鮮魚コーナーの鏡面に映して直そうものなら、すっ飛んできて、「そんなこと仕事中、すべきことじゃないでしょー!!」と激を飛ばす一秒惜しまぬ働きっぷりでした。

そこで、私も普段の自分の2倍速くらいの動きで、それなりに仕事をこなしていたのですが、頭の中には、やっぱり、『もやもや~』が居座っていて、仕事をするごとに、それが膨らんでいきました。

『もやもや~』の正体は、初めのうち、私にもわかりませんでした。

が、先輩パートの女性に魚のパックにラップをかける機械の使い方を教わったときに、あれっと疑問を感じた瞬間から、しだいに理由が見えてきました。

ラップをかける機械というのは、古くて扱いにくい機械で、パックのサイズごとにさまざまな調整しなくてはなりません。
やたらでかくて、やたらボタンが多くて、やたら複雑……。
覚える手順も多く、手先の器用さも要求されます。
誰しも一朝一夕にマスターできるとは、とうてい思えない代物です。

その機械の前に引っ張って行かれた私は、「一回だけしか教えへんからね。ちゃんと覚えてよ」と強い口調で告げられました。
それから、先輩は、手早く機械をいじって、パックにラップをかけたかと思うと、「私ら、忙しいねんから、あんたらに教えてる暇なんてないから」というと、カリカリしながら、こちらに背を向けて自分の仕事をしはじめました。
すると、奥で働いていた別の先輩が、「ほんと、仕事できないのに、私らより高い時給もらってんだから!」と、とげのある口調で、その先輩に耳打ちしました。

……○先輩、一回だけしか教えへんからね……と言ってたけど、ここで働いている人たちは、どれくらいの回数で覚えたのかな?
驚異的な記憶力があっても、1回ではなさそうだけど……。
それにしても、2回目に教えてもらいにくそう~な雰囲気だなぁ……。

そんなことを考えつつも、以前、働いていたパートの経験から、業務用の機械を扱う手順をマスターするのは、ちょっと自信があったので、「私が難しいんなら=他の人だって難しいはず」という、適当な推理を働かせて、「教えてくれないんだったら、他の人が機械を使うのを盗み見て覚えるしかないか~やれやれ~まあ、2時間かそこらの仕事だし、がまんしよ」などと、かる~く捉えていました。

そうして、冷凍室から魚を運び出すときなど、その機械を使っている人がいないか注意していました。

その機械は、冷凍室の隣にある<関係者以外立ち入り禁止>の部屋にありました。
そこには、この道10年、20年というベテランパート数名が魚をおろしたり、貝を洗ったりしていました。
ベテランたちですから、手の動きは猛烈に素早いのですが、口の方も常に忙しく動いていて……要は、四六時中おしゃべりをしていました。

あるとき、そのベテランの先輩のひとりが、ラップの機械を触りながら、「あ~これどうすんだっけ。○ちゃんは~? あっ、今日休みよね。」と言い、横から別のベテランの先輩が、「私もその機械、使い方がわからないのよね。あ~どうすんだったかな……右のそれ、いじってみたら?」と声をかけていました。
そこに、ちょうど通りかかったこちらもパート歴何年の男性が現われ、機械について質問されるものの、「しらん、しらん」といって、軽く手を振って、冷凍室に入っていきました。

ということは……もしかして、このラップの機械をまともに操作できるのは、私に「1回しか教えへんよ。……」と言ってた○先輩だけってことなの……?

そんな考えが、頭をよぎると同時に、それまで『もやもや~』と、くすぶっていた靄が晴れて、仕事が覚えにくかった原因が見えてきました。

私を含む3人の早朝パートの主な仕事は、その朝届いたばかりの食品(ちりめんじゃこなど)を売り場の冷蔵の棚に並べていくことです。
前日の食品の賞味期限をチェックし、新旧の食品を入れ替えていくのです。

文字にすれば単純そのもの~数字さえ読めたら、1日、2日でマスターできそうな仕事なのですが、現実には、もうかれこれ5、6年勤めているという早朝パートの●さんが、「まだ覚えられへんのか?」「あんた何年目や、あほか!」「何やってんのや、何回教えたら気すむんや!」と怒鳴られ、わめかれ、陰口を叩かれ続けていました。
といって、この女性、特に動作がにぶいわけでも、仕事が雑なわけでも、物覚えが悪いわけでもなさそうでした。

早朝パート同士3人でお茶をした時に聞いた話によると、娘さんが大学を卒業するまで、この仕事をやめるわけにはいかないから、多少、ひどい言葉をあびせられても、聞かなかったことにしてがんばっているそうなのです。
そんなことを吉永小百合風の笑みを浮かべて語っていました。

けなげな話ではあるけれど……それにしても、●さんは何年も、どうして仕事が覚えられないのか……?
というより、私も、いっこうにこの仕事の段取りがつかめないのだけど……こんなにも仕事の流れが読めない……のは、なぜ?

と考えるうち、そういえば、ここの職場、鮮魚売り場だけで、船頭が3人いるなぁ~と、思いあたりました。
魚をおろしている仕事場も含めると、船頭が5人はいます。

その5人の船頭(主任や副主任、ベテランパートなど)が、早朝パートにやらせようと考えている仕事の内容がてんでバラバラなのです。
指示もちがえば、叱られる内容も正反対、仕事の方法も異なります。

それで、前日教わった方法で作業を進めていたら、いきなりお怒りモードの主任があらわれて、「それ、何してる? だれがせい言うた?」と責められます。
「★さんに」と答えると、チッと舌打ちするような素振りをして、「それ、全部やりなおせ。~しろ」といった指示がくだります。

といって、他の先輩パートは忙しそうで、質問できる雰囲気じゃありません。質問できたところで、返ってくるのは、おそらくその先輩が考えるお仕事内容で、その通りすれば、他の先輩からは注意を受けることが目に見えているのです。

う~ん、どうしたものか……もうひとりの早朝パートの☆さんは、どうやっているんだろう?
と、☆さんを眺めると、完ぺき主義でがんばり屋の☆さんですから、この猫の目のように変わる指示に呑まれて、一瞬、一瞬が、緊急事態のような緊迫した様子で、ストレスフルに働きまくっていました。

☆さんったら、あんまりがんばりすぎて、ちょっと静かに考えてみる余裕も失っているな……と感じたのは、先輩パートの□さんに呼ばれて、「このごろ、他の部署にカート取られるから、1時間早く来て、カートを取ってきとけ」と命令されたときです。
1時間早くと言われても、その時間はパートのお給料は出ないわけです。
そんな勝手な指示にしたがう必要はないのだけれど、☆さんは、「はい、わかりました」と素直にしたがっていました。
(私の場合、「それは、できません」と、はっきり言ったもので、その後、しばらく嫌がらせを受けていたのですが……)

 早朝パートの仕事は、他の部署と共同の道具置き場にカートを取りに行って、朝一に届く荷物を取りにいくことからはじまります。

カートを手に、荷物を待つちょっとした間が、他の部署のパートの方々との社交の場でもあります。

私が鮮魚の段ボールをカートに積むのを見て、お菓子売り場の早朝パートの年配の主婦2人が話しかけてきました。

「鮮魚?あんたんとこ、こわいよね。すごい怒鳴り声が響いてくるじゃない?」

「あほ、ぼけ、しねーとか。お菓子はいいよ。静かで働きやすくて。」

そして、顔見知りになると、たびたび、「お菓子においで~。こっちに変えてもらいなよ~」と誘いを受けるようになりました。
とはいっても、パート特有の社交辞令で、現実には、頼んで仕事場を変えてもらえるわけじゃないのは、お互いによくわかっているんですけどね。

どうも、鮮魚コーナーの怒鳴り声は、開店前のスーパーの食品売り場内全体に響き渡っていたようです。
鮮魚のコーナーがどうしてそんなにカリカリしていたのかというと、実際、忙しいからでもあるのです。
なぜ、忙しいのかというと、テキパキ仕事ができる働き手が少なくて、ひとりひとりの仕事量がかさむからでもあります。

食品売り場は朝が勝負。
スーパーが開店するまでに、売り場に新鮮な食材がきちんと並んでいなければなりません。そのために、わざわざ、早朝だけ出勤する時給の高いパートを雇っているのです。
鮮魚の場合、魚をおろしたり、パック詰めしたりするベテラン向けの仕事がたっぷりありますから、売り場にじゃこを並べるくらいは、早朝パートにちゃっちゃと動いてもらいたいところなのです。

それが、研修中のパートがいては、教える手間まで増えて仕事が倍増するし、おまけに何年も働いているパートにもいちいち指示を与えなくちゃいけない状態……それは目がまわる忙しさで、怒鳴りたくなる気持もわかるのです。

おまけにメインの機械をまともに操作できる人がひとりでは、いちいち呼び出されて、パック詰めさせられる○先輩もイライラするなら、パック詰めの仕事のたびに滞る仕事の流れにキレる人が数人出るのも仕方がないのです。

といっても、ベテラン同士は、イライラを貯めつつも、おしゃべりに花を咲かせて仲良くしていますから、結局、その全ての『イライラ~カリカリ~ムカムカ~』を一手に引き受けていたのは、早朝パートの●さんでした。

食品売り場全体に響き渡っていた怒鳴り声の9割までが、●さんに浴びせられていた怒鳴り声だったのです。

開店に向けてバタバタ仕事をしているとき、あー忙しい、みんな自発的に動いて、テキパキしごとをこなしてくれ~とばかりに早足で歩く主任や副主任の目に、昨日言ったのとちがう作業をしている早朝パートの●さんが目につきます。

もっとも、●さんが悪いわけでなく、上から伝えられている指示がバラバラで毎回ちがうもので、何年勤めようと、『学習したことを蓄積していく』ということが成り立っていないのです。
それで、新人以上におろおろ仕事しているわけです。
すると、「ここ勤めて何年目や~!」と言う怒鳴り声が爆発するわけです。


ここのパートをしていたとき、うちの子たちはまだ、今、レッスンで相手している子たちと同じくらいの年齢でした。
それで、この職場の惨状は、『学べない場』の見本として、染み入るように勉強になりました。

子どもが、もたもたして上手にできないときに、ひとつひとつていねいに繰り返し教えるのは、手間も根気も必要です。
忙しい時間には、サッと取り上げて親がやっちゃいたいことでもあります。
でも、覚えるまで、気持ちに余裕を持って付き合いさえすれば、後は、子どもが自分で自立してきちんとできるようになるのです。

はじめのうちこそ、時間を無駄にしますが、最終的には、子どもが自分でできるまでていねいにサポートすることは大人の楽につながるのです。

それと、本当に忙しかったところで、「忙しい、忙しい~」とカリカリしていたのでは、教わる側が、わからなくても聞くに聞けないものです。

すると、何年経っても、子どもは自分に依存して頼ってくるでしょうし、それが原因で叱り飛ばすことにもなります。

また、子どもが学んだことを蓄積するには、身近な大人が、自分なりの価値観や、生活の枠組みをきちんと意識して、しょっちゅうぶれないことが大切なのだと感じました。

他の子と比べて、子どもの「できない」が目についたとき、イライラムカムカ~とするものですが、「できない」の前には、できるようになるためのわかりやすい道筋がつかめなくてもやもやと戸惑う姿があったはずだと思うようになりました。

わかりやすいシンプルなぶれない手本を何度も見せ、わからないときに気持ちよく(いやみなどを言わずに)教え続けていれば、子どもは自発的に学んでいくコツを、きちんと身につけることができるのです。

子どもの自立のために、今何をすべきなのか、学びたくなる場、学びやすい場、学んだことが蓄積していける環境を作るにはどうすればよいのか、いろいろ考えさせられた職場でした。


シャボン玉で描いたミクロの世界

2022-03-04 22:19:53 | 理科 科学クラブ

(過去記事です)

もうすぐ1年生の女の子たちと、シャボン玉で絵を描いて遊びました。

シャボン玉の液に絵の具を少しだけ混ぜて、画用紙の上にシャボン玉を作ります。

すると、長い間、シャボン玉が割れずに保たれるほど、縁のある魅力的な形ができあがります。

『粘菌』の本や『いのちのひろがり』の本を見ながら、「これに似ているよね」「ミカヅキモみたいよね」といった話をして盛り上がりました。

 

3歳ころから形が好きでたまらないAちゃんが、『粘菌』の本にあった粘菌アメーバーの拡大図が気に入ってねんどでも作っていました。

算数の勉強は、買い物クイズとサイコロの数あてをしました。

「130円のお金を持って、3個パンを買います。どれとどれでしょう?」という問題に、みんな苦しみ、いっしょに来ていたお姉ちゃんにヒントをもらっていました。

この日は、それぞれの子のお兄ちゃんやお姉ちゃんも来ていたので、同じパンを使って、こんな問題を出しました。

「パンは全部、50円です。3個買うごとに1個、おまけしてもらえます。500円では、何個パンが買えるでしょう?(もらった分もふくむ)」

この問題に、大きな子たちが喜んでいたので、パンじゃなくて、これが牛乳で、飲み終わったら空き瓶回収で、新しい1本をもらうのだと話が変わってくるよね」と言うと、興味しんしんだったので、パンをパン型のジュースだということにして、いっしょに問題を考えました。

楽しい時間でした。