旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

香山墓所

2009年07月01日 | 旅 歴史
 山口県山口市香山町にある香山墓所(萩藩主毛利家墓所)を取り上げてみます。
 階段の下の石畳は「鶯張りの石畳」といわれています。音が石段や石垣に反響して「きゅっ」という音がでます。
 国指定史跡に指定されている香山墓所は正式には萩藩主毛利家墓所です。広大な地に整然と配置され、萩市の天樹院、大照院、東光寺とともに長州藩主の墓所となっています。
 香山墓所は、明治維新当時の当主であった13代毛利敬親(たかちか)夫妻、14代夫妻、15代夫妻など毛利本家歴代諸霊の墓の計7基と初代秀就の母周慶寺殿の墓があります。

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瑠璃光寺

2009年07月01日 | 旅 歴史
 今日は山口県山口市香山町にある瑠璃光寺を紹介します。
 保寧山瑠璃光寺は曹洞宗のお寺です。守護大名であった大内氏の家臣の陶(すえ)弘房の夫人は戦死した夫のために吉敷(よしき)郡仁保庄に安養寺を建立し、後に瑠璃光寺に改めました。
 それより先、現在瑠璃光寺がある場所に、大内氏25代の大内義弘は香積寺を建立していました。義弘は応永6年(1399)応永の乱を起こし足利義満に敗れて戦死してしまいます。 
 弟の26代大内盛見(もりはる)は兄の霊を弔うため五重塔の建設を始めました。盛見自身も九州の少弐氏・大友氏との戦いで永享3年(1431)に戦死してしまいます。五重塔はその後嘉吉2年(1442)頃、完成したそうです。
 この五重塔は30年もの歳月をかけて完成されたことになります。国宝に指定されていて、全国で10番目に古く、屋根は30年ごとに葺き替えられています。大正5年(1916)に塔を解体修理した時、組物の斗に嘉吉2年と書かれた墨書が発見されたため時代を解明できたそうです。
 慶長9年(1604)、毛利輝元が萩へ移ったため、香積寺を萩に引寺しました。解体して萩城内の別業四本松邸の資材としたそうですが、五重塔は山口の人々の要望で香積寺の跡地に残されたのです。その跡地に仁保から瑠璃光寺を移築されたのです。
 高さ31.2mで屋根は檜皮葺、2層にのみ回縁(まわりえん)がついています。法隆寺と醍醐寺とともに日本三名塔の一つに数えられ、室町中期における最も秀でた建造物と評されています。

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